【群馬】 幻の旅客機「富嶽」、大空へ 中島飛行機が戦時中に設計 1/12の模型で再現
( ´D`)ノ<SDF-1マクロスまだかよ
1942のトンデモ設定はまんざらではなかったか
>>798 単純にエンジン稼働率が4倍悪化するからな。
連絡や補修部品の調達が滞りがちな遠方の拠点での運用は難しかっただろうし、
そもそもそんな機体を中隊規模以上で運用できる基地の建設や人員の育成となると・・
804 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 00:55:31.64 ID:tzA6hJNy0
>>45 江戸中期に鳥に興味を持って飛行のメカニズムを研究した浮田幸吉(うきたこうきち)は日本人で初めて空を飛んだと言われる。
鳥の比重を計り竹で作った骨組みに紙や布を貼って翼をつくり橋から飛んだ。
ヨーロッパでは教会が許可しなかった。「神は人間の飛行を許さないはずだ。もし許すなら人間に翼をつけたはずだ。」
江戸時代も飛行禁止になって、その取り締まり理由は「人心を乱す」。
806 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 01:02:04.93 ID:tzA6hJNy0
>>91 大戦末期の無茶な兵器開発をしていたエンジニアは戦後ホンダのF1チームの監督になったりしてる。
失敗は戦後日本の飛躍にたくさん生きてるんだよ。
>>797 レンドリースの機械は生産を下支えはしたがソ連独自の軍用機に応用したのはソ連人の技術だろうに
有用な木製機や曲面な防弾鋼板での構造体など日本じゃできなかった技術もいくらでもある
エンジンだって米英独はともかく日本とならどうみても互角以上だ
あの当時日本が連合国に勝ってた部分なんて魚雷くらいじゃねえの
>>804 それを言うなら二宮忠八でしょ
僅差でライト兄弟に先を越されたけどね
今でもロケット打ち上げ前には彼を奉った神社に参拝するらしい>ジャクサ
>中島飛行機が設計したものの、戦況の悪化などで生産されなかった
>超重爆撃機「富嶽」の旅客機型とみられる図面を数年前に発見。
もし事実だとするなら戦後解体され、富士重工あたりで設計したんじゃないかな。
でも国策によるYS11開発で没になった?ってとこかな。
>>807 やめとけ。木製機なんて言ったら笑われるだけだ。
軍板以外なんてみんなスペックしか見てないんだから。
稼動率とか生産コストとか無視なんだよ。
814 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 01:13:00.16 ID:LFZ9q51+0
>>812 ヤコブレフyak3はカバの木を使ってたけど非常に丈夫だったそうだよ。
あと木製といえば傑作機のモスキート。
>>814 フランク・コスティン…
走る家具、マーコス・ミニは買いたかった。
アルミの公道ゴーカートより、よっぽど素敵だった。
CFRPもない時代、木製モノコックは非常に優秀な素材だったんだよな。
>>807 だれもそんな話はしてない、ソ連の工作技術が劣っていたという話をしてる
勝手にレスつけておいて俺様談義をするな馬鹿。
>>804 日欧で、19世紀まで
飛行機が開発させなかったのは、
神がどうこうとか、人心はどうこうとか、そんなのじゃなくて、
空からの攻撃への恐怖だろうな。。。
「三銃士とダ・ヴィンチの飛行船」という映画で、
17世紀に、
ダ・ヴィンチの設計図を基に作られた、という(もちろん架空だけど)
空中戦列艦がでてくるが、
頑丈な城塞も、精強な陸兵も、航空攻撃には、無意味wwwwwwwwwwwww。
>>816 だから日本にはない路線で優れてた技術もあったから
一概に優劣をつけられないと言ってるんだが
ソ連に必要だったのはYakやLaやIlであってこれらは日本や一部ドイツでも難しい技術が使われてる
819 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 01:28:12.03 ID:LFZ9q51+0
>>815 今でもルイ・ヴィトンの大型ケースはポプラの木を使ってるとか。
820 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 01:30:53.07 ID:LFZ9q51+0
