【岡山】卑弥呼は吉備出身か 国立歴史民俗博物館の春成秀爾名誉教授、山陽新聞社さん太ホールで講演★2
1 :
春デブリφ ★:
★卑弥呼は吉備出身か 春成氏講演 おかやま歴史塾第11期が開幕
「おかやま歴史塾〜時代を拓(ひら)いた先覚者に学ぶ」の第11期最初の講演会が18
日、岡山市北区柳町、山陽新聞社さん太ホールで開かれた。国立歴史民俗博物館の春成
秀爾名誉教授が「女王卑弥呼(ひみこ)は吉備出身か」と題し、岡山との驚くべき関係
に迫った。
春成名誉教授は、近年の炭素年代測定によって卑弥呼の墓の可能性が高まった箸墓
(はしはか)古墳(奈良県桜井市)から、吉備で発達した特殊器台や円筒埴輪(はに
わ)が採集されることに着目。同器台や楯築(たてつき)墳丘墓(倉敷市)の弧帯石に
刻まれた弧帯文が、竜に由来する文様で、吉備一族が祖先を竜とする信仰を持っていた
ことを示すとした上で、「卑弥呼が吉備一族の出身であることを物語っている」と結論
付けた。
中国の魏志倭人伝に記された卑弥呼の「鬼道」も、吉備から継承した竜の祭祀(さい
し)と指摘。「霊的な権威で国をまとめ上げ、3世紀のアジアで最大規模の墓を築くだ
けの力を手にした」と約300人の聴衆に語った。
同塾は毎月1回開催。今期は、古代から近代までの人物をテーマに6講演を行う。募
集は締め切っている。
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2011061823400097/ ※前(★1:06/19(日) 15:02)
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1308463328/-100
2 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:03:58.26 ID:L5WJYQ+tO
卑弥呼さまーっ!!!
3 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:04:49.03 ID:g0raJCMkO
邪馬台国の起源は韓国だろ
宇宙の起源も韓国らしいなら
4 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:05:48.73 ID:Exn+Gyp10
卑弥呼様
5 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:06:12.36 ID:HtS7u3Wo0
すっげ どうでもいい ヽ(・∀・)ノ
6 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:06:34.25 ID:pjuXtL6G0
弟が桃太郎だとするとありえない話でもないな
7 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:06:55.54 ID:JoNSPgzW0
邪馬台国は北九州、岡山県は関係無い。
8 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:07:30.43 ID:HDnN4frr0
星野仙一「卑弥呼はワシと同じ岡山出身」
9 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:07:43.23 ID:NwgKFXfYO
<丶`∀´>ヒ・ミコは韓国人ニダ
卑弥呼は、20〜30代もしくは40〜50代の犯行
日本人である可能性も否定できないかもしれないということを念頭に入れておきたい。
そして男性、もしくは女性、中年、あるいは高齢者と思われます。
だが若年の可能性も否定しない方が賢明であるといわざるを得ません。
卑弥呼の体型は、筋肉質でありやせ型、時々中肉中背〜肥満型で、
着痩せや、着太りして見える見える場合もあるということも考慮しておかなければなりません。
身長は、140〜160cm代もしくは、170〜180cm代でほぼ間違いないと思われますが、
140cm以下の可能性もあると考えて捜査するのが基本になります。
移動は、主に公共交通機関を使いながらバイクか車、もしくは自転車か徒歩で逃走、
船や飛行機を使うことももちろん考えられますが、馬や犬ぞりに乗り移動といった特殊な
移動手段もあるということも頭にいれておくべきです。
現在の潜伏先は、山林か繁華街か住宅地、すでに国外へ逃亡している可能性も否めません。
間違いない。
太ホール
12 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:19:13.59 ID:7kNOBTcs0
卑弥呼の一族の一部が吉備に移り住んだということは無いのかよ。
とりあえず卑弥呼が確実にいたという確証くれ
今検索したら豊島区池袋出身って書いてあるじゃねーか。
『大和撫子タマの腰』という記録にも彼女の活躍が残っているようだ。
終了。
15 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:33:22.99 ID:W0FQ2JMB0
太ホールって何?
16 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:35:31.08 ID:Lq/8mg3h0
>>7 悪いけど、北九州だけは無いわ。
畿内か、徳島だな。
九州説は文句の前に場所を示そう
話はそれから
18 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 01:59:50.40 ID:e19av8/z0
いや残念だけど卑弥呼は韓国人説が今や学会の常識
19 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:04:24.11 ID:86ormK6D0
吉備系だよね
ももそひめの子がももたろう=応神=神武だよ
20 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:04:53.08 ID:jND4yGHU0
畿内説とか北九州説とかは聞いたけど、今度は岡山も参戦か。
歴史ロマンの膨らむ論争なら、大いに歓迎だけどね。
21 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:09:20.20 ID:KNmvNmC/0
卑弥呼のルーツは別として、
邪馬台国はもう大和国、大和(奈良)でいいような気も。
名前もほとんどそのまんまなんだし、その後の歴史の流れ的にも。
初代の神武天皇・大和政権(弥生時代、古墳時代)飛鳥寺 法隆寺 東大寺
藤原京 平城京(奈良時代)〜
奈良県民じゃない俺でも、関連のあるなしとは別としても有名どころの名前が
ごろごろと出てくるしさぁ。
22 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:11:33.68 ID:YW3YTOFZO
おそらく徳島。剣山のソロモン伝説は興味深いぞ。
>>20 これは畿内説。
卑弥呼とか邪馬台国はとりあえず置いとくとしても
考古学から大和朝廷の始まりに吉備の勢力が
かなり深く絡んでることが明らかになってる。
24 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:36:39.77 ID:zTCytJGL0
無意味に広島をやっかんだり、やたら起源説を持ち出すのは
あの国の連中にソックリwww
卑弥呼云々も戦前の神話万歳とさほど変わらん
卑弥呼もある意味「神話」上の存在でしかない
卑弥呼も国学の分野に組み込みゃいいんだよ
卑弥呼はオワコン
27 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:54:15.11 ID:Uad3L+lK0
考古学者が商売で、新学説持ち出すのは勝手だが、
邪馬台国が、昔どこにあったとしても、
はっきり言って、現代人にはどうでも良いこと。
昔の日本の中心は、ワシの処だった!とか言って
西日本の田舎者どもが、
アツくなって騒いでるのは見苦しいね。
28 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:57:00.65 ID:AKd7vjId0
宮内庁はとりあえず古墳の調査を開放しろ。
誰のかわからん墓をありがたがって天皇陵にするなんて北朝鮮の檀君陵並みの考えだ。
昔は古墳の上に茶店があったくらいだぞ。
29 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:57:23.42 ID:EQ+XNJG60
さっきから「卑弥呼=韓国」って言う人は自説にこだわる工作員もどきだな・・・
古代の言い方でいえば韓国なんてもんはないだろ
なぜ無理に「韓国人」と言い続ける
学会も捏造ばかりだと知れ渡っている今、学会に威光なんて無いよ
どうあっても現代日本と韓国をくっつけたいアホがいるらしい
古代にとうに枝分かれしてるのに
30 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:57:41.80 ID:hx65M1yx0
無職なの
31 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 02:59:29.10 ID:AKd7vjId0
>>29 国号と民族のリンクがわかってないアホが多いから仕方ないよね。
>>30 ハロワか求人サイトへどうぞ
32 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 03:05:35.33 ID:OeujdCT+0
そもそも箸墓が卑弥呼の墓ってのは確定なのか
33 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 03:13:27.88 ID:TmiAbqiyO
>>20 岡山説は畿内説と同じ。
「ヤマト連合王国」が九州地方にとどまるとするのが九州説、
九州を含む西日本全域の事とするのが畿内説。
物証から見れば畿内説以外はとりようがないし、
倭人伝における邪馬台国の位置は沖縄を示しているので、
いずれにしろ九州説は無いな。
>>32 年代測定が根拠だが、測定方法自体が年々進歩してる感じなので、
今後より正確な測定方法が開発されて違う結果が出るという可能性はある。
封印された秘密子
35 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 04:07:51.82 ID:ys7Fs1dtO
>>32 だよね。
その説が成り立たないと吉備出身説の話は始まらない。
卑弥呼の表記が氷見子だったら面白い。
卑弥呼様のソウルジェムぺろぺろしたいです
>>27 マジレスすると古代史の解読は天皇家が自称する系統に甚大な影響を与える
つまり現在元首として振舞うことまで影響が出てくる
国家のアイデンティティーやシステムにまで影響があるんだよ
38 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 04:28:29.94 ID:ftoJpQcS0
倭人
39 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 04:32:45.94 ID:i7WcNTof0
そもそも卑弥呼なんて存在したのかどうか
40 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 04:37:59.24 ID:eBe2if230
>>魏志倭人伝
中国の正史『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている
東夷伝の倭人の条の略称
41 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 04:40:44.49 ID:eBe2if230
42 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 04:41:22.99 ID:6f+2tSuz0
よ・・・吉備!
43 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 04:41:41.38 ID:zNqzWj9/0
キムコは愛知県だがな。
44 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 04:43:25.50 ID:4tvgDKKk0
トレイシー早希
卑弥呼とは関係ないが、4〜5世紀頃の日本は朝鮮半島西南部をも支配していたようだ。
百済≒日本勢力
ちなみに百済にも日本と同様の前方後円墳が発見されており、
埋葬品も江田船山古墳などと共通点が多い。
46 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 05:01:59.67 ID:ad0ZwI+0O
卑弥呼の起源というか出生地はどうやら
韓国は釜山にあるらしいな
信頼出来る韓国の歴史学の専門家が断言してるな
47 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 05:12:32.62 ID:nV2KoR4o0
初めて、岡山県総社市(遺跡がたくさんある)に行った時、
明日香村ととても地形や雰囲気が似ているなと思ったので、
なんか納得。
そもそも邪馬台ってどういう意味なんだ
ヤマトと似てはいるが、それだけで同一視すんのもあれだし
古代の日本語でヤマタイにもっともらしい意味があったりはしないの?
49 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 05:15:24.15 ID:hZiU4M1QO
昔は日本と朝鮮は同じ国だったんだよ
そして政府は向こうにあったんだよ
まあ魏志倭人伝的には九州のどこかに限定されるし、畿内説はありえないかな。
はい
大都会大都会
>>46 韓国に「信頼できる専門家」なんて居ませんが…
>>48 >そもそも邪馬台ってどういう意味なんだ
>古代の日本語でヤマタイにもっともらしい意味があったりはしないの?
そもそも邪馬台をヤマタイと古代中国人が読んでいたのか?
ヤマトと聞いて邪馬台と書いた可能性はないのか?
54 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 06:05:33.40 ID:hZiU4M1QO
邪馬台国は邪馬台国なんだよ
竜を祖先とする伝承は世界中、何処にでもあったんだから
吉備一族とは限らないだろ
都合上が悪いから時の権力者達に消されて言ったんだんよ
シャーマンと言えば宇佐神宮だろ
56 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 06:16:21.35 ID:oaSqyDs2O
吉備ら辺りは投馬国 邪馬台国は畿内広範囲 九州や対馬の監視に一大卒を置いた
57 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 06:18:06.50 ID:hZiU4M1QO
まず卑弥呼と天皇家は違うだろうな
卑弥呼が本当の日本の王なんだよ
畿内説こそネトウヨのみなさんが憎むあのキャンペーンだと思うんですけど…
>>57 そうだよ。違う系統。
卑弥呼の国では、男女とも全身刺青だった。顔にも体にも刺青。
神武東征で滅ぼされた大和地方の王朝のようにね。
天孫は朝鮮半島から九州に降臨して、日本古来の邪馬台国を滅ぼしてしまい、
先住民族を蝦夷として討伐した。
教科書では省かれるが、旧唐書には、日本は元々小国で、倭を征服したと
書いてある。おまけに、日本は元々朝鮮半島の辰という国だと言う。
「山陽新聞社さん」なんてわざわざ新聞社に「さん」づけするなんて、
そんなの必要ないだろ。
読み間違いか。「さん太ホール」ってなんだよ。
61 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 08:24:51.44 ID:visgqgF/O
>>28 古墳を掘り返したって陵主が解るとは限りませんよ。
特に雄略天皇より前は文字を使っていた形跡がありませんから、副葬品から陵主を特定するのは困難だと思われます。
62 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 08:29:47.45 ID:xS99ONtT0
>>27 東国人は蚊帳の外www
>>60 昔「三太物語」なんてのがあった。それを記念して建てたホール。
>>61 地域毎に通用する文字も無かったのかね?
あっても今じゃ分からないかもしれないけど
64 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 08:46:17.49 ID:visgqgF/O
>>63 そんなものがあったら考古学者は狂喜乱舞してますわな。
神代文字なんてのもありましたが、これは江戸時代くらいに作らるたもので
古墳などからの発見例は無かったんじゃないかな。
それより古墳の向きや周辺の神社から推定したり
平安時代頃に後付けされたとみられる墓碑を研究した方が
先文字時代の陵主特定の根拠になると思います。
65 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 08:48:23.62 ID:KMDQsqF/0
さん太ホールって何?
昔の人の妄想小説だよ
バカヤロウ!w
宇宙の起源が韓国なのに何をぼけた事をいってる
69 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 09:21:24.31 ID:spBWZ83M0
吉備は大和朝廷とは反対する勢力が住んでいたということで有名なところだよ。
そこから桃太郎の鬼退治の伝説もできたんだから。
むしろ大和が吉備の豪族を征服して服属させた証として様々な土器が大和から出土した
と考えるほうが自然だろう。
70 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 09:25:35.47 ID:CB8EEq2CO
邪馬台国は韓国にある。
で、海を渡って出雲国が侵略され吉備国が侵略され関西に大和朝廷を造った。
>>69 ドアホ。
ここでの話題は大和政権成立時期のことで、時代が下った時期の話を絡めてどうするよ。
72 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 09:28:03.45 ID:visgqgF/O
>>69 温羅退治なら、その伝承の中で崇神天皇の命で派遣された吉備津彦命が退治した事になってるね。
73 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 09:32:54.81 ID:visgqgF/O
>>71 吉備津彦命の伝承は、まさにその箸墓古墳の頃の時代の話なんだが。
ついでに吉備津彦命は箸墓古墳に埋葬された倭途途日母母襲比賣命の弟であり
彼女を卑弥呼と比定するなら、卑弥呼の弟は桃太郎だったという事になる。
卑弥呼を宗主とする邪馬台国から大和王権が派生したと考えたほうが自然。
75 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 09:36:07.65 ID:GwLyvqDoO
畿内説
筑紫説
出雲説
熊野説
但馬説
大隅説
武蔵説
鹿島説
琉球説
台湾説
インドネシア説
エジプト説
もう何でもありだぜ邪馬台国。
77 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 09:42:19.18 ID:FdXtta280
正始元年、魏使の梯儁が来倭するに当たって韓を歴て朝鮮半島の北西から南東へ向けて洛東江沿いに陸行し
狗邪韓国に着いた際にその経路上にあった国が賣廬國である 朝鮮半島南部に倭地があり
狗邪韓国は倭国を構成する30国の中の一国である。
漢の時朝見する者あり今、使訳通ずる所三十国」・・・・・(魏志倭人伝)
この使訳通ずる所三十国とは対海国一大国末盧国伊都国奴国不弥国投馬国邪馬壱国その余の旁国21国対海国から
その余の旁国21国まで合せて29国。 あと1国で30国このあと1国は狗邪韓国か?それとも狗奴国か?
ですが狗奴国は「女王に属さず、素より和せず」ですから 倭国を構成する30国は狗邪韓国になります。
すなわち狗邪韓国は日本の一部です。
78 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 09:45:25.98 ID:NEYyYoD/O
吉備国のほうが鉄器を生産してるのに
大和国のほうが戦力があるってのがなぁ
79 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 09:49:26.46 ID:visgqgF/O
>>78 ペンは剣より強しって言うだろ。
単純に武力だけでは力関係は考察できないよ。
大和朝廷の管轄下の海洋交通拠点として武装してたのかもしれんし。
邪馬台国が日本にあった事だけはガチなんだろう。
九州よりは古墳や遺跡も立派で多少説得力があるな
83 :
くろねこ:2011/06/20(月) 09:54:33.34 ID:4fUdCDU60
何人かの学者は(畿内説の人もいる)
耶馬壱と書かれてあるから
ヤマイ、ヤマイチと読んでくれといっている。
これは倭人伝に書かれてあるイチの字(変換できない)が、
複雑なため略字にして台の字を当てるようにしてしまった。
それ以後、ヤマ台、ヤマタイと読むようになってしまった。
たしかに正書ではイチの字は昔の壱万円のより複雑な
イチの字を当てている。こうなってくると、
ヤマイ、ヤマイチとヤマト、ヤマタイではかなり違ってくる。
ヤマイでピンとくるのは筑後地方の八女かな。
いずれにしろヤマ○は間違いないから、
山の裾野にあった政権じゃないかな。
84 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 09:55:52.19 ID:ceCWxR62O
大和朝廷と邪馬台国は別物だろう。帳尻を合わせたいのは予算が出るからじゃないのか。学者ほどあてにならない。
原発の御用学者でよくわかった。畿内説なんて捏造だらけだよ。
>>69 ところが吉備の豪族は天武朝以降力を盛り返してくる
天智の倭(やまと)と天武の日本(ひのもと)がやりあって力関係が逆転したんだろうな
>>73 なんだ日本書紀のお話を史実とする電波かよ。
87 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 09:59:43.87 ID:hZiU4M1QO
金印も発見されてる事だし、九州北部で間違いないだろ
そして大陸と付き合いがあったから九州から日本を征服できたんだよ
>>87 志賀島で見つかったのはもっと前、後漢・光武帝の時代の「漢委奴国王」の金印
魏の明帝(曹叡)が邪馬台国に送った金印は「親魏倭王」で、これは見つかってない
89 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 10:08:30.51 ID:visgqgF/O
>>86 倭途途日母母襲比賣命関連の伝承をまるまる否定するなら、邪馬台国畿内大和説なんか何にも検証できないじゃないか。
崇神天皇あたりは関連する遺跡や古墳、神社も多く残っており、全くの虚構とするのは乱暴過ぎる。
90 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:08:40.23 ID:ceCWxR62O
邪馬台国に行く為に、呼子(佐賀)伊都国(福岡)に上陸してるんだよね? これが確定しているなら九州で決まりじゃん。
91 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:09:45.11 ID:NEYyYoD/O
>>79 だからさ、そのペンもない時代
さらに剣もないほうが有利ってのがな
どうやって服属させるわけ?
吉備団子も吉備だろうし
大和が新興住宅の植民地と考えたほうがすんなりする
92 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:10:00.83 ID:SpitcI450
邪馬台→ヤマトだろ、いつまで引っ張り続けるんだろ
>>90 中国の書物をそのまま解釈すると
九州なんだよな。
岡山は人間のレベルがあまりにも低い。
台与で「とよ」と読ませる人は台を「と」と読んでるんだろ
だったら、邪馬台で「や・ま・と」でいんじゃない?
まぁ、だからといって畿内に決まったわけではないし
箸墓から親魏倭王印が出ても、
九州のヤマトが東遷したからという理屈もつけられる
95 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:13:39.58 ID:B6modZ8/0
96 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:15:43.16 ID:NEYyYoD/O
邪馬台→ヤマトが遷都によって成立した
こう考えるとわかりやすい
卑弥呼もモモも地元民じゃなさそうなんだろ?
吉備だの淡路だので
97 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:15:51.34 ID:VuPSjcda0
邪馬台ならヤマト 邪馬壱ならヤマイ
台与ならトヨ 壱与ならイヨ
…松本伊代?
>>97 伊代はデビュー時、16歳だから違うと思う
卑弥呼の出身地は朝鮮半島
100 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 10:19:45.61 ID:visgqgF/O
>>91 元々神武天皇が吉備で兵力を蓄えて大和を征服してるんだよ。
神武東征の神話が事実ならだけど。
その後は各地に皇子を派遣し豪族として支配をさせている。
武力ではなく血縁による支配だったんだね。
あと讃岐での伝承によると農業指導による支配もしてるね。
さらに最も重要だったのが信仰による支配でしょう。
この時代、ペンに相当するのが信仰だよ。
勿論武力も重要で、武埴安彦をはじめいろんな人が謀反を起こし制圧されてる。
101 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:20:11.74 ID:hZiU4M1QO
常識的に考えたら九州しかないんだよ
岡山に何の力があるんだよ
ありのままを見つめろ
102 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:24:00.65 ID:VuPSjcda0
では九州の何処に邪馬台国があったの?
邪馬台国は九州の一地方の王権で、これとは別個に吉備を中心とした連合勢力で大和政権成立。
のちに蚊帳の外だった邪馬台国も大和政権に滅ぼされ、邪馬台国に続く歴史も大和政権に取り込まれる。
こういう流れだろ。
104 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:25:24.60 ID:aRP5E3iF0
徳島説はやっぱとんでもなんか?
水銀だけでは弱過ぎる?
105 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:25:42.71 ID:ceCWxR62O
卑弥呼って、金になるから色んな説でもって特定したくないのが学者の本音じゃないの
こんな国だと聞きました、で書かれてる文書であーだこーだするなよ。
卑弥呼だかなんだか知らんが、実在した証拠が弱すぎる
107 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:27:52.70 ID:jmlUUQuP0
>>95 違うよ、それは至と到の違いを区別して無い誤読(直線式解読)
108 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:28:31.26 ID:ceCWxR62O
たしか畿内説は卑弥呼の墓を特定しているんだよね。それも手がつけられないところを!そういうセコいやり口が信用出来ない。
>>107 誤読と言えるなら、九州のどの遺跡が邪馬台国なの?
110 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:30:56.07 ID:8DqxU2GO0
卑弥呼が吉備出身なら、庭瀬か平野か川入か撫川の内どこ?
台は広東語でトイと読むから、強ち間違えではない。
112 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:31:27.11 ID:w0vVZULO0
>>103 まあ、それに近いんじゃない?
各地域に独立した王権が有ったとかんがえるのが自然だし、魏志の中にも、邪馬台国の東に別種があると書いている。近畿ろんしは無視するが。地理的にはどう見ても九州。
あと、壱岐対馬の描写の正確さから見て、来たのは間違いない。
113 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:32:27.18 ID:VuPSjcda0
邪馬台国がヤマト王権と同じじゃ嫌な奴らがいるんだよ。
皇室の歴史が古いのが気に入らない連中がねw
おそらく魏志倭人伝に書かれている道程は人づてで信憑性の薄いもの
長いこと末盧国からも何度か船に乗るんだから、瀬戸内海から難波津までいって大和川でも溯るんだろうよ
>>113 並行的に存在してたのなら、やはり古いだろう。
>>108 発掘したい気持ちも分からないではないけど
死んだ後、墓暴かれたい?
折角発掘させても、たいした物は出ませんでしたとか言われる可能性もあんだよ。
例えるなら、自分の死後墓を暴かれて、骨壷安いとか、たいした埋葬品無いねとか言われたら・・・
117 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:35:04.42 ID:ceCWxR62O
>壱岐対馬の描写の正確さから見て
九州に邪馬台国があったのは明らかですね。
118 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:35:41.75 ID:NEYyYoD/O
>>100 そこで確認するべきは
神武グループの大和東征の年代になりますね
時系列的に神武グループと卑弥呼は被ってた
神話や伝承を再統合したと考えないと
天照神話とかわけわからなくなる
いや、むしろそのために新興地に古墳文化と新たな「信仰」を作ったと
キリスト教を受け入れたローマ帝国が
東と西に別れて東ローマ帝国が正統でありながら
ビザンツに都を移して
ギリシャ文明を内包しながら
西ローマからビザンツ帝国と呼ばれたように
119 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:39:50.21 ID:ROfZejCI0
重要な古墳の石棺の材料に阿蘇の石材が使われていること、しかも運送もよういではないこの時代に2〜3トンもの石材を近畿に運ぶなど
もともとその地に縁がなければありえない
何故天孫降臨の地が九州にあるのかもよく考えたらいい
近畿の古墳から発掘された埋葬品は九州から移動する際に持ち込んだ物の可能性もある
九州には発掘されてない遺跡が数多くあるからな
見つけ出して発掘したら大発見があるかもしれない
九州の勢力が東に移動して大和政権へとなっていったという考察が妥当
120 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:41:36.97 ID:E4bX60jAP
卑弥呼に金印を送った魏の皇帝曹叡のお爺ちゃんがあの英雄曹操孟徳だったと
思うと三国志ファンにとって感慨深いなあ。
121 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:42:08.00 ID:4cNowhHw0
>>113 皇室の歴史?
邪馬台国の卑弥呼と直に皇統を結びたくても結べないから改竄して日本を奪っただけだろ
122 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:42:21.49 ID:8M6wWAOE0
サンタホールって言うのか・・・
123 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:42:44.06 ID:hyzr9bsmP
<丶`Д´>韓国人ニダ!
>>54 >1を読むと、「鬼道は竜の祭祀だ」と自説を挙げてるだけ
125 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:43:47.00 ID:VuPSjcda0
>>121 皇室が日本を奪った…本音が出たねw
天皇が嫌いなんだろ?
