【文化】西南戦争で政府軍略奪の太刀、134年ぶり返還
1 :
再チャレンジホテルφ ★:
1877年(明治10年)の西南戦争の際、政府軍兵士に奪われて所在が分からなくなっていた
照国神社(鹿児島市照国町)の儀仗用太刀(刀身の長さ71・7センチ)が
東京都内で見つかり、134年ぶりに同神社に返還された。
太刀は、後に13代将軍・徳川家定の正室となる篤姫(天璋院)を養女に迎えた
公卿の近衛忠煕が奉納したとされ、警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された。
6月27日まで境内の照国記念館で一般公開されている。
太刀は1865年(元治2年)、薩摩の刀工で波平宗家63代目の行安が制作。
島津家から近衛家に献上された後、忠煕が、親交のあった
薩摩藩主・島津斉彬を祭る同神社の創建を祝い、奉納したとされる。
(2012年4月27日16時47分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120427-OYT1T00744.htm
2 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:28:20.35 ID:n4PAFOv30
なんで政府軍がそんなもん持ってったw
ほらやっぱり日本人は略奪が得意だろw
薩長のクズどもなんざ、盗った盗られたなんて当たり前だろうに
警視庁抜刀隊
無差別な略奪が西南であったのだろうか?
薩摩も混乱で守る余裕が無かったのかも
イケメン随人が警護に付いた
平安時代のお公家さんの娘になりたい
8 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:33:04.56 ID:aQJPeStV0
★人間を無知にさせるための道具★
1.テレビ
(どのチャンネルも、芸人.オカマ.在日.カルト信者)
2.スポーツ
(無知に与えられた娯楽ゲーム。マスコミを使ってスポーツ奨励
サッカー野球陸上スケート・・皆背後に役人、政治家)
「愚民には政治や世の中のことを考えてもらうよりも、球追っかけてくれてたほうが都合がいいの」
9 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:33:18.53 ID:7rVogjQe0
>>5 実際のところ抜刀隊は全く役に立たなかったんだがね
10 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:34:05.43 ID:LR06HWcx0
>警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された。
ここkwsk
11 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:34:08.32 ID:6WuyiZHQ0
長州もチョンも変わらんね、安倍晋もパチンコ献金とかいわれとったし
カスばかり
江戸時代にうちの家から盗まれた黄金刀も返してください ・゚・(ノД`)・゚・。
13 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:34:51.93 ID:bB5oqJre0
>>9 どうして?ちなみに西洋では火砲の時代に入ると抜刀突撃が
多用されるようになるから銃の前では役に立たないというのはウソだよ。
14 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:35:16.37 ID:WIHOGP+SO
乃木大将が軍旗は奪われたが、太刀は奪った
とかいうオチはないか
>>1 >警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された。
ナニコレ
>>東京都内で見つかり
肝心な部分が丸々抜けてる訳だが・・・
17 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:36:53.24 ID:SE9Mkqen0
日本人が朝鮮から奪った物だ
18 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:38:19.67 ID:8PIwW0uJ0
,,,、、、、、、、,,,
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/.:.:;;;;;:;:;:;;;;;;;;;;;:;:;;;:;:;:;:;;;:゙、
,'.:;;,:r''"´  ̄ `""゙´ ´¨ヾ;;!
|;;;:.:{ -ー -、 , -‐.::.;l;!
|;;::.:ヽ _ _,,)j _,,.;i!
. i;;;;.:ji! ,r''ニニニ二ン r''二ニュ ・・・・・・
/^ヾ! ,,,zf_で;ソ´ ヾでソ;;{
レハj! ''' "´ j;:.~'' ´ !
Yヽ! , ィ ,_ _,,ハ |
し'i. ,′ j !;::.', |
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19 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:39:00.19 ID:MoBamXyR0
今度、チャンネル銀河で大河ドラマ「翔ぶが如く」を放送するらしい
はやく韓国に返還した方がいい
21 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:41:27.33 ID:nHdInPlp0
宝刀が、いままで、ヤクザのかち込みに使われてたのかな。
22 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:43:39.71 ID:MQc35CP90
23 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:46:21.96 ID:RuBdhhLV0
鎌倉時代にうちのマンションから盗まれた黄金棒も返してくださいある ・゚・(ノД`)・゚・。
>>13 刀というか突撃戦法が死んだのは機関銃が普及してからだな
実際、西南戦争で元新撰組の斉藤一所属の抜刀隊が砲台2基制圧してるしな
26 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:53:18.26 ID:TvGSnxTR0
いまいち西南戦争の意義がよく分からない
政権交代後に内ゲバに明け暮れる民主党のようなものか
もっととも民主党より仕事はできるようだが
27 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:54:58.09 ID:itgio1oG0
>>警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された。
一体何処から発見されたのか??
28 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 21:55:09.46 ID:i8ki/0HX0
明治維新の主力だった薩摩も
まさか10年後に地元が討伐対象になるとは思ってもみなかっただろうな
あおいチャンも喜んでることでしょう。
西南戦争といえば、風と共に去りぬ
31 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:06:19.77 ID:juGHLfcD0
刀が本当に廃れたのは機関銃が発明されてからなのかな?
32 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:06:57.44 ID:yqeLXzEP0
震災戦災で焼けずよく残ったというか、
そのドサクサでかっぱらったやつか。
斬り取り強盗は武士の習いだから、
当然、太刀とかも戦利品として、何の疑問も抱かず持って行っちゃったのかな?
これ返すんなら当然にっ帝が韓国から略奪した文物も返還しなけらばならない。
犯罪国家ニッポン
35 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:12:18.41 ID:gpWT66Qs0
>>31 国民皆兵が導入されたからじゃない?
