【大阪】 継体天皇陵という学説が有力な今城塚古墳 形象埴輪のレプリカ190点を復元
1 :
うしうしタイフーンφ ★:
2 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:47:13.07 ID:Mw+4nQWT0
取り合えず、違法賭博パチンコ潰せ!
地方議員が立ち上がり、違法化、課税強化を求めてる!
地元の地方・国会議員にも参加するよう要請しようぜ!
原発災害は民主党による人災!
注水停止した4時間は誰の責任?
民主党の責任だ!
3 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:49:01.43 ID:IP1JFupGO
>>1 お前さん
結構歴史好きなんだな。
少し見なおした。
4 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:50:19.47 ID:bq904hZn0
ふーん
古墳からレプリカが見つかったってこと?
てゆうか埴輪がレプリカだよね。
でも埴輪のレプリカだったら レプリカのレプリカですわなぁ。
6 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:50:49.75 ID:EyYTC+7c0
7 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:50:58.62 ID:i3sRf1rf0
8 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:54:31.22 ID:DYSQJnv70
,.-.、
,-'_ . i
! ´;'.. 〉
. ゝ,.亠 i gj...
ヽ.-,ィ
_) | n
/´ヽツ''`';-==( E)
. メ、 i !ー--''´
9 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:55:24.65 ID:kcb5yXaQ0
どこの馬の骨ともわからん奴の血統を後生大事に崇め奉っているバカウヨww
10 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:56:14.04 ID:IdB1OdFc0
天武天皇は高句麗の武将だろ。
12 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:57:18.36 ID:9IU3swnY0
おーい、はに丸
継体さんか、越ノ国からやってきたんだっけ?
日本海を横断してきたのかな?
14 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 16:58:54.68 ID:5NypM2540
修復とか色もダメなら形もボロボロで当時と今じゃ全く別物だが、
これは復元だからな、当時の人間が見たのと一緒の状態といっていい。
これは必見、見に行くか、タダだしw
15 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:11:55.37 ID:r1G/d1ZMP
>>3 擬古牛は継体天皇だからスレたてしただけだよ
天皇家はチョンだと言いたいだけ
>>13 新潟地方は越の国といわれてるが、
中国南方の越人が渡来して移り住んだのでその名が
付いたのではないか、という説がある。
埴輪?
秦の文化なのは明らかだろ
それとアノ高床式の御殿は南方系の文化
18 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:16:55.61 ID:IP1JFupGO
>>10 中臣鎌足が百済の王子 余豊章だという歴史作家がいたりして、古代は謎だらけ。
19 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:20:34.04 ID:ZQXMwZi30
>>7 大木をくそみそに伐採しまくり、堀の水を抜いて干上がらせて
「史跡公園」ができましたとさwww
20 :
>>700:2011/05/29(日) 17:22:21.42 ID:j7owKFhH0
>>18 小説家なら、どんなトンデモ説つくってもいいけどさ、古代と言えども要人が外国人
だったら、「海外」の文献にそれなりの記述があるもんなんだよね。
そういっのって、呉の太夫くらいでしょ (魏志倭人伝)。
>>16 中国南方の越人というと、ベトナム人かい?
天皇陵指定なんて、考古学もない時代に、水戸藩水戸学のひとたちが
気分気分気分
で勝手に指定しただけ。
間違ってて当然。
でも、別の天皇や親族のお墓だろうから、
そうそう荒らすなや。
23 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:24:43.01 ID:Gp7FJe/B0
>>1 遺跡を潰して公園にして地元ゼネコンとの癒着が騒がれてたな
贈賄とか汚い金の話は結局どうなったんだ?
25 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:31:54.01 ID:LBH0WsXQ0
あの鳥居文化はどこから来たの?
あぁいうモニュメントを日本以外で見たことねえんだけど
26 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:32:07.24 ID:emSY97BJ0
「継体天皇説」
戦後左翼学者が「明確な物的証拠が無いから」と初代天皇から八代目までを
「欠史八代」と呼んでなかったことにしてしまった。
これについては残念ながらアンサイクロペディアのほうがwikiよりも理にかなった説明をしている。
27 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:36:36.94 ID:gGX0d6EI0
28 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:36:52.22 ID:IvtGS3bB0
lfj;あぃせkさjfぃえjふぁsぃえfjぃせあfjさ;じえflさいえふぃjふぁlせいfjl;s
l;ふぁjしえfjl;せいflj;えしあfじぇいlさ;jふぃえlさj;ふぃえl;あいふぃjしf
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lじゃふぇいふぁs;ぉjfぇさいえj;ふぃえさljf;ぇしいふぇjlふぃsjぃえfj;ぁせいl
30 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:42:16.09 ID:IP1JFupGO
跡継ぎが途絶えそうになったので血筋をたどり越の国の継体を呼びよせたんだよな。
当時の大和朝廷が大伴、蘇我、物部など各氏族の合議制で成り立っていたのがよくわかる。
絶対王政ではない。
祭祀族の天皇家はなくてはならない存在。
神との対話ができる血筋と考えられたからだろう。
ずっとそうだった。
だから天皇機関説は正しい。
┗|∵|┓
┗|∵|┛
32 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:49:28.17 ID:qJRdNbqf0
ハニ丸皇子
33 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:49:31.49 ID:RIexxqu/0
遺伝子検査はしないのか、今は化石からも遺伝子解明できる
死んだ場所には確実に遺伝子痕が残ってる
本当にY遺伝子がつながってるなら、現天皇と比較すれば解明される
>>30 ×跡継ぎが途絶えそうになったので血筋をたどり越の国の継体を呼びよせた
○跡継ぎが途絶えそうになったので血筋だと自称する越の国の継体がライバルを駆逐した
>>18 源義経=ジンギスカン
よりも酷い話しだなww
>>29 地獄の黙示録にも道切りみたいなのがあったようななかったような
37 :
伊都之尾羽張 coo|ニニニニニニニニニフ:2011/05/29(日) 17:56:52.17 ID:ZXtUHVCI0
古代の天皇陵墓が現在まで継承されていることに、悠久の歴史を感じます。
戦国の世から武士の時代を迎えても、荒らされること無く現在まで管理されて
きた古墳も多く、単なる「遺跡ではない」ことが重要だと思います。
38 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 17:58:09.70 ID:3hKDPNhR0
継体のDNAを調べろとかなんとか
39 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 18:03:09.36 ID:VrcOzhYH0
>>20 朝鮮の歴史書「三国史記」には建国の偉人に瓢公という倭人がでてくるね
40 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 18:04:45.23 ID:GkqJaaka0
どっちにしろ応神天皇の直系の嫁もらってるから、継体以前と現在の天皇が無関係ってのはないんだけどな
いまの天皇家はこの人の子孫なんだろ?
どっちにしろ、長いよね。
43 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 18:08:38.85 ID:Or9u92L90
実質上の初代天皇だな。
どんな疑い深い学者もこの天皇が今上天皇の男系の祖だと疑わないからな。
この前の武列天皇については実在を怪しむ声もあるし、これ以前の天皇と現在の皇室に血縁がない可能性もあるからな。
と言うか、この古墳に遺体は残ってたの?
宮内庁指定の天皇陵じゃないから発掘調査はしてるんだろ?
>>40 それが女系天皇OKってことの論拠になるわけだな
ちょっと長いと、蹴られるから
もう書き込む気にならない
いや。
本当かどうか分からんが、一応継体天皇は
男系の血統を継いでる事にはなっている。
48 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 18:29:24.80 ID:emSY97BJ0
>>43 怪しむ声があったら、可能性が生まれるってただのプロパガンダじゃん。
>>48 武烈天皇については、中国の易姓革命的というか、無茶苦茶な虐殺やった上に、直系の男子が
途絶えたというエピソードになってるからなぁ。
実在はしたけど、極端に悪人化されてるだけかもしれないけどね。
50 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 18:57:31.32 ID:Or9u92L90
>>48 天皇の話になるとこういうイデオロギーと絡めて馬鹿言い出す奴がいるから困るなwww
だいたい欠史八代をいる事前提で語ってる時点でお前がお前がおかしいわ。
神武と崇神が共に「はつくにしらすすめらみこと」と呼ばれてるように同一人物説があるしな。
後世の人間が天皇の数を水増ししてる可能性が高いけどな。
51 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 18:58:20.23 ID:ZvYIsSaj0
越の国は 新潟のことじゃろ? 福井か? それとも石川?
どっちじゃろ?? 越中、越後、越前 越の国やね。
どうみても継体から新王朝。
今の天皇家つながってるのは聖徳太子(=中臣家=摂関家)だろ
中臣家がクーデターを起こして乗っ取ったと考えるのが普通
日本書紀も捏造だろう
>>51 んにゃ、呉越同舟の越らしい。
広東人とかベトナム人とかか。
これはロマンがある。
オレは福井説(沿海州からの上陸地点は能登半島)だったが。
>>53 聖徳太子ってたしか孫か曾孫だろ、継体の。
その孫とかの方が実在しなかったって言われてるんだぜ、今は。
56 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:06:43.21 ID:ZvYIsSaj0
継体さんは、難波の宮には入れなかったらしい。
樟葉(枚方市)より南には行ってない様やね。
阻止する勢力があったんやろな・・・・誰か知らんけど。
57 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:09:03.44 ID:IP1JFupGO
>>56 その話を今書こうとした。
その抵抗勢力って気になるんだよね。
王位をめぐる暗闘なんだろうが。
>>54 継体天皇の本拠地は福井だもんな
世襲なら何で本拠地が必要なんだろうwとかね考えるよね、
狭い日本になんてこういうどでかい古墳作ったんだろうね。
田畑換算だとそうとうなもんだろ。
>>50 水増ししたなら、適当に話 「も」 でっちあげすればいいだけ。系図だけじゃなくてね。
古代人がそんな事も気づかない馬鹿だと思っちゃいけない。
しかし、書き込みが制限されてるような気がするが。
>>50 >天皇の話になるとこういうイデオロギーと絡めて馬鹿言い出す奴がいる
>神武と崇神が共に「はつくにしらすすめらみこと」と呼ばれてるように同一人物説がある
おまえ自身が他人のイデオロギーに染まってるぞ
61 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:21:47.26 ID:9OqtjKxP0
>>50 まあ居ない前提で語ってるのもおかしいんだけどな。継体にしてもそうだけど。
63 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:25:53.69 ID:xsmdf2h10
武烈天皇は実在でも、その所業が事実でもなんらおかしくない。
あれほど中国の史書は無条件に信奉する現代の学者達なのに。
同時代の歴史を綴った『北斉書』『周書』なんかを読めばいい。
完全に狂気に奔った皇帝たちの愚行が延々と語られているよ。
編纂したのは唐王朝だから、やや時代を置いていて
客観的に書ける立場。
64 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:27:57.32 ID:q+wyA6QY0
簒奪者の墓?
>話 「も」 でっちあげ
るの、
マンドクセー('A`)
と思ったんじゃね?
適当に名前だけ並べとけばいいや、って感じで。
66 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:29:41.99 ID:Pdjk99Bo0
なんか越前和紙の作り方を現地の人に教えたのが継体天皇だとかなんとか、
そんな昔話を聞いたのさ。
>>65 あの欠史八代って、名前だけ書いてある訳じゃないからね。
系図の方が結構大変だと思うけどね。
婚姻相手の豪族の選択だとか、墓の所在地だとかね。
お話の方が簡単だろ。
古事記なんかの話がどの程度伝えられたものが知らないけど、膨大にあるからな、風土記なんかも含めて。
68 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:40:02.41 ID:emSY97BJ0
>>50 >天皇の話になるとこういうイデオロギーと絡めて馬鹿言い出す奴がいるから困るなwww
日本語で書いてください、イデオロギーはラテン語のidea(観念)からくる造語:観念主義
観念主義が基盤となっていない 歴史学などこの世界各国の何処にも無い。
例外としては、マルクスはイデオロギーを「虚偽」の意味合いで誤って使っていた
同じように間違った使い方をする君は、文字通り馬脚をあらわしましたねって感じです。
(^o^)地元の厨房だよ
イェーイ おまいら見てる?
