【佐賀】邪馬台国説で沸く 四半世紀にわたって続けてきた吉野ケ里の発掘終わる
1 :
春デブリφ ★:
3 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 21:59:55.21 ID:N/vmcd2S0
男狩り遺跡
ある場所で、再現された竪穴式住居にソーラーパネルが取り付けてあった
いったい何がしたいんだ・・・・
5 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:01:44.30 ID:7ARpdvdq0
邪馬台国はやっぱ九州だよな
吉野ヶ里は違うが
6 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:02:06.72 ID:pLApQPeIO
邪馬台国は奈良県にありました。
邪馬台国は本当は沖縄
邪馬台国にいたる道のりに記されている国が全部ある
ただ、邪馬台国だけが沖縄に残っていない
佐賀県にある弥生文化を代表する遺跡です
日本最大の環濠集落です
9 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:06:00.80 ID:CIUJUs7Vi
吉野ケ里遺跡で、発掘された棺(壷型)が並べられていたけど、小型のもののほうが多かった。
今では考えられないくらい、乳児や幼児の死亡率が多かったのだろう。
佐賀(笑)は観光地もろくにないし必死だよなw
お願いだから県外に出てくるな。あの田舎者特有の陰湿、陰険さが大嫌いなんだよ
12 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 22:10:55.11 ID:EHUXawRCO
工事でたまたま掘ったら出てきただけで、まだ他の場所にもっと大規模な遺跡が埋まってる可能性も無くはないんだよね。
特に現在の古い住宅街とか、調査のために掘り返すとかできないが、現在も人が住むのに適してるなら昔もそうだった可能性があるしな。
そんなわけで、考古学だけで当時を推測するには限界があると思います。
あと吉野ヶ里遺跡は、邪馬台国とはあまり関係が無いのではないかな。
年代的にもっと古いと聞いたし、場所も厳しいと思います。
天照大神や伊耶那岐命がいた高天原と呼ばれるような、神武東征以前の王朝(?)の名残とかの可能性もあるんじゃないですかね。
13 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:13:48.57 ID:YlZ9hGVb0
天照大神は卑弥呼
邪馬台国は九州
14 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:14:51.89 ID:bAVTsHht0
佐賀はまた負けたのか
15 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:14:52.54 ID:5SiBGGzK0
邪馬台国は畿内でほぼ確定している
16 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:15:54.77 ID:BBdmgi5n0
邪馬台国は韓国にあったということを内心認めてる日本人
17 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:18:45.94 ID:l+4cIV260
吉野狩りじゃああああああああああああああああああ!!!!!!!!!
ふーん
なんで『ヤマト』国って読ませないんだよ
台与は『トヨ』だろ?
>>12 天孫が鹿児島側から火山活動に追われて高千穂の峰を北進した後、太平洋側に出ているんで、
降臨前の土地としてはちょっと厳しいかも。
22 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:20:36.46 ID:7ZTVaWrZ0
歴代朝鮮王朝敗北の歴史
古代
0369年 日本、朝鮮半島に侵攻、朝鮮半島南部を領土とする。
0391年 日本、百済・新羅に侵攻、百済・新羅敗北。
0397年 百済・新羅、太子を人質として日本に差し出し、日本の属国となる。
0478年 日本、宋の皇帝から朝鮮半島支配の証として、
「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の称号を受ける。
中世
1274年 高麗、元の属国従軍として日本侵攻。少数守備の日本に返り討ちにされ数日で壊滅。高麗敗北。
1281年 高麗、元の属国従軍として再度日本侵攻。再び日本に撃退され台風で壊滅。高麗敗北。
近世
1419年 李氏朝鮮、倭寇により日本侵攻。 日本に徹底的に撃退され壊滅。李氏朝鮮敗北。
1592年 日本、李氏朝鮮に侵攻、ソウル陥落。更に平壌を落とし朝鮮半島全土を制圧。李氏朝鮮敗北。
1597年 日本、明との和議交渉が決裂し再度朝鮮半島に侵攻。豊臣秀吉急逝により日本撤退。李氏朝鮮滅亡免れる。
近代
1895年 日本、清との戦争に勝利し下関条約締結。この条約により、李氏朝鮮は清から独立、大韓帝国となる。
1910年 日本、大韓帝国の要請により韓国併合条約締結、大韓帝国領は大日本帝国領土となり朝鮮王朝は滅亡した。
邪馬台国は卑弥呼という巫女が治めていて
その下には多数の国王がいて
卑弥呼がいないと紛争で揉めたから卑弥呼の存在が不可欠だった
ってのは史実なんだろ?
だったら邪馬台国は連合国家だよね
>>16 邪馬台国時代でもいいからその初期の古墳は韓国にあるのかい?
韓国で出土してるのは日本と共通の古墳は日本の後に作られた古墳だよね?
24 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 22:26:22.04 ID:EHUXawRCO
最近ワシは邪馬台国加耶韓国説を主張している。
いや、魏志倭人伝で、加耶は行程の最初に出てくるだろうと言われるのは解っている。
ワシが想定しているのは、倭国の出先機関である加耶が勝手に倭国代表を名乗って魏に遣いを送り援軍を求めたのではないかという状況だ。
加耶には任那という国があったとされるが、ここの王に任ぜられた都怒我阿羅欺等は少なくとも一度大和に来たことがあり
その行程で道に迷い大きく遠回りして大和にたどり着いたと日本書紀には記録されている。
魏志倭人伝の不思議な行程を道に迷った結果だと仮定すると、投馬国からの行程がどの比定地にも当てはまらない事への答えにはならないだろうか。
しかも加耶が勝手に外交使節を送っているわけだから、大和ではそんな事を全く知らないから記紀になんの記録も残らないわけだ。
城柵近くの高床式倉庫は真っ先に火ィ掛けられそうだが
頭悪いのか佐賀原人は
26 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:27:57.98 ID:dOhjVnQC0
邪馬台国は青森にあったと思ってる
イエスキリストも青森で死んだらしい
27 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:30:08.66 ID:BR+iPnMl0
邪馬台
?
ヤマトと発音するんじゃないのですか!?w
28 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:30:24.38 ID:hG92GJXoP
>>10 でも今とは考えられないくらいセックルして子作りしてたんだろうな
30歳童貞とか重病人でもないといなかっただろう
29 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:31:04.46 ID:Y8Xu27XeO
30 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:31:38.62 ID:fdrPAaup0
古事記自体は中国の故事のコピペで、内容はない。
東北は暗黒の歴史しかないからな
嫉妬するのはわかるが事実は事実だ 受け止めろ
32 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 22:32:57.40 ID:EHUXawRCO
>>23 史実じゃないよ。
外国人の記録した伝聞だ。
史実を多少は含んでいるだろうが、どこまで事実に即しているかは不明だ。
因みに明の時代に秀吉について記された文献なんてものもあるが、日本人から見たらデタラメなもんだ。
もう25年か。4〜5年の頃、塾で新聞のスクラップやらされたなぁ。
邪馬台国は畿央
対馬国=対馬
伊都国=福岡糸島
奴国=吉野ヶ里へん
各地に国があって、ヤマト王朝が実質的に統一するまでは日本は共和国化してて
邪馬台国の卑弥呼がその代表だった
異論は認めん
>>25 あの辺に港の跡があるから海辺だったんだろ
35 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 22:38:04.11 ID:EHUXawRCO
>>30 支那の伝承に古事記と似たような話ってあったっけ?
伊耶那岐命と伊耶那美命を伏羲と女禍に比定するのだってちょっと苦しいと思いますが。
36 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:41:09.95 ID:BR+iPnMl0
>>26 青森の三内丸山遺跡は大きな遺跡ですねw
神道とキリストに何か接点があるかも知れませんね?w
邪馬台はヤマトではないでしょうか!?w
37 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:41:55.80 ID:2c17uihH0
起こるなよ 原口だぞ
38 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:42:58.31 ID:EK6mRRuI0
歴史なし、文化なし、技術なしのチョンコの遠吠えまだぁ????
台与=神功皇后でいいじゃん
いつまで江戸国学引きづってんだよ
39 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:44:38.16 ID:XtV4FpP60
古代史で信用出来る人の本って誰なの?
関裕二って人のはトンデモ本?
40 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:45:36.19 ID:bAVTsHht0
国営公園にしちゃったけど
ちょっと後悔してるかな
国はw
邪馬台国=大和国
42 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:45:51.52 ID:D6SZnjI10
>>15 > 邪馬台国は畿内でほぼ確定している
九州出身者だが、学術的にはその通りと思う
あとは、邪馬台国ではないが
大きな権力者がいたことは間違いないので
その出自が明らかにされることに期待
43 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:47:50.19 ID:BjPIb56T0
僕は国立大学法人 山形大学の人間だけど、過去にこだわりたい人がいれば、こだわればいい。
だが山形は、過去にはこだわらず、未来に目を向く。
山形はいつか、日本の首都をめざす。
当然皇室ご一家も、山形に住んでもらう。
44 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:51:26.15 ID:KrVd2cmb0
>>27 「邪馬臺」を魏志倭人伝が編纂された当時どう発音したと思う?
「やまたい」と発音したとでも。
45 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 22:52:53.04 ID:EHUXawRCO
>>38 纏向遺跡が出てきた事で崇神垂仁景行の三代の天皇の実在の可能性が高まったが
纏向遺跡の年代が日本書紀のそれより300年ぐらい新しいんだよね。
むしろこの時期が魏志倭人伝の時代に相当してしまう。
なので台与は豊鋤入日売命ではなかろうかという推察が最近ではなされる。
卑弥呼は倭途途日百襲比賣命だね。
勿論、魏志倭人伝はそれを正確に記録したわけではないだろう。
豊鋤入日売命は倭途途日百襲比賣命の後継者ではないが、連続した年代にそれぞれ活躍した姫巫女なので名前が挙がっている。
四世紀半、450年におよぶ発掘作業…!
47 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:53:31.33 ID:0zU0X/eL0
気になってんだが、なんで邪馬台を
「やまたい」って読ませンの?
「やまと」でいいじゃん?
48 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:54:58.16 ID:Yeq3+pQI0
入口から遠いぜ。夏は暑すぎる。
今の国立公園ができるまでは蝮が普通にいてな。後は言わない。
49 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:56:27.24 ID:dOhjVnQC0
>>47 実際はタイムマシンで当時の青森に行って邪馬台国人に発音してもらわないと判明しないから
暫定的にやまたいこくと読んでいるのではないでしょうか
>>1 卑弥呼も邪馬台国も韓民族だろうな
日本が後進国だったから、まじないや祈祷で文化の無い愚民にもわかるように支配したのだと思う
なぜ韓国を名乗らなかったかと言うと、当時から図々しかった中国との対抗上
韓国の背後に更に別の国が有ると思わせたかったから
ここの発掘を手伝ってたオバちゃんたちって、
「発掘調査を早く終らせられれば工業団地が誘致されて地元が潤う」
って騙されてたんだよねw
くまー
結局ジャバ台国てのはどこにあるのかね
54 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 22:58:26.63 ID:EHUXawRCO
>>47 邪馬台国と大和を直接結びつけたくないのだろう。
本居宣長もそうだったが、戦後修正史観の強い学者も別の意味で邪馬台国と大和を同一視したくないらしい。
その時代はまだ天皇なんかいなかったって歴史観を持ってるからね。
55 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:58:45.11 ID:XtV4FpP60
古事記にも日本書紀にも邪馬台国なんて存在しない。
確実にあったのは大和政権。
56 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:59:39.63 ID:VfH6O4lP0
57 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 22:59:51.67 ID:zqnxDBvm0
遺跡発掘でミラーマンばりに恥ずかしい叩かれ方した先生いたよな
誰だっけか
>>12 基礎工事とかで地面を掘り返して、何か遺物が出てきても、見なかったことにして
埋めたり破壊したりする。工事がストップしてしまうから。
59 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2012/09/29(土) 23:01:14.78 ID:Gp16xZtMO
九州の独立勢力じゃないの
60 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:01:16.39 ID:/AFOKrh1O
ヤマイト国で
邪馬壹国と書いた
だから壹与(イヨ)でも台与(トヨ)でも良かった
イヨとトヨの二つ合わせてイト
魏志倭人伝から一貫して当て字に悪字が使われてないのは
伊都国と壹与だけである
これは伊都国に漢字が読める人間が居て
またシンパシーを感じてた
ご丁寧に「都」の字もある
ここが邪馬伊都国の都であると示してる
邪馬と卑弥呼の部分の当て字には悪字でも構わないのは
そこを相手方が問題にしないとわかっているからだ
61 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:01:27.24 ID:IAoiafhbO
62 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 23:01:30.38 ID:EHUXawRCO
>>50 朝鮮半島からは日本より小規模で年代の新しい前方後円墳が出てるだろ。
当時の朝鮮半島は文化的に日本の風下だよ。
63 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:02:59.18 ID:BR+iPnMl0
>>45 >卑弥呼は倭途途日百襲比賣命だね。
讃岐一宮田村神社(香川県高松市一宮町) ご祭神
水主神社(香川県東かがわ市) ご祭神
岡山神社(岡山県岡山市) ご祭神
卑弥呼は吉備なのかな!? w
64 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:05:00.49 ID:D4f+xVP50
未だに倭国を日本だとか勘違いしてるアホが
研究者にすらいるんだからなあ(老害以外はさすがに少なくなった)
倭国とか倭人とかって読んだまんまチビとかチビ人種が住んでる国とか
って意味以上のものじゃない。無理矢理日本にあてはめようとするから
矛盾でまくり
ハニワ原人
66 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:08:01.26 ID:chL+XeRzP
>>39 難しい質問だなw
これだけ長く議論を続けている邪馬台国がどこかすら答えが出ない分野の話だから
「信用できる」かどうかは自分で決めるしかない。「トンデモ本」というのは考古学者や
歴史学者たちから「学会ではそんな話は認められておらん」と言われる説を独自の
視点、文献、遺物などから述べたもので、一概に間違いと決めつけられるものでも
ない。例えばあなたがタイムマシンで本当に過去に行って見てきたことを話しても
学会で認められていないことを言えば「トンデモ話」として一笑に付されて終わるの
が現在の状況。
>>16 韓国岳は高千穂の峰のすぐ近くだからなぁ。邪馬台国はえびの、小林あたりか
全滅だあ!
69 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:09:36.61 ID:vJE1avHf0
魏志倭人伝という怪しい中国の書物にしか記述が無いんだから
魏志倭人伝の記述内容をそのまま信じることは出来ない。
奈良の方の発掘調査をちゃんとして、白黒付けた方が良い。
70 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:10:27.02 ID:oPRMqRMa0
九州にあった卑弥呼の国は
東の大和にあった国の侵略をうけつつあり
邪馬台国という日本の正式国家を装って「魏」
に使者を送り
対抗のための後ろ盾と権威をもらおうとした
その後東の大和の邪馬台国の勢力にほろぼされた
そのとき奪った「魏」からのもらった剣や鏡などは
怨念を恐れて山陰の山の中に埋めた
後は鏡が見つかるはず
同じような行動は
伊達政宗の遣欧使節や
幕末の薩摩藩の万博出展などに見られる
71 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:11:19.00 ID:c1q5LDep0
>>58 近所の中学校の校舎立て直しのとき基礎工事で掘ったら石器出てきて半年くらい
発掘調査に切り替わって工事中断したぞ
一番掘り返しやすいグランドから掘り返してたけど
>>60 伊都国と女王国は明確に違う国でしょ。
当時の倭国連合が、どの範囲にまで及んでるかわからんが、魏志やその後の中国正史からはその説は支持できない。
当時の倭国・倭人圏には、女王国を中心とする倭国連合と、奴国などの敵対国、侏儒国や黒歯国みたいな南洋国家。
そういう諸国家が乱立する時代に、古事記・日本書紀上年代がかぶるから、ヤマト王権のルーツがごっちゃになるわけで。
中には、後に日本を平定するほどの国がその時代に中国史に残らないのはおかしいという人もいるが、
倭人伝を九州近辺のみの話にのみ限定し、誉田別の国が近畿にあったとすれば、別に問題ない。
邪馬台国は、みなさんの心のなかにあるのです。 (´・ω・`)
74 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:12:21.28 ID:StBJ8lUC0
同志社の森先生は、この分野で凄い人なの?
75 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 23:12:27.70 ID:EHUXawRCO
>>63 倭途途日百襲比賣命は7歳で讃岐に派遣されたって伝承があるね。
その後大和に呼び戻されて、建埴安彦の謀反を予見など大活躍したと言われている。
百襲比賣命に代わって讃岐に派遣されたのが腹違いの弟の若吉備津彦命であったとされ
彼の海賊退治の話が桃太郎の話によく似ている。
一説には百襲比賣命の実の弟の大吉備津彦命が海賊退治をしたともされる。
倭途途日百襲比賣命は吉備津彦命と密接な関係のあった人物なのだよ。
もうどうでもいいんじゃない
韓国じゃないんだから、起源に拘らなくても
ほとんどの日本人は興味ないよ
78 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:14:19.25 ID:bAVTsHht0
走れ〜、バンバンババン
邪馬台国はどこですか
80 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:14:27.30 ID:KrVd2cmb0
ヤマトトトヒモモソヒメ
81 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:15:04.12 ID:VfH6O4lP0
>>70 別に正式国家を装うこともなく、
普通に小国乱立の時代なんだから、奴国だって漢に国王として封じられたし、女王国は魏だった。
大和王朝だって、宋の時代の倭国王だったからな。
日本(倭国)は、6世紀頃までは中国の属国だったわけだから。
82 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:15:35.10 ID:7vLB2ksk0
>>54 今となってはナンセンスだよね。
魏の使者が邪馬台国の首都まで入れず玄関口の九州に留め置かれた状態なのに。
魏の使者の見たものはしょせんは北九州だけだったんだよ。
そう考えれば、邪馬台国=大和国であってもなんら矛盾は無い。
つい先ごろ、新潟北部の古墳から大和政権の影響を示す副葬品が発掘された。
同時に発掘された被葬者のDNA鑑定がなされているが、結果が出た時に邪馬台国と大和朝廷のつながりが明らかになるだろうね。
83 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:16:00.40 ID:uedpDjuSO
邪馬台国は岩手だろJK
結局近畿か
85 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:17:21.22 ID:AVLnMW/V0
魏志倭人伝に「女王国」が記されている時期
記紀には女王がいない。
だが記紀は別な時代に女帝の即位を記し、
記紀が「存在した女王」を秘した可能性は少ない。
従って記紀を編纂した勢力の中枢部は邪馬台国の所在地でない。
86 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:17:39.22 ID:IAoiafhbO
>>76 公式ったって、千ン百年後の黄色い服来たおっさんが「これ出来が良いから公式ね」って言っただけだし。
87 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:18:00.42 ID:kZ2LuV/Y0
また2ちゃんねる恒例の邪馬台国festival
88 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:18:14.87 ID:mWV8gUN70
ストライクゆとり世代の自分は「邪馬台国は99,9%近畿」って言われました。
ゆとり最高。
三田川町だと思ってた
邪馬台国九州説って考古学界では絶滅寸前らしいな
三国志なんかどこまで信用できるんだよ
シナの歴史書での日本の記述なんて
中世以降でも間違いだらけなのに
92 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2012/09/29(土) 23:19:10.12 ID:Gp16xZtMO
倭とか魏、唐とかは文字自体には意味は
ないみたいだね
93 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:19:51.82 ID:7ZTVaWrZ0
日本人 = 日本書紀に「391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」
韓国人 = 捏造だ。
日本人 = 三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。
新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。
韓国人 = 捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。
百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
日本人 = 日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?
韓国人 = そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。
中国人 = 中国の歴史書まで捏造か?
韓国人 = そうだ。歴史書が本物だとしても,日本という名前は7世紀まで無かった。倭と日本は違う。
日本人 = 三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。
日の出る所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?
中国人 = 中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で
「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」と公式に認めている。
日本人 = イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、
「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」 書いている。それを世界50か国の学校に発行している。
日本人 = アメリカのコロンビア大学やアメリカ議会図書館が「5世紀の朝鮮半島南部は日本の大和政権の支配下にあった。」と記載している。
韓国人 = 世界中が朝鮮半島を捏造している!!
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」
94 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:20:04.75 ID:XtV4FpP60
日本の古代史は、魏志倭人伝に惑わされすぎなのではないか?
こういったコツコツとした発掘作業、そこから見えてくるものこそ真実。
ただ、当時は文字が無かったからなぁ、そこに誰かしらの有力者が居たことは
確かなんだろうけど、誰なのかは永久に分からないだろうね。
95 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:20:39.42 ID:bAVTsHht0
やってきた魏の使者が方向オンチだったから
こんな、面倒な事になるw
96 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:20:47.14 ID:7vLB2ksk0
>>81 邪馬台国九州説の人たちは、日本が小国分立の村国家という立場だよね。
ところが、それは完全に破綻している説になりつつある。
村国家がいくら連合をしても、超大国隋が何度遠征しても勝てなかった高句麗を相手に半島まで出兵して対峙した倭軍の存在が説明できない。
そして、倭の五王の時代には新潟の北部にまで勢力が届いていたという発掘までなされた。
そもそも、ヤマタイコクとヤマトコクという基本的な音の近さをまったく無視するのは研究者としていかがなものだろうか?
卑弥呼という女帝と天照大神という女神も同じく。
豊(トヨ)の国ってのは九州だから
少なくとも、卑弥呼やその跡を継いだトヨまでは
九州にいたんだろう。
98 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:21:44.66 ID:R3hf9DQH0
「やまたいこく」って「やまと」やと思うけどな。
祖先の神は女神だしピッタリじゃないか。
何日かかったとか古代中国の記録の数字なんかてきとーだろ。
99 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:21:47.04 ID:IAoiafhbO
そもそも記述が明らかにおかしいから論争になっているわけだが。
遥か海東の国の話なんて又聞きの又聞きのそのまた又聞きくらいだろ。
100 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:22:21.40 ID:7ZTVaWrZ0
■『三田渡碑』、またの名を『大清皇帝功徳碑』、韓国人には『恥辱碑』
『三田渡碑』丙子胡乱で朝鮮が負けた時に、朝鮮王が清国皇帝に9回地面に頭を擦り付けて服従を誓った記念碑。
それに刻まれている文章を要約すると
★『大馬鹿な朝鮮王は愚かにも、偉大な清国皇帝に逆らった』
★『清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった』
★『良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った』
★『我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする』
★『大馬鹿な朝鮮王は愚かにも、偉大な清国皇帝に逆らった』
★『清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった』
★『良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った』
★『我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする』
さらに1637年1月30日に朝鮮が清国に結ばされた和約の内容は、
★朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと
★朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと
★王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
★清が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること
★内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること
★城郭の増築や修理については、清に事前に承諾を得ること
★清に対して黄金100両・白銀1000両と二十余種の物品を毎年上納すること
★清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること
★清が鴨緑江の河口にある?島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること
★清からの逃亡者を隠してはいけない
★日本との交流を許すこと
『二十余種の物品』の具体的には、清国に毎年美女3000名、牛馬各々3000を献上等々。
▼なお、「この和約は下関条約で無効となる」 ← ここ重要
101 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:22:32.89 ID:8rq74CsP0
>>1 ムラッからクンニって
昔の人もエロい事ばかり考えてたのか
>>90 ゴッドハンド全盛期は九州説が巻き返したんだけどね。
嘘って怖いよな
103 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:24:58.29 ID:7ZTVaWrZ0
104 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:25:12.92 ID:AVLnMW/V0
>>94 魏志倭人伝を無視するなら
「邪馬台国」を論じる事そのものが「無し」になってしまう。
倭人伝との整合性が大事。
コツコツとした発掘作業で
魏志倭人伝に「卑弥呼が献じた」とされている絹が
その時代の近畿からほぼ全く出土しないわけ。
105 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:25:14.38 ID:VfH6O4lP0
>>96 倭の五王の時代はすでに東晋や宋の時代。
魏志倭人伝の時代には、新羅すらなかった。
そもそもそれが、神宮皇后=卑弥呼説の反証だろう。
議論されているのは、倭国大乱直後の日本の勢力図であって、
すでに古墳時代に突入した大和王権の時代ではないだろ。
106 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:26:07.45 ID:IAoiafhbO
>>101 クスコを開いたマンコカパッよりはましだろう
107 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:26:10.99 ID:l+8ZWWbQP
福岡には山門郡大和町があった。古代からの地名
2005年に柳川市と合併。
108 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:26:40.94 ID:mHC1KXJo0
>>96 >ヤマタイコクとヤマトコクという基本的な音の近さ
音の近さもクソも、邪馬台国ってホントは『ヤマトコク』って呼ぶんだぜ・・・
後のヤマト朝廷との区別のために便宜的に『ヤマタイ』と読んでるに過ぎん
卑弥呼の跡取り、トヨ(イヨ説もあるけど)の名を見て疑問に思わなかったか?
邪馬『台』国 ← ヤマ『ト』コク
台与 ← 『ト』ヨ
曹叡時代の朝鮮半島の国?てどんな感じなん?
110 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:27:12.85 ID:7ZTVaWrZ0
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」
スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「朝鮮半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213 http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129 世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
111 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:27:13.42 ID:X3Ma/qnb0
高校生のとき一人旅で吉野ヶ里行ったなぁ・・・
なつかしす(´・ω・`)
112 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:27:27.27 ID:7vLB2ksk0
「吉野ケ里遺跡すげー!!!この時代にこんなのがあったなんてスゲー!!!」と思うのは、倭国を過小評価していた証拠だ。
邪馬台国=大和朝廷と考えれば、吉野ケ里遺跡を見ても「まあ、九州の出先機関としてはこんなもんだろ」と別に驚きはしないはず。
日本は野蛮で文明から程遠い村国家と教え込まれた人々が吉野ケ里遺跡を見れば「これだけの遺跡があるという事はここが邪馬台国だったんだ!」と勘違いしてしまうんだろうね。
113 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 23:27:54.63 ID:EHUXawRCO
>>81 支那の方でどう捉えてか知らんが、少なくとも軍事的な支配は一切受けとらんし脅威も受けてない。
朝鮮半島を支配するにあたって宋から安東将軍として任ぜられてた事になっとるが
日本は宋の承認がなくとも朝鮮半島を支配していたであろう。
属国などという関係であったかについては、そうでなかった可能性の方が高いのではないかな。
あと当時に中国などという国は存在しない。
114 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:28:19.28 ID:hLdu0dQcO
倭の五王の時代には、新羅さえなかった…
そうなんだけど、見方が新鮮だねぇ〜。
115 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:29:32.58 ID:MX/YgDykO
倭人の倭の意味は、ちっちゃい奴らって意味な。
ようするに魏の時代から小日本って悪口を言ってる中国人は進歩が無いんだよ。
116 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:29:33.37 ID:/AFOKrh1O
一大率はフェイクだと思うな
鉄製の武器がないほうが
鉄製の武器を持ってるほうを支配下に置けたなんておかしい
そんな中央集権が確立してるなら
魏の応援なんかいらんだろ
国を大きく見せたい魏の使者と伊都国の利害が一致した
一大率は連絡所で
チームヒミコは文字のない時代の連絡網の情報ハードディスクを司る巫女だった
そして伊都国の巫女である伊与じゃなくてイヨが
めでたく女王になりました
良かったですねと魏の使者
117 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:30:34.24 ID:iFuWpY8J0
韓国人が出土しました!
