【話題】 「歴史や過去から謙虚に学べ」・・・旧街道や宿場町には津波被害なし
1 :
影の大門軍団φ ★:
津波で大きな被害を受けた仙台平野では、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って
止まっていることが確認されている。つまり、江戸時代の人々の日常には、現代より何倍かリアリティをもった
地震への対応が織り込まれていたと、作家で五感生活研究所の山下柚実氏は指摘する。
以下は、山下氏の解説だ。
東日本大震災から1年。以前には、顧みられることが少なかった古地図や土地にまつわる古い伝承。
しかし、過去の歴史の中にさまざまな防災のヒントがある、ということがわかってきて、
「歴史や過去から 謙虚に学べ」という気運も少しずつ高まってきているようです。
たとえば、歴史街道は津波に浸水しなかった、という事実。
「津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、
東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された」(毎日新聞2011年4月19日)。報道に驚いた人も少なくないでしょう。
古い街道は、「過去の浸水域を避けて」作られていた可能性が高いことが調査で明らかになったそうです。
東北大・平川新教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と指摘しています。
あるいは地名。これも驚きです。『この地名が危ない』(楠原佑介著)等によれば、
「倉」の語源は「刳(く)る」。「地面がえぐられたような地形」を示し、波がえぐった土地の痕跡が地名に残っているのだとか。
あるいは「鎌倉」の「かま」。かまどや釜からきたということで、穴のようにへこんだ土地を指す。
鎌倉は、振り替えれば繰り返し大きな地震や津波に襲われてきた場所だとわかるのだとか。
こうした指摘は、噛みしめれば噛みしめるほど深い。「想定外」と簡単に言いますが、すでに「想定」されていた、という証に他なりません。
http://www.news-postseven.com/archives/20120322_96529.html
2 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:14:36.46 ID:fHTBTN6w0
在日連呼リアンって自分の国の文字も読めないんだろ?w
さらに日本的な偽名まで使っておいて祖国の誇りとか(笑)
3 :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2012/03/22(木) 16:15:21.38 ID:TFsayk9R0
∧_∧
<丶`∀´> ∧_∧
/ \ ( ) お前が言うな!
.__| | .| |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ 馬鹿か? \| ( )
| ヽ \/ ヽ. 日本からさっさと出てけ
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
4 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:15:57.13 ID:11jB91hh0
連呼リアン「歴史は学ぶものではないニダ!捏造するものニダ!」
津波が来なかったところが結果的に残っただけ
結果論でしかないな
6 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:17:52.39 ID:3qd1TAiq0
地名に池とか沼とか潟とか汐とか三ズイがあるところに家を建てるなよ
7 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:17:57.62 ID:V2VzHzMo0
8 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:18:40.65 ID:LGaEdV+k0
ある意味現代人はバカだからな。
ピラミッドを今のクレーン使ったりして
作れるのか?なあんて考える必要なし
単純な方が効率もいい。
9 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:18:58.93 ID:XdDc2J6R0
過去の歴史を嘘捏造してるのは国じゃねえかよ!
奈良時代の道路復活させようぜ。幅10数メートルあったらしい
埋め立てしてるからじゃないの
_
,r"´ ̄  ̄`ヽ、
.r'´ ヽ
,l 碑念記浪津大 l、
! !
l 此 想. 高 !
l 家 処.大 へ.児 き |
! を よ 津 惨 孫 住 !
/ 建 り 浪 禍 に 居 j
l て 下 の 和 は l
| る に 楽 j
! な |
! |_ .. __ ..._ .____
この記事あほ過ぎ
14 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:20:43.12 ID:BV7DumdTP
>>7 そこは他に造りようがなかったと聞いているが...
東北には主要都市が海岸近くに無かっただけだろ、これ。
高知の55号線沿は昔からの街道と余り変わらないところにあるが、南海沖地震が来れば思いっきり沈んじまうぞ?
17 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:22:35.54 ID:rZGqdHYD0
そもそもみちのくなんて人が住む場所じゃなかったんだから
18 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:22:40.33 ID:Q9OsY8Sq0
また 記念碑建てて水没すんのか
猿以下だな
>>12 これがあったのに建てちゃったもんね
「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ってやつですね
そんな流れで国民大半がバカだから、また民主に投票する人もいっぱいいるんじゃないかと思う
20 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:23:55.63 ID:RUnyH1gi0
「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな」
御先祖様が子孫に同じような辛い思いをさせないように、必死に警告してくれてるのに無視するからだ
>「歴史や過去から 謙虚に学べ」
本当その通りだよ 謙虚さって大事だよ
21 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:24:09.04 ID:RvI9h1mJ0
>14
造りようがないんだったら、造らないでおけばいいだけのことじゃないか。
自然に勝とうなんて、どだい無理な話なんだ。
あの有名な梶川センセーは相変わらず人工地震だと騒いでるが、
きっかけは人工でも、地震や津波は自然のパワーそのものだ。
22 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:24:47.11 ID:7xpuSf900
昔のほうが海が入り込んでたせいじゃね? 戦国時代には大阪城あたりは
海辺だったそうじゃないか。今は海が後退してるから結果的に昔の
宿場町は高台になったということでは?
23 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:25:33.04 ID:cvXSj7hx0
日本人が歴史や過去から学ぶ民族かね。
24 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:26:18.70 ID:jFO7IM7k0
今回の津波の到達点沿いに桜を植えるらしいよ
先人sugeeeeeeeeeeeeeeeee
26 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:27:28.58 ID:X4qVxvUD0
>>1 先人の教えを無視して勝手に海沿いに住んだバカが多かったんだよ
27 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:27:42.27 ID:7xpuSf900
>>23 歴史学者は学会での地位を上げるための努力や研究はするが、
歴史から教訓を得るための研究はしてないからね。
>>15 普通に考えたら古代の主要都市は物流に有利な海沿い川沿いにできるんだよ
29 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:27:55.70 ID:zAuXjC7F0
実際、津波来たとこに家建てようかもう迷ってるよね?つーかもう建ててるよね?
これより下に」家建てるな言うとるやないか
31 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:28:20.50 ID:DovfOzPC0
つまりノアの箱舟のときの大洪水は歴史的事実だった可能性が。。
もう原爆おとされたのも忘れてる
大半のひと
33 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:29:12.30 ID:0G+V54cyP
>>15 仙台平野の海沿いは、1000年前の貞観地震以来ずっと荒れ地だったんだと。
やっと塩分が抜けて江戸時代に新田開発したら、今回またやられたと。
津波がしょっちゅう来るところは付近が農耕に適さないから、
自然と都市が育たないということらしい。港町は別。
34 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:29:20.36 ID:TEMu4T030
昔の日本人はすごかった。
歴史上の人物を見ても、今の日本人からするととても想像がつかないほどすごい人がいっぱいいた。
今は当時よりも人口も増え、教育の機会均等も保障されている。
にもかかわらず、昔のような英雄豪傑が出てこない。
なんでかなあ。
てか、国家の緊急事態の会議で議事録を残さない国だもの。戦争にも負けるし、国民も命も露と消えるわ
東海道はそうでもないだろ。由比とか明らかに無理。
漁村で働いているせいで先祖代々地震と津波で被害を受けてきた岩手の親戚は準備ができてたから何の被害もなかった
家は海から近いが高い場所に建てているから家は大丈夫だったし、毎晩寝る前に避難用の靴と着替えと袋を枕元に置いてから寝る
これを18の不良娘から80すぎのおばあちゃんまでが徹底してるから、地震の時も慌てないで避難できた
準備をするってのは大事なことですわ
38 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:30:25.91 ID:AXLHz/Vu0
津波で流されたから昔の街が危険な場所に無いだけなんちゃうの。
39 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:30:48.62 ID:fwCHora70
>>28 まさか仙台がやや内陸にあるのはその為か?
