【建築】平安時代に81メートルの高さを誇った「法勝寺八角九重塔」 CGで復元
1 :
西独逸φ ★:
シンボルタワーはどっしり型? 平安時代の京都にそびえた「法勝寺八角九重塔」(京都市左京区岡崎)跡で
昨年行われた発掘調査をもとに、滋賀県立大の冨島義幸教授(日本建築史)らのグループが、塔の復元CG
(コンピューターグラフィックス)を制作した。
屋根に瓦がふかれていたことが分かったため、従来の復元模型より重量感のあるデザインとなった。
これまで文献などから九重塔は桧皮葺(ひわだぶき)と考えられていた。
1994年に造られ、京都アスニー(中京区)に展示されている模型も桧皮葺にしてある。
昨年春、京都市埋蔵文化財研究所が塔の跡で初めて発掘調査を実施。巨石を大量に埋め込んだ基礎部分とともに
多くの瓦類が出土し、瓦葺きだったとみられるなど新たな発見があった。
冨島教授は京都大の大学院生の時、京都アスニーの復元模型の設計を手がけた。その後も文献調査など塔の
研究を続けており、発掘成果が明らかになったのをきっかけに学生らと新たな復元制作を進めていた。
新たな復元では、瓦の重量を考慮して軒先の張り出しを従来の模型より短くしたほか、基壇部分の直径が
32メートルと発掘前までの想定より数メートル長かったことを反映して安定性のある構造にした。
冨島教授は「新たな発見があれば学説も進化する。今回の復元が新たな学説のたたき台になれば」と話している。
【法勝寺の八角九重塔】 白河天皇が1083(永保3)年に建立。東寺五重塔(54メートル)を上回る81メートルの
高さを誇ったとされる。落雷や地震の被害を受け、室町時代初期に焼失して以後、再建されなかった。
昨年の発掘調査で塔の地盤改良跡が約850平方メートルにも及ぶなど、大規模な工事が行われていたことが
明らかになっている。
ソース
京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110728000081 【画像】CGで復元した八角九重塔。かわらぶきのためどっしりした姿に
http://www.kyoto-np.co.jp/picture/2011/07/20110728124223IP110727TAN000193000_003.jpg
また、ジャップの捏造か。
平安人ぱねえwww
マイホーム・デザイナーで出来ました。
5 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 18:50:49.38 ID:9geF2npk0
ぱねえけど、
一番上の10Mくらいずるい気もするw
そんなもの誰も興味ない。
日本人は昔から凄いね〜
法勝寺町って土地空いてるんだし復活させろよ
また、ネトウヨの妄想かwww
中国で見たことあるような感じの建造物だな
縄文時代に高さ300mを誇った出雲大社にくらべればw
13 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 18:54:48.92 ID:a2saPvih0
面白いから再建してみようよ。
1000円くらいならお金だすぜ。
日本の木造建築は世界一ィィィィ!!
あれは、ウリナラ伝統の百済塔ニダ
16 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 18:55:26.91 ID:AOjvJWdD0
もろ中国の影響受けて作ったって感じだな
何度数えても十重だ
>>1 陶塔じゃねーか
これで世界中の希少資源は全部日本のもの
ぽゎんぽゎんぽゎんぽゎんぽゎん?
かっきゅっきょ
奈良の大仏堂も
考えられんくらい計算されつくした驚きの技術で建てられた木造建築
あのデカさを、あの瓦の量を支える建築技術
>2には到底想像すら出来ない高度な建築技術
わざわざ中国から各種職人を呼び
技術を伝授された日本の職人達が日本の技術との融合によって
その後の日本建築文化を支える礎に
20 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 18:58:21.05 ID:PGNy8hbg0
アスニー!
前、NHKで奈良時代に中国を真似て八角塔を立てようとしたが、技術的に難しくて途中で頓挫したとかやってたよ。
平安時代になると技術的に可能になったんだね。
人のシルエットくらい描けよと
スケール感全然無いし
九重の塔は韓国起源ニダ
>>13 現代では柱材の調達が難しいんじゃないか
それに寺社建築だから、伽藍全体を復元して寺院そのものを復活させないと格好がつかないし
>>5 仏教的には一番上の10Mが最重要。あとは飾りだよ。
26 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:06:44.21 ID:tM1/b3vtP
八重で80mはないだろ
人間の技術力すげえな
29 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:08:44.60 ID:tEC/uIk30
美を感じない塔だな、中国その物だ!
30 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:12:56.33 ID:Sdw6i3jQ0
出雲太郎
大和次郎
京三郎
マンション30階位
この時代の建築物って中国から伝わったまんまの形をしてるな
34 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:15:22.63 ID:v1nyIvuF0
30階近くの建物かよ、嘘臭いなw
35 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:15:46.76 ID:Sdw6i3jQ0
>>21 >前、NHKで奈良時代に中国を真似て八角塔を立てようとしたが、技術的に難しくて途中で頓挫したとかやってたよ。
奈良時代にはもう、大陸から技術者を招くこともなくなってたのかな。
たぶん、法隆寺の塔とかを建てた渡来人技術者の子孫が担当したんだろうね。
37 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:18:50.17 ID:vss6FP0X0
38 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:21:27.59 ID:dCBCR8+M0
こんな花火があった気がしない訳でもない様な
39 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:22:26.49 ID:S71EEIGu0
木造建築では、日本は最高の技術を持ってただろうし
それは、仏教伝来のはるか前からのことである
40 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:24:19.72 ID:Ye5pM+w4O
19世紀まで土人の国だったのに、ありえねーw
41 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:26:05.77 ID:/iVOMZ/Q0
42 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2011/07/28(木) 19:27:45.96 ID:2z8IJAPtO
東大寺は100Mの塔復元するんだろ
43 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:29:03.35 ID:/iVOMZ/Q0
実はこういう巨大な塔は結構沢山あったんだよな。
ただ、ことごとく雷の餌食になってなかなか後世に残らんけどw
44 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:30:22.09 ID:JQb5Sf1pO
>38
あったあった
最初は平たくて、火をつけるとくるくる回って最後に塔がおっ立つヤツ
そして放置するとそのまま塔が大炎上する
46 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:30:45.90 ID:1PaA9LvG0
出雲大社の空中神殿なんて例もあるから本当なんだろうな
ただこの空中神殿は欠陥品で「(大きすぎたため)風もないのに倒壊」という結果が残ってるw
47 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:32:27.59 ID:NzQ7bVuj0
出雲大社も昔はバカデカイ建物らしいけど、なんかだかなぁ…
48 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:35:17.36 ID:JQb5Sf1pO
49 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:38:42.54 ID:yKXcvEAd0
大相撲八角九重党
ヤオチョーですか?
CGだから好き勝手できる。実存しなかった物でもできる。
平安神宮のあるあたりだ
おまいら修学旅行で行っただろ?
52 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:39:22.23 ID:NccMHXRnO
正直、木造でこんなの出来るのか?って気はするな。
53 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:40:46.58 ID:h6Itkm1v0
中には、お釈迦さまの骨が入ってるそうですが
そんなにいっぱいないはずです。どうやって増やしてますか?
54 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:41:09.86 ID:/iVOMZ/Q0
>>52 ん?この塔の実在と大きさに関して争いなんてないはずだけどね。
55 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:41:28.17 ID:wR9rm18s0
56 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:45:06.71 ID:JQb5Sf1pO
>>53 仏舎利は安泰な世には増える
『東宝記』には4000粒以上を勘定したことが記されている
57 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:45:44.04 ID:dlBNSIC40
芯柱はどうやって継いだんだろ
58 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:48:12.22 ID:MY3WgIv20
チョンが嫉妬してるなw
59 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:48:16.28 ID:5Z9dh3550
1F以外はコピペか
と思ったが1Fの上部分を使っているなw
作家の高橋克彦は
古代の高層建築は
ロケットへのオマージュだと書いてるな
61 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:50:43.42 ID:Jq4u/xsiO
復元しる!
62 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:51:38.56 ID:YH+7cFQJ0
仏舎利とか、ヨーロッパの聖遺物って、
昔のマルチ商法みたいなもんだよな。
63 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:53:05.19 ID:/iVOMZ/Q0
>>62 そらそうよ。
宗教ってのは商売だからね。
64 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:53:26.15 ID:Ospm5JYP0
ちゃんと瓦とか出土してるし、土台もわかってるから
再現はしやすいだろうな
65 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:54:25.98 ID:dlBNSIC40
66 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:54:28.19 ID:AJyIMwGh0
寺社ってのは、なんとなく美しく見えるように、幾何学的な対称じゃなくて、わざとデフォルメさせているって聴いた事があるけど、こう言うのってどうなのかな。
68 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:55:37.56 ID:Jq4u/xsiO
東大寺の東塔復元か!
また朝鮮人の嫉妬か
70 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:56:41.79 ID:2ljO+AFE0
すげえ
ちゃんと避雷針も付いてるし
>>19 それでも当時からすると小さくなってるんだよね。
72 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:57:51.86 ID:hURNpgjLP
本当にネトウヨは、ねつ造が好きだな
世界最古の木造建築は、どこの国にあるんだ
世界最大の木造建築は、どこの国にあるんだ
考えなくても解るだろ
73 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 19:58:40.63 ID:0zjQjr5X0
平成ののっそり十兵衛が
ディアゴスティーニ化まだかよ
76 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:00:32.92 ID:MjR/bBq/O
ていうか奈良時代に100m級の建物をボンボン建てる技術力って、やっぱ日本凄すぎだろ。
まあ落雷とか地震とか考慮する方向へいったが。
77 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:01:00.71 ID:qYQwFhU00
古代出雲大社の本殿をマジ復元してくれよ!
78 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:01:11.37 ID:GX7zV6JAO
なぜかファビョってる人がいてワロタ
79 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:01:28.67 ID:R8l2pyIOO
韓国だったら現代の工法でコンクリート製で復元。
それを世界遺産登録申請するも華麗にスルーされる。
日本の観光地はさ、こういうのを作って行こうよ、へんてこなビルを建てたりしないでさ。
「日本は伝統と近代化がミックスして云々......」なんて言うけど、伝統的な物なんて
ほとんど箱庭みたいになっちゃってるじゃん。倉敷なんてさ(これって映画のセットかよ)
ってくらい狭いところをパンフなんかじゃ(全てこんな雰囲気です)みたいな.....
詐欺じゃん。新しくてもいいから、こういう建築を増やしていこうよ。
最高に81!ってヤツだ
82 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:05:49.10 ID:e+TKEAma0
屋根10個あるけど9重なの?
スパルタンxごっこが出来そう。
84 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:07:30.01 ID:JQb5Sf1pO
85 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:08:00.78 ID:6WcqdqlMO
>>79 北南朝鮮は地震ないから耐震性の概念がない。
震度5で崩壊しまくるから。
デパート崩壊や最近の高層ビル振動とか裏付けしてる。
86 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:09:48.13 ID:yvAHTVPh0
>>19 >わざわざ中国から各種職人を呼び
その時代の中国には、巨大な鋳型大仏を造る技術もなければ、
大仏殿のような高層建築を建立する土木技術もないよ。
オールジャパンで造ったものだから。
87 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2011/07/28(木) 20:09:53.80 ID:2z8IJAPtO
>>55 リンク貼れないから東大寺東塔で検索してくれ
れば模型の画像つきの記事が出てくるはず。
うーん凄い・・・
89 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:10:12.16 ID:thFcFFLk0
こんな高い木造の塔で、瓦をふいたら重みに耐えられるのかな?
90 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:10:17.06 ID:EXPmi3WFO
>>76 朝鮮から技師が来た
朝鮮が技術を広めたのだから感謝すべき
ニダ
地震で倒壊したんじゃ意味無い。
92 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:12:39.15 ID:HGEme1VaO
>>35 たしか、西大寺に東大寺クラスの八角を建てようとしたんじゃなかったっけ?
八角が難しいだけじゃなく、そもそも巨大で困難な計画で実現しなかった。
93 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:13:26.88 ID:JiDuYP3HO
巨大建造物は新しい形の権力者が誕生したときに造られやすいんだよな
権力の誇示のために
94 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:13:28.99 ID:/iVOMZ/Q0
95 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:14:28.42 ID:RVrEFi2z0
秦の時代のにこんなやつなかったっけ?
>>19 世界で最も古くから続く企業、金剛組の仕事ですよね?
97 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:18:16.19 ID:DpqTM/hR0
本当にこんなかたちしてたのか?
中華すぎて趣味悪杉。
こんなの絶対に復元しないでくれよ。
98 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:18:39.10 ID:JQb5Sf1pO
>>41 平安時代の源為憲の「口遊(くちずさみ)」という本に書かれている、当時の建築物の背の高い順を謳った数え歌に出てくる
「雲太(出雲大社本殿)・和二(大和東大寺大仏殿)・京三(平安京大極殿)」を創建当時の大きさでみてみたいなぁ。
103 :
名無しさん@十一周年:2011/07/28(木) 20:29:53.19 ID:jKRjmsmO0
本能寺も再建してほしいな
104 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:31:57.53 ID:thFcFFLk0
安土城のてっぺんも八角形だったと聞いたような気がするが、
八角形というのは縁起がいいのか?
