1 :
おっおにぎりがほしいんだなφ ★:
◇舞台裏日記を発見/友好ムード裏付け
日米和親条約を結ぶため来航した米海軍ペリー提督らと、日本側全権の
「首席応接掛(しゅせきおうせつがかり)」として、横浜で会談した林大学頭(はやしだいがくのかみ)の
従者、竹田鼎(かなえ)の日記が、横浜市で見つかった。ペリー来航の舞台裏が、従者の視点で
生き生きと語られている。
竹田の子孫から日記を譲り受けた、遠縁の中嶋宏子さん(70)(横浜市)が4月、
横浜開港資料館に持ち込んだ。日記には、1854年3月(嘉永7年2月)の横浜での交渉と、
条約の細則を詰めるため、下田(静岡県)で同年6月頃に行われた交渉の際の出来事が
つづられている。
初めての交渉となった同年3月8日、日本側は、米艦船が遭難した場合は船員を救助すると回答。
会談後に催した日本料理の昼食会で竹田は給仕役を務めた。米軍の士官たちは刺し身には
手をつけず、「あまたるく味重キものを好みて淡薄なる物はきらい様子なり」。
士官が持参したナイフとフォークに、「銀色之かねニて製したる匙(さじ)並ニ熊手如(ごと)きものを
用ひ小刀ニて切り食す」と、竹田は驚いている。
食後に葉巻をくゆらす士官に、竹田が自分のキセルを手渡すと、士官は一服つけ、周囲の同僚に
「得意之様子」だったという。
2回目の会談があった同17日、日本側は下田開港を示唆。会談後、米側は林ら幕府要人に
洋酒などを贈った。同22日の日記には、「甘味・甘酸にして少し苦味ヲ帯ぶ」と従者仲間で味わった
ワインの感想が記されている。
条約調印式が行われた同31日には、「彼(米側)江之応接も今日限り」。「久しく接話(せつわ)有」と、
通訳付きでしばしの歓談があった。
(以下省略)
ソース:読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20110615-OYT8T00060.htm 竹田鼎の日記にも登場する料理接待の様子を描いた松代藩(長野県)の絵師
高川文筌(たかがわぶんせん)の絵図「嘉永七年寅二月十日
於武州久良岐郡横浜酒食賜墨夷之図(写しの一部)」。手前に給仕する武士の姿がみえる
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20110615-506323-1-L.jpg
今だ!おにぎりゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (´´
..,.-、.,.-、 ∧∧ ) (´⌒(´
(,,■(,,■)⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
3 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:31:04.30 ID:Im22iJ+c0
開国シテクダサイヨオ
4 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:32:39.00 ID:3OLjSKvd0
凄いね。
こういった記録がきちんと残ってる。
日本は本当に歴史の豊穣な国だなと実感する。
給仕役って今で言うメイドさん?
カナエタソ萌えーっ
6 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:35:16.36 ID:6dNjjnxlO
市原悦子か?
7 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:35:28.77 ID:r89+rTP60
文化や衛生がすすんでいないと「さしみ」は食べられない
8 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:36:11.66 ID:kmA7e9JDO
10 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:36:36.04 ID:mQ0ces6/O
ちょっと感動した
日本語→オランダ語→英語で通訳してたんだっけ?
14 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:38:44.97 ID:NnvuYZ/N0
15 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:38:53.14 ID:LO1bl3g70
いつの間にペリー来航が友好ムードになったの?
ka-
ガイシュツか……
17 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:39:35.10 ID:2f/mjCS6P
そもそもペリーが日本に来たから、日本が今のようないかれた国になったんだと思う。
18 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:39:50.42 ID:3OLjSKvd0
>>12 通訳の直径子孫は私の剣術の先生。
今度聞いてみようwww
ペルリしか知らないw
20 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:43:05.95 ID:JoSHCu38O
>あまたるく味重きものを好みて淡薄なる物はきらい様子
当時のアメリカンもでかくて甘ったるくて濃いいものが好きだったぽいな
>>17 もっと開国が遅れていれば北朝鮮のような遅れた国だったかもしれない
22 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:44:16.52 ID:lTxUm1Cj0
横浜がいま大都市なのはコレが理由でしょう。
23 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:44:18.83 ID:uW8sTlIp0
>米軍の士官たちは刺し身には手をつけず、「あまたるく味重キものを好みて淡薄なる物はきらい様子なり」。
>「甘味・甘酸にして少し苦味ヲ帯ぶ」
当たり前といえば当たり前だけど、キッチリ相手の嗜好を調べてる
24 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:45:36.58 ID:o9E1Xv4BO
興味津々って感じ。
25 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:45:51.88 ID:1sKfYJ3E0
26 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:48:11.27 ID:NS7Gn33b0
鯨もうまそうに食ろうて候
>>12 表向きは。
しかし英語の分かる者を「英語が分からないふり」をさせて
米国人の側に付け、米国人同士の会話内容から米国の目的を探っていた。
28 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:51:25.76 ID:FDB11U8y0
>>17 ペルリが来る前にヲロシアも来たけど追い返されたと思う。
29 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:54:57.51 ID:o9E1Xv4BO
>>21 それはない。日本が遅れていたのは科学技術くらいなもので、行政は洗練されていた。
なにより、庶民レベルの教養が高かった。
治安と衛生のよさでは、当時の世界でも一番よ。
30 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:55:11.43 ID:Wsa9fLuYO
あり〜?何遍かけても留守だにょ〜?
定休日なのかペリ〜?
31 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:56:20.09 ID:+m1T4SZu0
当時はアメ公どもと戦って勝機は無かったの?
