【政治】 与謝野馨氏 「関ヶ原で石田三成敗北は囲碁やらなかったから」

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570名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 00:25:43.72 ID:sYrNNzXBO
流石、裏切りの与謝野さんだ。
571名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 00:25:44.83 ID:vgOeTdNf0
家康は大小便ちびった小心者だよwww

真の武者とは、真田信繁や紹運のことを言う。

時代が下っても、名が残るどころかますます輝きを増している。

家康はどうか?(w 単なる取り込み上手な古狸ww

狡猾・悪知恵の働く単なる馬鹿w
572名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 00:27:21.89 ID:CYbP54Qt0
>>567
四大老って利家死んだ後は前田は徳川に屈服して関ヶ原でも東軍側に立って北陸で戦ってるけど?

そもそも、毛利が本気なら輝元が出馬しなければいけないが、大阪城から出てこなかったし
573名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 00:40:56.48 ID:4xlPdyIC0
>>1
大局を読めない碁打ちが何を言うかwwww
574名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 00:50:23.44 ID:KlOegMBE0
>>567
基本的に、家康に勝てるだけの部隊を動員できる大名家は他に無い。
家康は関が原に3万の旗本を率いて、さらに別働隊で中山道を秀忠が4万、さらに上杉への抑えに秀康を残している。

そして、小牧などを含め、東海一の弓取りといわれるような実績がある最後の実戦派の大名。

対する、三成は官僚であり実戦経験が無い。
さらに、毛利にしても元就はおろか隆景もいないので、実戦面では値しないと思われても仕方が無い。
上杉も景勝が実戦でどれだけかと言えば、家康に値するとは思えない。

当時の戦は、上に立つ指揮者が誰かが非常に重要。これは真田攻めでの秀忠の醜態を見れば明らか。
家康だからこそ、東軍が最終的に勝利するだろうと考えて味方したんじゃないかな。
575名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 00:50:52.95 ID:Juwz8SBeO
勝負勘を養うなら碁よりも麻雀だ。
576名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 02:37:33.41 ID:ZMPGSmeg0
>>574
毛利一族の動員力は徳川といい勝負だよ
関ヶ原の本戦に参戦した毛利一族は4万強、他の戦場や大坂の輝元本隊
を入れれば7万近い

関ヶ原で勝敗が決まると予想せず、長期戦に備えて様子見したのが失敗だった
577名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 03:28:49.53 ID:ratkkrsN0
暗愚の輝元は戦う気なかっただろ
578名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 03:59:46.43 ID:TFd4Vfh50
秀吉の朝鮮出兵のときの総兵力は日本軍(主に西国の軍)だけで15万以上
もっと大局的に見ると
なんで徳川が最終的に勝てたかは
朝鮮出兵時に徳川が何をしていたかを調べたらわかる
徳川は参戦せず蓄財し兵力を温存していた
西国が朝鮮と明(中国)連合軍と戦って弱体化していたから勝てた
579名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 08:09:29.03 ID:Juwz8SBeO
秀頼を総大将に出来なかったのが三成の敗因。
580名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 08:12:48.40 ID:chZ7bGNr0
>>567
> 何であんなにも勝てる保証が無いのに家康に味方したんだろ?

