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>>1のつづき)
関西財界人との会合について、関電首脳は「清水社長に会っていない」と否定し、他の主要関西企業トップも
清水社長との懇談を否定している。清水社長の平城宮跡視察についても、東電広報部は「公表できない」と
しか答えていない。
大震災後、清水社長は奈良から愛知県に移動したとされるが、奈良からいったんタクシーで神戸空港(神戸市)に
向かったとの情報もある。その後、航空自衛隊小牧基地から輸送機で東京都千代田区の本店に戻ろうとしたが、
輸送機が途中で引き返したため帰京できず、翌12日午前に民間ヘリで東京に戻った。
震災発生時、勝俣恒久会長も中国出張で東京を不在にしていた。
この間、東京電力福島第1原発は冷却装置が機能せずに炉心溶融(メルトダウン)が進み、チェルノブイリと並ぶ
最悪の原発事故に発展した。
(おわり)