105 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:35:44.49 ID:pBWWEGXg0
>>67 西岡棟梁に言わせれば、その模型のようには造れても日本では長く保てないんだそうだ。
乾燥地帯の支那ではあの屋根でもいいらしい。
日本で雨も台風も地震も多くあるので、駄目なんだそうだ。
雲形肘木で屋根の長く伸ばしてるのは雨からの防御だそうだ。
密航者が「先祖が建てたとか、帰化人が建てた」とか言い出すだろうが、そんなもんおらんちゅう話やデ!!
いや、ほんまに。
106 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:36:04.99 ID:MY3WgIv20
>>104 夢殿も八角形だったよね。 「八」という数字はわが国で最高位を占める数字のようで、
八百万の神や江戸の八百八町、大阪の八百八橋というように縁起が良いんじゃね?
>>105 高田好胤管主と西岡棟梁の薬師寺の金堂、西塔など伽藍を復興は凄いよね。
109 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:41:09.67 ID:406S2KhJ0
なんかこんな赤い塔ってイマイチ好きになれんな
>>104 中国でも八は縁起のいい数字
ビルが建つと八十八階は真っ先に売れるくらいの人気
111 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:46:14.34 ID:OjPbRRV30
日本の土木建築技術はローマ並に基地外だな
なのに現代では土建とか忌み嫌われる対象だなマスコミのおかげで
112 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:47:08.06 ID:1PaA9LvG0
最新の高層ビルの制震設計って京都だか奈良だかの
?重の塔を参考にしてるらしいね
中央に一本柱が入っていて
その柱は地面と接してなくて宙に浮いてる状態
塔の揺れをそれで制御するらしい
誰が考えたか知らんけど、古代人すごすぎワロテイ
デザインが大陸の猿マネすぎて引くなこりゃ
115 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:53:17.80 ID:OjPbRRV30
>>112 スカイツリーだろうけどあれは五重塔と逆で、心柱は地面と結合されてて上部がダンパーでフリーな
116 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:53:22.84 ID:PTBfmtvJO
117 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:53:36.10 ID:alKdlAWE0
>>113 そもそも大陸から来てるし。創建当時はどの寺も中華風に原色まみれだw
上古の出雲大社が遺ってたらなー。絶対世界遺産だったのに。
118 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:55:33.35 ID:RYt9sKHo0
すげえな。重機もない時代に。
119 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:55:42.69 ID:a2saPvih0
京都タワーのかわりにこれを京都駅前におったてて
田舎者をおいでやすしてやんよ。
この手の塔の多角形から四角になったのは、どういった背景があるんだろ
復元しようぜ!
122 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:58:10.72 ID:OjPbRRV30
四角い土地に建てるときに容積有利にするためじゃね?
123 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 20:58:40.38 ID:h0dQMoeFO
ロストテクノロジーってステキ
124 :
やるぽ ◆uxiEcLm93Sln :2011/07/28(木) 20:59:05.39 ID:GM4IckM20
>>110 時代は変わるもんで
最近の中国人は8階を避けてるよ
俺も中国人から8階は人気無いと指摘されて、えって感じだった
中国 8 不吉な数字
でぐぐってごらん
これその当時で建築に何年くらいかかるんだ?
作れても地震には弱そうだな
近畿はあんま地震ないからなあ。
>>97>>113 平安期の建物は、実際にはかなり中華臭が強い。
特に、院政という政治体制の性質を考えてみる必要がある。
上皇の権力の源泉は、仏教なのだが、この時代、仏教はまだ大陸宗教の臭いが強い。
仏教が日本化するのは、禅宗が入って、さらに中華禅宗のギトギト感が枯れた戦国時代くらい。
そして、この蹴上・粟田口周辺は、
院政期には、エキゾチックな副都心としての位置づけだった。
要するに、ディズニーランドみたいなものさ。
こりゃすげぇ・・・
130 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:04:21.04 ID:J8gjdaQYO
京都タワー潰して作ればいいじゃないw
131 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:05:32.54 ID:thFcFFLk0
>>124 何を偉そうにぐぐってごらんだ、ウスラバカ
知らないなら書くな
132 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:07:36.22 ID:1PaA9LvG0
出雲大社が残ってたら世界遺産は確定だろうけど
あんなもん残るわけがないw
だから復元でいいからしてくれないかな…
でも場所が悪かった
仮に京都とかにあれば復元されたかもしれんが、島根じゃ…お金がね
さすが日本の職人は昔も優秀だな
無能なチョンとは大違い
>>1 俺は絶対に見に行く。ただ交通の便が悪いのが難なんだよなぁ。
大社の門前にある創建当時の雲太の模型でも凄いもんな。
さすがに反日新聞でも、地元の史実は貶めないんだな
136 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:13:17.20 ID:d0SQ2LaG0
日本の仏教建築は縄文時代からあった高度な木組み
技術と大陸の仏教建築様式の複合とか。
出雲大社の方がいいな。伊勢も金が無いとか言ってたが。。。
138 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:18:00.10 ID:a2saPvih0
>>132 浄財募れ、浄財。
100年以内にはお金集まるかも。
いくらかかるのか知らんが。
139 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:19:05.81 ID:Kedonujg0
末広がりだから八は縁起いいんだよね?中国は九重って9は縁起いい数
なんでしょ?9月9日重陽の節句だし
>>137 俺、伊勢神宮の遷宮の領民として、8000円収めて御木曳きに参加したよ。
スカイツリーも、五重塔や三重塔のような良いお手本があるんだから
それに習えばよかったのに。
142 :
やるぽ ◆uxiEcLm93Sln :2011/07/28(木) 21:22:42.68 ID:GM4IckM20
>>131 偉そうではなく、
自然、ひざまずかれてしまうぐらい偉い
昔は、ググれカスと書いたら
そんなレスをもらったもんだが時代が変わったな、ふっ
>>118 重機どころか高さ81mじゃ足場も作れないだろうに
大仏なら周りから土を少しずつ盛り上げながら中に鋳型を作って…ってできるけど(それも大変な作業だが)
出雲大社は96メートルだっけ?
地震はともかく落雷でやられるようでは再建されなくても仕方なかったな。
ソルか?
>>143 あの大仏の鋳造の際の鍍金に使った水銀で中毒になった人が多かったとか。
モアイのほう難易度高い
149 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:29:18.63 ID:sZ/adguG0
岡崎に建ってたんだっけ?
復元しろよ。
150 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:29:50.75 ID:/iVOMZ/Q0
昔はこういうの再建するときに、各世帯40円とか徴収してたんだよなw
152 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:33:09.51 ID:cs3AFt6M0
雲太、和二、京三の三はこれだっけ?
出雲に対する天皇家の態度は
ν速の米倉さんに対する態度に通ずるものがある
もう許せ
154 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:38:18.34 ID:/iVOMZ/Q0
>>144 まあさすがに上古の96メートルはフカシかな、という気もするが・・・w
48メートルでもあんな空中神殿が遺ってたら、って思うよな〜。
日本書紀には地震の記録が多いからな。
高いのは全部倒れたが、法隆寺は奇跡
157 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 21:48:00.22 ID:1PaA9LvG0
ここでうろ覚え知識
倭には隷属するという意味がある
命名は中国(魏とかそのへん)
途中で隷属はいやだからと和に変更
しかし全く浸透せず(笑)
そこで大を頭につけ大和にしてさらに宣伝する
大日本帝国とか大韓民国とかの大と同じ使い方
昔の宮大工は、上古の出雲大社よりも高い建物は、
禁忌として絶対に建造しなかったそうだから、
この建物の高さが正しいとすれば、
上古の出雲大社は、確実に、81m以上あったということか・・・。
>>86 唐までは中国も木造建築が色々あったとか
大規模な森林伐採で砂漠化が進んで、戦乱で消失したものを
日本みたいに再建できなくて残ってないらしい
>>160 何でも燃やしたり、埋めたりする国民性(民族性)だからな
>>148 そういや、モアイ作るために木を切りすぎて、イースター島民は没落したんだっけ?
木の切りすぎはエーゲ文明じゃなかったっけ?
164 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:10:14.82 ID:1PaA9LvG0
中古の出雲大社
16丈のイメージ画像を見るに、32丈はありえないと思える
ファンタジー過ぎるだろ…
どっかの山に建てたという説を信じたい
でも伝承とか読むと、100mクラスの大木がごろごろ出てくるよね
稲佐の浜に流れ着いたとかで伐採したわけじゃないみたいだけどw
恐竜の事を考えると100m、200mの大木があったかもって気にもなってくる
>>160 南の方の、トン族だったかな。
今でも鼓楼という、木造の塔を建てる業を引き継いでいる。
むかし百越といった少数民族のひとつで、日本に米作技術
を携えて渡ってきた連中と繋がるものがある。
167 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:16:39.68 ID:MmL4D9ag0
再建って、無理を言うな。
地震でも耐える構造でなければ、倒壊させるために建てるってことだぞ。
カーボンで造れば良いじゃないか
風景だけでも復活させたい
ってかその頃はよく高い塔を建ててたんだよ
でもすぐに倒れるからやめたんだよ
鎌倉以降、自社仏閣の権威が落ちたからだろ
とあるおざわさんが通っているチャイナ風になった寺がある。
高野山に何故か韓国の墓があるらしい。都市伝説かな?
皇居に江戸城天守閣を復元しろ!
173 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:42:15.66 ID:ltuiG7Rs0
174 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:45:17.61 ID:qNGomeBp0
>>37 落とし穴に落ちて埋められちゃうような間抜けなエイリアンにか・・・
175 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:46:01.61 ID:ltuiG7Rs0
176 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:50:09.31 ID:usJnBnXSO
スカイツリーもこんな形にしてたら世界中からの観光客も見込めたのにな
177 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:51:42.20 ID:thFcFFLk0
>>142 はぁ?
おまえ日本語不自由なチョンか?
178 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:51:49.40 ID:tTO2LCAH0
これが平安のモデルルームか
179 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:52:45.45 ID:8qssWwaV0
>>171 いっぱいあるよ。奥の院でもよく見かけるよ。
変な形の墓はほぼハングル
180 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:53:12.66 ID:F1r1T4zE0
CGショボスww
でもこんなんでも2-300万くらい予算出るんだろうな
なんか個人向け花火の定番商品でこういう格好の塔が最後に出来上がる
やつあるよね。ぐるぐる回ったあとに。
182 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:55:31.59 ID:1PaA9LvG0
>>175 それ48mの方
その倍の96mとか絶対無理だよ…
184 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 22:59:38.02 ID:1PaA9LvG0
http://inoues.net/mystery/izumo_nazo.html ここの発掘現場の写真とか、新聞とかマジで燃える
中二病心がくすぐられまくりw
というかリアルでこんなものがあってうれしい
小学生の頃、出雲大社に初詣に行ったら
発掘中で全部回れなかった記憶があるな
子供の自分は不満があったようだけど(それだけ覚えてるw)
じいちゃんと叔父さんが超興奮してた
塀?の隙間からみんな覗いてたよ
すごい人だかりだった
186 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:09:36.19 ID:K3u9KMxm0
平安人すごすぎだろ・・・手作業で何作ってんだよ・・・
>>163 古代ギリシャの神殿は木造で石造への移行は木の切り過ぎというのもあったらしい。
有名な話だが、ローマ帝国時代でもコリントスのヘラ神殿は柱が1本木造で残っていた。
188 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:15:41.07 ID:1PaA9LvG0
でも復元しても絶対に雷か地震で壊れるよね
台風ならなんとか凌げそう
現代の技術で耐震処理とかするのかな?
そうすると復元じゃなくなるかもしれないけど
倒壊してからじゃ遅いからなぁ…
どうするんだろ
189 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:22:16.05 ID:Sdw6i3jQ0
さすがに奈良時代、平安時代はまだ大陸の方が土木建築は上だったんじゃないのかね?
190 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:23:56.50 ID:TX+ATkNo0
テレビのなかった時代に何でタワーなんか作る必要あったの?
191 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:26:34.61 ID:U/0PivCi0
保元、平治の乱と大乱の元凶を作った白河天皇か。
出雲大社は、最も高かった時代には、何度も自然倒壊した記録があるんだよな。
さすがに自然の摂理から考えて、無理大杉だったということだろう。
俺は、この「不自然(無理筋)に高い」という点が引っかかる。
何かを隠蔽して、耳目を出雲に引くための、特殊なモニュメントだった希ガス。
記紀に書いてあることは、隠蔽の対象にはなり得ない。
「大国主の故郷は、実は島根県では無い」のではないかなあ?
いわゆる出雲系神社は、むしろ愛知から東の東国に集中しているんだよね。
もう一つは、紀伊半島熊野に、出雲系の故郷とされる地域がある(熊野大社)
本来は、東国あるいは紀伊半島の神様で、島根県は無関係なんじゃないか?