118 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:30:54.24 ID:u4M0z9+K0
>>109 公孫淵が燕王とこっそり自称してたころじゃないか。
119 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:31:01.57 ID:oPRMqRMa0
>>95 当時「魏」は三国鼎立の時代にあり
「呉」の背後にある国との提携で包囲網を
作りたかったので邪馬台国の位置を「呉」の
後ろにもっていきたかった都合でこうなっただけ
120 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 23:31:06.28 ID:EHUXawRCO
121 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:31:08.72 ID:VfH6O4lP0
>>113 「中国の属国」ってのは今風に言ってるだけで、
中華世界の冊封体制に入ってたのは事実。卑弥呼の時代には生口や絹、五王の時代も朝貢してたしね。
337 自分:貝ガラ ◆3X1b8VAs/E [sage] 投稿日:2012/09/29(土) 14:04:05.32 ID:OIjXLKhg0 [1/4]
>>320 実は、核燃料処分場というか原子力発電所ではなかったのか?
スフィンクスが神社の狛犬の原型なのは有名だが、
このスフィンクスが守っているもの=核 つまり核=太陽 太陽神ではなかったのか?
現在日本には、狛犬・神社(ピラミッド)がコンビニの数よりたくさんあると言われているが
それも当然で国の名前からして(日の本)であり(陽の元・火の元)世界で一番の
太陽信仰の国なのである。
だから日本には原発が54基もあるのです。
日本においては原発=神社なのです。
原発は神である。
今、福島の神がお怒りになられた。
これを治めるものは、スフィンクス、狛犬しかない。
いますぐ福島の、いや日本中の原発のそばに巨大狛犬を作るべきです。
そうすれば日本は救われるでしょう。
353 自分:貝ガラ ◆3X1b8VAs/E [sage] 投稿日:2012/09/29(土) 15:12:24.02 ID:OIjXLKhg0 [2/4]
>>341 ピラミッドは人類が作ったものだと思いますよ。
しかし天変地異か何らかの事情により、彼らの一部はその地を離れた。
ノアの箱舟ですね。
長い年月の後、やがて彼らは日本に住み着き、陽巫女が治める国を作った。
八幡(ヤーハタ)国です。一般的には邪馬台国と呼ばれていますが
これは八幡(ヤーハタ)国のことで、宇佐神宮こそがその場所です。
よく言われますがやはりこれが真実でしょうね。
123 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:32:00.38 ID:a38r7z4V0
ま、近畿なんじゃね?
高天原は徳島の神山だとする説もあるし
124 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:32:25.43 ID:7ZTVaWrZ0
125 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:32:32.80 ID:l+8ZWWbQP
>ID:7vLB2ksk0
元々邪馬台国は九州北部にあったが、徐々に北西へ勢力拡大。
奈良付近を中心として一大国家を築いた。これが真実。
大和政権があった時代、畿内、特に奈良周辺が日本で一番いい土地だったのは確かだろうけど
小国乱立時代の邪馬台国が畿内にあったとは限らない
どこか他所の土地にあった邪馬台国が倭を統一(倭国大乱)して畿内に政権を移したとも考えられるから
結局確からしい証拠がたくさん出てこないと場所は確定できない
九州から畿内へ進軍したと考えると胸アツだけどね(当時の交通や食糧事情的に)
127 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:33:38.29 ID:VfH6O4lP0
>>119 みんな、勘違いしてるが、魏志倭人伝は西晋の人間が書いてるんだからな。
まあ、晋は魏の後継国家だから、蜀や呉に対する立場は一緒だけどね。
128 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:34:00.91 ID:IAoiafhbO
>>109 大部は曹叡さんの土地じゃねえの。北に高句麗、南に三韓で。
129 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:35:00.81 ID:l+8ZWWbQP
>>126 >九州から畿内へ進軍したと考えると
その通りだよ。
130 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:35:17.58 ID:/AFOKrh1O
だから奈良にはナガスネヒコの一族の国があったんだよ
これが真ヤマト国かもな
132 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:36:18.29 ID:XtV4FpP60
2000年前に魏志倭人伝を書いた人も、2000年後に倭国で
この書物がこんなに話題になるとは思ってなかっただろうね。w
韓国なんて国は存在しません!
134 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:36:39.47 ID:CMZIL7i80
併合前の韓国より立派な建物じゃん。
135 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:37:15.27 ID:VfH6O4lP0
>>129 東進が、伝承上は陸路を取ってたのが不思議だ。
一応、その時代から倭人は海洋民族であったはずなのに、なぜ瀬戸内を使わないのか。
邪馬台国=やまたいこく=大和国→畿内
常識で考えれば、こうなる。
九州説は大和朝廷と邪馬台国の連続性を前絶しようという
試みで、反日的な説。
137 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:37:58.37 ID:WTu4+0zdO
>>121 朝貢っていうけど受け取る方が滞在を負担するわ土産は体面を考えてプレゼントより豊かに持たせるわで物入りだからな。
軍事支配を受けてる正真正銘の属国とちがって、遠来の使者は朝貢するほうが得しなきゃ、わざわざ行かないわな。
138 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:38:56.95 ID:dsT9fFNHO
福岡の朝倉市に卑弥呼の湯だかあるんだが、なんなんだいったい
139 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:39:04.82 ID:AVLnMW/V0
140 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:40:08.67 ID:chL+XeRzP
>>115 小さいと言うよりは背中が曲がっている人、つまりお辞儀をする人という意味。
今でも世界中の空港で盛んにお辞儀をし合っている人がいたら、それは日本人だろう。
はるか昔から日本人はお辞儀をし続けてきた民族だ。
>>58 建築関係の知人(50過ぎのおっさん)もらそれを言ってたわ。
法律が悪いからで、何が悪いんじゃとガキが「俺こんな事やったんだよね」のように自慢げに話す。
そのくせ報ステみて補助金がー、公務員の給料がーと、憤慨して話す。
もともと大和の部族は通い婚の母系だったのが、
有力者が嫁取りするようになって男系化し、
さかのぼって男系の始祖にまつわる伝承として、
天孫降臨が出てくるんじゃないの。
>>95 日本の方位は当時90度左回りにずれていた
その影響が地図上で今も長崎や佐賀の地名に残っている
>>131がいうように中国の使者は伊都国までしかいっていないから
伊都国から先は90度ずれて本当は東のほうに邪馬台国はあったのに
南のほうにあることになってしまっている。
144 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:41:19.41 ID:AVLnMW/V0
>>136 近畿説は
「大和朝廷は魏に朝貢してた」とする説、
九州説は
「大和朝廷は魏に朝貢していなかった」とする説なわけだが。
145 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:41:57.55 ID:NUujGnj3O
巻向だって
147 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:42:00.67 ID:VfH6O4lP0
>>137 古代中華世界では、中央と辺境の関係性ってのがそういうもんなんだからしょうがない。
中世以降の属国関係で物を見すぎだよ。
実際、日本を冊封支配に置くのは、中国的にもあまりメリットはなく、
日本が中国の威光を借りずに国内統一が出来るようになって、独立してからも特に征伐は行われていない。
148 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:42:19.92 ID:bAWr93QM0
読み方ならヤマトコクでしょ? だから奈良でいいがな
>>123 適当な事を言わないで下さい。
フツーに考えても近畿、おそらくは奈良しかないんだけど
それでは九州が立ち居かない。
佐賀ですよ!佐賀は化け猫とヤマタイ国しかないんですよ。
わからない←これに統一しましょう。
150 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:43:11.86 ID:TdI2aoIW0
>>吉野ケ里の発掘終わる
佐賀は邪馬台国ではないよ。
邪馬台国って、「山たい」と現地人が言ってたのを魏の使節が国の名と勘違いしたんだろう
>>141 それは法律が無い地方だからじゃね?
文化財なんとか法とか埋設物なんとか法がある所は
役所の検査が終わらないと地面を掘り返せないよ
155 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:44:08.49 ID:WSRucPra0
吉野ヶ里とか捏造臭い
女王卑弥呼ってのも異邦人である中国人の勘違いで、
皇族の女性が日の巫女を務めていたのが、
亡くなったんで弟が後を務めるとかって話が出てきて、
男性の巫女なんて聞いたことが無いとかモメたんと違うか。
たしか古代には皇族の女性が斎宮を務めてたでしょ。
157 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 23:44:21.52 ID:EHUXawRCO
>>121 卑弥呼が誰かもまだはっきりしとらんし、難升米がどこの誰かも解らん。
大和に内緒で、任那が勝手に遣いを送ってただけかもしれんからな。
大和から遣いが送られたにしては、記紀とあまりに食い違いすぎる。
大和人が魏に朝貢したのならもう少し正確な情報が伝わっていそうなもんじゃないかね。
奴隷(生口)くらい朝鮮半島でも調達できるし、むしろあっちの方がそういう習慣がある。
また絹に関しては、垂仁天皇が都怒我阿羅欺等に赤絹百巻を持ち帰らせてるね。
その後新羅に盗られちゃったと日本書紀にはあるが、本当は魏に献上してたりしてな。
158 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:45:08.29 ID:t8DsWiMGO
>>1 国内に文献が全く残ってないのはおかしいので
隠しているか焼かれたのだろう
よほど闇に葬りたい歴史があるのだろうね
159 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:45:36.64 ID:Yeq3+pQI0
佐賀出身だけど、実際に観てあの規模を見ると、邪馬台国にしては
規模が小さい気がする。
豪族の国ではあったかもしれんが。
>>149 お前、おちょくってんのかw
160 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:45:47.94 ID:VfH6O4lP0
>>150 北九州説とは別に考えて、吉野ヶ里は邪馬台国ではないと思うよ。
倭国大乱後の連合の国のひとつではあると思うが。
>>58 九大の建設予定地からボロボロ出てきたが詳細調査することなく、今は立派な建物になってるぜw
現在を犠牲にし過ぎるのも考えもんだ。それこそ、日本のあらゆる住宅地を破壊して掘り起こせば
絶対歴史的な発見がなされる罠w
>>158 日本書紀でさえ、書物にされたのは奈良時代だぞw
>>136 邪馬台国=やまたいこく=大和国
ここまではともかく、それが畿内に直接繋がるのはおかしいって
地名はあとから付けられるものなんだから、邪馬台国が全盛期に奈良にあったから大和って呼ばれるようになったのは分かるが、
三国志の記述にある、数ある小国のうちの1つだった頃の邪馬台国がどこにあったからは定かじゃないだろうに
164 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:46:42.13 ID:dw1weDid0
邪馬壱国の間違えでしょ
壱与の間違えでしょ?
165 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:46:47.09 ID:/AFOKrh1O
イト国はナ国と和睦したんだよ
そんでイヨかイヨの子孫にはクマソの血が入ってる
当時の和睦は婚姻だからね
これで太平洋側の海人ルートは抑えた
あとは中国地方の説得行脚だ
これをやったのがイワレビコの一族でイヨの子孫か血縁者だろう
イワレビコの兄貴達は吉備団子もとい水飴で説得した
要するに自治権を認めるから味方しろだな
166 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:46:53.55 ID:+UhT5MWo0
「邪馬台国」なんていう「当て字」は中国による蔑称だろ
正しくは「大和国」だろ
山の戸つまり山の麓に建国した 盆地の奈良あたりだろう
卑弥呼っていうのもとても卑しい当て字
正しくは「姫子」だろ
つまり「大和の姫子」だ
167 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 23:47:10.41 ID:EHUXawRCO
>>135 熊野古道以外どこの陸路を使った伝承があるんだろう?
邪馬台国とは、本当は八幡(ヤーハタ)国です。
これは八幡(ヤーハタ)国のことで、宇佐神宮こそがその場所です。
ちなみに山手(やまて)という言葉がありますが、これも本当は山手(ヤーハタ)なのです。
つまりヤーハタ線がぐるっと囲んでいる場所、そう、東京こそが現代の邪馬台国なのである。
169 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:47:30.83 ID:oPRMqRMa0
邪馬台国は何度も朝貢し「魏」からの使者もあったのだから
位置に関しての記述は意図的なものとしか考えられない
次代の人が書いたとしても資料は「魏」のものを使っている
ぶっちゃけヒミコが天皇に繋がるわけでもないし
特定の場所でなきゃならない理由もないんでしょ?
172 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:48:12.97 ID:WTu4+0zdO
>>147 「朝貢」の解釈で同じ感覚の人としゃべれてうれしいよ。
173 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:49:01.21 ID:bOpo7omY0
昔のハングル板での歴史論争みたいで面白いわ。
韓国人の捏造がバレまくって現在のニュー速に至る。
日本の古代史は馬韓国抜きでは語れない。
単純にヤマト国のヒの巫女じゃないの。
ワ人達の国で有力な勢力だったとかで、
ワってのも日本人の自称から来てるんでしょ。
日本人が自分たちを言うときは、
ワを使って、ワが国とか言うわな。
スサノオやアマテラスってのは大和朝廷の祖先って位置づけなの?
176 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:49:46.61 ID:nF9Zgsxd0
177 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:50:09.59 ID:t8DsWiMGO
178 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:50:09.91 ID:o3TD6u+i0
卑弥呼は神功皇后
時代的にも200年代で一致してるし
だから仲哀天皇崩御201年から
応神天皇即位270年まで天皇不在期間になってる
言うなれば卑弥呼政権に応神がクーデター起こして
新たに応神王朝を打ち立てた
応神は神功皇后の息子となっているが
恐らく王朝の正統性を訴えるために
応神が勝手に名乗ったと思われる
卑弥呼政権は大衆に支持を得ていた
卑弥呼死去後男王を立てたが
反乱が起きて再度女王の台与が立った
これも魏志倭人伝に書いてある
なので応神がクーデターを起こした後
大衆の支持を得るには前王朝を簒奪したわけではない
という大義名分を示す必要があった
それが神功皇后の子という正統性だった
日本書紀だと卑弥呼は神功皇后と一致させてる
真実をそのまま綴ったのか現政権に都合の良い編纂をしたかどっちか
改竄があった場合、どこかで王朝交代があったと推定される
つまり卑弥呼と神功皇后を同一人物とする事で悪事を隠せる人物
それが応神天皇
卑弥呼は当時大和朝廷の正統政権であり
それは卑弥呼名義で魏へ朝貢した事でもわかる
応神は一地方の豪族か何かで正統後継者では無かった
つまり応神朝は卑弥呼の後継者台与から謀反により政権を簒奪して誕生
そして簒奪を隠蔽するため卑弥呼を応神の母とされる神功皇后と同一とすれば
正統な大和朝廷後継者として
現政権までつながる王朝の正当化を図れるのである
179 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:50:11.71 ID:VfH6O4lP0
>>168 そこまで行くなら、ヤハーウェにまで行ってくれ
>>173 エンコリを思い出すなw
チョンが何でも韓国発祥と言い
日本人が資料を添えて否定するという毎度の流れw
181 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 23:50:59.33 ID:EHUXawRCO
>>143 楽浪郡から一歩も出てなくて、北九州あたりには土地勘のある倭の方からの使者からの伝聞を記録したのかもしれんぞ。
182 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:51:03.89 ID:m4tCoNG80
>>63 当時の三輪・纒向は遺跡の遺物から吉備と尾張と出雲を中心とした連合体と思われる。
記紀の伝承からもそれは伺われる。
巫女の有力な後見人として吉備系の君が関与した可能性もあるだろう(倭迹迹日百襲媛命の
伯父の名は大吉備諸進命)。
>>56 古来より中国は周辺国を文化の劣る野蛮国と見なしていた。それがどんなに
文明が進んだ国でも、色眼鏡でしか見ない国。
そんな国が書いた記述を大真面目に絶対の資料として扱う方がどうかしてる
>>96 そりゃ願望が先行しすぎでしょう
たとえば薩摩藩は一介の外様大名に過ぎないが
琉球王朝をフルボッコにした。それと同じ事だ。
半島で暴れる事と、我が国の統一は全く関係ない。
高句麗と対峙した件だって、高句麗を滅ぼすことができたならば
それが統一王朝かそれに等しい軍だと主張することは可能だろう。
でも実際はそうじゃない。高句麗に勝ったとまではいかん。
日本列島からの、海賊的な遠征と見ることができる。
それだったら、当時の倭国の地方政権でも十分できる。
>>178 じゃあ神功皇后の三韓征伐とかもあったんだな
闘わずして半島を支配下に置いた神功皇后は実在したのか・・・・
186 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:52:47.50 ID:VfH6O4lP0
>>175 スサノオは違う。
アマテラスは祖神。
>>183 日本は当時、歴史時代ですらなかったんだから仕方ない。
少なくとも、倭国大乱の痕跡は遺跡からも見つかってるんだから。
つーか、最近では卑弥呼は倭迹迹日百襲姫ってのがほぼ定説になりつつあるんだろ?
古代の中国語で「邪馬台」ってどういうふうに発音するか分からんと、
ヤマトとよんでいいかも分からんのでは。
向こうは向こうの人が聞いた音をそのまま漢字に当てただけなんだろうし。
189 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:53:24.09 ID:chL+XeRzP
>>172 この頃の中国の古代王朝は朝貢国に対して内政干渉はしないのが普通だったようだ。
政権が変わる時にも口出しせず新政権を承認するのが通例だった。
>>181 伊都国までは地理的方位と距離はほぼあっているけど、それを過ぎて
邪馬台国になると、太平洋の海の中にあることになってしまうから
途中までしか行っていない説が有力になる
191 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:53:53.98 ID:5whcWxcEO
まあ九州の馬鹿共がニダニダ騒いだおかげで有名にはなった。
でもファンタジー的には九州説のが面白いよな。
女信長みたいなもんだけど夢がある。
基本的に中国人も、
勝手な字を割り当ててるわけじゃなくて、
自称とかを基にして漢字をあててるわけだから、
ワとかナとかは、私とか貴方の意味かも知らんし、
固有名詞とか思い込んでも意味が無い。
193 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:54:38.82 ID:bdTESj+e0
「邪馬台国」は中国の歴史書に書かれているだけ
日本の正史には「卑弥呼」の記述すらない
この中国の歴史観による記述をもとに歴史を推測するには無理がある
尖閣列島と同じ
日本人のアイデンチチィで歴史をみてほすい
>>189 でも倭国が百済や新羅にやったのは属国化だよな
質を取ったりするのは属国だからだろ
195 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:55:28.35 ID:oPRMqRMa0
わかった!!
「邪馬台国」は「やまと」の福岡方言なんだ
国の名前は?と聴かれ
思わず
「ヤマト たい」と言ってしまった
聴いたほうは
「あっ 「やまたい国」ね」
と勘違いしてそのまま2000年
196 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:55:38.67 ID:r+w+V8q50
併合前の朝鮮の庶民の食文化や暮らしぶりは弥生人というよりむしろ縄文人に近いんだよな
197 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/29(土) 23:56:42.09 ID:EHUXawRCO
えっ!?
今度九州に行く時には、発掘している所を見学させて貰おうと思ってたのに・・・。
前回行った時は、駆け足で廻ったので一番隅の発掘見学に行けなかった。 ><
199 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:57:34.48 ID:IAoiafhbO
でも楽浪郡や帯方郡を否定する頭のおかしい方々みたいにはなりたくないし
あり、おり、はべり、親父が李
マメな
201 :
名無しさん@13周年:2012/09/29(土) 23:57:50.31 ID:VfH6O4lP0
>>187 モモソ姫は、書紀上の地位と、魏志上の地位があってないのが気になる。
倭国大乱を収められるほどの人でもなければ、いなくなってまた乱れる人でもない。
弟を崇神天皇とするのも無理があるでしょう。
あと、イヨはだれ?
その中国の使節ってのは、
大乱を見たのかね。
マツリゴトの争いじゃないの。
203 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:00:17.66 ID:AVLnMW/V0
当時の魏から
近畿の住民が「倭人」とみなされたかがまず問題だろう。
魏志「倭人」伝だぞ。
あきらかに邪馬台国は倭人の国だが、
倭人は海洋民族で、農耕民族ではないと思うぞ。
204 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:00:20.99 ID:oTU46u9N0
>>12 それだよそれ、
これからも工事とか、偶然とかで
もっと凄いものが見つかるだろうね
島根?出雲?だったか、銅鐸や銅矛などが大量に近年見つかってるしね
金印だって偶然だろ?
まだまだ、いろんなものが出てくるんじゃないかな
205 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:00:40.81 ID:j/mx5vUh0
>>191 近畿説は近畿説でいいんだけど、
論争の結論が「晋の使者の空出張でした」ってのはまた面白い話なんだけどね。
206 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:00:46.84 ID:IAoiafhbO
そもそも朝貢と冊封は違うし。
いまだに魏志倭人伝なんてトンデモ見聞録を尊重してるて何なの?
あんなもんは整合したら面白いねレベルの遊び道具だ。
吉野ヶ里を国営公園にしたのは失敗だな。あんなんひとつのポリスにすぎんよ。
208 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:02:02.69 ID:5rN9RfDa0
209 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:02:11.04 ID:m4tCoNG80
>>201 倭人伝はあくまでも晋人が自分らの常識を基準にして理解したものだから、「女王」とあったり
卑弥呼の能力にひれ伏したとかをそのまま受け入れていいのかはある。
向こうは鬼神を遠ざけ人を中心に見るから。
卑弥呼が祀った神に王達がひれ伏していたのなら地位の問題は低下する。
あと、邪馬台国の「官」は卑弥呼の弟とイコールとは確定していない。
例えばネパールのナショナルクマリは、
子供の時だけ務める伝統だから違いはあるけど、
男の子が務めるとかって話になったら、
荒れるでしょ、普通に考えれば。
211 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:03:06.99 ID:j/mx5vUh0
>>202 中国の使者は見てないが、
少なくとも、考古学的には邪馬台国の実在より、倭国大乱の事実の方が確か。
>>203 「邪馬台国より東側はみんな倭人の国」
っていう適当なレポートしてるよ。倭人伝の著者は。
越前とか越後の越(えつ)の国の名前の由来は
日本の中心、大和の国へ行くために
越えていかなければいけない場所っていう意味らしい
やっぱり金印が九州で発見されてる以上
邪馬台国は九州にあったんじゃないかね?
九州で栄えた邪馬台国が何かの理由で滅んだ後
それとはまったく別に
大陸から越の国を経由して大和に移り住んできた人たちによって
大和朝廷は作られたんだと思う
>>207 弥生期の遺跡としては国内最大だよ、佐賀平野って今は何もないけど
本来大都市作るには十分な広さがある、水害には弱いけど土地は肥沃だし
214 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/30(日) 00:05:30.44 ID:EHUXawRCO
>>201 倭途途日百襲比賣命の時代に建埴安彦が謀反を起こしており、それを百襲比賣命が解決してますね。
また次の時代の垂仁天皇の時代にも謀反があり、垂仁天皇は后の兄を后ごと討伐する羽目になりましたな。
これらの戦いがどれほどのものだったかは知る由もありませんが
建埴安彦の謀反を討伐する為に陣取ったのが平城山(ならやま)であり
これが奈良の語源になってるみたいなので、かなり重要な戦いだったみたいですね。
215 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:06:14.07 ID:/AFOKrh1O
よくある縄文弥生分布図でアルコールの強弱があるが
イト国はアルコールが強いエリアに入ってる現代でも
そこで鉄製の武器を司る一族を支配下に置いた話で
アマテラスの弟であるスサノオが
追放されて流浪してるうちに出雲国に着き
ヤマタノオロチを「酒」で酔わせて倒し天叢雲剣を手に入れるわけだ
何となく流れがわかる
イワレビコの兄貴かなんかじゃないかな
クマソの血も役に立ったてわけよ
失礼、訂正:ナショナル→ロイヤル
もともと大和の部族には太陽神を祀る信仰があって、
その神に仕えるか、あるいは一体化する巫女がいたんじゃないの。
それが後には、皇族の女性が伊勢で斎宮を務めたとかさ。
217 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:06:52.55 ID:x0H29gjt0
>>211 >「邪馬台国より東側はみんな倭人の国」
邪馬台国は九州、
東側ってのは瀬戸内海沿岸の水軍諸国、
関東なんかは視界外、
て感じだな。
>>206 魏志倭人伝を認めないと
我が国の有史が6〜7世紀ってバレちゃうからな
6世紀でもイスラムのムハンマドと同じくらいだから
これでも由緒ある歴史なんだが、
なんだか知らんけど我が国の歴史学者は幼稚で
魏志倭人伝を含めてでも年代を古く遡りたいという願望があるようで。
>>206 ほほう。どう違うのか説明してみたまえ。
220 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:07:16.23 ID:bs8RQkZQO
佐賀は文明が廃れ無人の野となったから大規模な遺跡が残ったんだよ!
嘘です御免なさい
吉野ケ里遺跡見に行きたいなぁ〜
222 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:08:17.76 ID:Oj9t1p5M0
>>195 マジかよ、日本史の長年の謎を解き明かした御仁がおられる
吉野ヶ里は伊都国で女王国は宮崎あたりかな
>>214 その説を採ると、九州の遺跡に残る戦争の跡は、倭人伝上の倭国大乱じゃないってことになるね。
まさか、中央の謀反が九州にまで飛んでるわけじゃないだろうし。
日本じゃ有史以前は神代だろう。
226 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:09:09.43 ID:SyrYjIUn0
どこでもええやん しょーもない
227 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:09:31.14 ID:3KXFLIj/0
>>190 いいところに気がついたなw
ただ途中までしか行ってないんじゃなくて最初の出発点が違うんだ
魏志倭人伝は3世紀の記述
朝鮮とか韓が今の位置なのは14世紀から。地図が違うwww
例えば百済なんか、済州島まで船で三月と随書や北史に
はっきり書いてあるが、(其南行三月有耽牟羅國 随書、百済伝)
今百済があったとされる半島の南からは
済州島はせいぜい2日
今はコンピュータがあるんだから膨大な歴史書のデータを時系列に並べる
ことが可能なのに歴史バカはコンピュータ使えない老害が多いからな
結論を言えば、邪馬台国は日本には無いってこと
沖ノ島の海底遺跡をもっと調査してくれよ
俺はあそこが気になって仕方ない
中国は黄河流域を中心に
僻地は北狄 東夷 南蛮 西戎って軽蔑してたらしいが
日本も同じように東は討伐の対象だったよね
アテルイとか熊襲みたいのが古くからの本当の日本人で
朝廷の人間は大陸からやってきた侵略者のような気がする
230 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:10:11.65 ID:43iJoeZlO
>>193 おそらく邪馬台国と大和は別の政権だと思う
ここまで歴史資料がないのは隠蔽が行われたのは
明らかだからね
隠蔽が起きるときは政権が交代したときなのが
歴史の常
米は中国から朝鮮、朝鮮から日本に渡ったって言われていたが遺伝子検査で日本の米の方が古いものだった事が分かった。
つまり中国から日本、そのあと朝鮮に渡ったんだがこれは関係ある?