一般人を戦士に仕立てるうえで刀は問題があった
実際、戦国時代もリーチの長い槍を持たせてたし
槍が鉄砲に変わったのかなと
ちなみに機関銃は、敵に頭を上げさせないツール
まれに正面から突撃して全滅することもあるが、
あれは突撃する方が愚か過ぎて例外とすべき
36 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:14:42.73 ID:FLMbdMYO0
37 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:20:20.35 ID:pUCU/cjZ0
>>1 返還されたから良かったですね。
大東亜戦争終戦後は多くの刀剣(ご神体)が毛唐に戦利品として神州から盗られ、今や刀剣商が毛唐から盗品の買取りで刀剣(ご神体)快復を実施してる状況。
39 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:23:01.79 ID:uQqI58sIO
>>13 地形が全てかな?
遮蔽物の無い所では自殺行為、射撃の的。
バラクラバでのロシア騎兵や、ゲティスバーグでのピケットチャージみたいな結末に。
遮蔽物を利用して一気に白兵間合いに入れるのなら有効。
田原坂は後者だね。
もっとも、警視隊も田原坂以降は一般の歩兵装備で単なる歩兵として運用されてるけど。
40 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:23:33.52 ID:+htMuT2H0
>>1 >警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された
なにこれ
41 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:24:27.22 ID:i673eoed0
42 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:27:09.08 ID:SVguk9mi0
>>9 ベトナム戦争の機関砲不要論に似てるw
なんだかんだで今でも有効なんじゃない?
ようはカードを切る状況とタイミング次第かと
43 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 22:30:53.77 ID:JI41OWm/O
イギリスの特殊部隊創設に関わった人で、二次大戦中、クレイモア(大剣)とバグパイプを持って突撃してドイツ軍に勝った人もいたっけ
>>14 神風連は熊本鎮台で連隊旗を奪った後、穢らはらしい西洋被れの旗は引き裂いて燃やしたね。
>>26 民主がやってるような内ゲバに相当するのは6年政変とか14年政変だろう
西南戦争は政権交代後に解雇されて職にあぶれた元公務員たちの逆襲
しかし新たに民間から雇われた方が優秀でした、というオチ
>穢らはらしい
日本語の怪しい民族主義様w
47 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 23:11:19.22 ID:itgio1oG0
>>公卿の近衛忠煕が奉納したとされ、警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された。
肝心な所がスッポリ抜けてるだろww
48 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 23:20:50.16 ID:aehk6ZWb0
新政府軍ってほとんどが会津藩の人間だったんだろ?
会津をメチャクチャにされた恨みだったんじゃね?
49 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 23:26:05.40 ID:SVguk9mi0
革命の後には絶対に粛清大会が1度はあるんだよね
それで方向性を統一して新時代を作るわけだ
革命の時は、アバウトに現体制に反対な連中がつるんでるだけ
この戦争って誰のせいなん?
鹿児島県民は、西南の役に対して被害者意識が強いけど、沖縄県民に対しての加害者意識は微塵もない
52 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 23:30:45.11 ID:XGGMI9Mc0
日中戦争もそうだった
国共合作で日本に対抗した
日本が退場した後に国共内戦をした
53 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 23:32:17.02 ID:kkOGxfGGP
>>50 中村半次郎。
明治維新で武士が次々に職を奪われる。
その怒りが爆発し、武士が最後の抵抗をした。
>警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された。
すごく経緯を知りたい
>>50 西郷隆盛。
韓半島を侵略しようとしたから。
誰が持ってたのか、肝心なことが報じられていない。名前を出せない人なのか
57 :
名無しさん@12周年:2012/04/28(土) 23:45:28.39 ID:C+Ct/jt40
「知りたいところ」が抜けてるダメな取材だな。ちゃんと仕事しろよ。
大体、想像できますよね。誰かが資産家から盗んで保持していた。
誰かとは・・・何人なのか。
読売4/27夕刊より抜粋
2009年、刀剣類の鑑定を行う日本美術刀剣保存協会の職員が、所有者が不明な刀剣など約600本を収蔵庫で発見。
警視庁が銃刀法違反の疑いで捜査し、「照国神社」の木札が付いた太刀を見つけた。
おそらく協会の収蔵庫管理がずさんで、登録しておかなきゃいけないのに
未登録のまま放置されてた刀剣がたくさんあって、警視庁が確認と指導に入ったんだろうな
で、その過程で出てきたと。
名札ついてなきゃ十把一絡げに処分されてたかもな
名札って大事だな
61 :
もっこす:2012/04/29(日) 00:12:28.19 ID:hMar++Ho0
>>59 ありがとう。
覚えています。
あの時の刀剣の中に混じっていたんですね。
西南戦争絡みの刀剣話では、熊本城御殿再建基礎工事の過程で刀剣類が出土しました。
決戦に備えて、備蓄の部きを鎮台兵が埋めたらしいです。
後年、祖父が熊本鎮台勤務をすることになりました。
62 :
名無しさん@12周年:2012/04/29(日) 00:19:29.95 ID:Px1HEhcq0
戦利品として持って帰って代々受け継いで
子孫がなんじゃこりゃ?って警察に持って行ってそれで発覚した感じだと予想
一応警察も銃刀法違反として処理しないといけないけど子孫に罪は無いし名前は伏せたんじゃないかな
そんなこよとり菊一文字の発見はまだですか?
65 :
名無しさん@12周年:2012/04/29(日) 00:53:34.04 ID:AuzkLHcb0
>>31銃にライフリングが刻まれ射程と正確さと連射性が飛躍的に向上してから
>46 赴き有る仮名遣いがわからない外人乙
儀仗用じゃ御神刀ってわけでもないんだな
朝鮮の人ってどうして日本の話が好きなの?
