【コラム/中日新聞】三島由紀夫自決から40年、三島の死を冷静に考えられる時期がようやく訪れたのだろうか★2
作家の三島由紀夫が自決した直後、現場になった陸上自衛隊東部方面総監部の
総監室に入った警視庁の元鑑識課員に話を聞いたことがある。割腹した後、
切り落とされた三島の後頭部には何カ所もの傷があり、切り口はずたずただったという
▼「じゅうたんにも何カ所も切り傷の跡があった。介錯人が
切り落とそうとしたけど、うまくできなかったんだな」と語ったのが印象に残っている
▼集めた自衛官に憲法改正を目的とするクーデターを呼びかけた後、
三島が自決したのはちょうど四十年前の十一月二十五日。ノーベル賞候補に挙がっていた
人気作家の突然の行動は内外に衝撃を与えた
▼その死を激烈に批判したのは司馬遼太郎さんだった。「この死に接して
精神異常者が異常を発し、かれの死の薄よごれた模倣をするのではないかということをおそれ、
ただそれだけの理由のために書く」と毎日新聞に寄稿した
▼評論家の松本健一さんは、近著「三島由紀夫と司馬遼太郎
『美しい日本』をめぐる激突」で<天皇の物語>を書かなかった司馬さんが、
天皇陛下万歳と叫んで死んだ三島に鋭い批判を加えたことを戦後思想史上、
最大の激突として浮かび上がらせた
▼空虚な経済大国になった戦後日本を憂う気持ちは二人に共通していたと
松本さんはいう。三島の死を冷静に考えられる時期がようやく訪れたのだろうか。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2010112502000046.html 前スレ:
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1290662927/ 2010/11/25(木) 14:28:47
2 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:34:18 ID:qo29TewU0
2
3 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:36:33 ID:nSBjmedC0
三島の首の横に森田必勝の首が
4 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:37:18 ID:+kWpmUxp0
,.、ゝ 〜-≦仁
、f巛彡vy ヾ
/^ ⌒ゝ巛彡 ヽ
〃 イ巛彡 >
/ _ _,,,,,,_ ソ巛彡 彡 坂本の死を冷静に考えられる時期がようやく訪れたのだろうか
.|!_ニ_ ".━- 》巛彡 <
| ∫从Y 彡 大政奉還を民主に叩き付けるぜよ!!
', 、_,,_ ∬_ノ 〆
', _ _ ミ三从
' ご”'' ィ彡 |≪
ヽ ,;彡' |三ヽ
,ィヘ'''''''' ´ /三三ニ、
_,.イ三|!ミ /三三三三ヽ
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/三三三| |` イ/三三三三三三三三≧、
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/三/∧三三ソ / /三三三三三三三三三三三ト,
ノ 三V/ 三三|/ /〃三三三三/⌒|三三三三三|
5 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:37:53 ID:5xY4Owq20
死の際に、やめときゃよかったーって思っただろうな
6 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:38:56 ID:awUzqaSP0
グローバリストやら、反戦反核人権平等やらを唱える団体やらは
日本の敵だと冷静に判断できる時代がようやく訪れたぜw
7 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:40:14 ID:V/zg6byO0
みんな真剣に日本の事考えていたんだよな。
それに比べて今の日本の政治家と来たら・・・。
8 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:40:40 ID:+kWpmUxp0
>>5 それは無い。 そばに居た総監は必死に止めたが聞かなかったから。
そんなへタレ根性は無い様だ。
冷静にも何も、普通の一般人は忘れてるだろ
40年間も冷静になれなかったお前を、一般人は気味が悪いと思うよ
「君たちは、アメリカの軍隊になってしまうんだぞ!」
民主党と中国のせいで、それどころじゃありません。先生><!
平凡パンチの連載なかなか面白かったよ
新潮社からだったか、文庫で出ている。
そして、全共闘との討論のビデオも面白い
今生きていたら、雅子に何と言ったか・・・
12 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:44:21 ID:dfZjQCBv0
>>7 政治家のせいばかりじゃない
民主党なんかに政権渡してしまう有権者がどうかしてる
13 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:45:06 ID:+u9xghH40
>>10 イラクにぶち込まれ
次はアフガンに送り込まれますが何か?
自決なんかしたって大衆の心を動かすことなんか出来ない
まあ兵をあげるんだったら自分で私兵集団を立ち上げて
堂々と戦うべきだったな。
国民の税金で運用されてる自衛隊を使って
自分の政治的理念を実現させようなんてたんなる卑怯な
泥棒じゃん。
所詮、ただの小説家。
>>12 でも、それが去年の日本人の「雰囲気」だったんだから。
それがマスコミが作ったものであっても・・・
もう今だったら、かなり日本人も冷静だと思うけどね
17 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:47:28 ID:K9GaGvw20
ガチホモの印象しかない。2Chのせいでな。
18 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:48:53 ID:uadZ3tSYP
それで?何か意味あったの?
19 :
サヨク:2010/11/27(土) 19:48:56 ID:EE8Sw+GJ0
>>6 えー気のせいだろ?
都合よすぎだろ
自民党だって国際人権規約に批准してる
20 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:48:56 ID:5xY4Owq20
>>16 雰囲気で行動してんじゃねーよ
あ、女とやりたい時は雰囲気づくりは大切にな
21 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:49:02 ID:Rdb1oZLg0
三島由紀夫はナルちゃんのおかしな人だったんじゃないの?
当時それを下から見ていた方を知ってるが、「みんなであれ何やってんだwと
指さして笑っていたんだよ」と言っていた、、、
べつにいまでも三島由紀夫は評価されないんじゃない?(^o^;)
22 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:49:12 ID:IRmYMdOu0
いろいろスベったのは死ぬ間際にわかったんだろう
23 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:51:42 ID:IBoriEGh0
荒地浩靖先生
24 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:51:54 ID:FF/JSAIN0
>>14 大衆を動かすための自決ではなく、
三島自らの死にざまを考えた時に、
陛下の御ために死するという大義を失ったために考え付いただけだよ
自分の思考完結のための自決だよ
26 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:54:57 ID:5Hg4tpAQO
古代の悲劇のいみじさは、現代の神経では涙といふもので味はふことは出来なくても、それ以上の、おそらく
ギリシャ人たちが味はつた感動以上の、ほとんど神を見たやうな宗教的感動を以て味はふことができるやうに
思はれます。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和17年5月1日、東文彦への書簡より
音楽部で例の「オルフォイス」のレコオド・コンサアトをやりましたのできゝました。
あのギリシャ的な晴朗さは日本の古代の晴朗さとまことによく似てゐると存じました。
新関良三教授から芸能の講義を演習の時間にうかゞつてゐます。能楽とギリシャ劇の比較など大へん面白いものです。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和17年5月7日、東文彦への書簡より
三島が自衛官の前で演説する為に何をしたかっていうと、
顔見知りの自衛隊の将官を談笑してる時に「不意打ち」して
人質にとってるのね。
せこいことして演説するやつが、仮に自衛隊率いたとこで、
やっぱりせこい事しかできないだろっwww
28 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:55:43 ID:SXKHImlb0
>>20 去年の夏の選挙、俺は仕事で行かれなかったw
30 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 19:58:22 ID:5Hg4tpAQO
ペルシャ人の、酒と逸楽の享楽主義は、おなじ享楽主義でも「トリマルキオーの饗宴」にみるやうな羅馬の
それとはちがひ、後者が機智と皮肉と退廃とのあらはれでしかないのに、前者には東洋的な深い瞑想がみられます。
前者は月夜のおもむき、後者はまひるのコロッセウムを思ひ出させます。
体骼なぞもずいぶんこの二民族の間にはへだゝりがあつたことでせう。
それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあひませんね。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和16年7月10日、東文彦への書簡より
いやなことゝ申せば今度も空襲がまゐりさうですね。かうして書いてをります夜も折からの警戒警報のメガホンの
声がかまびすしい。一体どうなりますことやら。しかしアメリカのやうな劣弱下等な文化の国、あんなものに
まけてたまるかと思ひます。
――ニイチェが反理想主義であること、流石に確かな御眼と感服いたします。
ニイチェの強さが私には永遠の憧れであつても遂に私には耐へ得ない重荷の気がします。おそらくけふは
一人一人の日本人が皆ニイチェにならねばならぬ時かもしれません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月4日、東文彦への書簡より
五島公夫一等陸佐の決起はまだですか?
32 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:02:28 ID:CcBy7LtiO
「いまだ果たし得ていない約束‐私の中の二十五年」?
あのエッセイって暗示的だったなぁ
三島が生きていれば、
尖閣事件じゃ、
大激怒して、自ら船漕いで尖閣に乗り込んだだろうに
「支那に於ける我が軍隊」
七月八日――其の日、東京はざわめいて居た。人々は号外を手にし、そして河北盧溝橋事件を論じ合つてゐた。
昭和十二年七月七日夜、支那軍の不法射撃に端を発して、遂に、我軍は膺懲の火ぶたを切つたのである。
続いて南口鎮八達鎮の日本アルプスをしのぐ崚嶮を登つて、壮烈な山岳戦が展開せられた。懐来より大同へと
我軍はその神聖なる軍をつゞけ、遂に、懐仁迄攻め入つたのである。我国としても出来得る限りは、事件不拡大を
旨として居たのであるが、盧溝橋事件、大山事件に至るに及び、第二の日清戦争、否! 第二の世界大戦を
想像させるが如き戦ひに遭遇した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
飲むは泥水、行くはことごとく山岳泥地、そして百二十度の炎熱酷暑、その中で我将兵は、苦戦に苦戦を重ねて
居るのである。その労苦を思ふべし、自ら我将士に脱帽したくなるではないか。たとへ東京に百二十度の炎暑が
襲はうとも、そこには清い水がある。平らかな道がある。それが並大抵のもので無いことは良く解るのである。
併し軍は、支那のみに止らぬ。オホーツク海の彼方に、赤い鷲の眼が光つてゐる。浦塩(ウラジホ)には、
東洋への銀の翼を持つ鵬が待機してゐる。我国は伊太利(イタリー)とも又防共協定を結んだ。
併しUNION JACK は、不可思議な態度をとつて陰険に笑つてゐる。
噫! 世界は既に動揺してゐるのだ!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
支那在留の将士よ、私は郷らの健康と武運の長久を切に切に祈るものである。
平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
35 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:04:30 ID:+O+nM0nv0
40年ってことは当時の大学生がいま団塊w
三島の行為は、ただのオナニーなんだよ。
後から理屈を並べても当時、誰にも相手されず
逆に大勢の自衛隊員に爆笑されて恥ずかしくて
逝く、逝く、逝く〜〜って逝っちゃったんだから。
インテリバカのオナニーは、いちいち理由付けが必要なのか、オマエッ。
37 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:07:09 ID:VLutIU4VO
>>29 不在者投票行けよ
土日も夜8時までやってる
三沢さん・・・
140:名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/07(日) 11:38:57 ID:tNf7L2Bj[sage]
>>107 当時マスコミの少なくない人間が、三島にそれなりの脅威を感じていた。
それが自爆したことによる快哉は大きかったようだね。
三島のクーデターは1970年、あさま山荘が1972年だ。
まだ学生運動の正体が一般には知られておらず、マスコミも心行くまで左の旗を振っていた。
ニヤニヤ笑う自衛隊員の顔をことさらに流したのは、「三島の主張はキチガイ沙汰なのだ」という
マスコミの強い主張だわな。実際クレイジーではあったが。
ちなみに成田闘争の時、TBS社員が取材車で過激派の運搬をしていたことが判明して
問題になったことがあった。責任を取って田英夫がTBSを退社したのが1970年。
今のマスコミ報道にも強い「誰かの意図」が動いているけど、
当時のそれは、はるかにあからさまだった。
三島事件の報道は、時代背後とまわりの人間模様を強く考えながら見ないと真実がみえんわな。
40 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:12:26 ID:DSiErWdQ0
ここまでアッーなし
2ちゃんも終わりだな
41 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:16:05 ID:xCnKRd730
つのだじろうの漫画では悪霊に憑依された事になっていたな。
しかし、三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には
師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。三島の首には幾筋もの刀傷がついていた。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。罪人の斬首の場合、どんな豪胆な
連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門
(首切朝右衛門)は語っている。しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、
三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。楯の会が小説家の道楽ではないことの
確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように
嘲笑的な態度を取ったのである。八切止夫が切腹不可能説を撤回したという話も聞かなかった。
呉智英「『本気』の時代の終焉」より
三島はあの時代に死んで永遠の45歳になった
存命して今年85歳の老いた三島を見たくない
旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)ではカリキュラムの中で日本語の
三島の作品を読ませている。物欲のないこういった日本人にしてはならないと警戒しているのだ。
佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より
45 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:23:06 ID:4G/q5cX6O
46 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:25:45 ID:awUzqaSP0
>>19 お前ら、もう国民の支持を完全に失ったのに気付いてないのかねw
47 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:27:00 ID:Gw7j7idcO
一昨日は、三島由紀夫の没後40年の「憂国忌」でした。
慰霊蔡の後のシンポで西尾先生が、三島の檄文にある、
<国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかっての5・5・3の
不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず・・・>
の意味を最近、再確認したといわれ、次のようなことを語られました。
・中国は、東京オリンピックの年1964年に核実験に成功した。それによって、
ソ連、中国の両独裁国家の隣国が核保有国となることになった
・その後、米国は米露英仏と中国の5カ国以外には核保有をさせないように
核非拡散防止条約(NPT)を提唱した
・しかし、日本政府と自民党はこの条約の批准に慎重であった。
それは、中露2カ国が核保有国になれば、将来、日本の安全は脅かされ、
日本が両国の圧力の下に屈することを余儀なくされる恐れが高い
・しかし、沖縄返還に意欲を燃やしていた佐藤首相は、米国の「核の傘保障」
と引き換えにNPTを批准し、同時に「非核三原則」を表明してしまった
・佐藤首相は、西独並みに、「核の持込」の自由を確保すべきであった。
この「非核三原則」に縛られて、日本は米国の「被保護国」に甘んじざるを
得ない状況が続いている。というものです。
確かに、現実は西尾先生のご指摘の通りであり、その後の中国の急速な経済的
発展と相俟って、日本は米国の軍事的な支えが無ければ、自立した外交も行え
ない事態にまで凋落しています。
その原因は、佐藤首相の「非核三原則」に始まると云うわけです。しかも、尚悪い
ことに、池田内閣以降の経済発展により、自民党と日本国民は憲法を改正し、
被占領体制を清算し、自立した国家として再出発する志を忘れてしまったのです。
結局 死んだところで日本にとって良いことは何も無かったわけで、
三島のオナニーだっただけだろ。
49 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:29:07 ID:gwElMQRG0
>>1 三島の自殺ってホモの情死だろ
本当は自衛隊員と一緒に死にたかったけど
総スカン食ったんで森田必勝と一緒になったんだろw
政治的でなく文学的な視点で評価すべきものだと思うがね
50 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:31:47 ID:+QV5mQfz0
>その死を激烈に批判した
司馬は三島の死の批判など一言もしていない。
司馬が恐れ批判したのは、かれの死の薄よごれた「模倣」に対してのものであって、三島自身に対してのもではない。
司馬は自分の小説はせいぜいが同時代のものに読み捨てられていくだけのものだろうけれど、三島のそれは違う。
それは百年経っても、千年経っても、人類によって延々と読み継がれていく、一級の芸術作品だと賞し、尊敬していた。
司馬は吉田松陰を深く愛したが、その思想を借りた(利用した)だけの、松陰を「気取る」ものを心の底から軽蔑した。
同じことは乃木についても言える。
司馬は乃木自身ではなく「乃木を気取るもの」にこそ、強烈な嫌悪感を抱いたのだ。
松本健一はそういった基本が何も分かっていない。
三島と司馬は、何も激突などしていないし、また司馬が天皇について書かなかったのも、別の確たる理由があったからだ。
没後何十週記念というと、こういった作家にあやかって、すぐに印税を稼ぎたいだけのゲスがしゃしゃり出てくるのが哀しい。
>>37 当日帰りに行かれるはずだったが、仕事が遅くなって行かれなかった
この当時日本に
この板に書かれているような議論が出来たヤツは
恐らく100人居ない
それだけ
情報弱者と愚民政策に気付いていないオトナしか居なかった希ガス
>>47 いまじゃあ、三島の追悼も
街宣右翼系と新右翼系(これも古いが)に分かれているんだよな。
つまり、評価自体が分かれているということだ。
54 :
巫山戯為奴 ◆X49...FUZA :2010/11/27(土) 20:40:55 ID:TaBI7QqgO
前スレで朝鮮半島を占領しよとか言ってたの、又最初からインフラ整備して生活保護して教育迄施すつてか?
何の罰ゲームだ其れ?又韓国の体外債務とか日本の血税で払って呉れってか?
嫌なこった、北朝鮮のレアメタル出る出る詐欺も要らね、馬鹿チョンは支那畜の餌で十分だ、お前ら糞在日が帰って面倒見てやりゃあ良いだろ、
得意技の焼け野原にロープ張り放題で好きにやって呉れ、日本は朝鮮半島に無関係だ、公園に野宿してる乞食に炊き出ししてやる程酔狂ぢゃねえ。
55 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:43:21 ID:WqCaJFIVO
全く正しかった
だが、できれば今居て欲しかった
56 :
サヨク:2010/11/27(土) 20:44:17 ID:EE8Sw+GJ0
>54
何言ってるかわからないが三島に近づきすぎて石原みたいな
>>56 三島と石原では月とすっぽんだよ
>54のレスは確かに後半よくわからないけど
58 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:46:16 ID:MqUU/iOz0
三島の本は結構読んだけど
ありゃ三島のオナニーだよ。
最後は割腹自殺で果てたんだろ
三島由紀夫事件直後に、「三島追悼の夕べ」を開き、その後、正式に「憂国忌」と名付け、三島由紀夫慰霊祭と
鎮魂祭を、毎年、執り行ってきたのが「三島由紀夫研究会」という組織だったらしいが、その「三島由紀夫研究会」が、
このほど、『憂国忌の四十年』(並木書房)という本を刊行した。(中略)
あまり、というより、ほとんど、文壇やマスコミは取り上げようとしないらしいが、僕は、この本に深く感銘を
受けた。思想や政治に命を賭けた者たちの記録として読むことが出来るからだ。
三島由紀夫や三島事件を、「文学」に回収することは、三島由紀夫を「文学」に祭り上げることによって、
何処にでも、掃いて捨てるはどいる小市民的な、毒にも薬にもならない、凡庸な小説家の一人として「祭り捨てる」
ことである。これに対して、『憂国忌の四十年』が描くのは、今なお、生々しい存在として、そして凶々しい
存在として「生き続けている三島由紀夫」であり、三島由紀夫の文学や思想に深く共鳴する「三島信者」たちの
その後の人生である。(中略)
文壇やマスコミが、この本を無視、黙殺して、
松本健一や平野啓一郎等の、世にもくだらない駄本(『三島由紀夫と司馬遼太郎』)や、一夜漬けの雑学を
披露しただけの座談会を持て囃すのは当然だろう。
『憂国忌の四十年』は、思想や政治に命を賭けた者たちの記録である。すくなくともこの『憂国忌の四十年』
という書物のなかには、三島事件の「事件性」と「危険性」は、失われていない。ここにこそ「文学」があり
「思想」がある。ここにしか「文学」も「思想」もありえない。
山崎行太郎「三島由紀夫没後40年『憂国忌』について」より
60 :
サヨク:2010/11/27(土) 20:49:18 ID:EE8Sw+GJ0
>>57 作家としては石原の方が大衆向けじゃないの?
