【文化】「庚寅(こういん)」「正月六日」 日付入りの大刀出土 暦使用の国内最古例か 福岡・元岡古墳群
1 :
西独逸φ ★:
福岡市西区の元岡古墳群で、西暦570年とみられる「庚寅(こういん)」の干支(えと)と、「正月六日」の
日付が刻まれた鉄製大刀(たち)が見つかった。福岡市教委が21日、発表した。
年と月日を組みあわせて表記した古墳出土の刀剣類の発見は初めて。暦が使われたことを示す国内最古の
例とみられる。
6世紀半ばに暦が伝来したとする「日本書紀」の記述を裏付け、古墳時代の社会を解き明かす画期的な資料だ。
7世紀に造られた同古墳群G6号墳の石室内から8月末に出土した。長さ75センチの刀身の背の部分に
「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□(1字不明、練か)」の19文字が、たがねで彫った文字に金や
銀を埋め込む象眼という技法で記されていた。
市教委によると、「庚寅の年の正月6日庚寅の日に、この刀を作った。12回練り鍛えた」と読め、年の干支と
日付の干支を照らして570年と判断したという。
出土当初、表面はさびで覆われていたが、福岡市埋蔵文化財センターがX線撮影をした結果、文字が確認された。
「日本書紀」には554年、暦が朝鮮半島にあった百済から日本へもたらされたとある。見つかった表記は暦に
したがったとみられ、伝来から十数年後には国内で暦が使用されていたと考えられる。
文字を象眼した古墳出土の鉄剣類は6例見つかっている。うち、年号が入ったものは埼玉県の稲荷山古墳
出土鉄剣など3例があるが、具体的な日付が入った例はこれまでなかった。
ソース
asahi.com
http://www.asahi.com/culture/update/0921/SEB201109210016.html
2 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 12:14:13.12 ID:J8eXFU320
いやらしいのはいけないと思います!
口淫
ここまで予想通り
神武天皇とか言うけど天皇という称号は天武からであり
それ以前は大王だよな。
庚寅矢のごとし
>暦が朝鮮半島にあった百済から日本へもたらされたとある
ニダリ<丶`∀´>
8 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 12:17:09.04 ID:vF2Nnp2x0
9 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 12:18:38.28 ID:Jn+/N2fU0
この暴風雨の中 発掘しとったんかい
11 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 12:23:14.85 ID:4qBAmKf00
<丶`∀´> ウリ達が支配していたという証拠が出土したニダ!
日本書紀が日本の古代史を狂わした元凶という話をきいたが
13 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 12:34:23.19 ID:3SMkhrhl0
百済=日本国半島支店
新羅=日本国半島代理店
つまりチョンとは無関係
14 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 12:34:55.30 ID:sa0sehRj0
荒婬、夜のごとに
なぜ九州にそんなもんが伝来したのか?
邪馬台国があったからと考えるのが自然
ウリに感謝するニダ
17 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 12:43:27.63 ID:kBPltCHb0
>12回練り鍛えた」と読め、
なんと日本刀の原型か
平安時代に突然発明されたわけではないようだ
>>12 今の世界情勢じゃおいそれと遺跡調査できん
全世界一斉鎖国したらあれこれ調べられるだろうに
日本国内のシナチョン毛唐も邪魔だし…
19 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 13:01:20.06 ID:BlaAHyv60
かのえ・とら
20 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 13:08:22.10 ID:G6IHsDSzO
聖徳太子はしゃもじみたいなの以外にも剣を振り回したりしてたのかな
この時代の出土品てなんかワクワクするな
>>17 本当にそう読めるとして、12回練り鍛えたってどういうことかだな
日本刀のように、折り重ねて鍛えたってことかもな
ただ、まだこの刀、反りがなくて直刀のようだな
この時代を描いた大河ドラマってやらないのかね
戦国時代〜明治維新までのは見飽きた
24 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 13:13:59.33 ID:Blc0NqyH0
どうせ韓国起源だろうから早く返還しなよ
干支がくる前は冬至とか、どうやって呼んでたんだろう
12回か
七回醸すぞー てのもあったな
>>20 聖徳太子といえばキモい形した七支刀が有名だが
太子の剣とされる丙子椒林刀、七星剣という刀が国宝にある
あの美しい刀を太子が毎朝振り回していたと考えると勃起する
27 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 13:27:03.70 ID:DSqdwZ/r0
古代人は力があったんだな
刀も粘土のように手で練って作ってたんだ
>>26 ユダヤの七燭台と関係性がどうのとかあったな。
29 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 13:49:07.65 ID:UNU1pZhv0
>>7 残念でした。
当時朝鮮半島南部は日本人がいたところ。
三国史記や三国遺事に書いてある。
百済だけでなく新羅の王も倭人とある。新羅に稲作を日本から伝えた王は農業の神様と民衆に慕われたとある。
>>29 倭人=日本人だと考えるとそれは違う。
倭人=日本、伽耶国(朝鮮半島南西半分)、大陸の一部(呉越)あたりと理解するならばそれが正解。
31 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 14:02:42.39 ID:Km7dAcSt0
12回という数字は実は意味のない数字。
冠位十二階で使われたように縁起のよい数を宛てただけで
たくさん鍛えたという程度の意味。実際何回打ったかはわからんのだよ
お前ら勘違いすんなよ
朝鮮半島の人は高句麗あたりまで凄かったんだぞ
その後は…
>「日本書紀」には554年、暦が朝鮮半島にあった百済から日本へもたらされたとある。
見当たらない。
欽明15年2月条か?
欽明14年六月条に
別に勅したまはく、「医博士・易博士・暦博士等、番に依りて詣で来、去かれ。
今上件の色の人は、まさに相代らむ年月に当れり。還使に付けて相代らしむべし。
亦卜書、暦本、種種の薬物、奉れ」とのたまう。
とある。
これが欽明15年(西暦では554年)二月に来たってことか。
ん?年号の方が古い?
地元や福岡以外の人以外だとあまり知らんだろうが、元岡は糸島の近く。
やっぱり、伊都国や金印と関係あるんだろうか?
古墳時代の太刀なんて打撃刀みたいなもの想像してたけど、
「12回練り鍛えた」なんて書いてあると今知る日本刀想像して
いいんかな?!
>百済から日本へもたらされたとある。
初耳です。
40 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 15:09:52.10 ID:j/3bBPuW0
これで歴史ミステリーが1本書ける。
百済新羅が鮮人国家なわけでもないし
渡来人によって広く文化が伝わったのは
事実だし、なにも不都合なことはないよ
伝わった文化を取捨選択して高めたのは
曲がりなりにも日本国
よりよいものを求めて直接支那に使節団を
送り込むほどに国力をつけるまであと少し
さあネトウヨがきりきり舞いを始めますよ
43 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 15:16:03.96 ID:Fx3/OiRj0
>>13 >つまりチョンとは無関係
現在のチョンは朝鮮半島を植民地化したエベンキ族の不法移民だからね^^
>>17 貴族の護衛で安穏としていた時代に
武具が発展するとは思えないな
地方豪族がぶつかりあってる時期に
なんらかの変化があったんじゃなかろうか
45 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 15:21:22.17 ID:Fx3/OiRj0
>>42 歴代大統領の在日への棄民政策。
○李東元外相−韓日条約の締結に際して(65年)
「在日同胞はいずれ帰化する運命にある」
「在日は本国3千万の犠牲になれ」
○金鐘泌首相−現首相代行代表(79年)
「在日2・3世は完全に日本人となって
日本に同調する社会人として生きることが望ましい」
○全斗煥元大統領(84年)
「みなさんが日本国籍をとられたことについて、
なにも恥じることはなく、主体性の問題にも関係がないと思います。
在日同胞は、住んでいる国にしたがって日本人、
アメリカ人、アフリカ人とならなければなりません」
○盧泰愚元大統領−90年5月の訪日時
「日本は兄の国、韓国は弟の国。
劣ったものは力の強いものに対して
嫉妬や羨望の感情を抱きやすいものだ」
○91年問題での韓国政府担当者
「3世といえばもう日本人。彼らの問題をいつまで韓国政府が
取りあげなければならないのか?」
〇盧武鉉大統領 03年6月の訪日時 TBSのテレビ番組で、
「異国で国籍を死守することがいいとは思わない」
「同胞にはその社会で貢献して欲しい」
たぶん元嘉暦だろ?
漢字表記である事から分ると思うけど、
三国時代の天文学が起源です。
中国内陸で使われていた暦で、朝鮮とは関係無いと思う。
そりゃあ朝鮮からも元嘉暦が何点か出土したかもしれないけど、
地理的な観点だけでそれが日本と直結してると考えるのは如何かな。
その時代、既に船という乗り物があった以上、
陸地をチンタラチンタラ運ぶ必要は無かった訳で、
仮に馬車を乗り換え、盗賊を叩き殺し半島の先っぽまで来ても、
そっから先日本へ如何やって運ぶんだ?半島には物資を運ぶような船はまだ無いよ。
トライアスロンでもしますか? 墨汁で書かれた暦がビチャビチャに濡れますよ。
47 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 15:23:12.52 ID:CYvHlqPy0
口淫
なんでこういうニュースがあると、韓国から絡まれてもいないのにいちいち韓国がどうのことのって書き込みが殺到するの?
