【社会】琵琶湖の湖底遺跡の調査やゴミ清掃ができるすごいやつ…水中ロボ開発中

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1 ◆SCHearTCPU @胸のときめきφ ★
琵琶湖の湖底遺跡の調査やゴミ清掃に役立てようと、立命館大学が水中ロボットの製作を
進めている。愛称は「Coco(湖虎〈ここ〉)」。同大理工学部の川村貞夫教授らが
2007年から開発を始めたもので、湖底で泥や廃棄タイヤなどを取ることができる。

全長70センチの円筒形の本体に長さ60センチのアームが2本あり、2本の「指」で
物をつかむ。本体上部には水中カメラがあり、ケーブルを通じて送られる映像を見ながら
操作する。総重量は58キロと小型船でも運べる。従来のロボットは水中で不安定だったが、
浮きを付けたことで、姿勢を一定に保てるようになった。

琵琶湖には100以上の湖底遺跡があるといわれ、「Coco」による謎の解明が
期待されている。川村教授は「将来は海洋の環境調査や資源の開発にも役立てれば」
と話している。

*+*+ asahi.com 2011/02/09[23:46:23] +*+*
http://www.asahi.com/science/update/0209/OSK201102090137.html
2名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:47:53 ID:JzEd2ScT0
Coco一番屋なのかCoco山岡なのか、

それが問題だ。
3名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:48:25 ID:B+yBN/OP0
      琵琶湖
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

        田んぼ
┌───┐
│平和堂│
└───┘
=====[  駅  ]====
4名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:49:03 ID:oqvUlQ640
3ゲットロボを思い出した
5名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:50:12 ID:lYIVh4vi0
ビワッシー発見あるで
6名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:51:17 ID:cuqh+qC60
琵琶湖の遺跡ってなに?始めて聞いたけど
7名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:51:26 ID:Py8K0guw0
これはsek漬けに立てて欲しかったかも
8名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:52:08 ID:48qQh/z00
ビッシーに食われるぞ
9名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:53:34 ID:yWc5Mp5z0
古田に金刃
10名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:54:36 ID:0D7qS/eEO
琵琶湖の湖底を行進する落ち武者にげてー
11名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:54:36 ID:ChstaWK3P
琵琶湖湖底遺跡は石器時代から江戸時代まで
http://www.eonet.ne.jp/~biwako/
12名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:54:42 ID:4B8kMhEY0
  ⊂ヽ
    ||
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ~~ ~  ~~ ~~ ~
13こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/09(水) 23:54:57 ID:RifcLj1V0
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/                ┃           /ヘ    /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/                ┃    「対海国」 ▲/  /
〜 ヘ/      ★末盧国            ┃          ∠ノ  / ニイガタ
/ヘ~                        ┃              /
                             ┃ 「一大国」      /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ  /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山   ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国        ┃      | |__/
       ヽ,   水行 ヽ,ヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /             ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ               ┃ ↓ /
    /        ノ              ┃ ↓|フクイ
   丿      ノ ^’              ┗━━━━━━━━━━━
  |_ 水行↓,/
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |    \                    末盧国・・・敦賀市
 /  >   天 \                    伊都国・・・旧伊香郡高月町
/  /     安 \                   奴国  ・・・長浜市
\ |        川                  不弥国・・・米原市
  ∨                ☆呼邑国     投馬国・・・野洲市・守山市
                          
      邪馬台国 ★ 天             邪馬台国・・・旧信楽町
                 岩 ☆為吾国    
             戸            呼邑国・・・甲賀市
                           為吾国・・・伊賀市
              ☆巴利国           巴利国・・・名張市
      ☆烏奴国                   烏奴国・・・宇陀市
  ☆奴国                         奴国 ・・・奈良盆地
14名無しさん@十一周年:2011/02/09(水) 23:55:27 ID:SbN1+LJf0
15こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/09(水) 23:57:19 ID:RifcLj1V0
帯方郡より倭国に至るには、
船で朝鮮半島を経て7000余里で狗邪韓国に到着する。
そこから海を1000余里渡り、対海国に着く。
瀚海と呼ばれる海を南に1000余里渡ると一大国に至る。
また海を1000余里渡ると末廬国に至る。
東南へ500里陸行すると伊都国に到着する。
東南へ100里進むと奴国に至る。
東へ100里行くと不弥国に至る。
南へ水行20日で投馬国に至る。
南へ水行10日、陸行1月で、女王の都のある邪馬台国に至る。


