【日本中世史】 「秀頼は豊臣秀吉の実の子ではない」 九州大教授が提唱 誕生日から逆算 新解釈も
1 :
うしうしタイフーンφ ★:
★「豊臣秀頼は非実子」…九州大教授が提唱
●誕生日から逆算 新解釈も
豊臣秀頼(1593〜1615年)は秀吉の実の子ではない
――物語の世界や俗説ではよく知られているものの、論証不能ともいわれたこのテーマに、
服部英雄・九州大教授(日本中世史)が新著『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社)で迫った。
大坂城で起きたある粛清事件の新解釈などから、「非実子」であると主張している。
秀吉は多くの妻妾(さいしょう)を持ちながら子宝に恵まれなかった。50歳を超えて側室の茶々(ちゃちゃ)(淀殿(よどどの))との間にだけ、
早世した鶴松(つるまつ)、次いで秀頼を授かった。
秀頼については早くも江戸時代に、実父は大坂の陣で母子に殉じた家臣の大野治長だとする説が広まった。
作家の司馬遼太郎や遠藤周作も非実子説に言及している。ただ、これらは臆測や俗説の域を出ていなかった。
そこで服部教授は、秀頼の誕生日である文禄2年(1593年)8月3日から逆算、受胎が想定される
前年の天正20年11月4日前後に秀吉と茶々が同衾(どうきん)した可能性を検討した。
秀吉は同年10月1日に朝鮮出兵の基地・名護屋(なごや)(佐賀県唐津市)に向け大坂城をたち、翌年8月まで滞在した。
秀吉の子を宿したとすれば、茶々も同行していなければならない。
その根拠とされてきたのは、名護屋に従軍した平塚滝俊の日記にある「茶々が同行しているらしい」という記述だった。
しかし、ほかの多くの史料を再検討した結果、茶々の名護屋滞在を示すものはなかった。
名護屋には側室・京極龍子が滞在したことははっきりしており、服部教授は「平塚の日記は龍子を茶々と誤認したもの」と結論づけた。
秀吉は茶々懐妊中の文禄2年5月22日、正室の北政所(きたのまんどころ)に、「太閤(たいこう)(秀吉)の子は鶴松のみ。
今度生まれる子は茶々ひとりの子でよいだろう」と書き送った。正室への遠慮などから喜びを押し隠した文面と解釈されてきたが、不可解な記述だ。
服部教授は「秀吉や北政所も懐妊の不自然さに気付いていた」と読み解いた(続く)
yomiuri online
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20120822-OYT8T00735.htm 続きは
>>2-4
2 :
うしうしタイフーンφ ★:2012/09/03(月) 14:57:59.07 ID:???0
>>1の続き
文禄2年5月22日付の北政所あての秀吉自筆書状(部分)。茶々(二の丸殿)の懐妊を一応は喜びながら、
「にのまる殿はかりのこにてよく候ハんや」と続けている(佐賀県立名護屋城博物館蔵)
さらに、秀頼生誕後の文禄2年10月、大坂城の大勢の女房と僧、唱門師(しょうもじ)(宗教的芸能者)が秀吉の命で処刑、追放された。
公卿日記『時慶記』によれば、大坂城での「妄(みだり)ニ男女ト之義(のぎ)」が問題にされ、唱門師が「金銀多取候罪(おおくとりそうろうつみ)」で追放、
女房が「御成敗」された、とある。この頃日本にいた宣教師フロイスも、同じく女房や仏僧30人以上が処刑されたと伝える。
この処分は、単なる風紀の乱れをとがめたのではなく、茶々と側近が僧や唱門師に「金銀」を与え、「子授けの祈祷(きとう)」を行ったことによる、
というのが服部教授の見立てだ。「子宝を願って社寺に籠もる『参籠』が実は男女交情の場であったという中世の民俗事例からすれば、
この祈祷も実は宗教者による茶々への性行為だったのではないか。大坂に戻った秀吉は、茶々懐妊の真相を知って激怒したのだろう」
ならば、なぜ秀吉は茶々を許し、秀頼を実子と認めたのか。「茶々はかつての主君、織田信長の姪(めい)。
織田家の覇権を簒奪(さんだつ)した秀吉にとって、自らを正当化するためにも、茶々が子を産むことは望ましかった」
これまで学界では、秀吉が秀頼を実子と認めている以上、血のつながりにはあまりこだわってこなかった。
しかし、服部教授は史実の解釈に重大な影響を与える問題だと考える。
秀頼の誕生が、秀吉の後継者だった関白秀次の失脚・自刃につながったとされる定説や、
関ヶ原の合戦で秀吉子飼いの武将の多くが東軍(徳川方)についた理由についても、
「背景に秀頼出生の正統性に対する疑惑があった」という視点で再検討されるべきだと主張している。
以上
3 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 14:58:24.76 ID:V4JEFU9N0
秀頼は韓国人てか
みんなそうだと思ってたんじゃ?
5 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 14:59:05.12 ID:SH7oMBgBP
ということは・・・・・・・韓国で産まれたってこと?
くだらねえ
で?
8 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:00:04.11 ID:6Iz7BSwn0
すぐに死んじまったんでわりとどうでもいい
ただしチョンの子説は認めない!!
そもそも他人を養子にして家を継がせることが普通な時代じゃん
どうせ大野治長が親だとか抜かすんだろ?
11 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:01:23.00 ID:uxeqwQAGO
石田三成だろ
大河化決定
皆、気付いていたが当時は言いたいことも言えない世の中だったんだよw
いやそんなにめずらしい解釈じゃないし
15 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:02:10.72 ID:v/32tqRR0
墓を掘り起こしてDNA検査すればハッキリするわ
秀頼は確かに秀吉の子供だよ
お茶々には数名の監視が常についていただろ
その目をかいくぐり不倫をするのは不可能だよ
16 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:02:38.79 ID:T81GB8Z30
その当時の週刊誌も毎週これがトップネタだった
とっくに知ってたw
18 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:03:04.26 ID:aVfo8x1yO
また韓国起源説か
歴史上の人物や出来事は確かな情報がないから好きになれないわ
みんな知ってる
三成の子だって
天皇家もこういうことあっただろうね
22 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:03:38.77 ID:vtJMR0uP0
わりい俺の俺の
23 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:03:39.46 ID:qIGwqWWd0
宗教的な乱交パーティー
知らなかったわー
初耳だわー
たぶん当時の人も誰も気づいてないわー
実子かどうかなんて大した問題じゃないだろ?
太閤殿下が認知していたのなら、それだけで十分。
取りあえずお疲れ
27 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:04:04.96 ID:aqHrR2030
>>15 なるほど。その数名の監視役が輪姦したのか。
28 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:04:07.21 ID:PM/W3z2rO
誰の種かわからん子より実の甥のほうが良いのでは?
29 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:04:12.45 ID:V7kqU4+x0
英傑である豊臣秀吉を 「猿」 呼ばわりするTVドラマ
ねぇ、どうして??? 在チョン教えて
30 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:04:17.05 ID:pVdtQPzR0
歴史に茶々をいれるてか
31 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:04:20.80 ID:JRKdq7N50
みんな知ってた
秀吉は種無しじじい
32 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:04:21.04 ID:4cCw/ibu0
聖書の系図を元に逆算すると、紀元前3946年に人類が誕生したことになる。
福岡はアジアの玄関だからなw
34 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:04:43.34 ID:q8yVhAQC0
無事生まれたら、女房と子宝祈祷の僧侶は不要だからでしょ
秀吉の合理主義じゃん
つか秀次と淀の子供だけど、秀吉も秀次も承知の上で
秀次は実父として権勢を振るわないように自刃させたんじゃね
三成の子なら、さすがに認めなかったと思うわ
朝鮮人の子供とか言い出しそうだな
36 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:04:57.99 ID:vNuIt4+t0
>>1 秀吉もそこまでアホじゃないから
その位考えるだろ
知ってた
新しくもない話。関が原で西軍の結束が緩かったのは、そう思われていたことも一因。
39 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:06:00.04 ID:N9JwrRcv0
40 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:06:04.79 ID:SWKnJxUu0
秀頼が実子だからこそ邪魔になった秀次を自害に追い込んだんじゃないの
長浜時代に子供生まれてたことも知らないなんて本当に学者かよw
秀頼は当時としては大層デカブツだったらしいからな
小兵の太閤と大兵肥満の秀頼…胤が違う可能性は高いだろ
>「子宝を願って社寺に籠もる『参籠』が実は男女交情の場であったという中世の民俗事例からすれば、この祈祷も実は宗教者による茶々への性行為だったのではないか。
茶々側の人たちが子供が欲しいが為に結託して、種付けしてもらったって事だろうけど、
逆算して旦那の遠征中に「出来ました」って言っても誰も信じないだろ。
秀吉の時代は京の都人の秀吉批判が少なからずあったらしいし
誰もが何となく悟ってはいたけれど、口には出さなかったんだろうな
関ヶ原から大阪の陣まで、秀吉子飼いが秀頼から離れて家康についたのも、
殿下の子じゃないしってのがあったのかもしれないな
>>29 さすがに当時から猿よばわりされてたんだから
46 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:06:46.11 ID:OepmCAoIO
>>1 興味も関心もなし。ば〜かwwww
従軍慰安婦のくっさいくっさいキムチマムコから捻り出されて産まれた反日売国糞舐めチョンキチガイ朝日新聞記者
《中核》うんこ生き恥ゲロ【丑堕 滋】君が支那畜女のうんこをペロペロ舐めて発狂してますw
秀次の立場は
>>28 生粋の百姓のせがれである甥っ子よりも、織田家と浅井家の血筋である
淀殿の血筋を選ぶだろ。秀吉なら。
49 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:07:39.42 ID:sAZ5iqusO
三成「関ヶ原前に秀吉様の恩顧大名がこぞって徳川方に着いたのをあえて私のせいにしたのに今更…」
50 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:07:56.21 ID:/D60mJFE0
誰もがみんな知っている。秀吉もわかっていた。
にもかかわらず自分の子としたところが秀吉の偉いところ。
江でも町中の噂になってたよな
52 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:08:21.77 ID:WhgufQFk0
現代の調査で不整合と判定できる状態であれば、
当時その時点で問題になってしまうのだが、、、
秀吉は、どうせ家康にやられるって分かってたんだから
最後の手段で、死ぬ前に織田秀信に政権を返せばよかったのに
55 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:08:39.46 ID:eqfzuMz40
エロ本の見過ぎじゃないだろうか
>>42 茶々の母親のお市も父親の浅井長政も当時では大柄だった
別に秀頼が大柄でも不思議じゃない
あれだけ女好きなのに
子供ができたのは淀だけ。そりゃあおかしい
>>50 そこまで判ってたのに殺された甥の対場が…
59 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:09:37.07 ID:kGx9uH/50
大野治長の子
60 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:09:45.62 ID:ude+bZro0
実子かどうかなんて、家臣にとっては関係ないと思うがな
豊臣家が重要なんだろ
若貴ぐらい違ったのか
三平の息子がこぶ平ということぐらい怪しかったのか
秀吉の存在=不可知
終わり
64 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:10:22.77 ID:ARnVE63z0
まーたチョン起源説か?
はいはい、指6本指6本
65 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:10:52.79 ID:v/32tqRR0
今は豊臣の時代だろ。 500円の桐の図柄
薩摩 長州は西軍で明治維新から現代まで権力を維持している
豊臣→徳川→豊臣と来ている
秀吉って性行為ができない体だったの?
何で子供できないの?
67 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:12:11.86 ID:kGx9uH/50
秀吉はあちこちで経産婦(ほかの誰かの妻)ともヤリまくってたのに、全く子供ができなかった。
それなのに淀とのあいだにだけ子供ができるのはやはり疑わしい。
68 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:12:16.14 ID:FFyVvEoI0
>作家の司馬遼太郎や遠藤周作も非実子説に言及・・
この二人の見解がどれだけ占めてるんだよ・・当時の人物でもあるまいし・・
アレの為なら、同行しなくても途中とか一晩でやって帰ってくることは可!
性欲を甘くみるな!!
wiki程度にですら載ってる秀勝の存在知らないなんて馬鹿かチョンか
70 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:12:32.68 ID:50j7XK0S0
茶々ヤリマン
71 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:13:11.52 ID:xIyWEnwyO
72 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:13:17.60 ID:QedEyT0w0
秀頼の起源はチュモンなのか?
非人河原者のほうが興味ある
74 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:13:26.10 ID:b1eBEcm70
茶々なんてドキュソねーむな女だから槍マンなんだろう
参籠に参加したいのですが、どうすればいいのでしょうか?
いやらしい意味ではないので安心してください
76 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:13:34.45 ID:4PfKfOFNP
77 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:14:05.50 ID:REgRPpsm0
いろいろ言われてるけど秀吉が一番愛国者だったな
明征伐も欧米列強に中華とられないためだし家康をつぶさなかったのも
最後は豊臣に取って代わられても日本が守れれば良かったんだろう
78 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:14:26.21 ID:/JcjwW6Q0
>>29は歴史を知らないんだろ
最近は、本能寺で信長を殺したのは秀吉とか思ってる奴がいるらしいしなw
歴史の解釈とかそういうんではなく
79 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:14:29.56 ID:RaZHfkKM0
子飼いの連中が簡単に悪政を敷いてたわけでもない豊臣家を見限ったことから考えて大いにありえるな
80 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:14:47.24 ID:tyUcsIzw0
DNA検査
81 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:15:08.72 ID:fse+hjee0
百姓の血にコンプレックス感じてたんだろ
たとえ実子じゃなくても織田家の血があればのちのち役に立つと
>>29 1000年後に考古学者が2chのログを発掘して、1000年前の政治家の容姿を復元したらどうなるか考えてみろ
>>16 2ちゃんでスレが立つたびにサーバが落ちてたもんな
まず間違いなく実子ではないが
どうでもいい話だな
>>79 三成は加藤清正や福島正則に私闘で殺されかけたやん
西軍がパッとしなかったのは単に三成がいたから
当時だって、逆算して誰の子とか、やってただろうから、バレバレな浮気は説得力ないなぁ
>>48 織田も浅井も血筋としては大して良くないだろ・・・
89 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:16:23.40 ID://AXpEfG0
貧乏人から成り上がって天下を獲った人物って
羽柴秀吉
伊藤博文
の他に居る?
91 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:16:28.94 ID:Tr0hGpwK0
常識的にかんがえてそうだろ
そもそも茶々は親を殺した秀吉を嫌ってたからな
当然、違う種を仕込んで豊臣家を乗っ取るという仕返しを考えるのは凄く自然
歴史好きの人には常識
94 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:17:17.19 ID:3ney9q3G0
性豪の家康の子ってどっかで見た気がする
秀吉はひとりエッチのしすぎで種無しだったと思う。
ああ、俺もそうさ。
秀吉も、もっとどっしりしっかりと朝鮮征伐してちゃんと根切り根絶やしにしてくれれば良かったのにな
一次征伐である程度戦功出せていれば朝鮮出兵組の発言力も上って
秀吉の思い通りの死後の展開に持っていけたかもしれないのに
>>79 朝鮮征伐の失敗で御恩と奉公の関係が崩れかけてたからな。
働きに準じた報奨があれば北政所と淀君が敵対していてもまだ大丈夫だったろうに。
98 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:17:36.99 ID:EXwtbExb0
顔も体格も違ったらしいし似てなさ過ぎて秀吉も気づいてなかったんだろうかな。
101 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:18:17.11 ID:ZLE0/dCo0
秀頼は体が大きく肥満体、淀殿の父親である浅井長政似。
淀殿の母親のお市の方は当時としてはバレーボールの選手級の長身
ちび、ヤセの秀吉の面影はどこにもなかった。
102 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:18:22.81 ID:j8mqNfY60
だから?
まあ、当時から、本当に秀吉の子供かって噂はあったとのことだ
秀吉には子だねが無かったわけではない
正妻のねねとの間には子供はできなかったが、若い頃に二人ほど側室に生ませた子供がいる
一人は死産で、もう一人は早くになくなったそうだが
それを差し引いても二十人以上の愛妾がいる中で、秀吉の子供を生んだのは淀一人だけってのはおかしいわな
まだ、淀が生んだのが一人だけなら納得できるが、淀だけが二人も生む
それも当時、高齢だった秀吉との間にだ。
確かにおかしいよね
104 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:18:34.73 ID:J3M9k1/p0
そんなものあの人の子じゃないわよ
と吉高が言ってた
105 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:18:42.79 ID:ARnVE63z0
>>89 天下獲った人物自体が少ない件・・・
成り上がりなら
岩崎弥太郎とか楠木正成とか矢沢とか?
>>42 浅井長政が大兵だったから、おかしくはない。
あーこの本読んだわ
秀吉の子じゃない説については別に新証拠があったとかじゃなくて
史料読めば誰でも思いつく範囲内のことしか書かれてないよ
>>101 秀吉だって栄養状況が良い環境で育てられたら身長は高かったんじゃねーの?
109 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:19:10.68 ID:fse+hjee0
>>93 織田家は衰退しててもほぼ天下取った家だし
秀吉も周りの武将ももと織田家臣が多い
ただの妄想だろ?
111 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:19:18.49 ID:zR5eNKg+0
>>41 長浜で秀吉の子供生まれたという、確かな歴史的根拠は存在しないのでは?
>>100 角栄は婿養子で入った田中家は金持ちだよ
113 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:19:39.93 ID:FDEVhWY30
朝鮮人学者か? これも結局、推測の域を出てないじゃないか。
受胎当時から実施かどうか疑われても否定が結論付けされてないのは、計算が合わない論が否定されてるからだろ。
馬鹿だよ、この教授
114 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:19:41.54 ID:/JcjwW6Q0
>>93 織田家はかなり尊重されてるぞ
秀吉の治世でも、織田の血筋はかなり高位に上ってる
>>97 北政所と淀君は別に敵対してなかったらしいよ
光成と家康が上手く立ち回った
117 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:19:54.21 ID:ERsUC8o70
そりゃまそーだろ
>>88 天下を震わせた信長ブランドだからね。
女にそのブランドはあったようだけど秀信とかマジ悲惨。
浅井が織田についたままだったら天下とってたろうな。
柴田も羽柴も出る幕なしで。信忠が死ななければ織田政権だったろうけど。
20万の朝鮮と中国の連合軍を数千の兵力で撃破した島津家は最強
あと朝鮮征伐で活躍した加藤家や立花家も好きだ
秀吉は織田信長の血統にこそ王者の格が宿ると思い込んでたけど
秀吉子飼いの歴々たる諸将は、秀吉の血統こそ王者の血族だと認めてたってのはありそうな話
当人は血統コンプレックスに囚われてたけど、
周りからすれば圧倒的な才能を魅せつけた後じゃ血統なんておまけなのになぁ
122 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:20:25.11 ID:ZREudSLc0
>>79 わしもそれが不思議な気がしていた・・・。しかし、家康との対面の場にいた加藤清正の忠義は謎になる。
きれいな側室わんさか作って、元々スケベだからセックスやり放題
でも子供ほとんど出来なかった秀吉は精子にかなりの問題があったんだろうな
あんだけ頑張ってトップまで登りつめたが 後継ぎできねえって人生は皮肉なものだな
124 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:20:36.47 ID:5LK4Scea0
今更どうでもいいよもうほんと
125 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:21:06.18 ID:VPgDJw7T0
そんなことより菅の韓国人隠し子を調査しろよ
126 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:21:14.08 ID:v/32tqRR0
豊臣から徳川になって 豊臣叩きが行われたんだろ
その中で秀頼は秀吉の子供で無いと吹聴したんだろ
だけど秀頼はどう考えても秀吉の子供だよ
秀吉には隠し子がいたと言うウワサもあった
女性がたくさんいるのに子供が出来ていないと言うけれど
徳川でも大奥というハーレムがあったに
世継ぎが産まれないこともあった
>>119 いやフロイスも書き残してる
外人がそう思うぐらいだからみんなそう思ってたみたい
>>1 むしろ、この程度の逆算がなぜ今までできなかったのかと
>>111 墓もあるのに?戦国時代が実は存在しなかったとかもあり?w
結局天下とらずに秀頼は亡くなったんだから
どうでもいいかな
絶頂期の秀吉でさえ織田家の誰も殺せなかったんだから
秀吉時代には織田家への尊重は少なからずあっただろう
132 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:21:55.77 ID:/JcjwW6Q0
>>105 そのレベルでいいなら最近の人で、血筋頼らず腕一本で成りあがったんなら
安藤百福とか、それこそナベツネ?
