【埼玉】時を超えて甦った徳川将軍の弁当 「相当ぜいたく」な中身とは?

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1そーきそばΦ ★

徳川将軍の専用街道「日光御成道(おなりみち)」の宿場町だった埼玉県川口市が、かつて市内の休息所で将軍が食べたとされる弁当を再現する試みに挑戦している。
13日には、専門家が分析したレシピに基づき、老舗料亭の料理人が当時を想像して調理した弁当の試食会を開催。完成した弁当は10月6日、
徳川宗家第18代当主、徳川恒孝氏を招いての昼食会で披露される。江戸時代、将軍様が食べていた弁当の中身とは果たして−。(市岡豊大)

 今回のプロジェクトで川口市は、江戸時代の食文化に詳しい女子栄養大学の島崎とみ子教授(70)にレシピ作成を依頼した。島崎教授は、
徳川8代将軍吉宗が享保13(1728)年に日光を社参した際の記録である「享保日光御参詣」に着目。その中に、
吉宗が現在の川口市本町にある「錫杖寺」で食べたという弁当の献立に関する記述があり、それを基に当時の料理書も参考にして再現した。

 その献立は、焼き豆腐▽広かんぴょう▽山のいも▽梅煮ぶし▽生干かます▽むし貝▽干しょうが▽白飯▽豆腐のみそ汁
▽砂糖−(一部省略)。4段重ねの重箱におかず、別の2段の重箱に白飯が入れられ、みそ汁が別に出されたという。これらは江戸で調理され、持ち運ばれたようだ。

 1段目の焼き豆腐は豆腐に焼き目を付けた後、酒と醤油で煮る。広かんぴょうはかんぴょうをゆで、酒、醤油、かつおだしで柔らかく煮る。
山のいもは自然薯をごま油でつけ焼きする。

産経新聞 9月18日(火)11時11分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120918-00000529-san-soci
画像 再現された弁当の一部。右側の小皿に入ったものから時計回りに広かんぴょう、塩山椒、山のいも、砕き豆腐、
こまごま菜、御香物、焼き豆腐、酒ねりひしお、生干かます、中央の2品は右から、むし貝、梅煮ぶし
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120917/stm12091723080003-p1.jpg
(続)