三島の小説は印象に残ってないんだよね。石原のは読んだことないけどw
大衆向け=優秀ってことね。
61 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:50:33 ID:UlUmT6UM0
>>39に書いてることって全然違う。
学生運動の正体を一般人は分かってたしマスコミも左に侵食されてはなかった。
新左翼勢力は隔絶された一部のことであって一般庶民は保守で当たり前だった。
祝日には田舎だとたいていの家は国旗を揚げて。
三島の事件も気持ちは分かるが無茶すんなという受け取られ方。
どれ程その精神を低劣なる次元に堕せば、
命を賭して何かを訴えた人間を此処まで貶められるものなのだろうか。
武士の国であった日本は、今日此れ程までに堕落したのだ。
三島には先見の明があった。
塵屑である内患、外患によって、今日、日の本は此れ程までに堕落したのだ。
此の有様を見て、三島は何を思うであろうか。
下劣な塵共に問う。
貴様らに、三島の真似が出来るのか。
命を賭して何かを訴えることが出来るのか。
立場は違えども、主張は違えども、尊に値する行為は揺るぎは無い。
此処で三島を貶める塵屑共の中にある何か。
其れは、日本の伝統に対する劣等感だ。
己が絶対になしえない何かを、侮辱してやろうという、下劣な欲情だ。
回線を切ってさっさと首を吊って死ぬが良い。
貴様らは微塵も生きる価値が無いのである。
64 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 20:53:44 ID:gCw5KPqQO
俺はこの国を愛してやまん!腐ってるのは大分教職員組合と大分弁護士会じゃ!
65 :
サヨク:2010/11/27(土) 20:54:03 ID:EE8Sw+GJ0
>武士の国であった日本は、今日此れ程までに堕落したのだ。
↑西郷隆盛
三島由紀夫は勤勉な作家だった。たとえばそれは、敗戦後の日本が焼け跡から回復して高度成長を実現し、
「東洋の奇跡」と呼ばれる戦後復興をなしとげたことを思わせるようなきまじめでひたむきな勤勉さだった。
(中略)戦後日本の復興期にそのまま重なっている。その意味で三島由紀夫は、作品に見られる反戦後的な
美学や日本の欺瞞に対する批判的な視線にもかかわらず、きわめて戦後日本的な作家である。
そのことにまつわる伝説も多い。
なにより作品を書く時間を大切にしていた三島由紀夫は、知人との会食や宴席などでどんなにお酒が入って
楽しく談笑していたとしても、かならず夜11時までには切りあげて帰宅し、執筆の時間をつくったという。
私小説作家のように怠惰であることをひそかに誇ったり、サラリーマン社会のあわただしさに反感をもったり
している日本の文壇の雰囲気から見て、その態度はひときわ異彩を放っている。昼間は官僚として軍医総監という
激務をつとめながら深夜に執筆していた明治期の森鴎外のように、敗戦後の日本に生きた三島由紀夫はおそらく
自分が原稿用紙に記す一字一字が戦後日本をつくりあげていくという使命感をもっていたのである。(中略)
そして敗戦から60年以上がすぎて、戦後日本のあり方が風化しつつある21世紀において、次に新しい読み方を
待っているのは三島由紀夫の勤勉さが惜しげもなく注がれた純文学としての短編や長編ではなく、むしろ
その余白に生まれて気軽に書かれた娯楽小説ではないだろうか。たとえば1967年に刊行された『夜会服』も、
その一冊である。(中略)
田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
>>66 「俊男」という、どこか虚無的でありながら近代社会における万能の力をもっているように見える男性の魅力は、
日本の近代化の矛盾を体現するかたちで造形されているところにある。(中略)
こうした「俊男」の造形に、三島由紀夫の自己イメージが投影されているのは間違いないだろう。(中略)
あるいは「俊男」を描きながら、三島由紀夫は戦後日本という「夜会服」の世界から出ることができず、本音を
隠して建前をなぞるかのように生きざるをえない自らの存在の悲哀を深く感じていたかもしれない。
注意深く読めば、そうした現実的すぎる悲哀を和らげる場面が『夜会服』にいくつかあることに気づく。
一つは日本が模倣しなければならないはずのヨーロッパやアメリカの人々が、醜悪で滑稽なものとして描かれて
いることである。(中略)日本人が日本語で読むかぎりは気がつきにくいが、世界性をもつ作品ではありえない
書き方だろう。
もう一つは日本の天皇家につらなる「宮様」が出てくる場面である。(中略)「俊男」の本音を聞き届けてくれる
「宮様」の存在である。そこにはおそらく、戦前の二・二六事件と敗戦後の人間宣言によって昭和天皇に対して
生涯屈折した感情を抱きつづけた三島由紀夫が夢想した、戦前から戦後へと変わらずにつづく近代化という建前を
強いられる世界において日本人の本音を守ってくれる天皇という、理想的なイメージが投影されている。
こうして本音をさらけ出した心の避難場所を愛すべき娯楽小説のなかにつくりながら、現実に三島由紀夫が
辿りついたのは1970年の割腹自殺だった。「俊男」とその孤独を理解する「絢子」の「愛」が成就される
『夜会服』の甘すぎる末尾がわたしたちに突きつけるのは、そうしてひとりのすぐれた作家を自死させてしまった
日本の現実に欠けていたものはなにかという問いである。
田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
70 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 21:54:04 ID:KYS/WNIMP
きもい勘違いナルシストだという印象しか持たなかった
前スレで亡くなった現場の写真あげて戴いた方、衝撃的だったけど
見られてよかった・・・ショックだけど、まじまじ見たのは初めてだ。
72 :
巫山戯為奴 ◆X49...FUZA :2010/11/27(土) 21:55:55 ID:y4KvuzwwO
>>56 俺は中道で社会主義者ではないので乞食の面倒迄見ない、気持ち悪い社会主義者と違い俺は新自由主義。
サヨクが右翼とか言ってるのを見ると滑稽でしかないし。
どちらも同じ由紀夫なのに、こうも違うとは・・・。
74 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 21:56:41 ID:mHMzocbiO
決起に参加しなかった時点で冷静に見てたと思うがな。
77 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 22:35:33 ID:mHMzocbiO
また中国船が尖閣に接近中だな
78 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 22:45:30 ID:GkqsyOgD0
三島の言ってたことはいま読んでみると普通に2ちゃんで書かれてることだもんな、いい時代になったもんだ
80 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 23:00:32 ID:mHMzocbiO
>>78 言論の自由っていいな
このまま民主党政権が続けばなくなるけどな
「午後の曳航」とか「美徳のよろめき」とか、ずいぶん昔に読んだな。
この人は強烈な自分の美学を全うして生きたという印象がある。
事件はセンセーショナルで、彼の憂いも何となくわかったけど、結果どういうふうにするのを望んだのかは今でもよくわからない。
イメージ的にはスノビズムのかたまりのやな奴って感じであまり持ち上げる気になれない。
石原都知事や田母神さんの方が好きだな。
82 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 23:17:07 ID:hS8NQ9Y90
2.26事件はなんとなく分かる気がするが、三島事件は考えれば考えるほど
泥沼にはまる。三島の女性的な性格によるものなのだろうか。
83 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 23:18:51 ID:hhLVS3NF0
70年ていうとハラキリできる限界よりちょっと前だったかもね。
72年の日中国交正常化、70年代後半からのリベラル勢力台頭
そこからサヨク社会へと雪崩落ちていった日本、
70年はハラキリできるくらい平和だった限界点かな。
もし今まで生きてたとして革命全共闘内閣なんか誕生してしまったからには
ハラキリどころか85歳でよぼってても絶対死ぬわけにいかんと思うと思うわ。
84 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 23:28:22 ID:hhLVS3NF0
何でもかんでも人権だ差別だ、中共や半島への謝罪だ友好だ
子どもの教科書もマスコミも当たり前のように自虐史が蔓延
こんなサヨク社会になった今から思えば70年頃はかなり良かった。
85 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 23:28:40 ID:zbW57jiU0
アノミー的自殺の典型例だと思う・・・
因みにwikiにあるアノミー的自殺の項目は間違っている。
だけど誰もアノミー的自殺だと指摘していない。あれー?
>>85 三島の切腹のどこが当時における自殺の典型例なんだよw
三島氏は鬱っぽくなっていたような気がする。
88 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 23:44:35 ID:4C7MNyTaO
>>1新スレありがと。ウチに文庫本「美しい星」があった。
宇宙人詐欺の男に中田氏された娘と家族を描いたバカバカしいお話なんだ。
けど、三島由紀夫さんはささやかでお人好しな一般家庭が好きなんだね。
自分ちは厳しい奥さんに監視されて冷え冷えだったのかも知れないけど。
最後に一家が信じる通りにUFOを着陸させる事でムリヤリ救ってる。
89 :
名無しさん@十一周年:2010/11/27(土) 23:57:59 ID:63aQZTWz0
切腹ってのは残酷で非人道的な行為に見えてしまって、てばなしに賞賛はできないけど......
昔の日本人の価値観では人の道に外れる行為を恥として(例えば一度口に出した事を簡単に撤回したり、
金に転び友を裏切るだとか、保身の為に真実を捻じ曲げようとする事とか)
実利的な価値感よりも精神的な価値感を上に置き、この力関係から恥をさらしながら生きていくよりも
人間としての美徳を最優先として散っていくという
日本人が品位と言うものを大切にする価値観と深いかかわりがあるんだと思う。
恐らく三島は命をとして1個人の命よりも大切なもの守らなければならない事があることを
(大塩平八郎を尊敬していた事などから推測すると)訴えたかったのかもしれない。
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::::::::::! 由紀夫 i::::::::
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91 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 00:07:50 ID:D9gIGTgpO
やべえ、檄文かっけえな。
しかし、三島さんはちょっと早すぎた男の感がする。
今、居たらかなり求心力になったと思うわ
92 :
巫山戯為奴 ◆X49...FUZA :2010/11/28(日) 00:24:19 ID:hfVzDBPXO
まだコレが貼られてないとはww
\ / .::::::::::::::::::::::::;;:;;::,ッ、:::::: ) く ホ す
\ l ,ッィrj,rf'"'"'" lミ::::::: く れ モ ま
Y ,!ミ::::::: ヽ な 以 な
`ヽ、 | くミ:::::::: ノ い 外 い
|、__ ャー--_ニゞ `i::::,rく か は
``''ー- ゝ、'l  ゙̄´彑,ヾ }::;! ,ヘ.) ! 帰
゙ソ """"´` 〉 L_ っ
/ i , /| て r
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,、yx=''" `ー{゙ _, -、 ; l レ' ヽr、⌒ヽ'
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// / ヾ_、=ニ゙
94 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 01:36:51 ID:GbQ46M+20
ナルシスト小説家の劇場方オナニー自殺と笑うのは自由
でも、この人が憂いていたまさにそのままの未来を
この国は確実に歩んで来た
日本を取り巻く世界状勢は、かつての硬直した冷戦体制のかわりに、かつての米ソの衛星圏よりの自己主張の
叫びが目立ち、分極化、多極化の様相を見せつける。(中略)各国をしてそれぞれの主張を、国際社会に対して
要求させる。(中略)
現代世界の秩序に新たな要因を加えたものとして中共の抬頭があげられる。中共の出現は、その急テンポな
核装備の進展の事実とあわせて、日本の今後の進路に決定的な介入を挑んでくるであろう。
森田必勝「二大国支配の打破」より
日本の国民感情は今だに「核アレルギー」から脱しきれず、さまざまな意味での進歩を妨げている。現代世界に於て
「核」は、われわれの知識をはるかに越えて発達しすでに政治面では「核」をぬきにして世界の外交政治は
考えられない。(中略)
日本が「核武装」すると主張すれば一般国民にとって非常なショックとセンセーションで迎えられるであろう。
しかし世界情勢に目を転じ、百年先の日本の進路を考えてみれば、むしろ核武装の主張は好戦的でも奇矯でもなく
当然のナショナリズムの発露なのである。
(中略)社会党が戦術上、今だに「非武装・中立」を唱えているため、保守対革新の国防論議は、「日米安保体制か
非武装中立か」という二者択一の幼稚な形で示される傾向にある。しかし「非武装」と「中立」は本来、
別個の概念であり、いうまでもなく「中立政策」には「武装中立」が含まれている。
永世中立国のスイスは、(中略)強力な民兵制度を保持、非常時には人口600万人中、一日で70万人の
大規模な動員が可能とされている。スウェーデンも同様に、(中略)最新兵器による攻撃に対しても防衛力を
持つことを目標とし、兵器の90%までを国産でまかなう体制をとっている。人口760万人の小国でありながら、
140万人分の原爆退避壕が建設されている。この地下大退避壕は現在、駐車場として利用されているが、
日本以外のどの国をみても「国防」に対する態度が真剣なのである。史上初の敗戦で日本人の感傷は少女趣味に
堕していはしまいか。
ますます強大化する列国の軍事力から自らを守るために、現在の戦争の最終段階の「核」戦争にも対処出来得る
防衛を、何時までも「米の核のカサ」に頼っている時期ではないのである。
中立・非同盟政策をとる国々のほとんどが「武装中立」というのが世界の現状である。「非武装中立」という
考え方は、戦争放棄の平和憲法をもつ日本の生んだ「特殊で珍妙な構想」といえよう。
森田必勝「『核』は将来のエネルギー源 単独核武装はタブーか」より(昭和42年)
>>96つづき
人間に闘争本能があり、どのような体制においても人間が変らぬ限り競争は続く。列国の政治に対する野心は
日本人が想像する以上に深く、ナショナリズムは時として狂信的な形で表現される。ひとりだけ、そんな中で
観念的な平和論をぶっても、周囲は一笑し、かえって利用され侵略されてしまうのが世界の現状であろう。
そうした意味でも「非武装中立」は絶対に不可能である。
(中略)今、日本が単独で防衛することになれば、自衛隊は限定戦争にさえ対処することが出来ず、核攻撃を
うけた場合、日本は歴史から消失してしまう結果となるだろう。熱い対立は祈ることによって避けられるものではなく、
平和は願うことによってのみ訪れるものではないのだ。
(中略)安全性をさらに高めてゆくには、日本が単独に核武装する以外にない。かりに今「核武装」を決意し、
国家政策として推し進めてゆくにしても五年の月日はかかるであろう。その頃、中共はICBMを相当数
実戦配備化してしまっている。
森田必勝「『核』は将来のエネルギー源 単独核武装はタブーか」より(昭和42年)
98 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 02:28:50 ID:1jDMal9d0
司馬史観が有名だが、特に日露戦争以後から太平洋戦争にかけての史観では
三島と司馬では相容れないものがあったのではないか?と思う。
ここら辺りの、司馬の自虐史観は彼独特のもので史実を直視していないことも
あり、明治維新時のクーデター政権礼賛にも疑問符が投げられる。
三島は「塀の中の・・・」著者の安倍譲二の紹介でボクシングを習ったり
ボディビルにも傾倒しているが、「楯の会」結成後の彼の行動に同調しない世論
に対して自害前の心理としては「レイプインチャイナ」の著者のアイリスチャン
同様に問題意識が頭から離れなくなり、鬱をわずらっていたのではとも思える。
99 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 02:55:37 ID:Z+7eeo130
中国でアヘン戦争を引き起こした張本人がイギリスのジャーディン・マセソン商会。
その日本代理店であるグラバー商会の下僕として活動してたのが坂本龍馬。
当時英米の外商はアメリカ南北戦争の終了により余剰となった武器のはけ口を求めてた。
そこで彼らは日本の反体制不満分子に最新兵器を売りつけ、日本に内戦を引き起こすことをもくろんだ。
ちなみに現地人同士を争わせるのはイギリスの植民地支配の常套手段。
最悪の売国奴坂本を美化し三島を中傷する司馬遼太郎。
こいつの正体が何者であるかは大体想像がつくね。
100 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 04:55:06 ID:m0dBZGA20
司馬は幕末の下級武士やB民による狂気じみたテロやクーデタは絶賛してるのに、
三島の自決は「精神異常者」呼ばわりなんだからひどいな。
101 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 05:18:27 ID:TDw+QvjDO
死ぬくらいなら尖閣諸島で生きて欲しかった
102 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 05:55:41 ID:InLIm5wY0
この人の事は知らないけど特攻隊員に今の日本を見せてやりたい
戦場に駆り出されるしかなかったあの時代の人から見れば
自分の不幸を嘆く現代人の生活でさえ夢のように見えるかもしれない
103 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 06:32:09 ID:qS6Eukgj0
三島由紀夫は精神病者だよ。
盾の会のあのいかれた制服姿、日本刀の携行、自殺パフォーマンス まともな精神ではないよ。
過去にくたばった精神病者のことなんかさっさと忘れることだ。
司馬遼太郎のほうがずっとまともだよ。
104 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 06:49:48 ID:i6Dk5TPZO
105 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 07:10:06 ID:q7cytqFU0
最期の演説の際の自衛隊の罵倒がすごかったな
あと、介錯役が刀の扱いが未熟で、何度も首に打ち付けたが絶命せず相当苦しんだらしい
で、それ見たあと、自衛隊がバレーボール大会続行したってのもなんともはや
早すぎたよ 三島
もう少し生きていて欲しかった
108 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 07:58:21 ID:vM5GKXRc0
やり方がアレだったのは確かだろうが
頭のおかしな人がやった事で片付ける人が多数の今の日本もどうなんだろう
109 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 08:04:16 ID:niA5IuYsO
学生時代に三島由紀夫読んだけどよくわからなかった。
鉄棒やってる男の子に発情して海でオナニーしたとか。
まあでもノーベル賞候補になるくらいだから天才なんだろうね。
110 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 08:13:44 ID:TAbvOiDtO
上手く切り落とすには扇子腹状態であまり頭部が動かないことが条件。ミッシーの場合、深く刺し過ぎて体全体が上下左右に動き回って照準が定まらなかった。必勝も焦っただろうな。最後は押し切り。
111 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 08:22:06 ID:w6Vj7zWb0
死は逃げだな。何も進歩しない。
介錯をした人はその後どんな罪に問われたの?