>>31 この時代既に日本人になぁなぁ性が存在した証拠と考えると面白い。
福岡・元岡古墳群G6号墳:「庚寅」干支入り大刀出土 百済の暦導入、日本書紀裏付け◇「570年」
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110921dde001040021000c.html (長いので前半省略)
年号の干支を示す最初の「庚寅」と、「正月六日」の干支の「庚寅」から、年代は570年と判明。意味は「570年
1月6日に刀を作った。およそ12回鍛錬した」という。大刀の製造は570年だが、同古墳造成の7世紀中ごろま
でと時間差が認められる。
日本書紀によると、日本は553年に百済に暦博士の派遣を要請、翌年、暦博士が来日する。この時もたらされた
暦は、中国・南北朝時代の宋で作られた「元嘉(げんか)暦」とみられる。
元嘉暦は、5世紀の雄略天皇の時代から既に使われていた可能性が指摘されている。今回の大刀に書かれた
「庚寅正月六日庚寅」のうち、570年と1月6日の干支が「庚寅」というのは、いずれも元嘉暦と一致する。
坂上康俊・九州大教授(日本古代史)は「干支の入った確実な日付としては初の発見。具体的な暦が分からない
と刻めないので、元嘉暦を知っていた証拠だ。暦博士の来日後、元嘉暦が普及したことを初めて確実に示す
極めて貴重な資料」と話す。大刀は9月28日〜10月9日、福岡市博多区の市埋蔵文化財センターで展示される。
【大森顕浩】
朝鮮人が盗掘に来るぞ
>>46 中国で発展した天文学で作られた、中国の暦の本(と暦博士)が百済にあり
欽明天皇の命で日本に献上された。
って話。
53 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 15:30:23.78 ID:ZIDvH68B0
百済ない話。。。
>>52 ググったら出てくるね〜 そうだったのか。
知らんかった。
55 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 15:38:41.73 ID:ZLCcfwwD0
<丶`∀´>いい事聞いたニダ
57 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 16:12:43.34 ID:AF2ItMM40
>>56 エヴェンキには関係ない話だ
すっこんでろ
日本を救う神剣とかだったら嬉しい。
邪馬台国を発見したって?
60 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 16:23:21.74 ID:Shd0MO140
>>13 百済人も新羅人も南方からの日本人(主に縄文系由来)が勢力拡大した末の
“日本系”民族だからな
中華圏への日本の出先が半島
日本は古代にはちゃんと半島に日本人としてのテリトリーがあった
そこから中華文明を持って来させた
ま、いつの時代も半島人ってのは屈従隷属する
一段といわず何段も格下のカテゴリーだった
61 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 16:24:27.94 ID:KEGX9H3M0
半島は、ただの通り道だから
その通り道には、当然ながら何の意味も無い
62 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 16:36:26.42 ID:Pyl6hSVn0
暦を手に入れたものが、世の中を制する。
→ 邪馬台国
決定
63 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 16:52:03.74 ID:1nTg13Bj0
九州王朝=邪馬台国が証明されたな
邪馬台国九州説厨がアップを始めたな
65 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:02:03.24 ID:1nTg13Bj0
>>64 畿内説なんて大化の改新(クーデター)以降の捏造した歴史を繕う為の駄説
66 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:07:48.86 ID:DRXtwq9w0
サビをとって研磨してピカピカにすることは出来ないんだろうか?
土の塊にしかみえない。
6世紀から正月があったことにおどろき。
お節作って、お雑煮食ったのかな?
68 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:11:25.09 ID:pvl/sK4t0
マスゴミと日教組は
第八代孝元天皇の皇子
大彦命銘の鉄剣が出土され
いわゆる欠史八代も実在の可能性が高まった
ことするちゃんと報道しない。
そんなに日本の歴史が増えるのが気に入らないのか?
どこのチョンだ?
69 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:13:45.77 ID:1nTg13Bj0
チョンが起源主張するのかと思いきや
詳しい人のレスを読むと、百済が日本の属国だった証拠ってことでいいのかい?
百済も新羅も日本人の国。高句麗は中国の一地方。
現朝鮮人にとって、これらの国のことは何の関係もない話。
百済から日本て、日本書紀のスタンスが百済は日本の属国なのだから、
属国から伝来って言うのも変じゃない?
どうでもいいといえばどうでもいいが
74 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:29:02.96 ID:1nTg13Bj0
百済ない
75 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:43:06.15 ID:pvl/sK4t0
日本に仏教や儒教を伝えたのは楽浪郡から逃げて来た漢族
朝鮮はストローってか南朝鮮は日本の領地。
76 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:53:39.10 ID:1nTg13Bj0
>>75 韓国人と創価学会員が大嫌いな神社はどこから来たの?
77 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:55:49.31 ID:Xucx3CqjO
お前らこんな時まで朝鮮の話かよ
78 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 17:56:14.40 ID:pvl/sK4t0
日本の神事・神話の多くは南方系、というのが学会の定説
が、日教組と在チョン学者どもはひたすら北方系と唾を飛ばすwww
79 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:01:27.77 ID:g8vgJyN60
BS朝日の「ソドンヨ」っていう韓国ドラマ、第6話、
www.bs-asahi.co.jp/sodonyo/
百済の学舎が、聖徳太子の依頼を受けて、日本刀を作りましたよ。
情けない歴史の立て直し事業の一環です。
脚本は、「チャングムの誓い」の人。
寒流ババアしか見てないところで、やりたい放題の韓国。
これでいいのか?
80 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:03:54.85 ID:x62tj0ht0
埼玉稲荷山古墳の金錯銘鉄剣に
「辛亥年七月中記、乎獲居臣・・・」
と書いてあるけど、この辛亥年と今回の出土品の庚寅は
どう違うの?
教えてエロいひと
81 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:04:44.98 ID:Nk4+AJc40
はやく返してやれよ
82 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:05:05.99 ID:woi8nCBh0
>>1 百済は日本と友好国だった
しかし新羅に滅ぼされた
多くの百済人が日本に逃げてきた
つまり朝鮮併合は滅ぼされた百済を再建するという意味で
理があったということになる
83 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:10:40.19 ID:c2+LGcROO
百済は同じ言葉を話してたという説もあるよね!?
同じ部族の別の国家の可能性もあるね
先に日本列島に来たグループが倭、遅いグループが百済
神代文字とか信じてる奴は、なんで古い遺跡から神代文字が出てこないことを
不思議に思わないんだろうな。
漢字よりも古くからあったんだろ? 一つくらい見つかってもいいんじゃねーの?
>>82 ナチスドイツが、フランスを占領したとき、
南部にビシー政権を作ったように、
百済付近だけ併合して、
他の地域は傀儡を立てて治めさせておけばよかったな
86 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:18:19.26 ID:0kz2X2bSO
570年1月27日
88 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:25:37.79 ID:j2IWRGKE0
ちょっと思ったんだけどさ、使節が外国から初めて暦を持ってくるじゃん
で、受け取った日本の偉い人々が「で、その暦とやらによると今日は何月何日じゃ」とか聞くと思うんよ
その時もし使節の人たちが来る途中嵐にあったとかで日にちを一日数え間違えてたりしてて、
間違った日付を教えられたとかいうことが起こってたらさ、
暦を初めて知った日本人は月の欠け方とかそういうので修正する技も持ってなかっただろうからさ、
そっから何十年かは一日ずれたカレンダーを使うとかいう羽目になっちゃったのかなあと
>>85 もともと朝鮮出兵で中央政権から差別されてた百済の地は
武器を使わずに取り込むこともできたかもしれないのに
一緒くたに老若男女かかわらず鼻や耳を切り落としまくった後じゃ
まったく説得力がないな
>>88 夏至と冬至は分かるから、そっから修正すりゃ良いんじゃね?
91 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:29:44.89 ID:gaBvYWvb0
>>88 太陰暦だしこの暦の発見も干支とかから見てってことだから
暦は詳しく教わってるはずだよ
江戸時代には暦の研究では部分的に日本が最先端を走ってたときもあったんだからね
>>63 地理的に考えれば九州出先機関説も出来るがね。
同時の造船技術では、一番の短距離の九州に船が着く。
当然、なにがしかの物が出土してもおかしくはない。
>>92 地理的に見ればフィリピンじゃないの?
日本よりずっと発展してたし
>>85 白村江でボロ負けして新羅が攻めてくる〜ってビビって都を大津に移して
ガクブルしてた大和にそんな余力があるわけねーだろw
96 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:48:06.16 ID:WFttTb/b0
物品に日付が刻印されてるのと暦があったこととは別
97 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:51:11.87 ID:ISS5r/gr0
非常に不思議なんだが、暦のない時はどうやって年数を記録してたの?
