日本の古代史は、
古文書による継ぎ接ぎだらけで、
永遠に確定することはない。
邪馬台国も
みたいなものがあちこちに存在したことによる。
一カ所に確定することはあり得ない。
七田氏は「吉野ヶ里の構造は、土塁の上に柵(さく)を設けた環壕があるなど、
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)の記述通りだ」と主張。
これに対し橋本氏は「纒向は4つの大型建物が方位を軸にして建つなど、
卑弥呼が女王となった倭連合国の首都であったと考えている。
倭人伝にある楼館跡も発掘が進めば出てくるだろう」と反論した。
また、近畿説の根拠のひとつとなっている三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)について
玉城一枝・奈良芸術短大講師は「魏の皇帝から卑弥呼(ひみこ)に贈られたとする人もいるが、
鏡の文様などから中国の工房で作られたとは、とても思えない」と述べた。
橋本氏は「“敵地”でやりにくかった」と苦笑しつつ
「邪馬台国という夢のある話を伝えることができてよかった」と語った。(おわり)
4 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:00:19 ID:VvsXaDgKO
大阪の茨木市あたりという説も捨てがたい。
5 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:01:28 ID:W2y3Aup50
意外と朝鮮半島にあったんじゃないかと
6 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:03:07 ID:aFc7+NYO0
だから、卑弥呼=アマテラスなら、年代がちと離れすぎだろう?
かといって、神功も無理。
さあ、ヒミコと呼ばれた、当時の日本の有数の偉い人は、記紀で言えば一体
誰なんだよ!?教えてー!畿内説の偉い人ー!
7 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:03:36 ID:rLEiEjs1O
琉球大学の教授は沖縄にあったって本出してるぞ
それなりにおもしろい
8 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:03:41 ID:BZtRfbrKO
魏志倭人伝の記述が正しいってどうして言えるの?そもそも邪馬台国は本当に存在したの?
9 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:03:58 ID:7aysLiPZ0
>邪馬台国
中国の属国じゃないの?
>大和説は邪馬台国を大和朝廷の前身
なら日本は中国の属国なのか
邪馬台国の起源は南朝鮮なんだろうww
東日流外三郡誌を読んで勉強して来ました!
12 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:06:15 ID:MM9lSiGEO
なんだっけ
鋼鉄ジーグのソレだっけ?
13 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:06:42 ID:Zs4GLdYC0
1乙!
14 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:07:03 ID:da8z5l/r0
もうエロマンガ島でいいよ
もう、めんどくさいから仁徳さんが寝ているところにしようぜ。
そうしよう。
16 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:08:12 ID:U+4MyIWIO
日本だろ
17 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:08:38 ID:pfecbwun0
まだやんのかよ
>>6 年代が離れる?
お前は皇紀を史実とする立場なのかね
神武の寿命は全面肯定派ですか?
19 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:10:26 ID:Zs4GLdYC0
ケンカは止めてね♪
20 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:10:30 ID:gNGk0dAUO
倭寇は日本本土民、朝鮮半島民、中国沿岸部民、台湾民etcの
連合だよね。して、倭人伝の倭ってのは日本人の事を指してる
わけではないんだろ?邪馬台国が朝鮮半島にあった説も
無きにしも非ずだろうけど、残念ながら九州だね。
記紀の年代は鵜呑みにはできない。
紀元前660年以上前に天皇が即位できているはずがない。
それと神というものは現実的にはいないがそれを記述している。
これについては鵜呑みにできない。つまり記紀には抽出すべき
部分と抽出すべきでない部分がってこれらを合理的に行うことに
努めるしかないと思う。
>>6 そうでもない。
春分と秋分で年度を二回に分けてた時期があったから単純計算だとずれる。
23 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:11:30 ID:tYAXA81m0
そのうち、邪馬台国は中国にあったことになりそうな予感
24 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:11:56 ID:onoNyDIN0
おれは邪馬台国を以前ジャマタイコクと読んでたのはここだけの話
25 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:13:16 ID:aFc7+NYO0
祟神(没年318前後)(10代天皇)
仮に、一代10年の超ハイペースで皇位継承したとしても、神武は218年前後没。
アマテラスはそのおばあさんだから、どんだけ遅くても150年くらいの生まれ。
ヒミコは238年前後に成人して壮年前後だった。どう考えても合致しない。
7〜8代天皇前後に有名な女傑がいないと、邪馬台国は記紀では保障できない。
26 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:13:22 ID:HXNqu1Rx0
山口じゃないか?
やましか合ってないけど十分だ
>>24 てんてるだいじん
とかー
ごつきみどり
とかー
奈良から遠いとこなら文献に大移動をしたみたいなこと書いてあるはずだから
奈良の近くだな
実際問題として、邪馬台国の根拠は魏志倭人伝にしかないんだろ。
畿内説、九州説、と同時に非実在説の学者も頑張ってほしいところだと思うけどね。
30 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:14:48 ID:N3lKM+m50
出雲はないのかね?
邪馬台国は韓国にあったんだろ
32 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:15:30 ID:Ft+Fzy5N0
出雲もありますよー
33 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:15:51 ID:ajSgNz1V0
「邪」馬台国だの「卑」弥呼だの
出雲は、むしろ邪馬台国の敵国だなぅ
サヨ学者の妄言より、記紀の記述の方がよほど信用できる。
36 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:17:06 ID:aFc7+NYO0
つまり、アマテラスだと若すぎるし、神功皇后だと(子供を産むには)年寄り
すぎる。
だから、記紀に、「その間の女傑」がいないので、卑弥呼は、記紀上は担保
できないんだよ!
>>29 隋書倭国伝(この倭国はヤマト政権。この先に遣隋使の話があって対応している)
倭國、在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居
魏時、譯通中國、三十餘國、皆自稱王
夷人不知里數、但計以日
其國境東西五月行、南北三月行、各至於海
其地勢東高西下
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也
「倭国(ヤマト政権)の都は邪靡堆で、魏志でいうところの邪馬台なり」と書いてある
38 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:19:13 ID:gNGk0dAUO
隋はだいぶ後なんで怪しいと思う。
ギ以外に記述は残ってないの?
39 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:19:31 ID:/FsQ0f9R0
やはり当時の暗黒期の子供の仕業か・・・
卑弥呼っていうのは記紀に書きたくないのだけれども書かないわけにはいかない
という非常に大きな葛藤の中である特殊な扱いをせざるを得なかったということだ
と思っている。したがっていろいろな細工を施したと。
42 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:21:09 ID:aFc7+NYO0
畿内説だと、ヒミコと呼ばれるに足る女性が見つからないんですが。。。
もしもーし?言ってる意味わかる?
44 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:21:48 ID:Us3DLs8yO
神話と神々は時間を超越しているから、神話の流れに実際の時間の物差し着けても意味がない。
昔は有力者は神々の子孫としていたから、人間のご先祖の前は神になる。
しかし、神話や神々は人間の初代以降の出来事の影響を受けて変化する。
神話の中で古い話は人間の時間では新しいものなんて場合もあり得る。
神話はそれぞれの時代の人間と共にあるもの。
神話かナウ
>>42 じゃあ九州だとヒミコと呼ばれるに足る女性が見つかるんですか?
具体的に誰ですか?
韓国が起源だろwww
48 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:24:13 ID:FnI11+tJP
なぜ大和に都が置かれたのか?
それは地図を見れば一目瞭然
大和が勢力圏の中心で、尚且つ瀬戸内海、大和川を通じて交通の便が良く
更に、上町台地などの特殊な地形によって対中国防衛の点でも優れていたから
初期大和政権に参加した各国の王は徐福の子孫で同族であったために
朝鮮半島に勢力を伸ばしてきた中国に対して共通の危機認識を抱いた
50 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:25:38 ID:aFc7+NYO0
>>44 都合のいい所、悪い所だけ、超越しないでほしいのだが。。。
じゃあ、記紀の9代前は全て神話?その理窟なら、邪馬台国実在の真偽も、いくら
でも神話になるから、自分で立証できなくしちゃってるでしょう?
51 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:25:55 ID:IHrmZmmO0
207 :名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 01:56:13 ID:WPcODcRpO
博多のあたりまでは確実だ
そこから水行二十日陸行一月
方位は間違えても日数は間違えないだろ
北九州から水行二十日陸行一月の場所だよ
岩手県あたりじゃないのか
八幡平←やまたい←邪馬台国
>>37 おいらも邪馬台国あればいいなとは思うんだけどね。
そっちの方がロマンあるしさあ。
つっても根拠がシナの歴史書。
大して信頼性ないでしょう?