>頑丈な城塞も、精強な陸兵も、航空攻撃には、無意味wwwwwwwwwwwww。
ベトナム戦争のとき、マクナマラ国務長官も同じようなことを言ってたな。
>>820 ベトナム戦争で、共産圏なんぞに配慮せず、
はじめっから、B-36やB-52あたりで、
北ベトナム全域を、
無差別じゅうたん爆撃してたら、アメリカ大勝利だよな。
>>818 コミュ障だから会話能力ないらしい
お前が俺につけたレスが間違いだと言ってる
お前のそのコミュ症丸出しの主張は勝手にやってろ
北ベトナム占領できないんじゃ空爆しても意味無い。田んぼに穴あけるだけ。
824 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 01:41:38.43 ID:KkufM6dQ0
>>771 イタリアは水冷エンジンを苦も無く作ってたじゃない
時速700キロ超の戦闘機つくってた
日本なんかまともな水冷エンジンつくれなかったし
600キロ超えがやっと
825 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 01:46:22.84 ID:KkufM6dQ0
>>45 人力飛行の起源は日本だってか
韓国クオリティw
826 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 01:48:21.29 ID:2i0ruWYG0
日本が誇る超重飛行艇・富嶽と、その近縁機種は、
大戦末期には、太平洋各地からの兵員撤退のために
計画・検討されてたんだよ。
・・・計画されていただけで、実現はしなかったが。
827 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 01:48:40.67 ID:KkufM6dQ0
>>824 イタリア人は、スーパーカーを作るのは得意だけど、量産車は
苦手としてるのと同じじゃないかな。
生産数見ると技術的な高さもむなしい。
航空機の生産 1939〜45年
1939年 1940 1941 1942 1943 1944 1945
日本 4467 4768 5088 8861 16693 28180 11066
イタリア 1800 1800 2400 2400 1600 - -
>>824 児島襄の本とか読むと、イタリアはDB601の量産化に失敗して
かと言ってドイツはイタリアに回すだけの生産量が確保出来なかったので
イタリアの労働者がドイツの工場に行ってエンジン作って
それをイタリアに渡してイタリアの工場に組み込んでただけだが。
>>827 当時エンジン積んだ構造物が無人で飛ぶとでも?w
僅差だよ
メンドクセー、そりゃ生産数上がらんわ。
>>45 ネトウヨってチョンそっくりな、チョンも同じ事言ってるんだよ
あっちは国家ぐるみでキャンペーンやってるんだけど。
日本はネトウヨがマイノリティーでよかったよ。ネトウヨが増えたら
日本は韓国と同じレベルになってしまう。
ネトウヨ早く死ねよ。
爆撃機バージョンを販売してくれ
834 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 02:24:40.32 ID:S18jKdycO
>>791 新しい技術を開発するのはトライ&エラーの繰り返しで革新的な技術を開発するんじゃないのか?
短時間にターボジェットを開発し改良を重ね橘花は試験飛行に成功している。
この事は驚嘆に値する。
戦後、GHQによって一切の航空機の開発は禁止されてしまったが、ネ20の系譜は、失われる事なく、ターボシャフトエンジンに続き現在のガスタービン発電機受け継がれている。
835 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 02:26:37.04 ID:w/Hkob/0O
くだらない認定やら論争はどうでもいいけど
>>1 見に行っていいの?それだけ知りたい
836 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 02:29:03.95 ID:aXtghgca0
>旅客機型
節子たぶんそれ旅客機やない
人員輸送機や
>>834 日本初のジェットエンジンでの革新的な技術て何かあるのかね?