縮尺がわからん、隣にマイルドセブンの箱をおけ
194 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:39:48.64 ID:/iVOMZ/Q0
塔は倒れるよりも雷にやられる率が高いぞ。
それと、塔に限らんが木造建築だから火事な。
出雲大社の倒壊は高さよりもあの構造だろ。
195 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:39:55.36 ID:ilYS7Cio0
この塔のてっぺんの金細工が牛の皮にめっきをしただけのものという噂がたって
白河上皇が検査官の僧侶に塔のてっぺんを見てくるよう命令すると
この検査官は途中から青い顔で降りてきて「高所恐怖症だから勘弁してください」
白河上皇は笑って不問にしたとか。さすが戦乱の世を産み出した優柔不断な上皇。
めっきをした役人を罰さずに済むよう、そういう機転を利かせて怖がる芝居をし
てっぺんまで見に行かないような人間に検査官をやらせてる。
196 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:41:06.93 ID:/iVOMZ/Q0
197 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:44:31.94 ID:r4rWgqVL0
そういや大仏もできた当時は派手派手だったみたいね
199 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:47:25.27 ID:zSJyjWQO0
>>9 ネトウヨ連呼厨ってやっぱり半島出身なんだな
200 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:50:15.89 ID:nd296hSw0
201 :
名無しさん@12周年:2011/07/28(木) 23:56:37.58 ID:Sdw6i3jQ0
>>197 屏風絵とかで見ると、元禄の頃まで日本の街並もファッションも派手派手だけどね
わびさびなんて一部の趣味人のもんだし
202 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 00:05:36.43 ID:+C6Dv1cv0
この時点で19世紀の朝鮮を越えてる日本
>>201 いやいや、日本でも、庶民は、昭和9年頃まで派手派手ですぜw
「質実剛健」が、庶民まで染み渡ったのは、
結局第二次大戦の「欲しがりません勝つまでは」を待たなくてはならない。
過剰な質素主義の起源は、わびさびというより、江戸後期の水戸学だろうと思う。
水戸学や平田国学が、
1 儒教の三皇五帝時代の、「部族社会の描写(茅葺の軒を揃えなかった、などの話)」を現代に直接適用
2 易経の「白色が最高(色が付いているのは野卑である)」などの記述を、真に受けて直接適用
3 記紀の神話の時代にある、弥生時代の社会の記述を、真に受けて直接適用
して、生み出したものだと思われる。
204 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 00:18:36.15 ID:vNm1+5dm0
基礎の遺構や心柱の太さから高さは捏造でも願望でもなく、
結構正確に出せるんだよな。
巨大な基礎の上にちっこい建屋、みたいなコストに合わない
真似は昔の人もしないだろうし。
>>197 室町時代にお前らくどすぎるんじゃって言って
質素な庶民の家の指標となったのが足利義政の銀閣寺じゃなかったっけ?
昔、出雲大社96mのQuakeマップ作ったっけな。
上から見下ろすと敵の集団が殆ど見えず、「これは嘘に違いない」とか思った。
階段を走り降りたり駆け上がったりしてすぐ飽きた。
昔は街も結構色鮮やかで「あおによし奈良」とか言われてたんでなかったか。
青と赤だけか?
>>205 銀閣は派手な塗装が剥げただけだぞ
質素ではない
質素な感じの寺も、最近CGで「当時の色を再現」とかやってるけど、やっぱ派手派手なんだよな。
金ぴか大仏とか天然色パルテノンとか認めたくないんだがなあ。
つるつる化粧仕上げのピラミッドは許すw
>>210 金ぴか大仏は、純粋に文明要因だが、弥生時代の奈良盆地民が、とにかく朱色が好きだったことは事実。
水銀中毒になりながら、墓の内装やら何やら、とにかく朱(水銀朱)で固めまくった。
古代ギリシアに関しては、当時は今よりも雨が多く、緑が豊富だったらしいから、
天然色のパルテノン神殿も、そんなに変では無かったはず。
当時のギリシアの気候は、今のクロアチアくらいで、当時のエジプトが、今のギリシアくらいだったらしい。
(単純に南北に移動させる推論は、本当は誤りなのだが)
エジプト文明の時期には、サハラ砂漠はまだ草原だったという説もある。
>>203 昭和初期の陸軍関連の施設でも派手派手ネオロマネスクor帝冠様式だからね。
ここの法勝寺跡近くにある京都市美術館もちょんまげマーチが聞こえてきそうな帝冠様式w
ミュンヘンに行ったらおっぱいが空に向かってそびえ立ってた
韓国国営放送である犬HKを解約する方法
http://www.youtube.com/watch?v=YP5YoQbMx9g&feature=related ただし一般郵便だと無視される可能性があります。
とぼけられないように一般書留+配達証明=770円で郵送したほうが確実です。。
私の場合、3日程で、地域担当者から電話がかかってきました。
相手の役職と氏名を確認して、『一応、トラブル防止のために録音しときますね』と告げました。
そのためか、一通り確認すると15分ほどで解約に応じました。
『家の中を確認しないと解約できない』とか、『未払い分があると解約に応じない』とかでゴネることはなかったです。
『NHK 解約』でネタを仕込み、いろいろと突っ込んでやろうと構えていたのですが、空振りでした。
本当はネチネチと遊びたかったのですが残念です。
と、まあ、割と簡単な作業ですので、テレビが視聴出来ない方w、ぜひお勧めします。
室町期にはもうロストテクノロジー化してたんかな
>>208 銀閣寺は元々銀とか使ってないぞ
というか外観じゃなくてあのシンプルな内部の部屋の構造
銀閣寺が取り入れたことで一気に日本家屋のモデルとして普及したらしい
217 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 07:46:04.12 ID:m6Z7n2Uo0
そもそも、銀閣寺の銀って
金閣寺の対って意味で銀tってついてるだけだし
金閣寺がなければ別の名前だった
金閣寺は金使ってるけどねw
218 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 07:47:21.96 ID:OjhJTYM30
隣に平成ゴジラを対比物として頼む
219 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 07:48:20.69 ID:kOENMcb+0
こういうのを見るとやはり日本文化は中国のパクリだなあと思い知らされる
220 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 07:58:49.08 ID:nvdXyp7PO
でもこの塔の遺構岡崎をGHQが摂取したときあらかた破壊されちゃってるのよね
ちゃんと遺ってればかなりの発見あったんだがな
221 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 08:02:00.32 ID:pmn3Ec6D0
>>219 その後ちゃんと独自進化してるだろw
それに貰った知識や技術は徹底的に残すから今じゃ中韓のロストテクノロジーは日本にあるってんで向こうから研究者が来るくらいだよ。
八角の塔は長野のなんとか寺とか会津のさざえ堂とか見たけど、美的に今一
八角で造ってもシルエットが五重塔みたいに日本人好みの美しさじゃないと再建しても嫌われる。
もうちょっと胴体細くして琵琶湖のヘリに再建してみたら名所になりそう
224 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 08:39:44.27 ID:HvrrO+FaO
>>219 それを言うなら支那文化はインド文化のパクリに過ぎない
225 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 08:45:33.91 ID:tUHYTG3B0
まさかの法勝寺入道前関白太政大臣スレ
だいぶ時代は下るけど足利義満の相国寺七重大塔が109m
建立後すぐに落雷で焼失、再建途中にまた落雷で焼失
戦国・江戸時代の高層天守閣も多くが落雷、地震、火災で失われた
木造高層建築を後世に残すのは至難だよなあ
現存していれば世界遺産確実の建築が沢山あったろうに
へうげものスレ?
228 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 08:54:42.61 ID:fph7SYK70
>>179 変なんじゃなくて、墓に対する考え方が違うだけなんだけどな。
229 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 08:58:42.45 ID:fph7SYK70
>>210 寺も仏像も、色が剥げてるだけで、元々はカラフルだったんだけどな。
オレ奈良に住んでて、東大寺の落慶法要も見たけど、どれだけキレイ
だったか。
230 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:01:53.54 ID:TzO4LVgx0
>>207 いや、ありとあらゆる色が使われてたよ。
日本人は昔から色使いの名手。
ど派手な色を使ってるのにきんきらきんでも野暮でもない感じにおさまる。
231 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:04:16.15 ID:O0QytmX00
日本で八が聖数といわれたのは末広がりだからじゃない
もともと2が最高の数だったがその二倍の4が無限を表す数になり
さらにその2倍の8が最上級になった
>>232 末広がりというのは、西洋で13がユダの数というのと同じ程度の後付だよな。
234 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:16:56.28 ID:TTCC6yxz0
>>219 文化というものは交互に影響しあうもの。
どっちかが一方的にパクルというのも考えにくい。
しかし、どちらかいえば強い方が弱い方から奪うがな。
235 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:17:04.71 ID:O0QytmX00
>>184 こういう記事を見るたびに戦後考古学(津田史観)のいい加減さが判るよな。
昔は出雲には目立った考古遺物がないから記紀(古事記・日本書紀)はでたらめが多いと口走る奴等が圧倒的に多かったが、
荒神塚等から日本中の銅鐸・銅矛を足した分を上回る量の大量の銅鐸・銅矛が出土して考古学者が以下にでたらめだったかが立証されたんだよな。
小林行夫の三角縁神獣鏡分有論なんかも今は完璧に粉砕されて、この鏡は国産で4世紀以後の物だって判ってきたし・・・
>>223 さざえ堂は6角形。
八角塔が奇異に見えるのは普及していないからだろう。
県庁所在地に1つはあるくらいの数だったらそうは感じないはず。
237 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:26:20.67 ID:PuUbjkadO
>>229 十円玉の表のアレの中は極彩色だったらしいね
238 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:34:32.26 ID:UVa1zrMa0
>>216 >上から見下ろすと敵の集団が殆ど見えず、「これは嘘に違いない」とか思った
出雲大社は神社であって、戦争をするところではない。
239 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:36:05.55 ID:rXLxheNf0
すげー。かっこいいな
240 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:36:26.65 ID:tW9PvaDz0
これ倭人に作れるのか?www
お得意の発作が始まったかwwwww
241 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:36:54.28 ID:LdEdQdxEO
さすがに古いからVHFアンテナしか付いて無いんだね。
>>237 今しかみないで日本を語る人が多いのは、実に嘆かわしいと俺は思う
>>234 たしかにそうですね、特に平安時代までは、特に遣唐使廃止までは
唐風が最高のトレンドで唐風由来の詰め襟の装束には、
シルクロード経由の紋章が織り込まれ寝台で寝て椅子に座り大陸渡りの琴を演奏し、
漢詩を詠み(今の和歌はヤマトウタと言われた)漢籍を学び、
大陸渡りの雅楽を楽しむ、と公家達はこういう生活をしていた訳で
次第に装束が強装束になり、寝台や椅子が無くなり、それにつれて
床に座り憎い束帯が敬遠され、宿直衣(とのいぎぬ)だった衣冠が
昼間の着用に格上げされ、と日本風にすべてが改められていくわけだが。
それでも公家文化と大陸文化は切っても切れない
反対に、中国的と思われる扇は日本が作って中国に輸出したものだし
(中国には団扇しかなかった)日本刀が中国の軍制に与えた影響も大きい
よし次は東大寺ツインタワーを再建しろ
出雲大社の方が…と書こうとしたら、散々既出だった件。歴ヲタ多いなw
古い時代に、なんでそんなに大きな塔が必要なのかと思ってた。
「権力の誇示」って言葉じゃ納得できなかった。なんかの本で
高い仏舎利塔を作ることによって、寺まで来なくても仕事の手を休めて
顔を上げればお参りが出来る。民の信仰を深めることが出来る。
って書いてあったのが、一番納得できたな。
>>53 世界中の仏舎利を合わせると、お釈迦様は6mの巨人になるとかなんとかw
246 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:42:22.84 ID:MDJx+UVMO
>>164 大嘘をつくな。
100mクラスでなく4〜50mクラスだ。
しかも木(針葉樹)は、細長い円柱形。先端の10m前後は細くて柱に使えない。
仏教建築のように高度な技術で継ぎ合わせ、四方を多くの柱+組物で支えた高層建築と訳が違う
オタ?一般教養だろ・・・
248 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:45:18.85 ID:qEJSncIc0
>>245 民
それもせいぜい数十キロ圏内の民だけ
それに、信仰を深めさせて、なんかいいことあるのか?
249 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:45:26.05 ID:H6ldcFdx0
出雲もだが、すげえなあ
>>248 昔は、神仏を奉り信心を深めることで
加護によって国家が安定し栄える、という思想があった
また、宗教を利用して民心を掌握し、国家を安定させるという
実利的な側面もあった、これを鎮護国家と言う。
251 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 09:51:51.85 ID:tjLuxUot0
あんれ雲太、和二、京三じゃなかったの?
話しが違うな。
>>134 あの、土産物屋改造の展示室?
あそこの職員、役所の閑職かなんか知らんけど、俺が上古社の復元模型見てたら
「こんなの嘘ですから。NHKの特集も、大林組の話も捏造ですから。」って言い放った。
人が巨大建築の「模型」を見て楽しんでんのに。嫌がらせかよ。
>>251 たしか当時の建築基準法で塔は工作物扱いだったはず
254 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:00:42.97 ID:O0QytmX00
>>232 二が最高って幼稚園児でも説得できない説だな(笑)
255 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:02:01.16 ID:gRjnKbhu0
>>245 奈良の大仏があれだけ大きいのだからお釈迦様はそれくらい大きくておかしくは無いが
昔の人は機械もなしに作っちゃったんだからほんと天才だわ
257 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:04:54.72 ID:uBB0zAEnO
>>235 津田自身は記紀に関わる歴史学を学術として深化させたいだけだったが、反皇室の左翼の革命運動に利用されてしまった。
埋めたり掘り出したり中国新幹線な奴もいたなw
259 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:07:39.23 ID:PaFfpFfwO
※日本の歴史は65年前からです
瓦ってのはその重量で建物の構造を強化してる部分があるからな
高層建築=軽量化に瓦()なんて馬鹿にしてる奴がいるがな
>>255 あれは毘盧遮那仏でマハーヴィローチャナの漢訳で
太陽神、もしくはアスラ神族の王で光明神が元だからでかくても良いw
262 :
245:2011/07/29(金) 10:09:16.87 ID:Plu1Ry040
>>248 >信仰を深めさせて、なんかいいことあるのか?