人数少ないのに書き込みは多いよね
69 :
名無しさん@12周年:2012/04/29(日) 13:28:37.39 ID:+icVaB8FO
70 :
名無しさん@12周年:2012/04/29(日) 13:34:38.24 ID:mW9uz1NG0
西郷が大村の見立て通りのカスだったのと
三条が想定異常に役立たずだったせいで起こった戦争
71 :
名無しさん@12周年:2012/04/30(月) 16:14:41.23 ID:olaSwMch0
西南戦争ってアメリカで映画化されて、オードリー・ヘップバーンが「明日は明日の風が吹くわ」って言ってたんだよな
西南の時、前線の部隊の誰も西郷の顔を知る者が居なかった。
それで、西郷が若い時に流された地で罹ったフィラリアで
超巨大化した睾丸を判断材料にして、死亡を確認した。
馬に乗れないほど巨大になってたという。
73 :
名無しさん@12周年:2012/04/30(月) 16:31:44.50 ID:f0pm/8qO0
>>51 加害って何だよ。
薩摩が行かなければ今頃沖縄は中国だぞ。
感謝されこそすれ、って奴だ。
>>73 琉球王朝(自称)の人々の一部は、自らやった侵略行為を隠すために、
四島の人間を悪者に仕立て続けてるだけだから。
75 :
名無しさん@12周年:2012/04/30(月) 18:17:32.45 ID:Zv28mZ+T0
島津に武器を取り上げられたから空手が発達したとかほざくけど、
刀狩りやったのも琉球王朝だしなw
>警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された。
ちょっとまえに、刀剣保存協会?だかなんだかが、登録し忘れでかなり大量の
刀剣を保持してて捕まった事件があったが、それかな。
相続の際に遺族からもらった(と言うか押し付けられた?)のが殆どだったと思うが、
その中に入ってたのかな。
78 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 00:30:28.64 ID:vbufL8Md0
a
79 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 02:01:24.70 ID:6dlVOTy50
節子略奪ちゃう、武装解除や
>>72 そもそも、西郷は別府晋介に介錯されて、首無だろ
81 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 02:20:00.41 ID:2PYhstD00
琉球征服に薩摩兵2000人対琉球武道家400人の対決
強兵といわれた薩摩だが、やたら強い琉球武道家たちには歯が建たなかった。
卑怯と言われただろうけど鉄砲で平らげたそうな。
秀吉が韓国から盗んだ太刀です。
第8連隊が西南戦争で戦功ご嘉賞を賜ってるくらいで。
別に、それほど薩摩の抜刀隊が農民軍に対して優位を保っていた訳でもなく。
84 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:05:08.66 ID:2gehXKmUO
>>83 当初、薩摩の抜刀隊には、連隊内から選抜した狙撃兵(スナイパーでは無く、シャープシューター)で対処していた。
効果は有ったが狙撃兵の損害も大きく、一定レベルの狙撃兵の補充も難しかった。
そんなこんなで抜刀隊には抜刀隊でと言う流れに。
その政府軍抜刀隊も田原坂以降は縮小へ。
西南戦争を勝利に導いたのは、近代戦の訓練を受けた町人の軍隊だと思う。
85 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:09:40.48 ID:Cl5Ucdxl0
大東亜戦後のGHQ刀狩りで流出した名刀も出てこないかね。
あと、東南アジアで武装解除された日本兵の刀も。
ビルマかなんかの写真で、日本刀が山盛りになっているのを見たことあるんだけど。
86 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:13:44.18 ID:g9/xFrjh0
今だったら公務員の給料下げて不満持った奴らが戦争し掛けてコテンパンに殺られるって感じか。
凄ぇメシウマなんだけど。
銃刀法違反て最近ジジイが刀振り回した事件かな?
88 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:23:22.04 ID:FYIrNloU0
勝てば官軍 負ければ賊軍
新撰組の近藤隊長は、明治政府によって晒し首にされました
89 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:23:41.38 ID:73Vi04/g0
>>53 中村半次郎って人斬り半次郎でしょ?
そんな力持ってたか??
西郷の下の幹部の一人って程度でしょ
>>85 軍刀なんてたいしたもんじゃなさそうだが。
91 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:26:06.64 ID:73Vi04/g0
>>88 池田屋で長州人あれだけ殺したんやしリベンジされて当たり前やろ
>>88 近藤ってそうとうDQNだろ
最初に美化されてる小説から入ると
新撰組って知れば知るほどガッカリする集団じゃね
俺は人間的で嫌いにはならなかったけど
ほんとの大政奉還が始まろうとしてる
日本共和国のはじまりかもね・・・
94 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:34:38.26 ID:/0oTrUAoO
>>89 幕末の西郷の政治参謀達は、明治以降は東京に残って政府の中にいた。
西郷隆盛と一緒に鹿児島に帰ったのは軍人しかやらない連中だらけ。
その中では桐野利秋が参謀だった。
西南戦争のでの指揮命令の中心は桐野だった。
>>89 日本最初の陸軍少将にして、西南戦争の実質的司令官
>>90 軍刀はスプリング刀も多かったけど先祖伝来の名刀を軍刀仕様に直して
持っていった士族や華族出身の士官も多かったんだよ。
97 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:41:21.97 ID:IZz/oEYU0
「波平行安」って有名な刀で古い話がある
ある男が波平行安の刀を手に入れた。銘の読み方がわからないので
紙に書いて近所の漢文の先生に持っていって聞くと
「これは『波平かにして、行くことやすし』である」
男は「刀の銘にしては変な読み方じゃ」と、こんどは近くの寺に行って和尚に聞いた。
「これは『はびらぎょうあん』だが、誰の戒名ですかいの?」
98 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:43:16.96 ID:+Mgx1OIeO
99 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:44:19.03 ID:/0oTrUAoO
>>89 新政府軍の会津攻めの際、日光から北上した軍を率いていたのが桐野だ。
あれの指揮は猪突猛進しかしないという悪評紛々だったが。
結局、松平容保の降伏受入れも桐野がやった。
あれは小説家の捏造とは違い、指揮官なんだよ。
100 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 08:50:10.92 ID:TMG99gT90
西南戦争時の官軍は乱暴狼藉がひどかった
島津家の別邸である仙厳園にある鶴嶺神社からは
国宝級の宝物が根こそぎ盗難にあった
当時の反薩摩軍の主力は長州と東北勢
101 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 09:40:51.21 ID:VuP4Y7tC0
水戸藩の桜田烈士たちとの約束を反古にして、幕府の御機嫌をうかがった薩摩藩