70 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:43:09.48 ID:IP1JFupGO
天武より前の皇室の歴史は結構いじられているんだろうな。
蘇我王朝があり、それを天智天武兄弟、中臣が倒したという人もいる。天智と天武は兄弟ではなかったという人も。
歴史改ざんは藤原不比等の仕業だろうけど。
71 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:43:47.09 ID:2lqRBmPL0
72 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:52:14.91 ID:gQkzpaBP0
継体天皇は507年から531年まで天皇として在位しました。
聖徳太子が生まれたのは547年
73 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:53:43.37 ID:IP1JFupGO
王朝交代説を支持したいな。
記紀はそれを霧の中に隠すために書かれた。
74 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 19:59:54.49 ID:gQkzpaBP0
難波の宮は当時誰が支配していたのだろう?
讃珍済興武の子供?
>>73 隠す、というより、隠されてないけどね。
長い間畿内に入れなかったとか。
結構正直に書かれてると思う。
石棺が三つあったことは確認されている
奈良の二上山、兵庫の高砂、熊本のピンク石
77 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:03:07.01 ID:gQkzpaBP0
雄略天皇の次の天皇は継体天皇と記憶している
継体は26代天皇、それ以前に25代、継体以降現代まで継体を含めてちょうど100代。
神代の時代まで「歴史化」すれば、現代まで皇紀2671年。
継体は6世紀前半の在位なので継体以前に約1160年、継体以降に約1500年。
現王朝を継体以降に限っても、神話・伝説の時代より現王朝の方が長い。
79 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:08:40.81 ID:IvtGS3bB0
>>73 朝鮮人がでしゃばってくるのがうざい。英語研究者でそれに引きずられるアホもいるし
80 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:09:11.30 ID:gQkzpaBP0
継体は26代天皇、雄略天皇はは21代天皇でしたか
住んでいる場所について詳しい方、ご記入お願いします。
地政学的に考えれば、日本の政治状況は原住民系、大陸北方系、
大陸南方系の3派閥構造になるでしょ。
大陸北方系は、朝鮮半島との関わりが必然的に強いだろうし、
南方系は、中国の周王朝にまで続く伝説がある。
82 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:13:18.79 ID:9SmnoQMb0
先進国の唐で易姓革命が当然であった記紀編纂時、王朝交代があったとしても隠匿する理由がないでしょ。
勝者が歴史を書き換えるなら現系統の光仁帝の時に記紀も書き換えられてる気がする。
いろいろ想像するのはロマンがあって楽しいからガチガチに考えることはないけどw
不比等が天智帝の子っていう説は好き。
83 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:16:28.37 ID:f/pznP3/O
雄略天皇の戦略と戦術を確認
中国に朝貢して安全保障を取り付ける
その間に倭国内を完全に平定
朝鮮半島の反倭勢力も追撃した
戦略・戦術ともに大成功だったが
倭国(後の日本)は中華帝国の朝貢国であるという
外交的な課題を残した
そして、継体天皇の登場と
聖徳太子さんの日出る国よりなんちゃら
84 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:20:25.26 ID:IP1JFupGO
>>77 間に何人か入るよ。
10年間で数人代わっている。
武烈が継体の前だろ。
だが、その人たちも架空かもな。
雄略王朝を倒したのが継体王朝。
今の皇室は継体の流れ。
後に出た万葉集の第一の歌は雄略天皇の歌だ。万葉集は鎮魂の本でもある。
継体王朝は雄略王朝を倒した新興の王朝ではないか。
85 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:22:19.44 ID:q+wyA6QY0
今の皇室は簒奪者の子孫なの?
87 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:23:12.41 ID:IvtGS3bB0
88 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:23:35.43 ID:9z08KSkMO
学校では近代史もロクにやらないが、古代の天皇事情もモゴモゴしていてよくわからんかった。
89 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:24:06.07 ID:aYZ/Zg+M0
北陸からきたのだっけ
90 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:28:15.72 ID:gQkzpaBP0
>>84 武烈天皇(ぶれつてんのう、仁賢天皇2年(489年) - 武烈天皇8年12月8日(507年1月7日))は、古墳時代の第25代天皇(在位:仁賢天皇11年(498年)12月 - 武烈天皇8年12月8日(507年1月7日))。
記入しておきます、ありがとう。奈良に住んでいたようですね。
でもまあ、前任者が悪逆非道の王、って、
話が出来すぎてるもんな。
殷から周への王朝交代も同じ。
新政権の正当性を補強する昔からあるお約束、だよね。
やっぱ継体天皇の即位って相当無理があったんだろうな。
俺は埴輪が好きで写真集や雑誌の特集など何冊か持ってるくらいだけど、
仏教伝来以前の人間観の素朴さが好きだね。
秦の影響のようにいってる奴
>>17がいるが、写実的な兵馬俑と、象徴的な埴輪は
美術的にみて明らかに違う。(目的みたいなのは近いかもしれないが。)
自分は王族だったとして、兵馬俑を一緒に埋められても嬉しくないが埴輪だったら嬉しい。
93 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:28:55.83 ID:1vq57qMG0
まだ継体天皇が新王朝の祖とか言ってる奴らがいるのか
釈日本紀の上宮記逸文はその音の当て方から推古朝に遡れるのは確実なのにな
継体天皇は応神天皇五世の孫で間違いないし、当時すでに君臣の別ははっきりしていたからな
他氏族が皇位につくなんてありえない
>>83 戦後の日本も、第二次大戦に負けて、
連合軍というか米軍に占領され、
独立後も米国の忠実な属国であるという
外交的な課題を残しているな
ちょうど皇室も後継ぎが心細くなっていることだし、
後継体天皇でも担ぎ上げないとダメじゃないか?
>>93 新王朝の祖とかはどうでもいいと思っています。
96 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:34:00.21 ID:IP1JFupGO
>>93 何言ってんの。
そんなの誰も証明できないよ。
墓の比定だって曖昧のままじゃね。
今の皇室だって藤原の血が色濃く入っているんだし、古代に王朝交代が行っても不思議ではない。
武烈天皇と継体天皇が
どこで政治を行なっていたのか知りたいだけ。
>>84 神功皇后が越と縁がある人物と思うので、越出身の継体とは(男系ではなくても)血縁はあるんじゃないかな。
99 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:38:20.01 ID:IP1JFupGO
>>96の訂正
王朝交代が起こっても不思議ではない。
>>88 「日本のあけぼの」の項目で
人類が云々みたいな感じの話とか遺跡が云々の話をし、
それからアジア情勢がどうのこうの、卑弥呼が云々って魏志東夷伝倭人条の記述をやってから
ぶつ切りでいきなり日本書紀の巻第十九から入るからね。
101 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:41:20.25 ID:DcOZ3fDy0
丑は人の歴史に口を挟む前に、自国の半島半万年(笑)の捏造を突っ込めよ。
と言うか、この辺りの古代史って永遠に決着つかんだろ。
確定できないから、ロマンが増幅するんでね。
西暦500−600−700−800年の歴史は少し分かった。
104 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:49:30.17 ID:Rs9VJhnY0
昔の人も、古墳が田畑を潰して作られるので、心配して孝徳天皇の時に陵墓の
大きさを身分に合わせて、厳しく決めている。作るところも、田や畑に出来にくい
山などに限定した。当時まだ朝廷の権限の及ばない地方は、大きな古墳が作られ
続けるんだけどね。孝徳天皇は、妻に捨てられて零落してしまう可哀想な天皇
なんだが、良い実務家として、世の中を治めた。同時代に天智天皇がいたから
霞んじゃうんだよね。w
105 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 20:52:25.22 ID:IP1JFupGO
継体は橿原になかなか入れなくて難波に行ったんではなかったか。
武烈は橿原だろ。
一応、歴史の一般論はそうなっている。
武烈は架空の天皇という話はあるが。
雄略と武烈が似ているのも気になる。
今城塚古墳は鎌倉時代に盗掘にあい遺骸は 見付かっていない
戦国時代に信長が砦にして 古墳から弾丸が見付かっている
1596年の伏見大地震の崩落跡が見付かっている
>>102 継体天皇が応神五世孫であるというのは系図が他に存在するから決着済み
>>16 ほう、ならば、中国地方は、中華人のアジトかね
とくに山口県周防の「周」などは
武蔵の国の「高麗川」は、半島人のアジトかね
つーかあまり福井関係ないからな
継体天皇につらなる家系は近江が勢力で
母親の実家が福井にあったってわけで
古事記では直接近江から来たとあるし
110 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:06:13.32 ID:J8uoxe480
>>100 そうなんだよ。
貫頭衣を着て沓はいてるご先祖様っぽくないヒトたちだったのに、
教科書の章が変わると、いきなり着物着てぞうりはいて和歌を詠んでるんだよ。
一体、何があったんだ。
で、大人になって勉強し直すかなあ、と思うとこのスレみたいに侃々諤々で
特に歴史好きでもない人間にはついて行けない。
112 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:09:52.65 ID:oo51a/k90
応神天皇から五世孫というのも女系だと分かっている訳ではないし、
むしろ男系でそれなりに有力な傍系だったと考えるのが自然。
114 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:13:32.38 ID:f/pznP3/O
ちょっと発想を変えてみよう
邪馬台国スレで結構盛り上がったのが
邪馬台国は二つあった説
もちろん仮説なんだが一種の「あるある」ネタで少々だが盛り上がった
そこで天皇についてなんだが
実は古代、日本は王朝が二つあった二重王朝ではないかと
さすれば古代の不可解な王朝の動きが見えてはこないか?
どうです?
>>91 武列天皇の子が天皇にならなかったのは
武列天皇に子供が無かったから。
116 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:15:11.88 ID:IP1JFupGO
>>107 系図なんぞ、いくらでもねつ造できる。
それで決着するわけがない。
おまえの中だけで決着するぶんには構わんが。
それなりにっていうか筆頭王族だったんだろ
あの時代各地に今で言う宮家みたいな王族がいたとされてて
今の長浜市とか米原市あたりに勢力をもってたのはほとんど明らかになってる
118 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:17:00.91 ID:uX1hDNfz0
>>74 日本書紀に載ってる難波宮は聖徳太子の時代。
>>108 高麗川は高麗の遺民が入植したのが由来とは言われてるけどね
120 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:18:38.17 ID:oo51a/k90
>>109 いや、でも福井には継体ゆかりの史跡や地名、神社がいっぱい存在するよ。
そりゃ、50歳代で即位するまでずっと福井にいたんだから、当たり前だけど。
121 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:18:47.65 ID:2M2qSzhLO
なるほど
>>110 いきなり飛鳥文化に入って急に日本らしいにおいがしてくるんだよね。
っていっても仏教文化なんだけどね。w
大体が崇仏論争あたりから触れたと思うよ。日本書紀の内容には。それが巻第十九あたり。
その前に十八巻分の「お話」があるんだけど、全然触れないからね。
124 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:21:20.09 ID:f/pznP3/O
例えばですね
日本は南北朝時代のように二重王朝の時代があったわけですよね
また天皇と将軍のように
聖と俗、祭祀と政務を分けてた時代も長くありました
いや、むしろこの常態が日本人として
国家、国民のデフォなのではと
ふと考える次第でありまして
125 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:23:45.71 ID:ZkjsIJnQ0
>>116 あれを捏造であるという人は居ないよ。根拠が在るから。
捏造と言えば、先代旧事本紀という書物があって、聖徳太子の時代であるかのような体裁で出てきたんだけど
これは捏造。書かれたのは平安時代。
そちらが捏造という系図が捏造では無い根拠と同じ理由で、こちらは捏造だと分かっちゃうんだ。
面白いでしょ。
仁徳陵という世紀の大捏造はいつ改めるの?