地の利があるんだから普通に勝てそうな気がするんだけど
32 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 08:57:28.57 ID:uGIDoaMh0
吉原接待の様子が知りたい
今でもアメリカ大統領が来たときは行くんでしょ?
ナシノツブテデスカァ?
35 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:00:13.44 ID:EPd8o3dH0
36 :
名無しさん@十一周年:2011/06/15(水) 09:01:48.37 ID:/7OaMr0n0
いつまで待たせるのよ〜〜。
私の自慢の餅肌潮風でガサガサよ〜〜。
開国してくださいよ〜〜。
今も昔もアメリカ人はデブが多いのは分かった
38 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:01:56.18 ID:YF7QPoLx0
_.,,,,.....,,,
/::::::::::::::::::::::"ヘヽ
/:::::::::::::::::::::::::ノ ヽヽ
/::::::;;;;...-‐'""´´ |;;|
|::::::::| \ 。 / |;ノ
,ヘ;;| -・‐ ‐・- |
ヽ,,,, (__人__) /
ヾ> `⌒´ < 第3の開国!
/^ .〜" ̄, ̄ ̄〆⌒ニつ
| ___゙___、rヾイソ⊃
いまよんでる風雲児たちが、ちょうどペリー来航だな。
40 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:04:01.08 ID:46xJVesQ0
41 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:04:01.76 ID:lTxUm1Cj0
>>28 最初に来たのはプチャーチンよりペルリが先みたい。
でもプチャーチンと交渉したのは嘉永6年で、これより前。
大黒屋光太夫がロシア語の辞典を作ってたりして、割りと解析済み。
川路聖謨などが対応。
割りとスンナリお引取り。
42 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:04:23.34 ID:8Lp2BQe10
黒船でおなじみの
44 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:06:35.30 ID:8Lp2BQe10
「おろしや国酔夢譚」観ようぜ
45 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:06:39.85 ID:eWwTvqJX0
そりゃ船乗りだからな
船乗りは塩漬けの豚肉やらなにやら保存食ばっかり食ってるから
舌が多少おばかになっておる
それにアメリカ人に魚出したって喜ぶはずも無い
牛とか馬とか猪出せばよかろう
せめてニワトリ
ペリー来航から日本はおかしくなったと寅さんが言っていた。
いよいよ滅亡近い。
47 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:08:53.02 ID:U16R5L2c0
沖縄で体よくあしらわれて日本に来た 琉球のしたたかさペリー一行が去った後宮廷爆笑
三三三三三三三 ( | 給仕役!
三三三三三 )) |
三三三三)ミ,((^^彡ミ彡 / きさまッ!
三三三三 ((三三 6)彡//\
三三三∩三ミl三三 /ミ彡 /) | 見ているなッ!
三三三|彡ミ三l三 / \ / /、 |
三三三ヽ_)二 | ̄ ノ / ミl :l、\
三 /二 /ミ ‐v-― ´/ )ミ/ / /ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
三/  ̄ /ミ lミ (_/ 三`´`´`´
日米問わず、パスツール以前の衛生なんてたかがしれてるよ。
人間のほうも抵抗力十分で、寄生虫飼ってるようなのが大部分・・・
< `Д´>ウリナラはこの後も30年近く鎖国を続けてイルボンに併合してもらうしかないほど文明が立ち遅れるニダ。
謝罪と賠償を要求するニダ。
日本も捕鯨やろうぜ!って来日したんだよね( ・ω・)y─┛〜〜
52 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:12:23.91 ID:kagAFKRi0
53 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:13:23.82 ID:C8xFRM8cO
幕末にアメリカに派遣された幕府使節の手記
「料理の盛りが多すぎて、油っぽくて塩気が薄い」
幕末に日本を訪問した外国人旅行者の手記
「料理の盛りが少なすぎて、水っぽくて塩辛い」
双方の対照的な特徴が見えるようで面白い。
54 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:18:42.14 ID:v+7tE3lJ0
歴史の教科書だけ見ると、もっと重々しく冷淡なものを想像してたけど
いい意味で所詮は人と人。
お堅いビジネスの話の陰に、同時にざっくばらんなエピソードも隠れてたりするんだろうな。
55 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:20:14.96 ID:lTxUm1Cj0
>>44 緒方拳と西田敏行が共演したのって、「北斎漫画」と「おろしや国夢酔譚」しか
ねえんじゃないかな?
意外な感じだけど。
56 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:20:40.12 ID:M3nQGEz1P
日本の滅亡はペリ−じゃないよ。
2年前民主党政権になったときが始まりだ。
自民党みたいに辛いことを言わないで、甘いことが本当に実行出来ると
嘘を吹聴して、馬鹿な幸せ論者が沢山乗ったからだ。
>>17 開国が10年遅れたとしよう。
清国北洋艦隊に対抗する海軍を日本は建設できない。
つまり定遠鎮遠に日本は蹂躙されることになる。
何、ジャジャジャッて?