102 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 09:53:37.55 ID:Avs4QejM0
>3
私的略取せずに、政府にあずけた、って
ところが日本人らしいだろ。お前みたいに
うっぱらって、カネに換えちゃってたら
二度とでてきやしねぇよ。
103 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 10:07:39.81 ID:tIWpZxtZ0
すげーな、なんで錆びてないんだろ。
日本刀マジでぱねぇわ
>>101 水戸藩と約束したのは西郷の残された仲間が勝手にやっただけやし
藩ははじめからあの手の連中と組む気なし
105 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 11:23:27.79 ID:7HpK3mg10
日本人は略奪などしない(キリッ
107 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 11:27:51.68 ID:raGRTO/YO
近衛家と島津家は、
戦国時代からのおつきあいがあるからなあ
108 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 11:35:32.06 ID:jEKrNom40
神社の儀仗用の太刀なんて、なんでそんなもん強奪してんのよ政府軍
110 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 12:20:14.28 ID:1ocjAGvjP
さぁ・・
112 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 13:26:40.02 ID:T4N4JXSw0
やっぱり、長岡藩が一番正義だな。
薩摩や長州はクズ
>警視庁による銃刀法違反事件の捜査で発見された
誰が持ってたんすか・・・
114 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 13:35:25.50 ID:wstNFCgtO
115 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 13:45:34.82 ID:89bWn+pSO
乃木の連隊旗は結局発見できずか
116 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 13:58:33.19 ID:fWolwBH20
大刀を太刀、或いは日本刀の総称として太刀を使っても別段構わない
代表的な名称だからね
厳密に太刀とは字の如く太い刀
分かりやすくいうと戦場刀、叩っ斬る刀
江戸時代の刀は斬る刀ね
豆な
117 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 14:17:05.18 ID:2gehXKmUO
>>104 テロリストと組む選択肢なんか無いよなぁ
118 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 15:05:30.08 ID:mj/aid4w0
早く韓国に返してやらないとまた怒られるだろ
示現流(じげんりゅう)とは、薩摩藩を中心に伝わった古流剣術。
『一の太刀を疑わず』または『二の太刀要らず』と云われ、髪の毛一本でも早く打ち下ろせ(『雲耀』うんよう)と教えられる。初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける『先手必勝』の鋭い斬撃が特徴である。
>>119 島津の殿様が「こいつらキチガイだろ」って言ったんだけどな、始めは
121 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 17:33:52.46 ID:VSJvtPEJ0
基礎体力重視で、とにかく長時間走り回って太刀を振って体が耐えられるようにするために、
本当に奇声を上げながらの稽古となる。
技術というよりは、体力と運動能力が実戦には大事という主張。
ゆえに太刀筋は上から下に肩口めがけて振り下ろすものしかない。
来る日も来る日も、これを左右前後に走りながら何時間でも出来るようになるまで繰り返す。
それと、西南戦争時の新政府軍の略奪はよく知られたことで、そのうちの一つが今回発見となった。
できれば福昌寺から廃仏毀釈に伴い鶴嶺神社に移されていた各種文書が発見されれば良いのにと思う。
123 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 17:44:43.04 ID:ekoPwC760
>>50 誰のせいでもなく、仕方がなかった。
行き場をなくした不平士族は死に場所を求め、西郷どんが自らの命を差し出し彼らを冥界へ送った
124 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 20:45:13.17 ID:2gehXKmUO
旧幕府側の士族も行き場の無い中、事業、教育、宗教、開墾等に道を見出だして行った。
負けて冷や飯を食らったのでは無く、勝ったのに冷や飯を食らう羽目になった事を考慮しても、薩摩の暴発が美化されるのは疑問。
西郷も命を懸けるのなら暴発を押さえる為に懸けるべきだったと思う。
人望は有ったけど指導者としては?
薩摩の西郷では無く、日本の西郷なんだから。
125 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 20:50:25.58 ID:B43D/gnG0
小沢一郎って西郷に似てるよな
>>124 西郷さんとしては、征韓論で不平の矛先そらしと失業士族救済を
やりたかったんだよね。ようするにプチ帝国主義。
当時の考え方としては、それはそれで仕方ない考えだったんだけど、
さすがに明治政府の元勲たちはもっと冷静だったと。
127 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 21:11:10.98 ID:nSsyotoE0
>>2 勝った方が負けた側のもん分捕るとか日本の伝統だぞw
128 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 21:14:53.99 ID:nSsyotoE0
>>107 戦国どころじゃないぞ。
鎌倉時代からのつきあい。
島津家は近衛家の大荘園である島津庄の地頭になったことから始まった家。
129 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 21:17:55.44 ID:AhvIFLWF0
直接的には
>>59として
誰かが協会に預けたんだよな
現在でも状態が良いということは、協会に預ける段階まできちんと保存されていたんだろ
ということは物の分からぬ人間が扱っていたとは考え難い
どういう所有者だったのか、どのように保存していたのか
よくわからんから天狗の祟りにしておこう
>>127 この場合は戦利品ではなくて略奪行為じゃろが。
少なくとも戦国以降の日本では、戦場における略奪とレイプは
忌むべき行為なのだ。
131 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 21:21:57.82 ID:nSsyotoE0
>>9 奇襲には抜刀隊はもってこい。
相手が銃砲を撃つ間もない状態で切り込んだら効果絶大。
要は使い方とタイミングだよ。
132 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 21:23:00.53 ID:OszM6/bdO
大村益次郎に比べれば、西郷などクソ!!
