【文化】卑弥呼の「末裔の墓」 考古学マニアも知らなかった奈良の古墳が脚光
1 :
再チャレンジホテルφ ★ :
2012/02/27(月) 00:38:24.67 ID:???0
>>1 の続き
4世紀末以降になると、応神天皇陵(大阪府羽曳野市、全長約420メートル)のある古市(ふるいち)古墳群や、
仁徳天皇陵(堺市、同486メートル)などの百舌鳥(もず)古墳群に勢力は移り、「河内王朝」ともいわれた。
ヤマト王権“本流”最後の輝き
首都が大阪平野に移動したなかで、ヤマト王権発祥の地の桜井市に築かれた茅原大墓古墳は、
まさに「保守本流」としての最後の輝きだった。市教委によると、この地域では
茅原大墓古墳以降、100メートルに迫る古墳はなくなってしまう。
同古墳で注目されるのが、昨年発見された国内最古といわれる人物埴輪(はにわ)だ。
顔は笑っているように見えるが、冑(かぶと)をかぶり盾を持つ姿は、被葬者を
邪悪な霊から守ろうとする力強さを感じさせる。政権の中枢を大阪に譲っても、
人物をかたどった新しい埴輪文化をいち早く取り入れようとした底力がうかがえる。
ただし、古墳の形が前方後円墳でなく帆立貝式古墳だったことに、本流ではなくなった悲哀もうかがえる。
それでも福辻さんは、100メートル近い古墳の規模に着目。
「被葬者はたとえ主流でなくても、政権の一画に入っていたことを示すのではないか」と推測する。
卑弥呼や邪馬台国、初期ヤマト王権など日本の国家誕生の謎を秘める
華々しい歴史を持つこの地域も、茅原大墓古墳を最後に、数十メートル規模の小古墳になってしまう。
茅原大墓古墳の頂上に立つと、はるか西方には二上山の姿が浮かび上がる。
その先には、古市・百舌鳥古墳群のある大阪平野が…。
茅原大墓古墳の被葬者は、二上山の向こうの新たな首都に何を思っただろうか。
(おわり)
3 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 00:39:02.54 ID:ntLdXYVOi
3da
4 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 00:40:27.87 ID:l4Lbec5S0
卑弥呼がチンポ咥えながらバックから突かれてる時に出してたあの声はたまらんかった
6 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 00:43:46.12 ID:sEG+1p+50
こういうスレは日中に建ててほしかった 寝れん
8 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 00:47:01.99 ID:gQoWGmDyO
ちょっと推測に無理があるな
9 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 00:47:45.69 ID:cTHfOWV90
>>5 なんて小さいの!って声だろ。
しかも方形だし w
10 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 00:47:48.08 ID:sEG+1p+50
それより宮内庁は箸墓古墳の調査を認めて欲しい
ホタテをなめるなよ
邪馬台国は238年から、4回朝貢してるが それでパッタリ音沙汰なし 次に日本のことが出てくるのは150年後の倭の五王。 でもここで邪馬台国の話などまったく出てない。 邪馬台国は滅んだんだよ
13 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 00:50:23.76 ID:9KdINf9o0
>>卑弥呼の「末裔の墓」 根拠が全く無いね。
つか、韓国にも同じような古墳があるし、当時の勢力で言えば 半島にあっても不思議ではないね
15 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:06:56.35 ID:PrvDw3NT0
16 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:09:58.47 ID:i/Ha/vMU0
そもそも天皇陵が大阪平野に移った後でも都は大和に置かれた期間の方が長いぞ(記紀を信じれば)。 産経って右翼新聞なのに基本的なことを勉強してねーんじゃねー?
17 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:11:46.78 ID:SCBKjIKk0
>>14 当時、半島南端は日本(倭国)の勢力圏だったから、当然といえば当然。
ほとんどの韓国人は否定するけどな。
奈良の正倉院に徴税記録もあるから、否定のしようのない物的証拠だよ。
前方後円墳ってさ、見方によっては1ドル札の例のシンボルに見えなくね?
20 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:17:52.62 ID:i/Ha/vMU0
>>16 そんでもって戦後左翼史観全盛期には、
「都が大和にあることが多いのに古墳が大阪平野にある」
「都は政治的理由で定めるが、墓は故郷に作る物だ」
「5世紀の大王たちは大和出身ではなく河内出身で王朝交代があった」
ということで、「河内王朝」なんて概念を作って一時は通説になっていた。
しかし稲荷山古墳鉄刀銘の解読以来、4世紀ごろから一貫して大王の系譜が
連続している可能性が高いと考えられるようになって、
5世紀に天皇陵が大阪平野に作られたのは、海からやってくる朝鮮諸国の
施設などに大王の権威と権力を見せびらかすためではないか、という説などが
出てくるようになった。
21 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:17:58.31 ID:qi/sfxjD0
古墳には遠きロマンを感じるわ 明日香村なんて身震いするほど。 今度ここへも行ってみよう
22 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:21:50.18 ID:RfoyI+bU0
浅茅原と関係ある地名なのかな?
23 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:40:09.42 ID:xSnPU2WQ0
モスポールされた長門でも埋まってるのか?
24 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:42:03.45 ID:3zDqXE9c0
おれの琴線に触れるスレだ もっと内容の濃いスレにしてくれ!
25 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:42:14.34 ID:ywFpefUWO
卑弥呼とか邪馬台国はドコにあったか?みたいな話になると スグに喧嘩腰になる人達は何なの? 彼らは何で戦ってるの?マジで教えて、自分の出身地を持ち上げたいの?
26 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:42:26.91 ID:GbB2HiEl0
>>20 むしろ大阪平野に何も作らないほうがおかしい
奈良も大阪も隣同士
27 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 01:44:19.30 ID:HFvUsqUb0
この時代を語るときに大阪平野なんて語を使う時点で 筆者の程度が知れる
エビしちゃいけません♪ カニしちゃいけません♪
京都千年、近畿で見れば千五百年。 文明を育めたのは地学的・地政学的に安定している場所だったから。 関東見てみなよ、たかが5百年で古代なら文明崩壊レベルの災害が8回も起きてる。 関東に大した文明が存在しなかったのは地方の不安定さが原因だ。 京都とは言わないけど、近畿に首都を戻したほうがいいよ。 歴史が証明している。
>9 そうか、それが前方後円墳の始まりだったのか!
>12 そうだね。だから、邪馬台国は九州で、近畿の箸墓や倭の五王や大和朝廷とは、別系譜だと思うんだけどな。
>26 明日香村に行ってみたら、なんとなくわかったよ。人が住んでる所は東の方で、西は古墳ばっかり。黄泉の国。百舌も、その延長でしかない。
古墳跡とか重要なものが出ても奈良県はことごとく見なかった事にして工事を進めてる
36 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 03:38:41.98 ID:3r+anWkM0
卑弥呼は神功皇后だろ 時代的にも200年代で一致してるし だから仲哀天皇崩御201年から 応神天皇即位270年まで天皇不在期間になってる 言うなれば卑弥呼政権に応神がクーデター起こして 新たに応神王朝を打ち立てたって事だな 応神は神功皇后の息子となっているが 恐らく王朝の正統性を訴えるための歴史改ざんと思われ
37 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 03:42:20.03 ID:XjqcI4Ch0
卑弥呼って天皇より偉いの?
38 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 03:44:07.57 ID:ML82VMX8O
「大阪平野」がだめならそもそも大阪も奈良も桜井もダメだろ。 まあ言わんとしてることはわかるが。平野のほうだろうしw
全ては想像の域を脱しえない
>>36 最高権力者が、いちいちそんな文字のない時代からの王朝の正当性を訴える必要性がわからん
文字が読めるやつは当時の事情をすべて知ってるような階層しか居ないのに不信を招くだけだ
普通は自分を初代にする方が権威が上がると思うものだ、他人の子孫より勃興の祖になりたいもんだろう。
つーか歴史改竄するなら、なんの問題もなく続いてきたように書き残す 当時に知られてた常識と違うことが書けなかったから、当時の人間なりに わかってることをわかってるように書いたらあの様になった。
42 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 07:34:57.26 ID:vil5RBxF0
44 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 08:06:16.42 ID:Y6tP12S50
45 :
三河農業士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/02/27(月) 08:12:26.63 ID:gZz5zho+O
古墳を見比べるだけでも連続性が伺えるのに、何故かその初期に大和朝廷が成立していたと書かない考古学者。 制度的に朝廷ではなかったとしても、その政体がのちの大和朝廷になったのは明らかだろうに。
46 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 08:36:56.84 ID:s1Z/oSHT0
邪魔大国のヒミカ
>考古学マニアの間でもあまり知られていない古墳が、 国指定史跡じゃなかったか?
48 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 09:54:41.66 ID:okAyqikF0
意外と卑弥呼政権は大衆に支持を得ていた 卑弥呼死去後男王を立てたが 反乱が起きて再度女王の台与が立った これも魏志倭人伝に書いてある なので応神がクーデターを起こした後 大衆の支持を得るには前王朝を簒奪したわけではない という大義名分を示す必要があった それが神功皇后の子という正統性だった
49 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:03:51.22 ID:hV5KAR3sO
こういうスレのコメント見てるとお前ら本当に頭いいんだなあって思う 技術用語?すぎて俺にはさっぱり
51 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:06:30.62 ID:gWyzhtF/0
卑弥呼は、生誕、農作、軍事、様々な事柄の祟り神である『ミシャグジ様』を統括していた。 ミシャグジ様は蔑にするとたちどころに神罰が下るという恐ろしい神様であり、これをコントロール出来るのは卑弥呼だけである。 その為、彼女への信仰心は凄まじく、当時は神であると同時に一国の王として王国を築いていた。 しかしそんな彼女の元に大和の神々が侵略しにきたのである。王国を訪れた大和の神とは天照大神であった。 大和の神々は、小さな王国を次々と自分の物にしていった。最終的に全ての国を統一し、日本という一つの国にするつもりであると言った。 もちろん卑弥呼は国の王として迎え撃った。 当時最先端であった鉄製の武器を持って挑んだが、天照大神は細い植物の蔓をかざすと、卑弥呼が持っていた大量の鉄の輪は、たちまち錆びてボロボロになってしまった。 こうして神力の差を確信した卑弥呼は潔く王国を明け渡した。 しかし事態はそうもスムーズに行かなかった。祟り神であるミシャクジ様の恐怖を忘れることが出来ず、王国の人間達は新しくきた神様を受け入れようとしなかったのである。 天照大神は信仰心が得られないのならと、この王国を自分の物にするのは諦めた。 代わりに新しい神様を創造し、大和の神と融合させた。 こうすることで王国を支配しているように見せかけたのだ。 そして天照大神は、卑弥呼の力を借りて自ら天の神様として君臨する事になった。 真相はこんなところだろう。
>>49 スレタイの性質上そうなるだろ
興味がある、または造詣の深い人間が集まるのは必然
そしてお前さんのような少し興味のある流れ人もいる
53 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:07:52.46 ID:o3Zfez3J0
>>17 >奈良の正倉院に徴税記録もある
なにこれkwsk
そんなことより東出雲町は黄泉比良坂へのガイドをちゃんとしてくれ。 国道からどこ入ればいけるのかさっぱりわからんかった。
奈良では住宅開拓の為に、遺跡等を発掘してしまうと埋めると聞いた。 理由は固定資産税が発生するから。 もしかすると、卑弥呼に繋がる物は既に発掘され、埋め直されているかもな。
56 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:13:05.92 ID:CndRGCYZ0
そもそも卑弥呼は魏に朝貢したってだけで日本を統一した巨大政権かどうか 疑わしいんだが。 単なる九州のローカル政権の可能性が高い。
57 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:14:19.38 ID:gWyzhtF/0
>>55 大阪でも同じだよ。
真面目な業者が遺跡が出てきたので届けててる地域でも、その後に周辺でマンション建ててる連中は一切届け出てないしwww
1週間くらい調査の看板が出るからよくわかるんだよね。
同じ地域で調査無しなんておかしいだろ?
潰してやがるんだよ。
京都みたいに、杭打ち禁止とかそれくらいの規制をかけないとダメだね。
卑弥呼 って 「日の巫女」みたいな 職名の可能性はないの? 固有名みたいな扱いだけど。
59 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:17:08.18 ID:H3VXPq3T0
>>55 出てしまったことがバレたら調査に入られて建築がとん挫してしまうらしいしなw
夏にこの古墳一帯を見に行ったけど観光地化もされてないし
寂れ感が非常に奈良っぽいとオモタ
60 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:17:42.61 ID:0dt73rab0
>>59 それ奈良だけでなく大阪中河内各市そんなもんです
特に八尾なんて
62 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:29:30.64 ID:3j9UxvKsO
>>56 自分は紀元前〜3世紀頃の日本には、皇室の母体となった近畿の勢力と
邪馬台国をはじめ中華に朝貢してた九州の勢力が別々に存在していて
後に近畿の勢力が九州の勢力を滅ぼした出来事が記紀にある
日本武尊のクマソ征伐のモデルになったんじゃないかなあなんて妄想してる。
歴史は言ったもの勝ちか?だったら俺が言ってやろう。 高千穂に力がある国ができる→九州を平定しつつ筑紫に都を構える(邪馬台国)→しかし熊襲などの外敵も多い 宮崎から船で近畿に進出し、そこを都にする(奈良に福岡と方角的に同じで同じ名前の地名が多く存在するのはこのため)→ 大和朝廷成立→熊襲、隼人征伐、夢に見た九州平定。 異論は認める、質問は受け付けん。
64 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:49:04.31 ID:NMfAmjDC0
今の大阪の大半って海岸じゃなかったっけ??
65 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:54:12.62 ID:zKyW7QGQ0
今どき本気で邪馬台国九州説を言ってるのは、死にかけのじじい供だけ。 邪馬台国=大和国。単純明快。
66 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 10:55:40.88 ID:Em3GyV0B0
また奈良土人の捏造か
>>63 都は寧ろ九州南部域だろ。ハヤトも随分遅く迄野放し状態だしその後の扱いも不自然。
>>58 稚日女尊(わかひるめのみこと)を天照大神の幼名と解釈したりもしますね。
72 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 11:41:22.72 ID:eFbxm9hN0
分かりやすい古代日本の歴史 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 紀元前2世紀 3世紀前半 3世紀後半 4世紀 5世紀 6世紀 7世紀 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 弥生時代中期 弥生時代後期 古墳時代 飛鳥時代 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 九州での鉄器出土時期 巻向遺跡 近畿銅鐸出土途絶える 近畿での鉄器出土時期 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 倭の国々 → 邪馬台国 → 臺与九州王朝(九州四国出雲吉備の銅剣銅矛圏) → 倭の五王(倭国+百済新羅任那勢力圏)高句麗と対立 (卑弥呼&弟:天照&須佐之男) ↓(須佐之男の子孫) ↑(日本武尊〜神功皇后の九州遠征) 日向豪族 神武東征 → 大和銅鐸圏平定 → 大和地方王権 → 畿内〜九州統一 → 大和朝廷 → 日本国成立 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 異論は認める。
卑弥呼はキムチ食ってたニダ
74 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 11:45:18.76 ID:96ubtSxU0
卑弥呼の時代、遼東・朝鮮を支配する公孫氏に朝貢していたと思われる。 資料が残っていないので推測の域を出ないが、公孫氏が魏に滅ぼされた直後に卑弥呼の使者が魏へ朝貢におもむいた事を勘案するとそうなる。 むしろ、魏と国交を結びたくても公孫氏に邪魔され不可能だったが、その邪魔が無くなったのですぐに動いたのかも知れない。 卑弥呼の国際感覚はかなり高度だったと見るべきだ。 ただ、長年公孫氏と交流があったために、首都の大和盆地には遼東・朝鮮からの亡命者が多数流れ着いていたと思われる。 魏からの使者を大和に入れず、九州に留め置いたのも、魏の敵であった遼東・朝鮮からの亡命者をかくまっている事実が魏にばれないためだと考えられる。 おそらく魏の使者も、そういった邪馬台国の内部調査も使命として帯びていただろう。 すさまじい駆引きである。 そして、当時の九州は魏志倭人伝にも記されている通り、狗奴国との戦いの最前線だった。 狗奴国とは九州南部の勢力と考えて間違いないであろう。 その最前線の軍事的に緊張した様子は、魏志倭人伝からも読み取れるほどだ。 時が経ち、その戦争の最前線で鍛えられた勢力が逆に大和の中枢に攻め上り日本の支配権を奪うという事件が起きた。 それが、神武帝の東征である。 神武帝は大和中枢勢力の王族だったと思われる。 相続争いか何らかの理由で左遷され、九州の戦争の最前線に送られたと考えられる。 しかし、そこで鍛えられた兵士を手に入れ、大和よりも進んだ九州の鉄器文化を使い、リベンジを図ったのだろう。 だからこそ、河内で一度敗戦しながらも、熊野経由で進軍を画策できたし、はせ参じる土着勢力も多かったわけだ。 まったくのよそ者ならばここまで多くの寝返り勢力が現れるわけがない。 なので、今回のこの古墳は、神武帝によって打倒された旧政権の末裔の墳墓だと説明がつく。
75 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 11:46:20.84 ID:9SblZMgyO
たしか、奈良押しは御用学者しかいないんだってな。原発でわかったんだが、御用学者って信用出来ない だから、邪馬台国は九州なんだと思われる
76 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 12:09:14.58 ID:3QwNj1OO0
狗奴国一宮 邪馬台国畿内説に立つ論者は狗奴国の位置を、愛知県一宮市萩原遺跡群を はじめとして伊勢湾岸一帯からS字甕が大量に発掘されていることから、 尾張平野一帯に大勢力が広がっていた。
>>75 なんか政治的な理由でプロレスやってるとかなんとか聞いたな。
茅原大墓知らないって、考古学マニアじゃないだろ
今や九州説を主張する学者なんて、 もはや引退したじいさん先生しかいないのに。
80 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 12:45:57.02 ID:sbJe3Ip+0
ゴッドハンドの件で考古学そのものの信頼感が揺らいだ時期あったけど あれからまともになったんだろうか。 個人的にはいまだ胡散臭い学問なんだが。ウリナラファンタジーライクというか。
>>72 横幅が広すぎて崩れるから、縦に組み直してくれ
>>80 残念だが将来ヤバイ事に成る可能性も在る。
↓こんなこと書いたらトンキンさんが発狂しはじめます >>4世紀末以降になると、応神天皇陵(大阪府羽曳野市、全長約420メートル)のある古市(ふるいち)古墳群や、 仁徳天皇陵(堺市、同486メートル)などの百舌鳥(もず)古墳群に勢力は移り、「河内王朝」ともいわれた。
85 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 12:59:43.45 ID:wN/mghM40
卑弥呼探求の歴史ロマンって、中国人がいい加減な記録を残したから
86 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 13:07:47.88 ID:eFbxm9hN0
1分でわかる日本古代史改訂版 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- 紀元前2世紀 3世紀前半 3世紀後半 4世紀 5世紀 6世紀 7世紀 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- 弥生時代中期 弥生時代後期 古墳時代 飛鳥時代 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- 九州での鉄器出土時期 巻向遺跡 近畿銅鐸出土途絶える 近畿での鉄器出土時期 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- 倭の国々 → 邪馬台国 → 九州王朝(九州出雲瀬戸内海の銅剣銅矛圏) → 倭の五王(倭国+百済新羅任那勢力圏)高句麗と対立 (卑弥呼&弟:天照&須佐之男か) ↓(須佐之男の子孫) ↑(日本武尊〜神功皇后九州遠征) 日向豪族神武東征 → 大和銅鐸圏平定 → 大和地方王権 → 畿内〜九州統一 → 大和朝廷 → 日本 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- 縦にするのめんどいから横幅を減らしてみたw 俺の中ではこれが正しいと確信している
87 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 13:09:46.77 ID:T7cPZxpi0
俺は新潟説を信じるわ
88 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 13:11:08.61 ID:72Z7G3Af0
原人パイ食べたい
前方後円墳の形の意味って何かあるの? なんとなくあの形なの?
古墳を横目に見ながら外環走って、王将でいっぷく・・・あつあつのギョーザ・・・ うまかったなぁ・・・
93 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 13:50:30.89 ID:/Jl80KTj0
九州説のオワタな扱いが、ウケル
>>92 前方後円墳が地球の鍵穴だった、という説はゆで考古学では常識
ちゅうか卑弥呼の存命中に 九州から奈良に移動してたらどうすんの?
終わったも何も、初めは予算獲得の為のプロレスだったんじゃね 今は、ある程度発掘等が進み邪馬台国があったとされる3世紀頃の事が分るようになってきた 今更、邪馬台国が何処にあろうと観光業以外はあまり変化はない でも、いまだ一部の人は邪馬台国は・・・って言ってるそんな感じ
墓だけ九州から奈良に移設したのかしれんしな。
箸墓はヤマトトトヒモモソヒメの墓だろ。 ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼かも知れないっていわれているだけで。
トトトとかモモとか怪しさ爆発だな。
101 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 18:16:40.30 ID:/Jl80KTj0
まあ神と交信する巫女なんてものは当時は全国各地にいたしな 子を生む女の方が男よりも断然神秘的なものとされていたし スサノオウも「ほれ見たか!」と女子を作らせて大変喜んだくらいだ 九州や畿内も基本これは同じ。遺跡一つとっても九州は絶望的だし 卑弥呼は畿内に居たんだろう、卑弥呼がいた場所を邪馬台国とするならば、もう決まりだな
骨がDNA鑑定されて特定されるまで、未決だな。
103 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 18:55:18.10 ID:xsZVbKFi0
畿内説 三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だー …大きさから魏で作られた鏡じゃありません 箸墓(前方後円墳)が卑弥呼の墓だー …卑弥呼の墓は径百余歩の「冢」=円墳 纒向が卑弥呼の都だー …纒向は宗教施設。居住生活した様子がありません 邪馬台国が大和朝廷の前身だー …卑弥呼もトヨも記紀に出て来ません
>>100 所詮、外国の資料。しかも著者が見聞したのではなく、また聞き。
106 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2012/02/27(月) 20:58:50.92 ID:z5GG3HJQ0
あんだとこら。九州だっつの。
いや、阿波でも近江でも岩手でもエジプトでもいいが、畿内だけはないな。
つか俺が許さん。
まじめな話、
>>86 はけっこういい感じだ。
九州王朝から倭の五王につながる→には異論があるけど。
107 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 21:03:31.96 ID:Mhc/JL1cO
邪馬台国だから大和国でいいよ
108 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 21:06:11.62 ID:aK/AeebS0
>ヤマト王権は4世紀末に大阪平野に移動したため、王権発祥の地は一気に衰退したが いまどき王朝交代論かよw 何十年前の本読んで書いてんだこの記者
109 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 21:07:45.40 ID:na3+VBoP0
超推理
>>108 大阪に首都があると困るトンキンが歴史を捏造してたからね
112 :
三河農業士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/02/27(月) 21:14:35.11 ID:gZz5zho+O
>>106 じゃあ敢えて朝鮮半島で。
任那の王、都怒我阿羅欺等が大和に服属し、また大和に代わって帯方郡に使いを送っていたのではないかな?
天皇と卑弥呼て関係あるの?
114 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 21:32:20.60 ID:2JQ83THD0
>>62 実は俺もそう思ってる
なぜなら東国の蝦夷(えみし)討伐部隊のうち、海運の長である息栖神社や塩竈神社は常に下位なんだよね
そんで縁の神社の注連縄がなぜか九州に多い板締め型してることが多い
その点について合理的な説明をした文献を見たことも無い
日本書紀は大陸側にも持って行き朝廷の権威の正当性を示す狙いもあって編纂された。 ところが大陸側にはすでに魏志倭人伝があり卑弥呼が「親魏倭王」と明記されていた。 卑弥呼が大和朝廷の祖でないなら、朝廷が新興勢力でしかないと読み取られてしまう。 卑弥呼が大和朝廷の祖なら、祖先は魏に朝貢していたと認めてしまう。 そこで苦肉の策を講じたと推定するのが当然だろう。
卑弥呼って俺のばあちゃんの義理の妹のおばに当たるらしいな 歴史上の有名人が意外と近くてびっくり
記紀は絶対年代を記していないし前後関係も明言されているわけでない。 そこで官吏たちがところどころ干支一巡分を前後関係を無視して差し込み 絶対年代で60年のずれを読者の勝手な勘違いを誘おうと狙ったのでないかとも言う。 天武天皇の時代から単純に逆算すると神功皇后が卑弥呼の時代の人物という事になり、 魏志倭人伝の卑弥呼とは神功皇后の事でないかと読者の勝手な推定を誘う。
118 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 21:46:52.27 ID:s1HbnNkL0
119 :
名無しさん@12周年 :2012/02/27(月) 21:50:59.66 ID:s1HbnNkL0
日本書紀は天皇以外に神功皇后だけ特に一巻を割き、 そこに魏志倭人伝の卑弥呼の記事が引用されているなど、 編者は必死に神功皇后=卑弥呼と印象付けようとしたかのようである。 日本書紀の編者は官吏でしかなく 皇族の記録を改竄するのは畏れ多く出来なかった、 日本書紀は嘘は書いていないのだ。
いまに見ていろ卑弥呼の一族全滅だぁ!
>>15 いやいや、当時の半島は卑弥呼の勢力下にあったってこと
今の中華民国東北部までね
>>118 チョンの歴史自体が日本の400年遅れw
チョンの歴史に年代を合わせる事自体が間違い
123 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2012/02/27(月) 23:16:39.53 ID:z5GG3HJQ0
>>112 待てw
末盧国まではさすがに議論の余地はない気がする。
ツヌガノアラシトはやっぱ敦賀だし。
>>114 なるほど、注連縄に残る痕跡を手がかりにするのか。
そういうので何か良い本はないかしら。
どうも最近吉野教の信者になったもんで、何でも蛇に見えて困るw
箸墓はヤマトトトヒモモソヒメの墓だろ。 ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼かも知れないっていわれているだけで。
「でんでらりゅーば」っていうコマーシャル、あれ最初車の中で歌ってんの菊池桃子かと思ってた。
ああ、トイレの歌だったのか!
128 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 00:35:36.33 ID:vv9cG9yQ0
たかが2000年程度前のことがまだわからないって、この分野の研究者は何やってんの? 給料カットしろよ
129 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 00:41:02.97 ID:oVRp9v2J0
>>119 最近読んだ本に書いてあったけど、
神宮皇后の即位の時、日食のきじがあるんだが、それが201年にあった日食と
一致してるらしい。もちろん、神宮皇后は一世紀も後の人。
つまり、卑弥呼の記録は実は残っていて神宮皇后の記事に引用してるってことだ。
131 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 00:43:15.63 ID:oVRp9v2J0
>>129 日食の記事は日本書紀に記載されている。
卑弥呼の記録は実は残っていたのではないか?
132 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 00:52:02.83 ID:iXOtYkx90
卑弥呼は何か責任取らされて殺されたらしいぞ。 いわゆる王殺しの風習と儀式によって。
>>34 長屋王邸みたいに、すご過ぎるものが出土してしまうと隠しようがないが、
あれも調査が不十分なまま工事進めてしまったな
134 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 01:01:29.46 ID:oVRp9v2J0
>>131 日食があったのは和歌山県…
つまり畿内にいたってことね。
卑弥呼の時代の記事なら。
>>105 そんなこと言い出したら、完全な暗黒時代だぞ。
卑弥呼もやまたいも、トヨ、スイショウだって全て嘘とも言えてしまう。
東夷伝倭人条、これが唯一明文化された資料であるなら、これにすがらない理由がない。
あとは発掘調査等から整合不整合を考える他ないだろ。
>>50 あと、チョンってのは何だ。
朝鮮半島の人間は今いる人間とは違うかも知れんぞ。
魏と言う国は、そもそもチョンでもないしな。
137 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 02:52:49.92 ID:GYv7uruw0
日本書紀は同じ読みでミスリードさせてるだろ
融合させることで誤魔化してる
そうすると
>>115 の推測ががぜん有力になってくる
138 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 03:54:11.31 ID:HoQocP8g0
>>135 >
>>105 > そんなこと言い出したら、完全な暗黒時代だぞ。
> 卑弥呼もやまたいも、トヨ、スイショウだって全て嘘とも言えてしまう。
>
> 東夷伝倭人条、これが唯一明文化された資料であるなら、これにすがらない理由がない。
> あとは発掘調査等から整合不整合を考える他ないだろ。
邪馬台国というのは、ヤマト国と読まれるべきだ、
という意見はあるよね。
>>137 魏に朝貢してたとか隠す必要ないし。
仁徳とかの時代は中国皇帝に朝貢して将軍の称号もらってたんだから。
141 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 06:13:31.48 ID:pLeM9jZb0
>>75 奈良押しは御用学者?
詰めれば詰めるほど、やばくなっちまうんだよ。
宮内庁サイドとってはな。
第10代、11台の宮城が今明らかになりつつあるんだぜ。
書紀には何て書かれてあるんだ?
肇国の大王が祭祀の仕方知らなかったんだぞ、2代続けて。
つまり、大和朝廷の基礎を成したとされつつある大王が
当時の最も大事な祭祀の仕方をしらなかった。
結論は、よそ者だということだよ。
142 :
(^_^;)イヤハヤ まだやってるのか? :2012/02/28(火) 06:20:14.01 ID:2eTzGSjbO
ヒナモリ(鄙守り)は地方自治体の責任者 中央集権体制は当時既に確立されていた
>>58 ヤマタイはヤマト、卑弥呼は姫巫女という説を見たことがある
卑は婢、高慢な中国様にすれば倭人の女など奴婢も同然ということで
あるかどうかは知らない
>>142 副官なんだが。
地元出身の首長と中央政府派遣の副官がいたのではないかと予想。
145 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 09:47:21.51 ID:KfHEGzez0
>>75 日本の場合は歴史も反日学者によって捏造されているからなあ。
146 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 10:39:47.04 ID:JDaB/yzo0
日本・瀬戸内海連合(邪馬台国&それに列なる諸国) VS 太平洋・黒潮連合(反乱軍、狗奴国&それに列なる諸国) 日本・瀬戸内海連合と太平洋連合、それぞれの後ろ盾は、魏と呉 邪馬台国の大将は卑弥呼の弟であり、6〜9代天皇の誰か 狗奴国の大将は神武(≒崇神、10代天皇)、それが東征 → 数十年をかけ平定 橿原に入って王となる。 魏の支援を得られなくなった邪馬台国が、戦乱を嫌い、狗那国の神武に禅譲した可能性もあり。 クマソタケル討伐は、中央に不満を抱いた祖国の反乱であり、西南戦争の様なもん。 異論は認める、質問は受け付けん。
>>138 台与をトヨと読むなら、邪馬台もヤマトと読むべきだと僕も思うよ。
ただそれが後のヤマト王権に直接繋がったかと言われたら懐疑的かな。
148 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 12:50:20.84 ID:2Samh4ZA0
未だに日教組は ×「稲作文明も中国文明も全て朝鮮が日本に伝えた。中国がラオウ、朝鮮がトキ、日本がケンシロウ」 と教えている。 本当は「稲作は長江文明の弥生人が、漢字・学問・宗教は中国人の王仁が、直接日本に伝えた。朝鮮人はアミバ!」
149 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 15:19:15.64 ID:KfHEGzez0
>>148 稲作は縄文時代に海上の道を通ってきたのがルーツで
当時の稲や米も発見されている。
朝鮮半島や満州には無いDNAの米だったから。
日教組や東大やNHK特番の半島経由説は間違いだな。
150 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 15:27:02.42 ID:MuZRnOMCO
卑弥呼、懐かしい よく村西と絡んでたな 今はどうしてるのかな
151 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 15:29:27.24 ID:MuZRnOMCO
>>150 オレの隣でイビキかいて寝てる
昔は若くて・・・
卑弥呼は九州に決まってるだろ。畿内で西日本が支配出来るわけが無い。当時、馬も無ければ道も無い。舟は風向き次第。奈良時代でさえ何ヶ月もかかってる場合がある。
なんで邪馬台国ばかりクローズアップすんだろうな
奈良時代の前の呼び名が弥生時代位しか一般的じゃないからじゃない? 下手したら、弥生時代→奈良時代と思ってそう
157 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 15:57:29.59 ID:2Samh4ZA0
熱帯ジャポニカ陸稲(ジャワ米、ジャバニカ種、スンダランド原産)……自然伝播・撒きっぱなし収穫(粗放農業)・6千年前の考古遺物あり
温帯ジャポニカ水稲(長江原産・元はスンダランド熱帯陸稲)……弥生人が持ち込んだ種籾は極わずかで遺伝子多様性が極少・遺伝子は江南と一致、朝鮮とは不一致・3千年前くらいの水田遺構あり弥生期開始も早まる。
長江文明……1万6千年前ころ沈みゆくスンダランドから移住した稲作文明(黄河文明より8千年も早い)。4千年前ころから南下してきた黄河文明と衝突し、3千年前に滅ぼされた。
熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカが交雑して、寒冷適応早生ジャポニカが誕生した。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-25.html
158 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 16:13:03.09 ID:FO1h5v8n0
中学高校はもう20年以上前だけど、倭国大乱や倭国王帥升や倭の五王や広開土王碑なんかは授業でやった記憶が無いな。 さすがに奈良の前に飛鳥時代や古墳時代があることくらいは習ったと思うが。
習っても年代感がないじゃん 言われてあーそういう時代区分もあったな程度じゃない? 多分、平城京の前の都は何処って聞かれて正しい答えの人は少なくない?
160 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 16:28:49.73 ID:XckLqbz4O
卑弥呼は九州だろ、そんな気がする
当時の言葉と今の言葉は全然違うと聞くが、同じ日本人なのにどのくらい違うのだろう?
