【宮城】東日本大震災:南三陸町の防災庁舎、写真を遺族に公開へ
1 :
再チャレンジホテルφ ★:
宮城県南三陸町は、津波で多くの犠牲者が出た防災対策庁舎の写真を遺族に公開することを決めた。
写真は震災当時、町職員が撮影した。殉職職員家族会(17人)が「家族は最後の姿を確認したい」と
提供を求めたため、町は22日付の文書で回答した。一般には公開しない。
町は、防災対策庁舎の屋上に押し寄せる津波の様子などを収めた写真をホームページで公開している。
しかし一部の写真は「遺族に迷惑がかかる恐れがある」との理由で、遺族にも公開してこなかった。【熊谷豪】
毎日新聞 2012年2月27日 20時33分(最終更新 2月27日 21時06分)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120228k0000m040075000c.html
ご冥福を祈る
写真は?
5 :
名無しさん@12周年:2012/02/27(月) 23:20:28.26 ID:JLbMSrMr0
3
7 :
名無しさん@12周年:2012/02/27(月) 23:34:11.00 ID:ldyBlXv10
8 :
名無しさん@12周年:2012/02/27(月) 23:42:04.53 ID:gdBDI8z60
今まで見たことも聞いた事もないような事態が
迫って来た時に
的確に判断出来る人間はそういないって事か
9 :
名無しさん@12周年:2012/02/27(月) 23:55:12.48 ID:YpwpLOJb0
流される瞬間とかが撮影されてるのか?
遺族に迷惑がかかるってなんでだ?
顔をぼかすとかして公開できるだろうに。
11 :
名無しさん@12周年:2012/02/28(火) 00:23:55.69 ID:z9foxHBj0
南三陸のクズ町長まだ息してるの?
そのうちフジテレビがすっぱ抜いて公開するだろ
流される様子とか被災者の遺体とか外国みたいに当たり前に映像で流せ、とは言わない
しかし日本は報道しなさ過ぎると思う
数年後には震災の恐怖は忘れ去られ同じ悲劇を繰り返すだろうな
14 :
名無しさん@12周年:2012/02/28(火) 00:46:08.93 ID:+uzSgeqJ0
ま、海外のマスゴミが報道した映像や写真は
日本みたいにグロ部分排除してないからな
町長がポールの最上部に逃げて助かってるんだよな
まぁそれを兎や角言えるほど立派ではないので批判はしないが
遺族にはちゃんと情報公開すべきだな。
>>1 公務員が何人死んでもいい気味だなwwwwwww
次の南三陸町防災センターは50階建てにして
放送センターは屋上にしてね
19 :
名無しさん@12周年:2012/02/28(火) 01:12:28.72 ID:atBUOLq30
>>5 こういう人らを差し置いて、なでしこに国民栄誉賞とか頭おかしいだろ、管
20 :
名無しさん@12周年:2012/02/28(火) 01:17:37.85 ID:eeIeNrdX0
津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町で、津波到達の直前まで防災放送で町民に高台への避難を呼び掛け続け、
自らは行方不明となっていた同町職員遠藤未希さん(24)とみられる遺体が2日までに、同町の沖合で見つかった。
母親の美恵子さん(53)によると、遺体は4月23日、捜索隊が発見。昨年7月に結婚した夫(24)がプレゼントした
ミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを、夫が遺体の写真で確認した。
遠藤さんは、昨年4月に危機管理課に配属。3階建ての防災対策庁舎の2階で地震発生直後から「6メートルの津波が来ます。
避難してください」などと防災放送で何度も呼び掛けた。
旦那さんのブログより(閉鎖されました)
震災から一カ月以上…もし遺体にミサンガがなかったら、みきさんだとは分かりませんでした。
よく足から離れないでくれていた。よく残っていてくれた。そんな気持ちです。
つけていたのは正式にはミサンガではなくオレンジ色のボンフィン。
みたい方はぼくのブログにみきさんがつけていたものと同じのが載っているのでみてください。
ぼくがフットサルでケガをしないようにとつけていて、一度切れてしまったんです。
そのために新しいボンフィンにけが予防とみきさんとの幸せの願掛けをしてつけました。
それをみたみきさんが私も付けたいといって、左足にぼくがつけたもの。正式な結びではありませんが、
みきさんは喜んでいました。どんな願い事をしたの?と尋ねてもみきさんは教えてくれませんでした(笑)
普通の人であればボンフィンとは無縁であって、つけていても腕にミサンガやパワーストーン。
足につけるのはサッカー、フットサル関係者に多いです。
なので遺体をみてすぐに本人だと思いました。
みきさんかどんな願いをかけたかはわかりません。
もし二人の幸せを祈っていてくれていたのなら…
ふたりで同じ願いのかかっていたボンフィンが逢わせてくれたのかもしれません。そう思いたいですね。
今は亡くなって悲しいより、見つかってくれて嬉しいという気持ちです。
いろいろと伝えたい事や話したいことはありますが、今日はこのへんで。
みなさん、もしよろしければ寝る前にでもいいので空に手を合せてあげてください。
震災から一年も経たないうちに浸水地域に家が建ち始めました。
明治、昭和、平成。何度でも同じことを繰り返す三陸の人々。
でも、これで良いのかもしれません。
津波で人が死に、生き残った者が同じ土地に戻り、その子孫がまた
津波で死ぬ。
有史以来、その営みを絶やさず続けて来たからこそ、三陸に都市と文化が存在するのです。
遠方からあれこれ心配し、彼らの生きざまと死にざまに口を挟むのは、もうやめませんか。
三陸の生きざまを全面的に肯定し、三陸の死にざまを全面的に受け入れる考え方。
それが「津波は三陸の風物死」です。
22 :
名無しさん@12周年:2012/02/28(火) 05:02:35.90 ID:D015yj8P0
津波の高さ○○メートルが来ますって言われても実感湧かなくて避難しないってことがわかったんでしょ。
だったら、津波の高さが4階建て5階建ての高さで来ますって言われたほうが危機感が出るかと。