126 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 10:44:12.89 ID:visgqgF/O
>>118 神武天皇と崇神天皇をともにハツクニシラスノスメラミコトだから同一視する向きもありますが
神武天皇をハツクニシラスノスメラミコトとするのは日本書紀の注釈だけで、本文にはどこにもないんですよね。
欠史八代と呼ばれる天皇らの子孫も記録がありますし
この二人を単純に同一視するのは少々乱暴ではなかろうかと思います。
ただ神武天皇関連の遺物遺跡はほとんどなく、存在を立証しようにも難しいのは事実ですな。
好きな奴が勝手に調べて結果だけニュースにしてくれ
俺が俺がの半端な状況なんか知りたくもないし馬鹿に見える
こうなったら天照大神が卑弥呼でもいいよ
129 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:46:11.53 ID:vqnBUsul0
邪馬台国は、畿内にあった。
魏志倭人伝の原文を見てば、素人でも分かる。
北九州を起点として、山陰周りで、邪馬台国に行って、帰りは、
瀬戸内海周りで、北九州に戻ってくる道のりを書きしるしてある。
10年位前に見て、すぐ分かった。 論争とかするような話ではない。
きわめて明白。
まあどっちの説でも研究者は研究を続けりゃいい
「俺がやめたら誰がやるのか 今に見ていろハニワ原人 全滅だ!」
ぐらいの心構えでな
131 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:48:49.19 ID:xS99ONtT0
>>97 邪馬台でもヤマイ
中国の人気女優・章子怡(チャン・ツィイー)の
「怡」はイと発音。これは「台」にタイ以外にイという音があるから。
「台」の反切(漢字2字で頭子音と韻を表す)は
1)与之でイ。2)土来でダイ
眙, 詒, 貽, 飴などもイという音読み。
実際のところ古代の文献で「邪馬台」という表記は存在しない。
漢字制限を始める前は
邪馬「臺」だった。
仮にヤマト王権が邪馬台国を滅ぼしていたなら、正当性をアピールするために記録すると思うけどね。
>>129 邪馬台国は九州は沖縄にあった
魏書東夷伝倭人条の原文を見ればそれが自然とおぼゆ。
134 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:51:03.73 ID:8eKdHIng0
そうだにょね。前王朝の変わりに今度は俺がみたいになるわな。
外国人が日本にきたらそうなってるはず。
136 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:53:02.61 ID:PaU4/c+T0
岡山市での講演、講師のリップサービスだろう
>>132 吉備も九州も自然に征服して行ったように編集してるんだろ。
景行天皇の時に九州を征服した話はあるしね。
138 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 10:56:23.38 ID:visgqgF/O
>>129 九州から山陰を経て大和入りですか。
都怒我阿羅欺等と似たようなルートですな。
記紀によれば都怒我阿羅欺等は、周防から山陰をうろうろして敦賀で上陸して大和入りしたそうです。
案外、都怒我阿羅欺等が巍の使者だったりしてね。
139 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 10:58:20.14 ID:VuPSjcda0
邪馬台国の人々はこんな感じ
・男子はみな顔や体に入墨を施している
・人々は朱や丹を体に塗っている
・籩豆(たかつき)を用い、手で食べる
・着物は幅広い布を結び合わせているだけである ←帯をしていない
・人が死ぬと10日あまり哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。
他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。←アイヌ式
あと、邪馬台国には牛馬がいなかったことが重要。
これは、神武に滅ぼされたヤマトだろう。滅ぼされたヤマトや追われた蝦夷は、入墨をしてたことが知られている。
神武東征は、300年以降だな。
旧唐書には、こう書いてある。
「日本は倭国の別種であり、もともと小国であった日本が倭国を併合した」
神武東征そのものだ。
日本をヤマトと読めるわけがない。日本書紀作者のこじつけ。大和朝廷は成りすまし。
143 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:00:41.82 ID:5kpN2TuK0
今月末、岡山駅の売店に「名物・卑弥呼吉備だんご」が並ぶと思う。
144 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:02:42.94 ID:YTTntTC80
卑弥呼は「肥の巫女」だから「肥の国」出身。
臺与は「豊の(巫女)」だから「豊の国」出身。
146 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:05:36.84 ID:ROfZejCI0
邪馬壹国の女王と国を補佐する弟
日本神話の天照大神と素戔男尊
大きな相似点がある
天孫は九州に光臨し天岩戸も九州にあり
素戔男尊が各地を回り出雲で八俣遠呂智を退治する神話が日本書紀にあるのは
大和政権が九州から移動していったことの証
147 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:06:09.45 ID:ceCWxR62O
卑弥呼亡き後、台与が東遷したでもいいよ。
そういや、誰かが天皇を騙ってたって出てたな。たしか伊都都比古ってやつだ。
149 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:08:39.40 ID:ceCWxR62O
実際に天岩戸に行った感想。まさにパワースポットだった。
管見てて岡山なわけが無いと気が付けよ
151 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:12:17.82 ID:xS99ONtT0
>>144 卑弥呼は「菲の巫女」だから「菲律濱(フィリピン)」出身。
152 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:12:25.23 ID:ROfZejCI0
自分たちの政権の正当性を披瀝するのに
祖先の出所をなんで関係ない地域に設定する訳がない
つまり大和朝廷の大元は九州
そのために重要な人物が亡くなった後に入る石棺に阿蘇の石材を持ち込むようになった
と考えればつじつまが合う
153 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:12:45.88 ID:DlKfn66p0
さすが大都会岡山
東遷モデルは古いな。
考古学的にその必要性がないから。
155 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:13:31.43 ID:tT6LIlZj0
南の島→九州→畿内→岡山w
魏志倭人伝読んでこいよwww
156 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 11:14:21.04 ID:visgqgF/O
>>141 道が解らなくてうろうろしてたんじゃない?
少なくとも都怒我阿羅欺等は崇神天皇を訪ねてきたのに、どこへ行っていいか解らないからアチコチうろうろしてたみたいだよ。
うろうろしてる間に崇神天皇は崩御されて垂仁天皇に謁見するんだよね。
そして任那に帰国した都怒我阿羅欺等から大和の様子を聞いて巍史倭人伝は書かれたのかもな。
157 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:15:04.22 ID:exMAQEwY0
逆で吉備系を「退治」したほうが卑弥呼なんじゃねーの?
>>140 ・温暖で冬でも生野菜を食べる
・四季を知らない
159 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:15:38.12 ID:rTkrYLUbO
ただのリップサービスだろ。春成さん岡山となじみあるし。
160 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:19:15.04 ID:ceCWxR62O
次は四国説が浮上するんだろう
161 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:19:15.70 ID:3COMyIT4O
で卑弥呼が岡山だとすると、
邪馬台国は畿内なん?九州なん?
162 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:20:06.03 ID:hZiU4M1QO
九州から征服に向かった天孫族が畿内に立派な古墳を作ったのはその地域の豪族や良民達に力を示したかったからなんだよ
初めから畿内にいるならそれ程でかい古墳とかいらなかっただろ
だから九州の古墳は古くて質素なんだよ
>>156 魏の使いは何度も来てるから。結果をまとめて書けば良い訳で、さまよった経過を書く必要は無い。
それに、魏の側が勝手にくる訳が無い。倭国の側が案内を出しただろう。
また、行ってない国の方向も書いているから、少なくとも魏志を書いてる時点では全体像は見えてる。
164 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:23:25.74 ID:u7lqkMiT0
/@ @ @ @ヽ
/@/ ̄ ̄ ̄`ヽ@ヽ
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|| (●) (●) | | / ヽ
/ |@| ヽ/〉 ノヽ
/ | | //ヽノ /
{ / /|// `
ヽ、 ノ / //
ヽ``ー――‐''"ノx//x|
 ̄/○\ ̄x //x| |
| 〈__/y/ヽ__〉x//ヽ,|x| そうじゃ、田んぼ掘りょうたら、卑弥呼が出て来たけーな
.|x x // x x(⌒ /x |
.|=====//'ー'==|
!、###〈/###/
ヽ、######/、
ヽ、#、##/ヽ.ヽ、
_|#_|_#_| ヽ.ヽ、
(Y^ヽ(Y^ヽ| ヽ、ニ三
165 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:23:57.46 ID:reCwX8jv0
倭人伝の記述を原理主義的に主張するアホは学問を知らない
文献を参考にし実際の発掘等により検証されるのが学問
倭人伝の記述どおりでなければおかしいという思考停止は
旧約聖書の記述はまったく間違っていないという信者にすぎない
167 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:26:53.01 ID:K8qj55e+0
奈良県桜井市には吉備ってところあるけど
関係あんの?
>>165 聖書は神話、倭人伝は報告書。比べる方がおかしい。
169 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:27:39.18 ID:si/7817W0
吉備の弥生時代の大墳丘墓である楯突遺跡と
箸墓古墳の関係は昔から言われている
吉備の勢力の一部が大和へ移動して大和政権を樹立したと考えると無理がない
>>152 巻向遺蹟の頃って立派な古墳ができただけじゃなくて
祭祀場も規模が大きくて、奉納された山の幸やら海の幸やらも豊富だったんだ。
色んな種類の種やらが大量に出てきたの。
171 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:28:25.37 ID:tT6LIlZj0
文献を調べないなら、出土のみで妄想だな
なら、畿内だわwww
172 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:29:25.07 ID:NEYyYoD/O
古墳は占領地政策
自らの正当性のアピールorかつての支配者への鎮魂
最大の目的は支配民の労働力を軍事に向けさせないため
徳川政権の城造りみたいなもんだな
173 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:29:54.77 ID:ceCWxR62O
倭人伝の記述が信用できないなら、最初から卑弥呼はいないでいいじゃん。だから畿内説はセコいんだよ。
174 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:30:00.68 ID:YTTntTC80
2000年前くらいに、西日本一帯に大津波が来たことが分かってるし、
大和盆地以外の、吉備や近畿の勢力が津波の被害で衰えた機に乗じて、
九州から近畿へと東遷した…と考えれば、辻褄が合いそうな気もする。
175 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:30:03.96 ID:xWjZiFVd0
>>118 うちのナンバー2の教授もポスドクの飲み会の時に
オフレコで言ってましたわ。
天武の時代に余りにも神話や伝承が再編され
すぎなんだと。
神武天皇のモデルは実は国津神らしいと。
だから2人のハツクニシラスになってるということで。
相当に虚実を混ぜ込んで国津神の伝承のいいところを
王化という名目で自史に取り込んでるんで、出雲を
はじめ気の毒だってさ。
明治維新の一切合切の再編の際にも最終的に無碍な扱い
だったらしいです。
ただ出雲と物部とは違うし出雲と三輪も実は違うんだと。
だから相当に一つ一つ見極めていかないと、真の歴史は
見えないってな話で。
ただ海部氏の系図は参考になるらしいですわ。
邪馬台国の勢力が東に移動する際
出雲も吉備も勢力下に置いただろうことは想像に難くない
>>161 卑弥呼が岡山ってのは畿内に決まってるやん。
考古学から畿内自生説が怪しくなってきて、畿内説を補強するために出てきたもんだから。
180 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:34:12.56 ID:xque27a60
>>154 そういや20年くらいにわんさか出た邪馬台国の東征の類いは
ホケノの話で突然オワコンになったな。
181 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:37:54.76 ID:2Eg49cXU0
今は畿内説主流だね。該当スレとか見てても九州説の人は何か変なコテの
電波系主張が多いw
多分九州説の人は、ある程度知識はあるけど、年寄りが多いんだろうね。
このまま行けば、いずれ消えていくだろうなぁ。
>>172 なるほど強制労働というのはそういう目的で課していたものなのかもしれないな。
でも祭祀で奉納するものを用い出すのに、その支配民からの反感を買っていたら
供物なんて碌なものがささげられないんじゃないかな。手抜きばかりになっちゃって。
人を治めるってむつかしーね。
183 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:39:42.70 ID:VuPSjcda0
畿内説が、纏向遺跡=邪馬台国と具体的な物証を出しているのに比べて…
九州説っては、要するに邪馬台国が畿内にあるのが気に入らない、邪馬台国は九州のどっかにあったんじゃね?…って程度の話だからなw
184 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:40:29.97 ID:ceCWxR62O
あれいつの話しだよ。巻向遺蹟で邪馬台国の物がもうすぐ発見なんてアピールしてさ(笑)
そのうえ年代測定の操作でごまかしたりして、結局は予算の問題じゃないの
次に違う説に移行すんのも、そう遠くないと思うよ。畿内説はないと断言出来るよ。
>>183 あ、いっておくけどおいら沖縄説だからw
186 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:40:54.92 ID:ROfZejCI0
畿内説は地名とかも無視してるだろ
古墳発掘やってるから無理やりはめ込もうとしてるだけ
>>178 補強つーより考古学的には有利になってきて、更に決定打欲しくて
特殊器台やらの鬼道の宗教祭祀の面での補強に躍起って感じなんじゃ?
188 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:42:32.57 ID:hZiU4M1QO
まあ、真実を捩曲げたいならそうすればいいだろ
別に畿内でもいんだよ
面倒臭い
どうでもいい話
189 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2011/06/20(月) 11:43:18.92 ID:YS7IVOvlO
支那人の落書き帳で妄想膨らませるのはもうやめよう。
190 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:44:28.64 ID:ROfZejCI0
古事記に出てくる九州の地名が圧倒的に多いのも
もともとどこに大和政権の元があったかを語っている
魏書東夷伝って殆ど半島の記録だしな。倭人条と違って会話文が出てくるんだよな。
>>190 え、「大和朝廷のもと」は古事記じゃ普通に日向国って出てくるでしょ。w
194 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:49:29.08 ID:ROfZejCI0
>>193 だから大和朝廷のもとこそ九州にあった邪馬台国だろ
195 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:49:47.24 ID:tT6LIlZj0
南の島説を信じてるよ
なんで、東に移動する必要があったのかはわかりません
196 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:51:01.08 ID:NEYyYoD/O
>>182 かつての支配層の墓なら
頑張るんじゃないかな
自分の親戚なり先祖を奉れと
その時に武器は埋めなさいと
武装解除
ただね卑弥呼はなんか気の毒ですよ
みんな、どう扱っていいか持て余してるのがアリアリ
魔法のプリンセスだから
天照にしようか?
いや、祟るかもしれん
こんな感じ
邪馬台→大和に同地で地元民なら
こんなに扱い困ってない
堂々とど真ん中に「アマテラスヒミコモモ」ここに眠る
で、いいわけですよ
>>194 さぁ、それはどうだろう?古事記には「卑弥呼」も「邪馬台国」も出て来ないしな。
神武も応神も九州から東征してるし、天孫降臨の地も九州なんだから、発祥の地が九州なのは当然。
問題はそれが何時なのかって事。
>>196 その「かつての支配層」ってどこから湧いて出たの?あなたの頭の中?
自分の先祖をまつるために敵対者だったものから強制労働させられたら余計に反感を持つんじゃないかな?
「テメェが指図する事かよ!仇のくせに!!」ってね。
いや、っていうか実在したのかどうかを証明するのが先じゃねぇか?
聖徳太子も役職名で人物じゃなかったって言われてるし。
あのあたりの時代の記述が曖昧すぎるだろ。
201 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 11:55:30.21 ID:visgqgF/O
>>163 その何度もってのの根拠がよく解らんのだよね。
複数年に渡る日本の政治状況を知らせる記述があるからなんだろうけど
それだけなら大和まで来なくても任那辺りでも入手できるかもしれんし
過去の出来事について記述されてるのかもしれんし。
>>200 それを必死にやって出来なかったのが、機内論者。もう無理だろう。
204 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:56:54.69 ID:B6modZ8/0
現状
畿内説:邪馬台国は畿内だけど、邪馬台国からどういうステップで大和王権になったんだろうがテーマ
卑弥呼は倭迹迹日百襲媛命かな?
九州説:邪馬台国は九州だけど、場所を探すのがテーマ
卑弥呼は卑弥呼だろ?
こんな感じ?
206 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 11:57:51.19 ID:hZiU4M1QO
おまえらは私利私欲でありのままを見つめないから話にならない
九州説が99%で妥当なんだよ
>>200 聖徳太子ってのは尊称でしょ。あとから付けられたんだよね。
確か「祟神」だの「神武」だの、「孝元」だのといった漢風諡号ってやつ自体が
平安初期頃に付けられたものらしいから
聖徳太子ってのも奈良時代以降平安初期くらいまでに付けられたものだったんじゃないのかな。
名前、なんだっけ。ああ、厩戸皇子だ。
なんで博物館で名誉教授??
210 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:01:08.36 ID:ceCWxR62O
聖徳太子のモデルってイエスキリストじゃないの?
>>202 国造りの神話?大国主のこと??はて???
>>209 邪馬台国じゃなくてその後の大和朝廷。
朝鮮半島からの征服王朝でしょ
>>210 え、願回じゃないの?w 一を聴いて十を知る・・・
ちょっと違うか、一度に複数の人が一挙に話しかけてくるのを全部聞き分けて理解することが出来るんだ。
でもすんげぇ願回子淵っぽいっておもったw
高天原王朝は、出雲にいた大国主命の政権に対し、「ここは俺達が治めるからどけ」と
言いながら、なぜか九州の日向で「ここがいい」と言って降臨する。
ところが神武のときに「ここは治めるのに不便だ」とか言い出して東征しだす。
神話の編集者も、もう少し矛盾なく整理しとけや。
216 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:04:53.25 ID:tT6LIlZj0
邪馬台国と大和国家は全くの別物
大和は畿内にあったが、邪馬台国は南方らしい
邪馬台国は実在しないかもしれない
この程度の理解では頃されますかw
>>213 倭国が朝鮮を支配していたという資料はいくらもありますが、この逆は一切ありませんが。
>>215 大国主は葦原中津国を固めた神でしょ。
なんで出雲限定だと思うのさ。それはおうちがそこにあったってことでしょ。
天孫降臨の天、天照大神がどこにいたかを問題にすると感情論で史実が捻じ曲げられ
るから、そこは置いておいた方がいいよ。
ただ、天孫が九州に降臨し、その子孫が東征してヤマトを征服し、日本ができた。
征服されたヤマトの部族は、入墨をしている。
また、東征神話からも、周辺に小国が乱立していることが伺える。
これはもう、はっきりと邪馬台国でしょ。
そして、邪馬台国を征服した大和朝廷は、本当は日本(天孫の故郷から見て、日本が
太陽の登る東にあるだろう)だが、ヤマト王朝と連続性があるように成りすました。
故郷にこだわって日本列島から兵を送っていた倭は、実は日本であって邪馬台国などの
倭ではない。
221 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:11:28.13 ID:NEYyYoD/O
>>199 そこら辺は大陸だとジェノサイトか民族大移動なんだろうけど
狭い日本では御家断絶か外様かどっちなんじゃね?
一応、神格して貰うなり
相手の神と合神して貰って
現実でも血縁関係にして貰ったり
多分、それなりに工夫があったんじゃないかな
徳川氏と太田道灌の子孫とか
北条氏は頑張りすぎ
南紀勝浦と勝浦があって
勝浦が先で南紀勝浦が後だ
邪馬台と大和の関係
222 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:14:54.55 ID:1Xl18Ahx0
>>193 古事記のどこに「大和朝廷のもと」は日向国と書いてんるだ?
神武が五瀬と相談してから大和に来た記述だけだろうが。
>>220 君ねえ、旧唐書は?なんて書いても何の事か分からんのよ。
言いたい事があれば、それを書けよ。
半島からの征服王朝なんて話は古文書に一切ありません。
戦後に出た説。
224 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:16:15.07 ID:FqAUhPug0
霊能者の人何しているの、自分がインチキじゃない事証明する
絶好のチャンスなのに
>>219 え、高天原は「お空高くの国」ですよ。
高光るの高は空の高いところに光るの意味、天原は海原に同じ、
あと国号がやまとになったのは大和=奈良に朝廷が置かれたから
だんだん中津国の名としても「やまと」というようになったと考えるのが自然だそうで
大和朝廷の前の列島の国の名の呼称としては、大八洲国とか豊葦原瑞穂国とかいうのを
使った方がいいんじゃまいかと。
>>220 それ成立年代いつですか?
>>221 血縁を結んでいるのに軍事力を削ぐために強制労働をさせて
反感を買ってちゃ無意味だね。
227 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:21:23.62 ID:hjNhrKgiO
邪馬台国論争にも繋がるな。
しかし、なんで学会では機内説が通説なのに、2ちゃんでは九州説支持者が多いんだ?
228 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 12:22:18.13 ID:visgqgF/O
229 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:22:51.82 ID:hZiU4M1QO
九州にあったから
中国や朝鮮半島とも通じてたんだよ
230 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:22:56.96 ID:niLrjeKu0
231 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:23:05.62 ID:NEYyYoD/O
>>226 なんで?両方普通にやったほうがいいだろ
城造りと参勤交代や大奥輿入れとかあるじゃん
>>233 何がどういい訳?
全く知識の無い奴が、知ってるふりで絡んでくるのはウザいんだよね。
征服王朝説は全く可能性は無いです。考古学的に無理。
>ID:hghx5zOK0
何コレ、マジでナマポニートかよw
>>227 九州説の発端は、本居宣長が「偉大な大和朝廷が、中国に朝貢なんぞするはずがない!
だから、邪馬台国は九州の小国で、卑弥呼は酋長みたいなもんだ!大和朝廷とは
関係ない!」と言い出したことだから。
とってもネトウヨ君の琴線に触れるでしょ、これ。
>>230 きょうは休み!!! けけけw そろそろ寝ろっていうべきだったな!残念!!
>>231 それ御武家さんに課してたものでしょ。遠方になればなるほどキツくなる制度だよね。
血縁を結んで勢力拡大なら
ムチで締め上げるより和やかにする方がいいに決まってんじゃん。
で、反乱を起こすものがあったら鎮圧に協力して貰う方が乱れが少なくて済むじゃん。
240 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:36:46.04 ID:DzTeSePb0
はいはい
エジプトのピラミッドが奴隷使い捨てて築き上げたのと同様
日本の古墳も奴隷に作らせた事だけは確かだよ
いつの時代も権力者ってのは意味の無い事だけに執着する
241 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:39:36.18 ID:B6modZ8/0
>>240 ピラミッドは庶民が作ったみたいだよ
公共事業
242 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:40:42.03 ID:nhWmz0/80
みんな昼休みでカキコ増えてるというのに
>>238ときたらww
243 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:44:14.69 ID:NEYyYoD/O
>>238 そこら辺はいつの世もアメとムチなんでしょう
土木技術と治水がセットならよし
そこで技術提供側と授受する側の関係が逆転すると
吉備団子で釣って鬼退治とかじゃない?
ただどうしても軍事力に疑問あるよなぁ
初期の大和王権はさ
どうしても新都心計画に見える
>>193 「大和朝廷のもと」は古事記じゃ普通に日向国って出てくるって
どこに出てくるんだ?
>>244 え、ただ単純に初代の出身地が日向国だと記述されてるってだけ。
247 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:48:24.78 ID:DzTeSePb0
>>241 高速道路作ってる日雇い派遣を庶民と言うならその通り
248 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:49:38.87 ID:hZiU4M1QO
まあ大和朝廷が天照を祖先と言ってる限り九州遠征説が妥当となるんだよ
249 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 12:50:17.52 ID:visgqgF/O
奴隷って言ったら強制労働従事者だよね。
251 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 12:51:42.99 ID:9DDBR95A0
言ったもの勝ち。
252 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 13:05:40.03 ID:L5WJYQ+t0
お、悠久のロマン・スレが今日も立ってらあ。
楽しませてもらうか、ヨロピコ。
254 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 13:49:48.59 ID:oFhTvlQA0
ヒミコは肥前肥後の肥国の歴史的権威を代表
トヨは豊前豊後の豊国の歴史的権威を代表
ヒ、トヨ、チクシ、ソツマ
4国時代末期の九州で代表者を輪番していたのに
天孫族が秩序を乱したから倭国大乱となり
輪番制に戻して様子を見た史実を表す?
妄想ばかりだなw
物証を持って来い!
纒向に匹敵する邪馬台国候補の遺跡は他にあるのか?
それ以前に、邪馬台国が纒向ほどの大勢力だったという証拠がないんだが。
邪馬台国の時代に記録書物はなかったの?
魏に朝貢行けるぐらいだから読み書きぐらいはできるとおもうんだけど。
古代日本には文字が無かったからな。
259 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 14:21:40.18 ID:visgqgF/O
>>257 そもそも魏に朝貢に本当に行ってたのかどうかも怪しいぜ。
地方の豪族が勝手に交流を持ってただけかもしれないんだからな。
卑弥呼時代の前の時代の日本は原始人でした。
理論的に考えて卑弥呼は韓国を出身したですか?
私は卑弥呼を誇り思います。
だから卑弥呼が原始人ではありません韓国人だと思うです。
2チャンネルは卑弥呼が原始人で嬉しいですか?
答えなさい。
お願いします。
261 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:31:17.60 ID:Hwk1P3zC0
卑弥呼の時代には文字はあったらしいよ。なぜなら、畿内説を認めたくない人
が主張する三角縁神獣鏡国産説だけど、三角縁神獣鏡には漢字が書かれてるものも
あるから。国産なら漢字書ける人がいたはず。
そもそも韓国なんてなかったろ
263 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:37:57.84 ID:oFhTvlQA0
卑弥呼より2世紀も前に倭奴国王莽が金印もらってる。
金印は大国にしか送られない
原始人の酋長では手にできない。
264 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:40:33.48 ID:oFhTvlQA0
私は邪馬台国を奈良であると思います。
なぜなら奈良は、語においてナラは国を意味します。
卑弥呼はナラの王です。
卑弥呼は邪馬台国の王です。
なぜならナラは邪馬台国です。
そして韓国語においてナラは国を意味します。
つまり卑弥呼は韓国語を使っていたと考える。
卑弥呼は韓国人ですか?
私は卑弥呼が韓国人だ思います。
私は2チャンネルより理論的です。
>
>>262 韓国は長い歴史あります。
あなたは朝鮮と呼びたいですか?
私は朝鮮と呼びたいでも大丈夫です。
266 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:41:35.05 ID:wfkeq/piO
>>259 記紀において、応神天皇の時にヤマトは大陸王朝に正式の使者を初めて出した様子なので、それ以前
の外交は他の部族が仕切っていた可能性はある。
267 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:43:16.55 ID:P1g+OQGY0
岡山の造山古墳はこれからの調査次第では日本最大の古墳になるかもしれんよ
268 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:43:29.49 ID:UZQpafQ/O
フィリピンだろ まともに記述を当て嵌めたら
269 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:44:45.72 ID:0lHBZZ+40
卑弥呼ってすげえ美人だったんじゃね?