当時と今では日本に住んでるのは同じ民族じゃないと思う
164 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 16:53:03.51 ID:2Samh4ZA0
つい30年前くらいまでは、日本から縄文人は消えたと思われていた(「置換説」「変化説」)。 ところが、現在では遺伝子的にも言語的にも日本で最優勢なのは縄文Y-D2系なことが分かっている。 日本に存在しながら激減してしまった遺伝子は父系ハプログループY-C1型とY-C3a型だけである。 他の遺伝子グループでは東亜史料・考古資料と現在遺伝子分布は概ね一致して、生存が確認されている。
165 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 17:10:13.46 ID:2eICDsT7O
どっかのサイトで見た説がかなり説得力あって面白かった。 いわゆる「魏志倭人伝」は、晋の歴史家が晋のために書いた正史である。 ↓ 晋を興した司馬氏がいかに魏の正統後継者であるかを書きたい。 ↓ 司馬懿の大功績である朝鮮半島北部の討伐は大きく宣伝したい。 ↓ 討伐した成果の一つである倭国の初朝貢も最大限に利用したい。 ↓ 倭国を中国大陸の東に広がる大きな国のように見せたい。 ↓ 晋も華南を征服して中華統一を果たしたばかりなので、その正当性も図りたい。 ↓ 実際の日本列島は東に伸びるが、南に伸びて華南の東まで至るように見せたい。 ↓ 進路の東を南と置き換え、会稽東冶の東に位置するという捏造記述となる。 倭国からの貢ぎ物がショボイのに下賜が豪勢で厚遇したのも、 政争の道具として倭国の存在が大きかった証拠である。
166 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 17:11:26.53 ID:JDaB/yzo0
>>153 阪九フェリーか名門大洋フェリーに乗船して瀬戸内の海を眺めるといい
あんなもん古代のハイウェイだろう
東西九州よりも瀬戸内に面する国家間の距離の方が遥かに近かったと思うぞ
2〜3世紀にかけて九州から畿内へと続くなだらかな連合国家≒倭国の誕生は瀬戸内海のおかげやな
>>163 船で死者の魂を海に返す鐘楼流しなんか、まんま鳥船信仰
167 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 17:15:43.25 ID:4OyJ8Wfi0
MMR出動だ!
169 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 17:50:49.74 ID:LqfHkWwt0
そもそも卑弥呼の時代2〜3世紀の出土品が出雲から北九州産の物が出てきたり、 九州から淡路島まで同じ文化圏(玉、剣、鏡を祀る文化:三種の神器と同じ)が広がっていたり、 記紀の神武東征が九州から出発して出雲や吉備に戦闘無しで立ち寄りながら近畿に攻め上がってることとか見るだけでも 九州から瀬戸内海、日本海側で船移動で広範囲に交流があったことは間違いない。 ごく自然に考えると皇室の源流が九州にあることが普通に思われる。 あと漠然と朝鮮半島からの渡来人が大和朝廷(古墳時代の始まり)作ったって信じちゃってる人結構多いと思うけど、 渡来人が大勢やってきたという弥生時代の始まりと、古墳時代の始まりは1000年以上離れてる別の時代なのに、ごっちゃに なってるんだと思う。邪馬台国の時代の日本人はもう今の日本人と同じだよ。
171 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 17:52:57.18 ID:2Samh4ZA0
日本の文化源流は南方と考えられている。 旧世紀から学会ではそう言われてきたが、朝鮮学派日教組だけはそれを未だに必死に否定して回っている。 呉越文化と日本の共通性が古くから言われているが、 これは弥生人も呉越もどちらも長江文明の系譜にあるからだろう。 呉越系渡来人の記録もあるが、そういう有史以後の少数移民では文化までは左右されない。 そしてもうひとつの南方文化伝播ルートも考えられている。 華南・東南アジアに残る父系ハプログループY-D1型保有の少数民族と日本の文化共通性がそれである。 長江文明系の血筋も色濃く残すミャオ・ヤオ・リー族だが、その出自は華北の羌族、すなわちチベット系であると史料に残されている(実際Y-D1を保有する)。 アマテラスは南方海人族の太陽神アマテルが源流とも言われ、鳥居や高床文化も南方を祖にするものらしい。 縄文人も弥生人もベースは南方由来の文化を日本に伝えていたようだ。
172 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 18:02:38.62 ID:2eICDsT7O
>>171 それはブリヤート起源説で消えたんじゃなかった?
邪馬台国って、ふつーに前ヤマト朝廷だろ そもそも「台与」を「とよ」と読ませてるのに、「邪馬台国」を「ヤマト」と読まん理由が無い。 邪馬台国なんて概念は、本居宣長が皇祖が中国に朝貢してたなんて認められん!とヒスって別モン扱いにしただけの産物じゃねえか。
>>170 ローマ人やケルト人がゲルマンに凌辱されて、さらにフン、アヴァール、マジャール、アラブ、トルコとごちゃ混ぜになって
わけわからんことになってるのと似たようなもんじゃね?しかし164のようにお隣の半島も含めて案外古代から暮らす民族は変わらないかもしれん
>>171 それは三王朝交代説とセットで語られる説明じゃね?
邪馬台国→熊襲の南方系文化から→河内の騎馬系王朝→近畿の渡来系の色彩が濃い継体王朝
交代説によると、神功皇后の辺りで渡来系に王朝が交代したらしいな
176 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 18:16:03.93 ID:2eICDsT7O
>>162 学校で習う「古文」が1000年前で、卑弥呼はそれより更に1000年前だから、
現代文と古文ぐらいの違いが、古文と弥生時代にはあるという事になるのかな。
九州と近畿ぐらいまでは 瀬戸内海をつかった一体の国だったと思う。 貨幣による徴税システムなんかまだないのだから しょっちゅう権力者が行ったり来たりして 支配下の人間からモノを受け取ってこないと 王国というのがそもそも成り立たない。
邪馬台国=ヤマト 九州にヤマトの地名は数々あるが、それのどれかだろう
179 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 18:22:40.02 ID:UHup132d0
じゃあ、間をとって四国で
そもそも戦国江戸の城みたいな城塞都市の規模より 邪馬台国は小さいと想像してるのが間違いで まだ稲作技術も未熟で狩猟を織りまぜた生活ならば 城もあちこち頻繁に移動していたはずだ。 あの時代に朝貢できたのは 瀬戸内海をつかってあちこち移動してるうちに 航行技術が向上したからと考えるのが自然で 奈良と九州ぐらいなら数日で着くのだから 同時に同じ王国の領地として存在してたと考えても不思議じゃない。
181 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 18:27:05.78 ID:2Samh4ZA0
ブリヤートと日本人の母系MTDNAは5割ほどで共通している。 ゆえにブリヤートと日本人の祖先に共通項があるのは間違いない。 だが、父系Y-DNAではほとんど赤の他人となっている。 シベリア・バイカル湖・マリタ村の文化は、縄文人の南方文化の後から1万8千年前くらいに「細石刃文化」として北日本に入ってきたことが確認されている。 だが、後世に大きく影響する文化的メインストリームにはならなかったようである。 20年前の松本秀夫氏によるGM遺伝子による日本人ブリヤート起源説は今ではあまり重きには考察されていない。 逆に旧世紀から学会で支配的ながら、日教組とマスゴミがその拡散を妨害してきた「縄文・弥生南方文化日本源流説」が遺伝子研究で裏付けされ、広伝されるようになった。
182 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 18:28:09.33 ID:BcWAPI+i0
畿内はない 福岡だよ
あの時代にいわゆる道路などないのだから 瀬戸内海を使って目当ての土地を転々と移動するほうが はるかに楽だったに違いない。
卑弥呼=神功皇后 福岡には神功皇后を祀った歴史のある神社が数多くある
なぜ古墳があんなにムダにでかいのかを考えると しょっちゅうあちこちに移動していた王国だから あのぐらいの大きさにしておかないと 墓がどこにあったのかわからなくなるというのが 本当のところなのではないか。 古墳時代の終わりが 住民の定住の始まりなのだと思う。
邪馬台国がどこかという設問が 狭い場所に永住するのが前提の愚問なのであって、 卑弥呼の時代の人間は一箇所に長く定住せず 瀬戸内海周辺の土地を 船であちこち行き来する生活だったとするると 邪馬台国は瀬戸内海の周りそこらへん一帯という話になる。
187 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 18:44:18.36 ID:5NTtY3Uw0
邪馬台国 の台は当時の中国ではトと発音した ヤマト国のヒメ巫女
188 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 18:45:10.08 ID:x0ETxCb/0
ところで卑弥呼の 卑の字と 邪馬台国の 邪の字は何とかならんのか?
189 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 18:51:16.18 ID:EIv1qFiT0
>>188 現にその文字で記録されてるのだから、しょうがなかろう。
191 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 19:01:35.59 ID:XDD/LieAQ
大阪に王朝があったのにまた奈良に戻ったのか
なぜ女占い師が王なのかといったら 次は瀬戸内海周辺のどこに移動すればいいのか 決めるためだったのではないか。
卑弥呼の時代に王国は定住しているという 前提をまず疑うべきだと思う。
卑・弥・呼=ひ・(め)み・こ =皇女 邪馬台・国=やまと・(うんたら)=大和朝廷 単に聞き取れなかったのと、当時の日本がヤマト某と呼んでいた某という国を現す言葉が通じず、 あちらの「国(いわゆる魏より格下の集団)」という概念を繋げて「やまたいこく」となったと推測(`・ω・´) 私は音の響きとか、固定観念から、「巫女」にこだわりすぎのような気がしている 古来から国があったのだから日本固有の「皇女(ひめみこ)」という呼び名(漢字は大陸から来てるけどね)が聞き間違えられたと推測する 反論は一切受け付ける
>>171 とか
つか、ユーラシア大陸のどんづまりの弓状列島なんだから、
時代を問わず南から北から西から人が来るよね。んでワイワイやってるうちに
なんとなく日本人になtったと。てなわけで、たしかに南方色が濃いけど、
たとえば日本語は「語彙は南方、文法は北方」と言われているように、
ごちゃ混ぜこそがアイデンティティな気がする。
>>166 の後半の精霊流しのように、「異界=海の向こう」という世界観は、沖縄の
ニライカナイみたいに東南アジア・北太平洋的だけど、一方で、記紀神話の本筋
(天孫族の神話では)「天津国−中津国−根の国」という鉛直構造で、これは
東北アジアだよね。
ついでにアマテルについては、俺は対馬とかの東シナ海文化圏出身だと思うが、
そこはそれw
小学生のときに読んだ歴史マンガでは 卑弥呼は周辺の農作物の出来を占う人間のように描写されてた。 よくよく考えたらその程度のことで王になれるはずがない。 農作物なら一年ことにはっきり成果が出るので すぐ当たらないことがバレる。 つまりは王として君臨するためには すくなくとも5年、10年スパンぐらいの物事を決める人間でなくてはならない。 北九州、高松、大阪奈良、そのどこに王国が移動すれば 豊かに生活できるか決断するためにこそ 卑弥呼が必要だったのだ。
出雲の加茂岩倉遺跡から出てきた何百本の銅剣がオオクニヌシの国譲りの伝説の遺跡。 つまり、倭国大乱とは出雲対天孫族(大和=邪馬台国?)との争い。
瀬戸内海を使ってあちこち移動してる割には ではなぜ中間地点の大平野である高松が 北九州、奈良にくらべて 明らかにスルーされてたのかといえば、 あそこは水が不足する土地だからだ。 だから高松は王国の居住地としては好ましくなく 経由地止まりで あのぐらいのことになっている。 辻褄は合う。
そもそも金属器が住民にも行き渡る時代にならなければ 一箇所に定住して国を築くことは難しいというのは 他国の歴史が証明している。 卑弥呼の時代には金属製品は宝物なのだから、 住民が持ってるはずがない。 つまり卑弥呼の時代にはまだ定住は無い。
201 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 19:40:23.01 ID:2eICDsT7O
>>184 卑弥呼と台与を合わせて神功にしているんだろう。
三韓征伐も別の人がやってて、それも合わせたかもしれない。
記紀ってのはその程度のもんだ。
さすがに、あちこち移動する国じゃない気がするぞ。 租税を徴収して倉があるし、そもそもふらふら移動してる国に 「南の狗奴国と仲が悪い」とか書かんじゃろと。
203 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 19:48:26.26 ID:XckLqbz4O
卑弥呼の金印がどこかの古墳に眠ってる
一年ごとに農作物はできるから保管庫ぐらいは どこに移動しても作ると思うが。 ヤフー地図の日本の上空写真をみればわかるけど、 九州、四国の南と北は山と川で完全に分断されてるから そんな簡単には行き来できない。 瀬戸内海周辺ならたとえ九州と奈良でも船で数日。 南北の山を超えたら下手すれば一週間。 歴史はくわしくないけど、ここ10年瀬戸内海周りを回ってるから 地理的なことははっきりわかる。
205 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 19:52:42.30 ID:++8o9qavO
結局、邪馬台国は近畿と九州のどっちなんだ。 俺は要塞風な構造だった吉野ヶ里かその周囲説が納得するんだが。
206 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 19:55:43.80 ID:6H/LOI7I0
中国の記録だと、距離的に九州じゃ近すぎるのでは。
207 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 19:55:59.86 ID:++8o9qavO
秀吉の一夜城じゃないけど、 木製の城ならすぐに作れるでしょ。 石垣の土台から作ろうとするから何年もかかるのであって。 卑弥呼の時代の城は別に移動するのに不都合な構造とは思えない。 というと遺跡発掘調査がムダになるから 口が裂けても言えないかもしれんなあ。 でもね、朝貢するぐらいの航海技術があるなら 瀬戸内界隈の移動なんて朝飯前だろうと思うよ。 むしろ九州四国の山を越えるほうがずっと難しい。
簡単に行き来出来ないっていっても必要があればするんじゃね? 現に時代が違っても行き来してんだから
>>204 稲作が主なら、移動はまずないよね。水田の真骨頂は連作障害がないことだし、
そもそも初期コストが膨大にかかる。
漁労が主でも、倭人伝に書かれているように潜水漁法だから定住だし、
焼畑ならローテーションで動くけど、7万戸もの「クニ」は形成できん気がする。
211 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:01:45.94 ID:++8o9qavO
>>194 うーむ。たしかに鉄器や古墳流通など流通、分布を思わせるものはあるが
212 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:01:48.73 ID:P/JTZgTPO
>>209 あの時代に車輪の付いたもの無いでしょ。
だからモノを運ぶのに牛馬に乗っけるか人が運ぶか
それも山道をってのと
船にドサッと載せて瀬戸内を移動ってのと
どっちが楽かって後者に決まってるし、
だから瀬戸内のどこかの王国が
それ以外の国を滅ぼすことができたじゃないの?
楽なほうが先に豊かになるに決まってるから。
214 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:03:44.87 ID:XckLqbz4O
呉越から渡ってきた刺青の民族
215 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:04:49.03 ID:RXoHNF+/O
>>206 邪馬台国は東北だろう。
邪馬台国は八幡平にあったんだ。
そもそも卑弥呼って直接の子孫なんかいるのか 女王ってか巫女みたいなもんだったんだろ? 弟が身の回りを世話してたらしいから弟の子孫なのか?
217 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:05:31.54 ID:++8o9qavO
>>210 九州から近畿ならば、一斉に稲作を始めたわけではないだろ。九州が早い。
>>210 稲作はあっても依存度は低かったんでは?
金属器が貴重ってことはさ、
稲作もそうとう難儀なのは想像に難くない。
石器は重いし、木器はすぐ壊れる。
王様に貢ぐぶんぐらいは作れても
町民に食わす米はねえ!みたいな感じだと思うよ。
だから完全に定住ってのは
庶民にまで金属器が普及してくるまでは
なかなか難しいだろうと思うよ。
魏志倭人伝が何処まで信用出来るのかって問題がまずあると思うけど
稲作したことないから分らんのだが 基本、泥の上に植えるのと違うの? 土は軟らかいのと違う 田起こしの時位じゃね? その時期だけみんなで手分けしてやればいいと思うけど
相互交流の記録があるんだから 航海技術を持った王国があったのは確かでしょ。 それが邪馬台国で それがどこにあったかっていう話だけど、 瀬戸内のあっちこっちそこらへんってことなら 地理的な記述も いい加減になるにきまってる。
222 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:14:20.04 ID:++8o9qavO
>>219 西暦200年以降なら計測は厳密な部類らしい。
また推測だが三国志にも出てくる公孫淵が魏と日本のルートを断っていたらしいので、公孫淵が反乱・鎮圧された後
魏に直接出向いたのが魏志倭人伝ではないかと。だから新たにルートを繋げた国をしっかり調書した可能性は高い。
223 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:15:40.59 ID:n7TqsT8LO
普通に考えたら九州だろ
>>220 定住が前提だと王国が強大化すれば住民が急増して
開墾しなきゃ住民が餓死するでしょ。
開墾は種まきみたいにそんな簡単にはいかないよ。
人間がなんで太平洋の孤島に住んでるかって
住民増えても島だからモノは一定しかとれず
戦いになって島から負けたやつが追い出されて
それ繰り返してるうちにそれぞれ1000キロ以上離れた太平洋のに
人間が住んでるって話でしょ。
つまり卑弥呼ぐらいの時代だったら強くなるたびに移動しないと王国なんて
築けないと思うんだよね。
>>214 鹿児島神宮には呉の太伯が祭られているらしいぞ。
日本史における重要な神々や神宮は
韓神・園神
出雲の杵築大社
宇佐八幡宮
諏訪大社
日前神宮・國懸神宮
で、これらの神々のご来歴を解明できれば古代日本史もかなり分明になる
226 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:20:21.63 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ 古田武彦の説は素晴らしいと思うが、あのジジイの講演会に行った時、 古田ジジイが突然卑弥呼の子孫なんているはずがないのに、卑弥呼の子孫と名乗るなんておかしいですね、 と、俺を見ながら言い、ジジイ取り巻きがワハハー。 誰も卑弥呼の子孫とか言ってないやろが、ボケ。 筑紫君薩夜麻の子孫の話じゃ、ボケジジイ。 長年の苦労で、古田のジジイはボケてきてる。
そうは言っても本編じゃなし、あくまで別冊の一部だろ オマケにそれを多角的に証明出来るような、別資料があるわけでなし 何とかっていう編纂者は信用出来るんだとか、甘い期待を抱く以外に手がないじゃん
たぶん歴史イメージが いわゆる石垣の城と稲作というのにとらわれすぎて その原初としての邪馬台国をずっとかんがえるから いつまでも解にたどり着かないんだろうと思うよ。 邪馬台国は瀬戸内の移動王国なんだよ。
229 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:22:04.46 ID:++8o9qavO
>>220 水田を作るなら川から水を引いて、使うときだけ流水すりように関を管理していないといけない。
関が崩れたら作物は大被害だ。
230 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:22:36.22 ID:r8zcwG9J0
きゃー、福辻さーん福辻さーん福辻さーん、いや良く知らんけど。 今回は顔出しなしか。去年なんかのニュースで顔出ししてたな
>>218 ということは、庶民はそこらへんで狩猟採取生活をやってたってこと?
それはさておき、移動する国だった場合、瀬戸内のいろんな遺跡
との関連はどうなるんじゃろ。
>>220 初期の板付遺跡からして灌漑施設を作りこんでるわけで、
まず土木工事から始まるわけだな。そんだけ初期投資をしているから、
稲作農民というのは土地への執着がひときわ強い。
もっとも、力のかけ具合は米への依存度が関係するわけで、
畑作主体の南九州だったら自然の地形を生かした不定形の水田
だったりする。こっちは初期投資は少ないけど、逆にそういう地形を
見つけるが難しいという理由で、やはり執着が強いのだ。
233 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:25:27.40 ID:++8o9qavO
>>227 航路の先にある新天地を無視するなんて有り得ないだろ。しかも、決して上等でない貢ぎ物だったのに、魏は最大の待遇で迎えている。将来的な関係を期待したからだろう。
>>232 たぶんそうだろう。
南の連中はまだ矢で動物を狩ってるから野蛮だと
瀬戸内の連中は天然の釣り堀で魚釣ってて、さらになんと米まで作ってますと。
だから洗練されてるぞと。
そういうイメージで説明が付くよ。
235 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:29:44.74 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~
>>230 それ、それが古田取り巻きワハハーの悪いとこ。
インターネッツ時代に著名もクソもないだろが?昭和脳はだめ。
魏呉燭時代の呉の漢字発音だとホコト国がハカタになる って聞いたがどうよ 因みに邪馬台の発音はヤマトゥで卑弥呼はヒメゴらしい
天皇陵が三輪山周辺から大阪平野に出てくる前に奈良市周辺に移ってるのよね その辺の理由を納得いくように説明してくれんとどうにも。
だってさ、俺が小学生のころから九州だ、奈良だって 言ってんだぜ? 発想の転換がひつようだろ。 移動王国だから地理的記述がいい加減で、 移動王国だから遺跡掘っても確たる証拠は見つからないと。 そう思えばぴったりじゃん。
>>235 の文面や顔文字の使い方って団塊の香りがする
若かったらごめんね
箸の日本伝来っていつ頃なの? 魏志倭人伝では手で食ってたみたいだけど。
>>236 おお、すげー!
やっぱり
魏の使者「ここはどこですか?」
地元の人「山笠があるけん博多たい(略してヤマタイ)」
説は正しかったのだな。
狗奴国の王様の卑弥弓呼さんは、何て発音するんじゃろ。
古墳が山みたいにバカでかいのも 移動王国だから そうしないとどこにあったか見失うからで ぴったり説明付くしさあ。 そうしなよ。 それを前提に考えなよ。もう。
243 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:35:49.56 ID:2Samh4ZA0
「縄文から弥生へ」 最終氷期の寒冷期の隙をついて、3万数千年前から2万年前頃までに徐々に南から北から日本に辿りついた我々のご先祖さま。 日本最多・最優性遺伝子の縄文系は縄文後期・弥生初期の寒冷期で食糧危機に見舞われ弥生集落に合流していったわけだが……。 それ以前は、縄文時代中の数度の「亜氷期」の中でも日本だけは暖流の黒潮で比較的温暖な気候に助けられてきた。 発掘された縄文古人骨は栄養状態もよく、戦傷もなく、全てが同様に丁重に埋葬されていた。 狩猟採集わずかに農業(粗放栗栽培、粗放陸稲栽培)で暮らしていた縄文人たちは、部族間の争いもなく食に満ち足りた平等な暮らしをしていた事が分かってきたのだ。 そして縄文人は海洋民族とも言え、北海道・伊豆諸島・沿海州まで航海して交易(貝細工・黒曜石・ひすい細工)していたことも分かっている。 こうした縄文社会がいわゆる「平和なる原始共産制」というものである。 弥生人は3千年前頃から徐々に長江から渡ってきたようだ。 弥生人と縄文人は、平野と山林で住み分けをしていたことも遺構から分かっている。 不平等と戦乱が始まったのは、むしろ水稲耕作が日本で普及してからのこととなる。 たいそうな灌漑工事を必要とする水田では、工事段取りを指揮する者が現れるのが理である。 そして水利争いは集落同士の争いを、将軍を、生み出す。 さらに、水稲耕作の優れた収穫量は余剰蓄積食料を生み、貧富の差と王権の強大化を促進する。 これが群雄割拠と「倭国大乱」につながっていったわけだ。 「農耕民族だから温和、狩猟民族だから冷酷」というのは誤り。 ついでに欧州人は「半農半牧民族」であり狩猟民族ではない。 つづく
244 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:36:53.75 ID://4azSyZ0
>>12 音沙汰無くなったのは魏晋南北朝の動乱期に入った中国側の事情も多分にある。
245 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:37:45.40 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~
>>239 お前、気をつけたほうがいいぞ。
>>238 地理がいい加減なのは魏志倭人伝だけだから
問題はそれ以外に資料が見つかってないこと
>>246 だったらいまあるのはいい加減なものだけってことでしょ。
ようするにいい加減が正解なんだよ。
あちこち移動してたら正確に記されるわけがない。
邪馬台国を石垣城と水田領地の原初モデルとして探すから
見つからないんだよ。
きっとそうだよ。
248 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:41:16.01 ID:2Samh4ZA0
つづき 未だに日本の多数派である縄文系が生き残れた理由は謎で、奇跡的なことだったともいえよう。 例えば長江原産温帯ジャポニカ水稲遺伝子のSSR領域には8種類のDNAが存在する。 もちろん中国のそれは8種類だが、その伝播先の日本では3種類しか存在しない。 これは弥生人が日本に持ちこめた種籾がごく少数であった為の「ボトルネック効果」が原因とされている。 こうした稲と同様に弥生人の個体数も極少数だったのではないか? そう考える研究者も多いようである。 弥生人の方が大陸文化的には優秀で、軍事的にも統率がとれていたはずだが、民族浄化がなかったことは現在のY-DNAが証明している。 はじめは少数であった弥生人が、飢えた多数の縄文人を受け入れざるを得なかった、ということなのかもしれない。 もちろん大和朝廷が強大化した後は東北蝦夷征討のような部族粛清が当たり前のように行われた。 それでも日本人は、比較的平和裏に縄文・弥生・その他の渡来血統が混血して成立した「重層構造」民族と言えるだろう。
249 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:41:47.28 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ 頼みもせんのに、家族親戚の話を持ってきている道化だということに、 気づけない人間に対して俺はどう対応してやればいいのか悩む。 これも薩摩の血が為せる業か…
>>248 平和だったんじゃなくて
瀬戸内それ以外の土地が
山と川で分断されて
渡来人と縄文人の交流が緩やかだっただけだと思う。
鉄器の普及する前の時代は 日本にまともな「道」が無かっただろうから ほとんど交流のない土地があちこちにあろうことは これも上空地図をみればわかる。
河内のぉ〜おっさんの歌ぁ〜
253 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:50:02.02 ID:++8o9qavO
>>248 日本語の発音も南方系オーストロネシア語族との関わりが注目されているな
254 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:50:32.16 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ パチンコ必殺仕事人中村主水の団扇をあおいでいたら、 古田ジジイは、私は殺されてもいいー!とかわめき出すし…もうなんかね… しゃあないから、休憩時間に、ビル近くのパチンコ屋に行ったら、 右翼の車が並んでて、ナンバーみたら堺。笑けたよ。
255 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:52:36.19 ID:++8o9qavO
>>249 雑談とはいえ興味のある人が集まる掲示板なんだから、勘違いはともかく故意にふざけては駄目だろう。
ヤマト王権・・ 「大和朝廷」ってもう言わないんだな
257 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:54:19.94 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ 中村は親戚の姓だ。
258 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:55:17.18 ID:2eICDsT7O
>>246 魏志倭人伝がいい加減なのはわざとだと思う。
>>165 参照
書かれたのは台与の朝貢から数十年後だから、
実際に倭国に行った人から直接聞けるわけで、
あんな豪快に間違って伝わるはずがない。
>>256 色々だよ。ヤマト王権というのが正式名になったのではない
卑弥呼の弟って扱いがぞんざいなんだけど、この人がなんとか天皇に該当するんだろ? たぶん本当に邪馬台国を率いてたリーダーもこの方なのになあ
>>258 >>晋を興した司馬氏がいかに魏の正統後継者であるかを書きたい
どう考えても簒奪じゃないの?
262 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 20:59:53.80 ID://4azSyZ0
>>258 だな。西の大月氏国と邪馬台国を一対にする為に位置や距離を作ったと考えて良いと思う。
>>259 そうなの?
でも俺が習ったときはヤマト王権なんて語句は
存在しなかった
呼称が複数ってのもおかしな話だよねw
264 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:02:03.12 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~
>>255 そう、故意なんだよ。
『続日本紀』に、俺の姓は故意改竄されたカタチのものが記載されている。
古田ジジイは若い頃『続日本紀』研究をしていたと言うわりに、
俺の姓を見た瞬間に理解することができなかったようなので、
大した読み込みはしてないんだなと思った。
>>58 日本人は偉い人を名前で呼ばないからなあ
例えは秀吉なんか「タイコサマ(太閤様)」って名前で南蛮の文献に残ってるらしいし
266 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:05:19.75 ID:++8o9qavO
>>261 公然の秘密状態の簒奪行為ではあるが一応禅譲はしているだろう
267 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:05:51.47 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ この記事の記者は『脚光』という言葉を散りばめたかったんだろう。
268 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:09:06.58 ID:++8o9qavO
>>265 中国も偉い人は直接呼ばないね。皇帝クラスだと「上(様)」で終わってしまう。
269 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:09:25.29 ID:NsVCsTkl0
>>165 貢ぎ物はしょぼくは無いぞ。真珠五千孔といったら当時は大層な量だ。
養殖ができる以前は高価だったからな。
で結局 卑弥呼=天照大御神 でいいのか?
271 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:10:36.52 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ 古田ジジイ取り巻きワハハーの会に、ひとつやってほしいのは鹿児島弁の分析だ。 鹿児島弁では、『亀』のことを、クンノマという。 天皇を研究するなら、この深刻さに気づいてほしい。
そんとき文字が無いってのも また移動王国であることを強化するだろう。 ルールを明記するもんがないってことだから 配下の国だってしょっちゅう自分で目の前に行かなければ 統率できないじゃん。 なにをどんだけ寄越せとかさ。 自分で行って言わないとろくに伝わらん。 伝言ゲーム状態だから。
>>262 ,
>>258 うーむ、それなら南じゃなくて東に伸ばすじゃろと。「東夷伝」なんだから。
俺は、古代中国の地誌に関する姿勢は「まじめ一筋だ」という立場だな。
世界帝国を自負する彼らにとって、周辺世界の把握と記述はプライド
みたいなもんだと思う。
んで、ここからは俺の持論だけど、魏志倭人伝の距離が変だというのは、
筑後平野の湿地帯を「水行」したせいじゃないかと。
>>263 ヤマトというのが発音はそうらいしいのだが、色んな当て字があったり「大和」でいいのかというのと(大体邪馬台じたいヤマトゥと読むのが普通)
朝廷が中央集権国家の官僚組織を伴ったもんであることからこのころはそうではなかったのでは?とかいう話
>>12 >邪馬台国は238年から、4回朝貢してるが
>それでパッタリ音沙汰なし
>次に日本のことが出てくるのは150年後の倭の五王。
>でもここで邪馬台国の話などまったく出てない。
倭の五王も、日本じゃない。
日本が初めて出てくるのは、邪馬台国から350年後。
>邪馬台国は滅んだんだよ
だね。
276 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:12:47.52 ID:NsVCsTkl0
>>219 対馬の事を、径は禽獣の径の如しとか、山ばかりで田地が無い、とか非常に正確に書いてるから、ちゃんと見てると思うよ。
神武天皇東遷に基づく 邪馬台国東遷説ってのは? もう消えたの?
278 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:13:20.76 ID:gn21Fmzv0
>>262 かなり後代の地図でも朝鮮半島や朝鮮海峡・対馬海峡が長大に書かれてる
当時の感覚では辺境だからことさらに半島や海峡を遠くに思ったんだろう
その後列島到着後は誤差も小さくなり南を東に直せばすなおに奈良にいける
279 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:14:41.29 ID:jeqoViP30
>>278 魏志倭人伝の距離情報は非常に正確だぞ(単位系が魏の単位系とは違うみたいだが)
>>275 邪馬台も倭も読み方はヤマトだけど?あと夜麻登 山跡(古事記) 野麻登、椰?等、夜麻苔(日本書紀) 山常、也麻等、夜末等、夜万登、八間跡(万葉集)
281 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:16:48.40 ID:++8o9qavO
>>278 進路として南と東を直すのはさすがにやりすぎだろう。そのまま遭難するぞ。
>>273 中華思想は中国以外関係ないんじゃね?
故に台湾すら長い事手付かずだったのでは?
卑弥呼のときはあっちいけこっちいけで ゾロゾロとついていっても その後は集団行動が面倒になってバラバラになり 衰退して消えたって考えても悪くない。
284 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:18:03.19 ID:NsVCsTkl0
自分も正確な史書だと思うよ。 マツラ国の辺りで、往くに前人を見ず、とか非常に実感溢れた書き方をしてる。 まともな道がないって事でもある。 別に、特に立派に書こうとかいう気はないと思うよ。 勿論遠くから朝貢してきたことを自慢にする気はあっただろうけど、基本は実地に正確。 倭国に行くのに、島を2つ経由するとか、それらの描写がしっかりしてるとか、最初から捏造する気ならそんな事になるわけない。
285 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:19:38.11 ID:oVRp9v2J0
伊都国から先は行ってないからな。 あと里程はかかる日数から大きく出ている。 それはまあしょうがない。
正確な史書なのに邪馬台国に辿り着かないとはこれいかに 矛盾してんだよ
287 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:20:38.23 ID:NsVCsTkl0
>>285 それも疑問。
卑弥呼だったがトヨだったかに、中国の使者が、直接何かを渡したという描写もあったはず。
288 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:20:43.23 ID:++8o9qavO
ヤバイ、あまりにぴったりはまるので 移動王国説を学会に提出しなければ。
倭国は、百済や新羅の東南に在、水陸を越えること三千里、大海中の山島に依って居す。三国魏の時代、通訳を伴って 中国と通じたのは三十余国。皆が王を自称した。東夷の人は里数(距離)を知らない、ただ日を以って計る。 その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。その地形は東高西低。都は邪靡堆、魏志にいう邪馬臺というなり。 >都は邪靡堆、魏志に伝わる邪馬臺というなり。(隋書倭国伝) 奈良の都の邪靡堆(大和)は魏志倭人伝の邪馬臺である
創価学会とか?