ナベツネとか、お前はビジネス小説の主人公かよって経歴だし
リアル島耕作
133 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:22:01.95 ID:YaJFgWUa0
秀吉が実子だと言っている以上、実子でいいんじゃね
確かに、本当に秀吉の血を受け継いでいるかどうかは大いに疑問の残るところだが・・・
関ヶ原で子飼いの武将が徳川に走ったのは石田三成との確執が主たる原因だろう。
三成が死んだ後は、秀頼に忠誠を尽くす旨を誓っているわけだしな。
134 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:22:20.07 ID:LrVKsigY0
今年こそ名護屋城を見直すタイミングじゃね(´・ω・`)?
これまで、佐賀県は朝鮮人に無駄に遠慮して、あれ積極的にプロモーションしてこなかったからな・・・・。
詳しい事は書けないけど、こないだ県の観光関係者と話した時に、役職付きの県職の人間が、「いや・・・あれは
“負の遺産”ですから・・・(苦笑」みたいな感じで、積極PRはしたくない風な態度丸見えで露骨に困った顔をした。
で、結果的に、現状は朝鮮人に最大限媚びる朝鮮城址になってしまっている。博物館入ったら、「何故か」、エントランス
ではハングルと朝鮮関連の展示ばかりが目立つ。
ホント〜〜にバカだと思うわ佐賀県。
135 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:22:39.36 ID:k5U0hSAS0
服部英雄は当然徳川の間者にて候
側室他で100人以上の女をとっかえひっかえして、できた子供が一桁。
秀吉の精子に問題があったのは間違いない。
そもそも実子だったかも怪しい。
それの全てが若くして死亡。
なんというか、すさまじい運命だな。
>>1 そんなことは当時誰でも知っていた事実。
当時は、2chでも祭りだった!
この際実子だろうがなかろうが最早関係なかったんちゃう?
要は公然とした豊臣姓の子が欲しかっただけで。
秀吉も馬鹿じゃないんだから薄々察してたんじゃないの?
>>89 総理大臣を含むなら田中角栄もじゃないか?
140 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:22:58.06 ID:ZREudSLc0
>>123 おまえは何も知らんあほや。
長浜時代に秀吉の実子はいる。
すぐに死んでしまったが、秀勝と言う名が残っているわ。
>>114 領地召し上げられてるのにか?
名ばかりの官位で優遇ならそれでもいいんじゃね
143 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:23:17.47 ID:FDEVhWY30
>>128 計算が合わないなら、当時の人間が大騒ぎしてるよ。 特に本人がな
>>114 そりゃあ元主筋だもん。
そうそう蔑ろにもできないだろ。
と言ってもそれほど大して厚遇もしてないがw
>>122 豊臣滅亡は聚楽第で秀吉が後陽成天皇の裾をとったと言われてるけどその時点で決まってたことなのかもよ。
徳川政権でも木下氏は大名として存続しているけどさ。
豊臣秀吉
徳川家康
しかしなんという縁起のいい名前だろう
専門家のくせに知らなかったのかよ、恥ずかしいジジイだな。
そもそも当時の家督継承は家長が決めるんだから
血の繋がりなんてどうでもいいことだ
養子縁組が当たり前の世界なんだから
ぶっちゃけ家長がアカの他人を指定したって良いんだ
事がややこしいのは秀吉が自分の後継に
秀次ではなく秀頼を掲げたてその理由が秀頼が自分の実子だという理由だったからだが
そもそも発狂して秀次を殺したハゲ猿が悪いんだ
証拠は秀吉が燃やした
>>130 1558-1603年の日本の国家元首は豊臣秀頼じゃない?
152 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:24:34.23 ID:ps/fNr8C0
九州大教授
この時点でどうでもいい
154 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:24:51.86 ID:ARnVE63z0
>>132 ああwwナベツネ嫌われもんだけど経歴はすっげぇオモロイよなwww
>>122 織田家中がそんな感じなんだから、それを引き継いだ豊臣家中もそんな感じだろ
主家より自分の家
加藤清正が稀
????「織田なんぞ今じゃ徳川のお茶くみよ!」
????「天下布武なんぞ誰も覚えちゃいねぇよ!」
157 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:25:24.37 ID:fXtVkwh30
そもそも秀吉は猿でしょ?
猿と人間の間に子供なんて出来るわけなしw
>>129 そのお墓実は誰のかはっきりしないらしいよ
後世になってそう言われただけ
>>140 本当は実在するか微妙なんだって
159 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:25:28.57 ID:coU394T/0
国家安康ってなんだっけ?
160 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:25:39.51 ID:EXwtbExb0
>>126 戦の天才の秀吉の息子にしてはあまりにお粗末すぎるわ。
161 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:25:47.25 ID:vCtaaMh50
誰の子だ誰の子だって疑って歴史改変して
さりげなくチョン紛れ込ます為の工作活動だったりしてな
163 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:26:03.26 ID:zR5eNKg+0
>>129 その墓が同時代に作られたという根拠は?
また、当時の一次資料は存在するの?
164 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:26:09.24 ID:FDEVhWY30
>>149 発狂してないよ。 実子が生まれたら養子は殺されるなんて日常茶飯事だろ。
165 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:26:10.11 ID:xcJJTYNp0
豊臣秀頼は豊臣秀吉と前田利家の子
バテレンの科学者が豊臣秀吉に子宮を植えつけて
口から吐き出す形で出産した
口からを選んだのはクソができないから
これが原因で秀吉はみるみるうちに衰弱死 異論は認めない
秀長が長生きしてたら豊臣家も安泰だったのにな
167 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:26:37.20 ID:YaJFgWUa0
壮年の秀吉ならいざしらず
死期の迫った秀吉の心境としては
実子を授かったと「信じたかった」はずだ
真実がどうかなど秀吉にとってもはや知る必要はないのだよ
168 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:26:40.81 ID:Zjc1i1wGO
>>88 三法師を担いで信長の天下統一の意思を継いだ(簒奪した)
って大義名分が有れば織田の血は有難いと思うが
>>88 少なくとも織田家は秀吉にとっては主家であるし、
諸大名に織田以来の家臣が多い状況下では、織田ブランドの価値は非常に高く、
秀吉時代なら、織田家は名家といって差支えない。
羽柴秀勝は何人もいてわけわからん
名前の使い回しすんなよ
171 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:27:07.51 ID:qzgL3za6O
これ千代、馬鹿なことを申すでない
秀頼は体格も立派で、面会した家康が こいつを生かしておくわけにはいかん と
思ったと言われてるよね
秀吉の子じゃなさそう
茶々のフェラチオ
176 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:27:48.00 ID:QenJcI/a0
>この祈祷も実は宗教者による茶々への性行為だったのではないか。
オッキした
>>11 >>20 古くからあった俗説でその可能性を検討した史家がいる。
結果は、懐妊したと思しき時期の三成は、太閤検地の指導で
東西奔走しており大阪には居なかった。
ずっと養子だと思ってたけど?
勝つ家の子?
>>170 最初の秀勝を愛してたがゆえだろ、親の気持ちが分からないやつだな
>>172 まあ茶々が身長172cmのピザって説もあるから
時間を操る能力があった説
秀吉は養女を溺愛して育ててるし血縁にはこだわりは無かったでしょ
秀吉自身がどっかから偉丈夫を見つけてきて、良血の茶々に
種付けさせたんじゃないか
>>162 それはそうだった
国政の長ということで
185 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:28:13.85 ID:RS+dSZAj0
秀頼は大阪城陥落前に島津に落ち延びたという説もあるらしいな。
186 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:28:20.52 ID:zR5eNKg+0
>>52 信長が秀吉をサルと呼んでいた確かな歴史的根拠は存在しない
「はげねずみ」と称した手紙なら1通だけ存在している
187 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:28:40.20 ID:yCQl/BIOO
どうせなら秀吉像をどこかの大使館前に建ててはどうか
>>164 実子じゃないから加藤や福島や小早川は家康に付いたんだよ
何を今さら
何処が新解釈なんじゃ?
191 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:29:14.93 ID:/JcjwW6Q0
>>172 それはどっちにしろ巨漢の浅井家の血が半分入ってるんだから、根拠にはならないんじゃないか?
193 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:29:28.85 ID:FDEVhWY30
>>172 幼いころから食い過ぎのただのメタボなだけさ、あと織田家は背が高い血筋
親父は食うや食わずで、子供の頃に肥満細胞をつくれなかっただけ
194 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:29:39.55 ID:3tOoH/bl0
俺は知ってたよ
早産とかはないの?昔は早産の場合みんな亡くなってたの?
これで教授が務まるのか?(笑)
197 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:30:00.42 ID:Io2ZnOia0
むしろ実子なのに、非実子だと疑ったから秀次一族が皆殺しになったんじゃね。
結局この学説も確定した証拠はないから、
怪しい部分は残ったままだけどな。
まあ、あんだけ側室がいて50歳まで子供ができなかったんだから、
多分秀吉は種無しか不具になってたんだろうし、
当時からみんな怪しいとは思ってたんじゃね。
199 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:30:05.19 ID:ZREudSLc0
太閤殿下の息子と言う立場が死を早めた希ガス。
家康が老人でなかったら、奈良あたりに知行を貰い、20万石位の大名で終えたかも知れん。
豊臣氏が残っていればチョンの火病も盛大になっていたやろね。
それが残念じゃね。
DNA鑑定すれば一発でわかるだろ。
遺骨は残ってないのか?
>>189 まぬけだっただけだろ、その後潰されてるしw
>>187 それやってみてほしいなw
10年前に韓国旅行行った時、ガイドにずっと秀吉のことで文句言われた
つーかそんな嫌いなんだったらガイドすんなよと思って韓国嫌いになったわ
ほんとしつこい
>>183 信長の血にこだわるなら三の丸に産ませた方がよかった筈だけどね
信長の娘なんだから
>>202 だけど、韓国人は大阪城観光は好きみたいよ
>>服部教授は「平塚の日記は龍子を茶々と誤認したもの」と結論づけた。
トンデモ仮説の悪寒
208 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:31:26.54 ID:Zjc1i1wGO
しかし、当の秀頼が秀吉に似ない体格のよいカリスマ性を備えた好青年に成長した為
家康は豊臣棒滅を決意したともいわれる
他人の出生のあれこれ暴くとは、これは立派な人権侵害だな
ばあさんが修復した絵は実は秀吉だったのかも
くだらないことに税金使うなよ。これが国立大学のやることかよ。
九大も解体したほうがいいね。所詮いなか大名のやることだ。
お家取り潰しのうえ張り付け獄門でもいい。
212 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:31:44.07 ID:WhGK9CkzO
>>112 は?
婿養子は直紀だろ。角榮は、
新潟県刈羽郡二田村大字坂田に父・田中角次、母・フメの二男として生まれる。
田中家は農家だが父・角次は牛馬商を業としていた。
角栄の幼少年時代に父角次がコイ養魚業、種牛の輸入で相次いで失敗し家産が傾き極貧下の生活を余儀なくされる
1933年、二田高等小学校卒業。
1934年、上京。
1936年、中央工学校土木科を卒業。建築技師として自活。
1937年、「共栄建築事務所」を設立する。
1939年、兵役に就く。
1941年、肺炎を患い内地へ帰還。除隊。東京の飯田橋で田中建築事務所を開設。
1942年、事務所の家主の娘、坂本はなと結婚。
1943年、田中土建工業を設立。
1944年、長女眞紀子が誕生。
1946年、第22回衆議院総選挙。進歩党公認で出馬するが、次点で落選。
1947年、第23回総選挙。民主党公認で出馬し、当選。
213 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:32:08.16 ID:FDEVhWY30
>>186 信長公記 で、「サルが報告していった」という記述がなかったか?
>秀頼の誕生日である文禄2年(1593年)8月3日から逆算、受胎が想定される
>前年の天正20年11月4日前後
この逆算てのは当時の暦を勘定に入れた上での日付なのか?
今朝の朝日新聞に載ってたから、先月の読売新聞の記事を引っ張り出してスレ立て?
俺でも九州大準教授位なら勤まる気がしてくる
いい記事だ
217 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:32:27.69 ID:3PDG3Gxf0
茶々たんは糞ビッチって知ってた
218 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:32:32.01 ID:ph3N5ARV0
>>169 >織田家は名家といって差支えない。
織田家が名家って冗談だろw
この時代、源頼朝、足利尊氏、新田義貞などの血を引く源氏しか征夷大将軍になれないという
武士の間では暗黙の了解があった
信長が天下統一を果たしていたとしても、征夷大将軍にはなれなかったろう
秀吉も一緒、だから「関白」という道を選んだ
んで、家康は自称源氏(笑)だから、征夷大将軍になれた
220 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:32:44.06 ID:vCtaaMh50
>>166 後15年程生きて秀次の切腹騒動の阻止ができていたら
豊臣家の権威を維持できたかもしれんが
結局秀頼派と秀次派に分かれて関ヶ原と似たよーな事になってたかも
>>183 たんに政略結婚だろ
子供が居ないんだから養女もらうしかないだろ
家康もたくさん養女育てかつ大切にしたみたいだよ
222 :
忍法帖【Lv=16,xxxPT】(0/5:0) :2012/09/03(月) 15:33:16.35 ID:hhKyr9+90
>>195 それ思った。
早産や遅産の可能性は?
そんなにぴったり産まれる方が珍しいと思う。
実際、周りの友人らも早産もしくは遅産だったし。
当時は養子縁組普通にやってるし血筋重視じゃないだろ。
嫡流の血脈保ててる大名筋なんざ明治期にいたのかね
>>218 この間姫路城の改修工事見に行った時
係員さんに「織田は平家筋だと言われています」って聞いたよ
225 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:33:52.22 ID:YaJFgWUa0
>>162 外国の国家元首が日本に手紙を書く際、誰に書くかによって国家元首が誰だか決まる。
秀吉死後、外国の書簡は主に徳川家康が扱っていたから海外的には家康が元首だと
思われていたんだろうな。
>>207 文書を残した平塚滝俊ってぐぐったら佐竹の家臣らしいから、
中央がどうなってるか、秀吉の側室がどれくらいいるのか、とか正確にわかってなかった
可能性はあるじゃないか
>>199 無いね。
徳川に対する豊臣家の徹底服従を受諾したら
その可能性も無いでもないが淀殿がそれを絶対許さんだろ。
淀殿がいた限り豊臣家の滅亡は必然だった。
世継ぎが生まれなかったら他から養子をもらうのは
当時は普通じゃなかったかい?
>>189 実子じゃないのに、加藤や福島は命がけで二条城の会見を実現させたのか…
230 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:35:13.72 ID:VKEtuEs80
そう言えばおれの家に伝わる古文書には
秀吉は幼少の折、おたふく風邪に罹っていた
と記されていたなあ。
231 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:35:29.01 ID:tfTuzuQ60
誰もが疑うことだよな。
232 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:35:36.00 ID:ZREudSLc0
>>212 角栄にも長男がいたそうだ。すぐに死んだらしい。
だから、角栄の2号さんの息子達は次男と三男やで。
>>208 徳川政権を磐石にする為に邪魔なだけだろ
例えひ弱そうでも一緒
秀吉のロリコンはいいロリコン?
誕生日から逆算すると俺は豊臣家の末裔かもしれない
どうせ天皇も同じように入り乱れてんだろな。
237 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:36:22.67 ID:h03wOAwnO
>>221 養女をょぅι¨ょって書くと意味が変わるな
238 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:36:25.19 ID:Io2ZnOia0
>>218 極官が右大臣だから、茶坊主になり下がっていた山名さんや、蹴鞠の師匠に転職した今川さんより上等。
>>10まで読んで、みんなスレタイしか読んでないんだな。
>>2 >「子宝を願って社寺に籠もる『参籠』が実は男女交情の場であったという
>中世の民俗事例からすれば、この祈祷も実は宗教者による茶々への性行為
>だったのではないか。大坂に戻った秀吉は、茶々懐妊の真相を知って激怒
>したのだろう」
240 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:36:36.01 ID:0iT52kPU0
そんなこと言い出したら家光だの吉宗だのいろいろ不自然で怪しいヤツ多すぎるんだよ
しってた
242 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:36:40.91 ID:Qn5QXtct0
まぁ、どの程度かは知らんが理解した上で乗った感じであろうな。
243 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:36:41.31 ID:Q4vc0+Z3O
ちょっと下世話な研究だなw
弥助の子かも。
245 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:36:58.58 ID:/JcjwW6Q0
>>228 でも、それって遠縁から貰うか、もしくは目上や同僚から貰うかだからなぁ
目下の子を養子ってのはレア
養女ならいくらでもあるけど、どうせ政略結婚の道具だし
>>223 だったら何で秀吉はあんなに秀頼に執着したの?
一時は後継の決まった甥の秀次を抹殺してまで。
>>204 貴種流浪譚というジャンルの噂は古今東西いぱーいあるよ
俺は源為朝が琉球王朝を開いたってのがロマンがあって好き
秀次をこれでもかと潰したのは実子じゃなかったからってのもあるかもな
249 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:37:25.96 ID:YaJFgWUa0
>>166 秀長、名君説は真っ赤な嘘だから注意。
堺屋太一が小説で持ち上げたので誤ったイメージがついている。
興福寺文書、大乗院日記には秀長の大和の国における悪政の数々が記録されている。
大和の農民が大坂城まで直訴しに行ったくらいだそうだ。
秀吉が秀長を厳しく叱ったという記録もある。
250 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:37:28.61 ID:o0GziUmOO
昔は孕んだ女があなたの子よと言えばそれで皆納得したんだよ
指名された男も心当たりなくても認めたんだよ
武家上がりでもない秀吉ならよりその傾向は強い
251 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:37:52.34 ID:ARnVE63z0
いいこと思いついた
玄関に秀吉像置いとけばチョン除けになって売れるんじゃね?
おまいらに売って大ww金ww持wwwwwちwwwwwwww
お母さんにマッサージ器を買う
お父さんの墓を綺麗にする
嫁さんもらうwwwwwwww
うはー 夢が広がりんぐ
ちょっと秀吉像作ってくるwwwwwwww
>>218 信長は死なないで、成ろうと思えば成れたよ
朝廷から成ってって頼まれたから
秀吉はチビなのに秀頼が2mの大男ではなあ
あらやだ
>>246 それでお家騒動起こして改易された大名いくらでも・・・。
257 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:38:36.49 ID:FDEVhWY30
>>249 君の言う名君とは、ただの「いい人」の意味なのか?
259 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:38:47.03 ID:ph3N5ARV0
>>224 信長の自称平家は仮冒と言われてる
本当は忌部氏の末裔でしょ
普通に大野修理治長(大蔵卿局の子)の子だという説があるだろ
261 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:38:53.49 ID:fmGfsaEa0
大河の独眼竜正宗でもあったな
ナベケンが八千草薫に聞くんだよ。「顔が似てねえ」って
>>207>>219 この教授をかばうつもりはないけど、他の学者もこのあたりは
一次史料の「勘違い」「間違い」等々を基本にして立ててるよ
まあ解釈といえばそれまだだけど
263 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:40:41.42 ID:6PYiOR3hO
まったく韓国とか関係ないのにわらわらチョンが沸いてくるな。
265 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:40:49.36 ID:+fqPwR2K0
>198
豊臣秀吉は実は女の子だった説とかないなぁ.
1000人切りの元祖の子が淀のみってのは不自然と言えば不自然かな
ご落胤あっちこっちにいても不思議ではないのにねw
267 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:40:57.19 ID:UbHxfXPt0
寧々(北政所)は秀吉が長浜城主時代、確か一度子を授かった
という説もあると思うんだけど。その子はすぐに亡くなった、
もしくは死産だったような書き方だった。
>>218 信長は征夷大将軍か関白の就任を打診されたけど
断わったんじゃなかったっけ?
征夷大将軍が源氏しか成れないって嘘だからw
まあ源氏の方が成りやすい、ってのはあるけど。
269 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:41:29.83 ID:ZREudSLc0
織田の家は不思議やね。
信長以外は凡才ばかり・・・・。突然変異なのかもな?