〜天皇在位〜年目もそれ以前にそもそもあったのかどうか
今日読んだ中ですげーなぁと思ったニュースの一つがこれ
もう一つは、中国で脱毛剤がぼかーん
>>94 太宰府を守るために作った水城とか地名が今も残ってるね
100 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:54:39.81 ID:CTHd8iJM0
101 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 18:57:41.15 ID:CBBTudLV0
倭人の起源は朝鮮
ヒャッハー!
これが福岡だ!
犯罪も古墳も超ヤベえ!
103 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 19:05:59.37 ID:0aYjiJSb0
104 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 19:08:28.19 ID:nII0ICeIO
しちゅういんぼうしんしごだしんゆうじゅつがい
だっけ?
106 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 19:09:24.55 ID:EIde47zK0
【業界規模】
人材派遣 9,939億円
ゲーム 3兆0,898億円
アパレル 4兆1,004億円
IT 4兆7,863億円
運送 6兆1,516億円
コンビニ 6兆5,063億円
鉄鋼 13兆4,168億円
鉄道 13兆4,229億円
建設 15兆0,862億円
食品 16兆8,216億円
スーパー 18兆8,390億円
石油 20兆6,647億円
銀行 20兆6,790億円
パチンコ 21兆0,650億円 ←この違法賭博産業市場分を他の市場に回せるかが大きな分岐点
外食産業 32兆3,542億円
自動車 43兆9,814億円
>>97 インカ文明では文字は記録できなかったけど数値は残すことができたよ
>>105 日本でも中国でも食べてるよ
>>107 自分が食べてるからって同じにしないで臭い。
稲作瑞穂の国だから暦はもっと前からあっただろうに。
110 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 19:17:30.59 ID:0ztMCKaDO
111 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 19:28:36.40 ID:0ztMCKaDO
(-_-;)y-~
>>100 でかい鈴やな。
筑紫君から拝領した駅鈴ちゃうか?
112 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 19:32:34.69 ID:Pyl6hSVn0
福岡が日本人の起源ということで
113 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 19:33:30.41 ID:Wpk2kyaT0
570年て天然痘が流行した年じゃなかったっけ?
114 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 19:49:07.85 ID:0ztMCKaDO
(-_-;)y-~
十二回練るって日本刀の製法そのものやん。
ひょっとすると古墳の編年史を変える刀かもしれんぞ。
>>115 薬を食べと捏造するのは朝鮮人だからですか?
それとも現在進行形でエイのうんこ漬けを食べいる朝鮮人だからですか?
117 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 20:35:23.26 ID:Pyl6hSVn0
>庚寅
かのえとら
って読んじゃったけど、だめなの?
ここ、うちの大学の移転用地なんだよね。
新しい建物を立てる予定だとか何とか。
古墳があるってことは以前から分かってて、
大学が古墳を犠牲にして移転していいのかって、教授が飲み会で愚痴ってた。
大陸からの影響受けまくりで、交通機関が発達していなかった時代に、近畿は無いだろ?
121 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 20:54:03.06 ID:pvl/sK4t0
現在の定説では氷河時代も対馬海峡は地続きにはならず、黄海、東支那海もその多くが陸地だったようだ。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-16.html 朝鮮は何もない山岳地帯で人の住む土地ではなかった(というか中国もほとんどは寒帯ステップの極低草原で生物生息もまばらであった)
対して黒潮の影響で温暖だった日本は植生豊かで獲物も多く縄文人が繁栄していた。
縄文人は南方から(北方からも上陸)やってきた海洋民族でもあり八丈島、沿海州、朝鮮まで渡っていた遺跡が残されている。
朝鮮に始めて上陸したのは海路縄文人であったようだが、何もないその地に有用性もなく多くの定住は見られなかった。
それを証明するかのように、ほんの僅かながら遺跡と縄文系染色体のY-D1、Y-D2が朝鮮に残されている。
さらにシベリア・バイカル系のY-C3も同時期以前から朝鮮北部に進入していたかもしれないが険しい山に遮られ南下することも定住することもなかったようだ(沿海州にはその痕跡は見られるが朝鮮には皆無)。
そして1万数千年前から氷河期も終わりに近づきアジア人の故郷スンダランド(インドネシア近辺)も水没しはじめ、各民族の北上大移動はそれに前後してはじまっていたようだ。
華北にはY-O3系(黄河文明)が華南にはY-O2系(長江文明)が定住したと見られている。
長江文明が黄河文明に滅ぼされるとY-O2系は四散し大移動を開始した。
朝鮮南部に辿りついたのはY-O2b*で原種のY-O2bと共にインドネシアで最も多く分布している、どちらもスンダランド起源のグループである。
日本に辿りついたのはY-O2bから分岐したY-O2b1aで日本起源の弥生人染色体と考えられている。
このY-O2b系が長江原産の温帯ジャポニカ水稲を海路日本に持ち込んだと思われる。
長江下流域の人骨も米も弥生期日本の物と遺伝子的に符合している。
つづく
122 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 20:58:36.41 ID:pvl/sK4t0
つづき
さて朝鮮南部に定住したY-O2b*だが、それはいまでも朝鮮人の3割ほどに残されている。
このグループを紀元前戦国春秋期の中国は倭人と呼んでいた。
これは日本人ということではない、朝鮮・日本・南西諸島・台湾・華南沿岸の広範囲の海洋民族の総称のようである(EX『山海経』ほか)。
そして前漢の時代になると朝鮮北部は漢族(Y-O3系)の植民地となった。
そこに登場したのがシベリアから南下してきた粛慎後裔の穢四族(高狗麗、扶余、沃沮、東穢、Y-C3-M217)である。
彼らの登場から平和だった朝鮮南部、日本の親戚倭人の国、三韓(任那・百済・新羅)は戦乱の時代に入ったのだ。
楽浪郡は高狗麗に滅ぼされ、残された漢族は朝鮮半島で役人や技術者として暮らしていくことになった。
そうして日本まで軍事介入しなければならないほど乱れた半島だったが、その後日本を裏切った新羅が一旦は統一したかに見えた。
が、高狗麗遺臣の王建が高麗を復興して新羅王族を皆殺しにしてしまった。
平和だった南朝鮮に粛清の嵐が吹き農耕民族の朝鮮倭人は農奴に貶められてしまったのだ。
ここに新羅の郷歌・郷札が未だ解読できないという、半島の民族的文化的断裂が生まれた。
そしてその後、穢(ワイ)族の親戚女真族の李成桂が李朝を起こし、いよいよ北方部族による朝鮮支配が確定してしまったのだ。
現在朝鮮に残る染色体シベリア・バイカル系1割が支配層。
漢族4割がテクノクラート。
朝鮮倭人4割他が農奴として固定されたのはこうした歴史にあてはめて考えられるのだ。
現代民族の遺伝子分布
http://www.scs.illinois.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf
123 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 20:59:27.84 ID:KsPJG8aY0
磐井の乱こそが大和朝廷の前身となった奴らが起こしたクーデター
それまでの日本の歴史は奴らによって都合がいいように書き換えられた
作る過程を書いちゃうって
平成23年このガンプラを作った。ポリキャップを忘れて、3回組み直した。
ってガンプラに書いちゃうようなもんか。
かのえとら だよな
126 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:14:48.84 ID:KsPJG8aY0
>>119 日本の歴史に都合が悪い古墳は破壊されます
特に天皇の起源に影響を与えるものは
127 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:15:58.49 ID:c2+LGcROO
今のチョン公の言語はどっから来てんの!?
新羅は秦から逃げてきた難民なんだよね!?そいつらの言葉がチョン語なの!?
それとも女真族の言葉なの!?でもそれだと清と同じになっちゃうよね!?
128 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:21:20.91 ID:KsPJG8aY0
129 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:21:42.44 ID:aLxR3O20O
この几帳面さが日本人だよねえ
130 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:22:36.40 ID:JZSCjwIj0
新羅からの渡来人様が伝えてくださった暦を大切にしろよ、倭猿
131 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:24:21.60 ID:c2+LGcROO
>>123 そうじゃねーよ、文字じゃなくて言葉
新羅人がチョン語を話してたの?
