菅直人首相が原発対応拠点のJヴィレッジを激励に訪れたその日も、彼は
現場で働いていた。その作業服の背中には、「菅直人1回現場に来てみろよ」
とある。震災から4か月以上経ち、いま明かされる「フクシマ50」の素顔。
原発でともに作業するフリーライター・鈴木智彦氏の、刮目レポートである。
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俗にいう「フクシマ50」の定義はひどく曖昧だが、一般的には、「東京電力
福島第一原発(以下1F)の1号機および3号機が立て続けに水素爆発をした後、
1Fに残った職員・作業員」となる。最初に残った約70人に、事故直後に加わった
人たちを含めそう呼ぶ。
東電は免震重要棟で指揮を執る吉田昌郎所長以外の「フクシマ50」を、
プライバシー保護を理由に公開していない。東電社員の内訳、協力企業の人数や
年齢、支給された危険手当の金額など、よく分かっていない部分が多い。
東電としてはフクシマ50を英雄のまま曖昧な存在にしておきたい。一方の
フクシマ50にしても、守秘義務からか、おおかた口が堅い。私はそのうち4人を
知っているが、フクシマ50だとカミングアウトすることをためらっている。
そのうちの若いひとりを、佐藤としておこう。彼は3号機が水素爆発した直後、
1Fへの“召集令状”を受け取り、地獄絵図の中に降り立った協力会社幹部だ。
「社長は上会社から『死んでもいい人間を用意してくれ』といわれていたらしい。
社長、もじもじしてて、なかなか『行け』といわなかったですね。だから志願
しました。だってうちの社長、熱い人だから自分が行っちゃいそうだったんで。
社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりはいますから」
もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで原発を生活の糧にしてきた
贖罪だったわけでもない。
>>2以降に続く
ソース:
http://www.news-postseven.com/archives/20110801_27210.html