59 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 09:33:30.57 ID:GdoqmU+20
61 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 10:24:07.11 ID:CIgyn5bA0
家政婦は見た
従者ごときに字が書けるのかよ、と思ったが、
下っ端とは言え武家の生まれなら当然か
63 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 10:30:34.61 ID:VqyusGPG0
長生きだなと思った俺は歴史音痴
>>62 江戸中期には既に日本の識字率は世界的に高い水準にあったんだが。
65 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 10:35:14.87 ID:wy8Ui9Xj0
ペリーをペルリと言い換えた奴らは世代間の断絶を狙ってやがっるよな。
二宮金次郎にも言えるが、こういう連中を徹底的に炙りだして公開処刑しないと
日本は益々危険な方向へ堕ちていくぞ
66 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 10:36:25.19 ID:o9E1Xv4BO
>>62 くまさんはっつぁんでも平安文学に通じていて、それをちゃかした川柳残しているんだけど
67 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 10:38:04.75 ID:1cHWRAv0O
伊藤かな恵
よくぞ戦争で焼けずに残っていたものだなぁ
69 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 10:45:26.82 ID:wxJuofgo0
この料理は一流料亭に作らせたものすごい高価なものだったらしい
しかし米人にはうけなかった
>>64 言われてみればそんな話を聞いたことがあったな
しかし日本人は豆だねえ、なんでも帳面につける
71 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 10:48:20.65 ID:dN0EpVN30
日本人はこんなに記録好きなのに、今の政府ときたらw
政治的な思惑抜きのストレートな感想というのは面白いな。
こういうのを解読していくのは楽しいだろううなあ。
粗末な物しか、ご用意出来ませんが・・・とか言って、相手の神経逆なでしたんだろうなw
>>65 歴史は新しく判明することもあるしな。おうきみ、の前後の話でもないのに…か。
…否定はしないが、歴史観・歴史認識の改定以前に、日本語能力の欠如が一時ヤバかったらしい。
何でもかんでも“いい感じ・やな感じ”で区別する以外に、事態や感情を分類する方法を知らない世代。
日本人は日本語を使って思考を積み重ねて、また思念を他者に伝達する。
その根本を身に付けられなかった世代がある。
…幕末から不平等条約改定にかけては日本の歴史の中でも一二の見所だから、心配しなくても大丈夫では?
75 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 10:58:10.34 ID:DHh0rzbG0
>>70 役人だから字が書けてメモが残ってるのは当たり前として、
町人とか庄屋とかもいろんな覚書を残してるので、
昔の事は相当分かるらしい。
これが韓国だと全く残ってなくて、全然分からないらしく、
連中は日本人を「昔からメモ魔」だと言う。
>>70 俺の家にも江戸時代の家計簿がある
5代前の爺さん、スゲーマメ
市原悦子の新作かとおもた
そう考えると、字が書けるだけじゃなく、それを残す紙類も比較的潤沢に存在してたってことなんだよな・・・
>>73 「ほんのお口汚しですが…」とか?w
そのせいでもないだろうが、ペリーは日本人が大嫌いだったらしいな。
>>75 ドラゴンクエストもメモ魔量産ソフトだよね 何気に
81 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 11:18:06.55 ID:JZJxhudF0
ペリーサイダー飲んでみたいな
82 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 11:18:08.66 ID:DHh0rzbG0
>>78 なるほど
そういや、紙で鼻をかむ習慣に驚いてた国の人がいなかったっけと思って調べたら
支倉常長一行がヨーロッパでそれやって、現地の人が驚愕したらしい
83 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 11:19:46.38 ID:IeVzry4F0
>あまたるく味重キものを好みて淡薄なる物はきらい様子なり
よく見てるなw アメリカ人のバカ舌を既に見抜いていたと。
84 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 11:24:43.05 ID:0I7xg9Uu0
>>31 戦闘だけなら十分に勝機はあった。
江戸湾港には大砲もあったし。
薩摩や長州みたいに後先考えずに開戦していたら、五分五分の確率で勝てたと思う。
ただ戦闘に勝った後にどうなるかという展望がなかった。
よくわからんけど、米軍士官は重口味が好きってこと?
>>75 庶民の日記や覚え書きは、廃棄されることが多いけど
ふすまの裏張りとしてリサイクルされたから、
それを集めて庶民の生活とかを研究してるって話しが、なんか好きだ
このときのド田舎横浜村でまともな料理を出せる料亭なんて存在したのかな
近くの宿場町、程ヶ谷か神奈川辺りからデリバリーしたのか
89 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 12:25:12.57 ID:MUZiT0Sx0
開国シテクダサイヨ〜
久々にあの音声が聞きたくなったw
90 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 12:32:40.78 ID:+0AidLuKO
こいつ、今の時代に生きてたら「ビッチを具現化した」とか言っちゃうやつと同じレベルなのかな
>>75 読み書きは工業化の大前提だからな。
庶民の識字率が高いと言う事は、それだけ経済も発展してた事を証明するもので
原始経済だと農業のみに力が行くが、余剰分の農産物を売るという行為が発展して
あらゆる産業の勃興につながる。当然、余裕が出てきた経済社会では読み書きにも
力を入れ始めるし、それが出来なければ娯楽すら楽しめないという状況にあったからな。
こういった国民全般の教育の高さがあってこその開国であって、朝鮮のように何も無い
ところで開国すれば即刻植民地にされてる。ペリー自身も日本を殖民地にするのは不可能だと
述べている。
18世紀の識字率はロンドンが20%程度パリが10%未満江戸が70%以上
http://ameblo.jp/campanera/entry-10054758697.html
92 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 12:56:40.27 ID:9QBRXCGF0
首席応接掛(しゅせきおうせつがかり)
林大学頭(はやしだいがくのかみ)
ルビなんかふらなくても、これくらい読めるだろ。
読者を馬鹿にしやがって。
93 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 12:58:54.47 ID:HPpi2LshO
アメ公って昔から味覚御地だったんだな。
95 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2011/06/15(水) 13:07:16.47 ID:4xCXEwnoO
佐久間象山あたりのレポートだと、別に江戸で
砲撃戦や上陸戦やらんでも大島取られたたら
シーレーン壊滅でオシマイだと。
96 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 13:15:16.80 ID:SHj3l/quO
>>29 衛生の良さを、欧米人は本当に驚いたらしいね。
日本は排泄物を回収して、田畑の肥料にしてたから、街は本当に衛生的だったんだよね。
97 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 13:24:27.66 ID:ZYQpEJ+V0
>>62 寺子屋制度のおかげで、日本の庶民の識字率は当時からダントツの世界トップだった。
土ワイかっ!