さあ?俺も知らない。ただ、近所の寺にある親の墓参りでさえ面倒に思う自分としては
仏壇よりも、「寺にお参りした気になる」塔への参拝ってのは有りだと思うんだ。
>>255 いやいやいやwww
>>19 まーそういうのを実際に作っていた職人集団は朝鮮半島からの渡来人集団だけどな。
建築だけじゃないぞ。有田焼の開祖も渡来人の李三平だからな。
>>260 昔の建築では瓦は貼り付けただけで、地震があったら
落ちて軽くなったけど、今は釘付けにするから
地震の時倒壊の原因に成りやすい、という側面もあると思う。
265 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:12:13.84 ID:viHMxA300
>>262 私の知る限りでは、40mぐらいありましたねぇ。
篠栗南蔵院の涅槃像ですがw(自由の女神像とほぼ同じ大きさらしい)
平安時代の高い建物、「雲太、和二、京三」(出雲大社96m、東大寺大仏殿45m、平安京大極殿32m)
でも「口遊」は970年ぐらいだからその後に法勝寺のは建てられたんだな
縄文時代を教えないようにすれば〜土器は朝鮮由来にできるわけかw
268 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:17:23.84 ID:n6kozBZs0
さすが京都だな
同じ九階建てでも明治時代に高さ39メートルのくせに凌雲閣なんて大仰な名前付けてホルホルしてた大阪民国とは違うわ
269 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:17:56.38 ID:uBB0zAEnO
>>219 日本の寺院の仏塔形式の塔建築やその構造は大陸や半島にはないそうだが。
大陸はレンガ造りが主流。
270 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:20:26.87 ID:VKCuaeKN0
伊勢神宮を一目見れば日本人の優秀さが一瞬でわかるけど
>>248 その圏内が経済政治軍事の中心なんだから十分だろ
>>163 牧畜文化の影響もあるけど何より日本みたいに熱帯でもないのに大量に雨が降って
放っておいたら人がいなくなれば木が育って勝手に森に戻るって環境が世界では珍しい
日本が大陸みたいな環境だったらどうだったかなって思わなくはない
こういうのは海外用の宣伝塔だったからな。
明日の飯の為に必死こいて作った物。
下らないテレビ電波の為に塔を作るのとは意気込みが違う。
274 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:28:02.09 ID:4SF3dkP+0
275 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:30:38.54 ID:QAQuzOlO0
やっぱり極彩色だよね!
本当の日本人ならわかる、薬師寺西塔の美しさっていったら・・・
みすぼらしいだけの東塔なんか今年中に解体撤去するってね。
八角の建物は基本的に四角のグリッド上に建てられるけど、六角になるとあらゆる部分が三角になる。
だもんで六角は木組の難易度が高くなりそう・・・に思えるけど実際は逆で、
八角外周部構造と八角屋根を支持する部分の角度が中途半端で構造がとんでもなく複雑化しちゃう。
中国に残されてる八角塔も軽く百種を超える木組みが使われてるそうだし、
日本で八角塔が普及しなかったのはそこらへんの事情もあると思う。
大衆が掘っ立て小屋に住んでいた時代にこんな巨大な建物作ってたんか
現代に生まれてよかった
278 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:31:38.59 ID:uBB0zAEnO
>>248 古来から「しらしめす」という統治哲学があってね。
木造コースターもあったなあ。白ペンキだが。
唐から伝わった様式に飽き、
そして開花したのが天平文化
282 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:45:50.51 ID:+Lz8SE2s0
地震がほとんど無い大陸や半島の技術で、地震が頻発する日本に
これだけの高い塔を建築するのは無理。日本独自の技術が必要。
>>276 三角形のほうが安定してシンプルになる。
ただし、スペースの無駄が増える。
284 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 10:53:32.73 ID:fph7SYK70
>>270 作った人が優秀だっただけで、日本人全員が優秀だった訳がないだろ。
>>275 まあ、あれが本来の姿だからな。
>>235 言いたいことは理解するが、例が悪いよ。
島根県で、大量の青銅器が発掘されても、
出雲系祭神を祀る神社の集中地帯の主力である、関東&東海地方との関連性を示す遺物は、
依然として皆無。「島根県と、例えば埼玉の氷川神社の関連性」は、神話と神社縁起以外何も無い。
俺自身は、津田史観をしても、「出雲の批判的検討」はまだ不十分と理解している。
皇国史観批判の立場から、批判されるべきは天津神・皇祖皇宗の系譜であって、
出雲は擁護されるべき対象だから、今に至るまで、実のある批判的検討に晒されたことはない。
俺は、島根県の出雲は、まだまだ過大評価されていると思う。
埼玉の大宮氷川神社も、長野の諏訪大社下社も、山陰島根県とは、実は別系統の在来神と思われる。
諏訪大社の縁起については、山陰起源に引きずられて、糸魚川あたりに変な伝承が「創られている」が、
実際には、諏訪の出雲系勢力は、太平洋側(三河か遠州方面)から、伊那谷経由で入ったものと思われる。
286 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 11:36:32.27 ID:nKaSUp000
これは、中国。
仏教文化は、インドから始まり、
チベット→中国→日本 へ来た。
極楽浄土の寺院が、その起源だ。
288 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 11:46:43.02 ID:nKaSUp000
>>287 当時は、同じ。
中国=中国+韓国+チョン。
曹操がいた時代だな。
>>286 仏教文化・様式が入る前に、
すでに高層建築はあった
それは、全国に点在し、
古文書には各地で地震や津波で
建築物が消滅したという記述が多い
>>288 楽浪郡とか完全に中国にあった国の出先だったみたいだな
王仁博士だって、漢民族らしいし。
そもそも文化なんて国から国へ流れながら変化していくもんだ
日本文化が中国のパクリとか言って蔑むのは頭が悪い
292 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 12:02:15.60 ID:Gr2ScJt+0
293 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 12:07:55.58 ID:nKaSUp000
>>291 それにしたって、このデザは、ダメインでしょ。
誰だよデザイナーは。
金閣寺 とか、鳳凰堂とか、
そうゆう渋くて纏まりがあるのが日本風だよ。
>>292 半島は判らんね
早い時期に、燃料として木材を斬り尽して
牧場も出来ない様な不毛の地にしてしまってるし
295 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 12:11:27.18 ID:Gr2ScJt+0
296 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 12:16:45.65 ID:Aq7WeI0X0
297 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 12:16:55.66 ID:Gr2ScJt+0
299 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 12:18:52.91 ID:yfAt+Bf+0
白河天皇って日本最初の専制君主って言われる人だろ?
幼女を養女にして散々食い散らかした挙句に孫の嫁にして、
その後も手を出し続けたトンデモない方だったんだよな。
300 :
41歳無職童貞キモピザ低学歴低身長禿 ◆IlXz0xqYhxQ6 :2011/07/29(金) 12:20:07.21 ID:1/LF//k90
どこのバベルの塔だよwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
301 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 12:20:40.83 ID:Gr2ScJt+0
302 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 12:26:59.06 ID:4cWcUyln0
>81メートル
これはうそ臭い
>>299 毛沢東の悪口はそこまでだ!!
毎晩、田舎娘の処女を要求した毛同志
おお、なんか聞いた覚えがあると思ったら山田風太郎の「柳生十兵衛死す」で舞台になった塔か。
江戸時代の竹阿弥が室町時代の能の開祖世阿弥に憧れ芸を磨くうちにシンクロしてしまい
近くにいた十兵衛も室町時代のそっくりさんのご先祖(隻眼は逆w)と入れ替わってしまう話。
306 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 13:01:09.31 ID:UpSVoGiu0
九重っていわれると、酢を連想する。
>>164>>231 出雲大社内の博物館に行ったときに発掘された柱の跡を見た。
すごく大きな物だったけど、それでも当時でも必要な太さの巨木が入手できないかで
巨木を三本鉄のタガで束ねて一本の柱にしてたみたいだね。
出雲大社は行くまでが大変だけど良い処だな。
このすれチョンだらけじゃねえかwww
シュエダゴンパゴダとかみたらデザインとかどうでも良くなってくる
なんか中華風で日本人好みじゃないな
無駄なものばかり建ててないで
こういうものこそどんどん再建していけばいいのに
出雲大社を先にしないとまずいことになる。。。
>>305 そうだったか、失礼。
思ってたより焼けちゃってる塔があったんだなあ。
現存してるのはすごい事なんだな。
>>312 当時の日本人好みだよ、詳細に言うと公家好みだがな。
>>208 最初から貼ってない、
いや、ちゃんと銀箔を貼る予定だったんたけど
その銀箔を調達しようとしたら幕府が衰退していて金がなかった
と言う説がある。
アルミホイルはまだ無かったのです。。。
まあ、なんだ、ここで質素で渋いのが日本的と思っている人達は
桃山時代の絢爛さや、平安時代の雅を一生理解できないんだろうな。
質素で渋いのを最良としたのはもっと後、千利休の詫び茶あたりを
待たなければ、その価値観は出てこない
そして、詫び茶に至るのは禅の心だな。
>>319 白い塗装跡が出てきたってニュースあったよ
>>320 実際問題として、本当に銀を貼っていたら錆びて
結局真っ黒になっただろうな。
でも銀閣に銀箔を貼ろうとした説は、タージマハルの話を思い出す。
あと、金の茶室のように部屋中に金箔を張り巡らせるのは
照明補助の意味合いもあったらしい。
>>321 天平から平安までずっと豪華絢爛の錦絵みたいな配色だな。
>>322 いくつかの説があるらしいね。
銀箔を貼ろうとした説
白く塗ろうとした説
漆喰を銀に見立てた説
等々
>>324 だな、装束なんかも無地を最良とした江戸期の武家趣味とは違って
中国だけではなくササン朝ペルシア辺りから伝わった文様が
大きくおり出されていて実に美しい。
日本の文化がーという人は、能楽と雅楽をかじってみることをおすすめする
もちろんそれだけで日本の文化が解るわけではないが、根底に根ざす
空気と言うか、美しさとは何かと言うのが、有るいみ相反するように見える
二つの楽劇から伝わってくる、
328 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 14:34:06.16 ID:nKaSUp000
貴族がブランド物病の脳障害を起こして、
こぞってハデな事をやりだしたからだろ
>>328 当世の流行物などという物は、すべてそのようなものなり。
昔のオタす凄かったと
>>330 それでも、当時の日本の文化を形作って居たものであるし
日本で曲も多数有る、敦実親王なんかが有名ですよね。
>>332 日本で作られた曲
脱字と言うか脱文してしまった。
>>330 そうなの?
てっきり、J-popだと思ってた
>>321 でも、禅宗も中華から伝来した当時は、結構ケバいんだよな。
禅宗というのは、伝来当時は「バリバリ中華臭漂うエキゾチックな宗派」だった。
その舶来臭が、新興階級だった武士の心をつかんだ。
今の禅宗寺院が「枯れている」のは、時間の経過によって単に自然的風化を遂げた姿。
まあ、江戸期武士文化のモノトーンというのは、たった一人の武将の趣味に過ぎない。
その男こそ「徳川家康」。
色彩地理学的に、江戸(関東平野)には、派手な色彩の建築が似合わないという問題もあるが。
武将の中でも、明らかな地味好きは、徳川家康と上杉景勝の2人だけ。
>>335 確かに、
真言宗は最初から渋いようなイメージがあるけど、どうだったっけ?
あと、
>>武将の中でも、明らかな地味好きは、徳川家康と上杉景勝の2人だけ。
そう考えると、極彩色の日光東照宮は皮肉な話なんだな。
>>323 以前NHKで金閣寺の改修工事のドキュメンタリー番組をやってたけど
金箔張りの豪華絢爛さより、その内部の廊下の鏡面のように仕上げられた
漆黒の漆仕上げに驚嘆したよ。
338 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 18:20:43.99 ID:GkufUGi40
確かに中国風だけど当時は中国のほうが進んでいたんだしそんなものだろう
建物が無駄に太いの当時の技術じゃそういう風にしか立てられなかったんだろうし
>>336空海の持ち帰った曼荼羅や
高野山の華麗な建築を見れば?
340 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 19:42:04.33 ID:HNBOSEnn0
>>5 あ?お前東京スカイツリーさんdisってんの?