/ニYニヽ
(ヽ /( ゚ )( ゚ )ヽ /)
(((i ) /::::⌒`´⌒::::\ ( i))) でっていうwwwwwwwwwwwwwww
/∠_| ,-)___(-,|_ゝ \
( ___、 |-┬-| ,__ )
| `ー'´ /´
| /
273 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:41:56.63 ID:NKHRMYJn0
「秀頼は豊臣秀吉の実の子ではない」
そんなの当時から言われてた。
家康も当然言い触らしただろうしね。
実の父は、大野治長だろうね。
274 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:42:01.87 ID:/JcjwW6Q0
>>249 旧体制勢力と対立していたということは考えない?
その作者は秀長を批判してる人としてよく出される人
だよね。
>>265 草履を胸元に挟んで「あたためておきました」って上目遣いで谷間見せながら言う、
指が6本生えててハゲネズミとか猿とかあだ名がつくレベルの顔の女の子
277 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:43:04.56 ID:lzl4WCrz0
>>253 乱世の浮浪者の栄養事情で成人した秀吉
当時の日本最高の栄養事情で成人した秀頼
これだけで30cm違うってもおかしくないからそれだけじゃなんとも
>>234 権力者のロリはいいロリ
サル「ねねタンハアハア」
家康のプロパガンダに400年以上たっても騙される学者がいるってのも凄いよな
淀殿は、正室でもなく側室なんだから
自分の子じゃないとわかったら
追い出すとかするだろ。
あと、どこの馬の骨の子かわからない奴のために
後継に邪魔な自分の血筋の甥っ子を
殺すのはおかし杉!!
やっぱり、実子なんじゃね?
1見る限りだいぶ無理がある説だしなー
283 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:44:57.36 ID:YaJFgWUa0
>>257 秀長の悪政が豊臣政権の基礎にヒビを入れたのではないかと思っている。
興福寺の文書によると、秀長は
「郡山城の天守が傾くくらい金を貯め込んだ。」そうだ。
過酷な徴税に加えて金融(金貸し)もやっていたとのことだ。
秀長死後、増田長盛や大久保長安が大和郡山の内政の建て直しに尽力している。
愛よ!
関係ないけど
伊達政宗が娘に五郎八と書いて「いろは」と読ませる名付けをしてたのを知ったときの衝撃
286 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:45:15.27 ID:zR5eNKg+0
>>213 信長が秀吉をサルと呼んでいたという記述はあるの?
前田利家の記録によれば、右手の指が6本だったから「六つめ」と呼ばれていたらしいけど
顔よりも6本指の方が特徴的だと思う
287 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:45:27.51 ID:FDEVhWY30
>>280 いやいや、北の政所も側室連中も、心の中では疑ってたろうよ
288 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:45:45.53 ID:h03wOAwnO
>>225 幕末は大君っていう称号で外交してたみたいだが
>>246
どっちかっつーと秀吉が淀を寵愛してたんだろ
家康派に鞍替えした連中の一番の理由は色々あるけど
淀がデカい顔するのがすげえ嫌だったってのがデカイんだろうし、
それは当時からそう言われてたろう
実際淀は実権持ってたから
290 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:45:53.72 ID:Wv6090IsP
×新解釈
○珍解釈
>>269 父ちゃん尾張守護の家臣の家臣から下克上
>>218 >織田家が名家って冗談だろw
冗談でも何でもない。当時の大名のほとんどは織田家の家臣筋であるわけで、
ほとんどの大名の主筋であり、一時代を築いた織田信長はカリスマであり、
織田家はすでに名家だ。
>この時代、源頼朝、足利尊氏、新田義貞などの血を引く源氏しか征夷大将軍になれないという
>武士の間では暗黙の了解があった
それこそお笑い草のトンデモ説だ。そんな了解などない。
生前の織田信長には、朝廷から征夷大将軍奏請のお伺いもあった。
また、征夷大将軍には摂家でもなれる。現実に九条家の征夷大将軍も存在した。
摂家となり関白になれる秀吉が、征夷大将軍になれないはずもない。
ヤリチン伝説の秀吉に子が一人は不自然だわな
今更、こんな事を発表して誰得なんだ?
実子でなくても自分の子供だと認知もしてるのに
何か不都合な事でもあるのかよ
>>283 大和って寺の影響でかくて治めずらいだけじゃね?
名君か暗愚かは知らんが
今大河でやってる清盛も天皇のご落胤だと公然の秘密だったからな
298 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:47:24.16 ID:ph3N5ARV0
>>268 もちろん天皇が勅許したらなれるけど
鎌倉幕府、室町幕府、その他の源氏の武家衆が許さないでしょ
という意味ね
299 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:47:44.34 ID:ZREudSLc0
秀吉は背の高い女性が好みやったらしい。
京極龍子も当時にあっては身長160センチぐらいあったらしい。家康の身長が159センチであったことは知られている。
茶々も160センチほどあったのではないか?
秀頼の身長が高いのも母親似
ねねにござる〜
>>288 朝廷から大政委任されてるはずの幕府が天皇に
開国を許す勅許クレクレ言ってたことも思い出してやってください。
302 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:49:04.68 ID:YaJFgWUa0
>>288 そうそう。幕府は、本当は『将軍』で親書を出そうとしたのだが、
それだと「ジェネラル」という意味になるからダメって相手側から言われて
天皇がいるのに国王もおかしかろうというわけで、とりあえず「大君」にしといてということだもんな。
>>286 サルだろうが禿ネズミだろうが六つめだろうが
実の息子に奇妙だの茶筅だの付ける人の側近じゃ碌なあだ名で呼ばれてないのは確か
>>298 当時、許す許さないの段階は超えてるだろ
光秀謀反が無ければ数年で織田家による全国統一だろ
305 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:49:57.61 ID:ZREudSLc0
>>293 まあ、9センチじゃなかったことは確かやね。
やりちんでも9センチなら大変やで。
306 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:50:00.11 ID:gFJcZ3h+0
服部教授って?
家康の密命を受けた服部家の子孫が、家康の都合のいいように歴史を誘導してるんじゃないの?
正直だからなんだっていう
308 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:50:25.64 ID:tdYSf+RI0
>>298 他の源氏の武家衆が許すも許さないもないわな。
だいたい、摂家(藤原氏)将軍も宮将軍も居たんだし。
誕生日が正しいかも分からないだろ
310 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:51:14.54 ID:0iT52kPU0
>>225 違うわ馬鹿
国家のトップが元首なんだからずっと元首は天皇家
カナダや豪州の元首が未だにエリザベス女王なのと同じだ
311 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:51:18.73 ID:fzAPVyNr0
秀吉っていわゆる男性不妊だろね
多分すご〜く種が少なかったとかで出来るのは奇跡
でも茶々だけ二人も出来るって
312 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:51:23.84 ID:Io2ZnOia0
信長は征夷大将軍になる気はなかったのだろう
314 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:51:51.49 ID:i2RUOlD90
>>298 鎌倉幕府で源家が将軍だったのって最初の三代だけだろ。
後は藤原氏と皇族。
加えて執権だった北条家は平家筋だ。
>>307 珍説を発表すると、それを元に小説家が小説を書き
本がちょっと売れるな
316 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:52:17.37 ID:UfBswwkp0
素人のオレでも昔からそう思っていた。
むしろ、主流の解釈にならないのが不思議だ。
関ヶ原の戦い、冬の陣、夏の陣の各大名の動きを見れば
そうでないと理解出来ない。
317 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:52:27.21 ID:2uzAz4h7O
>>304 そうだろうね
そして、天皇制なんて廃止になってただろうね
318 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:52:36.70 ID:roCsM7y8O
って事で種無しだったのね
319 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:52:40.45 ID:qzgL3za6O
我が城、我が領地
徳川様に明け渡し申す
320 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:52:40.52 ID:LR9YZsc+0
慰安婦の検証もしてくれ
>>218 お前、最初の征夷大将軍が誰だったのか知ってていってるのか?
>>311 徳川もだけど側室いる割に子少ないね。
それだけ男の死亡率高かったんだろうけど。
元就の子は生き残り過ぎてニート化しそうな息子たちの職探しに奔走してたのに。
323 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:53:09.60 ID:YaJFgWUa0
>>301 それについては、ちょっと複雑な事情があって
鎖国をしたのは家光なんだけど、このとき朝廷の許可を得ずに勝手に国を閉ざした。
時は流れて、幕末となると開国と鎖国で国論を二分する事態となり
幕府側が本来なら自分たちの判断で開国できるのだが、朝廷も許可したという形式を
とったほうが世論も納得するだろうと思って朝廷に許可をもらいに行った。
いつも幕府の言いなりの朝廷のことだから幕府も安易に考えていたのだが、
意外にもダメ!って朝廷は言った。
ここから幕末の動乱は更に激しくなる。
まぁ別に歴史は変わらないし、
どっちでも良いこと
>>218 さらに歴史を遡れば藤原将軍なんてのもいるわけで
まぁ一応源氏の血も入ってるが出身は九条家(藤原氏)
源氏だけがなれるってのは明らかに間違い
326 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:53:39.44 ID:/JcjwW6Q0
>>310 そのトップがよそから見たら二人いたから日本は珍しい国なんだろ
朝廷は外交を完全に制限されてたから、江戸時代の日本の王は対外的には間違いなく幕府だと思うよ
>>311 成人してから熱病でも患って、精巣が機能無しになったのではないのだろうか。
329 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:54:02.14 ID:BLhFIvoi0
DNA検査いいね
ロシア帝国も、皇帝の種でない子がたくさん即位してる
イワン雷帝も、ピョートル大帝もおやじの種じゃない
ピョートルは身長2メートルで兄弟とは似ても似つかなかった
のちの女帝エカチェリーナも子作りのために浮気してて
エリザヴェータ女帝や、侍女など周囲の協力があったと生々しく語られてる
ただし皇太子が生まれると種馬は外国にとばされて左遷されてしまったから
男には全然気持ちいい話ではない
イギリスも、、国王の死後にフランス人王妃がアイルランド男の衣装係と浮気して
こどもが伯爵を与えられ、そのリッチモンド伯爵が薔薇戦争で勝ちヘンリー7世になるのだから
うそのようだが本当の話だ
ヘンリー7世の血筋の怪しさから英国王を称するものが相次いだがすべて軍隊が鎮圧した
中国にも秦の始皇帝の実の父親ウンヌンがあるからなぁ
ただしそのはなしはあまりによくできててうそくさい
331 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:54:16.59 ID:ph3N5ARV0
>>304 >光秀謀反が無ければ数年で織田家による全国統一だろ
無理無理w
闇討ち喰らうような奴が天下統一なんて無理ゲー
332 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:54:31.66 ID:dKE2SYyw0
家康に秀吉以来の武将が付いた理由に、血の疑惑とかで見るのは、逆説の日本史的に、実際正しいかもしれないな。
333 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:54:54.01 ID:qzgL3za6O
尾張の猿に囲われる前に
そなたが我を奪っておくれ
334 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:55:09.00 ID:h03wOAwnO
>>304 ぶっちゃけあんだけ裏切りにあってんだから
光秀がやらんでも、他がやるような気もするがな
335 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:55:11.10 ID:FDEVhWY30
>>286 信憑性の高い「信長公記」に、サルが来て報告云々という信長の言葉と、
信長が細川氏あてに充てた文の中に、サルと秀吉のことをよんでいる
この、2点かな
336 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:55:26.71 ID:aWKfdeg3P
>>67 今更な話題だわな。当時から疑わしいと言われてたのに。あほくさ。
337 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:55:33.97 ID:dhkVNtN90
昔家に有ったクソ重たい学研の百科事典に
秀頼は秀吉の実子ではなく不倫の子、て書いてあった。
そんなに断定していいんかと思った。
>>283 そこまでされて一揆の一つも起こせなかったわけ?
ほんの少し前まで本願寺や雑賀衆として暴れてたのに
それはおかしいと感じるのが普通では
驚いたのは、wiki情報を盾に、この学者を馬鹿にしてるやつが何人か存在すること
司馬遼太郎の名前が出る歴史は信用出来ない
北政所が賢い男子を早期に産んでたら豊臣の時代は続いてたかも
342 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:56:36.54 ID:s1ybbO3hO
>>218 信長は将軍や天皇を遥かに凌ぐ存在を目指してたんだよ。
絶対君主をね!
>>334 その変はスレ違いで荒れるだけだから他でやって
単に国力を比較してるだけだから
344 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:56:49.67 ID:sbOF2/Kg0
秀頼が自分は亡き秀吉の実の子かと、散々ぐずぐず悩んだ挙句、
「血のつながりなんかどうでもいい!豊臣の天下を継ぐのは自分だ!」
っていきなり覚醒!!
ついに家康を倒して、天下を統一した。
・・・・って仮想戦記を、最近読んだのだが。
/ヾ∧ 母系の茶々は織田浅井系なんでデカイ!
彡| ・ \
彡| 丶._) 秀吉,三成はチビなんで,父系は西軍についた長身の奴だ!
( つ旦
と__)__) 身分的にみて,前田利家,小西行長,小早川秀秋が怪しい!
大きい人
風魔小太郎 216cm
石川五右衛門 207cm
斎藤義龍 豊臣秀頼 197cm
加藤清正 191cm(161cm+兜)
藤堂高虎 190cm
後藤又兵衛 前田利家 直江兼続 182cm
浅井長政 宮本武蔵 180cm
織田信長 170cm
長宗我部元親 小西行長 小早川秀秋 不明
----------------
平均前後
徳川秀忠 160cm
伊達政宗 徳川家康 159cm ★戦国時代平均身長
上杉謙信 156cm
石田三成 156cm
----------------
小さい人
真田幸村
上杉景勝
武田信玄 153cm
豊臣秀吉 150-160cm
池田輝政
山県昌景 130-140cm
346 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:57:00.37 ID:oLxBgcMn0
秀頼が巨漢で秀吉がハゲネズミだし
どう考えても実の親子ではないようだ。
>>334 本能寺の時だけ妙に信長ツキがなかったよなー
348 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:57:28.36 ID:ZREudSLc0
信長は殺された時49歳やった。
光秀の謀反は本当に謎としか言いようがないわ。
残念な出来事やね。
日本の考古学って、どの程度権威があるんだろ
私が埋めましたの人が衝撃的すぎたってのもあるけど
この時代にDNA鑑定もしてないなんて、意味不明だわ
皇族絡みでタブーになってるのかも知れんが、そんなんで
確度の高い調査手段放棄するなんて、それ学問じゃなくて
宗教じゃん
350 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:57:41.61 ID:YaJFgWUa0
>>338 いや、普通に一揆も起こっているよ。
東大寺の門前で首謀者の首を何度も晒していたとのこと
>>298 鎌倉幕府の9代の将軍のうち、源氏なのは最初の3代だけ。
>>298 そういうときに許す理由をひねくりだすのが公家の仕事のひとつだろ。
どうにもならない秀吉には、豊臣の姓をくれてやったわけだし。
>>331 どこの国でも身内の裏切りなんてごく普通。
逆に、それを潰せるという条件でなら統一は出来たとみるべき。
>>344 その仮想戦記はやっぱり真田家が大活躍なの?
>>347 暗殺される時なんて、そんなもんさ。
大久保利通しかり、
>>316 確実に秀吉の種でも織田の嫡子の秀信くんの扱いからして力が無きゃ大して変わんないよ
精々神通力は関が原までで冬の陣、夏の陣で豊臣に付いたらただの馬鹿だよ
忠誠心だなんだが尊いとされるのは基本的にはそんなもん誰も持って無いから。
358 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:59:35.86 ID:i12/l+ya0
秀吉はXXY遺伝子の保持者で通常の受精が不可能だったのでは?と言う説もあったな。
359 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:59:45.84 ID:ZREudSLc0
>>345 男前で有名な松永弾正久秀の身長は180センチやったらしいで。
360 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 15:59:53.38 ID:EXwtbExb0
秀吉が征夷大将軍にもなれたって本当?
>>349 逆にDNA鑑定を過信しすぎ
遺骨の保存状態によっては鑑定できないし、やったとしても精度が低い
362 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:00:04.41 ID:1B14oo3IO
信長も秀吉も征夷大将軍叙任を断ってるからな
家康は源氏の長者と征夷大将軍に拘ったが、それはどこの馬の骨ともわからん先祖が新田氏だって言ったからに他ならない
当時、征夷大将軍なんて大して価値ないよ
何故ならリアルタイム征夷大将軍の義輝はいわば陪臣の松永久秀に殺されてるし
義昭も信長の傀儡でしかなかったからね、それをリアルタイムで見てた世間や信長や秀吉が征夷大将軍なんてありがたがるわけがない
家康以降260年間も徳川の治世が続いたから、征夷大将軍の権威が高まっただけで
363 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:00:05.17 ID:RI27CrjY0
大昔のことなんてどうでもいいわw
それよりお前らはホントに両親の子か?
>>349 日本の考古学があまり科学的証拠を重んじないのは確かだが、
秀吉と秀頼のDNAってどこで取れるの?
365 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:00:11.85 ID:2uzAz4h7O
大野治長が有力なんだっけ?
366 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:00:14.96 ID:YaJFgWUa0
>>354 だから、興福寺文書と大乗院日記だと何度言ったらわかるのか・・・
まあ、それは信用できんとかなんとか反論してくるんだろうけどなw
367 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:00:15.86 ID:/JcjwW6Q0
>>348 本能寺の時の秀吉が一時的に超天才だっただけで、光秀だって勝算ゼロでやったんじゃないでしょ
まさか秀吉があんなスピードで駆け戻ってくるとは想定外だろ
>>331 だよな〜光秀失敗しても、次から次と裏切り候補に事欠かないしな。
某戦国IF物で信長が北条征伐中、家康が裏切り、逃走の末、小屋で休憩中
火に巻かれて無念の憤死、やっぱこの人こうじゃなくちゃ、畳の上で死んじゃダメ。
たぶん実際の信長は、秀吉と分かる呼び名をいくつか持っていて
その時の気分で選択していて常にサルとは呼んでなかったのかも。
肖像画を見る限りサルよかネズミの方が的確に思えるし。
>>354 一向一揆のことを言ってるんでないかい?
>>345 >山県昌景 130-140cm
イメージ狂うな
373 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:01:54.94 ID:dKE2SYyw0
400年後の今、計算できるなら、当時はもっとシビアに計算しただろ。
おいおい、子が生まれるわけねえぜとか、足軽に至るまで、農民さえも、噂したかも。
成人したら、小さな秀吉のことは思えん、2メートル近い巨体なわけだろ。
これはもう、巷では世継ぎとして正当性を否定されてたに違いなく、
それを黙らす為の以後の秀吉の狂ったような粛清があったと見るのも、
社会ってそういうもんだと思えば、現代の出来事のように、息遣いさえ聞こえそうな、
歴史のリアリティーがある説だわ。
374 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:02:23.45 ID:PzU5cNm60
淀君は170cm超えの大女
秀頼も190cm超えの大男
祖父の浅井長政も大男
秀吉は・・・・150cmに満たない小男
秀吉に謁見した朝鮮使節は「秀吉が顔が小さく色黒で猿に似ている」としている。
ルイス・フロイスは「身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には6本の指があった。目が飛び出ており、シナ人のようにヒゲが少なかった」と書いている。
375 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:02:27.13 ID:0iT52kPU0
>>326 形としては幕府にしろ太閤しろ朝廷から任じられてる形なんだから元首がどちらかなんて明白だろ
外交権の有無とか対外的にみたらとかは元首であるかどうかに係わり合いがない
将軍=「ジェネラル」は武士体制の構造をそのまま言い表してるしね
だいたい欧州は欧州で教会と王権で二重構造を持ってた時代もあったし、
中国だって有力者が簒奪する前にそういう構造になる例はままあったし、別に珍しくもなんともないだろ
376 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:02:48.42 ID:2uzAz4h7O
>>367 可能だろ?信長があそこで死ぬ事を事前に知ってれば、準備はいくらでもできる
>>360 なろうと思えばなれただろう
前例もあるわけだし。
なろうとしなかったのか、それとも別の理由でなれなかったのか
そのどちらかだろう
>>366 こっちの手元にないから
その部分をアップするかそれともネットで見れる所を教えてくれと言う意味だ
378 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:03:07.04 ID:6aWSDEKX0
秀吉はチビだったけど秀頼は突出した大男だったから実子ではない、
という説は読んだことがある。
379 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:03:08.47 ID:6x6WjOej0
へうげものでもやってたよ
380 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:03:15.97 ID:nbNjHjN80
鑑定したんじゃないのか
山県は、小さい上にみつくちで、風采が上がらないのに勇将だったというのがかっこいい。
なにを今更…
実子なら関ヶ原は起きんわ、皆気付いておったわ
383 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:03:37.24 ID:/JcjwW6Q0
>>373 秀吉が死んだ時、秀頼が何歳だと思ってんだよw
384 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:03:40.86 ID:TYM16WtKO
茶々が十月十日を知らないのは萌えるかもだが、生殖坊主が知らないのはマズいだろ
>>366 つぶされるほうは、そりゃ悪く書くわな。
英雄である信長を、延暦寺はずっと魔王って呼ぶのと一緒。
秀長になってから奈良の領地争いが下火になっていったのも、事実だよ。
>>367 でも事が起こってから親戚筋とかに根回し始めたとか聞いたし、
結構勢いでやっちゃたんじゃないかって気もする。
387 :
育毛たけし ◆yQKFFs7POM :2012/09/03(月) 16:04:04.89 ID:NiOzTUAq0
たしかに
秀頼が実子じゃないならあれだけ東軍に寝返った理由も納得できる
三成との不仲だけで加藤清正あたりが寝返るとは思えんからな
身長は何も根拠にはならんわ
栄養取れなきゃちびになるしなー、秀吉だって秀頼並みに栄養取れたらどうなったかわからん
>>371 /ヾ∧ 武田四天王最強の騎馬軍団や!