99 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 13:27:01.71 ID:b13UR2xT0
誰の手記かは忘れたが、
沖仲仕?は裸同然で疥癬だらけで、疥癬にかかってない人夫を探すのに
苦労したってのがあったな。
100 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 13:27:53.35 ID:IeVzry4F0
>>31 内陸戦ならな。向こうもそれがメンド臭いから全面戦争は仕掛けて
来なかったんだろう。当時じゃ補給も大変だからな。
やってもどっちもメリットないんだよなw
101 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 13:29:47.56 ID:tITb+TUC0
>>96 一応、江戸の人たちはフロに入ってたらしいから
銭湯だけど
ペリーやゴノレゴのフラッシュてもう見られないのかな
何語で会話したの
オランダ語かね?
>>80 ティッシュの箱に書いた復活の呪文は、高確率で間違っている。
日本<英語できないんでお引き取りください
米<そういうと思ってオランダ語通訳連れてきました!
こんな感じ。ハリスが連れてきたヒュースケンもオランダ語通訳
16世紀に英国と国交があったからいくらなんでも英語わかる人間が一人もいないってこたないよな
106 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 13:49:34.36 ID:b13UR2xT0
>>101 その銭湯が疥癬が蔓延する原因ではないか、
てその手記にかかれてる。
誰の手記だったかな。ヒュースケンだったかな。
ジョン万次郎が幕府の通訳。
黒船来航なんて今で言うと東北大震災クラスの大事件なんだから
黒船に関わった者が詳細な記録残したくなるのは当然
あー、シュリーマンは刺身の寄生虫が皮膚病の原因かしらとか言ってたんだっけ?わすれちゃった。
111 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 15:11:43.62 ID:XCsQtRm+P
刺身を出したのか。そりゃ当然食わないだろw
生魚を食べるなんてことが、欧米で受け入れられたのは最近のことだからな
日本に来たばかりのアメリカ人が刺身が食べれないのは当然だろう
113 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 16:30:58.56 ID:5EvbLKfF0
昔から日本人はメモ魔でもあるし落書き魔
古い御宮の改修なんかでは小口の納まりの部分に
棟梁への文句なんかも書いてあったりする
114 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 16:34:36.00 ID:QYA1KIUG0
>>1 もっと早く持ち込んでくれればY150博の目玉に出来たのに…
ペリー来航から150年ぐらいか
この一世紀は人類史上急速に変化した世紀なのかなぁー
>>106 風呂は、湯を変えないから汚い、熱すぎて体に悪いって
ポンペも批判してた
当時の日本の識字率は89%にも達する
これは、当時のアメリカの識字率が91%であることを考えれば驚愕に値する数値であり。
国民の大多数が読み書きや計算が普通に出来るだけの教育を受けていた事を意味する
この国民の教育水準の高さが、アジアの他の国々が挑んでも達する事が出来なかった
明治維新という急速な近代化を可能となさしめた事は言うまでも無い
このような文献が残っている事も、国民の教育水準の高さがあればこそだ
誇れるべき事だと思うがな
>>103 森山栄之助って通詞がいた。吉村昭『海の祭礼』に詳しい
当時の日本の国際言語はオランダ語であり。
日米通商条約は英語とオランダ語で書かれている
英語が勢いを増すのは、この黒船来航の後からだろう
これで世界的には英語が優勢だと理解が進んだのだからな
JINの南方仁先生のように、英語は話せるがオランダ語が話せない
何て人の方が珍しかったわけだが。
オランダ語はドイツ語の一派だから、ドイツ語なら入りやすかっただろう。
それに当時の知識人は漢文が理解できたわけだから
英語はどういうわけか、中国語と同じ文法なので、英語も比較的、入り込みやすかったわけだがな
>>84 泰平のぬるま湯に浸っていた徳川旗本に
戦国の風を残していた薩摩と同じことができるかどうか。
中長期的に考えたら
兵器が300年くらい変化しなかった日本に勝ち目はねえだろう
>>84 日本の鉄砲や大砲は16世紀の水準からほとんど進歩はなかった
それは当然だろう。
江戸幕府が研究や開発を禁止していたからだ。
それに対して、植民地獲得に凌ぎを削っていた欧米列強の大砲や鉄砲は、16世紀の水準から飛躍的に進歩を遂げていた。
現代装備では数年の技術差が決定的な差となる。
途上国の軍隊が、先進国から来たPMCの傭兵たちに良い様に叩き潰されるようにね
当時はいまほど技術発展の速度は速くはないから、そこまではないけど。
それにしても三百年近い技術差は致命的だよ
>>82 西洋では19世紀に木材原料のパルプ製紙技術が開発されるまでボロ布などを原料にしてたから、東洋のように大量生産できない紙はけっこう高価だったらしいよ。
書物も個人が所有するより貸本などの形で読まれてたことが多かったそうだ。
124 :
名無しさん@12周年:2011/06/15(水) 17:32:42.73 ID:ZaMDaMRW0
>あまたるく味重キものを好みて淡薄なる物はきらい様子なり
現代のアメさん達と好み変わらずwwwww
ご先祖様達の覚書やら手記やら日記の類って、マジ面白いなあ。
>従者仲間で味わったワインの感想が記されている。
従者にも贈りものの酒が回ってきたのかw
当時の有名料亭の料理人が腕によりをかけて作ってたらしいね
料亭かぁ、、、2009年を境に一気に絶滅したね、もう再現は無理だな
幕末〜明治初期に来日した外国人はたいてい日本の料理の味の繊細さや見た目の美しさを褒めてるね。
ただ肉料理がないのには閉口したらしく、日本に来る旅行者は牛肉エキスの小瓶が必須だったらしいけど。
19世紀頃の西欧は現在と比べても肉食に偏向していて、肉を食べないと健康を損ねると考えてたらしい。
そのせいで上流階級の人は特に痛風や高血圧に悩まされたらしいが。
この日記おもしろそーーwww
だれか江戸幕府にTwitterの使い方教えにいってよ
>>84 大砲の届かない沖合で海上封鎖されたらどうするのやら
>>132 江戸幕府には海軍がないから、離島や半島部取られたらさっぱり勝ち目ないよね。
