【話題】 放射能パニックからの生還・・・ある主婦の体験 

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3影の大門軍団φ ★
多摩に引っ越しましたが、緑がいっぱいで、空も良く見えます。家賃は安くなったのに、
部屋の間取りが広くなり、清潔さも増しました。これで私の心は一息つくことができたのです。

とはいえ放射能ノイローゼはそのまま。食生活に気を使いながら、相変わらず毎日、ネットで情報取集していました。

−−−そこから、なぜ変わることができたのですか。

少しずつ変化をしました。疎開を止めたころから考え直したり、しっかりした人の本を読んだり、
行動が少しずつ変わったのです。そして友人である福島出身の若い男性が「福島から来た」というだけで、
ひどい差別とイジメを受けたことを聞きました。彼は私の前で泣きました。

それを見て、私は大きな間違いを犯していたことに気が付いたのです。
私は被災者のことは考えずに自己中心的な思いだけで「放射能」を捉えていたのだと理解したのです。

私のノイローゼが悪化したのは、自分の生活や、心の問題があったためです。落ち着き始めると、
それに気づきました。東日本大震災から私の生活は悪化しました。私は自営業をやっていますが震災自粛ムードで、
仕事が減りました。そして震災や原発事故のテレビ映像にばかり関心を向けて、何もできなくなってしまったのです。

すると、あらゆることにやる気を失いました。どうせあがいても、放射能で東北と関東は壊滅する、
もう未来はないと思い込みました。絶望感でいっぱいでした。ところが同時に、当時は正直に言うと、
うれしい気持ちもあったのです。「放射能と地震で、私の苦しみが解放される」という矛盾する気持ちも、わいてきた