隋だと信頼性あがるの。
なにか確たる物的証拠というものがほしいよね。
>>39 ヤマト王朝が自分達の正当性を主張するために
「昔の歴史書に邪馬台国ってあったっしょ? あれ、おれらのことなんすよ、いえーい」
と言っただけかも知れん。これだけじゃ邪馬台国の場所は特定できんよ。
織田や徳川だのが源平の子孫とか自称してるのと同じ。
54 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:27:54 ID:FnI11+tJP
>>42 姫巫女と読め
ちなみに倭迹迹日百襲媛命の弟が桃太郎
56 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:29:39 ID:aFc7+NYO0
邪馬台国=畿内説 を 強硬に主張すればするほど、今度は「記紀」が信じるに
足る資料じゃなくなるんだよ。(少なくとも、その時期(卑弥呼活躍時期の
239年前後)は)
言っている理屈のここまではわかるよね?
57 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:31:02 ID:gNGk0dAUO
>>53 んだ。隋書に既に遣随使の記述があるなら、大和朝廷の
歴史観が反映してておかしくない。
>>55 言わんとするところが分からん。
唐代の歴史書は信頼性が高い。といいたいんですかね?
>>56 記紀なんて、継体天皇より前の記述を信じてる人いるの?
60 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:32:06 ID:UqxI4UP40
と、徳島は?
いっぱい釣れたの?
61 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:32:52 ID:mfXw8fsU0
, -, - 、
,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_
l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! |
l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j _ -, !
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‐ ´// (! l! ll ll ノ // >'´ ``丶、
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i l 77 ̄ // ,' ',
!l l ! ,',' l ,. -―- 、l
!l _ !l _ !l ', / , _,、'" ト=、ヽ
>>56 記紀を真正面から読もうとすること自体が信じられん。
63 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:34:32 ID:sKl+ygTJ0
>>6 卑弥呼は、孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。
常識じゃん。
考古学では、99%、邪馬台国は、巻向。
まだ、九州を唱えている情弱、いるんだ…。
64 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:35:26 ID:aFc7+NYO0
>>59 んにゃ、別に、記紀を信じようが信じまいが、個人の自由だからいいけど。
でも、少なくとも「畿内説=記紀を信じている人」となりにくいと言っている
のさ。だって、邪馬台国の中心人物であるヒミコと呼ばれる女の記述が、
記紀には見つけれないんだからねぇ。その事を言ってるの。
聖徳太子を知っているかな
66 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:35:56 ID:LH0fFBBA0
ヤ マト コク
邪馬台国
>>63 そんなこと全然常識じゃねーし。お前は何をいっているんだ?
ライフスペースじゃないだろうなw
68 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:36:55 ID:/FsQ0f9R0
「旧唐書」では、倭国伝と日本伝が別々に書かれている。
倭国伝
>倭国は古の倭奴国なり。
>新羅東南の大海の中に在り。山島に依って居す。
>世々中国と通ず。
一方、日本伝では
>日本国は倭国の別種なり。
>其の国、日辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。
>倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す。
>日本は旧小国、倭国の地を併せたり
それぞれの領土についても書いてある。
倭国
>四面に小島、五十余国があって、みな倭国に属している。
日本国
>西と南は大海に達し、東と北は大山に達する。
>山のむこうは毛人の国である。
この描写を見ると、倭国は九州、日本国は本州という印象を受ける。
日本が倭国の地を併合したというのは、本州にあった倭国領土を合わせたということだろうか。
70 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:37:26 ID:iPN+Vjl/0
最初は北九州に有ったけど
朝鮮半島の別勢力から侵略されそうになったんで
防衛上優位な場所の畿内に移動したんだろなあ
出雲とか吉備国はまだ敵対勢力がいて安全じゃあ無かった
だから、短期間だけど北九州と畿内に同時に邪馬台国が成立してた時期が有ったはず
>>53 そういう風に僭称してる「倭人の別種」がいる、ってちゃんと唐書に書いてあるよな。
この「日本国」の奴等は、昔から中国と交流してた「倭国」を滅ぼして、「国号を奪った」と。
72 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:37:49 ID:ZlSPEYOd0
>>66 なるほど
邪馬台国は九州の筑後地方に決定だな
>63
こうやってたまに+に邪馬台国スレが立つと、
九州厨が情弱を騙そうと、ワラワラ沸いてくるのがここ数年の恒例行事。
多分、どっかの役場に卑弥呼の戸籍が残ってるはず。
76 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:39:53 ID:aFc7+NYO0
>>63 ほう。皇女が、外交的には「女王」となるわけ?それは、不敬罪か反乱にも
匹敵するような、なり代わりですなぁ。いいの?そんななり代わり。当時
ありうる?
今や戦前で言おうか?
皇太子が、天皇いるのに、「私が天皇です」と言って外交使節に伝えるよう
な物だよ?
77 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:40:28 ID:Mdkx63ug0
俺が列島を統一するなら両端に拠点をつくる
九州(イギリス)、青森(日本)、そして工作員を関東に送り込む(ロシア)
「邪馬台国は畿内だが支配者は九州に居た」と勝手に妄想している。
>>63 考古学の世界で99%とかほぼ100%なんか
簡単にひっくり返ると思うが。。。。
79 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:43:13 ID:L08sy8EJ0
朝倉だ 平塚川添遺跡だ
異論は認めない
80 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:43:17 ID:ZBUQlq5o0
>>76 >皇太子が、天皇いるのに、「私が天皇です」と言って外交使節に伝えるような物だよ?
聖徳太子こと厩戸皇子こと日いずる所の天子ってのがいなかったか?
81 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:43:26 ID:bvJuzudjP
82 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:43:37 ID:jHv3xlAd0
83 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:44:23 ID:FnI11+tJP
戦前は皇紀2600年で普通に邪馬台→大和と考えれてていた
戦後の邪馬台国九州説は大和政権の始まりを数百年遅らせて
文化や技術が百済や新羅から伝わったことにしたい在日の日本弱体化工作のデマ
考古学の発見で次々そのウソが暴かれてる
84 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:44:39 ID:I5plvHzQ0
青森だよ
キリストの墓もあるし
>>76 当時の中国でも地方の一官吏が王号を名乗ってるが
86 :
日ん本伝統文化保存党:2010/10/11(月) 09:45:14 ID:DCHkyQwm0
投馬国(ツーマ国)=出雲国(イツーマ国)
したがって邪馬台国は近畿
87 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:45:22 ID:gNGk0dAUO
新羅東南の大海の中にあり…
なんだ、五島列島か壱岐対馬か。
>>80 天皇に成り代わって国書を書いただけだが? 摂政なんだから当然だろ。
89 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:46:07 ID:aFc7+NYO0
あのさ。古代天皇の時代って、皇太子が「天皇になりかわろうとしてますよ」
という「ウワサバナシ」が立つだけで、天皇や、後継者ライバルの皇太子に
殺された時代ですよ?
その時代に皇女が、「天皇として」外交を行なう?
ちなみに、それがシステム的に可能になったのは、聖徳太子が摂政として
「天皇の代理」が可能になってからだよ。それ以前は、そういう役職無し
に変に代行なんかしても、「皇位を狙っている」と誤解される可能性が
圧倒的に高いのだが?
昔の暦でいう1年と
今の暦、太陽暦でいう1年は違うから
それをどうやってすり合わせてるのかが不思議
91 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:46:58 ID:kFM7pEBIO
習俗はどう見ても南方系だからな。
北九州でもなかなかあてはまるもんではないだろ。
沖縄ぐらいでないと。
93 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:47:24 ID:FnI11+tJP
>>76 胡散臭いサイトに本名で注文するわけ無いだろ
だいたい鏡の通販がメインで官位とか金印はどうでもよかった
94 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:47:48 ID:ROiOBQLnO
>>6 アマテラスは神話の人でしょ〜が!
年代が離れるもなにも年代が特定できない人なのに。
ちなみに、
神職の知人から聞いた話しで、以前橿原神宮でBC10世紀頃の種籾が
見つかったそうな。
これが本当だと神武天皇の実在の可能性が出てきて、さらに弥生期より前から
稲作をしていたことになる。
>>92 皇帝?
倭迹迹日百襲媛命がそう名乗ったのですか?
96 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:50:09 ID:a2EKXFhK0
四国だろw
>>邪馬台国はどこにあったのか?
<ヽ`∀´> <ウリナラニダ!ウェーハハハハハ!!!!!
