【時系列】
11日の14時・・・大地震発生。原発から半径3キロに避難命令。社長の清水正孝は関西にいて帰京せず。
会長の勝俣恒久も毎日新聞などを連れて北京にいて帰国せず。会長・社長抜きの東電対策本部が発足。
12日・・・菅が原発を上空視察。1号機で水素爆発。社長の清水がやっと大阪から東京に帰る。 会長の勝俣は上海と南京を外遊、その後やっと帰国の途に。
13日・・・社長の清水がやっと夜になって記者会見(会見理由は14日から計画停電を行うと発表するため)。
14日・・・3号機でも水素爆発。東電が現場から社員の撤退を主張して菅に怒鳴られる。
15日・・・4号機で爆発。2号機も爆発。 政府と東電の統合本部が設置され社長の清水は副本部長に就く。
16日・・・4号機・3号機が再出火。社長の清水が「過労」といって(入院せずに)警護を固めたホテルに引き篭もり(引き篭もりは21日まで続く)
◎清水正孝の自宅の億ション
http://www.31sumai.com/mfr/A7014?banner_id=g401&cid=listing 17日以降、自衛隊ヘリコプターによる水の投下、警察の高圧放水車の放水などが始まる。
22日・・・この日より社長の清水が統合本部に「ときたま」(東電社員の話)顔を出すようになる。 しかし清水の動静は社員でもよく分からない状態が続く。
同日、副社長の藤本孝が会見で役員報酬を2割以上カットすると示唆(全額返上でないのに注意!)。
同日、福島の佐藤知事が社長の清水の面会申し込み(原発再稼動が狙い)を拒否。
28日・・・米・ワシントンポストが「国難の時に雲隠れする社長」という特集記事で社長の清水の異常な人間性を痛烈に批判。
http://www.washingtonpost.com/world/vanishing-act-by-japanese-executive-during-nuclear-crisis-raises-questions/2011/03/28/AFDnHNpB_story.html?hpid=z3 29日・・・夜に社長の清水が「めまいがする」と自己申告し入院(会長の勝俣によると軽い病気)。 30日に社長の清水が記者会見することになっていたため。
30日・・・午後に東電会長の勝俣が初めて記者会見。用意してきたメモを棒読みする。
【人間性の比較】
59歳の定年間際の東電社員、志願して福島原発へ現場作業に。
コストカッターで名を売った66歳の社長の清水は現実逃避を繰り返しベッドの中。