113 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 08:50:18 ID:u7E97YFR0
この人の生き方ってナルシストのオナニー見せられつづけてるみたいだ
死ぬ時までキモいおっさんのオナニー切腹して勘弁してほしい
114 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 08:59:11 ID:TAbvOiDtO
>>112 介錯した森田必勝は三島の後を追い自決。必勝の介錯をしたのは同行していた古賀浩靖。古賀が最終的に三島の首を落とした説もある。古賀は普通に服役したんじゃないかな。
>>114 ありがとう。壮絶だね。昔フォーカスかなんかで写真見たことがある。
今の日本も国防や外交で強くなってほしいけど、
日本人には神風特攻隊や人間魚雷の痛恨のトラウマがあるから、
ああいうスタイルはどうしても受け入れ難いよね。
116 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 09:39:51 ID:TAbvOiDtO
>>115 うん。三島は乃木将軍や226事件で自決した青年将校たちの生き様死に様に強烈に共鳴していた…てのはあると思う。切腹に対する幻想だよね。ただ「憂国」の割腹自決を遂げる青年士官の様子は実にリアル。
その想像を絶する痛みをも恍惚というナルシズムに昇華してしまう…てのは正直凄いとは思う。
究極の恍惚の中で死ねる…というのはある意味幸せだろう。
まわりはこの上なく迷惑だが。
あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。
三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。にもかかわらずそれを試みることは、
自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、
その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。
故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。
福田和也「保田與重郎と昭和の御代」より
吉田松陰が七世紀の壬申の乱のことを『講孟剳記』で語っています。そこで、たとえば弘文天皇が天武天皇に
三種の神器を奪われてしまったとき、レガリアがないとはたしてレジティマシーが天皇としてあるのかという
議論を、前期水戸学が問題にしている。これについて、吉田松陰はそんなことはどうでもいいと言うんです。
三種の神器を天武天皇から弘文天皇の臣下が奪い返せばいいんだと言うんです。つまり認識や理屈よりも行動だと。
実践的な行動が大事だと言っているんです。(中略)
(私は)日本人を非常に信頼しています。特に一般大衆と言いますか、庶民を昔から信頼しています。たとえば
徳富蘇峰が『近世日本国民史』で元禄時代の忠臣蔵、赤穂義士の事件のことについて触れています。
あれはいつどういうときに勃発しているかと言いますと、元禄時代ですので、およそ享楽と歓楽の世です。
元禄の世の中は黄金万能主義で拝金万能主義の世の中だと。太平楽で一切戦争から離れて、元禄のデタラメかつ
狂乱の文化を謳歌していた時代に、突如として江戸に腹を斬らなければならない人たちが四十何人も出た
驚くべき事件が出来したと言っている。蘇峰はこれを大正時代の今日に東京丸の内へ虎が飛び出すよりも
驚くべき事件だと言っている。
つまり日本国民に潜在している尚武の気性は、歴史的にいよいよ危機になってくると必ず実践として噴出する
というわけです。山路愛山も福本日南も、歴代の近代ヒストリアンは皆同じです。
まさにその伝で三島由紀夫さんが身を捨てて、戦後の昭和元禄みたいな世の中に警鐘を鳴らしてくれたわけです。
杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
確かに表面上はどんどん悪くなっていると思います。たとえば北朝鮮の拉致問題とか、憲法改正問題を含め
何一つ手を付けられない。その背後には日本国民の国家意識の問題がありますね。
たとえば有事法制を作った。北朝鮮で不審船の侵入事件がありましたが、あのときに自衛隊法八十二条で
海上警備行動を発動しようとしましたが、最初は巡視船でやっていて自衛隊はなかなか出ない。私が教えを受けた
坂本多加雄先生に言わせると内閣がもたもたしていたからだと言う。ではなんでもたもたするのかと言うと、
一般国民のなかにそういう構えができていないからです。しかし日本国民は健全だから必ず目覚めると常に
一貫しておっしゃっていました。私もそう信じています。三島さんのような人が、まさに昭和元禄の頃に
突如としてああいう行動を噴出させたようにです。
私はどんどん駄目になって遂に破滅に至る、日本が溶解するとは思っていません。近代以前もそうですけれども、
歴史を勉強しているうちに、そんなに捨てたものではないだろうと思うようになりました。
むしろこれから真の三島のような人がまた出てくるであろう。本当の危機のときに必ず日本人は英雄を生み出すと
山路愛山も徳富蘇峰も言っています。そちらのほうに私は賭けたいと思っています。
そもそも日本を溶解に導いているのは、むしろ政治家や知識人といったエリート層です。戦前も戦後も
そのパターンで、大衆国家日本の庶民の常識こそ信じたいのです。そしてそこから英雄が出現するだろうと。
杉原志啓「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
私が三島由紀夫氏を初めて知つたのは、彼が学習院中等部の上級生の時だつた。
…そのあと高等部の学生の頃にも、東京帝国大学の学生となつてからも、何回か訪ねてきた。
ある秋の日、南うけの畳廊下で話してゐると、彼の呼吸が目に顕つたので、不思議なことに思つた。
吐く息の見えるわけはなく、又寒さに白く氷つてゐるのでもない。
長い間不思議に思つてゐたが、やはりあの事件のあとで拙宅へきた雑誌社の人で、三島氏を知つてゐる者が、
彼は喘息だつたからではないかと云つた。
私はこの齢稚い天才児を、もつと不思議の観念で見てゐたので、この話をきいたあとも、一応そうかと思ひ、
やはり別の印象を残してゐる。
彼がそのわかい晩年で考へた、天皇は文化だといふ系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、
道徳であり、従つて節度とか態度、あるひは美観、文芸などの、おしなべての根拠になつてゐる。
三島氏が最後に見てゐた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だつた。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。
保田與重郎「天の時雨」より
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。
私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などといふ巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞ひは創作の場の延長ではなく、まだわかつてゐないいのちの生まれる混沌の場の現出であつた。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。
私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々の
この世の日々よりも、多くの国民にとつてはるかに近いところにゐる。
今日以後も無数の国民の心に生きるやうになつたのだ。
さういふ人々とは、三島由紀夫といふ高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えてゐる。
総監室前バルコニーで太刀に見入つてゐる三島氏の姿は、この国を守りつたへてきたわれらの祖先と神々の、
最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらはれたものだつた。
しかしこの図の印象は、この世の泪といふ泪がすべてかれつくしても、なほつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。
日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。
保田與重郎「天の時雨」より
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、
僕が地固めをしておく心算です。僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――
すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、
カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは
一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、
今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、今更、
神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日、三谷信への葉書より
124 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 12:48:32 ID:u7E97YFR0
楯の会は三島が自分好みの青年を集めて作った乱交組織。
ヒロイックな精神をくすぐられて入隊した若い男子学生は
三島のチンコ舐めさせられたり、ケツに入れられたり
125 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 13:41:20 ID:WHlLE+Fc0
>>18 少なくともオマエのAV見てオナニーして寝るだけの生活より
意味がある
126 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 14:14:46 ID:Ojl2KOq20
名古屋城そばの中日新聞本社には、敷地内でビラ配り、集会するな!って看板あったぞ。
だったらおのれも押し売りやめいやw
127 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 14:17:08 ID:Ojl2KOq20
>>106 結局、そばにいた神奈川大学剣道部員が三島と森田の介錯したんだっけ。
ものの見事に一刀両断したとか。
128 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 14:19:19 ID:XIs+m85+0
>>127 介錯ってのは首の皮一枚残して斬らないと単なる打ち首だろ
「最初はご自宅に伺ったんです。『論争ジャーナル』発刊の主旨、論調は当時反主流でした。
先生(三島由紀夫)は、その当時から一つの輝く北斗の星でしたよ。
思想的な評論など出していましたからね。
例えば、『対話・日本人論』とか、思想的な評論関係の著作を出していましたから。
文学者としてではなく、思想家として見ていましたよ。
小説家三島由紀夫と我々は見てなかったですよ。おそらく誰も。
…あの頃は、慶応で最初の学園紛争がありまして、それから早稲田、日大、明治、東大ってどんどん広がって
いったわけです。当時の思想風景というのは、左翼でなければ人にあらずという……。
想像できないでしょうが、そうだったんです。で、やっぱり、そのうちとんでもないことが起きる、と。
今見れば漫画みたいになっちゃうかもしれないけど、革命というのを、我々は真剣に危機的に感じていました。
そういう時代風潮を押さえて見ないと、あの頃の行動というのはわからないんですよ。
今の、この社会状況から見てたんじゃ」
持丸博(元楯の会初代学生長)
「あの頃は、全共闘全盛の時代だった。俺は九州生まれで、全共闘の考え方に馴染めなかった。
ああ、俺の考えは世の中に合わないのかな、と思ったよ。
…学校へ行ってもどうも自分と考えてることが違うなという連中が、我が物顔で歩いている。
肉体的には負けないけど、論争して負けたくないから理論武装したいと思った。
先生(三島由紀夫)の人柄とかに興味津々だったから、たぶん、先生が辟易するくらい質問したよ。
根ほり葉ほり訊いたね。先生は、目が非常に純粋で、僕らのようなひよっこにも丁寧な言葉を使ったし、
時間を守る、威張らないし、そういうことからも魅力を感じた。文豪なんていうそぶりは全然見せなかった。
礼儀正しさとか非常に親切心があるとか、何回かのお付き合いの中で敬意を持つようになった」
仲山徳隆(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
「三島先生は、『君が田村君か、さあ座りなさい』とおっしゃり、これが最初の言葉だった。
じっと見られた大きな目がキラキラ輝いていて、印象に強く残った。実にあっけない最初だった。
(中略)
体験入隊終了直前、緊張の連続と疲労の極みで胃液を吐きダウンしてしまった。
薬を飲まされ、隊舎のベッドで横になっていると、三島先生がいらしたんです。
ベッド脇に座られて『大丈夫か』と声を掛けてくださった。『幾つになった』と訊かれ、『十八です』と答えると、
『そうか、俺は君の親の世代なんだなあ。無理するなよ、行けるか?』と。先生のあの声は忘れられないですよ」
田村司(元楯の会会員)
「三島先生は先駆的な考えをお持ちで、当時、『論争ジャーナル』という雑誌で民兵構想というのを出されて
いました。こういうのは、これから面白いなと思った。
つまり自衛隊だけではなくて、民間人が防衛組織の一翼を担うという構想を出されていた。
アメリカでもヨーロッパでもそういう民兵というのはあるわけで、日本だけがそのような民兵組織がなかった。
自衛隊自体が、むしろほとんど否定されていたような世の中だったから、ああいう考え方は非常に新鮮でした。
今でもよく覚えているのは、訓練の時に小銃を持って走るわけですよ。あの時、三島先生は
『銃の重さを知ることが非常に大切なことなんだよ』と語っておられた。よく記憶しています。
国を守るということは、銃の重さを身体で感じることなんだと、理屈ではないんだと。全くその通りだなと思いました。
ほとんどの話は忘れてしまったけれど、これはよく記憶していますね、銃の重さのことは」
イニシャルO、元京都大学生(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
「とにかく入学した前後って、大学紛争が一番大変だった時、最初に入試を受けた時はバリケードがあって
機動隊が出てましたよ。早稲田の文学部は革マル派の本拠地だった。
圧倒的に、革命論争だとか新左翼系の話が主流でした。
でも、いわゆる左翼系の議論には違和感があった。どうもちょっとおかしいと。
それでいろんなものを読んでる中で、一番明解に論を展開していたのが三島先生だった。
そういう意味じゃ、『論争ジャーナル』に出て来て論陣を張ったというのは画期的だった。
自衛隊に行こうと思ったのは、当時はマイナーな存在で、どちらかというとマイナスの評価だった。
それと規律で全部縛られている所では自分がないと言われていましたから、本当に徹底してがんじがらめの
規制の中で人間がどうであるか、自由でありうるか、それを一回やってみたいと思ったんです。
三島先生の『楯の会』は、思想的に自由な所だったというのが大きかったと思います。
思想的束縛がありませんでした。会自体すごく幅広い人が入って来ていました。
僕なんか、従来型の右翼系の人とは随分違ったと思います。
僕は、三島先生といろいろ話していて、今まで会ってきた人の中であれ程頭のいい人はいなかったですね。
非常に明晰で、クリア。透明なんですよ、透明。なんていうかクリスタルガラスのような、水晶のような、
そんな印象でした。森田さんは、ともかく明るい人でした。話していて非常に気分のいい人。裏表がない人。
そういう意味で翳のない人だよね。生き方にも翳がないし」
佐原文東(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
「高校一年の時に、文化大革命が起きて、新聞は『文化大革命』礼賛一色ですよ。
『毛沢東万歳!』ってすごかった。ものすごい理想国家のように持ち上げていた。
ところが、新聞にちっちゃく記事があって、大陸から香港に逃げてフカに食われて死んじゃう人が
何百人もいるのを目撃したって。そんな素晴らしい国ならなんで亡命して逃げて来るんだ。
変じゃないかって、子供心に思っていたわけです。
…右でも左でもなかった。ところが、昭和四十五年一月頃、早大キャンパスに確か『三島由紀夫と
自衛隊に体験入隊しよう』というタテ看板を見て、俺が求めていたものはこれだと、決心。
楯の会という意識はなかった。自衛隊に行くことが主で入会はついでだった。
そのあと、サロン・ド・クレールで三島先生に会いました。非常にさっぱりした感じだった。
どんな本を読んでいるかと訊かれて、大江健三郎と。
その時、先生は大江健三郎の絶版になった本の話をしたんだよ。『政治少年死す』ていうやつを。
読んでないから答えられなかったんだよね。先生は、なんでこんなヤツが来たんだみたいな顔して、
森田さんの方を見た。森田さんは『いやいや、なかなか元気がいいですから』と言ってくれました。
森田さんの一言で、私は救われたようなもんです。
そうでなければ、こんな軟弱な学生が入れるわけないじゃないですか。
森田さんて人は、知れば知る程素晴らしい人でしたね。快活という言葉、一言。」
村田春樹(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
「森田とは同じ年だった。ある時、先生が俺をからかって、
『森田には命預けますっていう学生がいっぱいいるんだよ』と言ったんだ。そうしたら、森田は顔を真っ赤にして、
『いやあ、僕の命は先生に』って言った。
僕は自分の日記に書いても先生に直接そんなふうに言ったことないよ」
「森田必勝とは同じ二十五歳だった。当時、森田たち十二社のメンバーはすぐにテロだとか言っていた。
できるわけねえじゃないかこいつら、と思っていた。
でも、事件が終わってから、森田の見方が変わった。あの男に対する見方は変わったよ。
先生に対しては変わらない。もともと凄いなと思っていたからね。
…何かの折に触れ思い出すと、『あいつは凄かったな』と思う。
要するに、腹を切る切らないの前に、あの状況に立てるかどうか考えた。
それから介錯して、短刀を取って……。あの状況に立った古賀、小賀、小川、森田は凄いと思う。
三期で一緒だった牧野隆彦が、先生が亡くなった四十五歳を越えた時、『先生に、すまない』と言った。
そして、翌年四十六歳、くも膜下出血で死んでしまった。その時は、ショックだったね」
川戸志津夫(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
「三島由紀夫先生と楯の会のことは、田舎にいる時は全然知らなかった。興味もなかったし。
父親が靖国会をやっていて、その関係で森田必勝さんに会ったんです。
確か、森田さんが橘孝三郎(祖父)のことを知って、靖国会の事務所を訪ねて来たんです。
その後、私も紹介されました。親父は森田さんのことをこう言ってました。
『森田必勝という、なかなかいい男が俺を訪ねて来たぞ。凄く気骨のある人間だ。凄くいい青年だぞ』って。
くりくりっとした坊主頭の人で、本当にね、少年みたいにね、本当に裏のない人でした。
森田さんは兄と同じ二十年生まれ、ずっと兄のように思っていました。
(中略)
西新宿のルノアールで、三島先生にお会いしました。ほとんど何も言えなかったけどね。
『橘先生、お元気ですか?』と、祖父の橘孝三郎のことを訊かれたことを覚えています」
塙徹二(元楯の会会員)
「フルコガ君(古賀浩靖)とは事件後、品川だったか、電車の中で偶然会ったことがあります。
その時、彼は『すみませんでした』と言ったので、僕は『そんなことないよ。君がそんなことを思うことは
サラサラないね』と答えた記憶があります。
先生は、残すべき人間は残したんだと思いますよ。おそらく。
だから、残った人間は、重い荷物を背負っているんですよ。
私以外に、楯の会の会員で二人、自衛隊で定年を迎えた人がいます。
彼らと違うのは、私は事件が起きる前に自衛隊に入隊していたことです。
二人は事件が起きたあとに入ったから。まあ、どちらが大変という比較は難しいですが、それぞれ
大変だったと思いますね。ずっとマークもされてましたから。
多分、三人とも定年までマークされていたと思います。
…事件当日に市ヶ谷で斬られた人と会ったこともあります。
腕を斬られて、背中を何針か縫った人を知っています。でも、三島先生のことを悪く言う人はいません。
先生の心情はわかるということを、随分言われました」
イニシャルK、元明治大学生(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの
三島は人生そのものがひとつの作品だからなあ
死を持って完結させてるすごい作品
137 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 21:40:44 ID:7O7UnQuv0
オナニーという言葉を使ってる奴はほとんど同じ人間が書き込んででいるんだろうな
右的な思想はこうやって昔から潰されていったんだと想像できるレスばかりだね。
話に具体性がなく頭ごなしに決め付け批判して短文が多いのが特徴。
こういった日本のナショナリズムを目覚めさせるような思想には敏感に反応する
特亜の工作員が潜り込んでいるという噂は本当かもしれないね。
138 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 21:57:42 ID:Jw/mrw8z0
三島と司馬を悪く言う奴は在日
>>137 在日の朝鮮人は、生まれながら自己同一性を反日とする内患だ。
そんな存在が60万人存在している。
比率で言えば0.5%、即ち2ちゃんねるで言えば1000レス中5レスが在日のレスだ。
更に在日が集まりやすいスレについて言えば、
其のレス比率は10倍〜20倍はゆうに行くであろう。
其の数50〜100レスだ。
三島スレに粘着し、誹謗中傷を繰り返す塵が此れ程多くとも全く不思議ではない。
140 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:14:55 ID:9CWfLCdt0
>>33 今回では何故か出張ってこなかったが、21世紀に入ってから日本青年社(児玉とかの集結団体)が
尖閣で何年か滞在してたの知ってた?灯台作ってヘリポートも作った。ヘリポートは解体されたけど
三島が生きてるとか関係なく、現段階で極右が動かない時点でなんかおかしいんだよ
141 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:19:43 ID:X4lOPlYI0
檄文の「護憲の軍隊として認知された」の意味がわかりません。
自民党が憲法改正をあきらめたのはわかるが、それが何故、
「護憲の軍隊として認知された」になるんでしょう?
142 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:23:08 ID:hw1fK4Eu0
>>141 日本という国家の体制、主権と国民の財産生命を守るのではなく、
結果的に、米国製憲法を守る装置に堕落したことが、国民の合意となった。
ということではないの?
間違ってたらスマン
143 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:26:23 ID:RquTREYW0
ここ数日の焦りを含んだあからさまになったレスを見ていると
工作員というより棄民な感じがする。
自身では工作員のつもりでも本国から見れば棄民なんじゃないか。
自らの責任で逃げてきた国だから本国へ属して一緒に闘おうとか乗り越えようとかもできない。
自らが招いた結果でどこにも属すことが出来ない。
選挙権もないのにいっぱしの選挙民のように日本の政治を語る崔洋一みたいな。
144 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:26:47 ID:9CWfLCdt0
>>62 誰に言ってんの?
2ちゃんで講義する時点であなたも私も一緒。
珍しく議論できるなスレなのに、下劣とか言うなら、あんたが真似してくださいよ
今はそのタイミングじゃないってみんなわかってて、田母神さんを筆頭とした平和的デモをしてるわけです
私は三島愛好家なんで、あしからず。
あと2年長生きしてたら
あさま山荘事件後の連合赤軍の内ゲバを見て
「ほれみろ」と得意顔になってたかもしれないな
個人的には「天皇パチンコ玉事件」の奥崎謙三について
どう思ってたか知りたいと思ったりする
146 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:27:56 ID:5IVlv8PY0
司馬は昭和以降の日本は「魔法」にかかってダメダメになったと全否定するけど、
明治期の下克上や伝統文化の破壊だけは賛美。
三島は国家の大本を武士道に見いだし本来の伝統への回帰を主張。
明治の人材を育てたのは徳川幕府。
昭和の人材を育てたのは明治政府。
時代の流れは分断できない。
ほんとはオナニー的な自己陶酔に耽ってるのは司馬遼太郎の方で、
三島は冷徹なリアリストなのにな。
147 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:29:34 ID:xC3/LRE30
自衛隊員に決起を促すって、それ自体終わってるわな。
148 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:32:13 ID:RquTREYW0
>>140 動かないんじゃなく海保(政府からの通達?)に止められたとどこかにあった。
それと政府(自民政権)が尖閣の管理に乗り出してくれたので手を引いたとも。
ソース探してくる。
149 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:36:02 ID:hw1fK4Eu0
150 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:36:23 ID:46aqs8ds0
>>144 >誰に言ってんの?
