【文化】 大和政権の影響、新潟まで 弓や銅鏡の副葬品出土
新潟県胎内市にある日本海側最北の前期古墳「城の山古墳」(4世紀前半)から、畿内の
強い影響がみられる漆塗りの弓や靫(矢入れ)、銅鏡などの副葬品が見つかり、同市教育
委員会が6日に発表した。
日本海側でこれまでに同様の副葬品が確認されたのは、石川県七尾市の国分尼塚1、2号墳が
北限だった。大和政権の影響範囲の広がりを裏付ける発見で、発掘指導委員会委員長の
橋本博文新潟大教授(日本考古学)は「大和政権が東北に対する前線基地として有力者を
取り込み、権勢を示す財物を渡していたことがうかがえる」としている。
ソース 西日本新聞 2012年9月6日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/322578
645年までには仙台まですでにヤマト朝廷の範囲だった。
>会津も、陸奥国に組み入れられる以前は出羽国領域だった。
これは間違い。
会津はもともと石背国造の領域。
その後、718年に陸奥国の領域になったが、718年に陸奥国から石背国・石城国が
分離されている。(その後、再び陸奥国に戻されたけど)
ちなみに石背国と石城国言うのは645年以前にすでに大和朝廷に服していた領域で
国造治めていた地域と重なる。(現在の福島県全域と宮城県の南端)
なんやら自称えらい人がでてきてさ、あたかもすんごい学者みたいに、断定、否定していくスレです。
↓はい。はじめ。
5 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 18:42:02.33 ID:j7uwTyJ10
ミシハセだっけか?そんなんがいたんじゃないの?
民主党政権の悪影響は世界中に拡散した。
7 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 18:45:35.36 ID:bffn6Ldc0
たしか古墳時代の墓なんかみても、西日本とつながりがあるんだよな新潟って
8 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 18:47:11.49 ID:sPXcBdrb0
イスカンダルまでだろ
ダイワ政権て何よ?
10 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 18:52:21.55 ID:MMtZfL4bO
11 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 18:53:16.01 ID:zr+FOutO0
んで、結局邪馬台国ってどこにあったんだね。
12 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 18:54:50.68 ID:LUjfwVaW0
14 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 18:57:28.01 ID:fR/a6HIW0
4世紀前半は百済も新羅もまだ建国されてない時期だな。
継体天皇とか越前の人だったような。昔は日本海側の海運は盛んだったし
それほど不思議では無いような
ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120906/ngt12090617100004-n1.htm 日本書紀の崇神(すじん)天皇10年9月には、大和から東西に4つの遠征軍(四道将軍)が
派遣されたと記されている。崇神天皇は実在が確実視できる古代の天皇に一人で、その治世
は3世紀後半から4世紀初頭とされる。
一方、古事記の記述では、大彦命は阿賀野川をさかのぼり、会津で太平洋側から遠征してきた
武渟川別と出会った。「会津」(福島県)の命名伝承だ。
それを裏付けるように、会津盆地には会津大塚山古墳など4世紀代の古い前期古墳が築かれ
ている。城の山古墳の畿内的要素が確認されたことで、これらの伝承の背景となる史実の存在
も浮上してきた。
これまで、越後には直接、畿内と関係した副葬品や埋葬主体を持った古墳はないとされていた。
この説を覆す今回の発見に、研究者らは驚きを隠さない。
18 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 19:07:56.17 ID:SLYXw8040
20 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 19:26:46.33 ID:V3OF8XNK0
関東や東北でゴッドハンド藤村が捏造しまくってた遺跡は全て分かったのかな
21 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 19:33:31.41 ID:4mTzhwVE0
だれかが埋めたのね。
22 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 19:39:53.66 ID:Y0hHnNK/0
越後国の南部は越南でよろしいか
23 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 19:40:49.22 ID:pcdTIeJk0
そこまで広がっても大和朝廷とは言えないのかw
韓国は売春産業で外貨獲得している
韓国では売春は輸出産業なのだ
日本では鶯谷はじめ不法滞在で売春している韓国人を一斉取締りして本国に追い返そう
鶯谷のデートクラブ嬢は韓国人と中国人ばかりだ
みのもんたが鶯谷から実況放送してみろよ
25 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 20:34:56.74 ID:NUw/H85J0
反日左翼学者ども涙目wwwwwww
保守系考古学者の間ではすでに常識w
奥州ってなんだかよくわからんね
四道将軍の東征がこれで証明できたようなものだから
大和朝廷で正しいな
28 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 21:39:54.34 ID:NUw/H85J0
普通に古事記や日本書紀に書いてあるんだよ。
支那の歴史書にも書いてある。
なのに反日左翼学者は、邪馬台国や大和政権を小さく小さくしようとする。
もはや捏造。
なぜそんな事をするのか?
それは、朝鮮半島から日本に文明が伝わった事にしたいからwwwwwwww
まだ朝鮮半島に国家すら無かった時代に、日本が大国だったら都合が悪いだろ?
そういう事。
俺達は、反日左翼学者によって作られたウソの歴史を日教組教育で教えられてきたのさ。
29 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 21:48:14.23 ID:btMGV7Sz0
海運使えば越後は割りと便利だ
新潟もN遺伝子多いのか
30 :
名無しさん@13周年:2012/09/06(木) 21:49:31.29 ID:NUw/H85J0
新潟は新潟でも、今回の古墳は阿賀野川より北の新潟北端だからね。
ここまで勢力圏内に収めていたからこそ、高句麗と五分五分の戦いが可能だったわけで、好太王碑文の内容とも辻褄が合うわけだ。
人骨も出土しているそうだから、DNA鑑定でこの古墳に埋葬されている人がどういう系統の人かもわかるね。
楽しみだwww
反日左翼学者は涙目だろうよwwwww
>>30 必死に否定してくるんじゃない?
明らかに実用武器になっていってる過程の青銅武器(大型化)すら、
祭器化と言い張ってる左翼多いし。
日本では戦争はなく武器は祭器とすれば、
広開土王碑とあわなくなるからそうしたいのかもしれんけどね。
大和朝廷は既に成立していたと考えるのが普通なんだろうけど
韓国面に堕ちた人たちが必死で抵抗するからね
大和王権とまで蔑んでる教科書もあるくらいだし
まず日本に元々ある文献をいきなり全否定から入る事を直さないと
中国などにあるまた聞きでしかない日本の文献は全肯定するくせに
33 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 09:31:03.91 ID:bJV+hTXr0
反日左翼に都合の悪いスレは伸びないの法則。
34 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 09:50:55.13 ID:nGeryV110
>>23 まだ中央集権のシステムや法がないってのも朝廷じゃないとした理由のひとつだったかな?
>>35 それは中国の文明の話であって、現代の半島文明とは何ら関係がない、
という主張で合ってる?
37 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 11:33:32.14 ID:ksJyLm4Q0
>>35 そういう意味で、百済の王族貴族の支配層は漢族である可能性が高いんだよね。
だからこそ、大和政権は超大国唐を敵に回してまで百済に肩入れしたのかも知れない。
これまた辻褄が合うんだよね。
ただ、楽浪郡ができる以前から倭国はそれなりの大国だった可能性が高い。
邪馬台国畿内説を取ればそうなる。
日本人なんだし、日本スゲー!をしたいのはわかるが、
1600年も昔に遡って倭国スゲー!ってのはどうなんだろうな?
当時の文明は朝鮮>倭国であり、
半島からの渡来人によって倭国の文明が発達した、
それでいいじゃないか
39 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 12:33:43.74 ID:nGeryV110
好太王碑によると、当時の倭国は朝鮮半島を侵略しようとして、
逆に好太王にコテンパンにのされたらしいな
1500年後、日本軍がまったく同じ過ちを繰り返し、
そして現在、今度は経済的な意味でコテンパンにのされている、と
なんか情けないなぁ・・・
42 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 12:52:47.98 ID:b+vq9c/+0
>>11 邪馬台国の存在有無すら疑問あるし、もう学者と呼ばれる人達は関心ない
その時代のことは大分わかるようになってきたから
元々邪馬台国自体、中国の歴史書の別冊の一部にちょっと載ってるだけだから
当時の著者も嘘は書かないまでも、どこまで本当かは分ってないし
そこまで本気に書くような事柄じゃないから
まだ大和王朝とかデタラメこいとんのか
ほんと我が国の歴史学はしょうもないなぁ
「ヤマタイ国」ってさ、江戸時代のバカ学者が捏造したんだろ?w
『古代の出来事とはいえ偉大なる大和王権が中国ごときに朝貢するはずがない!
