東京時事新報 1923.10.22(大正12)
関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ
放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団
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放火爆弾
九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、
深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名
兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、
爆弾放擲
少女を殺す
九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名
避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した
橋梁破壊
九月二日午後十一時頃南葛飾郡瑞江村下江戸川橋氏名不詳鮮人
下江戸川橋を破壊せんとして鉄棒を持って同橋橋柱を破壊中、警備中の騎兵に
発見されて射殺された
飲料水へ毒 あべこべに飲まされて悶死
九月三日午前九時頃本所菊川町十字路附近自称李王源
毒薬亜秕酸七八匁を懐中し本所区徳右衛門町菊川町方面焼跡残存者が唯一の
飲料水供給所たる菊川町の水道消防栓附近を徘徊中群衆に捕われたが、亜秕酸を食塩と
強弁し強いて嚥下せしめられて忽ち悶死した
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