134 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 06:54:14.88 ID:mX+JGgEw0
極東の資源もない島国を長期に海上封鎖して何になるんだよw
135 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 06:59:53.76 ID:L1GCylPv0
刺身とかヘビでも裂いて出しているのではないか、
と思っている外人が多いことを忘れてはいけない‥
これを国際感覚という
137 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:00:07.31 ID:mX+JGgEw0
幕府に海軍がないだってw 榎本武楊とか何で北海道まで行ったのかなw
138 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:01:21.49 ID:GPEy/WfK0
ペリー来航。ベリー最高
139 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:03:18.38 ID:qxlac+AZO
旧日本軍より遥かにファナティックでまだボルトアクションライフルも機関銃も無い時代だからな
文明の差が開いてた事は事実ではあるが精神力で挽回できないほどの差ではない
こんな奴ら相手したくないと思うんじゃね?
140 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:04:38.71 ID:LowKLmXP0
141 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:08:26.94 ID:Ppc+BzIs0
>>33 >>江戸湾を封鎖されて餓死
自ら鎖国んですけどw
たかだか150年前の日記なんて文明国ならたいがいの国に残ってるだろうよ
カイコクシテクダサーイ
144 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:11:27.18 ID:QrIcUiaxO
目的は捕鯨に関する事で
軍事目的ではないから和気藹々だろう
145 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:14:15.67 ID:QE5duh/K0
>>132 鎖国してる国に海上封鎖して何の意味がある?
貴重な資料だな。
些細な記録かもしれないが、歴史が生き生きと色付いて来る。
147 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:16:23.73 ID:1jyazjoIO
刺身おいちいのに損したな
148 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:16:52.24 ID:1fzWf7N7O
ネー開国シテクダサイヨー
開国シマショウヨー
UFOから宇宙人が降りてきたような衝撃だろうか
150 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:18:15.94 ID:lzfCndfQ0
当時のアメリカの衛生観念からしたら手を付けないのが当たり前でしょ>刺身
にしてもこんだけ知的に冷静に相手を分析してたんだな、偉いなカナエ君。
>>145 菱垣廻船とか樽廻船とか日本史で習わなかった?
>142みて思ったが、そうか、たったの150年前なんだよな。
俺が25歳だから、俺の人生たったの六回分。
そう考えるとえらい最近の事のように思えてきた。
少し前まで、当時を生きた人がまだご存命だったりした訳だよな。
ペリーの頃って、福沢諭吉も居た時代だよね、たしか
>>139 スムースボアの火縄銃と、フリントロックロックかパーカッションロックの前装式ライフル
このあたりでも結構絶望的じゃねーか?
154 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:26:03.52 ID:uGstjL5PO
冷蔵庫もないのにどうやって刺身なんか出せたんだ?
>>129 明治は西洋文化を真似しようって時代で
明治天皇は肉とバターを多用した食事で病気になったとか。
156 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:31:23.36 ID:5h4L7ySEO
>あまたるく味重キものを好みて
ここでワロタw今と変わらねえww
それを冷静に観察してる竹田氏もザ日本人て感じだな
157 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:35:57.42 ID:GH6RaDZK0
一方、明治初期に朝鮮へ行った日本の使節団は、
帰国後、朝鮮の不潔さから、2名が死去した。
158 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:37:53.41 ID:qxlac+AZO
>>152 ちょうど君が生まれた頃にギネスの世界最長寿記録保持者で最後の江戸時代生まれの泉重千代が死んだんだよ
泉重千代語録
好みの女性のタイプは年上の女性ぢゃ
>>149 当時の感覚だと「鬼」が近い。というかそのまんま鬼が書かれた絵がある。
160 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:40:56.03 ID:uGstjL5PO
>>152 生きてれば100歳になるうちの爺ちゃんが子供のころは
江戸時代生まれのおっさんが普通に街を歩いてた
161 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 07:42:43.18 ID:K8MCC3WSO
「鎖国だから海上封鎖大丈夫」とか中学生レベル歴史知識すら欠落したバカの極みだなw
>「あまたるく味重キものを好みて淡薄なる物はきらい様子なり」。
今も同じw
164 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 08:02:51.86 ID:uGstjL5PO
「か〜いこーくしてクダサーイ」思い出してしまった。
ねらーになって10年過ぎたとか死にたいわ…
カイコクシテクダサーイ
167 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 08:17:18.89 ID:bpTq2Tvi0
黒船による外圧で明治維新=革命が起こったという通説は違うらしいね?