http://www.youtube.com/watch?v=zKD9WWFkQWU
考えるの面倒な人は動画でどうぞ
16名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:03:31 ID:HhSWpcvgP
昔、大津びわ湖ってDJいなかった?
17名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:06:54 ID:Ks8QS8i+0
猪苗代湖の調査しろよとんでもないものが出てくるはずだ
18名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:07:13 ID:n/5ctQ4UO
琵琶湖に海底遺跡なんてあったんだ?
初耳ざます
19名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:07:43 ID:tUdfdPMY0
湖底にゼロ戦と隼がそれぞれ沈んでいますので、よろしく
20名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:08:46 ID:RwAfH/5T0
21名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:09:53 ID:9QmFoGMC0
あなたと見た海にその首を沈めたい〜
22名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:11:55 ID:hdqOcr9d0
   △  ¥ ▲
  (  皿 )  がしゃーん
  (        )      
 /│  肉  │\         がしゃーん
<  \____/  >
    ┃   ┃
    =   =
水中ロボだよ
湖底遺跡の調査やゴミ清掃をしてくれるすごいやつだよ
23名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:12:39 ID:4aALmzbq0
>>15
ちょいと素敵で気になりますね?
24名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:13:46 ID:kUe0h9PT0
>>16
現在のレギュラー番組 
MBSラジオ「朝からてんコモリ!」水・木曜日
http://www.mbs1179.com/ko/

>>19
米軍の戦闘機も沈んでいるw
25名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:13:55 ID:R9IgYS+I0
>>17
一応埋蔵金伝説的なモノがあると記憶してるが・・・手長足長の骨でも出てくるかね
26名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:16:37 ID:OukqHJYb0
俺が落とした金のリールも探してくれ
27こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 00:17:08 ID:s/bHxOo70
>>23
まじですよ。ほんまですよ。
信楽かどうかは分かりませんけど。
28名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:17:13 ID:EcJYfqO8O

その昔、恐しい魔物が暴れまくっては船を沈める湖があってのぅ
和田アキ湖と呼ばれておったのぢゃ
29名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:17:40 ID:XZnNn2QzO
>>26
> 俺が落とした金のリールも探してくれ



カルカッタか?
30名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:19:06 ID:4aALmzbq0
>>27
何故その考えに至ったのか、理由など、お聞かせください。
31名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:19:49 ID:SG/RHIjCP
われーはううみのーこー
さすーうらあいのー
32こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 00:22:29 ID:s/bHxOo70
>>30
おおもとはこの動画の通りです。
http://www.youtube.com/watch?v=zKD9WWFkQWU

九州の松浦から上陸したのでは、その後の行路が続きません。
敦賀湾からなら、辻褄が合います。
33名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:24:55 ID:4VMwPhI8O
汚れて緑色になった川を見ると、水質改善ロボが作りたくなる
34名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:26:05 ID:4aALmzbq0
>>32
確かに行路的には、辻褄があいそうですし
動画は貴方の作ですか?周囲の遺跡群や
丸い形状の遺跡も、神話的にも面白く興味をひきます…
35こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 00:32:40 ID:s/bHxOo70
そのほか、神話にも、古代のヤマト国が滋賀県にあったと考えると、
辻褄が合うことがたくさんあります。

-------------
神武天皇は、日向の地は日本の西に偏ったところで
日本を治めるには適さない地だと思っていました。
そこで、かねてより爺やに聞いていたヤマトへ行く事にしました。
爺や曰く

