【論説】 「『身内が殺されても死刑廃止と言えるのか』と言う人に疑問。当事者でないのに。君が厳罰化の犠牲になるかも」に批判殺到★2

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・29日、ダイヤモンドオンラインが『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と書いた
 人に訊きたい』と題し、死刑制度廃止論者への反論を掲載し、ネット掲示板で話題になっている。

 同記事では、映画監督やテレビディレクター、作家活動などで活躍している森達也氏が、
 以前に番組で死刑廃止論者と対談をした際、それ見ていた視聴者たちから「被害者遺族のことは
 考えているのか」「身内殺されてもこんなこと言ってられるのか」「死刑制度がある理由は被害者
 遺族のためだ」と批判が殺到したことを記事内で取り上げ、「そう言い切る人たちは、もし遺族が
 いない天涯孤独な人が殺されたとき、犯人が受ける罰は軽くなっていいのか。

 当事者じゃないのに本当に被害者遺族の思いを想像できているのか。それを言うのは不遜であり、
 自分の想像など遺族の思いには絶対に及ばないことに気づくべきだ」と投げかけた。

 記事を受け、ネット掲示板には「死刑廃止派こそ、犯罪被害者の当事者でもないのに何を言ってるんだ」
 「日本の社会問題なんだから日本国民は当事者」「本村さんの前で同じこと言ってみろよ」と、記事に
 対する反発が相次いだ。

 さらに「人を殺したなら罰をうけるのは当然。被害者遺族に復讐させないために法がある」
 「死刑賛成という圧倒的な民意があって、それに従った法律があるだけだ」「自分の家の隣に
 殺人者がいるとか想像したくもない」など、死刑の必要性を主張する意見が多数寄せられる
 結果となった。
 http://news.livedoor.com/article/detail/6418897/

※元ニューススレ(詳細は>>2-10に)
・【論説】 「『身内が殺されても死刑廃止と言えるのか』と言う人に疑問。当事者じゃないのに。君達が厳罰化の犠牲になるかも」 森達也★5
 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1333084803/

※前:http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1333093790/
2名無しさん@12周年:2012/03/31(土) 00:33:04.62 ID:PnFVOgw20
>>1の元となった論説の詳細

・勝間和代がホスト役を務める対談番組「デキビジ」に出演した。テーマは死刑制度。勝間は
 自分が死刑廃止論者であることを、とても率直な言い回しで僕に語った。
 なぜこの国は死刑を廃止できないのでしょうと何度も訊ねてきたけれど、答えることはできなかった。
 だって僕もその答えを、誰かに訊きたいといつも思っているのだから。

 この番組はオンエア前に、ニコニコ動画でもライブで配信された。
 その後のネットやツイッターには、勝間と森に対して、激しい批判が次々に書きこまれた。
 いや批判ではない。ほとんど罵倒だ。

 「この人らに聞きたい。被害者遺族のことは考えているのか?と」
 「身内殺されてもこんなこと言ってられるのかね こういう人達は」
 ほとんどがこのトーンだ。つまりはこれが、日本の死刑制度存置を支持する9割近い人たちの
 本音ということになるのだろうか。

 ならばまずは、「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と言い切る人たちに訊きたい。
 もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽く
 なってよいのだろうか。
 死刑制度は被害者遺族のためにあるとするならば、そういうことになる。だって重罰を望む遺族が
 いないのだから。ならば親戚や知人が多くいる政治家の命は、友人も親戚もいないホームレスより
 尊いということになる。
 つまり命の価値が、被害者の立場や状況によって変わる。ならばその瞬間に、近代司法の
 大原則である罪刑法定主義が崩壊する。

 でも不特定多数の殺傷を狙ったオウム真理教による地下鉄サリン事件以降、自分や自分の
 家族も被害者になったかもしれないとの危機意識が刺激されたことで被害者遺族への注目や
 関心が急激に高まり、共有化された被害者感情は罪と罰のバランスを変容させながら厳罰化を
 加速させ、民意から強いバイアスをかけられた司法は、原理原則よりも世相を気にし始めた。
 なぜなら世相が望む刑罰より軽い判決を下したら、今度は自分がバッシングされるのだ。
 裁判所内の出世にも響くかもしれない。こうして厳罰化はさらに加速する。つまりポピュリズムだ。(>>3-10につづく)
 http://diamond.jp/articles/-/16819
(>>3のつづき)
 次に「被害者遺族の身になれw」と書いた人に訊きたい。ならばあなたは、本当に被害者遺族の
 思いを想像できているのかと。
 自分の愛する人が消えた世界について、確かに想像はできる。でもその想像が、被害者遺族の
 今の思いを本当にリアルに再現しているとは僕には思えない。あなたはその思いを自分は本当に
 共有していると、胸を張れるのだろうか。ならばそれこそ不遜だと思う。

 被害者遺族の思いを想像することは大切だ。でももっと大切なことは、自分の想像など遺族の
 思いには絶対に及ばないと気づくことだ。犯人への恨みや憎悪だけではない。多くの遺族は、
 なぜ愛する人を守れなかったのかと自分をも責める。その辛さは想像を絶する。その思いを
 リアルに想像することなど、僕にはできない。とてもじゃないけれど、「遺族の身になれ」などと
 軽々しく口にはできない。