人口増加がスタートして革命が起きたのが本当らしい。
西日本から人口増加が始まって経済成長し始めたけど、東日本では人口増加が
遅くて経済が停滞してたから、薩摩に江戸幕府が飲まれた。
だからもし黒船が来なくても、明治維新は起こった筈だし
逆に人口が増えないのに黒船が来たら、日本は植民地になったかもしれない。
168 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 08:21:53.08 ID:VIw6P4+40
>>164 漂流の末付いた地が朝鮮…
俺だったら自殺するわ!
>>141 「くだらない」の語源は聞いたことないか?
江戸の物資は上方から船で運んでたんだよ
江戸湾を軍艦で封鎖されたので、物資の供給が止まる恐れがあった
確かこの時にはもう日本人に英語話せるヤツがいたはずだ
長崎にイギリス船が狼藉にきた時に必至こいて英語を勉強してたと記憶してる
でも、「R」と「L」の発音は使い分けられなかったみたい
171 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 09:23:35.16 ID:HqJIEhMk0
フェートン号事件?
173 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 09:44:06.95 ID:qDtyg1MJ0
174 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 09:45:39.85 ID:5UP33FPG0
で、吉原での接待はやったの?
たった150年でこんなに言葉って変わるのか
話し言葉は大して変わらなさそうだけど
記述は古いままにしておいて欲しかった
>>168 だ こ な
っ こ ん
:ノ´⌒ヽ,, . た は て
:γ⌒´ ヽ
:// ""⌒⌒\ ) の 日 事
:i /:::::::::⌒ ⌒ ヽ )
:!:::::::::::( )` ´( ) i/ か. 本 だ
:|:::::::::::::::(__人_) |
:\::::::::::::::`ー' /
:/:::::::::: `、
:|::::::::::: |
-‐‐=-..,,,_. .:i::::::l:::: ; l
: ::\,,....., :(、ノ:: ;(v i丿
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. ○_ ´`"'"''ー'ー-、,.` ー - _ ::...:
. . |\\ `^´`"''ー〜、
. . .< ̄<
無事日本に漂着してもこれじゃあ・・・
177 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 10:59:02.05 ID:gBCjdwGc0
ペリー一行を肉接待した時の日記はまだかね。
外圧でしか変われない国、日本
180 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 13:00:59.64 ID:PTP0kMNu0
>>113 焼酎も飲ませてくれないってやつだっけ?
そんな落書きも今じゃ重要文化財なんだもんな。
181 :
名無しさん@12周年:2011/06/16(木) 15:57:20.47 ID:qxlac+AZO
>>113 時代を考えたら大工の下っ端が字を書けるって凄くね?
>>178 相撲取りに見せ物やらせた記録は残ってる。これも肉接待。
>>167 明治維新は革命ではなくて薩長土肥芸その他 対 幕府奥羽列藩その他 の内戦だ
>>181 識字率が高くないと、辻々に立て札立ててお触れとかだせないだろw
百姓も読み書きそろばんできたし。
車輪を作れなかった国とは違うんだよ。
>>185 おかげでお吉はクビになったが。
ハリス空気嫁
>天皇を中心とした日本の歴史と伝統は信仰ではない。
天皇を中心とした歴史は、天皇制度史、という分野史であって日本全体の歴史ではない。
天皇が日本国家の中心に居た時期は、それまで『ミカド』と呼ばれていた蘇我氏が(万世一系の崩壊)、
クーデターを起こされ失脚した乙巳の変〜平安朝中期まで。
また天皇制全体主義が叫ばれた戦前の一時期、に過ぎない。
それを、明治の元勲たちが、キリスト教をまねた国家神道という官製宗教運動、宗教イデオロギーによって急造したものが、
「皇国史観」と言われるもの。
いわく、日本は天皇家の祖先のカミによって造られ、
すべての日本民族は天皇家の分家であるから本家の当主である天皇を永久に崇敬し、
君臨させなくてはならない、と。そうすれば日本は、永久に繁栄し安泰であるが、天皇を追放すれば滅亡する、と。
しかし、史実は壇ノ浦で「天皇のしるし」である三種の神器は水没し、天皇も水死。
神どころかただの人間である、という証拠であるし、運に見放されれば後は死ぬのみ、という
中国の易姓革命を体現してしまった。
そして、あの敗戦。天皇に何の神性も、神通力もないのは原爆だけでもはっきりしてる。
>>186 車輪を作れなかった国というとインカ帝国だが
彼らがなぜ作らなかったのかはなぞなんだよな
190 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 01:33:33.30 ID:0ssVDJOVO
>>175 たった20年くらいでも
うっそー やだあ 信じらんなあーい
そんな言葉使いの若い女なんていないだろ?
191 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 01:50:53.56 ID:gnUhWVLU0
質問だけど
庶民でも頭の悪い人っていたのかな?
その頭の悪い人でも文字が書けて、
今のような難しい漢字でも
読めていたとか?