邪馬台国そのものが何百個もあった国の1個で日本海の方にあったってだけ
99 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:51:04 ID:kFM7pEBIO
>>83 紀元2600年はウソだからな。
初期の天皇には120歳以上生きたことになってるのが沢山いる。
在位期間も異常に長い。その後の天皇と比較すれば明らかだ。
100 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:51:50 ID:yN+3KOwW0
たまたま魏に朝貢してきたのが耶馬台国だったので歴史に名が残った。
列島を統一していた訳でもないし、分立していた内の一国それ程、意味はない。
風俗からみてその後に継続しいていない。
101 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:51:53 ID:aFc7+NYO0
記紀の記述で、そういう「二心」を疑われて、殺された皇太子の記述は多い
のだよ。
記紀の都合のいいとこだけ仮借して、都合の悪い所は無視(超越)して、
その上で、なおかつ邪馬台国は大和ってのは、ちょっと論証としては弱すぎる。
琵琶湖の底に沈んでるよ
一昨日見た
103 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:52:40 ID:p+m7Wodh0
>>91 まぁでも2000年くらい前は温暖な世紀だったのかもしれないし
エジプトでピラミッドこしらえてた頃もあのあたり草原だったって話だしさ
104 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:54:45 ID:3ieqJKt70
邪馬台国は現在の釜山にあった。
>>103 三内丸山を見てもかなり温暖だったのは検証済みですね
『日本書紀』によると、景行天皇12年に熊襲が反乱したので、
天皇が九州へ向かった。
周防(山口県)の沙麼で煙があがっているので、偵察させると、
神夏磯媛(カムナツソヒメ)という女王が率いる国があり
天皇の軍に帰服した。
その女王がいうには、
宇佐の川上には鼻垂(ハナタリ)、御木の川上には耳垂(ミミタリ)という賊がいて、
高羽の川上には麻剥(アサハギ)、緑野の川上には土折(ツチオリ)・
猪折(イオリ)という頑強な敵がいて
要害を頼って抵抗するので征伐していただきたいと頼む。
景行天皇は買収作戦で彼らを降伏させ、
豊前(大分県)の長峡に行宮を建て、
そこを京(ミヤコ)と名づけた。
現在の福岡県京都(みやこ)郡とされる。
景行天皇の代でも、西日本はまだ大和朝廷の支配力は
完全ではなかったようだ。
107 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:56:06 ID:LNfSPkpR0
魏志倭人伝の倭がそもそも九州を指してたんじゃないの?
当時は海を隔ててたら別の国って認識だったんじゃないだろうか
九州と本州のような海を隔てた広域を一つの国として認識する概念があっただろうか
水行二十日〜という書き方も対馬と壱岐は律儀に書いてるのに
九州から海を渡ったことが書いてないならやっぱり九州じゃないの?
俺が読んだ本では邪馬台国はハワイだと言ってる
109 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:56:27 ID:jsbvMKfV0
東条英機の最後の辞世の句に書いてあったよね
110 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 09:57:10 ID:aFc7+NYO0
「ももそひめ、勝手に大王を語って外交!」
↑この見出しが、当時のスポニチに出るだけで、ももそひめはおそらくその直後
に殺されるでしょうねぇ。。。
>>68 山門=やまと 筑後地方JR瀬高駅近辺だ 県立の山門高校もあるしな
女王山=ぞやま もある
しかし、誰がどんなに頑張って言い張っても、
邪馬台国の最強の軍隊の“一大卒”は福岡県糸島市に居たのは確実なんでw
邪馬台国の最大の貿易都市が、福岡県糸島市
邪馬台国の中心は、北部九州
邪馬台国は部族連合
そして、やがて東遷して、機内地方に移った
これしかねーだろ 近畿厨には悪いがw
東遷したときに、家財道具を北部九州からごっそり持って来たからワケがわからなくなっているだけ
歴史的には↓こんな感じだろ
長崎県壱岐付近の部族が力を付けて、福岡県糸島市付近に遷都
この時、日本で一番力を持っていた出雲の国の部族を平定
日本ナンバーワンの存在に
その後、日本を平定して行った
最後に残ったのが、蝦夷(えみし)
坂上田村麻呂の時代まで遠征していた
源平の頃でさえ、朝廷の力が及びにくいところだったし
で、江戸時代まで手つかずだったのが蝦夷(えぞ)
明治時代に屯田兵を駐屯させて開拓し、やっと現在の日本の形になった
神々というものと地上の王族というものを設定した。
それにはある理由があったから。
115 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:00:48 ID:LNfSPkpR0
邪馬台国が東遷したってホントなのかなあ
太陽信仰があったのならそうかもしれないけどそれにしてもなんであんな中途半端なところに…
大和王権とは別の滅亡国家なんじゃないの?
116 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:00:50 ID:FnI11+tJP
初期大和王権では大国主の妃である巫女が最高の主権者で
実際の政治は巫女の親族である大王が取ってた時期があったんだろう
聖徳太子や中大兄皇子がなかなか天皇にならなかったのも
実際に政治を動かすには天皇でない方が都合が良かったんだろうね
だから大王が巫女名義で使いを出したんだろう
117 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:01:26 ID:LC1xCwYK0
一大率は伊都国にいた。しかし、それは邪馬台国が遠くて直接に北九州を支配する
ことが困難だったから。邪馬台国は、その伊都国の南、遠いところ。すなわち、南
九州だよ。
邪馬台国はムー大陸にあったんだよ。
現在の沖ノ鳥島。
魏志倭人伝にはムー大陸への道が記されている。
邪馬台国から日本への移住は、神武東征で証明されている。
日本人はムー大陸人の子孫。
★3 まだやってたのか
邪馬台国なんて無かった、と考えてみないか。
120 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:04:11 ID:0fOM8tPtP
おととい買った犬に名前付けたいんだけど何て名前がいいかな?
122 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:07:53 ID:9nQfHHd60
存在した場所はともかく
大和朝廷の史記に魏への朝貢の
記録がないのだから
邪馬台国と大和朝廷は別物と考えることが自然
123 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:08:14 ID:GvOdcLXqO
近畿にあって九州は大陸への中継地点と考えるのが妥当
クリスタル映像の卑弥呼
途中で面倒になって、カラ出張の適当な報告書にしちゃったから、場所さえよくわからない。
時代や国内外を問わず、公務員の仕事ってのはこの調子なんだなwww
127 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:09:52 ID:aFc7+NYO0
>>119 魏志の著者「将来のみんな、ゴメン!邪馬台国があるって書かないと昇進
できなかったんだ。。。」
↑ 検察もビックリの真実だったら。。。orz。俺たち徒労。。。
128 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:09:58 ID:p+m7Wodh0
129 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:11:38 ID:kFM7pEBIO
>>125 それも十分ありえるなw
それによって歴史学者のマンパワーがどんどん使われるとするともったいない
130 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:12:18 ID:tYGNEQH1O
どっちにもあった
西日本に同じようなコミュニティがいっぱい存在したんじゃないの
131 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:12:27 ID:/11eKZ200
透視すると、夏冬では畿内、中国地方と卑弥呼は移動し統治していた。墓は中国地方にある。
卑弥呼は南方からの渡来人。美人で神秘的な能力があった。肺炎で死んだ。
132 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:12:41 ID:gNGk0dAUO
山門は八女戸。有明海から矢部川を登った所にある。
八女戸=邪馬台=山門
邪馬台国が滅びた後、磐井が治める。
ヒミコは二人居たんですよ。
☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 卑弥呼のミイラまだ〜?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 愛媛みかん |/
135 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:15:30 ID:SaGftJZo0
みんな一度は大和政権の正史である日本書紀を読んでごらんよ。
魏志にいう邪馬臺国のことも卑弥呼のこともなにも書いてない。
魏から使者が来たとか3世紀に魏に使者を行かせたとかいうことも書いてない。
大和政権には関係のない話なんだよ。
無理矢理こじつけてあてはめてもしかたがない。
邪馬臺国がどこにあったのであろうと、大和政権とは全くの別物としかいいようがない。
継体天皇は磐井の腰をさすってたんだっけ?
どっちが上だったんだろね…
考古学者の痛い勘違い
記紀に書かれていることはすべて正しいと思っている
よって神武天皇の実在も信じている
紀元前660年から日本は始まってると思っている
138 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:20:28 ID:/11eKZ200
135>皇祖天神と書いてある。
140 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:21:50 ID:gNGk0dAUO
日本書記には天皇の九州遠征のことも書いてあるんでしたっけ?
磐井の「ヤマトが攻めてきた」はこれでしょ?
141 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:22:57 ID:VNSf8CbxO
草戸千軒の中世遺跡の下層に
142 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:24:44 ID:NsT8A1bG0
>>24 >おれは邪馬台国を以前ジャマタイコクと
それじゃ「伊邪那岐」はイジャナキと読まないとな
>>135 記紀の編纂は天武・持統天皇の時代だぞ?
邪馬台国は天武・持統天皇の時代の500年も昔の話なんだよ
文字の文化をもたなかった当時の日本人が、500年前の事績を克明に記憶してるわけねーだろ
144 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:27:46 ID:E2Ajc1zV0
そもそも卑弥呼って人の名前じゃねえしw
卑弥呼がさすものは天照大御神で解決済み
145 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:28:57 ID:kFM7pEBIO
>>137 考古学者はそうは思ってないんじゃないか?