341 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 19:43:37.52 ID:Pt2/8Yjt0
完全に中国風だな。
これは復元なんかするなよ。
MMOで見たことあるような建物だな
>>269 いくらなんでもホルホルしすぎだろ。
大学で日本美術史の講義受けたけど、日本の仏教建築と仏教美術に関しては、
様式的には中国美術の領域を出るものはないって聞いたぞ。
ごくごく細かい部分が日本化(和様)しただけ。
>>337 それ見たなあw
その超絶的な漆塗師の技に対し、金箔押師は当初金箔をガチャガチャに貼っちゃって漆塗師を激怒させたという・・・
あれほどの職人でも中途半端な妥協をする事もあるのかと、ちょっとショックだった。
金閣寺の金箔が早々に傷んじゃったのも金箔に原因があったそうだし、ちゃんと後継者は育つのだろうか。
345 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 20:24:11.99 ID:m6Z7n2Uo0
古代出雲の32丈って、イメージ画像とか復元模型画像とかないの?
個人的には無理だと思ってるんだが…
柱を3本束ねた遺跡が見つかったのは16丈(48m)の方だよね
あと復元プロジェクトが動いてるのも16丈のはず
346 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 20:35:59.29 ID:Gr2ScJt+0
347 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 20:38:52.02 ID:Gr2ScJt+0
>>323 >あと、金の茶室のように部屋中に金箔を張り巡らせるのは
>照明補助の意味合いもあったらしい。
仏像も、金ピカにしないと、暗い室内じゃ見えないしね
348 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 20:46:34.28 ID:viHMxA300
>>321 古い時代の芸術品や工芸品は、塗装が剥げたり、褪せた状態の物が多いからね。
近年になって、往時の色を再現するような事が行われるようになって、ようやく、本来の
鮮やかな色彩が世に知られるようになった訳だけど、ああいうのを見れば、
侘び寂だけが日本の美ではないとよく分かりますよな。
五重塔って真ん中の支柱と屋根が
地震の時に違う周期で動くようになっている。
実は、免震耐震設計なのだよ。
九重の塔ももちろん耐震設計なんだろうね。
>>348 そういう渋い色好みは、実は江戸時代後期にあった贅沢華美な色彩禁止などの政令の下で
育まれた面もあったのではなかろうか。歴史的にそんなに古くない感覚だったりして。
でも東大寺の東塔と西塔は天平宝字8年(764年)に作られ高さ100mあったんだから
こっちのほうがすごくない。
352 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 20:55:43.35 ID:j/Li+Eg50
中に影道一族がいるんだよ
353 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 20:59:24.82 ID:Gr2ScJt+0
江戸後期の文化がモノトーン化したのは、つぎのような理由かも?
・江戸は火事が多く、大名屋敷や寺社の装飾が建替えのたびに簡易になっていった。
・海外貿易を縮小したため、塗料や染料などの原材料の入手が難しくなった。
・金銀の産出量が減った。
・貨幣経済の進展で金銀の価格が高騰した。
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra1-8.htm >金銀鉱山の産出量は元禄期(17世紀末)までに大きく減少をみた。
>また、寛文4年(1664)の金輸出解禁に伴い、銀貨に加え金貨もかなりの
>ペースで流出した。
>一方、国内経済の成長・発展とともに貨幣に対する需要はさらに高まり、
>そうしたなかで17世紀後半になると通貨不足が深刻な経済問題として登場してきた。
354 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 20:59:42.46 ID:6KYsjWww0
このスレで大阪万博の古河パビリオンってこれだったのを初めて知った
あれを移設しとけば良かったんじゃないの?
台湾の寺院だと、古いものでもお構いなしに金箔を張り直し色も塗り替えちゃう。
おかげですさまじいまでに金ピカ&極彩色で、現実感を失いそうになる。
日本の寺院も創建時はこんな感じだったのかな…と思った。
356 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 21:01:39.56 ID:tLkAMOV70
昔 絵に描いたもち
今 CGで復元
357 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 21:06:03.04 ID:vsm0jdPs0
>>12-13 出雲大社を復元して見たいねえ すごいぞあれは
>>1はなんか中華料理屋みたいに見えなくも無い
>>355 日本の神宮などの殆んど全部朱色みたいなのは、欧米人などから見てどんな感じがするのだろう?
落ち着くのかな。炎のような激しさを感じて気持ちが昂ぶるのかな。
359 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 21:14:26.60 ID:Gr2ScJt+0
朱塗りにするのは木材保護の意図もあるのかな?
レゾリューション低すぎて瓦わかんねーよハゲ
362 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 21:22:48.55 ID:oh3fwyXu0
>>263 だとしたら半島には京都奈良よりも立派な都がなければいけない
少なくとも過去のどこかの時代にはなければいけない
だけど存在しない。文献もない
渡来人云々を強調しても、分かることは、古代の半島が日本文化の勢力範囲だったということだけじゃん
弥生時代以後の渡来はチョンとシナだからな。
それ以前の縄文日本人の清らかさ気高さとは性質も気骨も違う。
364 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 21:28:39.66 ID:0Cs7lMJb0
それより出雲大社復元してくれよ。柱の中身金属でいいから
金あるだろ
>>363 最近言われてきている縄文時代のデカい建物なんかは
大陸文化とは別個にほぼ完全に独自技術で作られてたのかな。
>>359 ベンガラ(酸化鉄)を塗るのはもともと虫除けのためだったというが、
朱にもそんな効果があったのかどうか。水銀を含有してるんだっけ。
白木でつくるようになっても、小口には湿気を防ぐため漆喰を塗って
いたということはあるが。
>>120 その観点は面白いな。
作りやすさから言えば四角の方が楽だよね。
梁を組むとき、直角のほぞを切ればいい。
一方、石やレンガの文化圏の塔は円筒なんだよな。バベルの塔もそうだし、
城郭が矩形になってもなお、四隅の尖塔は円筒だ。
>>122 とすると条里制がきっかけか。それもありな気がする。
>>348 「遥かなる運慶の極彩空間 〜今甦る東大寺大仏殿 幻の巨大仏像〜」って番組で
鎌倉再建の大仏殿にあった、運慶ら慶派仏師が作成した四天王像を、僅かに残った顔料から
当時の極彩色をCGで再現してみようという企画があり、再現された極彩色の仏像を見たとき
これも在りだなと思ったよ。
371 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 21:40:07.00 ID:oh3fwyXu0
>>363 関係ないだろ。
縄文の再評価は良いんだけど弥生人も日本人だ。
日本人のy染色体が半島や大陸と全く違うということは、
弥生人が全員女だったか、DNA的に現代中国人韓国人と弥生人は別物であるかのどちらかだ。
毎度毎度似たような書き込みがあるけどホロン部のフォーマットなのか
>>366 出雲の巨大建築とかは当然、仏教伝来後の中国様式の建築のベースにもなってるんだろ
先進知識をもった外国人がやってきても作れるもんじゃない
全て人力と手作りによる巨大プロジェクト
>>368 そりゃ石積みだから、外部の横から押されてベコンと凹んでガラガラ壊れたら困るからだろう。
だから石作りの眼鏡橋構造を横倒しにしたような曲面で円筒を組んでいくといった建築方式にしたんじゃね。
てか、そんなことは百も承知か。
ホントにそんな高いの作れたのかなぁ
個人的には出雲大社も信じがたいんだけど。
375 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 21:48:05.87 ID:oh3fwyXu0
>>373 確かに信じがたいけど、
東大寺大仏も法隆寺も現存するからな
実際に無かったら信じられない
木造の巨大建築にモアイよりもデカい銅像が収まって
温暖多湿で地震国の日本で千数百年もピカピカのまま立ってるっていうのは。
>>358 欧米だと日本の朱色はエキゾチックな色だと人気があったみたい。
60〜70年代頃の車や工業製品に使われている、赤みの強いオレンジ色がそうだとか。
まあ金ピカが最高だとかバーミリオンは炎の色だとか、何やら感性が異なるけど・・・
>>359 昔は耐久性のある鮮やかな顔料といったら水銀朱くらいしか無くて、
その永続性と鮮やかさに黄金に次ぐ精神性や価値観を見出したという説があるね。
水銀朱に防腐作用があるのは確かなものの、ペンキほどの効果はなかったはず。
日本人は器用だからできたのかな
ぶっとい段状柱の最上層にある大社ってのは想像しただけでワクワクするけどね
以前、当時の柱跡が見つかったって記事みてときめいたww
378 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 21:53:00.53 ID:8I/31rIH0
これが焼失したせいで、
京都中テレビ見られなくなったんだよなぁ。
>>372 たしかに、石積みの四角だと面が弱いというのもあると思うし、また、
同じ容積なら円筒の方が材料が少なくてすむ、てな意味もあるんじゃないかと。
だけど、そういう実利的な意味が薄れて、四角形の城郭が構築される
ようになってもなお、「塔は円筒」を頑固に守ってたのは、やっぱり
美意識なのかなと。
それはそれとして、四角が楽な木造建築の東アジアでも古代に多角形塔が
作られていたのは、やっぱりヘレニズム頃に西の石造文化圏の美意識が
流れ込んできたせいなんじゃろかとか思うのよ。でもそのうち面倒くさくなって
やめちゃったとw
>>321,
>>348 そのまたずっと前の縄文のオドロオドロしさなんかは、
「新鮮」という受け取り方だし(たとえば岡本太郎)、そんなもんじゃ
ないのかと。
今の俺らの「日本的美意識」は、室町後期あたりの不連続点以降の
ものだしなあ。
>>375 東大寺の屋根瓦の総重量は3000tonとか言う話だからなぁ。
3000tonといえば、サターンX型ロケットの総重量だもんな。
凄すぎ。
>>355>>364 神社といえば白木だろ?という、近代日本の常識はどこから来たのだろう?
一部の国学が、伊勢神宮内宮を一神教的に崇拝したことからだろうかね。
白木もそうだが、あの異常な南方的簡素さは、日本の神社の中でも異端。
ハワイでこそ快適に暮らせそうな、あの建築様式は、伊勢国度会郡でも寒すぎる。
「天照大神の故郷たるべきところ」として、何らかの意味が込められているのだろうと思う。
俺は埴輪の面構えと能の面には連続性があると推測している。
まだ誰も主張していない説だが。
383 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 22:43:29.32 ID:Gr2ScJt+0
>>321>>348 質素なのが当たり前になったら派手派手したくなるし
派手派手が当たり前になったら質素を
それが古今東西の趣味人とかアーティストの気質かもね
384 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 22:55:31.26 ID:PsVqk1Er0
>>382 アニメ映画のもものけ姫が、たたら場を襲うときに付けてた面って
歴史上のモデルは何?
全くの創作なのかな。
土器で作られてるように見えて、縄文系みたいな感じだったな。
385 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 22:56:41.62 ID:4inLxNaN0
386 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 22:58:09.78 ID:cbaKiCQD0
当時の再現CG見て思うんだけど本当にこんなド派手な色彩してたの?
今の色あせた建物とか仏像とか見ても想像出来ん
388 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 22:59:44.27 ID:4inLxNaN0
芯柱制震というのは五重塔でもスカイツリーでもやってるよね
>>35 大陸人なんか関わってねーし。
韓国なんか、何もない国じゃん。
唯一あった、なんとか門は韓国人のオッサンが火病起こして、火付けて燃えたww
390 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 23:02:26.37 ID:TTCC6yxz0
人間やることは時代が変わっても同じようなもん。
古代でも大陸や半島の奴は日本からいろいろパク
ってたんだろうと考えるほうが自然。
>>105 まったくその通り。
日本は、雨が多いので、壁を雨から守るために軒が長い。
この軒を長くするというのが、大変な技術。
また、石の上に柱を立てて、腐食を防ぐのも日本の気候に合わせたやり方。
ウンコ食ってるような、何百年かけても水車すら作れなかった国が
まともな建築物は建てられないの。
本格的に再建するのは無理なのか?
もう昔の建築、町並みの方が暮らしやすいってことないのかな
コンクリートジャングルはつまんない
>>263 古代日本には、ギリシャ・ローマ文化を持って西方から移動して来た新羅系の人々と、
トルコ民族である突厥系の人々がいた。巨大古墳や大仏を製作したのは、彼らである。
その後、唐と百済系の者たちが侵入して、彼らを東北に追いやり、蝦夷という蔑称を
彼らに与えた。
>>382 >俺は埴輪の面構えと能の面には連続性があると推測している。
>まだ誰も主張していない説だが。
キーワードは『秦氏』
国宝重文が仕事の俺がやってきましたよ
何か質問ある?
395 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 23:17:54.25 ID:TTCC6yxz0
>>389 あの門は日本の統治時代に日本の宮大工が
作り直したものだと聞いたが。
396 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 23:19:55.42 ID:m6Z7n2Uo0
国宝重文が仕事ってどういうことだ
「国宝重文国宝重文」と唱えるとか?