スタートから今日まで欧米の技術の導入に終始しているように見えるが。
>>13 大和もワシントンを艦砲射撃する予定だったとかなかったとか、
アメリカ本土を攻撃するのは当時の日本軍の夢だったんだろうな。
840 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 02:39:31.65 ID:DNbyJA5AO
それはガセじゃね?大和がワシントンなんて南米経由しないと無理でしょ。
842 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 02:39:56.01 ID:S18jKdycO
>>837 一般的な話をしてるのだが…
ネー17やネ-12Bは、革新的ではないが独自開発だ。
843 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 02:46:09.49 ID:TuF5j/gc0
>>45 人力ではなく動力飛行だ。ライト兄弟より10年も
前に設計はできていた。作るための資金を稼ぐた
め大阪に出て働いているうちにライト兄弟に先を
こされたんだ。二宮忠八のことだな。
空軍大戦略じゃ作る気にならなかったんだよなぁ
燃料ドカ食いだから
もし作れていたら、アメリカはハワードヒューズ、日本は中島知久平となっていたのか。
ディカプリオの映画もまあ面白かったから、似たようなのが作られたのかも。
846 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 03:29:12.83 ID:32clBz4D0
低学歴ネトウヨwwwwwww大きさにパニックwwwwwwwww
847 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 03:45:58.38 ID:TBwEwhE80
>>837 第2次大戦中に独自に開発したのがすばらしいと思わないの、
当時ジェット機を完成させたのがドイツ、アメリカ、イギリス、日本だけ、
イタリアもあったけど普通のターボジェットとは違う。
>>599に書いてあるけど朝鮮なんかは日本から設計図と模型をもらったのに
水車を500年掛かっても実用化出来なかったそうじゃないの。
無線操縦の木製模型
早い話がラジコン飛行機
木製って発砲使ってたりカーボン素材も普通に使うはずだがな
こち亀みたい
そうだよな。
旅客機型じゃなくて兵員輸送用なんじゃないの?窓が並んでる図だけ見て勘違いしてるんだろ。
>>838 ハワイの太平洋艦隊を叩いたら講和してくるはず
なぜなら俺らは連合艦隊に大打撃食らったら講和するから
>やってみたら米はそんな気は全く無いことがわかった
ここでもう戦争計画が破綻
終わり方がわからなくなった
あれ?おかしいな
じゃあ相手の本土を攻撃するしかないよね
その程度の考え
>>852 真珠湾攻撃の目的はフィリピンやグアム、ラバウル、シンガポール辺りの南方作戦に
米太平洋艦隊を参加させない為の足止めでしょ?
それだけで講和を持ちかけてくるなんてお花畑は少なくとも軍首脳部には居なかったと思うよ。
854 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 10:30:18.41 ID:hInr6XL50
>>824 主力戦闘機のMC202なんか航続距離がたったの600キロだよ。
マルコーニの国なのに無線機も積んでないし。
856 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 10:42:40.61 ID:0urleYyx0
>>847 実戦参加してないものを完成と言い張る、さてはネトウヨだな、
ジェット以前に排気タービンすら作れなかったのに
857 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 10:51:21.49 ID:z2CYbEUs0
>>853 シンガポールが落ちた時点で、中華民国との講和は可能だった。
しかし、東條が蹴った。
インドネシアの独立を早めて、ハワイ王国を復活させるという
大儀名分をつくっておけばアメリカもあそこまで反撃できなかったはず。
その意味でも、大西洋憲章に対抗する大東亜憲章は今でも
イデオロギー的な価値を高く持つ。
858 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 10:51:39.89 ID:VehQBabn0
>>848 メーカーキットは樹脂パーツも使ってるけど
フルスクラッチ機はバルサと航空ベニヤで作るんだよ
859 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 10:53:22.01 ID:N04JeCTu0
この新聞記事は歴史的事実を歪曲する非常に軽率な記事だ。
戦況が悪化する中で、唯一の挽回策にしょうと最後の望みを託して
死に物狂いで完成を急いでいる時に、旅客機など計画する余裕はあろう
はずが無い。
恐らく、ここに登場する正田氏は数年前に毎年、太田市で開かれる全国
ラジコン大会に富嶽の爆撃機を参加させ見事に飛行させたが、もし日本が
戦争に勝ってたら、戦後の米国のダグラス旅客機や空飛ぶホテル以上に大
きい富岳を改装した旅客機が日本の空を飛んでいたに違いないという思いが
今回の政策の動機ではないだろうか。それを当時の国情知らない若い新聞記者が
読者に興味ある記事にするために、正田氏が話してもいない事を格好いい
インタビュウ記事に仕上げたのにちがいない。内容が当たり障りの無い場合
新聞記者が架空のインタビュー記事を書くのは昔から時々問題になっている
事でもある。
そもそも富嶽の旅客機型、っていう企画自体が、ありうるのだろうか?