紀元2600年はガチウヨ
>>142 唇音退化の法則からいうなら、実際そうなんじゃないかな
147 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:29:43 ID:Zsqt2oGz0
結論
邪馬台国の存在を正確に完全証明することはタイムマシンでも発明しない限り不可能。
148 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:30:44 ID:aFc7+NYO0
先述のとおり、俺個人は、別に誰が記紀を信不信かなんてのは、どうでもいい。
しかし、邪馬台国九州説は、記紀の信不振のどっちでも成り立つけど、
邪馬台国畿内説は、記紀の不信ではそもそも成り立たない。
つまり、邪馬台国畿内説は、記紀の記述と邪馬台国の実在を、どう刷り合わ
せるのかと?ここだけだよ。成り立たないので不思議なのは。
結論、中国人が書いた書物は信用できん。
150 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:31:10 ID:f586B0gL0
旧唐書
日本国者倭国之別種也 以其国在日辺故以日本為名 或日倭国自悪其名不雅改為日本 或云日本旧小国併倭国之地
意訳
日本国は倭国の別種である。国が日辺に近いということで日本を名としている。
倭国自身がその名が雅でないことを嫌って日本と改名したとも言われるし、また元来小国であった日本が倭国の地を併合したとも言われる。
新唐書
咸享元年遣使賀平高麗 後稍習夏音悪倭名更号日本 使者自言国近日所出以為名 或云日本乃小国為倭所并故冒其号
意訳
670年使者を派遣し高句麗平定を賀した。中華の発音に習熟して倭名を嫌い日本と改めた。使者は国が日の出の所に近いので国名としたと言っている。
また日本は小国であったが、倭国を併合し、その名を奪って名乗ったとも言われる。
倭国=邪馬台国、日本=大和であるとも読める。
151 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:31:17 ID:V+tSISA20
>>151 500年前の自分の母系祖先の事績を語ってみなよ
153 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:32:57 ID:S9azqJPM0
>>135 邪馬台国=大和政権の前身とすると先祖が中国に朝貢していたことになる。(事実してたんだが)
政権の神秘性正当性を高めるため記紀編纂時にそのような歴史を抹消したのであろう。
154 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:33:31 ID:HDiyt/880
現実に目をそむけ、過去の栄光に拘泥する地元民の群れ
155 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:36:37 ID:f586B0gL0
>>151 文字があっても500年前の事なんて不明なことばかりなのに・・・
記紀は歴史書ではなく、政治文書なんだからそれでも良いんだけども。
156 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:37:09 ID:9nQfHHd60
>>143 では、何年前の
記録まで信用できるんだ?
>>143 >文字の文化をもたなかった当時の日本人
稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣も知らないの?
5世紀の品物だよ。
まだ探せばもっと古いものが出てくる可能性はある。
かつては、伊耶那岐命=イチャナギノミコトと伊耶那美命=イチャナミノミコト
と呼んでいたと思う。特に根拠はないがそうであって欲しい。
159 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:40:45 ID:2Zv9o+2h0
西邪馬台国は九州にあったの。伊都国の南、筑後川のほとりの環濠集落。
東邪馬台国は、奈良にあったの。両方とも、日のミコはいたの。
村国家ごとに日の巫女はいたの。
九州の邪馬台国は、民主党みたいな政権で、北方中国にビビリへつらい。
一方、東の邪馬台国は、魏なんて知らんがな。もっぱら南の宋と交易。
>>135 3世紀のできごとが口伝され、8世紀の文書に残るなんて到底ありえない。
162 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:42:55 ID:aFc7+NYO0
しかし、立証したら、立証できたら、大和が魏に朝貢していた事になる
「邪馬台国=畿内説」を、強く主張する人に、反日呼ばわりされるのが、
なぜかどうにも納得できないwww
朝貢してたのが、大和と別物の方が、彼らにとって徳だと思うけどねぇ。。。
ま、本人が好きでそうしてるんだから、別にそれはそれでいいか。
反日・親日、関係ないやろ。。。
163 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:43:20 ID:01/dXmKC0
近畿勢力が三世紀末に九州北部を支配できていたのだろうか?
魏志倭人伝が描く風俗は温暖な九州らしく思える。
地名は九州内で比定可能。
問題は、邪馬台国という音、ヤマタイ・ヤマトと、大和政権を連想させること。
また、邪馬台国への経路と時間が遠く長いことが近畿を全否定できないこと。
いい加減、邪馬台国なんてものは存在しなかったと認める段階にあると思う。
そもそも外国の伝聞の類を本気で信じる方がおかしい。
最初からアトランティスとかと同列に扱うべき代物だったのだ。
弥生末期の畿内遺跡は出雲系の特色
神武東征に協力した畿内勢力は出雲系の神々
畿内厨のエロい人はこの辺無視してる希ガス
166 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:45:56 ID:prd22jc7O
邪馬台国は巍だかが勝手に付けた名前
売国奴である足利義満に日本の王の座を約束し、属国化しようとした件と同じ
おそらくその時も日本に返り討ちにあったが、恥ずかしいから無かった事にしたんだろ
まあ現代でいう「小沢王国」ってとこだな
探す意味ねえよ
168 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:47:50 ID:V+tSISA20
>>152 九州の北部南部出身で
薩摩時代のどこかで南方の外国からどこかの血が先祖に入っているって
噂が代々我が家にはある。あと江戸時代から名前分析でもしかすると
暗殺者というかヤバイ仕事してたひとがいるかもとのこと。
実際自分の顔見て外国人と間違えた人がいた。
169 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:48:19 ID:4vmr6fJ00
邪馬台国論争の中では、一応「伊都国」は現在の福岡県糸島郡、「奴国」は
福岡市から春日市ってことはどんな歴史学者も異論をはさんでいないのでほぼ
決定事項かと。
邪馬台国は奴国の南側に位置して東側に海がある場所ってことで、当然朝鮮半島
はあり得ないし中国地方もありえない。ついでに愛知県以東もありえない。
単純に考えると九州の東側の福岡東部から大分、宮崎の側になる。
がんばっても四国東岸の徳島か。
盲目の映画にもなった方の説の長崎県島原半島っていうのはちょっとムリがあると
思う。
畿内説は中国地方に出雲地方に邪馬台国とは別の強い勢力(後に平定して出雲大社で慰める)
がいた可能性が高いので魏が邪馬台国を書く前にこの出雲の勢力のことをまず書くので
は?ということで、ちょっと疑問。
一番理屈の通る説は、邪馬台国は九州にあったが、勢力が弱まった段階で大和朝廷の権力委譲
してその時点で九州から奈良周辺に東征しながら中心が移動したと言う説と思う。
170 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:48:31 ID:0I5PTxOM0
浮遊大陸にあって転々と移動していた、でいいよ
171 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:49:18 ID:gNGk0dAUO
入れ墨したり髪はボサボサで布切れをまとっただけ。
邪馬台国民は縄文人でしょ。熊襲などはそんな見た目だった?
北九州まであまり遠からず近からずな場所
すなわち八女である。
172 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:50:59 ID:N+CfsC3a0
集落で誰彼かまわずやらせる人あるいは職業的にやらせる人のことをヒメコといったのではないか?
173 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:52:52 ID:E2Ajc1zV0
都市の中心は昔も今も一緒、遺構なんて残ってるはずはない。
邪馬台国と称されたものがあった場所は福岡市中央区の大濠公園周辺
174 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:54:26 ID:eKGA/yKf0
>>162 日本人は朝鮮人と違って事実は事実と認めるのさ。
自分に都合が悪いからといって 歴史を歪曲したりはしないんだよ。
175 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:55:35 ID:N+CfsC3a0
従って筆者の夢である「やらせ放題国」は集落全部であり
日本列島全部の集落ということになる。
インカの村では客人もてなしは女
コステロが梅毒を持ち込んで出来なくしたので
部隊は皆殺しになったとある。
176 :
無党派さん:2010/10/11(月) 10:55:36 ID:fW6J/p4E0
>>131 卑弥呼は職業の総称だという説でしょ?
そもそも霊視するぐらいなら中国人がつけた蔑称を
なんで使うんだ?
姫巫女
何代も姫巫女が続いたから長命だと思われた
177 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:55:37 ID:vS50xU190
>政権の神秘性正当性を高めるため記紀編纂時にそのような歴史を抹消したのであろう。
|
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>( c´_ゝ`) |
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>( c´_ゝ`) J
>( c´_ゝ`)
>>153 |
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
| >( c´,_ゝ`)
|
J >( c´,_ゝ`)
>>153 >( c´,_ゝ`)
残念ながら出雲にあったのが正しいのです
179 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:57:50 ID:5qOa8VukO
徐々に、ニダが現れた。
そもそもヤマトという音はいつ、どこから来たのさ。
倭人伝の時代に邪馬台という音があったのは確かとして
畿内がヤマトと呼ばれるようになったのはいつの話?