292 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:23:07.32 ID://4azSyZ0
>>273 そもそも邪馬台国がその国力に似合わず金印をもって冊封されたのは明らかに先に西の大月氏国が
親魏大月氏王の金印で冊封された事実があってのことだから。
要は曹爽大将軍の功績に引けを取らない功績を司馬懿が残したという事実を作りたかっただけ。
そこに正確な地理や国力を残す必要はまったく無いというかむしろ正確に記述すると不都合な
こともある。
293 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:23:55.99 ID:NsVCsTkl0
>>290 邪馬台国の東、海を渡ること千里にまた倭種あり、ってあるから、邪馬台国は畿内ではあり得ないよ。
九州以外にないだろう。
>>293 さあ距離と方位にくらべものにならないほど正確な隋書がそう書いてるからねぇ
295 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:27:35.23 ID:NsVCsTkl0
>>292 だったら、朝鮮半島の国でも、満州あたりの国でも適当なのをでっちあげればいいわけで、大月氏国との兼ね合いでそうされた、なんてあんたの妄想でしかない。
責めて類似の例を出すならまだしも、ただ一国そうであったから、倭国もそうだ、なんてどこにも客観性が無い。
たとえば、歴代の中華皇帝はかならず、四方、あるいは東西の国に金印をあたえてバランスをとった、とかね。
そういうの無しに、倭国の例だけ、過大に評価されたと断定は出来ない。
296 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:27:46.18 ID:bEWBLR3iP
だから九州も奈良もそんときは どっちも邪馬台国だったでいいじゃん。 なんで不都合がある? 船で数日なんて船舶技術のある王国なら 同じ国だったとしても不思議じゃない。 陸移動だと数カ月なんだから。
邪馬台国なんて未だに信じている奴いるの? あれって昔の人間が出した薄い本の中の国だぞ
299 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:29:05.81 ID:WwjIYDCB0
>>265 その論説だと
卑弥呼⇒姫巫女 が普通にありえる
>>295 ヨコだけど朝鮮半島や満州じゃ近過ぎて、正確な情報が伝わる可能性があるとか?
海の向こうなら分りにくいし、神秘性も上がるんじゃね?
301 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:30:06.57 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ 金印のわからなさは、 『漢委奴國王』、『親魏倭王』以後が何故ないのか不思議だね。 金印以上の権威が倭國(倭種の住む列島という広い意味)にあったのではないかと考えたくなる。
神秘性っていうか 使ってる文字からして 明らかに野蛮人の国と見てるだろ。
>>293 たぶん桑名辺りから伊勢湾を渡るのに船を使ったんじゃない?
むかしの東海道って木曽川を避けて船便だったらしいし
304 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:31:42.99 ID:NsVCsTkl0
>>300 そんなのはあくまでも想像だからね。
漢も金印与えたし、それなりの存在感あったんじゃないの?
史記にも倭人から朝貢があったなんて記事もあるしね。
>>282 中華思想は、「俺たちは世界の中心で、その徳であまねく世界を照らす」てなノリだから、
無関心ということはない気がする。中心であることに価値を置くためには、
中心であることの確認が不可欠なのだ。
まあ、東京人が「地方に引っ越すなんてありえないw」と言う感覚と同じ意味では
無関心かも知れんけどw
>>292 そこで「不都合だ」と思う気持ちが強いか、世界帝国を継いだという自負が強いか、
という話だよね。俺は後者だと思う。そもそも情報操作して保身を図るにしても、
その騙す相手は誰なのかって気もするぞ。
306 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:32:08.36 ID:R8rbbhkt0
ところで神武天皇はなんで九州を捨てたの? 神武天皇が捨てた九州はその後どうなったの? これが説明できない歴史学者なんて。。。
308 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:33:41.44 ID://4azSyZ0
>>295 > だったら、朝鮮半島の国でも、満州あたりの国でも適当なのをでっちあげればいいわけで
そこに適当な国が存在してなかったからこそ邪馬台国なんだろ。
遠交近攻。
北は匈奴という不倶戴天の敵、南は南蛮というかその前に呉が存在してる。
309 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:33:48.83 ID:1UVo9l/f0
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、 「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」 とある。 この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。 古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。 何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、 それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。 ↑これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。 結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、 出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、 アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。 ↑国譲りと邪馬台国の誕生 その後、ニニギのひ孫であるカムヤマトイワレヒコが畿内を支配しようとし(東征)畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
310 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:33:56.53 ID:NsVCsTkl0
>>303 鈴鹿山脈を横切るの?普通に陸地伝いでいけない?
四道将軍とか、陸地で行ってるでしょ。
311 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:34:14.00 ID:kQgL7sacO
邪馬台国の数多の謎が完全に解明される日がいつかは来るんだろうか
312 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:34:26.25 ID:bEWBLR3iP
>>299 ヒメミコ説は狗奴国の卑弥弓呼と対になる形で言われてるな
卑弥弓呼はそのままならヒミココだけど読みはヒコミコなんじゃないかってな
繰り返す音の順序を変えて表記する例は江戸時代までは普通にあったし
>>306 九州は寒いんだよ。
奈良と行ったり来たりしてるうちに
あれ?これってもしかして奈良のほうが暮らしやすいじゃん。
じゃこっちに住もうか。
大阪京都でなくて奈良なのはそれくさい。
気候のせいだ。
314 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:35:57.01 ID:WwjIYDCB0
h t t p://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html 古代から現代に至るまで日本で発見された米の遺伝子は2つしかない。 NO.1とNO.2の遺伝子はそれぞれ温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカという品種の特有遺伝子だ。 次に稲作の発祥地である支那はもちろんNO.1からNO.7まですべて揃っている。 朝鮮半島の米はNO.2からNO.7までの6種類が揃っているが、NO.1だけは存在しない。 これは気温が低いと存在できない遺伝子のため支那北部より北では存在できないためだ。 この辺の事情は「栽培稲に関する種生態学的研究」(松尾孝嶺著)に詳述されている。 近年、炭素14年代測定法という最新の年代測定法の成果で 朝鮮半島の稲作より日本の方がかなり古いことが分かってきている。 日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、 水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明している。 これに対し朝鮮半島では水稲栽培は1500年程度前までしか遡れない点、 九州北部と栽培法が酷似していることや遺伝子学的に日本の古代米に満州から入った米の遺伝子が交雑した米が 多いことなどから、水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は満州経由で朝鮮半島へ伝わったことが判明した。 支那政府の研究機関でも調査が進み間違いないという結論が出ている。
青森だっけ?キリストの墓があるのって
>>310 四道将軍は征服と帰順させるのが目的だったからでしょ?
>>12 曹操の孫の時代はシバイ一族全盛期
乗っ取り寸前ですよ
318 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:38:24.72 ID:NsVCsTkl0
>>316 意味不明。どういう理屈なのか分からん。道の問題でしょ。
>>375 あれはしょぼ過ぎて話にならんしw
あんなのがあるのは恥だよ。
文字がない時代に領地を統治するなら 直接自分で回るしかないってのはどうよ。 これかなりいいとこ突いてない? だから卑弥呼はあちこち行ってただろうと。
320 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:40:56.83 ID://4azSyZ0
>>301 中国では随が国土を統一するまで南北朝の動乱に入って周辺国から見て権威もへったくれも
無くなったんだろう、文化的な物の高さは別として。
そして日本ではその間、大王を天皇に格上げして国内限定で中華思想を真似た日本版
冊封体制を作り上げて本家中華帝国の冊封体制からの脱却を宣言したってこと。
>>318 帰順させるためには陸路をいく必要がある。人が住んでるのは陸だから。
逆に言えばわざわざ後に征服に行かねばならないようでは陸はスルーしたのでは?
>>306 宮崎あたりの田舎の貧乏人の三男坊が、地元で腐ってるのもなんだし
仲間と旅に出て畿内にたどり着いて細々と会社を始めて、いろいろあって
数代後に大企業まで発展して、「ここらで社史を作っておこう」とできたのが記紀。
そりゃ、多少の脚色はしかたないべさw
323 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:41:45.86 ID:1UVo9l/f0
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、 「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」 とある。 この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。 古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。 何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、 それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。 ↑これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。 結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、 出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、 アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。 ↑国譲りと邪馬台国の誕生 その後、アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、 卑弥呼の宗女、壱与を女王とし、再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、 出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。 ↑ このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。 つまり、海幸彦と山幸彦は、卑弥呼のひ孫。 結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、 北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。 海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は、魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、 出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、それとともに、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、 北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。
324 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:42:04.76 ID:1UVo9l/f0
ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、ウガヤフキアエズは変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)に育てられる。 のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。 カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに、畿内攻略に乗り出し、 畿内勢力は果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦するが、結局破れ、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。 ↑神武東征 神武天皇の死後、北九州勢力は、神武天皇が北九州に来たときにアヒラヒメ(阿比良比売)との間に作った子、タギシミミを次の天皇にしようと企てたが、 この企みを、東征の際に畿内の豪族の娘との間に作った子、カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が破り、 ここで、「葦原中津国」=日本の中枢は、ほぼ完全に畿内勢が占めることになった。 ↑タギシミミの反逆
325 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:42:13.26 ID:WwjIYDCB0
>>313 夏目友人帖3期?見ると、雪景色とか多いよな
326 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:42:21.63 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ 林巳奈夫によると、大陸の権威序列では、金銀銅は玉に劣るらしい。 ところで、高松塚の被葬者って誰なんだろうな? 学者が行っても教えてもらえないらしいから、俺が行ってみようかな?
邪馬台国がどんなに凄い国だったか知らんが 結局は田舎が観光客を呼びたいが為に利用してるだけだろ 日本には天皇という歴史のはっきりした象徴があるというのに
328 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:44:57.10 ID:bEWBLR3iP
まあひとつ間違いなく言えることは宮内庁はカス クズと能無しの集団
329 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:45:24.45 ID:nCrDPoJm0
>>293 熊野から伊勢湾渡った熱田だろ
伊勢神宮は元々前線砦だろうな
関東から熊本へ行くと、冬の九州思ってたより寒すぎ 雪降りすぎ 博多までの行くときも山間を通るせいか、何かいつも雪が降ってる感じ
331 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:45:46.28 ID:hGNjcSFv0
VIPPERの予言 77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/11(木) 01:43:43.93 ID:Vgjf6Cd10 日本の学者が、発掘作業中に、大きな発見をする。 それによって、一つの謎が解決に向かう。 謎は、何かの所在に関すること。
>>326 現代だって、重さあたりの価格は宝石の方が断然高いもんなw
というか日本人というのを主に縄文人の系譜としてみるなら 天皇家というのはどうみても渡来人の異質の家系じゃないか。
334 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:48:50.40 ID:g9++hH13O
九州が増えすぎた人口を本州に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。瀬戸内海の周りの巨大な人工都市は古代日本人の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。 天孫後臨0079、九州から最も遠いマキムクサイド3はヤマト公国を名乗り、九州連邦政府に独立戦争を挑んできた。この8年あまりの戦いでヤマト公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。 人々はそのみずからの行為に恐怖した
335 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:49:09.17 ID:NsVCsTkl0
>>321 全然理解できない。
海沿いから海沿いに行くのなら船旅をするだろうけど、史書上の邪馬台国も、現地の畿内もそうじゃないだろ。
当時は奥深くまで海が入り込んでたって話もあるけど、そこから船で大阪湾に出て熊野周りは危険だし。
桑名まで山を越えて陸地をいくのもそれ自体大変だろ。もっと行きやすい所があるのでは。
「更に東を渡る千里」を無理矢理、伊勢湾に結びつけてるように思える。
普通に素直に、豊後海道だって思えばいいだけの事でしょ。
そういえば、神武天皇は大阪から退却して、熊野を回ったけど、あれは敵がいたからだね。
熊野上陸後は普通に陸地を飛鳥まで行ってる。
>>333 それ日本人の定義がおかしいでしょ?縄文人って日本だけだったのか?
縄文人はガッチリ体毛モジャモジャアゴ目玉でかいという姿恰好 沖縄とかアイヌとかに今でもその姿が残ってるからよくわかる。 それに対して 天皇家はツルっと痩身で面長の完全に渡来人系の姿恰好。 これはDNAだからしょうがないよね。
>>335 昔は陸の方が大変だと思うぞw 開けて道がある今でも中国山地あるいたら余裕で死ねる
339 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:51:26.48 ID:1UVo9l/f0
天皇が出現する神武東征前までの出来事は、 北九州から畿内までの当時の日本=倭を納めていた出雲の衰退と、 その後の実権を握ろうとする畿内・北九州勢の覇権争いを描いたモノ。 倭の実権は、畿内勢力が大国主命を取り込み、改革の名の下に組織を変更しようとしたことから始まり、 その後、それに対抗して北九州勢が大国主命の息子を取り込んで、北九州勢が勝利し、 卑弥呼の孫を派遣することで出雲を手中に収め、倭の実権を握る。 北九州勢の女王・卑弥呼の死後、再び、畿内勢と北九州勢で倭の覇権の綱引きが始まる。 しかし畿内勢が出雲を蔑ろにしたのが原因で、肝心の出雲のカムヤマトイワレヒコが北九州側になり、 近畿勢は逆賊とされて討伐され、再び近畿勢が勢力をぶり返さないよう、 神武天皇となった出雲のカムヤマトイワレヒコが畿内に留まった。 そして神武天皇の死後、今度は、出雲の血を引く神武以後の畿内勢と、邪馬台国の血を引く北九州勢の覇権争いとなり、 最終的には出雲の血を引く畿内勢が勝利し、倭の国の実権を握り、倭から日本へと変化する。 つまり、北九州から畿内までの古代日本では、出雲が京都の役割を果たしていて、 出雲からの正統性が、倭の国の実権を握るためには重要であった。 北九州勢も、畿内勢も、出雲よりの正統性を錦の御旗として、倭の覇権を争っていたんだよ。
340 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:53:17.38 ID:NsVCsTkl0
>>338 そんな事いっても、飛鳥から桑名まで陸だろ?
倭人伝にも陸行なんてあるし、大陸じゃ普通船はつかわんだろうw
使者が朝鮮半島を南下する時も、陸地だったはず。というか、あ辺りは海路は危険すぎるだろうけどね、島とか多くて。
341 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:53:32.61 ID:WwjIYDCB0
>>333 それはチョト判らない、真偽はともかく
系譜上。平家、源氏の祖も普通に天皇家だから、多数派がD系なら可能性が一番高いのは
やっぱりD系
ただし、聖徳太子以降の入れ替え説やらなんやらあるけどな
神代文書の大量焚書と記紀の製作はセットだし、何らかの事実隠蔽はあったと想う
だからもし本当に天皇家というものがつながってて 墓を遡っていくと かならず渡来人の痕跡が出てくるはず。 だから古いものは調べさせないのさ。 日本固有のというテーゼが弱くなるから。 まあそんな時代じゃないと思うけどね。
343 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:53:57.55 ID:nCrDPoJm0
>>333 山幸彦が寝返り募って海幸彦王権乗っ取ったんろうね
344 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:54:01.78 ID:BJdHRPSXO
(-_-;)y-~ 高松塚は長田王かなぁと漠然と考えている。 根拠はない。
>>338 場所によると思うよ
まがりなりに人が住んでる以上、粗末でも道は出来るから
山奥と比べなくても
346 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:54:44.79 ID:++8o9qavO
>>330 熊本宮崎あたりは特に寒いよ。九州北部も寒いが奈良とは大差ない。雪はたまに降るが積もるのは一年に一回か二回くらいだ。
霜ならよくあるが。
347 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:55:17.44 ID:1mYYDB8s0
邪馬台国は九州筑紫平野あたりじゃないか? んで狗奴国は阿蘇山周辺かと・・・・・ そして卑弥呼が死んだあと台与派と反台与派がぶつかって 負けた反台与派が流れついたのが大和・・・・
>>340 >大陸じゃ普通船はつかわんだろうw
あまり説得力がないなぁ。自説を100%としたいために不都合な可能性をゼロにしちまってる。
349 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:57:29.64 ID:NsVCsTkl0
>>338 カムチャッカ辺りから中国に朝貢してる民族もいるからな。それは勿論陸路。
チベットの羌族があの山脈を越えて中国の西を支配もしてる。
一応行けるんじゃないの?
350 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 21:57:41.60 ID:bEWBLR3iP
意外な盲点 疑似倭人伝には卑弥呼は邪馬台国の王とは書かれていない 倭国の王であって邪馬台国に都すると書かれている
>>249 いや陸路と海路があったらどっち使いますか?って話
>>341 まあ「天津罪・国津罪」を見れば明らかなように、
天孫族は水田稲作命の人らだわな。
>>196 の世界構造の違いも含めて、異質かどうかはさておき、
縄文人の末裔とは違う出自ではある。
その頃の道ってどんな感じだったんだろうか? ヤブの中で僅かな踏み跡を頼りに分け入っていく感じかな
354 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:00:51.55 ID:WwjIYDCB0
>>337 旧宮家写真館見て来いよ、今の天皇家は、最近そっちの血が入ったことが明確に判るから
宮内庁中心にそこらへんの時代は ずっと謎のままにしておきたいって 人たちが居るのはしょうがないけど、 そろそろ決着つけてもいいんじゃないかと。 単純に事実がわかれば相当に面白いし。
356 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:01:48.96 ID:++8o9qavO
>>311 遺物を年代測定にかけて物証を積み重ねるしかない
>>89 そもそも台形部分を下にするのが間違い。
鍵穴に見える前方後円墳を逆さまに見てみると。。。
358 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:03:44.08 ID:NsVCsTkl0
>>348 あの、大陸でどうやって船使うわけ?
大河があればいいけど。
秦の始皇帝とか、船で中原に来たの?
上にもかいたけどチベット族とか。
劉備はずっと陸伝いで蜀まで行ったと思ったけど。
説得力ないと言われると思わなかったw
わざわざ山越えて桑名までいって、やっぱり海路が楽だよね、って漫才としか思えないんだがw
防人も関東から九州まで陸路だよね。船を用意するって、それ自体大変な事だからな。
危険でもあるし。船を操る人手がまた別に必要だし。常に用意しとかないといけないし。
ヨットハーバーじゃないんだから。
伊勢湾渡った後上陸はしないのかな?
ずっと陸?
分け分からん事考える連中ってのがいるもんだよ。
359 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:04:12.35 ID:ivceFXmT0
>>290 最後の行は
大和は昔の邪馬台国じゃね?て感じじゃなかった?
思うに、とか書いてなかったっけ?
360 :
めろんれもん :2012/02/28(火) 22:04:49.67 ID:zD4cYcD70
>>337 アイヌは縄文人なのか疑問
考古学ではアイヌ文化は比較的新しく、北方から来たという
遺伝子の研究でもアイヌは北アジアとつながりが強い
意外にも沖縄人は遺伝子は本土人と変わらない
>>354 でもさ、2chでよくみる貴族の象徴たる麻呂とか
完全に渡来系のイメージでしょ。
体毛がないんだよ。体毛。
明治維新の写真をみればわかるけど、
西郷どんなんかはどうみても縄文系だなとかさ、
どうも中央華族はほとんど渡来系なんだなとかさ
わかるでしょ。
362 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:05:23.98 ID:++8o9qavO
>>347 俺も、大まかには九州北部にあった国が滅亡したのが邪馬台国じゃないかと思う
それぞれの人物が何者かは異論が多いだろうけど
363 :
157 :2012/02/28(火) 22:05:32.30 ID:2Samh4ZA0
史書に記録された折々の移民の数はそう多くもなく、後世の文化・遺伝子を決定づけるほどの因子でもないだろう。 (もちろん、実在するなら徐福、王仁、慧慈、鑑真など、個人レベルで日本文化を方向づけた例外もあろうが) 日本文化の根っこも民族構成も、縄文・弥生の混合(一万年前頃からの華北系流入も)の中でほとんど出来上がったと見た方がいい。 その上での上記中国からの渡来文化の積層を意識すべきだろう。 わかりやすいところで言えば日本人の宗教観だ。 各部族単位のアニミズムにかぶせられた征服者大和朝廷の神話、貴族や都市から教えられた仏教や易学・天文学、さらに物質文明とキリスト教文明が覆いかぶされ膨らんで変化しても、ベースのアニミズムに変わりはない。 我らの宗教観は未だに「八百万の神」で、ゴータマもイエスもモハメッドもアマテラスもスサノオも等しい神だ。 日本人の「重層構造」遺伝子と文化は紀元前には完成していたのだろう。 そして皇紀と大陸紀の関係だが、百年早めたら中国史料や『三国史記』と整合するならそれで考えたらよい。 「欠史八代」などと日本史を少しでも縮めようとする不逞な輩も存在するが、第八代孝元天皇の皇子大彦命の実在も有力になっている。 神功皇后も崇神天皇も「欠史八代」も実在すると考えてその歴史の謎を解いたら良い。 もちろん八代の帝は連合王国の単位だったり、別王朝の名前だったりする可能性もゼロではない。 (とすれば、邪馬台国の時代は既に畿内に大和政権があった時代で崇神帝の御代なのかもしれないし、それとは別の九州勢力が存在したのかもしれない) だが、彼らが高天原(長江か?)から日向(九州)に天下り、何代かかけて瀬戸内から畿内に入ったことには間違いはなさそうだ。 四国は瀬戸内の古墳期文化も視野にいれつつその歴史を考察すれば大きな流れは見えてこよう。 ニギハヤヒの天岩船神話・社の分布も無視できない因子となるかもしれない。
364 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:05:45.07 ID:2eICDsT7O
>>295 だって司馬懿の功績で冊封したのは倭国しか無いんだもの。
倭国を大月氏クラスに仕立てあげるしかなかろうよ。
>>353 末盧国から伊都国の間に、「前を行く人が見えない」みたいな記述があるよね。
どんだけクソ田舎なのかとw
366 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:07:02.99 ID:nCrDPoJm0
367 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:07:10.61 ID:WwjIYDCB0
368 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:07:30.31 ID:6lYxLVfcO
邪馬台国は中国の三国時代に呉を支援した。邪馬台国は曹家のギに恨まれ、ギの影響下にあった楽浪郡の有力豪族が朝鮮諸国を圧迫 当時、朝鮮半島の南端にあったミマナ国がギや朝鮮諸国の支援を受けて日本に上陸し、東征し、大国主命の出雲国(出雲大社)、女王卑弥呼の邪馬台国などを滅ぼした。(天照大神の岩がくれ、伊勢神宮) 現在の天皇家の源流は中国朝鮮系だろうな。
>>358 大陸とは地形が違う。一緒にしたら駄目。日本は船さえあればたいがいのとこはいける
もじゃもじゃ系の薩摩の人間がすごいヒゲ生やしてるのを 真似しても 渡来系だとチョボチョボにしかならないんだよな。 明治天皇はうまーく生えたみたいだけど。
371 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:08:08.85 ID:NsVCsTkl0
>>360 アイヌが北海道に現れるのは、12世紀あたりなんだよね。はっきりしてるのは。
その頃、樺太で、モンゴル帝国と戦って敗れてる。
ただ、それ以前に、縄文人の集団が沖縄から樺太あたりまで広がったんじゃないかと、思うけどね。
そのご、完全に分かれたと思う。
というのは、言語が全然違うから。隔離されてたのではないかな。
ただ、学者達はあまりはっきり言わないね、アイヌの出自を。なんとなく、昔から北海道にいたかのような記述になったりしてる。
多分、政治的な理由だと思う。
372 :
めろんれもん :2012/02/28(火) 22:08:23.35 ID:zD4cYcD70
>>340 北騎南船といって
三国志でも有名
揚子江を中心とした江南では移動手段の中心は船
>>359 字が違うからじゃないのかな?魏志については「中国だから正確だ。方角も距離も間違いない(きりっ)
という人が日本列島の向きと大きさをわかってる隋書が古書にかいてある確認を怠るとは思っていないはず
>>365 文章の一節が全てを物語ってる訳でもないでしょ
375 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:11:27.76 ID:ivceFXmT0
>>345 当時は大陸の人が仰天するくらいの獣道が普通の道だったからなぁ。
だからそんな道を行くよりか川を船で移動するか河原を歩いた方がマシだったそうな。
中国でも南船北馬とかいうよな
関東だってかつては武蔵野の荒野だったし、 日本ってのは江戸時代ぐらいまでは たいして人の住んでない土地だったんだよ。 いまは人だらけだから想像しがいたいけど。
>>371 アイヌと蝦夷に住んで人は違う人種なの?
379 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:13:17.36 ID:++8o9qavO
>>353 平野を太陽見ながら進むか山の宗沿いじゃないかな
380 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:13:37.68 ID:NsVCsTkl0
>>372 で、チベット族はどうしたの?
船で下ったの?
秦の始皇帝は船で兵隊運んだの?
劉備はどうやって蜀にいったんだったかなあ。
なんだか、最初から無理筋の伊勢湾通過のためにグダグダ言うことはないと思うけど。
明らかに陸地を通ってる描写もあるのに>マツラ国辺り。
東海を渡る、ってのを無理に伊勢湾に当てはめただけでしょ。
普通に、豊後水道だって言えばいいだけじゃない。
山を越えるのを書かないで、いきなり海ってのもおかしいだろう。
>>374 だからちゃんと「末盧国から伊都国の間に」って書いとるやん。
ちなみに後で出てくる「水行」については
>>273 説なのだ。
>>356 遺物に「卑弥呼」って書いてあるわけでもないだろうに
どこかから銅鏡100枚出てきたって変わらないだろう
>>370 明治天皇は縄文系だろう
383 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:14:18.37 ID:bEWBLR3iP
ひみこ
385 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:14:48.52 ID:g9++hH13O
ジオン・ダイクンを陰謀で追い落としサイド3を乗っとった デギン・ザビは自らの正当性をしめすために「ジオン公国」を名乗り公王制を敷いたんだよ! 後はわかるだろ!
386 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:15:01.84 ID:nCrDPoJm0
>>370 ご真影はキヨツォーネによるイラストやで
写真は薄いヒゲをムリクリ伸ばしてる
>>382 渡来系にしてはヒゲが上手く生えただけかと。
388 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:16:14.05 ID:NsVCsTkl0
>>378 >アイヌと蝦夷に住んで人は違う人種なの?
蝦夷という民族(というか集団)はアイヌとは違うよ。鉄器つかってたし、日本語が通じたみたいだし。
後三年の役の頃の奴ね。
ただ、北海道には3つの民族が住んでた、って記述があるんだよね。
一つは倭人が渡ったやつだったか、もう一つはアイヌかな。で、それとは別の民族がいたらしい。
>>25 あのーだから、小説とかであえて、主人公のダークな面を魅せると
うそだー!とか言いながら、熱中していく人いるやん。
傍から観てると、何じゃこの面白い奴は。っていうな。
390 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:17:13.68 ID:WwjIYDCB0
>>380 朝鮮半島は通って無いよ江南から直接日本
・中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は江南地方か
福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。
結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、
江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、
福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。
t t p://sawyer.exblog.jp/7178292/
・岡山県津島遺跡の水田跡でみつかった雑草の種89種は、
東南アジアから華中に懸けて分布する雑草が大半であり、
揚子江以北には見られないものが多い。
・稲作は中国江南から直接日本へ来た
朝日新聞「大陸稲作 直行ルート証明」「弥生の炭化米 DNAを分析 大阪・奈良の遺跡」
大阪・奈良の遺跡両方の遺跡から出た弥生時代の水稲の炭化米のDNA(遺伝子情報)を分析したところ
朝鮮半島出土の米とは一致せず、中国の米と一致した。
h t t p://yamatai.cside.com/katudou/image/266-4.gif
h t t p://www.iza.ne.jp/images/user/20090917/613712.jpg
渡来人ばっかりが日本の貴族なのはさ、 アメリカで白人がインディアンより完全に優位なのと一緒だよね。 しょうがないよ。それは。 持ってきた文化が向こうが上だったから。
394 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:20:13.25 ID:CINLZw4G0
相当な権力がなければ大きな古墳は作れない これ基本だろ
395 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:20:47.72 ID:6lYxLVfcO
韓国併合時の朝鮮人の日本への移住=第四期日本人=在日朝鮮人 任那系騎馬民族→現在の日本人=主に天皇家、第三期日本人 弥生系=第一次征服民族=第二期日本人 縄文系=被征服民族系=純日本人=現アイヌ
396 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:21:23.85 ID:++8o9qavO
>>382 出土品によって勢力の特徴や規模がわかるだろ。好戦的なのか守戦的なのか、中国とどれほど交流し関係があったのかなど。
それらと時代関係を組み合わせれば朧気にでも各地方の状況が分かる
397 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:22:07.58 ID:WwjIYDCB0
明治天皇は天皇入れ替え説あるじゃん 南朝系はどんな血が入ってるか知れたもんじゃない 元宮内大臣田中光顕氏、明治天皇陛下すり替え告白 h t t p://www.mkmogura.com/blog/2009/04/03/193 三浦芳堅著『徹底的に日本歴史の誤謬を糾す』から) 斯様申し上げた時に、田中光顕伯爵は顔色蒼然となられ、暫く無言のままであられまたが、やがて、 私は60年来曾って一度も何人にも語らなかったことを、今あなたにお話し申し上げましょう。 現在此の事を知っている者は、私の外には、西園寺公望公爵只御一人が生存していられるのみで、 皆故人となりました」 と前置きされて、 実は明治天皇は孝明天皇の皇子ではない。 孝明天皇はいよいよ大政奉還、明治維新と云う時に急に崩御になり、明治天皇は孝明天皇の皇子であらせられ、 御母は中山大納言の娘中山慶子様で、御生れになって以来、 中山大納言邸でお育ちになっていたと云う事にして天下に公表し、御名を睦仁親王と申し上げ、 孝明天皇崩御と同時に直ちに大統をお継ぎ遊ばされたとなっているが、実は明治天皇は、 後醍醐天皇第十一番目の皇子満良親王の御王孫で、毛利家の御先祖、即ち大江氏がこれを匿って、 大内氏を頼って長州へ落ち、やがて大内氏が滅びて、大江氏の子孫毛利氏が長州を領有し、 代々の萩に於て、この御王孫を御守護申し上げて来た。 これが即ち吉田松陰以下、長州の王政復古維新を志した勤皇の運動である。
だれか邪馬台国は九州近畿一体の移動王国だって 説を学会に報告してくれ。 創価学会じゃないぞ。
399 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:23:14.44 ID:NH9/CdTF0
日本国の考古学は卑弥呼で考察が乱れる。 俗的に語られる氷河期 石器時代こそが 現代に繋がる面白い歴史的事実が沢山ある。 卑弥呼や神話は各地域の活性化の為に答え出さない。 それで良いと思う。 怖い物知らずな奴は曽我氏と住友グループ調べて見ろ。
400 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:23:40.68 ID:bEWBLR3iP
>>391 縄文時代から山入って伐採してたし平安時代すでに杉檜の植林記録があるな
そこに戦国〜江戸でとどめを刺して植生がほぼ丸ごと入れ替わってるのは確か
だから極まれに残ってる古い森が文化遺産になっちゃうわけだな
>>378 同じ人種でも民族文化がそっくり入れ替わることはありうるし
同じ土地でも人種がそっくり入れ替わることもありうるし
>>396 うむ
出土品からいろいろわかった結果、それが自説に都合が悪くなると、
「・・・魏志倭人伝はデタラメだぁっ!!!」
って言い出すに決まってるってこと
>>388 そんなんだ。ずっと蝦夷に住んでいた人達=アイヌだと思ってた
もう1つの民族ってのは、サロマ湖辺りに遺跡を残した人達じゃなくて?
403 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:25:48.97 ID:BaWmB9+v0
神秘的なイメージは一部の学者が意図的につけたもので 当時の女の首長は戦い(戦争)していたらしいから 卑弥呼もそういうことをしていたという説もるみたいね。
404 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:25:53.90 ID:NH9/CdTF0
405 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:27:00.92 ID:WwjIYDCB0
現代朝鮮人は、日本と縁の古朝鮮の百済や新羅とは何も関係ありません↓現代朝鮮人の先祖(独自の風習が共通) (ゆうろう)挹婁 部屋の中央に置いた尿を溜めた容器を囲んで暮らし、その人尿で手や顔を洗ったという。 これについて『三国志』や『後漢書』では「その人々不潔」、「その人々臭穢不潔」とあらわしている (もつきつ)勿吉 「人尿で手や顔を洗う」という風習も受け継いでおり、中国の史書では「諸夷で最も不潔」と評される。 (まっかつ)靺鞨 「人尿で手や顔を洗う」という風習も受け継いでおり、中国の史書では「諸夷で最も不潔」と評される。 「最近朝鮮事情」 荒川五郎著 明治39年(1906年) 清水書店 朝鮮人の不潔ときたら随分ヒドイ、てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、い かに不潔な家でも、 いかに不潔な所でも一向平気で、濁った水でも構わないどころか、 小便や大便の汁が混じって居っても、 さらに頓着せずにこれを飲む、実に味噌も糞も 朝鮮人には一所である。 といえば朝鮮に行かない人には、極端の言いようのように思われるかも知れないが、 事実その通りで、 一例をあぐれば、家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んで これを塗る、 その訳は馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいというている。 さらに驚くべく信じ難い程であるのは、『朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなると いうて居る、』 また小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じゃというてこれを用い、また強壮剤じゃというて 無病の者でも飲んでいる、いよいよ病気が重くて生きられまいと いう時は、 大便を食べさすということも聞いている、なんと驚かしいことではないか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 塵や芥(ごみ)がばらけておろうが、物が腐って臭かろうが、食物に蝿などがたかって 汚しても、更になんとも思わないで、年中風呂に入るの、湯をつかうのということは無い。 夏など穴のような家の中はもちろん蒸し暑いものであるから、たいていは家の外に露宿をする、 その頭元には糞や小便が流れており、悪臭はふんぷんとして鼻をつく程でも、 朝鮮人には感じが無いらしい。
406 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:27:08.04 ID:g9++hH13O
出雲より山の向こうにあるのが山戸(ヤマト) だから九州や畿内にヤマトがあってもおかしくない つうか九州も出雲も本州や九州で植民合戦をしてた もとい鉄の産出した半島にも植民してた
407 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:27:15.84 ID:YbAj77qbO
名古屋が昔はひどい湿地帯で人が住めるような場所では無かったから、東へ行くには伊勢湾を船で渡るのが主流だった、 とは聞いたことあるけど
408 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:28:16.96 ID:6lYxLVfcO
フランスのノルマンディー公国がイングランドを征服して現在のイギリスもとになったし、それがアジアで似たようなことがおきていてもおかしくない 天皇は渡来系つまり、チョンとの混血ニダ!