あの辺の地形だと、松島湾の辺りが栄えそうなんだよな
40 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:30:58.57 ID:pMW6otLqO
昔の低地は湿地帯で人が住むような場所じゃなかったし、
集落は扇状地扇端部の湧水地帯にできるから、
街道もそこを通るように作られるんだよ。
津波が来なかったのはたまたまだ。
下んねぇ記事だな。
宮城は1611年の慶長三陸地震(M8.1) という20m級の津波のあと、伊達政宗がわざわざその津波の被害逃れた波打ち際まで街道を内陸にずらしたからこそ、旧街道が被害受けなかったってのは、宮城県じんじんには常識なんだけど。。。
なんか今頃こういう記事を見ると、くだらんとしか思わんわ。
42 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:31:41.26 ID:7xpuSf900
>>28 飛鳥や奈良は例外だな。大津も物流には向かない。京都も
淀川があるけど海までは遠いしなぁ。
>>22 なんで海岸線が後退すると元々の場所が高台になるんだよw
44 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:31:57.88 ID:rZGqdHYD0
>>34 そりゃ字も読めないようなバカが大半だったんだから、統治するのも容易い
45 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:32:01.77 ID:Afk2JtXo0
まぁそこの土地の高低差とかが今も残っていればいいけどな。
場所によっては、土地を開いて均してしまった後なら
そんな昔のデータなんて通用しないだろ?
46 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:32:07.51 ID:AwFn7qIU0
江戸時代にできた陸前浜街道は無傷だが
明治時代にできた常磐線はいまだにズタズタ。
江戸時代の日本人はおりこうさん。
明治時代の日本人はバカ。
47 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:32:30.47 ID:0G+V54cyP
48 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:33:13.37 ID:mWtB0/nT0
昔沼地だったようなところは今や調べないとわからないからな。
お寺や有名建物があるようなところは安全じゃない?
49 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:34:16.71 ID:fwCHora70
岐阜県在住の俺は津波対策の必要はないのだろうか・・・
50 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:34:26.89 ID:jXKgU/8q0
たぶん戦後の混乱期に朝鮮人が住み始めたのだろ
51 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:35:09.41 ID:7xpuSf900
>>43 そりゃ内陸に向けて標高が高くなってるからだよ。同じ標高なら
海岸線は変わらんだろ。
52 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:35:30.74 ID:Afk2JtXo0
53 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:35:58.99 ID:CrCCHfbM0
日本は反省していない
54 :
◆65537KeAAA :2012/03/22(木) 16:36:50.70 ID:q1X+/NYa0 BE:104372148-PLT(13000)
東部道路の存在を無視すんなよ?
55 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:37:14.80 ID:fwCHora70
>>42 大津は物流拠点だよ、琵琶湖の水運で運ばれてくる東国や日本海海運での物資が集まっていた土地
>>51 ならねーよw 同じ標高のまま低地に堆積物が積もって海岸線が後退する
>>51 釣りか? 氷河期じゃあるまいし、海抜は変わってないだろ。
>>49 1891年10月28日濃尾地震(M8.0)。内陸直下型としては理論上最大限と想定される
当時の東京での新聞記事の第一報「ギフナクナル」。。。
59 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:40:57.71 ID:pMW6otLqO
>>44 江戸時代の識字率は今とほとんど変わらんぞ。
農村にまで寺子屋あったからな。
60 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:41:24.31 ID:7xpuSf900
>>56 それは古代じゃないね。大津から敦賀に出ようと思えば山を越えて
運ばないと行けないし、大阪や京都に出ようとしても山科を超えないと
行けない。琵琶湖疎水も無い頃は陸から運ぶ。
貞観地震前の多賀城に至る街道は、津波の被害を受けて、今のルートに変更になってるから…
江戸時代はそれを引き継いでいるだけ。
>>49 香川在住の俺には津波は全く関係のないことだがな
東南海沖地震が起きても津波は満潮時で2メートル、しかも到達時間は揺れてから2時間後
歩いてたってどこにでも逃げ出せる時間ww
福島の大部分は旧来「岩代国」と言われ、地盤が堅くて
地震に強い土地だと地元民に思われてきた。それが今の有様
64 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:45:33.27 ID:+3rncpb+0
大地震がたびたび起こってる江戸に幕府があった時点で何の説得力もないなw
65 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:45:40.14 ID:xdVHWFs10
>>東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された
こいつの教授人生は終わったと言うことで
江戸時代のことについてはタモリがくわしいよ
67 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 16:46:51.80 ID:7xpuSf900
>>63 地震には強かったんじゃない? 津波と原発事故には弱かったけど。
>>1 嘘。移転した宿場町だらけだし、街道も津波の被害受けているわ。移転したのに、100年たったら、また元の場所に宿場町が戻ってしまった所も、浜名湖にはあるし
■「東海道など昔の道は津波を受けない場所に作られている」と言う人がいるが、それは嘘
静岡県浜松市にある舞浜の現在の関所は、安政東海地震の津波で、以前の関所が浸水し、現在の場所に移転された。この津波による被害の絵が残されており、船が陸地にまで来ている。そう、東日本大震災みたいに。
■室町時代(1498年・明応7年8月25日)の明応地震の痕跡を、浜名湖に見ることが出来る。《今切口(いまぎれぐち)》だ。
室町時代初期、浜名湖は直接、海とは繋がってなかった。今切口は無く、浜名湖から流れる川が海にそそいでいた。
明応地震の前、浜名湖の畔(ほとり)には「橋本宿(はしもとしゅく)」という宿場町があった。旅人は長く続く松林の砂州(さそう)を歩き、湖に架る橋を渡って橋本宿へ。
◆東関紀行(鎌倉時代の旅行紀)
「橋本といふ所に行きつきぬれば、聞きわたりしかひありて、けしきいと心すごし(中略)
須崎遠くさし出て、松きびしく生ひつづき、湖に渡せる橋を濱名(はまな)となづ(名付)く、ふるき名所なり」
しかし、明応地震の津波が美しい海岸線を破壊。風光明媚で知られた橋本宿も一夜で消えた。
その場所は、明応地震ののち「今切口」と呼ばれ、海を舟で渡る街道となった。
■参考
◆徹底検証!静岡を襲う巨大地震[SATV 2011/11/06]
>>1 被災直後の野田村を観た時は、マジで痛感したよ
正に愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶだわ
ついでに普代村の水門も観れて、感動したわ
>>68 ■明応地震の記録が、静岡市清水区村松の日蓮宗本山の一つ「海長寺(かいちょうじ)」にある。寺の宝物庫に保管されているのは、静岡市指定文化財の「日海記(にちかいき)」。
9代目の住職に非常に近い人が、23歳の時に修行している途中で、和尚さんが地震と津波で亡くなっている。その惨状を後世に遺そうと作った。
今から、約500年前に書かれた「日海記」。1000年に一度という津波の姿が、そこに記されていた。
明応地震(8/25)の前日、海長寺の8代目住職だった日円(8世、にちえん)は法事のため、焼津市小川(こがわ)にあった上行寺(じょうぎょうじ)に出向く。
(※現在の上行寺は、昭和時代に移転したもの。元の場所には、参道の名残である路地が残る)
しかし、地震による津波で寺は流され、日円も命を奪われた。
日海記には「大浪は大地動く時これあり」とも書かれ、『「津波は地震と同時に起こる」と後世へ警告する』。
◆「明応に小川(こがわ)の末寺に災害が起こった。『8月24日に地震があって』、25日の辰の刻(午前8時頃)に大地震。
希代不思議の前代未聞のことだ。大波が競って来て、海辺のお堂や仏閣、家や草木、牛馬や家畜など、皆ことごとく流され、死んでしまった」
■参考
◆静岡を襲った巨大津波[SATV 2011/10/12]
■→震源が沖合130kmと陸地から遠く、津波到達が30分後だった東日本大震災とは違い、「5分前後」ですぐに到達する。
東日本大震災の揺れは「5分間」続いた。
東海・東南海・南海の3連動地震の場合、「揺れの強さ」そのものは変わらないが、「揺れの継続時間」が長くなる。
つまり、激しい揺れとほぼ同時に津波到達。『最悪、激しく揺れている間にも、津波がやって来る』ということ。激しく揺れている間は避難できない。
◆5分で避難できる距離[2011年 静岡県焼津市の避難訓練の結果]
▽20代主婦と幼児…402m ▽高齢者…189m ▽杖や車椅子が必要な人…38m ▼平均…212m
>>57 川や海による浸食、堆積で、土地の標高は変化する。
あと房総半島南部は、関東大地震と同じタイプの地震ごとに隆起してる。7〜8千年前から比べると、30mぐらい高くなっている。
その時代から海水準は5〜6m低下していることを差し引く必要はあるが。
>>70 ■静岡県焼津市(5分で津波到達)の津波到達地点
▽『200年に一度の津波』、安政津波・限界線(1854年)…1km(焼津市役所の辺り)
▽『1000年に一度の津波』、明応津波・限界線(1498年)…3km(標高6.3m)(現在の国道150線を超えた辺り。新幹線、東海道本線、JR焼津駅も超える)
2011年から約30年前、焼津市の史編纂をしている人が調べた。焼津市の各場所の伝承を、全て折り込んだもの。
海岸から2.5kmの不動院付近(焼津市三ヶ名(さんがな))には、「明応地震の津波で大舟の親柱が流れ着いた」という言い伝えがある。
◆不動院近くの住民「(今は住宅が建ち見えないが)昔は、台風の時には、家から波が見えた。堤防に当たって上がったしぶきが。
“ごんなみ”という所が、この近くにあって、そこまで来たとか」
証言に基づき、ごんなみ地区に向かう。今の地名は、五ヶ(ごか)堀之内。
地図にも載っていないため、詳しい場所がすぐには見つからず、しばらく周辺を歩くと、遂に証言を裏付ける話が…
◆五ヶ(ごか)堀之内の男性84歳「“ごんなみ”とか“うたり”とか、そういう名前の場所が近くに残っている。
(Q:やはり、昔この辺りに津波が来たから?)そうだね。
(Q:ごんなみとは、漢字ではどう書くのか?)五つの波だね」
>>42 京都は割と水運が発達していた大阪・堺で海運船から川船に積み替えて京都には