山戸が元で、山の近くにあった集落程度の意味しかないなら
音が似てるからヤマタイ=畿内のヤマト王朝 とか言ってるのはバカだろ。
181 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:59:24 ID:aFc7+NYO0
魏の立場に立っての推論だが。
ぶっちゃけ、「海賊抑止」が目的の、派遣外交だったんじゃないかな?
通常の海上軍事力の外交なら、わざわざ遠くに行かなくても、「近いところ」
から、ガツンと軍事で脅しながら外交した方が外交の効き目もいいはずで。
でも、わざわざ(九州であれ畿内であれ)遠くまで行って「倭人(=倭寇?)
の親玉」に直接外交しなければいけないって、「海賊行為を止めろ」って
意味合いの方が強かったんじゃないかな?
182 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 10:59:36 ID:4RmrXRIR0
逆に、高島先生が奈良に乗り込んできた時の討論会というか講演会は見に行ったことがある
高島先生が、「博多駅でタクシーに乗って邪馬台国までっていうと吉野ヶ里に連れてってくれますが
先ほど奈良駅で邪馬台国までって言ったら、運転手さんがどこですか?と聞き返したので、邪馬台国は
九州です」と言って笑いを取っていたw
でも今じゃ、奈良でタクシーに乗って同じこと言うと、纒向に連れてってくれるかもなw
183 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:04:57 ID:aFc7+NYO0
>>174 かっこうつけすぎて、仙石地獄針のむしろに陥らないようにね♪
雅彌螺州と伊須神樽
185 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:06:45 ID:h3gmmbrO0
ケンカすんなお前ら(´・ω・`)
186 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:08:13 ID:Q6Bm7aRS0
四国の高知県だろ 大和→高知 似ている。
187 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:12:47 ID:N+CfsC3a0
倭人伝書いたやつが女だったら
もっとめちゃくちゃに書かれていると思う。
男だから旅費水増し、功績誇大化、セックス妄想であふれている。
188 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:13:14 ID:pK1i+QxI0
>>177 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
俺の説が正しい。かれこれ、5年この説を修正してない。
邪馬台国は大分宇佐〜畿内、関東の漠然とした地域、
卑弥呼が居たのは宇佐近辺の九州東海岸周辺。
ただ、魏の使者はその正確な情報を得てない。
行ってない可能性も高い。
方角は間違えたというより魏の常識上、倭は九州を一番北として
南に延びる島と考えられており、それに従い修正しただけ。
(ここ重要!!)
伊都国など邪馬台国傍国は邪馬台国の支配下にあり、一大率を
恐れている。(これは邪馬台国の軍事支配下にある事を示す、
また別文化の色合いが濃い)
邪馬台国はそれまでの倭の中心地、伊都国、奴国とは全く別の
文化をもつ勢力と考えられる。
190 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:17:07 ID:gNGk0dAUO
2600年の歴史の為の畿内説だろう。
191 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:21:31 ID:2ivedkWX0
>>6 バカが調べもせずに
バカレス垂れ流してるようだが
モモソヒメだ
魏志倭人伝の倭の習俗は南方的である。
(常時、魏の人が観察していた九州の習俗を記載している)
邪馬台国卑弥呼はそれとは異質な習俗を持ち傍国はそれに従った。
畿内大和朝廷は魏志倭人伝に記載された倭の習俗とは似てもにつかない
ものと考えられる。
畿内に九州に文化的連続性が感じられない。地名の一部一致などでは
弱すぎる為棄却判決となる可能性大。
畿内は基本的に出雲の継承と東海、瀬戸内等の地域との関係が密接。
九州との関係は薄い。
193 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:21:32 ID:HvZg1IWv0
>>143 全く触れてないってのはいくら何でも不自然だろ
>>193 だから神話の中に織り込んだんじゃねーの?
>>82 中国に一度でも臣従した事実が嫌な学者もいて、中国に頼った邪馬台国は狗奴国に滅ぼされたという説も根強い
196 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:26:48 ID:HvZg1IWv0
>>159 倭人の話によれば黒い歯した連中だか裸で過ごす連中がいる東南アジアだか小笠原諸島に船で一年行けるって書いてるのに東邪馬台国に触れてないのは不自然すぎる
197 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:27:16 ID:iZudVnp00
>>131 >夏冬では畿内、中国地方と卑弥呼は移動し統治していた。
案外に、その説は正しいかもね。
卑弥呼って宗教王だから邪馬台国連合の領地内を移動しつつ
宗教行事を行っていたかも知れない。
だから魏志倭人伝の記述でも、邪馬台国の場所をはっきりと記述できなくて
邪馬台国連合の勢力圏の大きさ(水行10日陸行1月)全部が邪馬台国なんだという
書き方をしたのかも。
198 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:27:49 ID:tDDnHt7IP
記紀もおよそ間違いがない、
天孫降臨について。
神武の家系が朝鮮ー出雲ー畿内へと勢力を拡大(出雲王国)
神武の家系が九州支配に乗り出す(天孫降臨)
神武の家系が故地に戻る(東征)
何ら間違えてはおらん。
こう考えると日本人って昔から頭良かったんだな〜と
これほど文字の無い歴史を正確に記載するって、驚き。
199 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:29:37 ID:HvZg1IWv0
200 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:34:24 ID:9nQfHHd60
朝貢するには仲介者または少なくとも通訳や協力者がいなければ
魏の正史に載ることができるような行動はとれない
したがってクニとして事前にある程度の交流があったはずで
大和朝廷が畿内にあったとすると相当な規模と覚悟で行った
行事であり政治的問題であったであろう
「ここは何というところアルか」
「山たい(なにって言われても、山としか言いようがないし)」
「なるほど、やまたいアルか。邪馬台国っと メモメモ」
202 :
偽モルダー ◆26r9vDYRZI :2010/10/11(月) 11:36:47 ID:WScgzYQc0
卑弥呼は九州、大和朝廷は近畿でいいっしょ?
ダメなの?
>>198 百歳超える人間がわんさか出てくるのにおよそ間違いがないって感覚おかしいだろ。
204 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:38:44 ID:5drsApu3O
魏志みたいな捏造歴史書をベースにして、卑弥呼とかヤマタイとかを語るのはバカのすること
邪馬台国が日本の歴史で重要だとはとても思えない。
国内の遺跡・文献で一度たりとも出てきたことが無いのに。
正直あったかどうかすら微妙なレベルだと思っている。
206 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:38:56 ID:bCNPtlFr0
倭人の勢力範囲は東シナ海を中心にした大陸沿岸部から日本列島
倭人は長江文明の枝分かれや東南アジアからの渡来人と縄文人とのハーフだ
その証拠に倭を語るときに必ず現われるキーワードが海(東シナ海)だろ
207 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:40:19 ID:gFJYHlLV0
邪魔台国というのがあってだな、
208 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:40:37 ID:HvZg1IWv0
>>203 昔の倭人は春秋で歳数えてたから実年齢より2倍歳が数えられてたようだが
多分年代表記は歳から逆算したんでねーの
209 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:41:40 ID:3RL6hYIKO
考古学者のいい加減な妄想や憶測で新発見とかいって大々的に発表するのはいい迷惑だよな
210 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:41:45 ID:tDDnHt7IP
>>203 >百歳超える人間がわんさか出てくるのにおよそ間違いがないって感覚おかしいだろ。
その点はもっと研究必要だと思う。俺もそこは何故か理解が出来ない。
この辺は素人なんで勘弁。
211 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:41:47 ID:iZudVnp00
>>198 出雲王朝と大和王朝は別物だろ。
国譲りの神話もあるし、考古学的にも出雲から大量の銅剣が発掘されて
なんらかの大規模な戦争の存在をうかがわせる。
212 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:43:40 ID:LtZCAR090
パチンコ邪馬台国とかありそう
そんな事よりガンダーラは何処にあるというのだ
214 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:45:05 ID:tDDnHt7IP
>>208 それ、詳しいソースない?もし信憑性あれば採用。
しかし、魏志倭人伝の方角間違えてるという点
中国人が日本が南に長いと思ってた。
これ衝撃的事実だ、これで全て解明できるもん。
明時代もおおよそその感覚だからな、あいつらアホじゃね。
215 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:46:40 ID:qrtbD6qo0
まとめサイトとかないの?吉野ヶ里vs纒向の
216 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:50:19 ID:tDDnHt7IP
>>211 >出雲王朝と大和王朝は別物だろ。
九州側からみると、出雲と大和は大変近いように思う。
銅鐸の分布、神社の分布。
九州の方は甕棺とか、神社も本州には無いものが多く
九州からみると大和も出雲も同質に思えてしまうわけ。
九州の民間信仰としては竈神社の分社が多いんだけど、
政府の息、近代価値観の掛かってない時代の遺物だから
歴史的証言性が高いと思うんだな。
217 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:51:07 ID:HvZg1IWv0
>>214 すまん俺専門家じゃねーんだ
二倍年歴でググって自分で信憑性判断してちょーだい
方角を90度間違えるような馬鹿どもがあんな大国を築け・治められるかね?