彡| ・ \
彡| 丶._) 赤い鎧着た小人が,ちっこい木曽馬(ポニーみたいなもんや)に乗っていたんやで!
( つ旦
と__)__)
>>372 JRAジョッキーでサルと言えば岩田康成
>>372 戦国時代の日本の馬はポニーぐらいの大きさしかなかったらしいからな〜
392 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:05:05.86 ID:Uzk5K/m+0
知ってた。
393 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:05:32.86 ID:zR5eNKg+0
>>347 今川義元も、戦国時代では屈指の名君だったけど、わずかな油断によって討ち取られている
光秀のその後を見る限り、関ヶ原の家康のように入念な手回しをしていた訳でもなさそうだし、
謀反を予想するなんて不可能だっただろう
394 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:05:33.89 ID:YaJFgWUa0
>>385 それこそソースは?だよw
領地争いは私戦禁止令などの発布で全国的に下火になっているでしょうw
茶々が名護屋にきていたという記述が正しければ、すべて妄想になってしまうような説だよな。
396 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:05:36.28 ID:tY/cizNo0
他人の家庭の事情のことなんかほっといてやれよ
なんて野暮なヤツなんだよ
397 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:05:37.86 ID:wMEHN/fPO
実子なら秀勝と付けただろうしなw
398 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:05:41.02 ID:h03wOAwnO
399 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:05:51.86 ID:nbNjHjN80
秀吉は種無しかね
>>376 でも戦争中だったろ
毛利まで知ってて共謀してたっていうならわかるが、そのために清水の腹切らせたのはよく毛利受け入れたなと思うが
>>349 DNA鑑定って、DNA断片が残っているような遺骸があるのかな。
特に秀頼は無いと思うな。
つか、生きてる人の細胞でやるんならまだしも、既に考古学の領域に入っているわけで。
何人かでやると、どのDNA断片が増幅できるか、あるいはコンタミしちゃうかで、それぞれ別の答えになったりするのよね。
403 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:06:28.14 ID:fzAPVyNr0
>>345 その時代に180cm以上なんていたのかと思ったけど
この時代は食べ物は自由だろうから、栄養のある物
バリバリ食ってる人間は大きくなってたのかな
>>386 計画を綿密に立ててたら、信長に察知されて失敗したかもなー
ノープランが今まで様々なピンチを切り抜けてきた信長にとどめをさせた要因かもしれん
405 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:06:29.70 ID:0iT52kPU0
本能寺うんうんの話題が出てるが、あれはたまたま物凄く運良く信忠が一緒に死んでくれたから、清洲会議以降の
秀吉の簒奪が旨くいっただけであって、生きてたら普通に光秀討伐されて織田家の天下だろ
DNA鑑定でもしたわけでもあるまい
>>387 じゃあなんで、家康との二条城での面会で、命がけで秀頼守ったんだ清正は?
そもそも騎馬戦なんてやってないとか聞いたぞ
409 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:07:02.55 ID:ZREudSLc0
信長は
松永弾正を赦す気でいたのは、彼が超有名な男前やったからや。
しかし、松永弾正は壺を抱えて爆死した。これはこれで残念な最期やね。
松永のひ孫に松永貞徳がいるのは豆な
410 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:07:04.29 ID:/M14/OlQ0
今更何ドヤ顔してんだ
411 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:07:35.52 ID:lgN/9Ucj0
秀吉は種無しってことだね
>>398 なら大陸馬を輸入したら、もはや黒王号?
413 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:07:47.81 ID:ph3N5ARV0
>>321 知ってますよw
ただ、当時の武士にとっては、どうしても源氏(特に河内源氏の流れ)は絶対に欲しいブランドだった
平家を討伐した頼朝の血、鎌倉幕府を倒した新田の血、さらには室町幕府を開いた尊氏の血・・・
家康が新田氏の血を組んでると仮冒(?)してまで源氏になりたかったのはそのためだし
この血を組んでいない秀吉が征夷大将軍ではなく、あえて関白を名乗ったのはこのため
414 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:07:51.56 ID:YaJFgWUa0
>>407 二条城の会談は別に命がけでも何でもないよ
ビッグイベントだったのは確かだけど
415 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:08:18.89 ID:QSQM9ve+0
論理破綻ジャップの症状(人間性、品格)
・なんと相手の言ったことをそのまんま言い返してるだけのオウム返し。
(反論できずに論拠も無い必死の反抗)
・或るいは同じ主張を繰り返し言い張り続ける。
(それでも認めない破廉恥なパラノイヤ)
・またはただ嫌な相手の意見に反応的に反対しているだけ。
(非常に根の曲がった、自己中心的感情まき散らす精神病質者)
・論点ずらし、話すり替え、屁理屈言い訳、必死の誤魔化しすっ呆け反抗。
(道理なく、不誠実で一歩手前のかなりの卑怯者)
・終いには悪口罵倒、威嚇暴力、脅し文句で応酬という正当性の無い卑劣な態度。
(倫理身につかない、正にその人の本質といえる人格障害)
・突然黙ってその場を離れる「おいどこいくんや!まだ話は終わってないぞ!」
(恥も外聞も捨てた無責任な後ろ姿)
・これらの症状を現わてしまう心構えの無さ、歪な人格精神。
(今も尚、虚勢を張り虚飾に満ちた虚栄のために勤しんでいる)
悪の性分ジャップ性人格障害の心理
「 よ〜し、よ〜し、覚えとけよ、お前なんかケチョンケチョンにしてやるからな、
ぐひひひひひひひーーーーーー 」
>>405 そのときの信忠ってそんなに力もってたん?
ま秀吉も半ば下克上っぽいことやらなかったかもしれんが
417 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:08:29.74 ID:qzgL3za6O
わしの首欲しくば、地獄まで供をせい
>>408 赤白帽の取り合いしてもしょうがないしな
419 :
育毛たけし ◆yQKFFs7POM :2012/09/03(月) 16:08:49.81 ID:NiOzTUAq0
>>393 あれは光秀自体も急に思い浮かんだ策だったんだろうな
421 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:09:29.87 ID:nvZpx8+r0
現在だって天
422 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:09:30.17 ID:dKE2SYyw0
>>403 宮本武蔵も、でかかったらしいじゃん。
180センチを超える巨体で、二本の刀を自由自在に使うわけだから、
当時のチビな使い手なんぞ、刃先すら届かず、負け知らずだったのも、うなづける。
423 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:09:33.87 ID:qtNmjc32O
誕生日からしておかしいとか、もう何十年も前からきいてるけど
いまさらなんなの
424 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:09:51.43 ID:EXwtbExb0
>>362 中国の歴史なんか見てても思うけど、征夷大将軍って政を司る官軍の長なわけじゃん?
成れる時になっとかないと謀反の疑いかけられて賊軍に討伐される事態に陥るかもわからんわけだし価値がないなんてことなないんじゃいの?
425 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:09:57.49 ID:QcPMHy+MO
しかもどうせ実は女の子だったんでしょ
アニメ化乙
426 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:10:04.20 ID:1B14oo3IO
つか、今現在の奴が実子じゃないと思うことを当時の人が思わんわけないんだから
だったらなんてそのことを示す明確な資料が残ってないのかと…
反豊臣派からしたら叩く恰好の材料だろ
だから、珍説以外の何物でもないの…
コレは本能寺の秀吉黒幕説にも言えるが
いまさら・・・
428 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:10:14.66 ID:0iT52kPU0
>>403 動物たんぱくをとらなくなった江戸時代末期が日本人が一番小さかった時代であって、
戦国は普通に肉くうから平均もそんなに低くないし、ホルモン異常でデカくなっちゃうヤツはどんな時代でも
いるから戦国ならそういうヤツは世に出やすいってことだ
429 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:10:37.06 ID:YaJFgWUa0
>>377 貴方は当時の資料よりも
ネット情報の方が信用度が高いと言われるわけですか・・・
>>422 武蔵は剣術以上に宣伝、売り込み能力に長けていたから
名前が残ったんだと思う。今のタレントみたいなもの。
>>416 織田家の家督を継いだ上で
尾張、美濃を持ってる、新たに信濃、甲斐も加わったとこじゃね?
432 :
育毛たけし ◆yQKFFs7POM :2012/09/03(月) 16:11:30.57 ID:NiOzTUAq0
>>416 信忠はかなり優秀だったらしいから生きてたら織田家は続いたろうなあ
自分が戦地に赴いている間に、
女房が他人と乳くり合ってるのを後で知ったら、
怒り心頭だと思うのだが?
>>391 その時代なら、ヨーロッパの馬のサイズも同じようなものだ
435 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:12:02.71 ID:EXwtbExb0
>>430 五輪書の存在がデカイだろうね。やっぱ実績を書き残さないとダメだね。
>>424 軍事力で負ける気がしなければ必要ないともいえる。
>>414 命がけは命がけだろw
偶然なのか病なのか策謀なのかわからないけど。
>>432 優秀なのに本能寺の変でいっしょに死んだのがよくわからんわ
逃げればいいのに
439 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:13:07.53 ID:0iT52kPU0
>>416 当主が信忠に譲られてたし、信忠が生きていたら、そもそも清洲会議で織田家領地の切り分けが発生しないから
力関係的に秀吉が何しようとしたって光秀並みの事すらできないよ
チョン憎しの余り秀吉を過大評価してる奴が多すぎなんだよネットは。
秀吉がもう少し長生きして(歯ぎしりしてる家康)
成長した秀頼を観て。
側近に「あれ、ホンマに俺の子?」てグチてたりして。
>>438 光秀だし、手配万端だと思ったんじゃね?
443 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:13:41.15 ID:1B14oo3IO
幕末も豚喰ったり、サンマが長年豊漁でサンマ喰いまくってた薩摩の連中はデカいからね
444 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:13:59.00 ID:/JcjwW6Q0
>>434 世界を席巻したモンゴル馬も実はそれくらいだったらしいね〜
445 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:14:10.15 ID:fzAPVyNr0
>>438 きっとすごくお父さん子だったんだよ
信長は息子をすごく可愛がってたらしいし
>領地争いは私戦禁止令などの発布で全国的に下火になっているでしょうw
命令出せば簡単に収まるならこんなに簡単な事はねえなw
447 :
消費税増税反対:2012/09/03(月) 16:14:12.08 ID:zWsPZEhQO
ほー
面白い説だ
>>433 でも自分も若い嫁さんほったらかして乳くってたわけでw
449 :
育毛たけし ◆yQKFFs7POM :2012/09/03(月) 16:14:25.72 ID:NiOzTUAq0
北斗の拳とかで
ラオウが3mくらいに書かれてるが
回り平均が140 150なら 200のやつが来たらあんな感じになるのか
>>432 確かに2代目として優秀だが、ビジョンが見えない
親父は自分が絶対君主になろうとしてた父子があるが、さあ信忠はというと?
織田幕府を開くつもりがあったのか、親父の後を継ぐ気だったのか?
やっぱり家康にもてあそばれて、下野に下る気もするな。
>>429 だーかーらー
おまいはどんな手段で興福寺文書なんかを読んだんだ?
それを教えてくれという話だよ
現代訳されてるのをもってたり、文書の写しなんかが手元にあるならそれをネットにアップロードしてくれと言ってる
お前以外の人間は本当に悪政の証拠が文書や日記に出てることを知らないんだから
ソースを示せってのは出展の名前だけ出せば言い訳じゃないんだぜ?
具体的にどんな文書のどのあたり、現代語訳されてる〜〜という本の何ページあたりと
そういうことを示さないとソースを出したとは言わない
>>404 この間読んだ本だと、本来は光秀は、信長に命令されて、茶会に招かれた家康を暗殺する予定だったとか。
それを急遽前倒しに到着して信長を攻撃しちゃった謀反との事で、編成面での準備は信長公認のもので
色々できてたらしい。
根回しはできなかっただろうけど。
453 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:15:21.39 ID:qzgL3za6O
あなた次第です
454 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:15:55.99 ID:dKE2SYyw0
>>430 いや、宣伝じゃなく、噂の力だろ。
現代でも、暴走族の総長とかが、例えば宇梶とか、あるじゃん。
メチャクチャでかくて、喧嘩が最強ならば、実際以上に強く言われて、伝わる。
神様か鬼のように言われるじゃん。
武蔵って言う、ばかでかくて、めちゃんこ、強いお人がいるらしいぞとか。
でホントに強かったから、ちょっと極意を書いた巻物かいちゃおうか、みたいな感じだったかも知れんな。
455 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:16:03.88 ID:YaJFgWUa0
>>437 俺は加藤清正や福島正則らの過大な自己宣伝・言い訳だと思っている。
あの時点で家康が豊臣を滅ぼす、秀頼を殺すことを考えていたわけではない。
関ヶ原で東軍の見方をして豊臣を滅亡へと導いてしまったことへの後ろめたさがあったのでは?
「俺たちも一生懸命やったんですよ」的なものを感じる。
456 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2012/09/03(月) 16:16:12.90 ID:MzLuRw2zO
秀信と秀則も一緒に死んでればよかったんだ
>>434 へ〜 そうなんだ
吉宗がアラブ馬のデカさに驚いたらしいけど、ヨーロッパの馬もアラブ馬と交配させて
デカくなったのかな
モバゲーの「のぶニャがの野望」では、秀頼は酷い扱いだなw
無料で遊んでるから良いが
459 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:16:30.04 ID:tfTuzuQ60
昔から有名だけど確かめようのない俗説であって、珍説というほどでもないだろ。
珍説というのは義経がジンギスカンだとか邪馬台国は八幡平にあったみたいなやつじゃないの。
460 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:16:31.31 ID:/JcjwW6Q0
なぜ教えてもらおうとする方が偉そうにしてるかはネットの不思議の一つだなw
無知を恥じる必要はないけど、知らない事を偉そうにすんなよw
461 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:16:46.17 ID:ph3N5ARV0
関が原の時点で織田家(秀信)はたった13万石だお
豊臣が織田を大事にしてたとは思えないけどねw
>>413 秀吉は摂家になったんだから、征夷大将軍にもなれるよ。
信長だって征夷大将軍を打診されたのに断っているんだし、
源氏しか征夷大将軍なれないなんてことはない。
「平塚の日記は龍子を茶々と誤認したもの」と結論づけた。
結論ありきでノイズカットしたらMMRと同じじゃないか
>>413 じゃ、なんで織田は平氏を僭称したんだ?
465 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:17:53.82 ID:HiQPuKQD0
>>405 秀吉的には、信忠に切腹を勧めた有楽斎にMVPだなw
『逆説の日本史』なんかでも秀吉の六本指のことが書いてあるし
忍者だったとかサンカだったとかいう説を書いた本やネットのサイトも
多くあるけど
なぜ六本指の奇形?
被差別民だから近親で結婚していたりが理由?
という憶測まで書いた本はいまだ見たこと無いな
それはさすがに書けないのかもしれない
>>461 場所の問題はあるにしろ、よく西軍に加担する気になったよな
それが不思議
468 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:18:10.74 ID:IeQVlOxT0
誕生日から逆算して、親子関係が否定されている天皇もいたよね。
仲哀→応神は生没年から考えて親子はあり得ないから、応神は父親不明の女系天皇だとか。
469 :
<ヽ`∀´>:2012/09/03(月) 16:18:13.58 ID:LY/M4Cs90
nida
弟の名前てなんだっけ
471 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:18:53.48 ID:1B14oo3IO
>>445 でも、本能寺の変発覚の第一声は「城介が別心か?」(笑)
まあ、ソースが胡散臭い三河物語だが
472 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:19:05.55 ID:R5XPSth5O
秀吉は種無しだろ
鶴松からしてあやしい
>>457 今の全てのサラブレッドはすべて3頭のアラブ馬の子孫
474 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:19:25.37 ID:YaJFgWUa0
>>451 国立国会図書館のホームページでもみて探せ
ここまで言わせるとは・・・
人に甘えるのも大概にせえw
477 :
育毛たけし ◆yQKFFs7POM :2012/09/03(月) 16:20:07.86 ID:NiOzTUAq0
>>438 手勢数百で寺の回り15000に囲まれたら逃げ切れないでしょ
立地が悪いからなあ
まだ山城あたりで襲われたなら逃げれたかもしれん
478 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:20:18.65 ID:/JcjwW6Q0
>>465 終わってみれば、主君に後継ぎに、軍団ナンバーツーの実力者までいなくなってんだもんなw
滝川とか勝手に自爆してるし
479 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:20:36.23 ID:EsB4mhcz0
生まれは韓国だった。 と言い出すぞ。
>>465 有楽斎自身はしっかり逃げてるのになw
お前も織田の人間だろw
>>474 つまりソースは出せないと
やっぱり嘘ついてたんだな
ここまでしつこいのも納得だわ
>>466 近親結婚してるとなることが多いのだとか
外部との接触の乏しいところで生まれたのかもねー
483 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:21:02.79 ID:ph3N5ARV0
>>462 だから、そりゃ天皇が許したらなれるよ
ただ、なんで信長は断ったの?
なんで秀吉はあえて「関白」を選んだの?という話よ
答えは、平家を倒した鎌倉幕府や、その後の室町幕府を開いた源氏じゃないから
という意味よ
484 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:21:06.51 ID:EX8WrxX90
小早川秀秋を廃嫡して養子に出して、寝取られてできた子を
嫡男とするってことがもう矛盾だな。
485 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:21:26.88 ID:+1Vf5Dqm0
とりあえずお疲れ、ってとこかw
父親は三成か。
>>466 多指症なんて今でもそれほど珍しくない
ふつうの家系の普通の親から、希に生まれてくる
小さいうちに切って隠しちゃうから、気がつかないだけ
>>464 源氏と平氏が順番に世を治めるっていう考えがあった。
伊勢平氏→河内源氏→北条(平氏)→足利(源氏)
足利は源氏だから次は平氏の治世になる。
信長はそれを利用しようとしただけ、という説がある
茶々はビッチだったのか
>>461 とはいっても美濃の中核岐阜城主だ。官位は中納言だぜ。
490 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:22:11.63 ID:iJd/1enw0
それなりの立場がある奴が上のほうの奴らが居るいないを間違えるのかよw
491 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:22:35.03 ID:eaXIwIX+O
何が目新しいんだ?
秀頼は明智光秀の子
正直あっという間に徳川にぶっ潰されたところだし
実子だろうが養子だろうがどうでもいいよね
>>483 室町幕府が滅ぶさまをみててなりたがるか?って気も
それに当時なら将軍と関白なら関白のが上じゃね?