川沿いを綱で引いて人力で遡上、かなり後になるけど琵琶湖まで水路とインクラインで琵琶湖まで繋いでいた
堺からは大和川経由の奈良方面もあった
鉄道以前は大量輸送と言えば船、それなりに色々考える
ウチの田舎、三陸の漁村だが、明治以前に建てられた家はほとんど被災してない。
流されたのはみんな昭和以降に建てられた家。
75 :
◆65537KeAAA :2012/03/22(木) 16:58:59.79 ID:q1X+/NYa0 BE:26093524-PLT(13000)
>>59 さすがにそこまでは高くない
都市部で7〜8割、農村部だと5〜6割ってところだろう
それでも同年代の他国に比べれば驚異的な識字率ではあったけど
>>68 >>70 >>1 を読んで、先人は津波の経験がなかったのに
その被害を予知して街道を敷設したって考える人がいるんだろうか。
>>1 が言ってることは、
>>68 にいくつか例があるように
津波の被害を受けた後、それを教訓にして移転したところが
多いってことだけで、別に「嘘」だとは思わないが。
鎌倉大仏殿が津波で流されている件は?
79 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:04:41.73 ID:AQBM3fos0
>>73 皇太子に聞けばいいのに
そういった分野が専門だったはず
80 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:05:31.17 ID:7xpuSf900
>>73 それは江戸時代から明治時代やね。インクラインも経済の中心が
東京偏重になるのを危惧して明治時代に作られたけど、あまり
効果的だったとは言えないしなぁ。貿易や物流の面から言えば
京都より本来、秀吉がやったように大阪に都を置くのが合理的かと。
でも古代〜中世は防衛や都造りのしきたりみたいなのもあって
そうは出来なかった事情もあるのだろう。
そんなこと言っていたら日本で住める陸地なんて無いんじゃない?
災害全てという意味で
鎌倉大仏殿が津波で流されたっていうのはガセだけどね。
その流されたなる大地震津波の前に訪れた人間の、鎌倉大仏には堂宇が無いと書かれた紀行文が、ちゃんと残ってる。
83 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:10:07.24 ID:qRUJS3is0
まぁ、古来から
水っぺりに住むのは賎民と相場が決まっているからな
今はバカスィーツをだまくらかして
浦安なんかのクソ地をふざけた値段で売ったけど
ちゃんとしてる人間は手を出さなかったし
85 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:15:43.00 ID:5PsEjGkj0
>>82 え
流された後だの傷だのどこまで流されただの、普通に紹介されてるよ
あれ全部ガセなのかwwww
86 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:19:20.69 ID:xuivBhfi0
今はセントレア市とかにしようぜ、とかいうアホが居る
歴史を知らないカス
87 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:22:49.40 ID:v2hLQdRS0
>>1 100年後か200年後、はたまた1000年後に振り返って同じ事を言われるのかなぁ?胸熱
88 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:26:24.70 ID:xhfk2dD+0
ウォーターフロント(笑)の物件が今でも売れてるぜ
89 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:29:47.51 ID:DOxH3WMH0
東北大の江戸時代史の先生ですか。
ならば、江戸時代に海が荒れるから海岸縁に並行して運河を掘ったのを、
「あれは津波避けだから運河より西に水は来ない」と間違って広まっていたのについて、訂正したほうがよいと思いますが。
>>75 その数字は何を根拠に?
>>80 秀吉が大坂城を作ったのは
そこが織田信長を苦戦させた
石山本願寺の大坂御坊かあったからと聞くが
秀吉も防衛上のことを考えて作ったんじゃないかな
91 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:36:13.53 ID:3iSnSwAz0
>>73 伏見までね。
伏見から先は、
高瀬川が掘削された江戸に入ってから小型船に積み替えて運んでた。
琵琶湖疎水ができたインクライン(伏見と蹴上)は明治に入ってから。
大和川も江戸時代に今の堺に注ぐ流路掘削されてからだね。
でも、大和川の場合は、奈良の手前で急流になるから、
急流部分はの船が使えないので、人手を使って積み替えしてたよね。
そらま津波に襲われた街道は残らんからな
こないだの震災復興特番かなんかで大槌町だかで、
高台への集団移転の為に町の周りの山調べたら、
悉くハジキだの城跡のドルイが出て、発掘調査しないと開発出来ないって町の職員が頭抱えてたな。
昔の人も津波の後、山にあがって生活したけど
やっぱり漁とかの為に海の近くに戻っちゃったんだろうな…
94 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:41:35.81 ID:DOxH3WMH0
旧街道が災害に遭わないなら、会津西街道には江戸時代に被災者はいなかったわけで
95 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:41:43.99 ID:8X+f4er+0
>>82 鎌倉大仏殿が津波で流されたっていうのはガセだけどね。
テレビを見ていてオレもそう思った。
大仏殿が津波で流されてどうして大仏がそのままなんだよ。wwww
96 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:46:55.85 ID:DOxH3WMH0
>>93 縄文海進といいまして、縄文時代には海面が関東平野全体を海にする程度の高さだったんですよ。
ゆえに北関東の山際あたりに当時の海辺の集落があり、他の地域でも小高い丘に縄文時代の集落がある。
津波とは限らないわけです。
97 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:47:50.13 ID:WzjdhrqB0
俺の地元なんて江戸時代に佐賀湾に似てるっぽいってだけで今の名前ついたらしい。
せめて藩邸があったとかであって欲しかったのに。
>>96 正直知識なく番組もうろ覚えなのに書き込みしてスマンかった…
99 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:54:01.51 ID:403ULP5c0
>>10 田畑などの境界になっている所や街中を真っ直ぐ突っ切っているのも多く、場所によっては立ち退きでこじれそうだ。
100 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:54:15.99 ID:3iSnSwAz0
101 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:55:43.79 ID:MkBI+7Ky0
宿場町は質が悪い
102 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:57:06.83 ID:403ULP5c0
>>28 古代はそういう場所は湿地が多いから、内陸の微高地や小高い丘陵のそばにできたりしていた。
103 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:57:24.53 ID:E7V32C600
浦安の町は液状化したけどTDL園内はそれほどの被害じゃなかった。
どちらも人工的な陸地であるがTDLは初めから備えがしてあったとしか
思えない。人間知恵を働かせればなんとかなるもんだ。
>>99 広い道を、当時の政権が弱まったら、徐々に農地とかにしちゃったんだよな。
105 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 17:59:17.01 ID:403ULP5c0
>>39 中世までは内陸に都市ができて運河や河川で外部の港とつながっている形が多い。
106 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:02:44.30 ID:/xCp2v2O0
>>1 たぶん偶然、日本は東に動いているから、以前津波が来なかった場所も、
1万年後、10万年後は津波が押し寄せる。
107 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:02:54.92 ID:403ULP5c0
108 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:05:14.19 ID:403ULP5c0
>>68 浜名湖はその辺りしか渡るポイントが無いからだよ。
109 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:06:50.25 ID:3iSnSwAz0
>>107 あの「急がば回れ」と言われるほど、
琵琶湖は風が吹くと大荒れになるから、
必ず水運を利用していた訳ではないみたいだよ。
110 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:10:44.08 ID:8MQOulwX0
111 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:11:16.97 ID:9PWyZ69FO
>「歴史や過去から謙虚に学べ」
本当にそう思う、歌舞伎役者も含めて河原者とかあれやこれやは、良民と区別されるべき。
112 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:12:20.29 ID:403ULP5c0
>>70 小川は古くからある漁村。その北の焼津港は漁村にして藤枝の田中城の外港。
どちらも大きく栄えたのは、安政地震の後、明治以降。特に焼津港は遠洋漁業基地になってから。
あんな狭い地域に10万人とかいるのは戦後の話なんだよ。
エロ幕府 いや〜ん
114 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:17:43.89 ID:jBOTHFb80
太平洋側の都市にはとにかく防潮堤作ろう。
すでに富士市には高さ17メートルの防潮堤が10キロメートルの長さで整備されてる。
太平洋側の都市は富士市に続け
115 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:18:48.94 ID:D9jf8xhV0
鎌倉幕府は大馬鹿ということじゃないか そんなところに幕府つくって
116 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:20:36.94 ID:7cv3yrCIO
じゃあ
旧庄屋とかの辺りも
大丈夫そうだな
117 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:25:33.03 ID:JEpHPPf3O
むやみに埋め立てたり
むやみに地名を変えたり
ひらがな読みにしたり
先人からのせっかくのヒントを無駄にしてきたツケだね
118 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:29:26.48 ID:3iSnSwAz0
キャバクラ幕府?