たとえ戦後に軍用機生産を禁止された時の生き残り策だったとしても、実用化のメドもたっていなくて、巨大機の需要も定かではないものを基本には考えないはず。あってもせいぜい連山あたりでは。
>>835 それは後付と思う
当時米独は交戦関係になかったことは重要
あの時点で英独は1年ほど交戦中だったのに
米独は戦争してなかった
南方自体はアメリカ領じゃない
フィリピンが通り道で占領する必要がありそうに見えるけど
実はそうでもない
交戦中でない国の商船を攻撃する訳にはいかないから
先に手を出さずいわゆる資源地帯だけ確保してしまう戦略もあった
真珠湾攻撃計画が行けると思ったから
フィリピン周辺も獲っちまえ(そのほうが安心なのは確か)になっただけ
ドイツがアメリカ発見してれば勝てた
863 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 10:58:46.21 ID:VehQBabn0
計画では単3電池2本で飛行可能の予定でした。
富嶽ってアメリカ本土を爆撃して大西洋横断してドイツに着陸とかいう妄想に近い爆撃機じゃなかったっけ
たとえ作っても制空権がなければ全部撃ち落とされてたろう
戦況が悪化しなくても無理だったよこんなの
でも計画当時の設計図どおりで飛んだのはすごいね
>>861 英国だけに吹っかけると
米太平洋艦隊主力が前方展開してフィリピン近海に常駐する事になるだろう
そうなると、相手は何時でも日本本土と南方に展開する部隊の遮断が出来ると言う状況になるので、
帝國陸海軍がそんな緊張状態に耐えれるわけない
>>865 設計図はすごい人が一人いれば書けるけどね
当時は設計図の通りに作れなかっただけ
製造の良し悪し以前に(たいしてよくなかったけど)
材料が用意出来なかった
>>861 >>853宛てだよね?
> 南方自体はアメリカ領じゃない
フィリピンも、グアム、ウェーク辺りは余裕でアメリカ領だよ。
> 交戦中でない国の商船を攻撃する訳にはいかないから
> 先に手を出さずいわゆる資源地帯だけ確保してしまう戦略もあった
喉元のフィリピンを放置してそんな戦略は取れないでしょ。
そもそもABCD包囲網が組まれ、ハルノートを突きつけられた段階で
資源地帯を黙って取らせてくれるとも思えないよ。
>>866 そこが当時の軍部の限界なのさ
堂々と丸腰で目の前を輸送船が通ればいいのだ
「アメリカさんとやる気はないんですよ〜」ってね
米が先に手を出せば
史実でも実現したように台湾の航空部隊で叩けばよい
あるいはフィリピン自体を米本土と遮断してもよい
日本側の戦力に余裕があり
日本に近いのであるから十分に可能
>>861 いや、日本は、イギリスやオランダが支配してた東南アジアの資源地帯を
取りに行きたい、って考えたときに、さんざんシミュレーションをしたん
だよ。で、その結果、アメリカをスルーして、マレーやインドネシアを取
れたとしても、結局、無傷のアメリカが参戦してきて、フィリピンから
シーレーンを遮断しにくる、って結論に落ち着いた。
で、そこから対米戦の計画が練られて、真珠湾攻撃って作戦が準備された。
>>856 >ジェット以前に排気タービンすら作れなかったのに
どういう意味?
富嶽って滑走距離が無駄に長そう。国内で運用できる基地もせいぜい2箇所くらい?
