>>55 は〜い、東京書籍の教科書は、子供を教育するにふさわしくない「特別なもの」であることが証明されました。
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読売新聞2002年8月15日付 社説 歴史をすなおに見直したい
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/iitaihoudai/a0108.htm 他方で、東京裁判中は、英、仏、蘭によるアジアヘの再侵略も「同時進行中」だった。
オランダ軍がインドネシア独立軍と停戦協定を結んだのは、東京裁判終了の翌49年である。
ベトナム北部のディエンビエンフーでフランス軍が降伏したのは、54年になってのことだ。
第二次大戦で、日本はアジア「諸国」を侵略したわけではない。当時の東アジアには、
中国、タイのほかは、米、英、仏、蘭などの植民地しかなかった。大戦突入以前からの
日中戦争の継続局面を除けば、日本はこれら「欧米諸国の領土」に侵攻した、という戦争である。
2006年5月2日付・読売社説(1)
[東京裁判60年]「戦争責任糾明は国民自身の手で」
http://iitaizou.at.webry.info/200605/article_13.html 同じく「日本の侵略」を裁いた英仏蘭も、アジア「再侵略」の最中だった。オランダが
インドネシア独立軍と停戦協定を結ぶのは、東京裁判判決の翌年、49年だ。フランスは、
54年の軍事的大敗までベトナム再侵略を諦(あきら)めなかった。