>>191 >今のような難しい漢字でも
? 現代の漢字は相当簡略化されていて昔の方が難しいんだけど。
194 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 02:17:11.83 ID:0ssVDJOVO
平仮名 片仮名にしても50音じゃなかったしな
195 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 02:36:04.28 ID:bqv7h6AZ0
ペリーて太平洋戦争予言してたよね。
196 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 02:39:55.40 ID:9fSBz7Zx0
なんか今の日本の国情と何らかわらんな。
近代化しただけで。
197 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 02:44:15.99 ID:xILHgSuC0
198 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 02:49:13.54 ID:VYhIraIP0
ゲームみたいな名前カッコイイ
鼎 鼎 鼎 鼎
鼎 鼎 鼎 鼎
鼎 鼎 鼎 鼎
凸
>>189 子供のおもちゃで車輪のついたものがあるので概念として知らなかったというわけではない。
国土のほとんどが急峻な山地で広くて兵站な道路が作れないという地形の制約があるので輸送は人力や家畜の背に載せるという方法の方が便利だったということ。
200 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 04:32:14.48 ID:UvnlSS5H0
>>189 インカは文字がなかったことこそ不思議
文字がなくて文明が築けたのが謎
201 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 04:56:18.35 ID:m3HAmZkxO
>>191 江戸時代、黄表紙(漫画みたいなもの)はふりがなふってあった。
で、音読しながら読んでたらしい。
庶民の識字能力なんてそんなもの。
でも、庶民は目に一丁字もないのが当時の世界水準だったから、それでもたいしたもの。
202 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 04:59:49.74 ID:4nhCKHqb0
ペリーはコネ採用のカス提督(兄が英米戦争で海戦というか湖戦の英雄)
>>191 寺子屋で字を習った人は読めたはず。寺子屋のお師匠さんは一生ものの先生で、なくなったら教え子たちがお墓を立てるというのが常識だったらしいから。
>>191 元禄の頃には庶民向けの本屋や瓦版屋があったくらいで、
幕末に来た西洋人が、職工や駕篭担きや馬夫まで本屋や新聞(瓦版)を買って読んでいると驚いたそうな。
もう一つ、ヨーロッパでは貴族の遊びだった園芸や小鳥が、狭い長屋の住人、これまた庶民や下級役人にまで
普及していることに驚いている。鉢花や盆栽、鳥籠で飼うウグイスや文鳥や十姉妹、それに、金魚。
205 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 05:51:50.94 ID:+pmNxP5q0
バチカンの大聖堂やミケランジェロが何年なのかと‥
206 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 06:03:50.40 ID:ZSmUf4iyO
か〜いこ〜くし〜てくださ〜い
207 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 06:13:22.71 ID:mVDpfod40
>>187 お吉は今見ても、美人なんだけどな。勿体ない。
208 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 06:20:14.49 ID:VoD7tuW+0
売国奴の毛唐風情に媚び攘夷を怠る事無かりければ
神国大日本、放射能に汚され滅びる結末に至る事
避けられたやも知れぬ
返す返すも悔しきことにて候
209 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 06:21:28.58 ID:+pmNxP5q0
>>207 そんな頃から枕営業や同伴、アフターしてたのか!
210 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 06:23:55.65 ID:C0f7tKZ80
ば〜いこ〜くし〜ないでくださ〜い
211 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 06:39:37.40 ID:R56LrnUT0
やっぱメリケンはあの頃から味音痴だったんだな。
212 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 06:45:44.33 ID:4iCoq+S/O
>>154 当時は近海で魚獲れてたからでしょ?
濡らした藁なんかで傷むのを防いだんじゃね?
>>209 日本人はそっち方面には昔から気が利いてる
出島のオランダ人にも売女用意してやってたからな
>>213 単純にデカイ桶に入れて活かしたまま運んでたそうだ
今の刺身とは違って旨みは無いね
216 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 13:00:20.39 ID:ccmPgyxz0
>>191,201 江戸時代どころか戦前まで新聞はすべて総ルビだった。
217 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 14:13:34.04 ID:SKTqihx30
>>204 もうひとつ西洋人が驚いたのが、日本人の母親が子供の面倒を
非常に良く見てやって、大事にしてること。
また、上の兄姉が下の子達をよく面倒みてやっていることにも驚いたらしい。
子供たちがとても幸せそうなことに驚いたとか。
日本で驚いたことの筆頭は混浴だろうw
219 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 17:53:39.23 ID:0ssVDJOVO
お歯黒に閉口したって記述を見た事ある
美しい娘だと思ったら口を開けたら化け物みたいだと
それは俺も同意する
その南蛮人の正体は衾
まだ刺身の味は理解されていなかったか
222 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 18:18:18.61 ID:0ssVDJOVO
20年くらい前でも生魚を食う野蛮人つってたからな
>>191とか
落語のネタでご隠居から書付をもらった与太郎が漢字が読めず、
ひらがなだけを拾って読む、というのがあるけど、あれがネタとして
成立する(笑える)というのは、
「たいていの人は漢字かな混じり文を読むことができる」
というのが前提だよね。
>>217 出典を忘れたけど、やはり幕末に来た西洋人旅行者の記録では、
庶民の父親もよく子供の面倒を見ていたらしいね。
お母さんが夕食の用意をしている夕暮れ時、辻辻の道端に
小さな子を連れた男たちが腰掛けて、適当に子供を
あやしながら世間話をしてるんだと。
江戸時代は残業とかなさそうだしなw
225 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 18:35:21.12 ID:shqOtz6V0
寿司、刺身がアメリカでゲテモノ扱いされなくなったのは1980年代以降。
>>88 万延遣米使節団の道中記は面白いな。
行く先行く先で、それこそ国をあげての大歓迎だったしなw
227 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 19:14:22.44 ID:SKTqihx30
>>224 日が暮れてから働いてると馬鹿にされたとか、宵越しの銭なんか持たなくても
何の心配もなく暮らしていけるとか、もう江戸、すごいよね
228 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 19:32:45.89 ID:Rv36maKB0
都市部の商家と、農村では事情が違うだろうな
229 :
名無しさん@12周年:2011/06/17(金) 19:49:32.22 ID:3ibNW8VT0
江戸はエコ都市
>>228 農村は農村で、節句だ講だ早苗ぶりだ野上がりだと、
なんじゃかんじゃで年間休日が60日くらいあったらしいぞ。
まあ、土地や気候にもよると思うけど。
明治の初めにきた語学者のチェンバレンが言うには、
「日本は貧乏人が多いが、貧困は存在しない」
だそうだ。当時の欧米は産業革命後の富の集中と労働の搾取の
真っ只中だから、日本がユートピアに見えたんだろうね。
んで、数十年後は日本もやっぱりそうなっちゃうわけだが。
「おしん」の時代。
231 :
名無しさん@12周年:2011/06/18(土) 06:24:31.78 ID:KJP4Uepm0
当時の世界の識字率比較あるけど江戸気違い沙汰に高い。
子供がよく笑う国だっていう記述はみたことあるな
あと、小さい人が小さい人を背負っている(おんぶのこと)って驚いてたりとか
現代の日本人から見ても国が違うとこうも文化が違うのかと逆に驚くこともあるし当時の見聞とかは面白い
(^o^)
234 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 00:22:16.55 ID:PybtraD50
a
235 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 00:28:14.20 ID:gaS8aOCSO
初めて見る貰ったワインを 給仕達でもみんなですぐに飲んでしまうあたり
はすごい大らか
236 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 00:32:28.92 ID:4XjAzE5R0
かぁ〜いこくしてくらさぁ〜いよぉぅ
237 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 00:34:07.43 ID:ovsm1KrQ0
砂糖水懐かしいな
今やあれも歴史教科書の時代の様に昔に感じてしまう
238 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 00:34:19.78 ID:eeOiJpsU0
>>235 そうだよね。
キリスト教白人たちがインディアンに贈った天然痘菌付きの毛布とかの例
もあるのにね。
>>30 そのフレーズなんだっけ?