>>118 訓読みしたいなら「かのえのとら」と読まないと
133 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:27:06.15 ID:s8/KMVPU0
日本を侵略して大和朝廷を作ったのはユダヤ人。古墳はユダヤ人の墓。
>>88 中華圏の暦の場合、「日の干支」が最も重要な日付指定&補正ツールになる。
現行の西暦(新暦)で言えば、「曜日」のようなもので、
これを正確に循環させることが、暦を扱うイロハとして最重要になる。
2011年9月2*日『水曜日』とあれば、ここは1か8だろうということになる。
>>1で一番重要なのは、太歳(年の干支)ではなく、日の干支「庚辰」のほう。
これが正確なら、少なくとも西暦570年の筑紫島に、中国暦を扱える人が存在したことになる。
>>91 部分的でも最先端ではないと思う…
日本人は、伝統的に、暦法や天文学というのは、本当に大の苦手だった。
これは、意外なことで分かる。これほど、余所の文化の換骨奪胎の上での魔改造にかけては天才的な我が民族が、
星占いだけは、独自の改良品を全く作り出せていない。全部、中国人に言わせれば鼻で笑われる劣化コピーばかり。
前近代の暦法・天文学は、世界何処でも形而上学や占星術と不可分一体なのだが
とにかく日本人は、形而上学と占星術が大の「苦手」だ。嫌いではないんだよ。むしろ大好きなんだ。
だが、こと占星術の勉強だけは、なぜか信じられないレベルの低成績の馬鹿なんだ。なぜかは分からない。
135 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:30:31.20 ID:s8/KMVPU0
日本は昔はユダヤ暦を使っていた。正月のことを新春とか初春とか言うやろ。
136 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:31:35.36 ID:pvl/sK4t0
現世朝鮮の共通言語は近隣では全く発見できなかったが、最近エヴェンキやシベリア部族に共通する言語が発見された。
女真は中国や胡族の言語的影響もあったのだろう、シベリア言語は失われていたようだ。
中国文献を総合すると、新羅の原住民は朝鮮倭人(インドネシア系)で支配層は百済王族(中国史書によると百済王族は穢四族の扶余族、『三国史記』だと新羅王族は日本人とある)、そこに始皇帝の圧政から逃げて来た秦の民が加わったという。
秦民受け入れ許可を出したのは馬韓の王(辰韓の王は馬韓王が任命していた)で、その数は辰韓全部に広がるような数ではなく多くとも数百人であろう(あの時代にそんなに逃げてこれるわけはない)。
占星術について研究しまくった結果、
「星の動きと人間の運命は無関係」ってことが分かってしまったからじゃないか?
138 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:35:46.84 ID:s8/KMVPU0
ユダヤ人は元々遊牧民だから国ごとシルクロードを東へ東へ移動した
139 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:36:58.57 ID:FP2Uyj9e0
干支とは
十干(じっかん)は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
の組み合わせを一周期とするもの。
年月日、時間、方位、角度などに用いられる。
10と12なので最小公倍数60年で一周期となり還暦とよばれる。
歴史の記録には干支が年号とともに必ず用いられる。
年号は為政者の都合で改められるため規則性がなく長期間の記録には不便で
60周期の干支がもちいられた。
140 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:37:10.71 ID:pvl/sK4t0
ちなみに新羅言語の郷歌・郷札はいまだ解読不能である。
新羅言語はほとんど分かっていない。
そして中国史料では辰韓・新羅は秦民と倭人の国とあり、
日鮮史料では新羅を建国したのは日本人とある。
新羅は朝鮮人とは一切関係ない国。
後にケンカ別れはしたが日本の親戚国であった。
「朝鮮人は新羅が祖」などというこれまでの定説には一体どんな根拠があったのだろうか?
どう調べてもそんなものは一切出てこない、逆のものしか出てこないんだが……。
>>134 自然の事柄にことこまかい和名をつけてるのに
こと星に関してはせいぜいがすばる程度しかない(28星宿はあとからだし)
これは古代の日本の夜空がくもりがちで星が見にくかったせいじゃないのかとかあったな
それぐらい確かに謎らしいな
ちょうど仏教伝来に近い年代か
その頃になりゃ福岡も朝鮮貿易が盛んになっているだろうし
発掘した剣も交易品の一部かいな
143 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:37:45.27 ID:c2+LGcROO
つーことは古代チョンと現代のチョンは言語が違うってこと!?
今のチョン語はいつ入ってきたの?
大和朝廷の成立を遅らせたい学者またも涙目か
145 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:40:17.12 ID:KsPJG8aY0
大和朝廷はアジア系ユダヤ人って言われているね
天狗=山伏=ユダヤ人の装束
京都祇園祭を見れば日本とユダヤの関わりが深いものだとわかる
146 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:43:48.97 ID:c2+LGcROO
エヴェンキ族って女真族の奴隷民族だったのかな?
女真族の南下と共に半島に下ってきたとか
147 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:44:08.33 ID:FP2Uyj9e0
>>143 比較的有力な説としては、朝鮮語の祖は新羅語だという説。
新羅→高麗→朝鮮→・・・と国が変わっても言語が連続的に
変わっていったといわれる。
新羅と対立していた百済や高句麗については、言語が違うという
説があるが、文献がほとんどない。
高句麗語は、一部の単語が歴史書に漢字表記で残っていて、
日本語と似ていることが指摘されている。
wikiで「高句麗語」を見ると面白いよ。
149 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:46:12.62 ID:pvl/sK4t0
>>143 わからない。
李朝からと言う人もいる(実は高麗の郷歌・郷札も解読不能すなわち言語が違うともいう)。
個人的には高狗麗遺臣だった北方系武将の王建が高麗を起こしたときに北方言語と北方文化が朝鮮中に広まったと思っている。
いわゆる長白山(白頭山ともいう)大噴火が朝鮮文化を真っ二つに分断しているという説だね。
>>127 日本統治下のチョンは国民総ルンペンで識字率10%以下だったから、
朝鮮総督府が現地語に合わせてアホでも分かるハングルを授けてやった。
おかげでその後20年位で識字率60%以上にUPした。
151 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:47:17.43 ID:hKSTe/d+O
桃太郎の鬼も朝鮮からの不法滞在者がモデルとされ
また鬼の金棒は製鉄技術の伝来を示唆している
それを考えると六世紀にもなれば九州の北部は当時から蛮族の往来が盛んであった事であろう
152 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:47:31.03 ID:c2+LGcROO
百済と倭は通訳いらず、とかあるってことは百済も日本語話してたのかな〜
153 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:49:04.77 ID:WN4OQtSiO
開店セールの記念品だったのかな?
154 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:49:07.31 ID:KsPJG8aY0
155 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:50:16.18 ID:ghNe6KdyO
>>99 時代が違うが、ちょっと前までは防塁という地名さえあった
今でもマンションやバス停はあるけどね。
>>50 >元嘉暦は、5世紀の雄略天皇の時代から既に使われていた可能性が指摘されている。今回の大刀に書かれた
>「庚寅正月六日庚寅」のうち、570年と1月6日の干支が「庚寅」というのは、いずれも元嘉暦と一致する。
すでに5世紀から使われていたけど、中国の暦をもっと確実に扱える人材を求めたってってことかな
仏教も日本書記の伝える公伝よりも前に日本に来てたようだし
157 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:53:10.30 ID:pvl/sK4t0
間違った古い説がいまだ払拭されていないが、
紛れもない事実は、高狗麗語も新羅語も百済語も任那語もほとんど分かっていないということ。
旧世紀昭和の研究は残念ながらほとんど否定されている。
>>151金棒うんぬんはしらんけど、桃太郎のモデルはアッカド王国サルゴン1世の伝記が記された粘土板だろ。
つか伊都国の古墳群ハンパないな、574年に聖徳太子が生まれてるから、
冠位十二階とか十七条の憲法とかやってる前から鉄を精錬して神事を執り行ってたとかビビるわ。
さすが邪馬台国の流れを汲む土地やね。
159 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 21:57:15.33 ID:KsPJG8aY0
>>158 ジャンケン女王の篠田麻里子も伊都国出身
どうでもいい話だがw
160 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 22:16:33.58 ID:yOWz7p6N0
>>145 祇園祭とユダヤ人云々って、南蛮貿易で買った絨毯を山車に使っている
アレが根拠なのか
161 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 22:24:21.44 ID:vJ6BR8TY0
>>155 修猷館前の隣の駅かw
まぁあれは鎌倉時代な
当時は内陸の大宰府政庁が重要だったから
その頃の地名で言えば薬院もそうだな
負傷した兵士を治療する薬院が置かれてた
163 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 22:52:03.76 ID:FP2Uyj9e0
>>145 ギオン=シオンとか無理すぎ
祇園の由来は祇園精舎(仏教)なんだから
164 :
名無しさん@12周年:2011/09/21(水) 23:18:57.63 ID:2AgQLaUX0
これ直刀だろう、日本刀は東北でも良いものが作られたというが、都が京都になってからは稲荷山の焼き刃土とか、菖蒲谷の砥石とか、言われるようになって京都が作刀で有名になった。
「錬」てなんだろう。折り返し鍛錬か、百錬というのもあってよくわからないな、そもそもズクの刀かもしれない。芯金のないもの。
歴史を知らない鮮人をそう虐めてやるなww
167 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 00:23:38.48 ID:wC+NmHqV0
韓国は建国何年だよwwww
168 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 00:26:20.72 ID:iPh7CIGH0
>>1 山陽新聞では・・・
「調査を指導した九州大の坂上康俊教授によると、大刀の製造年代を示すと
みられる「庚寅」は、南朝の宋から百済経由でもたらされた「元嘉暦」に
基づく干支とみられ、暦法使用の実例としては日本最古の発見という」
「南朝の宋から百済経由でもたらされた「元嘉暦」」
朝日や毎日では・・・
「暦が朝鮮半島にあった百済から日本へもたらされたとある」
随分ニュアンスが違うなw
169 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 00:27:17.95 ID:wW3G/Pxo0
>>94 戦後捕虜交換を唐と交渉しているが新羅とはしていない。
>>158 いや普通に桃太郎のモデルは吉備彦命
当時、吉備国を拠点に乱暴狼藉を繰り返していた温羅を頭目とする朝鮮渡来の賊集団を大和朝廷から派遣された吉備彦命の軍が討伐した故事を元に
子供向けの話として桃太郎の鬼退治にアレンジされた
ちなみに犬、猿、雉も吉備彦命に従軍していた三人の家来がモデルである
>>170 どうして桃から生まれるアレンジになったんだ?