長ければ滑走路も狙われやすくなるし、やはり戦時中だと長距離機は水上機か飛行艇がデフォルトな気がするなあ。
>>868 安価ミスったわ(笑)
>>870にも同じなのだが
言いたいことは
>>869の通り
付け足せば
アメリカが自発的に参戦するなら
とっくに対独宣戦しているはずなのだ
あるいは日中戦争継続を理由にして対日宣戦とかね
そうではないのだから
賭けるのなら米不参戦であるべきだったのだ
対米戦を自発的に始めたということは
対米勝利の具体的計画があったということで
それは明らかに真珠湾攻撃計画であり
この計画は米太平洋艦隊殲滅が目的なのだから
これで勝てると思っていたわけだよ
後から何と言おうともね
攻めてこないかもしれない相手に
攻められたらまずいから先に攻めようって発想自体が異常なんだよ
これはWW1のときのドイツもそうなんだけどね
>>873 アメリカとイギリスは親戚みたいなもんなんだよ。民族的にも言語的にも
文化的にも、他のどの国よりも近い。
揉め事もあるし、たまにはケンカもするけど、それでも他人にボコられて、
「もうダメだ、助けてくれ」と言われれば、バット持って助太刀に行く。
そういう関係。
アメリカは確かに「不参戦」って世論だったが、現にイギリスを大々的に援
助し、大西洋ではUボートと暗闘を繰り広げていた。
日本が参戦し、イギリスがGive upしかねない、と思ったら、アメリカは
参戦してくる。ラニカイ号のような手段を使ってでも。日本軍部のその読
み自体は、おそらく間違いじゃない。
>>874 という英米一体論に毒されすぎ
当時米独は交戦状態にあらず
チャーチルは「負けちまう 助けてくれ」と言い続けて1年経過の時点
つまり純軍事的には「助けに行ってない」
これが史実
あともう一度言うけど
攻められたらまずいから先に攻めようって発想自体が異常
ほとんど狂ってると言ってもいい
>>875 米の対独参戦は年明けにでもされるのは決まってたよ
877 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 12:13:58.52 ID:N04JeCTu0
俺の爺さんは中島で技術者の端くれだったので、よく色んな話を聞かされたが
富岳の真実はこういう事らしい。
@米国を爆撃してドイツ制圧下のフランスで燃料と爆弾を搭載して、再び
米国やソ連を爆撃して帰航するなどは誰も信じていなかった。
Aしかし、自信を失いつつある従業員や国民を鼓舞し、技術者の
能力をぎりぎりまで引き出す為には、錦の御旗は大きく高く掲げる必要が
あった
B本当の目的はテニアンやサイパンからのB29や試作中のB36の日本本土の爆撃
による日本の潜在的戦闘力の壊滅的損傷を防ぐと共に、逆に米国に打撃を与え
る事が出来れば講和のチャンスになりえる。
CB29やB36以上の航続力やスピードに拘ったのはそのめであり、その点で敵に
劣ったのでは本土空襲を許し、富嶽を完成させる意味がないからである。
Dもし、戦争に負けることがあっても航空技術者の必死の研究は、その技術者
の宝として残り、戦後の日本復興の大きな力なる。
E現に中島の主要な技術者達が日産や本田で活躍し、スカイラインのエンジン
を完成させた中川氏や本田が世界に名を知らしめた切っ掛けとなったマン島に
おけるオートバイ世界選手権優勝したエンジン、F1優勝のエンジンは中村氏
始めとする中島の技術者が大きく係わっている。
878 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 12:32:28.50 ID:2Ol9bJ4s0
>>877 …一つだけいいでしょうか。
>B本当の目的はテニアンやサイパンからの
富嶽の計画発表は1943年1月、サイパンはまだ落ちていませんよ?
しかもサイパンが落ちて計画は破棄されたのですから、それでは本末転倒になってしまいます。
確かに戦局は良くはなかったですが、その時点で戦後復興のため、というのは後知恵じゃないかと。
中島氏自身が「必勝防空委員会」を作り、富嶽試作専任委員長になって推し進めたわけですから、たぶん本気で作っていたんではないかと。
>>877 中島飛行機そのものがチャレンジを好む企業風土だったと
ロケット開発絡みの話でも聞いた。
連山
ようつべにあるV12の模型エンジンは良い音してるね
882 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 12:50:41.86 ID:N04JeCTu0
>>878 サイパンが落ちてからでは間に合わないですよね。
883 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 12:54:59.10 ID:S18jKdycO
>>871 排気タービンはエンジンの排気ガスでタービンを回し、同軸のコンプレッサーを回し空気を圧縮してエンジンに送り込む。
ターボジェットはエンジンの高温高圧の排ガスで多段のタービンを回し同軸の多段コンプレッサーで空気を圧縮してそれに、燃料を噴射すると爆発して高温高圧のガスを噴射する。
良く似ているだろう?
排気タービンもコンプレッサーで圧縮した空気に燃料を噴射してやれば高温高圧の排気ガスがでてジェットエンジンに成るのさ。
youtube等で自作ジェットエンジン等で検索して見れば、排気タービンをジェットエンジンに改良してる動画が見れるぞ。
884 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 12:57:40.69 ID:I4llZr8rO
こういうの、夕方の報道枠でやらないよねw
これだから日本人視聴者が離れてくのに。
885 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 13:03:01.71 ID:8w5NZP0v0
>>857 >シンガポールが落ちた時点で、中華民国との講和は可能だった
日華基本条約じゃなくて蒋政権との講和ってこと?