よって大和王権とヤマタイ国は別物!』 とか言ってサw
日本の学者って、今も昔もバカばっかりだなァ!www
45 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 13:06:34.00 ID:Y5aK5tS40
テクテク歩いて伝えていったんだよね。テクテクテクテク。
時々ポクポク。気が遠くなるなあ…。
この後の5世紀の話になるけど、倭の五王ってどうみても天皇じゃねぇよな
ワカタケルとかチョンもビックリ級のこじつけ方してるしw
日本の歴史学者ってホント馬鹿だよなw
ヤマトうぜえ
俺はまだ縄文生活を楽しみたいんだ
着実に倭国の支配領域を広げていった大和王権。
ですが、5世紀には越の国の渡来人・男大迹王によって大王の地位は奪取され、
以後、朝鮮人の血を持つ一族が天皇家として倭国・日本を支配するようになります。
文明的な古代倭国に土人がニダニダとわからん言葉で上陸などしたら、土地の王に袋叩きにあい男は殺され女だけ奴隷にされたと思われ。
>>48 しらんけど、ファンタジー作家しかいない朝鮮と一緒にしないでくれるかな?
口臭いぜお前。
この時代の半島南部の国家(任那、百済等)は倭と近縁だからな。
但し、現代の朝鮮人の祖先であるワイ人(後に新羅を支配)とはこの頃から仲が悪かったようだ
>>48 同意
日本古代史はアホ臭くてついていけないね
>>50見れば分かるとおり乗っかるほうもバカ
55 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 14:02:21.35 ID:bJV+hTXr0
>>52 日本の左翼学者がその半島ファンタジーに合わせて歴史教科書を作るから困るんだよね。
半島で勝手にファンタジーをやってるぶんには誰も文句は言わないんだけどさ。
嘲笑はするけどwww
支那の古代王朝の歴史書に頻繁に登場する倭国。
邪馬台国という大和政権に似た名の国家が魏の歴史書の周辺民族編の中でも多くの部分を割いて書かれている。
反日左翼にかかれば、これら半島ファンタジーに合わない記録はすべて無かった事にされるからねwww
56 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 14:32:17.30 ID:FuZhICGc0
金印 漢倭奴国王印
出土してるのでヤマトは邪馬台国で福岡県が
卑弥呼 の所在地で大和の発祥は北九州でいいんじゃないの
邪馬台国は中国お決まりの当て字で大和国と
火巫女か
渟足柵(ぬたりのき、ぬたりのさく)今の沼垂があったんだから当然だろう
58 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 14:34:47.85 ID:FuZhICGc0
山陰厳島など道のりの跡では
59 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 14:43:51.36 ID:FuZhICGc0
漢は西暦220年に滅亡してるので
金印は価値のないもので東征するとき持っていかなかった
金印をもらったのは奴国であって日本じゃないだろ
61 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 14:50:02.83 ID:FuZhICGc0
奴さんという意味でないですか
倭ザルまではひどくないが
魏志倭人伝の中に「奴国」って単語があるの知らんのか
63 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 14:52:16.27 ID:ndWd93F/0
そういやぁ 室町時代でアイヌは消滅していたらしいな
ほぼ同化で
アイヌといっても東北北海道だけじゃなくて樺太超えて大陸にまで分布していたそうで、あくまで北海道までのアイヌのはなし
>>2 ボクの息子も胎内市の入口に立ちたいです(><)
65 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 14:58:15.31 ID:UVuPjShhO
(´・ω・`)そりゃ蝦夷だ
66 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 15:35:05.47 ID:vBvCSbV3O
このニュースを見て驚いたのは、
学者達の反応が「ああ、やっぱり四道将軍の話はホントだったんだね」ではなく、
「ええ?まさか四道将軍の話はホントだったの?」って感じだったという事。
こいつら記紀を何だと思ってんだ?
>>56>>62 金印に書いてあるのは「委奴国」であって「倭国」ではないんだが。
67 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 15:38:12.53 ID:c1d9Ka7F0
邪馬台国は新潟に決まりだな
68 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 15:40:33.05 ID:FuZhICGc0
ま 金印漢が贈るからには
和国支配待遇でないですか
69 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 15:40:45.98 ID:8hRaWOP40
新潟県に弥彦山っていう佐渡島の対岸の山があるんだが、そこの弥彦神社の社伝には
「熊野の神倉神社の神がこちらへ渡ってきた」
とある。神武天皇の東征では、ヤタガラスと共に熊野から上陸した、となって
いる。
>>66 そういう学者は左翼イデオロギーに囚われた学者じゃないの?
当時を示す有力な文献は記紀なんだから、どこかに改竄や間違いがあるんじゃないか?と
考えるのは良いしそうあるべきだから頭から捏造と思ってるとしたらその学者の頭がおかしいわ
71 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 17:05:17.38 ID:bJV+hTXr0
日本の大学は、なぜ左翼系教授に支配されているのか?
それは、右翼系の教授の授業や研究を左翼学生に妨害させ排除してきたからである。
そうやって功績の無い左翼系教授がのさばってしまい、教授会で新しい教授を決めるときに、左翼系や在日ばかりを好きなだけ教授にできるようになった。
いくら真面目に研究をしても、驚くべき功績を残してもなかなか教授になれないという話はイデオロギーによって妨害されているからに他ならない。
そして、最近はノンポリの大学にも触手を伸ばすようになった。
大阪の某大学では、留学生の自殺をイジメが原因だと反日マスゴミを使って大騒ぎし、左翼弁護士を送り込み、とうとうアグネス・チャンを客員教授として押し込むのに成功した。
肝心のイジメ疑惑の真相は謎のままだ。
大学は、戦前の反省とやらで自治が認められているので政府が手を出せない。
政府の手が出せないところに巣を作るのが反日左翼。
そして、こういった日本の歴史も歪められ捏造され続けるわけだ。
72 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 17:08:34.30 ID:BV5AUHpj0
googlemapで新潟県の最北端、山形県との県境を見てみると
「日本国山」という山がある。
最初見たときは誤記かと思ったら正真正銘、「日本国」という名前の山なのだ。
言い伝えによると聖徳太子の時代に「日本はここまで」という意味で
そのような名前が付けられたというが、
ちょうど
>>1の記事の4世紀頃の時代ととリンクしていて面白いな。
出雲から諏訪に話が続くんだよな?日本神話って。
74 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 18:40:53.48 ID:fT/oIP6y0
75 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 18:42:46.55 ID:Q3He/8pzO
スレタイが一瞬「弓削の道鏡」に見えた
>>16 出雲と諏訪の繋がりを考えれば、新潟くらいまでは行くだろうな
糸魚川の奴奈川姫さんのころは、出雲と日本海連合組んでたのにな。
いつからヤマトさんちの子になっちゃったんだろ。
>>72 うお、面白いな。県境ってのはやっぱ昔からのいきさつの末にあるんだなと。
わしが中学生のときは、大和王権って習ったんだが、何で文言が変わってるの?
