【サウジアラビア】 反政府運動が西部と南部にまで拡大 人権活動家ら「刑務所に収監の政治犯は3万人以上」
1 :
うしうしタイフーンφ ★:
★サウジで、反政府運動拡大
サウジアラビアで、市民による反政府運動が同国の西部と南部にまで拡大しました。
これらの抗議運動は、少し前まではサウジアラビアの東部のみに限られていました。
同国の西部と南部で行われた反政府デモは、学生らの呼びかけにより
行われていることが注目されています。
女子大生1名が殺害された他、54名の学生らが負傷したことから、
抗議運動はサウジアラビアの南部と西部にまで飛び火しています。
この事件は、サウジアラビアの政治、社会、治安状況に対する学生や、
有識者の抗議運動の始まりとされています。
政界の多くの要人の間では、サウジアラビアの南部、西部、東部で
最近発生した出来事は、アラブ諸国での民衆革命に呼応したものと考えられています。
さらに、アラブ世界のメディアの1部も、サウジアラビアの首都リヤドを初めとする
同国各地での民衆運動の発生により、人々が同国のサウード政権を恐れなくなったと考えています。
伝統色が非常に強いサウジアラビアの社会には、高い失業率や貧困そして、
透明な民間機関や立法機関、独立した監視機関が存在しないといった多くの問題に加え、
サウード王家の一族とその側近による公務執行の状況への監視が全くなされていない、
という決定的な問題が存在しています。
サウジアラビアの人権活動家らは、現在同国の刑務所に3万人以上の政治犯が収監されており、
しかもその多くは有罪が確定しないまま、裁判を受けずに長期間抑留されているとしています。
イランラジオ
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=article&id=26426
2 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 12:57:58.70 ID:30UxeFkj0
>>1 うしうしタイフーンφ ★=丑=朝日IPシャットアウト時スレ立て出来ず=朝日新聞社員=丑田滋
.
イランとサウジって仲悪いんか
民族違うもんな。アルジャジーラはこういうのは報じないだろうが
4 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 13:35:47.55 ID:h45vy2Uf0
米軍サウジ出兵?介入?
イランとの戦争どころじゃないジャンw
5 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 13:43:29.30 ID:/NYXfCPYO
アルジャジーラの戦闘服はジャージ
6 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 13:45:39.34 ID:HYejvH2F0
カダフィがみてる
7 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 13:50:12.36 ID:8XceML8P0
親米無罪
サウジ南部の大学で、校内のゴミ収集が機能してない、運営はしっかりしろ
という学生の抗議集会が警備とケンカになって1人死んだ・・・という話なんだが
9 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 16:10:22.51 ID:f5iH7mKj0
アメリカはサウジに関しては華麗にスルーします
10 :
“人権救済機関法案”とは:2012/03/14(水) 16:11:30.34 ID:58J0vEoc0
11 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 16:12:36.69 ID:WpHhU1aY0
バカな国ほど学生運動が盛んだな
12 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 16:17:43.09 ID:brmaASI7O
穏健派の盟主(ただし傀儡)まで
アメリカはどうするんだろう
13 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 16:19:51.79 ID:KnFrNbnU0
つーか
マネーゲームやってる王族とか、日本から見ても屑野郎だろ
パキスタンからエジプトまで一通り反米になるな
イスラエル詰んだな
★催眠術をかけられた鶏、サウジアラビアで生きるとはどういうことか?
◆アルカイダの来た道〜アメリカはなぜ憎まれるのか〜[NHK BS世界のドキュメンタリー]
■思春期に男女とも、交流するのを禁止され、男性は女性とのコミュニケーションの仕方を学べない。人生で最も大事なことなのに。
彼女から「テロリストにならないで」と言われれば、テロリストにはならないだろう。
オサマの母校の大学で行なった調査では、2000人の学生のうち、男子学生65%、女子学生72%にうつ病の兆候が見られ、女子学生の7%は自殺を図ったことがあるという結果が出た。
『考えてみて下さい。サウジアラビアみたいな国で生きるということが、どういうことなのか。
映画館も劇場も無く、ディスコも音楽もデートありません。
インターネットは統制下にあり、監視されている。公園や美術館もほとんど無く、政治活動も政党も、労働組合もありません。
私達が「市民生活」と呼ぶ、当たり前の空間が一切存在しない』。