どうやって実現すんの?
>>867 使用エンジンと基数を決めたら、基本性能は決まるでしょ。
その上で、速くしたければ、軽く短く小さく。
遅くても航続距離や搭載量を増やしたければ、主翼面積を広く機体も重く。
どこかを足せば、何かを引くしか無い。効率を上げる方法は技術だけど、
設計は、目的が似通えば、各国、各設計所、各技師が違っても、機体の特徴も似てくる。
小差は有っても大差は無い。
>>872 水密艇体とフロートが死重になり、空気抵抗も増えるから、飛行艇は飛行機としての基本性能が低い。
887 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 13:39:31.08 ID:QXMO9Pyu0
「富嶽」200機からなる米本土爆撃隊と、空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」
「大鳳」「信濃」から護衛に飛び立った「震電」とジェット戦闘機「火龍」の勇姿。
ぜひ一度見てみたかった。
富嶽て離陸したあとタイヤを脱落させて帰還するときは胴体着陸する仕様じゃなかったかな
>>888 離陸時に捨てるのは補助輪で主脚は残る。
ただ燃料と搭載物(爆弾)を捨てなければ、着陸できない仕様。
離陸直後に機体等の異常が判っても、すぐ降りられないのは問題があるな。
890 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 13:53:04.45 ID:HTTom16XO
烈風が実戦配備されてたらなあ、2000馬力エンジンに20ミリ5丁積んでたら活躍してたろなあ
旅客機「富嶽」 乗客を投下
892 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 13:57:30.81 ID:BN/P2Wnu0
>>888 車輪の全てを投下するのではないよ。
全備重量で飛び立つにはタイヤの数を多くしないと支えきれないからであり(接地圧の問題)、
補助輪を落下させて格納スペースの確保と重量軽減を狙い、
帰還時には爆弾および燃料分の重量が軽減されているので通常の脚で着陸できるという発想。
珍しい方法ではあるが、奇抜というほどでもない。
というか、幾つものプランがあったからこれが正解がどうかも。
もし仮に何かの間違いで試作ということになったら、この方法を最後まで踏襲したかどうか。
>>889 重爆の着陸時には爆弾は捨てます。
アメリカ第8空軍では畑に落として家畜に被害が生じたので弁償しています。
>>892 日本でもあったね
朝鮮戦争時のB-29がトラブルで引き返して着陸するのに爆弾を利根川に捨てたのが
超延時信管だったので昭和50年代になって突然爆発
爆撃機は、着陸するとき爆弾を捨てる物だけど、勿体ないので積んだまま降りることもある。
かなり極端なのが艦上機で、着艦前に捨てることになっていたが、
腕の良い操縦士が、艦上攻撃機や艦上爆撃機に、魚雷や爆弾を積んだまま、降りていた時期もある。
着艦に失敗したら、母艦ごと失われかねないので、特殊な例らしいが。
かなり後になって、アメリカ海軍のF-14での話で、
大型のAIM-54フェニックスミサイル(460`)を最大6発搭載できるが、着艦は制限重量を超えていて無理なので、
4発で運用されていた。フェニックスミサイルミサイルは、撃つ機会もほとんど無く、母艦に持ち帰ることが常態化されていたようだ。
896 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 15:11:47.03 ID:wMFoBDmm0
>>894 着艦失敗はかなり多かったみたいだな特にアメリカ、映像にも相当残ってる
日本はかなり訓練してたみたいだが詳しい資料みたことないんだよな
897 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 15:59:26.23 ID:43F3Q3KM0
898 :
名無しさん@12周年:2011/10/18(火) 16:09:16.11 ID:V90PTrd+0
しかしきれいな飛行機だな
本当にこんな垢抜けたデザインだったのかな
与圧してそうだけど窓が四角なのが惜しい
実際に飛んだらコメットさんみたいに墜落したな
ふがくって読むのか
今日のトリビア
超弩級戦艦「大和」1隻のお値段=超重爆撃機「富獄」1機のお値段