〜東方にあるヤマトの地は日本の中心にあり、
  周りを青い山で囲まれた美しい地〜

さて、青い山。奈良盆地は山に囲まれてはいますが
ブルーマウンテンな印象はあまりありません。
「青い」は植物が青々としてるという意味?・・・苦しいですね。

青い山で囲まれた地、とはこのような所ではないでしょうか
http://omfuji.jp/L1/pnzb-04L.jpg
(湖北〜湖南)
http://www15.ocn.ne.jp/~funazusi/biwakophoto/kogan_fukei/yasugawa_hira01.jpg
(湖西)
36名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:34:32 ID:Layekqyz0
ついにアッガイが!
37名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:35:20 ID:dCDs+2izO
琵琶湖のすごいやつか
38名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:36:40 ID:pgTArIB70
湖底遺跡だと? 聞いたこと無いぞ
京都や大阪、神戸と違って何も無いからでっちあげたな志賀作
39名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:38:21 ID:Wm2SyrM+0
多分、名前は「将軍」
40名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:38:24 ID:4aALmzbq0
>>35
そうですよね?
この地を基点に考えると、出雲神話も辻褄が合いますしね?
41こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 00:41:00 ID:s/bHxOo70
>>38
もともと、遺跡は立派なのありますやん
http://www2.city.moriyama.shiga.jp/iseiseki/ise3.htm
日本最大の銅鐸も出てますやん
http://mainichi.jp/kansai/graph/20081025/32.jpg

>>40
「国譲り」ですか?
42名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:42:40 ID:tnxSBtpPO
ビッシーが起きちゃうよ
43名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:43:01 ID:4aALmzbq0
41>>
そうです!
いなばの白兎も…
44名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:43:28 ID:T2tvU0xS0
人骨がちらほらと・・・
45名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:45:07 ID:VbB8sSUhO
山川純一『ぼくらのスゴいやつ』
46こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 00:46:48 ID:s/bHxOo70
>>43
岐阜の「いなば」ですか?

そうなんです、敦賀から岐阜方面へ行こうとすると、
なみいる強国(当時)を通ることになる。
「ワニ」とは「和邇」氏かも知れない、と思います
和邇氏の本拠地であった所(大津)とは離れていますが・・・
47こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 00:51:31 ID:s/bHxOo70
あ、これは勘違いかもですね>岐阜のいなば(^^;

出雲の勢力が山を越えて近畿に進んで来たなら、
おそらく大阪に出ると思います。
「葦原中国」にふさわしい場所じゃないでしょうか、

和歌でも
難波江の 葦の刈り根の 一夜ゆえ 身を尽くしてや 恋渡るべき
と、「葦」は大阪を象徴する植物として扱われてます
48名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:53:12 ID:4aALmzbq0
>>46
いなばは因幡で…むしろ島根です…
もともと白ウサギは出雲のことでしょうし
大津の和邇氏との関連も、「うみ」を渡る事も
位置関連から頷きやすいですよね?
49名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:57:36 ID:4aALmzbq0
>>47
出雲民族やアイヌ民族、大和民族、南方民族が結集していた
位置が愛知の東三河あたりですし
伊勢との関連もありますから
鈴鹿を越えた辺りは怪しいと
思っていましたから…
50こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 00:58:14 ID:s/bHxOo70
>>48
あ、、そうか、敦賀から湖西の和邇氏のシマを通って、ですね
で、京都から丹後方面へ→因幡。
普通にそっちのほうが正しそうです(^^;
51名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:58:55 ID:WYV08IoV0
なるほど、邪馬台国は琵琶湖の湖底にあったんだ!!
52名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:59:34 ID:aqZSR8fL0
あれ、3getロボがいない…
53名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 00:59:34 ID:DjnB/qBg0
ゴーダムスレじゃないのか
54名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 01:00:21 ID:MM0xyQTMO
>>18
俺も琵琶湖の湖底遺跡の話しは聞いてたが、海底遺跡の話しは聞いたことがないなw
55こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 01:01:34 ID:s/bHxOo70
>>49
出雲民族というと、どんな感じだと思われます?
「あずみ族」と関係ありそうでしょうか?
東北弁と似ていていわゆる「ズーズー弁」だというのが
すごく不思議なんですが。
しかも出雲の女性は美人だと言いますよね。