232 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:10:39.89 ID:7gGn7sE+O
しぎ
233 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:10:40.52 ID:fxA4cair0
>>212 越って海を越してきたという意味じゃなかった?
>>218 いや、歴史時代と先史時代は明確に分けられるだろう。
日本の歴史は6世紀頃から始まる。それ以前は先史時代であって、考古学の世界。
ただ、考古学を進めるには、他国・他文明の歴史が非常に役に立つ。
トロイ遺跡の話じゃないけどね。
大陸文化を尊んで歴史を粉飾するには、
あまりにも国になりすぎてたんじゃないか。
皇族には男系氏族名がないでしょ。
氏族として渡来したなら、氏族名を名乗るはずだよ。
237 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:12:22.73 ID:Hzqz4nrlP
238 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:12:26.25 ID:YkcskDXT0
ここはゴッドハンドの魔の手から逃れたのか
239 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:12:47.38 ID:bs8RQkZQO
>>219 どう違うも何も、朝貢したからって封を受けるとは限らんし。
あちらからすりゃ遣唐使だろうがインドだろうがイギリスだろうが朝貢。
だが別に冊封はされとらん。
歴史の話題にはトンキン入れない(笑)
>>179 ヤハーウェについてはおいおい話しましょう。
ヤマタノオロチ・・・これももちろん八幡(ヤーハタ)のオロチということになります。
オロチとはなにかは良くわかりませんが「チ」が霊力を表す言葉ですので
八幡(ヤーハタ)の○○霊とですね。
さて古事記によれば、この八幡(ヤーハタ)のオロチを退治したのが
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)である。
この建速須佐之男命こそ八幡(ヤーハタ)こら追い出された後に
八幡(ヤーハタ)を倒し、新・八幡(ヤーハタ)国、ヤマト政権の立役者となったのです。
242 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:13:26.43 ID:kOvT4WxQ0
>>237 関東ローム層は強烈な酸性土なので遺構が溶けちゃうんだよ><
243 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:13:33.64 ID:sG68Wgmy0
>>224 倭国大乱は2世紀で崇神天皇は3世紀後半から4世紀初。
倭国大乱ではなく卑弥呼死後の混乱した時期と重なる。
>>234 いろんな説があるのかな?
検索したらOKWEBに載ってたから
それを参考にしたんだけど
246 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:15:44.29 ID:Xqgy7vXWO
だいたい、古事記嫁よ!古事記に書かれてんのが正しい。縄文人は日本人じゃない。
初歩的な話で恐縮なのですが、
畿内説、九州説が有力みたいに言われてますよね?
何が違ってこんなに離れた地域が有力候補になってるの?
両者の間の岡山とか広島は候補にならないの?
248 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/30(日) 00:16:17.61 ID:Rk8EdcOdO
>>216 豊鋤入日売命が天照大神を降霊する命を賜って宮中から外で祀るようになり
その後継者の倭比賣命が伊勢にお祀りしたと伝承されてるね。
考古学的には丁度、魏志倭人伝の頃だ。
249 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:16:45.84 ID:UGpaxH/iO
佐賀はもっとフォーカスされるべき県
焼き物だとか佐賀ウシだとか良い所がたくさんある
しかし、県民性はドケチ
250 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:16:56.38 ID:sG68Wgmy0
>>227 当時の道中の地勢などの実態を無視してコンピューターがとか表面的な数字にこだわったり
とかバカ理系の典型だなw
よくわからんので教えて欲しいんだが
古代に人が住んでいた場所を放棄する理由がわからん
特に日本みたいに山がちで耕作に適した土地が少ないのに
人が住まなくなったのはなぜなんだろ
253 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/30(日) 00:19:33.61 ID:Rk8EdcOdO
>>224 九州の方は景行天皇や仲哀天皇の熊襲討伐とかの可能性がありそうですね。
景行天皇が討伐する以前から戦乱が続いていたかもしれんし。
254 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:19:35.64 ID:8DM4jJvv0
天皇陛下が縄文系だと公表されたからな
>>212 親魏倭王の金印が出てきたら決定的だろうがな
256 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:20:38.05 ID:fUx5QRUi0
>>228 あそこは海洋民族で構成された古代琉球王国のようなものがあったのが
南海大地震で沈んだのでしょう
いわゆる熊襲(土着の縄文人系)と同類の民族
卑弥呼は処女(;´Д`)ハァハァ
258 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:21:26.31 ID:7gGn7sE+O
徐福の一行が定住したと仮定すると、時期的にも符号するし、周囲にやたらと警戒的で孤立的だったのも上手く説明出来る。
259 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:21:27.03 ID:bs8RQkZQO
現代だって人が住んでたとこが次々放棄されてんじゃん
>>245 んだんだ
シルクロードやノアの大洪水と言われる話はあながち嘘じゃないと思ってる
261 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:22:26.29 ID:RjRQ69PgO
ヤマトの諸君
地球か何もかも懐かしい
文字が出たなら隠さずに出たと言え。
「やまと」の当て字に過ぎないのになに夢見てるんだか
264 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:23:23.34 ID:Hzqz4nrlP
天皇などどうでもよい。すべての天皇陵を学術調査させないしw
させないのは、朝鮮との繋がりが明確であろうからw
天皇を大事に思うなら、俺は京都にお帰りになるのが一番だと思うが?
天皇の政治利用はほぼなくなっていくだろう。
266 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:24:07.83 ID:j/mx5vUh0
>>260 ノアの大洪水は確かにあったんだろうなぁ。
少なくとも、人類が後世に伝承できるくらいには進化した時代には。
ただ、それを裏付ける地質学的な証拠がないんだよね。
内陸や高地に近い方がその伝承を残してるのに。
267 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:24:26.21 ID:43iJoeZlO
>>212 >邪馬台国は九州にあったんじゃないかね?
以降は賛成、同意見だ。
ただ「越」の意味だが、これはエジプトに由来する。
ちなみにエジプトの語源はギリシア神話のアイギュプトスから来ているとされている。
近畿だと思うぜ
270 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:25:44.78 ID:kOvT4WxQ0
>>264 朝鮮との繋がり云々は大して気にしてないんじゃね?
葛城王朝説とかの浮上が怖いんだと思う
>>264 朝鮮半島との繋がりはあるかもしれないが朝鮮人とは繋がってないからな
272 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:26:33.55 ID:Hzqz4nrlP
>>249 唐津には、虹の松原(日本3大松原)、唐津城、唐津おくんち、宝当神社もあるぜw
273 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:26:36.69 ID:sG68Wgmy0
>>252 数百年で地勢と気候が変わる。
あと技術の発達や人口の増減などもある。
縄文から弥生への移行は近年は気候変動による主要産業の変化を原因とする見方がある。
寒冷化で比較的温暖な西日本中心に主要居住地が偏り、狩猟や栗の栽培、採集よりも収穫が期待
できる水田稲作が主流になったと。
ヒミヒミコッコ〜 ヒミコッコ〜
・・・・・カァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
>>213 水害に弱いなら本拠地にしても安定しないでしょう
276 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:26:52.98 ID:PAPCo+Cu0
これのお陰でまほろちゃんができたから感謝してる
277 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:26:55.68 ID:T2eUtY21O
同じ当て字でも
大和と書いてヤマトと読ませるほうが
よっぽど不正確で意図的だと思うよ
邪馬台国とは<邪悪な馬の形をした滑り台>ということだ。
つまり、邪馬台国とは当時の遊園地だったということだよ。
古事記の神代あたりも順番を入れ替えてみると面白いんだが、
まず最初に原初の姿が、大国主あたりの話から始まって、
古代は通い婚だったのが、駆け落ちとか略奪とか交渉とかで、
嫁取り婚に変化して、母系部族社会から男系氏族社会へ移行し、
有色な集団として影響力を増してきた大和でも、
有力者が嫁取りするようになって、それが当然になってくると、
そもそも皇族の始祖は、天照大御神の命により天下られた、
ってな男系始祖の起源神話として天孫降臨が出てきて、
それから最初のとこにさかのぼって、
イザナギとイザナミが国生みに際して柱を二度廻り、
先に声をかけるのが女性から男性に変わったってのが、
古代の通い婚だった母系部族社会から、
嫁取りで結婚する男系氏族社会に移行した、
ってことを言ってんじゃないかとか。
280 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/30(日) 00:28:25.70 ID:Rk8EdcOdO
>>252 生活の変化だろうな。
特に農耕の必要条件の変化。
昔は灌漑技術が未熟なので平地より中山間地の方が水田が盛んだったりとかね。
最近、魏志倭人伝の記述なんぞを議論するのは馬鹿じゃないかと思えてきた。
所詮、嘘八百の中国人の書いたものなのに。
>>256 古代中国や朝鮮の物も多数見つかってるみたいだね
イザナギ、イザナミの話もあの辺みたいだから凄い気になるんだよな
>>252 時代にもよるけど、農耕がそんなに盛んじゃなかった頃は食糧不足になると移動。
農耕やってても凶作飢饉などで移動。
とかじゃないのかな。
>>270 継体天皇は、怪しい、という域を出ないけど、
ワケ王朝とイリ王朝は確かに明らかに違うと俺は思うな。
応神以前は、たとえ実在はしても明確に「大和王朝」という政体を取れてなかった一地方豪族としか見えない。
286 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:31:01.65 ID:bs8RQkZQO
287 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:31:05.44 ID:8DM4jJvv0
日本人と朝鮮人の父系には違いがあるが
母系は大きな違いが無い
つまり日本人は朝鮮の女に侵略された民族と言っていいと思う
奈良は県ごと遺跡だろ
289 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:31:42.90 ID:W9oas2HD0
>>174 俺もそう思う。自分を「ワ」と呼ぶ国の人だから「倭人」と呼ばれ、
正式な国名が「ヤマト」の国=「邪馬台国」
卑弥呼がその邪馬台国の九州にある一地方集落の長として
中央(今の奈良)に対抗する力を付けるために大陸へ交易を申し込んだかと
290 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:31:47.08 ID:43iJoeZlO
291 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:31:58.69 ID:aFfwrpeU0
>>55 銅鐸なんかも跡形も無く消されてるよ
卑弥呼は神功皇后で対応させてるね、書紀はね
当時乱立していた国家の一つがどこにあろうが大した問題じゃないだろ。
こんなどうでもいいことの研究に血道をあげてた学者はエネルギーの使いどころ間違ってる。
日本人が私達の意味でワを使って、
ワが国とか言ってる所から倭の字を当てられて、
後に、あんまり良い意味じゃないことを知って、
和に置き換え、さらに大をつけて大和でヤマトと違うか。
>>282 海の向こうがどうなってるか、調べて来い!って命じられたおっさんが行きたくないばっかりに
伝聞折り交えて嘘の報告書作った、って可能性はあるわなw
今でもカラ出張なんてあるんだしw
295 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/30(日) 00:33:53.95 ID:Rk8EdcOdO
>>277 奈良時代に作られた当て字は普通には読めない熟語が多いからな。
斑鳩とか春日とか飛鳥とかね。
ワシはこういうセンスは好きだな。
296 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:33:54.02 ID:T2eUtY21O
>>286 にしても強引だろ
邪馬壹でヤマイツ辺りだったと思うよ
297 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:33:57.65 ID:XECcY+J10
倭王武の上奏文には、東は毛人55国を征伐し、西は衆夷66国を服従させ、
北の海を渡り95国…とあり朝鮮半島を北としている。
倭人伝も同様で、南とはそのまま南ではないと思われる。
つまるところ、魏の使者は列島には渡っていないのだろう。
298 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:34:04.92 ID:94H6ZTvFP
>>231 淮水(淮河)下流域のワ人が稲作を持って日本や朝鮮半島南部に渡来してきたのが弥生人と考えられる。
299 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:34:43.66 ID:4W2w5WeA0
>>34 奴(ナ)は佐賀平野あたりじゃなくて、博多湾沿岸部だと思うけどな、那の津という地名としても現代まで
名残がのこってるし、漢倭奴国王の金印が見つかったのも志賀島だ
箸墓で決まりなんじゃないの?
301 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:35:32.39 ID:kOvT4WxQ0
>>299 そいやあの金印って何で埋められたんだろうな・・・
マルタイ国は九州にあった‼
303 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:36:21.24 ID:j/mx5vUh0
>>293 吾(ワ)→倭→和の説はいいとして、
「ヤマト」はどこから来たのか、というのは昔からの疑問。
隼人やら熊襲やらの名前の由来も不明(今の日本語には残ってないかもしれんが)
夏は畿内、冬は九州にあったでいいよもう
305 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:37:39.95 ID:SJmBBo7x0
>>16 オマイ達鮮人が
日本を崇め、日本に憧れている気持ちはよく伝わった。
あとはそれを目に見える形で表現する事だ。
狗邪韓国は邪馬台国の一部だったんだから
日本に返してもらおうか。
匈奴でも銅印だったようだし
金印を下賜されたってのは当時凄いことだよ。
307 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:37:51.19 ID:/BxRrKmXO
しかし、ツタンカーメン展を見た後だと、紀元前でもないのに、
日本しょぼすぎwww
てか、3000年前にはすべてが完成されてたんだなと思うわ。
電気とインターネット。
これ以外は変わんないね。
308 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:38:12.74 ID:T2eUtY21O
きっと
「和をもってヤマトとせよ」と号令をかけた太子がいたんだよ
309 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:38:21.06 ID:bs8RQkZQO
山戸でいいじゃん
310 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:38:30.46 ID:sG68Wgmy0
>>277 現在の奈良県にあたる「やまとのくに」の当て字「大和」は奈良時代にできたもの。
それ以前は「倭」「大倭」「養徳」「大養徳」「大倭」という感じに変遷した。
「大」は美称の飾りだから気にしなくていい。
律令時代以前の当て字は木簡で該当するものがないので不明。
少なくとも記紀編纂前の木簡は「倭」だった。
大和国→邪馬台国
ヒメミコ→卑弥呼で終了じゃないの?
312 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:38:46.35 ID:Bwpr8NoL0
魏志ていう書物の信憑性はどのくらいなもんなのかな
倭人伝以外の記述もめちゃくちゃなんじゃ
支那の書物だし
313 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:38:54.26 ID:csa7blDC0
>>203 漁撈民族ならそうだろうが海洋民族ではないだろ
ろくに航洋技術もないのに
幕末に西洋の技術が来るまでは船を沿岸をちょろちょろ走らせるしかできなく
どちらかというと陸に内向きで海洋に出ていこうとしなかった民族が海洋民族ってことはないだろ
>>307 2000年くらい前はゲルマン民族でさえ野蛮人だからな
いまやゲルマン系のアングロサクソンが世界を牛耳ってる
>>266 世界各地でそういう話はあるみたいだしね
文明が一気に滅びたりと不自然過ぎる
316 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:40:37.78 ID:j/mx5vUh0
>>313 倭人は海流に沿って南洋諸島にも到達していたって話を聞いたことあるけど。
真偽の程は知らん。
>>312 日本製の記紀があの始末なのに何言ってんだ
>>287 >母系は大きな違いが無い
ソースは?
ミトコンドリアDNAに違いがなかったの?
319 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/09/30(日) 00:41:31.02 ID:Rk8EdcOdO
>>313 それは幕府が規制してたからでは?
江戸時代以前は逆にインドネシアに日本人街を作るほど進出してたし。
邪馬台国のオメコ様
322 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:42:42.43 ID:bs8RQkZQO
>>312 んなこと言っても確認する手段がありませんし。
三国志ヲタは明代の小説を根拠に否定したりするらしいが。
30年前は奈良で決まってた話。
しかし朝鮮人みたいな九州の学者が火病起こして抗議の声を上げ始めたんだなw
おかげで関西では九州説が徹底的に否定されるようになった。
佐賀んごたっとこにあっわけなかろーもんね
325 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:42:53.87 ID:j/mx5vUh0
>>312 古代の中国正史は割と正確。
商や周の時代にはすでに、歴史を正確に記していた。
古代世界で最も歴史を正確に残す文明はギリシア・ローマだが、古代中国はそれに継ぐくらいには入る。
326 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:43:07.90 ID:kOvT4WxQ0
>>307 だが今の日本はエジプトとは比較にならないくらいの世界的地位を占めている、それで充分じゃん
祖先がルーツが歴史がなんて何処ぞのヘンクツ民族の真似をする事もあるまい
『私は先祖ではなく、祖先になるのだ』 ウィンストン・チャーチル
(貴方は誰の子孫なのか?・・・と偉い貴族さんに皮肉を言われた時の答え)
327 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:43:29.98 ID:csa7blDC0
>>252 農業は山の裾野から始まったんだぜ
平野が大規模に拓かれたのはやっと江戸時代になってから
328 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:43:53.03 ID:fUx5QRUi0
>>315 1年半前の3.11みたいな津波は数百年に一度来襲して大勢の人を建物ごとさらってゆく
もっとすごいマグニチュード9オーバーの地震も数千年に一度起こってるのだろう
地震の巣の日本近辺では・・
330 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:44:18.21 ID:sG68Wgmy0
>>315 縄文海進があった頃は世界的に間氷期の温暖化が最高潮に達した時期のようで、スンダランドも
その頃には完全に沈んだ。
洪水伝承の記憶がどこまで遡るかは諸説あるんじゃなかったかな?
>>303 ワというのは、輪、サークルの意味
その輪が大きくなったのが大輪、つまり大和
で、その大きな輪をなぜ、ヤマトと呼ばせたかであるが
これは、ヤー ハタ 来ている。
秦(ハタ)氏は蘇我(ソガ)氏とともにエジプトを出発して日本に来たのだ。
スフィンクス=狛犬を持ち込んだのも彼らだ。
332 :
326:2012/09/30(日) 00:45:26.98 ID:kOvT4WxQ0
『私は子孫ではなく、祖先になるのだ』
・・・ダタorz
いまでこそ九州は中央から見て西のほう、
みたいな感覚になってるけど、
古代には大陸に近かったし、
大航海時代に欧州から来る船だって、
あっちのほうに来てたでしょ。
だからどっちにしても外国に対する窓口としては、
九州辺りが重要だったと思うよ。
>>332 よかった、意味分からなかったけど聞くの恥ずかしくて聞けなかったんだw
336 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:46:56.27 ID:j/mx5vUh0
>>328 日本には洪水伝承がないんだよね。
ヒルコが流されたくらい
337 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:47:01.08 ID:T2eUtY21O
栗本慎一郎さん夜更かしはダメですよ
338 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:48:57.85 ID:sG68Wgmy0
>>336 国生み神話がそうではないかとの意見もあったかと。
339 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:48:58.88 ID:4W2w5WeA0
大和朝廷はもともと九州で最初に成立して、東征というか王化(稲作普及含む)をしていった結果、畿内に定住したと考えてる。
大陸からの文化は必ず九州を通過していたんだから、邪馬台国=大和朝廷なら最初から畿内にあったと
考えるのは無理があると思うけどな
340 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:49:05.40 ID:Hzqz4nrlP
>>312>>325 大体、今直面している中国(近現代)と当時の中国を比べること自体無意味w
思想的に中国は素晴らしいものを生み出した。孔子や老荘思想等
今の中国を見て、それらも侮蔑することは許されない。
中国は今一度、高度な思想を生み出し始めた原点に戻って欲しいがww
341 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:49:29.70 ID:j/mx5vUh0
>>334 だから、九州に伊都国があることに疑いはなく、
問題は、女王国がどこにあるのか、という話でしょう。
342 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:49:50.58 ID:H++H1EWe0
結論 混血、外国人お断わり 日本は鎖国
結論 混血、外国人お断わり 日本は鎖国
結論 混血、外国人お断わり 日本は鎖国
343 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:50:31.18 ID:kOvT4WxQ0
孫子の兵法なんて現在でも使えるしな
韓信とか孔明みたいに逆手に取った人も居たけども
344 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:50:40.34 ID:bs8RQkZQO
>>326 そこは「先祖」じゃなく「子孫」じゃないのか?w
あとウィンストン・チャーチルの祖先はめちゃめちゃ有名人だが。
ジョン・チャーチルの逸話じゃね?
345 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:50:57.82 ID:ywBISqBkO
神武東征はユダヤが日本に来たってこと
女王ってのが勘違いでしょ。
ネパールはクマリ女王国、
って勘違いみたいなもんじゃないの。
347 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:52:52.23 ID:4W2w5WeA0
日ユ同祖論、うざい
>>333 大分県宇佐
ところで「分」とかいてイタと読ませるのはなぜか?
この謎はまだ解明されていません。
349 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:53:04.23 ID:j/mx5vUh0
>>345 高天原より、天磐船にのって、アララト山に降りた。
天磐船こそが、ノアの箱舟だったんだよ!
350 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:54:05.03 ID:urdA2CaN0
縄文時代の農耕の始まりでは日本は最先端だった、世界中に縄文の遺跡が
広がっている、その後の国家制度の確立では4大文明に先を越された。
チャーチルの血には北米原住民を通じて縄文人の血が流れている、
それで結果的には大英帝国の幕引きに貢献した。
351 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:54:23.76 ID:kOvT4WxQ0
353 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:54:41.48 ID:csa7blDC0
>>319 遣唐使船をみれば当時中国や朝鮮にあったような構造船の技術が日本には無かったことがわかるが
邪馬台国の時代も航海技術があった根拠は無い
戦国時代の東南アジア進出は中国とヨーロッパの技術を取り入れ大航海時代に乗ったもので
3世紀の話しと比べられない
354 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:55:44.60 ID:vmK8SYF1O
>>339 稲作伝達は縄文時代
邪馬台国の頃は、ギシ倭人伝の解釈で北九州はすでに検問所みないな役割(伊都国)
畿内説でも説明つく
東征の最大の弱点は、文化が畿内から全国に広がった考古学的物証は出土できるが、九州から畿内にってのは無い事。
355 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:56:12.67 ID:159BL4DJ0
近畿説は否定しないけど
なんで、あんな田んぼの少ないとこに作るかね
佐賀平野のほうがよっぽど豊かだったろうに
そもそも古代には結婚って文化が無かったから、
男女が出会って仲良くなっても妊娠した女性は、
自分が生まれた家で子供を産むわけじゃん。
つまり母系の社会が基礎にあるわけね。
そこから男性が通い婚を経て女性側の共同体に入れば婿入りで、
おそらく財産は母系で継承されるし、実際にそういう文化もある。
反対に大国主みたいに、女性と駆け落ちして自分の共同体に帰っちゃう、
同意を得ないままの略奪婚、あとで賠償とか、ちゃんと話あってお嫁さんをもらうとか、
そうなってくると男系になるわけで、結納ってのもそういう流れから来てるんでしょうね。
佐賀はチョンで出来ている
358 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:56:51.70 ID:okpb2xoc0
長崎県東彼杵郡佐賀町がどうしたって?
>>349 まちがいないでしょう。
>>352 八幡総本宮 宇佐神宮
ここらを掘れば遺跡も出てくるだろうね。
金印も。
360 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:58:34.38 ID:9sdsuf9i0
いまに見ていろ 邪馬台王国 全滅だ
361 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:59:14.08 ID:bs8RQkZQO
島国だからって海洋民族とも言えんのよね。
いかにも海の民ですよ海渡って来ましたし、みたいな面してるイギリス人が
それっぽくなったのは大負けして16世紀。
宇佐神宮は本当にアンタッチャブルだからなぁ
今までの歴史がひっくり返る何かが隠されてる可能性はあるわな
363 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 00:59:20.81 ID:T2eUtY21O
倭建命(倭やまと建たける命みこと)古事記
日本武尊(日本やまと武たける尊みこと)日本書紀
二つ合わせて
日出国の神子
倭をもってヤマトとし尊しせよ
聖徳太子の弟は皇族将軍の来目皇子
一説によるとヤマトタケルのモデルとされてる
新羅討伐のため九州入り
筑紫国で病死
364 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:00:20.23 ID:sG68Wgmy0
>>354 東征を文化伝承とセットにしなくてもよいのでは?
移動した集団が小さいのなら現地の風俗に移行した可能性もあるし、天孫降臨伝承から
元は九州以外の土地の文化を持っていた集団の可能性もある。
365 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:00:22.65 ID:mnMWxs2l0
朝鮮起源が裏付けされるのは日本人として恥辱の限りorz
>>359 >ここらを掘れば遺跡も出てくるだろうね。
実際、採掘してから主張したほうがいいのでは?
369 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:01:17.12 ID:vxa6mbJy0 BE:2375461474-2BP(1)
卑弥呼さま〜〜!!
___
/ミ|ミ\
/ / ̄ ̄\ ヽ
/ /_ _ヽヽ
`_( イ  ̄ヽ / ̄ | |_
( | |<◎>)(<◎>| | )
ヾヽ(  ̄ ||  ̄ )ノ/
―⌒O ノヽノヽ O⌒ー
_三人 ( ̄ ̄) 人三_
(_) \ニニ/ (_)
370 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:01:21.19 ID:159BL4DJ0
>>359 宇佐神宮のルーツは大和朝廷よりずっと後だろ
天皇が八幡さまを祀っていることでもわかるw
371 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:01:32.01 ID:NjSXneCJ0
つまり卑弥呼の発祥は佐賀ではなかったと観念したってこと?
