【国際】 "気品にあふれた真の日本兵の姿を伝えたい" インド人監督が日本軍のインパール作戦題材にメガホン★3

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952名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:03:12.39 ID:7NwmgexS0
日本人に気品なんかないよ
日本軍将校なんて東電社員と同じレベルだし
953名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:04:50.29 ID:icCJcL1+0

牟田口の指揮は正しく、インパール作戦はあと一歩で成功していたとイギリスでは評価されている。

★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

★アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

★マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」

★第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
954名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:04:57.85 ID:TA9iaHyf0
  キラキラ
 +   +
|  +  +
|" ̄ ゙゙̄`∩  + キラキラ
|      ヽ +  +  +
|●   ● i'゙ ゙゙゙̄`''、+
| (_●_)  ミ     ヾつ +
| ヽノ  ノ●   ● i
{ヽ,__   )´(_●_) `,ミ
955名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:05:25.93 ID:WUK/fe0r0
>>949
>>952
なんだ
タダのチョン工作員だったのかよwww

バカウヨとか言ってるからおかしいと思ったよwww

あー
それで、牟田口中将の指示通りなら日本が勝っていた
という敵ですら認めている事実を
ガンとして認めようとしないわけかwwwwww

なるほどwwww
956名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:06:25.85 ID:ttluOltr0
牟田口が補給不足打開として考案した、牛・山羊・羊・水牛に荷物を積んだ「駄牛中隊」を編成して共に行軍させ、必要に応じて糧食に転用しようと言ういわゆる「ジンギスカン作戦」は、
頼みの家畜の半数がチンドウィン川渡河時に流されて水死、さらに行く手を阻むジャングルや急峻な地形により兵士が食べる前にさらに脱落し、たちまち破綻した。
また3万頭の家畜を引き連れ徒歩で行軍する日本軍は、進撃途上では空からの格好の標的であり、爆撃に晒された家畜は荷物を持ったまま散り散りに逃げ惑ったため、多くの補給物資が散逸した。
さらに、急峻な地形は重砲などの運搬を困難にし、糧食・弾薬共に欠乏し、火力不足が深刻化、各師団とも前線に展開したころには戦闘力を大きく消耗する結果を招いた。
957名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:08:49.14 ID:LbPl9xeF0
>>956
雨季のど真ん中での決行だもんな。
バカとしか言いようがない。それとも彼の中の何かがそうさせたのか
958名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:10:36.08 ID:icCJcL1+0
>>957
★スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

959名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:10:44.63 ID:wp9hWL3yO
純粋無垢な若者達を護る大人達がいれば 神にならずにすんだ特攻隊員達は今だ光輝いてるけど。
スパイにやられてたり、組織指示系統側の無能さが際立つよな。あまり美化するのも変だわな
960名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:11:06.38 ID:ttluOltr0
4月に入って雨季が始まり、補給線が伸びきる中で、空陸からイギリス軍の強力な反攻が始まると、前線では補給を断たれて飢える兵が続出、
極度の飢えから駄馬や牽牛にまで手をつけるに至るも、死者・餓死者が大量に発生する事態に陥った。また、飢えや戦傷で衰弱した日本兵は、
マラリアに感染する者が続出し、作戦続行が困難となった。機械化が立ち遅れて機動力が脆弱な日本軍には、年間降水量が9000mmにも達するアラカン山系で雨季の戦闘行動は、
著しい損耗を強いるものであった。しかし、牟田口は4月29日の天長節までにインパールを陥落させることにこだわり、
1.天長節マデニインパールヲ攻略セントス。
2.宮崎繁三郎少将ノ指揮スル山砲大隊ト歩兵3個大隊ヲインパール正面ニ転進セシム。
3.兵力ノ移動ハ捕獲シタ自動車ニヨルベシ。

と、作戦続行を前線部隊に命令した。しかし、この頃では、各師団は多数の戦病者を後送出来ないまま本部に抱えており、
肥大化する戦病者と、欠乏した補給に次第に身動きが取れなくなっていた。中には武器弾薬が尽きて石礫を投げて交戦する部隊まで出始めた。
961名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:11:23.46 ID:WUK/fe0r0
>>953
こんだけ複数の人が
それも当時現場にいた敵の将校たちが証言している以上
戦後の日本の解釈のほうが間違っていると
いうしかないね