119 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:40:44.43 ID:403ULP5c0
>>109 古代の交易路の復元で近江が陸路なのは文献や遺跡以外からも考証できるんだな。
120 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:46:13.44 ID:VWASV1r1O
お前らってホントに頭悪いんだな びっくりしたわ
被災地は未だに更地
122 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 18:54:04.32 ID:TMAM/Q1SO
123 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 19:16:38.94 ID:9PWyZ69FO
>>103 TDL園内は地下にも広大な施設があるからかもな
124 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 19:21:55.39 ID:V2VzHzMo0
>>103 園内は液状化防止の杭打ってあるんだとよ
サヨクはどうしようもなくバカで、そういうのが小役人になって日本をダメにした
歴史から謙虚に学ぼうとしない
極めて独善的で排他的
126 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 19:23:28.91 ID:3iSnSwAz0
>>123 もう30年以上前、ゴミ?の埋め立て地から
同じように浦安の街もTDLも出来た事を思うと、
やはり地下施設が影響してるかもしれないね。
特殊な液状化対策がされていたとの聞くが、
これについては、よく解らん。
127 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 19:31:33.46 ID:zPdPqF6gO
津波でやられて東海道は浜松辺りが変わってるとテレビでやってたけど。
東京は府中あたりまで内陸へ下がったほうがいいんじゃないのか
手遅れかもしれんけどw
田中角栄の日本列島改造論からおかしくなった
130 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 19:46:29.74 ID:jBOTHFb80
>>129 だったら、明治の三陸津波の死者はどう説明するんだか。
二万二千人とか、去年のより多いぞ。
地震の規模は去年のほうがはるかに大きいのに。
131 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 19:46:57.63 ID:5IEZOS2/0
当時の街道より海寄りの地は住む人のない荒れ地だったのを、運河をつくって
開墾事業をすすめ、多くの農民を移住させたのは、仙台藩だった
しかも、慶長三陸地震(1611年)で起きた津波がこの地域を襲ったあとのこと
万が一津波で襲われて多くの百姓が犠牲になろうと、その間、年貢の増収が
できれば、それでいいと仙台藩が考えていたとしか思えない
>>77 最近、神奈川新聞でその特集が組まれていたけど、元となる鎌倉日記だったかが
信憑性に乏しいため津波で本堂が流されたという説は怪しいらしい。
数年前の大雨で本堂が流させたという説が現在有力。
>>1 歴史や過去から謙虚に学ぼうとしなかったのはバカだけ
そのバカがマスゴミや自治労に多いだけ
普通の常識人にいわせれば「何を今更」だ
自然の力の偉大さの前に謙虚になって
常に備えることの大事さを説いてきた
歴代の常識ある教育者の労こそは
功を称えられるべきもの
所詮、人などちっぽけなものだ
旧街道沿いの俺の実家は安泰なのか。
しかしあんな糞田舎に過去には大名やら歴史上の偉人が行き交ってたとはにわかに想像できん。
137 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 19:55:02.23 ID:q5CgAwIe0
歴史に学ぶっていっても
3.11じゃ三陸の津波ここまでみたいな碑を超えちゃったとこ多数らしいじゃん
歴史に無いレベルが来るかもしれん
>>136 今の都市が異常で、本来その土地で養える以上の人口を食わせている
今ひなびた土地は、昔は風土に根ざした産業でそれなりに栄えていたところも多い
高度経済成長期以降の都市への集中を推進した愚かな官僚による産業政策で
地方都市が大打撃を蒙ったことも考慮にいれるべし
自分の郷土の風土記とか郷土研究資料でも軽く一読しとくとよい
>>137 歴史に学ぶというのは、過去の記録データが大切なのではなく、
今の平穏な日常に埋没していると想像もできなくなってしまうほどの
大災厄が過去に現実に生起したことを思い起こして、
人なんてちっぽけなものだ、常に備えねば、といったような
心 構 え
を新たにするのが肝心要
精神的姿勢がなっちゃいねえ保安院だの菅だのみてりゃ
それこそが大事だと、どれほど大事かということがわかるだろ?
141 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 20:07:47.90 ID:jBOTHFb80
去年の津波を越えるような自然災害が日本でこれから起こることはあるんだろうか?
火山の噴火?
超巨大台風?
超巨大地震?
日本ではどれもありうるから困る。
>>128 実際、立川にバックアップがあるのは、そのためだろうな
仙台平野は確かに津波が到達しない内陸を街道が走っているんだけど、
いわき市の磐城相馬街道(陸前浜街道)久ノ浜宿は津波で完全にやられているわけで
その点についは触れていただけないのだろうか
>>139 元々、江戸時代以降は都市に集中傾向だろ…
農業従事者が減っていく中で、都市化は
自然だろう…
>>141 平均気温があと0.8度上がるとグリーンランドの氷床が溶け出し、
もしグリーンランドの氷の大半が溶けたら平均海水面は7m程度
上昇すると言われている
中国を見ていると今世紀中にそうなりそう
そうなったら縄文海進みたいなもんだ
年々水位が上昇してきてのっぴきならぬことになる
>>144 日本の戦後だけでも逆に開拓が行われていた地域がいくつもある
俺もよくは知らないので偉そうにはいえないが、そう単純じゃない
さっきはここ数十年の間の大体の傾向に着目してみた
超大まかにいえば
>>144を超えて江戸時代以降どころかってなことにすらなる
147 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 20:18:56.80 ID:3iSnSwAz0
>>138 それ海抜。
津波は時間と距離の経過で勢いを失うから、
埼玉に達するかどうかは解らないよ。
>>147 埼玉は利根川と荒川さ津波上ってくんぞ?