あのう・・・本来ここに建設する筈だった工業団地は・・・
>>367 なるほど、「多い田」で「分け前も大」ってことね
バンザーイ
375 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:03:15.09 ID:sG68Wgmy0
>>355 当時の土木技術の限界があったから。
山際の平地や小さな谷あいとかが水田を作りやすかった。
平野部が完全に田畑になったのは江戸時代だよ。
それまでは平野のど真ん中でも石がごろごろしていたり腰まで浸かる湿地だったりした土地が沢山あった。
あ、しまった。
>>12 うちの地元の遺跡の分布も、みごとに高速道路と新幹線の
路線に沿ってるな。それを見て「おお、やはりここは古代からの交通の
要衝だったか…」とか悦に入ってる人がいて、なんだかなあだw
>>356 結納って女の家への賠償の意味があったか・・目から鱗が落ちたw
てことは元々は女系が普通だったてことね
378 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:04:01.82 ID:4W2w5WeA0
アメリカ合衆国は建国の際、八幡様にあやかって国名をつけた
379 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:04:02.30 ID:yr4cHJgF0
現代的な目線で国境とか持ち出すから古代史ってややこしいけど
日本海を中心とした海洋文化圏と考えれば、
北九州と朝鮮には文化的・民族的差異など無かったことが分かる
倭族が半島にも生息してた記述が多いのもそれを証明してるね
邪馬台国が日本列島にあったとは限らないんだよな
380 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:04:17.18 ID:csa7blDC0
隋史に邪馬台国は今の倭国の大和だとあるじゃん
「隋書」<倭国伝>7世紀前半
倭国は…(中略)…邪靡堆(邪摩堆、やまたい、やまと)に都がある。
即ち魏志倭人伝にいう邪馬台(やまたい国)である。
>>355 九州は日本列島から見ると西寄りすぎだろ
天孫降臨の神話が求められるようになるのは、
男系氏族としての皇族が当たり前になってからで、
男系始祖の起源に関する伝承が、神の命によりって箔をつけて、
天孫降臨になったって考えたほうが妥当じゃないの。
遠くから旅をしてきた、
九州の南方あたりから来たらしい、
いわゆる貴種流離譚って言うのかな。
自分はいわゆる近畿説支持者なんだけど、卑弥呼って外務大臣的な役割だったんじゃないかなって思ってる。
当時は「外国=中国」だったから外務大臣は九州に住んでて、
全権委任状態だったので本国である近畿に通す必要は無かったけど使者に場所だけは伝えてあったとか。
384 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:05:30.33 ID:bmRAMG6Y0
実際の発掘物や戦乱の跡等をかんがみると、九州が可能性が強いよね。
纏向は戦乱の跡が無いんだよ。
もう安定した時代か、戦乱が無かった土地か。
邪馬台国ではなかったにしろ、この地域は発展してたのは事実。
鐙が出てきた事もあり、時代的には実際は少し後だろうがな。
>>58 そうそう福岡都市高速の空港らへんでもたくさん出てきたけど、闇に葬られている
386 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:06:34.00 ID:mX7pzLFJ0
ところで、伊都の石棺はどこに保存されてるの?
昔、深夜に石棺から3人の子供の霊が出てきたって話を新聞かなんかで見たが。
387 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:07:38.77 ID:sG68Wgmy0
>>379 >北九州と朝鮮には文化的・民族的差異など無かったことが分かる
凄い乱暴だな。朝鮮南岸だよ。
>邪馬台国が日本列島にあったとは限らないんだよな
倭人伝の記述と以後の史書の記述から日本列島内が該当する。
388 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:07:57.60 ID:bs8RQkZQO
随分と長生きな幽霊だな
あと、宇佐神宮に祭られてるのって、ヒメオオカミっていうんだよね
正体不明の神様なんだけど。
ここにもヒメっ出てくんだよなぁ
390 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:09:10.54 ID:159BL4DJ0
>>383 一票w
それだと、近畿も九州もwinwinでよくね
391 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:09:46.78 ID:sG68Wgmy0
>>384 卑弥呼の時代は倭国内の戦乱が大方おさまった時代だから、その頃に纏向ができたのなら
戦乱の跡はないだろうね。
392 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:09:47.33 ID:vmK8SYF1O
>>364 可能性はある
しかし物証がない
あと宇佐神宮は遡ってせいぜい6世紀だ
393 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:09:54.03 ID:aFfwrpeU0
広義の倭郷、つまり葦原中津国で迎え撃った側はい石器が半分混じってる状態だし
近畿や倭郷ではエコが文化だったかもだしね
鉄器のリサイクルね
>>384 戦争するのは大抵国境周辺だからな
纏向は邪馬台国の首都だろうけど、首都周辺で戦争するわけじゃないから
>>355 大和、田んぼ少ないか?・・昔なら十分じゃね
吉野ヶ里は実際行くとまあそれなりに感動する
周辺何もないからそれだけ見てすぐ帰ったがw
397 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:11:22.87 ID:bmRAMG6Y0
>>354 どっちかというなら、九州の勢力が畿内勢力に負けたと見ていいんじゃ・・
どっちが卑弥呼のいた勢力かわからんがな。
上岡龍太郎を思い出した
ぶっちゃけ九州説なんて九州のアホ学者がでっちあげた因縁でしかない。
まあ恐ろしいのは因縁であっても予算がつく事だ。
出土品を見較べたらどっちが本家か一目瞭然なのに「地図がぁ」とか念仏みたく唱えてた。
そんな時だった。あの男が、神の手を持つ男が現れたんだw
マジに俺も騙されたよ。
>>380 その「即ち」がクセものなんだよな。
「ヤマト」が一般名詞だとしたら意味がない。
401 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:12:21.55 ID:aFfwrpeU0
>>355 当時の奈良盆地は水稲にピッタリの沼地だらけだよ
402 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:12:41.42 ID:kOvT4WxQ0
>>394 ベルリン決戦とか素敵じゃん・・・
六号戦車に乗ってドイツ国会議事堂前で赤軍と戦うんだぜ
友軍の増援は望めない、味方戦車部隊は全部壊滅
だが今自分が乗ってる戦車は第三帝国が作った世界最強の戦車だ
403 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:12:42.24 ID:94H6ZTvFP
>>351 どんまいw
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というけど、2chで恥かいて覚えるのはお得だなw
404 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:12:59.48 ID:T2eUtY21O
チームヒミコはハードディスクでもあり情報の共有化でもある
現代でも女性に通訳は多いとされてるのは脳の構造からだとされてる
その中で倭国の卑弥呼と言われてる女性はなかなかのやり手だったかもな
ただ言われて神托を出してたタマじゃなかった
ただ現代にも通ずるが婚期はうまくは行かなかったようだ
405 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:13:04.97 ID:159BL4DJ0
>>395 文明は大河と平野のあるとこに生まれる
近畿はその条件が足りてないのが不思議w
>>390 >それだと、近畿も九州もwinwinでよくね
歴史をwinwinで決めるなw
だったら我が埼玉も邪馬台国論争に名乗り上げるぞw
>>399 九州が古代重要な土地であったのは事実だと思うけど、邪馬台国じゃないだろ
407 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:14:04.23 ID:4W2w5WeA0
>>364 天孫降臨は朝廷の先祖が日本のどこかに上陸した話がああなったんだろうな。
408 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:14:09.72 ID:sG68Wgmy0
>>392 俺は宇佐神宮を前提にして
>>364を書いてはいないよ。
記紀を見る限りでは宇佐辺りは東征の助力をした地域であり、景行天皇の頃は離反していた地域だ。
東征集団の核心ではないだろう。
409 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:14:53.94 ID:jqooXSVo0
>>104 名前くらい別にいいじゃん
AV女優もいたし
臭いんだよジジィ
410 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:15:11.04 ID:R9wD/zU+0
宇佐と出雲は日本史の真髄だからな。島根県と大分県は都道府県の格付けで
上位に入れておかないといけない。
遺跡発掘の収集品を集めた部屋って
「必ず出る」っていうよね。何かが。
昔の幽霊って律儀なんだな…だって二千年前だぜ…。
412 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:15:29.95 ID:ZW3Qt+vi0
卑弥呼は、各国の首長たちが平和のために何世代にもわたって血を繋げて
創り上げた「国の母」となるべき存在、というのが俺の自説
ここから女系→男系と変化し天皇系譜が始まったとしたらなかなか胸熱
414 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:15:39.52 ID:k/dlHhAiO
>>381 日本列島と言っても東日本の捉え方が違うからなんともな
まーどっちでもいいけどな
415 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:16:21.08 ID:bs8RQkZQO
>>351 まあ、祖先として傑物を生み出したから凄いよね
418 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:17:34.71 ID:aFfwrpeU0
>>405 旧淀川に旧大和川に河内湖に河内平野に葦原瑞穂の豊穣な奈良盆地では?
山背の木津川に近江の琵琶湖もあるし
419 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:18:17.90 ID:R9wD/zU+0
この論争は飽きた。もう青森にあったということにしとけよ。
420 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:18:19.14 ID:bmRAMG6Y0
大和政権=邪馬台国と位置付けるのがわからん。
別物と思うがな。
天孫降臨で混乱しやすいのは、
皇族の始祖が旅をしてきたってところで、
たぶん、大和の部族も元は母系で、
古代から太陽神を祀る巫女がいたのが、
そのうちに有力な男性の嫁取り婚が始まって、
母系から男系化したもんだから始まりが分りにくくなってる、
ってことじゃないかと。
じゃあ、そもそも男系の始まりは誰だったのか、
ってなったときに、遠くから旅をしてきたと。
中国人が正確に記録するはずないだろ。
必ず盛ってる、近畿までは行けない。
423 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:19:45.65 ID:vmK8SYF1O
>>408 まぎらわしくてごめん、宇佐神宮のくだりは他の人へのレス
424 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:20:01.57 ID:aFfwrpeU0
宇佐と出雲は日本史の真髄的要素ではありますね
425 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:20:21.60 ID:yfK0eDfb0
わずか1800年前のことがなぜわからないのか
記録はなくても言い伝えとかで継承されないのか
427 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:20:51.75 ID:e3xQa7890
428 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:20:56.81 ID:sG68Wgmy0
>>405 奈良盆地などが紀元前3世紀より新しい水稲集団の新興開拓地なら不思議ではないよ。
気候変動で色々と変わって少したった時期(紀元前1世紀)に規格化された水田が奈良盆地にもできている。
水稲では九州より後発にならざるを得ない。
429 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:21:29.30 ID:4W2w5WeA0
纒向遺跡の研究者でもこれが邪馬台国に違いないなんて言ってる人は少なくて、
そういってるのはマスコミやら素人たちだけって聞いたけどな。吉野ヶ里にしても
当然そうで、吉野ヶ里が邪馬台国なんていってる学者はいないんじゃないか?
吉野ヶ里はシナ南部移民の集落
>>413 熊本トンカラリン遺跡の変形頭蓋骨女性シャーマンが思い浮かんだ。
けっこう、アリな気がする。
433 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:22:28.13 ID:aFfwrpeU0
>>420 誰かがそんなふうに言ってるとかですか?
そのセリフが好きだから・・・とかじゃ意味ありませんよ
学術的にはかなりのところまで来ていますよ
文献と考古学の良い咬み合いの時代が来ました
434 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:22:38.01 ID:SJmBBo7x0
漢字の「和」も「倭」もどちらも「禾」が音を表わす。
「倭」という漢字は「禾」で発音を表わし「人偏」で「人」を表わし、「女」で女王卑弥呼を象徴している。
素晴らしい用字である。
「禾」は広東語、客家語でwoという発音。
「倭」は広東語でwai1 wo1と2つの発音があり、「倭国」「倭人」を表わす場合はwoと発音する。
>>320 >正しくはヤマトゥアイと
「臺」は広東語で「toiトーイ」と発音する。「ィエマトーイ」
435 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:22:38.56 ID:uUGiN0CVO
邪魔大王国?
436 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:23:09.44 ID:bs8RQkZQO
>>425 わずか1800年ってそんな無茶な。お前さんはエルフかなんかかw
まあ世界の大抵の地域の1800年前はよくわからんと思うぞ。
437 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:23:13.39 ID:vmK8SYF1O
>>425 日本書紀編纂者ですらギシ倭人伝について混乱してるようだからな…
438 :
405:2012/09/30(日) 01:23:14.85 ID:159BL4DJ0
マジメなレスありがと〜
こういうスレはええなw
439 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:23:18.01 ID:csa7blDC0
>>405 北部九州は大河がなく水不足で
平野だって近畿とかわらん
てか日本で大平野と言えるのは関東平野だけ
大甘にみて濃尾平野までだろ
大河川も利根川と信濃川だけだな
440 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:23:47.65 ID:4W2w5WeA0
都黎氏嵯畿が名を改め卑弥呼となった
441 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:24:04.72 ID:r4oefegf0
有耶無耶にして終わりにするにはいい時期w
天皇制が続く限り明らかにはされない
つか、しちゃマズイ
>>405 奈良盆地見たことある?
田んぼにピッタリだよ
443 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:24:22.46 ID:T2eUtY21O
イト国の一大率が実質の邪馬台国
奈良の邪馬台国本国が一々伝令を出して
一大率から卑弥呼のご神托を伝えて
さらに魏の使者に伝えてた?
しかも口伝で?無理だよ
紙と織字率の高った江戸時代でも
長崎の出島を直接指導したりしない
しかも鏡とか金印とかの取引やらなんやら
444 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:24:33.17 ID:yfK0eDfb0
どのあたりの時代の人だったら
邪馬台国の場所を知ってたんだろう
例えば平安時代の人は知ってたとか
日本語の漢字音読みには大陸古語の発音が残ってるんで、
むしろ日本語の音読みを大陸古代の発音研究で参考にしてるとか。
>>429 結論出すには決め手がないからね、どこも。
まともな考古学者なら「わかりません」と答えるしかないんだよな。
そもそも考古学的に「邪馬台国」ってのがそこまで重要なのかって話。
歴史的には面白いミステリーなんだろうけど。
447 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:25:21.20 ID:sG68Wgmy0
>>418 紀元前後には奈良盆地には湖もあったね。
>>439 濃尾平野は1700年くらい前までは半分は海だったしね。
邪馬台国を探るのを歴史ロマンみたいなこと言う人もいるが、要するに中国人がいいかげんな記録を残しただけ
449 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:26:17.14 ID:bmRAMG6Y0
>>429 その通り。
邪馬台国の問題はまだまだ、九州か畿内かの域を出てないよ。
450 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:26:26.84 ID:jILdnapz0
ずいぶん昔に話題になったが、まだ発掘してたことに驚き
邪馬台国論争ってもはや町おこしでしょ?
平塚川添遺跡の本格調査はよ
453 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:27:57.60 ID:Hzqz4nrlP
時系列的には九州の王朝が先で畿内の王朝が後だろ
卑弥呼「竹島は邪馬台国固有の領土」
別の集落だろ。佐賀はどうしても邪馬台国にしたいようだけど
457 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:28:37.60 ID:6jOYWy5d0
>>448 禿同
神武天皇などの神話が残っているのに、
邪馬台国の記録が(神話レベルでも)残っていないのはおかしいね
もしくは、現在の皇室と卑弥呼はまったく無関係ということだね
女王国とか言うから、
悩んじゃってんでしょ。
単純にヤマトのヒの巫女で、
皇族の女性が務めてただけなら、
悩むことでもない。
>>432 いや、明の時代に書かれた日本のこともめちゃくちゃに書いてるんだよ
魏の時代はそれより遥かに昔
正確と思う方がおかしい
460 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:29:51.77 ID:94H6ZTvFP
>>422 現代人は世界地図がまず頭に浮かんでしまうと思うが、晋の時代の人はどの程度
地図というものを理解していたのだろう。地の果ての倭が自分の位置から相対的に
どこにあるかは当時の人万人が共通の認識を持っていたのか疑問。
Google Map に慣れてしまった自分はもう当時の人の気持ちが分からん。
>>457 卑弥呼=天照大御神説と言うのがあってだな
462 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:30:27.08 ID:4W2w5WeA0
去年、吉野ヶ里を見に行ってきたが、規模がずいぶんでかくなって、どこまでが本当に遺跡跡に復元住居を再建してどこからが
作り物なのかさっぱりわからなかった。あれだけ大きい遺跡パークになると全体にうそ臭さがまとわりつくな
463 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:30:32.57 ID:159BL4DJ0
うむ
天孫降臨と邪馬台国は別に考えるべきでそ
刺青の風習とかも書かれてるけど、そのあとの時代にはきれいサッパリ消えちゃってるからなぁ
文献的には疑ってかからないといけないものなのは事実だと思う
>>439 筑後川と筑後平野をなめちゃいかんぞ。
縄文海進の終焉時期は関東平野といっしょなのに、
あの広大な潟を形成するだけの土砂(=肥料)流入量があるのだ。
466 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:32:20.04 ID:qY5vO1wX0
二千年前の海岸線を復元して、古代の船と徒歩の速度から素直に場所を
割り出せば良いじゃん。魏志倭人伝の通り、水行○日、陸行○日、って
書かれたとおりに進めば良い。
どう考えても近畿地方までは行かん。九州北部で決まりだろう。
>>443 だから卑弥呼は外務大臣で九州に住んでたんじゃねーかと言っておるわけですよ。
それなら伝令の距離の問題もないし九州に金印があることとかはある程度説明は出来るし、
他にも
>>457 でもあるように神話レベルでの記録がないことも両者はイコールだったからで説明できるじゃん。
まあ、結構トンデモであることは自覚してるけど。
>>459 その明史日本伝をよく読むと、固有名詞は意外に正確で、
信長を長信とは書いてないし、2人に分裂した光秀にしても、
全然別の名前になってるなんてことはない
九州つながりで言うと神武天皇もニニギノミコト・山幸彦の霧島神宮も鵜戸神宮も九州南部なんだけど
畿内から遠い九州南部に何があるの?
470 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:32:57.27 ID:yfK0eDfb0
滅ぼされた王朝だから中国のいい加減な書物にしか記録が残ってない
あるいは、完全な捏造か
471 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:33:49.40 ID:4W2w5WeA0
刺青の風習とか、大和民族というよりも蝦夷みたいだな。王化するまえの地方王朝だったか
邪馬台国
472 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:34:02.03 ID:sG68Wgmy0
>>450 大規模遺跡や大量の遺物の調査は予算が付けば人生をかけるくらいになるんだよ。
長屋王邸宅跡から出土した木簡3万5千点も、発掘から10年くらいでは半分も保存の為の
加工ができていなかったようだ(研究されているものは更に少ないという話)。
>>468 でも内容はめちゃくちゃだよ
固有名詞くらい合ってないでどうするよ
九州説は懐古のアニメにも盛り込まれるぐらいミステリアスな話だからな。
誰もが奈良と思ってた伝説の国が実は九州にあったというくだりが実に面白い。
小説にもあったような気がする
もうどうでもいい気がするが
卑弥呼が若いころ美形だったかどうかが気になる
伝承はないところをみるに・・
デブかヤセてたかといえば多分やせ形だと思うが
>>473 だから魏志も、固有名詞だけは信じていいんじゃないかってこと
477 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:35:31.61 ID:T2eUtY21O
今でも山口県があるんだからさ
出雲から見て山の出口が山門なんじゃないの?
異門国は山門国を通じて出雲国に相談してただけじゃないのかな
そのころナガスネヒコは奈良で気張って国造りしてたんじゃないかな
ニギハヤヒとニギニギしく
いろんなのが習合しちゃったんだな
478 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:35:48.88 ID:aFfwrpeU0
>>443 一大率は中央派遣の海外交易(国内交易は大倭に監させた)という当時の国家
ビジネスの取り締まり担当では?
ご神託は直接関係ないと思いますよ
一大率はどちらかと言えば補佐の男王、弟王の所轄ではと思いますね
九州南部あたりから旅をしてきた少人数の人たちが、
ヤマトに入って、そのへんから男系化したんじゃないの。
ニニギあたりからの神話って、
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメとか、
いわゆるバナナ型の神話が混ざってるし、
南方の文化は入ってるんじゃないの。
>>471 大和朝廷と直接繋がってるなら、200年程度で風習がガラリと様変わりするのはどうかなって思うけど。
とはいえ200年も経てばそういうこともありえるか、とも言えるしなぁ
481 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:36:47.26 ID:4W2w5WeA0
騎馬民族に滅ぼされた方かと思った。
483 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2012/09/30(日) 01:37:14.84 ID:W3Sd9iVZO
その頃中東では
484 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:38:09.48 ID:sG68Wgmy0
>>460 たとえば、イギリスについて気候風土だけの資料を読んで、日本を基準にするとどの辺り
かを想像してみればいい。
樺太北部と同じ位置に比定できなければ当時の晋人に近い認識をシミュレーションできた
とすることができるんじゃないかな?
>>467 中国人に邪馬台国の説明した「外務省」の職員が九州にいたならわかるけどなあ・・・
486 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:38:39.47 ID:bs8RQkZQO
神武東征も絡み九州にあった方が面白い。但し面白いというだけ。
邪馬台国は卑弥呼を中心とした連合国
吉備、出雲、九州、尾張熱田等の発達した国々の連合
首都(大和)に各国の代表が江戸時代の参勤のごとく集結
吉野ヶ里は外交の最前線基地として首都機能を付与されていた。
使節は九州までの道のりまでは詳細に伝え、本丸のヤマト=機内への道は
戦略的に曖昧に説明したのが魏志倭人伝に伝わった。
というのが俺の自説
488 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:39:16.30 ID:6+YeHnJ30
自国の歴史が曖昧でわからないってのは恥ずかしい
分かってないことを日本史で勉強しないといけないのも馬鹿馬鹿しい
国防上の観点から、
わざと行程で嘘をついたとかね。
490 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:39:35.49 ID:yfK0eDfb0
倭国大乱もうそ臭い
当時そんな大規模の戦が起こせるとは思えん
491 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:39:46.10 ID:mX7pzLFJ0
発見された当時はトイレすらなかったのに。
仕方ないからそこら辺でおしっこしようとすると蝮が
>>466 うむ、同意。
沖積平野下流の沼沢地の行程は、現代でもなお舟を使った「水行」だもんな。
んでそういう場所は、記紀に出てくる日本の美称「豊葦原瑞穂国」でもある。
イネという作物は葦の生息域を置き換えて普及したのだ。
493 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:41:00.57 ID:4W2w5WeA0
>>488 韓国くらいだぞ、自分の国の成立期歴史がはっきり判ってると思ってるのは
>>471 刺青なら神武天皇の臣下の大久米命がしてたって、古事記に書いてある
495 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:41:45.74 ID:jqooXSVo0
496 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:42:24.89 ID:nM8OYAi/0
だいたいがさ、
"よこしまのうまのくに" 邪馬台国
って、どこの朝鮮だよ!
ここは日本だ!
400年も掘ってたのか
日本じゃ有史以前は神代だから、
本当のところは神々のみぞ知るってところだけど、
古代の日本も母系社会だったのが男系化して、
皇族の男系始祖に関する起源神話が天孫降臨で、
貴種流離譚が混ざってんのと違うかな。
国生みで声をかけるのが女性から男性に変わるのも、
単なる男尊女卑で、いちいち無意味な話はつけないだろうし。
500 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:43:38.01 ID:159BL4DJ0
原住民だった邪馬台国が、
南九州から入ってきた民族に滅ぼされ大和朝廷を築いたとか思ってるんだが
ネトウヨに叱られるかしらんw
502 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:43:52.67 ID:Afxzyd/XO
>>471 邪馬台国は巫女さんが女王してた国なんだよな?
大和朝廷までに巫女さんの価値が下がって政治から切り離されたんじゃない?
それでも古墳時代には祭司とかの役目持ってて儀式はしてるから無くなったわけじゃないんだろうけど
ヤマタイ国論争は結論を出さない事に意義がある。
佐賀を見てみろ!って話だ。
>>496 支那の書物からだから、当て字に差別的な見下した漢字使ってるんだよ
507 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:45:33.18 ID:T2eUtY21O
異門国=外務省
山門国は出雲のフェイク
そもそも出雲の国譲りからして
奈良のヤマト国も出雲の支店だったんだな
ただ文字も契約もない時代に支店の豪族が力をつけたら
お前なんかいらんてなるわな
ニギハヤヒの一族も出雲側からイワレビコを派遣されて仕返しされ
さらにイワレビコについたニギハヤヒに仕返しされた
こうだな
508 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:47:42.68 ID:bs8RQkZQO
まあ明治維新も南九州の原住民が本州の政権を滅ぼした後、中央の人間面して南九州に攻めいってるし。
509 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:48:58.41 ID:Afxzyd/XO
出雲が邪馬台国の流れをくむとかはないの?
>>459 そもそも誰も、古代の書物が正確とは思っていないでしょうw
正確じゃないからといって無視するのおかしい。
古代書物は重要な手がかりにもなりえるし、参考資料として推論、推理するのが正しい。
511 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:49:10.37 ID:4W2w5WeA0
元々北九州にあった邪馬台国=高天原の、傍系王子だったニニギが、不毛の地、日向に行かされたのが天孫降臨
神武東征とは、その天孫一族が、新天地を目指して起死回生の大勝負に出たということ
513 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:49:38.70 ID:aFfwrpeU0
>>492 『於塩土老翁。曰、東有美地。青山四周。其中、亦有下乗天磐船而
飛降者上。余謂、彼地必当足下以恢弘大業.光中宅天下上。蓋六合之中心乎。
厥飛降者、謂是饒速日欺。何不就而都之乎』
>>336 最初にかきまぜるってくだりが洪水を表してる説もあったきがしたけど
日本を作る時の
515 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:50:52.21 ID:Ww9NFpof0
結局神話の大半が出雲神話
須佐之男命から天照へそして
ヤマトにある地名は殆ど出雲のコピー
ここを謎解きしないと卑弥呼も解決しない
516 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:51:02.80 ID:GCE89oGk0
>>504 結局読んだ本と空想によって意見が多数あるって事だな
自分は昔九州派で今は畿内説w
>>514 その前に全面海だったという点で、「原初洪水型」とも分類されてる
>>502 卑弥呼=巫女というのは倭国大乱の鎮魂の意味があったんじゃないかな
ここから国々力を合わせるための象徴として
そうすると卑弥呼の辺りから古墳が体系化されてくるのも意味深く感じる
まぁ、邪馬台国から船で東に1000里行くとまた国があって、そこは小人の国らしいからなw
かなり噂話が混じってるものなんだろうな
521 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:53:30.03 ID:Afxzyd/XO
邪馬台国→出雲→大和朝廷と西から東へ開拓していったんじゃない?
>>488 そんなの普通じゃないか
ケルト人がヨーロッパ一円に住んでた時のことなんて良くわかってないだろ
523 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:53:46.64 ID:aFfwrpeU0
>>480 200年〜400年くらいでは変わっていってると思います
尾張や海部等の先住氏族が衰退や遷移していく様子なんかは
一つの参照可能な物差しとして機能するかもしれませんね
524 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:54:13.29 ID:159BL4DJ0
>>515 いやいや、宮崎の高千穂の峰も
天孫降臨の地として数々の神話が残っておりますが〜
525 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:54:18.40 ID:RJsoF05HI
ほんと出雲と宇佐って何なんだ?
