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>>7のつづき)
「雪かなと思いましたが、よく見ると灰なんです。2号機からは絶えず白煙が上がっていたので、
中で何かが燃え続けていたのでしょう。雪と勘違いしたのは、放射線量の強烈に高い2号機からの
粉塵だったのかもしれません。まさに死の灰≠ナす。もしマスクをしないで作業をしていたら・・・
考えただけで、背筋が寒くなります」
高濃度の放射線の中では、長時間の作業はできない。A氏たちは20~30分ほどで仕事を切り上げ
「免震棟」と呼ばれる、敷地内の建物へ、昼前に引き上げた。建物の中に入り防護服を脱ぐと、
一人ひとりの作業中の被曝量を計測するのだが、A氏はそこで自分が大量の放射線を浴びて
いたことを知る。
「私の防護服は、首回りの部分が完全には閉まらない状態でした。他の作業員はテープを
巻いていましたが、私はそうした補強もしなかったんです。それがいけなかったのでしょう。
免震棟に戻り放射線量をチェックした保護官が、計測器に表示された数値を見て慌てて
叫ぶんです。『アルコールで湿らせたタオルで、すぐに首を拭いてください!』
私は『被曝してしまったのか』とパニック状態になり、その特別なタオルでごしごしと首を
拭きました。直後に保護官が計測し直すと、どうやら問題なかったようで『数値は下がりました』と
ホッとしていましたが、私は安心できるはずがありません。身体が汚染されてしまったのでは
ないかと、今でも不安でならないのです」
A氏の知り合いの作業員の中には、3号機のタービン建屋近くのマンホールを開けるために、
4ミリシーベルトの放射線を浴びた人がいる。わずか4分ほどの作業だったという。A氏が昨年1年間で
浴びた放射線量は、約0・03ミリシーベルト。この作業員の4ミリシーベルトという被曝量は、昨年150日
ほど働いたA氏の1日あたりの被曝量、いわば通常の被曝量の1万倍以上になるのだ。
それほど危険な状況での作業にもかかわらず、東電の対応は、かなりズサンなものだった。
「普段は、『APD』と呼ばれる警報付き放射線測量計の携帯が全員に義務づけられているのですが、
今回は違いました。何と、10人に1人しかAPD を渡されないんです。担当者は『数が足りない』の一点張り。
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>>8-20につづく)