80 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 18:57:26.21 ID:KB9twYx9O
81 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 19:01:02.28 ID:KB9twYx9O
>>78 わしのころは大和朝廷
多分、左翼のせいで
大和朝廷→大和王権→大和政権
>>80 まあ、マジで東北以北は百済の支配下にあったって学説もあるから
あながち間違いとはいえないかもな。
>>82 百済では自分のことをウリと言わないかったようだが。
84 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 19:09:01.93 ID:nGeryV110
>>42 少なくとも編纂者側のバイアスは入っている。
倭は会稽東冶の東とかはそのひとつ。
現代なら黒潮が暖流で暖気を日本に運ぶという知識があるが、当時はそんな知識はない
から長江河口付近と同じような風土ならその東だろうと。
現代日本人が気候風土だけしかイギリスの情報が無ければ、東北から北海道くらいの位置
だろうと思うかな。実際は樺太北部くらいだが。
上記のような感じなので、邪馬台国の位置情報は会稽の東になるように編纂された疑いがあ
る。
従来は方向が間違っているか距離が間違っているというのが主流だったが、それは編纂者の
知識や世界観に言及していなかったから。中国の方が文明が進んでいたんだから間違うはず
がないという偏見による。
85 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 19:11:38.92 ID:nGeryV110
86 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 19:15:40.36 ID:xvgeHQOD0
だからプヨは現朝鮮民族と血の繋がりないからw
ロンパwwwwww
87 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 19:16:55.90 ID:nGeryV110
>>63 アイヌは複数の生業と言葉を別とする部族の集合体。
江戸時代あたりでも仙台藩で交易系のアイヌの出先と思われる村があったことが記録されている。
88 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 19:35:27.88 ID:I+UuypHm0
アズマによるヤマトへの文化抑圧政策の逆境にも負けずよく発掘したな
アズマ政府は日本の遺跡を闇に葬るのを推奨してるからな
ヤマト国家の遺産は日本を僭称する奴らには邪魔な存在だから
>>51 そのころニダニダエベンキはいないよw
>>82 ファンタジー作家乙としかいえないな。
90 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 20:03:20.01 ID:vBvCSbV3O
>>84 風土関係無いから。
普通に船で行き来してるから。
当時、「会稽東冶の東」には深い意味があった。
「魏志倭人伝」が書かれた晋の時代、
「会稽東冶」とは晋の対抗勢力である呉の事だ。
つまり、
「呉の東には、南北に広がる大国があり、これは晋(実際は魏)の属国である」
となり、
「呉は包囲されている。諦めてただちに投降せよ」
と言いたいわけだ。
もう一つ、魏書では、
「魏の将軍、司馬懿が東北を征伐して東のルートを開き、魏の版図が拡大した」
(司馬懿のライバル、曹爽が西の大月氏国を封じた事に対抗している)
「功臣司馬懿の孫が晋を興したので、司馬一族こそ魏の正統後継者である」
というストーリーがあり、倭国が晋の正統性に利用されているのだ。
91 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 20:09:09.94 ID:kuKypQ+F0
日本人の直接的なルーツは3000年前に台湾からポリネシアの島々へカヌーで渡り始めた人々です。
太平洋側の宮崎県に「天孫降臨」したことや、神武天皇の母親が暖かい海域にしか生息できない「サメ」とされて
いることからもよくわかる。そして神武東征で畿内に上陸した場所もやはり太平洋側の和歌山県と三重県のあたりだ。
そしてポリネシアの島々の人々は今でもカヌーを乗り回しているのだが、ポリネシアの島々には
家族・一族単位でカヌーに乗ってやってきて、今でも血縁者のことを「カヌーの人」と呼ぶらしい。
神武天皇はカヌーというサメに似た乗り物に乗って一族とともに太平洋側の宮崎県に天孫降臨した、
ということだろうね。
いずれにしても、神武東征も「舟軍」で出発していたり、あまりにも古い時代の割には異様に航海に
長けていた民族だということはわかる。カヌーを駆使して南洋からやってきたことをよくあらわしているといえるね。
>>85 ヨコだけど
こないだ韓国の教科書紹介ってスレがあって
そんな感じの見た気がするな
教科書だから学説かどうかはしらんが
93 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 20:14:51.82 ID:kuKypQ+F0
そもそも韓国は中世以降に北方から侵入してきたエベンキ朝鮮人の国。
百済や新羅はおろか、高麗との関係さえない、正体不明のゴキブリ朝鮮人なんだよな。
得体の知れない正体不明のエベンキ朝鮮人が勝手にハナクソのような朝鮮半島の歴史にさえ
コビリグソのように寄生しているという現実。
新羅や百済でアリランを歌い踊ってたとでも思ってるのかねバカチョンは。
たとえば、お前ら自分の隣の家の「鈴木さん」がある日、突然に謎の顔エラ怪人に変わっていて「鈴木ニダ」
「お金を貸してほしいニダ」と言ってきたらどうする?
朝鮮半島ってそういう正体不明の犯罪ゴキブリ民族がひしめいてる状態だから犯罪が起きまくるのだよ。
だから竹島を侵略して興奮状態にしないと国としてまとまることも不可能という。
95 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 20:17:01.65 ID:kuKypQ+F0
>>50 まーた始まった。
桓武天皇の母親が百済の王族が亡命帰化して10代目だったことを言いたいのだろうけど、
百済や新羅は日本の属国だよ。たとえば新羅の王様は三代目以降は日本からやってきた人物に
とってかわられてしまったほど。
しかも数百年も野蛮な倭人に統治されていたのだから民族浄化していて倭人化していたことだろうね。
まあ桓武天皇の母親が差別されていたことを考えれば、半島が古代から蔑視の対象で
格下とみられていたことだけは確かなことだ。
ところで、新羅や百済が日本に文化を伝えたニダ!とか言ってるバカチョンがいるけど、それならなんで
「アリラン」は伝わらなかったのだろうね。
正体不明のエベンキ朝鮮人くん、君たちはいったいどこの何者なんだい?
∧_∧ <全て朝鮮が教えてやった文化ニダ!!
(( <丶`Д´>
/ ∪ ∪ ))
し―-J
97 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 20:19:22.31 ID:kuKypQ+F0
>>14 なんでだと思う?
実は、人類というのはおよそ7万年前にアフリカ大陸を出た数十人のグループがルーツで、
5万年ほど前にはオーストラリアにアボリジニが到達していた。日本の縄文人もそれぐらい
古い民族の可能性があるわけだ。実際、1万年ぐらい前の証拠は出てきている。
つまり、新羅と百済は「縄文系の遺伝子が濃い民族だった」可能性が高い。
現代の正体不明のエベンキ朝鮮人とはまったく別物だったということ。
98 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 20:22:28.77 ID:kuKypQ+F0
>>38-39 朝鮮半島は少なくとも遼、モンゴル(元)、後金(清)に蹂躙された上で服従する破目になってるからね。
だから新羅や百済の話で「現代の朝鮮人」を語っても無意味。古すぎる。
騎馬民族の侵攻だと被害受けるのは政権と軍だけにおさまらない。特にモンゴルの侵攻では灰燼に帰してる
人口が減った上に交配が起こったら影響は当然に大きい。高い頬骨と平面的な顔を持つエベンキ朝鮮人が誕生したわけだ。
さらに中国に優秀なのや美女から奴隷としてどんどん連れていかれ、朝鮮半島は犯罪者の流刑地になっていた。
競馬やってればわかるだろうけど、そんなことやった果てがいまのエベンキ朝鮮人。
見ての通りのキチガイと不細工だらけになって顔も歴史も整形しないとまともに生きていけなくなってしまった、ということだよ。
ようするに朝鮮半島は「アジアの公衆便所」なわけですw
だから朝鮮人は外見も中身もアジアのウンコの塊www
>>38 38 :名無しさん@13周年 :sage :2012/09/07(金) 12:25:49.61 ID:GoeZMlRt0(3)
日本人なんだし、日本スゲー!をしたいのはわかるが、
1600年も昔に遡って倭国スゲー!ってのはどうなんだろうな?
当時の文明は朝鮮>倭国であり、
半島からの渡来人によって倭国の文明が発達した、
それでいいじゃないか
41 :名無しさん@13周年 :sage :2012/09/07(金) 12:50:19.64 ID:GoeZMlRt0(3)
好太王碑によると、当時の倭国は朝鮮半島を侵略しようとして、
逆に好太王にコテンパンにのされたらしいな
1500年後、日本軍がまったく同じ過ちを繰り返し、
そして現在、今度は経済的な意味でコテンパンにのされている、と
なんか情けないなぁ・・・
50 :名無しさん@13周年 :sage :2012/09/07(金) 13:32:17.83 ID:GoeZMlRt0(3)
着実に倭国の支配領域を広げていった大和王権。
ですが、5世紀には越の国の渡来人・男大迹王によって大王の地位は奪取され、
以後、朝鮮人の血を持つ一族が天皇家として倭国・日本を支配するようになります。
>>90 珍説乙
三国志は三国統一後成立
呉に対抗云々は無関係
そもそもなんで歴史書で対抗せにゃならんのだw
101 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 20:26:48.11 ID:nUyh8v0WO
おいおい。ここは、何故かハングルで書かれた石碑が発掘されて、「新潟は韓国の領土ニダ!」って泣きわめく展開になるべきだろ常考。
でもって、何故か田中真紀子がその意見に賛同する、と。
>>44 普通に考えれば、邪馬台国=ヤマト国だよな
「大昔に、天皇の祖先が中国に朝貢してたなどありえない」
とかっていう前提で論じるから、邪馬台国と大和朝廷を別物にする意味不明な状態になった
魏志倭人伝
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html 男子は大小と無く、皆黥面文身す。
古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。
夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。
今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。
文身は亦以て大魚・水禽を厭う。
後やや以て飾りとなす。
諸国の文身各々異なり
あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。
※黥面=顔の入墨
※文身=体の入墨
>>103 ヒミコは、
公孫氏に対して朝貢したりしていたところを、
魏が公孫氏を滅ぼしてしまったので魏に乗り換えたという話があるな。
白村江の戦いや、朝鮮半島南部に影響を及ぼすまでは小国の時代も
あったのだろうから、そこはあまり気にしないで客観的に歴史に書いてほしいものだけどね。
106 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 21:12:37.55 ID:nGeryV110
>>90 船で行き来できたのがどう繋がるの?