それでヲタどもがわーわーいって、いつの間にか大和朝廷、みたいな
270 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:45:32.12 ID:XYcgy8DZ0
いやそもそも実在しないから。
271 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:47:29.65 ID:P1g+OQGY0
邪馬台国も卑弥呼も当て字なんだから
中国の受付役人に質問される
『名前は?』
『ヒミコ』
(卑しいって字当ててやっか)『卑弥呼』ね、『で、どっからきた?』
『山(やま)たい(九州弁)。』
『邪馬台国ね』
ここら辺が真相とうちのじいちゃんが言ってた
272 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:47:39.16 ID:oFhTvlQA0
>>267 と言うか、築造時点では最大だったと思われる。
国譲りされた天孫族が各地でそれぞれ豪族に婿入りして
各地で自分こそ本家と勝手に宮廷をひらき
抗争した時代と思われ、
その中で奈良の神武朝より
吉備が有力だった時代があったと思われる。
卑弥呼…そんな人いたなあ
魏に使者出して金印貰ったってくらいしか覚えてない
邪馬台国がどこにあったかってそんなに重要な事なんだろうか
274 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:49:17.22 ID:A94J03fjO
竜伝説は中国由来
そのあと日本各地から龍紋の弥生土器がでてるんだけど
275 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:50:00.00 ID:P1g+OQGY0
大和朝廷は徹底的に焚書やったと思われるんで
事実は藪の中
少なくとも、教科書に書いてあるような奈良時代は100%正確でないことは確か
276 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:50:07.52 ID:ceCWxR62O
畿内説って、倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼なんだろう。絶対にありえん。
邪馬台をやまたいと読ませた人が罪作りだね
278 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:51:45.74 ID:Hwk1P3zC0
>>273 そりゃ重要でしょ。日本最初の統一国家なんだから
279 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:52:09.85 ID:P1g+OQGY0
>>273 金印は有力国の証だよ
銀印なんつーのもある
あと卑弥呼は(志賀島出土の)金印もらってないんでww
280 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:52:26.01 ID:KReT6HumO
卑弥呼といえばクリスタル映像と西村監督だろ
281 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:53:05.25 ID:oFhTvlQA0
>日本最初の統一国家
それは大国主命の出雲王朝
282 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:54:20.38 ID:VBn4W1xZP
>>237 右翼はどちらにでも転ぶでしょ。
日本古来、国は唯一つしかないのだから、
史書に記された邪馬台国は大和朝廷である。
大和朝廷が中国に朝貢するような国のはずがないから、
邪馬台国は大和朝廷ではない。
自民支持だが、天皇の万世一系は信じていないよ。
284 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 14:58:55.40 ID:xS99ONtT0
>>48 ズバリ、邪馬臺の「邪馬」は現代語の「ヤバイ」の語源というか語根。
歌舞伎の「韓人漢文手管始」には「やばな」と形容動詞で使われてる。
播州方言では「危なっかしい、頼りない」という意味で
「やばたい」という形容詞が日常的に使われている。
「やばたい」とは「桓靈陂`國大亂更相攻伐歴年無主」の状態で
退陣するといって不信任案を否決した菅内閣も今「やばたい」状態。
285 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:00:09.09 ID:oFhTvlQA0
> 日本古来、国は唯一つしかない
卑弥呼は南の男王国と対立していたと
魏志倭人伝に書いてある
「播磨国から」僧(還俗)恵便を招いたのが
大和朝廷への仏教「初伝」
286 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:00:16.65 ID:VBn4W1xZP
邪馬台国は魏志の中に存在するのだから、
魏志の中の記述を基礎に考えるべきだと思うけどね。
位置・距離・方角等を無視するのはありえないだろ。
畿内説が抱える方角の問題と、九州説が抱える距離の問題。
前者の方角を、実際に行った古代人が間違う事なんて無いと思うけどな。
距離は始点・経路の読み方で、度量衡の解釈で、
解決可能なんじゃないのかね?
だから、九州説を支持する人がけっこういるんだと思う。
岡山って備前と備中だと思ってた
きびってなに、あわび?
288 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:02:38.83 ID:VBn4W1xZP
>>285 ああ、もちろん、日本を代表して、中国と交渉するような
外交権を持つ主要国家という意味ね。
289 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:02:48.96 ID:12FsseTo0
岡山、奈良、滋賀、島根って今でこそ地味だけど
天皇家に縁の深い歴史舞台だったんだな
しかしながら地味
290 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:04:17.36 ID:oFhTvlQA0
>日本を代表して、中国と交渉する
つ 南北朝時代
291 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:04:17.90 ID:P1g+OQGY0
> 日本古来、国は唯一つしかない
えーっと
正史では、遣隋使は600年(推古8年)〜618年(推古26年)の18年間に5回以上派遣
隋の煬帝が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」の国書に激怒し
今後取り次ぐなといったのが、607年
複数王朝がないと説明できん。
292 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:05:52.56 ID:PbWJn2Le0
なぜ日本は金印であり韓国は銅印だったですか?
私は百済が中国を支配していたから考える。
飼い主は犬に餌を食べる。
犬は飼い主に餌を食べない。
先進国は植民地に金印をあげる。
植民地は先進国に金印をあげない。
日本人は金印を誇り思います。
私は日本が卑弥呼の金印を韓国に返還するべき思います。
294 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:07:35.34 ID:oFhTvlQA0
>複数王朝がないと説明できん。
もしくは日本側の「正史」の記述が正確でない場合もある。
例
派遣年がずれてる
派遣されたが行かずに「行って来た」と嘘
日本の正史は記録年がずれるのか・・・
>>263 邪馬台国はともかく、奴國は大国じゃなかっただろ。
297 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:12:04.72 ID:oFhTvlQA0
>私は百済が中国を支配していたから考える。
釣りとしてツマラナイ
もちっとひねれ
「百済王は倭地を征服し、長く倭地に留まり前王の悪政を正しました
その間に金印をもらったので、倭地に金印が残りました
半島には百済王の部下しかいなかったので銅印しか残りませんでした」
くらい言え
298 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:12:59.04 ID:P1g+OQGY0
どっち道
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」の国書持ってきた人は
「有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行祷祭」と言ってますんで。
299 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:14:29.30 ID:ceCWxR62O
>倭迹迹日百襲媛命は大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ。箸墓古墳は、彼女の墓と伝わる。
これが畿内説では卑弥呼の墓らしい。
300 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:15:32.41 ID:oFhTvlQA0
>奴國は大国じゃなかった
金印は
「倭(委)の奴の」国王
でなく
「倭奴(委奴)」国王
へのもの。
西の「匈奴」に対する東の「倭奴」と考えないと
中華の秩序大系の中では無理。
>>300 それならそれで、倭国=邪馬台国が成立しないとダメじゃね?
302 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:18:23.67 ID:P1g+OQGY0
>>300 中国人のネエチャンも
かんのわのなの国王と読むのはおかしいって言ってた
303 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:21:17.42 ID:oFhTvlQA0
>>301 意味がよく分からない
卑弥呼は「親魏倭王」として金印をもらったようだが、
「倭王」と「倭奴国王」をどう比較すべきかは
時代や政治情勢の変化も含めて
ややこしい議論になる。
簡単に駄目だの駄目でないの言えない。
305 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:23:41.99 ID:P1g+OQGY0
漢のほかの国に配った金印も
漢→国名→国王しかない
漢→地域名→国王(かんのわのなのこくおう)のようなものは存在しないんだわ
>>298 つまり熊本に邪馬台国があった可能性があるのか
>>303 あれ?
邪馬台国=纒向か否かって話をしてたんだが。
308 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:26:14.22 ID:oFhTvlQA0
ついでに
「倭奴国王莽」を
「倭奴国王」莽
「倭奴国」王莽
どちらと読むかも議論は確定していないw
309 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:26:25.27 ID:P1g+OQGY0
>>300 その学説読んだことあるが
中国人ネエチャンは、匈奴=たけだけしい野蛮人に対する意味での
委奴=おとなしい野蛮人という意味は無いといってた
漢のヤマト(わこく)の国王しか読めないのは同意
310 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:28:05.25 ID:uEmLG6KG0
謎の作山古墳の規模を考えたらあり得ない話でもないな。
岡山出身だからこういうロマンは歓迎w
311 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:30:19.24 ID:wfkeq/piO
>>291 無礼というのは皇帝を唯一の天子と認め配下にならないことでね、それと交流をしないこととは別だよ。
皇帝の配下になる公式外交じゃないから隋の公式記録にない可能性がある。
実際に取り次ぐなとなっているしね。皇帝が謁見するのは礼を示した時にしろってこと。
今だって台湾とか微妙な扱いだろ?
312 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:34:02.10 ID:Hwk1P3zC0
奴国は今の博多。かつて儺県(なのあがた)や那津(なのつ)と呼ばれており
現在も那珂川(なかがわ)などが地名として残っている。
>>311 ふーん
欧米列強にさえ三顧の礼させようとしたのに
お付き合いかね
314 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:35:07.22 ID:oFhTvlQA0
卑弥呼は倭王であり奴国王ではなかった
>>1 妄想を口に出すなwwwwwwwwwwwwwwwwww
卑弥呼は、ダイヤモンド映像・・
317 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 15:37:44.19 ID:visgqgF/O
>>286 むしろ古代人が正確に地理を理解できていたと考える方に無理がありそうなもんだがな。
伊能忠敬以前には正確な地図なんか無かったんだぞ。
それもしょっちゅう行き来してたわけでもないんだし。
318 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:38:07.84 ID:Hwk1P3zC0
魏志倭人伝には奴国にはヒナモリという官職がいたと書いてあるから、当時でも
すでに、鄙守りで中央ではなかった。
320 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:42:09.29 ID:oFhTvlQA0
ヒナモリ=肥の奴の守人
当時、
筑紫の領域が今の筑前+筑後より狭かったか
「肥」弥呼ら肥国の勢力に奴国が統治されていた事を表
すかもしれないというのが「妄想」の例
321 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:42:45.00 ID:c58qucQk0
こんな馬鹿が歴史を歪める
>>287 備前、備中、備後、美作に分かれる前が吉備(キビ)
323 :
馬鹿:2011/06/20(月) 15:46:29.56 ID:oFhTvlQA0
すいませんその通りですorz
324 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:46:39.80 ID:IIQ3JhZQ0
>>317 特定しました。
お久しぶりですね(^_^)
325 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:46:41.29 ID:fokOLGhi0
日の出が日向方面に見えることからして久留米辺りに大勢力があったんでは。
地図を見ると北に日本海、東に瀬戸内海、西は有明海でこれは奈良の位置と
ほぼ一致している。奈良は北に琵琶湖。久留米辺りを故郷とする勢力が同じ
ような地形の地に移住したんじゃない。久留米より外敵に攻められにくいし。
326 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:47:16.05 ID:wfkeq/piO
>>313 当時の倭国は高句麗と共に東夷の大国の扱いだよ。
倭国側も柔軟に対応したみたいだし、隋は内政では運河とか大事業をやっていて外交では高句麗と軍
事衝突していたから無駄に敵を増やすことを避けたと思われる。
無礼な倭国にお返しの使者を出すのは大人の事情だよ。
327 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:47:27.72 ID:ceCWxR62O
>「卑弥呼が吉備一族の出身であることを物語っている」と結論付けた。
笑うしかない
328 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:48:53.53 ID:P1g+OQGY0
>>326 そのお返しの使者は『推古天皇(女帝)』の妻は・・・とか報告しちゃってるわけね
329 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:50:31.14 ID:mCG5Hlk40
>>300 中国人はいまだに日本のことウェノム(倭奴)って呼んでるしな。
国を漢字一文字で書くのってシナ本土のみ。
しかし、史料も読んでない連中の『らしい』とか『思う』ばっか
忙しいんであとおまいらに任せるわ
331 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:52:28.03 ID:oFhTvlQA0
隋の使者が会ったのは
「姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩[奚隹]彌」
どう考えても現皇室の直系祖先とは思えない。
332 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:54:02.92 ID:IIQ3JhZQ0
>>317 最近政治批評が中心のブログですが
そのうちまた古代日本史も執筆しますので宜しくお願いします。
333 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:54:08.18 ID:uEmLG6KG0
倭が蔑称だったとしても倭とかいてヤマトと読ませるのは
なかなか情緒があって悪くない。むしろ好き。
334 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:54:22.78 ID:sSuTUFkn0
卑弥呼は大陸に渡ってチンギスハンになったってばっちゃが言ってた
335 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:56:31.55 ID:v09+eu6y0
>>329 中国にいったこともなく中国語もできないくせに工作ご苦労さんw
中国に何年もいて中国語で普通に会話してたがそんなことをいわれたのは
朝鮮族にだけだなw
中国人はそういういいかたはしない
ほかに日本を蔑視する言葉がある
おまえ等朝鮮半島人とは違うんだよw
336 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:57:43.03 ID:oFhTvlQA0
ひのもとおのこ
337 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 15:59:01.59 ID:4istRp3t0
だから妄想はいいってば…
338 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:00:35.01 ID:wfkeq/piO
>>330 歴史学の正規の教育を受けていれば、断定はよほどのことがない限りできず、「考えられる」「推定する」「思われる」を考察と根拠
のレベルで使い分けするしかないのは分かると思うが。
卑弥呼の出身地を確定できる可能性、余地って存在するんですかね?
重要な遺跡発掘の計画があるとか、可能性を示す遺跡はそこらじゅうに存在するが
発見されていないだけとか
340 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:03:31.12 ID:O206nN0o0
そこで古田武彦氏がひとこと↓
トンカラリン 卑弥呼 変形頭蓋骨
ピラミッド
342 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 16:08:17.06 ID:visgqgF/O
>>331 アマのタリシヒコ?
記紀とかに出てきそうな名前だな。
343 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:08:23.44 ID:Lq/8mg3h0
>>329 >
>>300 > 中国人はいまだに日本のことウェノム(倭奴)って呼んでるしな。
> 国を漢字一文字で書くのってシナ本土のみ。
ウェノム(倭奴)っていうのは、コリアンだよ
中国には日本鬼子(リーベンクイズ)って蔑称があるから、
>>334 うちの支店長は若い頃に卑弥呼のAVでヌいたって言ってた
越の国、鯖江(邪馬壱)だよ
346 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:19:41.54 ID:wfkeq/piO
>>342 その話は、ヤマトと別の王朝だという人はヤマト側の使者の公式記録が隋側に無いことをちゃんと説明できないんだよね。
347 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:21:27.04 ID:VBn4W1xZP
>>317 正確な地理の把握なんてあるわけないだろう。
だが、どこかの目的地に行くのに、
距離よりも方角を間違えば致命的じゃないか?
東にある国へ行くのに、
それが南にあると誤解して出発したら絶対に着かないぞ。
だが、1000キロ先の国へ行くのに、
1万キロ先にあると誤解して出発しても、
方角があっていれば、「早め」に着く。
>>347 山あり、川あり、森もありで、ろくな道は無い
何とも言えない気もする
349 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:30:47.83 ID:VBn4W1xZP
>>346 ヤマトが中国と交渉していた別の国を国家継承した上で
全て、自分のところが行った外交だ、
という記録を、不完全な形で残したからだろう。
別の国のみが交渉していた時期。
別の国+ヤマトが交渉していた時期。
ヤマトのみが交渉していた時期。
日本側に残る史料は、これを全部ヤマトがやっていたことにしたから、
日本と中国の記録にズレがでているんじゃないか?
350 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:41:51.48 ID:wfkeq/piO
>>349 それは、「王朝」とか言わなくても成立するんだよ。
大伴、物部、蘇我などが部族のコネで代わる代わる外交していたんだから。
あと、推古天皇は当時の公式外交で「女帝」であることを公表していたかどうかは不明じゃなかったかな?
百済とかの記録にあったっけ?
351 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:49:59.47 ID:bN5LvJXz0
正しくは「日巫女」です
万物の神太陽の神の巫女様であり、神聖な存在なのです
3世紀のアジアで最大規模・・・
どうせなら、中東と張り合えよ
353 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 16:53:47.89 ID:tzkAPm5d0
卑弥呼は中国の呼び方
日の巫女だよ。日ノ本の巫女。
354 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 17:10:11.04 ID:VBn4W1xZP
>>350 完全に男のものである王の名前も、後宮に女がいるという情報も、
全て「女である事を公表していない推古の嘘」だと捉えるの?
無理がありすぎだと思う。
そんな「嘘」を説として認めるなら、
史料の検討の意味は無くなると思うよ。
自分の望む結論と異なる文献を全部、
当時の「嘘」ということにしてしまえばよくなるしなあ。
355 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 17:23:13.44 ID:LYZWL5U20
魏志倭人伝の時代「卑弥呼」と書いてどう発音したの?
「ヒミコ」またはそれに近いのか、じぇんじぇん違うのか。
356 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 17:27:32.21 ID:STTnzWUz0
テレビで「ピャメカ」と発音した
台湾在住の古い発音の専門家がいた
357 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 17:34:33.04 ID:STTnzWUz0
で古田武彦の
「基城あたりから出た、甕(みか)姫」=卑弥呼
説と一応つながるわけだが
358 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 17:42:53.11 ID:STTnzWUz0
>>341 トンカラリンは最近まで誰かが整備維持していたみたいですよね。
女王国の時代まで遡る古い信仰が維持されてたんですかね?
360 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 17:52:22.75 ID:STTnzWUz0
卑弥呼は3世紀中半に魏へ使者を送っている。
記紀を素直に解釈するとこの時期は崇神天皇の治世という事になる。
記紀を素直に解釈するとこの崇神天皇は天照大御神の
13代だか14代だかの子孫のはずである。
>>45 日本に仏教伝えた百済の聖明王の父親の武寧王なんて、
日本で生まれてるし、倭人じゃないかって言われてるもんね。
362 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 18:09:35.91 ID:visgqgF/O
>>347 だから都怒我阿羅欺等が散々迷ってるんだよね。
土地勘は無いし言葉もよく解らんしで相当困ったんじゃないかな。
因みに都怒我阿羅欺等には額に角があったと言われ、都怒我阿羅欺等とはそのまんまツノガアルヒトなんだろうね。
角がある人と呼ばれていたのがそのまま固有名詞っぽくなってるあたり、言葉のやりとりも困難だったんじゃないかと思います。
363 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:09:42.61 ID:STTnzWUz0
間違えた
卑弥呼は3世紀中半に魏へ使者を送っている。
記紀を素直に解釈するとこの時期は神功皇后の時代だが
崇神天皇の時代こそが3世紀中半とするのが有力。
崇神天皇は天照大御神の13代だか14代だかの子孫、
神功皇后の夫の仲哀天皇に至っては天照大御神の20代だかの子孫。
馭戎慨言 - 日本外交史 本居宣長 (著), 山口志義夫 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4990361717 卑弥呼は神功皇后(じんぐうこうごう)の不正確な伝聞
『後漢書』にある「一女子がいた。名を卑弥呼と言った」とは、息長帯姫尊
(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后の御事を、三韓などから誤り
混じりに伝え聞き申し上げて書いたものである。「卑弥呼」は姫児(ひめご)
と申すことで、神代の巻に「火之戸幡姫児千々姫命」(ひのとばたひめご
ちぢひめのみこと)、また「万幡姫児玉依姫命」(よろずはたひめごたまより
ひめのみこと)などと書かれている姫児と同じである。
姫を比弥(ひみ)と言っている用例も古い書物に見られる。だからこれは、
御国人(日本人)が常日頃尊んでこのように申し上げていたのを、韓人などが
聞いて伝えたものを御名と思い込んだのであろう。
「妖気で大勢の人を惑わすことが出来た」
などと言っているのは、戎人(からびと)が大御国の神の道を知らないために、
このような妄言を言うのである。
365 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:14:18.16 ID:STTnzWUz0
> ツノガアルヒト
牛頭天王
牛の角をあしらった兜の
落ち武者が大陸から来たみたいですな
366 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:14:19.51 ID:yhYW8KIhO
山陽新聞社さん 太ホール
に見えた
367 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:25:22.34 ID:STTnzWUz0
> 本居宣長 (著), 山口志義夫 (翻訳)
江戸時代の書物は訳が要るのに
ツノガアルヒトは
まんまなんだなw
>ツノガアルヒト
バイキングみたいなものか?
>>286 九州説に距離の問題はないよ
>「郡より女王国にいたるまで1万2000余里」
とハッキリ書いてる。
帯方郡→末盧国まで1万里
末盧国→奴国 700里
だから、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。
末盧国→奴国の倍くらいの距離内におさまる。
なぜかこの12000里を、まるで書いてないかのように完全無視して
1ヶ月だけを持ち出すやつが多すぎ。
370 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:48:58.44 ID:B6modZ8/0
>>369 それだけ狭い範囲なら遺跡は分かりそうな気がするけど
分からないのは何故?
>>362 ツヌガアラシトとアメノヒボコは同一人物なの
372 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:50:24.12 ID:STTnzWUz0
それがゴッドハンドくおりてぃ
373 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:54:57.72 ID:STTnzWUz0
>>370 現在の博多市街地などと重なってしまい
発掘調査が容易でないため
374 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:58:16.43 ID:853XMfgu0
375 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 18:59:55.00 ID:VuPSjcda0
>>373 上手く逃げるねぇw
でも博多のように古い歴史のある町で、これまで全く痕跡が出て無いというのも不自然な気がするけど…
376 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:00:28.49 ID:IsR2MNgWO
九州説だと都合悪い連中がいるんだろ?
377 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:01:58.07 ID:STTnzWUz0
>>375 いや甕棺なんか博多じゃどこ掘っても出て来るんですよ
いちいち考古学者呼んでたら仕事にならんから
みんな黙って捨てちゃうんですよw
>>361 >
>>45 「日本」の本拠地が朝鮮半島だったから。
日本という呼び方は、朝鮮半島から見た日本列島だよ。
その、後に日本を名乗った勢力が、九州に逃げ、半島からの侵略が怖くて更に東征して
邪馬台国などを滅ぼした。
唐や新羅が怖くて、まるで元々の倭国であるかのようにするため、焚書しまくった。
唐はしっかり見抜いていたけどね。
「日本國者 倭國之別種也」「日本舊小國 並倭國之地」
日本は倭国の別種であり、もともと小国であった日本が倭国を併合した。
唐によると、「日本」は辰韓だという。天照大神が、半島での戦乱に押されて、
辰韓から日本列島に子孫を送り込んだのだろう。
日の本にある人は、日の本はもっと東だと思う。
その地を日の本と名付ける人は、日の本にはいない、西にいる。
>>370 可能性としては現代の有名な建物がその上に鎮座してるため。または単なる住宅地。
何かの遺跡であって邪馬台国かどうかは誰にもわからぬ。
吉野ヶ里が発見された同じ時期に関西のある地域で皇族にまつわる歴史的発見があったけど
元々某ショッピングセンターを建てるために整備してたのでこれは↑闇に葬りさられた形になった。
地元民ならわかるよね?
380 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:05:18.35 ID:RZFVJ0i90
卑弥呼や邪馬台国の所在が確定されていればただの考古学か歴史だが
それがあやふやなだけに完全に「歴史ロマン」
ロマン過ぎて「関祐二」の本なんか読んでると頭くらくらしてくる、何でもありか。
隋書 巻八十一 東夷伝 倭国
「新羅百済皆以倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来」
「新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い
仰ぎ、つねに使いを送り、往来している 」
奈良の吉野と吉野ヶ里はなんか関係あるんじゃないの? どっちも吉野だし。 なんていうと馬鹿にされるんだろうか
383 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:07:52.65 ID:RZFVJ0i90
>>379 長屋王の元そごう百貨店か、現いとうようか堂か、ちがうのか。
385 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:11:19.00 ID:STTnzWUz0
>>378 いや辰韓も支配階級は倭人で「倭国」の範囲内くさいから
辰韓の倭人が列島側に押さえた根拠地が元々の「日本国」で
それが後に倭国(列島)統一した、でも
倭国内の主導権争いだから
そう史書と矛盾ないし構わないんだが
>半島からの侵略が怖くて
>半島での戦乱に押されて
これは何が根拠?
>>373 1300里(約130キロ?)移動するのに、南への水行30日と陸行ひと月を要するの?
後、末廬国から東南に移動したら博多に着かないと思うけど。これは畿内説も一緒だけど
387 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:18:40.20 ID:fXG6616CO
どこでもいいから今の日本の政治家に卑弥呼くらいのカリスマ性を授けてくれよ
388 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:19:56.49 ID:STTnzWUz0
>386
つ 「など」
389 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:21:33.40 ID:9b09WCMmO
き〜び〜がーくえんー
卑弥呼様そなたも
吉備学園出身でしたか
井尻裕 学園長最高!
おい 糞守安生きとるか〜
青山柔道マニア
体育祭のとき校庭にユンボで穴掘って水貯めて飛び込む
大型トラックのタイヤ担いで走ってタイム計る
その名も『タイヤ担ぎはおもタイヤ』
しょ〜もな、
糞男子校万歳!
390 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2011/06/20(月) 19:22:33.44 ID:YS7IVOvlO
一里て500メートルじゃないのか
タイムマシーンがあったら、邪馬台国の上空から一部始終目撃したいわw
392 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:26:38.95 ID:STTnzWUz0
393 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:27:08.67 ID:oaSqyDs2O
吉備は投馬国 邪馬台国は畿内広範囲 九州や対馬に一大卒を派遣し睨みを利かせていた
>>381 日本とは書いてないだろ。
倭国が日本だと思い込まされてると、何も見えてこないよ。
隋書では、倭国に行ったら、そこには倭国ではなく秦王の国があった、
おかしいと言ってる。
この時期までに、大和王朝が倭国に成りすました、つまり神武東征が起きている。
「明年(大業4年:608年:推古16年)、上、文林郎裴清を遣わして俀国に使い
せしむ。百済を渡り、行きて竹島に至り、南に聃羅を望み、都斯麻国を経、迥かに
大海の中に在り。又東して一支国に至り、又竹斯国(=筑紫・九州島)に至り、
又東して秦王国に至る。其の人華夏に同じ。以って夷州と為すも、疑うらくは
明らかにする能わざるなり。又十余国を経て海岸(=九十九里浜)に達す。
竹斯国より以東は、皆な俀に附庸す。』
>>392 色々、解釈があって楽しそうだね
で、九州の何処に邪馬台国があるの?
>>386 普通に考えて、来賓が来たら飲めや歌えのパーティーをすると思わない?
一月以上、ひたすら歩かせるとか(笑)
この集合国家の行政府は邪馬台国じゃなかったろうね。
たぶん、伊都国か奴国か玄界灘に面してた国でしょ。
398 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:32:21.00 ID:STTnzWUz0
「一大卒」は誰が置いたのか、
卑弥呼か、弟か、伊都国王か、帯方郡長官か、魏の皇帝か、
それとも・・・・
399 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:34:44.68 ID:STTnzWUz0
>九十九里浜
いや。あの。。。
401 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:39:10.92 ID:STTnzWUz0
卑弥呼は、親魏「倭王」であり
「倭国王」は別にいたとも。。。
岡山は桃太郎も卑弥呼も横取りか
404 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:43:02.56 ID:oaSqyDs2O
投馬国 5万戸 邪馬台国 7万戸 1戸に4人棲むとして 吉備投馬国 20万畿内広範囲 邪馬台国28万 なんかありそうじゃね?