526 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:54:52.02 ID:94H6ZTvFP
>>484 いや、そういうことではなく・・・
自分自身は「イギリス」と見た瞬間ヨーローッパの地図の島国が見えてしまうし
「樺太」と見た瞬間ユーラシア大陸の東端の地図が頭に浮かんでしまうわけ。
考えまいと思っても自動的に地図が見えてしまうという話です。
527 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:55:13.65 ID:bs8RQkZQO
>>511 あれだよきっと、古代的には出雲とか吉備とかが長州役なんだよ、うん。中国繋がりで。
あとヒミコという称号は、男王(ヒコミコ)でも女王(ヒメミコ)でもなく、
両者を超越したヒミコ(日輪王)なのだと言ってみる
529 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:55:59.80 ID:QELz6p1UP
.,,......、 ..,, ,,,,,_ ....,,_
`゙ヽ `'i ゙l `', `l `'j 、 ゙l l
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530 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:56:11.12 ID:aFfwrpeU0
>>502 >巫女さんの価値が下がって政治から切り離されたんじゃない
そういう傾向はありますね
531 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:56:55.16 ID:I79pifu80
邪 馬 台 国
ヤ マ ト コク
以上w
>>527 宇佐や九州南部もそういう立場かも・・
神武天皇は伊藤博文と大久保利通を足したような人だったんだよ
大和朝廷が過去を必死で隠している点からしても、
大和朝廷以前と以後は継続性が無いんだと思うよ。
吉野ヶ里などの古墳に俺たちのルーツを求めるのは難しいんじゃないか?
534 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:57:31.25 ID:4W2w5WeA0
>>525 両方ともなかなか朝廷に服さない強敵だったんだろうな。強かったからこそ服した後は特別に
大事に扱われたんだろ、
535 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:57:36.98 ID:sG68Wgmy0
>>518 祭祀との関連では面白い見方だね。
>>519 よく言われる朝倉については白村江の戦いの時の斉明天皇の仮御所があった場所なので、
その時に大和の地名をコピーした可能性もある。
>>521 青森の三内丸山遺跡の説明がそれでは付かない
537 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:58:31.26 ID:bs8RQkZQO
そもそもヒコ・ヒメのヒは日のことじゃないの? そうだとばかり思っていたが。
>>515 地名相似は、宮崎の高千穂周辺北九州周辺、から紀伊半島南部の熊野周辺、伊勢周辺、と色々ある
539 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:59:23.90 ID:aFfwrpeU0
540 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:59:38.87 ID:GKA6zbWU0
ん〜、やっぱり吉野ヶ里より三内丸山のほうが桁違いにすごいなぁ。
環濠集落なんて、今じゃ珍しくもないじゃん。
541 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:59:48.99 ID:T2eUtY21O
天叢雲剣がヤマトノオロチから出たわけで
出雲からなんでしょう
今、それは草薙剣とヤマトタケルのころに名前を変えますね
太平洋側の熱田神宮に奉納されてるとか
542 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 01:59:51.27 ID:I79pifu80
邪馬台国
ヤマタイコクと誰かが読んだ。
ヤマトコクと素直に読めば
何の論争もなかった。
卑弥呼
これは中国人が卑しい漢字を当てただけ。
日巫女とかだろw
邪馬台国だって
大和国で終わりだろw
MMJの人たち、今どうしてるの?
>>531 広東語の発音では台は「トイ」と発音するみたいだね。
古代漢語もトと発音してた可能性も高いね。
545 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:00:50.49 ID:FEvbHfisO
卑弥呼は宇佐の巫女だろ
547 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:02:11.51 ID:sG68Wgmy0
>>538 安曇氏など海人族の移動を絡める向きもあるだろう。
548 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:02:18.62 ID:qwZai5P30
>>20 天皇家の祖先が魏に朝貢してると都合が悪いから、大和朝廷とは無関係ってことにしておきたいのさ。
大和と出雲は
アテネとスパルタの関係に似てる気がするな
似た主義だがお互いに相容れない、仲の悪い兄弟の様な関係
日巫女って言ったら、
伊勢の斎宮でしょ。
>>535 それだけではないんだよね
耳納山→美濃
日田→飛騨
熊→熊野
とかもあるし
戦前の系図研究の第一人者、太田亮も、古代氏族のルーツは九州らしいと言ってる
552 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:03:15.21 ID:fUx5QRUi0
248年9月5日朝に北部九州でみられた皆既日食が卑弥呼の死に関係するとの説があるな
計算間違えて予言外して信用なくし暗殺か
それとも日食を利用して民心を扇動しようとしたら逆に魔女疑惑をかけられたか
でもこの前の日食でもさほど暗くならなかったし天文学のない古代なら全然気づかれずスル―されたのでは
>>542 それについては
>>434が書いてくれてるが、今の日本語でヤマトと読めることになんの意味もないんだよ
当時の中国人が聞いた音に漢字を当てただけなんで、音的には
>>434で言われてる発音だったはず。
つまり、邪馬台国は「ヤマト」って発音の国ではなかったってこと。
そもそも原文は邪馬壱(の難しいやつ)国だしね。
554 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:04:16.43 ID:yelommLi0
邪馬台国は朝貢したから記録に残っただけ、これとは別に畿内に大勢力
があってもおかしくないし、邪馬台国はあとで吸収されたと考えるのが
自然だろう。
555 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:04:24.32 ID:4W2w5WeA0
姫皇女じゃないのか、卑弥呼は
556 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:04:36.27 ID:RJsoF05HI
伊勢(イセ)は宇佐(ウサ)のコピー
557 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:05:11.41 ID:aFfwrpeU0
>>533 「大和朝廷」は過去を必死で隠しているわけではないでしょう
当時高級官僚として朝廷に食い込んでいた忌部や物部などが
氏族の視座からの歴史を残したかったわけですから
隠したかったとすれば、斎宮を伊勢に押し込めたあたりからの
為政者のトップでしょうね
国が荒れるときは食い物が足りないとき
天候不順が続いたと予想
559 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:05:19.19 ID:GKA6zbWU0
邪馬台の台は「タイ」と読むのに、恐らく日本史上最高の女性、二代目女王台与はなぜか「トヨ」と読む。
このへんが日本史学会を牛耳っているコミンテルンの亡霊、左翼歴史学者のおかしな所である。
560 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:05:20.96 ID:I79pifu80
中国での出来事
日本人 「ヤマトの国から来ました。」
中国人 「ヤマトコク?」はいはい「邪馬台国・・・これでいいだろ」
日本人 「日の巫女が我が国を統率しています。」
中国人 「ヒミコ?」 はいはい「卑弥呼・・・これでいいだろ」
561 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:05:29.55 ID:5Rtwo8/X0
>>1 「ムラ」とか「クニ」とかって、サヨクっぽいよな
なに地名のコピー?
ニューヨークやニュージャージーみたいに新しいほうに接頭語をつけてくれればよかったのに
欧州つか北欧辺りでも、
それぞれの部族ごとに巫女がいた、
みたいな伝承がなかったか。
ネパールのロイヤルクマリやローカルクマリもだけど、
女性が巫女を務めて、後に三人の運命の女神となり、
さらに後には魔女として追いやられた、
みたいな感じじゃないかとかさ。
女性が神事を務める風習は、
割合、多いんだよ。
564 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:07:10.05 ID:sG68Wgmy0
>>553 邪馬壱国については、他の史書の表記から誤記とするのが通説。
>>465 対したことない
その証拠にあの辺り大勢力は生まれなかった
566 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:07:39.04 ID:qwZai5P30
とりあえず三種の神器を公開させようぜ?
表面に「親魏倭王」とか彫られてれば万事解決だ。
吉野ケ里って
吉野刈っていうヘアスタイルみたいだよな
568 :
【関電 58.7 %】 忍法帖【Lv=18,xxxPT】(1+0:5) :2012/09/30(日) 02:08:40.07 ID:FFVEI/ql0
>>560 あれだな、実家に帰省する感じだったんだろうなw
569 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:08:59.68 ID:4W2w5WeA0
>>566 そいつは源平合戦のときに関門海峡の底に沈んだ
今のは模造品だ
>>564 それが分からんのだよな
なぜ初出の書物の方が誤記なんだ、と断定されるのか。
普通、後からの方が転記ミスってされるもんじゃね。
>>468 あの話だと固有名詞まで違ったら何の話か分らなくなるだろ
572 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:10:38.27 ID:aFfwrpeU0
>>559 邪馬台と大和を結び付けたがらないのは、文献や考古専門以外の方が
非常に多いですよ
573 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:10:47.17 ID:bs8RQkZQO
どっちかというと吉野狩りというハンティングスタイルに聞こえる
574 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:10:59.02 ID:6jOYWy5d0
邪馬壱国=対馬、壱岐
575 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:11:01.90 ID:GW0sulpjO
ヶ?ケ?どっちなの?
ずっと吉野ヶ里かと…。
>>566 八咫鏡って、長宜子孫銘内行花文鏡らしいよ
つまり彫ってあるのは「長宜子孫」(長く子孫に宜し)の文字
草薙剣は剣なので勿論文字はない
>>548 朝貢ってのも、支那と交易すると儲かるので挨拶に行ったまでのことなんだけどな
それを、外国の首長が皇帝の家来になりたいとやってきたぞ、と捏造した
昔も今も支那は息を吐くように嘘をつくんだよ
578 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:11:54.97 ID:T2eUtY21O
イヨまだ!14だから〜
センチメンタル蛇ニー
卑弥呼はある特定の人物だろうが
使者側はヒミコという尊称しか知らない
もしくは知らされてない
イヨは臺與からして特定の人物の名称だろう
おそらく使者も面識がある
579 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:12:09.42 ID:4W2w5WeA0
>>565 吉野ヶ里もあったし、
反乱起こした磐井も筑紫平野が本拠地だぞ
580 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:12:46.31 ID:aFfwrpeU0
581 :
【関電 58.7 %】 忍法帖【Lv=18,xxxPT】(1+0:5) :2012/09/30(日) 02:12:51.69 ID:FFVEI/ql0
>>405 大昔、奈良は湖があって周りは湿地帯だったんじゃないのか?
582 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:13:15.27 ID:qwZai5P30
>>569 壇ノ浦に沈んだのはレプリカで、実物はどっかの神社にあるって聞いたぞ。
>>575 吉野ケ里だと「よしのけり」小さくないとね
ヶは箇の略字
>>539 言い易く変遷してく事はあるかも
その通りかは知らんけど
585 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:14:16.94 ID:GKA6zbWU0
女性が云々って。。。
国立博物館でも行って、常設展示されている埴輪でも見てみるんだね。
何か(恐らく鏡)を持った状態で中空に手をかざしている、巫女とされる女性の埴輪が山のように見られるから。
継体天皇の本当の墓のされている高槻の古墳なんかでも、そういう巫女集団の埴輪が大量に出土している。
古代の大王はそういう巫女集団と一体だった事がこれでよく分かるのさ。恐らく男女一体で、吉凶はそういうシャーマンが占っていたのだろう。
魏志倭人伝東夷条にも、同じような記述がちゃんとあるじゃないか。
587 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:15:07.10 ID:aFfwrpeU0
>>548 本居宣長のような大学者も私心には勝てませんでした
588 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:15:16.26 ID:bs8RQkZQO
本物は熱田宮にあって沈んだ方が宮中祭祀用のレプリカ・・・の方が丸く収まる。
589 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:15:42.03 ID:UB5R2+mNO
九州説は確かに有りだとは思うけど、佐賀は無いわ佐賀は
590 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:15:48.19 ID:I79pifu80
中国人 「名前を言うあるよ」
アメリカ人 「マイケルです」
中国人 「魔異蹴だおまえ」
諏訪は今でも中央に湖があるけど、
昔は、もっと大きかったとは伝え聞く。
湖の南側に諏訪大社よりも古い信仰の守屋山があるが、
日当たりの良い湖の北側が開発されたのは後のことで、
狩猟時代には湖の南側に住んだんじゃないかと。
592 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:16:25.83 ID:SJmBBo7x0
>>445 その通り。隋の時代の中国語頭子音には全濁(日本語で言う濁音)、次濁(m,nで始まる鼻音)、
全清音(無声無気子音)、次清(無声有気子音)の4種類の区別があったが
唐の玄宗皇帝、楊貴妃の時代以降全濁が段々消滅して
今日の北京官話(普通話)では全濁平声が陽平(第2声)に
全濁上声が去声に変化した。
北京官話ではフランスのパリとインドネシアのバリの発音を区別しない。
日本の漢字音読みは古代の清濁を保存しているけれど近年のNHK的標準語では
濁音の清音化がすすんでいる。
例えば依存イゾン→イソン、河川敷カセンジキ→カセンシキ
大和国(邪馬台国)がどこに所在していたにしろ、
7世紀に東方の日本(ジッポン、JAPAN)に滅ぼされたわけだからな。
このスレでは大和と日本を同一視している人が多いようだけども・・・
594 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:17:48.07 ID:66Tol1Ab0
>>577 朝貢なんてそんなもんだ
建前として須らくそうなって居るので、そんなのにコンプレックス感じる方がアホ
国益だから朝貢するなんて常識、現代日本でいえば対米追従
批判もあるが、自主独立よりはるかに増しってもん
>>591 アホか。もっと小さかったんだよ。
湖底には住居跡の遺跡があるわ。
いいかげんな事を言うな。
596 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:18:53.06 ID:3KXFLIj/0
>>250 数字の話してるんじゃじゃないっつーのw
やっぱ文系バカは駄目だな…
だから地元をを邪馬台国と言い張るとか学問以前のバカ論争
してても恥ずかしくないんだなwww
ど素人の素朴な疑問なんだけど、
邪馬台国や卑弥呼って間違いなく日本の話なの?
598 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:20:45.49 ID:bs8RQkZQO
>>590 中国語なのに訓読みを使うやつは李筴振と金克栄だけでいいw
アメリカに関して言うなら、
米国の州は連邦政府の属国なのか、
日本はアメリカの州になったほうが良いのか、
って話になりゃ、いまのがいいやって話で、
経済圏の世話役を英国がやっても日本がやっても角が立つけど、
共和制のアメリカがやるぶんには、意外と話が上手くいく。
中華帝国と貿易を求めた欧州の使節は、
皇帝に対して臣下の礼をとるように言われてたけどまあ、
もともと中華は、そうやって寛容に周辺国の中心を務めてた、
って面もあることはある。
このスレで現代発音や当て字を元にレスしている奴は例外なく低知能もしくは低学歴。
601 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:22:05.06 ID:GKA6zbWU0
大和と邪馬臺国が別物なんぞ、それこそ戦後の妄想の産物さ。
九州?大和が支配権広げるに従って、権威付けのために、遠くに先祖の地を持っていっただけだよ。
最初は大和盆地の小山が天孫降臨の場所だった。
恐らく大和三山のどれか。香具山あたりかな、名前からして。
>>405 吉野川があるよw
それに行幸で何度も滝見に行ったりしてる
記紀万葉を読めば川よりも山の信仰がやや強いのがわかるから川がないのに云々言うのは潜りとしか思えん
604 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:22:51.87 ID:UB5R2+mNO
>>588 確かにその方が丸く治まるわな
壇ノ浦に沈んだ鏡と勾玉は後でサルベージ出来たけど
剣が回収出来なかった説は昔からもっともらしく聞くけど
実際はどうなのか誰も分かんないしなぁ
605 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:23:13.89 ID:qwZai5P30
ぶっちゃけた話、朝貢と言っても大陸の持ちだしの方が多くて、実質経済援助だったようだね
>>600 えー、博多弁で「ヤマトたい」と答えたのを「ヤマタイ」と聞いてしまった説は無し?
610 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:25:20.35 ID:3KXFLIj/0
>>597 そういう素朴な疑問が重要
多くの文献をあたれば邪馬台国が日本に無いのが分かる
自称専門家は出発から間違ってるし自家撞着もいいとこ
だいたい、地元を邪馬台国と主張するとか学問以前。カルトw
611 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:25:34.27 ID:bs8RQkZQO
現代発音をもとにするなと言っても、邪馬台の場合上古音でも中古音でも
ヤマタイから大きく離れないはずだが。
612 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:25:57.35 ID:aFfwrpeU0
>>602 神武東征の際や祟神に時代には川の畔で重要な祭祀が執り行われていたとも思います
613 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:26:39.19 ID:T2eUtY21O
>>570 台から壹への誤記てあんのかな?ですよね
しかも初出ほうから誤記とか
通説です!
壹から台が普通だと思うよね
壹與とかさ
614 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:26:51.04 ID:4W2w5WeA0
>>607 山笠の説明でしたんだろ
「あれなに?」、「ヤマタイ!」とか
八紘一宇
>>604 そのころには既に、鏡の本体は伊勢に、剣の本体は熱田にあるってのが共通認識だったわけだし、
ご動座の剣は確実に写しだったと言えるね
617 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:27:42.34 ID:sG68Wgmy0
>>596 >朝鮮とか韓が今の位置なのは14世紀から。
めちゃくちゃだぞ。
>例えば百済なんか、済州島まで船で三月と随書や北史に
>はっきり書いてあるが、(其南行三月有耽牟羅國 随書、百済伝)
>今百済があったとされる半島の南からは
>済州島はせいぜい2日
起点はどこなのかと航法の違いなどをふまえて書いてるの?
618 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:27:45.71 ID:6jOYWy5d0
>>610 そんな大事な「国」なら、記紀に書いてるわなw
記紀にまったく書かれてない、それが答えかな
>>606 そう、皇帝は国内向けに自己の正当性を示すために外国の力を借りる必要があったから
お前ら、ほら、外国人は俺を皇帝と認めてるぞ、やっぱり俺は皇帝なんだ、エヘン、というわけだ
620 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:28:52.11 ID:GKA6zbWU0
朝貢が大陸の持ち出しって。。。
持ち出しどころか、顎足つきだよ。道中の食い物も宿泊所も全て支那王朝が用意する。
そのうえで、「朝廷」で、四周の蛮族が「皇帝の徳」を慕ってきたと国内宣伝する。
今でも日本の議員団が行くと、宿泊費無料なのさ。
要するに、先日北京に行った売国奴河野洋平のようなのを、朝貢って言うんだよ。
>>610 邪馬台国が日本に無かったとなると、
現在50歳以上の大学教授クラス数百人の人生と職が無に帰すんです。
だから学会は絶対に、宗教的なまでにそんなことは認めません。
つか、畿内説と九州説だって、どっちが優勢とかシーソーゲームやってるけど、
あれって別に学術的な優勢じゃなくて、学閥的な優勢だしね。
邪馬台は中国の当て字で大和、ヤマトと同じなんだろ
623 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:29:04.32 ID:aFfwrpeU0
>>601 >大和と邪馬臺国が別物なんぞ、それこそ戦後の妄想の産物さ。
そうですね、戦前の右と様子が違い、戦後の右の方に多いです
曽根遺跡なんて水深二メートルじゃん。
広さと深さは違うんじゃないか。
625 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:29:51.43 ID:UB5R2+mNO
>>597 呉音(三国志や呉越の呉国の発音)で読むと邪馬台は
ヤマトゥに卑弥呼はヒメゴになるって聞いた
あとホコト国はハカタになるとか
626 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:31:26.88 ID:bs8RQkZQO
そもそも文明は大河の側という考え方自体古いし、よしんば認めるにしても、
その考えの元になった大文明の河川に比べれば筑紫次郎だろうが道頓堀だろうが
小川の流れなんだから日本には当てはまらん。
>>618 つ高天原
ただし天孫は、末子相続の時代の長男の家系、つまり傍流なので、
邪馬台国の正統ではない
628 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:32:42.18 ID:GKA6zbWU0
優勢も何も、邪馬台国畿内説は、もう学会の定説だよ。
ごちゃごちゃ言っているのはみんな外部の素人。未だに九州説唱える奴なんて、みんな気狂いばかり。
>>628 魏志に載ってる遺物が九州より全然少ないんだけど?
630 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:34:02.64 ID:T2eUtY21O
トとツとイが被りやすい
都怒我阿羅斯等はツヌガアラシトで
都はツだな
631 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:34:27.92 ID:bs8RQkZQO
>>613 実際に誤記かどうかは知らんが、台の旧字は臺だから間違う時は間違うんじゃね
>>628 お前みたいな奴がゴッドハンドに騙されてたんだろうなw
633 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:35:23.39 ID:GKA6zbWU0
ね、気狂いが出てくるでしょw
誤記って原本からの模写の際に起こるものじゃないの?
635 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:36:03.67 ID:aFfwrpeU0
>>630 >ツヌガアラシト
色々な形に仮託されていますが、邪馬台国を語る上で外せない重要要素です
636 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:37:42.24 ID:lHZ5LPMX0
遺跡発掘は神の手に任せとけ
637 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:38:18.00 ID:sG68Wgmy0
>>632 ゴッドハンドへの批判が小さかったのは、大学の研究者は民間研究者の研究を重視しないというマスコミも含めた
反権力志向の素人たちの世論が圧力になったようだが。
638 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:38:40.10 ID:aFfwrpeU0
>>627 もっと詳しく書いてあげないと618さんはチンプンカンプンだと思います
639 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:38:51.76 ID:bmRAMG6Y0
>>629 まあ、これが真実なんだが・・認めたくないんだろ?
640 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:39:27.87 ID:bs8RQkZQO
そりゃあ陳寿さんが参考にした元の文書があんだろよ。ご本人が使者になり
レポートをしたためたたわけじゃないんだし。その文書を確かめる術はないが。
>>634 俺も当然本当のところはわからんけど。
邪馬壱の壱は台の誤記ですよ、って学校で習ったんだが、なんで初出の原本が誤記ってされるのよ、
って疑問はずっとあってね。
台ってことにしたい人たちがいるんじゃないかって勘ぐってしまうw
それが重要なことなのかどうかは、まぁおいておくが。
>>612 そうだね
昔は動きが激しかったりゆらゆらしてるものが神秘的だったらしい
まあ上代では川や山に行って魂振りしてくるアニミズム信仰で、邪馬台国のあった時代は巫女の神託が第一という点では文明云々というのはずれてると言いたかったんだすまん
そもそも皇族は男系の伝統あるからって、
宇宙の始まりから男系が続いてきたわきゃないわけで、
そもそもの始まりをたどれば皇族の始祖は天照大御神の命により天下られ、
ってのは皇族の男系始祖の起源神話って考えるのが自然なんだけど、
戦前だって分ってたんじゃないの。
文献だけじゃなくて文化人類学とかもやってたでしょ。
644 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:40:29.68 ID:+xw3/MdS0
>後期(1〜3世紀)は、周囲2.5キロにおよぶ国内最大規模の環壕内に、祖霊を祭
>る大型建物などが立ち並ぶ区域「北内郭」と、物見やぐらや首長などの居住区が集まる
>「南内郭」が確認された。
これすごい発見だよね
倭国大乱があった証にもなる
卑弥呼
ホントは
日の皇女
これマメな
日出国だもの
中国人ってほんとにやな奴ばかり
現在、九州説を唱えている学者はほとんどいない。
日本の考古学会がFW能力が弱すぎるのが痛い。
文献検証の方に偏りすぎるので、科学的な発掘調査結果を軽視しまくるし、
欧米の学者が参加するのも極度に嫌う。
結果、脳内でひらめいた「学説」に都合のいい発掘結果を当てはめることの繰り返し。
考古学のあり方としては1世紀遅れている。
649 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:43:08.56 ID:sG68Wgmy0
>>639 畿内説だと西日本の大半となる広域だが、当時は九州だけでも幾つかの文化圏が想定
されている。
こういう話になるとどういうわけか古代はモノカルチャーだという考えしかできない人が多い。
民間の九州説の多くは吉野ケ里発見から注目し始めたからな
研究者は初めから吉野ケ里は邪馬台国じゃないと知っていた
故に民間の九州説の爺さんは若い時の安保運動失敗がフラッシュバックして引く引けなくなってる
あと
倭国
ホントは
和国だよ
中国人ってほんとやな奴ばかり
マインクラフトで再現してみたいな
654 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:44:24.73 ID:T2eUtY21O
>>635 面白いのはさ
やっぱり、記紀を編纂した人は倭人伝を読んでるんだよな
一応、とぼけてるけど
このツヌガアラシトが登場する下りで
ここぞとばかりに伊都国王を出してる
わざわざ倭人伝と同じ表記でさ
これがほんとの御都合主義
でもイト国の解説の下りでは
もともと岩戸と書いてイト読むなんだそうだ
これじゃ誰でも天岩戸を連想しちゃうしね
>>647 そりゃまず文献を掘れを地でいってるからな、今更方法変えろって言われても堅物には無理
656 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:45:23.24 ID:bmRAMG6Y0
>>647 そうだよね。
実質の発掘の結果がおざなりになる感がある。
657 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:46:58.71 ID:SJmBBo7x0
三内丸山凄いぞ
縄文時代の青森にこんなものがと驚く
古代人は想像以上に凄いし発達してた
>>4 充電式で、暗くなったら付くとかならいいんだけどw
660 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:50:55.26 ID:GKA6zbWU0
三内丸山自体は木で出来た史跡だからね。
これが石でできていたら、世界史に轟く古代の史跡になったろうとは、よく言われている。
>>577 いや、嘘ってことではないし、昔の中国は今の中国とは全然違うよ
そもそも別の国だし。昔は今の中国の場所を支配した奴がアジアの盟主としてよくも悪くも機能してた
それをずっと同じ国があったかのように教えてる今の歴史がおかしいだけ
662 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:51:53.47 ID:aFfwrpeU0
>>654 >記紀を編纂した人は倭人伝を読んでるんだよな
ええ、その通りです
神功皇后を時代的に無理な卑弥呼に比定させようとしていますね
ただし、神功皇后の様子は卑弥呼の伝承でも残ってたのかと思わせるくらい
百襲姫よりも情景豊かに記されているように思えます
昔の学者は文献を各々勝手に解釈・推理してた。
素人と同じだが、これがブームになった。
今では、同年代の墓がある奈良県以外はありえないことは学者はみんな知っている。
664 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:52:15.17 ID:3KXFLIj/0
>>617 航法の違いてお前w
今、百済があったとされてる半島の先っちょから
どうやったら済州島まで三ヶ月かかるんだwww
地図読めない女かよw
665 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:52:36.14 ID:ls1K7AFG0
>>654 記紀を編纂した人は全てを知っているけど
全てを書けない人なんだよね。
邪馬台国は九州にあったのは知っているけど、
ガン無視するか、神話で天皇と関連があるようにしか
書けなかったこと。
それ以上に具体的なことを書くと、当時の人の記憶でも
記紀が嘘を書いているとばれてしまうから。
>>658 それも日本考古学会の大罪のひとつなんだよなあ・・・
本来、古代日本には数多くの政権や文化があったのに、
どうしても一つに拘泥して邪馬台国ばかりクローズアップしてきた。
その考古学会の姿勢が反映されてきたのが教科書な訳で、
大半の人が日本の古代文化に単純なイメージしか持って無い。
九州、機内、尾張、東日本はそれぞれ異なった文化と政権があったのに、
ヤマト朝ー邪馬台国ばかり。
奈良が邪馬台国なんて、大阪民国にそそのかされた関西キムチ学者共の
陰謀だろう。何でも強奪。九州学派も東大もんなもの認めてはいねえw
自己中解釈で魏志倭人伝や出土品を勝手に結論つけてやがる
668 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:55:10.39 ID:aFfwrpeU0
>>654 ちなみに橿原考古でも分析してると思いますが
巻向の館の方向が、ツヌガアラシト(仮託)の祭祀地で知られる個所を
向いてる可能性があります
元、その祭祀地は別の神の祭祀地であったと思われますが
669 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:55:42.78 ID:+xw3/MdS0
この時代の2chってどうだったの?