495 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:24:00.68 ID:ph3N5ARV0
>>464 謎だね
プロの学者でもわかんないのに、俺がわかるわけないw
征夷大将軍より関白の方が上だからさ・・・
関白って天皇の代理人なんだぜ・・・
信長は中国も支配して日本の天皇より上を望んでいたのかもしれない。
497 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:24:36.14 ID:0iT52kPU0
>>483 つかオマエ源平交代思想も知らないで日本史語ってるのかよ・・・w
実子であるわけねぇだろ
あれだけ女に手を出して子供を欲しがって一人しかいないというのは
づ考えても種なしだよ。
少なくとも我が家での常識ではあった
499 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:25:01.41 ID:YaJFgWUa0
>>481 アホかw
ソース出しているから確認してこいと言っているだけだろ
ものぐさも大概にせえ!!
なんで貴重な時間を使ってお前のために古文書をネットにアップしてやらんといかんのだw
秀頼って身長190センチ以上あったんだろ、じゃあ、ダルビッシュの子だ
だいたい興福寺って筒井順慶にべったりの大和の守旧勢力で
新国主の秀長にはあんま良い気分は無かっただろうしな。
はっきり言えば敵対勢力側の資料。
興福寺の文書なんて眉唾で見るもんだろw
>>483 秀吉は「征夷大将軍」になれなかったから、藤原氏の名跡ついで「関白」にならざるを得なかった。
本当は征夷大将軍になりたかったろうよ。
>>455 タイミングがあまりにもあからさますぎるから毒殺とは逆に考えにくいけど、
当時の人がそう思ったのは間違いないから、
結果から逆算で忠臣物語が巷間に流布したのかもしれないね。
505 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:25:52.90 ID:TZnsVHAHO
>>413 征夷大将軍は藤原氏でもなれるよ。現に鎌倉時代はそうだったし。近衛の猶子になった秀吉がなってもおかしくない。
秀吉が征夷大将軍を回避したのは、当時まだ足利義昭が存命で名目上征夷大将軍のままだったからじゃないか?
俺は実は関白よりも太政大臣の方に秀吉は固執したと踏んでる。幕府を上回る相国府(丞相府)の主として百官を統率する、
それが秀吉の構想だったと考えてるんだが、ご意見請う。
506 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:26:10.77 ID:Qjv+NY1E0
三法師をぬっころしたから、茶々の実子はありがたかったんだろね。
勢いで天下人にはなったが、秀吉は正統性のないヤツだもの
507 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:26:34.24 ID:oPqPKUwQO
(^.^)在日の通名は豊臣家関連が多いよな
(^_^;)イヤハヤ 日本統治時代は家臣の子孫を騙っていたんだな
>>457 というか、そもそも背の高さが147cm以下の品種を呼ぶ総称がポニー。
ポニー程度という言葉で100cmくらいの馬を想定するのは勘違いのもと。
そういうわけなので、日本の在来馬は、今も分類としてはポニー。
509 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:26:43.05 ID:1B14oo3IO
>>483 うわ…未だに征夷大将軍は源氏しかなれないと思ってる奴いるんだ…
それって明治以降にバカな学者が言いだしただけだから
実際は征夷大将軍なんて皇族だってなってんだから源氏である必要がない
事実信長も秀吉も打診はされたが断ってる
信長が断った明確な理由は不明、秀吉はより位が高い関白になりたかったから断っただけ
足利義昭の養子話は嘘だから
510 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:26:46.24 ID:ph3N5ARV0
>>497 >源平交代思想
何そのオカルト思想w
まじで言ってんの?
恥ずかしい・・・
大野治長はチョンだったを叫びだすに1ペリカ
クロマティーの子なんじゃねぇ
513 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:27:12.57 ID:h03wOAwnO
>>457 銃器の発達で鎧が大きくなって
必死こいて馬をチューンしてたって聞いたが
サラブレッドとか輓馬とか 犬みたいに人間が作りあげたモン
っでそのうち鎧とかもういらなくね?ってなって廃れる
>>438 某劇画漫画エピ
信忠が面目丸潰れの大失敗、我が武運もここまでか・・・項垂れる信忠
父が茶席に来いと伝言、信忠「面白い、末後の水ならに茶か、父らしいな。」
信忠「(切腹は不可避、ならば見苦しくない態度をとるぞ。)」
信長「信忠、そちに家督を譲。しかと励め。」
信忠「(面食らう)は、されど、されど、あのような失態した後では・・・。」
信長「武田勝頼の不運は大敗時に父、信玄居なかった事、お前にはまだこうしてワシがおる。」
信忠(男泣きする信忠。)
本能寺で倒れた父を追うように京で果てた信忠の胸中には
あの夜の茶の温もりがあった。
515 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:27:45.83 ID:/JcjwW6Q0
>>506 > 三法師をぬっころした
すごい新説だなw
お前が日本で初めて唱えたんじゃね?
516 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:27:53.53 ID:aUAnf6MQO
え?秀吉ってラオウみたいにでかかったんじゃないの?
517 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:27:55.73 ID:HiQPuKQD0
>>480 京の民衆に「織田の源五は人でないよ お腹召せ召せ 召させておいて われは安土へ
逃げるは源五 むつきに二日に大水出ておた(織田)の原なる名を流す」って皮肉られてたしw
518 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:28:09.00 ID:YaJFgWUa0
>>501 まあ、それはわかるんだが
それでも当時、どんな出来事が起こったかは事細かに書いてあるから面白いし、
噂の類いまで書き残してある。
俺たちが歴史で知っている逸話のほとんどはこういった寺院や公家、武家の日記の類をかき集めたものなんだぜ。
後世の小説家が想像で書いたものよりかは信頼度は高いと言えるのでは?
519 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2012/09/03(月) 16:28:19.41 ID:MzLuRw2zO
義昭に養子にしてって頼んだけど拒否されて
なかったかな。
輪島は関係無いだろ輪島は!
>>487 単純に源氏が源氏倒したらおかしいからじゃね?
結果平氏と源氏が順番
522 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:28:48.76 ID:b95GSzxP0
帰国した秀吉「とりあえずお疲れ」
父親は文鮮明
秀頼の身長は、彼がカマボコを異常に好んでいたってことで
魚のすり身を塩で固めたものがカマボコだからタンパク質の塊
当時の蛋白資源から云えば漁民でもなければ到底口にできないものを大量にくってた
いっぽう秀吉は貧民でせいぜい豆や米だろうから栄養状態に大きな差がある
親戚の清正が大男だったところからしても、本来は大男の家系だったという
可能性もあるな
>>89 ネット上の一部で、伊藤博文は
孝明天皇暗殺の首謀犯とか言われてるがどうなんだろうな?
首謀犯が誰かうんぬんはおいておいて
当時からも現在でも孝明天皇暗殺説は根強いよな
まあそれくらい豪気じゃないと世の中ひっくり返せないのかもなw
そして学会から追放された
織田信奈の野望見て戦国時代に興味を持った。
つまり子宝の神社ってのは女性がその建物で祈っていると
適当な男がやってきて種付けするってことだな
529 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:29:32.85 ID:jduOMJKb0
なにも根拠無しの推測による仮説じゃねーか
他には無くて唯一の論拠を著者の誤認と結論づけるなら
どんな仮定でも成り立つしそもそも誤認と決めつけられる証
なってない
ただの学者の目立ちたがりの売名提唱だろ
531 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:30:01.86 ID:iRFCEFIoO
>>1 ハーイ、夏休みの自由研究、よく出来たね〜。
532 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:30:05.58 ID:ph3N5ARV0
>>505 >征夷大将軍は藤原氏でもなれるよ。現に鎌倉時代はそうだったし。
うーん、それって頼朝の血が断絶し、後継者がいなくなったから
北条が朝廷から無理矢理連れてきただけじゃんw
新しい幕府を開いた征夷大将軍と
血のつながってない「役職としての征夷大将軍」とは意味が違うのね・・・
関が原は東軍も西軍も「豊臣家(秀頼)の為」という名目で戦っていたんじゃなかったか?
534 :
来林檎:2012/09/03(月) 16:30:29.15 ID:gY1YelMt0
有名人とはいえ、家のこと根掘り葉掘り調べたり勘ぐられたりして可哀想だな
関係ないけど、本阿弥家と組んで大量の正宗を捏造したのは大罪
淀殿が間男とやってるのを目撃して「この慮外者!」と言って斬りかかるんですね。
>>313 右府様は官職なんて鼻で笑ってたよ。
天下取れればどうにでもなるからね。
>>521 平氏を追った義仲が頼朝に倒されたり、
新田義貞と足利尊氏の争いもあるから源氏で殺しあうのはそれほど珍しいことじゃない。
というか伊勢平氏はともかくとして、源氏は同族での殺し合い多数。
539 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:31:18.30 ID:IuL2hGn30
>1-2
スマン
3行でまとめてくれ
古文と日本史大嫌いだったからまるで意味が分からない
秀頼が巨漢なのは母方の祖父浅井長政の血統由来とかいう説もあったな。
となると茶々も大柄だった可能性あり。
淀との間にだけっていうのは常識的に考えておかしいよね
密通を許したのか
ほんまにアホになってて実子だと信じていたのか
卑弥呼はいませんでしたくらい俺でも分かるわ
卑弥呼はそもそも人の名前じゃないし
543 :
育毛たけし ◆yQKFFs7POM :2012/09/03(月) 16:31:51.62 ID:NiOzTUAq0
>>528 あり得るな
古来において子宝の神社 祭りは乱交場所だったかもしれん
544 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:31:57.86 ID:coU394T/0
545 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:32:03.13 ID:AEntV7TW0
ぶっちゃけ、秀頼が秀吉の子である方が不思議なくらいなんだけどな。
ただ、完全な証拠がないだけで・・・・・・。
とりあえず、おつかれ
>>483 征夷大将軍が、武家がそこまで欲していた官職であるなら、
わざわざ朝廷が奏請してあげると言っているのに、
源氏ではないという理由だけで断ったんだ?
つまり、大して重要視していた官職じゃなかったってことだろ。
その気になれば、名門源氏の猶子になるなんて摂家の猶子になるよりは、
容易いことなのに。
その理由はひとつ。将軍職なんて重要視されていなかったから。
のぶニャがの野望の秀頼はスゲー可愛いよ。
戦闘ではまるで役にたたんけども。
549 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:33:01.69 ID:HiQPuKQD0
>>514 それ、パクリがばれて連載終了になった「信長」じゃんw
どうでもいい
豊臣の時代は中世じゃなくて近世なんだが
>>547 それなら、質問?
なんで家康は背英大将軍になったの?
当時、重要視されてなかったのに?
関白になればよかったじゃん。
>>532 どう違うんだ?
代替わりのときもその度に朝廷から使者がきて任命されるんだが
大体最初の将軍は源氏じゃないし
真相はタイムスリップした医者の子だよ
556 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:35:00.24 ID:0iT52kPU0
>>510 え?マジ知らないの?つか学校で習うだろ? 当時そう信じられたてから
足利源氏の次として秀吉も一時平氏を名乗ったんだが
鎌倉北条政権は平氏扱いなの解ってる?
つか源平交代思想も知らないで日本史語るなんてもの凄く恥ずかしいことだぞ?
557 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:35:14.48 ID:i2RUOlD90
>>552 田舎者だからじゃないか?
信長や秀吉のように幕府や将軍にこだわらない国作りが見えなかったんだろ。
558 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:36:02.91 ID:GF1+b61N0
源氏じゃないと征夷大将軍になれないと言う説はとっくに否定されている
関白>>将軍だよ
559 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:36:05.46 ID:gIIvwK4H0
太閤立志伝や信長の野望でも勝利条件が征夷大将軍か太政大臣に任命されることとなってる作品は多い
561 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:36:39.88 ID:h03wOAwnO
562 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:37:10.84 ID:ph3N5ARV0
>>553 >大体最初の将軍は源氏じゃないし
そりゃそうよw
源氏は清和天皇以降だし
ただ、「幕府を開いた」征夷大将軍は源氏しかいないよ
これ重要
563 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:37:26.18 ID:o0GziUmOO
関東を制圧してもいないのに信長が征夷大将軍もらえるわけないだろ
源氏じゃないと征夷大将軍になれないと言ってる人はそろそろ負けを認めるべき段階。
>>89 低い身分なら有る。貧乏人からは居ない。
田中角栄は、専門学校卒(今なら大学)、
伊藤博文の父は農民だったが、武家奉公人の家を継ぎ、更にそこから足軽の家を継いで、父子共に足軽になった。
山縣有朋は、武家奉公人で、侍では無かったが、内閣総理大臣に。
田中義一の父は、藩主の駕籠かき。やはり侍では無かったが、内閣総理大臣に。
566 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:38:14.75 ID:3ZjaSe9r0
秀吉「とりあえずお疲れ」
567 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:38:16.33 ID:UeMmozI6O
>552
関白は世襲じゃないんだよ
568 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:38:40.35 ID:wvsk88eC0
>>532 多治比縣守は、藤原不比等に近い藤原氏の一族で
将軍職にも就いたはず。
569 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:39:27.64 ID:ph3N5ARV0
>>556 オカルトもいいとこw
現代では、北条氏が平氏というのも仮冒だと言われてる
ただの伊豆の豪族だよ、近所の伊東氏を差し置いて平氏を名乗れるはずがない
北条政子が頼朝の嫁になり、「日本史上最大の玉の輿」に乗っただけw
日本の総理大臣の価値を正確に言えっても現代に生きる人間ですら
意見なんて集約できないのに。
黒人がアメリカ大統領になれますか?って7-8年前に聞いたら
ふつーに「無理か20年ぐらいかかるのではないか」って答えに
なってたがな。
>>539 @誕生日から逆算して秀頼が仕込まれた期間を算出
Aその期間における秀吉と茶々の動向について、新発見した資料の内容を照合
Bその期間は秀吉と茶々はそれぞれ九州と大坂にいて、秀頼を仕込むことは不可能
>>502 >秀吉は「征夷大将軍」になれなかったから、藤原氏の名跡ついで「関白」にならざるを得なかった。
藤原摂家の名跡なら征夷大将軍にもなれるだろ。現実に摂家将軍もいたんだし、
朝廷から征夷大将軍職を奏請されてもいるんだから、なれないわけがない。
573 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:40:07.89 ID:PQEKRSsd0
やべえ
朝鮮人の子と言い張るのかと思ってしまった
574 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:40:13.90 ID:gIIvwK4H0
>>567 まぁ征夷大将軍だって別に世襲じゃないんだけどなw
>>569 そういうオカルトを当時の人が信じてたって話だよ。
中国の易姓革命みたいなもん。
本当に知らなかったの?
>『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社)
オマエらの好きそうなキーワードがいっぱいじゃないか
>>552 関白は藤原氏でないとなれなかった
秀吉も摂関家の養子になって関白になったし
こっちは将軍と違って豊臣を除いては全てが藤原氏のはず
小領主とはいえきちんとした武家だった家康が他所の家にそう簡単に養子に入れるわけが無い
580 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:41:36.27 ID:2uzAz4h7O
こういうのは、解明されない方がロマンがあっていいんだよ
何もわかってないな
>>1は
581 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:42:01.32 ID:YIp6LRVl0
>>562 将軍は幕府を持てるんだよ(一定の軍政権があったから)
鎮守府将軍が陸奥国府に幕府を開いていたりする
先例にならうことが多いとはいえ
信長、秀吉、家康が自分の希望を殺してまで従うとは到底思えないんだよなぁ
584 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:42:35.06 ID:PQEKRSsd0
>>574 どーでもいいけど新潟大学ってime.nuを弾くんだなw
585 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:43:05.66 ID:L8Jm/5vL0
男なら絶対に太閤になってたと言われるくらい、
前田家からの養女の豪姫を可愛がっていたのは、
どちらも実子じゃないから平等に可愛がっていた、ということだろうか?
まあ、実子鶴丸誕生と同じ年に養女に迎えたのに、
鶴丸同様に可愛がっていたらしいから、考え過ぎか。
>>569 現代の人間が信じてるって話じゃなくて、
当時の人間(の一部)が信じてたって話な。
みんな歴史に詳しいな
ところで、大阪維新の橋下は歴史上の人物で例えると誰みたいな感じ?
588 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:43:18.60 ID:0iT52kPU0
>>569 あほか
出自の正確さとかオカルトうぬんじゃなくて当時そういう風に信じられていたという話だ
いい加減理解しろ無知無学
589 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:43:30.90 ID:5ExD6tpqO
秀次は、若いのに皇室や公家とも上手く渡り合っていて、豊臣の跡取りとして申し分なかった。
ただ、秀頼が秀吉の実子ではないことについて無神経過ぎた。
590 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:43:32.43 ID:EFuaCOa/0
ん? 親父は家康だろ
あとタラちゃんの親父は三河屋さんな
まあ室町将軍の末路があんなに悲惨だった訳だし、
将軍の権威ってのは実力者の内実がなきゃ何の意味も無い。
「将軍職」に権能がある訳でも何でもないからな。
その意味で信長も秀吉も「征夷大将軍」なぞに何の魅力も感じなかったんだろ。
と言うか足利義昭の惨めさを見て「あんな役職に俺がつくのか?」と
嫌悪感さえ感じたんじゃね?ww
あれだけ側室いたのに身篭ったの淀だけってw
593 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:43:53.24 ID:IuL2hGn30
>>571 じゃあ誰の子で秀吉はその相手を知ってたの?
>>518 現代作家の創作に比べりゃ信頼性が高いなんてのは当たり前で、そんなことより、例え同時代
史料でも、第三者として書かれてある部分は信用できるとしても、自分の損得に関わる部分は
何を思って(考えて)そう書いたか、が重要でしょ?
そういうのって史料解釈の初歩じゃない?
>>562 幕府って政所は、将軍なら誰でも開けたし、開いている。
その開いた幕府(戦場にある臨時司令部)が、朝廷と並ぶ権威を全国的に得たかどうかと言うと、
鎌倉、室町、江戸に限られるが。
596 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:44:21.15 ID:h03wOAwnO
>>89 秀吉ん時に大陸で戦った明を作った奴も
あっちはコジキからの成り上がりだからスケールがでかい
>>582 大体頼朝は御輿として担がれただけで手勢なんか全然いなかったしな
>>556 秀吉が平氏を名乗っていたのは木下時代から既に、じゃなかったっけ?
そもそも有名戦国大名で、称した本姓が現在の資料研究により正しいと確証されているのは
安芸大江氏毛利と甲斐源氏武田くらいだと聞いたが。
もちろん現在客観的資料が残されている範囲の話で、他の全家が僭称であったとは考えてませんが。
>>532 >それって頼朝の血が断絶し、後継者がいなくなったから
>北条が朝廷から無理矢理連れてきただけじゃん
無理やりだろうがなんだろうが、現実に摂家や宮家がなっているんだから、
「なれる」ってことだよ。
北条家が無理やりに将軍を立てることができたのなら、当時の北条家より
強大な勢力を持っていた秀吉ができないわけがない。
>新しい幕府を開いた征夷大将軍と
>血のつながってない「役職としての征夷大将軍」とは意味が違うのね
どう意味が違うのか具体的に説明してくれ。
601 :
秀頼公は秀吉公の嫡子:2012/09/03(月) 16:44:49.39 ID:oPqPKUwQO
(^.^)日吉丸、木下藤吉郎、羽柴秀吉の骸骨がある位だから不可能はない
602 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:45:05.75 ID:dRxtP7+R0
603 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:45:08.09 ID:0/q9Smsc0
河原ノ者や非人という言葉を秀吉に使ってる時点で信憑性皆無
というか官職なんて権力の追認でしかないんだから手ごろなの適当に選べばいいだけよ。
仮に秀吉が征夷大将軍に就任してたってそのお陰で豊臣安泰なんてことはないから。
605 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:45:16.07 ID:2uzAz4h7O
>>593 大野治長が有力と言われてるけど、多分ガセ
>>582 河内源氏の当主の嫁に土豪の娘がなったんだから玉の輿と言えなくもない。
607 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:45:37.15 ID:I5v02CZX0
>>569 結婚した当初の頼朝の立場を考えるとどこが玉の輿やねんw
立身出世した後まで含めていいのなら北政所ねねとかのほうが遥かに玉の輿
608 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:45:37.53 ID:/JcjwW6Q0
>>585 前田は親友だし、その子供だって可愛いだろ
え、征夷大将軍に拘ってる人たちなんなの
室町幕府の将軍職って強制権持ってなかったじゃん
信長も秀吉も征夷大将軍になんか憧れてなかったでしょ
610 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:46:46.38 ID:i2RUOlD90
>>597 むしろ北条時政にとっての奇貨だったな、頼朝は。
天皇家の連続性も疑問あるよな
絶対に125代も続いてたら、別の男の精液で妊娠した皇后もいるだろ
>>593 そこまでは不明の模様。
ただ秀頼誕生の直後、血の雨が降るような風紀取締りを行ったとのこと。
615 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:48:07.06 ID:/JcjwW6Q0
>>587 劣化小泉じゃね?
