【裁判】 1ヶ月以上おむつ換えず放置され重い皮膚炎になった赤ちゃん、死亡→母に執行猶予判決…「放置と死亡との因果関係不明」

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497名無しさん@13周年
「ドラえもん」の、のび太のママのモデルは日本女性犯罪者史上稀代の狂悪殺人鬼として名高い連合赤軍の女指導者永田洋子である。
連載開始当初こそ野比玉子は、のび太を優しく見守る包容力のある理想的な母親として描かれたが、
昭和40年代当時は教育ママなどのヒステリックな戦後世代の母親による歪んだ教育が問題視され
又そうした母親による子供殺し等の悲惨な事例も相当数にのぼっていた。
永井豪の「ススムちゃん大ショック」が描かれたのもこの時期で、F氏の元には読者のこどもたちからの
「のび太の家のやさしいおかあさんがうらやましい。ボクは毎日ママに殴られ蹴られて暮らしてる」
「バカでもいい。貧乏でもみじめでもいい。やさしい両親に囲まれるならのび太に生まれかわりたい」
といった悲痛な内容のファンレターが連日大量に寄せられ、心を痛めたF氏は
せめて漫画の中でのび太が実の親に冷遇されて苦しめられ、外ではいじめられ担任には差別され
家すらも安息の場所ではない、まさに.「生きている限り無間地獄」の悲惨な姿を描くことで、
現実に苦しんでいる子供たちの心の救いにしたいとの思いから、徐々に野比玉子を
ヒステリックで狭量なキャラクターに変えて行ったまさにその時期に、連合赤軍事件の凄惨なリンチ大量殺人の実態が詳らかになり
一部の報道では優れた統率力を持つ女傑扱いされてもいた永田洋子の凶悪な本性が白日のもとに晒される事となった。1972年3月のことである。
F氏が「総括」の名で呼ばれたリンチ殺人の首謀者、被害妄想に狂い果て権力欲に取り憑かれたニンフォマニアの破滅の魔女永田洋子を、
ママの人格描写上のモデルに選んだのは必然であった。
それに合わせて、野比玉子のビジュアルもバセドー氏病だった永田の外見に合わせて「出目フグ」を想起させる形相に少しずつ変化してゆき、、
いつしか野比玉子の容貌は、人面獣心という悪罵さえ歯が浮くおせじに聞こえる程の、残忍無惨な風船ババアとなり果てた。