671 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:56:37.32 ID:sG68Wgmy0
>>664 やっぱしわかっていない。
大体史書の行程の起点は主要都市やその近隣の港だ。
>半島の先っちょから
これがダメだな。現在のソウル辺りから川を下って海岸に出て、沿岸を寝泊りしながら南下して南岸の主要
な港に行き、そこから目的地の島まで行く。
672 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:56:43.45 ID:T6zcwffJ0
日本書紀だと卑弥呼は神功皇后としている
時代考証的にも200年代で一致しており
神功皇后の夫仲哀天皇崩御201年から
その子供応神天皇即位270年まで天皇不在期間であり
その空白期間に卑弥呼=神功皇后が大和朝廷の後継者として
政権を執っていたと記されてある
しかし応神が生まれたのが200年である事から
その即位時は70歳であり崩御時は110歳を超え
次の仁徳天皇に至っては143年も生存したとされ完全に破綻している
これは応神天皇が若いうちに仁徳天皇を誕生させてる事により生じている
この不整合の原因はこの時代に王朝交代が起きて政権に都合良く編纂された可能性が高い
つまり応神天皇の母が神功皇后でなければいけない理由
逆に考えれば201年に応神天皇が誕生したのでは無く
即位270年より数十年前に誕生すれば仁徳天皇の矛盾は生じなくなる
魏志倭人伝によると卑弥呼=神功皇后が248年に没した事を考えれば
時系列的に神功皇后は応神天皇の母ではないという事になり
これは応神天皇は大和朝廷の正統後継者では無い事を意味する
つまり応神朝は270年前後に神功皇后の後継者台与から政権を簒奪して誕生
簒奪を隠蔽するため神功皇后は応神天皇の母であるとし
正統な大和朝廷後継者になるために歴史を改竄したのである
673 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 02:57:33.79 ID:h9pZ7euN0
>>666 文献が全てだと考える頭が固くて地頭が悪い馬鹿が
学者やってるからそうなるんだろうねw
>>661 血統も入れ替わってるしな
後漢以前の漢民族は黄巾の乱から三国時代にほとんど絶滅してるし
>>647 古代史の准教授が言うには、東大の過去の偉い人が唱えた学説を変えようとすると学会から異端者のレッテル貼られて締め出されるのが
原因らしい。みんな出世したいから完全な証拠がでるまではなかなか異をとなえられないって
676 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:00:27.22 ID:ls1K7AFG0
>>660 もともと、あの時代はいまよりずっと温暖化していて
海面も高かった。西日本は、風土病が蔓延する
亜熱帯みたいなところで、人が快適に住める場所ではなかった。
>>666 記紀が編纂された時代でも、関東から北は大和朝廷は掌握していなかった。
また、倭の五王や白村江の出兵から、北九州は拠点化していても、
南九州が掌握されたのはずっとあとのこと。
677 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:00:53.94 ID:u4ldfLwr0
吉野ケ里の発見がもっと遅ければ
壱岐の原の辻遺跡はもっと注目されただろうに。
678 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:00:58.58 ID:JgRKpGL60
>>675 宮崎市定が日本古代史に首を突っ込んできたとき、
徹底的に無視されてショックを受けてたな。
679 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:01:20.99 ID:GKA6zbWU0
まあ、神功皇后の伝承は、間違いなく2代目の台与の伝承だけどね。
中国から九州にかけて、この神功皇后の伝承がすごく多いんだけど、みんなその地域名に「豊(トヨ)」がつくんだよね。
しかも、朝鮮半島の人間が九州北部地方をそそのかして大乱を興した、というのも何故かみんな共通している。
そのために大和から中国・九州に族を退治に皇居ごと移動したと。
その他にはやっぱり三内丸山だな。まだ1/4くらいしか発掘されていないし。
東北にはまだまだ有るよ。三内丸山クラス。発掘されていないだけで。
吉野ヶ里も好きだが、西都原古墳群も好きだなぁ
681 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:02:32.86 ID:aFfwrpeU0
>>666 考古学のおかげで、その九州、吉備、尾張、東海と狭義の葦原中国との関係や
物流等が分かってきましたよね
>>672 時代考証的とは何の時代考証的ですか?
683 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:03:51.84 ID:+xw3/MdS0
豊葦原福島瑞穂国
>>672 歳の数え方が違う説なかったっけ?
1年で2歳、歳をとるから100歳は本当は50歳とかいう
>>676 関東どころか、尾張氏に対しても単なる同盟国としての付合いだったものな。
実際のところ、6世紀くらいまではヤマト朝は有力勢力の一つでしかなく、
その後ヤマト朝が支配的になるにつれて、他国の記録と記憶が薄れていった感じ。
>>681 さすがにたったそれだけの成果じゃコスパ悪すぎ。
給料分の仕事をしろと言いたい。
686 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:07:42.23 ID:3KXFLIj/0
>>671 ホントに地図見てないみたいね
もしくは自己催眠でも賭けてるのかw
なんか韓国人が自らのルーツを高句麗とかにしたいからって
帯方郡を平壌あたりとか捏造してるのに似てるなあ
帯方郡はもっと遥かに北で満州あたり。現代の朝鮮人の祖先
エベンキ族とは人種からして全く関係無い
日本人が捏造民族のマネしてどーすんの
687 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:08:34.83 ID:aFfwrpeU0
>>679 豊ウケ姫(丹後)、豊スキ入姫(祟神皇女/ヤマト)、豊ミホ姫(天村雲の嫁/ヤマト)
台与でもギリギリというところですか
688 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:08:46.82 ID:sG68Wgmy0
>>686 単純に地図しか見てない君は季節風と船旅の関係とかは考えないようだな。
689 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:10:40.87 ID:4NdOJV300
家が吉野ヶ里に近いから何度も行ったけど、出土物はガラクタばっかで
邪馬台国の可能性は極めてゼロに近いよね
そもそも九州には無かったと思うな、卑弥呼はマキムクにいたんだろう
宇佐とか宮崎の方がまだ可能性は高いよ、それでも奈良とくらべると
可哀そうなレベル
690 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:10:55.92 ID:YJS0lD3v0
徳川埋蔵金は出たのか?
691 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:11:03.34 ID:M3S6L43p0
うむ。
692 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:11:08.45 ID:3KXFLIj/0
>>675 もう日本の考古学なんか学問でもなんでもないな
カルト宗教だわ
よく経済学を疑似科学みたいに言うけど、日本の考古学はそれ以下
693 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:11:16.55 ID:sG68Wgmy0
>>686 ああ、お前は東亜板にいたなw
もしかして高句麗は平壌に首都を置いていない。
満州の北部に兵を出すには不合理だとか言っていた奴だなw
694 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:11:34.92 ID:M2Su3YHT0
ほう ついに決着が着くのか?
ドキドキ
>>694 残念ながら新たな遺跡でも出てこない限り永久に決着はつかない。
696 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:13:22.06 ID:Rs6YsloqO
歴史古い順
難波京(大阪市)(仁徳天皇など皇居)大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われそれは大化元年〜平成24年の今も続いている 日本仏教初の寺は聖徳太子の四天王寺(大阪市)
平城京 奈良
平安京 京都
東の京 東京
江戸城をつくったのは摂津源氏 徳川は河内源氏
697 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:13:32.94 ID:3KXFLIj/0
>>688 もういいよw
恥かきまくりんこだぞオマエw
698 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:15:11.83 ID:bmRAMG6Y0
>>646 ??
結構いるっぽいが。
逆に祭り上げられた畿内説に警鐘というパターンが多そうだが・・
例えば、東京−大阪間という場合、
東京の端から大阪の端でなくて、中心部から中心部の話だとは思うぞ。
700 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:18:13.56 ID:3KXFLIj/0
>>693 ハア?平壌の事なんかどこに書いてあるんだよゆとり
帯方郡の事しか書いてないぞ?なんだ東亜板とか知るかそんなもん
捏造エベンキなのお前?
701 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:18:21.09 ID:GKA6zbWU0
初代より2代目の方が偉大だったんだけど、魏志倭人伝で卑弥呼が喧伝されたために、台与が見えなくなってしまったんだろう。
伊勢神宮でさえ、外宮は豊受姫(台与)で内宮はアマテラスだし。この二人が卑弥呼と台与だというのは、先ず間違い無いだろうけどね。
でも多分、日本という国家の基礎を築いたのは台与の方。箸墓古墳も恐らく台与の権力で作らせた。
702 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:20:36.16 ID:ls1K7AFG0
畿内学派の人に言いたいけど、
奈良に高度な古代国家があったのは誰も否定していないよ。
ただ、それを無理やり魏なんてシナ史では
弱小国レベルの史書に無理やりこじつけないでよ。
それこそシナ・コンプレックスだろう。
シナの史書に載っていなくても、堂々と高度な古代文明を主張すればよろし。
だいたい、魏志倭人伝の記述でも邪馬台国はしょぼい国だよ。
所詮、北九州の弱小国を束ねていた程度の国。
そんなものと、天孫を結び付けないでくれ。
真の天皇家が穢れる。
しかし、倭人が倭人伝を読むなんて可能だったのか?
こういうものって市中に出回るものなの?
704 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:22:31.92 ID:T2eUtY21O
倭京=大津京が異彩を放ってる
705 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:22:38.79 ID:FEvbHfisO
真実はすべて天皇家が握っている
それが天皇家を神聖たらしめてる由縁
706 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:23:15.17 ID:43iJoeZlO
>>411 オリジナルに近いし霊的パワーが強いのでは?w
女王が統治している邪馬台国ってのが、
そもそも異邦人だった中国人の勘違いじゃないのか。
もともとヤマトの部族も母系社会で、
部族の母から生まれた兄弟姉妹たちで成り立ってて、
通い婚や婿入りしてたのが、嫁取りするようになって、
男系氏族化して皇族が成立したんじゃないの。
でも日の巫女は、皇族から出るようになったんで、
伊勢の斎宮は皇族の女性が務めたとかさ。
ネパールじゃロイヤルもローカルもクマリいるけど、
クマリ女王国って言ったら、それは違うでしょ。
708 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:25:09.81 ID:sG68Wgmy0
>>700 別人でもかまわないよ。論旨に文体や性格が似た奴がいたんでね。
>例えば百済なんか、済州島まで船で三月と随書や北史に
>はっきり書いてあるが、(其南行三月有耽牟羅國 随書、百済伝)
>今百済があったとされる半島の南からは
>済州島はせいぜい2日
>其南行三月有耽牟羅國 随書、百済伝
>済州島はせいぜい2日
それぞれ起点とどのような船を用いどのような航法をしているか書いてくれないか。
709 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:25:38.63 ID:6awkS4XjP
天皇家のところ掘ったら朝鮮のものが出てくるから掘らないって聞いた
>>709 それは違うよ
天皇のルーツは後進国の朝鮮じゃなくて先進国の呉だろ
むしろ半島の南部を掘ると、
日本の遺物が出てきちゃうから埋めてるでしょ。
新羅が唐との同盟で、
倭人を追い出して百済を滅ぼし、
高句麗も撃退したんじゃないの。
>>709 朝鮮関係ねぇし、墳墓を荒らすことを許すわけ無いだろ何の為の墓守だよ
713 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:28:10.22 ID:bs8RQkZQO
>>700 てか逆じゃね?
日中の学者が帯方は当然に朝鮮半島と主張し、朝鮮人が中国による支配の歴史を
否定するため楽浪や帯方は朝鮮半島ではないと主張する。
長江流域(倭族)→北九州(ヤマドゥ国)→近畿(ヤマト)
天皇は渡来人の共立された中国人
もしくわ縄文人の祭祀王(姓が無い為)
715 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:29:07.12 ID:43iJoeZlO
716 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:29:42.71 ID:t01Ia+nb0
吉野ケ里遺跡行ったことあるけど広かったなあ・・
見るだけでもなかったし、あちこち触れたし
遊ぶものもあって意外と面白かったよ
717 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:30:41.54 ID:GKA6zbWU0
> 天皇家のところ掘ったら朝鮮のものが出てくるから掘らないって聞いた
ふむ。
これを「誰が」言って居るのかというが一番の問題なんだけどな。
どうせ朝鮮半島の倭国由来の遺物を片っ端から埋めている連中と同じ「ミンジョク」だとはわかっているけど。
母系部族者から男系氏族社会への変化って、
何が違うかと言うと、通い婚や婿入りだったのが、
嫁取りに代わるだけなんだけどね。
文化的には大きな変化にはなるわな。
皇族に氏族名が無いのは、それ以前の流れにあるからでしょ。
氏族として渡来したなら、氏族名を名乗るはずだし。
ちなみに半島も古くは独特な名前を名乗ってたらしいけど、
やっぱり男系始祖の起源神話とかがあって、大陸風の氏族名を名乗ってるわな。
ただ氏族発祥の地である本貫もセットで保ってるから、基本的に半島発祥なんだろう。
719 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:33:21.21 ID:ls1K7AFG0
>>703 記紀の編纂者は渡来人。
当然、魏志倭人伝も読んでいるし、
当時の天皇から、こことここをアレンジして権威付けしてね。
という注文は受けている。
ただ、当時の大和朝廷からみて、
シナの史記で言及されていないのは、国家の正統性上問題があるので、
北九州にある邪馬台国と大和朝廷の関連性をほのめかすような内容にしただけ。
当時、ツイッターがあったら、編纂者が、
「大和朝廷うざ、捏造バレバレ」と発言するような状況だと思うそ。
それはどこの古代国家も同じ。シナだって本当の歴史がわかるのは
王朝が交代してから。
720 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:33:59.24 ID:GKA6zbWU0
>>714 残念だが、当時の長江流域から来た連中なら、当然支配階級なら漢字を扱えたはずだという、常識以前の発想が完全に抜け落ちている。
721 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:37:37.08 ID:TvuLdDgQP
邪馬台国は当て字であり、本来ヤマト国と発音する。この事から大和朝廷の前身であると予想出来、卑弥呼は火の巫女、天照大御神であると推測される。
古事記で大国主がスサノオのところで、
相思相愛になった姫のとこに居着いたけど、
スサノオに意地悪されてたじゃん。
あれ通い婚や婿入りの状態でしょ。
部族の女性から生まれた子供は可愛い部族の子だけど、
男は小さくなって意中の女性の「伯父さん」に気に行ってもらえないと、
追い出されちゃうんだわな。
んでもって、同意を得ないままの駆け落ちというか、
部族社会的には略奪婚して、自分の部族を持った大国主は、
大活躍してあまたの諸部族を従えましたと。
723 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:39:28.78 ID:aFfwrpeU0
>>701 倭国大乱の前の卑弥呼の時代にもかなり礎は築いたと思いますよ
大市姫(百襲姫)を卑弥呼に見立ててるわけでしょう
記紀の記述通りだと、あれだけ出雲や倭の神様から色々ダメ出しの神託が降って
その通りにマツリゴトの基礎を築いたわけですから
725 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:41:57.41 ID:4NdOJV300
隋書に大和は魏志で言うところの邪馬台なり、って教えてくれてるやんか
畿内大和=邪馬台国なんだよ
726 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:42:08.89 ID:sxAisalNO
>>707 結局、政治はヒミコの弟がやってるわけで、
弟が王として普通に男系継承していて、
その身内の女性が祭祀を司ってたんでしょ?
それ以外に独身を保つ理由がない。
クマリは退任して結婚もできるので制度が違う。
ヒミコ方式は沖縄(琉球)の「聞得大君」と全く一緒。
727 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:42:52.00 ID:sG68Wgmy0
ああ、そうそう。
>>671にソウル辺りと書いたが、隋書なら漢城喪失している時期で熊津か。
三ヶ月には陸行も入っているな。
>>720 卑弥呼の時代に漢字入った鏡のレプリカ作って全国にばら撒いてるぞw
そもそも中国人も大勢いて交易してたのは確実なんだしw
つまるところ古代からの流れで、
部族の女性が他所の男性と仲良くなって、
生まれてきた子供は部族の一員となり、
部族の女性たちが主体となって、
祭事を行っていたのが原型じゃないかと。
そのマツリゴトを実質的に仕切るのは、
巫女の伯父さんや兄弟たちだったところから、
通い婚が嫁取りに変じて男系化し、
男系化した皇族の女性が巫女を務めた、
って形に変化したんじゃないかと。
730 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:46:43.60 ID:6awkS4XjP
卑弥呼は在日だから隠したいんじゃないの?
731 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:47:33.81 ID:4NdOJV300
>>702 邪馬台国までの道中、伊都だの松浦だの奴国だの超ド田舎で記されているよね?
それにひき換え卑弥呼のおわす邪馬台国の壮大さは大宮殿に常時1000人の召使に
人口では九州で記されている国々の総和よりも遥かに多いんだよなあ
だから日本の田舎が紹介されているとこだけを見て恥かしいといってるようなもんだよ
732 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:47:53.56 ID:ls1K7AFG0
>>721 逆に考えたほうがいいよ。
大和朝廷は本来は「ほにゃらにゃらのくに」だけど、
これじゃ、シナの史記に登場しない。権威付けができない。
そうだ、シナの史記には北九州にあったヤマトという国の記述がある。
その国は今は滅亡しているらしい。
それなら、その名前を使ってしまえ。
大体、ヤマトって、大和なんて仰々しい当て字を使っているけど、
本来は「山戸」といい、どこでもあるようない一般的な地名なんだよ。
卑弥呼=「日巫女」と同じように一般名詞。
大体、畿内に行く前に、出雲や吉備の記述が全くないという理由で
魏志倭人伝は瀬戸内海を渡っていないんだよ。
733 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:48:44.57 ID:tK5OVBDPO
問題は天皇が渡来人だとするとなぜ姓が無いかだな
渡来人なら誇らしげに姓を名乗るはずなのだが
なぜか日本の皇帝にだけ姓が無い
だから佐賀じゃないって
736 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:50:11.70 ID:csa7blDC0
隋書
成立636年(唐の時代)、魏徴ら
「夷人不知里數、 但計以日。其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。
其地勢東高西下。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」
都はヤマトで魏志でいう邪馬台である
天皇家に金印が伝わってないから邪馬台国=ヤマト王権ではないだろ
邪馬台国は九州から近畿に東遷したんだよ
甘木→日向→熊野→大和のルートで何十年かけてね
地名とか地形や位置関係が怖い位ピタリ一致してるのがその証拠
きっと故郷の名を散りばめながら進んでいったんだと思うよ
漢字で言うなら、
姓は女の生まれと書くように、
もともとは母系部族の名前なんじゃないの。
それがやがて男系氏族化して、
これはつまり氏を名乗るようになると。
日本の場合は姓も氏も大陸から制度として導入した、
って経緯があるんで、なんだかよく分らなくなってるけど。
もともとあんまり厳格じゃないんで、
同じ氏族でも離れて住んでれば独自の名字を名乗るようになって、
さらに江戸時代になると、士族待遇以外は屋号を名乗るようになったんで、
現在の日本で姓とか氏とか名字って言うと、
実は屋号の感覚に近い。
大陸や半島の人が日本に帰化する時、
うっかり本名の男系氏族名で帰化しちゃうと、
屋号として扱われるからトラブルになる。
740 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:54:41.92 ID:T2eUtY21O
「オロチ族は手強いわ〜」
「あいつら宴を開いてるぞ?神在り祭だって余裕だな!」
「ここは我々、九州勢も酒でも持っていって和解しよう!」
「な、なんだオロチ族は酒弱っ!勝てんじゃねえの!」
742 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:57:41.45 ID:csa7blDC0
隋書
成立636年(唐の時代)、魏徴ら
夷人不知里數、 但計以日。其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。
其地勢東高西下。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
都は邪靡堆(ヤマト=大和)にあり、それは魏志でいう邪馬臺である
隋書を信じるなら大和=邪馬台なのはあきらかだ
743 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 03:59:37.52 ID:43iJoeZlO
>>647 むしろ外人の方がちゃっちゃと関連部を発掘して
すぐに結論を出しそうな気がするw
744 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:01:21.63 ID:ls1K7AFG0
「やまと」=「山戸」=「山の入り口」
どこでもあった地名
745 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:03:44.60 ID:+xw3/MdS0
746 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:07:11.28 ID:ls1K7AFG0
山戸町でぐぐれよ。
747 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:08:28.48 ID:07o36I2MP
Java台国?
親爺狩り遺跡
749 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:13:17.69 ID:43iJoeZlO
750 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:17:17.11 ID:9qGctKdlO
>>743 君はリアル世界をわかってない。
この論争は答えを出しちゃあダメなんだよ。
九州のアホ住民は信じちゃってるからね。
今さら「補助金欲しくてでっちあげちゃいました」なんて言えないんだよ。
佐賀県なんて吉野ヶ里遺跡があるおかげでどんだけ潤ってるか!
あんななんもないダメダメ県でも現地人は佐賀に誇りを持って生きてる。ご理解ください。
751 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:18:50.58 ID:3RCCgFfa0
アルキメデスが地球儀を持っていた時代に
日本人は文字すら持ってなかったのだ。
>>742 それだと近すぎるんだよ
記述の通り進むと大和は通り過ぎる
したがって邪馬台=八幡平なのはあきらか
近畿説も九州説もどっちもおかしいのはさ、なんで邪馬台国がそのまま大和朝廷に拡大していったと考えるのかってことだよ
邪馬台国にしても、国々が乱れて卑弥呼を共立してただけだし、卑弥呼の死後は内乱が起こるような不安定で脆弱な組織
周辺を支配してただけで他の土地とも戦争をしてる段階
そこから200年経って同じ国が滅びたりどこかの傘下に入らずにそのまま統一王朝まで発展するって考えるのは
ちょっと無理があるんじゃないかと思う
754 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:27:18.34 ID:SJmBBo7x0
>>625 >あとホコト国はハカタになるとか
それは都市伝説にすぎない。
日本語の発音変化の歴史とホコトの原文「好古都」の中国語発音を比較すればすぐに判る。
現代語で馬の啼き声は「ヒヒンhihin」などと書くけれど日本語の
ハ行子音がhになったのは江戸時代に入ってからのこと。
平安後期から江戸初期の上方ではハ行子音が両唇音のɸ(φ)でファフィフフェフォだった。
「いななく」という言葉からも判るように卑弥呼の時代の日本語にはhという子音は無かった。
現代日本語のハ行の言葉は邪馬臺国語ではパ行またはア行のどちらかである。
したがって現代語のハカタは邪馬臺国の時代にはpakata又はakataと発音していたというのが言語学的結論。
卑弥呼が女王として統治してた、
ってのは当時の中国人の理解でしょ。
皇族の女性が務めてた斎宮を、
先代が亡くなったんで弟が務めるとかって話になって、
いろいろともめた揚句に、別の女性が務めることになっただけじゃないの。
>>749 皇室の方々もすべてを把握しているわけではないから識者を読んでお食事がてら聞かれるそうだ
ソースは陛下からお誘いを賜った知り合いの元大学教授
古典文学にも精通しているそうだよ
>>754 それ真面目にいってる?
当時の中国語(魏)での発音がどうだったのかよく知らないけど、平安時代と邪馬台国の時代ってそれこそ700年離れてるわけで
平安時代の時点で既に変化してたと考えるのが当然でしょ。それに邪馬台国と大和朝廷がつながっているかどうかでその辺も大きく変わってくる
んだから、言語学的には全く分からないというのが結論のはずだけど
759 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 04:55:32.41 ID:sG68Wgmy0
>>753 記紀を読むと応神天皇辺りまでは再統一事業と読めるし、その後も内乱は絶えないくらい不安定だし。
この時期は統一王朝と言っても公地公民じゃないし。
織豊時代や江戸時代から律令の影響を抜いたみたいな。
春秋時代の周を王朝と認めないと言うかい?
760 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:12:49.83 ID:9qGctKdlO
よく難しい話を覚えてるよな。
俺は小学生の時に嵌まったが綺麗さっぱり忘れちまった。
九州説を信じて資料とか集めて楽しかったんだが
出土品の量とかクオリティーを近畿圏内のと比べるとね・・
都が九州→奈良に移行したという話すら怪しくなる。
理論は素晴らしいのに補則する物証がないというのはフラストレーションが溜まる
761 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:13:27.06 ID:4NdOJV300
>>753 豊臣方の家臣と領地を剥奪して天下とった徳川みたいな感じじゃない?
もともとニニギもニギハヤヒも魏から承認を受けていた邪馬台の傘下に入ってた?
実はニギハヤヒ王朝で卑弥呼が祭祀を担当していただけかも知れん
大陸混迷の影響で徐々に倭の国々も乱れ、それに乗じてニニギの孫が政権を奪取
それが武力によるものかどうかは謎、記紀では勇ましく書いてあるけどね
倭のてっぺんに立つ政権が卑弥呼の時代から大和に在り続けたのは間違いないと思う
762 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:24:10.46 ID:NapeErvw0
吉野ヶ里遺跡は車で2時間かからない距離だから何度か行ったことがある
ぶっちゃけあそこが邪馬台国であろうがなかろうがどっちでもいい
ただ間違いなく下手なテーマパークよりはるかに面白い
復元された環濠集落に竪穴式住居や高床式倉庫が山のようにあって
巫女がいたとされる大きな祭殿なんかもある
実物の発掘品に触れられるし(割れた当時の土器の欠片なんか本物に直に触れる)
季節によっては宿泊体験とか貫頭衣貸し出しとか銅鏡制作とかまだまだ色んな事やってるし行ってみたら相当楽しめる
まあ、興味のない人には面白くないかもしれんがなw
763 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:31:11.52 ID:jprzLpSlO
邪馬台国が結局大和朝廷に進化したのけ?