古い木刀なら家にあるけど・・・
柄の部分に風林火山って彫りこみがある
134 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 21:25:51.05 ID:nSsyotoE0
>>130 何言ってんだ。
戦国では勝った側の兵が略奪するのは正当な権利だぞ。
大将は普通日数対象を限定して略奪を許可する。
略奪不許可の場合は代わりの褒美を用意しなくてはならん。
田原坂周辺出身の自分が通りますよっと
136 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 21:29:53.69 ID:VrbXtOIX0
>>103 日本刀の優秀性は南京戦の百人斬りで証明ずみ
137 :
名無しさん@12周年:2012/05/02(水) 21:31:03.62 ID:Eeli+CIY0
てか,長州のクズっぷりは半端ない。
下関とか韓国と仲良しだし、長州と朝鮮はキングオブクズ連合だと思う。
>>134 どこの古代中国だよw
>略奪不許可の場合は代わりの褒美を用意しなくてはならん。
本末転倒だぞ。版図を拡大し領地を与えるのが本来の褒美。
つか、やっぱり「戦利品」とごっちゃになってるような…。
戦国時代は、信長とかが
略奪を禁じたのがエピソードとして残ってるくらいなんだから
基本的には略奪しまくってたと見るべきじゃね?
よっぽど兵站がしっかりしていない限り、近代以前の戦争は
補給=現地挑発=略奪なんではないかと思うが。
そもそも戦国初期の行動原理って、領国民を養えないから、食料確保の為に他国を攻めるってことだろ
食い物が欲しくて攻めてくるのに、ロジもくそもないと
142 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:21:21.63 ID:EXflPq3n0
>>141 そうだよ。
食い物だけじゃなくてついでにいろんなもんをゲットしに行くんだよ。
領民を食わせられなかったり儲けさせられない領主は領民から見捨てられるから厳しいもんだよ。
領民は領主に義理なんてないから強い領主につくからね。
戦国時代は領民も大変だけど領主も大変。
領民を食わせられなきゃいけないし、かといって下手な戦して領民を戦死でもさせたらあとあとの補償費が大変だし。
143 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:23:44.80 ID:Eq4dT3LF0
寛永寺燃やした九州土人は死ねよ
討幕したくせに朝的になってる西郷隆盛wwwww
ただのデブ、ピザ食って死ね
144 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:26:43.85 ID:1fLkov040
デンゼル・ワシントンが主演してたグローリーで南北戦争やってたけど、
この辺の時代って、銃撃った後、突撃するよね
>>141,
>>142 つか、「食料を」奪いに行くなんつーのは北斗の拳の世界で、
実際は、食料を生産する設備と労力(ようするに圃場と農民)を奪いに行くんだよね。
そこで生産能力を削いでどうすんだって話だ。
146 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:32:24.10 ID:1fLkov040
関が原なんて、領民が飯持参で見に行ったって記録すらあるしな
平安時代なんて350年近くもの間死刑がなかった奇特な国が日本
ちなみに俺は死刑賛成派です
147 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:36:13.52 ID:aXuAdJJr0
西郷隆盛がたまたま不運で西南戦争に巻き込まれてしまっただけなのか?
それとも政府内で征韓論を反対されて、鹿児島に引きこもったと見せかけて
鹿児島から武力で政府をひっくり返すクーデーターを仕掛けようとして西南戦争を
引き起こした主犯なんだろうか?
あるいは政府内に残っていた大久保利通が同じ薩摩の西郷隆盛を排除して
薩摩閥のボスになるために西郷の征韓論に異議を唱え、西郷を鹿児島に追い返し
さらに不平士族の反乱を誘い、西南戦争を引き起こして西郷の政治生命はおろか命まで奪った陰謀だったのだろうか?
> 西南戦争
普通は東西か南北だろ
しかも、言うなら南西だバーカ
これだからゆとりは・・・
149 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:37:39.57 ID:p21YQ6Bk0
>>145 それは生産力が安定している現代的な考え方じゃね
戦国期は飢饉や疫病が普通に猛威を振るってた時代でもあった訳だから
蓄えのある村を襲って飢えを凌ぐ行為や人をさらって上方や外国に売り飛ばす行為は普通に行われていたらしいよ
戦国、乱取り、奴隷貿易とかググればいろいろ出てくる
150 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:40:00.92 ID:Eq4dT3LF0
幕府が気に食わないから「官軍」になり、討幕
結局、幕府が倒れたら、「サムライの特権がねえ」とか泣き出し
今度は「賊軍」www
西郷隆盛は過大評価だよ、ただのデブ
151 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:41:03.52 ID:1fLkov040
>>150 頭悪そう
一応日本初の陸軍大将だし、戊辰戦争率いたのは事実上西郷だよ
152 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:42:09.43 ID:EXflPq3n0
>>146 関ヶ原の戦いの場合の関ヶ原は基本単なる戦場だからね。
関ヶ原というあのあたりの土地をめぐる攻防ではない。
だからそこで戦があっても略奪戦にはなりにくいのよ。
だから領民は飯持参で戦見物して、負けた方を襲って落ち武者狩りをして儲けたんだよ。
関ヶ原という土地をめぐる攻防戦だとそこの領民の死活問題になるから戦見物どころじゃなくて
自らがどっちにつくのか去就を明らかにしなくちゃならん。
場合によっては自らが略奪の対象になりかねんからね。
153 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:43:48.84 ID:PD0HEvQ90
証拠物件ってそんな扱いしていいのか
元の所有者もかわいそう
154 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:44:52.76 ID:qZqR7Fcq0
155 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:45:12.11 ID:Eq4dT3LF0
>>151 >一応日本初の陸軍大将だし、戊辰戦争率いたのは事実上西郷だよ
それは討幕した「官軍」の時だろ?
その後は「サムライの特権がねえ」とか、文句を言い出したのはどこのどいつだよ?w
結局は朝敵の「賊軍」になり、征伐されてるじゃねえか
権力が欲しいだけの田舎もんに過ぎない
156 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:51:40.24 ID:aXuAdJJr0
西南戦争があったために明治政府は長州閥のほうが優勢になってしまったんだよな
長州人=精神主義、薩摩人=現実主義という性格が強く感じる
長州人が権力を握っていた帝国陸軍は、やはり精神主義が強く
薩摩人が権力を握っていた帝国海軍は、精神主義に力点を置かず、装備を強化することを
重視していた
薩長といっても、性格はかなり違う
もしも西南戦争がなく、明治政府が薩摩人優勢だった場合は、日本の歴史もそうとう違っていただろう
157 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:56:03.01 ID:1fLkov040
底の浅さに会話する気にもならん・・・・
158 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:58:25.08 ID:ivLT87g+I
こういう歴史のある刀まで銃刀法で取り締まるなよ
日本がチンケな国に見えるだろ
159 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 01:58:26.33 ID:Eq4dT3LF0
薩英戦争も、九州の土人が横浜でイギリス人を斬りつけたのが発端だよな?