前スレ及び
>>5 >>15 >>21 >>27 >>58 他に対して行ったのだ。
>2ちゃんで講義する時点であなたも私も一緒。
意味不明だ。
>珍しく議論できるなスレなのに、下劣とか言うなら、あんたが真似してくださいよ
議論どころか中小を粉って居るレスで溢れているから述べたのだ。
>今はそのタイミングじゃないってみんなわかってて、田母神さんを筆頭とした平和的デモをしてるわけです
>私は三島愛好家なんで、あしからず。
で?
貴様のレスは意味がわからぬ。
平岡は、冷静に考えればただの気違いか馬鹿か、覚醒剤中毒か
薬とか大麻とか、誇大妄想だよ
しょうもない。筋肉鍛えるのになにか使ったのかもね。
司馬遼はあれだ、SF作家だな
竜馬がゆくなんて「平行宇宙の妄想竜馬像」でリアルさなしだろ
だから面白かった。その嘘を信じる信者も多いし。
153 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:39:46 ID:9CWfLCdt0
>>148 マッドマックス11月号の朝堂院とかいう人が詳しく語ってる
というか、協力者だったみたい(ポケマネで青年社に2億5千万払ったとか書いてある)
ソース〜2005年に灯台の所有者権を放棄して、日本政府が国有化し
海上保安庁が保守・管理と発表した〜ここまで
これはただの情報ソースなんで、文句がある方はマッドマックスに言ってください
154 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:41:17 ID:46aqs8ds0
>>152 司馬は歴史家ではなく小説家。
当然「竜馬がゆく」は史実じゃなく「作り話」。
しかし、なぜか「竜馬がゆく」の龍馬像が史実として一人歩きしてるけどな。
156 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:45:05 ID:9CWfLCdt0
>>151 他のレスについてはおおむね了解
あなたも私も、2ちゃんねるという場所で議論する以上、同じ立場だと言いたいだけです
三島さんに忠義を近い、他のものを下劣というのなら
こんなところで油を売ってないで、下劣な場所以外で活動なさったほうが
あなたの為じゃないですか?
これ書くと歳がばれちゃうけど彼が自決した時俺は5歳くらいだな。
いろいろ思うところあって最終的にこういう衝撃的な死を遂げたんだろうけど
今でも思うのは死の直前に家族のことが思い浮かばなかったのかな?って事。
こんな死に方痛いし苦しいし残された家族の事とか思うと心が痛いし、
って考えちゃう俺はやはり凡人なんだろうな・・・。orz
ご冥福を。
昔「仮面の告白」を読めない字が多くて10ページで挫折したけど(苦笑
他のも含めて読み直したくなってきた。
158 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:50:37 ID:xC3/LRE30
「三島さん、大儀って何ですか。大儀で国民が飯を食えるのですか。文学的
に亡くなるのは結構だが、市ヶ谷の兵隊さんたちはあなたよりよっぽどリアル
な現実を生きているのですよ。目を覚ましてください」と坂本竜馬さんが言い
そうな気がするのですが。
159 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 22:54:57 ID:i6Dk5TPZO
>>103 個人が自分の考えで三島を罵倒するのは構わないが
「三島由紀夫のことなんか早く忘れろ」
と大勢に奨めるのはとても不可解
やはり三島支持者が増えることを恐れている団体の支持者なんだろう
民主党とか、在日団体とか
160 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:01:37 ID:rBuZFn/w0
死後40年たってもこうして定期的に話題に上がるってのは
本物の作家であり、本物の思想家であり活動家であったことの証拠だよ。
事件当日の朝日新聞記事読んだけど、たしかに新聞側もコメンテーターも冷笑的な逃げに徹してたな。
誰一人、真正面から三島の行動の意味を解そうとはしていなかった。
161 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:11:09 ID:AhdiWp8iO
三島さん何故今この時に居ないんだ。。。
162 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:15:51 ID:xgQ/aNY20
以前ビデオで三島由紀夫が薩摩の剣士役で出演している映画見たけど
ナルシストでホモだったんだろうなと感じる。
やたら鍛えた肉体を見せびらかせたい欲求が強いみたいだし。
自分を飾って見せないと恥ずかしい気性だったんだろう。
たぶんそれが原因で疲れ果てて自殺願望が高まってしまったんじゃないかと思う。
俺は自殺した人間にはなんだか嫌悪感のようなものを感じてしまうんだが、三島にはそれを感じない。
164 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:19:59 ID:m0dBZGA20
>>158 竜馬は攘夷に狂ったのちに英国武器商人の使い走りになってる。
この辺のデタラメな一貫性のなさを、
飯を食うための偉大な経済感覚と美化してしまうのが司馬マジック。
日本は上からの近代化を進め歴史上稀な成功を収めてるけど、
その中心に大儀に殉ずることをいとわない旧武士階級の存在があったことは留意すべき。
全ての日本人が竜馬のように目先の私利私欲で動く俗物だったら、
日本の経済発展はありえなかったはず。
165 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:27:17 ID:RquTREYW0
>>153 代わりにありがとう。
>>157 私は中一だったけど衝撃的ではあった。
それまで何年か全学連やら紛争のニュースばかり見かけていて何が違うんだろうと
潮騒しか読んだことも無く情報量少ない頭で考えたりした。
親たちの反応は覚えている限りでは「気の毒に」「そこまでやらなくても」みたいなのだったか。
父の兄がちょうど三島と同年齢で特別幹部候補生に志願し戦死している。
>>156 やはり相当妄想が入っていて意味が不明だ。
>あなたも私も、2ちゃんねるという場所で議論する以上、同じ立場だと言いたいだけです
だから?
>三島さんに忠義を近い、他のものを下劣というのなら
誰の事だ?
>こんなところで油を売ってないで、下劣な場所以外で活動なさったほうが
>あなたの為じゃないですか?
誰が「下劣な場所」といったのだ?
167 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:29:21 ID:NWFcKpiq0
同じ由紀夫でも鳥の由紀夫は…
因みに私は2ちゃんねるのみで活動をしているわけではない。
169 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:39:51 ID:ihZaLAI0O
三島がいたら石原と一緒にもっと俺ら真剣に日本の事考えることができたかもしれない。
戦争中兵士だった人達がもう85〜90歳位で彼等の子供がクソサヨ団塊世代、孫は今25〜35歳位。
俺の周りには爺ちゃん達を尊敬するのが非常に多い。
俺の爺ちゃんは俺が産まれる前に死んでしまったけど、もし生きてたら満州で戦ってた時の話を聞いてみたい。
小林よしのりの戦争論に書いてあったな。
三代目は初代に戻ろうとすると。
祖先を煙たがる、否定するのは団塊基地外世代、基地外世代を否定し、初代に回帰するのが三代目の俺たち。
俺たちは爺ちゃん達に感謝してますよ。
民主党政権になってなおさらそう思うようになった。
170 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:45:28 ID:xgQ/aNY20
>>169 三島由紀夫はナルシストで肉体への美意識が強いから
自分が爺さんになるなんて、耐えられなかったんだよ。
だから肉体が衰えて醜くなる前に自殺した。
自衛隊の決起を促したのは、そういった自分の自殺願望のカモフラージュに過ぎないわけよ。
三島が老醜さらして石原と爺さん対談なんて、虫唾が走っていただろうな。
>>157 小学生の子供が二人いたからねぇ…。
自分の死後も10年間毎年誕生日にプレゼントが届けられるようにデパートに前払いして手配していたそうです。
172 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:53:54 ID:umP/iDUR0
173 :
名無しさん@十一周年:2010/11/28(日) 23:56:38 ID:RquTREYW0
>>170 そういう美意識ももちろん小説の作品中には散見されるけど、それだけでそう短絡するのは、三島の一面しか見てない浅い解釈。
結婚し子供が生まれた時期のエッセイなど読むと長生きを前提に話してますから、
もし左翼全盛の時代激化がなければ、長生きの文豪人生だったように思います。永井荷風みたいになるだろう、とか言ってますから。
175 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 00:10:19 ID:enjOR1XO0
ぶっちゃけ老化と結婚生活から逃避したかったんじゃね
>>172 それとは関係ない話だけど、三島由紀夫の弟の孫が詩を書いてるとか。平岡あみ、という名前だったかな、うろ覚えですが。
178 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 00:29:49 ID:KfRbdj1V0
天才的な作家って老醜というより病や死という不可抗力を許せないんだろね。
自分自身であるのに何で自分のコントロール外なんだ、と。
芥川、太宰、川端、有島武郎・・
わっ有島の死後を思い出した。
老醜どころじゃないな、死後もコントロール不可だわ。
というので頭の回転良すぎて何でも制御できる感覚に陥りすぎて
病や死を考えると放っておけないのかと思う。
それか巨匠とは相容れない、とってもしょうもない事に悩んでの突発死か
どっちかだと思う。
下郎が糞便製造機の分際で客観的にだとw
180 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 00:39:32 ID:kGNmdm9kO
元・楯の会のヒトは何か受け継いで活動してないの?
181 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 00:45:40 ID:KfRbdj1V0
>>180 松浦芳子さんとその夫
松浦さんはチャンネル桜発起人の一人。
後はぐぐって下さい。
182 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 00:49:46 ID:kGNmdm9kO
>>172威一郎さんは「豊饒の海」をギリシャ人で撮るとか言ってたらしい。
184 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 01:00:59 ID:/+adYg0E0
先生の自決なされた翌年に生まれ、
恐れ多くも、先生と同じ名前を頂戴した者です。
昔は、三島さんと同じ字ですねって、
上の世代からよく言われたものですが、
最近では元首相のボンボンと同じだと言われ、
ただただ恥ずかしい限りです。
185 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 01:03:48 ID:DGetWZdg0
今扇動したら、決起しそうな気がする
ミンスの恐怖政治に対して
つうかオウム真理教の正当性の再評価と変わらんきがするわ
天地の混沌がわかたれてのちも懸橋はひとつ残つた。さうしてその懸橋は永くつづいて日本民族の上に永遠に
跨(またが)つてゐる。これが神(かん)ながらの道である。こと程さ様に神ながらの道は、日本人の
「いのち」の力が必然的に齎(もたら)した「まこと」の展開である。(中略)
神ながらの道に於ては神の世界への進出は、飛躍を伴はぬのである。そして地上の発展そのものがすでに神の
世界への「向上」となつてゐるのである。かるが故に「神ながらの道」は地上と高天原との懸橋であり得るのである。
神ながらの道の根本理念であるところの「まことごゝろ」は人間本然のものでありながら日本人に於て最も
顕著に見られる。それは豊葦原之邦(とよあしはらのくに)の創造の精神である。この「土」の創造は一点の
私心もない純粋な「まことごゝろ」を以てなされた。
「まことごゝろ」は又、古事記を貫ぬき万葉を貫ぬく精神である。鏡――天照大神(あまてらすおほみかみ)に
依つて象徴せられた精神である。すべての向上の土台たり得べき、強固にして美くしい「信ずる心」であり
「道を践(ふ)む心」である。虚心のうちにあはされた澎湃(はうはい)たる積極的なる心である。かゝる
積極と消極との融合がかもしだしたたぐひない「まことごゝろ」は、又わが国独特の愛国主義をつくり出した。
それは「忠」であつた。忠は積極のきはまりの白熱した宗教的心情であると同時に、虚心に通ずる消極の
きはまりであつた。
かゝる「忠」の精神が「神ながらの道」をよびだし、又「神ながらの道」が忠をよびだすのである。かくて
神ながらの道はすべての道のうちで最も雄大な、且つ最も純粋な宗教思想であり国家精神であつて、かくの如く
宗教と国家との合一した例は、わが国に於てはじめて見られるのである。
平岡公威(三島由紀夫)16歳
「惟神(かんながら)之道」より
188 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 01:15:00 ID:wJ+weyPx0
>その死を激烈に批判したのは司馬遼太郎さんだった。「この死に接して
>精神異常者が異常を発し、かれの死の薄よごれた模倣をするのではないかということをおそれ、
>ただそれだけの理由のために書く」と毎日新聞に寄稿した
精神異常者の吉田松陰が幕閣暗殺をくわだて斬首される。
その死に接して弟子どもが、松陰の薄汚れたテロ願望を模倣する。
この松陰の死にまつわる逸話は司馬にとって重要なモチーフで、
あちこちの小説や対談で崇高な死として描かれてる。
三島の死も松陰に通底する愚かで崇高な行為のはずなのに、
なぜ司馬はクソミソに罵倒してるんだ?
村田春樹先生も頑張っておられるぞ
楯の会の精神は受け継がれておるぞ
山口二也烈士の精神もな
190 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 01:18:32 ID:ON0/Q8VzO
つまり、三島って人は、今で言う中二病をこじらせたのが死因であると?
人間が為し得る発見は、あらゆる場合、宇宙のどこかにすでに完成されてゐるもの――
すでに完全な形に用意されてゐるものの模写にすぎない。
平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
日本の詩文とは、句読も漢字もつかはれないべた一面の仮名文字のなかに何ら別して
意識することなく神に近い一行がはさまれてゐること、古典のいのちはかういふところに
はげしく煌めいてゐること、さうして真の詩人だけが秘されたる神の一行を書き得ること、
かういふことだけを述べておけばよい。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「伊勢物語のこと」より
まことに小鳥の死はその飛翔の永生を妨げることはできない。中絶はたゞ散歩者が何気なく歩みを止めるやうに
意味のない刹那にすぎない。喪失がありありと証ししてみせるのは喪失それ自身ではなくして輝やかしい存在の
意義である。喪失はそれによつて最早単なる喪失ではなく喪失を獲得したものとして二重の喪失者となるのである。
それは再び中絶と死と別離と、すべて流転するものゝ運命をわが身に得て、欣然輪廻の行列に加はるのである。
別離が抑(そもそも)何であらうか。歴史は別離の夥しい集積であるにも不拘(かかはらず)、いつも逢着として、
生起として語られて来たではないか。会者必離とはその裏に更に生々たる喜びを隠した教へであつた。
別離はたゞ契機として、人がなほ深き場所に於て逢ひ、なほ深き地に於て行ずるために、例へていはゞ、池水が
前よりも更に深い静穏に還るやうにと刹那投ぜられた小石にすぎない。それはそれより前にあつたものゝ存在の
意義を比喩としつゝ、それより後に来るものゝ存在を築くのである。即ち別離それ自体が一層深い意味に於ける
逢会であつた。私は不朽を信ずる者である。
平岡公威(三島由紀夫)20歳「別れ」より
193 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 01:35:51 ID:MWx418DJ0
三島は長い日本の歴史でつちかってきた文化・伝統にいまいちど回帰することを伝えたかったのだろう。
戦後教育が教育勅語などにみられるような日本人が精神的な支柱としてきた道徳や武士道などの教えは戦争に繋がるものとして
意図的に封印され、だだひたすらに物質的に豊かになることが日本のよりよき未来像だと教えられてきた。
この考え方が日本中に蔓延し本来持っていた日本人の精神的な美といったものが急速に失われていくことを敏感に感じ取り
日本人の美意識こそが日本を支えていた一番大切なもので三島自身の命よりも大切なものと言うことを
身をもって証明しようとしたように思う。(三島は王陽明の思想の影響を受けている為、王陽明の考え方は理論と実践の両方揃う事を強く主張している)
194 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 01:53:04 ID:ZnlJ9ACtQ
確かに三島由紀夫の自決はナルシストの極致
それを国家、天皇とこじつけてる事自体おこがましい
司馬遼太郎が批判するのも、そんなくだらない自決に当てられて命を絶つのは馬鹿らしいって事だろ
その通りだと思う
195 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 01:56:17 ID:N+L+XMR+0
要するに、ごっこ遊び。
196 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 02:18:18 ID:W8kVn5EZ0
あの日四谷駅から見た防衛庁上空には
ヘリコプターが低空で旋回してたっけ。
なつかしいなぁ
197 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 02:21:52 ID:W8kVn5EZ0
あっ隣の市ヶ谷駅だった。
199 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 04:45:46 ID:45zfGeYs0
古代ローマの伝統からかイタリア人の武士道への評価は高い。
例えば会津若松にはポンペイの円柱の顕彰碑が建ってる。
白虎隊に感動したムッソリーニがイタリア市民の名で寄贈したもので、
かつては次の言葉が刻まれていた。
「文明の母たるローマは、白虎隊士の遺烈に不朽の敬意を捧げんがため、
古代ローマの権威を表すファシスタ塔章の鉞を飾り、
永遠偉大の証たる先年の古石柱を送る」
「武士道の精神に捧ぐ」
しかしこれらの碑文は戦後占領軍の命で削り取られてる。
日本が敗戦で失ったものは何よりもまず言葉なのであり、
三島は日本人の心から削り取られた言葉の復活のためにその命を捧げた。
行動はまねしたくないけれど
その精神というか美意識には敬意を払うべきだと思う
http://news.livedoor.com/article/detail/5130549/ これらを元に「YAMATO」号を購入。「尖閣諸島に向かう」ともいわれていた。
「西崎氏は購入後は大井埠頭に船を停泊させ、今回が試験航海でした。ダイビングをやろうとして転落したようですが、
彼の当面の目標は尖閣諸島だった。西崎氏は大物政治家とも懇意で、反日的な中国の態度に憤りを感じていた。
そんな気ままな西崎氏に映画関係者は手を焼いていたが」(事情通)
やって欲しかったなあ
石原慎太郎都知事、糸山英太郎、戸塚宏ヨットスクール会長、将棋の米長邦雄も乗せて
三島の後継者は、西崎だったか
202 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 09:04:06 ID:Zs+Oc4j5O
>>201 三島や西崎氏が旅立っても第二第三の三島がこれから現れるぞ
三島を知らない若者からも
日本人の潜在意識は一つだ
それに同調しない人間は日本人の魂ではないのだろう
葉隠というか衆道まで律儀に再現しなくても良かったよな
204 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 09:14:25 ID:JBAtb7S8O
ただ生命ながらえるだけの糞便不満不平製造器には
想像もできない宇宙があるのよ
筋肉ムキムキ男色天国
207 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 09:47:22 ID:R8ryYl/a0
日本の行く末を憂い
起こした行動に理想はあっただろうけど
問題はそれが自己のナルシシズムの発露としかその場の自衛隊員からして思えなかったことであり
現実的アプローチでなかったのが問題だった
心の底ではテロを止めて欲しかったカリスマ性のあるシャアと
極めて冷静で現実的に根回しやテロを繰り返し世界の方向性を変えていった全裸との違いのようなもので
208 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:01:03 ID:Zs+Oc4j5O
>>207 現実的に危機を感じ取れる人間が自衛隊の中にいなかったのだろう
当時は経済成長右肩上がりの平和な日本だったから
一般人から見れば中国はまだ発展途上国で大人しく見えたし
でも三島は著書の端々に中国の性根についても書いていたようだね
本当に先見の明がある
209 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:01:19 ID:JBAtb7S8O
侍もいろいろ
210 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:06:25 ID:dmXt27Ks0
アホなテロリスト
それ以上のものではない
草加少佐 「あなたはあの終戦を見た世代。だが私は違う。生きることとは知ることだ」
212 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:13:10 ID:u0UeTUS5O
あの時代だったから三島はアイドルになれたのじゃないかな?
今の時代なら、森田必勝なんかもサーファーやってるんでねか?