764 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:31:25.79 ID:bWoQ3cPj0
>>158 文献なら中国に残ってるでそ
日本ほどの天災と火事の多い国で
古事記や日本書紀や源氏物語が残ってるのは奇跡的。
765 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:32:41.52 ID:nLvjWyph0
ナ国、イト国、マツラ国、イキ国、その他もろもろの都市国家群が
北部九州に密集してるのに、なぜにヤマタイだけが畿内にあったんだろうか?
仮に東遷したとしても、あの時代に畿内から遠く北部九州諸州に向けて、
地政学的なプレゼンスができたのかね?
767 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:36:41.10 ID:nLvjWyph0
つか当時の日本に記録、保存方法がなかったから中国の文献に残ってただけw
768 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:51:32.97 ID:sxAisalNO
>>753 いわゆる「倭の五王」を見る限り、
少なくとも、強力な王朝が比較的安定して長く続いていたのは間違いない。
これをひっくり返すほどの大きな戦乱があった様子も無い。
769 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 05:53:00.88 ID:31C8zwfm0
展示物に
邪馬台国有力候補の席を譲りたくないのはわかるが
無茶な物にまで朝鮮から渡来を連呼して
気分が悪くなって吐きそうになった
ヤマタイコクと言っている以上奈良の大和だろ
と、俺は小学生の時から思っていた
倭人伝を信用しないとして、都市国家諸州にプレゼンスするなら、
同様に九州近辺にあった方が単純に納得するんだが。
個人的には最古の王墓から国内最大の鏡と、呪術的に粉砕された銅鏡が
数十枚も出土してる伊都国をもっと調べるべきだと思うんだが。
>>464 外国、この時代だと中国に対して外聞が悪いと思ったんじゃないか?
773 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 06:23:11.33 ID:YcIVoAoXP
>>323 奈良・桜井の古墳の件で決まりだろ
九州説に固執してる某学者が亡くなったら「確定」するっていう噂だけど
九州のほうも観光とかしがらみが出来てるから難しいかもな
>>24 邪馬台国は「葦原の中津国」かそれに準じた国の一つだと思うんだよね。
天孫降臨の伝説の高天ケ原が伽耶あたりだと思う。
念の為に言っとくと、天皇が伽耶起源であるということではないよ。
>>770 ヤマト(山門)という地名が九州にもあるのよ。
>>774 日本側から大量の倭人が半島に進出してたんだから、
その中の実力者が天皇家だったとしても不思議では無いし、
だからといって朝鮮起源になるわけでもない。
大国主命サイドも半島の技術を駆使していたんだし。
777 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 06:52:14.50 ID:qz82OeW20
魏志倭人伝なんてなんのベースにもならない
一番日本に関心があった記録でコレだぞ
日本故有王、其下称関白者最尊、時以山城州渠信長為之。
偶出猟、遇一人臥樹下。驚起衝突。執而詰之。自言「為平秀吉、薩摩州人之奴」。
雄健キョウ捷、有口弁。信長悦之、令牧馬、名曰「木下人」。
後漸用事、為信長画策、奪並二十余州、遂為摂津鎮守大将。
有参謀阿奇支者、得罪信長。命秀吉統兵討之。俄信長為其下明智所殺、
秀吉方攻滅阿奇支、聞変、与部将行長等乗勝還兵誅之。
威名益振。尋廃信長参子、僭称関白、尽有其衆、時為万暦十四年。
日本には昔から王がいて大臣では関白なる者が最も偉い
そのとき関白だったのは山城の守の信長である
信長がたまたま狩に出掛けたとき、樹の下で寝ている男がいた
信長が近づくと驚いて飛び起きたため信長にぶつかった
とっ捕まえて文句を言うと「平の秀吉、薩摩の下男です」と名乗った
すばしっこくて口がうまいので信長は喜び、秀吉を馬番の小姓として雇った
樹の下で出会ったので「木下」と名乗らせた
秀吉は後になって軍を率い信長の命令をよく聞いて二十余りの州を攻め取ったので
ついに摂津の鎮守大将となった
あるとき信長は参謀の阿奇支(アケチ)という者に落ち度があったので秀吉に命じて討たせた
ところが信長は配下の明智に殺されてしまった
秀吉はちょうど阿奇支(アケチ)を攻め滅ぼしたところだったが
変を聞いて部下の行長らとともにすぐに戻り、戦勝の勢いで明智をやっつけた
これで実力をつけた秀吉は信長の三人の子を廃し、関白を勝手に名乗り、すべてを部下にしてしまった
万暦十四年(1586年)のことである
明史日本伝(1735年)
779 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 06:55:09.29 ID:xPa8eYy/0
東大に入ると九州説を強制される。
京大に入ると機内説を強制される。
所詮学閥の争いでしかない。
780 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 06:57:39.51 ID:xPa8eYy/0
>>86 といいつつ、もっと古い春秋とか信じられてなかったのに、
商や殷がざくざくでてくるのが中原の信憑性と、文献に対する
中国人の執念のすごいところ。
>>777 いや、こちらがむしろ正しいかもしれんな。
信長が討たれた理由としては。
関が原の後、秀頼の子が薩摩に逃れたという説もあるくらいだからな。
そしてその薩摩を含む諸藩に幕府は滅ぼされると・・・。
782 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:04:38.57 ID:Dx202yrd0
nhkの歴史ドラマみたくホコリっぽく汚らしいのでないと
いけないなんて反日サヨク及び一部の外国人が言いだしそう。
783 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:05:59.48 ID:OkChRdGpO
卑弥呼をロリガキにしてしまったコーエーを俺は断じて許さない!
高木彬光「邪馬台国は
>>777 伝聞の記録にしては、割合正確なんじゃないか?
当時の日本人の多くにしても、何が何だかよくわからなかったかもしれない
魏志倭人伝の場合、一応、倭の一定地域まで使節が行っ(たことになってい)て、
その報告書をもとに書いているわけだから、ほんとに行ったとすれば、
まだ正確なんじゃないか?
仮に、倭国大乱について詳細を書いたとすれば、
伝聞になるから、明史日本伝みたいになったかもしれん
787 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:12:08.06 ID:XQn4y64P0
クマソは熊本
伊予ちゃんも台与ちゃんも居たんだお。
職名は日巫女だった。
神権政治だったから村国家ごとに神主/酋長/と巫女が居た。
倭国は沢山沢山の村国家の集合体だったから、
村ごとに可愛い伊予ちゃん/台与ちゃんが秋の収穫祭りに裸踊りを踊ったり、
夏には雨乞い踊りを踊ってたんだお。
戦争になると敵を呪い殺すために巫女が先頭に立って進軍したんだお。
朝鮮まで行った子は神功皇后として名前が残った。
日本に帰った時、誰の子か分からん子を産んだ。
さっさと九州か畿内か確定しろ、いつまでにかかってんだよ、
790 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:18:37.93 ID:ZbxoWMvWO
方角を間違えると近畿説、距離を間違えると北九州説どっちなんだろう
世界最高の霊能力者のベラ・コチェフスカという人が奈良でヒミコの霊を見たと言ってたから奈良だよ
韓国人観光客が欲しくて、
「吉野ヶ里は古代朝鮮人が作った」
と広報してただろ
忘れんぞ
吉里吉里国は存在する
まだ当時は国内が統一されておらず、多くのクニがある中で、特に近畿地方と九州地方のそれぞれ大きなクニがあった。
そのうち邪馬台国は九州の方。
邪馬台国への行き方で、途中の国々の名称がちゃんと記載されているのに、いきなり佐賀あたりから近畿地方まで跳ぶとかあり得ない。
魏志倭人伝にも周りの国々と争っていたと書かれている。
北九州あたりから近畿地方までは無人地帯か?
当然に中小の国々があったと推測できる。
もし、途中の国々が近畿地方の支配下であったならば、その事が書かれているはず。
おそらく邪馬台国は中九州あたり、江田船山古墳や大陸の文化が強いトンカラリン遺跡があるところ。
796 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:32:40.20 ID:s1tY6hP9O
プロジェクトX
そもそも三国志ってのは司馬氏の功績を描いたものだぞ
卑弥呼や倭国の存在だって、司馬懿の功績を大きく描くために過剰に盛られてる
こんな遠くの国から朝貢に来ましたよってことだ
そんな史書の記述を有難がって分析するなんて頭がどうかしてる
卑弥呼の時代の天皇は誰だろうか
>>753 邪馬台国(マキムク)と大和朝廷(和泉)の間には4世紀に政権交代があると思うよ。
大阪平野を基盤とする豪族が大和朝廷の祖先。だから卑弥呼はアマテラスとして大和ではない
伊勢に祀られた。だから、仁徳天皇陵など巨大古墳が大阪に存在する。
自国の史書に記述もないのに
日本書紀にしか書いてないのに
ウリガ ウリガ ウリガウリガ 倭国に先進文字を下賜してやったと
朝鮮人はワメくんだお。頭がどーかしてる。
>>799 纒向が邪馬台国で和泉が朝廷なら、大国主命・長髄彦の国はどこになるんだよ。
>>795 でも、近畿の古墳から漢字の書いた鏡など中国と交易のある遺物が出てきてるから、少なくとも
3世紀の畿内では中国とコンタクトがあったよ。
805 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:44:48.74 ID:31C8zwfm0
なんで古代文字の解析ってしないのかね?
木材文化で残存が少ないとは言え
模様で済ますのはおかしいだろうに
また学術派閥的ななんかがあるのかえ?
806 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:48:55.76 ID:TmHTx9O0O
そろそろ、シナの歴史書に登場する邪馬台国なんて、
ハナから存在しなかったと結論出してもいいんじゃないかと。
807 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:50:29.37 ID:wG/g1w5L0
半島南部にあった狗邪韓国も倭国の一部よね?
こっちの方が興味ありw
日本は移民の国であることを忘れてはいけない
南から北から朝鮮半島から移住者の混住した結果
今の日本が生まれた
畿内の古墳から出土した鏡に卑弥呼が魏に使いを送った景初三年って書かれた鏡も出土
してるし。でも九州論者が国内産だと言い張るんだよね。でも、国内産だと当時の三世紀の畿内で
漢字を読み書きできたひとが存在することになるよ。
>参謀の阿奇支(アケチ)
明智光秀とは別なんだろ。
こんなのいた?
811 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:55:43.16 ID:pKfWfVJ80
「邪馬台国」の記載は中国側の書物にしか存在しない。
あと当時「台」は「と」と読むのが普通。
つまり日本からの使者が「やまとの国から来た」と言ったので
魏の人間が適当に漢字を当て嵌めて「邪馬台国」と記載したんだろう。
「大和」という漢字記載が生まれるのはそこから更に数百年も先の話だし。
古事記や日本書紀に記述がないので大和朝廷とは関係ないんだろうな
813 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:57:34.44 ID:lgedE0Oc0
NHKで見たドキュメントだと九州のどこかとしか思えなかった。
>>809 鏡は持ち運べるしねえ。そもそも中国から持って来たんでしょ?
畿内の古墳にあったからって、その場所に中国から運ばれてきた
という証拠にはならんと思う。
815 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:58:21.61 ID:D29iiPAQ0
やはり九州が扶桑の中心だったんだ
それを半島から逃げて来た、暴力的な軍団が攻撃して
近畿に流れて勝手に扶桑の主権宣言をしたんだな
816 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 07:58:58.64 ID:pKfWfVJ80
>>812 あれらの書物は後の世に後付け設定された内容ばかりだよ。
信憑性は薄い。
>>812 確か日本書紀に「卑弥呼は神功皇后のこと」とか何かあったと思う。
818 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:02:16.74 ID:lgedE0Oc0
>>815 うわーありうる。政府も歴史を隠してるんでしょう。
819 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:02:48.47 ID:CMowZXMOO
日本の古代の書物にろくなもんがねーからな
中国見習えよ
鏡は後の大和朝廷が邪馬台国を滅ぼした時に奪っていったとか貢がせた可能性がある。
821 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:04:55.70 ID:YEad4Dnn0
どうでもいいけど卑弥呼=日御子だとすれば普通に天皇陛下のことだよね
822 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:06:06.03 ID:6jOYWy5d0
>>817 神功皇后=卑弥呼なら、すべて解決するな
魏志倭人伝の時代とも合う
神武天皇(初代)と崇神天皇(10代)が同一人物ならさらに解決
823 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:07:43.41 ID:F36//uXs0
卑弥呼が魏に直接使いを出せたのも司馬懿が遼東の公孫淵滅ぼしたからだからなぁ。
邪馬台国が九州であれ大和であれ同時期に栄えてた出雲や吉備が出てこんのは何で
だろうなぁ。尾張以東は遠すぎてってのはわかるけど。
824 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:09:20.68 ID:r1KCxZrx0
そもそも大和朝廷と邪馬台国を完全に別物とする理由付けも薄いんだよな
そう思わせないと九州説が成り立たないから完全否定されてそれらが同一
だったとする説を封じ込めてるだけ
大和王権の中では女性が後を継ぐのも珍しい事じゃなかったのと小さい国々が
集まって出来た国なのは確かだから邪馬台国=大和王権だった説は普通にあるだろう
だからこそ古事記などでは邪馬台国なる名称が一切ない
825 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:11:02.01 ID:yelommLi0
陳寿は、卑弥呼と同時代人だし、使節の報告に直接あたってる可能性もある。
魏志倭人伝は、後世の伝聞ではない。
>>811 魏志倭人伝に出てくる単語は古事記作成の手法と同じで
やまと言葉を漢字で当て字にしただけだしな
>>809 漢文が出来なかったら大陸との貿易や朝貢等のやり取りも出来ないのでは
>>817 しかしそうなると神功皇后の文献が少ないのは何でだろうね
まぁ日本書紀特有の一説では〜ってやつだろうけどさ
827 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:12:24.19 ID:r1KCxZrx0
邪馬台国があったとされるのは2世紀〜3世紀
古事記の大和王権は4世紀〜だからそこら誤差の範囲な気がするんだが
個人的には宇佐神宮掘れば一発でわかると思うんだがなあ。
ちなみに宇佐神宮の祭神の一人が神功皇后。
>>825 でも少なくともヒミコのあとのトヨだっけ?のあとの人だから二人を記述できたんじゃない?
830 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:16:27.28 ID:r1KCxZrx0
南の狗奴国ってのは当時は方向とかそこまで正確じゃないから
中部から関東あった国と畿内の大和王朝が戦争していたと考えれる
832 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:18:00.24 ID:GqZmTEAhO
まったく当てにならない中国の歴史書のそれもたった数百字から二千年前の日本の情勢なんてわかるわけもない。
たった七十年前の歴史も中国は捏造しまくってるのにw
833 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:19:26.02 ID:R+6ccpJdO
畿内説、筑紫説、大隅説、熊野説、但馬説、出雲説、鹿島説、琉球説、台湾説、インドネシア説、エジプト説、ムー説、
地球いたる所に邪馬台国。
834 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:19:31.87 ID:zbYjWdGP0
>>4 一部の竪穴式住居の住居を休憩所にして自販機とか置いてるからな。
その為なんじゃない?
見た目的にはどうかと思うが。
835 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:20:00.65 ID:O8ZRyqWX0
皇室が縄文系だとはっきりした時点で多くの議論が些末な意味しか持たなくなったろ
836 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:20:50.29 ID:FBQ08Q1J0
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837 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:21:19.44 ID:1Ca3anad0
邪馬台国はヤマトコクで
卑弥呼は斎王だよ。
838 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:22:40.47 ID:Jq8NmqB7P
邪馬台はヤマタイじゃなくてヤマトだろ。
変化しにくい子音が完全一致してる時点で大和だが。
839 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:24:00.99 ID:qz82OeW20
>>810 状況からして毛利だろ
伝聞と文のソースがごっちゃになって光秀が明智と阿奇支に分裂したと思われる
明が滅ぶ原因である秀吉の唐入りとその後の鄭成功の行動なんかを考えると
一番日本に関心があって詳細に記録しなければいけない時期でコレだぞ
同時代の欧州による日本の記録の方がよっぽど正確
つまりこれより1500年も古い魏志倭人伝の字句(邪馬台だの水行何里だの)を
探偵よろしくひねくり返して推論したって無意味
840 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:26:08.54 ID:r1KCxZrx0
当時の出土品や色々調べたら1世紀前には畿内には道路網がひかれてて
ここに強力な王権があったのは確実らしいじゃん
九州説だと畿内じゃなく九州の小国が倭国の代表のフリして魏に貢物を
送ったとなる
畿内説ではそのままヤマト王権そのものだった説やヤマト王権に滅ぼされた説
841 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:30:28.46 ID:F36//uXs0
>>840 まあ、地方政権が日本代表のフリしてってのは南北朝時代でも九州の南朝方
がやって後で足利義満が日本代表って認めてもらうのに苦労したって実績が
あるし…
842 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:30:42.49 ID:1C3C5h140
>>16 仮にそうだとして
今の韓国人の祖先じゃねえから別にかまわないよ
時が経てば賢くなるものでもない
知識の積み重ねを焚書と虐殺でリセットしてきた中国大陸なら尚更
>>840 神武天皇の東征も宮崎スタートとはいえ、結局は畿内に腰を据えるんだよね
本来であればスタート地点の宮崎が最重要の本拠地であるはずなのに。
東征は唐行き航路を確保する為の遠征軍だとして
遠征軍を出してた本拠地が畿内、だと思ってます。
邪馬台国って、鋼鉄ジーグの…
>>843 明治期の維新でも長州や薩摩のいわゆる元勲たちは、結局は
東京を本拠にしましたけど?
>>812 金印もらって子分になってたから、
そこを突っ込まれたくなくて書かなかったんだろう。
邪馬台国は本当はヤマト王朝だけど、
聖徳太子以来の中華帝国圏からの独立を堅持したかったから、
卑弥呼の話は抹消された。
読みも「ヤマタイコク」ってことにして、
ヤマト王朝成立前の別の国にした。
>>840 ×九州の小国
○九州の大国(近隣に敵対する複数の小国)
強大な近畿地方の国に対抗するために魏に使者を送り、貢物を差し出して倭奴国王の称号をもらいお墨付きを得るはずだったが、貰った金印を積んだ船が嵐で沈んでお墨付きを得られず、後に大和朝廷に滅ぼされた。
848 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:37:36.90 ID:r1KCxZrx0
>>841 問題は魏から来てるからな
小国が多くの周辺国従えてるかって話
使節団は多くの国を従えて都は豊かで多数の住民の記述もある
あれ見て九州の小国だとするなら当時日本どんだけ住民居たんだ
って話になってくる
弥生時代って思われてるより高度な文明で中国とは違うけど独自に
発展してて魏もそれを見て容易に征服出来ないと悟ったからこそ
攻めずに邪馬台国は魏の当時の周辺国では上位の扱い受けた
849 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:37:49.88 ID:6jOYWy5d0
>>831 そもそもこの時代に「皇后」とか「天皇」という概念はなかったと思うけど
倭の5王が出てくるのはこの後だし
ただ、14代仲哀天皇(192-200)から15代応神天皇(270-310)の間には
なぜか70年間ほどギャップがあって、天皇(王)が不在なんだよね
だから、神功皇后が女王をやってても不思議ではないかも?
ま、推測だがw
あと、神功皇后は三韓征伐のために奈良から九州へ行ってるよね
(もともとはクマソ征伐が目的)
だから、俺は奈良説も九州説も実は両方正解なんだと思う
都としての「ヤマト」は奈良だと思うけどね
>>845 それは維新が内乱であって
国全体で見たら政治の中心は東京にあったからでは
実はなかったとか。。。
852 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:42:53.58 ID:r1KCxZrx0
>>851 根本的に邪馬台国なる国はなかった
だから日本には記述が残ってる訳が無い
ヤマト国はあった ヤマト王権で後に続く大和王朝
853 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:43:25.27 ID:sxAisalNO
>>823 出雲は狗奴国でしょ。
方位はわざと変えてあるから北にある国を南にあると言ったわけだ。
魏の使いは大和まで行ってないんじゃないの
>>846 金印は貰っていない(届いていない)。
間違えないように。
>>849 一時的な遷都はあったかも知れませんね
それが九州で、しかし朝鮮半島への進出が上手く行かずに
白村江の戦いで唐に負けた事もあり、また畿内へ戻ったとか
>>851 邪馬台国と黄金の国ジパングは同じ扱いですよね
あくまでも他国フィルターで見た当時の日本
857 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:46:39.33 ID:r1KCxZrx0
>>854 魏の使節団は相当な時間かかって都についてるぞ
倭国の大陸上陸後にまた船使って最後上陸してる
つまり対馬から九州につき上陸→瀬戸内海を船で渡り畿内についたと考えれば辻褄が合う
>>857 周りに敵対する他国があるから使者を迎える時は厳重な体制で、途中の有明海を船で渡った。
>>11 たぶん福岡よりは観光できる場所あると思う・・・
福岡はなんもね・・・
860 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:50:37.32 ID:r1KCxZrx0
>>858 それは色んな学者含めて現実的におかしいとされてて
それが九州説一番ありえない原因の一つ
861 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:51:00.47 ID:43PjPls/0
現存の金印、漢委奴国王印は偽物臭プンプンの代物だが
あれが無かったら今頃どうなってたんだろう
>>860 邪馬台国の周りは敵対する国なんだろ。
どうやって使者が通っていたと思う?
863 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:56:22.10 ID:oIMzkCBk0
前から不思議だったんだが、遺跡の「穴」とか「溝」って後から幾らでも作れるんじゃね?
ローマやギリシャの遺跡見たく石で区切ってるならともかく、土だけだったら、
元からあったのと、新しいのとどうやって区別するんだ?
864 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 08:56:43.80 ID:r1KCxZrx0
>>862 戦争していたのは狗奴国だけ
東に邪馬台国に従ってない国が何個かある邪馬台国は20ヶ国を
支配下に置いていたが倭国全体ではまだ従ってない国もあった
その記述だけ
865 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:00:49.04 ID:6+YeHnJ30
結局自分の国の歴史も良く分かってない二流国家ってことだろ日本は
たかが2000年前のこともわかんないとか
エジプトとか中国は紀元前2000年くらいから歴史があるのに
戦争していたと言っても、狗奴国から来た嫁が使えないから返品だ!とか、
邪馬台国の土器はすぐ割れて品質詐欺だとか
そんな下らんことで争っていただけのような気がする
867 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:02:41.15 ID:F36//uXs0
>>848 楽浪郡とか魏が直接統治できたのが遼東からせいぜい朝鮮半島北部〜中部
くらい、呉が公孫淵の援軍失敗して遼東で略奪したり人確保のために台湾
や日本に遠征したりしてる。
といった状況もあって九州トップクラスの国レベルでも厚遇されても変で
はないとは思うけど、状況的には大和説かなぁ。
後世でも瀬戸内は船で行くのが主流だし、それなら途中は邪馬台国の領土
ですって言いくるめやすいし吉備が出てこんのも辻褄あうか。
しかし遣隋使の隋書側の記述ですら結構いいかげんなんだよな、日本側と
のギャップありすぎw
日本は中国の属国な訳ないだろう
869 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:03:51.25 ID:VAayuimN0
この時代の人ってどういう会話してたんだろう
この時代に限らず、大昔の日本人たちのリアルな生活感溢れる会話を聞いてみたいぜ
870 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:04:09.96 ID:lsSy023EO
邪馬台国は尖閣。
卑弥呼は天照。
故に尖閣は日本。
>>865 少なくとも中国の歴史は勝者が作ってるけど
日本は研究者が作っているからね
おおざっぱにザックリ作る訳にはいかないのさ
>>808 土着の猿がそのまま人間になって現在の国を作っているところが世界のどこかにあるとでも思ってるの?
今に見ていろ邪魔大王国 全滅だ!
出雲や吉備にあったとされるような国が九州にもあって、近い(?)魏に
使節を出したりしてたんだけど、それが後年、滅亡なり奈良のヤマト
政権(?)に吸収されたりしたってのがもっともらしい気がするんだけど。
875 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:41:40.34 ID:94H6ZTvFP
>>808 日本人のルーツがどこにあるかは興味深いテーマだな。
876 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:45:19.16 ID:Afxzyd/XO
>>808 そんなの地球人のほとんどがアフリカから移動してきてるだろw
>>808 朝鮮半島って、百済時代の人間って残っていないんだという事を忘れてはいけない。
エヴェンキ族が集団で住み着き、蒙古に混血されたのが今の朝鮮人。
878 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:49:05.22 ID:OyZyRAgq0
吉野ケ里の近くには前方後円墳は無いんだろ。
だったら邪馬台国の可能性はゼロだろう。
魏志倭人伝には卑弥呼を埋葬するために巨大な塚を造営したと書かれている。
879 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:51:13.51 ID:HABa9CgQ0
>>877 隊長! その説はwikipediaだと俗説になってます!
>>878 卑弥呼の墓は「径百歩」としか書かれていないから円墳でもかまわない
>>879 2ちゃんだけの俗説かと思ってたらウィキに俗説として書かれてるのか?w
882 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:55:09.62 ID:8YhufuRB0
>>863 あとから積もった土と微妙に色や硬さが違ってるんだよ
細かく区切ってすこ〜しずつ削っていくから分かりやすいんだけど
普通だったらなかなか分からん
883 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:56:28.55 ID:Xpi+9tJw0
884 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:58:08.34 ID:HABa9CgQ0
885 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 09:59:04.11 ID:IcM2z7UE0
>>883 ま、現代の建築資材を使って作った物だし。
吉野ヶ里公園に卑弥呼は居たし、邪馬台国の文字バンバン使ってたし、佐賀で確定っぽいね
>>865 エジプトも昔のことはあまりよくわかってないらしい。
文字は残ってるから発掘が進めばわかると思うけど。
>>831 夫が亡くなって、政務のトップにつけば女王じゃね
889 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 10:16:25.19 ID:SJmBBo7x0
>>757 >当時の中国語(魏)での発音がどうだったのかよく知らないけど
昔の漢字の発音の研究はかなり進んでる。
現在、一般人の手に入りやすい資料は藤堂明保の学研漢和大辞典。
これは上古音、隋唐音、中世(蒙古時代)音、現代標準音の4つが載っている。
魏志倭人伝を読んで其処に書かれている倭人語を現代語に比定するには
藤堂明保の学研漢和大辞典と万葉仮名の一覧表も最低限目を通す必要がある。
>>865 そんなこといったらエジプトと中国以外の国はみな二流国家だ。
ヨーロッパだって2000年前は半裸の蛮族が
ケモノを追って転々としていたわけだし。
891 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 10:21:05.82 ID:2JA0UJbn0
>>23 しかし邪馬台国やら卑弥呼やら漢字だけで見たら酷い表現だよな。
邪魔の邪 卑しいの卑 とか酷過ぎる。
892 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 10:26:19.54 ID:DwdXbHj10
九州・中国地方は、朝鮮人ww
近畿地方は、日本人ww
その他地域は、土人ということだ。
>>865 中国だってエジプトだって最初の方はほぼ伝説だろ。
それともお前、事細かく説明出来るのか?