>>141 全国的に山そのものが海運の神様になってたりするので、
航行の目印は星ではなくて山や海岸線と思われるふしがあるなあ。
日本に星の神様っていないような・・・。
やはり曇天が多いからかな。
>>168 暦法の最古の使用実例という部分より、日本書紀の記述に矛盾しないという部分の方がニュースバリュー高いからでしょ。
174 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 02:04:54.12 ID:C680cMNH0
日本書紀=捏造はもはや事実
175 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 02:06:31.34 ID:Zjs0/P/H0
>>171 桃太郎の姉は卑弥呼。
神仙思想からだよ。
176 :
弁天:2011/09/22(木) 02:52:57.85 ID:7UjniFbA0
変態男は人間以下の代物である
男は淫売暴力低俗破廉恥乱交男色まみれ
何かあると女を卑しめる
男が財布を持つと国が滅ぶのは道理である
銘文の入った鉄剣とかはたまに古墳から発掘されるけど、碑文の入った石版は全然出ないよな
あれだけたくさんの古墳を作り続けて文字情報をほとんど残さないっていうのは迷惑極まりないわ
179 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 03:36:26.07 ID:E6EUaGrk0
>>21 小麦粉を使った料理では複数回織り込むのが当たり前の技法として世界中にある
で、粘土と違って小麦粉は、
タンパク質の網が折り重ねる行程でそれ自身を重層的な崩れにくい固まりにする
ここから金属の錬成に繋がったんじゃないの?
塊を折り重ねて形をつくり性質を変えるのは、
小麦を粉にして食品を作ると同時に生まれた考え方だと思う
つまり紀元前までその技法の発想は遡ると思う
180 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 04:48:38.35 ID:MtFvODLXO
(-_-;)y-~
コーヒーで一服。
>>121>>122 ニニギがY-O2b系ということなら、俺のDNAもY-O2b系かもしれない。
ニニギの紋章を知りたいとずっと思っている。
紋章と言ってもそれはほぼ無形だが、どうも家の伝承は青竜黄竜の双竜のようなんだ。
ニニギも青竜黄竜の双竜なのか知りたいね。
181 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:06:23.75 ID:Kx3ZbyNe0
また日本書紀の記述が正しいって証明されたか
史記>記紀>聖書
考古学的証明されてること
182 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:15:50.56 ID:71MxKlq30
これって、百済製の剣が日本に持ち込まれただけで、暦まで日本に導入されたとは
限らないんじゃないの?
183 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:16:34.94 ID:3mjESSfe0
>>175 元は桃から生まれないものな
桃を食ってパワフルになって
子作りに励んで、出来た子だからなw
不老長生、仙桃、神仙思想ですな
184 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:21:59.97 ID:PCc1CgKnO
朝鮮から教わったんだ…
ショックだ
185 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:24:24.85 ID:t1ZUI8nx0
>>184 教わったんじゃなく天皇の命令で献上させた
186 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:27:02.93 ID:A8fFmudi0
今の時代でもこういう古いものが発掘されるもんなんだな
今後日本の歴史書が書き換えられるくらいの貴重な発掘物ってのは
どんなもんがあるんだろう?
187 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:39:19.51 ID:MtFvODLXO
(-_-;)y-~
桑原って地名は、
俺の父祖伝来、表向きは初代島津氏から拝領の地にもあるだよ。
188 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:41:05.64 ID:3mjESSfe0
>>186 そんな事を言うと、ゴッドハンドが・・・・
189 :
【13.6m】 :2011/09/22(木) 05:42:17.37 ID:IGkPtTNZ0
190 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 05:49:13.28 ID:MtFvODLXO
(-_-;)y-~
あれ?なんか間違えたかな…
どっかで桑原って地名を見たんだが…要再調査
191 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 07:46:08.90 ID:MtFvODLXO
(-_-;)y-~
九州における土器編年古墳編年が百年ズレてることを証明する刀だな。
考古学会の発表マイナス百年できっちり合う。
192 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 07:53:18.82 ID:6eBY+3Cy0
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ネトウヨは出て行けニダ |
|____________| ウェーハッハッハ
∧_∧ ∧_∧ .|| ∧_∧ ∧__(\
<丶`∀´∩<ヽ`∀´ >|| <`∀´ > <`∀´| |
(つ 丿 / つ|| ⊂ \(〉 ノ
193 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 08:01:34.17 ID:MtFvODLXO
(-_-;)y-~
桑原あった。元岡の北方。
どんぴしゃ。
194 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 08:29:12.30 ID:Bngbee9l0
> 「日本書紀」には554年、暦が朝鮮半島にあった百済から日本へもたらされたとある。見つかった表記は暦に
> したがったとみられ、伝来から十数年後には国内で暦が使用されていたと考えられる。
195 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 08:36:07.85 ID:q7QkA4FM0
196 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 08:44:03.27 ID:TqBvmoJ20
日本に様々な文化を教えた韓民族は本当に偉大だな
198 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:09:56.36 ID:z4OVrVPv0
百済人とチョンは別民族
百済人は日本に帰化済み
チョン国は建国70年にも満たない国なのに下らないこと言いすぎ
199 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:16:07.54 ID:zxC6ZLfYO
201 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:19:37.88 ID:fZQ/4oXA0
日本の土は酸性?がきつくて鉄なんかはすぐボロボロになるって聞いたけどよく残ったな。
自称「天皇陵」をちゃんと調査すれば、もっと考古学的発展があるのに。
勝手に「天皇陵」指定して、勝手に土地搾取する天皇って一体・・・
203 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:25:17.84 ID:z4OVrVPv0
>>202 発掘されて捏造した歴史がばれないようにしたいんだろ。
クーデターが起こる前は天皇は九州にいたんだから。
204 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:27:44.55 ID:tNCHUewn0
墓をあばくのは不敬だからだろ。
こういったことに関するやましさがあったから「ファラオの呪い」が生まれた
なんで630年製、690年製ではなく570年製だとわかるの?