多分
戦後は反日サヨクに乗っ取られたことで
日本が勝っていたという事実を
隠蔽し、捏造されてしまったんだろう

その為に
牟田口を無能扱いし
佐藤を有能扱いしているわけだ




牟田口さんも無念だろうな
962名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:11:58.12 ID:EjVVz+GU0
>>957
もっと早くやるつもりだったが
インパールに突入する中核の第15師団の到着が遅れていた。
後続部隊はまだタイに居たらしい・・
963名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:15:11.96 ID:WUK/fe0r0
>>960
> 4月に入って雨季が始まり、補給線が伸びきる中で、空陸からイギリス軍の強力な反攻が始まると、前線では補給を断たれて飢える兵が続出、

だから
●連合国の救援が来る前に、ディマプールを攻撃し補給物資を奪えと言っていたのが牟田口

●その命令を無視して
攻撃せずぐずぐずしている内に、連合国の救援が来て、立場を逆転させてしまったのが佐藤


補給物資がなくなって飢えたのは、明らかに佐藤の責任
964名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:15:20.99 ID:6JfpRcFJ0
牟田口
「日本人は草食動物である。
こんなに青々としたジャングルがありながら、
食料に困るなんてことがあるものか!」
名言だよな。

草を食って、弾が無くても素手でも、佐藤師団長は突撃すべきだったよ。
ID:WUK/fe0r0や、ID:icCJcL1+0の言うとおり、無能なのは牟田口でなく佐藤。
965名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:17:33.78 ID:icCJcL1+0

連合軍を利する無能の佐藤は、殺すなと
連合軍が特命を出していた。


全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、
爆撃しないように特命した事について話してくれました。
それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ)
とストップフォードは言ったそうです。

第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐


私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。

後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。

第14軍司令官スリム中将
966名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:17:35.48 ID:v0/jy3020
韓国も日本のお陰で近代化できましたって映画作ればいいのに
967名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:18:41.72 ID:PdAaYpwm0
>>953
そこにあがっている将校が、日本の補給他の状態に関して、かなり甘めの
評価をして自軍のリスクを大目に見積もっていただけでは。

敵味方の状況を完全に把握した上での発言じゃないよね?

日本軍の状況は非常に厳しく、戦線の維持は困難であったが、英軍も
自軍の状態を聴き敵と判断しており、もう少し攻撃を維持できていたら
勝っていた「かもしれない」ということでしょ。
968名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:19:13.51 ID:Oqh7Eb5x0
>>808
逆に言えば、9割はダンスあるのかよw
969名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:19:13.73 ID:5skW7n+l0
さすがインドさんだ
970名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:22:26.72 ID:Oqh7Eb5x0
>>961
敵を評価したほうが、自分の評価もあがるからな。
インパール作戦は、無謀な作戦の代名詞だから。
971名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:22:50.60 ID:WUK/fe0r0
結局

牟田口の言うとおり
間髪を入れず、コヒマからディマプールを攻撃していたら
インパール作戦は成功し、英国軍は敗退していたし
飢えることもなかった

佐藤が牟田口の命令を無視し、ディマプールを攻撃しなかったから
飢えが生じ、敗退した

ディマプール攻撃前に飢えていたというのは
佐藤のウソか
戦後の反日サヨクがでっちあげたウソだろう
972名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:23:09.20 ID:icCJcL1+0
>>967
スチルウェルは来日して日本側の状況を検証した上で発言している。


「ヒヨドリ越え作戦」は、第一段階においては
正に思うとおりに行ったのだ。
ここにその最有力の証言がある。

それはフーコン方面軍総司令官スチルウェル大将の息子スチルウェル中佐(同軍作戦主任)が、
終戦直後に東京に進駐して即刻要求したのは、インパール戦を指導した幕僚の生存者に、
同作戦の不可解なる諸点を質することであった。

そして彼は目を輝かして言った。
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。首府ディマプールには予備団も無く、  
日本軍があのまま一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。  
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、  
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
という事実を明らかにした。

伊藤正徳「帝国陸軍の最後 死闘編」
973名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:26:48.98 ID:icCJcL1+0
>>971
>ディマプール攻撃前に飢えていたというのは
佐藤のウソか


ビルマ方面軍の後勝参謀が5月初旬、佐藤師団司令部の後方参謀に直接問い合わせて
5月いっぱいは自給可能と解答している。
だからコヒマを確保した4月上旬なんか補給に全然問題ない。
宮崎歩兵団長も同様の証言してる。
974名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:26:52.07 ID:jyxNbmK20
>>967
関わらんほうがいいと思う
こういう奴に何を言っても無駄
975名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:27:18.40 ID:WUK/fe0r0
>>967
> >>953
> そこにあがっている将校が、日本の補給他の状態に関して、かなり甘めの
> 評価をして自軍のリスクを大目に見積もっていただけでは。
>