深く考えていないで言ってるでしょ。
>「会稽東冶」とは晋の対抗勢力である呉の事だ。
これもよくあるやつだね。司馬懿の件も。
だからなんなのってこと。
肝心の陳寿の思想や世界観、調達した情報とその処理についての考察は?
できてないでしょ。
それが欠けているって言ってんだよ。
107 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 21:16:34.45 ID:nGeryV110
>>105 漢の勢力後退によって、中原から倭までの交易路を遼東の豪族の公孫氏が抑えていた。
倭からは楽浪郡に出向いていたが、そこは公孫氏の勢力圏で公孫氏がおそらく僭称していた。
公孫氏が滅んで魏が植民郡に乗り込んできて直接交渉になったという経緯。
108 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 21:18:27.61 ID:mTCiXkBu0
>>82 北朝鮮が1960年代に分国論って代物を発表してたっけ
それ以前に、終戦直後の1945年の韓国で崔南善が日本の北陸は朝鮮領と
劣等感丸出しの本を出版してるがw
109 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 21:21:23.70 ID:t46Q8LkA0
当時は東日本より西日本と朝鮮半島のほうが
よほど言葉もちかっかったんだろ、多分。
110 :
消費税増税反対:2012/09/07(金) 21:23:28.32 ID:u3w6WOdMO
朝廷とは呼ばんのだな
>>99 こてんぱんやられた相手は「唐・高句麗連合軍」農地「唐」な。
>>109 東日本には高麗川とかいろいろ朝鮮半島ぽい名前が多いよね
関東には朝鮮半島からの帰化人の子孫が多いんだろうね
最近は大和王権と教えているようだが
4世紀前半に新潟まで達してるんだからこれまでより早い段階で
統合が進んでいたんだな
これで邪馬台国が九州にあったと考える人はいないだろ
116 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 21:36:55.82 ID:nGeryV110
>>109 通訳が必要だったことは記録されている。
ただ、倭人は半島にもいた。半島倭人やその混血は「韓子(からこ)」と呼ばれた。
>>112 奈良時代に畿内の半島帰化人を関東に入植させた。
5000人もいない。当時の関東の人口は90万人以上(日本全体で600万人)。
しかも中心地からかなり外れた未入植の辺境にバラバラで。
多分、ヒミコ=アマテラスだろう
で、邪馬台国=ヤマト国
>>115 九州にあったのはどう考えても地方王権だよな。
平安時代になっても、畿内でさえ全然開拓されて無いド田舎なのに
3世紀だの4世紀だのに畿内に王朝なんざあるわけねーだろバーカ
そもそも、日本のバカ歴史学者は3世紀だか4世紀だかに
畿内の大和王朝が日本を統一したみたいにほざいてるのに、
その根拠地である首都が特定できないって抜かしやがる
こんな結論先に出してるバカがあるかよ
121 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 23:20:43.07 ID:nGeryV110
122 :
名無しさん@13周年:2012/09/07(金) 23:22:04.83 ID:/vB1kesT0
意外にも新潟では関東で禁止されてる吉本新喜劇が放送されてたりする
>>119 安心しろ。
朝鮮ほど何もないわけじゃないからwww
>>47 そうだよなあ。まあ舟もあるだろうけど。
手土産に土器とか背負っていくんだもんな。テクテク。
>>105 客観的に書こうにも、継ぎ接ぎだらけの記紀を編纂した時点でそれ以前の記録を各地から徴収して処分しちゃったもんだから
もう物的証拠から推測するしかない状況なんだよね
>>124 新潟の沿岸部は湿地や潟が多く山形に至る山間部は山賊が多いから海路の可能性がある。
奈良時代後期まで越後から秋田城に至るルートの構築で苦労している。
結局は太平洋側の多賀城から山を越えて雄勝に入る内陸ルートになった。
>>125 長屋王宅跡みたく木簡がまた大量に出てこないかねえ。
全部整理が終わるのに半世紀かかるけどw
127 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 09:28:50.79 ID:ZNUZZSPM0
ここ含めた「越」って継体の出身地と言われているから
影響どころか本貫地でもいいんじゃないの?
>>127 時代が違うというかそもそも継体に繋がる王家の本拠地は近江だよ
時代はともかく、琵琶湖の海運と日本海側の海運はセットで重要だから、
あながち無関係とはいえないかもね
130 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 12:09:47.75 ID:XCUvFzR80
しかし神武東征の「舟軍」って記述は面白いね。一般に帆船を船、手漕ぎの小型のボートみたいなものを「舟」と書く。
3000年前あたりからカヌーで台湾からポリネシアの島々に渡り始めた人類の太平洋側の宮崎県に天孫降臨したのが
やはり日本人の直接的なルーツということだろう。
>>130 まぁいうたらヴァイキングも舟で襲撃してたしな。
132 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 12:12:27.64 ID:XCUvFzR80
あの時代にやたら外洋の航海に長けていた民族は台湾あたりにしかいない。
カヌーを身近で強いサメに見立てて神武の母親がサメ、ということになったのだろう。
もっと南にたくさんいるだろw
134 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 12:17:07.42 ID:m7NYqoog0
>>130 朝鮮半島に任那日本府を建設し百済新羅を制圧。
超大国隋が何度遠征しても勝てなかった高句麗相手に互角の戦いをするほどの兵力を半島に送り込む動員力。
すべて航海技術が無いと不可能な事だよね。
今回発掘された
>>1の古墳に埋葬されていた棺も舟型だった。
大和朝廷のルーツに海洋民族が関わっている可能性は大きいね。
135 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 12:18:32.49 ID:XCUvFzR80
そして日本で海軍といえば平家。そして平家は赤い蝶紋。陸軍の源氏が白旗か。
日の丸は倭人を中心とした国家である日本を実によく象徴していると言えるね。
そして倭人の赤が広がる旭日旗にエベンキ朝鮮人や中国人が嫌悪感を抱くのは
本能的なもの、ということか。彼らは倭人ではない、ということ。
136 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 12:22:17.18 ID:BG4J01P+0
こういうニュースソースに触れる度に
嗚呼、日本に生まれて良かったなあ〜と思える。
137 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 12:26:30.71 ID:BG4J01P+0
>平安時代初期の『弘仁私記』序にはある人の説として、
>倭人が自らを「わ」(われ)と称したことから「倭」となった、とする説を記している。
wikiから倭の由来部分を抜粋したが、東北の人って自分の事を「わ」って言うよね?
ひょっとして上述の名残かね?
>>134 海を越えて武力制圧するのは力の差があっても難しい
高句麗の圧力に耐えられなくなった百済が、任那の地と引き換えに倭に支援を要請してきたとしか
もっと前から任那はあっただろ
140 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 15:25:44.81 ID:sT4+KFOu0
ここ、地元で「ひとかご山」って言われてた
かごをひっくり返したみたいにこんもりと丸く盛り上がった丘が田んぼの中に忽然とあって、杉か松が生えて林になってたとこでしょ。
古墳じゃねーの(笑)ってずっと言われてたけどホントに古墳だったんだねー。
胎内市というのはもとは中条町、町村合併で市になるときに町内を流れてる胎内川から名をとった。
そして胎内川というのは下流が石ころや砂利ばかりで川が途中で地下に潜る。
そして海に近い地域で「どっこん水」として湧き出ていて、水芭蕉の景勝地となっている。
水が寺社でもよくある「胎内めぐり」をして出てくるんで胎内川という。
>>135 倭人は、チャイナとか北朝鮮とかと違って、
赤一色にハンマーとか星とかじゃ無い民族なんだよね。
142 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 16:58:11.29 ID:97Cpewh90
そもそも古代倭国は独立国ではなく韓半島の勢力圏内だった。
143 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:03:28.10 ID:97Cpewh90
倭の勢力範囲外だった日本東北地方と北海道島は大陸国の支配地域だった。
うむ。
韓国では京畿道とか慶尚道のように地名に道が付く。
一方、日本は県だ。北海道は紛れもなく韓国領。
145 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:17:58.95 ID:97Cpewh90
146 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:19:06.63 ID:n+2T7646P
>>103 邪馬台国という漢字に引きずられてヤマタイ国と呼ぶわけだが、
邪馬台=ヤマトに当てた漢字と考えた方が良いんじゃないか?