>>396 たとえは悪いかも知れんが、
東海道53次の全部で宴会やったら、2ヶ月かかるな。ww
>>395 あんな文章で、どこだかわかるわけがない。
だから積み重ねていって、ここじゃないかという結論はバラバラ。
九州説とまとめるのがおかしいんで、八女説とか宇佐説とか
それぞれ別もので扱うべき。
畿内説はまず、ここだと最初に結論を決める。
で、それに合うようにすべてのものを解釈。他の可能性は一切無視して考えない。
途中の国がどこにあろうと、どんなものが見つかろうとまったく
影響なし。最初からここだと決まってるから、ひたすらそれをつぶやいてればいい。
ブレがない。
どっちがまともかな
そもそも卑弥呼なんていない
408 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:48:53.23 ID:STTnzWUz0
盛り上がってまいりましたw
409 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:49:16.46 ID:6fManiRp0
>>397 それじゃ卑弥呼からの神のお告げが届くのに時間がかかりすぎる。
弟がすぐに行政的に手を打てる距離内だと思うんだがな。
邪馬台国は、熊本の北、トンカラリン遺跡のあるところ。
内陸部で海からも程よく遠く、遠すぎない。
しかも朝鮮系の遺跡があり、昔は呪術を行っていたと思われる。
近くに日本で最後の漢字が書かれた剣が発掘された舟山古墳がある。
411 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:56:23.20 ID:STTnzWUz0
「古代朝鮮半島系の」布石積みね。
後の「朝鮮」とつながるかは不明。
412 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 19:59:18.68 ID:VBn4W1xZP
>>362 そりゃ、案内人も無しに初めて来る人は迷うだろう。
だが、魏志倭人伝は倭国による朝貢が先行してある。
案内人がいたか、位置情報を伝えたか、しているだろ。
その案内人や当時の情報に基づいて記されているのだろう。
その情報において、地理が完璧ではなくても、
>>347のように、方角を間違うというのは致命的でありえないと思うよ。
当時の限界として、距離が不正確という方がまだありえる。
>>409 何から何まで全てを卑弥呼のご神託に仰ぐ必要は無いのよ。
行政府の首長はたぶん連合国一のインテリかつ切れ者だったろうから、
日常の内政や外交は瑕疵なく努めたろうし。
仮に弟王の指示待ちでも、当時と現代じゃ時間の感覚が段違いのような気がする。
江戸時代でさえ、半年くらい幕府の返事を待ってたりしたご使者はいたのに。
日本の起源は大都会岡山
415 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 20:02:38.28 ID:STTnzWUz0
卑弥呼の政治主導は
ダメを出されましたw
>>410 トンカラリンって広島にもあるみたいだよ
417 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 20:09:15.50 ID:VGuJCf9v0
ヒミコたんは群馬の出身だよ。群馬にはヤマトタケルの尊
がいた上州武尊山がある。
桃太郎と言えば黍団子
吉備人の周到な情報戦略を感じさせますね
吉備津彦は直訳すれば吉備の男子ですから
>>1 龍は刺青から引っぱってきたんだろうが、支那でも元は同じで、龍じゃなくて蛇にすれば面白くなるんだがなぁ。
スサノオ伝承も吉備が深く関係している。
しかし卑弥呼と蛇信仰はつながらず、神獣鏡の新興宗教としての卑弥呼の存在になるから迫害した方になる。
蛇から龍、龍から神獣鏡と、九州大陸との外来文化に接触変化。銅鐸文化地域を飲み込んでいくっていう仮設はありえるな。
ナイナイの人もいるだろうが w
420 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 20:14:39.36 ID:STTnzWUz0
任那だけでなく百済までも
上流階級は倭人(と扶餘)系で、広義の「倭国」文化圏と考えられ、
倭の五王などしきりに百済まで含めた鎮東太将軍を名乗りたがっていた。
「古代朝鮮半島系の」布石積みや、「朝鮮式」山城など、
土木技術とかはそういう広義の「倭国」文化圏内で伝え合っていたもの。
征服とかとは別問題。
421 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 20:15:23.37 ID:pjuXtL6G0
中国の古代の地図
日本列島の向き間違ってたような
422 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 20:16:11.81 ID:visgqgF/O
>>412 それらは倭側が魏に対して能動的に受け入れを行っていた事が前提となるようだが
江戸時代の対馬藩のように地方豪族が勝手に魏と交渉していただけで
魏の使者はほとんどまともに日本列島に訪れておらず、大和もそんな使者の存在すら知らなかった可能性はないかね。
今日のやり取りで、日本海ルートと都怒我阿羅欺等の旅路の関係を発見したが
案外、都怒我阿羅欺等からの聞き取りで倭人伝が書かれたか、同じようにさ迷っていたんじゃないかと思えてきたんですよ。
それにしても岡山スレ良く立つね。 誰かの意図なの?
424 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 20:20:44.53 ID:VBn4W1xZP
>>422 朝貢の上に金印まで下賜しているのに、
使者が一人も倭国を訪れないのはありえないだろう。
そもそも、倭人伝には、邪馬台国を含め、
複数の国々の距離・方角・位置関係などが
かなりの分量が書かれている。
彷徨っていた都怒我阿羅欺と同一視できるのかな?
都怒我阿羅欺も目的地に向かうのに、そういう位置情報を持っていたの?
426 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 20:25:28.34 ID:STTnzWUz0
卑弥呼は南の男王国との対立に苦しみ
魏から軍事顧問の張政の派遣を仰いだ。
卑弥呼の邪馬台国が南の男王国に征服されると
まとめて呉について魏と対立する危険もあったので
戦乱で激減した総人口が200万しかなかったともされる魏の
張政は長期滞在し綿密に現地調査し報告したと推定される。
427 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 20:27:15.69 ID:oaSqyDs2O
吉備投馬国5万戸 1戸に4人棲むとして20万都市 畿内広範囲邪馬台国 7万戸×4で28万都市 集落じゃないね 相当な地域だったんじゃない? 博多奴国2万戸×4で 8万都市 勝手な妄想だけど
キチガイ鳩山の家も岡山の出だったよな。
429 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 20:38:13.58 ID:STTnzWUz0
>>390 九州説は1里=500mじゃ成り立たない
1里=100m位じゃないと厳しい
431 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 20:44:01.06 ID:visgqgF/O
>>424 都怒我阿羅欺等は崇神天皇に会おうと任那から日本にやって来ますが場所がさっぱりわからず
先ず周防を訪ねるが、周防の豪族は「この国に王は私の他に二人となし」と答える
しかし彼は探し求める大王ではないと悟った都怒我阿羅欺等は彼の下を去り
さらに放浪して、敦賀から上陸してやっと大和に至る。
この間に崇神天皇は崩御され都怒我阿羅欺等が大和に着いた時には垂仁天皇が即位されていたそうです。
垂仁天皇からは真っ直ぐ来ていれば先帝に会えたのにと惜しまれたそうです。
正確な土地勘なんてものはまるで無かったようですね。
しかも言葉もあまり通じなかったのでしょう。
見た目の「角がある人」がそのまま都怒我阿羅欺等なんて名前になってるくらいですし。
(于斯岐阿利叱智干岐という別名もあります。おそらくこちらが本名でしょう)
金印を下賜されたからってあちらの役人が日本まで来ているとどうして断言できるでしょう?
こちらから何者かが出向いて倭の代表を名乗り金印を下賜されてきた可能性もありませんか。
432 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:02:32.86 ID:STTnzWUz0
433 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:12:29.11 ID:JK+JGvEq0
岡山は被葬者不明のやたらでかい古墳が結構あるんだよな
434 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:16:42.49 ID:ceCWxR62O
イライラする。都怒我阿羅欺等って誰だよ!
435 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:18:40.69 ID:fXG6616CO
436 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:19:56.97 ID:1X0u82m50
>>397 一大率が伊都国に置かれて北九州を中心とした地域を管轄していたようだ。
また各国には官がいて治めていた。官はおそらく君(きみ)だろう。
この官は、邪馬台国のものだけ「次に」とつなぎながら名前が紹介されている。歴代の官つまり君との説がある。
他と違う紹介をされている邪馬台国の官は特別であることがうかがわれる。
卑弥呼とは別の行政組織が邪馬台国にあったことが推測される。
この連合体は邪馬台国とその出先の一大率が軸であることは定説であるし、今のところそれを崩すものはない。
437 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:22:48.90 ID:STTnzWUz0
>>434 アメノヒボコ - Wikipedia より
『日本書紀』では、意富加羅国王の子 = 都怒我阿羅斯等
438 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 21:24:34.61 ID:visgqgF/O
>>434 日本書紀の垂仁天皇の段に出てくる渡来人。
額に角があった事から都怒我阿羅欺等と呼ばれる。
崇神天皇に会いたくて日本にやってきたが散々迷って存命中にはたどり着けなかったとされる。
垂仁天皇から崇神天皇の諱であるミマキから取ってミマナという国名をもらい任那の王となったとされる。
439 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:26:29.35 ID:NEYyYoD/O
国造りって何かなぁって思うわ
とにかくクニが多いよな日本
今でもクニに帰るって言うし
故郷=クニだし
440 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:27:31.74 ID:CpkqM7hd0
幻神丸ー!
441 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:29:09.38 ID:1X0u82m50
>>402 それは斉明天皇が行幸し崩御された場所である朝倉宮の周囲に大和の地名をつけた可能性がある。
>>405 実際に朝鮮通信使はそんな感じ。宿泊先で宴が開かれている。
まあ、この場合は宿泊先の大名などの名誉がかかっていたこともある。
>>413 当時は律令政治じゃないんでしょ?
広域行政ふうの知識そのまま当てはめるのも
どうなんでしょう。
>>383 関西のプロ野球チーム、南海・阪急が消滅したその年に奈良市の二条大路南にそごうが出店を計画。
そこに長屋王の木簡などが出てきたのに保存はせず計画を優先。
(物自体は保存してるはず)
大和朝廷跡も何らかの有名な建造物が鎮座してるかもと考えると暗鬱たる気分になります。
444 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:34:11.46 ID:ceCWxR62O
445 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:36:13.76 ID:STTnzWUz0
>>438 11代垂仁天皇のこの逸話と
12代景行13代成務14代仲哀の3天皇が「タラシヒコ」号を持つ
加羅(任那)領域内に多羅という小国名
などから、
・加羅王の称号がタラシヒコ
・加羅は九州あたりの天孫族と対立
・背後の天孫族と結ぶため王子が崇神天皇を訪ね
・形式的に加羅王の称号を認める事で実質同盟関係へ
と妄想しているw
>>437 天日槍は新羅国の王の子 (日本書紀巻六 活目入彦五十狭茅天皇春三年条)
447 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:46:45.70 ID:STTnzWUz0
この妄想的には
任那日本府は倭国圏といっても、倭王(倭国王)の支配領域ではなく
あくまで倭の中でタラシヒコ号を継承する者の配下であり、
タラシヒコ号を倭王(倭国王)が継承していれば問題ないが
タラシヒコと対立すれば任那は倭王(倭国王)に従わない。
オキナガタラシヒメ(神功皇后)が任那あたりから畿内へ反攻に出たのと符号する。
448 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:48:55.98 ID:3M8PLPRl0
山陽の販売部数水増し裁判はどうなった
449 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:50:48.45 ID:Hwk1P3zC0
>>438 崇仁天皇がミマキと言うなら、魏志倭人伝に邪馬台国の官名として「弥馬升」
ってあるけど、これは「ミマキ」なのかな?
卑弥呼のヤマタイ王朝が最初九州で起こり、後に畿内へ勢力が移動した、
でいいんじゃないの?
ヤマタイが九州か畿内かの論争て卑弥呼の一族の出身に対するこだわりなのか。
それなら卑弥呼も後から来た神武王朝と同じく渡来系だと思うけど。
卑弥呼が縄文以来続く土着の民族であってほしい人たちもいるのかね。
いずれにしろ渡来系=朝鮮人と考える必要が無いのであれば
保守派ももっと出自を柔軟に考えればよいと思う。
451 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 21:51:57.71 ID:rHeufcJM0
鳩山も管も岡山ゆかりなのだ
大岡山、大敗北
天日槍と阿羅欺等の伝承は、倭に逃げた少女(ヒメソゴ)の伝承を収録している。
これは卑弥呼時代の倭の半島南部進出に深く関わっている伝承ともいえる。
454 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:00:31.65 ID:STTnzWUz0
>>447 続き
つまり東アジア最大級の王墓群を遺した応神朝は
オキナガ氏が代表する山陰北陸の水軍と
任那日本府の倭人勢力の連合政権と見る。
仲哀(タラシヒコ)
‖
神功(タラシヒメ)=沖永水軍
‖
‖−−−−−−−−−−−−−応神−−仁徳
‖
任那=住吉水軍
455 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:00:47.51 ID:NEYyYoD/O
わかった
全く一枚岩じゃないってことだけは
456 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:02:53.97 ID:Hwk1P3zC0
ヤマトトヒモモソヒメと吉備津彦の時代は記紀では神武〜崇神の間の実在が疑われている
欠史八代の時期の話。
実在が確実なのは崇神から。その崇神の和風諡号は『紀』では御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこ
いにえのすめらのみこと)
そして、邪馬台国の官名は、官に伊支馬、弥馬升(ミマキ?)、弥馬獲支(ミマカキ?)、奴佳。
佐賀と思うんだ
将来日本の首都は佐賀になってる気がするんだ
>>442 律令制なんてそんな整然としたもんじゃないでしょ。
広域行政風に感じられたら、それは小生の表現力の拙さ。
もっと原始的な緩やかな連合体ね。
で、一大卒は行政能力に抜きん出た君が治めてたところと。
弟王かもね、間夫じゃないかぎり卑弥呼に近侍してなきゃならないわけないし。
459 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:22:30.67 ID:STTnzWUz0
それは一大卒が「親魏倭王」卑弥呼に属していた場合。
倭王の上に、連合国家「倭国」の「倭国王」が別にいた場合、
一大卒が「倭国王」に属し卑弥呼に属していなかった可能性もある。
倭国王…天皇
一大卒…足利将軍
卑弥呼…信長
みたいな
460 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:24:04.66 ID:NEYyYoD/O
聖帝サウザーとか拳王ことラオウとかが
あちこち居た時代なんでしょ?
とりあえず何故岡山を叩くようなレスがあるのかよくわからない
>>452 阿羅欺等に賜した赤絹を新羅人が任那国の蔵から盗んで
ここに任那と新羅の不仲が起こるのであった。そして翌年新羅国の王の子
天日槍が来朝する。
463 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:26:48.96 ID:UqweZn690
>>450 何故神武朝が渡来系とさらりと断言しているのかな。
江上波夫の騎馬民族征服説は学会の中では既に否定されているんだが。
また、縄文人から弥生人にかけてDNA的な断絶は認められない。
更にDNA的には今の朝鮮人と日本人は明確に異なる。(ミトコンドリア分析)
皇族=天孫族だけが渡来系という可能性もゼロではないが、今の定説ではない。
可能性があるとすれば応神天皇か?
>>460 そして幼女のフリして宴会で御酌をする少年に討ちとられるんだよ。
465 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:28:46.26 ID:STTnzWUz0
応神天皇は神功皇后と住吉さんの子
大阪では常識
466 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:29:00.86 ID:apPIzwd6O
応神はタラシヒコじゃないよ。ホムタだよ。垂仁天皇の子にもホムツワケってのが居たな。
468 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:34:24.51 ID:STTnzWUz0
タラシヒコ位のようなローカル王の称号は
東アジア最大級の王墓を築くに至った =
全国統一を果した応神のような至高者には
もはやふさわしくなくなったのだよ
桃太郎の起源も吉備一族だな。
470 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:35:45.38 ID:NEYyYoD/O
北斗と南斗は五分
↓
いや、北斗のほうが強いから南斗最強のサウザーでもダメ
↓
南斗には慈母星のユリア(ヒミコ)がおんねん
北斗の男はユリアの魔性にいちころや
でも死んだ一回死んだふりしたけど(天岩戸)
↓
北斗は天帝を守る戦車や
ちなみ天帝はリン(トヨ)や
ロリキャラやで
前スレより
:ぴーす ◆I2HZJU3i0. :2011/06/19(日) 22:02:45.08 ID:/RSIEI6xO
明史日本伝見たら支那の書は信用できなくなる。
472 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:38:12.61 ID:/rpGI5Dc0
考古学はファンタジーだ!
でも舒明天皇がタラシヒロヌカ、皇極天皇もイカシヒタラシヒメだよ。
474 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:42:39.59 ID:7zMNzFgN0
>>463 また、縄文人から弥生人にかけてDNA的な断絶は認められない。
更にDNA的には今の朝鮮人と日本人は明確に異なる。(ミトコンドリア分析)
皇族=天孫族だけが渡来系渡来系という可能性〜
の原文出せよ
475 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:43:14.34 ID:STTnzWUz0
舒明天皇陵みたか?
あれはローカル領域しか支配してへんで
476 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:44:20.12 ID:8c84aOgtO
岡山はワシが育てた
住吉さんって誰?
まさか日本の秘密を握る海人族の大物?
舒明天皇は飛鳥時代だよ。古墳は後期には小さくなるんだよ。
479 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:50:07.82 ID:Hwk1P3zC0
>>463 騎馬民族が日本を征服したのではなく、倭国が亡命してきた騎馬民族の伝統を持った
渡来人を受け入れた。
そして、彼らを関東東北の開拓に回した。そして、関東は騎馬民族的風習の坂東武士
が生まれ東北は馬の産地になった。
480 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:50:23.26 ID:STTnzWUz0
九州王朝と神武朝は五分
↓
いや、九州のほうが強いから仲哀(神武朝)+神功(沖永水軍)でもダメ
↓
仲哀+神功は任那の住吉水軍にも動員かけれるねん
3連合すればいちころや
でも仲哀死んだけど(流れ矢に当たっちゃったw)
↓
九州王朝は負ければ卑族や
ちなみに女系では卑弥呼系や
記紀に卑弥呼は載せられへんな
>>477 「スム」というのは「潜水する」の古語だよな。
いまでも九州では方言として使われているはず。
んで、住吉神社と言えば博多か大阪という話だが以下略。
482 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:52:12.81 ID:NEYyYoD/O
支配が完成型になれば労働力は戦力として保持したいからな
聖帝十字陵は愛の墓
住吉の神さんは、九州より朝鮮に金銀財宝あるよって言ったじゃん。
むしろ九州豪族と戦わないようにさせたのが住吉さん。
卑弥呼じゃなくてツチノコじゃ?
あと吉備高原は広島県内までのびてることもお忘れなく。
485 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 22:54:15.97 ID:UqweZn690
>>474 とりあえずWiki貼っておく。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA 他にもいろいろあるから見てみたら良いよ。
天孫族が渡来系の可能性がある、というのは、神武東征説話や応神の産まれや
応神・仁徳朝の都の場所などから、絶対にないとは言い切れない、というだけ。
誰かが九州方面から畿内を制圧して王朝を立てた、と考えることは自然かと。
その起源が朝鮮半島とは思っていないが、可能性としてはゼロではない。
皇族の宇佐神宮との関係や、皇室の隼人との関係を見ると、九州の大豪族と
考えても良いとは思う。
魏志倭人伝における、クナ国かも知れない。
>>485 自分の国が何にもないからってこっち来るなよ、鬱陶しい
487 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:01:27.85 ID:UqweZn690
>>486 いえいえ、生粋の日本人ですから。
チョンと間違われるとは恥ずかしい。
488 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:03:03.10 ID:Hwk1P3zC0
住吉っていうのは物部氏?
同じく前スレから〜
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 22:34:16.51 ID:jf3D7rjL0
まあそもそも、魏志倭人伝というのは通称で、三国志の中の 魏書の中の東夷伝のそのまた中の倭人条で、
ちょこっと書かれたもので、 しかも時代を下っての、悪い言い方すれば又聞きみたいなもんだしなあ。
チラウラとまでは言わないけど、少なくとも第一級史料扱いは……
三国志の筆者陳寿は晋朝の雇われ歴史学者であり中国史の貴重な資料たりうるが
日本そのものを蔑視しており我が国にとって有り難みなど全くない。
入れ墨の習慣一つを取っても中国の江南地方の文化と混同する有様。
倭人、邪馬台国、卑弥呼など蔑称のオンパレード。
この時代に少しでも興味があるのなら、まず魏志倭人伝の呪縛から解放されるのが重要である。
490 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:04:53.99 ID:STTnzWUz0
>>483 「連合水軍には勝てんやろ
素直に降参せい」
と言って和睦させ
応神朝の全国統一を内戦による国力低下は最低限でもたらした
そのため応神陵や仁徳陵はでっかくなった
と妄想
491 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:10:32.41 ID:nQoDzVos0
応神の産まれやって、応神は上で話題の天日槍の遺伝子を
引き継いでいないのか?
492 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:14:19.24 ID:ceCWxR62O
>>489 >この時代に少しでも興味があるのなら、まず魏志倭人伝の呪縛から解放されるのが重要である。
魏志倭人伝に書かれているから興味があるわけで、書かれてないなら興味なんてねーよ。
だから天皇家征服王朝説が嫌われる理由は、
今の朝鮮人を見て「あいつらの同属を主と崇めるか」という想いじゃねーの。
李とか朴とか言う連中の書いた「日本は朝鮮人が創ったニダ」本がいくつか出てるけど
矛盾してんなと思うのは一方で天皇は朝鮮起源といいながら
片方で日王滅べばよいニダと言ってる所だな。
日韓併合も「百済王家を祖に持つ日王の祖地復帰」といいながら
他民族に朝鮮文化を破壊されたとわめく始末。
日朝お互いのためにも卑弥呼・崇神・応神の出自、
時代が下って天智・天武・藤原の出自等、どんどんやりあったら
おもしろいよ。
半島に思いっきり船で突っ込んだけどね。
もし連合だったならそのとき任那は何をしてたんだろう。
>>491 応神天皇の母である神功皇后の、母方の先祖が新羅出身の天日槍。(父は開花天皇の子)
496 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 23:20:54.64 ID:visgqgF/O
>>491 接点が無いな。
まだ実の父は竹内宿禰だという方が説得力がある。
497 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:20:59.97 ID:89owJYpf0
>>477 >>488 465の指摘の住吉さんは塩土の翁か武内宿祢のことだと思うがな。
住吉三神のことじゃねーわ。
>>486 谷川健一先生によると、怪人族じゃなくて海人族の三大系譜は、
綿津見神を祀る安曇氏、宗像三女神を祀る宗像氏、墨江大神を祀る
住吉氏なのだが、この墨江の「墨」も、
>>481の「スム=潜る=潜水漁法」を
あらわしている。そんで、古事記によると、イザナギが黄泉の国から
帰ってミソギをして生まれた筒之男命で、これが墨江大神であると書いてある。
では筒之男命とは何かというとこれまた話は長いのだが、結論から言うと、
筒=ヘビ=雷神=剣神(フツヌシ)=海神という、なんだかよくわからない
等式が出現する。剣神というあたりから物部に持っていけそうな気もするが、
そこはやっぱり無理があるかなと。
499 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:21:35.57 ID:STTnzWUz0
半島ったって、新羅を攻めたんじゃ
>>495 無意味に厳格な津田史観での日本の初代の天皇が
新羅出身の天日槍の曾孫かよ
もうバリバリの渡来系じゃねーかw
新羅に突っ込んで百済・高麗も服従。
502 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:27:57.28 ID:UqweZn690
>>491 母親である神功皇后を経由して引き継いでいると思われる。
アメノヒボコと息長氏との関係も暗示されているし。
しかし、父親である仲哀はヤマトタケルの息子で実在性が薄い。
従い、応神・仁徳の難波王朝は崇神王朝とは別系統である可能性が高いのではないか。
そして、崇神王朝こそ邪馬台国と卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメに
関連があると思われる。
応神天皇は神功皇后の三韓征伐の最中、九州福岡で産まれている。大和ではなく。
そして、皇室と大分県の宇佐神宮との関係は特別なものがある。
>>499,
>>501 俺たちの磐井さまを、「新羅から賄賂をもらった」とか難癖つけて
滅ぼした継体は許せんばい。
504 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:29:44.04 ID:NEYyYoD/O
出雲から見て山の向こう側がヤマト
九州と半島の覇権ために無印ヤマトと畿内の日出ヤマトがあった
最大利権は鉄
九州は増えすぎた人口を
すでに九州では賄えなくなったから
本州でも半島にも植民してた
物部は出雲側の軍事アドバイザー
角が出てる王子は半島の鉄利権と技術提供を申し出る
こうか?
「津田史観」では「初代が応神」で「新羅出身の天日槍の子孫だからバリバリの渡来系」
なるほどねぇ。
でも曾孫じゃないんだよ。七世代くらい間があるから。神功皇后の父は開花天皇の子の気長宿禰王だしね。
>>504 ヤマトの「ト」は何なんじゃい。
「戸」にしろ「門」にしろ、山のこっち側から見た図だよね。
507 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:33:03.11 ID:4R368QXx0
>>496 三河農士 ◆R2srkOAYfTmd 轟沈。。。
せっかく天日槍を調べまくってたのに・゚・(ノД`)・゚
508 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 23:33:12.82 ID:visgqgF/O
>>495 葛城高額媛の父が多遅比多訶といって天日槍の子孫だっか。
何で急に葛城氏になったんだろうな?
510 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:34:23.01 ID:n2RqGYsOO
卑弥呼よりも後継者の壱与のが好きだ
理由はない
511 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:34:54.07 ID:STTnzWUz0
>>503 新羅の、朝廷を傾けさせんとする思惑に乗っかって軍資金を受け取ったとぞ。
513 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:36:24.25 ID:9EIzHIjMO
壱与はロリ
>>508 地名にちなんだ名だそうですが、氏なんだろうか。
515 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:38:53.29 ID:NEYyYoD/O
山を越えたら意識が変わる
こっちが住みやすいのになんで下やねん
イザナギとイザナミどっちがどっちやねん
どっちが黄泉の国やねん
トンネル抜けたら雪国やねん
追いかけて追いかけて
>>510 傾きかけた老舗旅館を継いだ若女将、てな風情があるよなw
>>512 そげんとは濡れ衣たい! ><
517 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 23:39:58.19 ID:visgqgF/O
>>500 母方の祖先で渡来系とか言い出すなら
そもそも神武天皇の母も海神の娘で正体はワニ(鮫か?)だぜ。
重要なのは父系ではないのかな。
>>505 こいつか中年ニート
>>230 さすがは速攻ググって系図見て貼り付けw 論点は渡来系か違うかだろう?w
開花天皇の子じゃなくて子孫だったな。気長宿禰王。
520 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:44:06.69 ID:STTnzWUz0
で岡山は何なんだっけ
521 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:44:40.44 ID:NEYyYoD/O
まず整理しよう
九州王朝ってなんだ?
新羅とミナマの関係は?
ツノデルと天日矛は同一なの?
522 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:45:06.05 ID:hMQXQXk00
523 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:45:15.41 ID:9EIzHIjMO
日本人はみんな渡来人ナリよ
地面から生えたのら違うけど
神功皇后の母方が帰化系氏族、父方は皇族。
応神天皇の父は天皇で皇族、母も母方は帰化系氏族ではありが父が皇族なので皇女で皇族。
これで答えになるだろうか。
525 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:46:59.12 ID:STTnzWUz0
古田に言わせれば
イワイのイと
伊代のイと
同じ姓で王朝を示すとか?
