石原慎太郎エッセイ「日本よ」
2006年2月6日発売の産経新聞より転載
産経新聞社HP
http://www.sankei.co.jp/ 「祭司たる天皇」
憲法には思想と信教の自由が保証されているが、国民の中には共産党やその共鳴者のように
天皇制そのものを否定してかかる者もいようがそれはさておいても、個々人の信条に
強く関わる信教に関しての自由が保証されている限り、憲法の建て前からすれば天皇の存在は
国民個々人の信仰の違いとは矛盾してはならない筈である。
しかしながら私は天皇こそ、今日の世界に
稀有となったプリースト・キング(聖職者王)だと思っている。人類の歴史の中に同じものを
探せば、古代エジプトのファラオに例を見ようが、現今の世界には他に例がない。
さらにいえば天皇は神道の最高の祭司に他ならない。ならば神道もまた宗教の
一つではないかという反論があろうが、私には神道は宗教というよりも日本人の心情、感性を
表象する日本独特の象徴的な術だと思われる。
その根源は日本という変化の激しい特有の風土にまみえてきた古代人が、自然への畏怖と
敬意と賛仰をこめて編み出した、万物に霊性を認めるアニミズム(精霊崇拝)の上に
成り立ったシャーマニズム(予言など超自然的存在との交流による宗教現象)にあった。
そうした汎神論はたとえば那智の滝を
御神体として祭った那智大社別宮飛滝権現神社であるとか、三輪山そのものを祭った奈良の
大神(おおみわ)神社の存在に如実に表れてい、その集大成が伊勢に他なるまい。
私はかつて、熱心なカトリック教徒である曽野綾子さんが伊勢を訪れた折の感動を
記した文章に強い印象を覚えた。彼女はその中で伊勢こそが日本人の感性、精神の原点だと
悟ったと記していた。それは優れた芸術家の感性を証す、宗派などという人間が
後天的にものした価値観や立場を超えた、人間たちの在る風土が育みもたらした人間にとって
根源的なものへの真摯で敏感な認識に他なるまい。
http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no44.html