そんな屁理屈を言い出したら、何だって言えるだろwww

少なくとも、その場にいた敵の何人もの将校が、似たような見解を持っていたというのは
強力な証拠だし
そもそも、軍人たるもの、「あのままなら、敵が勝っていた」というようなことは
事実そうでなければ、決して言わないセリフだ

敵ですら、潔く、負けを認めてしまうほど
日本軍が優勢だったという証拠だね
976名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:29:01.64 ID:wmILlQLg0
やっぱり、踊るのか?
977名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:29:19.41 ID:ttluOltr0
5月20日未明、第33師団の主力部隊である作間連隊は、残存する全
 兵力をもってインパール南西方の要地であるビシェンプールへの最後の
 総攻撃を開始、しかし英印軍は日本軍の数倍に及ぶ質と量で反撃した。
 英印軍側はこの時、最新鋭戦闘機のP51ムスタングや、M4シャーマン
 中戦車まで繰り出しており、5日間に及ぶ戦闘の後、作間連隊は崩壊、
 この戦いをもって第33師団は組織的な攻撃を行う能力をほぼ失ったので
 ある。
978名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:30:19.76 ID:WUK/fe0r0
>>973
> >>971
> >ディマプール攻撃前に飢えていたというのは
> 佐藤のウソか
>
>
> ビルマ方面軍の後勝参謀が5月初旬、佐藤師団司令部の後方参謀に直接問い合わせて
> 5月いっぱいは自給可能と解答している。
> だからコヒマを確保した4月上旬なんか補給に全然問題ない。
> 宮崎歩兵団長も同様の証言してる。


そんなことだろうと思ったよww

( ´,_ゝ`) pu

ノモンハンといい
インパールといい
戦後に、日本が惨敗したと捏造されてばかりだなw

まぁノモンハンに勝ってたことは、ロシア政府が最近証明してくれたから助かったけどw
979名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:31:20.42 ID:l694NMrI0
案の定サヨが発狂しててワロタw
980名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:32:19.13 ID:XkixZUeQ0
牟田口も当初は攻勢に兵站を理由に否定的だったんだよな確か
それがなんで作戦反対者を全て更迭するまでこの作戦にこうまで自信を持ったんだろな?
インパールまでは無難に指揮していたようだしなぜ豹変したんだろ?知ってる人いる?
981名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:33:12.92 ID:ttluOltr0
兵士達が地獄絵図を見ている時、上層部の将軍や幕僚達は
 何を見ていたか。
 第15軍司令部はビルマ中部高原のメイミョー(現、ピン・ウー・ルウィン)
 にあった。メイミョーは、気候が涼しく風光明美なため「ビルマの箱根」とも
 呼ばれていた。
 インパール作戦が開始されて1ヶ月が経過し、最前線の部隊が危機的な
 状況にある中でも、牟田口軍司令官はここを動こうとしなかった。
 この四十四日の間、第一戦では惨戦惨敗がくり返されたが、メイミョー
では戦場とはかけ離れた日課がつづいた。第一五軍司令部の勤務は、
夕方五時の定時に終った。そのあと、幹部将校は酒と女の遊びにふけった。
その、同じ時刻に、第一戦では夜襲死闘をつづけていた。
 牟田口軍司令官は豪壮な洋館を官邸にしていた。その庭に小道があり、
衛兵が二十四時間、立哨していた。その小道をくだると、清明荘という料亭
に通じていた。牟田口軍司令官は夜ごと、ゆかたを着て清明荘にかよった。
酒と女に対する欲望に飽きることのない人であった。(中略)
 西洋館のガッチリした建物に入ると、大工出の兵隊達が腕をふるって、
内部はすっかり日本座敷に造作変えされ、床が上げられ、床の間や違い棚、
丸窓まであるといった数寄屋造りである。司令部から我家に帰り、長靴を
脱いで、座布団にドッカと大あぐらをかけば、まずまず天下太平の図だ。
当番の汲んで出す茶を飲み、一風呂浴びると夜は宴会、高級車で料亭へ
横づけだ。ここの料亭もご多分にもれず大阪付近の遊郭からはるばる
やって来た慰安婦たちの一行である。
 牟田口軍司令官から清明荘という名前を頂戴して、大きな別荘をもらい、
そこをたくさんの小座敷に作り上げて、将校専門に酒色のサービスをした
のである。
 兵隊さんはもちろんオフリミット、高級車の運転台で、お座敷の放歌高吟
を遠くに聞きながら主人のお帰りを待つだけである。酔った将校達はよく
「上野駅から九段まで・・・・」の歌を三味線に合わせてうたっていた。
 情報の藤原岩市参謀などはこの歌が十八番で、手ぬぐいを姉さんかぶり
にして、哀れな軍国の老婆の振りつけよろしく、なかなか見事に踊った。
982名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:33:55.88 ID:6B+ZX4n40
ボロ負けの戦をifと誤訳and捏造で構成されたコピペでここまで評価するとは驚きだ
むこうで散々馬鹿にされたから出張か
983名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:35:23.69 ID:ttluOltr0
 内地では婦人達がモンペに火たたき装束で女らしい生活をかなぐり捨てて
いる時に、メイミョーの清明荘ではパーマの女たちが美しく化粧し、絹物の
派手な着物に白たび姿で「おひとつどうぞ」と酌に出て来る。板前の腕は
大したこともないが、盛りつけの器類は皆内地から運んだ立派な皿小鉢だ。
弾丸を運ぶべき船で、自動車で、よくもこんな皿小鉢をここまで運んだもの
だとびっくりする。こうした環境の中で第十五軍の首脳者たちは大作戦の
構想を練っていた。
−高木俊朗氏著「憤死」より(文春文庫刊)−
984名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:35:59.99 ID:WUK/fe0r0
>>981
君の妄想はいいからwww
反論するなら
証拠を出しな
985名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:36:34.27 ID:UnSRxOn5O
兵站を精神論にすり替えた馬鹿げた兵法でいたずらに敗走を重ねた