526 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/20(月) 23:50:20.42 ID:visgqgF/O
>>521 九州には邪馬台国論争より古い時代に畿内より早く王朝が起きたのではないかと考えられる。
新羅と任那は仲が悪く、日本や百済とも度々問題を起こしている。
それでも一応は日本と良好な関係にあったが、白村江の戦いで決定的に決別した。
都怒我阿羅欺等と天日槍は別人だと思われる。
てゆうか天日槍は帰化し、都怒我阿羅欺等は帰国した。
九州王朝 謎
新羅と任那 日本書紀によれば、新羅の盗みがもとで仲悪し
ツノデルと天日矛 ツノデルは任那の使い、天日矛は新羅の王の子
528 :
名無しさん@12周年:2011/06/20(月) 23:57:38.71 ID:NEYyYoD/O
>>526 わかりやすい解説ありがとうございます
九州王朝が仮説として存続した場合としても
磐井の君までは存続してた
すると神功と応神のころの関係がよくわかりませんね
何か九州王朝と戦ってたみたいなこと言ってた人居たけど
>>492 倭人伝は歴史資料としてはたった二千文字しかないために謎めいた神秘さがあるんだろうけど、
要は伝聞側聞で成立してんの。で、正確さは無きに等しい。だから現在まで正解にたどり着けない。
ついでだから明史日本伝も読みやがれ。信長、秀吉、光秀の箇所の酷さはギャグ漫画以下。
あんなに中国に差別されてるのに倭人伝をそんなに有り難がるとはめでたいモンだな。
530 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/21(火) 00:03:49.28 ID:EWkSddX2O
>>528 資料も遺跡も少ないから詳しくは解らないですよね。
仲哀天皇が九州を攻めて攻めきれず、神功皇后が新羅を攻めたらあっさり九州勢の謀反も収まっちまったのは何があったんでしょうね。
531 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:05:23.06 ID:+Nmlen83O
ていうか卑弥呼=モモソ姫の兄が吉備津彦だし
532 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:05:42.84 ID:xJDaw/BZ0
応神−仁徳の陵墓があまりに巨大なので
全国統一したと思われ
逆に言えば
応神の前は天照の子孫が各地に群雄割拠と思われ。
(例、日向から東へ進出した神武)
九州の天照の子孫は有力な割拠勢力の一つと思われ。
仲哀+神功は九州へ熊襲征伐に行き仲哀が死んでる
=神武朝が九州に統合戦争仕掛けしくじった?
でも神功の子が応神なので
任那と結んで逆襲したかな?
533 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:06:51.58 ID:EzK+BOQZ0
そんな大昔から大都会だったのか
さすがだな
>>16 ヤマトの支配下だったって記録あんじゃんね、北九。
535 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:09:03.52 ID:i8wm8kp+0
536 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/21(火) 00:10:12.09 ID:EWkSddX2O
>>533 逆に大昔の方が瀬戸内海運の中継基地として重要だったんだろうね。
538 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:13:42.95 ID:xJDaw/BZ0
「日」の訓読みは「にち」だろ
卑弥呼の時代に
漢字音読みがまかり通ってたのかねえ?
「火」なら分かるが。
>>48 当時の支那人に口頭で国名をヤマトって伝えたら
邪馬台って当て字つけただけじゃない?
筑紫国造→孝元紀七年春二月条に先祖が載ってる。
541 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:16:06.29 ID:paesi8gTO
いやいや、かなりのクラスの人間が遊び半分で
胸貸してくれてるかもよ
大分県は瀬戸内海エリアだしなぁ
何かひっかかる
>>535 大学て教授によっては、馬鹿みたいな事を吹き込まれそう
544 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:17:51.54 ID:+Nmlen83O
邪馬台をヤマトと読むのは
中国の歴史書で保証されてるのにまだグダグダ言うやつおるんか
>>532 >天照の子孫が各地に群雄割拠と思われ。
応神の前かどうかは分からないけど、元は、そうだったんだと思う。
だから、九州説も近畿説もどちらもあながち間違ってないっていうか、
どちらにも天孫の有力な割拠勢力があったと思う。
546 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:19:00.25 ID:XXNaLOb60
岡山へ行こう 岡山いいよー
どこの県より安心して、緊張感なく旅ができます。(個人的感想)
岡山の方々は来訪者に対して親切です。田舎の人に特に親切にしてくれます。(ただし外人は除く)
東北の自称大都会と違って、何回もリピーターとして訪れても楽しいです。
美味しくて安全な地産地消の食品や愛想のよい料理店。
何でも揃う天満屋や池田家御用達の高島屋、表町、奉還町(笑)。グルメやショッピングが楽しめるのも東京と同じです。
瀬戸内の海では海水浴や釣りもでき、 さまざまな魚介類は見て良し食べて良しです。
西大寺ではだか祭が行われ、勇壮な男による宝木の奪い合いは壮観です。 アー
岡山駅から四方八方に延びる鉄道で市の外へ。 イー
瀬戸大橋、鷲羽山の遊園地、倉敷美観地区、吉備津、吉備高原、津山、蒜山・・・ ウー
岡山の豊かな自然も堪能できます。 エー
疲れたらOHKの「OH!体操」でOH!君と一緒に心身を癒しましょう 。 オー
伝統と歴史もあり、古式豊かな風俗も現在に息づいています。
風俗店の内容はイマイチで いろんな意味でハマリません
岡山に行った事のない人また、しばらく行っていない人
新たな岡山がそこにあります。
岡山に行こう!
吉備真備
548 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:20:04.42 ID:xJDaw/BZ0
チボリ閉鎖だっけ(ぼそっ)
549 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:20:17.82 ID:p6cAZDlLO
岡山なんて道の駅のΖガソダムくらいしかシラね
>>69 いまさら言うのもなんだが、桃太郎と吉備の国って、
単に江戸時代の団子屋が言い出した「黍団子→吉備団子」の
ダジャレが根拠だよな。
551 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:23:29.49 ID:82MB9YkI0
謎また謎が謎呼び卑弥呼今夜も踊る〜
>>104 九州発祥で出雲→岡山ルートと
四国ルートで何百年かかけて奈良に落ち着いたんじゃね
553 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:28:57.95 ID:paesi8gTO
どうしても軍事力に疑問があるんだよなぁ
仲哀天皇のオヤジってヤマトタケルなんでしょ?
また熊ソ退治って
554 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 00:34:06.95 ID:xJDaw/BZ0
>>553 長子相続でないから
即位を宣言したものの政権運営が不安定で
形勢打開のため
皇后の実家の水軍力で外征を試みたが
失敗(戦死?)
遺された皇后と実家の水軍が
遠縁の親戚の任那水軍に支援を仰ぎ
連合軍で逆襲したら
うっかり勝っちゃって
余勢を駆って全国統一に成功した
のでわないかと
住吉水軍がいつの間にか任那水軍になってるぞ。
お前、任那は軍事力提供してねーだろ・・・
確かに掘ると遺跡が出てくるんで、マンション建てるにも注意が必要とは聞いた、オカマヤ。
>>538 日の古代中国っぽい音読みはジツなんじゃないの?
日ジツ 本ポン 国グー が伝わって
ジパングじゃね?
559 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 01:00:04.27 ID:xJDaw/BZ0
> 任那は軍事力提供してねー
じゃあどうやって形勢逆転したのよ?
オキナガ氏は隠岐に由来の豪族と思われ
山陰地方に広く勢力があったと思われ
任那と同盟関係になったら
オキナガ氏の水軍力の一部は
とうぜん任那に出入りするようになっただろ
その末裔の動員に成功したとしか思えない
>>557 どっちにしろ卑弥呼は
日御子とか日神子とかじゃないんだよ
560 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 01:06:09.66 ID:xJDaw/BZ0
書紀の神功皇后の巻は
皇子が2年も胎内に留まってたとか
生まれそうなのに出征したとか
新羅攻めたらあっさり帰順したとかなっていて
当てにならないんだよ
561 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 01:15:54.91 ID:2HinlyntO
驚くといえば核爆発の後当初の予定では、高汚染遺体も高汚染がれきも2次被曝して被害が拡散しないように、土中深くに埋めておくはずだったのに
なぜかある時点から土中に埋めた遺体までわざわざ掘り起こして、高汚染遺体も高汚染がれきも全国に拡散させて燃やす事になったんだよね?
なんでそんな酷い事をするのかと不思議に思っていたら、その直後から民主が福島のすべてをバラまいた後に、プルトニウムもストロンチウムなども吸わない黄色いお花畑計画が動き出したらしい。
全国に被曝拡散させておいて意味の無いお花畑やるってどんだけ脳内お花畑なのかと?核種を相手に現実はアニメの様にはいかない事すらわからないのかな?平和ボケした日本人なら食いつくだろうとか思ったのかね?
562 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 01:20:24.35 ID:KO8ZdGbd0
邪馬台国は九州で、ブランドだけ近畿勢に受け継いで滅んだ国と
考えるのが、たぶん一番ムリのない仮説だと思う。
563 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2011/06/21(火) 01:22:01.37 ID:zxnEo/R+O
明史日本伝
日本は古来より王がおり、臣下では関白という者が最も尊いとされ
山城州の頭目、信長がこれになっていた。
ある日信長が猟に出ると木の下で眠る者がおり、跳ね起きて衝突しそうになった。
何者かと問い詰めると、名を平秀吉と言い
薩摩州の奴隷で、雄健ですばしっこく口が上手かった。
信長はこれを悦び、馬の管理をさせ、「木下人」と名づけた。
後に重用され、信長のために策を尽くし、二十余州を切り取り、摂津州鎮守大将となった。
参謀に阿奇支なる者がおり、罪を得て、信長は秀吉にこれを討たせた。
にわかに信長は部下明智に殺される所となり
秀吉は阿奇支をまさに滅した時に変を聞き
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅したので威名は益々振るった。
信長の三子を廃し、関白を僭称し、信長の衆をことごとく収めたのが万暦十四年である。
魏の方はこれと同じかそれ以下と見ていい。
564 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 01:25:21.21 ID:12Jl0z9g0
565 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 01:39:58.36 ID:KO8ZdGbd0
>>563 阿奇支≠明智
阿奇支=安芸氏(?)=毛利氏
じゃね?
なら、そんなに変じゃないよな。
ロリコン日本人の象徴
そもそも九州豪族とは戦ってないだろう?
そして息長は近江国にある地名。軍事力を出しても居ない国が連合とか水軍力とか。
何言ってんだかな。
>>565 かなり変だと思いますが
薩摩州って何を指してだろ?
素直に薩摩?或いは九州?
569 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 01:58:51.59 ID:KO8ZdGbd0
大事な点は大体あってるが、細かい点にデタラメが多い。
55点くらいの感じかな。
571 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 02:18:02.36 ID:WkKLyEt20
>>568 薩摩・大隅・日向(現在の宮崎県都城市/東諸県郡)
この三州を合わせたのが薩摩(三)州
572 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 02:29:38.79 ID:xpApe8dj0
卑弥呼が何者か分からないのは、焚書された歴史の人物であって、
その後の支配者につながっていないから。
神武東征によって滅ぼされた大和地方にいたのだろう。
これまで、征服された大和の王朝について、あまりに無関心すぎた。
記紀によって隠蔽されてしまったが、これからは、きちんと歴史を見る必要がある。
574 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 03:02:54.97 ID:WkKLyEt20
>>280 遅レスだが
それはダイヤモンド映像で村西監督
連合国家で且つ、一大卒っていう官?もあるのに文字無しで運営出来るの?
又聞きになると情報の伝達性はかなり落ちると思うのだけど
文字の代わりがあるの?
576 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 03:20:37.36 ID:pWWXGUVj0
>>575 民族例から
文字がなくとも広域共同体?は十分成り立つ
いわゆる「国家」とはいえないレベルではあるだろうけど
577 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 03:32:46.97 ID:xiaIvnGe0
記紀には銅鐸の記述はない、
それに銅鐸は多くが壊されて埋められたり、村のはずれの様な何の変哲もない
重要な場所ではない所から掘り出されて発見されている。
だから、機内は九州の邪馬台国が征服した場所なんだよ。
578 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 03:40:32.19 ID:NttlL6euO
本当に、どうでもいい話だな。お花畑は羨ましいわ。
579 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 03:43:43.87 ID:WkKLyEt20
九州は古墳というより巨石文化だからな
いくつかあった王朝の一つが畿内を征服したのは間違いないだろ
580 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 03:56:13.00 ID:pWWXGUVj0
あー、でも今の考古学者で
九州が畿内を征服したとか考える人はほぼいないですよ。たぶん9割は畿内説。
文献史学のほうはよく知らないが、それでも畿内説圧倒的優勢ではないかなあ?
在野の歴史学者は九州説の声がいまも高い気がします
>>577 銅鐸はまだまだわからないことだらけだけど、もしかしたら神話の中で神様として登場しているかもしれんよ。
それと、神武天皇は日向は田舎で先行きが暗いと言って、一族を引き連れ大和を目指した。
そんな一族が大和を中心に勢力を拡大したんだから、古い信仰は廃れていったかもしれない。
実際に崇神、垂仁の歴代で祭る神様で変化がおきている。三輪から天照へと。
ちなみに、高天原は葛城山で神武の一族は派遣なり開拓なりだった説がある。
582 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 04:08:20.61 ID:AUSCLbNX0
583 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 04:21:52.22 ID:VIr038WW0
百襲姫?
584 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 07:05:08.70 ID:qbIbw/EmO
おはようございます。九州説が有利に進んでいるようですね。畿内説も頑張って下さい。
>>572 マルコ・ポーロが日本を黄金の国と書いたのは、
チンギスハンから、自分の育った平泉の話を聞いたから
邪馬台国は東北だろ?
587 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 07:37:54.55 ID:mpmFBSUWO
588 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 07:41:16.90 ID:2g5L8GOlO
なんという卑弥呼ピぺスレ
589 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 07:44:55.35 ID:/COaTCcX0
最近は大和朝廷とか教科書でも言わないんだってな。
邪馬台国の場所すらハッキリしないのに、卑弥呼の出身地なんか分かるかよw
百襲姫は有力だな。
崇神紀で任那の朝貢使者、蘇那喝叱知(=阿羅欺等=阿利叱智)の記述がある。
これは天日矛と違って、3つの名前を伝えているから実在性が高く、卑弥呼時代の倭人の半島進出を物語る。
>>1の吉備との関係記述もある。
脱線だが、大国魂神に付けたヌナ城入姫が激痩せも(狗奴で)音感的には面白い w
>>585 >チンギスハンから、自分の育った平泉の話を聞いたから
マルコが会ったのは、孫のクビライハーンなんだけど…
まぁ、東方見聞録のジパングの黄金宮殿の元ネタは平泉中尊寺金色堂で間違いないだろうが…
593 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 08:58:28.34 ID:byWg8qR30
邪馬台をヤマタイと読むのは日本語には二重母音が無いという理由からありえない。
同じ理由でヤマイ・ヤマイチもありえない。台がタ行ならヤマタ、ヤマティ、ヤマトゥ、ヤマテ、ヤマトのどれかだろう。
595 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 09:48:18.51 ID:xUYoCKDd0
ここまでをまとめると
1、かつて岡山は日本の中心であった
2、再び岡山に遷都して岡山を日本の中心にすべき
他に意見のある方はどーぞ
↓
596 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 10:03:59.16 ID:KO8ZdGbd0
卑弥呼=モモソヒメが繰り返し出てくるが、それとっくの昔に消えてなくなってる説だぞ。
マスゴミと歴博に騙されてるよ。学会では最初から相手にされてない説だし。
卑弥呼は元クラリオンガール
598 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 10:20:48.85 ID:KO8ZdGbd0
近畿説は、なぜ記紀は九州の話ばかりやっているのかを説明することが
全く出来ない。(だから近畿説の人間は文献は信用できないとか言いたがる。)
一方、九州説でも、邪馬台国が近畿のヤマト王権になったと考える者は、
ではなぜ纒向の様な重大な遺跡に九州の影響が全くないのか説明できない。
どちらも深刻な矛盾で、回避は絶望的。
>>562しか道が無い。
また、
>>562で考えると特典もある。
例えば、日本書紀は倭人条を知っていて、卑弥呼とは神功皇后のこと「だろうか」
などと記述している。この奇妙な記述は、近畿説でも
>>562以外の九州説でも上手く
説明できない。妙な陰謀論みたいなものを創作しないといけなくなる。
しかし
>>562なら非常に自然に説明できる。つまり、他人の王朝で、とっくの昔に
無くなってた王朝だから、本当に分からなくなってたわけね。
あと、倭人条は九州説のほうが有利。たとえば、(あくまで1つの例に過ぎないが)
「水行十日陸行一月」は「水行十日陸行一日」の誤りと一箇所修正して考えるだけで
九州説で収まってしまう。近畿説だとあっちこっち沢山修正しないといけない。
隣国の卑弥弓呼は日陰者だな〜
>>596 自分は卑弥呼=モモソヒメではないが、この説は今でも強いよ。
嘘はよくない。
但し韓国の学会は知らない。
我田引水がすぎるから。
巻向が邪馬台国であることが前提になってるよね、1の説。
巻向以外でもあのあたりを発掘するともっといろいろ出てきそうだけど
予算がつかないんだろうな。
602 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 10:33:24.29 ID:tDRWI2qJ0
>>598 九州の影響が無いのは東遷などしていなからだがw
天照大神と神功皇后の逸話は持統天皇のために持ってきたような話なのかもな
言い伝えられる様々な話が融合して作られたんだろうよ
関連しそうな話が記紀編纂よりずっと前の魏志やら好太王碑やらに出てきたから、後世の学者がくっつけたんだな
605 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 10:43:16.00 ID:61OjNWf70
>>567 仲哀天皇は「熊襲が叛いたので討つため」瀬戸内海を西に向かい、
穴門の豊浦宮に行宮をかまえた。
神功皇后は「北陸の角鹿(ツノガ)から出雲を経由して」合流した。
それから何故か6年後にやっと筑紫の橿日宮に入るが仲哀天皇は急病死したという。
北陸の水軍と瀬戸内の水軍が動員されたようだ。
急病死は怪しい九州で戦死だろうと言われる。
606 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 10:47:20.24 ID:61OjNWf70
てゆうか何でツノガアルヒトの話に脱線したんだ?
607 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 10:48:31.65 ID:paesi8gTO
仲哀天皇がヤマトタケルなんだろ本当はさ
クマソを騙し討ちにしてヤマトタケルが勝ったは逆で
仲哀天皇が騙し討ちにあったんだよ
で、クマソが九州王朝だったんだな
608 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 10:52:47.93 ID:61OjNWf70
>>602 神武東征は、記紀からも、実質的は吉備の軍勢が主体で
日向からは王子四人とわずかな手勢しか出てなさそうに読める。
だから日向(九州)の文化的影響はほとんどなくても
吉備の影響が大きければ矛盾はない。
609 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 10:53:34.97 ID:u8odKZxx0
>>598 それってただの九州東遷説でしょ。沢山修正って言うけど、文献の行程記事
自体が間違ってたらどうするの?俺はその可能性が高いと思ってるが。
もう文献からは探れないよ。今後は考古学的な積み重ねをしていくしかない。
で、現時点では纏向が可能性高いだけで。
>>595 2がなんかおかしいぞw
いやいや賛成なのだけれども
>>563 明史日本伝は信長・秀吉の時代から150年も経過した1753年に中国で書かれた。
秀吉の出身を薩摩としているいい加減さから邪馬台国の場所の特定など不可能だ。
東夷伝の中の倭人条はこれよりも1500年以上も前の文章である。
中国万歳!の連中にとっては秀吉の本当の出身地は薩摩なのかもしれない。
中国様!我々の知らない事実を教えてくれてありがとう!!とでも思っているんだろう。
こういう連中が南京事件の中国発の被害者数を教育現場(或いはマスコミ)などで蔓延させている現状。
612 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:05:14.05 ID:61OjNWf70
ここまでのまとめ
浦島太郎はウラ(温羅)という鬼を討ったので浦島太郎を名乗ったが
いつのまにか桃太郎に手柄を横取りされ、乙姫の色香に迷っただけの
色ボケ爺みたいに言われ、でも玉手箱で爺になっててどうにも出来ず
悶々としていた。そこへツノガアルヒトが来たので「自分が日本の王」
と言い「タラシヒコ」の名を貰って得意になり九州へ攻め込んで敗死。
吉備団子をもらった犬猿雉は阿奇支,秀吉,明智といい関白を僭称した。
>>563 しかし酷いな
明智さん二人登場してるだろw
魏への朝貢品に絹織物が入っている。
当時の絹織物が出土しているのは、鳥取県の青谷上寺地遺跡と
佐賀県の吉野ヶ里遺跡の2つだけ。
大和地方では出土していない。
さらに魏志倭人伝には、青い大きなメノウを贈ったとも
記載されている。
日本で青いメノウが算出するのは島根県の玉造だけ。
九州にはない。
絹織物と青いメノウの両方を産出するのは吉備だけだ。
播磨は、砂鉄の産地だった。
美作でも鉄が取れることがわかり、その重要性はさらに増した。
瀬戸内海に面した児島では塩がよく取れた。
塩は、古代貨幣が流通する前には最大の価値ある商品であった。
また岡山市に流れ込んでいた旭川の上流では朱が取れたようだ。
古代日本において朱は大変な貴重品だった。
朱は辰砂といわれる水銀と硫黄の化合物で、深紅色をしている。
丹ともいわれたこの赤色の顔料は、当時遺骸や棺に塗る貴重な材料であった。
したがって古代日本では吉備地方の文化の方が大和よりも進んでいたのである。
南方の習俗、植物、動物、温暖な気候、出土されたト骨、
倭国大乱の避難用の臨海性高地性集落の跡、楯築遺跡、造山古墳
製塩用の土器、埴輪、特殊器台、上東遺跡、加茂遺跡
「邪馬台国は吉備」を裏付けるものばかりだ
615 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:17:24.46 ID:xpApe8dj0
安全保障上の理由で邪馬台国の位地はTOPSECRETだった。
だから、適当なことを教えたのだ。
つまり九州の南の海上に攻めてきても安心な場所。
途中の九州に邪馬台国があったら、間違って通過するかも知れないだろ、
だから九州ではないのさ。
616 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:17:28.71 ID:KO8ZdGbd0
617 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:17:31.73 ID:qbIbw/EmO
>惚れた男が実は蛇だったんで、びっくりして倒れた時に、箸が陰部に刺さって死にました。
これが卑弥呼だと言っているのが畿内説の方々なんですか?
618 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:18:10.81 ID:61OjNWf70
でも南は海で
男王国じゃないのだよね
619 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:22:28.73 ID:KO8ZdGbd0
近畿説は絶望的なんだよ。それから安元美典のような九州説もやはり
絶望的。
>>562しか道がない。
そして、実は九州説の中で一番有力なのが
>>562らしい。
620 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:31:03.32 ID:61OjNWf70
ここまでのまとめ
H田は倭人伝の正しい読み方に気付き九州王朝の存在を論証したが
東日流外三郡誌にのめりこんでB典にこきおろされ悶々としていた。
そこで「××に大王あり」「××に大王あり」と連発したら受けて
得意になり自説を膨らませ過ぎて多くの弟子に見限られ学会も混乱。
吉備団子をもらった犬猿雉は阿奇支,秀吉,明智といい関白を僭称した。
621 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:45:03.77 ID:paesi8gTO
>>612と620
うん、あってると思う
クマソの分家が鬼退治や国譲りを受けて
クマソ本家に勝負を挑んだが敗退
今度はクマソ本家が東遷した(応神朝)
そのたんびにウリモーって来るから話が脱線する
けどヤマトブランドがよっぽど気に入ったのか
ヤマトは受け継ぐと
622 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 11:55:25.50 ID:61OjNWf70
ここまでのまとめ
魏の軍人張政は幻の蓬莱島へ初めて到達し乙卑弥呼に歓待されたが
ただめずらしくおもしろく月日のたつのも夢の内に過ぎ去り、玉手箱
に国書が入ってると言われて持ち帰ったが魏で開けてみたら煙だけ。
いつのまにか爺になってて馬鹿にされ、怒の余り角が生えた姿で北陸
方面へ逃れて「自分がヤマタイの王」と言った。後に言う東征である。
吉備団子をもらった犬猿雉は阿奇支,秀吉,明智といい関白を僭称した。
>>598 >近畿説は、なぜ記紀は九州の話ばかりやっているのかを説明することが
>全く出来ない。
なんで?
邪馬台国は畿内、朝廷は九州から畿内の邪馬台国を征服したんだろう。
それが素直な理解なんだが、妙なプライド?が歴史を捻じ曲げてる。
624 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 13:20:54.05 ID:JuySbeJz0
卑弥呼は久留米弁を喋っていたらしい
>>605 >>567は誤りであった。仲哀紀八年秋九月条に
「天皇、猶し信けたまはずして、強に熊襲を撃ちたまふ。得勝ちたまはずして還ります。」とある。
穴門豊浦宮から筑紫へいくとき、岡県主、伊都県主がそれぞれ船を出して迎えに来ている。
トンカラリン近くから掘り出された石にペトログリフで「ヒミコ」って書いてある石があるそうだ
628 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:00:29.08 ID:ER3YCATC0
迎えに来たのか
迎撃すると言って出航し寝返ったのか
隋書倭国伝にある倭国には阿蘇があり祭祀を行っている記述からも
阿蘇を望める場所に倭国=邪馬台国があったことは想像に難くない
天岩戸も天孫降臨の地もその阿蘇を望める場所にあり
古事記や日本書紀に伝えられる大和王権の派生と一致する
邪馬台国は九州の阿蘇が望める場所にあり
その流れを汲む集団が東方へ移動し成立したのが大和王朝である
ヤマトタケルという象徴的な人物が九州に渡って熊襲の王を殺害し名を戴くという記述は
もともとの邪馬台国→倭国の正当な後継であることを示すもの
631 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:13:57.55 ID:ER3YCATC0
でタケルの息子が来たから
馳せ参じる者も出たわけか
でも死んじゃったから
タケルの名には霊力が無いようだと
継承されなくなったのかな
八年じゃない、七年秋九月条。
八年春正月、筑紫へ出発、迎え入れられ橿日宮に入る。八年秋九月、詔して熊襲を討つことを議る。
そこで・・・ザ・シャーマン神功登場
邪馬台国が東へ移動せざるをえなかった理由として熊襲の攻撃が考えられる
熊襲征伐は力を蓄えた大和王権が奪われた祖先の土地を取り戻すべく侵攻した可能性を示し
正当な邪馬台国の後継であることを暗示している
そして八年秋九月条の、「天皇、猶し信けたまはずして、強に熊襲を撃ちたまふ。得勝ちたまはずして還ります。」
しかるに九年春二月、「天皇たちまちに痛身みたまふこと有りて」、次の日に「崩りましぬ」。
また「あるふみに曰く、天皇、みずから熊襲を伐ちたまひて、賊の矢に中りて崩りましぬといふ。」
卑弥呼の墓について箸墓説があるが
邪馬台国の勢力が東へ移動したあと卑弥呼の墳墓は熊襲等によって破壊された可能性もある
墳墓や副葬品に卑弥呼の名が刻まれていない限り寸法や年代だけで当てはめようとするのは無理がある
可能性として畿内に落ち着いたあと墓を作り直した可能性はあるが
636 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:33:21.11 ID:JuySbeJz0
古田武彦は「邪馬台国はなかった」を書くに当たって
「臺」の漢文的用法を調べたけど「邪馬臺」は当て字だったから
無駄なことに時間を咲いたわけだwww
637 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:35:24.44 ID:0q0jZor/O
そもそも卑弥呼なんてホントに居たのか?聖徳太子だって実在しなかったんだろ?