質問攻めすみません、どうも地元以外のことは分からないもので
56こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 01:08:32 ID:s/bHxOo70
魏史倭人伝には、
邪馬台国から東に海を渡ると、また別の倭種の国がある
とありますよね。

三重県鳥羽から渥美半島へ渡って、東三河。
それが「倭種の国」だと思います。

「狗奴国」は邪馬台国の「南」とされていますから
おそらくこれが大阪であり、葦原中国でもある・・・と、考えてます。
57名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 01:10:44 ID:4aALmzbq0
>>55
ただ私は、各地の寺社の神宝や由来、名称を
あたって点を繋いで考えているだけですから…
出雲と、あずみは別物だと思いますが?
愛知の東三河には、あまりにも近似地に
色々な民族の伝承がキッチリ残っていますし
渥美半島の伊良(湖)岬にも伊勢、大和の関連する
南方民族の拠点もありますから
滋賀背後から見れば伊勢の意味も、はっきりしてくるような感じです。
58こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 01:20:28 ID:s/bHxOo70
>>57
南方民族、伊豆諸島も近いですからね。
そして、尾張とも、長野方面とも繋がりますし。

邪馬台国連合?の国に
「伊邪国」「都支国」「弥奴国」「好古都国」
というのがあったそうで
伊勢、土岐、美濃、各務ヶ原
この辺りまでは、邪馬台国だっただろうと思います。

しかし「伊勢神宮」に関しては、後世に作られたものだと思います。
日本書紀・古事記が編集されたのは、
壬申の乱で、近江軍が敗れた後のことなんです。
59名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 01:20:30 ID:4aALmzbq0
>>57
東三河の小坂井に兔足(うたり)神社というのがあって
アイヌ民族の伝承みたいで
神宝は鍵型の刀(いざなぎの剣形状)ですし
皇族伝承の宝物は全て各民族由来の物を手中にし
権力掌握の象徴になっているわけですし
ずっと出雲との邪馬台国の位置関係が気になっていました
60こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 01:29:16 ID:s/bHxOo70
>>59
かっこいいですね「ウタリ」!

「後漢書」?には、漢の時代には、漢は倭の100ヶ国程と通じていた、
と言います。間接的にでしょうけど。
それが、「魏志倭人伝」では30ヶ国に減っています。
吸収合併で減った、という可能性もありますが、
まあ、おそらく、異なる民族に支配されたか分断された。
ということだと思うんですね。
史学上はムラ同士が争った「倭国大乱」なんて言うそうですが

出雲と伊豆、、関係ありそうな気もしてしまいます、、
61名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 01:36:12 ID:4aALmzbq0
>>60
うたりはアイヌ語で仲間という意味です(笑
南方民族はむしろ伊豆というより
フィリピン等の南方でしょう…
伊良湖沖の神島は三島の小説の潮騒で有名になりましたが
伊勢に至る海底には南方系の遺跡が「鯛の島伝説」として
学術発見されています
因って、伊勢は時間軸では後かもしれませんが何らかの
中継での要所であったと思うのですが…いかがでしょう?
62こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 01:46:44 ID:s/bHxOo70
>>61
意味まで分かってるんですか(驚)
アイヌ≒縄文人と言われてますもんね。
フィリピンですか。飛騨出身で東南アジアっぽい人いました。
海底遺跡ですか、やはり水位が上がる以前(縄文?)に住んでたってことでしょうか。。
ちなみに滋賀県の「湖底遺跡」は、単に、水汲み場でうっかり土器を落としたのが
溜まってるだけじゃないかとワタクシは思ってます(^^;