213 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:16:19 ID:xM+Ct/qtO
三島は世の中には命より大切なものがあるって言いたかったんだよ
それを証明するためには自ら死んで見せる必要があったんだよ
ナルシシズムではなく合理的な決断
214 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:17:54 ID:Zs+Oc4j5O
>>212 今の時代なら三島は水嶋ヒロみたいなもんかな?高学歴俳優でバイリンガルで小説家というと
215 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:19:27 ID:jkpGTdvy0
ホモのろくでなしが国士とかw
拳を振りあげてみたはいいが、結局下ろせなかったんだな。
究極のカッコ付けたがりだから、しょうがなかったか。
217 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:30:25 ID:R8ryYl/a0
>>213 いつだって上官の命令で死ぬことを覚悟している連中の前でそんなことをアピールして
無視されてる時点で…
218 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:30:33 ID:AJQ6fhPtO
三島はコンプレックスの塊みたいなもんだからなあ。
三島の国の憂い方は、個人的内面的な動機のみに基づいてるんだよ。
自身のコンプレックスの発露として憂国を持ち出して、あまつさえクーデターだのと騒ぎ立てた。司馬じゃなくても批判するのは当たり前だな。
鳩山由紀夫自決に見えた
220 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:34:34 ID:rUzkfkHp0
鉄拳シリーズの主人公である
三島一族って、1の製作者チームに三島由紀夫に影響されたやつがいたって本当?
今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでせうが、それまで、日本の文学のために戦ひぬかねば
ならぬことが沢山あります。
去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思つてゐた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、
これからが大事、これからが一番危険な時期だと云はれましたが、今にしてしみじみそれがわかります。
文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソハソハ、
鼠のやうにうろついてゐる時ではありません。この際、貴方下の御決心をうかゞひ、大へんうれしうございました。
たゞ、かういふ言葉の意味もお弁へ下さい。鹿子木博士の言葉、「今日大切なことは、億兆一心といふ事であり
総親和といふ事ではない。陛下が詔書の中でお示しあそばされてゐる億兆一心とは、億兆一心とは、億兆の者が
一つの心、国体の精神によつて一つになる事也」(ラウド・スピーカアのお題目も亦、億兆一心といふことばを
形式化し、冒涜するものでせう)。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年9月25日、徳川義恭への書簡より
ニイチェの「ツァラトゥストラ」の中には日本のことをかいてゐるやうな気のするところもありますね。
そして超人の思想の根本なぞどうも私にはインド、又ひろく東洋全体の思想への接近より、ニイチェが自ら
意識するせぬに不拘(かかはらず)、日本への大きな意味があるやうに思はれてなりません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年2月15日、東文彦への書簡より
ニイチェについて、お陰さまでいろいろ新しいことを知りました。実はツァラトゥストラの登張竹風の跋文の外、
私にはニイチェに関する智識がございませんでした。ツァラトゥストラのあの超人の寂寥あれを私は平安朝の
女流たちにも感ずるのです。「古今の季節」といふエッセイのなかでその荒涼を語つたことがありますが、
ニイチェがあれら女人の深い寂寥にふれてゐたらどう思つたことでせう。ニイチェの愛した東方ではなく、
むしろニイチェ自身の苦しい影をみはしなかつたかとさへ思ひます。
「世々に残さん」をかく用意に「平家物語」を何遍も繰つてゐますが、川路柳虹氏も名文だとほめてゐられる
あの文章、又あのむしろ宇宙的な末尾の哀切さ、あれを一篇の小説としてみてみると、大原の大団円は、私には
ラディゲのドルヂェル伯の大団円などよりこのごろではずつと身近に感じられます。無常といふ思想は印度から
来たものでもそれを文学の極致にまで詩の極致にまで高めたのは日本人の営為ですね。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月11日、東文彦への書簡より
223 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 10:47:00 ID:KfRbdj1V0
>>219 同じ由紀夫で人間存在の対極にあるね
ルーピーは人類の中で一番、自決から遠い人
>>213 >三島は世の中には命より大切なものがあるって言いたかったんだよ
で、それ証明になったと言えるのか?
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありませう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもつてゐますので、一しほの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、
ニイチェのやうに、愚人の海に傷ついた人でありませう。英雄の悲劇の典型ともいふべきものがみられるやうに
おもひました。かつて世界の悲劇であつたのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。
スカラ座もこはれたやうですね。米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦ふべきでありませう。
俗な精神が世界を蔽(おお)うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらひ、さげすみ、蹴とばした
気持がわかります。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年8月20日、東文彦への書簡より
>>224 証明する必要なんかないでしょう。三島の心は時空を超えて伝わる人間には伝わっているわけだから。
227 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 11:19:02 ID:KfRbdj1V0
>>224 世の中はその逆へ行ってしまったね。
7年後には人命は地球より重いだから。
今じゃ他人の臓器もらってでも機械に繋がれまくってでも生きなきゃならない。
生理と変わらない後処置の要らない化学的流産まで騒ぎ立て水子だの言う。
大義だけでなく潔さや諦観も無くなってしまった。
新宿駅で私は汚ない作業服とキャハンを穿いた後輩を発見しました。
彼は私が彼の先輩であることもしらず、私を不思議さうに見てゐましたが、その目は学習院の学生によくある澄んだ、
のんびりした目付で、口は少しポカンと開いてゐました。私は所用で大塚まで行くので、車内で、目白駅に下りた
その小後輩を見送つたわけですが、彼は、そこで我勝ちに下りた乗客たちとは似てもつかない、実にオットリした、
少したよりない、少し眠さうな歩き方で、階段の方へゆつくり歩いて行きました。何故かそれを見ると、私は
ふと涙がこぼれさうになりました。
ああした人種、ああした歩き方、あれがいつまでこの世に存続して行けるであらうか。私たちもその一員であつた、
閑雅なあまり頭のよくない、努力を知らない、明るい、呑気な、どこともしれず、生活からにじみ出た気品の
そなはつた学習院の学生たち、あの制服、あの挙止、そしてあの歩き方、そのすべてが象徴してゐたある美しいもの、
それ自身頽落を予感されてゐたもの(私の十数年の学習院生活はその予感のなかにのみ過ごされました。)が、
今や鶯色の汚れた作業服を刑罰のやうに着せられ、靴は埃にまみれ、トボトボと不安気に歩いてゆくのを見て、
私が目頭を熱くしたのも道理でございます。帰途学習院へ寄つてみて、あの焼跡を見、後輩たちをみて、
相似た感慨に搏たれました。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より
>>228 (中略)かうした終末感を私は、徒らな感傷や、信念の不足からして感ずるのではございません。ある漠たる直感、
夢想そのもののなかに胚胎する覚醒の危険、凡て夢見るが故に覚めねばならない運命を感ずるのでございます。
現実に立脚した精神がわれわれの夢想の精神より更に弱体なものとみえる今日、われわれの夢想も亦凋落の決心を
必要とします。昼を咲きつづける昼顔の仄かな花弁は、昼の烈しい光のために日々に荒され傷つけられます。
何ものも神の夢想に耐へるほど強靭であることは出来ません。
しかし人の夢想の極限に耐へえた人は、その烈しさ極まる目覚めの失墜にも耐へうるであらうと思ひます。
ただ朝をのみ時めいた朝顔とはちがって、あの長い烈しい昼間をよく耐へた昼顔の夢想は、その後に来る長い
夜の烈しさにも耐へるでありませう。私共は今日ほど私共の生の強さと死の強さを感じることはございません。
私共は遺書を書くといふやうな簡単な心境ではなく、私たちの文学の力が、現在の刻々に、(たとへそれが
喪失の意味にせよ)、ある強烈な意味を与へつづけることを信じて仕事をしてまゐりたいと思ひます。
その意味が刻みつけられた私共の時間は、永遠に去つてかへりませんが、地上に建てた摩天の記念碑よりも、
海底に深く沈めた一枚の碑の方が、何千万年後の人々の目には触れやすいものであることを信じます。
私共が一度持つた時間に与へた文学の意味が、それが過去に組入れられた瞬間から、絶対不可侵の不滅性を
もつものであると思はれます。
項日(けいじつ)、生じつかな名声は邪魔であるが、真の名声はますます必要であることを感じて来ました。
文学作品を本文とするなら、名声はその註釈、脚註に相当します。本文が死語に化した場合、この難解な
ロゼッタ・ストーンを解読しうるものは、たえず更新される註釈のみでございませう。
平岡公威(三島由紀夫)昭和20年7月3日、清水文雄への書簡より
230 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 11:37:58 ID:Lx8seDlV0
三島?徴兵検査からダッシュで逃げたヘタれ作家だろw
>>230 徴兵検査は合格してますけどね。入隊直前の入営時の健康診断で結核の疑いで帰されただけで。
232 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 11:46:11 ID:JBAtb7S8O
>>229 >海底に深く…
人々の無意識に沈みたもうたものは
いくら意識に否定が自他からなされようとも
ね〜♪
233 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 11:49:53 ID:Xw2kl0eO0
>>1 >戦後日本を憂う気持ちは二人に共通していた
×憂う
○憂える
日本語は正しく使おう
234 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 11:52:14 ID:KfRbdj1V0
>>231 けどその前の特別幹部候補生には何で志願しなかったんだろ
>>234 どうせ戦地に行くなら一兵の特攻隊で行きたかったから。
236 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 12:02:54 ID:6KJcYlV20
三島の大学時代の指導教官だった団藤教授はまだご存命ですね
237 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 13:21:05 ID:850x0rNy0
>>235 特幹のほとんどが特攻になったんじゃなかった?
+最近よくぶちるね
>>226 世の中には命より大切なものがあるって事を証明することにはならなかった、
が、心は伝わっているってことで宜しいわけね。
>>237 なってないよ。三島が行くはずだったところの方が兵士が全滅してて、
三島の同級生の学習院の三谷信は幹部候補生だけど、そっちの方が比較的、命の危険がない任務。
>>238 心は伝わっているってことは、三島は死んでも、その主張が後世に届けられることだから、
証明するも何もないでしょう。現に三島の遺志は生きてるわけだし。
>>240 あのな、証明云々は俺が言い出したことじゃないんだよ。
>>241 言い出したのはあんたじゃなくても、その言葉に食い下がったのはあんたでしょう。
>>242 証明ができなかったものを意志が伝わってるとかごまかしてる~言ってんの。
俺から言わせれば証明もできなかったし、意志も伝わってないと
言いたいわけよ。
その意志の痕跡はどこにもないだろ。
244 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 14:05:59 ID:850x0rNy0
>>239 幹部候補生でなくて「特別」が付く方。
二十歳以下の少年兵?というやつ。
ぐぐって来たら三島は体格に自信が無く不合格になりそうで受けなかった
というのがあった。
これがかなり後々まで引っかかってたんじゃないの。
>>243 伝わってますよ。三島に影響されて自衛隊に入ってる人もいるし、そういう人は各分野にたくさんいるからね。
あんたが知らないだけで。
246 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 14:08:06 ID:YPdW2liqO
証明?
何年後なら証明と言えるのかな
2000年後くらいまでは生きて、見届けてくだはいね〜
どの時代に思想が生き死んだかなんてのは
マスコミの取り上げ方だけからは見えないし
証明する人は調査が大変そうだね
247 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 14:09:01 ID:yiOmm5ilO
お前らの新聞が三島を語るなと
248 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 14:11:40 ID:o7ix5gG/0
貧弱な骨格にいくら筋肉盛っても見苦しいだけなのにね
こいつがいたからホモ嫌いが始まった
>>245 だから、ああいうことでは、何も証明はできないんだよ。
それでも共感する人間が皆無であることはないわけだから
その人にとっては伝わったと言えるかも知れない。
話を混同してはいけないね。
自分が生きていることの証明だってできないのに
何を言っているやら
俺達の記憶にあるだけで充分なんだよ
我々の記憶に残るように、わざわざああいう手法をとったわけだから、
そういった意味じゃ、成功と言えるね。
252 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 14:26:38 ID:1L2NV5eEO
三島は永遠に不滅です
253 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 14:35:29 ID:ni66g1VA0
>>238 その逆の「世の中には命より大切なものはない」という命題も証明されていない。
こうした定義が曖昧な言葉尻をとらえても無意味。
ちなみに生物学者のドーキンスはこう言ってる。
「わたしは2人の兄弟もしくは8人の従兄弟のためなら死ねる」
これは人間をDNA運搬装置と見た場合、個の生存にこだわるよりも、
利他的行動をとる方がDNA生存戦略上正しいことを意味してる。
三島は文化・伝統・名誉といったより社会化された概念で説いてるけど、
核心的な部分はドーキンスの言ってることと同じだ。
国民が個体としての目先の利益や生存をのみを重視するならば、
そのような国家はいずれ滅びる。
254 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 14:40:59 ID:0TwFQCPV0
めっちゃ顔デカイよね
ならば、やはり、自決することだけが唯一の目的であり、
決起せよという言葉はなんの意味もなかったということだな。
いや、意味が無いことはない。
決起するはずもない、ということは最初から承知だったんだな。
決起は自決には邪魔にしかならんからな。
そのパフォーマンスはやはり、自決のための演出でしかなかった。
なんとも姑息で我侭だ。
迷惑な話だったと、利用された当事者も証言してるしね。
257 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 15:20:49 ID:1L2NV5eEO
>>255-256 なに一人二役で語り合ってるの?
これ+で最近流行ってるよね
同じIDが質問したり質問に答えたりする輩
この人先輩だぁ。小説の中にも当時の寮生活のこととか風紀の話がでてて今も残ってることがあったりしてうけた。
259 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 15:47:05 ID:28jKgrM+0
三島を批判した司馬は
やっぱ汚点を残したね。
おまけに最後は司馬も憂国になって。
三島の方がすべてにおいて勝っている。
大衆作家は龍馬をねつ造してれば良いんだよ。
テロリスト三島の何がいいんだか・・・
261 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 15:50:05 ID:1L2NV5eEO
これからはRYOMAよりMISHIMA
262 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 15:52:19 ID:28jKgrM+0
吉田松陰だよな。
昭和の。
先見の明は松陰以上。
ただ、後に続く日本人がダメすぎて
状況は悪くなっている。
檄文そのままの世界になってしまってる。
263 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 15:53:37 ID:ot2+1pUIO
自衛隊員の飯時を邪魔したアホだろ?
264 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 15:58:10 ID:0arTlkOV0
あの時期に改憲が成就されていたら
今の日本はまた違っていたんだろうか・・・
三島は司馬遼太郎の本、どんな感じに論評してたの?
266 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 16:07:26 ID:1L2NV5eEO
>>264 現時点で中・韓・露にここまで舐められることは無かったと思う
267 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 16:10:35 ID:LQB/bUMh0
石原慎ちゃんと一緒にボクシングしてた時期もあったのにね
三島由紀夫はたいした人だとはおもうが、いつも最後まで読めない。
なんていうのか、小さい自分を必死に大きくみせたがるというか、
そういう自意識過剰やコンプレックスが、かえって彼の余裕のなさにみえてしまう。
身長も一説によると163センチということで、自分より背の高いのは
仲間にしなかつたとか、変にコツプレックスがわるいほうに作用している。
その点司馬なんか小さな人だが、どこにもそんなことにこだわる気配すらない。
いつもおおらかでのどかでびびろしている。
cocco今もうたってるんだ。ボランティアとかしているって淡さ聞いてたけど
子供できて大勢の人と海の掃除とかしているうちに、
いろいろ変わってきたのかもね
271 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 16:33:38 ID:28jKgrM+0
>>256 その場のヤジはあっても、当事者はその後誰も迷惑だなんて言ってませんけどね。マスコミがそういう印象操作しただけでしょう。
唯一「迷惑だ」と言った中曽根も三島裁判の証言では三島を全面擁護してますよ。
>>265 司馬遼太郎について論評したものはないです。
274 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 17:02:59 ID:f0/T+86TO
青島だ〜(゜∇゜)
275 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 17:08:00 ID:28jKgrM+0
三島は司馬をほぼ無視にしてたしな。
歴史小説ってジャンルをつまらないっていう主旨の事はいってたように思う。
>>272 テレビで言ってるよ、当時の幹部
NHKだったと思う
>>273 ないのか
三島の自決はよど号事件と同じ年だよね
三島はよど号事件の感想なんか言ってたのかな
278 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 17:24:44 ID:1L2NV5eEO
歴史小説は読む人にとっては面白いジャンルだと思うけど、書く人にとっても一番楽そうである
素人の俺が小説や脚本を書けと言われたら絶対に歴史小説にするだろうな
更にSFを少し取り入れればJINや戦国自衛隊のようになりそうだしね
279 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 17:34:03 ID:Kv/ogVjy0
ほとんど読んだが、禁色と鏡子の家が残っとる
どっちから読むか誰か決めてくれ
280 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 17:37:50 ID:TLkHX6AJ0
即身成仏の護国の鬼版、みたいな感じと思ってる
281 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 17:39:04 ID:SLybor5t0
【日本闇公房、鳥瞰図】
・冤罪・アメ細工師=検察
・世論・アメ細工師=マスコミ報道局&ユダヤインテリジェンス(三宝会)
擬制民主主義=衆愚(裁判員制度+検察審査会)/世論誘導マスコミ
裁判所が「村木裁判」と同様に、検察審査会の冤罪構造(衆愚を引率した密室談合)に踏み込んだ場合・・さてどうする、マスコミ大手各社。
対日政治支配のツールとして、アメリカに要請された擬制民主主義・・さてどうする、日本司法。
因みに、検察は戦後、マッカ−サーGHQが創設した占領軍特務機関が前身である。平たく言えば、在日米軍・秘密警察がルーツである。
同様にマスコミはGHQの管制下で提灯メディア として、文化改造=温米知新の情報宣伝工作を専業とした。
・日本アメ細工房=検察特捜・検察審査会
・日本アメ細工本舗、社長=ナベツネ(情報ユダヤ)
・日本アメ細工本舗、社長室=菅仙谷直人 (副室長=渡部恒三)
・日本アメ細工本舗、広報室=マスコミ報道局
・日本アメ細工本舗、御用組合=日本共産党・同組委員長(船橋洋一)
・日本アメ細工本舗、御用組合青年部=松下政経塾
・日本アメ細工本舗、法律顧問事務所=東京第二弁護士会
・日本アメ細工本舗、金太郎飴獣道営業=ユダヤインテリジェンス(各局各社タレント文化知識人)
・日本アメ細工本舗、永田町営業所=自民党清和会
・日本アメ細工本舗、町内自治会=公明創価学会
・日本アメ細工本舗、取引先=NPO法人・新しい日本を作る国民会議
・日本アメ細工本舗、社外取締=電通/持ち株会社=CIA
日本社会の冤罪が、本質的には特捜検察の歴史的・組織的な問題に端を発するとはいえ、
歪んだ特捜の権限と情報に集るメディアと、それに操作される世論、そうした動向を追認してきた裁判所。その平目裁判官の人事を裏金給与で統制する憲法違反の最高裁。世論動向と私益だけが行動原理の官僚と政党。
などなどの非三権分立が権益曲線で結び合い、日本社会を囲い込む・・構造腐敗国家であることは忘れてはならないだろう。
マスコミが小沢の政治生命を絶つことに狂奔することは、日本の自立カードを衆愚を以て葬ることである。さて、その国益=最大利益を貶めているのは最小不幸社会?の誰なのか?
マスコミに同伴させられる、国益なき衆愚社会は展望なき融解過程にありはしまいか?