なのにそれより以前の人物なのに、冷静に考えりゃマユツバっぽい気がするがな。
638 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:42:19.07 ID:VIr038WW0
>>637 「ヤマトノトビモモソヒメという姫皇女様が」
「えっ?ヒメコ?ヒミコ?」
邪馬台国は不弥国より南へ水行20日、投馬国より南へ水行10日、陸行一月のところにあり。
吉備団子だけにして
641 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:47:27.58 ID:ER3YCATC0
642 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/21(火) 14:47:50.50 ID:EWkSddX2O
>>637 聖徳太子は実在してるだろ。当時はそう呼んでなかったかもしれんがな。
生前の痕跡が少ないから居なかった事にはならん。
卑弥呼の方は当て字で、日本でヒミコとかヒメミコとか呼んでいたのをそう記しただけだろう。
邪馬台国が九州か畿内かはどちらか知らんが、同時代に纏向に宮城があり畿内を中心とした大勢力がいた事が最近の発掘から明らかになった。
遺跡の場所から崇神垂仁景行天皇の都である可能性があり、初期の大和朝廷ではないかと考えられる。
643 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:49:26.90 ID:LlokRz8lO
644 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:49:33.07 ID:9xHi23BQO
卑弥呼は大都会岡山出身なわけ?
>>637 劉夏「わ、わし嘘ついとらんもん。ちゃんと報告を受けた通りに使いを出したもん。陳寿が悪い、陳寿が!」
646 :
忍法帖【Lv=18,xxxPT】 :2011/06/21(火) 14:51:15.16 ID:Heao8UyIO
五重塔があるんやで
647 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:52:01.94 ID:ER3YCATC0
>>636 無造作に当て字に使われるような文字ではないとしたわけだが
648 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 14:54:19.97 ID:VIr038WW0
>>642 むかーしテレビでやってた邪馬台国特集で卑弥呼の発音を「ピミェクゥオ」じゃないかと言ってた。
子どもの時に見たんで、学者の名前はわかりません覚えてません
山陽新聞さん、太ホールで講演
650 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/21(火) 15:01:31.44 ID:EWkSddX2O
>>648 支那での漢字の読みってな地域や時代によって全然違うからな。
日本をジャパンと言うのも支那のある地方での読みを英語で表記したものだし。
北京語だとリーベンだけど南方の方だとジツポンや英語のジャパンに近い発音をする所もあるそうなんだよね。
>>626 何焦ってるんだ? 書込みミスばっかりだな。
652 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:10:15.94 ID:JuySbeJz0
>>650>北京語だとリーベン
その仮名は正しくない。北京語のriの発音は
アメリカ南部英語のteacherのerに近い音。
福建語でジップン、インドネシア語でジプン
広東語でヤップン→ドイツ語でヤーパン
→アラビア語でヤバーニ
653 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:11:44.96 ID:ER3YCATC0
654 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:14:06.00 ID:LlokRz8lO
>>642 卑弥呼といい
邪馬台国といい
中国は格下の国には田舎のヤンキーレベルの悪意ある
当て字使うよね。
それをありがたがって使う現代の矮国。
せめて姫皇子か平仮名表記すればいいのにね
右翼も教養ないからこう言う致命的な問題には気付かない
655 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:14:53.87 ID:ER3YCATC0
656 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:16:06.35 ID:uayi0loe0
邪馬台国の「台」は当時の中国で「と」て読んだと何かで読んだ
657 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:17:43.47 ID:nM4FiygLO
邪馬台国はエジプト
658 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:17:51.52 ID:LlokRz8lO
659 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:18:00.22 ID:JuySbeJz0
アラビア語のヤバーニは広東語経由で伝わったんじゃなくて
邪馬臺人もしくは当時の倭人から直接アラブ人に伝わったんじゃないかという気がしてきた。
つまり倭人とアラブ人は東インドとかシャム、マラッカあたりで
直接遭遇したことがあると。
660 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:18:16.41 ID:ER3YCATC0
魏志倭人伝に「邪馬臺国はなかった」。
魏志倭人伝は「邪馬壱国」としか書いてなかった。
661 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:19:32.07 ID:B6NM9o78O
よし
秋菜里子はまだ出てないな・・・
( ・ω・)
>>656 初期の天皇の在位年数が長いのは、女性天皇を除いたからとか?
663 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:22:53.33 ID:ER3YCATC0
664 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:23:00.67 ID:JuySbeJz0
矮国と書くと邪馬台国の植民地出身の在日バカってのがすぐバレるwww
なぜなら中国で「倭人」というときは「倭」weiではなくwoと発音する。
しかし頭の悪い朝鮮塵は矮と同じ発音しか知らないからだwww
>>662 それは口に出してはいけないお約束ですが、何か?
666 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/21(火) 15:25:14.65 ID:EWkSddX2O
>>654 こういうものは原文をそのまま検証するもんだよ。
でないとひょっとして意味が違うかもしれないだろ。
だいたいガチの右翼は魏史倭人伝なんか参考程度にしか考えてないよ。
667 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:29:29.75 ID:LlokRz8lO
>>664 俺は「わ」の音に矮小(倭小)のわの字を当てる
中国の悪意とそれをありがたがって使う日本のことを書いたのだが
ネ右のばかには些末な揚げ足とりしかできないようね
669 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/21(火) 15:31:06.75 ID:EWkSddX2O
>>662 単に年齢サバ読んで誇張しただけだよ。
先文字時代の記録にはよくある事だ。
聖書の登場人物とかな。
皇国史観だと崇神天皇の時代は紀元前一世紀頃になるが、纏向遺跡の年代は三世紀からだ。
箸墓古墳の年代測定も併せて、実際の崇神天皇の時代は早くても二世紀ごろだね。
670 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:31:07.90 ID:ER3YCATC0
>>662 >>665 「当時の日本で1年を2年と数えた」説とか
(今より温暖で二期作が普通だった?)
「末子相続」説とか
(長男でなく末っ子が家督を継ぐ)
それらを組み合わせた説とかがある。
「末子相続」*2 なら在位100年くらいでもまあ異常ではない。
邪馬台の台は、婆の使う博多弁の語尾のタイだから。
たぶん、使者が奴か伊都あたりの奴で、
まちがわられちゃったんだなw
673 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:35:18.45 ID:zq3D+klPO
地元だがわりとどうでもいい(AA略
674 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:39:42.70 ID:6ho/HyYU0
675 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:40:35.99 ID:JuySbeJz0
676 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:42:20.87 ID:ER3YCATC0
>>626 伊都県主は倭人伝の「伊都国に到る。世々王有り」の末裔かな?
倭人伝で卑弥呼の三十国の領域内で、卑弥呼の邪馬台国を除けば
「官」でなく「王」がいるとされている唯一つの国・伊都国だけに
意味が大きそうだな?
それが本当だとしても
岡山土産として「卑弥呼饅頭」が出るくらいの影響しかなさそう
678 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 15:52:23.97 ID:LlokRz8lO
>>675 矮か倭か論争なんてだれもしてないの
些末なところで頭に血のぼるところが
朝鮮人なんだよね。
結局朝鮮人=ね右w
>>662 別に長くない。45歳とか49歳とか45歳とか57歳とかに混じって137歳とか93歳とか123歳とかがあるだけ。
>>679 古事記によると100歳以上が8人
日本書紀によると12人
十分多いじゃん
682 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 16:08:07.44 ID:61OjNWf70
吉備団子をもらった犬と猿と雉とは
卑弥呼の弟、一大卒、伊都国王、だった
それ全部ひっくるめて卑弥呼の弟だったとおもっちょる。
684 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 16:22:35.86 ID:61OjNWf70
ここまでのまとめ
魏の張政は救援を求められて伝説の蓬莱島でウラという鬼を討ったが、
乙卑弥呼に御礼にと歓待されて月日のたつのも夢の内に過ぎてしまい
やっと魏に戻ったが玉手箱の中身は国書でなく煙だった。面目を失い、
乙卑弥呼の都へ戻ったが死んだ後。卑弥呼の弟、一大卒、伊都国王、と
団子を食ったら角が生え自分が鬼になって北陸へ。後に言う東征である。
吉備団子をもらった犬猿雉は阿奇支,秀吉,明智といい関白を僭称した。
685 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 16:24:58.32 ID:65Dchpw80
>>675 こいつはなにがいいたいのw
倭といい矮といい「ちいさい」という蔑称だろ。
654はそれが言いたかった訳で。
ネトウとは会話成立しないなw
686 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/21(火) 16:32:30.39 ID:EWkSddX2O
>>685 矮に小さいという意味はあるが、倭にはないと思うが?
687 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 16:51:32.17 ID:61OjNWf70
ここまでのまとめ
魏の張政は救援を請われ伝説の小人島でウラ鬼を討ち浦島タケルとなり
乙卑弥呼に歓待され月日のたつのも夢の内、やっと魏に戻ったら玉手箱
の中身は国書でなく煙だった。煙の毒でツノガアルヒトとなるが100歳
を過ぎ退官。女王が死ぬと、女王の弟,一大卒,伊都県主、を従え水軍で
北陸へ行き「自分がヤマタイの王」と言ったヒコ。後に言う東征である。
吉備団子をもらった犬猿雉は阿奇支,秀吉,明智といい関白を僭称した。
688 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:04:14.17 ID:paesi8gTO
61OjNWf70
だんだん言ってることがわかんなくなってるな
689 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:08:46.82 ID:EMZVaFHh0
>>679 お前の頭の中の判断基準どうなってんだよ?w
690 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:20:20.83 ID:Zal6q2JTP
>>611 時代の古さよりも情報伝達の経緯の方が重要だろう。
例え古代であっても、お互いの使者が行き来をしていたのなら、
情報はそれなりに正確に伝わるはず。
もちろん、使者自身の認識等の限界には縛られるが。
使者等がおらず、又聞き・風聞等で伝わったのなら、
都市間・国家間の交流が未発達の古代は確かに信用できないな。
>>679 こいつなんでも浅墓にカキコするだけが生き甲斐なんだろWW
692 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:30:32.18 ID:Zal6q2JTP
>>609 近畿説は弱点である文献を無視したがるが、
そんなことしたら邪馬台国なんて雲散霧消してしまうだろ。
邪馬台国が日本で最大のクニだったかどうかも
文献からはわからない。
たとえ、纒向が日本で最も大きな拠点だとしても、
それが文献上の邪馬台国かどうかはわからないだろ。
693 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:35:36.12 ID:bQzHL1oq0
>>681 魏志倭人伝の原典となった「魏略」という本に「その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す」とある。
つまり、古代の日本人は春と秋に一年が始まる「二倍年」の暦を使っていた。
とすれば、神武天皇127歳というのは、63,4歳にあたる。
>>692 止めとけ。文献重視だと九州の何処が邪馬台国になるのって書かれるだけだから
695 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:38:49.01 ID:61OjNWf70
ここまでのまとめ
浅墓な張政は吉備の小人島でウラ鬼を討ち浦島タケルとなり、乙卑弥呼
に歓待され月日のたつのも夢の内、魏に戻ると玉手箱の中は国書でなく
煙で100歳過ぎの爺になりタケルは辞め纒向でツノガアルヒトに。女王が
死に、女王の弟,一大卒,伊都県主、の三神と水軍で北陸へ行き「自分が
ヤマタイ王」とわけわからん事言ったらしいヒコ。後に言う東遷である。
吉備団子をもらった犬猿雉は阿奇支,秀吉,明智といい関白を僭称した。
696 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:39:30.52 ID:Zal6q2JTP
>>694 「文献からは九州のどこかわからない」
というのも一つの誠意ある回答だと思うぞ。
歴史なんて、勝敗や白黒をつけるのが目的ではないんだから。
「ある一定のところまでしかわからない」もまた一つの答えだ。
697 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:40:48.49 ID:mGA6Ro+h0
以って卑弥呼死す
の下りにそそられる。謀殺でもされたのか
どこにあったかなんて重要な問題ではない。
それより卑弥呼の出自のほうが重要で、その後の畿内王権との
かかわりの有無に意味がある。
700 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:44:40.16 ID:cNDmB5810
>>692 いつの時代の地図かは忘れたが
日本が90°くらい南に回転した昔の地図を見た記憶がある
あれなら近畿説もあるかなと思った
701 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:49:04.49 ID:61OjNWf70
>>697 皆既日食が起き
「鎮めるため神に命を捧げさせられた」
説が多い。
702 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:50:30.20 ID:DH4hwvqs0
>>700 混一疆理歴代国都之図
李朝初めに作られた地図だ
703 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:52:47.94 ID:Zal6q2JTP
>>698 畿内説は、文献そのものと合致しない。
だから、文献を無視する。
九州説は文献との矛盾は少ないが、
詳細に特定する事はできない。
こういう状態だろ。
704 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:55:04.35 ID:cNDmB5810
>>702 サンクス
その時代以前から、そういう認識があっても不思議ではなかったのでは?
705 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 17:55:07.88 ID:Zal6q2JTP
>>700 同じ時代の史書に記された文献や地図ならともかく、
全然、違う時代の地図を持ち出しても、
まだ無理があるんじゃないかな。
魏志の時代と、その地図の時代と、
認識が同じだった、という前提が必要になるだろうね。
弥生時代以後の渡来はチョンとシナだからな。
それ以前の縄文日本人の清らかさ気高さとは性質も気骨も違う。
707 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:00:03.42 ID:svqW1dAA0
箸墓古墳から大量過ぎる桃の種が見つかったんだよな。
桃を祭壇に備えてたと思われるが
やまとととひももそひめは魚(とと)と桃の姫でオーケー?
何のひねりもなくて名前からはヒミコとのつながりも何もわからないが。
708 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:00:21.93 ID:61OjNWf70
畿内説
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だー
… 大きさから魏で作られた鏡じゃありません。
箸墓(前方後円墳)が卑弥呼の墓だー
… 卑弥呼の墓は径百余歩の「冢」=円墳。
纒向が卑弥呼の都だー
… 纒向は宗教施設。居住生活した様子がありません。
邪馬台国が大和朝廷の前身だー
… 卑弥呼もトヨも記紀に出て来ません。
九州説
魏志倭人伝を読むと九州しかありえん!
九州の何処かまでは知らん…
沖縄説
魏志倭人伝を読むと沖縄しかありえん!
…
徳島説
魏志倭人伝を…
>>703 無視はしてないと思う。
双方とも自分の都合に合わせてこれ位はOKって考えてるだけ
全然知らない人には50歩100歩
現状、邪馬台国はここかなってのがあるのが畿内
ここかなって思えるまでのがないのが九州
繰り返しになるけど、知らない人には50歩100歩で
露出度の面で畿内が優勢かなって感じ
711 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:15:53.37 ID:u8odKZxx0
文献だけであれこれ言ってても永遠に場所は分からないよw
考古学的な物を、今後も積み重ねていくだけ。
712 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:16:47.38 ID:4v0N7qSp0
隋書倭国伝にあるように
倭国(邪馬台国)は大きな島(九州島)に阿蘇という火山があるんだよ
この記述は変えられない
畿内説は捏造馬鹿が編み出した詭弁
卑弥呼が死んだ後、男の王になると騒乱が吹き荒れたが
11歳ぐらいの壱与が王(ただの象徴だろうけど)になると争いは止んだ
日本の紳士はすでにこの時代に登場しているということだな
当時の2chのログの発掘が待たれる
714 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:23:39.60 ID:NWNbwXDd0
>>706 黄河文明の漢民族に迫害されて逃げてきた長江文明の人たちが弥生人。
現在の苗(ミヤオ)族と同族。
漢民族ではないし、ましてやエンベキ族でもない。
>>712 畿内説指示かはともかくとして
九州が勢力範囲であるなら何も問題ないと思うよ
魏志倭人伝にある
邪馬台国の南にある狗奴国を治めた狗古智卑狗(くこちひこ)は
菊池彦と読め熊本の菊池に通じる
また狗奴国はクマ国とも読め熊襲とも通じる
文献記載上も九州説でしかありえない
717 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:29:06.61 ID:IFsipeNj0
>>563 最近の学界では中国史書の第三者的資料の方が重視されてて、
豊臣秀吉は薩摩出身であるとの説が有力になってる。
同様に山陰山陽地方の有力大名は毛利氏でなく実は阿奇支氏であり
秀吉はこれを攻めていた。
阿奇支氏が日本の史書に見えないのは日本書紀のデタラメ記述と同類の手落ちか。
中国人による客観的資料の方を取るのが公平公正な歴史学者ってもんだな。
ヤマト(大和)が訛ってヤマタイになったんだろ
719 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:39:46.39 ID:paesi8gTO
邪馬台国(ヤマト)が狗奴国(クマソ)に負けた
なぜかクマソはヤマトを継承した
ヒミコの霊を慰めるために奉った
720 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:43:42.08 ID:NWNbwXDd0
>>716 いいや、狗奴は「熊野」であり、神武天皇は熊野から大和盆地に入ったんだ。邪馬台国を南部から攻撃した狗奴国こそ神武天皇の建国した大和の国だ。
721 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 18:50:57.71 ID:paesi8gTO
それだと神武東征と卑弥呼の時代が同じだけどいいのか?
>>716 火の君(大和側3世紀後半以降)の勢力範囲が熊本もしくは八代辺りまであったみたいだから違うと思う
723 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 19:02:50.54 ID:paesi8gTO
その火の君はもうヤマトが乗っ取られた後では?
かもしれんけど、菊池氏は平安時代以降みたいだよ
725 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 19:07:39.41 ID:NWNbwXDd0
>>721 >>693 で書いたが全ては「倍年法」が原因。
記紀の編纂者たちは伝えられた異様な長寿をその通りに記したため、時代がずれてしまっている。
魏志倭人伝でいう「倭国乱れ」こそ神武東征による戦乱が中国に伝わった記事だ。
>>718 いや、ふつうに九州弁ですたい。
ヤマ(ト)たい
727 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 19:14:20.45 ID:paesi8gTO
ふむ
みんな説得力あるな
邪馬台国連合(ヤマト) VS 狗奴国連合(クマソ)
九州ステージと本州ステージがあった
追討軍はクマソの分家日向が行った
あまりの行軍の辛さに
畿内をヤマトを継承した
728 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 19:19:01.68 ID:jXs1c5ZW0
鬼道とは道教のことだよ、遺物は吉備を指すかも知れないけどね
道教が入ったのはもっと後
卑弥呼の時代は古来からのシャーマニズム
730 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 19:44:18.38 ID:q//dykLy0
>>693 >古代の日本人は春と秋に一年が始まる「二倍年」の暦を使っていた。
出雲の旧家の伝承でもそうらしい。
>>730 出雲って最盛期はどの位の勢力範囲だったのですかね?
出雲、丹波(旧名)、北陸、信州、関東位?
732 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 20:08:02.37 ID:a9UtQRzU0
正史である日本書紀には2〜3世紀の魏からの使者のことが全く触れられていないのだから、邪馬台国が大和朝廷と無関係なことだけははっきりしてるんじゃない?
>>681 人数は数えてないが、それだと33人中8人、42人中12人。
でも人数の多いか少ないかでなく初期の天皇の在位(寿命)の長いか短いかだろう。
734 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 20:12:16.38 ID:q//dykLy0
>>731 北陸、越の辺りまでだったみたい。
のちに、信州も建御名方命が開拓。
出雲に住み着いたのは「黒い川(砂鉄のある川)あったから」ということらしい。
>>732 神功紀 摂政四十年。「魏志に云はく、正始の元年に、建忠校尉梯携等を遣して、
詔書印綬を奉りて、倭国に詣らしむ。」
>>735 それは、三国志読んだらそう書いてありましたってことだから
逆に言えば、日本側にそんな記録は残ってませんと宣言してるのと同じ
>>735 それは「魏志に云わく」だからね。自分の記事じゃない。
>>736 そう、書紀を書いてた役人連中が魏志からの引用を書いた。ただそれだけ。
こちらの伝承には無かったのだろうね。
>>734 住み着いたってのは何処かから移ってきたってことですか?
740 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:01:58.98 ID:qbIbw/EmO
箸を陰部に突き刺して死んだ。衝撃的な内容が魏志倭人伝には記されていない。
よって畿内説は完全に消えたわけだよあけち君
741 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:09:35.99 ID:61OjNWf70
742 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:20:59.38 ID:WkKLyEt20
あけち君とか少年探偵団の世代ばっかりだろうなこのスレ
30代以下なら探偵はコナンになるんだが、ほとんど50代とみた
743 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:22:33.39 ID:JuySbeJz0
744 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:28:08.75 ID:61OjNWf70
ここまでのあらすじ
九州はチクシ国ヒ国トヨ国クマソ国の4国だったのでヒ弥呼の次はトヨ
の番だったがクマソ国の男王が順番を横取りしようとしてまた乱れた。
卑弥呼は火の国から黒曜石に乗ってやってきたので火箸に弱く死んだ、
魏からの使者が鏡よ鏡よ鏡さんと唱えたので神獣鏡を持ってトヨが復活。
コナンは「青い青いこの星に」がエロエロなので良い子は見ちゃだめ。
吉備団子をもらった犬猿雉は阿奇支,秀吉,明智くんといい関白を僭称した。
吉備真備
下から読んでも吉備真備
746 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:42:17.12 ID:q//dykLy0
>>739 出雲の旧家には「鼻の長い動物の住む国から来た」という伝承があるそうです。
シベリアを経由して、樺太、北海道に上陸、日本海沿岸を南に移動、最終的に出雲に落ち着いたらしいです。
747 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:43:06.65 ID:61OjNWf70
ここで問題です
卑弥呼には卑字が充てられているのに
臺與(壱与)にはなぜ卑字が充てられなかったのでせうか?
天災の少なさからして岡山だな。
守られている
>>746 それは生殖器のたとえだよ。
キンタマは宇宙ってのと同じこと。
750 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:55:12.89 ID:JuySbeJz0
>>743 広東語でも「倭」という漢字にはwaiとwoの2通りの音がある。
倭人、倭刀の場合はwaiではなくwoと読む。
こんな基本的なことを知らないのが朝鮮人と朝鮮人の手先の日教組。
751 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 21:57:30.68 ID:61OjNWf70
シベリアのマンモスは1万年くらい前に絶滅しただろ?
それが5千年前でもシベリアで生き残ってたとは思えない。
北極海のウランゲリ島で島嶼化(矮小化)した亜種が
4千年前まで生き残っていただけ。
象だとすればインド象だ。
752 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2011/06/21(火) 22:10:45.70 ID:J1VyvNr/0
>>746 てゆうか、その伝承の詳細が知りたい。
誰んちに伝わってるの?
753 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:12:59.75 ID:61OjNWf70
754 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:13:35.49 ID:Zal6q2JTP
>>710 文献の話をしているんだろ?
畿内説は無理がありすぎて50歩100歩ではないだろ。
知らない人が文献を読めば、九州説になる方が多いだろ。
だから、在野でもネットでも九州説が比較的多い。
>邪馬台国はここかなってのがあるのが畿内
だから、これは文献を無視しないと出てこないものだろ。
南と書いてあるのを、東と読むなんてありえない。
文献からのアプローチでは、そこを無視しないと出てこない結論だよ。
学会は文献を無視するからこうなるんだろ。
>ここかなって思えるまでのがないのが九州
文献からは九州周辺であることはわかるが、
どこかは特定できないんだから、
現段階では当然の帰結だと思うよ。
755 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:17:55.47 ID:61OjNWf70
安曇族と出雲族は
同族ではないんだっけ?
756 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:18:18.66 ID:WkKLyEt20
>>746 それはマンモスのこと?絶滅時期が数万年前じゃなかったっけ?
それよりは「鼻の長い動物」だとアジア象の方が当てはまるんじゃないかな
インド象のいる、インド、インドシナ方面から北上し、フィリピン、台湾、琉球諸島を経由し、日本にたどりついた。
北上の方が当てはまると思うな
757 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:20:20.91 ID:Zal6q2JTP
>>756 古代には黄河にサイがいたんだろう?
象だっていたんじゃないの?
758 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:25:09.37 ID:61OjNWf70
>>755 安曇族の本拠は福岡だね。「和名抄」では筑前国糟屋郡安曇郷および志賀島。
糟屋郡といえば俺たちの磐井さまを滅ぼした継体が分捕った糟谷の屯倉だが、
それはまた別の話ですたい。
日本最古の閑谷学校に卑弥呼も通ってたらしいね。
ソースは岡山人。
761 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:32:34.44 ID:WkKLyEt20
>>758 漢字の「象」はマンモスの象形文字ではナイもんな
象形文字の「しょう」も「象」だしさ
762 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:33:16.92 ID:61OjNWf70
福岡というのは江戸時代に大名の移封によってついた新しい地名で以下略
>>762 考えてみりゃ「Happy hill」か。目出たいw
ちなみに元は黒田家の出身地の播磨の地名だよね。
764 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:38:50.44 ID:c2pGhmHM0
「竜に由来する文様で、吉備一族が祖先を竜とする信仰を持っていた
ことを示すとした上で、「卑弥呼が吉備一族の出身であることを物語っている」と結論
って、蛇じゃなくて竜ならまるっきり出自が中国だよ、しかも鬼道が竜の祭祀だって、
ならば、魏志倭人伝でもそう記録するだろう、魏使が邪馬台国に来ているんだぜ。
765 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:42:47.85 ID:61OjNWf70
766 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:47:48.45 ID:UzSGZ6xP0
押し紙裁判はどうなった
卑弥呼と聞いてチンチンおっきして来た俺は終わっとるな。
768 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 22:51:17.16 ID:FOh+i2nK0
魏志に載ってる日本以外の国の地理や行程を見れば、
魏志の記述がどのくらい正確かがわかるんじゃね?