こんな感じの花火あったよなー
火薬のにおい、なつかしーなー
398 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 23:22:23.20 ID:WKVAGiBx0
>>35 また在日史観か
何でも半島からの渡来人渡来人。こういう説に出会うのは2ちゃんだけだからキモくて仕方ない
399 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 23:23:07.56 ID:RoABirahO
是非再建して欲しい
そして韓流スターに見せ付けてやろうぜ
平安京は中国からの渡来人が作った都市
401 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/07/29(金) 23:28:32.05 ID:6rEYAbSf0
塔を再建しようにも、法勝寺自体、戦国時代に廃絶してしまいましたね。
寺無しで建てても、シンデレラ城や尾道城の様なまがい物。惜しいことです。
法性寺が現存するのが奇跡ですが、こちらは境内地が狭過ぎる。
塔の跡があって再建されていないものとしては、西大寺が狙い目でしょう。
402 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 23:30:46.79 ID:BBg9D0KyO
>>400 まぁ平安京は街の名前からして洛陽やら長安やら付けてるからな
倭人が模倣したのか、渡来人が大陸の都を再現したのか知らんが
403 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2011/07/29(金) 23:32:44.14 ID:Fhs/MapOO
天守閣も江戸、大坂、名古屋とあって結局残った
のは姫路が最大だからね・・。
さすがにこれは捏造臭いな。
まあ考古学者なんて嘘をついてなんぼの仕事だから。
これは国に関係無くあてはまる。
モデリングはまだしも、マテリアルとレンダリングがダメだろ。v-ray使えよ。
406 :
名無しさん@12周年:2011/07/29(金) 23:42:07.00 ID:cPbFXGrB0
確か、これ基壇が残っているとNHKの特集でやっていた気がする。
そうだとすると、それほど突飛な妄想ともいえない。
407 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/07/29(金) 23:46:10.94 ID:6rEYAbSf0
>>404 これは、CGで復元されたというだけのニュースです。
存在も高さも、以前から知られていました。
東大寺にもこれより高い塔があったという話ですが、高さには二説ありますね。
より確かなのは、室町時代に建てられた相国寺の七重塔。109mありました。
>>393 由水某の、あのとんでもない怪著を、まともに信じるなよ…
隣接分野の泰斗(確かに泰斗なんだが)が、隣の分野でまるで頓珍漢な怪著を出版してしまい、
当該学問全体を完全崩壊させるという、おぞましい例は、他にもある。
一番有名な例は、
小泉保「縄文語の発見」だったりするけれど。
小泉が、ウラル語研究の大家だったということもあり、
ムーに投稿しても原稿が採用されないレベルの怪著でありながら、
その内容が一世を風靡してしまった。今でも信じ込んでいる人がかなりいる。
由水氏のあれは、小泉保とさほど変わらんよ。
由水常雄 著「ローマ文化国‐新羅」 のことですね。
では、ギリシャ式三樹の女王冠、ローマ帝国軍と同型の冑や脛当ての存在は、
どう説明されるのでしょう。
新羅の文化が、中国文化を取り入れた百済・高句麗のそれと大きく隔たっている
のは、仏教受容の年代からも類推できます。
410 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 01:10:30.24 ID:JtMJEeWx0
この「法勝寺八角九重塔」
当時の日本の建築技術の限界ギリギリで建てられたものだったが
国の威信をかけて完成させたあとの落慶法要が雨で3度も延期
その3度目の日も土砂降りの雨...
カンカンに怒った白河天皇は器に雨を受けてそのまま牢屋に放り込んでしまった
この世にワンマンリーダーは数々あれど「雨に入牢」を申し付けたのは日本史上空前絶後
ソース:「平安王朝かわら版」京都新聞社(1981)
様式や高さもさることながらこうした人間的なエピソードも興味深い
楽しいから再建しようよ
412 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 02:12:46.23 ID:XJkDWGVm0
413 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 02:17:53.29 ID:n7+ASRy+0
京都天空樹があったとわ
どうみても中国のデザインだな。
やはりこれは中国人技術者の指導の下で建設されたんだろな
ほうほう、岡崎にタワーマンションが歴史的にオッケーということかね?
またキムチが沸いとるなw
>>389 >>398 日本には寺社建築・修理する建設会社が西暦578年に作られているんだよ。
世界最古の企業。それが金剛組。(現在は倒産)
578年に聖徳太子が百済から3人の宮大工を招集し、そのうちの1人金剛重光と
いう人物が設立した会社。
つまり百済、今の朝鮮半島から呼んでいると言う事になる。
まぁ京都や奈良の寺社を建設したとはウィキにも書いていないが
大阪の四天王寺や江戸城の門などを建設したと書いている。
チョンが嫌いだからと言って全否定しなさんな。
>>417 あのねー、塔なり伽藍なりたてるのは、チョン3人程度の宮大工では建てられないの
もっと、多くの優れた宮大工が多くいないとできないんだからな?
日本と韓国の気候も違う。
気候が違うということは、建て方そのものが違う。
建築物の寿命が違ってくるんだから。
日本人が日本の自然に寄り添った建物の建て方を編み出した。
それは、韓国の宮大工ではできないよ。
wikiに騙されすぎじゃない?
>>417 百済なら、現在のチョンとは無関係だから気にするな
後年のチョンは、単なる文明の通過点だし
日本の雨の多い気候から建物を守るために、軒を長くする
これは簡単にできる技術ではない、
地震の多い日本と、少ない韓国、これでも違う。
日本神話
スサノオは
自分のひげを抜いて山にほり投げると杉の木になった。
胸の毛を抜いてほり投げると桧の木になった。
つぎに眉毛を抜いてほり投げると楠の木になった。
最後にお尻の毛を抜いてほり投げると槙の木になった。と書かれている。
スサノオは、杉の木と楠の木は船を造るように、
桧の木はお宮や社殿を造るように、槙の木は棺おけを造るようにと教えられた。
木の性質を知り尽くしてる↑
チョン半島にこのような神話があるか?ないだろ。
ろくな木の文化もないのに、記録も何もない国のくせして。
421 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 06:25:24.28 ID:TPAi3fQZ0
雨の多い江南地域発祥の技術も生かされてるんだろうな
422 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 06:31:43.07 ID:PFTKeB3TO
>>417 これ、金剛組=チョンって、名誉毀損だと思うがw
宮大工がチョンてwwwww
宮大工は、エベンキ族かよ。
宮大工は、あのクネクネ建築した連中と同レベルかよ。
宮大工の顔に泥塗ったり、ひでーな。
出雲大社より高かったん?
424 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 06:35:46.05 ID:xpu5PHfhO
>>414 いや朝鮮半島から来た渡来人のお陰
古代日本のありとあらゆる技術や文化は渡来人の指導のお陰
>>418 普通に考えて、技師を呼んだということだと思うぞ
技師が自分たちだけで建設するわけもなく、技師の設計と指導で
日本人の技術者と工人が作った、と考えるべきだろう
特に中国からの、当時最新の文化や技術の流入を否定したら
阿倍仲麻呂は浮かばれんわな。
つかさ、俺も今のチョンやチャンコロは嫌いだが、嫌いだからとか信じたくないから
というので全否定は単なる宗教、いやオカルトやトンデモの範疇だぞ。
>>381 平安時代頃までの日本は、温暖期でかなり気温が高かったのではないか
と、言われているね、たとえば寝殿造りと言えば貴族の邸宅だが
そこの寝殿造りも、寝室である塗籠以外は、仕切のない構造で
格子という今の網戸に当たる戸を上げれば、すべてが開けっ放し状態になった
桜の時期も地球温暖化が叫ばれている現在とそれほど変わらなかったらしい。
寒い日本というイメージは、寒冷期であった江戸時代辺りのイメージが強い
ここから、温暖化その物が自然のサイクルであってCO2は関係ないという話になるのだが
それは、別のお話。
出雲大社(´・ω・`)みたいなの?
>>422 金剛組の社史には、
578年
>聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から三人の工匠が日本に招かれました。
>このうちのひとりが、金剛組初代の金剛重光です。工匠たちは、
>日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わりました。
>重光は、四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづけます。
と有るけどな。
>>424 釣りだと思うが、遣隋使や遣唐使、もっとさかのぼって魏志倭人伝みたいな
大陸との直接交渉の歴史は無視かよ。
>>417 高松建設が資金を出して、金剛組その物は存続してるよ
ただし、1400年続いた金剛家による個人企業体制ではなくなってるけどな。
430 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 07:06:05.25 ID:TOGyceaG0
>>417 >>424 百済は下層はチョンだけど、支配者は扶余族 つまり満州人の一派だ。
チョンとは縁もゆかりも無いよ。百済王の姓が何故「余」かを考えろ!
>>430 いや、下層所か中国の文献を信じるなら
百済は扶余族の王を頂く「倭人と漢人」の国、ということになる
いつも書くことだが、韓国が日本に文化を伝えたと喧伝する
王仁博士も、楽浪郡に住んでいた漢人だと解っている。
混合組を持ち出して、チョン由来であることを偉そうに言ってる人、
この間、ある市場で、「日本の文化は韓国から来たのよw」と
ふざけたこと言ってたババアにソックリなんだわw
韓国がそんなに優れているのなら、日本以上に経済発展していないとおかしい
といったらモゴモゴしてたよ。
韓国から、法隆寺や四天王寺でもいいけど、それレベルの遺跡などでも
発掘されてんの? ないだろ?
433 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 08:23:22.34 ID:TPAi3fQZ0
>>429 一昨年、近所(京都)の寺を金剛組が修理してたわ
434 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 08:23:44.27 ID:8cxzK2Lw0
>>423 高いよ。あれは48メートルとかだからな。
手元に、代々m法隆寺、薬師寺などの修理や再現など手がけた
最後の宮大工と呼ばれた 西岡常一さんの本があるんだけど、
西岡常一さんは、木に学べという本の中で、
「ペルシア、ギリシア、インド、中国の智恵がここに集まった」
ーーと書いていて、チョンのことなんぞ、一言も出てこないわ。
神代以来の体験の上に膨大な体験を重ねた伝統、
そしてそれを引き継ぐということ、
そして、それを日本の国土の気候に合わせるということ、
これをね、チョン3人が全部伝えましたー!
バカバカしいにも程がある。
436 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 08:26:23.57 ID:TPAi3fQZ0
ナショナリズムに絡める人が出てくるとめんどくさくなるね
437 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 08:28:23.11 ID:g6YrQ5rb0
CGって嘘って事だよね(w
438 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 08:29:03.61 ID:TOGyceaG0
>>428 新羅は東アジアの中じゃ最後進国だったのだから、
そうした妄想でもしなきゃ、チョンの劣等感が無くならないのさ。
百済は支配層が扶余族、被支配層が韓族の二重民族国家だったが
扶余族はチョンとは無縁な満州の民族だよ。
439 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 08:34:48.63 ID:lduE/Irm0
平安時代には、フランスは存在しなかったからメートル単位系も無かったはずじゃね?
なのに「91メートルの高さを誇った」って、記者としてどうなのよ?
金剛組のHP見たけど怪しすぎるわ。
法隆寺は、百済から渡来した2名の仕事などと書いてるが
インチキ臭いにも程があるよ? こんなこと言っていいの??
薬師寺の金堂と西塔を昭和の時代に作り直したとき、19年かかった。
飛鳥の時代の人は
薬師寺の七堂伽藍全部と他、14塔の建物をたったの14年で作ってる。
西岡常一さんはこう言ってる
優秀な人がたくさんいたんですな
「お前、西塔やれ」
「お前、東塔やれ」」
言うだけで、できたんや。 昔の人は立派です
百済から来た、たったの2名だけで法隆寺全部作ったとか
そんなことはとてもありえないんで、
素晴らしく優秀な宮大工がたくさんいたということなんだよ。
建築のことを分からない人が多いということを知っていて
箔付けにまるで自分らの仕事のように言ってるだけにしか
おもえない。
十重じゃなくて、九重なの?
>>432 お前馬鹿だろう、古代の朝鮮と今の韓国は全然別の国だぞ
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという奴だろうが、少しは勉強しろよ
あと、そんな浅学非才な韓流馬鹿女と一緒にするな。
金剛組が伝統があって〜
wikiにもそう書いてあるから〜で
鵜呑みにするなよ。
>>442 バカはお前だよ。
法隆寺は、普通に、日本人の優れた大工が建てたんだよ。
金剛組関係なし。
市場の韓流に頭を侵された婆と同じ。
>>433 どうやら、事業の手を広げすぎて倒れたらしい、
現在は宮大工一本に絞って活動しているとか
一応、金剛家の人が顧問にはいるらしい。
>>438 そそ、結局現在の韓国人は日本の連続性がうらやましくて仕方ないんだよな
だから、自分たちの国も連続性を持って一系で続いてきたと妄想する
実際は、穢族(現在の朝鮮人)だけではなく、倭人や漢人や扶余などが
入り交じって暮らしていて、穢族中心の"国家"となったのは
後のことだったらしいな、これってあの国に中世らしい中世が存在しないというのと
関係している気がする、少なくとも一つのイデオロギーで繋がった
同一民族(と自称する)による国家が続かないと、中世は存在しないのかも知れない。
そして、中世が存在しない限り近代もまた存在し得ない、あの国が
日本による近代化が行われるまで、古代と言っても差し支えないような
文化や習俗の中で生きていたのはその辺に起因するのかも。
法隆寺を手がけました!と言うのなら、
なぜ、奈良に住んで、
代々の法隆寺の修繕にずっと関わってないの〜?
昭和の法隆寺の大修理の時、なぜ西岡常一さんが
仕切ったの?金剛組じゃなかったの?