伊勢付近がなんらか「境界」のような地域なのは、そうだと思います。
実際、その辺りで方言が変わるわけですから。

そして、
神話の「出雲」、というのが現在の島根県の出雲と同じなのか、
正直よく分からないのですが
近畿の人間のカン、、まあ経験から考えて
「国譲り神話」における「葦原中国」の支配者だったのは、
「秦氏」と呼ばれた人達だろうと思います、
京都の太秦、大阪寝屋川市に多く住んだと言われてます。
63名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 01:49:46 ID:/oFnxz/zO
これの殻を被って廃棄物13号が上陸するのか。
64名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 01:50:20 ID:j44kWqIN0
>>2
俺はモンシェリCOCOだと思う
65名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 01:59:47 ID:4aALmzbq0
>>62
後世的には「秦氏」大和朝廷に深く入り込み
聖徳太子との関係もあるでしょうから…
しかし、貴方は史学的に、お詳しいですね?
大変参考になります。
私のぬけて弱い部分ですから(笑
むしろ出雲に関しては「国譲り神話」よりも
白兎のほうが伝承的にも筋が当っているようです。
出雲の過去の神殿建築技法は途方もない技術レベルであったわけですから
他の民族にしてみれば恐るべきテクノロジーで
いち早く殲滅させられたのではと…白兎伝説から推測しています。
大国主命=大和ですから

66名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:04:00 ID:mmwixeth0
今も昔もいいかげんな中国人の記述のせいで邪馬台国歴史ロマン
67名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:06:14 ID:1frAMON00
これっていわゆるUUVのこと?

どうせなら汚染だらけで真っ暗な中国の海の進攻に使えよ。
68こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 02:12:44 ID:s/bHxOo70
>>65
いえ、パズル感覚で邪馬台国の行路をたどったら琵琶湖通っちゃうので
こりゃ解明しなくては!と検索しまくって得た知識ですから
史学全般に詳しいわけでは全くないのです(>_<

>大国主命=大和
んー、そこは、オオクニヌシは秦氏なのだと思います。
養蚕、機織り、土木工事などを得意としてた、と言われてます。
「西陣織」などは、まさにその伝統ではないかと。
建築(木工)技術にかんしては、おっしゃられた
「南方系民族」が持ち込んだのではないか、と思うんです。
インドネシアには、まるで白川郷のような家屋があるそうです
http://www.minpaku.ac.jp/staff/sato/wp07.html

いわゆる大和、奈良は、大阪と隣り合う「最前線」ですから
おそらく、「首都」ではなかっただろう、と思います。
そして、高天原(高いところにある海原)は滋賀県であり、
「ヤマト」とは、滋賀県、三重県伊賀地方、奈良県南部にかけて
多く住んでいた人達だったのろうと。
69名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:14:58 ID:4aALmzbq0
>>62
琵琶湖の「湖底遺跡」の水位は、
その当時の鯛の島遺跡の水位と酷似していますし
琵琶湖の地下と京都盆地地下にある巨大地下湖
(スポンジ状で琵琶湖の3倍以上の貯水量?)と連携していますから
「湖底遺跡」は存在したと考えたほうが夢がありますし
地学的にもありえるとおもいます。
事実、3億年前(チョモランマと同じ地層)が
東三河(葦毛湿原)にはあります。

70名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:15:59 ID:0p8zNjZD0
このロボット、土器よりドクロちゃん発見で、未解決殺人事件とか行方不明者判明につながりそう^^;
71名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:16:17 ID:6Qnynyfj0
湖底のゴミだけでなく官邸のゴミも掃除してくれるとありがたいのですが
72名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:19:10 ID:4aALmzbq0
>>68
そうなんですよ?
特に「高天原(高いところにある海原)は滋賀県であり、
「ヤマト」とは、滋賀県、三重県伊賀地方、奈良県南部にかけて
多く住んでいた人達だったのろうと。
その東(朝日の出る方角)に天岩戸?の存在・・・