景観ぶち壊しのコンクリ建物を作った時点で、行く価値ない
あと過剰すぎる再現展示
>>891 中華思想だと周りに住んでる連中は全部野蛮人ですから
896 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 10:38:25.96 ID:r1KCxZrx0
あれなんだよな
邪馬台国論争になった時過激なまでに感情論含めて攻撃的なのが九州説論者
冷静に分析して調べたりしてる学者の殆どが畿内説
九州説は天皇家に連らなるヤマト王権が中国に臣下として貢物を送ってた
のを許せないとする感情論からの否定が多い
畿内説はヤマト王権の中で皇后が政務取り仕切ってる時代に魏に使者送った
んだろうとする説が大概有力
どこにあったのかすら未だ不明な邪馬台国がほんの1800年前
人類が誕生して何百万年?
スマホで2ちゃん見てる現代に生まれたのは奇跡としか言いようがない
898 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 10:45:57.66 ID:ddCMWbWG0
>>878 大和朝廷と、邪馬台国は繋がっているとは限らないし、むしろ別である可能性の方が高いんじゃなかろうか。
それならば、前方後円墳が吉野ケ里の近くになかったとしても問題はないと思う。
九州説にしろ畿内8説にしろ、邪馬台国が大和朝廷と繋がっているという前提で話をしているような気がする
のは、思い過ごしであろうか?
899 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 10:48:17.20 ID:gAwg5EDo0
>>867 当時の魏の政治的背景
・蜀は諸葛亮が盛んに漢中を侵している
・呉は海上ルートを使って盛んに朝鮮半島の公孫氏と接触している
・曹操一族の曹真は蜀を撃退し蜀の背面にある西方の大月国(クシャーン帝国)と朝貢(同盟)に成功
・司馬懿は公孫淵を滅ぼし東方の権益確保に成功
曹真の政治的ライバルである司馬一族は東方で同じような手柄をたてたと宣伝したいわけだから
呉の背面である東方の海上にクシャーンと同じくらいの大国がありそこが朝貢してきたコトにしたい
宮廷内における政治的地位が保たれついでに呉に対する牽制にもなる
倭をクシャーンと同等の大国にするには人口や場所や距離の捏造と位や金印の贈呈をしなければならないが
なに、ハナから政治的な産物であるから問題ないわけだ
そして作者の陳寿は元蜀の人で司馬昭→張華→陳寿というライン
900 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 10:51:11.05 ID:1Ca3anad0
>>896 「邪馬台国は畿内です」と決定しまうと
九州の観光産業がダメージを食らうからw
>>899 そういや晋時代にも倭国から使者来てたな。
畿内説も九州説も決定打が欠けているのに、
なぜか確定させたがる人達がいるんだよなあ。
大抵は業者や門外漢だけど。
現代のシュリーマンよろしく魏志倭人伝の記述が正確だと考えて海底遺跡を探すなら面白いが、
単に学閥やら観光産業やらの争いに歴史を利用している輩は醜い。
邪馬台の台とはなんだろう たいとは北九州でつかわれる接尾語〜たいである
魏の使者が筑豊の山をさしてあれはなんだときいた「あれはボタ山たい」と住人が答えた
これが邪馬台の語源であろう
>>896 > 邪馬台国論争になった時過激なまでに感情論含めて攻撃的なのが九州説論者
> 冷静に分析して調べたりしてる学者の殆どが畿内説
こういう表記してる時点で説得力ナッシング
> 九州説は天皇家に連らなるヤマト王権が中国に臣下として貢物を送ってた
> のを許せないとする感情論からの否定が多い
否定ってのは畿内説の否定だと思うが、すると東遷説は?
こっちは大和朝廷の前身の朝貢を認めてるぞ
> 畿内説はヤマト王権の中で皇后が政務取り仕切ってる時代に魏に使者送った
> んだろうとする説が大概有力
それ神功皇后説だろ、真っ先に否定されてるぞ
>>903 ざんねん、そのネタはこのスレでとっくに既出なのだ
906 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:01:18.72 ID:3J//Kmfo0
2000年前の日本の九州の家が100年前のソウルの街並みより数倍綺麗なこと。屋根もきちんと切り揃えて、トイレもちゃんとあって玄関先で脱糞しない。
907 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:03:10.07 ID:aFfwrpeU0
>>726 >弟が「王」として
敢えて言うなら官房長官みたいなもんでしょうね
908 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:08:25.99 ID:iMCrlVIB0
筒井康隆は以前「邪馬台国ハワイ説」を提唱してた
909 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:09:05.55 ID:aTN7nH8e0
25年もかけて決定打出せないんじゃ関係者涙目だろうにな
俺、日本書紀書いてたんだけどさ、やっぱり魏誌にまで載ってる邪馬台国の
話は押さえときたいわけよ。んでも実際は大和とはあんまり関係ないんで
困ってたんだよねえ。それで天皇の系譜にはさほど影響しない神功皇后って
のを作って、そこに卑弥呼あたりのことを入れといたんだよね。んで、普通じゃ
つまんないから天皇を殺させたり、三韓征伐とかドラマちっくにしといたんだけど、
調子に乗って応神天皇の生まれる時と辻褄あわなくなっちゃってさ。
あとでやっぱりすっげー困っちゃったよ。
そもそも纏向遺跡=邪馬台国説と言うのは、纏向遺跡と崇神朝、垂仁朝、景行朝の関係から目をそらすための目くらまし
古代大和朝廷をまともに研究させないためのフェイク
912 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:11:57.38 ID:SJmBBo7x0
>>891 「卑」と同じ発音の字>「卑, 碑, 萆, 裨, 詖, 陂, 羆, 悲 」
「邪」と同じ発音の字>「耶, 揶, 椰, 爺,{王邪}」
「卑」の代わりに「皮」の字を使うとアクセントが変わってしまうから「皮」は使えないなどの理由があったかも知れない。
バカチョン語も中国語のような声調がなかったからソウルの中国向け漢字表記を「漢城hancheng」としていた。
バカチョン語では「漢han去声」も「韓han陽平声」声調アクセントを区別しないから
「韓城」と書くべき所を見栄張りで「漢城」と書いていた。
「韓」という字は「《唐韻》《集韻》胡安切」(胡は胡麻ゴマのゴ)と書いてあるから大昔はカンやhanではなく
濁音(有声子音)で始まるガン、ɦanだった。
913 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:13:30.10 ID:qanpCItI0
始度一海千餘里 至對海國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶島方可四百餘里
土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活乗船南北市糴
又南渡一海千餘里名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里
多竹木叢林 有三千許家 差有田地耕田猶不足食 亦南北市糴
又渡一海千餘里 至末盧國 有四千餘戸濱山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒水無深淺皆沈没取之
東南陸行五百里 到伊都國 宮曰爾支 副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王皆統属女王國 郡使往來常所駐
東南至奴國百里 官曰兒馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸
東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家
南至投馬國水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲 支次曰奴佳醍 可七萬餘戸
自女王國以北其戸数道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國
次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國
次有鬼國 次有爲吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有窮臣國 次有巴利國
次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國萬二千餘里
計其道里當在會稽東冶之東
文系じゃないけどこれ読む限りでは吉野ヶ里は伊都國か奴國か不彌國でしょ
邪馬壹國は南九州か近畿地方しかないね
対馬-壱岐-東松浦半島?の間がそれぞれ千里ってことなので千里=50km以上100km以下くらいのよう
なるほど。やっぱり邪馬台国は九州だったんだ
>>909 邪馬台国論争で儲けてるから決定打は必要ないのよ
916 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:20:42.78 ID:cwWMM9Qs0
>>863 >元からあったのと、新しいのとどうやって区別するんだ?
だから日本考古学学会は性善説で成り立っている、「捏造する人がいるはずない」
と、だから石器捏造事件が起きたし、真偽を確かめようとの動きもなかった。
考古学の検証委員会みたいのは出来ないよ、東大が全力で潰すため
「弥生」関連がすべて捏造認されて、東大の考古学学部が消滅するから
邪馬台国と大和朝廷に繋がりがあるかどうかは分かんないけど
吉野ヶ里遺跡が邪馬台国は創作物の中だけの話じゃね
>>863 だから遺構だけでなく、遺物も重視されるんだけど、
この遺物の年代測定が曲者で、例えばC14法では、
同じクルミを細かく割ってそれぞれの破片を分析にかけると、
最大で200年くらい違ってきたりする
919 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:35:48.94 ID:cwWMM9Qs0
>>896 >邪馬台国論争になった時過激なまでに感情論含めて攻撃的なのが九州説論者
学会でも畿内説一色で九州説は相手にすらされていないのに
東大のお偉いさんが「目の黒いうちは畿内説は認めさせない」と怒鳴り散らしているようだね
>>405 それ無視されるんだよなあ、ろくに川のない大和盆地で権力集中する過程説明してほしいわw
921 :
サガミハラハラ:2012/09/30(日) 11:38:59.78 ID:y7QryuCO0
吉野ケ里に卑弥呼はいたのか?
この説を唱える人は現地の人とごく少数の学者となってしまいましたが、私の研究では卑弥呼はここ吉野ケ里に住んでいたのです。
それも北内郭の宮殿のような建物の中にです。あの建物自体卑弥呼が女王となった時にそのお住まいとして作られたものなのです。
ですからその時期吉野ケ里は邪馬台国の都であったわけです。
ですが、魏志倭人伝にでてくる邪馬台国の都はそこからもっと西の小城市甘木なのです。卑弥呼の墓は小城公園内の桜ヶ岡がそれにあたります。
邪馬台国の都は卑弥呼の時代に遷都されたのです。
その時に国号も邪馬壱国から邪馬台国へと変えられています。
邪馬台国にしろ、河内王朝にしろ日本は支那に朝貢していた事実を
いい加減に歴史認識として持つべきだ。
河内王朝当時の天皇は、三国志で言う所の馬岱と同レベルの官位を
受けていた。歴史の捏造や誤魔化しは、朝鮮半島や支那を笑えない。
何故、国語の時間に漢文を習うのか?の疑問もそれで解ける。
その上で蘇我氏の時代に独立外交をし出した訳で。
923 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:44:15.82 ID:cwWMM9Qs0
>>920 >文明は大河と平野のあるとこに生まれる
大河は洪水の元凶でそれがあると文明は生まれない、農業破綻→不毛の地
例外は冬に雨季がある地域では運ばれた土で農業が出来る→文明
自称「黄河文明」等々はそんな錯覚を利用した捏造。
924 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 11:44:57.24 ID:tKf1+2yCO
>>917 吉野ヶ里(佐賀県神埼市)より南側に約20km行った、
福岡県みやま市山門(旧山門郡)が邪馬台国ではないかと長年言われてはいた。
ここは吉野ヶ里と違い、遺跡の上に人家があって(石棺が庭に突き出ていたり)
道路を通すとき遺跡を破壊したりしてしまっている。
吉野ヶ里はまとまって調査されたから生き残れたが、吉野ヶ里周囲の神埼市の住宅や田畑も
みやま市山門のようにブッ壊されて検証不可能になった部分があると思われる。
九州説と畿内説に分けるから、地域対立っぽくなってしまう。畿内説は連合的な
状況だと考えられるから、畿内説ではなく「西日本説」と変えた方が良い。
つまり、九州も畿内も邪馬台国に含まれる。こうすれば対立は起こり難い。
タイムマシン完成するまでは確定できません
もう少々お待ちください
卑弥呼ならさっき秋葉原にいたから、
邪馬台国の場所聞いてみたら?
>>925 九州説と畿内説って、佐賀県民vs奈良県民の構図も内包してるから、
どちらもド田舎なので「おらが村」意識の頑迷さが酷い。
「証拠?遺跡?そんなんどうだっていい、おらが村が邪馬台国に決まってる!」
みたいな意識がマジである。
まあアレだ、今現在の地位が社会の底辺に近い奴ほど家系を誇りたがるのと同じ。
929 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:00:07.63 ID:tKf1+2yCO
>>925 しかし、佐賀県神埼市や福岡県みやま市のあたりには
「戦争に負けて死に、死後忌まわしい存在とされた女王」の伝承が残っている。
みやま市の蜘蛛塚と呼ばれるものがあった地域(いまは神社がある)では
本来古代の女王の墳墓だったものを支配者が変わったため、
格を下げるに止まらず非人間的なイメージを与えるため
蜘蛛塚と呼ぶようにしていたとか
930 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:04:56.07 ID:tKf1+2yCO
>>928 佐賀県は邪馬台国より徐福伝来をプッシュしてるよ。
ただし、事実ではなく歴史を重ねる中で出来た後付けのようだが
とにかく徐福関連の施設や立像を作ったり、史跡を紹介している。
ほか後付け伝承としては神功皇后関連が数え切れないほどある。
こちらは徐福ほどプッシュされていない
931 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:05:25.64 ID:qanpCItI0
気候的なことを言うなら弥生時代の終わりごろは現在より寒冷。
日本に限らず世界的な寒冷化の時期。
古墳時代に次第に温暖化。
小さな温暖化寒冷化を繰り返して現在に至る。
>>929 その角度からは、邪馬台国=土蜘蛛一族のクニという図式が浮かび上がって、
卑弥呼は天皇家どころか、天皇家と敵対していた一族の長になるんだよな。
だけど邪馬台国がヤマト王朝に繋がったと信じたい人達には都合が悪いので黙殺される。
>>928 奈良県には三世紀当時大きな政権があったことの考古学的な状況証拠が揃ってるんだよ。
三世紀の段階で大和に次ぐ大きな勢力があったのは吉備南部と島根と愛知ぐらいなもの。
ただ三国志に記された情報が「真実」とは限らないのがミソなのだがな。何せ使者は糸
島より先に行ったとは書いてないのだし。まあそれも真実とは限らないけどw
934 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:09:20.36 ID:SJmBBo7x0
>始度一海千餘里 至對海國
「對海」は「對馬」のことを指しているのは間違いない。
「海」という漢字は現代語でこそカイ、中国語でhai、朝鮮語は少し訛ってhae>heと発音してるが
魏志倭人伝を書いた時代又は倭人伝が下敷きにした時代には
「毎」と同じようにマイと発音したと言われている。
藤堂の漢和大辞典(学研)では
>音符の「毎」は「毎muəg」のmが鼻からいき(息)だけが出る音に変わり
>さらにhになって海・晦・悔などの音符となったもの。
とし、必ずしも誤字、誤刻とは考えていない。
佐賀の地元のアホとかマスコミ以外は最初から邪馬台国の支配国の一つを発見か!?だろ
936 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:10:56.41 ID:jqooXSVo0
>>900 卑弥呼の湯とかどうすんだろうな
畿内に決まったら廃業?
937 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:11:14.06 ID:qanpCItI0
あの時代は現在より寒冷だが、海岸線は現在のそれより奥に進入していた。
というのは単に時間不足で堆積があまり進んでいなかったから。
大阪の人なら知ってるが、大阪平野には河内湾→河内湖があって、
生駒山地のすぐ麓まで湾入していました。
938 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:12:55.97 ID:RDRschht0
で、これが国民生活の向上や科学技術の発展に繋がるの?
939 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:13:07.29 ID:tKf1+2yCO
>>931 >>937 佐賀県南部は縄文の頃は大半が海の下ということらしい。化石が出てきている。
まあ海っても干潟だが。
940 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:15:32.16 ID:PHW+99OZ0
941 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:15:53.78 ID:6jOYWy5d0
>>932 邪馬台国と敵対していた狗奴国が勝利
↓
卑弥呼死亡
↓
狗奴国が東征(神武天皇伝説)
↓
大和朝廷成立
↓
卑弥呼及び邪馬台国を歴史から抹消
(漢から金印を貰っていたため)
うーん、ありえるな
942 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:16:17.69 ID:tKf1+2yCO
>>936 徐福だって別に九州に来たわけじゃないが観光資源にしているよ
943 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:16:17.99 ID:DK5tcnLiO
国って言うからもっと大きいと思ってた
>>933 その3つに限らず当時の日本列島の実態としては複数の政権が割拠していたので、
そのうちの1つに過ぎない邪馬台国、いや倭国の名跡を取り合うのは滑稽だよな。
945 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:17:24.26 ID:ob1uCy2D0
結局、畿内説だったわけかい(笑)
>>938 18世紀に「数学が何の役に立つんだ」
とか言ってた人多かったみたいね。
本家と元祖みたいなもんだろう
上岡龍太郎は佐賀は無いって言ってたっけ?
>>941 うん、神話との整合性や男系重視の体制などを考えても、
天皇家に繋がる古代政権としては狗奴国の方が合ってるんだよね。
だけど昔から「魏志」の権威を欲しがるんだよなあ・・・
>>946 数学と邪馬台国の場所では違い過ぎだろ
ちなにみ18世紀でも数学は役に立ってたろ
952 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:32:22.82 ID:cwWMM9Qs0
>>945 まあ普通に考えたらそうなんだけどね。
神武東征も太陽背にして攻め入って勝利した伝説、夕日では眩しくないから
目くらましにならないし、日が沈んだら地理に詳しい相手にいいようにやられる
必ず朝日を背にしているはずなのに「東征」ってありえない。
普通に考えろって話。
953 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:34:58.32 ID:SJmBBo7x0
邪馬「台」国という用字はいい加減やめにして邪馬「臺」国と書けよ
小学生じゃないんだから。
「臺」はダイで濁音始まり。
「台」はタイで清音始まり。
魏志の原典は「臺」だったからこそ「壹」と勘違いして「邪馬壱国」という表記もあった。
元々邪馬「台」国なら「邪馬壱国」という誤記が起きるわけが無い。
>>950 邪馬台国の頃すでに、畿内に初期ヤマト王権らしき広域支配の政権があってだな…
観光資源になるからな
鋼鉄ジーグに滅ぼされたのは?
全国20万以上都市(四捨五入)
【北海道地方】 札幌市 191万 旭川市 35万 函館市 28万
【東北地方】 仙台市 106万 いわき 35万 郡山市 34万 秋田市 33万 青森市 30万 盛岡市 30万 福島市 30万 山形市 25万 八戸市 24万
【関東地方】 特別区 880万 横浜市 367万 川崎市 141万 さいたま 121万 千葉市 96万 相模原 71 船橋市 60万 八王子 58万 宇都宮 51万 川口市 50万
松戸市 48万 市川市 48万 横須賀 42万 町田市 42万 藤沢市 41万 柏市 40万 高崎市 37万 川越市 34万 所沢市 34万 前橋市 34万
越谷市 32万 市原市 28万 水戸市 27万 平塚市 26万 府中市 25万 草加市 24万 春日部 24万 茅ヶ崎市 23万 厚木市 23万 大和市 23万
調布市 22万 上尾市 22万 太田市 21万 つくば 21万 伊勢崎 20万 熊谷市 20万 小田原 20万 西東京 20万
【中部地方(北陸)】 新潟市 81万 金沢市 46万 富山市 42万 長岡市 28万 福井市 27万 上越市 20万
【中部地方(東海+内陸)】 名古屋 226万 浜松市 81万 静岡市 71万 豊田市 42万 岐阜市 41万 長野市 38万 一宮市 38万 豊橋市 38万 岡崎 37万 四日市 31万 春日井 30万 津市 29万 富士市 25万 松本市 24万 沼津市 21万 鈴鹿市 20万
【関西地方】 大阪市 266万人 神戸市 153万 京都市 147万 堺市 84万 姫路市 54万 東大阪 51万 西宮市 48万 尼崎市 46万
枚方市 41万 豊中市 39万 和歌山 37万 奈良市 37万 吹田市 36万 高槻市 35万 大津市 33万 明石市 29万
茨木市 27万 八尾市 27万 加古川 27万 寝屋川 24万 宝塚市 22万 岸和田 20万 伊丹市 20万
【中国地方】 広島市 117万人 岡山市 70万 倉敷市 47万 福山市 46万 下関市 28万 呉市 24万 松江市 21万 鳥取市 20万 山口市 20万
【四国地方】 松山市 52万 高松市 42万 高知市 34万 徳島市 26万
【九州・沖縄地方】 福岡市 148万人 北九州 98万 熊本市 73万 鹿児島 61万 大分市 47万 長崎市 44万 宮崎市 40万 那覇市 31万 久留米 30万 佐世保 26万 佐賀市 24万
958 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:41:04.43 ID:sG68Wgmy0
>>944 矮小化して個人的に優越感を持ちたい小物にしか見えないなw
959 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 12:43:31.09 ID:T2eUtY21O
出雲から見て山の向こう側が山戸
出雲から見て東側が日出
>>2 もうなんかわかんないけど日本を救ってくれw
ついに掘る場所が無くなったのですね。
市民の皆さん、負債の返済頑張ってください。
>>954 問題はそれが発展していったか、征服されたかだよね。
広域支配政権なら他にも複数あったし、大移動は何度も繰り返されてるから。
>>962 古代で根拠地を縁もゆかりもない遠方の土地に移したと思えんが
吉野ヶ里ってせいぜい内乱時の軍事拠点にすぎないだろ、半島人にとっては古代日本がしょぼいほうがいいですね、ホルホル
>>962 確かに和国動乱の頃は畿内周辺部で高地性集落で砦を構えるところが増えたが
中心部は静かだしひな形の政権がそのまま移行だろ
967 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:02:33.85 ID:T2eUtY21O
ニギハヤヒとナガスネヒコの国
どっちがほんとなの
969 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:07:22.81 ID:sG68Wgmy0
>>965 2世紀あたりの各地の主要文明の周辺地域の古代の都市国家としてはありふれた規模のものだし、
朝鮮半島は漢系の主要都市でなければ吉野ヶ里よりも小さい規模だよ。
三重県民なんで、近い畿内説ならいいなと思っていた
歴史ヒストリアで
徒歩で探索した視力の悪いおじさんの回を見た時
九州説を信じた
ここを見ていると、畿内説なんだろうか
972 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:10:29.04 ID:T2eUtY21O
出雲の国譲りとか
出雲の神在り月とか
天岩戸とか
空気感が似てる
ちゃんと答えは言ってる
出雲が支店を出してた
それが天孫なのか
そんで天孫が独立宣言をしたら国譲り
ちゃんと報告に出雲に行くのは神無月
神聖政治の交代は天岩戸
土佐日記を読めばわかるが
昔は少し天候が悪かったらもう船をこぐのを中止にしてたんだな
それであれだけ日数がかかるのよ
そこら辺を指摘してない歴史学者が多すぎ
974 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:20:28.90 ID:tKf1+2yCO
>>971 日本には複数の王国があったのは確実だと思う
九州王国(これも一国ではない)か幾内王国かの論争だろうな
史跡を無視した「歴史」としては幾内からスタートしちゃうのが日本
地方国の歴史は顧みられることがない
さいたまにも王国はあった
>>974 史跡も遺跡も歴史も畿内が圧倒してるだろ
つか、魏志倭人伝の記述を除いて
遺跡や発掘物からの成果を考えれば畿内説が以降の日本の歴史の整合性もピッタリなんだよ
>>976 魏志倭人伝の地理的正確性を疑うのが全てスッキリするんだよなぁ。
カラ出張説が全てを解決する
978 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:32:22.77 ID:T2eUtY21O
マキムクは普通にナガスネヒコの王朝だったんじゃないの?
近畿地方は古墳から絹があんまり出ないらしいね。本貫地から遠く離れているから王族が死んだら古墳を作る必要があるんだう。
魏志倭人伝の記述を除いちゃダメだろうw
>>933 そもそも纏向遺跡の年代については異論もある
三世紀と断定するのは恣意的だよ
>>976 三世紀に限れば、鉄鏃も絹も、北九州が圧倒してるよ
纏向遺跡はもっと後だよね
984 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:42:00.64 ID:T2eUtY21O
正確にはマキムクはウマシマジだから
二つの鎮魂をする意味あるよね
ナガスネヒコとヒミコをさ
986 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:47:57.63 ID:T2eUtY21O
ウマシマジが主君をイワレビコに変えただけで
そういう意味では連続性はあるよね
987 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:53:02.51 ID:sG68Wgmy0
>>981>>985 三世紀終わりから四世紀にかけてというのが多くの見解じゃないのか?
世紀100年を数年のスパンやガラリと数字通りに切り替わるかのように言うのも恣意的だな。
988 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 13:54:20.57 ID:MTwNNUOt0
まだやってたのか
卑弥呼は宇佐神宮本殿の下に眠ってるだろ
嘘だと思うなら掘ってみなよ 許可が下りるかどうか分からんけど
一緒に埋葬された奴婢は発掘されてる
邪馬台国はその近くだね
989 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 14:00:53.08 ID:6jOYWy5d0
>>988 宇佐神宮の創建て8世紀前半、ちょうど記紀と同じ頃
ちょっと無理ジャマイカ?
邪馬壹国が畿内ってのは、日本の旧帝大学者だけの妄想。
世界的に九州北部で確定している。
991 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 14:02:55.57 ID:MTwNNUOt0
どうして宇佐神宮と卑弥呼が同年代だと考える?
>>980 何で除いたらイカンの?
検証も出来ない文献なんだから元々たいした意味ないんだよ
箸墓の前では塵に等しい
この九州畿内論争が、学会の政争というのなら、
あとどれ位経てば科学的な検証が行われるんだい?
ハッキリ言ってしまうと、誰が卑弥呼と同じ世界に行けばいいんだ?
996 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 14:06:51.11 ID:MTwNNUOt0
あ、ちなみに記紀に全幅の信頼を置くのは危険だよ
あれは大化の改新後に、藤原鎌足が自分らの都合のいい部分だけ集めたものだから
徳島説っていうか四国山上説ってトンデモ本だけど
多方面から検証してあって、説得力あるんだけどなぁ。
998 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 14:07:13.12 ID:tKf1+2yCO
>>976 幾内には鉄器と青銅器が少ない
あと九州に露骨な戦いの痕があるのがなあ
戦傷のある人間など幾内では出土していないだろう
戦死した人間はもちろん幾内にも居ただろうが、
歴史に残るような埋葬をされていない
墓守代わりに神社建てたんだろ、普通は墓の上に社殿建てないよな
1000 :
名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 14:08:50.89 ID:j/mx5vUh0
>>996 誰も神武帝が天から降りてきたとか、信じてないけど、
それに類する歴史的事件があったのではないか、とは思ってる。
それを実証する考古学的証拠がないので、あくまで説だけど。
でも、本気で検証すべきは古事記より日本書紀だよね。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。