>>124 当たり前の共通認識に属する事柄だが、いまさら何言ってんのとしか。
>また天皇と将軍のように
>聖と俗、祭祀と政務を分けてた時代も長くありました
もちろん現代もその通りだ。
征夷大将軍も総理大臣も任命するのは天皇。
128 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:30:12.07 ID:HVXXWwVe0
>>63 武列の所業の問題点は時の権力者の物部、蘇我の勘気をこうむったことだろ。
>>128 蘇我も物部も違う
当時は大伴氏が全盛期
130 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:36:50.86 ID:f/pznP3/O
問題は雄略天皇なんです
朝貢してた天皇と言われるのは
二重王朝で外交を担当して方だと単純に考えちゃいましょ
ところで雄略天皇は光武合体王朝政権で朝貢した
東アジアでの軍事プレゼンスでは成功したが
内政的には何らかの約束違反があったのではと
という推論から
「新」王朝の要請が継体では?
だから血縁的にはどちらかの正統なんだろうと
ゴッドハンド?
忍者天皇
133 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:39:19.24 ID:IP1JFupGO
雄略天皇崩御後、平群氏の専横が目立ち、大伴、蘇我、物部らの有力氏族が危機感から傍系の継体を担ぎ出したとみるが、どうだろう。
平群氏(真鳥)は大伴金村らによって駆逐された。
これは有力氏族間による暗闘の交代劇。
継体が応神の血筋か否かは判らん。薮の中。
135 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:47:37.26 ID:J8uoxe480
>>122 >十八巻分の「お話」
大人になってそこがミソなんだろうとは思った。
天皇がバリバリ現世的な存在だったころ。
しかし、これが特に歴史好きでもない人間にはついていけない世界なのよん。
神話は神話として、分かっているだけの事実を簡潔にまとめた1時間くらいの番組があればいいのに。
>>133 雄略崩御後から継体までずいぶんあいてるが
まあとりあえず継体前後で政権内部の変動がないので
平和裏に傍系王族が迎え入れられたのは確か
137 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:55:56.14 ID:gQkzpaBP0
継体天皇陵と難波宮を遠距離だと考えるから混乱するんだ。
継体天皇陵と難波宮の距離はわずか22km 3時間で歩ける距離だ。
応神五世孫なんて、事実だとしても、
もう赤の他人みたいなもんだもんな。
現代で言えば、江戸時代中期の天皇の5世孫、
みたいなもんだべ。
武烈にもっと近い血筋の皇族なんて他にいくらでもいただろ。
地方(越の国)の強大な豪族の大和政権簒奪、
ってのが一番しっくりくるわな。
139 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:58:59.73 ID:J8uoxe480
しかし、ハニーはかわいいな。おうちもあるし。作るの楽しそう。
140 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 21:59:09.00 ID:f/pznP3/O
蘇我氏がミカドのように振る舞った
これを好意的に考えると
二重王朝システムが実はデフォなので
再びその体制に戻して軍事や外交の責任は片方が背負うと
だから蘇我氏には悪意はなかったのもしれない
聖徳太子さんはまるでもう一人天皇みたいですよね?
>>138 光仁天皇だって光孝天皇だって前の天皇と近い血筋が山ほどいたのに
遠く離れたのが即位したわけだがそれを簒奪というのかね
古墳時代末期から飛鳥時代を中心として平城遷都までの時代からとって
NHKが大河ドラマにしてもいいと思うんだよな。
やっぱり中心人物は中大兄皇子が面白いだろう。
大化の改新から白村江の戦まで内外ともに激動の時代で政治的にも面白いし、
額田王や間人皇女をめぐるロマンスも面白い。
扶余豊璋は大した人物ではなかったが大陸との関係で重要だし、
有馬皇子の悲劇にもドラマ性はある。
ただし反日で穢れた今のNHKに作らせるのは危険かもしれない。
143 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:07:12.12 ID:Ts1vIKGB0
大阪・奈良・京都は、日本史の宝庫だな
144 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:07:41.33 ID:T/y3qc2H0
応神―― 2世―― 3世――― 4世―――継体(5世孫)
名前も生没年も分からない人と繋がっていて「血縁です」なんて、よく言えたもんだと感心する。
145 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:09:27.99 ID:J8uoxe480
>>142 そーなんだよー。
子どもの頃から思っていたけど、日本にはいっぱいネタがあるのに、
大河ドラマは戦国時代と幕末のくりかえしだし、歴史映画も少ないと思う。
146 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:09:31.10 ID:gQkzpaBP0
中大兄皇子は生年も600年代の人物
587年に聖徳太子が蘇我馬子と同盟して物部守屋を滅ぼした史実まで視点を古くしてほしい。
継体天皇も500年代に活躍した人物
147 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:11:13.86 ID:M0fVn1xH0
>>96 そんなこと言ったら歴史なんて語れないw
それともあれか?歴史は自分の誕生とともに始まり自分の死とともに終わる(キリッ
とか電波飛ばすくち?
148 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:14:02.53 ID:M0fVn1xH0
>>130 それも妄想膨らませ過ぎだよ
応神以降は実在したとして問題ないよ
149 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:14:18.75 ID:1vq57qMG0
>>96 墓の比定は祭司とかが継続されつづけなくてはわからなくなってしまうんだから
皇室に権力と金がなくなった時代が長くあったので当たり前
系図は文献として残るからその信用性が問われるだけ
上宮記(本文は失われてるけど)は継体天皇の孫の代に書かれてる可能性が高いから
そこに書かれていたとされる系図の信頼性はものすごく高いんだがね
150 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:16:08.03 ID:g017tXpl0
日本の考古学は真実を扱う学問ではない
151 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:17:17.49 ID:f/pznP3/O
二重王朝体制が日本のデフォだと考えると
天皇の数の多さがしっくりくる
かのスパルタも二重王制だった
むしろ古代のほうが多い体制だ
では物部は何に怒ったのかと
仏教の導入なのか?
継体が受け継いだものとは?
うーん、まだわかんね
統一大和朝廷が成立する以前、大和平野には倭国(やまとのくに)と
葛城国(かつらぎのくに)が並立していたのだった!
てなくらいに偉大だった葛城氏だが、継体天皇のころを境に
蘇我氏に乗っ取られてしまうのだ。ボヘミアンは葛城ユキ。
153 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:19:13.67 ID:ebdMQgfH0
154 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:20:32.44 ID:M0fVn1xH0
>>152 雄略さんのころに粛清されてたろ葛城さんは
155 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:21:22.81 ID:gQkzpaBP0
蘇我氏は仏教導入を推進し
物部氏は神道を推進したという事実は知っている。
仏教伝来は538年 蘇我氏、聖徳太子、推古天皇3人で仏教を推進し、物部氏を滅ぼしたようだ。
156 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:22:35.58 ID:Ts1vIKGB0
”歴史”や”記録”を何らかの形で残せる民族が近畿に住んでいただけで
日本全国を平定していたとは思えない時代ですよね。
>>154 うむ、そうかも知れん。
つかこの時代はよく知らないのw
古代史は考古学的根拠に基づいていって欲しい。
イデオロギー論争から事実が見えることはない。
で、3世紀(おそらく崇神天皇代)から、大和政権が続いてるのは、考古学から見て明らかなんだが?
159 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:24:55.57 ID:f/pznP3/O
日本の歴史で
古代のほうが一元的で中央集権である
こう解釈するのは左翼じゃないけど皇室に気を使ってるとしか思えない
あくまでも皇紀にそくして一列的に解釈するのは無理がある
160 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:25:59.65 ID:M0fVn1xH0
>>157 しかたないよ歴史の授業でもあまりやらないし編年も少しおかしいのは事実だからね
>>156 前方後円墳の広がりから見て、関東(東の国)から九州、朝鮮半島南部まで支配していたと見るべき。
考古学的に見ればね。
>>151 そちらの「二重王朝」とかいう考えの起点が「魏誌東夷伝倭人条」の記録と「日本書紀」の記録の齟齬。
>>161 墓が同じ形式だからといって、統治機構も一緒だったと考える必要は無い。
他の墓や土器、銅器、鉄器などでそんな考え方をする事はないし。
>>20 海外の文献って中国か?
当時の「中華」の認識からすれば日本はド田舎。
そもそも卑弥呼からそのあとの権力者すら分からないんだぜ。
そもそも後漢書の「東夷」伝というのに記載されたのも使者を出したからで
そうでなければ残らない。
そういうものってことだよ。
>>135 古事記なら上中下の三巻で神代から推古天皇までするっと語る。
文庫本にして一巻分。
166 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:34:17.65 ID:M0fVn1xH0
だれか帝記と旧辞見つけてこいよ
古代史がもう少しだけ解明できるぞ
167 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:35:51.24 ID:WrigN1z7O
こんなショボイ王朝始祖なんて世界中どこを探してもいない。
なんせ歴史を一から十まで書き換える権限があるのだから。
つまり、継体天皇にはそういう権限が無かったという事。
新王朝でも何でもない。
本当に歴代天皇の中で最もショボイ血統だっただけの話。
>>161 うんうん。
それで思い出したが、
>>155に出てくる物部氏ネタを。
俺は新潟県だが、近くの旧三和村には物部神社があって、
それはべつに不思議じゃないんだが、そのあたりの地名(字)が
「武士(もののふ)」なんだよな。
つまり、「物部」→「もののふ」→「武士」と2度の転化を経ている。
これって日本語の武士の語源と同じなわけで、奈良時代から
リアルタイムでそこになきゃ、こういう変化はしないはずなのだ。
>>163 >墓が同じ形式だからといって、統治機構も一緒だったと考える必要は無い。
理由は?考古学的に説明せよ。
お墓の形式は宗教と相まって重要な事だった。
じゃなければ、応神、仁徳があのような大きい墓を作るはずはない。
>>159 皇室に気を使って中国の記録を基として居ないのだ。だから無理があるのだ。
とかそういう話ですか。
171 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:40:49.81 ID:gGX0d6EI0
>>142 おお、賛成、賛成。
俺も前々から、大河ドラマのスレなんかでは言ってるんだがな。
大河ドラマなんて、どうせ史実を背景にしたフィクションなんだからさ。
神武東征とは言わんが、壬申の乱とかあたり。
主人公は狼の皮をかぶせられた百済の王子なんかでさ。
>>142 大河ドラマ「伊勢物語」キボンヌ。
どうせ法螺つきドラマなら物語上の在原業平がみたいっすw
史上最強のヤリチンだっけ?