ヤマトと耳で聞いた古代シナの文官が適当な漢字を当てたんだろう。
147 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:24:23.91 ID:n+2T7646P
>>142 ID:97Cpewh90
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>>144 そういうことか、それで、北海道を自分の領土と勘違いしてる馬鹿が増えるのかwww
149 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:29:09.05 ID:uYLnyMEti
>>146 元々ヤマイと読んでいたという説がある(つまり邪馬台は後年の誤記)。
他にも元の意味が違っていて、偶然読み方が似ているだけという説もある。
150 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:29:28.68 ID:97Cpewh90
>>148 しかしそれは違う。
昔の日本は韓国の影響で東海道や南海道と付けていた。
日本帝国になって県と名前を変えた。
151 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:30:23.92 ID:ty50Wchr0
新潟は日本人か、それとも関東東北のようにエミシ民か、という問題にそろそろ結論が。。。
152 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:31:52.02 ID:mR1vk00FO
半万年間、ずーっと中国の属国だった朝鮮半島。
皇帝の使いに国王自らが跪き、毎年、二千人の美少女を献上していたのが朝鮮半島の歴史のほとんど。
そして、日清戦争で日本が清に朝鮮の独立を認めさせてあげてできたのが大韓帝国。
日本が保護しなくてはならないほどにヨレヨレで、日本国内では「独立国としては無理だ…併合すべき」という主張と、「いや、朝鮮の皇帝を中心に日本と並立する形での合邦がよい」との主張に分かれた。その後者の重鎮が伊藤博文。
その伊藤博文を「伊藤の奴は尊敬する明治天皇の父君を暗殺した。許せない。殺してやる。」などという危険思想を持った安重根が暗殺し、朝鮮王朝の廃止→韓国併合へと流れていった。
153 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:32:49.15 ID:BCJisdk30
>>150 いや、古代大和が独自に東海道・南海道などの"道"を使い始め、
後の世に朝鮮半島の勢力も使い始めた。
当時の半島は郡。
謎の4世紀もぼちぼち解明が進んできたか
155 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:33:19.74 ID:pg4PYxz60
>>151 最近、東京→新潟に転勤になったんだけど
あまりの品の無さ、マナーの悪さに民族が違うのでは?と思っている。
東日本は朝鮮族が沢山住んでたのは有名だよね
158 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:45:00.08 ID:97Cpewh90
>>153 水は低い所から高い所には流れない。
文明も同じだ。
>>153 道って地域区分は元々唐の地域区分法だからね、日本、朝鮮、越南で使用されてたわけで。
日本の道って区分は朝廷からの巡回ルートで区分してるから「ミチ」で
徒歩で行く内陸は山道、船で行く沿岸は海道になってるから船でしかいけない北海道が北の海道
とかちゃんと意味があるけど朝鮮の場合そういう付けかたじゃないようだから北海道に意味がないんだよね。
160 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:48:46.54 ID:URQUBZ5r0
「大和政権」って表現、すごく違和感感じるんだけど、
大和朝廷のことじゃないの?
「大和政権」って用語は学校では習った記憶ない…。
161 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:53:39.42 ID:ty50Wchr0
>>159 五畿七道に北海道は入ってない。
五畿七道にならって付け加えただけ。
五畿
大和(奈良)
山城(京都南部)
河内(大阪東部)
和泉(大阪南部)
摂津(大阪北部〜神戸付近)
七道
山陽道
山陰道
南海道
西海道
北陸道
東海道
東山道
大和=半島からきた朝鮮系の説もあるけど
南方から来たマレー台湾系の可能性もあるね
宮崎〜熊野の水系を支配した
北九州〜瀬戸内のルートには地元勢力があってあとから大和に「連合」したということだよね
戸隠まで天岩戸が飛んでいってるんだから新潟にまで勢力を伸ばしていても不思議ではない
164 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:57:35.63 ID:uYLnyMEti
>>160 俺は大和王権だった気がする。
国そのものというより政治の一連の流れという意味で政権という言葉が正しいとする説があるらしい(自民党政権みたいな感じか)。
どうとらえるかによって言葉って結構変わるもんなんだな。
165 :
144:2012/09/08(土) 17:57:53.80 ID:FyjI2S/t0
冗談で書いたけど、数日後には韓国のマスコミが社説で主張してそうな気がする。
166 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 18:03:41.43 ID:XCUvFzR80
>>141 魏志倭人伝にも朱丹を体に塗る風習がある、と書いてあるからね。刺青の風習も台湾とかポリネシアに
多い風習。
167 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 18:05:01.93 ID:lDMzYXWL0
そろそろドラマの「アテルイ」の話をしてもいいかな?
東北にも古墳があるんだから不思議でもなんでもない
新潟の古墳や出土品は出雲〜北陸〜能登色が強い。
越後一宮弥彦神社の祭神、天香具山命は
熊野で毒に当たった神武天皇を助けたお方なんだが
弥彦神社は出雲大社と同じ二礼四拍一礼だ。
色々と想像できるが長くなるのでやめる
170 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 18:23:11.28 ID:9GCWdss40
よくアレが古墳だとわかったなー
>>165 冗談ぬきで、すでに韓国のウリナラ歴史では、北海道はやつらの国になってるぞ?w
172 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 18:36:08.67 ID:VLiUP2q20
>>143 日本人は「北海道島」と呼ばないんだよね。
173 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 18:40:14.23 ID:SF5Olgvn0
新潟までもが韓民族のものだったのかorz
174 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 18:44:09.19 ID:50vBCare0
越後には大化の改新ごろに渟足柵、磐船柵が存在してて
磐船柵はこれよりもっと北側
その頃には大和朝廷の勢力下になってたんだろうけど
それよりはるか昔に大和朝廷の影響が及んでたってのは新発見ってことなのかもしれんね
175 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 18:45:43.89 ID:tXRBxYlW0
>>149 魏志倭人伝に載ってる記述ではヤマウィ国なんだよな
タイじゃないんだよ
漢字も台に似た別の字になっている
意味は海岸沿いの馬がたくさんいる国ってなるらしい
176 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 18:46:29.63 ID:VLiUP2q20
>>150 つまらん釣りだったか。
「道」は唐や日本では主要街道と駅制の整備と管理の責任区のことだ。
それを行政区にしたのは朝鮮だけ。
北海道は明治になるまで松前藩の長年の統治がありながら日本の国制が行われていなかった
為に新たに道と国を設置したもので、開拓使が道と結びつき国を廃しその支庁とし県への移行が
されず今に至っている特殊事例だ。
道州制議論で広域自治体の名称を「〜道」に統一する案を出している者はこういう知識がない。
邪馬台国と中国のローマ帝国の音が似てるね
いやそれだけなんだけどさw
>>175 魏志倭人伝以外の史書はヤマタイだ
あきらめろ
179 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 19:31:56.61 ID:tXRBxYlW0
>>179 いやお前が何いってんのだ
台の字を書き間違っただけの話なんだから
ヤマウィとかは単なるトンデモ
まだ、邪馬台国が大和にあったとかくだらないこと言ってんのか。
邪馬台国なんてのは九州の土人に過ぎん。
卑弥呼なんてのは九州の一部族の女酋長に過ぎないんだよ。
182 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 19:38:12.98 ID:tXRBxYlW0
183 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 19:47:13.19 ID:sqKisqpg0
トヨ派とイヨ派、今はどっちが優勢なんだろ
184 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 19:54:20.07 ID:VLiUP2q20
>>182 それも知らないで「ヤマイ」だとか言っていたのか・・・
「邪馬壱国」の元ネタの本も読まないで適当なサイト見ただけか?
185 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 19:58:57.77 ID:n0YeaCIL0
それほど不思議とは思わないなー。
>>161 だからそれにならって北海道も命名してるから北海道なのであって韓国関係ないって意味だろ。
188 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 22:10:08.94 ID:xxt03kDL0
邪馬台国は後の大和朝廷だろ、常考。
邪馬台国九州説なんて、まだ信じている情弱がいるの?