>>277 「もしかりに、一定妥協して、不十分ながら第一章が日本の「国」とは何ぞやといふことを規定してゐるとしても、
第二章は明らかに、国家超克の人類的理想について述べてゐる。第一章が「国のため」といふ理念を一応掲げて
ゐると仮定しても、第二章が掲げてゐるのは「人類のため」といふ理念である。国民の側から云へば、忠誠対象の
不分明であり、国家の側から云へば、国家意志の不明確である。これらの茫獏たる規定から演繹される国家最高の
理念とは、人命尊重のヒューマニズムに尽き、平時はそれでよいが、ひとたび危機に際会すると、一九七〇年春の
ハイジャック事件のやうに、韓国、北鮮がそれぞれ明白に国家意志を表明したのに、ひとり日本は、人命尊重の
ヒューマニズム以上のものを表明することができず、しかもこのヒューマニズムには存分に偽善が塗り込められる
といふ醜態をさらしたのであつた。」
三島由紀夫「問題提起」より
「いまの日本は「公」と「私」の別がないやうな国、私益優先の国ですね。人命尊重以上の高い価値を持つたものは
なくなつた。それがいまの日本です。ですから「よど号」事件なんかでも、日本の政府は人命尊重以外には
何もいへない。日本には、それ以上の国是がないんだから。」
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より
283 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 17:45:11 ID:/wPUUshh0
「私は文学に専念して入ればよかったのに、柄にもないことに首を突っ込み、
どうにもならなくなった」
鳩山由紀夫の自決から40年に見えた
40秒後でもいいんで自決してほしい
>>279 「禁色」の方が読み物として面白いけど、「鏡子の家」の方が文学的価値は高いと思う。当時は不評だったそうですけど。
>>276 テレビだし立場そう言わなきゃいけなかったからだよ。アメリカの傭兵だから。
287 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 18:00:05 ID:r118ylSmO
イタリアでもやってるんだよね。憂国忌
「午後の曳航」が好きだったな。
映画化されたのも、日本の原作を使った映画としては
よくできていた。
これだけの年月が経っても議論を呼んでいるあたり
自決は成功だったんじゃないか
291 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 18:49:16 ID:0h63KgBh0
自決したときの軍服まがいを三越で買ったと聞いて笑った
>>1 年齢問わずこれぞゆとりなんだよ
自殺者を美化するとは不届き千万
同じ由紀夫でもエライ違いだよなあ
三島は家族もいて地位も金もあるのに国のために命をかけたのになあ
294 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 18:56:36 ID:T24iwi9n0
コンプレックスのかたまりのような人、いまでも犯罪者に多くいる人格。
作文も東洋のキワもの扱いで世界で有名なだけ。
切腹したことで、少し名前が生き残った、大衆の一人。
294 名前: 名無しさん@十一周年 投稿日: 2010/11/29(月) 18:56:36 ID:T24iwi9n0
コンプレックスのかたまりのような人、いまでも犯罪者に多くいる人格。
作文も東洋のキワもの扱いで世界で有名なだけ。
切腹したことで、少し名前が生き残った、大衆の一人。
 ̄ ̄ヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
<丶`∀´>
( ) ←己の主張の為に自決も出来ない屑民族
| | |
〈_フ__フ
296 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 19:03:01 ID:m9EIQw8xO
鳩山由紀夫がどうしたって?(。ヘ°)?
297 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 19:16:59 ID:+0N91yxTO
今の日本が異常だよ…
自分達の国を自分で守る事が出来なくて自分で自分を守る議論をするとそれを阻止する政党があり、守ってくれるアメリカにはアメリカ軍は不必要ですと叫ぶ…
俺は別の意味でアメリカ軍は必要であり不必要だとも思っている。
不必要な部分は日本の反撃能力を削除してアメリカ軍に全てを託している部分であり、必要なのは攻撃された場合自力で反撃する能力を装備し同盟国の米軍と共に反撃する事なんだよ
>>291 嘘付くな馬鹿。
あれは西武で誂えたんだよ、オーナーの堤と親交があったから。
299 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 19:21:15 ID:fuhSkMtF0
>>268 コンプレックスや陸軍時代のトラウマを抱えてたのはむしろ司馬の方でしょ。
たしかに三島の作品には自意識過剰で万能感に溢れる青年期の人物が登場するけど、
三島はそうした世界との関わり方を悲劇として描いてる。
シニカルでリアルで透徹した三島の視線は安易な虚勢とは正反対のベクトルを向いており、
三島の作品が素人にとっつきにくいのはそのため。
一方の司馬は主人公を一種の超人として描く。竜馬がその代表例。
常に肯定的に描かれるから安心感があり「いつもおおらか」に見える。
しかし実際の竜馬は差別に反発して道を踏み外したコンプまみれの複雑に鬱屈した人物で、
幕吏を短銃で射殺したり、グラバーから与えられた兵器を薩長に横流しするなど極悪をつくした国事犯。
そのダークな人物が司馬にかかると「日本の夜明けぜよ」と海に向かって叫ぶ英雄になってしまう。
こうした幼稚な自己肯定が司馬の特徴なんだけど、これこそコンプレックスや弱さの現れ。
300 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 19:31:41 ID:uKD04Z0g0
西部邁が三島特集の番組の中で
「生命を至上の価値とすることは一見すばらしいように見えるが、実はすごい恐ろしさを孕んでいる。
生きる為であればどんな手段でも正当化されてしまって際限がなくなるからだ。」
という趣旨の発言をしていたけど、ホントにそう思うわ。
生命至上主義はつまるところ弱肉強食の言い換えだから
他人の命だろうが、尊厳であれ文化であれ
自分が生きるためならなんでも食い殺す野獣。
人類最大の敵は、過剰な生存欲求だな。
違う。生きることとは知ることだ
302 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 19:35:03 ID:4TkeVocvO
本名のほうがカッコイイ
303 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 19:36:03 ID:2Zsu09aQO
>精神異常者が異常を発し、
いまならこの発言アウトじゃね?
304 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 19:36:18 ID:T24iwi9n0
由起夫のイメージが・・・
岡潔:三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、天皇制が
大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやって
みせているし、本当に偉い人だと思います。
Q(編集部):百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?
岡潔:間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも
間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。
ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。
かなり影響はあったと思います
岡潔「蘆牙」より
306 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 20:03:08 ID:inmDVQu10
岡先生は最も尊敬する人だが
二人とも生きて警鐘を発し続けるということをしなかったのがなあ
岡先生は意図してマスコミに封印されたようにも見受けられるが
307 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 20:04:40 ID:3rIHptDz0
抽出 ID:xW4pE1xP0 (2回)
15 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 19:46:46 ID:xW4pE1xP0
まあ兵をあげるんだったら自分で私兵集団を立ち上げて
堂々と戦うべきだったな。
国民の税金で運用されてる自衛隊を使って
自分の政治的理念を実現させようなんてたんなる卑怯な
泥棒じゃん。
所詮、ただの小説家。
27 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/11/27(土) 19:55:13 ID:xW4pE1xP0
三島が自衛官の前で演説する為に何をしたかっていうと、
顔見知りの自衛隊の将官を談笑してる時に「不意打ち」して
人質にとってるのね。
せこいことして演説するやつが、仮に自衛隊率いたとこで、
やっぱりせこい事しかできないだろっwww
普通の人間は、自殺の翌日には冷静に新聞を読んでたと思うけどね
>>268 大きく見せたがる人が自ら、今までのコンプレックス(虚弱体質、同性愛傾向、
初恋の女性にふられたトラウマ、インポテンツ、等々)を他罰的なまで自己分析して吐露しませんよ。
くだらない三島評論本が、さもわかったように、コンプレックスだのナルシストだの論考して書いてることなんか、
全部三島自身が自己分析、自己解剖したことだからね。
日本の将来を憂いただけで死を選んだのなら愚の骨頂ですね
その類まれな才能を後世に活かすことなくその生を諦めたのですよ
現に彼の意志を継いで改革に乗り出す者など皆無 右翼ぐらいか
自決なら最近の小学生でもやってますから
グリーゼ581Gとかはやぶさ帰還とか、見せてやりたかった
311 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 20:30:25 ID:1L2NV5eEO
命よりも大切なものがあることを知りなさい
>>311 つまり、2ちゃんぬるってそんなに大事なの、あんたにとって?
>>310 どこに「自決」した小学生がいるの?
日本人なら母国語くらい正しく使ってください。
314 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 20:47:57 ID:f0/T+86TO
サブとかも売れてた時代には寵児が生まれるもんだわな
315 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 20:52:45 ID:1L2NV5eEO
>>312 いや2ちゃん「ぬる」は全く利用していないので大切ではない
>>315 この場合、マジレスはかっこ悪いってことを知りなさい
317 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 21:01:34 ID:f0/T+86TO
マジレスもいいんでね。
日本的な方法で死に、西洋的な表現論で憤死したのだから、新しい
318 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 21:19:19 ID:S5e/Gf+j0
>>268 つうか、大正生まれの、生きていれば今年85歳の爺さんが、163センチあるんだから、
小さいということはないだろう。
まあ、三島の場合、筋骨隆々のイメージがあるから、170センチ以上あるだろうと
考えていた人間から見ると、小柄に見えたのは否定しないけどさ。
俺は「音楽」が大好き
320 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 21:26:13 ID:QjSHDMwvO
自意識過剰な人の考えることは他人にはわからないよ
321 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 21:32:13 ID:jLI4xWPC0
田母神にその覚悟はあるのか
322 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 21:40:45 ID:1L2NV5eEO
>>321 田母神に自決させる必要はないだろw
それに仙谷によるシビリアンコントロールで田母神や櫻井よしこの元に自衛隊が近付けない状況
国会であの通達は「櫻井よしこ封じ」と実際に答弁があったらしい
その心を受け継いだやつがいるらしいから、
また自決するやつが出てくるぞ。
324 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 22:03:58 ID:CM3UqslO0
>>324 それは楯の会のパレードとかのときだけでしょ。いいじゃん、それくらいのこと。
そういう可愛いところがあったから、会員の人達にも慕われてたんだよ。
コンプレックスが何もないふりする方がよっぽど見栄っ張りだと思うけどね。
327 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 22:44:59 ID:CM3UqslO0
>>326 「コンプレックスが何もないふりする」三島は「見栄っ張り」だと思うよ
自分のダメなとこ晒して甘えてコビ売って可愛いとか言われることができりゃあ
仰々しい大義名分つくりだして公開自殺するハメにはならんかったでしょう
328 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 22:52:15 ID:YPdW2liqO
>>327 何をいってるのだ?
その時代の日本人は芸人でもないのにそんなことしないよ
コンプレックスとは関係ない
329 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 22:54:00 ID:lqmXUlKh0
三島の自決は所詮、作家としての才能が尽きたから
それだけ
330 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 22:55:28 ID:iT2cincRO
画像検索でいくらでも見つかるけど、
当時は三島の胴体と生首が新聞に載ったんだよな
信じられない時代
>>327 あなたは三島の著書を一つも読んでないね。
三島はコンプレックスが何もないふりなんかしてませんよ。逆にコンプレックス晒してますけどね。
332 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:00:03 ID:CM3UqslO0
>>331 例えば?
どの著作でどんな劣等感があるって公言してるのですか?
よろしく教えてください
>>327 それを甘えてコビ売って可愛いとか言われようとする作為は、逆に可愛くないね。
三島はそういうことしない真面目な人だから、却って会員に慕われたんでしょうね。
>>332 やっぱり何も読んでないんだ。偉そうに批判するなら、その対象の代表作の著書くらい自分の目で読みな。
軍国主義の忘れ形見、三島由紀夫。
彼の死後、彼のちょうど孫世代以降に生まれた人間は忠臣蔵さえ理解できなくなっています。
浪人してないで次の奉公先探すか手っ取り早く商人にでもなればいいじゃん。転職転職・・・。
腐敗しちゃってどうもすみません。
336 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:12:05 ID:CM3UqslO0
>>333 甘えてコビ売って可愛いとか言われようとすると作為的になってしまって可愛くない人っておるね
要するに甘え下手で愛嬌がない奴だったのでは三島由紀夫は
崇拝されるのは得意でも下手に出て甘えるのは苦手というか
337 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:16:37 ID:CM3UqslO0
>>334 読んでるよ、あなたとは読み方が違うだけでね
>>336 三島は人に甘えたりはしないけど、愛嬌やサービス精神があった人だというのは、接した人が口々に証言してますよ。
あなたは本当に何も知らないんだね。
339 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:19:16 ID:qkF6dREIO
三島はお前ら凡人とは脳みその作りが違う
超エリート
>>337 コンプレックスが何もないふりしてる、とか真逆なこと言ってる時点で何も読んでないのが露呈したから、嘘言っても無駄。
341 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:21:47 ID:CM3UqslO0
>>338 ご丁寧なお坊ちゃま的対応する人だったらしいね
なぜあそこまで虚勢張ったんだろうか
342 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:24:52 ID:CM3UqslO0
>>340 「三島作品を読んだ人はすべて三島崇拝者になってるはずだ
だから、三島崇拝者じゃない奴は三島を読んだことない奴なんだ」
と、あなたは言いたいのでしょうか?
343 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:26:40 ID:YPdW2liqO
見られる側は可愛くなくちゃいかんのか?
見た方が可愛いと思ったら必ず可愛いと言わなくてはならないのか?
身内でもないのに年上の人に対して
えらく身近な感覚で接してんだな
おそらくコンプレックスのない人間なぞどこにもおらんのに
おちょくるしか脳のないカキコミだな
>>341 虚勢? どこが?
頭脳明晰だから更に向上心や努力が好きだっただけでしょう。
345 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:33:09 ID:3/Vzc79z0
>>299 >幼稚な自己肯定が司馬の特徴
そりゃオマイのようなアフォのこと。
司馬にとって、歴史小説というのはすべからく史実を舞台にした上でのエンターテイメントであって、
それ以外のものではなかった。
司馬もエッセイなんかでは歴史そのものについて語っている時もあるが、小説はあくまでも娯楽。
だからこそ、どういじっても娯楽化できない作品(ノモンハン事件など)は書けなかったし、書かなかった。
かつて、坂本龍馬の大ファンである武田鉄也が司馬家を訪れ、「竜馬がゆく」について
思いのたけを語っていたら、司馬氏から、こう諭されたらしい。
「男はな、恋と青春と革命があれば、誰でもカッコ良く書けるんや。あの竜馬は僕の竜馬。
だから勘違いせぇへんように、龍馬じゃなくて、竜馬言うてる。あんたはなぁ、男が
いい大人になって、いつまでも竜馬、竜馬、言うてたらあきまへんで。」と。
司馬氏はまた、他人が創作した歴史ドラマや演劇を見た時なども、度々「僕が創れば
もっと面白ろうできるんやけどなぁ。」と呟いていたという。
つまり彼の本質は、不世出の歴史テンタテナーだった。
竜馬がゆくを読めば、そこに寝待ノ藤兵衛なんてすぐに創作と分かる登場人物が出てくるが、
それがいかに読者サービスになり、話を面白くさせていることか・・・。
それを史実と勘違いしてる方がおかしいんで、司馬史観云々などと言ってる人間は娯楽というものを知らぬバカ。
頭がどうかしているのだろう(笑)。
>>342 あなたはなんでそんなに卑屈なの?
私は、あなたが「三島が何もコンプレックスがないふりしてる」という間違いを指摘しただけですよ。
三島が病弱だったとか、そういうコンプレックスの吐露は全部三島の申告だからね。
347 :
名無しさん@十一周年:2010/11/29(月) 23:48:39 ID:CM3UqslO0
>>346 三島を宗教にしてそれに縋る人の気持ちがさっぱりわからん
なんか耽美を愉しむとは全然方向性違うよな、貧乏臭いというか……
華麗な上っ面を楽しみつつその舞台裏も笑ってみせるというのは通じんみたいやね
>>347 ろくに三島の作品も読んでなくて、最後まで読みきったことないとさっき言ったあなたが、耽美だとか上っ面なこと言って知ったかぶって、
読んでる人間に対して読み方がどうのこうのと、そんな物言いする資格ないでしょ。
>>347 私は、貴方が何を言いたいかがさっぱり分からん。
三島作品をちゃんと読んだ事が無いと云う事だけは、よく分かったがw
何か思惑が有って必死に書き込んでるんだろうけど、無駄な努力は止めなさい。
350 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 00:21:25 ID:IikdtKFK0
>>332 まずアポロの杯を嫁
なぜ三島がボディービルを始めたかが分かる
三島由紀夫は軍国主義で教育を受け育った。
ところが戦後、世の中の価値観が変わり自由主義を人々が謳歌するようになった。
それが三島には「腐敗している堕落している拝金主義である・・・汚い」と映った。
戦後民主化が進み、封建社会から自由平等主義へ、モノノフの廃止、工員へビジネスマンへ。
当然そこには金銭が媒介する。が、私たち戦後生まれは、自分の職責にはプライドを持って臨んでいたつもりだ。
もちろん、自由も謳歌した。その自由には自己責任が表裏一体となっていることも理解しているつもりだ。
だけど三島には、私たちが汚いと。
新しい価値観に対応できない人もいる。軍国主義で育った大人たちが怖がったのは、きっと
三島の影響で子供がおかしくなることじゃない。自分自身がアノミーに侵されていく葛藤を刺激されるからだろう。
>>351 三島は自由主義や民主主義は別に否定してないよ。ただあまりに日本的な価値観がなくなっていくのが嫌だったんだよ。
ちなみに軍国主義と、武士道や雅や大和魂は違いますからね。
子供いたよね。何の仕事してんだろ
354 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 01:17:21 ID:U6wBRNbH0
・チワワとは?
三島由紀夫に関連するスレに在住する信者・荒らし
無職40代のババアらしい
・チワワの特徴
三島由紀夫に関する資料をペタペタとコピペして
今日の三島由紀夫像の美化に徹している
三島由紀夫の作品や生き方に否定的な意見が出されると
半日以内に意見者を罵倒する内容のレスがある
355 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 01:29:07 ID:FdTUlFve0
>>345 司馬が妄想歴史小説家だということは一定の知識層には常識。
売国奴の坂本を英雄に仕立て上げたり、
昭和以降を「魔法の森の時代」と称し無責任に全否定したりと、
その世界観は支離滅裂で基地外じみてる。
しかしそのオナニー的な司馬史観が妙に大衆受けするから困りもの。
卑俗で武士道嫌いの司馬が三島の死を誹謗中傷したことはさもありなんだけど、
三島を批判する資格が自分にあると考えてたとすれば、司馬はイタすぎる。
>>353 wikiでは長女は演出家で長男は元実業家ってなってるね。
父親が死んだときもう物心ついてる年だったみたいだけどショックだったろうな。
前に検索してて見つけたんだけど、三島の長男があの洋館で友達を呼んでパーティ開いてる写真を見た。
今頃、父親の残した遺産で悠々自適に暮らしてそう。
357 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 03:54:46 ID:2IMtqtef0
>>355 >司馬が妄想歴史小説家
小説にフィクションを盛り込むことに何の問題もない。
>司馬史観が妙に大衆受けするから困りもの
司馬小説が大衆受けするのは、それが無条件に面白いからの話であって、それ以上以下の何ものでもない。
それをオマエの小説は面白いが人を惑わすからいかんというのなら、エロ小説や猟奇小説だってそうで、
他にいくらでも批判されるものがある。
そもそも司馬史観なる言葉も、司馬の小説が史実そのものと誤解している者が増えてきたがゆえに、
それをいまいましく感じる一部史家が創り出したもので、本人が言い出したことでも何でもない。
史実をどう解釈しようが、さらには時として史実をどう取捨しようが、それは全て作家の勝手で、
それで困るも何も、文句があるというのなら、そう感じる人間が、正しい史観(笑)とやらに基づいた、
より魅力的な小説を書けばいいだけの話だ。
それをそういった作品を書けるスキルもセンスもない輩が、ただ同人誌然とした小空間の中で、
まるで己れの無力さを慰めるかのように、それは本当のことじゃないんだと叫んでいる。
オナニーとはまさに、そういった非生産的な行為のことを言うんだよ(笑)。
>司馬が三島の死を誹謗中傷した
>>50 が書いてることが正しい。
>>253 このレスで理解できる。
自殺のための自決だったってことがね
自分の自決のためにすべてを仕組んでやったこと。
そもそも自殺なんて、殺人となんら変わらんよ。
他人か自身のちがい。
カッコ付けたがりの三島がその対象を自身にしただけ。
生きながらえてもボロボロになりながらでも
国のために働くとこはできたはず。
やはり、逃げだね。
>>303 >>精神異常者が異常を発し、
>いまならこの発言アウトじゃね?