 その前提を置きながら「自分の身内が殺されてから言え」とか「自分の子どもが殺されても
 同じことが言えるのか」と書く人に言うけれど、もしも僕の身内が誰かに殺されたら、僕はその犯人を
 激しく憎むだろうし、死刑にして欲しいと思うかもしれない。当たり前だ。だってそのときの僕は当事者に
 なっているのだから、スタンダードが変わって当然だ。

 でも今は当事者ではない。当事者には当事者の感覚があるし、非当事者には非当事者の感覚や
 役割がある。もしもあなたの友人が、「身内をアメリカ兵に殺されたイラク人の気持ちを想うと
 アメリカが憎くて仕方がないので報復してやる」と言ったなら、あなたはきっと「だけど現実におまえは
 イラク人でもないし家族をアメリカ兵に殺されてもいないじゃないか」と止めるはずだ。

 もう一度書く、僕は今、被害者遺族ではない。もしも遺族(当事者)になったなら、今とは違うことを
 考えるかもしれない。でも今は非当事者だ。だから今思えることを思う。

 そのうえで、光市母子殺害事件について、ひとつだけ思うことを書く。生後11ヵ月の夕夏ちゃんの
 頭を、元少年が床に叩きつけたとの事実をめぐる認定だ。
 確かに無期を宣告した一審・二審では、「幼児を頭上から思いきり床に叩きつけた」などと
 事実認定がなされている。(>>5-10につづく)
(>>4のつづき)
 生後11ヵ月の幼児の頭を思いきり床に叩きつけるなどまともな人間のやることじゃないと誰かが思う。
 こうして元少年は生きるに値しない鬼畜であり、更生などありえないとの世相が喚起される。

 でも当時作成された夕夏ちゃんの遺体鑑定書には、実のところ「頭部に損傷無し」と
 記述されている。当然生じるはずの頭蓋骨骨折などの痕跡はなく、損傷もまったくないことが
 認められた。つまり「頭上から思い切り叩きつけた」は、検察が作り上げた虚偽の事実なのだ。

 差し戻し審弁護団からこの事実を突きつけられた広島高裁は、最終的には判決文に
 「被害児を後頭部から仰向けに思い切り叩きつけたとする旨の供述部分は信用できない」と、
 検察官調書を否定する記述を載せた。
 ただしその後には、「被告人が、中腰の格好になった状態で、同児を床に叩きつけたと推認
 するのが合理的である」と続いている。つまり押入れ上段から引きずり出した夕夏ちゃんを、
 中腰の格好で叩きつけたならば、大きな損傷がないこともありえるという理屈らしい。
 根拠は元少年のかつての供述と、頭部の3つの皮下出血だ(幼児は皮下出血を起こし
 やすい。もちろん致命傷ではない)。明らかに苦肉の策だ。
 でも少なくとも、「床に思いきり叩きつけた」との事実認定は変わっている。ところがメディアは
 相変わらず、「床に思いきり叩きつけて」を、臆面もなく使っている。こうして殺意や計画性が
 作られる。そしてこの裁判において殺意と計画性の有無は、死刑と無期とを分ける最重要な
 ポイントだった。

 判決翌日、多くの識者やジャーナリストが、凶悪化と増加の一途をたどるこの国の少年事件に
 厳格な姿勢を示した判決などと述べた。これもまったく事実無根だ。少年事件は一般の
 殺人事件と並び、毎年のように戦後最少を更新している。
 こうして虚偽の事実がメディアによって消費され、人々の意識が変わり、制度が変わり、
 法が変わる。それによって損害を受けるのは、「被害者遺族の身になれw」とか「自分の
 子供が殺されても同じことが言えるのか」などとネットに書きこんでいるあなたかもしれない。
(以上、抜粋。ソースはかなりの長文です)
6名無しさん@12周年:2012/03/31(土) 00:36:21.57 ID:LhD4AkCr0
人を殺した者はその命を以て償うしかない。
ただ、殺された者に殺されるだけの正当な事由がある時は、その罪を軽減すればいい。
「厳罰化の犠牲」とは、ちゃんちゃら可笑しい。
7名無しさん@12周年:2012/03/31(土) 00:36:44.97 ID:/obMeK1I0
どんどん死刑にすべきだし、ドラえもん弁護士みたいのは弁護人すら死刑にすべきだと思う、司法を冒涜している

でもリベンジ殺人って起きたためしがないね、凶悪事件、遺族が悲しむ事件は毎日のように起きていて
職場の雑談でも「自分の子供がこんなころされ方したらぜったいに許せない、俺が犯人を、、」とかよく言うけど
リベンジで殺したなんて記憶にまったくない

なぜ?
8名無しさん@12周年:2012/03/31(土) 00:41:35.33 ID:g6lvO+VB0
アンタ死刑因の関係者なの????アホみたいな事言うなよ!恥ずかしい
9名無しさん@12周年:2012/03/31(土) 00:43:13.63 ID:tb7qcc8O0
死刑制度は決闘や復讐を極力なくすために
それらの代償として国が代わりに罪を審議して公正に行う
言うなれば、決闘や復讐代行であり、それにより復讐や恨みが無限に
続かないとか社会の混乱を抑えることができた。また、復讐に必要な
銃器を所有する必要がなくなって、社会は安定した。

死刑を失くすことは構わないが、死刑以外で国民が復讐の代行として
認め満足するかどうかにかかっており、できない場合は社会の混乱をもたらす。
10名無しさん@12周年:2012/03/31(土) 00:44:47.32 ID:nkRGiw+rP
殺人犯が人殺しをしなければ死刑判決はでない
死刑をなくせと言う前に、人殺しをするなと何故言わない?