>>156 継体天皇の時代なら関東まで届いてるけど?稲荷山の鉄剣の銘があるからね。
>>169 馬鹿じゃないの、君は。
同一政体に属すると言う側に証明の義務がある。
例えばの話、英語を使ってるからと言って同一国家ではない。
文化と国家の混同だ。
文化ってのはどこにでも流れていく。
重要だというのなら、鉄器や稲作の方がはるかに重要だ。
>>173 物凄い心の底から恋情の炎が噴き出すような
ある種スポコン的恋愛をするヤツ。ナルトなんか目じゃないぜ!って感じの。
177 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:52:46.64 ID:f/pznP3/O
歴史保安院は反中感情を煽ればなんとかなるって考えか
違いから推論するしかないじゃん歴史なんて
少なくとも雄略天皇だけが日本と中国での歴史記述がほぼ一致する
理由は完全なる朝貢をした政権であり
国内ではかなり強権的な政権だった
このほうが日本の歴史では珍しい
その反動のようなものが倭国にあってもおかしくない
その「象徴」が継体かもなぁ、と
象徴天皇制の元祖かもよ
178 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 22:59:30.21 ID:emSY97BJ0
>>155 >物部氏を滅ぼしたようだ。
滅んでないよ、立川流に名前変えて仏教の皮をかぶりながら江戸時代まで栄えていた。
物部氏は製鉄の氏だもの、彼らが滅んでいたら日本刀は存在しない。
179 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 23:03:10.27 ID:ZQXMwZi30
で、ちょっと離れたとこにある継体天皇陵は誰の墓なのよ
この辺古代から中臣鎌足の墓まで古墳多いよね...
180 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 23:03:39.05 ID:ZkjsIJnQ0
>>177 教科書で、倭王武をワカタケル(雄略天皇)だとする根拠は系図の一致だとか習うけども
全然系図は一致してない。「歴史記述の一致」もどこにあるんだか分からない。
そして多分、倭王武をワカタケルと比定しようとした理由というのがね・・・
武と雄略は全く別人。
名前、事績、在位年数、系図、全然違う。
182 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 23:41:45.50 ID:9+kfz3Mi0
皇族が殺し合うのを描くこと自体が反日だから
何だか、書き込めないな。
そもそも天皇て
どこの馬の骨やねん
天照おおみの神から生まれたとか
あほなこといってるよな
185 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 23:45:39.50 ID:f/pznP3/O
歴史保安院は原子力保安院なみに手強いからな
逆さ読みして計器がおかしいという解釈だから
>>184 いや元々は全部、単細胞生物ですが、何か?
特別な存在なんてありません。
あくまで、その世界の文化によって生まれたもので。
187 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 23:52:44.32 ID:RUklDYvk0
188 :
名無しさん@十一周年:2011/05/29(日) 23:55:10.66 ID:gQkzpaBP0
蘇我氏は仏教導入を推進し
物部氏は神教を推進したという事実は知っている。
仏教伝来は538年 蘇我氏、聖徳太子、推古天皇3人で仏教を推進し、物部守屋を倒した。
189 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 00:03:48.34 ID:r0fRuFDj0
すべての古墳を発掘調査できれば、日本の考古学も少しは進むのに。
190 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 00:10:37.70 ID:/r+HYZygO
物部氏の怒り方がハンパない
蘇我氏は大化の改新だかで勢力を失う
蘇我氏が纏めてた歴史書は完全に遺失してしまう
うーむ
191 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 00:19:39.83 ID:Th2US0j2O
神話は全部創作だろ。
武内宿禰が3代の天皇に仕えて300歳まで生きたなんてありえん。
DNA鑑定して血のつながりを解明しちゃえよ
528年 磐井の乱
継体天皇の時代に九州北部で起こった磐井の乱の鎮圧を命じられたのが物部氏だった。
これを鎮圧した物部麁鹿火(もののべのあらかい)は宣化天皇の元年の7月に死去している。
194 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 00:38:27.85 ID:/r+HYZygO
ふむふむ
やっぱ二重王朝説で説明したほうが整合性あるし
継体への移行と万世一系もバックアップシステムで説明できる
しかし、九州王朝説から半島王朝交代説を
歴史保安院が勘違いして感知して
いつもの調子で叩き潰した経緯があって
どうも気分の収まりが悪いんだな
>>184 卑弥呼の時代には存在しなかったことは確実だよな
>>195 それは断定出来ないな。あるとも言えないが。
卑弥呼は多分九州、当時畿内にヤマト朝廷の前身がいたはずだし。
198 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 01:41:50.96 ID:KTNP8h/Q0
>>178 いやいや、立川流の僧侶は世襲できないだろ
仁寛だって源氏だし
物部氏は総本家が滅んだだけで
石上麻呂が左大臣になってるし
蜷川氏系列で室町幕府から江戸の旗本まで中堅どころで続いてるよ
199 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 01:51:59.57 ID:bMnTJdjV0
埴輪のしょぼさは涙出るな。
中国じゃ、紀元前に兵馬俑があったというのに、、、
>>199 抽象的技法ってものを君は分かった方がいいな。
201 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 01:58:33.78 ID:/r+HYZygO
「天皇」が生まれたのは
天武天皇から
さらに『日本書紀』が編纂されてから
過去の天皇にも天皇と漢字の諡が出来た
これを素直に解釈すればいい
それより忍者になれって勧誘がこのスレ凄い
蛇塚古墳
所在地 京都府京都市右京区太秦面影町
形状 前方後円墳
規模 墳丘長75メートル
築造年代 古墳時代後期末
埋葬施設 横穴式石室
蛇塚古墳(へびづかこふん)は、京都府京都市右京区太秦(うずまさ)にある古墳。
京都府下でも最大の横穴式石室をもつ前方後円墳である。国の史跡に指定されている。
203 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 02:48:42.46 ID:WTNUQTjaO
>>195-196 「倭国の女王」が中国の歴史書に登場したのは266年までで、
次に登場した413年の倭国王「讃」が15代応神天皇の頃。
空白の150年(東征の混乱か)に当たる1〜14代の天皇は実在性が低く、
いずれにせよ、応神天皇からがまともな歴史ができて、
今に続く「天皇」というものが成立したんだろうよ。
204 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 02:52:01.16 ID:L3RVxzld0
ハニワの無表情さは癖になるな
205 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 02:52:27.04 ID:qSDyA9pn0
>>187 日本書紀は藤原氏に都合の悪いことは書かれていなかったり、捏造されたりしている。
当時の体制べったりの歴史書。
これを100%信じるから、二重王朝説なんてのが出てくるんじゃないの?
206 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 04:33:04.67 ID:JD1Gm5Ka0
207 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 04:51:13.83 ID:JD1Gm5Ka0
208 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 04:57:20.51 ID:0CioSfq90
男大迹「俺の里からメルトダウン出すなよ」
ケータイ天皇
にすると一気に親近感が
ケータイ天皇 継体天皇
507年3月3日 - 531年3月10日。
211 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 07:13:01.09 ID:/r+HYZygO
「天皇」が生まれたのは
天武天皇から
その前までは「スメラギ」や「オオキミ」などが居た
なぜ呼び名が違うのか?
天皇の呼び名が二つあったではなく
役割の違う権力が二つあった
それを後から都合よく天皇にした
だから繰り上げ当選で天皇になってるのもいるはず
212 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 07:21:48.50 ID:Cc/Oo9q30
>>211 江戸時代に呉服屋の越後屋を創業した三井高利を、
三越の初代社長と呼ぶようなものですね。
そんな屋号も肩書きも当時は存在しないだろうと。
>>212 で、アマテラスが、その高利のお母さんが神格化されているようなものだな
>211
少なくとも、大王もすめらぎも文献上では同一人物を指しているだろ。
役割の違う権力が複数あったというのには賛成だが。
「大王」
オオキミと呼ばれていたそうだ。
216 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 07:47:47.39 ID:r0fRuFDj0
そもそも何者なの?
217 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 07:50:29.88 ID:/r+HYZygO
そうなんです文献上は同一人物なんです文献上は
ちゃんと書き手も考えてます
代わり似たような人物や天皇が増えたりします
寿命も長くなります
聖徳太子と蘇我氏みたいに
親戚なんだけど別建てになったり
218 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 08:21:34.63 ID:9LL7jFld0
日本書紀の場合、こういう説もあるって整合性放棄している所もあるから、その点好感が持てる。
日本はいい史書を持ったと思う。
219 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 08:53:55.05 ID:b6G+//gF0
220 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 09:07:26.80 ID:TbDmXK6r0
日本書紀はいろんな伝承を取り込んでまじめに編纂された書物だが、
日本の伝承と支那や百済の書物との整合性を取ろうとがんばって
おかしなことになっちゃってる部分が少なからずある。
222 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 09:40:10.38 ID:/r+HYZygO
皇族にこれといって何もしてないけど
某かのミカドの皇子が居たら
それは空き物件なんです
その人に沢山の歴史的な偉業を被せます
天皇の業績と被りますが対外的に二つ作ります
これは保険なんです
代表的には厩戸皇子とヤマトタケルです
文武揃ってます
これは天才的な手法だと思いますね
おお地元だ
ハニワ並んでたな
古代の話は夢があるなあ。
現実は高槻市の財政赤字を増やし、市長肝いりの土建屋を儲けさせた建物なんだが。
駅近くに歴史館あるんだから、不便なところに増やさんでいいのに。
>>221 百済の記録を重視しすぎたから継体安閑間に空位が存在してるからな
>>221 別の伝承は「あるふみに曰く」、シナの書物の引用は「魏志に曰く」、百済の書物からの引用は「百済本記に曰く」と書いてある。
>>211 「天皇」と書いて「すめらみこと」と訓む。
これは「日本」と書いて「やまと」と訓むが如し。
だから「天皇が生まれたのは」ではなく、「天皇という表記になったのは」とする方が適切。
>>180 ワカタケルを「やまと」→「日本」、「すめらみこと」→「天皇」の如くに
日本書紀の表記にして表すと、「大泊瀬幼武天皇」(おおはつせわかたけるのすめらみこと)になる。
この「武」の文字の使用をしてワカタケル=倭王武だとさせようとしたのだろう。
229 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 10:46:57.78 ID:/r+HYZygO
しかし、漢字表記による諡は天皇表記からだし
事実上の天皇という立場の確立は表記名が安定してからだな
日本をヤマトと呼ぶのも一般的ではないし
大和をヤマトとは呼ぶけど
日本と大和はあまりイコールじゃないな
>>227 スメラミコトという読みは天皇号成立以降だろ
しかし五世紀の鉄剣銘での表記は、「獲加多支鹵大王」(わかたけるおおきみ)だ。
古事記においては「大長谷若建命」(おおはつせわかたけるのみこと)。表記に「武」なんて出て来ん。
タケルといえばヤマトタケルだが、武を用いる「日本武尊」の表記も書紀でのもの。古事記だと「倭建命」となる。
>>230 「皇」と書いて「すめら」と訓む。すめら=天皇。
万葉集・973 すめら(である)我がうづの(尊い)御手以ち掻き撫でぞ労ぎたまふ
まだ荒れ放題だったころによくエロ本拾いに行ったなぁ。
厨房時代の懐かしい思い出w
234 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:00:36.28 ID:/r+HYZygO
日本書紀の編集効果がちゃんと出てるか
つまり倭王武?誰それ?