ーーとか、いろいろもう変じゃないか。
韓国のどうしようもなさを見ていれば、
韓国伝来ですっていうのは、全部無視していいよ。
韓国から来たのは、キムチの犯罪だけ。
>>444 なんだ、ただの夏厨かw
人生は長いが、学べる時期は一握りだ、
励んで学べよかし
>>448 お前が学べよ。日本の伝統や神話を。
頭蓋骨の中から脳みそ出して、
カビキラーに漬けたほうがいい。
その朝鮮脳は。
木を鉋で削る、それだけでも相当の技術を要するのに、
ちょっと誰かが教えたからって簡単にできるものじゃない。
たくさんの、凄い日本人の大工がいたんだよ。
この豊かで厳しい日本の自然に完全に寄り添って、
技術を鍛えた人たちが。
そういう人がたくさんいなければ、
多くの伽藍を短期間で建てたりすることはできない。
>>451 早く韓国に帰って、脳みそをカビキラーに漬けるように。
>>452 (嘲)
つか、おまえ対右翼のネガティブ工作だろw
たくさんの宮大工が協力して作ったものを
たった2,3人で、法隆寺やりました!と
自分の手柄のように言ってしまうこと自体が、チョンクオリティなんだよ。
>>453 ありとあらゆる日本の技術や文化、韓国伝来のもののように言うのは、
逆効果だぞ。
韓国人には、日本の建築物のようなもの作れない。
最近だって、建物が大揺れして、地震かと思ったら、
エアロビしてただけ、っていう事件があったな。韓国でw
>>456 そんなことは言ってないけどな、過去レスくらいはちゃんと読めよ、
学校で人の話を聞かないとか理解力が無いとか言われないか?
謎の揺れ、エアロビ原因か 韓国高層ビルで専門家
2011.7.20 14:28
クリックして拡大する
ソウル市東部にある39階建ての複合商業ビル「テクノマート」(ロイター)
ソウル市東部の広津区にある39階建ての複合商業ビル「テクノマート」で
原因不明の揺れが起きた問題で、安全検査をした専門家は19日、
12階にあるフィットネスクラブでのエアロビクスが原因との暫定結果を明らかにした。韓国メディアが報じた。
当初はビルの基礎部分の損傷や地盤変化などが原因として挙げられたが
調査の結果、エアロビクスによる振動の周期と、問題の揺れの周期が似ていたことが判明した。
揺れが発生した当時は約20人がエアロビクスをしており、
集団による振動が建物全体の共振現象を起こし、上層階で揺れを大きくさせた可能性があるとしている。
揺れが起きたのは5日で、買い物客ら数百人が避難する騒ぎとなり、一時、閉鎖措置が取られた。(共同)
これが、韓国の伝統技術です ↑
金剛組は経営多角化を狙って宮大工とは無関係のマンション建設に手を出した。
そして実績作りのために赤字受注を繰り返したあげく資金繰りに窮して破綻・・・・
世界最古の歴史と伝統技術があっても、アフォが社長になっちゃひとたまりもないね。
460 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 09:13:44.67 ID:DLa7itvqO
>>381 権現造りに連なる派手な神社は、春日大社が平城京というか興福寺に隣接した為に門や塀を宮殿や寺院の造りに合わせたのに由来するんかね。
>>457 法隆寺を、百済からいきなり招いた渡来人2,3人がやりましたっていうのは
かなり無理があるということを、いい加減理解しろよ。バカ者。
優秀な宮大工がたくさんいてこそできる。
堂塔、伽藍を建てるのには、たくさんの宮大工の力が必要で、
その宮大工の心、技術も知り尽くして、
木を組み合わせるように、職人の心も組み合わせなければできないんだよ。
突然来た、渡来人にできることじゃないよ。
言葉も通じないのにさ。
>>459 バブルの頃に、そう言う多角経営に乗り出して
ポシャった企業が、枚挙にいとまがないよな
吉兆の湯木氏じゃないが、屏風と商売は広げすぎると倒れる
とは、実によく言ったものだと思う。
>>461 明治維新のあと、お雇い外人の指導で
次々と洋風建築が立てられただろ、あれと一緒
めんどくさいから、2度書かなかったけど
>>425に書いたように
>普通に考えて、技師を呼んだということだと思うぞ
>技師が自分たちだけで建設するわけもなく、技師の設計と指導で
>日本人の技術者と工人が作った、と考えるべきだろう
それと、宮大工の棟梁にだけ伝わる口伝というのがあるんだが、
それに、
一般人の建築に手を出してはならないという掟があるんだよ。
金剛組はそれを破ってるわけだね。
西岡常一さんは、
その口伝を守りきって、
一般建築に手を出さなかった、
お宮の建築の仕事はそうそうあるものではないので
極貧生活を送り、結核にかかって、田畑を売ってしのいだ。
金剛組はやっぱりなんか違うよ。
>>463 例えば、お前みたいなアンポンタンに
五十の塔を建てる方法を教えたとして、すぐにできるのかよ?
技師を呼んで教えればお前はすぐできるのか?
指導すればできるのか?
もうちょっとよく考えなよ。
>>465 呆れるなwというかあきれた
無学者論に負けずって本当だったんだなw
鳩山並みだ
諸々の技法は、一日にして成らず
祖神たちの徳恵なり
さまざまな技法、木の癖を読んでそれを組む技術、
山の土質を知る・・など、
それは祖先からの積み重ねのおかげですよってこと。
外国から来た人間が技法をちょっと伝えればすぐできました
みたいに勘違いしてるようだけど、ぜんぜん違うよ?
日本の気候風土、それを知り尽くして、
神さまに畏敬を持って、自然に寄り添って生きないと
身につけられないよ。
468 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 09:30:32.50 ID:DLa7itvqO
>>465 縄文・弥生時代にはそれなりの高さや大きさの建築があったし、地震対策の木組みの技術なんかも遺物から確認されていたはず。
>>468 とにかく、日本は湿気が多い、台風もしょっちゅうで、
それにあわせた作りをしないと、すぐに建物がボロになって崩れてしまう
そのような厳しい日本の自然環境で鍛えられた大工だったからこそ、
千年以上持つ建物ができた
百済から人がやってきて、
技法を教えました!
そんなんじゃないよ。
>>453 半島経由の文化の伝播は無いよ?
渤海周辺は未開の土地でね陸路は無い。
文化の伝播は海上ルートな。
>>468 そう言うことですね、でそこに当時舶来の文化だった仏教の寺院を建てるのに
百済から技師を呼んできて、その工法と設計を聞いて日本の技術者と工人が作ったと。
>>470 当時の半島と今の半島をごっちゃにして、全否定は非科学的
魏志倭人伝を引き合いに出すまでもなく楽浪郡を帯方郡などの
中国の出先機関が半島にあったのは事実なんだから、
そこを経由しても不思議はないし、その場合でも
日本は大陸から直接文化を取り入れていることになる
少なくとも、俺は今散在する半島の国家は民族的にも
当時の半島には存在していなかったとみている。
あと、まあ変な例だが、今の半島を無理矢理例にすると米国から
半島にある米軍基地を経由して、日本に来た物は半島由来じゃなくて
米国由来だろ、そう言うこと、強引でめちゃくちゃにたとえだけどな。
違うっちゅうの。
バカだな。ほんとに。
日本の建築物は、日本の気候に合わせて作られてんだよ。
そうなると設計も違うわけだから。当然。
法隆寺に代々関わってきて、棟梁が、
ペルシア、中国、ギリシア、インドの智恵と言っていて、
半島由来なんて、出てこないんだから。
>>375 千年後にも大仏殿は保存されてるだろうナと思うと、感慨深い
木を曲げる技術なかった李朝には車も樽もなかった・
水車は5百年近く実用化できず・商店もなかった・
顔料もなかったので壷も衣も全部白だった・
これが韓国の技術のレベル↑
>>473 そうか、明治の西洋建築は日本の気候に併せて立てられたのか
鹿鳴館も日本建築だったんだな。
水車を何百年もかけて結局、普及出来なかった韓国のお話。
農業技術は中国と日本から何度も移入しているのだがいつまでたっても追いつかなかった。
1429 世宗11年12月3日 日本の水車が凄いと報告。
1430 世宗12年9月27日 水車を造ろうとする
1431 世宗13年5月17日 中国も日本も水車の利を得ているが我が国(朝鮮)にはそれがない。
1431 世宗13年11月18日 日本と中国の水車の研究の記述がちらほら。
1431 世宗13年12月25日 水車導入を試みる。
1451 文宗元年11月18日 どうやら水車の導入に失敗。
1488 成宗19年6月24年 水車導入の試みがあります(そして音沙汰無し・・・。)
1502 燕山君8年3月4日 水車導入の試みが書かれています(そして音沙汰無し・・・。)
1546 明宗元年2月1日 水車導入の試みが書かれています。琉球(沖縄)と中国で教わった福建式の水車の様です。
ここから100年間水車の記述が有りません。消滅したようです。
1650 孝宗元年5月15日 水車導入の試み
そして30年記述無し。
1679 肅宗5年3月3日 水車を造らせたと記述。 そして70年記述無し。
1740 英祖16年4月5日 水車など無くなりました。『孝宗大王嘗頒遼瀋水車之制於外方, 今無見存者』
1740 英祖16年11月20日 また水車を造らせたと記述。一向に普及する様子が有りません。
1764 1763-1764年 の朝鮮通信使の「日東壮遊歌」に(淀城の水汲み水車の感想)「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」と記述有り。
1795 正祖19年2月18日 水車之制について盛んに出てくる。普及している感じはしない。
1811 純祖11年3月30日 ここの記述でも水車なんか必要なのか?と書かれており全く普及していない事が読み取れる
>>477 日本の建築物っていうのは、堂塔伽藍のことで、
鹿鳴館とかの西洋建築のことじゃないが?
今までずっと、堂塔伽藍の話してただろ。
ついに屁理屈でイチャモンつけるしかなくなったか。
>>478 その「韓国」人と此処で言われている「半島」の技術者は民族が違うから。
>>479 当時の日本にとって、仏教建築なんかは舶来で
明治の西洋建築と同じ位置にあったって言ってるんだよ
わざとだろ、ねぇわざと言ってるんだよね、
人が言ってることを全く理解せずに、言ってるんじゃないよね
そこまでアレな人が世の中にいると思いたくない。
朝鮮日報(韓国語)
韓国業社参加マレーシア最新式競技場屋根、1年で崩壊
今月2日午前9時40分(現地時間)
マレーシアで完工されてからわずか1年にしかならない最新式競技場の屋根が
崩れる事故が発生したと現地メディアが伝えた。
この競技場はクアラ・トレングヌー(Kuala Terengganu)州にある
サルタン・ミザン・ジャイナル・アビジン・スタジアム(Sultan Mizan Zainal Abidin Stadium)だ。
この競技場は5万席規模であり、崩れた所は東側観客席の屋根だ。
誰もいない午前に起こった事故なので幸いに人命被害はなかった。
アジアワン・ニュ−スによればこの競技場は3億リンギット(マレーシア貨幣単位、
約1070億ウォン)ほどを投入して建設され、
今回の崩壊被害額は約2千5百万リンギット(約89億ウォン)程に昇ると推算されると言う。
崩壊当時、飛行機が不時着するような轟音がしたと
アジアワン・ニュースは伝えた。競技中に発生していたら大惨事になる所だったが、
幸いに人命被害はなかった。この屋根の建設には韓国企業が参加したという。
「ザ・スター」はまだ名前が報道されていないこの韓国企業は屋根構造の下請けを受けて施工したと報道した。
またマレーシア公共評価委員会(Public Accounts Committee)の議長、
ダン・セン・キアウ博士は「数千人が死んだかもしれない事故で、
法廷で莫大な被害を出した責任が誰にあるのか、どうして崩れたのか調査する」と語った。
>>481 鹿鳴館みたいのは、日本建築が入ってる部分が少ないだろ。
全然ちがうよ?
これを飛鳥時代の堂塔伽藍の建築と同一のものとして考えるなんてアホのすること。
もう苦し紛れだねw
飛鳥時代には、騎馬が疾走する為の道幅12mの直線式高速道路が、東北から九州まで
通じていた。
平安時代に日本人を支配した百済系の政府は、それを6mに狭め、牛車を使用した。
1995年6月29日、韓国、ソウル市の地上5階、地下4階の「三豊(サンプン)百貨店」は、
多くの人で賑わっていた。しかし、閉店間際の午後5時50分、この高級デパートが突如、轟音を立てて崩壊した。
駆けつけた救助隊の懸命な救出活動にもかかわらず、
死者501名・負傷者937名・行方不明者6名という、韓国はもちろん世界にも類を見ない大惨事となったのである。
1995年6月29日 午前8時30分(崩壊9時間20分前)
店員達は開店準備を始めていた。実は事故前日、5階の従業員が天井のひび割れを発見していたが、
小さかったので、報告しなかった。
しかし翌朝、ひび割れがさらに大きくなっていたため、従業員は直ちに 上司に報告した。
午前9時(崩壊8時間50分前)
経営陣が集まり、天井のひび割れについての緊急会議を開いた。
そしてデパートの営業はこのまま続けることになった。 ← 半島クオリティ
午後3時(崩壊2時間50分前)
社長が呼んだ建築士らがデパートに到着。調査の結果、危険を察知した専門家たちが警告を発したにもかかわらず、
経営陣は、まもなく閉店だからという理由で、デパートの営業を続けることにした。
午後5時50分
ついに5階の天井が崩れ落ちた。デパートの崩壊が始まった。
まるで、地震が起こったかのように建物は揺れ始め、
客や従業員達は皆一斉に出口に向かって逃げ出した。
事故報告書によると、最初の崩壊が始まってからわずか45秒で、地下2階まで崩壊してしまった。
486 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 10:32:50.47 ID:aodAk3Xo0
招いた技術者は朝鮮からじゃないだろ
なんでそこを誇ってるのかわからん
なぜか悪魔騎士編でウォーズマンの体内で戦ってるときを思い出した
日本の気候風土に合わず、渡来したけど根付かなかった技術って案外あるね。
オンドルだの弩だの、伝わった痕跡はあるけど気候風土に合わず廃れたと考えられる。
建築技術も同様で、様式はよく似てるけど屋根が高く軒が深いとか土台の作り方とか日本独特。
鉄砲みたいに元々あった技術と渡来技術が融合して発展したと考えるのが自然なんだけど、
寺院建築以外の古建築の物証が乏しいので定説を形成するには程遠い・・・・
490 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 11:13:22.86 ID:j0UDq1wL0
避雷針の無い時代に高い建物を建てるってどうなの
492 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 11:19:48.93 ID:W5//arx60
平安のバベルの塔やー
493 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 11:21:35.23 ID:iopMd8N+0
>>491 そういう被害が多かったから避雷針が発明されたわけだろ?