>>6 そういうところに家を建てる人間が池沼と言われるわけね。
150 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 20:24:27.12 ID:3iSnSwAz0
>>148 20mの津波として、20mの高さを維持したまま川を遡上していくとでもw
152 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 20:29:10.46 ID:bhCYkue90
「いざ、鎌倉」つうから歴史的に安全なところかと思っていた
江戸時代初期の1611年に慶長津波というのがあって、これが東北で大きい被害を出した。
街道や宿場町はそのころから整備されたので、この津波を避けている。
154 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 20:32:34.34 ID:O8nV5Jaa0
東京日比谷は、かつて「日比谷入り江」があった場所。
つまり、日比谷までが海だった。
「港区」には港があった。
155 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 20:34:24.50 ID:4M4w/wOi0
サザンオールスターズの「TUNAMI」がNHKの放送禁止曲リストに入れられたそうだ
鎌倉や逗子に住む奴はアホってことか。
鎌倉山や披露山に住み奴は常識人ってことか。
金持ちじゃないと住めないかもしれんけど
157 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 20:38:55.07 ID:7ktki0PI0
>>138 うち高層マンションだから余裕だわ。眼下全域が海になってちょっとした絶景になるかもしれない。
159 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 20:46:37.31 ID:O8nV5Jaa0
東京赤坂見付けの弁慶堀の水は、すぐそこに有る。
つまり、赤坂は海抜0メートル地帯。
160 :
(,,゚д゚)さん 頭スカスカ:2012/03/22(木) 20:55:40.69 ID:yp/PkaDf0
ムダムダ・・すべてはムダ。
「愚民にSPEEDIの情報を伝えたらパニック⇒情報消去」
の国ですぜ・・・歴史情報までなぜか(ネット上で)
アクセスができなくなるであろう。なんでだろ〜♪
邪馬台国やヤマト王権が畿内にあったのはこういう理由があったからだろう。
西は台風と異民族、東は地震と富士山の火山活動、または地震や大津波
古代日本人は賢かった!
162 :
(,,゚д゚)さん 頭スカスカ:2012/03/22(木) 21:05:25.37 ID:yp/PkaDf0
歴史もクソもない・・思い出しようもない100年以上前の知恵と
言われても困るわな。海底を震源とした地震⇒津波⇒可能な限り
高台に逃げよう。 他に何ができます。
「こないだの津波ではこの程度・・」などと余計な知恵で
みんな死ぬ。 死にたい人は死んで
歴史的轢死
165 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:18:51.13 ID:7ktki0PI0
>>150 あれだけ津波の映像出てたのに、
見てなかったのかよ
東海地震がおこったら、浜名湖辺りの走ってる新幹線流されるよね。。。
168 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:25:23.68 ID:Xyp7g/SX0
>>1 ということは、江戸よりもっと人口少なくて、建物も少なくて、広々と見通せた飛鳥とか平安時代の人は、より、太古からの天災少ないとこに都作っただろうから、その辺は安全だな。火事とか原発とかの人災は防げんけど。
169 :
◆nfInrtSBHw :2012/03/22(木) 21:32:41.65 ID:rTC/vGVkO
ならばなぜ津波が来る地域に国道や鉄道が敷かれ開発されたのか?
170 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:33:54.59 ID:jBOTHFb80
>>170 超巨大公共事業で雇用も大量に生まれただろうしな
スーパー堤防を全国的制作にするべきだよ
こっから先に住居建てんなよって石碑まであったみたいじゃん
>>21 もしこの区間に国道1号も東海道線も東名高速も作られず
富士と清水で分断された状態だったら
どうなっていたのかは興味ある
174 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:41:41.14 ID:jBOTHFb80
>>171 スーパー堤防は川の堤防だから津波対策としては効果が少ない。
川の洪水対策としては有効だろうけどね。
まあそれはともかく、二十兆円もあればたぶん日本中に十分な高さの防潮堤が作れると思うよ。
176 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:43:59.88 ID:88QQNuzN0
イロ街幕府!
地震とか津波とか雑魚だよ。原発事故に比べれば。
ほとんどの日本人はもうそう思ってると思う
>>1 気持ちはわかるが、人口の増加分を計算に入れろ。
179 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:48:14.45 ID:jBOTHFb80
>>177 そもそもその原発事故の原因は地震とか津波だろうに。
あれも防潮堤で十分に防げた事故だよな。
180 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:48:41.31 ID:isBkfBvJ0
津波きたとこに復興復興言ってまた立てるんだろ?
沿岸部に住むのが間違いだよな
182 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:50:58.61 ID:isBkfBvJ0
>>179 地震の時点で壊れてた疑いもあるし、事故調査も終わってない。
その事故調査委員会自体の信頼性も非常に怪しい
183 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:51:00.34 ID:LSMxUj750
鴨川氾濫しまくってたのに京都から遷都しなかったじゃん
185 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:52:14.10 ID:R/qiQVqf0
昔の人が津波被害を避けるために、というのはちょっとファンタジックすぎる。
おそらく、昔は水辺や海辺は住みづらい場所で、結果的に水害の及びにくい場所に街が形成されたのだろう。
今とは違って治水も整っていなかったし、農業の関係もあるからな。
>>168 奈良,京都,大阪の地形には,
いずれも活断層の活動が大きく関わっているよ。
ただ,活断層はどれも活動の周期が
短くて数100年,長いと万年単位だったりするから,
歴史時代の話だけでは語りきれない。。。
どうやら,関西の活断層のいくつかは,
8〜9世紀ごろに動いたみたいだ。
堤防なんてものを作ったから死者が増えたんだな
技術を過信した報いだわ
188 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 21:56:48.38 ID:cmD40rtt0
>歴史や過去から謙虚に学べ
こういう命令口調を使う奴は、まずはオマエが謙虚になれよと言いたいわ
189 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 22:04:43.64 ID:8MQOulwX0
1 名前:名無しさん@涙目です。(大阪府)[] 投稿日:2011/04/07(木) 12:21:22.13
学会「堤防で津波防ぐのは無理だわ よく分かった」
http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1302146482/ > 土木学会は7日、仙台市内で記者会見し、東日本大震災の
> 被害に関する第1次総合調査について報告した。
> 津波被害について調査団長の阪田憲次会長は
> 「全部を(堤防など)力で押さえ込もうするのは無理だということが
> 今回はっきりした」と語った。
> 学会では復興への提言を今月中に取りまとめる予定。
>
> 土木学会は関係学会と合同で先月27日から今月6日まで、
> 地震工学、コンクリート・構造工学などの
> 専門家で構成する調査団を派遣。東北地方の21市町村を調査した。
>
> 鉄道や道路、港湾施設や堤防については、