409 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:28:18.67 ID:++8o9qavO
>>391 そりゃ原生林なんか極小の例外を除いて残ってないよ。99%の林は里山。
>>402 たぶんそうだと思う。
オロッコ(ウィルタ)とギリヤークだよね。彼らはアイヌがアイヌじゃなかったころ
(続縄文文化の時代)からずっとオホーツク沿岸で暮らしていた。
んで、北海道旧土人保護法ではいっしょくたに扱われちゃったわけだが、
そこはスレ違い。
411 :
めろんれもん :2012/02/28(火) 22:29:18.01 ID:zD4cYcD70
>>402 ギリヤークとオロッコはアイヌと別の民族で
今でも北海道にいるよ
412 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:29:29.42 ID:WwjIYDCB0
現代朝鮮人は、日本となじみの深い、古代新羅や百済とは何も関係ありません、 古代高句麗に一部の朝鮮人部族(まっかつ)が臣従してて共同で攻めただけ 481年頃。高句麗〔こうくり〕(靺鞨〔まっかつ〕軍を含む)が新羅〔しらぎ〕に侵攻し、7城を奪取。彌秩夫(浦項)まで進撃。 507年頃。高句麗〔こうくり〕(靺鞨〔まっかつ〕軍を含む)が百済〔くだら〕に侵攻し、漢城を包囲。撃退されて退却。 698年に中国の東北からロシア極東に住んでいた「靺鞨(まっかつ)」が高句麗の遺民たちと共に唐軍を退け振国を樹立。 713年に振国の大祚栄が唐から渤海郡王に封じられ、以後、渤海と称した。 (ゆうろう)挹婁−外満州(現在のロシア連邦沿海地方)の松花江流域に居住した。 ※前漢から後漢滅亡までの四百年以上も扶余に臣従 220年 - 226年:漢代以降は夫余に従属していたが反乱を起こす。独立し魏への朝貢を行った。 (もつきつ)勿吉−現在の松花江から長白山一帯に居住していたと思われる。 (まっかつ)靺鞨 600年以降中国へ一部の部族が降り、半島浸透の素地が生まれる ※遼寧省の朝陽市(柳城):百済の最初の都で、帯方郡の故地。 604年:高麗と戦うが、その軍勢は幾度も敗戦。渠帥の突地稽が自分の部(粟末部)を率いて降り、 右光祿大夫の官位を授かり、柳城(遼寧省朝陽市)に居住した。 618年:突地稽(度地稽)は朝貢をしたため、唐はその部落をもって燕州を置き、突地稽を総管とした。 627年:突地稽は右衛将軍に拝され、唐の国姓である李氏を賜った。 676年:(突地稽の子)謹行は吐蕃軍数万を青海で破り、鎮軍大将軍・行右衛大将軍を拝命、燕国公に封ぜられる。 ※一方、白山部はもともと高句麗に附いていたが、唐が高句麗を滅ぼすと(668年)、唐に降った。また、 汨咄部,安居骨部,号室部などは高句麗が滅亡すると、微弱となって分散し、渤海国に流れた。 ただ黒水部は強盛であり、16部に分かれていた。
やまとととひももそひめをひみこにするのはむりありすぎ
いまいる朝鮮人はどっちかっていうとモンゴル系の民族っぽいね。
416 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:32:37.19 ID:ivceFXmT0
417 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:32:57.25 ID:++8o9qavO
418 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:33:46.67 ID:WwjIYDCB0
■百済(隋書 百済伝) >「百済百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。」 『百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人(百越人)もいる。』 ■新羅(梁書 新羅伝) >「新羅者、其先本辰韓種也。其人雜有華夏、高麗、百濟之屬」 『新羅、その先祖は元の辰韓(秦の逃亡者−古代ユダヤ人?)の苗裔である。 そこの人々は華夏(漢族-現代の漢族とは違う)、高句麗、百済に属す人々が雑居している』 百済王族の祖は扶余とされているが、現代朝鮮人とは関係ない 穢族の集団(扶余・高句麗・沃沮・穢貊) 扶余(ふよ、プヨ、부여〔朝:buyeo〕、扶余〔中:fúyú〕)は満洲に存在した民族の一つ。 遅くともB.C. 238年 ~ 494年には同地に同名の国家を形成していた。その版図は、中国三国時代には、 万里の長城より北、南は高句麗(こうくり)に、東は挹婁(ゆうろう)に、西は鮮卑(せんぴ)に接し、 方約二千里(三国時代の一里は、約450m)の範囲に及んでいたという。 夫余、扶餘、夫餘とも表記される(「餘」は「余」の旧字体)。 中国史料によれば、扶余族は、穀物には適しているが果物は余り育たない土地に定住し、 勇敢だが他国への侵略はせず、歌舞飲酒を好み、慎み深く誠実であったと記録されている。 しばしば鮮卑の攻撃を受けて衰亡し、最後はツングース系の勿吉によって滅ぼされた。 扶餘は定住していた点からツングース系と考えられていないように思われます。 『魏書』によると、勿吉と扶余は異なる言語を話す民族。
419 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:34:10.71 ID:g9++hH13O
卑弥呼を日巫女とかいうなら つまりヒミコは尊称なんだろ? 特定の人物ではなく 別の時代に複数居ても良い
>>413 そうそう。ヒゲ伸ばしてもそういうチョボチョボ髭なのよ。
顎全体を覆うような
薩長の明治元勲みたいな立派な髭にならない。
金一家は体でっぷりで
チンギスハーンの末裔みたい。
韓国大統領は高麗人の様相だな。
DNAはおもしろい。
姿恰好で過去の経緯がわかる。
421 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:37:04.43 ID:aSR+Ehqe0
「最近朝鮮事情」 荒川五郎著 明治39年(1906年) 清水書店 凄まじい、の一言につきますね。 民族の特徴として、エラがハっているのもありますが、がんきゅうがちいさいんです。 きづいてました?
422 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:39:13.95 ID:nCrDPoJm0
>>420 やめろやめろやめろ
伊藤博文公をディスるのを今すぐやめろ
>>355 まぁ出自が渡来系だとしたら色々と問題が持ち上がるだろうな。
イギリス王室が庶民から叩かれて不要論が勃興している一因に、
もとはノルマンコンケストで侵略してきたノルマン人の子孫というのもある
日本人は案外出自を気にするから宮内庁が神経質になるのも無理はない。
>>425 お札シリーズでいけば、聖徳太子もそっち系だなw
,-‐8‐-、 d <ヽ-ノフ b d o ̄o ̄o b d o o o b / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ d_______b < おいら聖徳太子 / / == == i ヽ \_______ /_/| ● ι ● |_,.ゝ ___ /⌒`\ ⊂つ /⌒/ ̄ つ_) / ヽ7ー‐‐'/7〈 ヾ/ ̄ |⌒liー'´ i ̄ ̄~i `ヽー" /__ノ| i i | ヾ_∪_i__(ニニ}ニニニ) / / ヽ ヽ / / ヽ \ `iー―‐――――‐‐:i´ ! 人 ! ヽ___/ ヽ___ノ / 介 ヽ / 介 ヽ / | | .| |__ j L __| [__ >'" ゙`< __]
426 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:42:36.99 ID:nCrDPoJm0
427 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:42:58.35 ID:++8o9qavO
>>398 学会は分析屋じゃないから唱えるなら持論にするしかない。
>>423 問題なんて何も起きないよ。天皇自体が桓武天皇の母が渡来人と認めているし、親しみを
感じると言っている。
それに、関東平野を開拓したのが渡来人というのが2chのおかげで広まってきてる。まあ、自分が
広めたんだけどね。
429 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:45:04.19 ID:WwjIYDCB0
A・H・サヴェジランダー『朝鮮−静かなる朝の国』 朝鮮の住民は、私の経験から言うと、あまり洗濯をせず、入浴はなおさらしない。 彼らが手を洗うところは何度も見たし、顔を洗うところは時々見た。毎日顔を洗う人は、ごく少数である。 (p. 32) ソウルの街路は、これ以上ないほど不規則に曲がりくねっている。主な大通りを除いて 、ほとんどの通りは四人が横に並んで歩けないほど狭い。下水は家の横の街路の中の、 蓋をしていない溝に流される。下水溝のすぐ上に窓があるため、朝鮮の善男善女は家の中では、 すぐ下で腐って行く悪臭を放つゴミの臭いを嗅がずには呼吸できない。(pp. 85-86) イザベラ・バードが見たソウル 「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。 礼節上二階建ての家は建てられず、 したがって推定25万人の住民は主に 迷路のような道の「地べた」で暮らしている。 路地の多くは 荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、 その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に 好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、 犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。 Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。 他の都会ならある魅力がSeoulにはことごとく欠けている。 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、 宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。 結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある 堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。」 「とにかく道が悪く、ほとんど貨幣制度もなく、 世界有数の汚く悪臭のする都市だ」
けっこう日本の財界も 渡来系に偏ってるんだよねえ。 経団連系の会合とか行けば お偉いさんがたは 通常の日本人と比べて面のツルッとした背の高いのが多い。 いや明らかに多すぎる。
431 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:47:35.19 ID:g9++hH13O
ま、徳川家康みたいにTHE縄文人のタヌキ親父の子孫の徳川家もさ 十五代慶喜ころにはすっかり公家面だもんな 体毛の薄い女を選んでんじゃね?
つい最近まで自由恋愛じゃなくて お見合い結婚だから ずーーと昔から 貴族の渡来系同士でつながってきたんだろうな。 だから財界は渡来系ばっかり。
>>428 隠すから余計に勘ぐりがひどくなって根掘り葉掘り痛くもない腹を探られ、
好事家の視線にさらされるのにねぇ。
昔から日本に渡来系の人達が多大な恩恵をもたらしてきたことは事実として、
堂々と公表すればいいのにな。
日本は大陸からのシェルターとして機能していたことは歴史的事実で、現在まで舶来ものを
珍重するのは、古くから渡来してきた人々が恩恵をもたらしてきたからだ。
渡来系ってみんな朝鮮半島から渡ってきたみたいにいうやつもイタイね
基本自由恋愛になった現在が 日本人の姿恰好の変わる 分岐点になってることは間違いないから 未来の人が読むだろう歴史書にそう書いておいて欲しい。 2000年前後がまさに自由恋愛が社会に浸透して 渡来系と縄文系、あるいはその他の外国人と DNAが混ざっていく契機の時代になったって。
436 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:53:18.38 ID:Itz+j+aS0
>>428 百済王の200年後の子孫、だったっけ。
200年の間に日本人とも混じってるんだろうし、渡来人の子孫といってもほとんど日本人だったと
思うけどな。
それが渡来系と縄文系は はるか昔から社会階層が明らかに違って 見合い結婚制度のせいで ごく最近まで混ざらなかったぽいってのが いま姿恰好で縄文系渡来系の見分けが付いちゃう理由だろう。
438 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:58:47.10 ID:LAfaa/990
私説によれば 邪馬台国→大和国 卑弥呼及び壱与は、天照大神。天の岩屋戸へ入ったのは卑弥呼、出たのは壱与。 はじめ邪馬台国は九州にあった。その時遥か東(近畿)には国が有り それを西の方から見て「日の本」と名付けた。 やがて邪馬台国は、山陽側を通って東征を始める。 そのころ山陰側にはすでに大国があった。これが出雲である。 近畿に移った邪馬台(大和)国は、そこにもともといた国(日本)を追い払い、 自分たちが、日本であると名乗った。 元の住民は戦いに負けて、石川新潟地方へ逃げた。 石川新潟には越の国があったが、これらは割と最近出来た国であったために、 その人々を受け入れた。(越とは遠くから来た人々の意味である) 越の国は日本海を通って出雲と結んだ。 このため大和国(後の日本)は、これらを無視出来なくなり、懐柔策に出た。 この話はまだまだ続くが面倒になったので止める。
439 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 22:59:10.46 ID:vv9cG9yQ0
人類はアフリカで誕生し、世界に広がっていったんだから、 もとを正せばすべての人類はアフリカからの渡来人。
トライ=挑戦。だからか
441 :
157 :2012/02/28(火) 23:00:49.47 ID:2Samh4ZA0
現皇室の濃いお顔立ち、酒豪ぞろいを考えると縄文系の可能性が大きい。 大室某も南朝系譜とかなんたらで、それも無視。 ずうっと皇室は縄文系だったんだろうけれど、天孫族の故郷は長江としか思えない。 妄想に過ぎないが、どこかで王朝交代か王統簒奪があったのかもしれない。 帝の御魂を鎮め、衰えた太陽神の力を新年に向けて再生させる秘祭「鎮魂祭」を司る社は「石上神宮」と「彌彦神社」と「物部神社」だけである。 その昔「神宮」を名乗ったのはまだ「伊勢神宮」と「石上神宮」だけだった。 その社家は畿内の先住神ニギハヤヒの末裔、物部氏族であり、大和統一の象徴「布都御魂」剣と百済から神功皇后に献上された「七支剣」が預けられている。 そしてその親戚とも称される尾張・海部氏の一族は、天火明命(ニニギの兄、ニギハヤヒとも)・天香山命・天村雲命を租神として祀っている。 尾張連は熱田神宮の社家で「天叢雲剣=草薙剣」を祀っている。 海部氏は天橋立を見渡す元伊勢籠神社の社家で「海部氏系図」で知られる。 「鎮魂祭」を祀る「彌彦神社」の主祭神は彼らの租神「天香山命」で別名は「高倉下命」、饒速日命の息子で物部氏租神の宇摩志麻治命の異母兄という。 明らかにおかしな系譜の2氏族(饒速日命は出雲系とも言われる)……このあたりが弥生系、本来の天孫族の大王家のような気もする。 どう簒奪が起きたのかも謎、神武天皇そのものでもないかもしれない。 崇神天皇かもしれないし、母が元凶の応神天皇なのかもしれない。
>>437 日本人の遺伝子の地域差が保存されているのは、幕藩体制の影響が強い気がする。
身分の上下での隔離は、イギリスほどにガチガチじゃないよね。
443 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:02:46.97 ID:Itz+j+aS0
>>438 倭改め日本と改名したのは持統天皇の時代だろうが。
>>438 >天の岩屋戸へ入ったのは卑弥呼、出たのは壱与。
マジシャンだったのか…w
卑弥呼の後継者って松本伊代だっけ?
胸が小さ過ぎるので違います
447 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:13:52.83 ID:1UVo9l/f0
【古代の日本】 九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」 西の九州北部にはアマテラス=卑弥呼率いる勢力が、東の畿内にはスクナビコナ率いる勢力があった 【出雲の衰退と覇権争い(倭国争乱)】 何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、 複数の国の集合体であった「葦原中津国」を、出雲を頂点とする国家に平定しようとし始め、 それに対し、アマテラス=卑弥呼率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。 【出雲の国譲りによる邪馬台国の誕生】 男子王大国主命を錦の御旗にした畿内勢力のスクナビコナに対して アマテラス=卑弥呼率いる北九州勢力は、その男子王大国主命の息子タケミナカタを味方に付けることに成功し 息子に説得された大国主命は、アマテラス=卑弥呼に、出雲大社の建設と引き替えに権力を委譲することを認め、 アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣して「葦原中津国」=日本を手中に収め、北九州に「邪馬台国」が成立する 【アマテラス=卑弥呼の死と後継者・勢力争い】 アマテラス=卑弥呼の死後、北九州勢の混乱に乗じて、次の出雲の王に畿内勢力が男王を立て、 国譲りの後、北九州勢にとられた覇権への畿内勢力の巻き返しを計ったが、 北九州勢はその男王の正統制のなさを提唱して、卑弥呼の宗女、壱与を女王とした北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、 出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、出雲後継の座をめぐり、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。
448 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:14:00.58 ID:1UVo9l/f0
【混乱の収拾と後継者勢力の確定】 畿内勢力が立てた男王に変わる出雲後継の座をめぐり、北九州派と畿内派に分かれ牽制し合っていたニニギの二人の子のうち 畿内派の子が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、 北九州勢力による畿内勢力に対しての抵抗は終止符をうち、出雲の覇権はそれまでの北九州勢から畿内勢に移行する それにより畿内勢は、魏の要人の娘と婚姻関係を結ぶなど、それまでの北九州勢に変わって魏との関係が密になっていく 【畿内勢の権力の拡大と出雲・北九州勢の巻き返し】 魏の後ろ盾を背景に畿内勢の権力が拡大していく中、出雲は名ばかりの中心となり果て、それに危機感を覚えた出雲は、 再び北九州勢と手を組んで畿内勢攻略に乗り出し、果敢に抵抗する畿内勢を屈服させて、 畿内に天皇という出雲・北九州勢の息のかかった王を新たに置くことで畿内勢を押さえ込むことに成功する 【出雲・北九州勢の蜜月の終了と覇権の確定】 初代の天皇の死後、畿内勢を押さえ込む次の天皇を誰にするかで出雲・北九州勢で意見が分かれ、出雲・北九州勢の蜜月は終了する そこに再び勢力を伸ばそうとする畿内勢が加わり、事態は、北九州勢vs出雲・畿内勢の様相を呈していく 結局、畿内の豪族の娘との間に作った子が勝利し、 九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭であった「葦原中津国」は畿内勢による天皇が納める日本国へと変貌していく
449 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:14:33.35 ID:1UVo9l/f0
天皇が平定する前の日本は 京都=出雲 天皇=出雲の王 であり 邪馬台国=平氏 畿内勢=源氏 と考えれば合点がいく その後もずっと日本は 京都=出雲 天皇=出雲の王 を、誰が手中に収めるか・・で歴史は巡っていく まさに、歴史は繰り返す・・・だ
450 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:16:16.37 ID:WwjIYDCB0
>>442 イギリスの身分制度が出来たのは、日本から見れば笑っちゃうぐらい近年だけどな
452 :
157 :2012/02/28(火) 23:17:58.60 ID:2Samh4ZA0
アイヌはY-D2縄文系の子孫です。 が、粛慎(ミシハセ)分派のオホーツク部族Y-C3-M217の文化影響を色濃く受けて民族構成されました。 が、今でも7〜8割はY-D2系の遺伝子構成です(残りはC3)。 朝鮮穢族Y-C3-M217も粛慎系で、シベリア・バイカル湖・マリタ村文化の系譜(シベリア・ツングース)です。 彼らは「半農半猟民族」でしたが「放牧民族」でも「騎馬民族」でもありませんでした。 同族の「女真族」も同様で、どちらにもモンゴル(東胡ツングース)の遺伝子すら残されていません。 元は高麗王にモンゴル妃は強制しましたが、史書どおりに半島美人を根こそぎ拉致連行しただけで、その種は半島に残してはいかなかったようです。 「騎馬民族制服説」は半世紀前に書かれたトンデモ本の類に過ぎず、当時から学説扱いもされない笑い話でした。 日教組とマスゴミが必死に喧伝して、さも本当臭く粉飾した朝鮮プロパガンダの一環に過ぎません。。
453 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:18:13.28 ID:kgiqsoHT0
それより銅鐸は何に使ってたんだよ?
454 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:18:26.71 ID:LYZCB25L0
考古学って面白そうだよね 日本の超古代(ヤマト王権以前)の話して、 文字として残ってるのは、当時の中華帝国に ちょっとあるだけなんだよね? 天皇がいつ天皇になったのかとか、興味深い
考古学って香山リカに次ぐダメ学問だろ
456 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:21:38.82 ID:WwjIYDCB0
江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博物館名誉研究員が団長)は、 江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、 十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、 福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。 結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、 江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列 の一部が、福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。 「文化的にも江南から影響有」という記事も見られる。 吉野ヶ里で発見された絹は、遺伝子分析により 前2世紀頃中国江南に飼われていた四眠蚕の絹であることが分かった。 当時の中国は蚕桑の種を国外に持ち出すことを禁じており、 世界で最初に国外に持ち出された場所が日本の北部九州であり、 考古学的に証明された。 中国江蘇省無錫市の越時代の貴族墓から出土した鐸(共同)右日本の銅鐸(弥生時代) 『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる 墓から、原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、 これまで中国各地で出土した鐸と異なり、日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。 中国側研究者からは 「日本の銅鐸は越から伝わった可能性があるのでは」との声が出て いる。 ただし中国南部とは、地図上でそういうのであって、その民族は中国人(漢民族)ではない。 h t t p://sawyer.exblog.jp/7178292/
457 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:23:12.26 ID:LYZCB25L0
香山リカは学問だったのか・・・ 確かに文字として史料の残ってる歴史分野でも、 いろんな説があって要領を得ない部分もあるし、 まして何もない時代だからな でも知りたいだろう
458 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:23:17.03 ID:++8o9qavO
>>455 歴史考察は異論深いが考古学自体は物証の理詰めだよ。
459 :
めろんれもん :2012/02/28(火) 23:24:24.23 ID:zD4cYcD70
イギリスの身分制度の大本は1066年のノルマン・コンケスト それ以前からの教会を中心とした身分制度も並立する
460 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:25:02.57 ID:LAfaa/990
>>444 神話を読むと分かるが、何人もの人を同一人として語ることは良くあることである。
ついでに言うが、邪馬台とは、山のすそにわずかに広がる平らな土地という意味である。
そこに住む倭人というのが、大陸から見た日本人の姿であった。
最初日本人は、「倭人」という言葉をそのまま受け入れていたが、その言葉には
背が曲がり小さい人間という軽蔑を込めた意味があることを知った。
そのためはじめは「大倭」としたがそれでは意味がおかしいので、
同じ「わ」と読む和を用いて「大和」とした。
そして「大和の邪馬台(だいわのやまと)」がつまって大和をやまとと読むようになった。
「飛ぶ鳥の明日香」がつまって飛鳥をあすかと呼ぶようになったのと同じである。
卑弥呼の次がイヨなのに、卑弥呼を日巫女と考えるよりは、皇女(ひめみこ)と考えるほうが自然だと私は思う。 巫女にこだわりすぎ。完全に卑しい巫女って蔑称的に当て字で記されたような教育を受けたが、次の後継者が 〜ミコでなく、イヨで卑弥呼に代わる巫女だと言われていたってのも矛盾している。 それなら同じように〜弥呼と表記されるだろう。
462 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:25:21.74 ID:WwjIYDCB0
463 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:25:33.87 ID:8RAqiwSb0
464 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:27:40.26 ID:KROJvSHr0
謎が多くて面白いじゃないか。 半日ぐらい歴史妄想してたら外は真っ白な雪だった。 福岡が都にならなかった理由=寒い! でファイナルアンサーだな。
ウリナラファンタジー?
>>450 イヌのバリエーションを見ればわかるように、人為淘汰はとんでもなく
早いペースで進むってことだよね。
>>453 中に風鈴みたいな“舌”を垂らして、鳴らしてたことは間違いないよね。
舌が当たった部分が磨り減っている。問題は「どういう場面で鳴らしていたか」
ということだけど、こちらは表面の模様から推定されている。
描かれた動物のモチーフの中で、鹿が最も多いのだ。それも角のない春鹿。
鹿の角は毎年生え変わることと稲穂のように先分かれしていることから、
稲作を守護する神獣なのだ。
2000年前は今より気温高くなかったか?
470 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:33:21.86 ID:WwjIYDCB0
>>459 旧制度
姓(かばね)について、大和朝廷から諸豪族に与えられた政治的地位や家柄を表す称号で、
天皇家を中心とする身分秩序を示すものだ。姓は世襲制で、中央豪族には臣(おみ)や連(むらじ)、
地方豪族には君(きみ)や直(あたえ)などが与えられていた。また、特に有力な豪族には、
大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)といった姓が与えられ、中央の政治に参加することができた。
臣(おみ):天皇家から分かれたという皇別氏族の姓。(天津神?)
葛城氏(かつらぎ)、平群氏(へぐり)、巨勢氏(こせ)、春日氏(かすが)、蘇我氏(そが)のように、
ヤマト(奈良盆地周辺)の地名を氏(ウヂ)の名とし、かつては王家と並ぶ立場にあり、
ヤマト王権においても最高の地位を占めた豪族である。
連(むらじ):天皇家とは祖先の違う神別氏族の姓。(国津神?)
大伴氏、物部氏、中臣氏(なかとみ)、忌部氏(いんべ)、土師氏(はじ)のように、
ヤマト王権での職務を氏(ウヂ)の名とし、王家に従属する官人としての立場にあり、
ヤマト王権の成立に重要な役割をはたした豪族である。
君(きみ):天皇家から分かれた地方有力豪族に与えられた姓。
造(みやつこ):国造(くにのみやつこ)や、品部、子代、名代の首長に与えらた姓。
直(あたえ):5〜6世紀に服属した国造に対して統一的に与えられた姓。
首(おびと):地方の伴造や渡来人の子孫など、地方村落の首長に与えられた姓。
村主(すぐり):渡来人の子孫に与えらた姓。
史(ふひと):渡来人の子孫で、文筆の職能に優れた氏族に与えらた姓。
大臣(おおおみ):臣のうち、蘇我氏ら最有力者が任じられた姓。
大連(おおむらじ):連のうち、大伴氏や物部氏などの有力者が任じられた姓。
新制度
684年(天武13)に、「八色の姓(やくさのかばね)」が制定された。その目的は、上位の 4
姓(カバネ)、つまり真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)を定める
ことである。真人は、継体天皇より数えて5世以内の世代の氏に与えられたといわれ
471 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:33:50.36 ID:NH9/CdTF0
卑弥呼って差別?て読み方からいつ卒業出来るんだ?
箸墓はヤマトトトヒモモソヒメの墓であって、ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼じゃないかと 言われているだけじゃないかと。なぜ、卑弥呼がダイレクトに関係あるように記事が書かれて いるのか理解できない。
>>471 中国人から見た当時の日本だから
別にいいんじゃね?
まんま占いに凝ってる土人だろうし。
474 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:36:48.95 ID:Q7mBDCRf0 BE:4544719878-2BP(69)
銅鐸の文様で一番謎なのはカマキリだな
>>469 湖沼の底の花粉とか海底のプランクトンの死骸なんかの分析から、
当時の東アジア一帯は寒冷・乾燥化してたらしい。後漢末の黄巾の乱も、
そういう下部構造(生産力)の変化の結果だと。
476 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:37:54.89 ID:Itz+j+aS0
古墳から考えても、北部九州の銅鏡・玉・銅剣の文化が畿内の銅鐸文化を蹴散らして 支配したのは明白。 そしてその鏡・玉・剣こそ、代々天皇が継承する三種の神器。 神武東征の神話の元になったこの東征が大体西暦300年あたりに行われたようだから、 卑弥呼と皇室は関係ない。
477 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:39:51.80 ID:LYZCB25L0
>>465 何も考えなくても外は真っ白ですが?
北海道が都になることはないだろな・・・
>>476 その鏡だの玉だのを神器にする感性が
女っぽくね?
479 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:41:04.13 ID:NH9/CdTF0
>>473 土人の国だよwこの国は
だから半島へ帰れよw
480 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:41:24.77 ID:zXsmSAiQ0
>>474 稲を外敵(害虫)から守る神の使いじゃないの?
拝んでいるように見えるし。
481 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:42:35.72 ID:oVRp9v2J0
>>479 半島って伊豆半島へですか?
地震が怖いんで無理っす。
>>460 俺は邪馬台=ヤマト派で、なおかつヤマトというのは一般名詞だという立場だな。
ヤマト(山門)もミナト(水門)もミサキ(水先)も地形の特徴を表した言葉であり、
平地と山との境目である山門(=野尻)は、利水と排水の利点を兼ね備えた
初期の稲作にとっての好適地だったのだ。
カマキリも稲にみえるじゃね
485 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:44:37.75 ID:LYZCB25L0
玉は古代中華帝国でも皇帝の証だし、鏡は、おしゃれの ためじゃなくて、珍しいもの、お宝って感覚じゃね?
神功皇后は実在した。 三種の神器は彼女が九州から持って来たもの。
487 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:45:29.31 ID:vv9cG9yQ0
489 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:48:05.73 ID:LYZCB25L0
いまだ調査させてもらえない遺跡も多いっぽいけど、 それ調べたらなんか分かるんかな? 古代人も、分かるようにしてくれればヨカタのに 先見の明がないよね
490 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:49:15.21 ID:NH9/CdTF0
491 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:49:26.06 ID:W3LFQZag0
仏教が伝来してからは、墓の形態が変わったんじゃないのかね。 古墳の築造文化はどうせ元を正せば半島から来た風習だろう? その根底は生まれ変わって再生することへの期待。 縄文の瓶棺とか沖縄の墳墓に似ているし。
492 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:49:34.88 ID:WwjIYDCB0
>>487 倭⇒日本 は、怪しいんだよな 継体正統とする捏造の疑いが多い
今のアシュケナジーじゃない、古ユダヤ陰謀説も
大量の神代文献の焚書(日本の歴史上、最大級の大事件)
・この大変革時代の渦中において、聖徳太子は海外派の代表的人物として、海外の制度を積極的に
導入。「十七条憲法の制定」など律令体制国家への足固めを行っていった。このことは、明治維新
の時と同様、種々の問題を伴うものの、新しい時代に対応するための正しい選択であったのかも
知れない。しかし、聖徳太子ら海外派はこのような業績の他に、焚書という超弩級の大事件を起
こしている。
・587年、蘇我馬子は物部守屋を殺し、神代以来の大量の文書を焚書。これを契機として、その後も
神代文献の焚書は徹底して行われた。この焚書は戦いの結果生じたことではなく、この神代文献
の焚書こそが戦いの重要目標であり、その裏には歴史改竄の明確な意図があった。そして、この
戦に参加した聖徳太子には、海外勢力、特にユダヤの影がつきまとっていた。
・ちなみに、この少し後の740年、黒海・カスピ海の北側では、カザール国がユダヤ教に改宗し、
アシュケナージ・ユダヤが誕生するという世界的な大事件が起こっている。この大事件の前兆と
して、アジア大陸では様々な国の変遷が起こっている。それらが日本に影響を及ぼしたとしても
何ら不思議ではない。
・聖徳太子が推進した律令制度の基本となる法律・契約という概念は、元を手繰ればユダヤ由来の
ものである。また、古代から今日まで、歴史改竄はユダヤの常套手段である。
493 :
157 :2012/02/28(火) 23:52:56.29 ID:2Samh4ZA0
「東胡ツングース」とは純粋な「シベリア・ツングース」と区別するための便宜上の仮称です。 「シベリア・ツングース」はY-C3-M217(Y-C3租型)をベースとする、シャーマン信仰で部族トーテムを掲げる狩猟民族でした。 Y-C3b-P39のイヌイット・北米インディアンも同じ文化を今に伝えています。 遺伝子はだいぶ違ってしまいましたが、その文化を最も継承しているシベリア民族が「エヴェンキ」です。 逆に文化は失いましたが(モンゴルに同化された)、遺伝子上もっとも純血種に近いのが「ブリヤート」です。 「朝鮮穢(ワイ)族」も「女真族(清朝満洲族)」もこの系譜になります。 「仮称・東胡ツングース」はエヴェンキから連なる、Y-C3c-M86保有の部族です。 「最終氷期最寒冷期(2万年前位)」を逃れ南下した一派で中央アジア経由の「放牧民族」の影響を受けています。 東胡(トゥングー)は匈奴に従い、騎馬の風習を学んだものの離反して討伐され四散(BC.209)しました。 その後継の「鮮卑」からは大ハーンが治世する「汗国の系譜」が史書に記されています。 鮮卑→契丹・室韋→猛虎が同じ文化とY-C3c遺伝子を受け継ぐ系譜のようです。 英WIKIを見ると南ツングースと分類されています(どういう基準かは不勉強ですが)。
494 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:53:56.08 ID:Itz+j+aS0
>>481 いや、違う。それを為したのは、実在が濃厚な最古の天皇といわれる第10代の崇神天皇。
日本書紀では「ハツクニシラス」は神武天皇だけだが、古事記では神武天皇と崇神天皇が
「ハツクニシラス」と呼ばれてる。初めて国を治めた天皇、という意味だが
神武は架空で、崇神天皇こそ初代天皇に違いない。
495 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:54:49.57 ID:++8o9qavO
>>491 半島から来た割には九州への古墳伝搬が一番遅いが
496 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2012/02/28(火) 23:57:11.65 ID:3Zr9WUdJO
明史日本伝も関白信長が山城国の棟梁で秀吉は 薩摩の人だし支那人はやる気ないんだよ。
497 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:57:55.41 ID:LYZCB25L0
卑弥呼が初出かと思ってたけど、その前にも中国の史書に のってる勢力がいたんだよな たいむますぃーんが欲しいところ
>>494 崇神天皇は三世紀前半。
卑弥呼の時代の人物でしょ?
