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>>5のつづき)
1m離れていれば、放射線量がまったく違うような現場です。自分たちがどれほどの放射線を浴びているのか
分からず、私たちは不安にかられながら作業を続けていました。しかもAPDは設定された放射線量を
超えると警報が鳴る仕組みになっているのですが、その設定値が通常なら0・03ミリシーベルトなのに、
今回は2.5ミリシーベルトだったんです。明らかにおかしい。
1日目の作業を終え、私たちは免震棟で支給された弁当を食べましたが、気が気ではありません。『東電は、
俺たちの被曝量をごまかしているんじゃないか』『本当は測定できないほど大量の放射線が出ているのかもしれない』。
作業員はみな不安を口にし、表情は曇っていました」
作業を終えたA氏らは、夕方、バスでJヴィレッジに戻る。そして周囲の温泉旅館などに分かれ、
大部屋で数人ごとに宿泊。翌日は早朝5時に出発し、前日同様午前中に20~30分ほど作業に当たった。
「仕事は2日間の予定でしたが、結局3月27日まで福島第一原発にいました。東電の社員も現場にいましたが
作業員任せで特に指示はありません。
私たち作業員の詰め所になっていた免震棟にはテレビがあり、枝野幸男官房長官が
『原発は安全だ』と繰り返しているのを聞きましたが、『何を言っているんだ』という気分でしたね。
原発内の凄まじい現状を知らないのに、よく安易に『安全だ』なんて言えるものだと。
免震棟には500人ほどの作業員がいましたが、過酷な労働環境と被曝への不安から、みんな
疲弊していました。廊下にも人が溢れ、作業を終えるとJ ヴィレッジへのバスを待つ数時間、
疲れた顔をして無言で座っているんです。一部では『震災後の作業員は日当40万円で雇われている』
という報道がありましたが、私の知る限りそんな契約で来た人はいません。私の日当は1万5000円
ほどですが、元請け先からは『いつもと変わらないように請求してください』と言われています」
A氏は「要請されれば、また福島第一原発に戻ります。私たちの他に誰もやる人はいませんから」と
力強く語った。(以上、抜粋。ソースはかなりの長文です)