後知恵だったらなんでもいえるわな。
494 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 11:57:58.71 ID:TPAi3fQZ0
>>491 逆に考えるんだ
避雷針となって本堂を守るための塔なんだよ
でなきゃわざわざ重たい金属製の相輪をてっぺんに持ち上げないよ
495 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 12:04:23.09 ID:HUvln21d0
現代の技術に換算するとゆうに1.5kmは超える計算になるな。
飛び降り自殺した人は何人位いるかな?
497 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 12:15:13.15 ID:654Q1ZXX0
金剛組の社史は何時、誰が書いたか分かるといいが。
それと現在の出資者も。
古建築の歴史って落雷と不可分だね。
兵火で焼失したものも少なくないけど、たいていは落雷。
東寺の五重塔は何度も落雷で焼失、再建されてるんで、
法隆寺の五重塔が現存するのはほとんど奇跡的・・・
499 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 12:51:59.74 ID:XICPJdWZ0
>>432 韓国ではなく、
古代朝鮮を経由して多くの技術・文物がやってきたのは確かだよ。
文字も帰化人が伝えたし、仏教や儒教、土師器や陶磁器、構造船、新しい例では城の石垣の積み方等々
まーそれを伝えた古代朝鮮人(倭寇によって拉致された来た奴隷も多い)が我等の祖先であるんで、
現代朝鮮人にはなんの関係も無いが・・・
国の、文化財建造物保存技術指定業者の俺の意見
昔にチョンとシナチクが技法を伝えたのは間違いないよ。
今のアルカニダとは違うしね。
因みに金剛組は二流、開祖がチョンも本当
その頃に残した、寺で日本式でないのも各地に残ってる
建物の線が懸垂曲線じゃなくて、サイクロイド曲線に近い、日本の風景に合わない建物なんて山ほどあるって
アルカニダ憎いのは同感だが、事実を捻じ曲げてまではどうかな
棟札にチョンらしい名前見つけることはそれほど珍しいことでもないよ
501 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 12:56:37.06 ID:9bekgsq50
>>498 針金って歴史上いつくらいに登場したんだろう?
被覆ケーブルは無理でも、針金作れたら工夫して地上までアースできたりしないか。
雷の性質自体分かってなかったので、それはやはり無理だったのか。
>>500 >昔にチョンとシナチクが技法を伝えたのは間違いないよ。
応用技術はその通りだろうが、基本技術は別。
鉄砲鍛冶と同様に土台が整っていたから吸収できた。
巨大古墳や高速道路がすでに存在していた。
>>501 日本の針金の歴史ってはっきりしてなくて、技術史の謎のひとつ。
青銅を削ったようなものなら古墳時代に存在してたものの、
長い鉄の針金が手工業的ながら量産されるようになった安土桃山時代まで数百年間の経緯はほとんど不明。
でも青銅の針金状のものなら平安以前の仏像や仏具、塔の飾り金具に使われているので、
当時雷の性質に気付いた匠がいたらアースをとっていたかも・・・・・・・
>>500 チョンは日本に関わる物を、現実を無視して全否定する。
嫌韓厨も半島に関わる物を、現実を無視して全否定する。
相反している者であるはずが、行動や思考がそっくりなんだよな
学問や資料を無視した感情論、都合の悪い物はガンとして認めない頑固さ
ああ言えばこういう形式の屁理屈による自己肯定を繰り返すだけの議論
出してくる論拠は妄想に近い脳内ソースか、誰かが垂れ流した脳内ソースの引用
すべてに置いて、相似形。
505 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 14:17:57.52 ID:654Q1ZXX0
>>499 >現代朝鮮人にはなんの関係も無いが・・・
それはそうだが、古代朝鮮といっても、300年間
実質的に日本の支配下にあったわけで、その時代
のことをいろいろと自慢されてもな・・・・。
506 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 17:24:44.41 ID:W7Noeoen0
ここって酷いな
渡来人、渡来人と連呼している輩がいるが…
日本には、それ以前から巨大建築も造っているし、
古墳もそうだが、今残ってないものも多いが
巨大建築を沢山しているんだよ
渡来人の技術がすべてみたいな言い方はよしなさい
それから巨大建築が嘘だのといっている人がいるが
縄文杉というものを調べてみたらいい
昔は、本当に巨木があったことに驚くだろう
できれば、みんなに縄文杉の博物館を見て欲しいのだが
とにかく『縄文杉』で調べてみろ
>>506 少なくとも仏教建築は渡来人の技師を招いて作られた
というのは確かだがな、何もかも渡来人が作ったという奴と
渡来人は全く関わってないという奴は同レベルの馬鹿。
>>504 韓国面に墜ちたという奴だな、韓国面に墜ちた嫌韓厨をネトウヨという奴が居るが
嫌韓厨は何処まで行ってもただの嫌韓厨であってネトウヨではないと
ネトウヨを自認する俺は思う。
510 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 19:58:50.53 ID:uUBC5a6I0
>>417 > 578年に聖徳太子が百済から3人の宮大工を招集し、そのうちの1人金剛重光と
>いう人物が設立した会社。
>つまり百済、今の朝鮮半島から呼んでいると言う事になる。
百済系が支配していたので、仮に他の国からであっても、そうは書けない。
新羅は、白木・志木・設楽などと改名している。
飛鳥時代から高度土木建築技術を伝承してきたのは、秦氏末裔の穢多。
512 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:10:42.32 ID:ykq3CHsq0
なんだ 食糞民族が涌いているのか
あいかわらず、キモイ ストーカー民族だな
>>511 秦氏は別にえたというわけじゃないだろ
長宗我部氏も秦氏だし惟宗氏も秦氏だから
514 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:13:48.89 ID:dxLcCoq90
>>507 日本に定住できないから遣唐使送ったんじゃないの?
どこに住んでたの?
>>514 は?渡来人の職能集団は
普通に日本に定住して朝廷に仕えてただろ
516 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:18:52.65 ID:dxLcCoq90
>>515 うん
だから宮中の何処に勤め住んでたの?
517 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:21:24.15 ID:CLEW5Nf80
なんだ起源は中国なのか
パクリ国家ジャップ醜いな
>>24大きな木材は日本には無くて、台湾から持ってきたりするんだとか
更に台湾でも近年は枯渇しているんだとか
アメリカのダグラスファーとか使うしかないのかな?
あるいはそれじゃ味気ないと言われそうだが、木材チップと炭素繊維を合成樹脂で固めた素材でも使うとか
520 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:23:11.85 ID:czdHObaL0
木を曲げるコトすらできない民族と、造営のため招聘した渡来人が同じ民族である訳が無いだろう。
521 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:25:48.17 ID:cPeTkg3u0
テッコンキンクリートで復元しようぜw
韓国なんて20世紀まで庶民は一階建てしかなかっただろw
糞舐めて遊んでた末裔は、今でもデパートとか橋とかドームを自壊させてんじゃんw
根本的に無理、向いてないってことだな
>>516 えっとね、何処に勤めたという話だと、まず最初に
錦織部とかの職能別に分けられた例と、王仁博士のように
学者として使えた例があって、その後の話は、日本の姓氏から説明するけど、
基本的に日本の姓氏は大きく3つに分けられる
これがいわゆる神別・皇別・諸蕃の3つで、このうちの諸蕃と呼ばれるのが
渡来人の子孫とされている、たとえば能楽の始祖とされる秦河勝も言うまでもなく
秦氏で諸蕃ですね、今すぐに諸蕃系の公家は誰それとは出てきませんが
大内氏なんかも多々良氏で百済系の諸蕃ですね、そう言う感じで
普通に日本の氏族として定着しています。
525 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:41:10.35 ID:dxLcCoq90
>>523 錦織部は倭錦を織ってた司じゃないの?
倭錦はどこで織ってたの?
それはともかく錦織部と仏教寺院が何の関係があるの?
>>525 ああ、絡み嫌韓厨か一気に相手する気がうせた
527 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:45:43.67 ID:dxLcCoq90
>>526 レッテルを貼って終わり?
意味分らない、自論なら説明しないと説得力ないよ
529 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 20:54:13.68 ID:dxLcCoq90
>>528 個人サイトなんだけど・・・なんとでも書けるよね?
>それはともかく錦織部と仏教寺院が何の関係があるの?
こっちはどうしたの?
>>529 はいはい、
なんの関係?俺はおまえが
日本に定住できないから遣唐使送ったんじゃないの?
というから、渡来人は定住していたという話をしただけだ。
チョンと嫌韓厨とには関わりたくないんだよ、
どちらも、なにを言ってもああ言えばこういうで、水掛け論しかできないから。
というわけで俺の負けで間違っていたのが俺と言うことで良いから、
もう関わらないでくれ、虫ずが走る。
532 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 21:02:44.61 ID:dxLcCoq90
>>530 >>507 >少なくとも仏教建築は渡来人の技師を招いて作られた
>というのは確かだがな
断言するならもっと掘り下げが必要だけど、確かというなら、
いつ、どこで、誰が、の基本3点くらいは答えればいいのに。
ロジックもなく「確か」という表現をするほど馬鹿ではないだろう。
その昔、渡来系と思わしき人達が来たという伝承が・・・だけじゃレッテル貼りと変らないよ。
>>532 最後に、どうせ怪しいとか言って否定するだろうが
金剛組の社史でも読んでくれ、あの会社の祖は
百済から聖徳太子が招いた建築技術者だ。
そんなことより古代出雲大社の復元でもしようぜ
536 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 21:10:14.50 ID:dxLcCoq90
>>533 怪しいとは一言も書いてないけど、自論言うなら説明できないと説得力ないよ、ということ。
11世紀の建築物で、聖徳太子が〜のロジックの人には分らないかもしれないけどね。
>>536 自論じゃないよ、日本史関係の書籍を図書館で通読してこい
これにて一切のレスをしない、だから返答レスも要らない。
以上
538 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 21:36:21.62 ID:4NXtB9WT0
この塔は当時の京都の端っこにあった。
ようするに実際は、見張りの塔なのだ。
539 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 21:37:33.85 ID:dxLcCoq90
>>537 いなくなってかと思ってたw
書籍は1つの根拠になるけど、専門家こそ史実を決定論で論じないものだよ。
読み間違えてるんじゃないの。
明治の時点で台湾産ヒノキの大木も枯渇していて、唐招提寺の明治大修理には質の悪い材まで使われていた。
修理すら困難だから、大きな塔をそっくり木造で復元するなんて数百年間は無理だろうね。
いずれ炭素繊維入りの木質プラスチックなんかが使われるようになると思う。
でもカーボンの柱を使うなら古代出雲大社も復元できるだろうなw
541 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 21:41:17.59 ID:tVZT8eqC0
>>538 同じような高い塔を各所に建てる。
都などではない重要視されない地点では、火の見やぐら的な杜撰な作り。
しかしそれらを或る線上に並べて、松明の炎などを見え隠れさせてモールス信号的に活用。
それで通信を行なってたとかいう説は、全くのお笑い説なの?
実際にそういうことやれば便利でもあるよね。複数の中継点を使えば長距離通信が
短時間で実行できる。
>>425 建設様式指導者じゃないか?
こんな感じに作ってね。
美容室へ行って、タレントの○○の様なヘアスタイルにしてね。
こんな感じでと・・・・・・雑誌見せる。
543 :
名無しさん@12周年:2011/07/30(土) 22:49:50.03 ID:654Q1ZXX0
>>542 そうだと思うよ。仏教様式デザイナーというか、あの時代
にはどこに講堂をとか塔をとか伽藍配置の宗教的な意味
あいが極めて重要だったから、そういう専門家を呼んだの
だろう。建築技術は自前の精緻さとハイテクを駆使した高度
なもので大陸をはるかに凌駕していたに違いない。
544 :
名無しさん@12周年:2011/07/31(日) 08:31:12.60 ID:gwDOOwan0
八九寺と聞いて