いわゆる生麦事件
その後、江戸が味方してくれないから逆ギレw
九州人は朝鮮人に近い
160 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:00:26.55 ID:EXflPq3n0
長州人は一筋縄じゃいかん連中だよ。
確かに精神主義がベースにあるんだけど、リーダー格の連中はほとんどが現実主義だよ。
桂、大村、井上、伊藤、このあたりは現実主義の権化じゃん。
でもだいたい早死にするか非業の死を遂げて、一番無能だが派閥づくりには長けてた山縣が生き残って陸軍に長州閥を作ってしまった。
つまり長州人から頭脳をとった状態が陸軍の体質になってしまったってわけでw
161 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:03:18.47 ID:4qCddEXG0
長州幕府もそろそろ150周年か
オレも歳を取るわけだ
162 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:09:05.14 ID:D4CV+5OS0
長州は吉田松陰以来の近代学問があったけど、薩摩はバカばっかだったもんな。
鹿児島人が負けブタ西郷を崇拝する理由がわからん。
163 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:12:53.21 ID:QdHecPBb0
暴力と搾取に明け暮れて様々な荒廃を産み世界から遅れ続けたのは、ほんの少し前の出来事。
164 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:14:11.93 ID:D4CV+5OS0
長州を利用して権力握ろうとしたが、ちゃっかり長州に利用されましたとさ。
所詮島津の犬だし。
頭わりーんだよな。
だから西郷は鹿児島人に崇拝される。
165 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:14:45.97 ID:Eq4dT3LF0
ま、西郷隆盛は、最後まで江戸幕府を倒す「官軍」として貫き通したらよかったんだけどね
「サムライの特権がねえ」とか言い出し、西南戦争で鞍替えしたからバカなんだよ
しょせんは特権が欲しいだけの、ただのデブ政治家
過大評価も甚だしい
166 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:15:45.55 ID:QdHecPBb0
今また権力という名の暴力と巧妙な搾取に明け暮れて荒廃を呼びこみ世界に遅れ始めている日本。
時代の要求は武力革命か。
征韓論を唱えてたから憎いのかい?
168 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:17:32.82 ID:Dz7RrZ+M0
戦後のどさくさで朝鮮人が盗んだ物が発見された・・・てとこかな。
169 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:18:33.77 ID:QdHecPBb0
大阪維新の会などというアホウなもんに釣られとるのが少なくはないようだけど、
あんなもんは、徳川はんか天皇さん担いだ毛利はんか?ちう違いと同じで、結局は表面塗り替えるだけで何も変わらんで?
170 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:20:22.43 ID:EXflPq3n0
明治維新はともかくとして、その後維新を名乗った連中でろくなやつがいないのが歴史の示す真実な。
171 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:20:41.00 ID:o/59xBAN0
倒幕〜西南までを端的にまとめるとだな
左手で右手を洗い、洗い終わった右手で左手を洗ったようなもんじゃね
172 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:20:44.88 ID:D4CV+5OS0
鹿児島人は軍隊でも威張っていてみんなから嫌われてたって、陸士出の社会科の先生が
言ってたわ。
「おいどんは薩摩西郷どんたい」
だって。
反乱軍で負けたくせに。
バカ丸出し。
173 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:21:08.50 ID:4qCddEXG0
日本で江戸の風情をもっとも色濃く残しているのが
明治カルト幕府の本山、長州であるという皮肉な必然
174 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:23:02.83 ID:D4CV+5OS0
>>167 憎いんじゃなくて、征韓論がバカ丸出しなのは歴史振り返ればわかるだろが。
なんでチョン半島を支配する必要があるんだよ。
175 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:23:32.15 ID:RLEREc08O
>>144 南北戦争の頃の銃はほぼ先込め式のパーカッション式銃だから、一発撃つと再装填には早くても30秒はかかる。
だからこの時期は横隊を組んで前進しつつ射撃、近づいたら着剣して突撃。
西南戦争ではすでに後ろから弾を装填する元込め式が主力になっているので連発速度が上がってる。歩兵戦術的には横隊から散兵への過渡期に当たる時期。
176 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:25:36.38 ID:Eq4dT3LF0
官軍(朝廷)として「偉そうに」江戸幕府を討伐したくせに
今度は「サムライの特権がなくなった!」と、朝廷を敵に回す
この矛盾がバカにされてんだろ?
