【政治】民主・中井洽氏「秋篠宮さまがお入りになってから遅刻したやつが十数人いたぞ。いくらでもあるぜ」★5
1 :
そーきそばφ ★:
皇族への直接暴言…
_ ―- ‐- 、 太平記以来なんだそうだ。
(r/ -─二:.:.:ヽ つまり、600年ぶりだな…
7''´ ̄ヽ-─<:.:.', __
. 〈t< く=r‐、\:く _ ...-::‐::¬::::: ̄:::::::::::::::::::::::::::::::
∠j ` / ,j={_/ヽヽr' >:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
. っ Y _/ ヽ了 /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
. し イ --─¬ /::::::/:/|:::/::∧:::∧:::::::::::::::::::::::::::::::::::
f: :_: : :_:_:_└ 、 |/f|/|/ .|/ |/ ∨ ヽ|\:::::::::::::::::::::::::
/-ー/: : : : : : :\ { ヘ:::::::::::::::::::::
/7: : : :r: : : : : : : : : } ', .j / } .}::::::::::::::::::::
/: : : : : :.|: :j: : : :\: : j } /_ ミ ヘ::::::::::::::::::
/: : : : : : : j: ヘ、: : : : \| /く<l´::<ニ二 ̄`> ミ:::::::::/
./: : : : : : : \::::ヘ: : : : : : :ヽ {::ア{:::::::}厂¨,`_______j:::::://
{: : : : : : : : : : ヘ:::ヘ: : : : : : :', V ヘ::::ノ` ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ .{::::|ヽ
',: : : : : : : : : : : :\ヘ: : : : : :ヘ. / ヘ¨ //:}::::|/
',: : : : : : : :::::::::::::::::::〉: :_:_.r--―く >ヽ / _ノ::::{ _/
'; : : : :.::::::::::::::::::::::r</ :.:.. `ー¬\__ /::::/
〈: : : : :ー---‐‐r―'´ :.:.:. ヘ: . ヽ . . }ー、 ./::::<
〈: : : : : : : : : : 〈r-‐、:.:.:.:ヘ.:.:.:.:. ', : : ',: . .|: : 〉 /:::::::/
ああ、間違いない
こいつは 朝 敵 だ!
2ならはまぐり滅びる
4 :
名無しさん@十一周年:2010/12/02(木) 20:55:06 ID:PP9tATlO0
2
5 :
名無しさん@十一周年:2010/12/02(木) 20:55:43 ID:x6xdap5b0
そろそろ名前を何と読むのか知りたいな
ついつい中井はまぐりと読んでしまう
ふーん。
報道されてからすぐに、「何でお座りにならないんだ」←この発言を証言した議員が一人でも居たか?
7 :
名無しさん@十一周年:2010/12/02(木) 20:56:02 ID:pGbmwW5D0
なんか朝鮮人みたいなんですが
8 :
名無しさん@十一周年:2010/12/02(木) 20:56:42 ID:GXISBEIx0
こんな人に国民の税金から何千万と給料が・・・
10 :
名無しさん@十一周年:2010/12/02(木) 20:56:45 ID:w1J9Mgtb0
高師直(こうのもろなお、1351年3月24日没)
「王(天皇)だの、院は必要なら木彫りや金の像で作り、生きているそれは流してしまえ」
天皇家の権威に対して、上記の発言をしたことが太平記に記されている。
観応の擾乱の際、打出浜の戦いに敗北。
足利尊氏と足利直義は、高師直の出家を条件に和睦。しかし、護送中に武庫川にて、
上杉能憲の軍勢により一族もろとも惨殺された。
土岐頼遠(1342年12月29日没)
酒に酔った勢いで光厳上皇の牛車を蹴倒す等の狼藉行為により、六条河原にて斬首。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9C%9F%E5%B2%90%E9%A0%BC%E9%81%A0&oldid=32277383 康永元年(1342年)9月、笠懸の帰りに行き会った光厳上皇の牛車に対して、
酒に酔っている勢いに任せて「院と言うか。犬というか。犬ならば射ておけ」と罵って
牛車を蹴倒す(矢を射たとも)という狼藉行為を行なってしまう。
これを知った尊氏の弟・足利直義は激怒して頼遠逮捕を命じる。
頼遠は一度は美濃に戻って謀反を計画するものの失敗、夢窓疎石のいる臨川寺に
逃れるものの捕らえられ、同年12月に頼遠は京都六条河原にて斬首されてしまった。