にしたい人の編集効果
倭の五王なんて知らね
どこかの誰かが勝手にやったんでしょ?と
日本書紀には該当者はいません、と
けど、逆に複数王朝になる中央ではないとすると
でも、中国のほうが先に文献があってその時代の国年号がある
それを見て漢字を覚えて編集したからこそ
これはマズイになったはず
235 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:02:08.24 ID:Th2US0j2O
>>231 日本武尊は本名ではないだろ。
オウスが本名で、敵対勢力側から日本武尊と呼ばれたんじゃなかったか。いわば尊称。
聖徳太子と同じだ。
「すめらみこと」は「皇尊」とも表記する。
>>235 「聖徳太子」は死後に送られた諡号のようなもの。
ヤマトタケルという名は敵大将が直接ヤマトタケルに送った(と描かれている)名。
>>243 鉄剣銘は五世紀のもの。つまり400年代のもの。
239 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:09:57.53 ID:/r+HYZygO
継体天皇なんか名は体を表すの典型だな
>>229 日本を「ニホン」と読むのは「音読み」。
>>239 継体天皇はその名を男大迹天皇(をほどのすめらみこと)という。またの名を彦太尊(ひこふとのみこと)。
彦主人王(ひこうしのおおきみ)の子。ちなみに「うし」というのは「ぬし」のこと。
242 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:13:56.65 ID:/r+HYZygO
「ひのもと」じゃね
日出からの転嫁で
こりゃオオドろいた
244 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:18:31.94 ID:YlkLTv9DO
>>242 「倭」という表記を改めるにあたり、何がよいかと考えて
ひのもとを現わす日本というのがよかろう、なんて思ったのかもしれん。
>>232 すめらとかそういう語はあっても天皇の訓読みとしてスメラミコトが成立したのは後だろ
天皇号前それこそ継体天皇あたりの時代にスメラミコトという称号があったのかどうか
247 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:24:57.43 ID:/r+HYZygO
継体の漢字諡を上げて
さらに正統であると強調したわけだ
日本書紀の編集者は根はとても正直なんだろうな
248 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:26:13.55 ID:XNTyJrXK0
天皇の祖先は朝鮮人。
御陵を掘ったらそこは朝鮮なんだから、宮内庁も発掘させないんだろww
249 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:28:39.45 ID:cCE1xHLh0
すべる(統べる)人→SUBELER→(なまって)SUMELER→すめら
それはともかく、だれかが「大政奉還」なんて言ったから、
それに合わせるの大変だった明治政府御用歴史学者。
>>246 「すめら」=天皇 「みこと」=神、天皇、目上の人を敬って言う語。
皇御孫尊=すめみまのみこと=天照大御神の子孫である天皇。
祝詞 「しきしまに大八嶋國知らしし皇御孫命の」
>>247 舎人親王が漢風諡号を作ったとは限らない。
そも漢風諡号を作ろうと発想を立てたのが誰なのか知らず。
>248
後進地域が先進地域を乗っ取れるわけないだろ。
日本と朝鮮じゃ稲作が始まったのは2千年も日本の方が早いんだぞ。
水稲だって、この継体天皇のころは日本は1500年も経ってるが、朝鮮ではまだ陸稲だ。
253 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:40:59.41 ID:/r+HYZygO
先に蘇我氏が作ったのがあったらしいが遺失してるし
もっと正直な内容だったかもな
日出天子がナントカつーくらいだから
不比等とか凄い名だよな
何と比べてんのかと
それ万葉仮名を使っただけだと思う。>不比等。
仮名文字だから文字に意味無し。
日いずる処の天子が云々という手紙は書紀には出て来ない。使節を送る記述は出てくるが。
あの内容が出てくるのは中国の史書での話。
256 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 11:53:20.01 ID:/r+HYZygO
そう聖徳太子から送られたことになってるのは日本側だけ
やっぱ保険だったんだな
一本どっこでやられるかハッキリしないうちは
責任の所在を分散化した
目処がついたら倭王武?知らね?ヤマトタケルは知ってるけど
後、聖徳太子って知ってるか?
ガツンとやったぜ、と
ガツンとやったぜと誰が言うんだろう。
258 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 12:02:39.04 ID:/r+HYZygO
聖徳太子とかと名前がつけられた頃から
こいつはオオモノだ!的なノリに
そして朝生でウヨクっぽい人が言ったりしてたな
ガツン
魏志が好きな人は隋が嫌いとか。
書紀の伝える国書の内容。「東のすめらみこと、慎みて西の皇帝に白す」。
261 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 12:06:59.66 ID:Th2US0j2O
漢風しごうは淡海三船の考え。
日本の表記は聖徳太子の意志を引き継いでいた天武天皇によるものと習った記憶が。
>>261 淡海三船は続日本紀を撰した、とある。(編纂者という意味では無い)
生まれたのは722年、日本書紀が完成した後。
263 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 12:18:50.98 ID:Th2US0j2O
>>262 ていうか、歴史書物を読むと、大体が淡海三船になっているんだが。
一度調べてみなよ。
>>263 つまり「書紀」には漢風諡号は関係ないという事だ。
「歴史書物」では分からん。出典は何だ。続日本紀にあるのか。見た覚えが無い。
266 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 12:28:06.69 ID:XNTyJrXK0
朝鮮人が祖先の天皇を崇拝するネトウヨって(笑)
268 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 12:31:09.67 ID:/r+HYZygO
白村江で唐と一戦交えて
詫びも入れずに遣唐使を続けて国号を日本に改めて
過去の朝貢関係はうやむやにした外交手腕
>>42 欽明天皇の子孫だというのはたぶん間違いないんだろうけど、
継体天皇と欽明天皇の親子関係は実際どうなんだろう?
欽明天皇は雄略天皇の孫らしいから、女系の血筋を認めれば
天皇家の祖先は応神天皇までさかのぼれるよ。
270 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 12:43:56.91 ID:Th2US0j2O
学説が指摘しているのに宮内庁が難色ってどういうことなんだろう?
宮内庁というか後の天皇家は継体天皇を大事に扱っていないような気がする。
暗殺説もあるぐらいだしね。
応神天皇を奉る宇佐八幡宮が九州にあったり、現天皇家と血のつながらない
聖武天皇陵に現天皇が参拝したりと、天皇家には一般人の知ってる歴史と違う
歴史を伝えているんだろうか?
継体天皇が応神天皇の五世孫。
凡牟都和希王(応神天皇)ー若野毛二俣王ー意富々等王ー乎非王ー汗斯王(彦主人王)ー乎富等大公王(継体天皇)。
273 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 12:54:36.12 ID:Th2US0j2O
>>271 カンプウシゴウではなく在位中の名前は「ワケ」系と「ヒコ」系に分かれると指摘する学者がいた。
継体はオホドだけど、この天皇だけ三文字と短く他の系統とは違う。
王朝は三交代ほどしたらしいと言われるが、もっと交代しているのではないか。
CINIIを出せばいいと思うんだがな。論文のことを言いたかったんだ、というならば。
276 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 13:01:24.35 ID:/r+HYZygO
称号はなんなのかは知らんが
オレ様を名乗るが幾人か居たんじゃね?
277 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 13:02:05.08 ID:Th2US0j2O
>>274 俺は学者じゃないから研究者が書いた書籍しか読んでいません。
あなたは専門家みたいな書き方していたからお聞きしたんです。
>>273 祖父の「オホホド」に対しての「ヲホド」、オホ=大、ヲ=小
類例→大碓命が兄で小碓命が弟、小碓命=のちの倭建命(日本武尊)
>>273 考古学者で王朝交代論をとなえるのはほとんどいない
文献学者が名前がどうとか古墳の位置がとかでいってただけ
今は文献学者だってそんなこと言う人はそういない
>>277 ?学者じゃなくても古典くらい読む。
逆に学者でもなければ論文(研究者が書いた書籍?)の方が読まないものだと思うがな。
281 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 13:06:35.73 ID:/r+HYZygO
継体以前まで
オレ様が同時代に何人かいて
後の世の天皇クラスは
オレ様二冠王ぐらいの人なんじゃないの?
>>274 鎌倉時代の『釈日本紀』の説だよ >淡海三船撰定説
283 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 13:10:36.33 ID:qf4d0fAv0
>>279 考古学で系統の違いなんか分からんだろう。それこそ騎馬民族説とかじゃない限り。
285 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 13:23:34.24 ID:Th2US0j2O
>>269 安閑と宣化の在位が異常に短く、一説では継体とともに暗殺されたと言われる。
欽明は継体の息子ではないんだろう。
286 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 13:29:38.16 ID:yYBKP3Rl0
>>272 応神以降は全員が疑問だね。
>若野毛二俣王ー意富々等王ー乎非王ー汗斯王(彦主人王)
「若野毛二俣王」は、「ここで系図が2つに分かれますよ」ぐらいの意味で、
人名のように見えるが名前ではない。
意富々等王より後の人物も全て、名前も生没年も伝わっていない人物だ。
実在したかどうか、怪しいと言われても仕方ないだろう。
287 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2011/05/30(月) 13:30:07.94 ID:Q9kLgMACO
>>16 越は古くは高志と書きコシという読みの方が古い事がわかる。
288 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 13:36:57.17 ID:/r+HYZygO
オレ様連中も年がら年中戦争してたわけではないから
オレの次男坊はそっちの大臣にしてくれや、とか
半島にガツンと行くから
お前は代貸しなとかで
留守中に乗っ取ったり乗っ取っられたり
ついでに仁徳天皇稜を掘り返してみよう。
そうしよう。
>>286 >「若野毛二俣王」は、「ここで系図が2つに分かれますよ」ぐらいの意味で、
>人名のように見えるが名前ではない。
おいおい、これは無理がありすぎるだろw
>>271 応神天皇は九州で誕生したんだから、母(神功皇后)と一緒に宇佐に祀られてもおかしくは無いんじゃない?
292 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 13:47:57.65 ID:fcNEDQmrO
古墳を何でもかんでも天皇の墓って事にして、
いちいち宮内庁の管轄に置くのはうざい
学術調査に弊害が出る!
象徴なのにでしゃばり過ぎ!
>>286 応神天皇の次の天皇である仁徳天皇は応神天皇の第四子で
若野毛二俣王こと稚野毛二派皇子は第七子とかだったはず
つまり「系統が二つに分かれてますよ」どころの話じゃない。
>>285 安閑天皇こと広国押武金日天皇の享年は七十歳。
宣化天皇こと武小広国押盾天皇の享年は七十三歳。
>>291 生まれた場所に奉ったからおかしいと思うんだよ。
東アジアの文化観では祖先を奉る=墓参りっていうのが
自然体のはずだと思う。
296 :
名無しさん@十一周年:2011/05/30(月) 14:27:53.08 ID:qf4d0fAv0
297 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 15:48:14.50 ID:SvtjuPgp0
ケータイ天皇 継体天皇
507年3月3日 - 531年3月10日。
応神五世の孫を信じるなら、
大陸(もしくは半島)からなんらかの意図をもって能登半島に上陸し、
福井で勢力を養っていたと考えるのもまた自由。
299 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 16:03:47.48 ID:SvtjuPgp0
雄略天皇456年−479年
武烈天皇498年−507年
継体天皇507年- 531年
応神天皇は九州で誕生したのは知らなかった。
携帯天皇
携帯の時代は終わった。
愛本天皇はまだか。
>>298 応神五世孫というのは典拠がある話。
大陸からなんらかの意図云々は典拠の無い話。
303 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 16:57:59.37 ID:0187VnRe0
>>302 王権を簒奪した側が血統を捏造なんて、どこにでもある話だよ。
304 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 17:01:34.25 ID:Nya/p1KO0
>>303 典拠がある以上、それを捏造とする側が立証しないといかんわけで。
今の天皇と当時の天皇は全く血のつながりがないんだよね
306 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 17:08:11.61 ID:SvtjuPgp0
優秀な人が「大王」となりました。
>>254 そりゃ違うんじゃないか?
「ふひと」の当時の表記といては、
「史」か「文人」だろう
で、実際、藤原史という表記もあるわけだから
やはり、特別の人だということを示そうという意図はあったんじゃないか?