> 阪神大震災後の耐震設計や補強技術の高度化で揺れによる被害が
> 軽微だった一方、津波による被害が甚大となった。
> 阪田会長は「どこからどう力がかかったのか全く想像できない」とした上で、
> 対策については「避難などと併せて考えるべきだ」とした。
>
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011040700388 (リンク切れ)
>>170,
>>174 防潮堤だけってことになると,3.11の規模では土木学会も白旗。。。
>>189 デジタル世代だな
アナログパッドも使ったことがないんだろう
191 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 22:09:00.15 ID:eFrpFceE0
集落守った石碑、流されたプレート…明暗分けた津波の“教訓”
2011.4.3 19:45
過去に幾度もの津波被害を経験した三陸地方。東日本大震災では、先人から受け継いだ
“教訓”を守ってきたことで集落ごと被害を免れた地域がある。一方で過去の経験が
豊富であるがゆえに、津波から逃げ遅れたケースもあった。
《高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想え惨禍の大津浪 此処より下に家を
建てるな》
津波で壊滅的被害を受けた岩手県宮古市。
重茂(おもえ)半島にある姉吉(あねよし)地区には、海抜約60メートルの小高い場所に、
こう刻まれた石碑が立つ。明治29年の明治三陸地震と昭和8年の昭和三陸地震で、
同地区は津波の激しい被害にあった。昭和三陸地震では、
海抜約40メートル近くまで押し寄せた大津波により、地区の生存者はわずか4人を
数えるのみだった。
住民によると、その生存者たちが、津波到達地点より、さらに20メートル高い場所に
石碑を建立。以降、石碑より低い位置に家屋が建てられることはなかった。
現在12世帯約40人が暮らす姉吉地区。今回、津波は石碑の約50メートル手前で
止まり、石碑より高い場所に避難した住民は全員無事だった。
「わが家も昭和の大津波で流され、石碑よりも高台にある現在の場所に建て直した」と
漁師の川端隆さん(70)は話す。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110403/dst11040319480035-n1.htm
>>169 誰も住んでなかったから作りやすかったからだろ。
>>186 ちなみに発見できる活断層はかつて動いたことのあるものだけだそうな。
194 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 22:10:50.30 ID:jBOTHFb80
>>189 それ3.11直後でパニック状態で出した結論だとおもう。
冷静に考えたらただ単に高さが足りなかっただけのことなんだよ。
東北の被災地でも防潮堤の高さを上げて再建することが決定してるわけで。
>>191 本州最東端に行ったことがある人は必ずその石碑の横を通っている。
196 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 22:12:59.90 ID:pcym9uyJO
もっとともらしく、解説する人!ドヤ顔なんだろな!アホクサ、疲れるわ
鎌倉ヤバいってことだけど、じゃあ鎌倉街道はどうなるのさ
>>189 津波はカオスだからねえ。そらあ予測はできんわ。あの大津波だって、バタフライ効果の
結果だし。
199 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 22:22:48.43 ID:gsH13e5I0
>>198 九十九里ちゃんなんか、北部は大被害が出ているのに、南部は殆ど被害が出なかった。
繋がった一つの砂浜なのに波の高さが偉く違う。
つくづく津波ってカオスだと実感したわ。
201 :
名無しさん@12周年:2012/03/22(木) 22:47:11.22 ID:jBOTHFb80
>>200 海底の三カ所の崩落のタイミングがわずかでも実際と違っていたら、あそこまでの大津波にならなかった
可能性がある。
日本は1970年前後の市街地の変化がほんと激しい。
東京近郊でさえ田畑が広がっていた場所が結構あったのに、数年で悉く市街化してる。
それ以前の市街地の発展は微地形に左右されていたけど、この時期以降は谷地は埋め立て
丘は削り道はとにかく真っ直ぐにと、元あった微地形の痕跡が地図見てもパッと見分からなくなってしまった。
>>201 仙台も九十九里南部も築堤の道路が津波を防いだことは確かだが、九十九里は北部だけが異常に波が高くなったんだよ。
新興住宅地とかは皆地柄知らずに
買っちゃってる人多いいんだろうな
地歴知ってたら到底買おうとは思えないところとか
かなりある
>>203 その辺から成人人口が一気に増えたからな。宅地の需要も急増してる。バブルの一因だが。
震災前に常磐道〜仙台東部道路走ったが、海辺の田んぼや畑の中に住宅がどんどん作られてた。
震災後に通ったらきれいさっぱりなくなっていて、畑の後に車がたくさん転がっていた。
生き残った人も財産を失って大変だろうな。
道路を挟んで海側と内陸側とで全く別の光景だった。
もっとも、内陸側も家は残ったものの、殆どが床上浸水したらしいが。
208 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 00:32:25.01 ID:1QDCrpsC0
日本人なら100年前のことなら先祖から伝え聞いてるはず
東北に如何に30年前の日本すら知らない韓国人のナリスマシ帰化人や
入植者が多いかを示してるね
30年前宮城県だったら100年以上前の津波を記憶してる人が多くいた
>30年前宮城県だったら100年以上前の津波を記憶してる人が多くいた
ん?もうちょっとうまい日本語で言えよ
210 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 00:36:49.15 ID:1QDCrpsC0
>>185 お前が間違ってる
東北の縄文時代の貝塚は津波が来ない高台の上にあることがほとんど
千年以上前から東北に住む日本人なら高台、山のあたりに住んでるはずだ
後から来たのはほとんどが帰化朝鮮半島人の成りすまし日本人だろうね
とにかく戦後70年前から3代も4代もかけて日本人に偽装して生活して
韓国民団メーソンや朝鮮コミンテルンメーソンの言うがままに日本中を移動するからな
>東北の縄文時代の貝塚は津波が来ない高台の上にあることがほとんど
>>210さん、貝塚が高台にあったっていうのは当時の海岸線の問題じゃないのかよw
212 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 00:44:59.56 ID:1QDCrpsC0
お前ら韓国人や朝鮮人は日本に密航したり移住してきたとき強制的に韓国民団か
朝鮮総連に入らされてるはず、そこから何か新興宗教に無理に入らされてるはずだ
宗教系はイギリスメーソン、総連はソビエトコミンテルンの支配下にある
しかも韓国民団や総連がどちらもフリーメーソンだという自覚すらない
最下層の在日朝鮮半島人は自分が何者かも気がつかず上層部の言うなりになってる
最下層の朝鮮半島帰化人は放射能のある東北に住んでいても
自由な日本人のようによその地域に移ることもできないはず
213 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 00:48:23.35 ID:1QDCrpsC0
韓国人は漢字も読めないし歴史も文化人類学も知らない、教養もなく
無駄なことしか覚えない、それも知能が低いので日本人が3分で覚えることを
3年かかっても覚えられない
韓国朝鮮人は先祖の日記も書物も読めない、年々愚民化し精白化する低能ばかりだ
もうちょっとお勉強しなさい バカだから何も覚えられないんだろうけどな
あーそうですねえ。中山道には津波の被害はありませんでしたねえ・・・・
215 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 01:55:35.23 ID:StPLwKIj0
>>7 > 東名造る前にそのくらい気づけよ、バカなのか
こんな波に洗われる危険な場所に、東名を通さざるを得なかったのは
静岡市の横車のせい。
静岡市を無視しても良いのならば、こんな場所を通す必要は無いから
第二東名の方は、安全な場所を通っている。
216 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 02:01:17.37 ID:Qbify19W0
>五感生活研究家
ここには誰もつっこまないのか?