しょせん特権が欲しいだけの田舎もん
寛永寺燃やした責任とれよハゲ
177 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:28:19.49 ID:QdHecPBb0
>>171 結局のところ外圧でしか根本的な変革は出来た例がないんよ日本は。
敗戦によって国民主権となり開放された国だからねぇ。隣の韓国と五十歩百歩という。
しかも民主化されてたった20年の韓国に対して、日本は67年閲しているのに、
実質的には昭和の終焉と情報化・国際化の波が本格化した平成の世になってから鈍い反応を示しているわけで、
欧米が先進している近代民主主義の浸透という点では韓国よりも遅れるかもしれんね。
まだまだ東洋の島国状態だから。
178 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:30:06.77 ID:665E7m960
>>172 >「おいどんは薩摩西郷どんたい」
熊本人が詐称しているか、お前の脳内妄想だなwww
179 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:30:38.79 ID:QdHecPBb0
キリキリ舞いよ キリキリ舞いよ ジパング ジパング シンジナサーイ ミラクルア〜イランドwww
180 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:32:01.47 ID:R2xgoOMtO
>>172 鹿児島弁が間違ってるからその話自体嘘決定な
後の歴史を見れば分かるだろうに
貧富の格差が酷くなったのは南西の役の後だろう
明治政府としてはただ邪魔だったんだろ薩摩が
182 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:40:04.16 ID:4qCddEXG0
なんでも出資した者がそれを回収に入るタイミングというものがあるからな
webの無料サービスで利用者の便益が、ある時点からどんどん切り下げられるのと同じ原理
183 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:43:09.42 ID:D4CV+5OS0
吉田松陰から学んだ長州は日本の近代化の為に徳川を倒す使命があったけど、
薩摩は西郷幕府を作りたかっただけなんだよね。
目指す方向性が全く違う。
>>174 でかい戦争がしたかったんだろ
コツコツ戦争の準備してたのに、中途半端な戦いばかり
政略で時代が変わることが歯がゆかったんだろ
>>59 一応、こういう案件があったのね
管理がずさん過ぎだが大きな事件にならんでよかったな
士族の中での争いでけじめとして必要だったと
で、新政府軍として戦ってたのが、農家の次男三男坊だったりというね
貧富の格差が酷くなる過程で西南の役が起こったわけで
つまり大名の臣下として抱えてもらってた時は
給金や身分は保証されていて競争なんかほとんどしなくても良かったんだけど
それが維新前後に流動化してきて、出来る奴はどんどん富むけど
できの悪い奴はどんどん没落していくってだけでね
士族連中はできの悪い奴ばかりで自由競争時代の負け組になった
んで、再び自分たちの身分保障を求めて西郷を担いで戦争を始めたと
187 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:52:09.55 ID:QdHecPBb0
>>183 いやどっちも変わりないよw
結局は藩閥政治で侵略戦争へ突入。
搾取の頂点が徳川はんから天皇さんと薩長土肥に変わっただけ。
トウタクがホロンでリョフに変わったくらいのもんさw
西郷はだいぶ前に失脚してるし
佐賀などの他での士族の反乱は参加してない
結局はこれ自由民権運動だったんだろ
歴史は繰り返すの言葉を思い出す
189 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 02:54:16.46 ID:krobhI/+0
いいから、長州人と薩摩人は、もっと罵りあえよ!
190 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:01:56.72 ID:D4CV+5OS0
>>187 薩摩には近代国家のなんたるかというビジョンが全くなかった。
そういう学問を受けてこなかったからしょうがない。
だから新政府近代国家のあるべき姿として武士の象徴である刀を取り上げて
しまったもんだから
「話がちがうじゃねーか」
と反乱しただけのこと。
薩摩にとっちゃ近代国家建設の一大事業なんかどうでもよく、
てめーが徳川にかわって殿様になりたかっただけにすぎん。
どっちかっていうと没落士族が
自分たちの保証ちゃんとしろって怒って
武力闘争したってのが正しい気がする
まぁ、なんの保証もなく公務員のクビ切って
俺達の最低限の生活補償しろって怒ってんだから
自由民権というより人権活動のが近いんでない?
俺らの生存権を認めろ、生活保護しろって話なんだから
政府の方も、そんなの起きて当たり前なんだから
きちんとお手当てしときゃ良かったんだけど
ビジョンなく勢いでやったってのが本当のところだから
こういう軋轢が起きるわけだよ
刀取り上げようがきちんと食い扶持と居場所さえ保障しとけば
大事にならなかったわけで新政府の失政だな、普通に
熊本のどこか忘れたが人けの無い山の中に西南戦争戦没者?の碑があって行った事がある
あんな場所に碑があるだけなのに結構人が来てた
193 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:12:22.87 ID:ZvWtlIH50
戊辰戦争で官軍を率いたのは大村益次郎だよ
大村が生きていたら山縣の台頭はなく
大村の戦略眼で日本は西南戦争は西郷を軽く一蹴
清露をぶちのめして太平洋戦争は日本の勝利
194 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:13:57.52 ID:D4CV+5OS0
近代国家建設という理念と理論武装のあった長州に対し、薩摩は俺たちにも
特権をよこせってだけなもんだから簡単に論破されとぼとぼ下野するしか
なかった。
当時の薩摩は旧武士しか兵隊になれず、長州の旧身分を排した陸軍にあっさり敗北。
百姓を集めた長州陸軍に薩摩武士が惨敗したんだよ。
明治維新はクーデターにすぎんが、西南戦争は階級の戦いでもあった。
猫に小判。豚に真珠。薩摩に近代ってわけさ。
195 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:17:58.36 ID:4qCddEXG0
我々は長州とCIA調査部歴史班(司馬機関)が書いた「史実」の内部でしか思考できない
196 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:24:40.86 ID:665E7m960
>>ID:D4CV+5OS0
お国自慢板でやれwwwwwwwwwwwwww
197 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:26:26.44 ID:+B3mXMj7O
>>138 生半可な知識を披露しているようだが、
戦場稼ぎを許可しないなら、兵士が逃散するような大名もいるんだぞ。武田とか。
それをさせないのは一時期の織田くらいだ。
このスレの話に直接つながるわけじゃないんだけどね。
そもそも近代国家ってのを作ろうと考えていたかも怪しいんだよな
みんなもうちょっと穏当な形での国家像を思い描いていたんだけど
なんだか結果的にこういうことになってしまっただけで
ほとんど誰一人まともな近代国家像なんて持ち合わせてなかったろうなぁ
天皇を担ぐ素晴らしい大義があって理路整然と維新が行われた
と思いたい向きもいるみたいだけど
旧政府に不満がある連中が担ぐ神輿として天皇があっただけで
それ以外の大義名分があればそっちの方に飛びついてた可能性のが高いんでない?