あれから日本人は全く成長していない

無能かつ間抜けなシロアリ官僚の言いなりになって喜んでいる
986名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:39:42.27 ID:jyxNbmK20
>>982
軍板で暴れてる人なのね・・・納得
あっちの人も大変だねえ
こんなの相手にしなきゃいけないなんて
987名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:43:07.19 ID:WUK/fe0r0
>>983
高木俊朗

朝日新聞が持ち上げていた
反日サヨクの人なんだが・・・・・・( д )……




やっぱり
牟田口を無能扱いし、佐藤を美化している奴らは
こういう奴らだったんだな
988名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:44:12.88 ID:ONpVwqnB0
このスレは、いろいろ勉強になり考えさせられたよ。ありがとうm(_ _)m
インパールからインドの独立へのことなど、学校では教えてくれない。
教師からして、それを知っている者はどのくらいいるだろう。
989名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:44:49.05 ID:7NwmgexS0
>>988
ネトウヨも教えてくれないこともいっぱいあるぞw
990名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:45:09.14 ID:rp1u7t1W0
ああ、軍板で海軍が悪い悪いと言ってた基地外か。
この基地外は陸軍は特攻作戦なんかしていない。
知覧の特攻隊員はみな死んでない。生きているとか
ほざいていたよなあ。
991名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:46:00.23 ID:qJHLukOE0

ドキュメント太平洋戦争 第4集 ビルマ・インパール

http://www.nicozon.net/watch/sm11032962
992名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:46:05.33 ID:WUK/fe0r0
>>982
>>985
>>986
キミらのような反日サヨクの朝鮮工作員が
ドヤ顔で日本の歴史を語るなよwww

993名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:46:34.88 ID:nH5/Vs0s0
>>982
どこが「誤訳and捏造」なんだ??
994名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:46:40.23 ID:jLy/M8gfP
>>1
んん?
インパール作戦って、閣僚が全員反対したのに、
司令長官が「これは○○の夢なんだよ、よろしく頼むよ、な」
と強引に許可した無謀な作戦って本当?
995名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:47:53.32 ID:T9FcxrkS0
喪失の国日本 という本を書いたインド人は
父親がインパール作戦に参加したのを誇りに
していた、と書いていた。
インド人にとっては独立のための戦いだったから。
996名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:48:54.55 ID:WUK/fe0r0
>>991
その動画は
元ネタがーの時点で既にかなり捏造されてる

まぁNHKの制作だから当然だけどw

だから、そんなの信じちゃダメだよ
997名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:50:20.70 ID:mULNmNrUO
>975
あの場に居合わせた将校の中でたったの数人が何だって?
牟田口が無能なのは歴史的事実。はい論破
998名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:50:43.23 ID:6JfpRcFJ0
>>996
2chが真実!ですよね
999名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:51:27.42 ID:bGThMVoc0
高木俊朗も半藤一利の操り人形。
本当の悪党は、歴史を捏造しまくって、それえを作家に書かせてきた半藤一利。
1000名無しさん@13周年:2012/06/25(月) 22:51:38.81 ID:WUK/fe0r0
>>982
>>983
高木俊朗は
前後の事実をわざとひっくり返して
事実を捏造した張本人

従軍慰安婦の捏造と同じことをした人
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