どっかで見たような聞いたような?
240 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 00:36:22.51 ID:xCPFrdELO
餅肌ペリーと鮫肌ハリス
242 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 00:56:02.40 ID:YHWNZ6NsO
ここだけの話、サスケハナ号を佐助花号だと思ってた。
243 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 01:09:23.26 ID:xCPFrdELO
>>224 亡くなった杉浦日向子さんがNHKの時代コメディ番組のコーナーで話してたのが
江戸の街は極度の男余り状態で
長屋に10軒あれば所帯もちは2軒くらいで
旦那が仕事のときは他の男たちが間男になって楽しんでたとか。
で、その家庭で子供が産まれると
長屋の大多数が父親の可能性があるから
長屋全体で子供を可愛がるとか。
>>243 「お江戸でごさる」か?
日向子先生の、コーナーは楽しみだった。
245 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 01:48:28.37 ID:YHWNZ6NsO
>>243 店子みな兄弟か。w
ある意味平和の極致だな。
246 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 02:05:08.07 ID:gaS8aOCSO
>>238 いやいや、それもドギツイ話ではあるけど、ただ微笑ましいなと
>>241 木は長生きだから本当に「ペリー来航を見ていた」生き証人なんだよなあ
ブリスルコーンパインとかエジプトのピラミッド作る前の時代から生きてるくらいだから
とりたてて驚くことじゃないんだけど
248 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 10:59:21.96 ID:aqdR6dBE0
>>69 当時だと八百膳とかかな?
でも刺身は無茶だよ。
249 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 11:02:18.72 ID:aqdR6dBE0
>>200 口述で伝達してたってことだろうから、驚異の記憶力。
>>249 つまりインなんとかさんみたいなのが一杯居たって事か、胸熱だな
>>243 古代ブリトン人は妻は親兄弟で共有とされてて、
子供が産まれたら最後に交わった人が父親ってことにしてたとか
252 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 11:10:47.76 ID:enYMwtkfO
>>231 江戸時代の日本人は、勉強熱心だったという事だね。
国家が学校を作らなくても、
親は、寺子屋に子を通わせた。(市場原理)
つまり教育は、社会権だけでなく自由権でもある。
そして、自由経済の中での教育が、後の明治維新の源泉となった。
253 :
名無しさん@12周年:2011/06/19(日) 11:16:44.95 ID:Jo+gtKeVO
>>230 小学校、中学校までの教え方は、それでないと歴史好きは育たないでしょう。
子供の時から、いきなり反権力史観の講釈だと誰も興味を持たないでしょう。
自発的に読書する学生は、思考も自律しています。
でも、そういう学生は、政治宗教イデオロギー集団からは却って疎まれるでしょう。
イデオロギー集団が受け容れるのは元々の馴れ合い仲間だけ。
彼らの情報統制が保てないからではないでしょうか。
それにしても毎日のように、学校や職場で「敵」が存在し、一方的に攻撃しても反撃もされない。
政治宗教イデオロギー集団って、或る意味、幸せな人達なんだろなと皮肉を述べたくなります。
彼らは微妙に戯画化された世界に住んでる人達です。人生に飽きているんでしょうか。
我々には毎日闘うべき「敵」もいませんし、いたとしても攻撃手段も攻撃意図もありません。
それでも人生に退屈せず、勉強して働いて暮らしてます。
255 :
名無しさん@12周年:
>>252 意外と見逃されがちだけど、読み書きそろばんくらいできないと
町人の子どももちゃんとした商店とかに就職できないしな。
女子の場合も、読み書きはもちろん琴や三味線、踊りとかの芸の素養がないと
それなりの武家屋敷に行儀見習いに上がれないから、
(行儀見習い=嫁入り修業で、いいとこに嫁に行くためのステータス)
商家の娘とかは毎日塾通いで忙しくて大変だったらしい。
器量がよければ、武家の養女として奥女中に上がるという
究極のキャリアが開ける場合があるし。江戸時代は意外と面白い。