歴史上の人物に例えるには橋下は役者が不足しすぎだろ
ヒトラーに例えてる奴とか、ある意味ヒトラーに失礼だわ
敵作って叩くって手法だけはそっくりだけどな。ユダヤ人の代わりが公務員
>>609 一人が「源氏じゃないと征夷大将軍になれない」と息巻いてるから反論してるだけで
別に征夷大将軍という役職自体をどうこうは言ってないと思うよ。誰も。
618 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:48:39.87 ID:cIMToXDFO
秀吉の側室ともなれば常に侍女やらが側についてるから、密通は不可能じゃないかね〜?
そんな簡単に密通ができるなら
他の戦国武将の子供だって怪しいことになるのでは
619 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:48:48.78 ID:h03wOAwnO
頼朝は一回子供を流されたんで無かったけ?
平家の世だから
620 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:48:49.27 ID:u9aZ8aPY0
>>1 当たり前じゃん?
秀頼=天草四朗ってのが通説だからね。
621 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:48:52.90 ID:0iT52kPU0
>>598 関白になる前後に平秀吉と署名した文章を朝廷に送ってるから、若い頃僭称してたとしてもまた別
>>615 自作自演、乙 もう、あきたよ。暇だね、きみもw
623 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:49:10.17 ID:ph3N5ARV0
>>582 頼朝は、源氏の棟梁の息子だよ?それだけでブランドだろjk
特にただの地方豪族であった北条氏にしたらね
しかも、すでにこの時代に頼朝の先祖(義家)は陸奥国守であり
関東にも影響力があった
鎌倉にはすでに氏神である鶴岡八幡宮もあった
伊豆に流された頼朝が、もちろん誰か知っていただろうし
玉の輿に乗らない手はないだろうw
近年、秀吉マンセーをはじめたウヨ識者は
盛んに秀吉の尊王精神(あったのかな?)を称揚している
その見解が、征夷大将軍と関白のスタンスの違いは
帝や朝廷は炉端の置き石にして、実力主義で幕府において政をするのか、
朝廷の古い権威やしがらみを傘に来て政を行うのか?があるという主張
この秀吉の尊王精神は水戸黄門が言い出したんだっけ?
そもそも将軍自体が一地域の軍政権を任された臨時職なので逆に幕府を開かない将軍はいない
当たり前だが鎮守府将軍、鎮西将軍、征東将軍などなどみな幕府を開いていた
「征夷大将軍だけが幕府を開ける」なんて嘘はいけないな
>>614 秀吉より、家康の晩年のがロリだと思うけど
628 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:50:07.45 ID:9lIfYzeF0
どれも決定的な証拠にはならんな
これまで同様推測の域を出ない
>>616 それってそもそもどこから出て来た説なんだろうね?
>源氏じゃないと征夷大将軍になれない
630 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:50:19.01 ID:8lHtKKKt0
三成か治長でしょ
>>413 秀吉は親王の落胤と称していたよ
まあ、当時からほとんど信じられていなかったようだが
632 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:50:44.84 ID:/JcjwW6Q0
>>587 総理まで行ったら、角栄みたいに平成太閤って呼ばれるに1000ペリカ
>>620 そっち系の痛説では天草四郎=秀頼の子である秀綱
説が跋扈してる
>>611 どうかな
皇后がそう簡単に男と会えるとは思えないが
/)
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/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇことがぁいいんだとあれほど(棒
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/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
638 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:51:48.02 ID:h03wOAwnO
坂之上田村麿が…
>>623 ブランドだったってのはなぁ・・・
それ以前に罪人だぜ
>>623 晩年の足利義秋に嫁に行って
玉の輿と思うならそれでいいんじゃね?
641 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:52:20.59 ID:K1IHgZCeO
服部先生なつかしいな
教養科目しか受けてないけど佐賀は福岡の植民地とかなかなか面白い話が多かった
>>637 秀吉がロリだったら龍子が一番お気にだったのは何でなのよ
側室にした時すでに3人の子持ちだよ?
643 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:53:11.54 ID:n/sVqkcE0
644 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:53:11.68 ID:zpXJl469O
今更感のある説だが、タイムスクープハンターに扱われると面白いネタ
あの番組がどう演出するか考える方が楽しい
>>623 おいおい、相手は罪人で、それを監視する立場だぜ、北条は。
ただの極つぶしのプレイボーイに娘をこまされて、顔面真っ青になっただろうよ。
647 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:53:38.50 ID:eGstxNSz0
>>610 北条は壮大な賭けに最後まで降りず勝ち抜いたって感じ
頼朝を支援し始めた頃なんて、周囲から「あのバカ平氏のくせに何やってんだ?」
みたいに思われていただろうしな。
秀吉はロリというより、幼女から熟女まで全ての女を愛する男だよ。
信長は朝廷の権威を否定しようとしていた
だから光秀アンド朝廷連合に殺されたという陰謀論が常に根強いように
信長は源氏ではないからと言うよりも、最終的には
朝廷の権威の上に立つ、あるいは天皇を失墜させることを考えていたとする説も強い
>>611 血統の連続性ということなら
継体天皇のところで一旦途絶えてるとかいろいろ説はあるよ
まあ天皇「家」の連続性ということなら養子とか血のつながりなくても成立するけど
利家&松の娘のうち
一人は秀吉の養女に
一人は秀吉の側室に
どういうプレイだよ・・・
>>629 朝廷が、成り上がり者の官職就任を厭がって、
源氏(皇族出身者)で無ければとか、源氏長者(皇族出身者の家長)でなければとか、ハードルを高くしたのだろう。
朝廷にとって、幕府の成立は、政治的な競合者の出現だから、
本音では阻止したかった筈なので。
>>642 子供が欲しかったからじゃね?
既に子だくさんならいけるだろうと。
でもホントは自分が原因でした、みたいな。
>>562 >ただ、「幕府を開いた」征夷大将軍は源氏しかいないよ
「幕府」というのは、近衛大将の陣営のこと。
坂上田村麻呂も征夷大将軍にも近衛大将にもなっている。
もちろん坂上田村麻呂は源氏ではない。
655 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:54:51.11 ID:oPqPKUwQO
知ってた
657 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:55:22.08 ID:sbOF2/Kg0
>>355 真田が全力で空気になる、結構稀有な小説。
活躍するのは、刑部の息子の大谷吉治とか、
なぜか豊臣についている、松平忠輝と嫁の五郎八姫。
数十年の間なのにいろんな説があって皆が興味を持っていいねぇ戦国時代は。
江戸時代なんか200年以上あっても幕末期以外正直皆興味が無い。
>>649 またそんなカビが生えたような古い説を…
660 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:56:08.34 ID:dKE2SYyw0
>>611 大きな声じゃ言えないけどさ。
明治天皇からすりかえられたって説は、案外信憑性あるんだよ。
長州に南朝の末裔がいて、すりかえたとか。
父親を毒殺した薩長の人間を信用して、部下にしてしまう皇子なんてありえんだろ。
当時から鬼女板によく書き込まれてたネタだな。
みんな歴史に詳しいな
ところで、大阪維新の橋下は歴史上の人物で例えると誰みたいな感じ?
歴史て神の目線でみれるからな〜(この後どうなるか丸わかり)
暴れん坊将軍みたいに日本繁栄の中興の祖となって大往生するか
織田信長みたいに旧弊打ち破り大改革を断行し、恨まれて志半ばで死去。
松永久秀みたいに暴れまわって大悪人と呼ばれるか。
ホリエモンみたいに鳴り物入りで出てきたが速攻で袋叩きにあって牢屋行き
まあどれなんでしょうね。
みんなサンキュー
>>613 暗殺されるやん
>>615 小泉は歴史からの評価はこれからだね
>>617 地域的にもぴったりかも
>>633 平成太閤かw角栄の全盛期よく知らないけどこんな感じだったのかな
665 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:57:16.25 ID:yO5dLDEHO
666 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:57:30.93 ID:I5v02CZX0
>>657 もしかして「天下統一恋の乱」の真田幸村END?
トンデモ架空戦記なら志茂田景樹の「戦国の長嶋巨人軍」もオススメ
667 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:57:41.45 ID:6Iu6X+970
灰色が濃くなっただけだな
>>659 朝廷陰謀説は最近の説では?
では最新説は何?利三暴走説?
669 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:57:59.28 ID:i2RUOlD90
671 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:58:18.52 ID:IuL2hGn30
672 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:58:20.84 ID:agRrBcH70
淀殿は170を超える長身女
徳川家康は源氏と血縁がないくらい自明なことだと思ったが。
>>652 皇族出身者は源氏だけじゃないんだが
その理屈なら平氏だって在原氏だって征夷大将軍にはなれるが
>>666 凄いタイトルだなw
戦国時代に長嶋率いる巨人軍がタイムスリップして戦の真っただ中に放り出されたが、
「そんなことより野球しようぜ!」で丸く収まる話?
676 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 16:59:44.74 ID:0iT52kPU0
>>657 架空戦記書くヤツって忠輝とイロハ姫大好きだよなw
なんでか知らんが
源氏は武家にとって最高の血筋だったわけであり
家康も清和源氏の末裔と称していた。
ま、多分、本人も信じていなかったと思うが、当時は政治的に必要なことだったのだろう
清和源氏の支流の新田氏の末裔とのことだが、これは武家の棟梁として必要な泊付だったのだろう
>>618 当時は性には寛容だったみたいだ。
けっこう性交渉も奔放だったらしい
源、足利の時代は、朝廷や帝、公家こそが時代のガンだった分けで
その時点で、いまさら朝廷内権威によって政治を行うと言うのはあり得ない
徳川家康は新田源氏を詐称、捏造していた経緯もあり
子孫を優遇して口封じまでしながら、強制的に正史に組み込もうと謀っていたらしい
また家康精神や徳川幕府は、極度に保守的で前例にならう傾向も非常に強い
>>661 女性週刊誌に書いた記者やライターが大量に惨殺されたぐらいだからね
>>668 最初に朝廷黒幕説を唱えた人はその後イエズス界黒幕に乗り換えて
昨今姿をみない程度には昔の話だね
681 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:01:08.13 ID:lU8+YRXv0
今までの大河ドラマどうしてくれるんだよ
秀吉が臨終前に家康に「儂を欺いた奴らに復讐してくれ」と頼むという漫画を見た憶えが有る
>>668 荒木村重の謀反でも部下の暴走説あったけど
いくらなんでもそれで自分まで裏切るかぁ?って思う
信長はそんなこと気にしないだろうし(自分に被害がなければ)
684 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:01:18.04 ID:tdYSf+RI0
>>562 >ただ、「幕府を開いた」征夷大将軍は源氏しかいないよ
あのね、武家の政府を指して幕府と呼ぶようになったのは、江戸時代後期。
家康だって自分が「幕府を開いた」とは思っちゃ居ない。
685 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:01:41.61 ID:m93SXvdV0
別に歴史が変わるわけじゃないし、秀吉の子だろうと別の男の子だろうと関係無いよ
686 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:01:44.42 ID:wvsk88eC0
頼朝や家康が征夷大将軍なのは、弥生以降の渡来系である天皇勢力が
列島の先住民である蝦夷の末裔と対峙する東国に本拠を構えたから。
京や大阪に本拠を構えた秀吉自身が東伐に出る意思は無かったから、
秀吉に征夷大将軍の職は不要。
京に居る天皇や公家たちは、近世まで蝦夷による巻き返しの陰に怯えていたが、
日本は万世一つとする明治政府の教育方針により、東北における蝦夷との
歴史を、覆い隠して来たから周知されてないだけ。
>>672 わざと低身長の男優使ってる長身女優出演のAVみたいな絵になりそう
689 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:02:32.83 ID:6Iu6X+970
>>673 一応、自分は源氏の血筋というあやふやな伝承を信じていたらしいという説はある
>>672 当時、相当な長身と言われた坂本龍馬でさえ
身長はせいぜい170前半くらいだったと考えられている
龍馬の衣服から計算した結果だから、信ぴょう性が高い
女性の平均身長は130-140くらいの時代だし
150センチも超えていればかなりの大女だろ
691 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:03:09.35 ID:X5VdsTe70
>>1 若い頃に側室に男の子がいただろ
子どものうちに死んだ奴
秀頼は三男だ
693 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:03:34.47 ID:gFJcZ3h+0
秀頼は、大柄のデブだったと言われている。
秀吉ならありえないだろうに
694 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:04:09.46 ID:B3CPpHXZO
血縁がないんじゃないかと前から言われてたよな。
>>686 後醍醐天皇の息子である護良親王も征夷大将軍に任命されているが東国には赴いていないぞ
室町幕府は京都のど真ん中にあったんだが
>>688 秀頼を頼むとは言ったらしいよ
家康としたら、オマエが言うのかだったろうけど
698 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:04:39.09 ID:D3ECL58G0
しかし、つまらんこと調べてるんだな。それがわかったとして何になるんだ。
週刊紙のゴシップ記事程度のものだろうが。
>>693 墓はあるけど実は誰のかはっきりしない
実在するかどうかはっきりしないねその実子
700 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:04:39.82 ID:6Iu6X+970
>>662 ホリエモンも天下取りの甲子園で例えると3回戦くらいまで行ってたのではないかなあ
重要なポイントで降りないで4連勝くらいで総理まで行ってたのではないだろうか
衆院選で負けて、今や罪人にまで落ちてしまったけど、衆院選で亀を追いつめるまでしかできなかったのがな
あそこで勝ってれば総理候補ベスト8くらいにはなってたのでは
703 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:06:16.74 ID:rfGpKtHQ0
実は家康の子ども。
704 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:06:20.66 ID:/JcjwW6Q0
>>693 親父がチビのガリで息子がデブの巨漢の親子はみんな血がつながって無いのかw
斬新な説だな
最近購読した書籍じゃ、秀吉はタイムストリッパーで
後の世の歴史に詳しかったらしいが
706 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:06:44.30 ID:6Iu6X+970
>>701 それが本当に秀吉の子だったという証拠がないな
諸大名に秀頼への忠誠を誓う血判状を二回も提出させ
五大老への遺言といえば、くれぐれも秀頼のことを宜しく頼むと哀願
708 :
やるぽ ◆uxiEcLm93Sln :2012/09/03(月) 17:07:05.49 ID:FaI+HMGB0
本は買わん
この程度のステマには転ばん
709 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:07:09.06 ID:YIp6LRVl0
>>701 京都奉行してい時に遊女に産ませた子でしょ
遊女の子なら誰の種やら
>>704 身長に関しては遺伝の部分が相当あるだろ。
>>668 朝廷、イエズス会、秀吉と黒幕陰謀説はいろいろあるけど、
信長襲撃なんて大それたことを光秀と計ることができた人物が
光秀の部下や親族以外にいたと思えない。
信長の耳に入ったら即身の破滅になるんだからな。
秀吉の末裔っているの?
もしかして秀吉の末裔は秀吉と血がつながってないってことになるわけ?
お前ら自身はどれくらい親父お袋に似てるの?似てないの?
親戚筋から「誰々ちゃんによく似てるねぇ」とか言われた経験はあるだろ
で、どうなんw
>>689 偽系図作って勅許をもらっているよな。
当時箔をつけたい家はそうしてた。
>>691 早くに死んだ子供の他にも
秀吉には死産したが子供もいた。
子だねが無かったとの説は当てはまらないようだが
しかし二十人以上も側室がいて、その中から淀だけが子供をそれも二人も生む
それはちょっとおかしい
おまけに秀頼は、小男だった秀吉と違い
かなりの長身だったようだしな
716 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:08:34.56 ID:ph3N5ARV0
>>639 >それ以前に罪人だぜ
ごめん、レスが早くてついていけないわw
ま、朝廷や、そこに入り込んだ平家(伊勢平氏)から見たら罪人だろうねw
ただこの時代、坂東平氏から見たら
同じ平氏一門が、平将門を殺し、そのご褒美で伊勢平氏となり
さらには公家となった平家に対しては、かなりムカついていただろうよw
政子が源氏の棟梁で頼朝と結婚したことは、北条氏の頭の良さだと思うが
結局、関東の平氏が源氏に味方したことは不思議ではないでしょ
(それが承久の乱にもつながっているし・・・)
実際、朝廷相手に戦ってるんだぜ(そんで勝ってる)
少なくとも「頼朝が罪人」という意識は持ってなかったと思うよ関東では、時代背景的にね
>>701 ん?
証拠って何?
何か新文書でも出たのか?
>>705 ほほう
それで彼的に秀頼は誰の子だと?
718 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:08:40.41 ID:89zlBM7h0
わりとどうでもいい
719 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:09:02.09 ID:SVc3i44JO
本能寺の変の首謀者が秀吉だったとかのほうが興味深いんだけど
720 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:09:15.46 ID:6Iu6X+970
>>682 もう秀吉たら教養ないんだから、どうせなら。
三国志の劉備臨終みたく。
秀吉「俺の息子がダメなら家康殿が天下を収めてくれ。(事切れる)」
家康「皆の者、聞いたな、聞いたよな。」
一同「はい。しかと秀吉殿の遺言を聞きました。」
家康「では、遺言に従い「俺が今日から天下人だぎゃ〜」」
一同「な、なんだって〜〜〜〜〜。」
>>710 母方は背の高い一族 だから、ありえるの。
それに、秀頼は親父と一緒で、幼少時から極貧だったのかい?
食っちゃね、の生活だぞ。
723 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:10:01.85 ID:pTPbOCV00
また、黄泉売りか
>>713 歳食ってから親に似てくるんだよ
今上天皇もだんだん昭和天皇に似てきたよね
>>712 秀吉直系の子孫はいない。
高台院の実家の木下家だけ。
生殖能力が無いか著しく弱かったから血のつながりのある子孫は全くいない。
726 :
(・o・)自業自徳川:2012/09/03(月) 17:10:56.66 ID:oPqPKUwQO
>>677 (^_^;)イヤハヤ おかげで水戸徳川家は南朝カルトになって尊皇攘夷をしますた
727 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:11:25.26 ID:5StrXdvdO
秀吉の遺骨は未火葬で阿弥陀ヶ峰にあるし
秀頼と推測される頭蓋骨も清涼寺にあるんだから
DNA鑑定して一致したらその時点で全て確定でしょ?
浅井長政は大柄でブクブク太ってたらしいが
それを指摘すると一部の歴女から猛反発がくるので大変ですよみなさん
729 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:11:40.50 ID:q/pXfBHc0
対馬に秀吉の銅像でも作れよ
チョンが火病おこすぞw
730 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:11:42.85 ID:1Qcpe5XnO
現代の鳩山兄弟に通ずる話?