三成が大嫌いだったから。
581名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 08:13:14.68 ID:0YbUkBMh0
>>566
でも最後に笑ったのは高虎だったよ
当時から現在に至るまで、尻軽と言われてるけど
582名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 08:16:05.99 ID:YwNHmtLQO
原発が停止したら江戸時代に戻ると言った与謝野さん
5月6日に全部停止しますが江戸時代になるんでしょうか
石田光成は敗軍の将ですがあなたとは比較にならない立派な方です
583名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 08:17:35.34 ID:eg4CJlElO
与謝野の碁はトイレ行ってる間に碁石が裏切って色が変わるような碁なんだろうなw
584名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 08:21:35.40 ID:iXCS6b26O
>>581高虎の評価が低いのが解せぬよな。
戦国時代なんて家に着くより人に着いてかないと滅びる時代なんだからさ。
まぁ、後々の忠義の教育のせいだろうけど。
585名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 08:27:34.01 ID:0YbUkBMh0
>>584
細川も尻軽だけど、そう言われないんだよね
子孫も立ち回りは上手かったよね
さっさと消えたw
586名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 09:40:03.29 ID:Juwz8SBeO
碁打ちのつもりが単なる碁石だった与謝野さん。
587名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 10:21:51.40 ID:xdMG5dw60
裏切りが囲碁にあるとでも?
588名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:19:48.18 ID:MjR8RQZr0
>>455
初期の信長の野望や三国志の戦闘は今のグラフィック万能の作品から見たら将棋もたいだったよな
特に難易度を上げるとそうなった
三国志ならU、のぶやぼなら武将風雲録が好きだった
589名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:23:11.95 ID:Juwz8SBeO
呂布の裏切りっぷりには一種爽快感があったな
590名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:27:26.50 ID:ztClhDJ+0
>>1
布陣は西軍が圧倒的に有利だったやん
591名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:28:09.51 ID:MjR8RQZr0
与謝野の生きざまは囲碁よりも将棋の駒に例えたほうがお似合いだと思う
592名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:29:29.74 ID:ztClhDJ+0
>>584
戦国時代の当時から、忠義を尽くした人は評価されてたし
敵からも敬意を払われた例が多いで
別に高虎の生き方は否定しないが
593名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:31:52.24 ID:t/REACqiO
岡目八目
594名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:37:02.15 ID:fRiae4bGO
与謝野が民主党の大臣になったのはどういう布石だったのかご教授いただきたい。
595名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:40:19.01 ID:oWj8v4KeO
三成は戦下手と良く言われるけど、どの戦も布陣自体はかなり理想的、
凡ミスやら他の武将との連携が上手くいかずに負けてるから
将棋(戦戯盤)をやった方が良かったんじゃないか
596名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:41:17.13 ID:Juwz8SBeO
>>594
そりゃ「捨て石」に決まってる。
597名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:43:34.90 ID:LFbZF6PHO
昔スーファミで将棋やったとき、一手に数時間待たされたのには参った。
598名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 12:43:57.23 ID:UnMQNnCE0
もしチェスの神様同士で勝負したら絶対先手が勝つ。
囲碁ならコミしだい。6目半か7目半くらいで。
将棋なら多分勝負がつかない。千日手。
打てる手が有限な以上、いずれPCが最強になる。ルール知らない人でも力押しで全ての可能性を計算すればいい。
599名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 13:21:23.20 ID:OoE47zqj0
麻生時代にこの馬鹿を「よさのん」とか持ち上げてたアホと
こいつが菅に引っこ抜かれて大臣になった時に「ネトウヨプギャー」とかやってたクズは両方即時割腹すべき
600名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 13:25:50.28 ID:KOrba/dU0
囲碁が出来ると自慢しても、政治に生かせてないじゃん。
定石から外れたとき、いかにフォローできるかが本当の勝負師だと思う。
601名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 13:38:44.72 ID:8a7GDafH0
与謝野の民主党行きは囲碁の途中でオセロルール使ったってやつだろ?
囲碁がオマエの得意技だって言うならバーチャファイターで勝負しろ!
602名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 13:45:20.66 ID:pE9XFjfSO
羽田よりはましだわな。ちゃんと仕事してっから。

603名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 13:48:22.11 ID:jNH/Bs6A0
>>567
戦略的には、上杉を分断できたこと。これに尽きる。

上杉と毛利が戦場にそろっていたら、戦う前に東軍は崩壊していた。
604名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 15:28:55.40 ID:J2VgjNPv0
将棋と囲碁と戦は別物だろうが
戦略性面でも将棋囲碁で考えてたら応用利かないガチガチになるだろ
605名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 15:31:04.57 ID:zRIaOsXi0
>>604
その通り。
戦はターン制じゃない。
606名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 15:32:50.70 ID:OqTR9dXF0
>>2
>その三成が碁を愛した家康に関ヶ原で敗れたのは必然だったと思えてならないのは、
>碁好きの穿った考えかもしれませんがね(笑い)。