纒向の建設者だよ。
じゃないと辻褄があわない。
499 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:58:15.92 ID:++8o9qavO
>>489 放射性炭素年代測定という調査で遺物が収められた大体の時代が分かる
500 :
名無しさん@12周年 :2012/02/28(火) 23:58:40.25 ID:WwjIYDCB0
朝鮮人が、穢(わい):⇒現代朝鮮人として、すり込もうとしてるんだよ。それはうそ、本当は、ゆうろう、まっかつ ★「古朝鮮建国を主導したのは韓族」 古朝鮮の研究書を出版したシン・ヨンハ教授 「クマを崇拝していた貊族と同盟し、満州のワイ族を抱き込み…」 「農耕生活を最初に始め、尖底櫛目文土器を発明」 「古朝鮮は、漢江を中心とする韓族が、満州地域のワイ(さんずいに歳)族・貊(ばく)族と連合して作った国家で、 韓族は古朝鮮の帝王を代々輩出し、国家の形成を主導した」 社会学界の重鎮、シン・ヨンハ漢陽大(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)=73、 写真=が最近、古朝鮮の起源をテーマにした研究書『古朝鮮国家形成の社会史』(知識産業社)を出版した。 偽書「桓檀古記」(1979年製)は東夷族妄想の始まりの書であります。 h t t p://www26.atwiki.jp/crescent_castle/pages/161.html#id_99274656 韓国が起源を主張している東夷族とは、これらの史記に出てくる東夷と三国志の東夷伝を 勝手に結びつけた韓国人の妄想の産物です。 こんな電波を平然と国定教科書に載せるのが韓国の歴史認識と言う奴。 東夷は一つでは無く数十に分かれていました。東の蛮族を差す言葉ですから、 中華でなければすべて東夷なのです。支那の文化圏に属していれば中華であり、夷ではありません。 従って史記に出てくる東夷と三国志の東夷(三韓人、扶余族、倭人)は(その一部にルーツがあっても) 別物ものと考えてかまいません。 基本的には殷=東夷族とするようですが、東夷族が韓国人の妄想の産物であるがゆえに 東夷族の定義はばらばらです。
早くタイムマシーンが出来ればいいのにね。 考古学なんて一掃されちゃうww所詮は空想の学問。
502 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:02:45.09 ID:NQoDYlCH0
>>498 干支から計算して崇神天皇が崩御したのは258年か318年といわれてるけど、
318年の方が有力視されてる。
503 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:05:05.20 ID:CR/zLjLjO
>>501 考古学は遺跡分布など物証を挙げているだろう。空想は古代歴史観のみだ。
504 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:05:24.04 ID:jqTIpfQa0
卑弥呼と聞くとAV女優しか浮かばんのだが
505 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:06:15.32 ID:WwjIYDCB0
>>493 中国の古称は、地域の雑多な民族を一括りにしてるだけ。粛慎も同じ
漢民族は、自らを「華夏」と呼び、周辺の複数の諸民族を「東夷」「北狄」「西戎」「南蛮」と呼んでいた。
東夷とよばれた民族・国家 。
江蘇省,山東省付近
畎夷,于夷,方夷,黄夷,白夷,赤夷,玄夷,風夷,陽夷,嵎夷,藍夷,徐夷,淮夷,泗夷
中国東北部,朝鮮半島,日本列島
夫餘国,高句麗,東沃沮,北沃沮,肅慎氏(挹婁),濊,韓(三韓),倭人(倭国),百済国,加羅国,
勿吉国(靺鞨),失韋国(室韋),豆莫婁国,地豆于国,庫莫奚国(奚),契丹国,烏洛侯国,裨離国,
養雲国,寇莫汗国,一群国,新羅,琉求国(流求国),日本国,流鬼
東胡:東にいる胡(匈奴)という意味。
後代、中国の史書において「東胡の後裔」とされる民族がいくつか記されている。
烏桓…『三国志』、『後漢書』
鮮卑…『三国志』、『後漢書』
柔然…『魏書』
奚…『新唐書』北狄伝において「奚もまた東胡種」とある。
契丹…『新唐書』北狄伝において「契丹、本東胡種」とある。
506 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:07:49.73 ID:Fl8ZDeWX0
ステージになってて、蒲団が敷いてあったか?
507 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:08:51.42 ID:jKoFEMLi0
ヤマタイ=大和だろ? ヤマタイが朝廷と別勢力の豪族だとしたら ギの国に貢ぎ物を届けられる程の物理的な力は無いし わざわざ弱小国に金印なんて渡さないだろ。
508 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:08:52.81 ID:jHjMvc6l0
>>498 古代史で辻褄なんて合わない
仙人のような寿命の人がゴロゴロいる空想の世界
>>502 じゃあさ、2世紀後半ぐらいから纒向築造したのは誰なの?
纒向に都した垂仁、景行は?
少なくともその辺が4世紀だと辻褄があわない。
511 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:12:28.04 ID:B3dWJicsO
南北朝時代みたいに二重王朝もあった 朝廷や幕府みたいに二重権力もあった なぜに古代はそうでないと言える? むしろ古代こそ中央集権化しにくいはず 天皇の数は多いよなぁ 単純に同時代にいた二つの王朝の天皇をカウントしたんじゃないのかと 大連、大臣、大君(大王)←良い指摘ですね 九州王朝の血筋と近畿王朝の血筋 どちらかが兄格で弟格 こんな感じではと さすればやたら日本の逸話に出る 弟が兄貴をやっつけて奪うエピソードもなんとなく ヤマトタケルも双子の兄貴を殺してから タケルの名も九州クマソタケルを殺して名を受ける(つまりクマソタケルは兄貴分) と、まぁ
>>508 え?
卑弥呼を神功皇后にするために120年も紀年繰上げやった影響でしょう?
513 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:14:35.38 ID:binFCJBT0
>>491 一般的なイメージの「古墳」ってのは、いわゆる前方後円墳なんだけど
「墳墓」としてもっと大きな括りにすれば、それこそ中原や半島だけでなく
日本全国に様々な形態がある
もちろんそれは縄文から弥生、飛鳥に至るまで、時代と地方で変遷するんだよ
>>509 つか、2世紀後半の根拠は検証が不十分な年輪年代法だもんなあ。
んで、普段はけっこう幅があるC14年代測定が、なぜか±10年オーダーで
ぴったり合っているのが、逆に不自然だなと思う今日このごろ。
纒向発掘によって崇神、垂仁、景行の実在は確定ですよ。 纒向は三代ぐらい続いてるからね。 問題は崇神天皇と卑弥呼の時代が重なる事。
>>511 さすがだな、俺も基本その見解です。
九州王朝が何か分からんけどそれに近いもんはあったろう、
最終的に卑弥呼と呼ばれた人が居たところは宇佐とみてる
その時、同時に近畿の大和朝廷も大きかった。
二重権力というより宇佐は畿内王朝の出張所権九州奴国の旧勢力(スセン)
を押さえる鎮西探題の役目、一大卒に大和朝廷の管理地があった
517 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:19:43.94 ID:CR/zLjLjO
>>507 出雲や九州北部の陣営は纒向と同格以上で出土物では勝るほどだと思えるが。
魏志倭人伝だから三国志の魏だぞ。その使者がきて、倭人伝によれば 特に遅れた国の見下した感じでもなく対等に会話して交流してる様子が 書かれている。つまり邪馬台国が土人然とした国というのは間違い。 すでにそれなりの建物があったりしてそれなりの国だったはず。
519 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:23:02.82 ID:binFCJBT0
>>512 もちろんそれもあるけど、神武天皇即位を紀元前660年に設定するためという理由のほうが大きいんじゃないかな
神功皇后と卑弥呼の辻褄合わせは、書記注釈が根拠のひとつだけど
それに関しては応神、仁徳の在位期間で調整しているのではと思う
>>514 纏向建造の暦年代に年輪年代はあまり関係ないよ
むしろ古墳年代と土器年代が根拠でもあるし、何よりも纏向そのものの造成技術が日本初(下手すると世界初)だということによるね
>>515 逆にこの手の問題は、一旦文献から離れたほうがいい
結果的に一致するものをチョイスしてしまう恐れがあるから
520 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:23:45.33 ID:CR/zLjLjO
>>518 魏の前は公孫淵辺りと交流したのだろうか
521 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:23:52.61 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 古田ジジイが殺されてもいいー!とわめいた講演会、 俺の後ろの席にいた奴が、俺の左側に足を出してくるくるしてたわ。 その後、俺は、上牧で井上雪男団塊ゴミ屑世代に、自転車から腰を蹴られ、 注意したら、ヤクザチンピラ呼ばわりや。
4世紀から三種の神器が主流になるのも、神功、応神の東征とピッタリ一致している。 要するに日本書紀の記述と怖いくらいに一致しているんだよ。 卑弥呼の記述がないのは、神功皇后のところに記述されているため。 上で挙げた201年の神功皇后の日食の記述はまさに卑弥呼の時代。
523 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:25:31.22 ID:zDkfjQ090
邪馬台国が奴国(春日)や伊都国(糸島)周辺ではない事は間違いないよ、
甘木とか吉野ヶ里なんでほんの目と鼻の先にある、古代でも歩いて行ける範囲だよ
こんな地域に奴国以上の国が誕生するという可能性がある筈がない、
邪馬台国とは大和朝廷そのものか奴国から思いっきり離れた宇佐や八幡付近にあった
東九州の渡来人の新興住宅地の国家、同時にここは大和朝廷とのつながりも強い
カンサイと奴国周辺は血縁は極めて無い、今でも一切関係なし
>>514 婆さんなんですか?高齢女性ですか?
524 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:26:52.38 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 俺の古田ジジイ関連話はすべて、原発四機爆発前のことやで。
>>522 神宮がやはり卑弥呼なの?
そしたら倭の五黄はだれ?
526 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:28:18.68 ID:binFCJBT0
>>517 いや北部九州と出雲は、纏向の頃には弥生後期のきらびやかな文化が衰退していて
代わりに吉備や濃尾平野が台頭する
ただ衰退しただけで全滅はしていないので、古参として存在していたんじゃないかな
北部九州はその後、形を変えて連綿と続くしね
邪馬台国の話は「どこにあったか」=「どこが支配したか」と勘違いされがちだけど
この時代に倭国を統べる政権など存在しなかったであろうというのが、今の通説
>>519 従来の土器編年だと4世紀初頭じゃなかったっけ。
それが年輪年代法で50年さかのぼった。
>>523 婆ゆうたら婆なんじゃいw
528 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:29:51.67 ID:QrXNKJNS0
お万、古墳だよ お万古墳だよ〜
529 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:31:16.17 ID:zDkfjQ090
>>526 そこで四道将軍ですよ(崇神時代)
倭を統一する国家はなかたけど下地はできてたね、
やはり畿内が全国を制覇しつつあった、
しかし旧勢力の中枢(九州)は果敢に拒み続けたとおもう
530 :
157 :2012/02/29(水) 00:33:32.54 ID:DoFtrYFz0
日本は氷河期から植生豊かな楽園であり、縄文最盛期で25万人の人口を擁した。
縄文期の「粗放農業」をご存じだろうか。
撒きっ放し収穫の熱帯ジャポニカ陸稲(自然伝播、ジャワ米、ジャバニカ米)、
植えっぱなし収穫の栗などなど、
そうした農産物や季節きせつの狩猟収拾物が縄文人の食卓に上がっていた。
縄文時代の墳墓からは栄養状態の良い人骨が出ている。
殺し合いの傷もなく、全てが平等に大切に埋葬されていた。
縄文時代には貧富の差がなく、貴族王族も存在しなかった、ということ。
これがいわゆる「原始共産制」というやつだ。
温暖化で人口が急増したとはいえ、現在に比べたらごく少数だったし、
暖流の影響による氷期間からの例外的温暖ゆえに植生豊かだった日本の森のおかげ、というところだろう。
だが、縄文末期・弥生初期の「亜氷期」の食料不足から縄文人は弥生集落に投降していった。
この寒冷期は日本の人口を1/3に減らしたという。
その後日本の人口は卑弥呼の時代で60万人、乙巳の変で4百万人、平安初期で6百万人と増加していったと考えられている。
世界と比べても大きな人口の部類に入るだろう。
「厳寒の時代でも日本は暖流の黒潮のおかげで温暖で植生溢れる風土だった」
http://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/eco/rs/rs01.html
531 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:33:50.08 ID:binFCJBT0
>>522 すまんが三種の神器という概念そのものが、めちゃくちゃ早くて5世紀末ごろ
通常は6世紀末と考えられているんだわ
冷静になって考えて欲しいんだが、日本中どこの墳墓からも
三種「のみ」が出土した例は、7世紀まで存在しないんだ
もちろん3世紀や4世紀に玉、剣、鏡「のみ」の出土はない
だから三種に限定されていなくて、十数種の様々な宝物と考えたほうがいい
532 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:36:23.51 ID:NQoDYlCH0
>>515 崇神、垂仁、景行の実在、といってもこのあたりはおそらく複数の王が
1人の王として扱われていた可能性のほうが高い。
古事記では崇神天皇は168才、垂仁は150才、景行は137才で崩御したことに
なってるが、これは誰も鵜呑みにしないと思う。
だから、あくまで崇神天皇とされる人物が、東征を行ったと考えた方がいい。
533 :
157 :2012/02/29(水) 00:36:39.07 ID:DoFtrYFz0
十種神宝も物部の石上神宮ですね
534 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:39:25.78 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 玉…命 鏡…血 剣…地 かな。
535 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:39:33.46 ID:mtoFvnM+0
みんな、普段はどの板、どのスレにいるの?
536 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:40:08.62 ID:sPZqHKq90
芸
537 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:41:25.30 ID:NQoDYlCH0
>>529 九州から畿内に東征したばかりでまだ周辺に反発勢力があったために
四道将軍でその鎮圧にあたらせた、と考えるけどな。
538 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:41:39.22 ID:binFCJBT0
>>527 この話をすると長くなるんで、キーワードだけですまんが
従来の編年ってのはいわゆる「小林編年」で、これは九州の編年を考慮していない
20年ほど前から、柳田康男らが主張してきた「九州土器編年」がどうやら正しいということが判ってきたので
従来の編年が100年近く遡ったんだ
>>528 崇神の四道将軍ってのは、軍事的には考えにくいよ
むしろヤマト政権に軍事色が強くなるのは5世紀後期以降だと思う
巨大古墳が徐々に築かれなくなる頃だね
それまでは九州から関東までを、点と線で繋いだ交易連合の側面のほうが強い
539 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:42:34.32 ID:TiHvab+hO
540 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:44:17.38 ID:CR/zLjLjO
九州勢力は畿内に渡ったわけではないと、考えて良いんだな?
541 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:44:26.14 ID:5SA3/7ab0
542 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:44:57.17 ID:zDkfjQ090
>>532 その頃の東征は今では少数派
大和朝廷は出雲との結びつきの方が格段に強い、
父系も朝鮮から出雲に渡り九州の日向に降臨した一族
が九州の地元民の混じって東征した。崇神よりずっと前の
名も無き時代
>>532 昔なんてリアル生き神様だろうから
位を継ぐみたいにリレーしてってもおかしくないもんな。
後の世の基準でそういうのを
天皇崇拝の為の作り話wとか捏造wとか言われたら
当時の人らにとっては心外だろう。
生涯独身だったよな 末裔ってのは他人が宗家を正式継いだり、または直接の血の繋がりがなくても 範囲に入るのか たまに生涯独身の子なしの有名人の子孫とか出てくるが 正式には本人ではなくあくまで兄弟の血統だったりするからな 違うと思うんだが
545 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:46:18.48 ID:IOo2c3No0
546 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:47:03.29 ID:binFCJBT0
>>532 >>537 東征そのものが史実とは考えにくいよ
まず当時の軍事力や海運、また3世紀以降の畿内に九州の文化影響が殆ど無いことなどを
出土物から検証してみると判ってもらえると思う
纏向なんかその最たるもので、あそこには九州文化の痕跡がまるでないといっていい
秋津遺跡はもっとそれが顕著で、福岡の西新町遺跡などは逆に畿内の影響が強い
この傾向は4世紀以降更に強くなる
547 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:48:13.09 ID:zDkfjQ090
>>537 畿内と九州は感覚的な部分もあるけど、血縁は低いのよ。
カンサイ始め本州は出雲山口の土井が浜渡来人の影響が強いよ。
文化的、遺跡も九州のは出ない。ただ倭でもっとも栄えていたのは
九州だから近畿が九州から何かを引き継いだ事は否定しない
548 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:51:35.22 ID:zDkfjQ090
>>540 そう、元々、神武の祖先ニニギが出雲に降り立ったスクナヒコナとかタカムビノカミの子孫となってるから
たぶん元々は出雲周辺に居てその一族ニニギが九州の日向に降りた、そして畿内に出戻りして
同族のナガスネヒコを討った。
神武の血筋は元々、畿内や出雲周辺にあった事が伺える
549 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:51:42.19 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 『足玉(たるたま)』と『布瑠の言』は知らんかった、勉強になった。 歌舞音曲と関連がありそうな気がする。
550 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:55:09.67 ID:NQoDYlCH0
>>546 西暦300年頃、近畿圏を中心とした銅鐸文化が突然消滅して、
以後前方後円墳を中心とした古墳時代に移行するというのは常識では。
551 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:56:49.06 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ とくさのしんぽうではなく、とくさのかんだから、に納得や。 古田ジジイの文章に、出雲風土記仁多郡神田(光田)に関するものがあった。 この文章をかつてどこで見たか失念、探していたら、最近のまとめ本に収録されていた。
>>550 銅鐸消滅=九州東征は根拠希薄で古い仮説じゃないですか?
卑弥呼を神功皇后に置き換えればすべて解決
554 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 00:58:22.28 ID:NQoDYlCH0
>>552 古くから言われていて、いまなお最も有力な説だよ。
>>553 それもうちょっと裏付け欲しい、実際それが確かなら
いろんな問題はすっきりするけど、しかし、参観征伐とか、仲哀とか
全然整合性ないが
>>532 そういう議論は古いしなんの証拠もないね。
あくまで物証で言うなら、崇神垂仁景行あたりの実在性は疑うべくもないよ。
纒向発掘のおかげだけどね。
少なくとも三代は続いていることはわかってる。
その後、纒向が都でなくなってもしばらく続いていたが、突如廃棄されている。
557 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:00:20.60 ID:binFCJBT0
>>545 信憑性ゼロw
沖縄説やエジプト説以下のシロモノですわ
ただ邪馬台国の時代とされる2世紀末から4世紀までは
日本中いたるところに、畿内や九州に遜色ない首長連合が多数あったと見られている
これらが遠隔地と直接経済交流を始めたものが、いわゆる初期ヤマト交易連合で
これが倭人伝に言う邪馬台国連合だと考えられている
邪馬台国なんて、単に卑弥呼(宗教総本山)がどこに居たのかあったのかって話なだけで
首都とか王都とかっていう倭国を統べるというお話じゃないのよ
邪馬台国は畿内にあったが、倭国大乱を平定するために外国(魏)を頼った。 なんとなく形成されていた原日本人意識みたいなものを持っていた豪族達が外国の介入を招く卑弥呼に怒って、 日本で最も権威ある血筋を九州から引っ張り出し奉って、邪馬台国を倒し、大和朝廷が成立した。 神武天皇即位日本建国は、外国の介入によってもたらされた日本人意識の芽生えが具体的形となったもの。 古事記の記述が正しいとすると、こう言うストーリーなら、 どうして、日向の弱小勢力が瀬戸内海を素通りして奈良を攻め落とせたのか? を説明できると思うんだけど、どう?
559 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:04:29.46 ID:binFCJBT0
>>550 銅鐸に関しては、wikiでいいから一読をお勧めする
要するに突然消滅などしていないってこと
初期型が畿内に伝わってから、畿内中心部では大型化しないまま1世紀頃には下火になり
2世紀末まで大型化した銅鐸は、近江、紀伊、三遠などで発掘される
つまり徐々に衰退し、しかも近畿圏という括りすらないわけです
560 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:04:57.64 ID:yfqpmMIr0
>>544 男系相続はそんなもんよ、分家やら。先祖をたどって後継取るのは当たり前
江戸時代は、徳川の他家乗っ取り有名なのは、蜂須賀 とかもあったけど
邪馬台国や卑弥呼はもはや村おこしの道具にすぎん
>>557 だな、正直邪馬台国というのを魏の人がどこと認識していたかともかく
日本では畿内が既に日本の中心となりつつあったという事実と
それは他の地域連合と比しても格段に大きかったという点は事実というしかない
だから魏がどうこう認識する前にその時代の日本の中心は畿内であったという事
563 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:09:54.78 ID:UhYJrEZG0
サンドの伊達も伊達政宗のひいひいじいさんから分かれた血統だろう 伊達家の男系子孫ではあるが、独眼竜とは関係ないし
564 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:11:37.73 ID:binFCJBT0
>>562 これイメージ的には、新造都市である東京が纏向に相当し(もちろんそれ以前の江戸を下敷きにして)
かつての中心が京都(これが北部九州)であったと考えるのがいいかもね
纏向ってのは存在そのものが特異点で
当時日本はおろか半島にも中原にもなかった造成技術で
低湿地を埋め立てて造り上げたオーパーツみたいなものだから
いったいその技術はどこから来たのか、どこで考えられたのかが重要な課題でもあった
今は日本全国のそれぞれの地方特有の技術が結集したと考えられているが
うお、何この面白いスレwww お前らのレス読んでるだけで真面目に面白いwww
566 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:15:04.52 ID:yfqpmMIr0
>>558 邪馬台国=四国説なら目と鼻の先だけどな、
神話の大八島国生み順なら淡路⇒四国⇒壱岐⇒九州・・・本州は最後
邪馬台国=四国説(阿波説、伊予説、土佐説、山上説)考
h t t p://www.marino.ne.jp/~rendaico/yamataikoku/shikokusetuco.htm]
隠された阿波王朝
h t t p://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7920/NO-4.html
567 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:16:02.60 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 天皇の祭祀になんか関わりたいと思ったこともないのに、 調べてゆくと、どうしても天皇家が伝えている祭祀について考えざるを得ない。
>>560 いや、だから宗家を継いわけでもなく、乗っ取り状態でもなく、宗家が
断然してる状態で
ちゃんと分家は分家で行ってってるのに今更分家が末裔だの子孫だの
と紹介される事がよく解らんのよ
テレビの話題作りに誤魔化してるだけなんだろうが
>>553 神功皇后は、朝鮮から来たアメノヒボコの子孫
570 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:20:07.92 ID:zDkfjQ090
ところで日本語は残念だけど半島から来てるのは確かだと確信してる 高句麗、ワイ、扶余と百済の支配層扶余の言葉は現在の朝鮮語より 遙かに日本語に近かったと推定される
571 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:21:47.98 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 薩摩國には惟宗島津氏が入國して以来内乱による勢力拡大のため、 島津氏の本拠が転々としており、それに伴って、家臣の家も転々としている。
572 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:22:21.27 ID:zDkfjQ090
>>569 アメノヒボコは丹波に降りた半島渡来人の子孫だな
高句麗人か、神宮はこれと血縁あったけ?
573 :
157 :2012/02/29(水) 01:22:25.94 ID:DoFtrYFz0
崇神天皇は考古学見地からも実在説が有力で、その権力集中も議論しつくされた結果なのだから、 反証となる考察がなければただの妄想にすぎない。 まして現在は「欠史八代実在説」がどんどん切り開かれている時節。 AD.200頃の推定人口60万人、5万人規模の国(今の村みたいなものだろうが)が10箇所あったと考えても相当なもの(当時10万都市など世界でも数ヶ所)。 2〜3世紀の筑紫・瀬戸内繁盛を示す遺跡群を見ても、筑紫〜畿内は世界の大文化圏と言っても恥ずかしくはない。 たとえ拮抗した勢力同士が複数存在していたとしても、大和にそれなりの王権があってもなんら不思議なことではない。 まあ60万人が、その逆進法で導き出された人口推測である可能性もゼロではないが。
574 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:22:43.05 ID:jx2Im6rA0
このスレ見てると、なんで日本で邪馬台国論争が永遠に続いてるのか良くわかるね。 大量に存在する資料や文献を自分で調べたわけでもなく、本やネットで見ただれかの説をうのみにして自説として主張する人、 政治的、学閥的な縛りの中で論理的に考えられない人、少ない知識や偏見から結論ありきで語る人、 思い込みとか言葉のイメージだけで決めつけちゃう人 たぶん、今わかってる全ての知識を一カ所に集めて全員が共有した状態で話し合えば、おのずと答えが出るのかもしれない。
字が書けないと 遠隔地の統率は不可能だから(伝言ゲームの理屈で) 日本語そのものが 文字を持ってきた渡来人によって 大きく変化してる可能性は高い。
>>574 それは明らかに違うな
証拠が出ないから
ただそれだけ
577 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:26:27.04 ID:binFCJBT0
>>670 国粋主義とか無関係に、それはちょっと飛躍し過ぎでは…
というのは、古代朝鮮の言語形態特に発音に関しては、現時点では全く判っていないのよ
これは何と言っても李氏朝鮮時代の圧政と、日帝時代に移行する際の李氏による焚書が原因で
百済や新羅、高句麗更には高麗の人々がどうなったのか、どう暮らしていたのかすら判明していない
というかいわゆる倭人にしても、半島や台湾、フィリピンまで含んでの総称であったと思われるので
これらの言語が混ざり合ったのを漢字表記する際に統一したのが、日本語(古語)の嚆矢ではないかと考えられている
>>574 前半は同意できるが、
>今わかってる全ての知識を一カ所に集めて全員が共有した状態で話し合えば、
これをやってるのが学会。で結論は出ていない。
理由はごくシンプルで決定的証拠が無いから。
579 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:27:00.51 ID:B3dWJicsO
仲哀天皇ってその名通り気の毒過ぎるわな 挙げ句に実在性まで否定されるなんてさ
580 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:27:05.82 ID:yfqpmMIr0
>>570 ワイ系4種族の言語って何だよ?
ヘブライ語=古日本語 説
h t t p://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/mokuji.htm
>>577 >>570 へのレスだよね、高句麗語を分かってる範囲で調べる限り
個人的意見レベルと言うけど、半島と密接というしかないとおもう
なんでかはわからん
ところで神功皇后って皇后にされたの明治からで、それまでは天皇だったんだよね。
584 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:32:41.53 ID:zDkfjQ090
そもそも天皇という言葉が7世紀ごろ誕生で 同時に天孫族という言葉もその頃誕生してるよ
585 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:32:49.35 ID:B3dWJicsO
仲哀天皇の実在性は疑われてるのに 神功と夫婦だったのは疑われないっておかしいよね
586 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:34:10.96 ID:binFCJBT0
>>581 これも申し訳ないが「社伝でそう主張している」だけに過ぎず
それを裏付けるような別の史料も考古学的事実もないんだわ
同様に大阪の住吉大社も兵庫の住吉神社も、社伝そのものが記紀を下敷きにして書いているので
歴年代とは合わない
大阪の住吉大社は結構頻繁に発掘が行われているので、7世紀前半にはそこにあったことがおおかた判明しているが
だいたい住吉三神そのものが新しい神なので
九州の宗像三神やわだつみをモチーフにしたと考えたほうがいいんじゃないだろうか
587 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:34:48.28 ID:TiHvab+hO
>>585 7世紀、日本書紀編纂時熟知してだであろう倭人伝と整合性持たせたと考えられるに、
なぜ、兄弟とせず夫婦としたか意味がわからんな
589 :
157 :2012/02/29(水) 01:38:20.33 ID:DoFtrYFz0
アイヌ語は周囲に近似種の無い起源不明言語(日本語・琉球語も同様)と言われてきた。 樺太・千島とも共通するアイヌ語はシベリア先住民言語の影響もあるようだが、日本語・琉球語と同様で既存の分類にはあてはまらない。 後者に関しては「日本・琉球語族」の括りが定説化しつつあるが、やはりアイヌは別の言語と考えられている。 遺伝子的にはアイヌ・大和・琉球は同じ縄文父系Y染色体を共有する同系民族だが、この染色体はとても古い「人類の出アフリカ」のYAP+型という特殊遺伝子で、日本以外でまとまって残っているのはアフリカと環地中海とチベットだけである。 前二者は文明の交差点で民族の攻防と入れ替わりが多く、チベットは黄河文明の強い影響を受けてそのオリジナル言語が失われている。 特に大陸に触れると、氷河期末期の温暖化で沈みゆくスンダランド(インドネシア周辺)から北上してきたY-NO系が華北を席巻してY-D系遺伝子と言語を消失させてしまっている。 ちなみにD系染色体はチベットだけでなく、インド・華南・東南アジア・台湾の少数民族にもわずかながら残されている。 3万年前のその前後、日本に到達した縄文人たちは島国ということもありその遺伝子と古い言語を残すことができたわけだ。 つづく
590 :
157 :2012/02/29(水) 01:41:11.65 ID:DoFtrYFz0
つづき そうして日本の周りからY-D系言語が失われていったわけだが、アイヌ語と「日本・琉球語」の違いの問題が残る。 それは縄文遺伝子Y-D2系にも日本上陸ルートが違うグループがあったからと考えられている。 アイヌが保有しないY-D2a-M116.1とY-D2a1a-P42は琉球に多い。 これらは大陸から南西諸島を海沿いに九州に上陸してきたものと考えられている。 対して、北方縄文人と目されるY-D2-P37.1とY-D2a1-M125はシベリア経由で樺太から北海道に上陸した一派もあったのだろう。 単にシベリア回りで言語の影響を受けたというよりも、シベリア母系集団そのものの日本上陸影響が多きい。 シベリア・ブリヤートは父系遺伝子で見るとほとんど日本人と赤の他人なのだが、母系ミトコンドリアDNAで見ると姉妹関係にあることが分かっている。 北方のご先祖様がブリヤート系女性を拉致してきたのか? それともブリヤート系男性を日本で殲滅したのか? はたまた病気かなにか? それは分からない。 がともかくも日本語は海路琉球経由で南方縄文人がもたらし、アイヌ語は北方縄文人がシベリア系の影響とともに蝦夷地にもたらした、これが最も理に適う説だろう。 昨今の遺伝子研究により日本民族全てが縄文系により結ばれていることが定説となったが、近いうちに言語に関してもアイヌが北方縄文言語、大和・琉球が南方縄文言語であることが定説化されることだろう。
591 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:41:27.23 ID:binFCJBT0
>>582 ごめん、アンカーミスでしたw
現在の国家の線引きでも民族でもなく「共通言語を使う集団」として捉えたら
半島南部から帯方郡のあった北部、また日本列島、南方諸島
これらすべてが包括されると思う
つまりは文化圏の話なんですわ、民族や国家でなく
>>588 そもそも応神を神格化するためのストーリーだと思われるからね
武烈の悪行なども、後漢の酒池肉林の丸パクリだし
592 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:43:38.04 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 日本のスーパーパワースポットなのであまり言いたくないのだが、 宗像大社も大和天皇家に加担したのかして、宗像三女神という祭神は何か裏がありそうだね。 これは宗像大社がまとめた神社史にも記載されているが、 末社縫殿神社から出た古文書によると、大海命が三人の兄を祭神としたのが原初らしい。
594 :
157 :2012/02/29(水) 01:50:57.48 ID:DoFtrYFz0
高句麗語が日本語に似ているなどという研究は百年前の死説。 朝鮮学派・日教組だけが、日本に捏造史観を押し付けるためだけに使用している。 その(数詞が似ているなどという)比較言語そのものが高句麗地名ではなく、百済地名や新羅語だったと批判されている。 中国研究者からは地名そのものが中国資料と整合性がない齟齬であるとも指摘されている。 残念ながら、高句麗語は一切謎の言語であり、その研究はほとんど都市伝説級の嘘八百である。 なのに、「騎馬民族説」と一緒でいまだに捏造に気づかない人がネットにさえウジャウジャいる。
>>594 まじ?