思い込みの激しい人がその本領を発揮し
360 :
359:2010/11/30(火) 06:28:44 ID:X2/coo0S0
でいいんじゃないかな?
言い換えでなく、実際の話として。
361 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 06:52:46 ID:Ukh7OA0CO
>>358 お前はそのレスを理解してないよ
日本語の理解は難しいか?
よくCMやってるある商品を作ってる研究者の友人は
商品が汚れて見えるから
社会でひとりも存在理由のない
100流レイプ低脳汚れ集団殺人大学である
早稲田・慶應関係者にはCMでて金盗むんじゃねえよ
こいつらの出てる番組ではCMながしてほしくないっていってたなあ
犯罪低脳機関広告代理店の犯罪に全員死刑する必要があるといっていた
>>361 おまえの理解こそ狭い枠の中にしかないんだよ。
日本語理解してるつもりか。
>>358 どこをどう読んだら
>>253を、そんな間違った解釈できるのかな?
>>253の言ってることは、あなたと真逆の内容ですよ。
もっと日本語の読解力を高めた方がいいよ、日本人ならば。
Q――つぎに東南アジアについてちよつと聞きます。インドも中共との交戦の経験を持つ国ですが、東南アジアと
日本との最大の相違点は、中共の脅威を感じてゐるのと感じてゐない点にあると思ひますが。
三島由紀夫:中共と国境を接してゐるといふ感じは、とても日本ではわからない。もし日本と中共とのあひだに
国境があつて向かう側に大砲が並んでたら、いまのんびりしてゐる連中でもすこしはきりつとするでせう。
まあ海でへだてられてゐますからね。もつともいまぢや、海なんてものはたいして役に立たないんだけれど。
ただ「見ぬもの清し」でせうな。
Q――日本人が中共をこはがらないのは一種の幻想的な“大平感”なんだらうけれど、日本にさういつた幻想が
あることも、また一つの現実ぢやないでせうか。
三島由紀夫:たしかにさうですね。幻想(イリュージョン)といへどもなにかの現実的条件によつて保たれてゐる。
ぼく自身は、日本にも中共の脅威はある、と感じてゐます。これは絶対に「事実(ファクト)」です。
しかし、日本人が中共に脅威を感じないといふことは「現実」です。「現実」とはぼくに言はせれば、事実と
イリュージョンとの合金です。「現実」をささへてゐる条件は、いはくいひがたしで、恐らく何万といふ条件が
あるでせう。海もあるし、長い中国との交流の歴史もあるし……。
ものを考へようとするとき、片方の「現実」を「事実」だけでぶちこはさうとしてもダメです。幻想をくだくには
幻想をもつてしなくつちや。ですからもし、ぼくが政治家だつたら……。
Q――「中共はこはくない」といふ幻想は、どうやつてくだきますか?
三島由紀夫:「中共はこはい」といふファクトではなく幻想をもつてですよ。
三島由紀夫「インドの印象」より
>>364 自分のほうが読解力が高いという思い込みも、三島の受け売りか?
そこでは、三島は死ねる意味のみ説明してる。
一番の関心がそこにしかなかった。
クーデターとは結びつかない。
命より大切なもの。それは三島自信の美学だろ。
クーデターはその美学に利用された。
利用された側は、当然それを見透かしていたから賛同者はなかった。
後付けはやめてくれな。
>>366 命より大切なものがある、というのは三島だけの美学じゃないよ。大塩平八郎の帰太虚思想や、古代ヨーロッパにもある思想。
それにあの自決は別にクーデター目的じゃないしね。本当のクーデター計画はその一年前にCIAによって、
お蔵入りになってますから。
あなたの方こそ、何一つ自分自身で三島の美学も思想も、市ヶ谷事件に至るまでの経過や時代背景も調べずに、
ブサヨ文壇の振り撒く上っ面後付け三島論をそのまま鵜呑みにしてるだけでしょうよ。
368 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 11:08:57 ID:Ukh7OA0CO
>>366 将来の日本人を守るために日本人の魂を守るために三島がやったこと
それを理解できないのならば貴様は日本人ではない
>>367 なんでそんなに口汚いかね。
三島先生が泣くぞ。
多くの人間から、そういう風にみられてるという事実も受け入れろ。
>>253からそのように読み取れるのはまちがいない。
>命より大切なものがある、というのは三島だけの美学じゃないよ。
後付けはやめろと言ったろ。
370 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 11:13:27 ID:Lraz+Cjh0
>>369 三島の著書も読んでなくて、何一つ知らない、日本語読解力もないあなたがしらじらしく先生づけして日本人のふりしても無駄ですよ。
言ってることが全て頓珍漢ですから。
そんな乏しい読解力しかないなら海の向こうの故郷へ帰ったら?
372 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 11:57:11 ID:8V0oiTm/0
>>365 60年代一般庶民の自分や周囲の大人らは「中共は怖い」が普通だったけどね。
文革の実態も核実験も分かっていたし。
角栄の日中国交正常化は新聞一面でかでかと角栄と周恩来が並ぶ写真を見て
大人らはがっくり来ていた。
自分もこんなあほな事やりおってと思ったのを覚えてる。
>>372 当時の一般庶民全部がその認識だったのに、現在まで何の策もやって来なかった、ってどんだけ間抜けなんだよ。
374 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 19:54:48 ID:hbhgB8TqO
日本の歴史をみてわかるやうに天皇は多くの時代日本文化の中心であられた。日本文化のおほらかな、人間性を
あらはした明かるく素直な伝統が天皇の中に受容されてゐる。この文化の象徴である天皇を守るにはどうしたらいいか。
私は、天皇の鏡にもし日本の文化、歴史、伝統とちがつた、大御心といふことのためでないものが映つてきたならば、
それは陛下は拒絶なさることはできないので、国民がそれを拒絶することが忠義であると思ふ。
共産主義が日本の政体を変へて天皇を日本の文化、伝統から引き離し、あるひは日本の文化を破壊して天皇をすら
破壊しようといふ意図を秘めてゐるのであるから、われわれはこれと戦はねばならないと思ふのである。
そして天皇の伝統が絶たれた場合にわれわれの祖先代々の文化の全体性が侵食されてしまふからこそ、それを
守つて戦はねばならない。そのためにはやはりいまの憲法下でも、非常に制約があるけれども陛下があるときには
自衛隊においでになつて閲兵を受けられることも必要であらう。
あるひは国の名誉の中心として文武いづれの名誉の中心も陛下であられるといふかたちをなんとか新憲法下でも
つくつていけることができるんぢやないかと考へるのである。
私は日本を守るとはどういふことか、守るべきものは何なのかといふことについていま青年たちと議論してゐる。
私はまづ手近なところから、自分にできる範囲のことで小さくやつていきたい。すべてそこから始めなければ
何ごとも始まらない。
国民一人一人がいざといふ場合は銃をとつて立ち上がるぐらゐの気持を持つてやらないと将来の日本は
えらいことになるぞといふ感じを持つてゐる。
三島由紀夫「私の自主防衛論」より
三島由紀夫「檄」1970年11月25日
> アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
> あと二年のうちに自主権を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵
> として終わるであらう。
> われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待
> つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。ともに起つて義のために共
> に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んで
> もよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値
> の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの
> 愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴
> はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持
> つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
あと二年のうちに自主権を回復せねば 、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。
あ と 二 年 の う ち に 自 主 権 を 回 復 せ ね ば
駐ウズベキスタン大使 駐イラン大使 外務省国際情報局長 防衛大学校教授 2009年3月退官
孫崎享氏インタビュー08.flv
http://www.youtube.com/user/iwakamiyasumi#p/u/28/OOBVlR3KJl8 1972年7月6日 - 第1次田中内閣発足
378 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 20:59:52 ID:jW/nT6W30
鳩山由紀夫も腹掻っ捌けばいいのによ。
379 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 22:45:16 ID:MOy6gPpT0
三島と司馬をけなすやつは在日
380 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 23:05:46 ID:eX5wGNtF0
>>379 三島をけなすやつは在日
司馬をほめるやつは在日
が正しい
司馬と韓国人の座談会録「日本の朝鮮文化」「古代日本と朝鮮」などを読めばわかるけど、
彼は日本人・日本文化は朝鮮由来とするカルトな歴史観を披露してる。
まさに現代の日鮮同祖論者だね。
なぜキムチに汚染されたマスコミが司馬を美化してるか?
理由はわかるだろ。
381 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 23:08:11 ID:qc2aE4530
こいつは東大→大蔵省っていう人間も、
死ぬほどのバカはいるんだなって思わせてくれる人間の一人だな。
もちろんそんな人間は多いんだが。
自衛隊に治安出動を求めるなんて、気が狂うほどのバカ。
同じ由紀夫でも、ルーピーとは別格だ
三島は命の引き際を真剣に考えたってのに、
ルーピーは仕事の引き際さえ考えられない
>>382 >三島は命の引き際を真剣に考えたってのに
真剣に考えた引き際が、
騙して面談に持ち込んだ相手に斬りつけて負傷させて人質に取る
じゃ話にならない。
てめえの信じる正義のためなら何やってもいいなんて思考が
日本的心かよ。
384 :
名無しさん@十一周年:2010/11/30(火) 23:50:38 ID:yfCINN000
楯の会だけでやりゃいいのに公務員の自衛隊巻き込むなよ
たまげたバカだよ三島はw
最後の演説も、学校へ行こう!の未成年の主張だよあれじゃ
男同士でケツの穴にチンコ突っ込み合ったりして
最後は自己陶酔した三島劇場やってとにかく腹切りゃサムライかい!笑わせる
その遺書をよんだ時、同志の青年に対する心遣ひの立派さに私は感動した。三島氏の思想行為については、
今のやうな状態でも、私はなほとかくのことをいふことが出来る。並んで自刃した森田必勝氏については、
この青年の心を思ふだけで、ただ泪があふれ出る。むかしからかういふ青年は数量上多数といへないが、無数に
ゐたのである。かういふ見事さがあるといふことだけを示した。何も残さぬものが、永遠と変革と創造を、
流れにかたちづくつてきたのである。(中略)
三島氏は内外の人心の悲惨や荒廃のありさまを、優秀な文学者の直感で、我々の知らない不幸まで了知し、
人道滅亡の危機をひしひし感じてゐたのであらう。彼の近年の思想上の急激な上昇現象には、第一義の高尚な
原因がある。彼の政治論は、今日の時務論の次元でよめば全く無意味である。しかし彼は清醇な本質論を、
汚れたけふの時務論のことばでいひ、卑しい政治論の次元から説き起さうとした。私は身のつまる思ひがする。
三島氏の描いた両界曼荼羅の金剛界は華麗無変の美文学だつたが、胎蔵界の解では、最も低級なものや、
人でなしまでも相手にせねばならぬと自身思ひ定めた。一見この空しい努力は、世俗といふ誤解の中へ投げ
だされてしまふ。しかし彼の思ひをこめたことばと振舞は、最も純粋に醇化された時の人の心の中で、人々の
かなしみをかきたて、さらにおびただしい若者の心に、考へることの無用な光りを、明りをともした。
偽りのもの、汚れたもの、卑怯なもの、利己主義なものは、皮相的な恐怖から、ありきたりのことばの罵倒を
しても、それによつて自己のいつはりと不安をうすめることは出来ない。無視するといふものは、沈黙して
無視しきれぬ卑怯な弱者である。正気の人はこの日民族の歴史をわが一身にくりたたんで、ものに怖れるべきである。
いつはりと卑怯に生きてきたものは、己の不安と恐怖の原因をしかと見つめることが出来ない。憎悪と猜疑しか
知らなかつたものは、明らかに最も怖れてゐる。
保田與重郎「眼裏の太陽」より
>>385続き
三島氏の心は、正実な者の間の戦ひを信じつづけてきたのであらう。しかし詩人のゆゑに英雄の心をやどした
稀有の文学者は、古来、詩人や英雄のうけた宿命の如く、最も低い戦ひにつかれ、いやしい下等な敵に破れた
のである。その死の瞬間に、眼うらに太陽を宿すといつたことばの実現を、私はただちに信じる。私は真の文人の
いのちをこめた言葉を、絶対に信じるのである。実証主義の人々は、死を如何ほどに描いても、死の瞬間は
わかるものではない。甦つた者のことばはその瞬間の証ではない、死んだ者のことばはきくすべがないといふ。
しかし秒で数へられる時間の彼方の未知といふことの方を何故怖れないのか。
三島氏は自衛隊を外から見聞してゐたのでなく、内に入つて見てきたのである。まことに誠実の人である。彼の
旧来の不思議な奇矯の行為も、誠実の抵抗ないし反俗行為として解釈すべきところと私は思ふ。身丈を越える
程の著述を残した人の片言隻句をとり出せば、どんな愚かな低い形にも三島氏の像をつくることが出来る。
それはつくつた者のいやしさの証にすぎない。
最終の振舞ひについての、もつともらしい見解も同じ方法で示せるだらう。さういふ見解は自分自身の低い次元の
卑屈な処世観となつても、森田青年のやうに、先人を越えてゆくものの心とは何のかかはりもない。森田青年の
心は、日本の正気だつたから、無言にして日本の多くの若者の心に今や灯をともした。このことを疑へる程の
無知のものは、卑怯と欺瞞の中にはないだらう。卑怯と欺瞞はインテリを必要とし、世間の無知ではないからである。
森田青年の刃が、自他再度ともためらつたといふ検証は、心の美しさの証である。やさしいと思ふゆゑにさらに
かなしい。私はその人を知らない。そして悲しい。二十五歳がかなしいのではない。このかなしさは、語り解く
すべを知らないが、あたりまへの日本人ならばわかるかなしさである。かなしさにゐる時は、決して顧みて他を
語らないのである。三島氏が、自分よりも、森田氏の振舞ひはさらに高貴なものであつて、彼の心をこそ
恢弘せよと云つてゐるのは、尊いことばである。
保田與重郎「眼裏の太陽」より
>>386続き
恢弘とは神武天皇御紀にあらはれる大切なことばで、今あるものをひろめ明らかにせよといふ意である。
なくなつたものを復興せよといふのではない。時に当つて、細心の用語である。(中略)
彼の文化防衛論の根底にあるものは、所謂右翼的な利己的民族主義ではない、宗派神道的な世界統一の国際
宗教的な思想でもないのである。私はこれらの自覚を新しい世代に望み願ふより他の方法を知らないのである。
森田氏の行為の心は、右翼の心でもない。勿論左翼のどこにも見られない。師に殉ずといつた現象解釈など何の
意味もない。わが国六百年の武士道の歴史に於て、例を知らない純粋行為であつたと私は思ふのもかなしい。(中略)
三島氏は己の死後に、よつてたかつて云ふ人々の悪罵や、さかしらを見せるための批評、低俗そのものの証の
やうな見解といつたもののすべてを知りつくしてゐた。(中略)
マスコミが今度の自衛隊に関して口をとざしたのは、共通する政治性に原因があるのではなく、人性の世渡り
観念に於て、同一の腐泥のありさまゆゑであらう。これは不潔の妥協である。
保田與重郎「眼裏の太陽」より
国のため いのち幸くと願ひたる 畏きひとや
国の為に 死にたまひたり
わがこころ なおもすべなし をさな貌
まなかひに顕つを いかにかもせむ
夜半すぎて 雨はひさめに ふりしきり
み祖の神の すさび泣くがに
保田與重郎
昭和45年11月某日、哀悼の句
どうでもいいけど嫌なことに気づいた。
三島と鳩山って下の名前一緒なんだな。
390 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 01:52:39 ID:PPs1DfA60
>>380 >司馬をほめるやつは在日
司馬は半島人からも結構批判されてんだがねwwwwwww。
例えば対談集「東と西」での李御寧との対談や、街道をゆく「韓のくに紀行」を読んでみ。
>日本人・日本文化は朝鮮由来とするカルトな歴史観
「日本の朝鮮文化」「古代日本と朝鮮」のどこを読めばそうわかるのかねwwwww。
司馬は「我々が日本文化と思っているものは、お茶も作法も芸能も、みな室町時代に源流を発するもので
その意味で我々は室町の子と言えるんですな。」と言ってるだけ。
こんなところで、在日云々言ってるだけでとにかく頭の程度が知れるよ。
確かにキミのような人間をこそ、司馬が(そして三島も)忌み嫌ったことは確かだろうけどwww。
三島が生きてれば2ちゃんホモスレで大活躍だっただろうに。
392 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 02:22:00 ID:v0LoG5iRO
>>380 「白衣民族」と呼ばれ近代まで衣服を染める技術を発明できなかった朝鮮から日本に何が伝わったというのだろう・・?
日本では乞食ですら色柄物の着物を着ていたというのに
393 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 02:41:15 ID:0GQWVvIo0
三島は日本の伝統的な文化、それは他者をいたわる事からすべてがはじまりそれに基づいて
つくられた物や人でなければ本当の美とは呼ばれないという美意識にもっとも重きを置いていた。
戦後、すべてを失い物質的な貧しさを味わいこれを取り戻すことが第一の目標になり急速に
日本人は商業主義的な思考に傾いていった。確かにこの考え方で物質的に豊かになる事には有利に働き
資源のない国としては必要な考え方であるけれど、それだけに比重をかけすぎてしまった所があり
アメリカの有名な投資家バフェットも著書の中で商売は利己的な人間の方が成功するのでそれにブレーキがかからず
そのまま黙って見過ごしてしまうととんでもないツケが後で回ってくる事を警告していた。
そのブレーキをかける機能が西洋ではキリスト教であったり、それぞれの国には歴史があるので昔から伝わった倫理感であったりと・・
日本の場合は戦争によってこれらの精神的な柱のようなものがすっぽりと抜けてしまった事が大きい。
精神的なアイデンティテイが確立されないままに国民の大半が闇雲に商業的な価値感に染まり精神的な価値感が軽んじられていく事に非常に
危機感を感じた三島は、自身の死をもって車の車輪で例えると精神的な美を磨く方の車輪がほとんど回らなくなってきているバランスの悪さを
自らの死をもって警鐘を鳴らしたかったのだろうと個人的には考えている。
394 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 06:09:37 ID:2vANhO4r0
三島が古代ギリシャ文明など西欧に傾倒した結果、日本の伝統や武士道に至ったことは興味深いね。
彼の国際的な評価が高いのも人類共通の普遍的な価値を体現してるからだろう。
三島の思想を自由・民主主義に敵対するものととらえる解釈があるけど、それは全く表層的なもので、
自由・民主主義の根源について最も深く考察していたのが三島だったことに留意すべき。
司馬は維新前後の政権簒奪劇を成功者の側から描きつづけてきた作家。
伝統的な武士道を否定し、百姓や下級武士の下克上や妄動を成功譚として讃える立場だから、
要するに歴史を語りつつ現代人の商業的な価値観や功利主義を肯定してることになる。
彼が三島を感情的に批判するのは、司馬が葬り去った価値を三島が復権させようとしてるからだろう。
395 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 06:16:35 ID:27ubpUFD0
>>394 だよな。三島が崇める様なクソな考えが現代によみがえったら、悪夢だモンな。
司馬さんは正しい。
オレは三島が切腹したのを、リアルでニュースで見た世代だが、その当時からずっと、
『バカウヨの犬死』としか思ってないよ。
396 :
ドレミ男(デジラジャー隊員):2010/12/01(水) 06:19:54 ID:5ABQxPYiO
司馬は宮崎を毛嫌いしている。
在日というより百済を見下し高句麗や新羅を崇めるタイプの人間だろう。
すごく格好悪い。
397 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 06:29:22 ID:CjppcCgJ0
2chのどの板でも三島関連スレって膨大な量のコピペが貼ってあって怖いんだけど
398 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 06:33:23 ID:UZFig2Wb0
三島先生!何とかしてくれ!