どうなのエロい人。
>>764 難しいのは、記紀神話以前の日本には蛇神がいたということだよな。
ヤマタのオロチみたいにハッキリ成敗された奴ならわかりやすいが、
中にはなんとなく竜とくっついちゃって、華麗なイメチェンをはかって
生き延びてる奴もいる。
>>498にも書いたように、蛇神も竜と同様、
雷と縁が深いから、パっと見は区別がつかん。
その点、桃は思いっきり道教だよね。
>>761とかいろいろ
そいや象の像といえば、星野之宣の「宗像教授」シリーズにそういうのが
出てたな。
猿田彦の容貌が「鼻が大きく目が赤く輝く偉丈夫」というのと、三内丸山や
能登真脇遺跡や出雲大社なんかのの巨木根柱とを合わせて、
国津神の猿田彦は縄文の守り神で、大陸から押し寄せる人々を
けん制するため、その像が日本海側のあちこちにに設置されたのだ。
みたいな説を展開していた。その像が、象そのものなのw
770 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:07:29.84 ID:k2WINil30
倭人伝にある中国語を話す人々の国って岡山のことだったのか
771 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:12:48.94 ID:bDU/VHcBO
>>768 確か他の内容もあまり信用出来なかったと思う
>>771 前にどっかのスレで読んだだけの話なので保障はできんが、
西域とか、東夷伝でも朝鮮半島の記述なんかは、けっこう正確らしいぞ。
773 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:30:36.59 ID:WkKLyEt20
>>772 だから記述通りに行けば沖縄なんだよね
気候や習俗の描写も当てはまるんだが、なぜか無視される
774 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:33:46.32 ID:bDU/VHcBO
>>772 三国志魏書東夷伝でいろいろググって見たが
倭人条以外の信憑性分からなかったorz
どっかで見たんだがな
775 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:34:56.28 ID:dCOvjmkY0
早くはっきりさせないと韓国ってことにされちゃうぞ
776 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:38:47.16 ID:FOh+i2nK0
>>773 なんか習俗に関して言えば、あったかい海沿いの地方の人たちって印象だよね。
悪くいうと蛮族って感じ。服装とか。
てか温暖って書いてるけど畿内ってそんな温暖だっけと思ってしまう。
>>774 俺も詳細は忘れちゃったが、たしか朝鮮半島のどこぞの国の大きさを
「○○里四方」とか書いてるのがけっこう正確で、「距離の記述はいい感じだよね」
とかやりとりしてた気がする。
>>773,
>>776 でも、沖縄には土を盛る古墳の慣習がなさそうだよな。
だいたい邪馬台国より更に南にあるとされた女人国(アマゾネス?)とか黒歯国(お歯黒でもしてた?)とか侏儒国(小人国?)といったファンタジー的な国々も実在したのだろうか?
まぁ・・・
どっかでいいように書かれてるものだろ
伝記でもなんでも
最近の戦争の記録だってそうだし
>>776 昔は暖かかったりしないのかな
今より気温が高いとか?
782 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:47:38.81 ID:61OjNWf70
ここまでのあらすじ
卑弥呼はアフリカ象が好きでエロエロなのでエロい人に聞かないと裁判は
岡山では絶滅。沖縄で蛇は巨木根柱と合わせ宗像教授の日教組無視される。
桃源郷の風俗の描写はけっこう正確だがヤマタのオロチは信用出来ない。
鬼道も元を辿ればワニが磐井さまを滅ぼした継体のせいで別の話ですたい。
黄河にサイがいたんだから北極海にマンモスがうれピーしててもおっき。
吉備団子をもらった犬猿雉は阿奇支,秀吉,明智くんといい関白を僭称した。
783 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:49:31.48 ID:xPDF/FM2O
>>781 四国って南国といえるのは高知位じゃないの?
>>780 卑弥呼の時代というか、三国志の時代の東アジアは、寒冷乾燥だったそうな。
それは湖の底に堆積した樹木の花粉の種類とか、その時代の史書に
出てくる天候不順を表す単語の出現頻度とか、いろんな史料/資料の
示す結果が一致しているらしい。
岡山じゃないが、明石の蛸壺漁は弥生期から始まって、時代ともに
変遷する壷が出土しているが、古墳時代初期に一度姿を消すらしい。
これもまた、天候不順を示す傍証のひとつなのだ。
786 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:52:51.95 ID:61OjNWf70
南代も南国。ど南国。
787 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:52:52.08 ID:bDU/VHcBO
788 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:53:32.68 ID:FOh+i2nK0
>>781 当時の奈良はどのくらいの気温だったんだろう。
で、中国からの使者が特別「あったけえ」って思うレベルだったんかな?
あと肉食しないとか書いてるけど肉食は考古学的立証されてたような>畿内
倭地温暖冬夏食生菜だとすると、この倭地は奄美から沖縄か?
卑弥呼が巫女さんなら、
王と言うより神が宿る役割だったかも知らんし、
記述側の認識も、どの程度の正確さか分からんわな。
791 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:58:44.76 ID:61OjNWf70
個人的感触としては
風俗は天草八代海あたりに近そう。
792 :
名無しさん@12周年:2011/06/21(火) 23:58:54.58 ID:oMqat2FDO
>>776 気候のことで畿内はどうかとか話がよくでるが、隣接する紀州沿岸は冬も温暖だね。
南九州、高知県、紀州、静岡県沿岸は他が雪でも比較的温暖。
それらに比べると九州も北部はわりと雪は降る。
九州論者はとにかく九州は暖かい、それ以外は寒いと頑なだったりするので困る。
多眼的かつ多層的に見ていかないとね。
>>783 面白いことに、室町期の御伽草子に出てくる義経伝説ものに、
「御曹司島渡り」というのがあるんだが、これにも女人国とか
小人国とか出てくるんだよな。作者が倭人伝を読んでたとしか思えん。
>>782 まとめて読むと、意味わからんけど面白いなw
795 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:04:11.95 ID:BJdyxM/Q0
796 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:06:42.77 ID:P9KK2IvpO
現代より寒冷な江戸時代でも太平洋沿岸の庶民の冬の格好はびっくりするほど簡素だ。
>>792 そこで日向の西都原。
なんつっても太陽の国だぞ。山に登ればタカマガハラだぞ。
黒潮文化圏で押しかけ女房はワニだぞ(
>>517)。
798 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:07:11.61 ID:ouGCQ6780
関西の教授が近畿説を唱え
九州の教授が九州説を唱え
沖縄の教授が龍九節を唱え
そして岡山では
春成秀爾 経歴 [編集]
* 1942年(昭和17年)、兵庫県神戸市生まれ。
* 1966年(昭和41年)、岡山大学法文学部(日本史)卒業。九州大学大学院文学研究科修士課程(考古学)中退。
* 1966年、岡山大学法文学部助手
* 1972年(昭和47年)、岡山大学法文学部講師
* 1980年(昭和55年)、岡山大学文学部講師
これが考古学
>>795 それ読むと俺的には
危険な魚よけの入墨=紀伊or沖縄
酒を飲む=高知
かな
800 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:10:13.22 ID:ecz0fog30
手元にある谷川健一の「蛇(ハブ)の民俗」にある記述
「魏志倭人伝」によると、倭の水人たちは肌に蛇の入墨をして、海に潜った。蛇の入墨をした潜りの漁夫がツツノオであり、それはやがてある住吉海人の大神として祀られるようになった。
蝮はタヂまたはタヂヒと呼ばれた。反正天皇はタヂヒノミズハワケと称した。生まれながら蝮の歯をもった皇子という意味である。タヂはおそらくタツから生まれた語であろう。
このように古代日本の神名や人名には、蛇の名をつけたものが少なくない。
それは第一に蛇を先祖とする信仰伝承に由来するもの、第二には再生する蛇の不死の象徴にあやかろうとするもの、第三には蛇神に奉仕する氏族や家系に属するものなど、さまざまな命名の動機をもつと考えられる。
いずれにしても、蛇は古代人の意識の底ふかくはいりこんだ生き物の最たるものであったということは否定できない。
龍とタヂ、蛇とハブ、ここらへんの相関関係をイメージすると南西諸島の
ハブの毒性の強力さは神々しい。蝮の毒性を神格化するのは弱い気がする。
むしろ毒というよりは滋養強壮の薬となる感じ
マンモスなら野尻湖にいたろ
>>797 亀という説も
日向の南の敵国の説明つくの?
>>801 節子!
それマンモス違う…
ナウマンゾウやw
804 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:14:32.42 ID:LyPAZ4Ey0
岡山に何の力があるんだよって、
当時と今の岡山を一緒にしてどうしたいの?
現在の北九州とかに人が多いから、当時でも九州都会、岡山田舎としたいの?
人口比なんて当時の人しか分からないよ。
でもありのまま見つめると、
自然災害の大小とかは今も昔もそんなに変わらないだろうね。
毎年台風で大変な九州では当時の人も生きていくのに大変だったろうね。
>>799 各地の潜水漁民が刺青をしていたと思うけど、
確実なのは宗像(胸形)の民だよな。
宗像三女神が美乳だったという話じゃないぞw
>>800 今でも財布に蛇の皮を入れるもんな。なんか根の深いところで
信仰してる気がする。
いや、ユングの「元型」はどうか知らんけどw
>>802 >日向の南の敵国の説明つくの?
大隅半島になんか居たかも知れんけど、知らんw
大国主や数多の兄弟が、妻を求めて余所を訪ねたり、
出雲に集まる神様達が、縁結びの相談したり、
わざわざ、ニニギの父ではなく、
子のニニギが治めることになったり、
イザナギとイザナミが柱を二度廻って、
声をかけるのが女から男に変わったりしたのは、
母系の部族社会から、
男系の氏族社会への移行を意味してんのかなと。
807 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:21:42.91 ID:ecz0fog30
畿内説にしろ九州説にしろ、決め付けて何も見えなくなるのはイクナイ
それ以外にも古代にはまだ知られていない小規模王朝もあったはずだしな
エジプトじゃないが、最先端技術の衛星などによる発掘などで考古学的な
調査が進むといずれ画期的な発見があるかもしれないからたまらん
808 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:23:34.52 ID:P9KK2IvpO
>>797 西都原は古墳の時期が比較的新しいのが難点だね。
神武以降の出戻りみたいな感じがする。
まあ、自分は気候や習俗は現状として特定の狭いポイントのみなのかは不明とする立場なんで、サン
プルとして西都原も要チェックではある。
>>806 邪馬台国が女王を擁したのは、倭国大乱の後のゴタゴタをまとめるための緊急措置であって、
それまでも倭人文化圏の王は確かに男系だったみたいだよ。
>>489 三国志の筆者陳寿は卑弥呼と同時代の人だね
魏から禅譲によって晋となったため朝廷の資料がそのまま残っていたので三国志は資料性が高い
対馬とか地名がいくつも同定出来るわけで検討するのが学問だ
>>800 habuとhebiは母音変換の相違のみだから本来同じということだな
だが海洋民族にとっては蛇より亀が重要じゃないか?
kXmXの母音変換で浮かび上がる単語には非常に重要なものが多い
812 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:27:14.97 ID:6fidCKLC0
九州だろ
京都(郡)もあればやまと(山門郡)もある
結局天皇家の祖先って、先住の王家っていうか、有力氏族に入り婿になって、
そこを、言い方悪いけど、乗っ取ったんじゃないのかな?
で、天照大神は婿入りした家の神様だったんじゃないの?
歴代の天皇で伊勢神宮にお参りした人もそんなにいなかったって言うし。
814 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:31:32.21 ID:6fidCKLC0
大国主の兄弟ってのも、実際の兄弟じゃなくて、
数多の部族の男達って意味かも知れないし、
大国主自体、複数のイメージが混ざってる気はする。
816 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:32:33.99 ID:ecz0fog30
>>811 kとh、()的にmとbも子音的にかなり近い音であるので
亀 <kame>
神 <kami>
噛む <kamu>
食む <hamu (kamu 沖縄などで)>
ハブ <habu>
蛇 <bebi>
姿形や輸入した漢字にによる当て字は似ていなくても
亀と蛇は音的にはかなり近い神的な存在という気はする
>>798 そして「岡山では」って、このおっさんバリバリの近畿説だよ。
819 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:39:43.92 ID:DavWytWW0
>>813 記紀読んで系図を重ね合わせてると
誰もが大体その見解に行き着きますな。
卑弥呼が王と言うのも事実誤認で、
原形は、有力部族の神を宿す器になる巫女さん、
だったかも知らん。
部族の祭祀権は男系に引き継がれたなら、
矛盾しないし。
部族時代からの、いろんな神様が残ったまま、
最終的な中心になったのが皇族とか。
大和朝廷から遡る、大和朝廷の正統性のために書かれた記紀、特に日本書紀ありきで
考える。
そのために都合の悪い文献は無視したり、誤りとする。
それが、
>>489であり、日本の考古学。科学というより神学。
第三者の記した文献によると、倭人は朝鮮半島南部と九州の種族だし、
邪馬台国は、ヤマタイで筑紫にあった。
そして、倭人と日本は別種だし、日本が倭を征服し、さらに大和地方も
征服してる。
その日本は、秦(辰韓)だそうだ。
国譲りをした出雲も、ニニギと同じ天孫系だと言うが、
朝鮮半島南部が出自の倭人ということなんだろう。
日本は辰韓、倭は同じ朝鮮半島南部。
つまり、誰でも薄々は勘付いていることだが、高天原は朝鮮半島だよ。
倭は、徐々に日本列島に押し出され、さらに三韓も押し出され、
白村江で、遂に消滅した。
日本列島で栄えているんだから、消滅というより、故郷を放棄しただけだが。
822 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:46:18.84 ID:kac9RzFv0
亀についてだけど、出雲の熊野大社に亀太夫神事っていうのが興味深い。
>亀太夫というのは、熊野大社の下級神官です。
>毎年10月15日に、新嘗祭に使用する臼と杵を、出雲大社の宮司が熊野大社に借りに行きます。
>そのとき出雲大社の宮司は、新米で作った餅を数枚持参して熊野大社に渡そうとしますが、亀太夫という下級神官が応対に出て、その餅に難癖をつけます。
>餅が小さい、形が悪いなど…さんざん悪態をつきます。
>挙げ句の果てに「出雲の人たちのおかげで生きていることを忘れるな」とまで言われます。
>これを出雲大社の宮司は、黙って頭を下げたまま拝聴しなければなりません。
823 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:47:43.52 ID:imOsR9Rp0
>>1 「出身」てのがいいね。斬新だ
さすがに、岡山だ、とは言えないよなw
824 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:47:45.81 ID:P9KK2IvpO
>>740 それは三輪の神がからんでいるので神話的伝承になっている。
記紀はその編纂において伝承を神代と人代に分けることを目的の一つとしているが、天皇や皇族が関わる神様などの話は神話として神代に入れてはいない。
よって、魏志には政治の話として書かれていても、倭国で祀りの話なら神話や神話的伝承として書かれている可能性がある。
そうすると、
半島に住んでる人達は、
日本と関係ない侵略者、
で終わっちゃわんか。
よ、吉備
827 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:52:43.32 ID:kac9RzFv0
あと、出雲の神社って、亀甲紋が多いよね。
これは動物の亀とは関係ないのかもしれないけど。
それから、蛇は出雲の神様の眷属だね。
828 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:53:23.53 ID:BJdyxM/Q0
>>821 辰韓の人間って旧秦人だよね。
で、日本では古代から秦氏やらそっち系の人が重要視されてるけど
何か関係あるとするとおもろいな。
邪馬台国がどこにあろうが
現在、朝鮮半島にいる人々と日本の中央集権国家を築いた人々が
異民族でありさえすればこころが休まるよ。
830 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 00:56:05.91 ID:P9KK2IvpO
>>821 邪馬台国をヤマタイコクと読むのは学界の政治的都合ではなかったか?
渡来人は重用されたみたいだね。
832 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 01:03:00.49 ID:6fidCKLC0
833 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 01:07:24.85 ID:kac9RzFv0
>>829 少なくとも王族の人間はみんな、亡命したりして、日本に来ちゃったっぽいよね。
高天原が半島かは知らんけど、
百済滅亡の混乱した状況のときには、
追い詰められた女官たちが次々と、
舞い散る花びらのように身を投げた場所があるとか。
で、百済人は滅んだわけだから今のエラはりたちが百済の文化は民族の誇りとか
言うのは詐称以外の何ものでもないな。
836 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 02:00:39.09 ID:Yc297hDC0
>>821 筑紫に邪馬台国?何処だよ?宇佐か?それとも吉野ヶ里?八女?西都?w
例えば文献に出てくる女官を1000人も使ったような大宮殿は一個も出てきてないし
卑弥呼の全盛期事時代は、すでに九州は衰退期に入っている
そもそも邪馬台国や卑弥呼は魏志倭人伝あってのものだろう?
九州の何処に7万戸と5万戸の大国があるってんだ?九州の大国である奴国ですら2万戸だぜ
普通に考えて九州内のほかの場所に邪馬台国を比定するのは不可能。
あと高天原が朝鮮とかデタラメ言うの止めてくれるかな?そんなデタラメが許されるんなら
誰でも言えるわ
高天原は江南、越系倭族に押いやられた呉系倭族≒漢倭奴国≒安曇族が南九州に押し出され
(天孫降臨)先住土着の隼人の嫁を貰い融合、嫁さん隼人で数代続いて、有名な狗奴国誕生
越系倭族である邪馬台国連合にケンカを売り(東征)
切り崩しながら九州を平らげ、中国を平らげ、狗奴国の協力者である紀伊熊野から進入して
邪馬台国は崩壊、神武は入城しトヨを共立して完全に諸侯を黙らせた。
非常に単純な話をすると、
皇族に姓も氏もない点で、
成立は、そうした文化が伝わる以前でしょ。
838 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 02:27:59.12 ID:bZodOhn90
倭人
すいません、交易したいんですけど。
あぁ、新規の申し込みかい、それじゃ、
書類作成するんで、お宅の国名は何かな。
え、何ですか。
あんた達が普段、
自分達の国を、なんて呼んでるかだよ。
私たちは自分の国を普段、
我が国って呼んでます。
ワガクニ国か。
いや、そうではなくて、
みたいな間抜けた会話を妄想してしまう。
冗談みたいだけど、
ありがちだし。
要するに、
日本人が自分達のことを何と自称するか、
と言えば例えば、ワタシタチなわけで、
ワタシタチ族、とか呼ばれる可能性ね。
>>819 そうだよね、だから仏教を平気で取り入れたりできたんだと思う。
天照御魂神社とか天照御祖神社なんて神社は、どこも火明命を祀っていて、
この人は尾張氏の先祖だし。尾張氏と言えば草薙の剣を祀る熱田神宮につながる。
だけど、婚姻血縁関係を結んでいたら、万世一系というのも間違いないのかもね。
大国主とかもだけど、
もともと母系部族社会の流れで通い婚が基礎なら、
部族に生まれた子は部族の子だし。
んで、大国主の場合、
スサノウのところから、
略奪婚で駆け落ちとか、
時代が下ると、
男系に移行したんじゃないかな。
843 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 04:32:10.38 ID:ENMi8h4P0
>>623 だから、東征は無いっての。物理的にほぼムリなことが分かってるし、考古学的にも
痕跡が全く無く、絶望的な説。
近畿説と東征+九州説はどちらも絶望的。
東征してない+九州説しか、存立の余地が無い。つまり
>>562ね。
844 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 05:03:01.43 ID:/d1IiKbt0
比較的少数の人が、敵に追われボートピープルになって行ったとは考えられないかな。
近畿側はそれを受け入れた。この人たちは非常に有能で魏とも関係があり、先進技術も
持ってたので近畿側に優遇され、何代か経て近畿の王の后になる者も出た。台与はこの
船に乗っていた。
845 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 05:39:23.20 ID:ecz0fog30
秦氏は古代の日本と半島を行ったり来たりしてる節があるよね
高天原という言い伝えが残る宮崎と鹿児島の境にある高千穂峰を軸に俯瞰してみると
古神道の系譜を残す高千穂神楽や黒潮伝いに四国から熊野に至る海の道がある
薩摩の島津氏の出自も謎が多く秦氏由来という説も根強くあって
南九州で独自に勢力のあった古代隼人族を南西諸島に押し出して
それが琉球王国誕生にもつながったのだという話もあるね
846 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 05:45:11.62 ID:/C0mOc/A0
卑弥呼と天皇ってどっちがえらいの?
847 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 06:02:10.71 ID:tUBpd6ngO
>>846 文書を残すようになった頃の日本の公式歴史観としては、天皇が上。
もしくは天皇=卑弥呼
同時代の外国人から見ると、卑弥呼>天皇
古代の天皇家では、一族内の有力な女性が巫女になり、神からの託宣を受けて重要な物事を決める、ってことをしてたらしく、それが卑弥呼のようだ。
少し時代が下った頃、軍事政権的色彩が強まって、神権政治的な権威が不要というか邪魔になって、分離して伊勢に追いやって、それが伊勢神宮になった、という流れらしい。
848 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 06:24:47.45 ID:0RvqgVeN0
岡山へ一回行って見ろ。
古代吉備王国、吉備王国ってすごいから。
吉備真備みたいな優秀な人間が多数大和朝廷へはいってとかなんとか
学校で洗脳教育されてるし。
849 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 06:44:44.77 ID:tUBpd6ngO
「天皇家」っていうのは語弊があるか。当時の支配者集団、というべきかな。
>>431 横からでなんですが「角がある人」って任那出身ですか。
だとすると彷徨ったり云々のお話からすると
同じ倭国グループ内でも言葉が通じなかったってことになるんですかね。
851 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/22(水) 07:21:12.51 ID:vEFz2+KXO
>>769 記紀にも大物主が出てくるじゃないか。
吉備津彦命から見れば姉ちゃんの旦那だぜ。
852 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/22(水) 07:30:58.23 ID:vEFz2+KXO
>>800 蝮の毒は我が地方でも打ち身の薬として売られていました。
ばっちゃんがよく土産に買ってきたんだけど、どこの土産だったのかなあ?
853 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 07:37:10.83 ID:RcItO9o+0
平家は口が堅い
854 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/22(水) 07:43:48.71 ID:vEFz2+KXO
>>850 任那が服属したのはこの時かららしいからな。
ハッキリした事は記紀からだけでは解らないけど。
>>847 卑弥呼が死んだ後は、男王が継いでるんだから巫女という立場じゃないよ
856 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 07:51:36.57 ID:P9KK2IvpO
魏志では卑弥呼→男王→台与の王の系譜は、記紀では百襲姫(三輪)→大田田根子(三輪)、豊鋤入姫(天照)の斎王の系譜。
あるいは、百襲姫の後斎王を廃止したがまとまらず再び斎王擁立だったのか。
三輪の神が魏の使者と金印、まさかね。
任那が服属したんじゃなくて、日本の元々の王宮だから。
いつの時代も、中国東北部から朝鮮半島へ、朝鮮半島から日本へと人が移動してる
大きな流れを直視できないのかね。
858 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 08:33:03.76 ID:DgX6/GnH0
859 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 08:40:49.09 ID:0RvqgVeN0
>>857 韓国の歴史学会はそんなものは亡いと否定しているぞ。
860 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 08:55:30.75 ID:c5DlclueO
>857
そのようなことは記紀にも三国史記にも中国の史書にも書かれていない
王権の由来は重要だから事実なら書かないわけがない
チョンは君が代スレでファビョってろよ
邪馬台国って大和国のことだろKJ
JKだろなんだよKJって
864 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 09:06:04.17 ID:ecz0fog30
KJ CLUB
>>859 世界的に全く信用されてない歴史学会ですねw
866 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 09:10:39.29 ID:9PEw/OdM0
だいたい、箸墓=卑弥呼の墓という前提からして
まだはっきりと確立されてるわけじゃないし・・・
箸墓古墳の円筒埴輪が吉備地方由来のものだからって
即、卑弥呼が吉備出身かというのもちと強引過ぎる感じ
吉備は、卑弥呼以前の歴史の中で武装政権が東進する途中で服属させた
地域勢力のひとつで、政権の中で同化するうちに吉備の技術や文化を
ヤマト政権のために提供するようになっていた―みたいな関係性だったかもしれないじゃん?
>>866 吉備出身ってのは岡山講演向けのリップサービスじゃないの?
岡山大卒見たいだし。岡山出身?
>>857 >いつの時代も、中国東北部から朝鮮半島へ、朝鮮半島から日本へと人が移動してる
>大きな流れを直視できないのかね。
それは明らかに間違いでしょ。
呉や越人系の人達が韓半島や日本列島に移住してきたのは事実だろうけども
地政学的見地から言えば、大陸より島国である日本に政治拠点を
置く方が防衛上有利。福岡などは大宰府としての軍事拠点が置かれてる
だけで日本の首都は大型河川を使った海運も利用できる内陸地に首都が
置かれていた。任那は、まさに大陸への足掛り的な前線基地と見るべき。
大都会岡ヤマ大国
871 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 09:30:51.97 ID:XdgB4xwJ0
>>828 >>831 秦氏とかは明らかに渡来人で皇族とはべつだよね。
新撰姓氏録にきちんと書いている。
秦氏といえば、今話題の静岡知事がその子孫の族長的立場だよ。
国際的には受けがいいが。
872 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 09:34:19.73 ID:15yASaH9O
国といえば北朝鮮拉致問題やパチンコや在日年金問題、通名の使用や在日参政権についてなど沢山の問題や、民主の日本人への対応を見てると、日本人てどこかの国々にかなりいいように利用されてる?
民主工作員の大量さや情報操作のひどさから言って、在日参政権が可決されたら日本は北朝鮮や中国みたいに、国の情報統制と操作の支配下に国民がおかれる国になるし今すでになりかけてる感じ?
日本解放第二期工作要綱 - Wikipedia
幾内説、九州説の論争は終わったのかね
874 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 09:41:58.31 ID:yzikS61G0
卑弥呼=天照大御神じゃないの。
>>874 そうそう、天照大御神(日のミコ)を卑弥呼って当て字しただけ
877 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 10:09:16.82 ID:85iAnET7O
じゃあヒミコは何を信仰してたんだろ?