漏れ騙されてるだけなの???w
596 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 01:57:49.80 ID:binFCJBT0
>>594 高句麗の言語ってのは本当に資料がないんだよね
まだ新羅・百済は中国歴代王朝に写本があるし
日本にも現存するかある程度のら検討も可能だけど、それも決定打にはならない
まあ「万葉集はハングルで読める」とか「おはよう=オハイオ」の類かとw
>>593 九州から分かれるかよ。wバルは大陸南部辺りでも在るだろ。中国の中原はこれはバルだな。
阿比留文字ってハングル文字と一緒じゃん
ドラビタ系のタミル語と日本語が似てるというが信憑性ともかく あり得ない話しではない。 古代スンダランドからインド大陸一帯にはアボリジニ、ドラビタ、 メラネシア、ポリネシア人、アボリジニのオーストラロイドの祖先がいた 彼らの一群は琉球にも居た(港川人) 日本の酸性土壌の中、現在骨は残ってないが琉球は当然九州あたりまでは 居た事が分かっている。彼らが日本語の祖語に影響を及ぼしたとすれば インドのオーストラロイド一大勢力の言葉が日本語と似ててもなんらおかしくはない ちなみにマレー人は中国人等に混じった新しい勢力
600 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:04:48.74 ID:qjZ9d0If0
>>165 貢物の内容は華美や量ではなくて珍しい物の方が価値がある。
これも現代人の価値観だけで量ってはいけない。
それと、朝貢への返答の下賜は威厳を示す為に豪勢にするのが正式で、各王朝や律令日本でも財政問題
になっている。
>>599 甕棺のルーツもそこ等辺だろ。YーD系と母系M群これがセットコア民族で東アジアに来た可能性も在る。
602 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:07:40.82 ID:binFCJBT0
まあ
>>1 の趣旨に戻して、茅原大墓古墳について語ると
帆立貝型のいわゆる纏向型前方後円墳ってのは
箸中山以降は殆ど作られていないんだが、4世紀後半ってのは何かのルネッサンスみたいなのがあって
昔の形の古墳をわざと造るって例が結構あるんだよね
山口県にも箸中山と同じバチ型が4世紀築造であるし
埼玉県にも両方に凸部を持つ初期吉備型が5世紀に築かれている
だから一種の懐古趣味に過ぎないんじゃないかな
そのあたりは墓室の型式が判明しないとなんとも言えないが
真空管ラジオの外観で、トランジスタラジオをわざと作ったみたいな感じ
603 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:12:18.95 ID:qjZ9d0If0
>>180 東北や奈良、九州などの2300年前くらいの田圃遺跡は均一の規格で作られた方形による大規模で完成された形だよ。
>>594 >その(数詞が似ているなどという)比較言語そのものが高句麗地名ではなく、百済地名や新羅語だったと批判されている。
だとしても半島起源を否定する根拠にはならんし
605 :
157 :2012/02/29(水) 02:13:12.50 ID:DoFtrYFz0
日本古代史を解く鍵は「海人族」だと思うな。 息長氏、天日矛、神功皇后、応神天皇、継体天皇、出雲、越、近江、金の馬具。 出雲、天日矛、神功皇后、安曇磯良、武内宿禰、住吉大社、津守氏。 出雲、須佐之男、五十猛、磯猛良、饒速日命、天日明命、天香山命、海部氏、元伊勢籠神社。 この関連がどう符号化するかだろう。 下手をするとこの「海人族」は「倭族」で「百越人」の可能性すらある。 新羅・百済も関わってくるかもしれないということ。
606 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:19:09.70 ID:zDkfjQ090
607 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:19:41.70 ID:binFCJBT0
>>604 先にも書いたし、おそらく熟知しているだろうと思うけど
百済や新羅ってのは、いわゆる倭国との文化共有部分が大きい国で
特に商取引に関わる部分がその大半を占める
とすれば数詞などは商売の基本単位となるので、共通しなければ意味がないわけですよ
ところが高句麗ってのは半島南下などで敵対国であったから
そういう文化共有ってのはないに等しいわkです
商売に必要な単位や言語ってのは、共通して当たり前なんですわ
608 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:20:38.99 ID:yfqpmMIr0
琉球語は古代大和語と深い関連 h t t p://mabui.blog.shinobi.jp/Entry/90/ 琉球語と日本語が同系語 h t t p://www.dai3gen.net/ryukyugo.htm h t t p://gwyn.blog83.fc2.com/ 日本語とアイヌ語の起源 h t t p://www.chikyukotobamura.org/muse/001.html h t t p://www.dai3gen.net/isesima.htm h t t p://blog.goo.ne.jp/rokunowa/e/3fb35b20376bcdf8828048d36e07aaa6 h t t p://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/indian139.html
>>607 急にトーンが下がるなw
まあいいや
でもウサギとかそういうのはどうなるんだろ
610 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:25:21.29 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 鹿児島では『原』はバルとは言わず、バラ。ハルはハルの書き方がある。 坂本竜馬の薩長同盟裏書朱書のような文、どっかどこまでが、脱文だったか忘れたが…(おそらく【】部分)また調べておくよ。 『西海道風土記逸文』 西海道の風土記に云く、宗像の太神、天より降りまして、埼門山に居ましし時、 青[漢字ズイ]の玉(あおにのたま)を以ちて奥宮(おきつみや)の表(しるし)に置き、 八尺[漢字ズイ](やさかに)の紫玉を以ちて中宮(なかつみや)の表に置き、 八咫の鏡を以ちて邊宮(へつみや)の表に置き、 此の三つの表を以ちて神體(みみ)の形と成して、三つの宮に納め置きたまひて、やがて隠りましき。 因りて身形(みのかた)の郡と曰ひき。 【一は(あるひは)云く、天神の子四柱有り。 兄三柱の神、弟大海命(おとおほあまのみこと)に教えて曰はく、 汝(いまし)命は、吾等三柱の御身(みみ)の像(かた)として、此の地に居るべし、と。 便ち(すなはち)一前(ひとはしら)は奥宮に居し、 一前は海中(わたのなか)に居し、 一前は深田村の高尾山の邊(ほとり)に居す。 故(かれ)号(なづ)けて身像(みのかた)郡と曰ふ、云云(しかじか)。】 後の人、改めて宗像と曰ふ。其の大海命の子孫は、今の宗像朝臣等、是なり、云云。
611 :
157 :2012/02/29(水) 02:25:37.36 ID:DoFtrYFz0
>>589 の
>アイヌ語は周囲に近似種の無い起源不明言語(日本語・琉球語も同様)と言われてきた。
現在この説を覆す説を見たことはない。
(大昔の朝鮮学派にはウジャウジャあったが)
>>599 >>601 の話は面白い。
縄文南方文化説ともY-D系移動・分布ルートとの整合性もあり、十分可能性のある話。
日本語と朝鮮語が似ていると妄想し続けたい人もいるだろうから、それはそれで構わないけど、それはいつまでたってもファンタジーでしかない。
科学的思考がなされなければ新羅の「郷歌・郷札」でさえいつまでたっても解読できないだろう。
ちなみに朝鮮南部は倭族(百越人)の国で、日本の弥生人との交流も考えられる。
朝鮮語で解読できなくて当たり前、日本語に似ていた可能性も否定はできない。
612 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:27:48.52 ID:binFCJBT0
>>609 僕はすでに、国家や民族でなく共通文化圏という概念を提示しているんだけど
誰かと混同していない?
だからどこが起源かなんてわからないし意味がないんですよ
フィリピン起源かも知れないしね、その可能性も否定出来ない
でも可能性なんていくらでもあるわけだから、蓋然性の高い説を採択するしかないわけ
そして現時点でわからないものは、はっきりとわからないと言うべきで
根拠なき仮説をかざす必要もないと思うんだが
ところでウサギってワニの話かな?
613 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:28:07.60 ID:BRP1rKzR0
【古代の日本】 九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」 西の九州北部にはアマテラス=卑弥呼率いる勢力が 東の畿内にはスクナビコナ率いる勢力があった 【出雲の衰退と覇権争い(倭国争乱)】 何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、 複数の国の集合体であった「葦原中津国」を、出雲を頂点とする国家に平定しようとし始め、 それに対し、アマテラス=卑弥呼率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。 【争乱の決着と覇権国家「邪馬台国」の誕生(出雲の国譲り)】 男子王大国主命を錦の御旗にした畿内勢力のスクナビコナに対して アマテラス=卑弥呼率いる北九州勢力は、その男子王大国主命の息子タケミナカタを味方に付けることに成功し 息子に説得された大国主命は、アマテラス=卑弥呼に、出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、 アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣して「葦原中津国」=日本を手中に収め、出雲と北九州の「邪馬台国」の立場が逆転する 【アマテラス=卑弥呼の死と後継者・勢力争い(海幸彦と山幸彦)】 アマテラス=卑弥呼の死後、北九州勢の混乱に乗じて、次の出雲の王に、畿内勢力が男王を立て、 国譲りの後、北九州勢にとられた覇権への畿内勢力の巻き返しを計ったが、 卑弥呼の宗女、壱与を女王とした北九州勢はその男王の正統制のなさを提唱して、 再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、 出雲に派遣されていたニニギの二人の子、海幸彦と山幸彦も、出雲後継の座をめぐり、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出し 結局、海幸彦と山幸彦の牽制は、北九州勢力と畿内勢力の代理戦争の様相を呈していく
614 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:28:23.44 ID:BRP1rKzR0
【混乱の収拾と後継者勢力の確定(魏の介入)】 畿内勢力が立てた男王に変わる出雲後継の座をめぐり、北九州派と畿内派に分かれ牽制し合っていたニニギの二人の子のうち 畿内派の子山幸彦が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、 北九州勢力による畿内勢力に対しての抵抗は終止符をうち、出雲の覇権はそれまでの北九州勢から畿内勢に移行する それにより畿内勢は、魏の要人の娘と婚姻関係を結ぶなど、それまでの北九州勢に変わって魏との関係が密になっていく 【畿内勢の権力の拡大と出雲・北九州勢の巻き返し(神武東征)】 魏の後ろ盾を背景に畿内勢の権力が拡大していく中、出雲は名ばかりの中心となり果て、それに危機感を覚えた出雲は、 再び北九州勢と手を組んで畿内勢攻略に乗り出し、果敢に抵抗する畿内勢を屈服させて、 畿内に天皇という出雲・北九州勢の息のかかった王を新たに置くことで畿内勢を押さえ込むことに成功する 【出雲・北九州勢の蜜月の終了と覇権の確定(タギシミミの反逆)】 初代の天皇の死後、畿内勢を押さえ込む次の天皇を誰にするかで出雲・北九州勢で意見が分かれ、出雲・北九州勢の蜜月は終了する そこに再び勢力を伸ばそうとする畿内勢が加わり、事態は今度は、北九州勢vs出雲・畿内勢の様相を呈していく 結局、畿内の豪族の娘との間に作った子カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が勝利し、 九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭であった「葦原中津国」は畿内勢による天皇が納める日本国へと変貌していく
615 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:30:51.19 ID:zDkfjQ090
正直、東アジアの言語の成立の起源がわからんな、 エスキモーなどの言語とアリュートあたりの言語と 現代ツングース語と古代東アジアの言葉がどうなってたか 全くもって不明だ。 しかしエスキモーは明らかに東洋人の顔をしてる、 彼らがツングース等と別れたのはいつ頃であろうか。
616 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:31:17.63 ID:yfqpmMIr0
アイヌ語は日本語と同じくアイウエオの5母音ってだけでも似てるだろ 韓国語には10種類の単母音と11種類の複合母音
小沢一郎は朝鮮人が東漸して日本を作り、皇室の先祖となったって講演までしてるんだけどなぁ
618 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:37:20.64 ID:TiHvab+hO
(-_-;) いま、朝飯海苔ご飯補給中… [漢字ズイ]は漢和辞典で『蕊』の次にくる漢字。 やはり、玉に関して、九州王朝すら正統でない誤魔化しを感じるね。 大和天皇家はそれもそのまま継いでるようだし。
619 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:37:45.12 ID:yfqpmMIr0
>>611 >現在この説を覆す説を見たことはない。 (大昔の朝鮮学派にはウジャウジャあったが
俺から見たら、どう見てもお前は、在日
620 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:38:35.66 ID:zDkfjQ090
>>606 の種子島の宝満には種まきの神事があるらしく
稲作の伝来を感じさせる。
福岡にも宝満があり、同じ神様を祭ってるって
どういう事なのかな・・・?
621 :
157 :2012/02/29(水) 02:41:16.44 ID:DoFtrYFz0
イヌイット・北米北部インディアンは3〜1割がY-C3bで残りがY-Q型(ほんのわずかにY-Rアーリア租型) それゆえ顔立ちはアジア人というより、むしろY-Q型の兄弟遺伝子Y-R型アーリア系に近いくらい。 だが、文化的にはエヴェンキと変わらないシベリア・ツングースの文化。 南米インディオはほとんどY-Q型でさらに血液型もほとんどO型オンリーで、とんでもなく遺伝子多様性が小さい種族になっている。 これはベーリング海峡渡河の際の家族がほんの少人数だった「遺伝子の創業者効果」と考えられている。 諸説あるが、Y-C3bの渡河が2万年前後(最寒冷期の前)、Y-Q・Y-Rの渡河がその後の2〜1万年前の間くらいだろう。
不細工めの黄色人種の祖先とバタ臭い西洋顔の黄色人種の祖先が居たと考えてる。 前者は東北アジアの大多数、とインディアン、エスキモーになった 後者はポリネシアンとかアイヌになった
623 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:44:07.73 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ ご神体のように天皇ですらくるくる廻してしまう、出雲大社は、 間違いなく日本最強のスーパーパワースポットだと思う。 一度も行ったことはないが。
624 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 02:44:50.26 ID:yfqpmMIr0
福岡に在日多いんで誤解されがちだけど 朝鮮半島から昔の弥生船出すと潮の流れで福岡に付かないのは有名 付いても石川県とかあっちの方 江南からのルートだと必ず沖縄は通る、遣隋使、遣唐使も半島経由でなく 沖縄経由
アジア人がアジア人たる顔になったのはいつ頃か、あるいは個体差か 興味有る。南米のインディオでもアマゾン流域はアジア人ぽいが、 ペルーあたりは西洋ぽい気がする。そして混血してるようにはあまりみえない。 中米から北米に掛けては鼻が高く別の顔立ちにみえる。 エスキモーについては東アジア人と変わらないようにみえる
626 :
157 :2012/02/29(水) 02:54:50.69 ID:DoFtrYFz0
Y-C型の多様性を見てみよう。 Y-B型から分岐して「出アフリカ(6〜5万年前)」した最古の遺伝子Y-C型は東進してインドで大分岐、C1はそのまま東進して日本にだけ僅かに残された(貝文土器人とも、港川人の可能性もある)。 C2はポリネシア・メラネシアに進出した。 C3はバイカル湖まで北上、シベリアツングース・粛慎・朝鮮・満州系とC3bのイヌイット・北米インディアンとC3cの東胡ツングース系に別れた(C3aは日本にだけ散見されるという)。 C4は豪州に上陸したオーストラリア・アボリジニ。 C5はインド・パキスタンに僅かに残る。 C6はニューギニアでわずかに確認されたが研究中、齟齬かC2の変異体の可能性もある。
627 :
157 :2012/02/29(水) 02:58:09.15 ID:DoFtrYFz0
629 :
157 :2012/02/29(水) 03:10:16.37 ID:DoFtrYFz0
殷は元々西戎系の指摘がある。
それが本当なら中央アジア系のY-N系(テュルク系とも)とY-R系(アーリア系とも)が混ざって、欧州風になるのも不思議ではない。
現在の華北中国人でも西方遺伝子は十数パーセントを占めている。
「父系Y染色体華北中国人被験者44人の平均値」
Y-C3-M217(原シベリア・ツングース)4.5%
Y-G-M201(原中東・アンダマン・マレーシア・北アフリカ)2.3%
Y-J-12f2.1(原アラビア? 中央アジア・コーカサス・地中海)2.3%
Y-NO-M214(中国・モンゴル・マレー、NとOの祖型)2.3%
Y-N1-LLY22g(テュルク系?)6.8%
Y-N1a-M128(北東アジアテュルク系?)2.3%
Y-O2-P31(東南アジア・ヤオ・朝鮮、O2祖型)4.5%
Y-O2a-M95(Austro-Asiatic・華南・東南アジア・ジャワ・インド)2.3%
Y-O3-M122(中国・フィリピン・ヴェトナム・ポリネシア、O3祖型)13.6%
Y-O3a3-LINE1(ミャオ・ヤオ・ヴェトナム・インドネシア))11.4%
Y-O3a3c-M134(Sino-Tibetan、いわゆる華北漢族)40.9%
Y-Q1-P36.2(中央アジア・シベリア・東アジア)4.5%
Y-R-M207(西ユーラシア・原アーリア)2.3%
*被験者が少ないので検査年次でデータはまちまち
*名称は分布域か推測による仮称にすぎない。
原というのはその系統の祖型を示す。
下記ソースからまとめ直したもの。
http://www.isogg.org/tree/index.html http://www.springerlink.com/content/p31g0300430k6215/MediaObjects/10038_2005_322_ESM_supp.pdf
>>629 ごめん、目皿にしてみたけどよくわかんねーです
631 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 03:37:11.56 ID:yfqpmMIr0
サンプル数44名で、平均値とか使うなよ (算定)割合とか(構成)比率とかもっと適切な日本語あるだろ
南方からきた人が瓜実顔のチョン顔美人を好んで取捨選択して交配したのが 今の日本人、なんとなく理解した
>>624 遣唐使が半島経由しなかったのは半島と敵対関係だったから
宗像だったか、海岸の漂流物を集めてる先生がいたぞ
ハングルばっか
634 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 04:37:11.59 ID:Hi39sT890
日本書紀だと卑弥呼は神功皇后と一致させてる 真実をそのまま綴ったのか現政権に都合の良い編纂をしたかどっちか 改竄があった場合、どこかで王朝交代があったと推定される つまり卑弥呼と神功皇后を同一人物とする事で悪事を隠せる人物 それが応神天皇 卑弥呼は当時大和朝廷の正統政権であり それは卑弥呼名義で魏へ朝貢した事でもわかる 応神は一地方の豪族か何かで正統後継者では無かった つまり応神朝は卑弥呼の後継者台与から謀反により政権を簒奪して誕生 そして簒奪を隠蔽するため卑弥呼を応神の母とされる神功皇后と同一とすれば 正統な大和朝廷後継者として 現政権までつながる王朝の正当化を図れるのである
635 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 04:41:58.78 ID:N+vtrBnJ0
物的証拠が少ない・何処埋まってるのか判らない、古代史はタイムマシンでも 発明しないとやってられないな。
636 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 04:42:22.46 ID:JOswypyeP
>>634 卑弥呼の時にはまだ朝廷なんていう統一王権じゃなくて
首長国連合っぽいものだったという見方が強いぞ
>>634 記述が一番長い奴が一番怪しいだろ
それだけ正当性を主張しようとした結果なのだから
>>548 落ち着いて考えてみなよ
島根県から宮崎行って、その後に畿内
いくらあ昔だからといって可能性低そうだろ
640 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 07:07:56.14 ID:OS8zZCuN0
インドネシア語と琉球語の共通する単語 ちゃんぷーる(意味:混ぜ合わせる) 例:ごーやちゃんぷーる、ナシチャンプール 識者の方検証してくれ
641 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 07:19:18.40 ID:QeLODPsPO
>>600 他の周辺国には大月氏国や倭国に匹敵するレベルの下賜はされていないみたい。
公孫氏征伐に協力した三韓とかよりも上に倭国がランクインしたわけで、
あんなショボイ朝貢には見合っていないと思う。
>>636 そもそも卑弥呼が女王になったのも、首長国連合だったから。
実権を持ったものが王になると、「なんであいつが」みたいな不平不満が
溜まって、戦争になるからね。倭国大乱。
643 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 07:28:59.22 ID:QeLODPsPO
>>640 長崎のチャンポンも同語源だね。
Wikipediaでは福建語も候補のようだ。
644 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 07:34:42.54 ID:tRWanGXo0
神功なんていないって説 陰陽道では女は男になって応神と同一人物で 新羅に仲間を連れに帰っただけらしい 三韓征伐って 新羅に宝物があるよって記紀のスクネの言った意味が分かるね
645 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:01:35.90 ID:PKI8PSjSO
>>632 瓜実顔は今お前の考えてるチョン顔じゃないからw
現代における典型的なチョン顔はモンゴル顔。
お前高麗がモンゴルハーフで弁髪だった歴史を知らんだろ?
646 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:06:11.03 ID:OBqLqePJ0
1600年前のこともよくわからん日本ってダメだろ
647 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:14:13.42 ID:tRWanGXo0
日本の文化はほぼ秦氏が作ったから それがすべて 神社とかもう全部そう 神道もそう 勉強すればするほど分かる その秦氏が創建した八幡神社に祭られてる応神天皇が 日本に渡来した初代の天皇神武のことであり ここから日本の歴史が始まったとみていいだろうね 朝鮮から渡来集団を引き連れて何度かに分かれて行き来しただろうから この人は何人もの天皇に記紀ではされてるんだろう 驚くのは神功も応神だったてことかな 陰と陽の陰陽道の法則によって記紀を読み解けば分かるよ644が
648 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:17:26.94 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ そもそも陰陽道自体が新しいわけで… 応神は陰陽道には関係ないよ…
649 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:21:00.49 ID:/WjPMMVGi
そもそも渡来って何? 帰化じゃないの?
650 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:22:28.34 ID:jrC3yMGp0
>>648 > そもそも陰陽道自体が新しいわけで…
> 応神は陰陽道には関係ないよ…
ワラタ。流行りの霊能者がいたのかな。
651 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:23:24.89 ID:sXb6pnfl0
箸墓掘れよw
652 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:24:22.57 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~
>>650 陰陽道を積極的に導入したのは天武天皇。
653 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:26:21.65 ID:/QnePqJE0
末裔って 巫女なのに子孫を残してんの?
654 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:26:40.50 ID:tRWanGXo0
陰陽道の元の陰陽5行説など大陸の術が日本に入ったのが5世紀から6世紀で 日本書記 720年 古事記 712年 問題ないね 記紀とか荒唐無稽だけど陰陽道で読み解けば分かる部分がある 当時の先端知識だからね
箸墓(はしはか)古墳で結局のところ畿内説vs九州説はどうなったんだろ
656 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:28:44.42 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ その、陰陽道に冒された古事記日本書紀の、 陰陽道を排した原型を見てみたいものだね。
657 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:33:44.18 ID:tRWanGXo0
衝撃でしょうね
658 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:40:27.94 ID:TiHvab+hO
うーん。学術的研究なら読んでみたいが。 別に学術が正解というわけでもないけど。
660 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:43:09.65 ID:BJQDC8dn0
最新の邪馬台国は、宇陀市の鳥見山じゃないのかw。
661 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:48:35.39 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ まあ、そんな野暮なこと言わないで。 だいたい学術などとは言いながら、狩谷エキ斎は、 『続日本紀』にある「記多真玉」「託陀真玉」を、「記」も「託」も、「證」の字の謝りとし、読みは「とうだまたま」とした。 商売人らしいよね。バカだけど。 因みに、俺のじいさんは北浜の證券会社に勤めていた。
662 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:55:19.04 ID:tRWanGXo0
よく騎馬民族征服説が今じゃ否定されてるって言う人いるけど なぜなんだ 古墳から多量の馬具や馬の埴輪が出てきて 卑弥呼訪問した魏志倭人伝には倭国には馬はいないって書かれてるんだよね 刺青してたし
663 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 08:55:24.18 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 今泉忠義は、「ただまた」と読んだ。 宇治谷孟は、「とうだまたま」と読んだ。 宇治谷は立命館大学経済学部も出ているが、『続日本紀』訳本執筆中に、大津の交差点でバイクに轢かれて死んだ。 宇治谷が事故死した同じ年、俺は交差点で皇太子のお車というやつに遭遇したよ。 翌年立命館に入学した。
>>31 同時に2ch誕生の瞬間でもあったね
あの時は凄かったな
>>662 古墳から武具馬具が出てくるのは確かだが
考古学的にはその前後で王権の変動がみられないそうだからな
もちろん文献でもそういうのがきたなんて記事はないからまったく根拠なし
666 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:02:59.68 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 訂正、今泉忠義の読みは「ただまたま」。 今泉忠義の弟子に折口信夫なんかいるけど、 俺の父方の阿久根には折口という地名があるもんだから、 今泉忠義系学者のことを知った時は笑ってしまったよ。
667 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:07:41.07 ID:TiHvab+hO
>>662 蒙古系騎馬民族なら形質はとっくに新モンゴロイド顔が朝鮮並にあふれてなきゃ可笑しいし民俗学的にももっと羊化しなきゃなw
669 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:13:38.38 ID:tRWanGXo0
馬ってのは寒冷地にしか大きく育たないんだよ モンゴルとかね 邪馬台国には馬はいないって中国の史書 それが古墳時代には大量の馬具 分かりやすいね 素人にはどう見ても大陸から別の民族が来たとしか思えませんわ
歴史の9割は嘘と妄想と憶測からできています
671 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:15:37.73 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 俺は、長田王の万1-82の歌が気に入っている。 なんだか、滅びゆく九州王朝と、自分の子孫の行く末を案じているように思える。
672 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:16:38.59 ID:yfqpmMIr0
江上波夫の妄想をチョンやいろいろ怪しい小沢に利用されてもな 3 :出世ウホφ ★:2009/12/13(日) 23:39:15 ID:???0 【小沢氏来韓】「在日韓国人ら外国人地方参政権を現実化させる」 2009.12.13 12:04:53中央日報/Joins.com 小沢一郎民主党幹事長は、古代から韓日が近い関係だという点を語り、 東京大学考古歴史学者だった江上波夫教授から直接聞いた「騎馬民族日本征服説」を紹介した。 「韓半島南部の地域権力者が海を渡って来て今の奈良県に政権を樹立したという」と語った。 「この話をもっと強調すれば日本に帰れないから、これ以上強く話すことはできない」と話すと、聴衆から笑いが起こった。 「天皇も、8世紀の桓武天皇の生母は百済(ペクチェ)の武寧(ムリョン)王の子孫だと言われた」とし、 「韓日両国はいちばん近い国として、相互間の真の信頼・協力関係を造成すれば 北東アジアと世界の平和安定に重要な歴史的使命を果たすことができる」と語った。 【トンデモ史観】小沢一郎・韓国講演 t t p://www.youtube.com/watch?v=uX7xFMvCly8&feature=youtube_gdata 【売国】小沢一郎幹事長言行録 t t p://www.youtube.com/watch?v=NXjgD4jb_Jg&feature=channel 「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、 他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」とした。
673 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:19:21.78 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 八代には血縁がある。俺から直ではないが。 ●●という姓も血縁にある。
674 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:27:04.63 ID:XQAVCxOZ0
山の辺の道は秋の中高年ハイキングの時期しか人いないよな 奈良は良いところ多いのに京都ほど人が集まらん
675 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:28:06.58 ID:tRWanGXo0
チョンとかどうでもいくてさ ウラル山脈とかチベット高原とかそうゆう壮大な地図を視野に話してるんだけどな
676 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:30:23.52 ID:Zm7lgMuh0
この場合の考古学マニアには考古学者も含まれるの?
677 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:34:28.97 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 薩摩は天然災害と戦乱の國だから、書物や建築物や器物による伝承を、 初めから放棄してしまっているような感じがするんだよね。 縄文時代以来の伝承形態というか… ひどく学問的ではない言い草で申し訳ないが…
>>674 新幹線が無いからな
京都は新幹線を利用していくらでも交通利便をアピールができ人を集められる
だから奈良との差がどんどん開いているんだよ
そして奈良にリニア通しましょうというはなしになれば、京都は人の少ない奈良に通すより京都が良いとか叫んでる。
奈良にリニアが来たら京都と対等の観光需要は作れるさ。
>>89 想像も含めて、
正方形の台座の上に、円形のドームが乗った状態のものが本来の形だった。
これが、シナから日本に伝えられたときに、斜め上方から描いたつもりの図が正確には
理解されずに、あんなことになった。
そもそも、上下もないはずだ。
大きさも、多分単位が間違って伝えれたためだろう。
シナの一里は0.4km、日本は4.0kmだw
遠近法の表現が未熟な時代のおおいなる勘違いの産物。
異論は認めても良いが、自分で図書いて見れ。事実はそんなもんだろう。
680 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:52:44.80 ID:Bxi2IfgO0
邪馬台国に馬がいないなら なんで馬って当て字にしたんだろう
>>678 京都と対等になるかはともかく
明日香とかあの辺りに行くと妙に故郷に帰ってきた、て感じで郷愁にかられるぜ
中国の方で当て字にしたんだから 日本の事情なんて関係ないでしょ
683 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:57:04.96 ID:ZEP2PFhi0
茅原大墓古墳で発見された国内最古の「盾持ち人埴輪」 当時はみんな普通に顔に刺青していたのかな パプアニューギニアあたりの土人のイメージなのかな
684 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 09:58:59.53 ID:TiHvab+hO
685 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:01:50.23 ID:dr2bt18a0
畿内説は捏造した歴史のつじつま合わせするための駄説
686 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:03:21.73 ID:Bxi2IfgO0
>>682 だから中国側が邪馬台国と呼んで
馬もいないって記したんでしょ
馬がいないのに何故馬なのか意味わからん
687 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:04:28.22 ID:lNOhwHrs0
横レスになるが、当時邪馬台国の使者の方言は酷かっただろうなと思う。 だから、「卑弥呼」は「姫っこ」から来てるんじゃないかと、おれは 真剣に思っている。
ミラミットも雇用の側面があるんだっけか 古今東西雇用の創出は大変やね
690 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:06:00.95 ID:TiHvab+hO
>>680 邪馬台国はヤマト国の当て字だろ
卑弥呼は日巫女の当て字だろ
北部九州の筑紫平野にはヤマトと読む地名がたくさん点在し大和王権より歴史が古い
>>686 動物程度の知能って言いたかったか、咄嗟に浮かんだのが馬なんじゃね?
693 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:07:30.22 ID:yfqpmMIr0
>>675 広大さ荒唐無稽な話は、真実の探求には、まったく関係ありません
「日本に確実に馬が出現するのは4世紀末です。しかも4世紀から5世紀前半にかけての、
馬に乗るための装備、馬具は、北部九州で少数見いだされているにすぎません。」
「5世紀後半になると、にわかに日本に沢山の馬が渡って来ました。
…馬具が九州から東北地方にいたる広い範囲の古墳からたくさん出てくる。馬の埴輪もたくさんある。」
(佐原真「騎馬民族は来なかった」)
縄文時代や弥生時代の遺跡から馬の骨が出る事例が多くあるので、かってはそれが馬の存在の証明だったようです。
ところが、近年フッ素含有量を調べることで骨そのものの年代測定ができるようになった結果、
否定されるようになったそうです。ややこしいことですがなぜでしょう。貝塚というのは、
後世に馬の死骸の捨て場として利用されることがあり、結果的に遺跡にまぎれこむことになったというのです。
なくなられた佐原真先生の『騎馬民族は来なかった』(NHKブックス、1993)
縄文馬はいたか
h t t p://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/13239/1/KJ00000187609.pdf
騎馬民族征服王朝説は検討に値するのか
h t t p://homepage1.nifty.com/sawarabi/kibaminz.htm
694 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:12:02.49 ID:EvGcjXr60
290 :名無しさん@12周年:2012/02/28(火) 21:22:12.88 ID:Hkp+l44/0 倭国は、百済や新羅の東南に在、水陸を越えること三千里、大海中の山島に依って居す。三国魏の時代、通訳を伴って 中国と通じたのは三十余国。皆が王を自称した。東夷の人は里数(距離)を知らない、ただ日を以って計る。 その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。その地形は東高西低。都は邪靡堆、魏志にいう邪馬臺というなり。 >都は邪靡堆、魏志に伝わる邪馬臺というなり。(隋書倭国伝) 奈良の都の邪靡堆(大和)は魏志倭人伝の邪馬臺である ↑ ハッキリと記されているし、これが正解だろうなあ 九州説で有名な佐賀大のおっちゃんもTVで 「誰もやらないから仕方なく九州説やらされることに成ったんですよ〜」 とか言ってたもんなw もうとっくの大昔に古代史・考古学会では畿内で確定してたんだよw 上で誰かも言ってるよに、プロレス茶番で予算が欲しいだけなんやろ
魏志倭人伝の頃、当時の畿内には北九州から関東の方まで勢力圏があった纒向政権があったので 邪馬台国とヤマト王権が別だとすると…… 邪馬台国はただの九州の地方豪族になるぞ
>>694 >奈良の都の邪靡堆(大和)は魏志倭人伝の邪馬臺である
これはどこから持ってきたんだよ
>>696 ヤマト王権との繋がりはまだ解明されてない筈だが
698 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:18:42.51 ID:OJpAc0oK0
じつは邪馬台国のあとしばらく朝貢がなかったのは、渡来人たちが集団で押し寄せ 邪馬台国や他の国を滅ぼしてたからじゃないだろうか そして作ったのが大和朝廷。権力を手に入れてから初めて歴史に顔を出す 逃げてきたやつらだから中国に朝貢するわけないし、邪馬台国など従来の国家の痕跡 を消すのに躍起になったから、でかい国だったのに現在いつまでも証拠が見つからない だから律令時代にわざわざ歴史書捏造して正当性を担保した だから蝦夷を平定するよりも先に、白村江の戦いでは援軍を送った・・・
>>697 ああ、済まんヤマト王権って書いちゃったなな、纒向政権だ
700 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:19:39.69 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 畿内の國名で、山背(山城)國と丹波國(たにわのくに)って、 めっちゃ強そうな感じがするよな。
騎馬民族のY遺伝子は、Y-N1c1(匈奴)。 日本では1%内外で問題にも成らない。その1%内外は 馬飼いか、馬引きか、馬具売り商人程度だろう。馬の皮を剥いだりもして 現地人に気味悪がられ、気性も荒あらしかったので川向こうへ追われ、 元祖部落民になったと思われる。日本支配どころの話ではない。 Y-N系は、朝鮮半島では10%ほど有る。この人達が日本の初期部落民の 祖先だろう。
702 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:21:52.93 ID:EvGcjXr60
>>697 上のスレにあんだろ?w
隋書倭国伝を調べて見ればいいんじゃないか
ウィキかなんかでw
>>695 それを言い出すと
紹煕本では對海國、紹興本での対馬國が問題にならないか?
>>701 訂正
匈奴=Y-N1c1 → Y-N1c
705 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:22:42.54 ID:zDkfjQ090
近畿のナガスネヒコと神武は同族 長髄彦は神武天皇に「昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した。名を櫛玉饒速日命という。 私の妹の三炊屋媛を娶わせて、可美真手という子も生まれた。ゆえに私は饒速日命を君として仕えている。 天つ神の子がどうして二人いようか。どうして天つ神の子であると称して人の 土地を奪おうとしているのか」 出雲のタカムスビノカミ、スクナヒコナの子孫が近畿に居座り、その一部が 九州の日向に居た(ニニギ、神武)で東征したらその近畿にも天孫の子が 居たという。両者あれ???って思ったろうなwww そう、近畿や出雲は彼らの一番最初の開拓地だったからだ
706 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:24:22.17 ID:Bxi2IfgO0
>>695 対馬も中国の当て字っぽいよ
日本では津島と呼んでたらしい
707 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:24:27.38 ID:ZEP2PFhi0
「卑弥呼」って魏志倭人伝に記載されているのみなんでしょ 中国の発音ではピェ・ミィエ・ハになるみたい 「呼」はそのように呼ばれていたというもので、名前そのものではない だから名前の部分は「卑弥」ということになる これが、後の日本語の「姫」の語源になった可能性もあるのでは
やっぱり日本も歴史の記録を有る程度は残して欲しかったな。 自国の歴史の解明に、中国の歴史書に頼るしかないとは。 倭国大乱とか面白そうなのにな。
>>706 そういう意味で書いたんだよ。
馬に意味はない
>>708 残ってるよ
でも歴史を捏造したからないことにされている
どう考えても、卑弥呼の「卑弥」は「姫」だろ。
713 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:30:03.98 ID:zDkfjQ090
ナガスネさんと神武さんは同族よ 近畿で戻りw
714 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:30:20.10 ID:OJpAc0oK0
>>701 詳しいな!そんなことまでわかってるのか!!