217 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 02:02:58.23 ID:KoDW0H1vO
とりあえず宿場町に住もうぜ
>>34 昔は教育レベルが低かったので、英雄豪傑がでるまで
なにもできなかったけど、今は教育レベルが上がったので
英雄豪傑一人でやってたことを100人くらいで分業してやれ
るようになったので、目立たなくなったのかもしれん。
219 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 02:08:14.64 ID:eCAVIEF50
支局長からの手紙:後世よく心得べし /高知
きょうは東日本大震災から37日後です。昨日も強い余震が起こりました。
安政元(1854)年11月5日(旧暦)に発生した安政南海地震の37日後はどうだったか、
当時の日記を調べました。
「夜八ツ(未明)過ぎよりゆり出し六七度ゆる……又波の入り来る事もやあらんと
人々大いに騒ぎ また山へ逃げ上る」
この年の大みそかには200回以上の余震がありました。遠い被災地が今感じている不安は、
県民の先祖も体験したものでした。
この日記は、土佐市宇佐町宇佐にある真覚(しんかく)寺の井上静照(じょうしょう)住職が
書いたものです。安政南海地震の前日に起こった安政東海地震の日から書き始め、
「土佐日記」にならい、「地震日記」(9巻)と名付けました。続けて亡くなる前年の
明治元(1868)年まで書いた「晴雨日記」(5巻)と合わせて「真覚寺日記」と
呼ばれます。
寺を訪ね、同市有形文化財の現物を見せてもらいました。おおよそB5判大で全14巻が
木箱に納められています。流れるような筆致で筆書きされ、薄い紙をめくる度に驚きました。
一文字たりとも修正がなかったのです。
井上秀晃・現住職(68)は静照住職の5代あとになります。3歳の時、1946年12月の
昭和南海地震を体験しました。海から約200メートル離れた寺の門の前まで運搬船が流され、
船内で数世帯が避難生活していたことを覚えています。門の前には昭和地震の、本堂前には
安政地震の「潮位」を示す石碑が建てられています。双方の高低差はわずか
1メートルくらいです。
こうした先人が残した南海地震の石碑や記録を調べてまとめた本があります。高知市の
郷土史研究家、小松勝記(かつき)さん(66)の
「南海地震の碑を訪ねて」(02年・毎日新聞高知支局、2100円)。県内の観音像を
調査中、高知市種崎の寺の観音像が津波で流されたことを文献で知り、興味を持ったのが
始まりです。高知、徳島両県の46カ所を紹介しています。
http://mainichi.jp/area/kochi/archive/news/2011/04/17/20110417ddlk39070353000c.html
220 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 02:11:15.48 ID:ik2/4BMl0
後付けだったらそれこそ誰でもできるよな。
津波来る前に言えよと。
221 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 02:18:57.02 ID:g8nEpuYVO
>>210 縄文時代は今より海水面が高かっただけだよ…
> 津波で大きな被害を受けた仙台平野では、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って
> 止まっていることが確認されている。つまり、江戸時代の人々の日常には、現代より何倍かリアリティをもった
> 地震への対応が織り込まれていたと、作家で五感生活研究所の山下柚実氏は指摘する。
バカじゃねーの
アスファルト舗装以前の時代には低湿地に幹線道路は作りにくいから、台地の尾根筋に沿って道を作った。
当然宿場町は街道沿いに作られたってだけの話じゃないか。
全く、大事件が起こると自称作家や学者や評論家がしたり顔で吹聴して金儲けに走る。
何時の時代も変わらんな。
まぁ、空撮で相模湾側から鎌倉見ると一目瞭然だよね
そのうち万葉集をハングルで読み解きそうな勢いだなw
226 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 04:18:47.86 ID:QHr4X1m80
>>19 細川→小泉→鳩山→橋下
日本国民の仕様です
>>227 小泉⇒鳩山(というよりはミンス)⇒橋下(ちょっと前はみんなの党)
このコンボはマジで愚民すぎて悲しくなってくる。
大戦で戦った人たちが守ろうとした未来がこれって…
こんな日本にしたのがその大戦で戦った世代の子供世代(団塊前後)ってのもね…
229 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 05:12:38.23 ID:RvPQZg2i0
安定の畿内だなあ
伊達に古墳やら京跡とか残ってないわ
便利な外洋に面した所は津波と地震で壊滅しまくって
内陸も火山に近いところはことごとく衰退
都市も文明も残らなかったと
そして残った大国が穏やかな瀬戸内に面した住吉津と
飛鳥の盆地に安定した拠点を持つ大和王権だった
>>218 教育というのは、英雄豪傑を作るものでもあるけど、
教育の大衆化は、英雄豪傑が登場するのを抑制する作用もあるからな
あるいは、試験の問題かもしれんな
何かに特別秀でた人間よりは、苦手科目を作らない欠点のない(とされる)人が、
選抜されるシステムだからな
それをきらって一芸入試なんてしても、その一芸の中で苦手分野のない人が選抜されるから、
あんまり意味がないんだな
昭和8年の津波も、チリ地震津波も意外に人的被害は小さかったんだよな。
それで、今回の津波のことを舐めてかかった年寄りが多かったのも事実。
経験は想定外の津波の時には悪い方向に働くこともある。
>>218 昔のほんの一握りの知識層は確実に今よりまともだったけど、
まともな事をまともに言える環境が今よりはあったからね。
大衆は昔より今の方が知的レベルは圧倒的に上だけど、
地頭がよくない大勢の人たちが中途半端に知識持ってるもんだから、
一握りの頭いい人たちが表舞台に出てきにくくなってはいるね。
福沢諭吉ですらも現代の言論人として存在したら、
テレビでおちゃらけた感じにされたりどうでもいい事で叩かれたりしてそう。
>>34 昔の奴でも団塊を筆頭にそれ以上の世代でもジジイ、ババアはバカばかりだけど
一部はたしかにノーベル賞とるレベルで優秀だな
昔の教育は一割位をエリート教育して
他は切り捨てて
今の教育は優秀な人間は潰し、おしなべて平均的な人物を育成してるということなんだろうな
>>206 高度経済成長戦略を打ち出した政策により、都市へ農村部からの若年労働力が
大量に移動したせい
そのせいで長期的にみて地方都市が衰退し、正のフィードバックが働いてしまい
限界集落が恐ろしいほど増加し、廃村が増えまくっている
明らかに国土の荒廃を招いた 完全な失策
ブラジルのコパカバーナとか、まじヤバいだろw
津波きたらどうするんだろ
>>230 > 教育の大衆化は、英雄豪傑が登場するのを抑制する
完全にその通りで、
>>218や
>>34は知らんかも知らんけど
維新後〜戦前の日本にはまだ英雄豪傑は結構いた
それは江戸の儒学を継承した教授者が残存していたから
ちなみに、江戸時代の寺子屋教育の普及は教育の大衆化
じゃないのかという見当違いな批判があるかもしれないが、
ここでは大衆化という語は無意味ではないとだけ示唆するに留む
敗戦後の教育改悪が諸悪の根源ということだけは
知っておいたほうがよい
日本人は記録マニアだがあまり活用しない習性がある。
>>238 戦前否定が諸悪の根源だよ。
戦勝国による愚民化政策ってすごいな。
70年後まで日本国内だけでも禍根を残してるって。
240 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 07:40:14.77 ID:ZQJKwXXG0
>>238>>239 というよりも、漢文とか古文で書かれてたりでなかなか読めないというのも大きいと思う。
愚民化というが、明治時代の津波でも二万人以上死んでることはどう説明するんだ?
しかも去年の津波は明治のよりもさらに大きいぞ。
日本人は、などと十把ひとからげにいわれてもな
色々な人がいる
郷土史家もいる
ずぼらな人もいれば几帳面な人もいる
活用しないのは日本人一般というよりも、小役人に多くなった
左巻きの連中だろ
あいつらは歴史から学ぶんじゃなくて、自分の下らない理想とやら
に現実を合致させようとして色々歪曲してきた
242 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 07:58:33.16 ID:ZQJKwXXG0
たとえば貞観地震の記録は確かにはっきり書いてあるんだけど、
あれはたった一度だけの記録なんだよ。
つまり一度だけでは津波の発生間隔までは分からないんだ。
結構最近になって津波堆積物の研究からさらに古い津波のことまで分かるようになって、
約千年に一度程度の間隔で発生すると分かってきてたんだ。
津波のことを知るには歴史記録だけでは足りないこともある。
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこのスレ・・・・
もうね、物理学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・
っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ
いーや、そもそもが津波のことなんて知らなくて良いんだよ
人知というものを過信しすぎ 傲慢だよそんなのは
近代人の愚かさの典型 いつまでそんな境涯に留まるのか
ただひたすら、「備えよ常に」の標語に従って
平生から心構えを絶やさぬこと
これだけが肝要なんだ
あれこれ気を回しすぎるから、あっちに気をとられてこっちを忘れ
というマヌケなざまを晒す
肚ができてないんだよ
>>243 頭いいつもりになっちゃった大学生によくある事だよ。
将来あの頃の自分は勘違い君だったって気付けるよう頑張ってな。
246 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:03:36.99 ID:RO/eQLly0
昭和35年(1960年) 熊本日日新聞より
「新日本窒素肥料(現チッソ)が安全宣言で魚貝類を地元住民へ」
原因不明の奇病が発生したとされるこの地域で不安を抱えた地元漁民が安全を宣言。
水俣漁業水揚の魚介類を安く供与する働きかけがはじまった。
海産物は奇病とは全く無関係。地元漁業の風評被害を少しでも手助けできればと同社幹部。
昨今の風評で地元の漁業は大ダメージ。安心安全を知ってもらうため新日本窒素肥料が地元水産物を買い上げ
地域や熊本市の皆様へ近海の良質な水産物を安く提供して風評を飛ばしやてもらうのが狙い。
漁業関係者は風評で被害を受けており、水俣産海産物の美味しさと安全安心を伝えて欲しいと話している
いやーどうかなぁ
>>243はネットのスレ見て他人の真似しかできない児童だろうな
最近そういうスレがあっただろう 昨日かな?