というのが一番核になって何かに響いているのです。
73名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:20:16 ID:jLUusRaa0
民族学板にでも迷い込んだかのようだ
74こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 02:20:39 ID:s/bHxOo70
>>69
そうですね、つづらお遺跡↓
http://www.eonet.ne.jp/~biwako/
ここなんかは、江戸時代の器まであるそうなので、
水汲みにいってつるっと、でしょうけど、他の「遺跡」は分かりませんね。
逆に、わりあい高いところで貝塚が見つかったりもするそうですし。
75名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:20:55 ID:+pttsIIz0
test
76こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 02:23:44 ID:s/bHxOo70
>>72
ん〜。どうでしょう。
ちなみに滋賀県は最も「引きこもり(登校拒否だっけか)が多い県」らしいですよ(爆
でも、ニートは少なく、外に出たらシャキシャキ働くらしいです。
77名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:24:12 ID:IDgnHpsFO
>>22
それは本当にすごい奴だろ
78名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:24:17 ID:5VpEAVGB0
自動かと思いましたよ
79名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:27:39 ID:tTcuft5SO
開発に関わる予定でした ('A`)
80名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:28:15 ID:jLUusRaa0
宗像教授異聞録とか好きそうなお二人がいる
81名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:31:53 ID:11gSf3UKO
大昔から今の位置にこの形サイズで琵琶湖が存在したわけじゃない。
もっと南西の位置から移動して今の琵琶湖になった。
最近まで名残の池沼が南草津周辺にいっぱい存在していた。
ちなみにJR南草津駅+周辺は池の埋めたて地。
82名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:32:38 ID:4aALmzbq0
>>76
今日は大変参考になりました
ありがとうございます。
>>80
宗像教授異聞録,おもしろそうですね?


83こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 02:34:46 ID:s/bHxOo70
>>82
こちらこそこちらこそありがとうございました。

>>80
できれば一巻くらいにまとめてほすぃ←ヘタレ
84名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:37:36 ID:V9Tzam2qO
納豆菌いっぱい掘り込んだら水が綺麗になるんじゃなかったっけ?
85名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:41:21 ID:Kka64ABC0
三つ目に殴られるんだな
86こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 02:43:35 ID:s/bHxOo70
余談ですが
秦氏と聖徳太子の縁ですが、

聖徳太子が八日市での定期市を開いたときに、付近に織物職人を住まわせた(うろ覚え)
別の話ですが同じ頃(うろ覚え)、愛荘町あたりに「えち秦氏」と呼ばれる人達が渡来した
ということですから、おそらく
聖徳太子が京都から滋賀に秦氏をつれて来た、のだと思われます。
実際その辺の人はちょっとヘンクツで空気読まない人多い気がしますというか
私たぶんその血引いてます。はい。失礼しました。
87名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:44:23 ID:y8P1u94d0
大津京、建都ほぼ1400年
88名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:47:26 ID:ZTobHFEoO
かきつばたと菖蒲の見分けの難しさは

古典ならよくでてくる
89名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 02:53:33 ID:4aALmzbq0
>>86
余談ですが聖徳太子と空海との関連なのですが
どうも空海は、太子がかつて間者を使い調べ上げた
鉱脈の痕を何らかの資料をもってデヴェロッパーのような
仕事をしていたのではないかと思うのですが?
温泉地(鉱脈地)に空海ありですから…
因って秦氏との関係もありと…(笑
90名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 03:05:22 ID:4aALmzbq0
>>86
しかも空海は四国から、奈良、吉野で若かりしころ修行をしていますから
因って秦氏との因縁は特に濃いかと…
きっと遣唐使として自費で渡っているわけですから
何か邪馬台国情報も空海伝説の一説から見ても知りえていた節があります。
91こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 03:08:02 ID:s/bHxOo70
>>89
なんですと!
ぶっちゃけワタクシ親戚は真言宗の寺ですってなんか自演くさいやんこの展開、、
まあでも、ですから
空海、真言宗については、考えてはみるんですがよく分からない。

ただ、高野山のある紀伊国(和歌山)、というのは、
そもそも京都の旧紀伊郡のひとが開拓したから紀伊国、なのだそうです。
(紀氏、ですね。紀貫之とか。平安期にツンデレを先取りしてたとか。)
京都府紀伊郡、とは現在の京都市南区あたり、真言宗の東寺がある所です。
飛脚の佐川急便なんかも南区発祥だったりしますよ。
だから、むしろ、ヘンクツ(っぽい)秦氏とは違うよーな気がするんです。
92名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 03:16:49 ID:4aALmzbq0
>>91
もっとも高野山は空海が唐からから帰ってきて
その当時のIT技術をふんだんに盛り込んで東寺を京都につくり
その後、騒々しい権力争いに辟易して
吉野から熊野とのトライアングルにある霊地として
京都のデヴェロッパーを徐々に連れ込み高野山を開拓したと
いう事でしょうね?

93こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 03:20:12 ID:s/bHxOo70
それでですね、
魏志倭人伝に記載の邪馬台国連合の国に「支惟国」、がありまして
これはおそらく「きい」国です。
当時はまだ、和歌山は紀伊国ではない、「紀伊国」は京都の紀伊郡=南区です。
そしてなおかつ、邪馬台国は狗奴国=葦原中国と敵対関係にあった。

だからおそらく紀伊郡の「紀氏」は、邪馬台国のリーダーだった「ヤマト」民族だと思うんです。
ならば、後に紀伊国を開拓し、高野山の僧となった人達も同じく・・・
と思うのですが、

しかし空海の出自を特定することはできないですよね(>_<
94名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 03:25:39 ID:iC3iODMkO
水中ロボットならなぜ蛇腹の腕にアイアンネイルを付けないのだ。
95名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 03:28:44 ID:4aALmzbq0
空海の出自はかなり色んな書物で散見できますよ?
その気になって、うがって関連付ければ…かなりリアルです。
もっとも空海の最初の庵は、とってもシンプルでしたが
やはり人徳なのでしょう…その後を追って色々な
特殊技術を持ち合わせた人々が結集したようです。
だから知が集まっていたのですから
そこら辺を当たるのが、現代で散見できる事象より
より真実に近いのかもと…思っています。
96名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 03:32:57 ID:g+CawJI+O
粟津湖底遺跡ってのがあった気がする
97こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 03:33:40 ID:s/bHxOo70
紀氏が秦氏でなくヤマトの民だっただろう、と思う根拠として
和歌山のひとが「江州音頭」を踊っているから、ということがあります
http://www.youtube.com/watch?v=Z4U_-HLNImI
本場よりカッコイイ!

一方、秦氏は雅楽の祖と言われてますね、
東儀秀樹氏などは秦氏の血を引いてるとか。
こちらも音楽の才を持つ民族のようですが
こちらはリズムよりハーモニー重視?のような、気がしますがどうなのでしょう
(私は双方の血を持つかも知れないにも関わらずクソ音痴です)

>>95
空海自体はどうなんでしょうねえ、出身地は香川県でしたよね。
仏像彫るのと、書が得意なんですよね、、音楽は関係ないか。。
98名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 03:34:48 ID:gWMoHS/q0
ジオン軍 水泳部スレと聞いてやってまいりました!
99空海はヒント:2011/02/10(木) 03:41:04 ID:4aALmzbq0
>>97
是非ちゃんと、お調べくださいませ?
彼は太子以後のスーパーマンですから
なんでもありです。きっと興味と想像をくすぐられるはずですよ?
気が向いたらメールでもしてくださいな?

100こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 03:43:08 ID:s/bHxOo70
>>99
あらいやらしいわあ
ここで書いていかはったらええのに
101名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 03:43:14 ID:Nrbr9/WTO
湖に沈んじゃった人いるけど見つかったのかな
102空海はヒント:2011/02/10(木) 03:47:09 ID:4aALmzbq0
>>100
ごめんなさい・・:
話を尽きなさそうですし
今日は、おねむします・・・
ありがとう
103こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 03:49:09 ID:s/bHxOo70
>>102 おやすみなさい、おおきにー
104こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 04:00:01 ID:s/bHxOo70
ちなみに「聖徳太子」は結構、滋賀県のことを気にかけてくれてたみたいですが
太子の同時代の有名人とその子孫はこんなんです。

