ttp://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-entry-1589.html 恵氏
「さっき村田先生が言われた少女暴行事件
あの時はね、もう一つもっと凄い事件が起きたんですは
今度は、九州から来た労働・・労務者の方がね沖縄の中学生に・・を殺して埋めたわけですは
この報道は一切しない地元のマスコミは
全部あの少女レイプ事件ばっかり・・毎年やるわけですは
で、国民も県民もね「アメリカ兵が残虐で・・・」ということでもうマインドコントロールされちょる
マスコミが偏っとるんです。」
(※感想:恵氏曰く
『民も県民もね「アメリカ兵が残虐で・・・」ということでもうマインドコントロールされちょる
マスコミが偏っとるんです。』
このアメリカ兵を旧日本兵に置き換えると日本全体のマスコミのやってることになる
日本全体のマスコミが偏っている
しかもその上で自分達は公平で公正だと思っている?主張しているのだから日本のマスコミは性質が悪い)
権力や社会の動向を監視し、警鐘を鳴らす木鐸の役目を果たすことがジャーナリズムの存在意義であるとマスコミ人は主張する。
確かに徹頭徹尾、傍観者に徹し、自分達も含めてすべてを批判する報道姿勢を貫くならば、社会にとって有益であると認めることもできる。
だが近年のマスコミは、何が良いことで何が悪いことかを自分勝手に判断してそれを大衆に押し付けようとしている。
『批判』の範囲を超え、政治的な意図を含ませた偏向報道を行って、自分に都合が良いように国民の意識を誘導しようとする姿をあからさまにし始めたのだ。
このことは自分の意に反する主張をする立候補予定者の出自や近親者について、差別的とも言える報道を平然と行ったことから証明されるだろう。
総理となった者の権力行使の仕方ではなく、漢字の読み間違いや、余暇時間の過ごし方といった嗜好、人格の部分を批判したこともその証左となる。
つまり、マスコミがしていることは報道ではなく自分達にとって都合の良いムードを作り上げるための宣伝で、
そしてその行動は不思議な事に日本を敵視し、批判する海外勢力や機関の活動とベクトルを一致させているのである。
(ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 5冥門編 P358より)