まともに他国侵略できんがな
自女三國以北其戸敷道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
(女王国より北にある国々の、その戸数や道のりは簡単に記載できるが、
それ以外の国はとても遠くにあるため詳しく調べることは出来ない。)
基本ちっと東に進みもしたけど基本的に南に進む行程を取り続けたからこそこういう表記があるんでねーの?
箸墓古墳は当時としては最大級の古墳なのにマンコに箸刺さって死んだとかいう馬鹿の墓の訳無い
大仙古墳などに比べたら小さいので最初期の前方後円墳と言う事を知らなかった作者が日本書紀に
倭迹迹日百襲媛命とかいう奴の墓と記載
箸墓は卑弥呼の墓で間違いない。
219 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:54:19 ID:tDDnHt7IP
前のレスで九州と四国を同一視する人がたまにいるけど
(たぶん土地勘がない東日本の人だろ)
それはないよ、四国は関西、中国地方の領域、
一部九州東北部の大分と小倉がそのエリアに入ってるというだけ、
四国中国地方と九州西北部から南は文化的に同質性が薄い。
220 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:54:30 ID:N+CfsC3a0
そういえば日本ではまだ邪を「や」と読むのだな。
モンゴル遺伝子も居るということ。
日本書紀の偉いやつで将軍みたいなのにモンゴル名多い。
221 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:54:31 ID:gNGk0dAUO
好古都國ってのは博多のことだろう。伊都國が糸島。
南に下ると邪馬台国があって、その南に狗奴國がある。
狗奴國はキクチヒコ的な名前の男王がいて、邪馬台国は
それに滅ぼされる。
北が福岡、南が菊池即ち熊本。間に挟まった八女が邪馬台国であろう。
222 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:56:05 ID:ajSgNz1V0
>>213 They say it was in India.
223 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:56:59 ID:6BdVcIWqO
徳川埋蔵金は何処だ?
224 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:56:59 ID:2ivedkWX0
>>203 >>210 同じことがインドや中国にもあって
これは2倍暦だったのじゃないかと(つまり西洋の暦と概念が違う)いう
説がだいぶ前から提唱されている
225 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:58:20 ID:KQ+jYN4R0
226 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 11:59:57 ID:bC4ZZF2aO
もう志賀島でいいじゃんヽ(`Д´)ノ
文献解読は考古学ではかなり信憑性の薄い方に入るからなあ。
考古学の役割ってむしろ「文献の信憑性を確定する」性格の方が強い。
日本では考古学がかなり弱いから仕方が無いのか。
228 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:02:06 ID:N+CfsC3a0
古代国家が滅ぼされるということは
男は皆殺し
女は全部強姦(平均寿命30歳ぐらい)
なので結局滅びないで部族増殖しちゃうのだ。
妊娠中でやられなかった子が復讐とかということになるがごく少数派。
邪馬台国ならおれの横で寝てるよ
230 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:03:59 ID:oVZimIX0O
このスレ熱いな
>>216 出雲と大和では初期の墓制が違う。
出雲は四隅突出型墳丘墓→前方後方墳→前方後円墳。
明らかに後から大和王権に服属した形。
>>135 いや、ちらりと書いている。神功皇后の摂政66年、注して
「是年、晋武帝泰初ニ年。晋起居注云、武帝泰初ニ年十月、倭女王遣重譯貢献。」
という。
景初二年六月、卑弥呼が難升米等を遣わし魏に朝貢したとの記事に符合する。
記紀に邪馬台国のことは一切書いてないので、意図的に抹消したとしか考えられない。
233 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:06:15 ID:3PJHzi/t0
>>218 >マンコに箸刺さって死んだ
これは文字通りそういう事実があったととらえられてんの?
それとも何かの出来事の比喩的表現とされてんの?
234 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:06:55 ID:gNGk0dAUO
>>219 司馬遼太郎の小説に長宗我部のやつあるけど
高知とか南のほうに行くのは大変だと書いてあった記憶が。
顔つきも瀬戸内海の方と違って濃いとかなんとか。
235 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:08:51 ID:tDDnHt7IP
俺が邪馬台国が大分宇佐〜四国中国〜禁忌関東と考える理由は。
・基本的に南方習俗が残る伊都国、奴国と別の文化圏の
色合いが濃いと考えられる事。
(八女、甘木等の筑後川流域ではあまりにも文化が同質過ぎる)
・記紀、風土記、万葉集において筑後川流域は大和朝廷と敵対的な
関係にある事が読み取れる事。
・現在に残る九州西北部から南部の伝承が大和政権を賞賛するものでは
ない事。(神社の分布、八幡信仰とかは元寇の後)
・トヨ、イヨの語感が大分四国のラインを想像させる事。
・伊都、奴国等の大国を大分宇佐だけが支配する事はパワーバランス的に
不可能である事。
・その後の史実、文献との連続性。
236 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:10:15 ID:N+CfsC3a0
遺伝子に巣食うウイルス(=風土病)をみると
九州と本州、四国は分断されている。
異質なのは事実。
しかし魏志倭人伝の旅行日数水増しは買春費用ねん出のためではないかと思う。
逆に暗黙に普通に認められていたと思う。
ほかの経費はかなり細かく書いてあるからだ。
弥次喜多など原本を読むと費用の大半は買春費。
事実を認めない考古学は偽物。
物資横領をかくすためのでっちあげ文書だったりしてな
239 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:11:16 ID:LvPL7rggO
邪馬台国は伊勢
ただし滋賀県の
>>228 強姦に値する女なんて早々いないと思うが、そういうのも全部やるんだろうか
>>214 むしろ、後代のアホが「魏史の邪馬台=畿内大和」と思い込み、「東=南の方角ミス」と解釈して、日本列島を倒立させた地図をわざわざ描いたんじゃねぇの。
魏から随に変わってる間に九州邪馬台国が滅んで奈良大和王朝ができたんじやないの
243 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:16:31 ID:gNGk0dAUO
朝鮮半島から宇佐に行くには関門海峡を通ってぐるっと回るか
小倉のあたりから陸を行くか日田を通って山を越えるか。
急にエロネタに走るやつが出てきたなw
>>216 > 九州の神社
風土記とかの古い文献をちゃんと調べたんだろうね?