308 :
京阪神中心文明:2011/05/30(月) 17:21:45.62 ID:jV0EpfEA0
京阪神中心文化
309 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 17:49:07.69 ID:Th2US0j2O
>>307 藤原不比等の表記は日本書紀、藤原史の表記は古事記。
藤原不比等が一般的に多く用いられるのは日本書紀の方が歴史書的だから。
ただし、あなたがおっしゃる通り「不比等」の名は特別だろう。比べて等しい人はいない、つまり最上の人と読める。
>>303 古事記・日本書紀にある「応神五世孫」とだけあるものを、
その内容が確かであるとして示す典拠というのは、聖徳太子の時代の書物を鎌倉時代に書き写したもの。
「王権を簒奪した側」とは一体いつのどこの誰の話だ?蘇我か?藤原か?平氏か?源氏か?源氏を三代で潰した北条(平氏)か?
>>307 「万葉仮名」を知らない人はおととい来てください。不勉強にもほどがある。
>>309 古事記に「ふじわらふひと」は出て来ない。なぜなら古事記は神代から推古天皇までしか記述が無いから。
313 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:22:53.21 ID:Th2US0j2O
天皇家が特別な存在なのは誰もが認めるだろう。
卑弥呼は鬼道を操ると言われたが、道教呪術は当時の人民にとっては神がかりであっただろう。
稲作や漁も天候が大事だ。天文学に精通していれば、当時の民はやはり頼りにし神のごとく扱うだろう。その神が付いていれば戦争にも勝てるような気がしただろう。
後に陰陽道と呼ばれる鬼道は天皇家の者が相伝してきたのだろう。
古代は絶対王制ではなく合議制。王朝は豪族たちが動かし、天皇は神との橋渡しをする人として置かれた。ちょうど神輿に担がれるように。
天皇家の血を引けば、或いは陰陽道に精通した名のある家の者であれば神輿に乗せられると思われただろう。
だから、豪族たちは天皇家などをおおいに利用した。
天皇暗殺があったのはそのため。
314 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:24:35.19 ID:qf4d0fAv0
>>313 卑弥呼が居たのは魏志を書いた陳寿によれば日本よりもずっと南の海上だ。
どうしても知りたいなら船で行って見て来いよ。
315 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:26:16.28 ID:K25sCtwY0
よく堀で釣りしたな
昔から天皇の墓じゃないか?と話しあったけど
土室小学校近くの方がそうだとか言って保存しなかったんだよな
天皇家の祖先が天照大御神だと言うのも典拠のある話(キリッ
だから皇族は太陽の子孫、ってのも間違いない!
エベンキ族のオババを彷彿とさせるわい。
318 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:28:08.62 ID:/r+HYZygO
何で喧嘩腰なんだろうな
>>316 それは神話だ。それをいうなら
「神話に於いて天皇の先祖が天照大御神であるのは典拠のある話。
だから神道において皇族は日神の子孫。間違いない。」
こう語るべし。
万葉仮名は一つの音に種類豊富。けれど決して他の音に混じらない。
音に従った書き分けが必ずされていた。万葉仮名は平仮名・片仮名の先祖。
「不」も「比」も「等」も万葉仮名として使用された文字。
なんでこんな基礎的な事も知らないんだ。義務教育の範疇だぞ。
321 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:36:48.57 ID:/r+HYZygO
その万葉仮名からのチョイスがいいんじゃないの
文字に意味が無いから「仮名」というんだ。
323 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:41:56.93 ID:Th2US0j2O
>>314 倭人伝通りのルートをたどると海の中w。
陳寿が持っていた資料が不正確だったか、里の距離が当時と今では違うのか分からないが、倭人伝を基にして邪馬台国の位置を比定できない。
邪馬台国は邪の文字があるが、これは中華思想の表れでヤマトに当てた文字との説がある。邪馬台ではなく邪馬壱国が正しいとの説があり、名前からの比定もできない。
論争が続いているが、大発見がない限り比定はできんだろうな。
>>323 >倭人伝を基にして邪馬台国の位置を比定できない
しかし邪馬台国が存在するのは「倭人条の中」だ。後世の中国の史書にあるものもこれを基にして書いている。
325 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:44:40.08 ID:/r+HYZygO
意味のない文字を組み合わせるのも
それなりに難しい
ケガレないようにしたいからな
326 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:45:45.01 ID:Th2US0j2O
>>317 古代の朝廷は今の未開地の部族の姿に似ていたんじゃないの。
>>325 鉄剣銘を見よ。磯城宮(しきのみや)というのがあるのだが、これを指して「斯鬼宮」と表記している。
この「斯鬼」は「し」と「き」を現わす仮名文字だ。文字の意味を取っては居ない。
328 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:47:27.20 ID:vwAFHbDOO
俺、高槻やから、子供の頃、今城塚で探検したり、ザリガニ釣り、空気銃撃ち合い、粗大ごみからゴルフセット持ってきて、おもいっきりフルスイングで打ちまくったり、エロ本集めて秘密基地作ったり…考えたら、本当に国賊な子供やった…ごめんなさい…
義務教育の範疇(キリッ
だそうです。
ww
330 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:51:08.84 ID:/r+HYZygO
それは族センスの時期の頃なんだよ
行間に込めた心や如何に。
332 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 18:54:53.59 ID:Th2US0j2O
>>327 古代は今の2ちゃねらーの表記のように文字の統一性に欠けたかもな。
古代文字もあったわけだし、部族によっては全く違った文化があり、文字もあったんじゃないか。
漢字を当てる時、意味も考えてあてたのは当たり前。
蘇我氏なんかそれでやられている。
中国が四夷の部族の名前を表す時もやっている。
>>330 おまえ、なんか懐かしいにおいがする。どこかで会話した事があるのかも。
>>332 古代文字 ←「竹内文書」は明治の恥部。
掘削工事でハニワとか出てくると見なかったことにして粉砕するそうだね、古墳なんて発見しても工場できなくなるだけだから。
オレの地元にも古墳のせいで止まった工事があるが、だからといって学者が研究調査してる気配はない。ぶっちゃけ古墳なんて無視して良くね?
336 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 19:08:52.41 ID:/r+HYZygO
名前だからな
全く考えなしの時期は過ぎてるだろう
もう、卑弥呼とかにカチンと来てたころだろ
337 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 19:12:36.40 ID:JPjwlkzG0
韓国や在日が資金を大学に流し込んでまで
日本の天皇が朝鮮半島から来たと
主張するのに辟易
日本人は朝鮮半島からだけじゃなく中国南方ルート
中国東方ルート
南太平洋ルート、東南アジアルート
いろいろあるのが
遺伝子解析で証明されてるのに
>>333 中国が他国に漢字を充てる時、意味も考えてあてたのは当り前
四夷の部族の名前を顕すときにやった
だから日本もそうしているはずだ
こうですな
>>335 そう言えば、ある建設会社が土地整備してて古代の遺跡らしきものを発見し、
何やら鉄剣らしきものを見つけたのだが、
「邪魔だ、こんなもん」と、
とっとと捨てちまったと言う話、昔NHKで放送してたな。
埼玉稲荷山古墳の金錯銘鉄剣並み(もしくはそれ以上)の大発見だったかもしれんね。
古代解明の遺物が人知れずたくさん廃棄されてるかもな。
いわゆる劣化模倣、事大主義とかいう感覚。
341 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 19:34:11.55 ID:Th2US0j2O
>>339 工事はストップされ発掘調査が入り、大発見だと工事が出来なくなるからな。
人知れず闇に葬られた世紀の大発見は数多あるはず。
342 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 19:36:59.93 ID:/r+HYZygO
いつも何かと戦ってるんですね
その何かとはきっと己の心だ
344 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 19:46:40.37 ID:/r+HYZygO
自己研鑽には感心しました
ま、いろいろあって天武天皇のころに半島と縁を切るまでの話
>>337 日本人もあんまり関心がないから反論しないしな。
世界史やってると分かるけど楽浪郡とか帯方郡とかは、
前漢とか後漢とかの飛び地だからなあ。
チョーセン人とは殆んど関係無いのは普通に分かるけど。
346 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 19:50:05.52 ID:SvtjuPgp0
継体天皇陵は宮内庁が管理していて
専門家でも大学教授でも発掘不可です。
自己研鑽に協力してくれる人があるのが有り難い。
書紀の内容は持統天皇までだしな。
348 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 19:50:57.86 ID:Th2US0j2O
ていうか、継体天皇とハニワに関するレスが少な過ぎる。
継体天皇の石棺は九州とか半島で出土するものと似ているんじゃなかったか。
高句麗と深い関わりがあったとも言われる。
何年か前、明治大学の公開シンポジウムで継体天皇が扱われたが、その時、韓国の考古学学者が来ていたな。
349 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 20:00:15.68 ID:Th2US0j2O
>>348だが、シンポジウムには行かなかったけど、韓国人の考古学研究者の発表があったらしいと聴いて驚いた。
越の国って、半島に近いし、文化も半島から入ってきたから不思議ではないが、継体天皇に興味を持つ韓国人研究者がいることに驚いた。
350 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 20:01:25.03 ID:/r+HYZygO
高句麗と半島と九州とか
それなりに違うような気はするけど
どうも抽象的だなぁ
高句麗も現チョーセン人とは関係ない民族だけどな。
>349
越の国って、日本海側で最も大陸と離れてるんだけど。
三韓討伐というのは場の空気を凍らすかな。
しかし、<どうして「天日槍の子孫」はこういう場所では必ず無視されるのか>
これが一番興味ある。
354 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 20:12:08.71 ID:Th2US0j2O
継体の石棺はピンク石で阿蘇山で取れたものと比定されている。
>>349 高寛敏という学者がいたがその人のことかな
継体天皇についても論文だしてる
356 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 20:19:31.24 ID:Th2US0j2O
>>352 なんか日本人と対話している感覚がしない。
越の国は渡来系の文化圏なんだけどな。
能登半島の神社をくまなく回ってみなよ。
半島系の神社が多いことに驚く。
357 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 20:24:59.88 ID:/r+HYZygO
こう何だろな
半島での勢力争いを列島で代理戦争してた
それは半島から密かに送られたスパイが朝廷に入り込み
時にはミカドの地位すら奪ったのだ!
これと言って証拠はないが
このパターン
逆はないという絶対不可逆
でも、実際は日本から半島に軍が行ってるんだけど
継体紀を読むとほとほと思う事。
「半島を統治するのは物凄く面倒くさい」。
あっちにあれを賜ったのに何故こっちにくれない、あれがあるせいで朝貢が取れないんだぞなんとかしろ
と文句が沢山、
かと思えば後ろ暗い事を考える大和の臣があれば唆しに走る。皇軍の船を遮れと言って資金を渡したりな。
そのせいで後ろ暗い事を考えた臣と皇軍が衝突、この話、確か風土記にも詳しく出ていたわ。
359 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 20:35:38.73 ID:Th2US0j2O
>>357 そういう下世話な話はノーサンキュウ。
継体の棺が九州の阿蘇山の石でできているということに興味を持っている。
磐井を滅ぼした後に何故、九州阿蘇山の石棺に眠るのか?
棺は三体あり一番古いの継体の棺と比定されている。
この比定で、越式でない埋葬法をとったのは越出身者ではないという話まで出ている。
比定が間違っているのかもしれない。
360 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 20:43:41.51 ID:/r+HYZygO
じゃあ、最初の能登半島巡りの話はなんだったの?
継体と磐井の君が擦り替わったとか?
勿体ぶらないで教えてくださいよ
白村江で日本は唐・新羅と戦ったわけだが敗退、百済滅亡、日本は半島から撤退。
その後唐・新羅は高句麗を滅ぼす。唐が一旦滅んで周になり、その周はすぐに滅んで唐に戻る。
ややこしいな。
そういえば倭人条というのは東夷伝の一つであって、東夷伝は大方半島の事が書いてあったはず。
渡来系の文化圏
帰化系の文化圏のこと?