奈良の高天原が好きです
190 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 22:17:39.38 ID:La4WCN3pO
天孫降臨は高千穂で神武東征で畿内を征服して出来たのがヤマト王朝でしょ。
鉄器や稲作の伝来も九州からだしこの頃の文明は朝鮮・中国→北九州→本州なのは間違いないわけで
邪馬台国が九州にあったっていうは自然な事じゃないかね。
大陸からの渡来人が進んだ鉄器と文明で朝鮮・中国式の朝廷を拓いたとみるのが普通だと思うが。
191 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 22:22:30.19 ID:lYAVYWIPO
ヤマタイ国×
ヤマト国×
ヤマイチ国×
ヤマイト国○
ヤマト国とイト国は元は一つ
こう
我ら出雲の民の子孫、新潟県出雲崎町民が颯爽と登場。
また神の手か
194 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 22:23:28.03 ID:JYz3LgQRO
195 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 22:41:31.36 ID:L/RrdSya0
邪馬台国と大和王権は全く関係ないだろう。
そもそもが邪馬台国の遺跡が何か発掘されたのか?
古事記にも日本書紀にも載ってないのに、なぜに魏志倭人伝を
そんなに信用するのか。
邪馬台国の卑弥呼=大和王権の倭迹迹日百襲姫ってのが
最近の定説なんだろ
198 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 23:34:29.39 ID:S82sd+SO0
199 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 23:40:05.18 ID:qtcKjbtV0
>>1 弓は重要。
弓矢というのは、ものすごく熟練がいる武芸なので、これを
副葬品とするということは、埋葬者は職業的軍人であることを
意味する。
つまり、中央の大伴一族のような存在が、新潟にも居たのだろう。
豪州ブルームの日本人墓荒らし,ヒステリックな、キリスト文明圏の病気とも言える
ウディー・アレンの養女えの幼児愛好者 病んでいる
豪州ブルームの日本人墓荒らし,ヒステリックな、女好き、民青、文化マルクス主義者 坂本龍一
たかがエジソンの電気ぐらい 文化マルクス主義者 坂本龍一
文明のタイプ たとえば裁判でいえば 魔女刈り裁判、ジャンヌ・ダルクの裁判
マクドナルドのパテに 1頭の牛の屠殺と血抜き、狂牛病のプリオンが侵入する危険性
豪州カンガルー年間250万頭撲殺とコアラの飼育料 1頭1億円
さつま揚げの練りものもパテかな
英語発音でゴライアス(Goliath)
201 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 23:44:46.51 ID:EYzj7kEP0
新潟から出土したのなら韓国の影響だろ
202 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 23:46:56.51 ID:EYzj7kEP0
203 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 23:48:02.48 ID:McCM6f9R0
204 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 23:49:00.24 ID:eLv//Zsz0
>>202 現在のソウルにはアトランティスがあったハズだが
205 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 23:50:05.95 ID:qtcKjbtV0
>>204 ソウルには、ルシファーが魔法陣を書いていたはず
206 :
名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 23:53:37.45 ID:EWUvXyZSO
>>195 国内資料は当時の政治状況等々で様々な改ざんか加えられる可能性があるが、外国資料はそういう事由が少ないということはある
207 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 00:00:46.99 ID:eLv//Zsz0
まぁ、魏志倭人伝を、どう解釈すれば現在のソウルが邪馬台国になるのか気になる。
解説してくれ。
208 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 00:07:12.62 ID:L/RrdSya0
>>206 外国の資料もアテにはならん。
当時の魏の情勢からして、三国鼎立時代だったから、少しでも自国を大きく
見せようとして、邪馬台国の記述を大げさに書いて、こんな遠くの大国までもが
魏に冊封を受けてる、って書いた可能性が高い。
ソウルコックリさんのスレですねここは
魏志倭人伝を素直に解釈すると沖縄になるんじゃ無かった?
211 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 00:09:48.55 ID:vkPVIo3uO
>>190 考古学的物証で畿内から九州に広がりをみせたものは多くあれど逆はない
九州説よりどころの魏志倭人伝でも畿内に九州を遥かに上回る遺跡群があるのに、また中国と繋がりがあるのに、そんな超巨大集団を無視して九州を倭人王都として記述かよって無理があるって誰も邪馬台国論争をしてないか
212 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 00:10:52.25 ID:0EEEFuTu0
鏡をたまわった話は魏志倭人伝でしたっけ?
実際にその年号のはいった物が日本各地から出土してるよね
>>210 BSの歴史なんたらで見た一つの解釈は、魏が支那全土を掌握するのに周辺国との連携による
包囲網が必要とされ、金印を授けて格別な扱いとした。特に卑弥呼率いる倭国の位置が重要で、
戦略的に台湾の隣あたりの、丁度沖縄付近に強大な国があると見せかける記録が必要とされた。
なので、実際とき異なる妙な位置に表記されることになった。昔からある説なのかどうか知らんけど。
>>190 騎馬民族国家説のことか?だったら破綻してるよ。
考古学的には、国家形成のずっと以前に大陸から水田稲作を持ち込んだ。
少数の渡来人とそれを受け入れた縄文人が弥生人となり、周りの縄文人を
さらに吸収しながら人口が増加し、日本に広く広がっていった。
北九州で「クニ」が形成される頃には今日に繋がる基盤が出来ていた。
弥生人になった「倭人」から後のヤマト王権が生まれ、後の天皇家が現れる
のであって、突然渡来人が国家を作ったわけではない。
古墳時代にも多くの渡来人がやってきたが、彼らが王になったわけじゃない。
日本に大きな影響は与えたが、日本人の中に吸収された。
>>190 それこそ朝鮮には「朝廷」を作れるような勢力は無かった時代だよ。
あそこは敦煌とかと同様の漢人の中継貿易都市しかなかったんだから。
史書でも朝鮮半島の諸国家は倭より弱く貧しくて政治的にも統一が遅れている。
百済や高句麗などは植民都市の漢人文官の子孫を利用して国の運営をしていたのだろう。
217 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 00:45:04.92 ID:lw8EnFdfO
魏の使者「倭国を大きい国だと報告したい」
伊都国「倭国は大きいですよ」
「・・・・・・」
魏の使者 伊都国
「ワハハハハハハハ」
魏志倭人伝などというくだらない書物に振り回され、
日本がシナに朝貢してたなんて愚かなことを思うのはやめたまえ。
邪馬台国なんてのはせいぜい存在してても九州の一部族。
卑弥呼は倭王を僭称した酋長。
大和朝廷とは何のかかわりもない。
219 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 01:20:21.23 ID:vkPVIo3uO
>>218 本居さん乙
ということでヤマトと読まずヤマタイなんて変な読みになったんだよな。
…朝貢と言うか単なる土産持って挨拶に行ったら下僕になりに来たと見なされてるだけだったりして。
221 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 01:48:57.13 ID:lw8EnFdfO
ナガスネヒコ「何やら西から怪しげな雲行きが・・」
トミヤビメ「兄さんいかがなさいました?」
ナガスネヒコ「いや、何でもない」
ナガスネヒコ「(急がねばなるまい、早く越と斑鳩を繋げねば・・)」
222 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 02:04:54.56 ID:Lkn0cJlR0
>199
正しい。もっと聞かせて欲しい。
バイカル湖のお話とかさ。
邪馬台国新潟説!
224 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 02:12:39.41 ID:FCbDYawh0
日本の古代史は邪馬台国に振り回されすぎ。
魏の史書に書いてあった、っていう、それだけの証拠しか無いのに。
九州だかに卑弥呼なる女酋長が居た、村人は100人ぐらい、そんなもんだろ。
226 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 02:30:16.93 ID:z2PwqVgG0
歴史ロマンみたいに邪馬台国を言うけど、昔の中国人がいい加減な記録を残したからだよな。
227 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 02:38:42.25 ID:M3sGwkkC0
>>192 新潟は大国主絡みの伝説があったような。
228 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 02:40:20.72 ID:w3hX/LlaP
これは、ヤクルトスワローズ新潟移転フラグびんびんやで!
>>220 交易するのにルートの管理者に挨拶したという感じだろうか?