明治天皇の思惑とは別に現実的な政治運営がなされたわけだしね
その後の天皇の立ち位置を考えるに反乱分子が神輿として担ぐぐらいの役割しかないわけで
仮に天皇が実権を握り失政でもしようものなら、民草の不満は直接天皇に行くわけだし
そうしたら天皇家がつぶされるか、今の北朝鮮みたいに将軍様(天皇)独裁になるしかないわけで
神輿であって政治的な主体であってはならないってのが天皇に期待される機能なんだろう
199 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:32:48.22 ID:D4CV+5OS0
近代化を目指す長州の犬になった黒田、松方、山本は鹿児島人からすれば裏切り者なんだよね。
あったまおかしすぎる。
200 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:32:54.23 ID:4qCddEXG0
>>198 参加した多くの人間に取っちゃ近代社会に対する明確なイメージや目的意識より
競争や立身出世のための手段、ツールだろうなあ
今も変わらずそういう人いっぱいいるけど
銃刀法違反で発見ってw
203 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:40:01.15 ID:D4CV+5OS0
>>198 近代国家のバックボーンとなったのは学問、それだけ。
儒教ばかりやってた藩校じゃなくて、松下村塾とか福沢諭吉を排出した適塾とか。
大政奉還と近代国家とは全く関係ない。
殿様をお城から追放し、武士から刀を取り上げるこの英断を下したバックボーンが
近代学問。
それをやってたのが吉田松陰と緒方洪庵でその門下生の福沢諭吉が啓蒙思想家となった。
204 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:40:41.72 ID:YbYl+KGh0
歴史的価値を持つ刀は銃刀法の例外じゃなかったっけ?
登録漏れだったんだろうけど没収とかひでぇな
205 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 03:43:40.20 ID:4Hh+wIfX0
なんや、10年ほど境内にあっただけで、ずっと行方不明のお宝やん。
あんまありがたいもんでもないやろ
206 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 04:04:34.78 ID:IWqFIMza0
三代目の柳好が戦争負けた後で、つまり昭和20年代に「薩摩の官員」がいかに野蛮かと言う落語をやった。
子供の時に聞いて同感したね。江戸のものは、はるかに優れた文化を持っていた。
>>205 関西じゃ奉納物の扱いはそんなもんなんだろうがな
208 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 08:37:29.43 ID:sln1Ki8w0
>>9 今世紀に入っても銃剣突撃しているイギリス軍の立場はw
てか、抜刀隊が役立ったから警察で剣術が取り入られるようになったはずだが。
>208
玉砕前の最後のあがきとは言え、鬼畜米兵を精神疾患に導いたのは事実だしな。
毛唐は刃物で殺されるのを異様に嫌がるらしいし。
話は変わるが、叔父が刀の研ぎ師をしていて、終戦後、米に持ちさられた刀を研ぎに行かないかと誘われたな。
日本各地の個人所有はおろか、神社仏閣に奉納された物まで、七十万〜百万振り位、米に持って行かれたらしい
210 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 08:54:24.60 ID:C9o1dbpc0
>>26 西南戦争ってのは、当時の価値観からすると関が原のリベンジのリベンジなんだよな。
関が原で負けた薩摩と長州は領地を半減され、徳川幕府を隙あらば倒したいと250年も考えてた。
そこに欧米列強が現れて、長州と戦争したりする内、幕府は勝てず、弱いぞと、
ついに幕府を倒す気風が生まれ、薩摩と長州は組んで討幕軍を起こし、勝利、明治政府を作った。
けど、明治政府は幕藩体制を終わらせ、武士の世をなくしたろ。
武士という特権階級は仕事や役職をなくし、路頭に迷った。
武士のない現代の政治になったわけだが、武士は怒っちゃった。
何のために俺らは戦ったんだと、全国で武士が蜂起して政府に戦いを挑んだ。
これが西南戦争。
関が原で東軍が勝ち、倒幕で西軍が勝った。
その揺り戻しで東軍がまた西軍の本拠を反乱軍として挑んだ。
つまり、西南戦争は関が原から続いた戦争を最終的に終わらせた戦争なんだよ。
ここから近代化が急速に進むわけ。
江戸時代までの歴史と、明治から始まる歴史の分岐点。
211 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 08:57:23.21 ID:e8m/+cQJ0
地方の反乱が頻発するご時世は似てるな
維新塾と言うより私学校のほうがいい
212 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 09:00:00.43 ID:pjICrmLx0
そもそも照国神社の創建自体がそんなに古いものではない。
明治維新以降、薩摩藩尊王攘夷討幕運動の源となった島津斉彬公を祭神として創建された。
江戸時代には天台宗の寺院と東照宮があった所さ。
>>206 馬鹿だなあ、それはGHQへのあてつけであり、その当時のGHQの行動を昔の薩摩だと言い換えて追及を逃れているに過ぎない。
つまりその落語では、薩摩の人間がやったと言っているわけではない。君は解釈すら出来ない。
いや、しかしまあ、無知な奴らほどよく吠えることだわい
214 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 09:29:30.70 ID:jZYANLAYO
薩摩は関ヶ原の戦にそれほど思い入れはないよ。
216 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 10:02:37.82 ID:A4BWWicK0
薩摩のお陰で今の日本がある。
鹿児島の県民所得が低いのも、薩摩人が我田引水しなかった結果だ。
自分で言うのもなんだが偉いもんだよ鹿児島人は。
>>138 ヨーロッパなんて近代入るちょっと前くらいまでやってたよw
中国に至っては現代史初めくらいまでw
yはりJAPは劣等民族なんだということが改めてよくわかる
九州は地理的にも韓半島に近く原住民の精神的には誇り高く
清廉な大韓への帰属意識が強いとも言われている
219 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 13:42:01.88 ID:CYI7MYO70
_, ._
<丶`∀´>y─┛~~ クックック
220 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 13:44:58.43 ID:zwNBOaL/0
221 :
名無しさん@12周年:2012/05/03(木) 13:52:07.11 ID:bbcnUjx70
なんでチョンがわいてるんですかねぇ
>>81 そもそもその頃の野戦主力兵器は鉄砲なんだがな・・・
>>145 お前な、戦国時代には制札というものがあってな・・・・・・・
そんなものが必要なくらい略奪は発生したし、制札を掲げても略奪するDQNが大勢いたんだぞ
だいたい「刈り働き」とか「焼き働き」とか「乱取り」なんて言葉が何で出来たか考えてみろ
明治維新ってのはある意味宗教戦争だからな
勢い余った信仰の十字軍的迸りが征韓論なわけ
でも結局狂信は身を滅ぼす