半島系神社とは何ぞ。天日槍とかツヌガアラシトでも祀ってるのか。
磐井を滅ぼす←新羅から資金調達した磐井の毛野臣に対するボイコット運動を鎮圧した
何故九州阿蘇山の石棺が使えるのか?←鎮圧したからじゃね?
でも継体天皇の棺に関しては何も知らんのであしからず。(つまり阿蘇山のものが使われているのかどうか知らない)
364 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 21:23:03.13 ID:Th2US0j2O
>>360 悪いんだけど、今比定されている阿蘇石の棺は継体の棺ではないのかもしれない。
越の人なら越や半島式の棺に眠ると考える。
あるいは継体とされる人は別王朝の人で、継体とされているにすぎない。
九州説、高句麗説は巷間言われていることを書いただけ。
謎の大王とされているのは創作の大王か、別王朝の人だったからかもしれない。
>356
なぜ地理的な距離を言っただけで日本人じゃないみたいな言い方をされにゃならんのだw
544年から佐渡島は、今のウラジオストックあたりのツングース系民族粛慎(高句麗じゃない)との交流があり、
573-574年には高麗の船が難破して多数の高句麗人が住み着いたと日本書紀に書かれてるみたいだけど。
継体天皇は5世紀後半から6世紀初頭の人間。
はに丸なんてもはや過去の遺物だろ。
何回かパンチラがあったことも誰もしらないし。
367 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2011/05/30(月) 22:45:18.72 ID:QNyXFB/80
>>235,
>>237 本名かどうかは知らんが、全国の建部(たけべ,たけるべ)さんの分布を
プロットすると、みごとにタマトタケルが進軍した進路にそって、
常陸から薩摩まで分布してるらしい。ようするに、「建部」ってのは
地方派遣軍のことで、その業績を一人の人格にひっくるめたと。
それはさておき、南九州では戦後まで
クマソタケルは良か男♪
てな俗謡が残っていて、酒席で謡われていたらしい。
中央に対する抜きがたい敵愾心というのもあるんだろうが、
クマソタケルの、女装変態野郎にだまし討ちされても、「おまえ強いなあ」と
褒める潔さは、強烈に魅力的だと思う。
368 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 22:48:46.04 ID:5oGwNEnb0
四道将軍ですね
369 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 22:56:41.56 ID:EjJAKwLW0
とりあえず三世紀ごろの天皇が誰で邪馬台国との関係を説明しろよ。
崇神天皇の在位が?〜258もしくは318でそれより前の欠史八代と神武天皇の在位期間が全く不明なんだよな。
皇紀を採用すれば八百年の間9人の天皇が在位してたことになるがなwww
卑弥呼を天照大神だという説ってあるのかね?
>>59 欠史八代の天皇って、没年齢があからさまにおかしいよね
捏造で水増しするなら、15代とか16代水増しした方が自然
やっぱ8人いたけど資料なくなって詳しくわかんなくなっちゃった、てのが
論理的な推論だと思うが
>>93 あ、それ決定的資料だよね
>>367 「部」って「村」とか「○○を作る処」とかそういうものだと思うんだけど。
関係ないが、少子部のスガルって面白いよな。
372 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2011/05/30(月) 23:22:20.87 ID:QNyXFB/80
>>371 ぶっちゃけ職能集団だよね。土師部みたいに物を作るのもいれば、
建部や語り部みたいのもいる。それがだんだん氏族化した結果が、
苗字の「建部さん」なわけで、
>「村」とか「○○を作る処」とかそういうもの
という理解は、それはそれで正しいのだ。
>>370 そう。欠史だからといって架空だろうとか、私はバカですって言ってるようなもんだろう。
8代が最初からでっち上げなら、適当に話も作ればいい。
辛酉革命に年数を合わせる為に作ったのなら、もっとそれらしい在位年数のを幾つでも作ればいい。
古代だからと言って知能が足りなかったわけじゃない。
おそらく系図はよほどの事が無い限りいじっていない。
手に入る最大限の資料で書いたと見るべきだろう。それが正しいかどうかは別として。
374 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 23:29:08.47 ID:ubsBbVW30
>>311 言いたいことは判るが、でも少しは考えたと思うよ。
卑弥呼なんて普通つかわないしね。倭人を馬鹿にして
あえてそういう文字表記にしたんだろうね。
っていうか藤原の不比等の時代は普通に漢文使えるように
なってるとおもう。漢字の意味もわかるし、そもそも藤原って
万葉かなじゃないよ。
そういう観点から不比等は意味があってつけたとおもうなぁ。
>>374 不比等が、並ぶもの居ないと言った意味を持たせられてるのは当然だと思うけど、
なんでそれにケチつける奴がいるのか、理解不能w
当代一の大実力者の表記に付けたんだから、当たり前だと思うよ。
なんでそんな昔に携帯天皇がいるんだ?
377 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 23:37:10.39 ID:7M1S6jCo0
携帯天皇の一代前に歩卦邊留天皇がいたことはあまり知られていない。
378 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 23:40:44.46 ID:9l77Im4S0
>>373 いいや、適当な物語、歴史書ではだめ。
皇室の権威を高めるためには、他の王朝の業績を自らの王朝の業績にする必要性はあった。
外国との付き合いもあったのだから。
>>378 意味不明。
記紀の記述が全部、外国の王朝のものとか言いたいわけ?
全く意味不明w
記紀のって、大部分が固有の話ではないの?
勿論、中国や朝鮮の史書からの引用は別として。
>>370,
>>373 わかんなくなっちゃったからと言って、
>>50が指摘するように
「ハツクニシラススメラミコト」が二人いるってのは、ちと
投げやりすぎな気がするぞw
だいたい、間の6人(綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化)の扱いが
適当すぎる。
しかし日本建命ってどんな英雄だろうと思ったら、
宴席で騙まし討ちとか女装とか、やることが女々しかった。
あやうくアンチ大和、反日になりかけるところだった。
天孫降臨から九代目までは神話と考えるのが自然だな。
俺は崇神天皇が初代天皇だと思う。古事記の伝承を史実と考える学者もいるが証明が困難だからな。ないものと考えるのが自然。
383 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 23:45:27.63 ID:KB7tTMpi0
江戸時代、尾張とか水戸にも徳川の血統があって、江戸の将軍家の血筋が
絶えたときに尾張から吉宗がやってきたということもあった。
明日、見に行こうかしら。
385 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 23:52:11.73 ID:7M1S6jCo0
>>380 それは、読み方の問題もあるんじゃない?
そもそも本名じゃないし。
初めて天下を御す、というのと、最初の国(あるいは新しい国を)を知らす、ってのは違うんじゃない?
漢字が違うしね。
四道将軍を送って領土を広げたのは崇神だし、おかしくはないと思う。
388 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 23:54:29.89 ID:ubsBbVW30
>>376 つ「オーパーツ」 のび太が犯人。
>>381 日本の伝統としてそういうのが英雄像なんじゃないかな。
源義経だって「将を射んとすればまず馬を射よ」とか
ヤアヤアワレこそはとか言ってる最中にバンバン弓撃って
殺したりとかした人だぜ。
織田信長に至っては鉄砲だもんなぁ。卑怯結構、こけこっこ。
勝てば官軍ってのが日本の兵法だとおもう。
>>372 いや、作るよう詔するんだ。それで部が作られる。
390 :
名無しさん@12周年:2011/05/30(月) 23:56:58.26 ID:m67eFJ/10
吉宗って紀州ですよね。
尾張藩って、将軍だしたこと無かったと思うけど、釣り?
>>388 というか、古代や中世では、陰謀で勝つってのは別に悪い事じゃないんじゃないのかねえ、意識の上で。
飲ませて襲うとか神話からあるしw
江戸以降の日本人が綺麗にしすぎただけでは。
392 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 00:00:28.00 ID:dpC3URFn0
>>386 お前が言う事は全て欠史八代がいる事の証明にはなってないんだよ。
伝承が史実だと言う証明すらないからな。海外の史書との比較も出来てないし、物証もない。
俺も崇神より前に大王がいたとは思うし史実の核になりうる伝承もあるかもしれんがあくまで可能性に過ぎないからな。
古事記に記されてるような系統だった天皇が存在したとは到底思えん。
>>381 倭建命の凄いところは、相手の意を察する能力の高さ。
ただし伊吹山の神に対してはこれを間違えて言挙げしてしまった。
>>392 海外に史書との比較って何?
ハッキリ言って、中国の史書で日本の天皇の存在が確認(というのか)が出来るのは、
奈良時代以降だぞ。新唐書以降。
それ以前に書かれたモノでは全く異なっている。
応神や崇神がなんで存在してたって証明出来るんだよ。バカじゃないの。
そんな天皇あるいは大王など、外国のどの史書にも書いていない。
8代の場合、ただ単に話が書いてないから架空だろうという論理がおかしいと言ってるだけ。
系統の重要性を考えれば、他の天皇と同等の確率で存在しただろうってこと。
まとまって抜けてるんだから、書物が紛失したんじゃないの?w
>>374 漢文を使えないから仮名文字を使うんじゃない。
漢字を使えるから仮名文字を作ったんだよ。
何のために?大和言葉を表記するために。不も比も等も万葉仮名(調べてみりゃわかる)。
藤原不比等は田辺史大隅に養育されて、名前の「ふひと」はこれに由来。藤原史とも記す。
>>375 万葉仮名の文字には象形文字が持つ意味は無く音の表記だから。
>>381 イズモタケル征伐のときには、木製の刀を持って行って
「互いの刀を取り替えて決闘しよう」だもんな。
絵に描いたような卑怯っぷりだw
>>388,
>>391,
>>393 ヤマトタケルの悲惨な末路は、記紀編纂時の書き手が持っていた倫理観と、
口承神話が成立した時代の倫理観との乖離が反映されたものだ、
と言っている人もいるよね(林道義「日本神話の英雄たち」文春新書)。
>>395 あのねえ、そういう当たり前の事を言って何になるわけ?
万葉仮名は一音一語しか無かったのか?
いくらでもあったぞ。
その中で不比等という、意味を考えないではいられない字を選んだの。
恣意があったに決まってるでしょ。
398 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 00:15:58.81 ID:dpC3URFn0
>>394 つまり君はおとぎ話を事実だと信じてるわけねwwww
実証できなければ無いに等しいだろwww
>>398 おとぎ話って何の事?
8代以外の天皇に付けられた説話の事?w
それを信じてるのは君じゃないの?
>>390 吊りかケアレスミスなのかは分からんがw
主旨としては、徳川将軍宗家の血筋が絶えた後、紀州から家康の曾孫である吉宗が
抜擢されて将軍になったんだから、継体天皇が応神五世孫ってのも、十分ありうるって
ことじゃないのかな ?
401 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 00:19:01.44 ID:rKADZeHE0
日本の史書に書かれてるなら普通にいるわな
402 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 00:23:01.45 ID:08mPr9qV0
世襲とかどうでもいいんだよ
どこに都があったのか知りたい。ワカタケルは雄略天皇飛鳥だろ
なんだか語りたくなったので自己レスするが、
>>396の倫理観の揺らぎってのは、現代でも起こっている気がする。
仮面ライダーまでのテレビのヒーローは孤独だったが、戦隊ヒーローは
1人の敵を複数でなぶり殺すのだ。これが学校での集団イジメを助長したと
主張する評論家も居るが、あながち間違いじゃないと思う。
>>369 ワカタケルは同定されてたよな。
誰だっけ?