シンジゲートに入れというのが冊封。
五胡の乱でこの交易路は中原の管理が行き届かなくなって、倭王が代行管理に乗り出したのが半島進出。
その前に倭国内では、連合による統一がなり東西の交易路をつなぐ中立の拠点である三輪に中心都市を
置いたものの、尾張氏が幅を利かせるなどして不満を持った瀬戸内や筑紫の豪族が離反。
再び主導権争いが起きたのを大和勢力が再統一し半島に直轄地を作ったのが崇神から応神までの経緯。
そしてこれまた遼東の交易都市を押さえて更に権益拡大しようと南下した高句麗と衝突。
高句麗管理下を通らない百済から山東に直接行くルートが出来て、半島南部の交易の管理権を認めろと
南朝に使者を送ったと。
230 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 02:49:10.33 ID:KLbfBeza0
>九州だかに卑弥呼なる女酋長が居た、村人は100人ぐらい、そんなもんだろ。
そんなんで魏に朝貢が許されるのか考えてみい、池沼がw
231 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 02:53:20.18 ID:6Y8bkIbd0
埼玉にある古墳群はどうしたらいいのか
小さな古墳はどんどん造成されて潰されてるわw
江戸時代以前は邪馬台国の事も「ヤマタイコク」なんて呼ばず1000年以上に渡って
「ヤマトコク」って読んできたのに。
江戸時代版ネトウヨ学者が突然あれは別物と言い出して、今日の混乱をもたらし始めたわけだ。
普通に考えて大和朝廷は邪馬台国の後継だろ。
卑弥呼なんて物部氏の祖だろうし。物部氏が蘇我氏と対立して先祖伝来の「神道」を守ろうとしたのは
卑弥呼から続く日本古来の宗教を伝える一族としての意地があったからだと思う。
>>233 お前にとっての「ネトウヨ」って何だよw
236 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 08:21:09.13 ID:my3rn+peO
>>218 通ぶる前にちゃんと高校レベルの勉強しろよ。
つ倭の五王
237 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 08:24:56.93 ID:CVauRn7d0
越の国
238 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 09:22:56.39 ID:abJRtCbk0
奈良盆地にあった邪馬台国を九州→熊野から上がってきた天皇一族が時間掛けて滅ぼしたんだろ?
>>238 そういうのを示す考古学的証拠もないし日中の史書にもない
240 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 09:57:07.20 ID:lw8EnFdfO
イワレビコ VS ナガスネヒコ
これって哀しい戦いだよね
両者とも作られた「王」でさ
>>233 大和朝廷は、邪馬台国から連続的に発展した政権ではないし
正当な後継者でもない
王朝の交代か、さらには王権の簒奪があった可能性が高い罠
証拠はないがそう思いたいということですね。
243 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 10:21:16.01 ID:lw8EnFdfO
魏志倭人伝を否定しながら
王朝は一統で畿内に邪馬台国にしたがるのがわからんよなぁ
どうしても年代がズレるつうか
>>236 倭の五王って、未だに誰のことかわからないんだろ。
天皇(王君)じゃないかもしれないじゃない。
>>243 通常は崇神天皇の前後とするのが多い。
あとは統治システムの解釈。
これは現代の研究者と魏の使者ならびに編纂者の沈寿、記紀の編纂者達のね。
>魏志倭人伝を否定しながら
否定ではなく史料批判では?
戦後直後の反皇室左翼による記紀否定じゃないんだから。
247 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 10:38:08.18 ID:lw8EnFdfO
いや、結構、否定から入ってるレスは多い気するけど
248 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 10:40:01.22 ID:pcCu31KRP
>>18 日本に稲作を持ち込んだ渡来人は華中の徐州市辺りのシ于国(わこく)から来たという説がある。
中国の春秋戦国時代、淮(わい)水と泗(し)水が合流する地域に住んでいた倭人たちは、紀元前3世紀に秦の
始皇帝が中国全土を支配すると、かなりの数が海に追い落とされて朝鮮半島南部、北九州へと渡り着いた。
http://www.wakoku.net/post.html
250 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 10:40:41.75 ID:mvW82IZn0
ギシアン人伝
251 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 10:44:56.47 ID:lw8EnFdfO
山陰と山陽とか言うけど
古代は日本海側が表玄関で
瀬戸内海や太平洋側が裏ルートだったんだろうなぁ
>>248 現在発見されている国内最古の水稲遺跡が2800年前と推定されているので、それだけ
を起源とするのはできない。
253 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 10:47:16.25 ID:WrWdPZVe0
>>251 地名で陰陽とつけるのは古代中国から来たもので、山の北を陰、南を陽、河川の北を陽、南を陰
とする。
山陰山陽は中国山地で分けて陰陽をつけたもの。
ヤマトの辺りにはニギハヤヒの物部王国があった、それが卑弥呼の邪馬台国だろう。
神武のモデルとなった祟神が東征して来て吸収合併した感じかな?
物部氏は神道の守護者として大和朝廷で絶大な権力を持ってたし物部氏の一族と思われる
卑弥呼らも決してないがしろにされては居ないだろう。
ただ天照のモデルが卑弥呼と言うのはまだ分からんけどね
別に万世一系を主張するわけじゃないけどさ
そういう邪馬台国のような既存勢力を倒して大和朝廷成立って考えいうやつ2ちゃんに多いな
なんかの影響なのかわからんけど
邪馬台国畿内説はほぼ間違いあるまい。
魏の鏡で卑弥呼が朝貢した年月の「景初3年(西暦248年)」と書かれた物が多く出土しているし。
258 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 10:56:49.09 ID:pcCu31KRP
>>252 なるほど。
しかし、お辞儀をする習慣を持つ人々が大勢移住したというのは今の日本人に
つながる面白い説だと思われる。いまだに日本人は人と会うとついペコペコお辞
儀をしてしまうからねえ。
女王の国の東の海を越えた向こう側に和人の国々があったわけで
>>256 倒した=滅ぼした
では無いと思うよ。物部氏と国家神道が大和朝廷の要となったわけだし。天皇家と物部氏は
血縁関係にあるし。
普通に合併したんだと思うよ。
>>255 二世紀後半の混乱の時期に吉備氏や尾張氏らが結託して瀬戸内を中心とする新しい連合
を作る為に、ある一族の傍流を担ぎ上げ大和入りする。
それに対して日本海側の交易ルートを押さえている出雲系や近江系などが抵抗していたが、
三世紀に入り三輪の神を連合の要として祀ることで合意。
妥協として神を祀る巫女を担ぎ上げた一族から出した。
魏の者達は巫女個人の力を崇めていると解釈した。
という見方もできる。
なるほど、やらにゃんと板額ちゃんが今度最終決戦することがわかった
263 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 11:21:13.59 ID:lw8EnFdfO
ナガスネヒコの一族も落ち延びたし
当時の日本人の勢力では一方が一方を殲滅って無理ですよね
災害があったら助け合わないといけないし
確実に台風は来ますしね
ナガスネヒコの妹はニギハヤヒの嫁さんで
ウマシマジとかはその眷属を意味するわけで
さらにウマシマジか大物主の娘がイワレビコの嫁さんだから
なんでしょうか
倭=習合でしょうか
ナガスネヒコの血脈が越にいても何ら不思議ではない
264 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 11:28:09.92 ID:abJRtCbk0
要するに日本書紀の正確性が証明されつつあるって事。
265 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 11:30:36.82 ID:RywFs6pG0
>>263 長髄彦=建御名方命=大神姓三輪氏=諏訪神(すわみわ)氏
と言う説がある。
266 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 12:06:00.39 ID:bZFzlywz0
>>184 そんな字じゃないよ
なんだやっぱド素人かよ
他の史書の書名もどうせ上げれない奴だな
>>266 「壱」は「壹」の異体字だよw
活字では代用でよく使われている。
この論争では常識なんだがなあ。
それも知らないんだね。
268 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 12:39:36.32 ID:bZFzlywz0
>>267 だからそれじゃないって言ってんのに
お前はド素人だってわかったからもういいよ
めんどくせえ
>>268 その漢字を提示するのは簡単なことだと思うが、どうしてできない?
>>268 >漢字も台に似た別の字になっている
まさか「臺」のことを言っているのか?
>>263 殲滅しようとしたら相手も全員死ぬまで立ち向かってくるからな。
そんなことしたら別の部族も従わなくなるしやろうと思っても出来ないよね。
それに当時の勢力から考えたら大和の連中だって他を全て合わせたほどには巨大じゃないし。
どこかで妥協する点はあっただろうね。
272 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 14:48:24.07 ID:CaOr7Kuu0
近所出身だけど、あれが古墳だとは知らんかった
あのへんの一番古い有名人は、吾妻鏡の飯角御前だと思ってたので
びっくりしている
京都じゃ5世紀前半の古墳からローマ製と同じ成分のガラスも出てきてんだろ。もうね。膨らむね。
>>263>>265 弥彦神天香具山命にはニギハヤヒの息子という説や
スサノオの息子の五十猛(=建御名方?)という説があります。
弥彦は伊夜比古とも書くのでイヨとの関係も強そうダ…
275 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 15:02:29.34 ID:abJRtCbk0
潜在的韓国領土が更に拡大したという事。
もう東海論難どころの騒ぎじゃない。
>>273 シルクロードでローマと中国は繋がってたからな。それが日本に入ってきた可能性が大だ。
真の意味でもシルクロードの終着点だったわけだ。当時のアメリカ大陸にはマヤとかあったけど
そこまでは到達しなかったし。
今も文化の終着点は日本だしね。そこで熟成された物が新たな日本文化となって花開く。
単なる通り道とはわけが違う。
BPOリカちゃん
278 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 15:29:57.14 ID:RywFs6pG0
>>274 同じ人物が逸話において複数人格に使い回されてるだろう。
そもそも国譲りと神武東征など、事件事象も神代と人代に複製されてるし。
建御名方命に関しては伊勢津彦と言う説もある。
いずれにしても、【天孫神=神武派】 vs 【国津神=長髄彦・伊勢津彦・土蜘蛛ほか】
という構図は崩れない。
>>278 複製というより神同士と人の話と分けているんじゃないかな?