206 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:32:11.44 ID:bbCEBf2H0
>>156 大和朝廷は百済を救うために唐と戦い多大な損害を被った。
だから日本書紀などでは百済を持ち上げる必要があったのさ。
百済の亡命貴族の子孫も多く暮してたしね。
だから実際よりも百済が日本にとって有用だったとかなり盛って書いてある。
漢字なんて卑弥呼の時代から鏡の裏に書いてあるんだからさwwwww
伝わったというなら紀元前から伝わってるよw
207 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:32:25.89 ID:z4OVrVPv0
208 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:35:52.31 ID:bbCEBf2H0
>>203 半分正しい。
皇室は最初から畿内が発祥地だ。
ただ神武帝の系統が何らかの理由で畿内から追われ九州で力を蓄えそして東征によって畿内に返り咲いたのさ。
だから一部分だけを見れば九州が皇室の発祥地に見えるがそうじゃない。
証拠に神武帝が河内でアシナガヒコの軍に敗れた後熊野から奈良南部を通る際には多くの味方が現地で集まった。
もともと畿内に縁があるからこそ神武帝の下に馳せ参じる部族が多かったわけだよ。
>>204 そもそも誰の墓かも分かんないじゃん。
「天皇陵」以外の墓は調査が入ってるじゃん。
210 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:37:05.30 ID:FsSmrfbY0
12回も打ち固めた、凝った造り何で、もっと古いのが出そう、
211 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:40:09.03 ID:OyuJcRvM0
>>202 ×勝手に「天皇陵」指定して、勝手に土地搾取する天皇って一体・・・
○勝手に「天皇陵」指定して、勝手に土地搾取する宮内庁って一体・・・
212 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:44:30.80 ID:NXYwJ/Nd0
この時代にエベンキを絶滅させていれば世界中が平和になってたかもしれないな。
>>202 搾取って・・・?もともと天皇のもんだったのに
>>194 「日本書紀」には
天国排開広庭天皇十四年六月(あめくにおしはらきひろにはのすめらみこと・欽明天皇14年陰暦6月・西暦553年たぶん7月ごろ)、
百済に対し、「医博士・易博士・暦博士等の番交代のための要員と、占いの本、暦の本、薬を献上するように」との勅を出し
同十五年二月(西暦554年たぶん三月ごろ)、百済は勅されたものを奉った、とある。
もたらされるって変な言い方だね。
日本書紀にあるのは、朝廷の勅命に従って百済が献上したってことなのにね。
>>205 >1
>7世紀に造られた同古墳群G6号墳の石室内から8月末に出土した
あ、途中で送信してしまった
まいっか。よくわからないな。と書こうとしただけだったし。
216 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 09:56:05.62 ID:z4OVrVPv0
6世紀の太刀に字が刻まれていたくらいで騒ぎ過ぎだと思う。
日本で一番古い住吉神社が福岡市博多区にあるけど、3世紀には既に今の位置にあったらしい。
今は埋立などで内陸地に位置するが当時は海岸沿いにあったようだ。
君が代の発祥地と言われる志賀海神社も2、3世紀にはあったらしい。
福岡に古い歴史を持った神社が多いのはなぜなんだろう。
共通するのは神功皇后を祀っていること。
「具体的な日付が入った例はこれまでなかった」
ニュースバリューはここだけか。
>>216 文字が刻まれてたから騒がれてるんじゃなくて、
中国の暦を使った最古の例だから、騒がれてるんだろ・・・
もしかして閏月が挟まるから月日の方の十二支十干がズレるのかな
それで西暦570年と分かるのかも。
数学苦手だからわかんねーやw
>>72 南宋から献上されたでは具合がわるいんで、献上って使いたいから属国からということにしたんじゃないの
仏像が南宋式を百済式、北魏式を新羅式と呼ぶルールみたいだし
222 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 10:29:04.49 ID:MtFvODLXO
(-_-;)y-~
書紀に一致なら書紀が破綻する
>>221 >献上ってつかいたいから
鑑真和尚の立場やいかにw
224 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 10:33:39.03 ID:OyuJcRvM0
>「庚寅(こういん)」「正月六日」 日付入りの大刀出土
去年(2010年)の干支が庚寅だった。
暦が間違ってなければ(多少ズレがあったとしてもおそらく前後数年)
1440年後・24回目の庚寅年。
225 :
弁天:2011/09/22(木) 10:34:43.39 ID:7UjniFbA0
庚年は禿げ多数
227 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 10:41:31.02 ID:cVJoq93u0
書紀の内容の紹介をするのに
アサピーちゃんは、書紀に素直に従った「献上」の類の意味の表現を、「使いたくなかった」んだろう。
くだらんなぁ。
あ、書紀に献上という語が書いてあるのではないのであしからず。
229 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 11:17:27.72 ID:z4OVrVPv0
23日に一般向けの説明会があるみたい
ライドついでに行くか。
ライド日和になるといいな。
>>228 暦の本が献上(ホントかどうか知らんが)されたからと言って、「暦が献上」とは言わないだろ。
実質的には、どういう形であれ暦のシステムが伝わったんだから、伝来したとしか言えない。
武力的に優位に立ちながら、文化的には受容する立場にあることは、歴史上よくあること。
ギリシアに対するマケドニア&ローマとか、
ローマに対するゲルマン諸族とか、
モンゴルに対する宋(他)とか。
神の手
233 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 12:49:20.15 ID:MtFvODLXO
(-_-;)y-~
>>222 我ながら意味不明…
なんというか、古田武彦読んでくれ。
一言では言えん。
234 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 12:58:02.79 ID:GsmOUSy70
九州=倭国
畿内=NOT倭国
っていうのも一理あると思うけど。
>>172 そりゃあそう。古来、日本において星は「神様」じゃなかったから。
何かというと「天に昇った死者の目」。
だから、星をうたった短歌も極めて少ない。うたうもんじゃないという理由から。
236 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 13:13:22.12 ID:MtFvODLXO
(-_-;)
東堤(魚偏に是)國っても謎だらけ。
その王家は神倭族(神武系統)に滅ぼされた後、
その末裔が畿内にいるのかどうか、凄く気になる。
DNAで見つからんもんかな?
237 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 13:18:00.86 ID:fF1rCpAW0
王朝の側から見れば、物が送られれば「献上された」人がやってくれば「呼び寄せた」
みたいな表現になるんじゃないのかな
日本書紀に限らず
>>235 へー、勉強になった
目だったんだ
238 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 13:19:26.17 ID:sndJ9+QC0
ジャップは朝鮮人に日付とか教えてもらっていたのか
>>235 星を「天に昇った死者の目」とした根拠はなに?妄想?
240 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/09/22(木) 13:24:02.05 ID:1Um7jrUrO
>>238 百済人と朝鮮人は別物ですよ。
百済人の末裔は今は関東に住んでるし。
241 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 13:26:24.42 ID:bbCEBf2H0
>>236 神武系統は元々畿内出身だよ。
何らかの権力闘争で一時九州にいわば左遷された。
そして製鉄先進国の九州で力を蓄え中央への返り咲きを果たしたのが神武の東征。
だから熊野や吉野の豪族が神武帝に付き従ったのさ。
どこの馬の骨かわからない侵略者だったらアシナガヒコに負けてボロボロになった者に熊野や吉野の人々は従ったりしない。
242 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 13:30:07.81 ID:GsmOUSy70
>>241 神武天皇は生まれも育ちも宮崎人です。
東征のときに発した「この国をどげんかせんといかん」は有名です。
神武の日向は宮崎だったのかもしれない
と考えると侵攻ルートからして神武のグループは主力ではなかったような気がする
「助太刀いたす」とかいってくっついてきた部隊が最終的に主導権を握って
まるで最初から自分が大将であったような顔をしはじめたのかもしれない
244 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 13:40:01.62 ID:GsmOUSy70
東征とは、倭国の大移動のことかもしれない。
倭国のもってる文明の力で畿内を支配していったのかもしれない。
>>243 なるほど。良い着眼点だ。
長兄も死んでるしな。
246 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 13:45:58.05 ID:GsmOUSy70
神武天皇の兄弟たちは、倭国の豪族たちのここと思う。
戦いに破れた豪族、地元に残った豪族、
最終的に神武天皇率いる豪族が畿内に入ったのだろう。
247 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 13:59:48.32 ID:1edQYt710
百済新羅が日系だろうがなかろうが
現在の朝鮮人の祖先だろうがなかろうが
平日昼間に2ちゃんやってるキモネトウヨとは無関係。
>>241 > だから熊野や吉野の豪族が神武帝に付き従ったのさ。
今年の台風は、そこいらの人や地域にとってはきつかったな
250 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 14:12:09.43 ID:owh+f1FF0
神武天皇の兄稲飯命(イナヒノミコト)が新羅(斯蘆)を建国?
・『新撰姓氏録』に新羅初代王は神武天皇の兄、稲飯命(イナヒノミコト)とある。
・高麗国書『三国史記』に、3王家(朴、昔、金、各氏とも)の起源伝説全てに日本人が係わっている旨、記されている。
・382年新羅王楼寒(金奈勿)の前秦朝貢に於いて、斯蘆国は新羅の前身と称した
斯蘆国の朴氏BC57年、昔氏AD57年、新羅と呼称する金氏AD356年に成立。
神武天皇の時代は紀元前一世紀だったのか?
>>235 >天に昇った死者の目
なんか厨二っぽいw
お前のラノベじゃねえの?w
252 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 14:17:55.05 ID:xYEd+io10
荒淫矢野ゴト師
>>206 既に卑弥呼以前の西暦57年に奴国の役人が漢字使用してたしな、もちろん一般庶民が使用したわけではないが
漢字そのものは遥か昔に日本にやってきている。文字として一般人が使用するようになると言うのとはまた別問題。
百済には楽浪郡系統の漢人、和人、扶余(百済国民の多数を占めるツングース系諸族で高句麗から分かれる)
が入り乱れて暮らしていた。
加羅諸国にはそのもの和人が住んでいた。
新羅にはワイ族(これも高句麗から分かれたツングース系諸族で狩猟民族)と楽浪郡系統の漢人が住んでいた。
高句麗には高句麗人が住んでいた。
馬韓・弁韓・辰韓の時はこれらの民族がそれぞれ小さな国を作って存在していたが。やがて統一される。
最も文明が優れていたのは高句麗。中原に一番近いからね。でもむしろ満州の国家。
北には楽浪郡があり漢人が住んでいた。彼らは漢字を使用し日本にも渡来。北朝鮮に楽浪郡の遺跡があるが
そこから漢人の遺物が大量に発見されており当時の新羅とは比べ物にならないほど文明が発展していた事が分かっている。
楽浪郡が当時の半島の諸国家を完全に超越した存在である事が判明している。
楽浪郡が隆盛を極めた時期に半島で漢字が発見されたのは漢人の住む楽浪郡のみ。
ただし高句麗は除く・・・と言いたいところだが高句麗の本拠地は半島には無いので割愛。
北朝鮮の楽浪郡跡からは大量の漢字が発見されており日本に漢字をもたらした王仁の出身氏族の
王氏の名前も見つかっている。
七支刀ほどなんのために作ったのか理解に苦しむ剣はないな。
>>254 ワイ族が新羅王朝人ではなく、途中から新羅国を乗っ取ったはず。
くだらん仮説はもういい。全て記紀が真実。
259 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 16:30:23.54 ID:owh+f1FF0
そう前漢の北朝鮮進出、植民地楽浪郡創設以前の朝鮮は、
特に南部の辰国と日本は中華文明とは縁のない民が暮らしていたということです。
春秋戦国期の中国が呼んだ東夷の海人族倭人の一部である、半島原住民の朝鮮倭人(父系Y染色体でいうとY-O2b*-P49)がそれです。
Y-O2b系の出自はスンダランドで(今でもインドネシアに最大分布)で彼らは氷河期終焉と共に熱帯ジャポニカ陸稲(長江で温帯ジャポニカ水稲に変異)を携え北上。
長江文明が黄河文明(Y-O3系か?)に滅ぼされると華南から海路半島に渡ったと思われます。
日本に渡ったのはやはり長江の水稲を携えた弥生人(Y-O2b1a-47z)である(長江下流の人骨・水稲と弥生期日本の物は遺伝的にも近似と考察されている)。
弥生人は先住の縄文人(Y-D・E-YAP+でチベットと環地中海にしか残っていないとても古い特殊なグループY-D2系)と平和裏に混血していったようです(優勢であるはずの弥生遺伝子の方が少ない)。
紀元前の日本と朝鮮南部は、漢族や北方部族とは全く縁のない出自のグループのようです。
それに対し満州と北朝鮮は2千5百年前から漢族(Y-O3系)と北方部族(Y-C3シベリア・バイカル系)の闘争の場でありました。
260 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 16:40:51.42 ID:z4OVrVPv0
チョンは自分の起源ぐらい調べろよ
>>260 他からパクって捏造して起源のするニダ!
