【福島】放射性物質拡散データ消去した県職員、「書面訓告」のみ 原子力安全技術センターからのメール64通を削除

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76名無しさん@12周年
みんな、後はまかせた俺は生きて家に逃げ帰るb

原子力安全・保安院(上)震災3日後 独断で撤退
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120424/trd12042408160003-n1.htm
 1号機が水素爆発した昨年3月12日。原子力災害対策本部が置かれた首相官邸は
異常な雰囲気に包まれた。飛び交う断片情報に駆け回る関係閣僚や官僚。しかし、そ
こにいるべき重要な人物がいなかった。
 当時の保安院院長、寺坂信昭(59)だ。原子力規制を担う組織のトップで、原災本部
事務局長でもある。彼はその前日、つまり東日本大震災発生の当日午後7時すぎ、原
災本部初会合終了時には官邸を去り、保安院に戻っていた。
 「事務系の人間なので、私が残るよりも技術的により分かった人間が残った方がいい
と判断した」。