ある部族と部族が婚姻なり武力などで併合した場合にそれぞれの祖先神が神話で婚姻したり家来に
なったりとかが追加される。
複数の似た人物や事象が習合するとかもあるだろう。
祖先神の神話だから時間軸を歴史と同じと扱いたがる人達がいるが、もっと慎重に検討すべきだと思う。
それとは別に神と人間の話だと歴史の部分に逸話が入り込む(大物主や一言主、伊吹山の神など)。
これらは何らかの自然現象、あるいはコミュニティの外の勢力との交わりが伝承過程で神話的に変換
された可能性。
禁忌などで直接表現が許されなかった事柄が、伝承過程で本来の意味を喪失して神や怪異の類として
変質したかもしれない。
>>278 うんうん。
でも四道将軍大彦命=建御名方命?となると行き詰まってしまって困る。
時代や遠征ルートは重なっていそうなものだが…
>>280 ある事象から仮定した方程式に全てを当てはめようとすると生じる矛盾をどうするか。
通常は足りない要素があると再考となるが、無理に進めるとトンデモになる。
韓国の歴史がこれ。
神武が初代「天皇」だと思うからおかしくなるんだよ。
欠史八代とかも、何か変。何も書いてないから作ったんだろとか。
二代から9代の姫妃の出身を見るとさ、当時の天皇家の先祖の立場がよく分かると
思わんか?神武は盆地へは入れたが、そこで大きな権力を持ったんじゃなく、
ヤマトの一部族として入り込めただけ。
二代目からは戦国時代のように、盆地内の近隣の有力部族と政略結婚してる。
岡崎時代の徳川家のように。
それが広い範囲で婚姻関係を結ぶようになり、9代開化が丹波から
嫁取りし、崇神は紀伊、尾張だ。この頃にはヤマトの中で特出した力を持つよう
になっていたんだろ。
つくり話というよりも、非力だった先祖の昔の言い伝えを正直に伝えていると
思うがな。
284 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 17:34:24.66 ID:lw8EnFdfO
ヤマトネコとかやっつけみたいな天皇の名前ばかりだよな
あと孝シリーズとか
埋めてる感があるね
>>281 わかってるよぉ!
弥生末期〜古墳前期に東国に東征する人が何人いてもいいけど
考古学的なモノに当てはめるとなるとそう何人もいるかなぁ?と思っている。
ちなみに越後は古墳中期には廃れてしまう。
>>284 漢風諡号は奈良時代に作られたもの。
和風諡号も奈良時代に諡れたものが結構ある。
諡号は故人の事跡などから追号する称号。
287 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 17:47:07.72 ID:lw8EnFdfO
だから、こう親近感というか
当時の奈良時代の連中からも
ほんとは大王クラスじゃねえだろうなぁ
とかいうのがあったんじゃないかな
ま、「お約束」の範囲なんだろう
>>283 ある程度は真実を反映してるだろうね>記紀
結婚相手の広がりで勢力を見るのは面白いな
>>280 大彦命=意冨比こ、と見当されてることから、つまり「多臣族」の祖とみられますよね。
神武系の多臣族から出たのが、諏訪郡司金刺氏。朝廷と対立した諏訪神氏は中央で名を名乗れ
なかったので金刺氏と関係を結び、自らを建前、金刺流とした。このことから諏訪氏は金刺氏の支流と
誤解が広まったわけですが、この影響で大彦命=建御名方命という見方が出来たのでしょうか。
>>279 たとえば国譲りで敗れた建御名方命は諏訪に逃れましたが、これを諏訪視点で見ると、
建御名方命が諏訪に侵攻してきたことになります。諏訪大戦ですね。この時、諏訪勢洩矢神らは
洩矢神社に陣を構え、建御名方命勢は天竜川を挟んだ荒神塚古墳に陣を構えます。
つまり神話時代に起こったはずの諏訪大戦なのに「古墳」の上に陣を構えているのです。
そして両神の武器。洩矢神の鉄輪を建御名方命は藤の枝で破壊して勝利します。
これは鋳鉄が鍛鉄に勝利したと読みとれます。
すなわち、神話の戦は、古墳がすでにある、鍛鉄製の武器がある。という矛盾をはらみます。
記述に従えば、諏訪大戦は六世紀以降でなければ辻褄があわなくなります。という考察です。
>>287 まともに読む力があれば、記紀の内容は田舎の豪族がこのままではうだつが上がらないと
出奔しツテを頼りながら東に向かい、どうにか大和に入って婿入りしその後勢力拡大した成
り上がりの話だとわかるものだよ。
君が勘繰りすぎているだけ。
291 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 18:06:42.53 ID:lw8EnFdfO
でもさ、神武と崇神が同一説もあるんだろ?
すると八代もかけて成り上がるストーリーがさ
ほんとに神武側のストーリーだったのかなぁ、と
八代が居なかったじゃなくて
全部が全部、神武の血脈の話なのかな?
結婚したからって相手の部族を支配下に置いたというわけでもなく
逆に結婚したからと言って相手の部族に婿入りしたわけでもないでしょう
>>289 日本書紀が当時の律令の用語で書かれたように、六世紀以降に伝承が再構築された可能性もあるのでは?
喪失した伝承を欠片から再構築したとか。
294 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 18:13:58.71 ID:lw8EnFdfO
つまり皇紀2600年のスメラミコトではなくて
有力豪族とかいうレベルだったんだな
>>293 もちろん。というかその可能性は非常に高いですよ。
これも再構成されているのは間違いないでしょう。
この史料は1356年頃に書かれたとされていますw
残念ながらこれが一番古い縁起書らしいです。
>>69,
>>169,
>>274 弥彦さま(伊夜比古さま)が天香具山命と一緒くたにされるようになった初出は、
室町ころの「大日本国一宮記」だそうで、そんなに古いこっちゃないよね。
まあ、平安中期くらい?
西蒲原の伝説では、弥彦さまは片目の蛇というのがあって、これまた
縄文の神やら鍛冶神やらごっちゃになってるっぽいw
297 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 20:05:58.54 ID:5RLitfGZ0
>>291 神武のときですでに成り上がっているから、
のこりも神武の血筋だよ、でないと諸外国がついてこない
298 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 20:23:23.21 ID:lw8EnFdfO
血統ロンダリングっぽいんだよな
同じような逸話を繰り返したり
違う血脈を同化させるために親戚筋にして
同じエピソードを付加してる気がする
それこそ諸国はついてこないっつうか
文字もない時代のほうが中央集権化してたとか
フランチャイズ方式で
本部よりも営業が上がった豪族が
そのたびに血統ロンダリングして乗っ取ってような
299 :
名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 20:30:18.84 ID:01VWM9d+0
>>173 新潟県民の容姿って、どっちかと言うと北朝鮮の人に近くね?特に顔が。
>299
意外とバラエティに富んでるよ。
ポリネシア系の地黒で縮毛の人もいるし、
鼻筋の通った地味目の渡辺謙みたいな人もいる。
>>299 新潟とかあっちのほうって、
北朝鮮工作員の上陸地点なんだよね。
そうやっていまのうちに「あっちは朝鮮に近いからちょっと」的な
分断工作を開始するつもりか?
韓国の弱体化と日米からの切り離しに成功しつつあるようだし、
マジで戦争が近い可能性があるな。
戦争あるなら、向こうから仕掛けてくるだけだろ。こっちからはできんし。
こっちがやれるようなら向こうはおとなしくしてただろうけど。
>>289 ご丁寧にどうも。
両者に接点は無いですがそれが逆に不自然に思えて仕方がない次第…。
時代が違うにしても…え゙、6世紀以降?
>>296 ほう、やっぱり蛇トーテムあるんだ