>>396 酷い事を言う。
征西を負え帝の下に戻ると、間をおかず東征に行くよう重ねて宣られたときに
即時従って赴くものの、叔母のところに立ち寄って、
天皇が自分に対して「既に死ねと思ほしめす」と泣いてるんだぞ。幾ばくも休息を取らせないのはそのためだと言って。
伊吹山のことは東征の最後の事、末路が悲惨なのではなくて東征に行くことが悲惨だったんだよ。
>>397 万葉仮名の性質を考えれば、文字に意味を考える意味が無いのに、
意味を考えて恣意があったと結論付ける。恣意の自家発電と名付けよう。
故郷を慕わしく思って亡くなるときは悲惨じゃなくてむしろ解放されたような心地に聞こえる。
和歌の心がとても穏やか。
>>405 いわゆる超常現象的な因果応報ではない、という意味では「酷い事」かも知れんよな。
>>396で挙げた文献の著者は、記紀の書き手の(というか書かれた時代の)
倫理観から見た、ヤマトタケルの侵略方法の不正義さのへのバランス感覚の
表れだと考えているらしい。口承神話が成立した時期には拍手喝采される
爽快なストーリーだったが、記紀編纂時には「ちょっとこれは卑怯じゃね?」に
意識が変化していた。そこで後半生を悲劇の主人公にしてバランスをとったと。
409 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 00:48:09.38 ID:T4evr+MX0
>>395 うーんと万葉仮名は漢文が書けない日本人が
音だけかりて書いた文字です…。なので漢文が
書けるようになってからは公用文では殆ど使われなくなります。
意外とみんな知らないみたいですね。日本の文字文化の歴史。
万葉かなは最初期の様式です。でも藤原の不比等の時代は
もう本漢文の時代。文字の意味をふまえて適切な音を当てたのでしょうね。
2ちゃんねら的には雄略天皇がヒーローでは。
処女の童女君(名前からしてそれっぽい)と一晩に8回。
>>408 書紀の方は豪胆痛快な英雄譚になっているよ。
古事記の方は心に受けた通りに動く真っ直ぐの人で、それがために傷ついたり故郷を思ったり
する感受性の強烈に強い人として描かれているよ。
記紀の書き手と言うが、筆記した人間、口述した人間は紀と記で違うし
趣きも全然違う。
倫理観云々は、その文献の著者の感性が反映されているだけなんじゃないか。
>>409 安麻呂が可哀想。何で苦労したと思ってるんだろう。
ハングルの如くに仮名文字だけを連ねた文章に慣れていたのなら
そもそもあの種の苦労はせずに済んだろう物を。
413 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 01:19:16.06 ID:T4evr+MX0
>>412 ???
万葉仮名はもともとそういうものですよ。ハングルのごとく表音文字的な
使い方をしてます。万葉仮名は仮名文字だけを連ねた文章で、漢文様式
ではありません。
>>411 記と紀のニュアンスの違いは結構あるよね。
有名なのはスサノオとアマテラスとの誓約(うけい)の勝ち負けの記述。
記ではぼかして、紀の本文に採用されたものではアマテラス、他の3書では
スサノオになっている。これも書き手集団の中の意見の別れを反映しているらしい。
元ネタになっている口承と、それを史書に文字化する際の取捨選択のフィルターとを
同時に推定するのは式の数が足りない方程式を解くようなものだけど、
それはそれで説得力があるかなと。
てなことを書いてて思い出した。
かなり時代が遡るが縄文時代の人骨の傷を研究している人がいて、
動物の爪や牙以外の、人間同士の争いでついた傷は、圧倒的に背後からが
多いらしい。後方斜め上からの傷(つまり、木の上とかに潜んでいて、
通り過ぎたところを狙った傷)もけっこう多い。
なんつーか、別に日本人に限ったことじゃないと思うけど、
武士道とか「正々堂々」とかってのは中世から近世にかけての、
けっこう新しい風習なんだろなと。
>>413 漢文で表記することではなく
万葉仮名だけで表記することに「大勢が慣れて」いたのなら
安麻呂は何も苦労をせずに済んだ。
朝鮮でハングルが出来たのは14世紀だろう?それまでどうしていた?
漢文を使用していたろう。ハングルを作っても長らく放置していたな。
逆なんだよ。君の言ってる事。
>>414 書き手集団の意見であるという推測ね。
つまりどうしても口承伝承をそのまま採録しようと努力したとは
見たくないって話だな。
武士道の正々堂々。巻き上げって知ってるか?
覚悟を持った相手に全力でぶつかるってのが武道における礼儀だよ。
417 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 01:36:57.59 ID:T4evr+MX0
>>415 ええと、どういうことですか?
奈良時代には朝鮮はすでに日本とは関係ないと思うのですけれど…。
まして14世紀となれば、もう完全に…。
ともかく、日本で古い文献は、基本的に万葉仮名ですね。
基本的な流れとして、万葉かな(変体漢文)→正漢文って流れがまずあるんです。
その中で徐々に日本語を日本語として記録する必要がでてきて、
かなやカタカナがうまれ、現在の仮名交じり文に発展したと私は
学校で習いました。
朝鮮半島の文字事情はしりませんが、日本でもベトナムでもまず、
漢字の音を借りて自国の言葉を表記し、その後、正漢文に表記
するようになり、やがて自国独自の文字としていった、と認識してます。
漢文は外国語です。それを日本人が使いこなすには時間が掛かります。
なので最初の漢字は万葉かなとして使われたんです。なんか勘違いしてませんか?
>>417 「基本的に万葉仮名」の文献なんてほとんどないじゃん。
万葉仮名と変体漢文なんて全然別物じゃん。
最初の漢字は中国語として認識されたに決まってるじゃん。
>>418 それはそうですね。もともと中国語なんですから。
それを日本語で使えるようにする過程で、まず万葉仮名が導入され、
そして正漢文書き下しが採用され、やがて仮名文字が採用され、
仮名交じり文になった、ということです。
昔の日本人は中国語を日本語として読み下すというとんでもない
アクロバティックを試み、それを成功しちゃったんですね。
その前段階に万葉仮名は存在すると私は考えてます。
中国語→音を借りる→正漢文を日本語として読み下す→やがて独自の文字へ
日本語は日本人の凝り性が表れてて好きだなぁ
ひとつの字に二種類の読み、意味と用途、多角的でおおらかで美しい
話を元に戻すと、藤原不比等の「不比等」は万葉かな遣いで
意味のない文字の羅列ではないか、とのことでしたね。
まぁそうかもしれません。
ですが、この時代、すでに文字の意味がはっきりとわかってました。
文字の意味を全く知らずに音だけ借りた、とは考えません。そもそも
「藤原」は既に万葉仮名ではありません。思い切り日本語読みですよね。
不比等が万葉仮名であるのならば、藤原も万葉仮名でなければ不自然です。
>>417 古い文献とは古事記、風土記、日本書紀、懐風藻、万葉集。
古事記、万葉集の表記法が万葉仮名と呼ばれる特有のものであり、これは本来外国語である
漢字を用いて日本語を表記しようと苦心の結果考案した方法である。
そちらのいう「古い文献」って何だ?古事記のことか?木簡のことか?
それとも天皇紀・国記のことか。是非見せて貰い物だ。
平仮名片仮名が生まれたのは日本語を日本語として記録出来るようになった後の話。
朝鮮の話を出したのは「漢字・漢文の受容のされ方、自国の文字の発生の仕方の例」として分かり安かろうと思ったからだよ。
14世紀は遅すぎだろうなぁ。
423 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 01:57:35.47 ID:MGESYstX0
>>419 >昔の日本人は中国語を日本語として読み下すというとんでもない
>アクロバティックを試み、それを成功しちゃったんですね。
>その前段階に万葉仮名は存在すると私は考えてます。
訓(外国語に対する翻訳)が着く方が先だよ。ヤマトが「倭」表記なのもそのせい。
そもそも「読み習う」ことから入ったのが日本における文字文化だ。
千字文の受容、仏教の受容、だから文章は漢文の方が慣れている。
しかし漢文だと大和言葉の表記が出来ない。祝詞は大事な祭りごとの一つだった。
口承文学から記載文学に移ると、自分たちが日常使うことにも記録を取るようになる。
それで漢字に訓(翻訳)を付けるだけでは足りず、仮名文字が必要になるって流れ。
>>419 万葉仮名を使い始めるより前に、
漢文そのものを書き始めるに決まってるじゃん。
アメ公の漢字の使い方見ればわかるじゃん。
音訳なんてしないぞ。意訳から始まる。
「正漢文書き下し」が何のこと言ってるのかわからない。
>>421 「不比等」は万葉仮名だし、「藤原」は正訓。
意味があろうとなかろうと万葉仮名は万葉仮名。
426 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 02:39:38.21 ID:T4evr+MX0
>>423 それは単純に中国で倭国って読んでたからでしょ。そのまま
採用して倭(ヤマト)
>>422 朝鮮の話なんかだされても、普通判りません。
日本語として漢字が最初にどのようにつかれたか、となれば
万葉仮名→正漢文→かな交じり文
の大きな流れはゆるぎません。いきなり正漢文が書かれた訳では
ありません。墨書土器にしても木簡にしても鉄剣にしても古いもの
は基本的に万葉仮名でしょう。それから漢字の意味を知り、正漢文
を書けるようになり、やがて日本独自の文字文化へと繋がっていくの
です。
427 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 02:45:12.34 ID:08mPr9qV0
>雄略天皇がヒーローでは。
>処女の童女君(名前からしてそれっぽい)と一晩に8回。
知らなかった、英雄 色を好むだね。
>>426 >それは単純に中国で倭国って読んでたからでしょ。そのまま
>採用して倭(ヤマト)
それが訓をつけるということ。翻訳。
>書土器にしても木簡にしても鉄剣にしても古いもの
>は基本的に万葉仮名でしょう。それから漢字の意味を知り
鉄剣の「文章」を読んでみろ。
今城塚古墳よりも宮内庁指定の継体天皇陵のほうが大きいのだけれど、今城塚古墳が
本当の継体天皇陵だとすれば、宮内庁指定の継体天皇陵は誰のお墓なんだろう。
430 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 10:49:26.92 ID:PD8Z6xOkO
最初に日本語(大和言葉)はあったが、それを表現する文字が無かった。
中国から漢字(漢文)が入ってきたが、最初は留学生しか知らなかったはずだ。
国内の文献を留学生しか知らない言葉(漢文)で表現してもしょうがないから、
最初は日本語(大和言葉)を漢字(万葉仮名)で表現しようとしただろう。
仮名だけなら誰でも簡単にマスターできる。
その内、漢字の意味(中国語)も普及し、漢字仮名交じり文が生まれる。
万葉仮名のままでは見た目が漢字漢字交じり文になって分かりにくいので、
漢字ではない仮名を作り、今のような漢字仮名交じり文に発展する。
歴史なんか習ってないけど、簡単に推理できる事だろ。
漢字は稲作がと一緒に入ってきたと思うがな。
稲は長江沿いのものとDNAが一致する事と、倭は会稽あたり、つまり呉あたりと
交流があったと漢書だったか後漢書だったかに記録されてる。
ちなみに、日本に水稲が入ってきた時期と、呉の滅亡がほぼ同じなんだよね。
ま、もっとも、始皇帝が篆書体にまとめる以前だから、ずいぶん形状が違うけど。
>>430 >国内の文献を留学生しか知らない言葉(漢文)で表現してもしょうがないから、
口で話す(口承文学)
434 :
名無しさん@12周年:2011/05/31(火) 17:32:50.24 ID:EdlRzEO1O
>>432 卑弥呼が呉の末裔らしい。
日本人のルーツとは言いきれないが、一つの大きな流れでしょう。
>仮名だけなら誰でも簡単にマスターできる。
そうなのか?
俺、万葉仮名なんて読めないぜw