262 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 16:58:41.33 ID:owh+f1FF0
記紀が真実とするとこれもそう
<スサノオが新羅を建国した伝説>>
・『日本書紀』高天原から放逐されたスサノオは新羅に天下り国を興したが、そこになじめず出雲に渡った。
・高麗国書『三国史記』新羅三王家の出自伝説全てに日本人が係わっている。
・382年新羅王楼寒(金奈勿)の前秦朝貢に於いて、斯蘆国は新羅の前身と称した。
・高天原の木の種子(水稲もか?)を携え父スサノオに同行したイタケル(五十猛、イタキソ)はのちに日本全国を巡って種子を蒔いた(寒冷な半島では根付かなかった)。
・まだ低温耐性が備わっていなかったジャポニカ水稲は寒冷な朝鮮半島では育たなかったのだろう。
・出雲から越後(出雲崎)にかけた日本海側だけに残されている四隅突出型墳丘墓だが、それに遅れること旧新羅・高句麗の地でも同様のものが発見されている。(もちろん朝鮮学派はこれを無視)
・イタケル(スサノオの息子、高天原の木の実を日本中に撒いた)漂着神話が同様に出雲から越後にかけて多く残っている。(太平洋岸にも、木の国、伊豆、相模など)
<三種の神器「草薙剣」まで略奪?>
・『日本書紀』668年(天智天皇七年)新羅王族を称する新羅僧「道行」は、草薙剣を熱田神宮から盗み出し新羅に持ち帰ろうとした。
・道行はその動機を「霊験あらたかな草薙剣を盗んで新羅の物にすれば、その神通力で新羅が強国になることができるから」と証言したという。もちろん、草薙剣が新羅建国の祖須佐之男命の持ち物だったこともあっただろう。
・また、『新撰姓氏録』には新羅初代王は神武天皇の兄、稲飯命(イナヒノミコト)ともある。
・そして王氏高麗国書の『三国史記』は新羅三王家の出自全てに日本人が関与したと伝えている。
当時「新羅は日本の神が建国した国」ということが世間の常識であったということだ。
ちなみに道行が、嵐を神罰と恐れ剣を放り出した地が大阪の放出(はなてん)なのだという。
263 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 17:07:13.34 ID:MtFvODLXO
(-_-;)y-~
>>241 神武は九州王朝九州育ちの九州人。
神倭とつけているから。
>>231 日本書紀には「どういう形で伝わったのか分からない」「とにかく伝来した」なんて
書かれてないよ。
267 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 21:08:40.82 ID:C680cMNH0
保守
268 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 21:10:54.47 ID:FHaO1++G0
日本の古墳は朝鮮半島にもあって日本人が住んでいたこと、
日本が朝鮮半島南部を支配していたことを裏付ける
269 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 21:44:33.23 ID:yvcgaYmR0
正倉院の直刀は戦争に使われて大分なくなったそうだ。聖武天皇の時代以後の話だが、それより200年くらい前だから製刀の技術もほぼ同じようなものか。
刀は製鉄、鍛造、熱処理、などがあり、平安時代に技術は完成し以後は堕落するばかりという。
京都の砥石は平安京になって使われたが鎌倉時代に後鳥羽上皇などがおおいに評価した。
砥石は刃物に大事で京都の砥石がつかわれて初めて切れ味が本物になった。
六世紀の刀はなんの砥石で研磨したか興味があります。要するに刀は刃物で、切れないと話にならない。
昔、世界残酷物語という映画があり、グルカナイフでいけにえの牛の首を切り落とす。ものすごい切れ味だが、あれは叩き切っているので、鋭利かどうかわからない。グルカナイフの材料は多分、古いトラックなどのスプリングだ。
270 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 21:46:39.37 ID:FSuwrSUSO
刈谷俊介さんがいそう
271 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 21:49:38.76 ID:AxGZL6fUO
>>119 あなたの大学が移転して
六本松校舎が取り壊される時は凄かったですね
学内から「部落解放運動」とか「従軍慰安婦」だのポスターや垂れ幕がわんさか
工事関係者や通行人がドン引きでしたよ
273 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 22:45:02.22 ID:C680cMNH0
>>272 六本松でそれなら医学部は何が出てくるかわからんねw
周りがモロあれだからw
274 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 22:48:37.80 ID:bXtW6xCl0
六本松はず〜っと校門前にその手の看板出しっぱなしだったから
近隣住人なら何をいまさらですがな
工事関係者は遠くからやってきてドン引きだったかもね
275 :
名無しさん@12周年:2011/09/22(木) 23:20:53.73 ID:3h5wM8PU0
世界最古の修学旅行土産
>>268 古代日本に特有の、前方後円墳が朝鮮で出土したとき、
鮮人は歓喜雀躍して発掘しだした。
これぞ古朝鮮による、和(倭)支配の痕跡だってね。
朝鮮式前方後円墳が、和に広まったんだって。
ところが朝鮮の前方後円墳の方が、日本の前方後円墳より新しかった。
事実は、古代和の前方後円墳が、朝鮮広まったのだった。
鮮人は発掘した前方後円墳を埋めてしまい、様々な不自然な解釈を加えて、無かったことにした。
277 :
名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 00:54:33.92 ID:2Q0mxRPe0
>>276 そこで、自分たちこそが侵略者だとは思わなかったのか?