日本は今、朝からDQNのニュースで溢れています!
日本の歌舞伎の存在意義とはなんですか?歌舞伎とは灰皿テキーラですか?
先生!教えてください!もう何が何だかわからない!
399 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 06:38:22 ID:27ubpUFD0
>>398 そんなお前は、腹を切って死んだら、楽になれると思うよ。
400 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 06:45:44 ID:MBjpCQbhO
司馬ってなんでテロリストを賛美してんの?
三島に従ってたらせっかく復興させた都市がまた焦土化されたんじゃないか?
熱狂するのは勝手だが、冷静さを失って得る物ってあるのか?
401 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 06:51:26 ID:LhDHaQlP0
チョソがファビョりまくっているスレがあると聞いて飛んできましたw
三島はホモでドMでナルシスト
端正に鍛え上げた腹筋をカッさばき、世界中から罵倒される事を想像し、性的興奮を覚えた
またそれを実行することで自分の作品に一抹の説得力を与える効果も得られる
右翼思想は彼にとって妄想を肉付けする要素でしかなく、根源的にはどうでもいい
404 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 08:05:07 ID:v0LoG5iRO
三島の祖母は殿様の側室だったんだな。そして殿様のタネを戴き子を産んだ。
その後神戸の有栖川邸に仕える。
天皇への想いは祖母の影響かもしれない。
祖母は芸能や文化的な影響を与え三島は13歳で詩人デビュー。
学習院を卒業したあと三島の父が東大法学部へ入ることを奨める。父は三島を文芸から切り離したかったのだ。
こっからは俺の想像だけど、法学部でキッチリ法律を学んでしまった三島は、憲法の矛盾に気がついてしまったのではないだろうか。三島は東大の他の部に入学していたら、今でも普通の小説家として存命だったかもしれない。
>>402 俺もそう読んでるけどね。
あいつらは、読解力がない、とファビョる。
>>402 三島の尊皇思想はずっと子供の頃から戦後も一貫してますけどね。
表面的には戦後体制に合わせて、それを出さないようにしてただけの話。
三島は尊皇国粋者だけど、いわゆるブサヨが言うような軍国右翼じゃないしね。
よく知りもしないであんたみたいなブサヨが涙目で三島の尊皇思想を否定しても無駄ですよ。戦後の20代でもプライベートの手紙をみると尊皇だからね。
ある政治家が「狂気の沙汰」と呼び、これに迎合するかのようにある作家が「精神分裂症」と診断した。
病理学的な狂気は三島由紀夫君にはなかった。
狂気とかたづけてしまえば、その時点で政治家も作家も、一切の思考を停止し、責任を回避することができる。
ソ連のような国では、多くの健康な作家が精神病院に入れられている。独裁者と怠惰な思考喪失者にとっては、
人を狂人あつかいにすることほど簡易軽便な処理法はない。
「賊と呼び狂と呼ばんも、他評に任ぜん」という句は、維新志士たちの辞世の漢詩にときどき出てくる。
出典はシナにあるかもしれぬが、これが古今に通じる志士の心である。
三島君自身も狂人呼ばわりの「他評」はもとより覚悟していた。
だいぶ以前のことだが、三島君は私の家に遊びに来た時、デパートの売子たちの無知と無礼粗暴な態度を怒り罵倒し、
「こういうのが現代の若者だというなら、僕はできるだけ長生きして彼らが復讐を受けるのを自分の目で見てやりたい。
それ以外に対抗策はありませんね」と真顔で言って私を笑わせてたことがある。
彼にもこのような意味の長生きを考えていた一時期があった。
いわゆる「夭折の美学」を捨て、図太く生きて戦後の風潮と戦ってやろうと決意したのだ。
彼が週刊誌に荒っぽい雑文めいたものを書きはじめ、グラビアにも登場しはじめたとき、「いったいどうしたのだ」
とたずねたら、「戦後という世相と戦うためには、こんな戦術も必要でしょう」と笑って答えた。
だが、この「長生き戦術」または「毒をもって毒を制する戦略」はやがて捨てられた。
怒れる戦士は迂回作戦を軽蔑しはじめ、単刀直入を決意した。
『英霊の声』はこの視角から読まねばならぬ作品である。
林房雄「悲しみの琴」より
三島君の熱望は決して政治概念としての天皇の復活、したがって明治憲法復元論でもなく、ただ左右の全体主義
(共産主義とファシズム)に対抗する唯一の理念としての「文化の全体性と統括者としての天皇」の復活と
定立であった。
このような定立が、「古代の夢」は別として、日本の歴史において実現された実例があったかどうかは
論争的として残るが、その試みが幾たびか行われて、多くの忠臣と志士がこの夢に命を捧げたことは事実である。
林房雄「悲しみの琴」より
三島由紀夫君と森田必勝君のことを思うと、思いうかべるのは、やっぱり満開の時を待つことなく自ら散った
桜の花であります。これを総理大臣は「狂気の沙汰」と呼び、防衛庁長官は「せっかく育った民主主義にとって
迷惑千万だ」と言った。おとなしい日本国民も、この軽率な発言にはびっくりしました。「狂気の沙汰」は
まさに彼らの発言の方でありましょう。事件の意味を深く考えることなく、即座にこんな軽率な言をはくのは、
少なくとも「正気の沙汰」ではありません。あるイギリス記者は目を泣きはらして、村松剛君に言ったそうです。
「この事件で三島を弁護した政治家はなぜ一人もいなかったのか。こんどほど、三島由紀夫が偉大に見え、
日本の政治家が矮小に見えたことはない」
そのとおりでありましょう。
作家としての三島君の姿は、私どもの目には、まさに花盛りの桜でありました。だが、彼自身の目は文学者の
魂を通して日本の現状と未来に向けられていました。
…いつわりの平和と繁栄――平和憲法、経済大国、福祉社会、非武装中立という、政府と与党、野党と
俗流ジャーナリズム合作の四つの大嘘の上にあぐらをかきつつ、破滅の淵に向って大きな地すべりを始めている
日本の実状を敏感に予感し、予見して、この十年間あまり、絶えず怒り憂いつづけてきたのであります。彼は
私との対話「日本人論」の冒頭に、この怒りと憂いを告白しております。また、「政治家というものは詩人や
文学者が予見したことを、十年ほどすぎてやっと気がつく」とも言っております。(中略)
明日にでも“政治的連鎖反応”が起るというのではありません。これは精神と魂の問題であります。三島君と
その青年同志の諌死は、「平和憲法」と「経済大国」という大嘘の上にあぐらをかき、この美しい――美しく
あるべき日本という国を、「エコノミック・アニマル」と「フリー・ライダー」(只乗り屋)の醜悪な巣窟に
して、破滅の淵への地すべりを起させている「精神的老人たち」の惰眠をさまし、日本の地すべりそのものを
くいとめる最初で最後の、貴重で有効な人柱である、と確信しております。
林房雄「弔辞」より
410 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 10:59:05 ID:33gD64Dn0
もっと長生きして美輪明宏との対談を見たかった
>>411 美輪明宏さんとの対談は文庫本「黒蜥蜴」の付録に載ってますよ。
江戸川乱歩と三島由紀夫の座談も載ってました。
三島はゲイだった。
死後三島の胃袋から男の精液が検出されるとは!
格好よく演説してても
ちんこしゃぶってゴックンまでしてたんだぜpppppp
414 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 11:25:55 ID:cQYU5qjM0
>>412 ありがとうございます。
ホント死ぬしかなかったのかねぇ・・・
>>413 それは、脱脂綿が肛門に詰めてあったのを、ブサヨが精液だのなんだとガセネタに捏造したんだよ。
そんなくだらない揶揄して、笑い者にするしか能のないヘタレのクズがブサヨや日教組、反日工作員。
三島は行動したけどネトウヨはネットで吼えるだけという
なさけない
418 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 12:14:07 ID:1/PFipl70
419 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 12:18:30 ID:G8t8m/ug0
やはり当時は思想的にとらえてもらえなくて、ただの基地外と思われちゃってたのですかね?
江藤淳は三島の自決は彼に早い老年が来たか、さもなければ病気じゃないかと言いましたが、トルストイの死に
「細君のヒステリイ」を見て悦に入る自然主義作家のリアリズム、いかにも分かったような、人生の真相は
たかだかこんなものという「思想の型」によく似ているといってよいでしょう。
そういえば三島事件後、俗耳に入り易い江藤流の原因説が数限りなく出ました。(中略)
私はいっさい関心を持ちませんでした。「細君のヒステリイ」に原因を求めて安心する現代知識人に特有の
気質にいちいち付き合っている気にはなれなかったからです。(中略)
江藤さんは抽象的煩悶などにまったく無縁な人でした。生活実感を尊重する自然主義以来の文壇的リアリズムに
どっぷり浸っていた人でした。
三島の悲劇は分からない人には分からないのです。縁なき衆生には縁なきことが世にはままあります。
小林(秀雄)の「文学者の思想と実生活」の結びに近い個所に次のような言葉があります。
「思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに
離別しようとするところにある」
その通りだと思います。「思想の力」は理想と言い替えてもよいでしょう。私は次にみる同文の結語を読んで、
昭和十一年にこれを書いた小林秀雄がさながら三島の自決を予見していたかのごとき思いにさえ襲われたほどです。
「エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を
投じた。狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである」
一九七〇年代の半ば頃に、私はギリシア哲学者の故齋藤忍随氏にお目にかかる機会がたびたびありました。
三島事件は氏の関心事で、開口一番、三島はエンペドクレスですね、と言いました。エトナの噴火口に身を
投じたこの古代の哲人は、ヘルダーリンが歌い、ニーチェが劇詩に仕立てた相手です。
歴史の中には「狂人の愚行」としか思えない完璧なまでの正気の行動があるのです。
西尾幹二「三島由紀夫の死と私」より
>>419 思想的に煮詰まった人間を正常と扱うかどうかだよね
てか、三島を利用するウヨサヨは本当にアホだな
あれは右翼でも左翼でもねーがや
>>418 西尾幹二さんの言いたいこともわかるけど、保田與重郎も彼なりに憂国忌の発起人で、三島を哀悼してたわけだから
同じ保守同志、内輪をそういうふうに言うのはどうかとも思う。敵はもっと別のものだし。
で、実際ゲイだったのか?
ウケか?タチか?
425 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 13:25:54 ID:coxKSEsV0
現代の日本では漢同士の感情や絆などで
同士として思いあって行動するのでなく
FRBユダヤ金融資本奴隷ゴイムとして会えば気持ち悪い
己の利益とロス様への税金や利子”の支払いの為だけの
醜いビジネス”し合う仕組みになったワニがね
三島をゲイとかホモとかでしか語れない奴は自分の無教養を晒してることに気づけ
三島は美しい物は性別を超えて愛してただけだし三島の作品は世界的に評価されてる。
貶してるのは日本の左翼くらい
427 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 19:24:30 ID:S8VuPZ1q0
三島賛美する奴って
“三島読んで三島の生き方や思想に理解できる自分って頭いい!”
“三島を理解できた自分は賢明で、理解できない奴は愚かな日本の心を忘れた奴”
とか思ってんだろうな
まー三島も屁理屈並べて無理矢理説得力持たせようとするのが得意だったから
そういうバカを絡め取って後世の人間が自分を美化してくれるようにした企みは
ある程度成功したんだな
428 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 19:24:38 ID:wLDMKXUP0
>>419 当時中年以降は皆戦中世代だからかなり理解されてたと思う
Q――現代のビジネスマンに要望することは?
三島由紀夫:私はね、商人といふのはきらひなんですよ。ですからね、万国博にも行つてゐないですよ。あれは
商人のお祭だから、武士は行かないんだといつてぐわんばつてゐるんです。
とはいひながらね、デパートだつて商人だしね、武士といへども、商人とつきあはざるを得ない、つらいところ
ですよね(笑)。武士だけやつてゐると、お米も食へなくなつちやふ。
かういふ世の中だから商人様全盛の世の中でしよ。ですけど、ぼく本人の中にはやつぱり武士の魂はあると思つてね。
商人の中にも銭屋五兵衛みたいな男もゐますしね。明治の政商でも、政治とかんでゐて、そこでやつぱり自分の
意気地を投げ打つといふ気持があつたと思ふんですよ。商人がきらひといふ意味は、商人を尊敬しないわけぢやない。
ただ一般に、商人には自己犠牲の精神がないからきらひなんです。
日本人といふのは、自己犠牲の精神がなくなつたら日本人ぢやないですよ。今の商人といふのはさういふ気持が
ないから本当のユダヤ人になつちやふだらうと思ふんです。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より
430 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 22:16:14 ID:wiyz5l4W0
>>429 司馬ヲタに読ませたい一節ですね。
ユダヤ金融資本であるジャーディン・マセソン商会の手先として、
最新兵器を大量密輸し日本に内乱を引き起こした坂本竜馬。
現代に例えれば中国・北朝鮮の手先となって武器や麻薬の密売を行い、
国家転覆を謀るテロリストが竜馬に相当する。
NHKは大河ドラマで竜馬を偉大な英雄として描き、
SBハゲにとっては竜馬こそが日本人の理想型らしいけど、
こうした異常なほどユダヤの下僕を賛美する風潮は、
日本の自立と尊厳を挫くための陰謀としか思えない。
431 :
名無しさん@十一周年:2010/12/01(水) 22:27:21 ID:X/zPzmkO0
>>427 たいしたことは無いだろうが、少なくともお前よりは三島信者の方がマシだろ
三島先生って賛える連中は
超排他的で、外部に対して言葉が汚いね。
カルト信者みたい。
何年も前から檄文のなかにあった二年後というのが気になっていて、一体なんなんだろうとずっと考えていました。
あるとき気づいたんですが、一つは米中接近がありますね。もう一つは沖縄返還です。昭和47年に沖縄返還が
行われることは決まっていて、そのときにどういうかたちで返還されるのか。それによって日本という国家が
相変わらず独立できないまま半独立国家として、アメリカの永久占領が限りなく続いていくことを三島は見抜いていた。
彼が45年の生涯で書いたものの全てが、今の21世紀の私たちに突き刺さってくる問題ばかりを書いている。
それが天才の所以なんでしょうけれども、認識と行動の問題もつくづく考えさせられます。二元論に自分を
追い込んでいって、ラディカリズムがニヒリズムを克服するという方法論をとったのではないかと私は解釈しています。
(中略)
三島は現実的な問題も、十分捉えていたわけです。二年後に自衛隊はアメリカの傭兵になってしまうと
1970年の時点で言い切っていたのは、米中接近と沖縄返還のことを、すでに視野に入れていたということです。
(中略)
最近よく話題になる核のシェアリングの問題がありますけれども、そういったことも三島さんは考えていた。
それは日本の核戦略はどういうものになるのかと、40年前の時点で考えられ得る現実的なこともちゃんと
提起していた。国土を守るほうの自衛隊を、国軍として成立させることで、日米安保体制下のなかでの日本の
自主防衛をどうしていくかを、40年前のあの制約のなかで考えていたことは素晴らしい慧眼だと思います。
西村幸祐「第39回憂国忌『現代に蘇る三島由紀夫』」より
オウム真理教も東大とか
高学歴多かったし。
そんな感じだろ。
436 :
名無しさん@十一周年:2010/12/02(木) 11:26:47 ID:qkkKTUhi0
今生きてたらどんな感じだっただろね。
あまりの酷さに死ぬに死ねないだろうと思う。
それかハマグリやセンゴクと刺し違えるか。
三島好きは学歴、職業問わずたくさんいますよ。
ゴルゴ13やセーラームーンも三島をヒントに作られたキャラだし、他にもあるし。
アカデミックなものに限らず、三島は多文化に影響与えてます。
にわかに日本に来た中国人留学生な知らないんだろうけど。
438 :
名無しさん@十一周年:2010/12/02(木) 11:39:00 ID:hEQXimIx0
>>427 厨二病患者&ネトウヨの釣り餌としては強力なんだろうな。
延々と続くコピペに偏執的粘着的なキモさを感じる。
三島sageカキコには感情的なレスがつくし。
マジ基地張りついてるっぽいわ。
>>436 今生きてたら、もう年齢的に暗殺や切腹は無理だから、国会議事堂前で焼身自殺するんじゃないかな。
警備が厳しいから中へ侵入できないだろうし。
そう云えば市オウム信者も学歴、職業問わずたくさんいたな。
>>438 張りついてるのは、それを見てるあなたも同じでしょう。自演までしてお疲れさまです。
私にとって(文学と人生双方にとって)大事なのは「文」「武」もさることながら、「作」と「商」だった。
「作」と「商」なしには、人間は生きて行けない。
ことに古来日本の「商」の中心としてあって来た大阪生まれ、育ちの私にとって重要なのは「商」だ。
私と三島との次元のちがいは、ここにおいても明瞭だろう。
しかし、今、「商」はわが日本においてあまりにはびこりすぎている。
かつて、「文」「武」において大いに三島と共感したかつての若き過激派の学生たちも今やそのはびこりの中心にいて、
したい放題のことをしているように見える。
「文」においても、今や「商」あっての「文」。私は三島の「文」「武」に賭けた純情をなつかしく思う。
小田実「アンケート 三島由紀夫と私」より
私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。彼がすぐれた文学者で
あったことは私にも判っている。なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。
たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」――ああいう作品はなかなか書けるものではない。しかし、人間には
好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。(中略)
とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。
いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。
小田実「三島由紀夫との接点」より
>>442 思想家としての接点はどうか。
(中略)考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、学生は学生で、
彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。
…そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死について
しゃべった――そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。
しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。(中略)
私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。
そして、小説もとにかく書いていた。
三島も「楯の会」で同じことをしていた。彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、
小説も書きながらやっていた。それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。
ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。
小田実「三島由紀夫との接点」より
444 :
名無しさん@十一周年:
三島が嘆くような日本になってしまった元凶はやっぱり原爆投下ではないかと思う。
戦没者多数や敗戦それ自体や極東軍事裁判や占領軍政策やあるけどやはり原爆。
これで日本人は精神まで萎縮してしまった。
GHQ政策やそれを利用した朝鮮人らの謀略に嵌ってしまった元凶もこれ。
目に見える被害の悲惨さだけでなく精神までやられてしまった後遺症の中にいまもいると思う。
平和ボケやらエセ人権エセグローバルに騙されるのもこれが元で習い性になってしまった。
原因を自覚さえすれば治療は早い。
朝生で田原が言ってたように「敗戦の総括」をすべきと思う。