これがどうして、このスレタイになるのか、なんだかなー
記者は楽しんでるだろ、ほれ釣れたーとか
607名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 19:12:52.28 ID:8O/GdOIh0
東アジア外交は囲碁の論理でやればかなり丸く収まる
あっちをあげるからこっちをちょうだいな精神。微妙な差異の評価を各自判断する
608名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 20:03:51.23 ID:CYbP54Qt0
>>603
俺も同意。ドイツ人参謀は、むしろこの地政学的奇跡のほうに、着目すべきだったんじゃないかと思う。

東は茨城の佐竹から、北の会津上杉、ぐるりと回って西は滋賀の石田本隊に至るまで、
西軍は、家康の本拠地である南関東を、完全に袋小路にする形で、
きれいな地政学的包囲網を敷くことに、ほぼ成功しつつあった。
関東地方は、地政学的には、本州の「南東にはみ出た半島の端」になっていて、
実は逃げ場が無い、地政学的に脆弱な地形だ。
もちろん伏見など事実上の拠点はいくつもあるが、この時点での徳川の本拠は明らかに関東。
普通に考えれば、「江戸の徳川はどうみてもオワタ」としか思えない状態。

これを一つ一つひっくり返していきつつ、徐々に石田を追い込んでいき、
最終的には、「大陸対半島」という、地政学的に勝者自明の戦いではなく
「東西決戦」に持ち込んでいくところに、家康の策略外交の真骨頂がある。
609名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 20:55:20.00 ID:TYkl69xH0
>>603 ただ上杉も 背後に伊達と最上がいるから簡単に動けないぞ

領地が 堀と最上と伊達に奪われる覚悟で江戸を攻撃したらおもしろかったが
610名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 20:56:42.46 ID:bH6FVN5L0
勝敗にそんなもん関係ねぇよw
家康が秀秋の心情を上手く利用した
光成はそこまでの外道になりきれなかった
それだけの事
一番の外道が戦国時代を勝ち残っただけ
611名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 21:01:16.54 ID:ZJ829YtR0
自衛隊も囲碁するか
612名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 21:02:43.25 ID:vgOeTdNf0
真田は強かったが、総大将の器ではなかったな。野望があれば真田時代現出も可能ではあったかな?
613名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 21:05:00.00 ID:AWyGs/itO
直江山城守が密かに出陣して
関ヶ原着陣し、三成と共に指揮していれば1日で大敗し壊滅していなかった
614名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 21:10:25.15 ID:NFTZr/B70
>>12
空手形なら裏切り糞野郎秀秋も関白の条件ついてたよ
朝鮮出兵のとりなしの時点で三成の勝ち目はかなり薄かった


むしろ囲碁将棋で頭鍛えてるだけじゃあ駄目な例の典型>関ヶ原
615名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 21:17:18.87 ID:TVp3F83o0
夏の陣で信繁が家康の首を上げていたらなぁ〜
惜しかった。。
616名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 21:32:36.46 ID:nOoY2zch0
アル中でも棋聖なのが囲碁
変態でも名人なのが将棋
617名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 21:51:28.91 ID:D7LKtRic0
>>4
兵と陣地という目に見える碁盤ではなく
勝敗を決した布石は政治という目に見えない碁盤の上でなされていたんだよ
618名無しさん@12周年:2012/04/16(月) 22:54:25.75 ID:IDRJBz4f0
>>616
合っているけど、二行目は確実に誤解を生むな。
619名無しさん@12周年
>>609
東軍が上方に引き返した途端、伊達が上杉と休戦して
同じ東軍の南部にちょっかいを出した
だから家康の姻戚で上杉との戦いに参戦したにも関わらず
戦後の論功行賞で何ももらえなかった
上杉も徳川伊達の脅威がなくなった途端最上に手を出したし
もし上杉の主力が佐竹と連携して徳川領に雪崩れ込んだら
関ヶ原はなかったかも