246 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:21:07 ID:8OA7H5dl0
魚釣島だろ
247 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:22:07 ID:xBaJqmVA0
三丁目の角のあたりだろ
今はパチンコ屋の建ってるあたり
248 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:22:08 ID:tDDnHt7IP
俺の邪馬台国への行程ルートは3年前に考えたものとして
(今も修正してない)
不弥国を宗像、投馬を丹波但馬国で日本海ルートで奈良に行くと
考えてるけど。
宗像、丹波はその頃から大陸との接点の多い重要な拠点だし
これを記載するというのは極自然です。
>>233 正直この伝承は丹塗り矢のヘタな二番煎じ。
箸墓の本来の意味は、土師(はじ)氏の作った「土師墓」だ。はじめて周囲に埴輪を巡らせた古墳と思われる。
そもそも邪馬台国をヤマタイコクと読んでいるが、
それなら卑弥呼の宗女台与はタイヨと読まねばならない。
使われているのは同じ「臺」の字だから。(写本の異字は別にして)
台与をトヨと読むなら、邪馬台国はヤマトノクニと読むべきであろう。
では、ヤマトとは何か。「山の人」ではないか。
251 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:25:57 ID:iZudVnp00
>>236 >遺伝子に巣食うウイルス(=風土病)をみると
>九州と本州、四国は分断されている。
そうとも言えないんだよな。
成人T細胞白血病(ATL)の患者の分布を見てみると
九州沖縄に患者が集中しているのは事実だが、黒潮の流れに沿うように
南四国紀伊半島や果ては三陸地方まで患者が散発している。
http://tahata.up.seesaa.net/image/HTLV-1_2.jpg 神武東征の神話だと、最終的に紀伊半島の熊野辺りの軍勢の助けを借りて
大和を平定したことになっている。
九州と熊野を民族的に結ぶ鍵は黒潮(が運んだウイルス)かも知れん。
252 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:26:13 ID:7wo4g3vWO
イタコに古代人を呼び出してもらうしかないな
その頃日本はまだ、南のほうにあったんだよ。
2000年かけて今の位置に移動してきたんだよ。
254 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:30:48 ID:iNMAN9Ct0
>>182 それは、タクシーの運ちゃんの中では「ここはもう大和の国(邪馬台国)の中
なんだが、いったいどこへ行けって言うのかいな?」だと思う。
255 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:32:09 ID:NTestNSVO
大都会岡山が発症だ
256 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:33:40 ID:9nQfHHd60
257 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:33:45 ID:tDDnHt7IP
>>251 隠岐に多いのは興味深い。
黒潮ルートはあまり重要視しない方が良いと思う。多少
の漁民の移動はあっただろうが、極限られた数とみるのが自然。
258 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:35:58 ID:LvPL7rggO
この国には古墳に銘文なり文字を遺す文化が何故全く育たなかったのか
今後仮に宮内庁が折れて全国の王墓調査をくまなくしたとしても
古代史を書替えるようなめぼしい成果は得られないだろうな
まして邪馬台国など永遠に霧の彼方
259 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:39:46 ID:Mdkx63ug0
最終的にはやまなしとやまがた
260 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:39:59 ID:rk26To/tO
畿内説
但馬説
熊野説
出雲説
筑紫説
肥後説
下総説
鹿島説
琉球説
台湾説
インドネシア説
エジプト説
ムー説
何でもありだぜ邪馬台国。
>>250 日本中山だらけなんだから、どこもかしこもヤマトじゃん。
倭人伝の風俗を見ると、どうみても海人だけどね。
>>258 銘文入りの鉄剣は出てるだろ。
それ以前は文字が入ってきて無かったんだろ。
262 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:40:32 ID:5aySfVtJ0
邪馬台国 = 大和朝廷
卑弥呼 = 神宮皇后
これでいいじゃん。昔からそういわれてたんだし。
263 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:42:20 ID:tDDnHt7IP
考古古学が邪馬台国を重要視してないという事が重要と思う。
商業的には邪馬台国は重要だけど、そもそも魏志倭人伝の
一回しか出てこない邪馬台国を絶対的な存在のように
掘り下げるというのは学問的に不毛だと思う。
どっちかというと他のものとの整合性とかの方が大事と思う、
だから考古学の学問的スタンスは正しい。
264 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:44:26 ID:jsbvMKfV0
島根県に住んでると、歴史上重要なことを個人個人たくさん知ってるんだけど
むやみやたら喋る奴はほとんどいないな
そこらへんのニワカ教授よりよっぽど奥の深い情報持ってたりするんだけどね
なぜ喋らないかだって? ゲゲゲの世界に落ち込むのが恐いからだろうな
妖術ほど恐ろしいものはないわけでね
>>257 古代海人(=アマ=天)族をアマく見てはイカン。
武装漁民だぞ、ほとんど海賊だぞ。船を作るための良質な木材を求めて、川をさかのぼり、日本各地の森の奥深くへと分け入って行ったんだ。
>>216 >九州側からみると
「北九州側から見ると」だろ
日向は奈良とすごく近い
267 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:45:52 ID:iZudVnp00
ヤマトは海人であるハヤトに対比された、「陸の人」ではないか。
海幸彦・山幸彦の話は、天孫降臨に続けて語られ、海幸彦が隼人(ハヤト)の
祖となり、朝廷に仕えるようになったとの縁起譚で〆る。
南風をハエバルと呼ぶように、ハエとは南を意味するから、ハヤトは「南の人」
それが海幸彦を祖とするから「海の人」でもあろう。
ここで注目されるのは、沖縄の人が本土の人を「やまとんちゅ」と呼ぶ事実。
別に奈良県を意識しているわけではなく、九州の人も「やまとんちゅ」であるから
「やまと」は元来、奈良県の特定の地域を指すものではなかったと考えられる。
考えてみれば、大和と記して「やまと」と読ませるのは、後世の当て字に近い。
沖縄の近くに元「やまと」があったのなら、それは九州に違いなく、
天孫降臨から暫くは九州を語る記紀の描写とも符合する。
天孫降臨は「筑紫の日向の高千穂の串触峯」に到ったと記されており、
これはどう見ても奈良県に持ってくるのは無理である。
後に南九州が熊蘇の地として討伐対象になるのを考え合わせると興味深い。
269 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:47:28 ID:sBxKB3L6O
箸墓と宇佐神宮の古墳の遺伝子検索すれば確実に近い血縁者で卑弥呼と妹の可能性が高く出るだろう。
ここまでペリーなし?
271 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:48:19 ID:tvjLAxh8O
卑弥呼=ヤマタノオロチ
>>261 倭人伝の風俗記事は、天孫降臨〜神武誕生までの九州が舞台の記紀神話と非常に雰囲気が合う。
霧深い奈良の風土伝承とは全然合わないね。
273 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:49:55 ID:JEsDI6Ng0
>>263 考古学だけじゃなくて文献史学もそうだよ
邪馬台国がどっちにあったかはどうでもいい問題なんだと
それに邪馬台国研究したって業績にならず評価されない
決定的な証拠品が出ない以上、どうしても推測の域を出ないな
谷保台国、つまり現在の東京都国立市ですね。
276 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:51:39 ID:5cqLPKFz0
埼玉県には、エホバとユダの墓がある。
最近、秩父で埼玉大学の教授が、ラオウの墓を発見して話題
になった。
女性の遺品もあり、ユリアのものだろうと教授は語っていた
277 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:51:54 ID:tDDnHt7IP
天孫降臨は九州だが、天孫の出身地は何処かというと
俺は出雲・禁忌と思ってるのだな、出雲の前はスクナイコナの父親の国
朝鮮と思ってるのだけど。
278 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:52:06 ID:5bNiKiGV0
伊勢神宮のご神体の鏡が魏鏡だったらアマテラス=卑弥呼、邪馬台国=ヤマトで確定だろう。
誰か夜中こっそり調べてみてくれw
来年の流行は邪馬台国女子です。
280 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:55:55 ID:f6WHetie0
邪馬台国 = 宮崎県宇佐 ←確定
巻向古墳 = 出雲系大国主政権の地(首都?) ←確定
吉野ヶ里 = 邪馬台国貿易前線都市 ←推定
卑弥呼 = 238年日食時の巫女(女皇?) (神功皇后と同定?) ←確定
宇佐八幡、東征親和、古墳調査、大和三山の伝承あたりから
ここまでは大体異論ないんだろ?
あとは宇佐近くで金印か鏡がでれば、議論終了。
281 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:56:12 ID:N+CfsC3a0
海や川は古代の高速道路で
ノルウエー=>デンマーク=>オランダ=>イギリス王家の血がつながっていたり
ヨーロッパの大河は北に流れているものもある。
パリ、リスボン、ウイーン、キエフに碧眼パツ金が多い。
強姦という表現より日本軍の南京征伐みたいなもので顔より排泄行為ではないか?
>>278 畿内のヤマトが魏から直接もらったことの証明には全然ならんだろ。
「九州の王」から頒布されたものを伝承しただけの可能性もあるんだから。
「邪馬台国 は アナタの ココロの なかに」
284 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:57:26 ID:LvPL7rggO
>>261 過去の出土刀剣は僅か五例
千葉稲荷台王賜銘太刀
埼玉稲荷山金錯銘太刀
熊本江田船山銀錯銘太刀
島根岡田山円頭太刀
兵庫箕谷戊辰銘太刀
稲荷山と江田船山でワカタケル=雄略期が判別出来る程度
六世紀後半になると刀剣銘すら皆無となる
285 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 12:57:33 ID:5bNiKiGV0
邪馬台国無双で解決
>>285 卑弥呼のコスプレで、いい男をゲットするのです。
前スレで知った&考えを整理した内容
邪馬台国を当時の倭の盟主とするなら、畿内以外なし
ただし、魏志倭人伝は出鱈目である
魏志倭人伝記述を相当量信用するなら、九州以外なし
でも邪馬台国はニッチな地方勢力でしか過ぎない
中国ではすでに漢字があったのに
文字のなかった日本は野蛮国wwww
今使っている漢字は中国からもたらされたもの
中国に感謝しろよ
290 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:08:36 ID:iZudVnp00
>>265 『隋書』列傳・東夷・倭國に、
「開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩?彌、遣使詣闕。」
(開皇二十年(600年)、倭王あり。姓は阿毎(アメ「天」)、字は多利思比孤(タリシホコ「足彦」タラシヒコ)、
阿輩鶏弥(オホキミ「大王」)と号す。使を遣わして闕(みかど)に詣る。」
『新唐書』列傳・東夷・日本には、
「其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲凡三十二世、皆以尊為號、居筑紫城。」
(その王の姓は阿毎氏。みずから言う。初主は天の御中主と号す。彦瀲にいたるおよそ三十二世。
みな尊をもって号とし、築紫城に居る。)
ひょっとすると、天皇の姓は「天」(アマ、アメ)かも知れないな。
天族の王が天王であり、天皇となった。
291 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:10:43 ID:AWJ3PlIc0
分断されているところには必ずチョンが湧く。死ねチョン。
292 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:11:28 ID:iZudVnp00
>>289 中華人民共和国の人民も共和国も日本人が創作した和製漢語。
日本にも感謝してね^^
293 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:12:31 ID:h3CalPll0
九州にあったよ
たしか宮崎だったと思う
三角縁神獣鏡が中国から来ただとか、いまだにそんな古い説で
議論してるのか。もうどうしようもないな。
>>289 ひらがな、カタカナ、漢字
3つを使っている真の理由をあなたは説明出来ますか?