731 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:11:46.04 ID:cy6bW3DHO
(´Д`)淀殿と日本猿との間に出来た猿人だったら秀吉も心の底から実子として喜んだはず。
>>714 名門や官位への憧れってのはなかなか捨てられないんだろな。
今の視点で見ると、脇坂氏くらいに開き直ってた方がカッコいいけど。
>>699 日本の土壌は酸性質だけに、遺骨は残りにくいからな
仮に残ってもDNAを取り出すのは難しいだろう。
加えて何だ
当時の武将たちは、遺体を敵に渡すのは最大の恥だったから
できるだけ渡さないようにしていたので、秀頼の遺体も大阪城と共に焼き尽くされ
どれがそうなのかわからなくなっていた可能性が高い
734 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:12:16.08 ID:0iT52kPU0
>>690 だから幕末は日本人が一番小さかった時代だというに
735 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:12:23.07 ID:6Iu6X+970
>>719 光秀は結構イキバタで本能寺起こしたらしいから・・・
で、正親町天皇黒幕説も怪しいと。
>>698 歴史雑誌に寄稿するバイトとかやってる先生がいるからなあ
737 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:12:46.08 ID:3cEl+P4U0
>>1 そうなると秀次を殺した整合性がつかんだろ。
739 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:12:56.72 ID:i2RUOlD90
740 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:13:02.40 ID:cIMToXDFO
741 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:13:09.59 ID:pfNM6dBx0
>>716 最初に出来た子供は 源氏の子とかwwって感じで
川に流されてる時代だぜ
茶々・初・江〜 浅井三姉妹〜
743 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:13:20.36 ID:IKMJ8liR0
小早川秀秋が仕込みました
>>562 懐良親王は源氏の血を引いてないぞ。
でも、隈府に幕府を設けている。
745 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:13:39.44 ID:VNTeAjeD0
信長は安土城天主の傍らに天皇の住まいである清涼殿そっくりの建物を作り、御幸の間を設けて
傍若無人にも天皇を安土城に移す予定だった。
天皇側近の公家の日記にも行幸の準備が進められていることが記されている。
天皇を自分の城に置いて、自分の権力下に置くというトンデモナイことをやろうとしてたわけだ。
>>711 光秀が朝廷とパイプを持っていたことや
朝廷と毛利家、光秀とのつながりなどを論拠として挙げる人も多い
当時の朝廷に何が出来たのかは疑わしいが
切羽詰った事態になっていれば、黙認くらいはしたかも知れない
しくじった足利義昭の例を直近まじかで見ていたわけだし
信長を殺せとまでは絶対に言わなかったとは思うが・・・w
>>720 ねねの実家の木下氏が残ってるのは残ってるけど
秀吉の血筋ではないわな
>>712 秀頼には身分の低い女性に生ませた子供がいたそうだが
男児の方は大阪城落城の直後に家康の命令で首をはねられた
女児の方は、処刑はまぬがれたが、尼にされ。生涯、未婚で過ごす事が強いられ
当然、子供は残っていない
>>745 何を読んだらそんなに色々間違えて解釈できるんだ
750 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:14:43.32 ID:q/pXfBHc0
秀吉ネタになるとチョンが藁藁と湧いてくるな
752 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:15:08.85 ID:JYxu2LmkO
実際の淀殿の性格ってどんなんだったんだろう?
おおのはるながの子ですよ
754 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:15:27.61 ID:EkozVG2j0
秀頼は俺の子だよ
タイムマシンで淀殿の寝室に行って散々やりまくったからな
秀吉はチンコでかいらしいが、いかんせんテクが粗雑なんだと
んで、おいらが気合入れて愛撫しまくったら潮吹きまくり
半年くらいむこうにいたけど、毎晩5〜6発くらいしたな
全部中出ししたよ
秀吉にバレて殺されそうになったんで戻ってきたけど
>>716 朝廷と戦うなんていつの話だよ
石橋山で純粋な手勢が何人いたと
ドイツの遺伝子調査だと実子の二割は不義の子だったそうだ
だから女性運動で遺伝子調査は禁止されてる
日本はもっと酷いと考えられるが、やはり遺伝子調査は禁止
鑑定されても裁判のとりあげることにはならない
金持ちや企業の社長さんの家で
叔父が甥の遺伝子調査して、あれは兄の子じゃない
おれが相続するなんて言い出したら大変だもの
まああれだけ色好みだったわりには
子が皆無というのは非実子説の有力な根拠だな
しかし茶々に手を出すというのは怖ろしいな
死罪御家断絶はあたりまえだからなあ
大野治長だったら根性あるな
759 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:16:38.28 ID:oPqPKUwQO
761 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:17:02.24 ID:6Iu6X+970
>>752 織田家と仲がすぶずぶだったのは確からしい
762 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:17:05.51 ID:3cEl+P4U0
764 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:17:28.92 ID:agRrBcH70
浅井家は長身メタボのデブ大男大女家系
>>752 親の敵の家を乗っ取ろうと、いやな男に抱かれてまで仇をうったのに、
家康がそれを奪おうとするので、それを無駄にしたくないから必死に守ろうとして、失敗してしまった。
けっこう、かわいい女じゃね
766 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:18:59.26 ID:wvsk88eC0
>>695 当時は北条またはその一派が東夷と組みという憶測が有ったし、
護良親王は足利によって殺害されたがそれは北条時行の謀反の中でで、
場所は東国。
>>752 所謂、お嬢様タイプだったらしい。
浅井長政の娘として溺愛されて育っただけに、プライドが高く
正室のネネに何かと競い合っていたようだ。
ネネの方は、秀吉が身分が低い頃からの妻だけに、所謂、肝っ玉母さんで
秀吉の側室たちの面倒もよく見ていたのだが
淀君はそんなネネを蔑むようなところがあり、自分こそ、本当の正室とばかりに振舞っていたようだ
そんな淀に、ネネは当然のように良い感情を抱かず。
大阪の陣でも、家康の側を支持したようなところもあった
>>758 この先生の説によれば、秀吉公認で父親は不明だそうな
芸人だかカネツキ坊主だか身分が低い男では?という話だったような
まあそのあたりはトンでも枠に入れといてもいいと思うが
769 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:19:02.88 ID:fcgh65UV0
淀君なら俺の隣で寝てるぜ
>>746 パイプ持っていると言っても別組織、赤の他人だし
そこまで重要な計画をお互い共有できるかというとやはり疑問だなあ
それと信長を討った後の光秀の動きも計画性があったものとは思えないし
771 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:19:16.29 ID:6Iu6X+970
まあ北政所の淀と秀頼に対するちょっと引いた態度は
そうだったのかもしれないね
>>728 秀頼も大柄だったそうで長政の血を継いだという説があるみたいね
773 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:20:14.36 ID:0iT52kPU0
>>757 ドイツは違法だけど調べるだけなら日本だと法律違反にはならんでしょ
認知した子の遺伝子が誰のものだろうと法的にまったく考慮されないだけで
774 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:20:26.27 ID:q/pXfBHc0
島津義弘が個人的には好きだ
>>29 あんな野郎は英傑なんかじゃねえ
駒姫の件は許さん
776 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:21:20.74 ID:6Iu6X+970
>>767 ねねは大阪の陣のときはさすがに大阪城入りしようとしていたらしいけど
関ヶ原は、明かに家康寄り
777 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:21:27.84 ID:ph3N5ARV0
>>654 だから、既存の政治体制を倒し、新しく幕府を成立した征夷大将軍じゃねえじゃんw
ただの東夷征伐か「後継」だろ?
ぜんぜん意味が違う
778 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:21:43.02 ID:I5v02CZX0
>>767 まぁ茶々丸のほうはそもそも秀吉がサルと呼ばれて仕えてた主君の妹の娘だからなぁ
主家筋の姫君からするとねねなんて成り上がりの下々の者でしか無いだろうし・・
太陰暦の月日で見てるけどその年の閏月とか調べてるのかよw
これ完全にトンデモ推理だなwww
780 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:22:26.91 ID:i2RUOlD90
>>774 そういえば秀頼は薩摩まで逃げ延びたって俗説もあるんだっけ。
生存願望が残るって事は結構人気あったんだな。
781 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:22:31.23 ID:eGstxNSz0
>>738 長政に限らず、一部のゲームでイケメン武将にされちゃってる人物は
実際の歴史とフィクションの区別もつかないキモヲタ女に粘着されて
ゆかりの場所が荒らされたり、いろいろ大変らしいよ
782 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:22:39.54 ID:1Qcpe5XnO
783 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:23:14.10 ID:6Iu6X+970
>>778 結婚当時は、秀吉の方が逆玉だったんだよね
784 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:23:42.02 ID:0iT52kPU0
普通に石田三成の子供でしょ、何を今更…
大河の秀吉が以前は良く描かれてたのは司馬遼原作が
多かったからじゃないかな
司馬遼の贔屓度は秀吉>信長>>>家康って感じ
最近の大河の秀吉がボロクソなのは在日が制作に絡むように
なったからだと思われる
787 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:24:38.93 ID:FIvnT4u/O
戦国武将って言ったら浜名頼広だろ。清和源氏頼政流。
788 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:24:42.22 ID:7yVQtJPoO
>>29 朝鮮人を突き殺しまくった小早川秀秋も、ろくな評価を受けていない。
戦国武将を美女化しすぎるから、
甲斐姫やら、本多の娘やら、アニメにホントの女傑が出てこねえ
>>780 家康のやり方が反感買っただけのような気もするけど
さすがに国家安泰は呪詛とかやり過ぎだろ
>>781 昔は交換ノートを置いて、ファン同士が交流するくらいだったのに、
最近はマナーが悪いんだな。
792 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:25:03.87 ID:tfTuzuQ60
>>779 そのへんはさすがに調べてあった気がするけど
そもそも月が足らなきゃ「この頃の女性は早産気味だから」とか
変な事言い出す学者が結構いるからな
この先生だったかどうかちょっと憶えてないが
794 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:25:21.56 ID:F5KTbbJb0
今更感満載(笑)
795 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:25:26.11 ID:5StrXdvdO
おまえら歴史板池
796 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:25:39.76 ID:VNTeAjeD0
>>745 しかも天皇の専権事項「暦の制定」を平気で変えようとし
天皇の権威を明らかに意図的に貶めた
さらに天皇の持ち物である「蘭奢待」を勝手に切り取り
天皇家臣である公家を自分の家臣のように馬揃えに加えた
だから本能寺後に公家らは、連日宴を開き大酒を飲んでいたと勧修寺晴豊の日記にある
>>781 小谷城跡とか見にくるのか?
マニアックだな・・・
>>680 江戸時代まで奔放だったのが、
明治になって、これでは西洋に対して恥ずかしいと、
かなりの制限を加えたが田舎にまでは及ばず、
戦後のセックスフリーで先祖がえりに
>>797 小谷城はツアーにも組み込まれてるから結構人気スポットなんじゃね?
800 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:27:07.52 ID:agRrBcH70
歴女に不人気の武将=松永久秀
>>786 でも秀吉の晩年はさすがにフォロー出来ないだろ
今の世と比べんなってのはあっても、さすがに秀吉はひく
802 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:27:26.34 ID:N0JiYZ440
まあ服部先生とは関係ないけど、九州男児って戦国大名の話がやたらと好きだよなあ
県民意識にも反映してるし
あの感覚にはついていけん
>>797 佐和山城見に行って遭難した女子大生なら最近いた。
805 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:28:26.16 ID:ph3N5ARV0
謀反の疑いという理由で、自分の姉ちゃんの息子(秀次)を自害させてんだぜ?
秀吉の性格的に、血がつながってない(この説が本当なら)秀頼を後継にするかい?
ねーわ
日本史板どころか歴史ゲーム板で扱うネタだな
807 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:28:46.82 ID:I5v02CZX0
>>785 大野長治ならともかく三成ってことはないだろ
受精したであろう時期に太閤検地で全国飛び回ってて大阪にいないから不可能
秀吉もさ、自分の胤じゃなくても子供がほしかったんじゃないかな。
せっかく天下とっても残せないし「不能」って言われるのが辛かったとか。
なんで、自分の親戚あたりの男に願ったとか。
中国の宦官だって自分の後を継がすために養子を欲しがったっていうし
そんなもんかもわからんよ。
秀吉はねねと結婚して木下姓の武士の端くれになれたけど、
それ以前は名前すらない下賤の人間
指が6本あったらしいし。完全に被差別民
よく太閤になれたよな
810 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:29:10.49 ID:N2/eE27S0
大学教授が調べるような仕事ではないと思うけどね。
秀頼は秀吉の子供。科学上、実子であろうがなかろうが歴史においては
大した意味をなさない。
>>803 えっあんな看板立ってるような山で遭難出来るの?
812 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:29:25.53 ID:5StrXdvdO
>>799 あすこは蚊と猪と熊以外見事にな〜んもない
813 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:29:52.61 ID:WZO7Y914O
>>29 秀吉は歴史を少しでも学べば英傑とは呼べないだろwww
>>801 そうかな? 劉備だって養子殺してるし、
無礼な文書送りつけた朝鮮に対する、征伐だろ、あれは
描き方によってはひかんよ。 虎退治とかみたいよ
815 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:30:19.88 ID:FIvnT4u/O
足利>畠山>斯波>吉良>細川
え? そんなこと当たり前じゃん
秀吉が種なしだったのは確実
817 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:31:15.07 ID:6Iu6X+970
>>809 足の指が六本てのも、自身の神格化に利用したんじゃ無いだろうか?
818 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:31:27.17 ID:hq8+eGAA0
>>21 シーーーーッ!それいったらネトウヨが発狂するから!
>>804 一番活躍するのが爺になってからと言うのがネックw
>>813 歴史学んでたら、そんなこと言えないな
ちなみにナポレオンは英傑か、そうじゃないかどっちだ? それで判定してやろう・
>秀頼は豊臣秀吉の実の子ではない
状況的には10人中9人は思ってる事だろw
そして事実は今更確認なんてしようもない。
こんな事言って、何か意味あるのかねえ?
823 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:33:05.06 ID:76mEhEhQ0
民衆もみんな知ってたらしいやん
>>818 800もレス流れて発狂したのはお前だけのようだなw
825 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:33:50.83 ID:wvsk88eC0
六本目の足の指と言うのは、
足の指位しかない
粗チンの事だよ。
秀吉の実子だったらあれほど多くの武将が家康方に付かなかっただろうな。
皆知ってたけど不敬だから口にしなかっただけ
こんなのどうでもいいわ
>>817 逆だよ
血筋が全ての日本で、成り上がり者が嫉妬されないため指を切らなかった
「私たちは下賤な者ですよ〜w」アピールさ。
実際柴田は最初は秀吉を面白がって気に入ってたし
829 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:34:17.21 ID:6Iu6X+970
>>814 朝鮮抜きでも、晩年は誉められたもんじゃない。
『夢に信長公が出た』事件って、何処まで信憑性が有るんだろう?
>>814 朝鮮出兵は朝鮮征伐じゃなくて、明征伐の為にちょっと通りますよって話。
そもそも明を討つ為に朝鮮を通らせなさい、ついでに先兵として明に攻め入りなさいなんて言われたら
中華秩序でガチガチに凝り固まってる朝鮮側としては「何言ってんだこいつ」ってなるだろ。
琉球にも同じような書簡を送って呆れられた挙句に明にチクられてるし。
つーか秀吉に関しては、半人が喧しいな。
トラウマなのか?
でも今の半人には無関係じゃん。
832 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:34:28.75 ID:IKMJ8liR0
松永久秀イケメンだったのに歴女の連中には不人気なのか
833 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:34:28.77 ID:EbI4mr2oO
834 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:34:30.13 ID:cIMToXDFO
>>813 戦国時代に農民から天下人になった人物が英傑でないと?
835 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:34:31.43 ID:agRrBcH70
>>819 北条早雲と同じく稀代の下克上ヒーローなのに晩成というだけで女には人気無いのよねw
同タイプの道三が歴女に人気あるのにかなり偏ってるよね
>>817 手相の太陽線が薬指まで伸びてたっていう話も聞いたことがあるな
837 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:36:20.90 ID:/3HoBqIy0
―半蔵、それはまことか?
―御意
>>413 家康が源氏言いだしたのはもっと前の話で三河守になるのに吉良より正当性が欲しかっただけ。
839 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:36:33.11 ID:6Iu6X+970
>>834 秀吉は農民じゃなくもっと下賤の出だよ
おそらく森で枯れ木を集めて売ってた輩
841 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:36:59.02 ID:FIvnT4u/O
ちなみに関白は官位ではない
太政大臣が最上位官位
信長の野望のやりすぎ乙
842 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:36:59.49 ID:eGstxNSz0
>>804 フィクションの中でイケメンとして描かれてないから
843 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:37:46.54 ID:vNuIt4+t0
>>840 豪農って説もあってよくわかってなかった気がしたけど
貧民ではない可能性もあるよ
844 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:38:06.85 ID:KrTy3n+r0
846 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:38:20.97 ID:6Iu6X+970
>>838 人質上がりなのに、若いときから将軍になりたい人だったという説はあるな
在日鮮人(寄生虫)にはウンザリ
奴等が鮮人が来るとマトモに議論も出来ない。犬畜生の鮮人め!早く愛する祖国へ帰れよ
被差別民だったからこそ蜂須賀あたりと話をつけられたんだろうな
>>839 いや事実だよ
公式の歴史で取り扱われないのは差別に繋がるから。
でも当時の資料や日記には、秀吉さん、指6歩あるよ?
なんで小さい時切らなかったんだろう?
って記述がある、
詳しくは逆説の日本史。
850 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:39:46.21 ID:agRrBcH70
出自が怪しいのは明智光秀
名門とさえれているが実際はどこの馬の骨からわからない己の才覚だけ成り上がった典型
851 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:40:02.64 ID:DuY6yRqd0
死ぬほど既出かもしれないが
歴史好きにはこれ常識レベル
852 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:40:07.53 ID:3hv2nsALO
>>810 自分が理解できないからと言って悔し紛れにもっともらしい言を弄するのは醜いぞ。
もっとはっきりした証拠が出てきたのかと思ったけど、そうでもないのね
まあ多分秀吉の子じゃないんだろうけど、多分と言う程度なら今までも散々言われていたような
>>848 蜂須賀が盗賊だとかいう話こそ、後世の後付けだろw
>>840 >>843 半分農民半分足軽で戦になれば真っ先に駆り出されるような層だったんだろう
少なくとも貧農ではないよ、武士に近い農民
当時は屯田兵って概念はなかったのかな
856 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:41:02.40 ID:wvsk88eC0
秀吉は蝦夷系なの?
下賤と言うか、室町時代までは庶民にそんな厳格な身分秩序なんて無かっただろ。
つうか、秀吉みたいな良く素性の分からん者でもホイホイと武士にさえ成れた時代。
士農工商エタヒニン、なんてのが厳しくなったのは江戸時代から。
858 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:41:15.25 ID:FIvnT4u/O
近衛藤吉郎藤原朝臣秀吉
晩年のナポレオンだってほめられたもんじゃないが、フランスの英雄だ。
秀吉もまた、その業績を見れば、日本屈指の英雄の一人で間違いない。
秀吉がいなかったら、越後上杉やキリシタン大名の
奴隷貿易がヤバいと気づくのがもっと遅れたのは間違いない。
861 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:41:50.79 ID:QZqiJTzrO
実父は有楽斎
天下を織田の血筋に取り戻すため
862 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:41:51.97 ID:ph3N5ARV0
>>841 関白は公家の最高位ですよ
秀吉は武家の道を選んだのではなく、公家の道を選んだ
もともと武家じゃないからねw
863 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:41:53.96 ID:fEsW/nz60
誰の子であろうと、
この日本で、今そんな事、どうでも良いじゃないですか・・
歴史が変わるわけではない。
864 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:42:07.13 ID:cIMToXDFO
>>801 正直に「朝鮮を攻めやがって許せんニダっ!」
と言ったらどうだ?w
連雀商人だから被差別民ではあるけど江戸時代じゃないから少し意味合い違いますね
>>832 ちょいワルどころの悪じゃないからなぁ
女って信繁とか三成とか土方とか
ストイックに義をつらぬいた的な堅物が大好きだからな
867 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:43:52.79 ID:6Iu6X+970
>>860 確かに、秀吉が植民地化を防いだ感はあるなあ
>>850 わからないのは今だけで、当時の人は知ってたんじゃね?
869 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:44:08.98 ID:X5VdsTe70
昭和の終わり頃
秀頼の骨が見つかって掘り起こしたら骨が涙流した
>>822 太閤さんを蔑視したがる連中のお里なんて知れているだろ?
出自や不能とか子無しを殊更に悪く言うのは儒教文化に染まった連中...おわかりだね?
まあ、長浜時代に一人息子が早世しているとの記録も有るとかだから、種無し
と言うわけでもなさそう。もっとも、秀頼に関してはあまりに晩年すぎるから
少なくとも小説のネタにはもってこいの題材だわな。
私的には山田風太郎の忍法ネタと火坂雅志「全宗」のオチが面白かったが...♪
天正20年11月4日前後に、秀吉が一時的に大坂に帰ったとかの可能性はないの?