ところで半島に残る10%のY-N系は、元の時代の名残ってことはないのか?
また初期部落民の祖先だとすれば、現在または近年までも、武士・農民と部落の
遺伝子には差異があったと考えていいのか?
もし知っていたら教えてくれ
715 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:30:45.78 ID:EvGcjXr60
そこもそ九州の遺跡はガラクタしか出てこないからなあ あっ因みにオレ九州人ね 数年前に古代史に興味をもって宇佐だの宮崎だの九州にある 神社や資料館なんか殆ど回ってるけど、邪馬台国は九州に無かったと断言するよ 奈良に行って遺跡や古墳見たら、さらに納得した
716 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:31:32.51 ID:rfXd+l3B0
717 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:32:08.76 ID:Bxi2IfgO0
>>709 対馬も意味ありげじゃん
朝鮮と対峙する島だから
718 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:34:01.04 ID:rfXd+l3B0
>>696 >北九州から関東の方まで勢力圏があった纒向政権が
いやつーかちがった。纒向には北九州勢力の痕跡はない。
>>717 あんまり無い。
それいうなら、対馬よりも津島や対海の方がしっくり来る。
720 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:35:37.16 ID:EvGcjXr60
古代といえ九州管内移動に1月以上もかからんだろうし 7万戸も有する大国は九州では何処も比定出来る場所がない 遺跡にしたって女官を1000人以上も住まわせる大宮殿なんて全く見つかってない やっぱ九州はキツイわ
721 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:36:11.81 ID:zDkfjQ090
>>718 巻向はまだ北部九州を勢力に置こうとしてる段階で
勢力圏にはいりつつある段階だ。
でも宇佐、北九州市近辺は勢力に入ってたかもしれん
722 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:36:42.43 ID:rfXd+l3B0
北九州=高天原=邪馬台国のあるところ 近畿=纒向政権=後のヤマト政権 ブランド:北九州>近畿 勢力:北九州<近畿 邪馬台(ヤマト)は名前だけ近畿にうけついで、自らは 滅んだと思われ。
>>718 出土品に関東の方まであって驚いたが、北九州は無かったっけ?
724 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:38:29.40 ID:Bxi2IfgO0
>>719 しっくり来るって中国が津島を対馬と呼んだんだから
なんらかの意味が込められてるでしょ
>>721 そうかもね。とにかく北九州の痕跡はマキムクにはない。
>>717 元々は對海國とも言ったらしいから、その辺からの当て字じゃないか?
海にある国みたいな意味以上ないと思うが。
>>720 都市の中心部に遺構が残るわけないだろ
それと宮崎や宇佐が国の中心になり得ることないわw
728 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:39:23.47 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 最近思ってるんだが、河内國のかわちって凄く特殊、古代では珍しい読み方をしてるんじゃないか、と。 高知も、もとは河内らしいし、丹波に河内と書いてごちと読む地名がある。 俺の父方の阿久根も、薩摩言葉で、ごちと発音する地名がある。 ごち、こうち、ごうちが古い読み方で、かわちは新しいんじゃないかと。 誰か調べてくれ。
729 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:40:48.17 ID:zDkfjQ090
↓これにつきるw
近畿のナガスネヒコと神武は同族
長髄彦は神武天皇に「昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した。名を櫛玉饒速日命という。
私の妹の三炊屋媛を娶わせて、可美真手という子も生まれた。ゆえに私は饒速日命を君として仕えている。
天つ神の子がどうして二人いようか。どうして天つ神の子であると称して人の
土地を奪おうとしているのか」
>>722 九州のブランドは奴国たい。
ヤマトは山人が語源だろ
730 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:41:38.17 ID:rfXd+l3B0
北九州のブランドを近畿へ接続する仕掛けが 記紀の神武東征という創作。
>>724 >>726 にもあるように
向こうから見たら海を隔てて対面している國、の方が
しっくりくる、という感じなんだけど。
土田舎の集落跡を邪馬台国といわれた場所とか卑弥呼がいたとかいうのはもういい加減やめてほしい 昔も今も中心は都市部だろ
733 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:43:48.39 ID:TiHvab+hO
734 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:44:50.63 ID:rfXd+l3B0
ただし、東征が創作なだけで、神武にあたる人物自体はいた可能性がある。
>>728 川を「こう」と云うのは、南に限られると思ったが、薩摩もそうか?まあ、薩摩も南っちゃあ南だが。
736 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:47:51.84 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 河野は、こうの
738 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:49:34.39 ID:Bxi2IfgO0
>>731 だから馬という字が当時中国で蔑称とされてたなら
侮蔑的に馬を当て字にするという
意味が込められてるという可能性もありうるでしょ
>>507 >わざわざ弱小国に金印なんて渡さないだろ。
覇権国家が、敵対勢力の衛星国に、自国側に寝返るように、権威なり実利を与えて、
最後は引っぺがして、敵対勢力を裸にしていくなんて外交の世界では普通のこと。
740 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:51:31.85 ID:zDkfjQ090
部落は俺は狩猟採集民族の末裔と思うな、だから基本縄文人 だが、農業が始まってから次第に縄文人も農業に参加したから 部落は最後までそれに同化しなかった人たちではないかと
741 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:51:36.21 ID:yfqpmMIr0
『魏志倭人伝』の記述と『古事記』神話とが、ダブル・イメージになっているようにみえる。その例をあげてみよう。 1、卑弥呼と天照大御神(どちらも女性)。 2、宗女(一族の娘)台与と万幡豊秋津師比売(高御産巣日の神の娘で、天照大御神の太子の天の忍穂耳の命の妻。 天皇家の祖先の、天孫邇邇芸の命の母)。「台与」と「豊」の音の一致。 3、邪馬台国(卑弥呼の都)と高天の原(天照大御神のいたところ)。 4、魏の王から卑弥呼に与えられた鏡と八尺の鏡。 5、『魏志倭人伝』にみえる「孔青大句珠(孔青い大きな句珠)」と「八尺の勾珠」。 6、卑弥呼が魏の王から与えられた「五尺刀」と神話にたびたびでてくる「十拳の劒」。 「五尺」は、当時の魏の尺度で、約120センチ。「握」は、握ったこぶしの小指か人差指までの幅。8センチ〜10センチ。 「十拳」は、80センチ〜100センチ。弥生時代〜古墳時代前期の墓から、118.9センチの素環頭鉄刀の出土している例がある (今尾文昭「素環頭鉄刀考」『橿原考古学研究所紀要考古学論攷』第8冊、1982年12月。『季刊邪馬台国』40号転載)。 7、北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性、大和の弥生式文化を代表する銅鐸と古墳文化との非連続性、 北九州の族長たちの墓の副葬品、剣・矛・鏡・玉などと皇室のシンボルの「三種の神器」との共通性、 などからうかがわれる北九州の政治勢力の東への移動と、神武天皇の東征伝承。(ここから、「邪馬台国東遷説」が生まれる。)
742 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:51:55.09 ID:rfXd+l3B0
>>722 で考えると、他では非常に説明困難な現象が簡単に説明できるようになる。
たとえば、旧唐書と唐書との日本に対する表記がまるで違うのはなぜなのかとか
あるいは、日本書紀でわざわざ三国志の東夷伝や卑弥呼について触れているのに
その上で、神功皇后のことで「あろうか?」というような非常に奇妙な表記を
していることとかね。
これらは、
>>722 以外では説明が絶望的になるけれど、
>>722 を採用すると
簡単に説明できてしまう。
なぜ記紀は神武東征という捏造をやったのかも説明できる。
>>737 そういうライトノベルありそうだww
>>738 ああ、そういう意味ね。
まぁ夷だとは思われてただろうな。
744 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:53:00.28 ID:EvGcjXr60
>>727 マツラやイトや奴国の規模なんか邪馬台国どころかトマ国の足元にも及ばんからなあ
北九州の国々の戸数を併せても5万戸も行かなかないとなると
7万戸を有する邪馬台国を何処にもって行けばいいんのか?
それは近畿一帯
745 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:54:37.59 ID:rfXd+l3B0
>旧唐書と唐書との日本に対する表記がまるで違うのはなぜなのかとか
たとえば、これなんかは現代の歴史学では全く説明が不可能。
???????
わかんないけどまあしょうがない。おいとくしかないw
ってのが今の学会の態度。
しかし、
>>722 では何のムリもなく綺麗に説明できる。
746 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:56:32.54 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ まぁ…はっきり言うと、阿久根市鶴川内なんだけどね… 薩摩人は川内市を、せんでと発音するから、鶴川内をつるせんでと読んでしまいがちだけど、 現地音は、つぃごっち。つるかわうち。
747 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 10:57:24.70 ID:yfqpmMIr0
部落は精肉と皮革加工だろ、臭くて血と死臭で汚れだから嫌われた 「えた」は平安時代ぐらいに書物に登場する職業名。 その職業が、鷹の餌を捕る者が鞍などの革製品加工と発展し、 皮のなめしなどの作業は匂いがきつく水も居るので川辺で集落を形成した。 馬飼いは、技術者として尊重されたはず
吉野ヶ里終了?
>>739 国家の血統を偽造した可能性が有るなw民俗描写も位置誘導も南だがこれは全てハッタリ。魏志倭人伝はハッタリ。
>>738 うん、その可能性は現状では否定できない。
蔑称でたまたま発音が同じだから当てはめた、だけかも知れない。
たまたまなどではなく、意味がある可能性も否定できないし、
そもそも、蔑称つけたのかどうかもわからん。
こういうところでの難しいところは
○○という推定を認めるか認めないか、なんていうところで
かみ合わないから、自説の言い合いと相手の誹謗になっちゃうんだよなぁ。
で、大陸系にしてみれば、海の向こうだ。という方が簡単に説明できそうなんけど、
というサジェスチョンなのさ。
吉野ヶ里って初めから邪馬台国じゃないと目されてたんでしょ? 学者達は両派ともに気付いていたけど、予算獲得プロレスの為にあえて黙認 その辺が一部の邪馬台国オタが学者達を毛嫌いする理由の一つ
>>748 吉野ヶ里が邪馬台国と思っている奴はいない
754 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:01:58.14 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 部落って…それは、全然違う場所や。 360度見渡す限り、元々は全部うちの土地だったという、ほんまか嘘かわからん話がある。
>>746 凡河内国造(おおしこうちのくにのみやつこ)から河内国
というのが一応の由来になっている。
凡川内・大河内と書き換えられる場合もあるけど。
今でいう、大阪湾のあたりを押さえていた豪族らしくて
国造に任命されたらしい。
757 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:06:22.67 ID:lNOhwHrs0
>>690 その資料を基に単純に計算すると、西暦230年くらいに日本にハレー彗星が表れたことになるな。
卑弥呼の時代としては微妙だと思うが、むしろ日食が卑弥呼の鬼道に関わっていたと思うよ。
>>753 困ったことに、七田さんは結構マジっぽいけどな・・・・
759 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:10:28.50 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 鶴川内の真ん中を流れる川が、高松川というんだよねぇ… 俺の両親が結婚したのが丁度高松塚古墳が発掘された頃。 父は戦時中海軍陸戦隊に配属され、鎮海警備府加徳島で終戦を向かえた。 鎮海警備府の司令官は山口儀三郎で、この人は高松宮のお附き武官を勤めたことがある。
760 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:12:04.12 ID:Bxi2IfgO0
>>750 そこで何故日本に馬がいないと中国が記した時代に
日本への当て字は馬を多用するのか
761 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:13:24.60 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~
>>756 なんだか、「かわち」「こうち」「ごち」全て別系統な感じがするな。
>>760 たんに日本という夷に馬という字をあてるって不文律があっただけって気がするが。
そこまで考えることでもない気がするが。
烏桓が、なぜカラスなんだ、と言っても仕方ないのと一緒で。
764 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:18:41.17 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~
>>762 漢字は同じかもしれないけど、
「か」「わ」「ち」
「こ」「う」「ち」
意味が違ってこないか?「ち」だけは土地だろうけど。
かわちは神聖さを売りにして、こうちは狭い土地なんじゃないか。
>>761 高知県はもともとは土佐ですね。
川に挟まれたところに城があったので
河中山城(こうちやまじょう)とよばれていましたが、
挟まれていますから水害が当然多く、
縁起を担いで高智に改名。
そこから高知になったといわれています。
766 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:27:57.49 ID:TiHvab+hO
>>764 大和言葉を考えるとたいして変わらんと思うが
ただ単に河内国は領内が湖(古代河内湖)があり大和川がありで河内じゃないの
769 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:29:47.61 ID:6K4jGXef0
>>1 当時大和朝廷が半島に進出してたから 皇居や陵が海上交通から大阪平野におかれただけ
大和が衰退したわけではないだろ
まして箸墓が卑弥呼の墓なら卑弥呼の末裔は皇室だろうが
770 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:32:00.71 ID:Bxi2IfgO0
>>763 いや意味はあると思うよ
実は卑弥呼時代にすでに軍馬がいて
それを手足のように扱っていたので馬に長けた民族とか
それとも馬のように勇猛果敢な民族とか
それとも当時の日本人は馬面だったとか
>>770 「倭」呼称に既にその国家の血統が含まれてんだよw
772 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:38:00.76 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ もうひとつ思い出した、丹後半島与謝郡与謝野町の三河内(みごち)。 古墳とかある。
>>772 うちのatokはかわちと書くと川内でせんだいも川内なんだよなぁ。
土地の状況由来でいくと簡単かなぁ
774 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:41:08.71 ID:O6MkVzU/O
風見潤の『ヤマタイ国幽霊事件』を思い出した。
>>770 その言い方をいい出すと何でも言えてしまうなぁ。
そこを主論にして話をするのはかなりの無理があると思う。
無理というのは言い過ぎにしても
否定も出来ないが肯定も出来ないただのお話になってしまって、
「それを信じるか信じないか」で終わってしまう。
そうかも知れないしそうじゃないかも知れない、で済んじゃうよ。
777 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:46:52.87 ID:Fr+rNlgz0
こりゃ勝負あったなwwwヤマタイ九州説敗走wwwwwww
778 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:49:12.55 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ かわち、こうち、ごち、こうず、 増えたんか…ず、って…
779 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:49:31.11 ID:Bxi2IfgO0
>>776 だから馬がいないとされる国で
何故馬に関連づけられるかがミステリーなわけ
780 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:50:46.06 ID:3LUp2UCd0
河内は「おっさん」と読む
>>779 単なる音あてだろ。倭人は海人種。馬は陸人種。貝と羊に分かれる。
782 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:53:01.99 ID:yfqpmMIr0
カワチ、カッチということばが、盆地を意味する古語 東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな (意訳:あの梅は、俺が居なくなっても春になったら咲くんだろうなあ) こち、ごち=風
783 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:57:08.50 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ 邪馬壹國の「馬」は「駅」という意味じゃないのか。 「駅」というのは、ベース、基地にできるという意味での。 三國志魏志倭人伝は軍隊を動かした場合の地志を含んでいるのかもしれないよ。 そうすると、投馬國も駅、ベース、基地、兵站地にできますよ、という意味を含んでいるのかもしれない。
卑弥呼の末裔の根拠が何も書かれてないのだが記者のミスか?
785 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 11:59:00.82 ID:yfqpmMIr0
>>770 >>776 だから、
>>693 で、1990年ごろ炭素測定法で否定されたと書いたろ
いつまで、チョンの願望に引っ張られた、大昔の論争繰り返すんだよ
786 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:00:12.54 ID:jx2Im6rA0
対馬の当て字は、馬韓に対面する、という意味だと聞いたんだが。 中国側からの呼び名が対海国で、海にあるという意味だし。
787 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:00:20.90 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~
>>782 なるほど…
鶴川内は台風接近戦台風上陸戦に強い土地だが、
東風だけはヤバイと言われている。
788 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:06:02.80 ID:EvGcjXr60
>>691 大和の地名が九州には多い、っていうね
きっと九州から畿内に地名が移ったんだ!と・・
で、逆は考えられないのか?
神功の朝鮮出兵時、宮を構えた付近一帯が大和だの三輪だのと地名を残してるんだよ
秀吉の朝鮮出兵の時、肥前名護屋の理屈と同じだろう
789 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:09:59.12 ID:jx2Im6rA0
>>788 北九州と大和だと、記紀に登場する地名が圧倒的に北九州のほうが多いから、
おそらく北九州の地名のほうが古いと考えられてるみたいよ
卑弥呼には確か妹が居て、その妹も女王になった筈だが妹時代の文献は何も無いのかな
ああ、親族の若い娘って話で妹ではなかったか
792 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:15:10.77 ID:EvGcjXr60
>>785 チョンの願望、って書いている時点で
読むに値するかどうかが激しく問われるんだけどね。
ただ、ミトコンドリアにおける母系列は検索した方がいいよ。
「日本人になった祖先たち」とか。
邪馬台国畿内説はタダの願望に過ぎん
もう埼玉でいいよ。
>>793 アジアの母系はM系群の派生が殆ど朝鮮に対した意味など無い。
797 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:23:19.15 ID:yfqpmMIr0
哺乳類の精子に含まれるミトコンドリアは、 一般に受精後卵細胞の中で死滅してしまうとされる。 んで征服民族の女の種類が増えた以上の意味が無いだろ
798 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:23:22.77 ID:EvGcjXr60
でチョンの願望は九州説なんだろ? 西日本を支配する大国じゃマズイんだよな? 邪馬台国は九州の小国で無いと都合が良くない つまりは当時の大国を矮小化したくて仕方ないんだよ だから九州説はブサヨ臭がプンプンでキムチ臭いんだ
799 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:25:13.18 ID:1v9vbwtc0
>>350 意外な盲点
疑似倭人伝には卑弥呼は邪馬台国の王とは書かれていない
倭国の王であって邪馬台国に都すると書かれている
なら倭国の中に、邪馬台国があったてこと?
日本の東京に首都がありましたっていうような話?
800 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:25:18.52 ID:BJQDC8dn0
都が2つあったんだろ、季節を変えて。
801 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:26:25.13 ID:7XSrrk0P0
802 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:30:10.52 ID:Fr+rNlgz0
803 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:30:36.45 ID:JZNPEcGx0
竹内老人が一言↓
皇紀2670年だか知らないけど、倭を統一する前の一豪族時代の歴史を過大に表現したのかな?
倭国の統治権が北九州奴国から畿内邪馬台国に移ったんだよ だから金印のころはまだ北九州が中心だったがその後畿内に移った
>>799 バチカンの様な宗教都、祭祀都の可能性も在る。
807 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:33:32.22 ID:yfqpmMIr0
>>793 チョン呼ばわりされたくなきゃ
大昔の、当時話題にはなったが受け入れられなかった
極一部の論説をひたすら流布すんなよ
808 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:34:18.79 ID:EvGcjXr60
>>801 お前が白けようが知ったこっちゃ無いけど
事実を言ったまでw
809 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:37:58.95 ID:yl/LQMJq0
中国のうさんくさい、魏志倭人伝なんて信用出来ないだろう。 古墳の数、出土物の数から考えて機内説。
邪馬台国は邪悪の邪。 卑弥呼は卑しいの卑。 こんな風に古代中国は周辺国を賤称で読んでいたと聞く。 埼玉をさきたまと呼ぶように、古代日本では母音が連続する事は無かったと来ているから…。 邪馬台国=ヤマト国。 卑弥呼=日巫女。 これを中国人が蔑んで当て字しただけなんじゃないのかな?
811 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:42:19.78 ID:yfqpmMIr0
韓国人が自国と日本人遺伝子を語るとき、決してY染色体にはふれずミトコンドリアだけで語る。 しかしそのミトコンドリア遺伝子ではアジアでみられる起源はすべて2万年以上前のため、 それより以降の新モンゴロイドの発生移動と増加には全く役に立たない。 つまり東アジアではどの国も多少の差はあれどほとんど同じ構成になってしまうである。 そもそも人類のDNAを分析する場合、系統分類に適さないミトコンドリア遺伝子は使用せず、 系統分類し易い父系のY染色体の分類法を使用する。
813 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:42:53.37 ID:RhjlINix0
卑弥呼って、今で言えば米国に洗脳され、米国後ろ楯にイキる小泉橋下や新自由主義の官僚みたいなもんじゃね? たまたま統治時代が温暖な気候だったから良かったものの、 中国伝来の道教にハマり、国中の銅鐸を割りまくって それまでの国民の信仰を捨てさせ、権益を潰した。 Y染色体遺伝子で言えば、南方のD、長江のO2を蹴散らして権力層は黄河O3が支配し出したと思ってる。 卑弥呼が何者か知らないが、確実に売国奴だったとは分かる。
>>810 よく言われるけどヤマトはいいとして
ヒミコ日巫女みたいな言葉が当時実際あったかどうか証拠がないとさ
適当にちょうどいい漢字当てはめましたじゃダメだろう
815 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:45:01.23 ID:Bxi2IfgO0
魏志倭人伝をみると本当に馬の文字がよくでてくる 国名やら官名やら 「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」 馬がいない国で何故馬だけ当て字にして 他の牛や虎は当て字にしないのか 何かしら馬が関わってるとしか思えない
816 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:45:46.09 ID:Fr+rNlgz0
>>810 中国とかどんなメンタリティーしてんだと思うww
勝手に蔑みくさってww今とかわらんな
818 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:51:46.51 ID:1v9vbwtc0
>>817 例えば?
日本てそんなことしてないだろ
他国の名前に無理矢理動物名だの悪魔だのみたいな名前つけてるか?
漢字のない西欧諸国への当て字は勿論、日本より格下の半島にも
そんなことしてないじゃんか
819 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:52:32.70 ID:h8ctbzCX0
>>815 三国志全体で、馬の当て字をどれだけ使っているかを調べないとなんとも言えないんじゃないの
マの当て字に馬を使うのが普通だっただけかも。
邪馬台国にだけ馬の字を沢山使ってるなら何かあるかもしれないけど。
>>818 日本人じゃないのかな?
土蜘蛛とか鬼とか聞いたことないか?
>>35 江戸時代あたりだと、「こんなの歴史じゃない」って、壊しちゃうらしいな。
822 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:57:09.53 ID:1v9vbwtc0
>>820 それ討伐対象の敵に対しての蔑称だよね
倭と中国が大戦争繰り広げてるなら、蔑称命名はいいとして、違うでしょ
単に他国を馬鹿にする為にやってるだけだろ
823 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 12:58:15.19 ID:yfqpmMIr0
>>820 >日本人じゃないのかな?
>土蜘蛛とか鬼
おまえがな、それって、国名じゃなよ、種族名
神話時代の国内問題とすりかえるなよ
>>822 だからよその国を蛮族とかみなすのはどこも同じなんだから
中国のメンタリティが独特なわけじゃない
826 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:01:25.40 ID:h8ctbzCX0
外国にたいしても南蛮とか毛唐とか使ってる気がするが
827 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:01:31.52 ID:GguKYWT40
中国だって勢力拡大のために調べて記録残してるんだから、 漢字は穢くても読みは正しい 邪馬台はヤマト 倭は「お前は誰だ」と聞かれた時に倭人が「わ(我々)?」と答えたから倭 卑弥呼は「お前のところの王の名は」と聞かれて 本名は知らないので「ピメウォ(姫王)です」と答えた 当時の呼の発音はホかウォに近い 日本人が当時、hの発音が無かったからKの音を当てただけ
ヤマト王権は吸収して支配権を拡大してたんだから、他国からの朝貢ってこと自体がないんだよ。 吸収されるか滅ぼされるかなんだから。 中国みたいに、辺境は朝貢してれば王にしてやるよってのという発想がない。 その辺の違いは頭に入れとかなきゃ
∩___∩ /゙ミヽ、,,___,,/゙ヽ | 丿 ヽ i ノ `ヽ' / ○ ○ | / `(○) (○)´i、 先生助けてっ!、 | U ( _●_) ミ 彡,U ミ(__,▼_)彡ミ 北九州説ちゃんが息をしてないのっっ!! 彡、 |∪| ,,/ ,へ、, |∪| /゙ / ヽ ヽノ ヾ_,,..,,,,_ / ' ヽノ `/´ ヽ | ヽ ./ ,' 3 `ヽーっ / | │ ヾ ヾl ⊃ ⌒_つ ソ │ │ \__`'ー-⊃⊂'''''"__,,,ノ | ` ̄´ ` ̄´
>>827 >本名は知らないので「ピメウォ(姫王)です」と答えた
それだと、次の女王の名前が残ってるのと合致しないような。
>>829 元々無理筋だしなw
831 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:10:52.95 ID:1v9vbwtc0
>>825 単一とか関係ない、あっちは邪馬台国を国として表記したんだろ
国じゃないの?連合国であっても国、あんたの邪馬台国って何?
国連みたいなものなのか?
832 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:10:59.00 ID:yfqpmMIr0
土ぐも、見てたら、面白い話が北九州の首長には女性が多かったらしい 下手したら、卑弥呼も土蜘蛛系の倭王権とは別の豪族? h t t p://dic.nicovideo.jp/a/%E5%9C%9F%E8%9C%98%E8%9B%9B 各地の風土記にも土蜘蛛について沢山の記述が見られ、 特に『肥前国風土記』『豊後国風土記』には様々な土蜘蛛が登場する。その多くは天皇の派遣した軍隊によって滅ぼされているが、 中には佐嘉郡(現佐賀県佐賀市)の大山田女(おおやまだめ)・狭山田女(さやまだめ)のように、 その土地の荒ぶる神を鎮める方法を進言し、賛辞を送られている珍しい例もある。 『肥前国風土記』にはこの二人の賢さを称えて「賢し女(さかしめ)をもって国の名にする」ともあり、 これが転じて「佐嘉郡(さかのこおり)」となり、「佐賀」という地名の元となったとされる。 また彼女らをはじめ、賀周の里(現・佐賀県唐津市見借)の海松橿媛(みるかしひめ)、 嬢子山(現・佐賀県多久市)の八十女人(やそおみな)、浮穴の郷の浮穴沫媛(うきあなあわひめ)、 速来の村(現・長崎県佐世保市早岐)の速来津姫(はやきつひめ)など、 『肥前国風土記』には女性を首長とする土蜘蛛が多く見られるのも特徴である。
>>831 何の話をしてるのかすでにメチャクチャだが
邪馬台国は国家。
そして、土蜘蛛もそれぞれ国家を形成していた。
愛国心は俺も大事だと思うが、それを理由にねじ曲げるのは
いささかチョン臭いぜ?
834 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:14:57.51 ID:Fr+rNlgz0
>>829 がんばれ!北九州説ちゃん!まだ最後の砦、宇佐神宮が残ってるぞwww
他国を蔑む文化のある国の文献なんてあてにならないよ。
回想
何で俺が倭国いかんと遺憾のかな〜(怒)めんどくさ!適当に書いとけ!
だったかも知れんしw
ここは中を取って邪馬台国は房総半島にあったってことで
>>831 ああ、ひょっとして、邪馬台国時代に土蜘蛛がいたと思ってるのかな。
それなら理解できるが、時代が違うよ。
837 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:20:45.61 ID:Fr+rNlgz0
ただ土蜘蛛も、女首長の国が多かったというからな。 古代日本、というか、ヤマト王権以前は割と取り入れられた形式だったのかもしれん。
839 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:25:02.23 ID:1v9vbwtc0
>>836 さっきから何言ってるのか分からん
あんたが自分で主張してる事が、何でこっちが言ってる事になってんの
支離滅裂になったのならレスしない方がいいんじゃね
>>839 なんだわかってないのかw
百回音読しろw
↓
何の話をしてるのかすでにメチャクチャだが
邪馬台国は国家。
そして、土蜘蛛もそれぞれ国家を形成していた。
愛国心は俺も大事だと思うが、それを理由にねじ曲げるのは
いささかチョン臭いぜ?
