野田改造内閣がスタートした。目玉人事は岡田克也副総理兼一体改革・行政改革担当相の誕生だろう。
野田佳彦首相は13日の記者会見で、岡田氏を「ブレない、逃げない政治家」と絶賛した。
副総理(格)人事がこれほど関心を集めたのは、古い話となるが、1956年に発足した石橋湛山内閣以来だろう。
投票による初の自民党総裁選。石橋首相は石井光次郎氏と「2、3位連合」を結び、決選投票でトップの岸信介氏を破った。
その後の組閣で、どちらを副総理格にするかが焦点となったが、結局、岸氏が外相で入閣、石井氏は無役となった。
約2カ月後、石橋首相は病気のため退陣。岸氏が後継者に決まった。石井氏が副総理格だったら、異なる展開になったはずだ。
さて、野田首相は岡田副総理の起用によって、税と社会保障の一体改革を旗印に政局を展開するはずだ。
だが、消費増税には野党だけでなく、与党内にも反対が根強い。
まして衆参両院で多数派が異なる「ねじれ国会」。法案の成立は見通せない。
消費増税法案が否決された際の衆院解散の可能性をテレビで問われた民主党の仙谷由人政調会長代行は
「そのくらいの気概で、好戦的にいかなくては」と答えた。想起されるのは小泉純一郎首相の「郵政解散」(05年)。
郵政民営化法案は参院で否決されたが、小泉首相は衆院解散を強行し、自民党を圧勝に導いた。
対照的なのは93年の「政治改革解散」。小選挙区制導入を柱とする政治改革関連法案が頓挫し、
内閣不信任決議案が提出された。自民党内から造反者が続出し、不信任案は成立。
宮沢喜一首相は衆院解散に踏み切ったが、自民党は過半数に達せず、非自民の細川護熙政権が誕生した。
民主党のマニフェスト(政権公約)見直しを進める3党合意にこぎ着けたのは岡田副総理の野党とのパイプだったが、
自民党の大島理森副総裁は「当時と舞台は違う」とつれない。野田政権の前途は、
果たして「93年型」か、「05年型」か。岡田副総理の手腕に注目が集まる。(専門編集委員、66歳)
毎日新聞 2012年1月14日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120114ddm005070156000c.html