878 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 10:14:18.21 ID:So5suHZH0
>>876 古代豪族の多くが、太陽神を信仰してたこともあって、日巫女は沢山いたはずだよ。日巫女さんに会いたければ、神社に行けば、今でも会えるよ。
879 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 10:17:35.02 ID:xQKGH3nrO
基本は倭人伝なんだから、倭人伝から説き明かすしかないわけ。と、なれば九州のどこかって話しですよ。
殺伐としたミンスや半島スレの中でこのスレだけは妙に異空間な良スレになってるな
881 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 10:19:03.01 ID:dQtfENeC0
>>860 記紀にはスサノオは一度半島の新羅に降りるが、
ここは気に入らないといってまた戻る。
また半島の歴史書にも新羅には倭人の王がいると
はっきり書かれてる「脱解王」は倭人だ。
>>874 記紀の天照大神=大日孁貴神は持統天皇のダミー、持統王朝の正当化のために仕立てられたっていう説がある。
もともとは
>>841にある天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、物部氏の祖先とも言われる人だった可能性が高い。
883 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 10:32:36.89 ID:1QftIgh+0
>>881 そうそう、須佐之男命は朝鮮に派遣されたんだけど、「こんな岩だらけの殺風景なところは嫌だ。」って勝手に帰ってきちゃった。当時から半島に行かされるのは罰ゲームみたいなものだったんだろうね。
884 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 10:41:05.09 ID:dQtfENeC0
>>883 あと丹後地方にもここから海を渡って新羅で
王になった倭人がいると伝承にある。
その丹後の籠神社にあった海部氏の系図によると、
「ヤマトトヒモモソ姫は神大市姫、日女命」と
はっきり書いてあるからな。
王権の由来って、天孫降臨だよね。
雲をかき分けて来たとか、亀に乗って海を渡ってきたとか。
経路を見ても、朝鮮半島から九州北部に来たのは明らかなのに。
886 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 11:49:29.26 ID:RBEHsI9C0
九州北部では弥生時代の開始はB.C.1000くらいまで遡る。
天孫降臨(西暦0年前後?)の頃には
とっくに有力な農業国が林立していた。
そこへ割り込んで乗っ取れる勢力は
半島由来ではない
大陸から大船団で直接押し寄せてきた
呉か越かの水軍。
887 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:13:35.17 ID:wIynKG4pi
>>885 経路は北九州ではなく南九州だよ。
日本書紀では、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は高天原から南九州の高千穂峰に降臨され、そこから住み良い土地を求めて、薩摩半島先端の笠狭崎(かささのみさき)に移り、この地に住んでいた木花之開耶姫(このはなのさくやびめ)を后としたとある。
笠狭崎は海の流れから中国方面から色々なものが流れ着く場所なんだよね。
>>714 でも書いたけど、長江文明の子孫が、まず笠狭崎に漂着し、日本の先住民と宥和して豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに)、つまり日本の元を造ったんだと思う。
888 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:14:00.50 ID:P9KK2IvpO
三輪の神の姿は大陸風の出で立ちで描かれるそうだが。
魏の使者が三輪の神に習合したのだろうか?
890 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:23:02.43 ID:x+k1nhY70
>>836 その当時本当に人口調査してたとか思ってる?
ありえないよ
人口は使者が水増しして言ってるだけだよ
国威を現すために数倍で伝えるのは当たり前
古代中国史でも平気で兵力数倍で書いてある
891 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:27:32.36 ID:wIynKG4pi
>>889 根も葉もない作り話だったら、俺なら富士山に降臨したって書くね。
>>890 人口調査はしなくても、戸数の把握はしてたたろう。そうじゃないと、国が維持出来ない。
生口送ったり、真珠5000個送ったりしてるから、相当な大国であったはず。金印貰ったぐらいだし。
893 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:39:48.44 ID:Z9GMyAzq0
一度、魏志倭人伝離れた方が良いよ。書いてる事も絶対とせずに疑うべき。
日本の歴史書と、考古学的な知見も加味して総合的に見るべきだね。
今はまだ畿内説も、九州説も確定してないわけだし。一方からみてはダメだ。
894 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:44:44.12 ID:9tNWU/1H0
余裕で弥生式稲作発祥の地である人吉盆地だろ
895 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:51:21.16 ID:x+k1nhY70
>>892 人口=兵力だ
その当時いつ攻められるかわからない時代にどこの世界に人口を正しく伝える馬鹿がいる?
当時としては最高機密の部類だ
896 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:54:43.22 ID:x+k1nhY70
邪馬台国の後継イ妥国
隋書イ妥国伝にイ妥国の阿蘇の話が出ている
ということはイ妥国は阿蘇が見える範囲にあったということ
魏志倭人伝にしても文献は九州を指している
そもそも大和王権が畿内であるとすれば自らの神話に出てくる祖先の出自の舞台が何故畿内でなく九州にある?
天岩戸も天孫降臨の地も阿蘇が望める高千穂だ
卑弥呼と天照大神、卑弥呼の弟と素戔男尊、卑弥呼の鬼道と天宇受賣命の巫女的特長、重要な部分の相似が多い
畿内にある大和王朝の祖先がなぜ邪馬台国の特徴を持つのか
それは九州から移動した勢力に他ならないからだ
897 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 12:59:21.59 ID:DgX6/GnH0
>>839-840 香具山(かぐやま)は畝傍(うねび)を愛(を)しと 耳成(みみなし)と 相争ひき
この万葉歌で注目に値するのは「愛」という字を「おし」と読んでる点だ。
実は広東語で「愛」をoiオーイと発音する。
更に香港の歌手の中には「愛」をngoiと発音する人がいる。
古代中国語で1人称代名詞は「吾」で中古音(隋唐時代の音)はngoで
北京語や朝鮮語などでは頭子音のngは元王朝時代に消失している。
北方系の民族に取っては頭子音ngの発音は難しい。
倭と吾の取り違いの可能性は十分にある。
898 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 13:05:57.53 ID:0RvqgVeN0
人口の3%くらいが動員兵力。
>>894 そこは熊襲じゃないのか?位置的に
名称的にも球磨=球玖、久米=熊襲だろ
900 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 13:18:42.92 ID:YGpKor4p0
卑弥呼は世界最古の職業性治家
偉い!
後藤田とやった乳揉ませおばさんはけしからん。
フライデーは即座に乳揉ませおばさんの全裸写真を掲載しろ。
佐賀だと思うよ
将来日本の首都は佐賀になる予感がするんだ
魏書東夷伝にある邪馬台国の南、狗奴(クナ、クマ)国とは後のクマソであり
つまりは邪馬台国はその北の阿蘇が望める熊本付近にあったという考察も可能
>>299 勢夜陀多良比売や活玉依毘売の件から考えて大物主は色基地
倭迹迹日百襲媛の件だと正体は美麗小蛇になってるが
人の姿の時は腰に大蛇がくっついてたんだろ
南九州降臨は記紀編纂時の天皇家(天武・持統)と関わりがあるから、
無理やり組み込んだと思われ。
鹿児島には天智の伝説や天智をご祭神とする神社が結構ある。
おそらく天智の出身地なのだろう。
佐賀、筑後には徐福、神武天皇の伝説が数多くあるニダ
神武天皇を祀る神社の数は実は熊本が全国一(約70箇所)
そしてその半分以上が天草にある
美輪明宏は神武天皇の生まれ変わりの生まれ変わりか?
>>906 てか、神武って、 のちに名づけられた諡号だからね。
神武天皇をご祭神とする神社は、神社の中では比較的新しい神社だと思う。
>>908 おいおい神武天皇神社って名前じゃないぞ
確かに、本当の神武は「神武天皇」として祀られていない可能性があると思う。
あるいは祭神を「神武天皇」の名に書き換えられたとか。
大陸で愛を何と発音したかは知らないけど、
いとおしい、の立場にも配慮すべきではないか。
全国の神武天皇を祀る神社数(昭和15年内務省調査資料)によると
熊本70 広島37 岡山32 福岡16 宮崎15 鹿児島15 山口13 福井12 長野10 三重10 栃木10
大分9 山梨9 福島8 大阪8 新潟7 埼玉7 茨城7 鳥取7 島根7 静岡7 奈良7 群馬6 岐阜6
北海道6 京都6 佐賀5 兵庫5 千葉5 山形5 滋賀4 徳島4 香川4 愛知4 東京4 石川3
愛媛2 高知2 富山2 青森2 和歌山1 秋田1 岩手1
だそうだ
何の関係もないところにそんなに神社が集中するわけがない
熊本・広島・岡山に集中しているのはなんらかの関係があると推測できる
>>810 489には中国にとっては歴史書の価値があるが日本に関する箇所は信用できないと書いてある。
陸続きの朝鮮の地理は正確らしいが海の向こうの日本に対してそこまで真剣になる必要もない。
侵略、征服する気なら話は別だが。
魏の使者は伊都国(福岡県前原市)に滞留しそこで日本の官吏から聞いた国内事情が倭人条の基になっている。
日本の官吏は君主の権威を説明するため「日の神の神話」を例え話に使ったかもしれない。
当時の日本人には神話の意識さえ無くきわめて確実で身近な話として伝えたら魏の使者が「歴史的事実」と
受け止めてしまった。
それは不自由な言語で現代のように通訳のマニュアルも完全ではない状況での会話である。
いくつもミスが重なり中華思想による倭国を見下すテイストの入った代物に歴史的価値などあるわけがない。
少しでもヒントがあるなら本居宣長の前に誰かが見つけてたはず。
914 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 15:25:46.69 ID:bQxgsGjf0
>魏の使者は伊都国(福岡県前原市)に滞留
ソースは?
とりあえずシュリーマンを見習った方がいい
916 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 15:28:36.61 ID:bQxgsGjf0
古今東西、カラ出張で報告書でっち上げは役人の得意技
918 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 15:32:27.14 ID:FOMI0gOg0
すげえキチガイほいほいスレww
919 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 15:32:28.20 ID:bQxgsGjf0
>>426 卑弥呼は南の男王国との対立に苦しみ
魏から軍事顧問の張政の派遣を仰いだ。
卑弥呼の邪馬台国が南の男王国に征服されると
まとめて呉について魏と対立する危険もあったので
戦乱で激減した総人口が200万しかなかったともされる魏の
張政は長期滞在し綿密に現地調査し報告したと推定される。
920 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 15:36:14.58 ID:85iAnET7O
921 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 15:44:22.19 ID:hKNQVCJa0
虎を退治した姫井は吉備出身
>>914 西尾幹二著「国民の歴史」p151
俺は九州説じゃないよ。
邪馬台国など無い!派だよ。
そういやアイヌ語で、
アイヌは人間を意味するとか聞くけど、
自分達のことを人間、とか自称するかな。
たしか立派な男性や優れた人物の尊称として、
アイヌを名乗ったり、呼んだとも聞くから、
本来は例えば、タケルとかの感じに近いのかも。
>>922 そいつ「明日、沖縄に中国が攻めてくる」とかTVで発言したり
雅子妃をボロカスに言ってはばからない奴だろ
926 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 16:53:01.62 ID:Yc297hDC0
秦氏ってのは何処の馬の骨とも分からないような連中だろう
俺は最後に滅んだ楚(倭族)が主流で+扶余が混在したのが秦氏だと思ってる
多分、秦の末裔を自称していただけだろうな、応神とかモロ秦臭いけどね・・
ところで九州説信者って何で朝鮮人臭いんだろう?
奴等は嘘が上手だから騙されないようにね
ローマも建国神話は置くとして、
伝承では移住してきた男達の一団が、
地元の衆を騙したか何かで、お祭りに参加してた娘達をさらって、
あわや戦争になりかけたところを、
さらわれた娘達が親兄弟と夫が争うのを怖れて、
和解した結果、ともに暮らすようになったとか。
>>893 逆だよ。
日本の歴史書は焚書にあってるからね。
残ってるのは、大和朝廷に都合良く話されたた古事記と、古事記を更に辻褄合わせ
した日本書紀。
まず、日本の歴史書から離れることが重要。
文書を全面信じるのはバカ。話1/8ぐらいで読んどくべき。
考古学的発掘資料がもっとも信頼できる。
930 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 18:16:43.20 ID:sg48O1xC0
読売新聞でも卑弥呼は吉備の豪族出身だと書いてたな。
まあ昔々の岡山は大国だったし吉備から大和へ流れたってのは
違和感ない。
さあ?
932 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 18:18:47.82 ID:85iAnET7O
新聞が考古学の流れを決めるってゴッドハンド以来だな
>>925 そんな発言は知らないが沖縄に関しては米軍問題の複雑さを示したと取れるし、
雅子様に対しては優しさから派生する叱咤激励とも受け取れる。青筋立てて憤る話でもなさそうだ。
西尾氏の説は畿内説vs九州説の問題を吹き飛ばす程の威力があった。
敢えてこれが正解!とは言わない。但し歴史学者が人生をかけ多くの歴史愛好家を虜にしてきた
邪馬台国の正しい位置や正体、全貌が今なお判明しない現実をみると結果は明らかである。
支持する学者や専門家は完璧な人格を持った聖人君子が理想だろうけど
過去の問題発言の一つや二つくらいで歴史研究の全否定には繋がらない。
世間で有名な大学者が家に帰ればDV夫かもしれないし変態性癖の持ち主もいるだろう。
専門分野以外で揚げ足取りばかりしていては誰の説も信じられなくなるだろう。
934 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 18:32:32.43 ID:9Qc3SAVA0
>吉備から大和へ流れた
反対かもよ?
ヤマトから吉備に流れた・・・。
936 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 18:48:37.96 ID:x+k1nhY70
>西尾氏の説は畿内説vs九州説の問題を吹き飛ばす程の威力があった。
噴飯ものwww
>>386とか
「渡海」と「水行」とをごっちゃにしちゃいかん気がする。
いや、今までもごっちゃにはしてなかったんだろうけど、
内水面を河や湖沼だけと思って、舟での移動のみを想像するのは
片手落ちかなと。
たとえば筑後平野は葦に覆われた広大な湿地(ラグーン)で、
そういう場所は基本は舟だが、底がつかえると膝まで水につかって
引っ張りながら進む(舟がソリに変わる)感じ。まあ、1日5kmって感じかも知れん。
余談だが、そういう場所こそ稲作の好適地で、「豊葦原瑞穂の国」という美称も
理にかなっていると。
あと、
>>392とかのいわゆる「放射読み」については保留。
>>896 豊臣時代に日本を紹介した記事があったとして、その中に富士山の記述があったら、京都や大阪は富士山が見える
ところにあったに違いないと君は判断するのかね?
遣隋使もあっちとこっちで記述が食い違うからなぁ。
日本書紀はなんか隠してる。
お国自慢的なレスが多いが、関西の学者連中が畿内から吉備に流れたと主張せずに
吉備から畿内へを強調するから吉備勢力がヤマトを作ったで間違いなんだろう。
それが邪馬台国かどうかは疑問だが。
942 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 19:12:29.48 ID:x+k1nhY70
>>939 隋書倭国伝の阿蘇の記述にはこうある
有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行祀祭
阿蘇山があり、その石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。
阿蘇が見えもしない遠くの近畿の人間が祭祀を行うのかよ
しかも年代も違う豊臣時代とか()笑
更に倭国についての記述には
其地勢東高西下とある
これは東が山で西が平野という意味
該当するのは筑紫平野・熊本平野あたりだ
943 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 19:29:21.95 ID:Z9GMyAzq0
>>928 それは分かってるけどね。いつも魏志倭人伝引き合いに出して、細かい
行程云々するのは意味が無い。一番重要なのは文献ではなく、考古学。
それと各種文献やその他当時の地質、気象、植物など多方面から考えるべき。
944 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 19:31:51.55 ID:x+k1nhY70
そうそう、もう一つ九州押しの理由がある
記紀には阿蘇の記述はあるが富士山の記述はない
位置的に中間点にあたる大和王権が最初から畿内にあったのであれば
阿蘇同様富士山の記述があってしかるべき
それほど美麗で神々しい富士山の記述が何故ないのか?
さらに言うなら九州の記述が圧倒的に多いのは九州から東征して行き着いた先が畿内であったことの証左である
>>944 熊襲の地が大和王権の発生地というのはありえん。
>>942 富士山には浅間社があり祭祀されているが、そのことを説明していたらどう解釈する?
時代がどうこうではない。記述対象の情報がどうかだよ。
君、歴史学のセンスないね。
947 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 19:36:46.24 ID:clLnqf8p0
吉備と阿蘇の関係は知ってるかな。
吉備の造山古墳の頂上に石棺が置いてある。この石棺の材質を調べた結果、阿蘇の凝灰岩である
ことが判明している、わざわざ九州から運んで来たんだ。
それから、吉備津神社に仕える巫女のことを阿曽女(あそめ)と呼んでいた。
うんうん。
阿蘇−宇佐−伊勢は何かあるわよね。
文献を無視しようとするのは畿内説派の悪いところだな
考古学的というが纒向で年輪年代測定使って年代繰り上げたらしいが
そもそも年代上限しかわからない測定法で年輪サンプルの検証不十分の中
これまた誤差数百年の炭素測定で細くして強弁してもなあw
>>944 二世紀は富士山近辺はまだ大和の勢力圏じゃなかったんじゃね?
勢力圏内にないものは紹介せんわな。
>>947 知ってるよ、
でもそれは時代が下った頃のお話。
>>946 何言ってるのかわからんw
阿蘇が実は富士山の記述とでも言いたいのか?
>>946 記述がないという時点で考慮に値せんと思うが。
事実に対し仮定を持ち出されてもな。
記述があるとして「女王の都から西に〇〇離れている」・・・「換算すると1000kmかぁ九州だな」となるな。
>>952 俺の文章をそう解釈する時点で、文章読解のセンスないよ。
955 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 19:43:55.55 ID:7WaR3kRf0
伊勢神宮も元は阿蘇山を祭っていたのかもな
>>949 年輪年代法の理屈がいまだにわからん。
樹皮があった場合でも、わかるのは「この木が切り倒された年」
だけだよな。樹皮がない場合は、「この木が切られたのは、
早くてもこの年以降」しかわからん。
いずれにしてもその木を用いて作られた構造物の「最も早い可能性」を
示すだけで、実際の築造年はわからんはずだよな。
>>950 畿内以西の九州まで勢力下なのに首府を置く畿内が最前線w
語るに落ちてるよ
最初から畿内にあったのであれば同心円状に勢力は拡がるはず
これこそ東征によって畿内に到達したことの証左だ
958 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 19:46:54.62 ID:ajsQ370u0
考古学ってのは実は危うい学問、いま日本が滅んで1000年後に発掘された
ら、考古学者はここに住んでたのはアメリカ人って言いかねない。
>>957 さて、東遷について俺は今日は何か書いたかな?
君は畿内派はこうだと頭ごなしに決め付けたイメージを開帳しているだけに見えるんだが。
>>947 それはとても興味深い事実なんだ
墓に何故遠方の石を使ったのか?しかも運搬困難な何トンもの石を
後代の末裔が自分たちの祖先の地の石を使って墓を作るのがトレンドになった可能性があるな
>>959 お前のレス何も参考になるものがない
妄想で噛み付いてくる輩はもういらんよ
962 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 19:55:56.38 ID:nhU4jRnK0
>>960 オーソドックスなものでは権力誇示という解釈もあるだろう。
勢力圏の神聖なもの、力を示せるものをわざわざ運ばせる。
運ばせているところを見せびらかす。
963 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 19:57:08.92 ID:85iAnET7O
ケンカすんなや〜
964 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/22(水) 19:59:13.66 ID:vEFz2+KXO
>>959 畿内派って別に東征を否定してないよな。
むしろ崇神天皇と神武天皇を同一視するか、東征は邪馬台国より前と考えててるだろ。
まあ中には葛城が高天原だという説を唱える者もいるけど。
>>947 それって、地域名じゃないの?
今の総社市付近
吉備で有名な作山古墳のある
966 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:01:26.42 ID:28b2XeP8O
邪馬台国&大和王権好き必須漫画
ヤマタイカ 星野之宣
ナムジ 安彦良和
神武
火の鳥 手塚治虫
967 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:03:14.38 ID:7WaR3kRf0
家康が江戸城まわりを諸大名に造営させた、みたいな?
968 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:05:46.93 ID:85iAnET7O
三輪がヤマト連合の総長気取ってたら
みんなから総スカンくらった話だよきっと
鉄持って来い!でも偉いのは青銅だかんな!
いちいちウザかったんだよ
969 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:06:06.64 ID:E26+D9jg0
970 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/06/22(水) 20:10:26.69 ID:vEFz2+KXO
"させた"のか"したがった"のか解らんと思うがね。
どうも権力者は権力を誇示したがったはずだという思い込みが歴史学にもあるようだが
先入観を捨てなるべくニュートラルに考えるべきだと思うがなあ。
971 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:16:25.78 ID:clLnqf8p0
>>965 地域名自体が阿蘇と関係がある地名と考えられる、他にも秦(はだ)という地名が総社にあるが
これは秦氏が住んでいたからそういう地名がついているわけ。
972 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:17:39.86 ID:+po3yWv50
>>971 それは君の思い込みでは?
根拠示せるの?
973 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:18:43.96 ID:ENMi8h4P0
だから、近畿説も東征説もどっちもあり得ないってよ。
泥仕合はいい加減やめろよ。
>>970 なのであえて「オーソドックス」と言ってみた。
橘諸兄は実は皇族だったんだ。本家とは、はるかに離れていたから
おっ母さんの県犬養三千代が臣籍降下させたんだな。三千代の娘も皇族
だが、藤原房前と結婚して藤原北家に皇族の血を入れたんだ。
諸兄の息子の奈良麻呂が謀叛を起こして、しばらく凋落したが
奈良麻呂の子孫がまた盛り立てたんだな。
977 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:28:17.40 ID:85iAnET7O
九州でも中国地方でも激闘だったと思います
そこから一番ほど遠い畿内大和地方は安全だったのでしょう
一人平和と豊かさに安穏として
出雲から直参で若頭だと大物主
いずれは本家のオヤジもわしや
玉青を持ってこい女も差し出せ
モモコかかわええやないかい
箸でも刺したろわし変態プレー大好きや
そら、かつての敵も今日は友になります
このときに強敵と書いて(とも)と呼ぶようになった
>>974 お前の安価先のレスのどこが中国資料を錦の御旗に掲げてるのか説明してみろよ
似非右翼くんw
朝鮮半島出身だろ
981 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:32:38.53 ID:85iAnET7O
執念深いだね
982 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:32:58.55 ID:clLnqf8p0
>>972 地名にはそれぞれ皆意味があることは君も知ってるだろう
「あそ」という地名にどういう意味がある、何か他に有力な候補があるのなら逆に教えて欲しい
>>982 秦一族といえば、ムツゴロウの畑さんも子孫なんだよね。
んで、その畑さん一族の出身地が、九州の日田盆地。
984 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:35:47.77 ID:7WaR3kRf0
畿内説の学者連中が吉備からヤマトへを主張。
お国自慢の関西ニートがヤマトから吉備へを主張。
986 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:41:54.05 ID:RzAm5Wpo0
今でいうと、東京が畿内で、西日本が吉備という構図なんだろうな。
西日本の人間が東京を造って、そのまま日本の中心になったというように。
987 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:42:20.95 ID:85iAnET7O
竹取物語は紀氏か斎部氏か・・
うーむ
>>982 三重県にも阿曽ってあるね
阿蘇の人が岡山に行って、三重ににも行った?
ありえないとは言わないけど、人は同じ名前を付ける事が多いから。只それだけ
989 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:44:23.77 ID:7WaR3kRf0
俺達のあっそう
>>950はおかしなこと書いたな。申し訳ない。
眠気覚ましにシャワー浴びてくる。
>>978 x+k1nhY70
お前ざっと読んだだけでも昼からいるんだな。何やってんだよ。
有給とか職場から〜とか宝くじ当たったとかどんな言い訳するのやら。
974送信する前に多すぎるから近いの3つ挙げただけだ。
>>902 >>942 阿蘇山の記述は熊本の火山じゃないって説知ってるか?
992 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 20:54:02.50 ID:7WaR3kRf0
統一政権が出来るとですね
「大岡越前守」なのに江戸南町奉行所
みたいなこと頻発するんですよ
993 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 21:01:31.74 ID:clLnqf8p0
>>988 三重県にもあるの?、三重といえば伊勢神宮のあるとこじゃないか。
もし伊勢神宮の近くにあるのなら偶然の一致ではないかもしれない。
994 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 21:05:34.13 ID:XmUpIb/w0
高天原は沿海州のどっかだろ。
996 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 21:13:57.41 ID:7WaR3kRf0
997 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 21:16:39.41 ID:ENMi8h4P0
オレ様説
1.邪馬台はヤマトと読み、近畿の大和政権のヤマトと同じ。
2.邪馬台国と近畿のヤマト政権は全く関係の無い別の王朝。
近畿のヤマト政権は、邪馬台国のブランド・権威だけ引き継ぎ、文化的なものは
引き継いでいない。邪馬台国は後世に大きな痕跡を残さず消滅した。
3.邪馬台国は北部九州のどこか。(朝倉市〜八女市がとくにくさい。)
4.卑弥呼+台与=アマテラスオオミカミ。
5.岩戸隠れは、北部九州での日食のこと。
6.高天原とは北部九州のことで、葦原中国とは中国地方のこと。
7.ヤマトトトヒモモソヒメと卑弥呼は全く無関係。
8.纒向はたぶんニギハヤヒの都。
9.神武が出発した日向とは宮崎ではなく、筑紫の日向のこと。
10.神武東征は北部九州のブランド欲しさ故の記紀の創作。北部九州と近畿とは
実際は無関係な別の王朝なんだけれども、繋がっていることにしたかった。
11.ただし、神武にあたる人物は本当に存在したのかも知れない。
もしかしたら、血筋も非常に良く、有能だからということで近畿側に雇われた、
雇われ店長みたいな存在なのかもしれない。神武のような
中途半端な時代の人間を初代天皇とする理由がそこにあるのかも。
つまり、初代天皇とは、「北部九州のブランド・カリスマを近畿に移植した雇われ
店長第一号」という意味。
12.記紀に現れる、朝廷側に討たれた九州の女酋たちは、滅んだ邪馬台国の残党。
13.狗奴国とは熊襲のこと。
どうよ?
998 :
名無しさん@12周年:2011/06/22(水) 21:21:44.71 ID:85iAnET7O
ニギハヤヒは追放されたと思うな
ヤマトは無印と日出の二つブランドがあった
>>997 14.東北は熊襲の産地 by サントリー社長
それでは1000奪取
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。