【普天間問題】 辺野古住民、反対派が座り込む「テント村」に立ち退きを求める 今後、抗議集会や法的措置を検討
1 :
◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に揺れる名護市辺野古で、反対派が座り込む
「テント村」が住民から立ち退きを求められている。条件付きで移設を認める辺野古区の住民が
15日、立ち退きを求めて話し合ったが、テント村のメンバーは「国の調査や工事を止めるには
今の場所しかない」と応じなかった。
テント村は移設が予定される海を望む護岸にある。国が海上調査を始めた2004年4月、
市民団体「ヘリ基地反対協議会」のメンバーらが座り込みを開始。調査の阻止行動や監視の拠点
にしてきた。
辺野古区側は、テント村が「住民の癒やしの場所を占拠し、散歩の妨げになっている」など
として、区長を先頭に今春から名護市や議会に立ち退きを働きかけてきた。抗議集会や法的措置
を今後検討するという。
▽朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1115/SEB201111150046.html
>>1 申し訳ありません
こちらの記事は[2011年11月15日20時36分]の記事でした
失礼しました
3 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 00:23:45.79 ID:95cWLjmmO
4 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 00:25:03.57 ID:QdLdRUVE0
>>2 この話知らなかったからまぁいいや
面白いなー
5 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 00:28:36.18 ID:V+OQpMEw0
>>2 どんまい
こういうとこにはナパーム落とせばいいよ
7 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 00:31:46.84 ID:qh+HrHp40
>>2 1分で謝罪ワロスw
>>2で謝罪は初めて見た気がするw
つうか地元の人は容認派が多いのか?
この問題(だけでもないが)、反対派の声が大きすぎて
県民の本音が見えてこない
県民投票は出来ないのか?
とりあえずチョーヤ飲もうぜ。
10 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 00:51:38.17 ID:0wrB/QV/0
んで、どうなったん
11 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 00:54:33.21 ID:UpbEgHpMO
鳩山が蒔いた種だから自分で刈ってもらおう
12 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 01:05:52.19 ID:5/buWdvi0
ナパームってデュポンだっけダウケミカルだっけ?
いずれにしても朝のナパーム弾の臭いは最高だな
14 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 03:07:03.58 ID:cYR+AVoc0
左翼はどこでも同じ、他人の迷惑なんか気にしない。
経済産業省前での座り込みも同じ論理だな。
だから、左翼は嫌われる。
>>14 「自分達の考えは絶対的に正しい。だから犯罪をしても許される。」
ってのがフランス・ロシアの革命政府から日本の赤軍派から
井上ひさしやグリーンピースのような小物にいたるまで
左翼共通の思想なんだよな。
16 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 05:16:23.16 ID:vhHn6PBK0
反原発テントどけろよ 公務員と警察ども
17 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 07:25:12.17 ID:20UaJeQT0
で、どうなったの?どうでもいいことだけど。
沖縄のニュースでは昨日名護市長に撤去依頼してたよ
20 :
名無しさん@12周年:2012/03/03(土) 08:01:36.19 ID:Qrp4JhLdP
お〜w
>>2 責任とって顛末調べて書き込んでくださいな。
22 :
名無しさん@12周年:
皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結?
2010.10.9 22:45
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、
辺野古およびその周辺が、県外から集結する反米・反日活動グループの拠点になり、
「闘争」がこれまで以上に過激になるのではという危機感が地元で広がっている。9月の
名護市議選で、飛行場の受け入れ反対派が圧勝したことなどが理由だ。(宮本雅史)
選挙は定数27人に対し、受け入れに反対する稲嶺進市長派が16人を占めた。
名護市内の飲食店経営者は「反対を前面に打ち出した4、5人の候補者が労働組合などの
支援で当選したため、反対活動が活発化するのは避けられない。特に川野純治さん(55)が
当選したことが大きい。彼はPTAの活動を通して地元との関係を強くしていたが、経歴や
現在の活動内容が不安材料だ」と話す。
公安関係者によると川野氏は、天皇陛下が皇太子時代の昭和50年7月に沖縄県を
ご訪問された際に糸満市内で、ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような
物を投げつけて“襲撃”した人物。公務執行妨害容疑で逮捕、懲役1年6月の実刑判決が
確定した。
当時の報道や関係者の証言によれば、川野氏は当時、「流血も辞さない戦いで皇太子上陸を
阻止する」と宣言していた沖縄解放同盟準備会(沖解同)の活動家。事件について川野氏は
平成9年6月、新聞社のインタビューで「天皇と沖縄戦の問題を考え、ふと現代に目を
移すと、同一線上に巨大な米軍基地がありました」と振り返っていた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/101009/lcl1010092246003-n1.htm