841 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:27:25.98 ID:BRP1rKzR0
魏志倭人伝では 対馬国から海を渡って『一支国という島』を経て日本列島に上陸している。 つまり、邪馬台国の場所は、 日本に上陸してから、東南に240q、東に40q、南に水の上を30日行って、さらに南に陸を1ヵ月行った先だ。 一方、『隋書』倭国伝では、 その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る・・と倭国自体が四方が海に囲まれていることを臭わせ、 その都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺だと言っている またその後、聖徳太子の、日出ずる處の天子遣隋使の後、倭国に使者を出していることも記載されており このときの行き先は当然、奈良だ その奈良までの行き方は 都斯麻国(対馬)を経て海を渡り、東に行って、一支国、竹斯国(筑紫)を通り、さらに東に行って秦王国を通り、 さらに十余国を経て、海に出て、奈良まで行った・・とある。 邪馬台国に行ったとき(146−189年)、奈良に行ったとき(608年)、 その両方とも都斯麻国(対馬国)から、日本に取り付く拠点は一支国であった また『梁書』(りょうじょ)によれば、梁(502年から557年)から祁馬臺國に行ったときも日本に取り付く拠点は一支国であったし その一支国から、 魏志倭人伝では、一支国→末廬国→伊都国→奴国→不弥国→投馬国を経て邪馬臺に至り 『隋書』倭国伝では、一支国→竹斯国→秦王国→十余国を経て奈良に至ったとなっている
842 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:28:48.68 ID:EvGcjXr60
まあチョンはカラカウ対象だから韓飼うなんだよな アホみたいに煽てとけば、へ〜こら貢物してくれるし 出張って鉄でも人でも採り放題なんだからなあ、ちょろいもんだよ っと当時の人は思っていたに違いないw
843 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:31:06.84 ID:yfqpmMIr0
>>833 何そのとってつけたような言い訳。元豪族説はあっても
土ぐもは、神話時代の話で。ただ、反抗した民でしかないよ。
『常陸国風土記』
「昔、国巣《土地の人の言葉ではツチクモ、またヤツカハギという》山の佐伯、野の佐伯があった。
いたるところに土の穴倉を掘って置き、いつも穴に住んでいた。誰か来る人があるとそのまま穴倉に入って身を隠し、
その人が去るとまた野原に出てあそぶ。狼の性と梟の情(こころ)をもち、鼠のごとく隙をうかがってかすめ盗む。
佐伯の定義は、錯綜をきわめていて、一部には「大伴氏と同族関係に有るとされる佐伯連」ともされていますし、
また、「ヤマト王権(後の朝廷)に捕らえられ、もしくは従い、兵力・労働力として全国に配された蝦夷の事を佐伯部」
ともいわれています。(参照ウィキペディア)
ここで問題になるのは後者のほう、これを俘囚(俘虜)というそうです。ヤマトは屈服したエミシの民を
兵力・労働力として各地に配置したんですね。で、これを佐伯といって差別の対象とした。
ただし俘囚のなかには優秀なのもいるし、かなりの実力者もいて後の大名となったりもしたといいます
844 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:32:05.75 ID:qriAKN62O
>>822 倭みたいな雑魚未開土人国なんてバカにされて当然だろw
それに倭も蝦夷だの東夷だのと関東東北民を蔑んでたけどw
846 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:38:42.91 ID:BRP1rKzR0
その一支国と都斯麻国(対馬国)の位置関係は、魏志倭人伝によれば 一支国は都斯麻国(対馬国)の南となっている 都斯麻国(対馬国)の南の一支国を経て 邪馬台国に行ったとき(146−189年)は末廬国に上陸し 奈良に行ったとき(608年)は竹斯国に上陸している この500年のうちに、末廬国が竹斯国に変わったのか はたまた、邪馬台国に行ったときと奈良に行ったときでは上陸した土地自体が違うのか・・・
847 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:42:05.31 ID:yfqpmMIr0
>>840 豪族として取り立てられてる場合、姓与えられてるかな
↓参照
>>470 通説じゃ倭王権成立に寄与しなかった民が土ぐもに落とされただけだからな
それが後に度々反抗したってだけで
距離や方角に拘っても意味がないような。
いや、意味がないと言っちゃうと語弊があるか。
>>847 まぁ総称だからね。
それに豪族という言葉もいろいろ誤解を生みやすい言葉だと思うよ。
どこからどこまでを国家と呼ぶのか、とかね。
天皇制が確立した後なら、戦国時代と言っても単一国家だったと言えるけど。
849 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 13:58:22.02 ID:BRP1rKzR0
また、 魏志倭人伝によれば、上陸地点「末廬国」の次に訪れる「伊都国」は 卑弥呼の王権からは一大率という派遣官が在駐しており 帯方郡からは役人が派遣され常駐していたとされており 『隋書』倭国伝では、上陸地点「竹斯国」の次に訪れる「秦王国」は 中国人の国だとされている
竹斯って筑紫だね 徐福が最初に降り立った地と一緒か
九州の地名ばかり出て来るのに畿内説をとなえるのは無理があり過ぎ
852 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 14:13:01.16 ID:lPNhUgUw0
畿内説論者 余裕こき過ぎwww もうちょっと相手してやれよwwww
>>849 糸島には秦、波多野、波多江の姓が多いね
すでに瀬戸内海諸国との対応について研究があるから 九州の地名ばかり出てくるというのも語弊がある
>>799 意外な盲点
邪馬台国には卑弥呼ではない首長がいる。
東京は天皇陛下がおわすところ。
知事は石原。
みたいな感じで書いてある。
857 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 14:37:22.87 ID:BRP1rKzR0
邪馬台国に行ったとき(146−189年)、奈良に行ったとき(608年)、両方とも、都斯麻国(対馬国)の南の一支国を経て 邪馬台国に行ったとき(146−189年)は、上陸地点「末廬国」から東南の中国人の役人が常駐する「伊都国」に行き 奈良に行ったとき(608年)は、上陸地点「竹斯国」から東の中国人の国「秦王国」に行く 魏志倭人伝によれば、邪馬台国に行ったとき(146−189年)、「王」がいると記されているのは伊都國と女王國と狗奴國の3っつ 狗奴国は邪馬台国の南にあった、卑弥呼と敵対する国であることから、 「伊都国」=「秦王国」であるとすると 邪馬台国と大和政権のあった場所が、九州と畿内で違っていれば、ここからの行程が 邪馬台国に行ったとき(146−189年)の魏志倭人伝と 奈良に行ったとき(608年)の『隋書』倭国伝では、 全く別なモノになるはずである 邪馬台国に行ったとき(146−189年)の魏志倭人伝では、「伊都国」=「秦王国」から 東南に100里→東へ100里→南へ水行20日→南に水行10日と陸行1月で邪馬台国 奈良に行ったとき(608年)の『隋書』倭国伝では、「伊都国」=「秦王国」から 十余国を経て海岸に達し、奈良に至ったとなっている
>東南の中国人の役人が常駐する「伊都国」 これはどこなんだろう。
859 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 14:42:29.41 ID:B3dWJicsO
仲哀と神功が夫婦だったって有り得んわ 何度、考えてもないわ これは仲哀とおぼしき高貴な近畿勢の御人が 九州勢に騙しうちにあい その後、九州勢が応神を奉じて近畿勢に逆襲しただけじゃん
>>54 道路で塞がれてるから捜しても無理だろう。
>「伊都国」=「秦王国」であるとすると なわけないだろ。 伊都の地は竹斯国(筑紫=九州北部)の中にある。
862 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:00:17.24 ID:B3dWJicsO
伊都国が倭国九州外交部なんだよ 卑弥呼は隣の邪馬台国一大卒に居たんだよ 何せ狗奴国(クマソ)と戦争してるんだから 一応、邪馬台国の本国ってことになってるのは 日出ヤマト国のマキムクにある三輪王朝系だと 出雲商社と大和物産と伊都通商で決めたんだ でも、ほとんど当時は部外者と言っていい 魏の使者も行った様子がない
863 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:02:16.64 ID:BRP1rKzR0
この奈良に行ったとき(608年)の『隋書』倭国伝による 十余国を経て海岸に達し、奈良に至った・・という記述は 十余国を経て海岸に達し、それから水行して、奈良に至った・・のか 十余国を経て、そこから水行して、奈良に続く海岸に達した・・のか はわからないが、 上陸し、「伊都国」=「秦王国」から陸行して、その後の水行があったように思える となると、邪馬台国は大和政権と同じ畿内・紀伊半島・・ということになるのだが、 その時代に、畿内にあった女王による国が、はるか北九州の地まで、勢力下に置き、 20数カ国を支配・屈服させ、伊都国以外の国からは「王」を名乗るモノを排斥して自らの長官、副官等の役人をおき、 その役人を通して国々から租税や賦役の徴収を行っていた・・となると それはそれで驚きである
>>585 そもそも神功皇后自体の実在も疑われてる
865 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:05:02.57 ID:tRWanGXo0
ここの人は飛鳥昭雄氏が丹後の元伊勢神社この籠神社の多次元同時存在の法則を 知らないのかな あれ知れば即効分かっちゃうんだよ
866 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:10:27.46 ID:B3dWJicsO
そうそう仲哀も神功も疑われてる けど、その息子の応神は疑われてない と、いうことは親子でもなんでもない あえて仲哀の存在は肯定するね なぜなら仲哀の息子達である皇子と 応神は腹違いの兄弟として対決してる ここでも「兄弟分」対決ですよ 実際は兄弟じゃないだろうけど つまり名目として親の跡目争いになってるなら それに該当する近畿勢の高貴な御人は居たんでしょう
邪馬台国の多世界解釈
歴史は戦勝者によっていくらでも改編できても 地名は簡単には変えられないってことだな
869 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:23:22.59 ID:BRP1rKzR0
邪馬台国は大和政権と同じ畿内・紀伊半島にあり はるか北九州の地までの20数カ国を支配・屈服させ、勢力下に置き、 伊都国以外の国からは「王」を名乗るモノを排斥して、変わりに自らの長官、副官等の役人をおき、 その役人を通して国々から租税や賦役の徴収を行っていた・・となると 魏志倭人伝に記されている対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国 斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国 などの「国」は、国家ではなく「役人が納める行政区」ということになる 20数の「行政区」の中心が邪馬台国という政府であり、 邪馬台国という政府が、20数の「行政区」においた長官、副官等の役人によって 租税や賦役の徴収を行っていたのみならず 法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにしていた これは立派な中央集権だ
魏志倭人伝なんて付録かオマケ以下のもんにいつまで固執してんの? 現状、編纂者の能力と良心に頼った著しく脆いオマケだと思うよ 魏志倭人伝の正当性を証明するには別な資料も持ってくる以外ないと思うけど
871 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:31:38.04 ID:B3dWJicsO
ないない そんな中央集権国家なんて 文字も宗教画一化してないのに 実際はマキムクは物部の大和物産 九州、瀬戸内海は筑紫、出雲、伊都などの共同統治 太平洋側は熊野と熊襲の兄弟社
872 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:36:44.74 ID:tRWanGXo0
世界史を見ればどう見ても日本は世界の果ての超後進国 チョンだとか言ってる場合じゃねえのにな 紀元前何千年にバビロニアだエジプトだってやってるわけで 地理で考えれば馬だっていないし牛だっていなかった 騎馬民族征服説否定とかもうアホかと ありがたいと思うのが正解 記紀みたいな壮大なファンタジー作ってくれていない神様をたくさん作ってくれて 天皇が何千年も前から日本を統治してたとか日本人に誇りを持たせるようにさせてる これを作り上げた人は相当頭良かったんだよ そう思うしかないくらいだよ古代史なんて
873 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:39:12.14 ID:vJMuuZkd0
※朝鮮南部が倭国の支配下にあったことは、文献・遺物双方から証明されてます 朝鮮人は現実見ましょう
874 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:39:50.59 ID:EvGcjXr60
>>869 奴国の王が居なかっただけで、他の国に関しては記載されて無かっただけ違うか?
金印隠して逃亡してるくらいだから、多分滅ぼされたんだう
帥升が倭国王と称して後漢に朝貢した時に皇帝と面会すらしてもらえなかったくらいだから
柵封していたカワイイ奴国を滅ぼした連中か?ってなもんでいい気はしなかったんだろう
875 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:43:23.69 ID:vJMuuZkd0
※前方後円墳は、畿内にはじまり、日本全国、朝鮮半島南部にまで徐々に広がっています 畿内に成立したヤマト国が、列島を征服し、朝鮮半島南部まで支配した これが揺るがぬ史実です 中国の文献も、百済が倭国の属国であったことを認めています
876 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:44:48.80 ID:tRWanGXo0
前方後円墳は高句麗に原型があるんだよ
877 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:46:39.06 ID:onvgctJO0
卑弥呼の家来の友達の友達の友達の知り合いの友達の墓ならどっかにあるだろう
それより坂上田村麻呂の墓を再発見しろよ 西野山古墓はどこいったんだよ
879 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:48:54.30 ID:vJMuuZkd0
>>876 無い無い
高句麗は全然別もの
しかも高句麗関連が日本に絡んでくるのはもっとずっと後の話
倭国と高句麗が朝鮮半島の覇権を争って戦い、和解し、移民が
来るようになってからだから、飛鳥時代前後
881 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 15:57:37.28 ID:tRWanGXo0
皇国史観がまだ残ってるの 地理的に世界史的に日本発祥なんてない あり得ないんだよ 石造文化もない国だぞ 日本は馬だって百済から最高級の竜馬ってでかい馬を2頭貰ってるんだよ もし日本発祥て言うなら渡来した人が作ったのを日本発祥て言ってるだけでしょ
882 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:00:44.29 ID:BRP1rKzR0
魏志倭人伝で邪馬台国が登場するのは3世紀中期 いっぽう、3世紀中期というのは弥生時代が終わる頃であると学校では教わる 弥生時代は集落の周りに濠をめぐらせた環濠集落に代表され、 弥生土器と呼ばれる、低温酸化炎焼成の素焼き土器を使い 住居は、主として竪穴住居 水稲耕作を始めてお米を食べるようになったもののドングリなどの堅果類も良く食し 総柱式の建物にそれらを貯蔵する ・・・と、なかなか芳ばしいイメージで表現される事が多いが 実際はその時代にはもう、 邪馬台国という政府が、はるか北九州の地までの20数カ国を支配・屈服させ、勢力下に置き、 伊都国以外の国からは「王」を名乗るモノを排斥して、変わりに自らの長官、副官等の役人をおき それら20数の「行政区」においた長官、副官等の役人によって 畿内から北九州の地までに広がる地から、租税や賦役の徴収を行っていたのみならず 法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにしていた 弥生時代、その前の縄文時代と、我々が学校で教わるそのイメージとは 比べものにならないぐらい、近代的だったのかもしれない・・・
883 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:02:30.26 ID:vJMuuZkd0
>>881 おまえが捏造朝鮮史観なだけ
倭国は普通に朝鮮半島南部と百済を属国にして
そこから文物を取り込んでた
人質もしょっちゅう倭国に幽閉してた
「武寧王」も知らんのか、朝鮮人は
884 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:06:16.00 ID:B3dWJicsO
だからさ
>>1 の内容の趣旨は
畿内の後円墳とは別な系統が
畿内ではない近畿に巨大化した前方後円墳ができただろ?
まさに応神のことだろ
これはいみじくも一系統で畿内から全国制覇したわけじゃないって話じゃん
885 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:07:02.63 ID:tRWanGXo0
そこから文物を取り込んでた 認めてるじゃん 馬にしろ石造建築にしろ日本の地理的気候的に発祥はありえない て言ってるだけで それをもたらしたのは誰か 倭国とか作ったのは誰か 作った人が渡来人だから朝鮮を属国とか当たり前 それが前者を否定する材料にはならんでしょ地理的気候的にさ
886 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:10:28.30 ID:AG5BmxTQ0
邪馬台国から大和朝廷にどうやってシフトしたんだろうな。
887 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:10:46.41 ID:vJMuuZkd0
>>885 朝鮮半島の中国文化は、中国人がもたらした
それを倭国が支配していただいた
それだけの話
888 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:19:00.29 ID:yfqpmMIr0
200年頃の神功皇后の三韓成敗は別にあっても、おかしくもなんとも無いんだよな 軍勢見てビビッテ戦わず朝貢を約束しただけだし その後、約束をたがえたかなんかで争ってたと思えば 三国史記 (新羅本紀) 121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。 123年 春三年に倭国と講和した。 158年 倭人が交際のために訪れた。 173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。 232年 夏四月に倭人が金城を包囲。 233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。 249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。 287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。 289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、 鎧と武器を修理した。 292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。 294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
椎古天皇と聖徳太子や皇極天皇と中大兄皇子だって卑弥呼と弟の関係とそう変わらんだろうに ムロタニ先生の漫画のせいで弟には陰険な悪党ってイメージが付いてかわいそうw 本当は聖徳太子並に尊敬される人物かもしれんのに
そんなんより纏向遺跡調べろ、崇神天皇の都だろあれ
891 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:21:17.82 ID:9SPIBshC0
天皇家と卑弥呼は関係あるんだろうか
>>871 倭人伝をそのまま読むと、
結構中央集権が進んでるようではあるんだよな。
刺史のような役人を全国に配置していたみたいな記述もあるし、
もはや小国乱立よりは、中央が権力を全国に張り巡らせていたと見る方が妥当。
その意味で、弥生時代というよりはかなり古墳時代に入っているのではないかと思うね。
この段階でおおきな古墳が作られているかどうかは分からないけれど、
社会構造は明らかに古墳時代のそれで、まさに庄内式の時期に符合する。
>>698 邪馬台国の後の中国大陸は、血で血を洗う大動乱の世に突入するから、
朝貢したくても危なくてできなかったんだよ。
丁度大陸の情勢が安定した頃、倭の五王が南朝に頻繁に朝貢するようになる。
894 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:30:13.67 ID:BRP1rKzR0
結局、我々が学校で教わった弥生時代のイメージからすると 邪馬台国をはじめとした20数カ国は、北九州一帯の狭い範囲・・と考える方が整合性がある 畿内からはるか北九州の地までを支配・屈服させ、役人を置いて租税や賦役の徴収を行っていた という近代的な邪馬台国をはじめとした20数カ国というのはホントかよーーと思わせる 邪馬台国をはじめとした20数カ国は、北九州一帯の狭い範囲・・であれば、 卑弥呼がいた都は環濠集落程度の小さなモノでも合点がいくが 邪馬台国をはじめとした20数カ国は、畿内からはるか北九州の地までの広い範囲で その広い範囲に役人を置いて租税や賦役の徴収を行っていた・・となると 卑弥呼がいた都は環濠集落程度では合点がいかなくなる 畿内説を裏付けるためには、卑弥呼がいた都は、かなり立派な「都市」でなければならない ここが畿内説の壁だ 逆に、魏志倭人伝と、その500年後の『隋書』倭国伝にそれぞれ記されている 邪馬台国への行き方、奈良への行き方、のイメージからすると 邪馬台国も大和政権も、おなじく畿内・紀伊半島にあった・・と考える方が整合性があり 卑弥呼は九州にいて、大和政権は畿内・紀伊半島というのはホントかよーーと思わせる ここが九州説の壁になる
897 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:34:53.22 ID:B3dWJicsO
急に倭人伝を信じちゃうんだな 別に使者は確認してないし 実際は天武天皇ころまで ほんと「天皇」すら一元化されてなかったじゃないの だいたい天武天皇が記紀を纏めた 天智天皇の「弟分」とかだし
898 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:40:37.63 ID:tRWanGXo0
まあ普通だったら都のある場所は相手に知られたくないだろうからな 戦争になったらヤバいし
899 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:40:47.32 ID:h8ctbzCX0
倭の五王ってなんで、武とか珍とか名乗ったんだろうな。 なんとかヒコ、とか日本的な名前じゃないのが違和感ある。
天武天皇自身が皇族では無かった説まであるからなー 祭祀でも天武系は祀られてないとかね 天武系の後天智系の天皇に戻って(しかもこの系統は天智天皇の子説のある藤原不比等の血を引いてる)そのまんま忘却の彼方 古い時代は想像をたくましくさせるよね
901 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:53:44.54 ID:n5GDl/X0O
>>12 俺は古事記を読んでからヤマタイコクが阿波から勢力をのばして近畿を中心に西日本をおさめて
卑弥呼亡き後腐敗したヤマタイコクを憂いた九州の地方官僚がクーデターをおこして大和朝廷を築いたと本気で思っている。
902 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 16:56:46.17 ID:yfqpmMIr0
>>891 俺は、過去の通説道理、卑弥呼=神功皇后説
『魏志』倭人伝は、正始8年(247)に卑弥呼は魏に遣使し、狗奴国と争っている状況を説明し、
魏から張政等が詔書、黄幢を持ってやってきて、難升米に拝仮し、檄をつくり告喩した、と書く。
そしてこれに続き、「卑弥呼以死大作冢径百余歩」と書く。またさらに、
卑弥呼が死んだあと男王が倭王となったが、国中が服さず、卑弥呼の宗女壹与を王としたところ、
国中が定まり、張政等は檄をもって壹与を告喩した、と書く。このあと、張政等は魏に還るのである。
神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年(170年) - 神功69年4月17日(269年6月3日))
『日本書紀』の「神功皇后紀」においては、「魏志倭人伝」の中の卑弥呼に関する記事を引用している。
このため江戸時代までは、卑弥呼はヤマト王権の神功皇后だと考えられていた。
記紀によれば神功皇后は九州で子(応神天皇)を出産している。
h t t p://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E8%BF%B9%E8%BF%B9%E6%97%A5%E7%99%BE%E8%A5%B2%E5%AA%9B%E5%91%BD
>>899 書いたのが中国人だからだろ。前漢を滅ぼした王莽が二文字名を禁止した名残で、
後漢や三国の頃の中国人の名前は一文字が普通。
904 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 17:06:29.87 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~
>>787 訂正 東風→東向きの風
905 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 17:13:31.53 ID:n5GDl/X0O
>>902 お前のせいで小学生のときから30年信じて
>>901 にも書いた
九州の地方官僚がクーデター(神武)説が崩れた
確かに今かんがえると皇紀にも合わない説を何故信じてたんだろう…
906 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 17:15:22.21 ID:y0rhbNp90
三韓征伐は中国への使者を通さない 朝鮮半島への懲罰戦争かもな
>>899 何々彦、何々姫の彦ヒコ・姫ヒメは男、女程度の意味なんだよな
今でいう郎と子みたいなものか?
卑弥呼=姫御子 女性、女の子
卑弥弓呼=彦御子 男性、男の子
中国人はヒコミコが聞き取りづらいんでココとつなげてしまったんじゃないか?
あちらは同音や同意語重ねて表す事が多い
908 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 17:24:48.42 ID:ghtckOsT0
地味なスレながら昨日今日でえらいこと伸びてるなw
>>12 >邪馬台国は滅んだんだよ
実質的には滅んではいない。
邪馬台国の読み方も、本来は「やまたいこく」ではなく「やまとこく」
910 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 17:39:04.06 ID:B3dWJicsO
どうも古代の天皇は二極体制の気がすんだよなぁ 大王と呼ばれてるほうが格は弟分だけど 実権と軍政を握ってるような
ヒミコ→ヒメコ→オメコ 豆
おもしろいね卑弥呼って 全然知らないし詳しくないけどここまで興味深く読んだ 予備知識ほとんどなしに思ったことはやっぱり邪馬台国は九州じゃないかな と思った
913 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 18:04:58.76 ID:hP778hgR0
>>903 後漢〜三国時代真っただ中の、ひみこ、なしめは、卑弥呼、難升米とちゃんと3文字使って音通りに表記しようとしてるのに
なんで五王のときはそうしなかったの?
畿内の王位継承権を有しいる有力者が失脚して 九州へ落ち延びたのが天孫降臨で 復権したのが東征だろ 途中の抵抗があまり無いし畿内に協力いたし
915 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 18:21:18.52 ID:gWvwUteL0
>>913 なぜなら、その方がカッコイイからだ!!
916 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 18:22:58.17 ID:zDkfjQ090
>>914 真実だね、数世代に渡る事で記憶が薄れてるが
ナガスネヒコとの戦いは大変ミステリアス。
当時、いろんな記憶を集めて編纂したんだろうが、
書いた本人も何の事かわからんかったのかもしれん。
>>913 万葉仮名と同じで、日本も試行錯誤の時期だろう、
中国風の名前にすべきか(香港人のイギリス名みたいに)
伝統的な名前に漢字をあてるべきか
色々迷って試行錯誤してたんだ
>>883 >>885 文化的優越性と、政治的・武力的優越性がむしろ逆転してるのが北東アジアの歴史だよな。
919 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2012/02/29(水) 18:35:33.32 ID:yGMeqKWdO
隋書には600年に阿毎の多利思泌孤という 王が使者を送ったとあるけど、誰のことか不明。
この頃は大阪のほとんどが海の中
921 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 19:11:57.68 ID:QeLODPsPO
>>919 アメノタリシヒコ(天下彦)で「天下人」をそのまま名前にしただけだから、
名前を言いたくない使者が即興で作ったのかもしれんな。
倭の五王も同じ。
ヒミコ(姫御子)、ヒコミコ(彦御子)を見ても、
名前を言いたくないから苦し紛れに言ってるだけなのは明らかだし。
言霊信仰があるから、字すら言うのが躊躇われたのかも。
>>913 倭の五王の場合、朝鮮半島でのプレゼンスを確立するという明確な目的を持ってるから、交渉をより有利に進めるため、中国に同化してるという明確な印象を与える必要があったんだと思うよ。
923 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 20:26:34.60 ID:rRlTP+j10
この時代を語るときに大阪平野なんて語を使う時点で 筆者の程度が知れる。
924 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 20:30:44.15 ID:TiHvab+hO
(-_-;)y-~ まんが日本の歴史でも、 河内湖バーン! 河内潟バーン! 小学生でもわかることなのに…
925 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 20:44:06.54 ID:JOswypyeP
>>874 当時の大陸国家にしてみりゃ国が滅びるのは当たり前のことで
どこだろうと柵封してくれば認めるよってもんだろ
>>894 だから、卑弥呼の時代の200年頃に奈良の巻向に巨大都市の跡が出てきてるじゃん
はにわは人柱の変わり
928 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 20:55:27.62 ID:JOswypyeP
>>902 中央集権的王権になるのはもうちょっとあとの政権中央が機内に
移ってからじゃね?てのが今んとこ濃厚だからそことの整合性がどうなのか
古墳期の始まりは3世紀半ばというのが定まりつつあるからその頃には
首長国連合の力は相当大きくなってたには違いないが
929 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 20:57:30.85 ID:Wxqmcp1G0
>>926 あそこ掘ってる人、何とかして邪馬台国に結びつけようと必死だよね。
930 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/29(水) 20:57:51.27 ID:PN1sHGMQ0
ネロ帝の時代か
>>926 纏向の年代は4世紀ごろ
邪馬台国に合わせるためにデータを改ざんして古く見せている
932 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 21:00:00.11 ID:TGhs2RKH0
<丶`∀´> ウリナラの歴史は半万年♪
>>929 ちゃんと、年輪年代法という科学的な方法で木片の年代を特定できたんだよね。従来の考古学では
ありえないと却下されてたことが科学の力で明らかになった。
935 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 21:06:34.74 ID:B3dWJicsO
アマテラスの雨宿り
936 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 21:11:46.70 ID:zMeOF8+Y0
卑弥呼は月読様として祀られてる。
>>933 科学には公共性が必要
別の人に追試ができないもんは科学ではない
職人芸だもん
>>931 誰がどのデータをどのように改ざんしたの?
>>938 歴博が、誤差の大きいC14法での測定年代(同じものを分割して測定しても、各破片で200年の誤差が出る)を、
測定結果が最も古くなる数字を用いた
940 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 21:21:52.63 ID:O+5cNNBr0
刺青は、海で溺れ死んで(パンパンに膨れた死体で)も誰だか分かるようにという意味がある そうすると海運に明いる奴らな訳だ 近畿の人間がそこまで海運に強いかねぇ・・って、個人的に思ってる 太古の神社も台湾や壱岐対馬にあって、軍事拠点なんだもんな
相変わらず纒向の年代で無駄な抵抗してるのか?
>>939 年輪に誤差なんてないの。しかも200年とかはない。
>>942 年輪の話はしてねーよ
年輪のことなら
>>934 再利用できる以上、年代の決め手にはならんよ
945 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 21:29:16.11 ID:B3dWJicsO
古代にもゴッドハンドが居た可能性 歴史書だって怪しい
箸墓はモモソヒメが埋葬されたと書かれているだろ。 これが卑弥呼の墓だーと騒ぐなら、もっと卑弥呼=モモソヒメを採り上げて欲しいもんだ。
邪馬台国は何処とか 卑弥呼は誰とか 考古学の本質じゃないんだよ 邪馬台国があったと思われる時代の事は、邪馬台国が何処にあろうが少しづつ分かるようになってきた もう邪馬台国はお役ゴメン、魏志倭人伝の中で頑張ってねって世界 一部の素人が邪馬台国は何処って言ってる間に時代はもう次に進んでる
949 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 21:37:28.35 ID:B3dWJicsO
首藤剛志さんが死んだ今 魔法のプリンセス ミンキーモモソヒメミコ この謎を解ける人は居なくなってしまった
だからさあ、 文字がまだ無い時には どこか一箇所にとどまっておいて 遠隔地をまともに統治できるわけがないだろ。 だから中央集権国家を想定するのは無理だ。
モモソヒメ→桃。巻向遺跡には大量の桃の種が埋められていた。 またモモソヒメの弟の吉備津彦(桃太郎のモデル人物)はモモソヒメの弟。 つまり、モモソヒメと桃太郎は兄弟。 卑弥呼=モモソヒメ→弟が吉備(岡山)へ遠征し渡来人の敵と戦った。
>>950 うん、だから割と広範囲から土器が集まってきてる纏向ではありえない
纏向は大和朝廷の遺跡
953 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:02:54.63 ID:B3dWJicsO
ナガスネヒコにも妹が居たよなぁ 神武は吉備に留まってた なんかどこぞの島に行ったよな なにかがアベコベになって伝わってるな
954 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:05:16.04 ID:TFUK/UsZ0
桃太郎は鬼退治したというスリ替わりが気になる
今で言われる鬼の格好って平安時代ではむしろ鬼追いする側の格好だったとか
熊襲征伐を目論んだ仲哀を弑殺したんだからきっと九州系だろうが
ちょっとググったらこういうの引っかかった
http://www.minc.ne.jp/~hotei/kisaragi.html 鬼といえば、悪者のイメージがあるが、こここの鬼は福を招き、災いを除き、五穀豊饒国家安泰を
もたらすとして、民衆に好かれる鬼であるそう。
955 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:09:32.85 ID:TFUK/UsZ0
銅鐸は畿内文明で鬼道は反銅鐸 てとこまでは確定てことでいいんですかね
>>954 というかいろいろ調べてると鬼ごっこの鬼って追われてる側っぽいなんだよね
>>89 道教の影響もあると言われている
神仙思想からいくと、永遠の命を得ている
仙人の居場所は壺だった
で埋葬者は誰かって話は出てこないんだね。 まあニュー速だからか。
959 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:23:58.60 ID:B3dWJicsO
早くツノガアルヒトと温羅(うら)が浦島で 浦島太郎が本当は鬼退治したとか いつものあの人はどうしたよ けど渡来系がいわゆる日本人の「鬼」のイメージじゃないよな
960 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:29:42.89 ID:yfqpmMIr0
>>950 神代文字こそロマン
八上 白兎神社
h t t p://blogs.dion.ne.jp/yakamihakuto/archives/7041728.html
【ホツマツタヱ】 Wikipedia
h t t p://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B1
【日本 ヲシテ 研究所】
h t t p://woshite.com/page1.html
【ヲシテ文献】『ホツマツタエ』 『ミカサフミ』『フトマニ』の三文献の総称をヲシテ文献という
h t t p://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/page5.htm
【ヲシテ文字】(ホツマ文字)
h t t p://www21.tok2.com/home/hawaii/kodai/kodai001.htm
【フトマニ・ふとまに・太占 を語る】
h t t p://members2.jcom.home.ne.jp/1616187901/
【古墳誰時ホームページ】
h t t p://www.k3.dion.ne.jp/~yamas/kodaiy2k/index.html
961 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:33:56.87 ID:TFUK/UsZ0
>>956 幾度かの政権交代のうちに善悪ごっちゃになったんですかねえ
962 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:36:32.75 ID:B3dWJicsO
実際はクマソ縄文系と弥生長工人系のハイブリットハーフの神武一族が「鬼」の力で 渡来系の連中が居座ってる島をやっつけて吉備の人々から信頼と協力を得たんじゃないかと
964 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:37:56.50 ID:TFUK/UsZ0
限界集落が断絶する前に教育委員会で民間伝承拾えるだけ拾っておいてほしいですね
>>959 鬼は縄文系だろ
角はともかく彫りの深い顔立ち、がっしりした体躯で膂力にすぐれて
毛むくじゃらで酒に強い
966 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:40:44.14 ID:TFUK/UsZ0
>>962 後に渡来系に逆襲されて吉備王朝が滅亡・三備分断されちゃったとか
967 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:51:03.80 ID:yfqpmMIr0
伝説の鬼や童子は明らかに、少数派なんで、 漂着異星人説や漂着白人説のほうがまだ信憑性があると想う
968 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:54:01.07 ID:B3dWJicsO
天狗ってジャンルもあるからな
前にも書いたけど、「鬼=漂着異人」説って、どう考えても 近世になって鬼のイメージが確立してからの話だよな。 「鬼」というイメージの器がない時点で異人を見たら、 ただの「変な人」で終わっちゃうぞ。 さておき、萩原秀三郎によると、日本人の鬼は零落した神(祖霊神) なんだそうな。んで、それを表す言葉として中国の「鬼」を使ったと。
渡来系の温羅は鉄を製造していて(もののけ姫でいうタタラみたいの)、勢力を拡大していた。 また、製鉄は山の木を伐採してハゲ山にするので周りからは奇異な目で見られるようになる。
971 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 22:55:57.76 ID:JOswypyeP
>>965 日本での鬼がお前の言ってるいわゆる今の鬼の形になったのって
どう早く見積もっても鎌倉時代以降、おそらくは室町よりあとだぞ
>>970 その温羅を討った桃太郎こと大吉備津彦が、四道将軍の1人のヒコイサセリヒコなのは中々示唆的だ
974 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:13:07.41 ID:yfqpmMIr0
>>969 反証に持ってくるのが神かよ、実在するとでも思ってんのか?
まつろわぬ民は土蜘蛛とされてる、言葉を使い分ける必要があったってことなんで
異形の鬼って言うのは適切だろ
佐渡には「赤鬼伝説」というのがあり。その昔赤い顔をした大きな男が大佐渡外海府
の海岸に流れ着き、その後佐渡で一生を過ごしたという話
なまはげは、
鬼の面、ケラミノ、ハバキを身に付け、大きな出刃包丁(あるいは鉈)を持ったなまはげが
家々を訪れ、「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」という ... たものの、異形で異なる
言葉から住民と交われず、人里離れた場所にひっそりと住み着いた外国人(白人)では
ないか」というような説もある
白人だと。赤鬼は夏の白人、青鬼は冬の白人。 鞍馬の天狗も白人。のほうが説明付きやすい
なんで、酒飲んで、女をさらってる鬼=落ちぶれた神説は、否定するは
975 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:14:30.86 ID:tIL+gP6z0
大阪平野から三輪神社に向かうには二上山から入ってくる そこから太陽の出る方向を見ると古墳と言うのかな? 同じ形をした対照的な小山が見える 通勤中ずっと謎だったけど意味が分かったような気がする
>>974 実在するかどうかの話でなくて、信仰があったってことだろ
977 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:22:19.57 ID:JOswypyeP
>>974 だから「鬼」は最初からでかくてムキムキでツノつけて赤かったり青かったりした
わけじゃないからその理屈は立たない
>>974 だんだんスレ違いになる気もするが、ナマハゲ系の精霊は
もともと歳神(元を正せば祖霊神)なのよ。
時代を下るうちに零落してあんな姿になっちゃって、
たまたま異人が似た風貌だったもんで「鬼=異人」とか
されたわけで。
980 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:28:46.97 ID:yfqpmMIr0
>>976 何言ってんの?伝承を実際にあった話として、
実在したとされる鬼の定義に付いて話してるんだぞ、鬼が技術伝承やら利益をもたらせばそうなるだろうけど
それは神じゃないだろ、異形の知識層の白人でいいじゃん
生活基盤の無い異形の民が漂着して、言葉も通じず
盗みや、殺人強盗を働いて鬼とされたのが白人を否定することにはならん
義経に稽古付けたんだろ。鞍馬の天狗。
>>980 定義ってか正体やね
そうじゃなくて、お前が「神は実在しないから違う」とか言い出すから、
「実在するしないの話じゃない」って言ったわけね
>>971 日本霊異記や役小角の話から察するに原型は相当古いんじゃないかな?
鞍馬山と言えば、魔王尊て金星人だっけ?
>>974 鞍馬は、土地が固くて、蔦が隆起してる森だから
非常に走りづらい。そこで稽古を付けたんだろ。
天狗というか、師匠は森=森羅万象の八百万の神って事だろ。
いいように解釈すればいいんじゃないの。
986 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:35:59.12 ID:JOswypyeP
>>980 日本での「鬼」の始まりは「見えない怪異」のことだ
いないという意味のおぬから転じておにになったとされているが
そこに元々中国での道教でいう霊全般を表す鬼という字をあてたわけ
「鬼」の意味はは奈良〜室町で相当変わってるので定義というなら
時代ごとの用法を考えないと
987 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:36:36.49 ID:TFUK/UsZ0
身体赤い酔っ払ったマッチョ男の原型は鉄器文明の人でしょ
思いっきり近所だ もしかして俺って邪馬台国の末裔なんじゃ
知らない事を知ってる・・・・・でも、知らない事を知ろうとしてる。
990 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:43:33.26 ID:JOswypyeP
>>983 日本霊異記じゃ鬼も役小角も角なんてないぞ
>>990 役小角って、小さい角が生えてたから小角って言うんじゃなかった?
ディクロニウスか!
993 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:54:52.66 ID:JOswypyeP
>>991 江戸時代の肖像にすら角の描写はないから
ヘタするとそれは明治以降の話の可能性がある
説話の習合ってわりと最近まで続いてるからな
994 :
名無しさん@12周年 :2012/02/29(水) 23:58:31.16 ID:mBKzEfuc0
995 :
名無しさん@12周年 :2012/03/01(木) 00:05:55.15 ID:DoFtrYFz0
知ってることしか知らないわよ
>>994 福田型がな。正当な発展から外れた亜流だ。
997 :
名無しさん@12周年 :2012/03/01(木) 00:19:35.40 ID:MtpyerJg0
>>974 いろいろな説は知ってるのに、「は」と「わ」の使い方は知らないんだな…
最近やたらと目に付くんだけど流行ってんの?
昔のものほじくってもなぁ
999 :
名無しさん@12周年 :2012/03/01(木) 00:23:50.10 ID:fDUgX/Xm0
またただの丘だった・・・じゃないだろうな で、1000年女王
1000なら俺は今年のクリスマスこそストレートロングで背が低いなで肩の気が弱くうつむき加減ででも笑顔が可愛い美少年と、、ムフフ
1001 :
1001 :
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