蘇我馬子(うまこ)  小野妹子(いもこ)
   |            |
蘇我蝦夷(えみし)  小野毛人(えみし)
   |            |
蘇我入鹿(いるか)  小野毛野(けぬ)

蘇我馬子と小野妹子の年表を比べる
http://n.ashitane.net/%E8%98%87%E6%88%91%E9%A6%AC%E5%AD%90/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%A6%B9%E5%AD%90

滋賀県出身の小野妹子とは、
聖徳太子が書いた「日出ずる国すなわちライジングサン」から始まる書を
隋に持って行った、とある遣隋使、らしいです。

んーーー。個人的には、
そんなん小野妹子って聖徳太子本人ちゃうん。ついでに蘇我馬子も同一人物ちゃうん。
の念を禁じ得ません。そう考える方が、自然だと思います。
だって、突然蘇我氏が威張りだしたから暗殺されました。って、変。
105名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 04:07:33 ID:EENGKyXY0
琵琶湖の湖底には土砂浚渫跡があちこちにあるから湖底遺跡なんか壊されまくってるだろw
106こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 04:23:04 ID:s/bHxOo70
軽く検索しましたら、空海の本名は、佐伯真魚(さえきまお)
お、サエキさんですやん。
ヤマトタケルの東国征伐の際の捕虜だったというサエキさん。佐伯部さん。

ところで日本神話の「神武東征」の際、神武軍に従わなかった、
大和のナガスネヒコ・アビヒコ兄弟が、津軽に逃げ落ちた、という伝承があるそうです。

そしてその後、「東国」から佐伯部が連れてこられ、広島や四国に住まわされた。
それって、ナガスネヒコ・アビヒコ兄弟の、遠い親戚ちゃうかしら。
つまりトウホグからリターンしてきた関西人。
それが「空海」だったのですね。そうなんですね。なっるほど。
107こりゃ邪馬台国も見つかるよ:2011/02/10(木) 04:42:27 ID:s/bHxOo70
じゃあ佐伯部はドレイやんって思いますか?
でも、ヤマトタケルが佐伯部を連れてきた「東国征伐」より後の時代、
「継体天皇の即位」があります。

継体天皇の前の武烈天皇があんまり乱暴やし子供もおらへんし
遠い親戚の「継体天皇」が即位しましたよ、という話です。
この「継体天皇」は、越前または近江の出身。だそうです。
そういうことになってる。

でもねこれ、継体天皇が滋賀県出身ならば、
ナガスネヒコ・アビヒコが神武軍に奪われた政権を、継体天皇で取り返した、
そういう話やないですか。
そしておそらく、現在も続いているのは、その「皇統」なんです。
108名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 06:25:11 ID:pIvONRqp0
え、ここどこ?
109名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 09:50:24 ID:Otmni+DCO
漢字があるのならアルファベット必要ないのでは
逆もまた然り
110名無しさん@十一周年:2011/02/10(木) 15:40:32 ID:zWmFDJhd0
>>13
狗邪韓国は?
111こりゃ邪馬台国も見つかるよ
>>110
伽耶韓国は通ってないと思います。
おそらく満洲東岸から出航したのだと。
↓こちら、日本史板でいただいたレス。

>対馬経由で朝鮮半島にわたるルートは、距離こそ短いけれど、
>潮流が速く、また天気が急変しやすいので小型の船舶では非常に危険なのです。
>現在は、気象レーダーや気象衛星の情報により台風や低気圧の接近をいち早く知ることができるけれど、
>卑弥呼の時代よりずっと下った遣唐使や遣隋使でさえ、よく遭難しました。

>そこへ行くと日本海ルートは、風向きが安定しているので、春から夏場にかけて東風に乗って大陸に渡り、
>冬になって西高東低の気圧配置が強まる前に西風に乗って帰国するという風まかせの航海が可能だったのです。
>渤海との交流は、この風を使って行っていたし、このルートで魏に使いを送ることも可能だったはずです。

距離の上では近くても、半島回りのルートは以外に難しいのだそうです。