872 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:45:13.76 ID:I5v02CZX0
>>849 逆説の日本史ってwwww ちょww おまwww
ソースが井沢元彦ってどーゆーことやねんw
吉川英治がソースってのと変わらんぞw
873 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:45:24.42 ID:6Iu6X+970
>>864 朝鮮が攻められたのは自業自得だろ
むしろやり方が温かったとしか
>>848 飛躍しすぎ
ねねの実家だってある程度の家だしありえないね。
現代貴族・部落民のせいで差別をいい加減に思いすぎ
当時の被差別民は本当に差別されていた。一切の接触を禁じられ文字通りの不可触賤民だった。
殿様に目通りしたり武家の娘を貰うのは無理
>>857 いや、そんなことねーよ
地侍みたいなのは腐るほど居たが、そういう連中でも血筋がドウタラ拘ってた
制度としての身分制度は後世に出来たけど、
それがすんなり受け入れられる土壌や風習は遥か以前からあった
876 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:45:43.35 ID:agRrBcH70
>>868 全部自称だから、口が上手かっただけで証拠はない
信長でさえそこは最後まで信用してない
秀吉はほんとにセックスが好きだったかはわからんな
下層階級は基本的にオンナ好きでノーマルだから
今風に言えば
秀吉がいた足軽仲間はパチンコ好き、ソープランド好きでないと話も通じない
サラリーマンがしつこく野球とゴルフの話をするように社交がらみの娯楽の一つだった
ソープランド好きだから、偉くなれば妾を多く抱える
これも名門大名にとってむすめが愛妾に就職することありがたい
娘がうまく子を産めば、孫はあわよくば、、宝くじってことで侍女に差し出す夢はある
それらをすべてわかって、権力基盤の下級武士の友人のためでオンナ好きを装い
実は中年ごろからちんぽが立たなかったとかありそう
メキシコだと女を多く抱えるようなセックス強い男でないと組織で偉くなれないとか
>>866 そうかね。
結局イケメンに描かれてるかどうかだけで判断してると思うけどな。あの人達。
堅物が好きなら、ストイックに己の欲望をつらぬいた森長可なんかは人気が出なさそうだな。
ロマンは感じるが養子なんてのは珍しくもないな
状況証拠だけならラノベと変わらんね
>>866 三成が義ってのは抵抗あんな
あれがいなければ豊臣政権がもう少し長続きした気もする
881 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:45:59.38 ID:wvsk88eC0
>>857 >下賤と言うか、室町時代までは庶民にそんな厳格な身分秩序なんて無かっただろ。
弥生以降の渡来系か原住民の蝦夷系かで、人と獣ぐらいの差別が有った。
秀頼は結構大柄だったらしいし、旧知の仲の前田利家の子だろ
>>872 日本じゃ有名になりすぎて吉川英治の三国志が正史だと思ってる奴は多い
884 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:47:08.35 ID:GvPgms1bO
女好きで100人近い側室がいて中出ししまくりなのに
10代の頃から一緒にセックスしてるねねを含めて誰も子供ができなかったんだから
秀吉は無精子症だったんじゃねえの?
>>777 意味は同じだろ。
征夷大将軍よいう官職に継続か新規かなんて区分はない。
征夷大将軍職は一代、一代ごとの朝廷の任命なんだから。
新たに幕府を立てる時に限っては源氏でないとダメなんて
どういう根拠があって主張してるんだ?
886 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:47:50.50 ID:6rCyoHm20
横山光輝の漫画 伊達政宗では
秀頼は家康が淀を寝取って出来た子供だと
松平忠輝が言ってたな
>>877 そんな計算づくだったら、男色に手をださなかったのはおかしい
888 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:48:08.80 ID:owjNipJO0
木ト 藤吉郎 は朝鮮から渡来したんだろ?
そして織田信長は南蛮人であるか.........
889 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:48:28.41 ID:iWUy6Gax0
当時から言われていたけどなにか証拠でも出たのか
スレタイだけしか読んでない
890 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:48:42.89 ID:6Iu6X+970
>>880 政権に拘らなかったら、今も細川辺り名家として残れた気もする。
891 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:48:50.86 ID:z1ZVMA8nO
秀吉の朝鮮出兵は再評価されるべき。
当時、日本軍へ積極的に協力した朝鮮の民をどう説明したらいいのか。
892 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:48:57.38 ID:ph3N5ARV0
>>885 >征夷大将軍よいう官職に継続か新規かなんて区分はない。
「源氏の棟梁」というブランドはあんの!
もう君には何を言っても無駄なようだ
>>872 井沢が前田家の資料引き合いに出してたよ
秀吉と懇意だった前田家資料に書かれてるから本当だったんだろう
>>888 そっちより、よく知られてるのは横山光輝版のほうだろ。 まあ、元にはしてるけどね
>>883 横山光輝が正史で吉川英治は活字にしただけ!
とかいってみるw
896 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:50:08.63 ID:W0araz4e0
この学者が言っているのは
秀吉は自分がいない間に淀君が懐妊したけど気にしない程の器の大きな男だ
という事だよね。
秀頼が秀吉の子ではないのは常識。
しかし、淀君を名護屋に連れて行ったのは間違いない。
こんなバカでも教授が出来るって凄いな。
897 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:50:15.17 ID:DuY6yRqd0
秀吉の指が多いのって足じゃなくて手だろ
898 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:50:18.61 ID:FIvnT4u/O
ワタクシの推測だが
秀吉公のルーツはニギハヤヒだと思うよ
899 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:50:20.85 ID:agRrBcH70
>>887 育ちが悪い人間ほどこの時代はノーマル(ノンケ)の女好き
男色に興味があるのはある階層以上の武家階級
900 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:50:22.02 ID:8lgW/Al3O
>>562 えっと…
鎌倉幕府の四代目以降に源氏は一人もいないんですが
901 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:51:01.36 ID:owjNipJO0
>>894 ああ...
そうだったね。でも、織田信長の肖像画がスターリンのように西洋人の長い鼻筋なんだよなw
902 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:51:10.30 ID:I5v02CZX0
>>880 重用されてたし好き勝手できる立場ではあったけれど私腹は肥やしてないし大谷吉継や島清興が無謀と知りつつ殉じてくれたり
行動的にも中央集権化を考えると正しくはあったよ
手法は強引すぎてしかも家康たぬきを潰せず温故の将を離反させたとか失敗はあったけど秀吉や豊臣家に義を尽くしたという意味では間違ってないでしょ
家康はいずれ豊臣家を難癖つけて潰すつもりなのは間違いなかったし
903 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:51:12.56 ID:AZJfMieP0
大野治長の子じゃないの?
淀とも幼馴染だったし
最後の米倉庫?の爆破自害にまで付き添ってたもの。
904 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:51:22.17 ID:H2yt2gpTO
秀頼のパパは蒲生氏郷でしょ。
905 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:51:35.80 ID:76mEhEhQ0
マイケルの子供は一番下以外実子なんだろ
906 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:51:46.34 ID:ph3N5ARV0
907 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:52:26.43 ID:5StrXdvdO
嵯峨野清涼寺にある秀頼の墓って本物なのかな?
908 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:52:29.83 ID:MkZb8X3O0
秀頼は淀の君と大野春長との間で出来た子供だったってのは誰でも知ってるだろう
何を今更。
秀吉は知りつつ豊臣家のために世継ぎにしたんだろうが
909 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:52:32.13 ID:0iT52kPU0
>>893 実際に6本指だったらもっといろんなとこの資料に残っとるわw
やっぱり俺が前から言っていたとおり
大野治長が実父であることが証明されたな!
>>899 いや、だから
>>877の言うように、計算づくで女好きを演じてたなら、
長浜城主になったあたりで、「いや、俺も最近いい小姓みつけたんすわwwww」
みたいに他の武将と話あわせるのに男色に手をださなきゃおかしいって話
912 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:53:43.10 ID:owjNipJO0
大阪弁と朝鮮語が似ている
by 木ト 藤吉郎
913 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:54:06.84 ID:76mEhEhQ0
すごい可愛がってたんだよね
わしがお前の口を吸うから母上には吸わせるなよみたいなきったねえ字の手紙あるね
甥の子かもな
>>841 >ちなみに関白は官位ではない
>太政大臣が最上位官位
アホか。関白も太政大臣も官位じゃないわ。
官位というのは「従五位下」「正三位」というようなランクのことで、
関白も太政大臣も官位はなくて官職だ。
関白は帝から任命される立派な官職。
律令には規定されていない令外官だが、令外官も官職には違いない。
915 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:54:38.52 ID:6Iu6X+970
>>902 そこら辺は、家康より秀次の意向が大きいような
916 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:55:01.77 ID:8QAF7E+20
>>895 どっちも元ネタは三国志演義という小説
勘違いされがちなのは蒼天航路
あれは元ネタに三国志正史をとりいれてるというだけで正史なわけじゃない
917 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:55:44.90 ID:agRrBcH70
女子供含め一族根絶やしにされたんだっけ
家康パネェす
指が六本
>>875 江戸時代の大名の家系なんて、ほとんど偽造だぞw
江戸城中の大名同士の会話で
「貴殿のお家は如何なる由緒のご家系ですかな?」
と尋ねたら
「今、専門の学者に作らせてるところでござる」
と言う返事が返ってきたとかw
>>916 そりゃまあ正史じゃあ趙雲は2重あごだし、
って横山版も美形じゃなかったわw
>>877 いや相当な女好きだろう
ねねから離れると途端に遊びまくり
信長に言い付けられるくらいだから相当酷かったんだろう
923 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:57:46.94 ID:8QAF7E+20
>>896 お前はバカか?
世継ぎがいなきゃ豊臣家は滅ぶんだぜ
924 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:57:50.65 ID:i2RUOlD90
>>920 自著について聞かれて「実はまだ読んでないんです」と答える芸能人みたいだなw
>>916 蒼天厨のウザさは別格で俺も言いたい事が山ほどあるんだが
ここは日本史のスレだぜ。
926 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:58:35.78 ID:LIvHr8MG0
ウリナラ起源ニダ
>>862 >秀吉は武家の道を選んだのではなく、公家の道を選んだ
>もともと武家じゃないからねw
もともと公家じゃないのに公家の道が選べるなら、
武家じゃなくても武家の道を選べるだろw
むしろ公家の方がハードルが高いだろw
929 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:59:00.01 ID:8lgW/Al3O
>>920 子沢山の名家の傍流系統は引っ張りダコだったんだろな
>>918 「平清盛は頼朝を生かしたのが失敗だった」と常々言ってたらしいから
そこらへんは学んでただろ。
932 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:59:29.25 ID:EB56cBYf0
>>900 清和源氏はいないが、細かいことを言うと
将軍を継ぐ際に源姓を与えられた親王が少しいる。
933 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:59:30.61 ID:6Iu6X+970
男子は首はねたけど、女子は尼にしたよ。
後々見ると、家康より、秀次だと思うんだけどね
934 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 17:59:33.03 ID:pfNM6dBx0
駒田が一言
中国4千年で無数の皇帝がいるが
じつは子が居なくて即位した種なし皇帝はひとりしか居ないんだよね
ローマ皇帝ではよくある話だがアジアでは非常に珍しい
儒教社会だと子供が居ないと男と認められない、権力も作れない
いまさら子も作れない、興味ない、だから甥っ子を皇帝にしたんだけど、滅亡
子がないからこそ性欲があるように振る舞うって部分もあったのだ
>>909 ルイスフロイスの日本史にもあるし、秀吉の多指症は別にトンデモってほどでもないと思うが。
937 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:00:34.60 ID:N1+6NngU0
938 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:00:38.32 ID:8QAF7E+20
>>909 センゴクでも六本指の話でてきたぞ
親指が二本で
>>935 秀吉は偉くなる前からヤリチンだったと思うがw
うん、秀吉はあなる好きってみんな言ってたよ?
941 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:01:54.51 ID:76mEhEhQ0
942 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:02:08.06 ID:6Iu6X+970
誰かこの人ph3N5ARV0のバトルっぷりを
ジャッジしてくれ
詳しい人同士の喧嘩はどっちがどっちかさっぱりわからん
馬鹿馬鹿しい
お前らだって、本当は違う父親の種から生まれた奴がたくさんいるだろ
>>892 >「源氏の棟梁」というブランドはあんの!
「源氏の棟梁」?
源氏長者のことか?
源氏長者と征夷大将軍にはなんの関係もない。
そもそも源頼朝も足利尊氏も源氏長者になったことは一度もない。
適当な単語を並べてごまかすな。
946 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:03:36.41 ID:FIvnT4u/O
秀吉のルーツは
卜部氏か中臣氏か物部氏か三輪氏だろうな
947 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:03:37.29 ID:agRrBcH70
>>937 そこが男で有能で見所のある人間は生かして拾い上げるが
女は皆殺しにせよ、という信条だった信長とは真逆だな
949 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:04:50.80 ID:8QAF7E+20
>>921 俺も横山三国志が最初だったから、あれが色々とおかしいってことに気付かなかったわ
趙雲、ドカベン
董卓、ヨミ
何より城壁があまりにも低すぎ
950 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:04:52.07 ID:76mEhEhQ0
秀吉の精子が元気だったらあちこちに自分の遺伝子をばら撒き、
日本人の容姿レベルはかなり低くなっていただろう
>>943 源氏しか征夷大将軍になれないってやつか?
まあ誰かが言ってた通り、公家にもなれるんだから武家にもなれたってのは説得力はあるわな
国松の件で家康に豊臣を生かす気なんて全くないってのが証明されたもんな
そういや秀吉って後世に遺るような名言が無いよな。消されたか?
怒りは敵と思え 徳川家康
心に勇あれば悔いなし 武田信玄
げえっ、関羽!
とか、他の戦国武将は多いのに。
954 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:05:51.36 ID:1B14oo3IO
>>563 家臣の滝川一益は関東管領になってますが…
秀吉は異常性欲者だったのに種無しだったという悲惨な奴。
956 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:06:23.48 ID:i2RUOlD90
957 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:06:46.83 ID:YnSUyQtz0
公家と武家の違いが分からん
武家の棟梁、征夷大将軍は朝廷の役職だぞ
958 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:06:57.11 ID:6Iu6X+970
959 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:06:59.51 ID:EB56cBYf0
>>945 その時代に源氏長者は村上源氏がやってたしな。
>>943 ID:ph3N5ARV0は自分が申告しているように詳しくない人。
960 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:07:13.40 ID:ph3N5ARV0
>>927 >公家の方がハードルが高い
それは嘘w
婚姻関係だけで、どうにでもなるのが公家だよ
平氏一門が公家になってるからね(伊勢平氏→平家)
その前には藤原氏w
むしろ征夷大将軍の方が敵を多く作るわけだから「後々の」ハードルが高い
まして、源氏でもない奴がなったら・・・
秀吉は賢い選択をしたと思うけどね
961 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:07:24.86 ID:agRrBcH70
962 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:07:30.75 ID:wN1ub1c50
963 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:07:38.58 ID:eGstxNSz0
>>942 確かその時の返事の手紙がハゲネズミのソースだったよな
964 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:07:47.07 ID:76mEhEhQ0
>>955 性犯罪者には勃起や射精に障害があったり
変なチンコしてたりってことがよくあるらしい
秀吉涙目
966 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:07:49.43 ID:8QAF7E+20
センゴクの作者はちゃんと古戦場に足を運んで通説の検証してるんだぜ
そんな奴がわざわざ眉唾な秀吉六本指を載せたりするか?
別に子種について子ができにくい体ってのもあるだろうから
少ないことが種無しの証明にはならんだろ
>>955 家康は11男5女だっけか
明らかに種なしだよな
>>957 征夷大将軍なんて野蛮な武士にやらせる仕事
公家の家の奴らはしない
>>958 北条みたいに1万石程度で生かすなり、今川のように高家で残す位は出来たろうに
971 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:08:43.43 ID:7AIRE5nU0
秀頼が島津に逃れたとする説はどうなったんだってばよ
972 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:08:56.17 ID:8lgW/Al3O
秀吉がこさえまくって他家に養子送り込みまくれば豊臣政権安泰だったのに精子欠乏症だったばっかりに
家康が謁見して割とまともだったので
滅ぼそうと決めたんだよな
アホだったら豊臣家を存続させてた
おまえら、秀吉は女だったって事を知らないようだな
976 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:09:56.54 ID:AZJfMieP0
>>954 信長は群馬県ぐらいまでだよ。
まだ北条領まで攻めてなかった。
>>966 おとしめるつもりは無いけど、商売でマンガ書いてんだぜ。
978 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:10:07.87 ID:agRrBcH70
余は日輪の子なり 猿
979 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:10:17.29 ID:qIGwqWWd0
秀吉は豊臣氏長者と藤原氏長者を手中にしてた
>>940 あなる好きで男色に興味なしってありえるのかねぇ
というか男色は戦陣での女の代用品って側面もあったそうだが
秀吉はどうやって発散してたんだろう?
>>932 >将軍を継ぐ際に源姓を与えられた親王が少しいる
鎌倉の宮将軍は下記の4者だけど、具体的にどの親王が源姓を賜ったの?
宗尊親王、惟康親王、久明親王、守邦親王
982 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:10:40.14 ID:76mEhEhQ0
>>967 精子は八割近くが奇形や動かない場合もあるし
一ミリリットルに2000個なければ完全に男性不妊だったような
>>902 >>温故の将を離反させたとか失敗
ここが極めて重要だと思うんだけど
それでなくとも豊臣は親族少ないんだし
>>966 おれも秀吉は6本指だと思うけど(当時の資料にあるから)
センゴクの初期は井沢元彦鵜呑みだし、二次資料を参照にしてるのもあるから
全部は信じない方がいいと思う
作家本人も勉強するうちに考えが変わったとこもあるって言ってた
985 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:11:11.70 ID:YnSUyQtz0
武士とか言っても源氏も平家も元は皇族
986 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:11:15.58 ID:zfX1+g0B0
>>974 なんでだよ。アホでも潰すだろ。
司馬遼太郎の小説を真に受けている馬鹿か?口開くな恥ずかしい。
知っていた
あのチビザルが2mの巨人の父の訳がない
989 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:12:52.33 ID:76mEhEhQ0
>>975 サル顔でレズでブスとかいらないだろ・・・
美形っぽい武将でやれ・・・
>>983 それに関しては秀次事件の影響もあったと思うから、三成だけのせいにするのも気の毒かと。
991 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:13:19.11 ID:EB56cBYf0
>>984 合戦に関しては鈴木眞哉大先生を参考にされてますぞ。
993 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:13:35.45 ID:N1+6NngU0
>>987 潰さない場合もある
司馬昭とか趙匡胤は殺さなかったろ
>>994 女性の秀吉とか、ガリガリの谷亮子とかそういうレベルだろ。
996 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:15:23.85 ID:ZEz9FRodP
>>834 なった のではなくて ならされた 説のほうが真実味がある
信長と直接対決するデメリットを家康が嫌い
明智光秀を使って「謀反風」な芝居をするから光秀を「討伐風」にしてYouが天下取っちゃいなよ と家康にそそのかされた
当時の通信事情では考えられないくらいの秀吉の素早い行動や、光秀が死んだにしてはおかしな建物が日光にいくつかある
家康が秀吉(正確にはその子供だが)討伐の理由にした国家安康にしたって難癖以外の何者でもない
ようはキレ者の信長を殺させて、用が済んだらボンクラの豊臣家を殲滅したってところだろう
で、そうさせるために秀吉に徹底的に手柄を立てさせた
当時の感覚でブスなら、あるいは。
998 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:16:19.10 ID:YaJFgWUa0
>>987 まあ、家康に聞いてみないとわからないけど
伏見の会見までは豊臣家は存続させてもいいのではないかと思っていた節はある。
秀頼の人物がどうこうより、会う会わないでもめた豊臣家のいつまでたっても「天下人ボケ」
が家康に豊臣討ちを決意させたのかもしれない
999 :
名無しさん@13周年:2012/09/03(月) 18:16:25.85 ID:kCTI5dw/0
>>953 >げえ、関羽
そこはこれだろ
待て、これは孔明の罠だ
司馬懿仲達
すべて家康の風評の流布でした
1001 :
1001:
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