【東日本大震災】 生まれる、新しい命…「多くの人につないでもらったことがわかる名前にしたい」

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1☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★
・疲労の色が隠せない患者やその家族であふれかえる病院内。ただ、院内のある一角だけは、
 未来を感じさせる笑顔もみられた。同病院の産婦人科部門だ。

 地震により分娩室が危険な状態となったため、震災後は別の診療科の診察室に分娩台を
 持ち込み、分娩室代わりに使用している。病室も使えず、出産後の母親は、廊下に敷かれた
 マットで体を休めている。それでも新生児たちは、母親の腕の中に抱かれ、ある子は大きな
 鳴き声をあげ、ある子は安心した様子で眠りについていた。

 「こんな日に生まれてくるとは思わなかった」と話すのは、地震翌日の12日に出産した
 釜石市大只越の土橋寛子さん(29)。地震で被災した自宅から近くの寺院に避難、日付が
 12日に変わるころ、陣痛が始まったという。「どうなるんだろう」と思っていると、すぐに市役所の
 職員が救急車のある場所に案内、同病院に搬送された。
 午前8時58分、無事3314グラムの元気な女児が生まれてきた。名前はまだ決まっていないが
 「多くの人につないでもらい、生まれた命であることが分かるような名前にしたい」という。

 東京都品川区の大谷小織さん(31)は、里帰り出産のため実家のある大槌町に戻っている
 最中に被災。翌12日夜に実家前の山から火の手があがり、逃げようと相談していたところで
 陣痛が始まった。
 弟が運転する車に乗り込み、別の患者を搬送する救急車の後ろに必死でついていった。
 釜石市までのルートは何カ所も通行止めに。それでも何とか病院にたどりつき、女児を出産した。
 今回の地震では、大谷さんのいとことその子供4人、さらに祖母が津波に飲み込まれ命を失った。
 「そんななか、この子が生まれたことを、みんなが喜んでいてくれた」と、優しい笑顔でわが子を見つめる。

 一方、地震前に出産し、その後家族と連絡の取れない人たちもいる。川崎知恵さん(27)は
 9日に男児、紫久伶(しぐれ)くんを出産。地震発生後、夫と連絡が取れなくなった。それでも、
 「まずは、地震でなくなったミルクやおむつ、子供服を何とかしないと」と。川崎さん。「夫は生きていると
 思っている。そう思わないと」と力強く話した。(抜粋)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110314/bdy11031414250002-n1.htm