【原発問題】水木しげるさん、32年前に福島第一原発を描いていた ずさんな管理態勢などを迫力ある筆致で表現

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111名無しさん@12周年
水木少年の配下にいつもいじめられているおとなしい子供がいた。
しかし戦後、水木しげるが復員してみると彼は材木会社の社長になり、手広く商売をしていた。
後でわかったが、実は彼は朝鮮人であった。」

いい話だ。こういう話は差別されている子供たちの励みにもなる。編集者もそう言い、私もそう思った。
こういう逸話をもっと書いてもらいたいね。私はまた原稿を持って水木のもとへ出かけた。

「水木さん、これはいい話ですね。こういう話はもうありませんか」
「いくらでもありますよ」
「じゃ、それを書き足して下さい」

一週間後、私は加筆原稿を受け取りに行った。受け取った原稿を読んで、私は死ぬほど笑い転げた。原稿にはこんなことが書かれていた。

「三組の田中も実は朝鮮人だった。六年生の加藤も実は朝鮮人だった。弟の同組生の山田も実は朝鮮人だった。隣町の中村も実は・・・」

私と編集者が求めている「こういう話」が「そういう話」ではないことは。ことわるまでもなかろう。(呉智英)