しかし、サウジアラビアの人々にも楽しみはある、それはショッピング。
■サウジアラビアには、「王族」「富裕層」そして「一般市民」がいる。
『ビンラディン家のような裕福な人々はたくさんいるが、彼らは王族ではない。その違いは決定的』。
仕事に就けず退屈でぶらぶらしている若者達が大勢いる。そして、国家の収入の4割近くを奪い取っている王族に対し、不満が広がっている。
■『しかし、サウジアラビアでは、そうした社会的なエネルギーが発散には向かわず、ひたすら内に向かって溜め続けられている。その原因は「恐怖」』。
といっても、サウジアラビアの人々は政府を怖がっているわけではない。なぜなら、サウジアラビアの政府はエジプトとは違って、国民に冷酷な事をしていないから。
彼らが怖れているのは、「革命をした後(のクライシス)」の事。
サウジアラビアの周辺諸国を見て下さい。エジプトでは長期間に及ぶ独裁体制がもたらされた。シリアも同様。ソマリアは民族的な混乱が続いている。
そしてイラク。サウジアラビアの人々が自分の国に対して抱く不安が、現実のものとなっている。
■『中東では、「変化」は「進歩」を意味しない。周辺諸国で起きた様々な革命は、サウジアラビアの人々に大きな恐怖感を植え付けた』。
催眠術をかけられた鶏は、今なお身動きせす、じっとしている。
■そんな社会にヒーローとして現れたのが、オサマ・ビンラディンだった――。
★聖地メッカ
◆アルカイダの来た道〜アメリカはなぜ憎まれるのか〜[NHK BS世界のドキュメンタリー]
■ハッジとは、200万人以上のイスラム教徒が、毎年聖地メッカへと集まる巡礼のこと。神への奉仕の表現。
目的は、最後の審判の日に、神の前に立って許しを乞うことができるよう、祈りを捧げること。
■イスラム教徒にとって最も重要な聖地である、このメッカの聖モスクで、かつて信じられない事件が起きた。
1979年11月20日、武装したイスラム過激派のグループ(170人)が、あろうことか、この聖モスクを占拠。
それは、イスラム教徒にとって信じ難い大事件、911と同じように。
彼らの目的は、「王族を追放する」ことだった。
■『実は、この聖モスクは、ビンラディン一族が建てたものだった』。
『子供を知るには、親を観ること』。
オサマの父親は、片目が不自由で、読み書きもできない、イエメン出身の労働者だった。
しかし、やがてサウジアラビア最大の建設会社を築く。謙虚さを忘れず、従業員に対し決して威張ったりしなかった。オサマの父親とは、そういう人物だった。
■1990年、アメリカ軍を中心とした多国籍軍が、イスラム教徒の聖地メッカがあるサウジアラビアに雪崩れ込んで来た。
彼らのほとんどは、キリスト教徒やユダヤ教徒。その上、女性兵士もたくさんいた。女性に守られることは、アラブの男達にとって屈辱的なことだった。
ビンラディンは実行犯達に言った――「死は、屈辱の中で生きるより、ずっとマシだ」――。
★アルカイダの思想は、エジプトの刑務所で拷問を受けたことによって生まれた?
■ザワヒリは、比較的裕福な家に生まれた医師。父親は大学教授で、母親は外交官の娘。
1966年、ザワヒリはエジプト政府の転覆を目的に地下活動を開始。わずか15歳の時。
そして、サダト大統領を暗殺する計画に関与し、3年間投獄。ザワヒリはこっそりと武器を運んだだけだった。
サダトは過激派にとって許し難い過ちを犯していた――「イスラエルとの平和条約」。
■英語が話せたザワヒリは、収容者のスポークスマンとなり海外メディアに声明を発表。拷問について非難した。
かつて外科医だったザワヒリは、プライドの備わった人物だった。
◆「エジプトの刑務所は、屈辱と拷問を与えている。我々は非人道的な扱いを受けている。
殴ったり、蹴ったり、電気ショックを浴びせたり、《野犬》まで放たれたのだ」
『イスラム圏では、犬は汚らわしい存在』。1960年代、エジプトの囚人達は、野生の犬を使った拷問にあった。
想像してみて下さい――手錠をかけられ、身を守ることができない状態で、犬に襲われることを――。
屈辱を与えることで、抵抗する気持ちを打ち砕く。それが拷問の目的。だから、拷問には強い抑止効果がある。
実際に、拷問を受けた多くの者は、「心理」を破壊された。
しかし、ザワヒリはそこで受けた仕打ちへの「復讐」を固く決意した。
もともと、ザワヒリは「革命」や「ゲリラ戦」には関心が無かった。「素早く終わる軍事クーデター」が、ザワヒリの理想だった。
『しかし、《犬》がザワヒリを変えてしまった。外科医だった男は、刑務所を出る時、殺戮者―《聖戦士》―となっていた』。
■中世の時代、イスラムの英雄サラフィンが、捕虜にした十字軍の兵士達に造らせたとされる建物。
刻は流れ、同じ建物の中にある独房で、後にアルカイダに繋がる思想が生まれた。
刑務所には急進的な思想の持ち主が大勢入っていて、激しく政治論争を繰り広げていた。それが、ザワヒリの思想を過激化。
■『テロのルーツを知るには、先ず、「エジプトの刑務所」を知らなければならない』。
18 :
名無しさん@12周年:2012/03/14(水) 17:59:16.37 ID:olqlQQJY0
サウジの春が本当のアラブの春
>>1 今の王族は石油マネーの上に胡座をかいたダメダメだからなぁ。
かと言って原理主義者には任せられんし…
トルコみたいな世俗主義は出て来ないかのぅ
ダメダメどころか王族の中でかなり競争が激しい
お偉方は欧米で最高の教育を受けた超エリートが多く
議員から大臣になったそこらの国の人よりずっと優秀