物理学を学んでいるなんてのは、口先だけだろう
>>242のような近代人ですらない
248 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:05:53.25 ID:stwU/MVR0
>>34 戦後日本は、優秀な人材が育たないような教育制度や環境が整ってるから
これが戦争に負けるということだよ
249 :
(^_^;)サヨク史観は不要ね:2012/03/23(金) 08:06:38.84 ID:m1NwlB19O
★図書館・博物館・美術館・資料館を反日ギルドの根城にするな★
【コミンテルン1932年テーゼより】
「反動的戦争においては、革命的階級は、ただ自国政府の敗北のみを望むことができる。
政府軍の敗北は、日本の君主制[天皇家]政府を弱体化し、
支配階級に対する内戦[共産革命]を容易ならしめるだろう。…」
(^_^;)イヤハヤ コミンテルン残党の反日工作員養成所にならん事を祈るよ
(・o・)むしろコッチだね[世界史的に日本を見ると]
かのマルコ・ポーロが「黄金の国ジパング」として西欧に紹介して以来、
彼らは「ジパング」を求めて大航海時代に突入、
熾烈な帝国主義競争においては人道無視の奴隷制、植民地政策を推し進めていきました。
そうした過程で生まれたアメリカとの数奇な出会い。
際どいところで目覚めた日本は奇跡的な発展を遂げてアジアを救う使命をになうことに…。
そして、米英蘭を敵に回した大戦争に突入。
武士道にもとる卑劣な民間人虐殺や無差別攻撃を受けながら、
究極の自己犠牲精神の発露たる「特攻隊」で抵抗。
2発の原爆投下でやっと降伏させたと安心したら、
目覚めたアジア、アフリカの有色人種が次々と反抗して独立!
世界史的に見れば、つくづく日本は凄い国だと思います。
まさに「神が作った国」としか言いようがありません。
(・o・)歴史を学んで世界の常識を理解しなきゃならんね
なんでわざわざ遠回りして海沿い歩かなきゃならないんだぜ?
京都奈良最強ってことだろ?
知ってた。
コピペはうざい
俺も大概長文で申し訳ないが
自分の言葉に変換してできるだけ短縮する努力はしようz
中山道は津波被害を想定して作られた! って言ってるような基地外もんだぜ。
254 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:11:14.09 ID:NCkJ9Qb2O
255 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:13:31.06 ID:kTTcFk/vO
ヤン・ウェンリーがユリアンに話すように言ってくれ
256 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:20:06.65 ID:6bb0CCjUO
防災科を学校の教科に入れてはどうかって新聞記事を見た
ゆとりの自分で考える力なんかより
ずっと具体的で日本人に必要なことだ
戦争になっても役に立つだろうし
257 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:33:15.79 ID:M+e8nC0a0
後出しで「謙虚に学べ」とか言われてもねえ
「3階以上に避難すれば大丈夫です」の絶叫も津浪後は「5階以上」に変わった
大学の教授、准教授ってのは気楽なもんだな
なんか水運関連の書き込みがけっこうあって面白い
259 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:37:03.74 ID:Tx9VMTic0
作家で五感生活研究所の山下柚実氏
ただの戯言じゃん城下街全域が浸水しなかったってのならまだしも
旧街道筋は輸送や利便より軍事上の事情を優先して
便を図るより不便な位置に引かれているのが北関東から東北のかけての前提条件だしwww
馬鹿だろ山本www
260 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:39:54.52 ID:VFNczCHJO
日光街道はあてにならんよね
261 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:49:21.65 ID:ZQJKwXXG0
たとえば石巻市とかは貞観地震でも水没しただろう地域なのに江戸時代にもたくさんの人が住んでたことが確実。
江戸時代なんて餓死者が多数発生する時代だから、
千年後に来るかも知れない津波の事ばかり考えてられないのは当然だけどね。
262 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:49:46.01 ID:xERZboNWO
津波で、消えた宿場町って のは残ってないだろ。
263 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 08:59:41.56 ID:HCCfj2mi0
>>15 何故、主要都市が海岸近くに出来なかったのかを考えろよ
>>242 大地震は1000年に一度だが、
大津波は、昭和三陸、明治三陸、チリ地震、東日本大震災と
けっこうな頻度で来ている
大地震の回数=大津波の回数じゃないんだよ。
盗電は1000年に一度だから想定外って言い訳するけど、
だまされるなよ。
東北道って藤原清衡が整備したって聞いたけど?
あんまり海寄りに偏らないようにしただけじゃないの?
昔の街道でも他のルートが難しいところは由比ヶ浜とかだし
267 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 09:17:36.33 ID:tFTxVOw2O
今じゃ埋め立てられて昔の面影のない地帯は相当あるよ。
液状化で死んだ浦安〜海浜幕張は埋め立て地。
旧街道の国道14号からすぐ先は、ずっと海岸線だった。
半壊して避難してる習志野市役所は半分昔の丘陵で半分は河口付近。
旧日本軍が駐屯してた土地には付近の詳細な地形図があるから、住む前に図書館で調べると良いかもしれない。
>>244 Parabellum
memento mori
だなあ。
銀座〜日比谷付近は江戸時代最初に埋め立てた
品川あたりの東海道は海沿いの高台(高輪台)を通っていたのが浮世絵からも分かる
270 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 09:52:20.56 ID:M5Usx7ze0
>>138 距離にして僅か数十メートル、俺ん家はセーフだったw
たしかに仙台〜相馬間は海沿い2〜3キロ殺風景だった。役場や古くからの家は内陸にある。
272 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 09:55:10.04 ID:v1sBGbkMP
じゃあ、鎌倉とか歴史が古くて安全だな
>>273 誰が偶然なんて言ったか。
高台に道や宿場町ができるのは必然だって言うの。
ちゃんとレス読んでないでしょ。
ありのまま読んで理解しようという姿勢がなくて、先ず自分の考えや主張やこだわりが先にある。
そういう態度だから、こんなボンクラの愚論に振り回される結果になる。
歴史ロマンの分野に留まっとけ。
具体論に出てくんな。
>>228 戦争に行かなかったのは技術屋や官僚とかを除いたら非国民ばかりだからな
そいつらだけが教育を担う状態になったらそりゃ・・・
276 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 13:23:58.18 ID:xERId40/0
>>275 >戦争に行かなかったのは技術屋や官僚とかを除いたら非国民ばかり
またまたご冗談をw
>>268 銃弾についての知識のうろ覚えで戦争用という意味だったかと思ったので検索したら
Si Vis Pacem, Para Bellum
という格言だったんだね
また一つ知識が増えた d
278 :
名無しさん@12周年:2012/03/23(金) 14:32:36.03 ID:14/M8evN0
>>236 津波は突然襲わないだろ。体感地震がなくて数時間、
揺れを感じても数十分、本気で逃げるかどうかなだけ。
>>274 何がが対論だm、歴史の素人、無知。
浜街道だって全国にあるぞ、ばか。
お前のは理論的でも、実地論でもない、歴史ロマン者は出てくるな。
>>274 馬鹿にもう一つ教えてやると、そこがたまたまなのは、過去の地震経験から、こないような場所に作ったんだ。
経験がなかったら、便利な浜よりに作ったろうよ。、
>>279 落ち着けよ歴史のプロさんよw
興奮すんなって
>>280 言い足りないか。
興奮しすぎて言い足りないんだな。
>>253 東海道ってよく川の氾濫で何日か足止め食らうから中山道が代替に使われたというの読んだことある
>>『この地名が危ない』
閖上
荒浜
この手の話は、眉に唾つけて聞いたほうがいいけどね。
石巻街道ってのが江戸時代からあったんだけど、3・11では、津波がこの石巻街道を大きく超えて、東松島・石巻で大被害出してる。
松尾芭蕉も奥の細道で辿った古い街道だよ。
286 :
名無しさん@12周年:
確かに静岡市の駿府城下町は、今の駅北だけだった
駅南は安倍川の氾濫や、湧き水で湿地だったっていう
もっと昔のスサノオは焼津から草薙へ抜けてたらしいが
平安時代辺りからは、山側の宇津ノ谷を通るようになった