>>277 何でもオリジナルは自分たちだって言いたがる人たちだし
280 :
名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 10:43:43.61 ID:C79qDiEq0
今の韓国人には何の関係もない朝鮮王室儀軌のレプリカも欲しがるしねw
それにしても日本国は昔から質素いうかビンボーだよなー
古墳の出土品いうても、錆びた剣、割れた鏡に欠けた勾玉にハニワww
ツタンカーメンの財宝と比較すると笑ってしまう
4大文明と極東の島国を比べてやんなよw
そう言うなよ。
剣も鏡も冠も、埋葬当時はギラギラ輝いていたはずなんだしさ。
日本の土壌ではこうなる運命。
284 :
名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 12:34:52.42 ID:C79qDiEq0
日本にあった大量の金は日中戦争の時にアメリカから重油を買って煙となって消えた。
285 :
名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 12:45:44.13 ID:smRbNHSU0
286 :
上総人:2011/09/23(金) 13:00:18.57 ID:/RDM1BMw0
「王賜銘」鉄剣 於 千葉県 市原市 稲荷台一号古墳
王仁が日本に渡来した時期には半島で漢字の遺物はほぼ無い。あるのは楽浪郡の漢人居住地のみ。
もうひとつは高句麗(しかし高句麗は半島の国家とは言い難い)
だから定着していない物を伝えることは不可能。
正直言うと列島と半島の当時の文化レベルはドングリの背比べに等しい。
どちらかが一方的に優れていたわけでもなくほぼ同等。楽浪郡を除けば高句麗が頭一つ抜けているだけで
馬韓・弁韓・辰韓・日本に差は無い。当時の辰韓(後の新羅の前身)の建築物や発掘された遺跡のレベルは
列島と大差が無い。農耕技術に至っては明らかに日本の方が優れていたぐらいだ。
半島へ稲作は日本からもたらされたんだよ。
288 :
名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 16:09:49.01 ID:uq19k0wP0
>「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□(1字不明、練か)」の19文字が、たがねで彫った文字に金や
>銀を埋め込む象眼という技法で記されていた。
150文字もの金象嵌が刻まれた5世紀の埼玉鉄剣が見つかった埼玉県民の俺様からいわせれば、
この程度の発見は大したことではない。
何しろ、埼玉鉄剣によって日本の歴史のミッシングリンクと言われていた5世紀の日本の全貌が判ったのだからな。
まさに神話が歴史事実とつながった瞬間だった。
なので、たかが19文字程度で騒いでるんじゃないよ。
太刀の作られたのが聖徳太子の生まれる4年前
となるとこの埋葬された豪族は聖徳太子の時代に福岡に生きていた
時期的にも新羅征伐(600年)で亡くなったか、武功を上げた人なのかもしれないね
290 :
名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 20:31:37.71 ID:2Q0mxRPe0
聖徳太子も九州の人
>>288 埼玉人は数にこだわりすぎw
>>1の意義は、文字数ではなく記載内容の正確さなのだよ。
日の干支が、年の干支から考えて中国暦と正確に符合することが、最大のポイント。
つまりちゃんと暦をカウントできる人がいたということ。
埼玉の例の鉄剣は、暦がいい加減なので、本当に5世紀かも実は怪しい。
本当に怪しいのは、「七月」という記載が「存在すること」で、
中国暦を正確に受容していないのに、七月って一体何時のこと?という問題が生じ得る。
(暦をちゃんと使いこなせないと、(陰暦の場合)今の満月が何月の15日なのか、実は分からない)
だから、531年説も依然として残ると俺は思うし、
「辛亥という年の干支が出鱈目」という可能性すら残ると理解している(正確さを裏付けようがない)
それはさておき、埼玉人は、数自慢のしすぎだ。
古墳最大数は埼玉だから、古墳時代の日本の中心は埼玉だという珍説すら目にしたことがある。
古墳大杉は、むしろ辺境の証なのだがねえ。
292 :
名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 21:53:51.13 ID:vbBwevwB0
]
294 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 16:03:46.08 ID:a/M+tJDH0
近くだから見に行けばよかったw
>>273 そんなものより、医学部にはもっと見せられないものが
だから、ずっと古い建物を壊さなかったとか何とか
あれ? こんな時間に誰だろう? 玄関のチャイムが
296 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 16:11:44.38 ID:b/0PC1LJO
しかし日本は本当に刀剣の出土が多いな
298 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 16:38:23.53 ID:qdKPAT660
対宋貿易のおもな輸出品は日本刀だが一本も中国に残っていない。清龍トウに改造したらしい。
日本は美意識が違うから刀に特別な価値を認める。中国は切れればよく、美しい、青年のイメージは
ない。日本は根本にホモがあるみたい。
299 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 16:45:59.90 ID:A+Ac5W0j0
>>290 聖徳太子も謎に包まれた人だから、そうかもしれない。
ソドンヨの兄貴とも親交があったし、
新羅、福岡なら近所だもんな。
300 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 16:53:06.92 ID:A+Ac5W0j0
馬韓人かもしれないな。うまやどのおうじは、それ絡みか?
301 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 17:00:10.94 ID:A+Ac5W0j0
馬韓が滅ぼされ、南方の倭の国(福岡)に移住。
聖徳太子は、百済から仏教伝来。百済は昔の馬韓。
302 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 17:12:05.39 ID:qdbyRmFpO
>>298 日本刀も古い物は磨り上げして太刀を打刀にしたりして完全に完成時の姿で残る物は少ないぞ。
戦国時代以前の日本刀は実用品だからな。
刀に美術的価値が求められる様になったのは江戸時代になってから。
庚寅矢の如し
天皇家だって私有地を過去に搾取され続けたんだよな
今じゃ勝手に国有地にされちまったし w
305 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 17:52:44.30 ID:qdKPAT660
>>302馬鹿言ってはいけない、草薙の剣は刀の持つ不思議な力の話だ。義経はウスミドリという刀で強盗を退治した。
刀が完成した平安時代には名刀には人格みたいなものを認めた。
Excaliberはアーサー王の名剣だがこれも魔法だという。 日本はヨーロッパに近い感覚を刃物に持つ。
306 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 18:22:43.43 ID:TKWfQcZo0
日本人は暦も無かったのか
307 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 18:58:54.60 ID:Z6sk4BlD0
古代朝鮮語は存在しない
朝鮮古代語の資料は存在しない。そこで現代の朝鮮語と古代日本の原資料を比較することになる。
現代の朝鮮語を古代朝鮮語と偽っているのである。したがって研究の方法論として不正であり全く
馬鹿げていることが分かる。
朝鮮のもっとも古い歴史記録である三国史など12世紀までしか遡ることはできない。
いまでも百年前の話がはっきりしないのに、中世において一千年近い昔のことなど分かるわけがない。
以上から古代朝鮮語はあったであろうが現存はしない。だから比較検討はできない。
したがって両者の類似性を論じるのは時間の無駄であることを知っておきたい。
308 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 19:03:44.51 ID:1e4gfdvb0
欽明帝の任那奪還拠点だったんだろうな。
暦は応神の南朝に交渉した時には王朝として使用していただろうし、
卑弥呼の難升米、九州出先機関も知っていたろうな。
それにしても、大型青銅鈴は気になるなぁ。
用途と埋葬の意味。
軍の指揮用も物としたら、大和の派遣将軍だった可能性もある。
309 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 19:41:05.40 ID:qdKPAT660
日本には暦はなかった。明日、明後日、しあさって、ごあさって(やなあさって)
もうそのくらいでよろしい。来週なんてないから実に簡素なものでそれでまったくよろしい。
春夏秋冬くらいの間隔はあったがいつが新年か、今年が何年か、関係ない。いいな。
310 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 20:07:29.91 ID:hDjIP6So0
そんな大雑把じゃ農耕できないだろ
農耕が始まったときからなんらかの暦はあった
ただその暦じゃ中国と話が通じないから
6世紀に中国式の暦を導入したってことだろう
明治になってグレゴリオ暦を導入したと言うのと一緒
>>309 日本は米作りの民族だから、太陽暦を作るか輸入するかして、使用していたと思われる。
太陰暦ベースでは、日にちのズレが大きすぎて、農業の役に立たない。
初期には一年を二年分で勘定しているそうだが(倍年説、二倍年暦)、
これは米の二期作が当たり前に行われる地域に、皇室の本拠地があったから。
(近代や現代は、高知県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県で米の二期作が行われている)
312 :
名無しさん@12周年:2011/09/24(土) 20:41:35.41 ID:91VNvf+d0
このスレの朝鮮半島史の部分を読むと、李氏朝鮮以前ってなんか雑多な集団が椅子取りゲームをずっとしていたイメージになるw
>>311 倍年はトンデモ中のトンデモ。ただの牽強付会だよ。
>>313 そうだよなあ。倍年が合理性を持ち得るのは、「夏作物と冬作物の二毛作」であって、
同一作物の二期作は、倍年とは実は相性が悪い。
これは当たり前の話で、稲の二期作なら、生育期が暖候期側に偏ってしまうから、
収穫ごとに年をカウントすると、年の長短が出鱈目になって「年」の機能を果たさない。
>>310 俺は、「ローマの最古の暦」に近い暦だったのではないかと思っている。
春分頃に暦が始まり、冬至頃に暦が終わる。冬の間は暦が無い。
神道の祭礼は、祈年祭に始まり、新嘗祭に終わる。多分これが名残だろう。
これで西南日本なら農耕は出来る(東北だと春が早すぎるけれど)
中国式の正月(新春)は、あとから割り込んできた。正月と中元の道教儀礼が割り込んで、
中国暦準拠の「(旧暦)盆正月」として席捲してしまい、倍年のように見えるだけだろう。
>>314 でも昔は昼と夜で一刻の長さが違ったじゃん
コーマンやりたおし
>>312 なるも何も全くその通りだから
韓国人の話しを聞と5000年間韓国が椅子に座り続けていたように思えちゃうけどなw
弥生や縄文(後期、晩期)に、月と日は刻んでいたろう事は確か。
縄文は、貝(の養殖)、木の実、魚など採取の種類とその時期と
吉凶、または他集落との競争、合同で必要。
集落が大型化すれば、人を動かす事になるから政として本格的な刻みが始まる。
土器、黒曜石他、交易にも必要。
弥生は当然、海洋貿易で刻んでなければ死ぬし、
とうちゃん月が満ち欠けて三つでも帰ってこない。どうしたんだろ?とかある。
また、種まき月、収穫月は農耕の基本だろ。
年内は自然に出来る。問題は、磯城島の大王がおられた時に、として
過去の事柄が何時か?の歴史としての暦を必要とするに及んで
支那の暦を借用し始めた。と見ていいだろ。
319 :
名無しさん@12周年:2011/09/25(日) 19:40:50.24 ID:oGhAR+un0
保守
320 :
名無しさん@12周年:2011/09/25(日) 19:42:30.86 ID:k1hRyi9+0
肛淫矢の如し、か。
>>305 祭具としての刀剣なんて、別に日本に限ったことじゃないじゃん。
口淫吹き矢のごとし
324 :
名無しさん@12周年:
いやん馬韓