三角縁神獣鏡は出土しすぎなので国産だろ
剣・玉・鏡は豪族のトレンド
・剣は力 武力の象徴
・玉は魂 権威の象徴
・鏡は太陽 永遠の象徴
297 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:14:51 ID:PWBv1Vps0
そんなことより俺は
ここに書き込んでるお前らの平均年齢を知りたい
298 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:16:25 ID:gNGk0dAUO
北九州に倭人が居るなら朝鮮半島にも居るだろう。近いし。
弥生文化はどこから来た?朝鮮の北?大陸?
>>289 秦の始皇帝が、焚書坑儒した理由が解ってない
まあ、そういう事を理解することを期待するだけ無意味か
300 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:16:49 ID:G6jInnZFO
奈良だろ…
>>297 平均年齢はわかんねーが、お前がガキだってことは
みんなに知れ渡ったな。
>>288 文献上も畿内説で間違いなし
九州は短里だの放射だの苦し紛れのことをしないと説明できない
>>298 どうやってきたかは、諸説あっても長江流域だな
遺跡をみると、半島から押し出されてきた民族が九州に渡ってから消えていくパターンも多い
でも、今の韓国人はそういう民族の遺跡を見てホルホルしているだぜ
304 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:21:28 ID:DSq99q+FO
>>297 おそらく、平均年齢45歳で無職童貞包茎ハゲ小太り
305 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:22:45 ID:G6jInnZFO
九州とかほとんど月刊ムーレベルのトンデモじゃん
「なにもせんほうがええ」
>>302 あの行路記事をすべてぶっ繋がりに読むことの方が遥かに不自然だけどな。
309 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:25:29 ID:iZudVnp00
>>302 畿内説だと南洋海洋民族の風俗は、どう解釈するの?
そこの文献上の齟齬は無視?
宇佐晴らし
311 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:28:51 ID:bJ1Jn5TTO
三国志魏書東夷伝倭人条アルか?ああ、あれは我が書いたものアル。倭なんか行ったことないから適当に書いたアル。すまないアル(´・ω・`)
312 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:29:00 ID:gNGk0dAUO
>>303 弥生時代に渡来人がかなり渡ってきてるよね。
唐入り朝鮮出兵や併合のバックには、もとは同じ民族という
ような認識があるんだろうか?曖昧にしてるのは
そこに触れたくないからとか。
313 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:29:04 ID:mAWBAa8XO
北九州から近畿に移動。神武東遷は、それを神話
化した。
>>299 秦の始皇帝の時代、文書があった中国に比べて
原始時代の日本www
当時の文書が一冊もないってww
316 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:30:49 ID:7SjqlTMn0
鹿児島の霧島だよ
317 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:30:55 ID:NeuELFErO
当時よりみんなから疎まれてたんだな。「こっちに押しつけんなよ」
ジャマ台国って……
卑弥呼が金印貰わなければ簡単に結論はついてる問題なんだがw
319 :
名将ヨシイエ:2010/10/11(月) 13:31:33 ID:lLIEFutO0
韓国だろ
古墳もあるし
321 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:32:08 ID:Sv5TK/O40
金印はおそらく福岡人が奈良から盗んでいったんだろう
箸墓発掘すれば親魏倭王の金印が出てくるよ
発掘許可が降りない(´;ω;`)
>>309 だからなんでそれだと北九州になるってなんの?
その習俗が畿内にあっても不思議じゃないでしょ
銀印、青銅印はないの?
326 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:34:29 ID:tDDnHt7IP
辛島、秦、大分宇佐が起源だからね。
この近辺から四国畿内に居たる広い領域が
邪馬台国を支える強力な後背地と思う。
>>312 そりゃ弁韓諸国や新羅は倭人が作った国なんだから
百済は本来は日本と無関係だが、中国国家からの亡命者が多くて文化も発展したから、
日本はそういう人材や文化を欲しがって肩入れしたんだよ。
北部からの圧力が強すぎて、まとまったのは日本より遅いんじゃないかという説もあるし、
俺もそうなんじゃないかなあという気がするが
"政治的に認められん"という風潮は日本にすら根深くあった。
328 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:36:21 ID:zy2n+5qe0
文献からは邪馬台国の場所は確定できない、って確定しているのに
嬉々としてアホな推論をかざしている馬鹿どもって何なの?
もう考古学的に土を掘ってでしか証明する術はないってのに。
329 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:36:22 ID:gNGk0dAUO
しかしなぜ巍なんだ?
呉やショクや他に行かなかったのか?
邪馬台国(やまたいこく)は大和(やまと)の語源説ってあるよな。
近畿にあった大和朝廷=邪馬台国だ
↓
親魏倭王アル、日本は我々の物!!
九州にあった
↓
日本は朝鮮人が作ったニダ、大朝鮮帝国マンセー天皇はウリの物
死ねよクソゴミ特亜w
332 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:36:49 ID:LvPL7rggO
垂仁期に皇祖神たる筈のアマテラスを祠る神宮がヤマトを追われ
54年25箇所に及ぶ流転を強いられた末何故伊勢に落ち着いたか
この辺が鍵なんだろうけどな
333 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:37:47 ID:iZudVnp00
>>312 古代の倭人は朝鮮半島南部にも領土を持っていたってだけの話では。
百済王室とか明らかに天皇家と婚姻関係あったし、白村江の戦いへの
出兵も同族救助でしょ。
任那日本府なんてものもあったしね。
邪は耶の書き間違えという説も
>>325 邪馬台国の使者、難升米、都市牛利、伊声耆、掖邪狗に
銀印が贈られてる
336 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:40:24 ID:91qLKd+O0
>>332 そういえばなんで三輪大神から天照に乗り換えたんだろうな、ヤマト王権は
オオモノヌシが祟っているのが、鍵の様な気がするが
337 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:40:30 ID:QD+Kt84z0
>>288 >魏志倭人伝記述を相当量信用するなら
北九州から「南へ水行十日、陸行一月程」を信用したら、
最低でも南九州になってしまう。
更に、「南へ水行十日又は陸行一月程」と解釈しても、
南九州でも鹿児島まで行けてしまう。
(実際は陸行一月なら、古代でも鹿児島の最南端でも行けてしまうだろう)
そんな所に中心地があろうはずがない。
魏志倭人伝からいっても、九州説はありえない。
「南へ」という部分を、北九州から瀬戸内海に入る前には、
まず豊後水道方面に行くために「南へ航海する」と倭人が伝えたと考える。
瀬戸内海に入りさえすれば、方角は特に考えなくても東へ進むしかないし。
距離は「水行十日又は陸行一月程」とすれば、大和に合致してくる。
>>330 邪馬台国は”やまたいこく”と読むと決まってる訳じゃ無いぞ
>>298 熊本県八代市のカッパ伝説は、
ある時、呉からたくさんのカッパが海を渡ってきて
川沿いに住みついた
とある
邪馬台国は……
邪馬台にあったんだよ!
>>299 詳しく!
焚書坑儒の理由って、
郡県制や法治主義、そのイデオロギー徹底のためだよね?
342 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:42:14 ID:tDDnHt7IP
邪馬台国は特定出来ないし特定してはいけないと思うわ、
あんな胡散臭い国の作った歴史書だろ、ただリアルタイムで
書かれているという事を重視するというだけだな。
343 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:42:56 ID:bJ1Jn5TTO
箸塚から金印出たら、卑弥呼は箸がマンゴに刺さって死んだ馬鹿女ってことになるよね(´・ω・`)
時代を整理しなさい
あと、解説している親書でいいから、三国史記の内容を知りなさい
鉄や絹も出ないのに近畿とかないない 一般人は九州と思ってます。
基地外学者が多い近畿は大変
>>338 まあそうなんだけど…
もとの読みが(やまと)だった説まである
後の大和地方の人たちの祖先と
安直な発想をしたというわけ
349 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:45:58 ID:tDDnHt7IP
>>37 いやいや、人間偏見があると見えるものも見えなくなるってね。
>>341 国内統一したとき、字の種類も読み方も全然違っているから統一するために焼いたんだよ。
351 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:46:04 ID:iZudVnp00
>>324 >その習俗が畿内にあっても不思議じゃないでしょ
はあ?
魏志倭人伝にはサメや大きな鳥を避けるために倭人は体に刺青していると
書いてあるんだけど。
畿内のどこに大きなサメや鳥がいるんだ?
>>337 女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。
>「帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里」
帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→奴国で、700里 (500+100+100)
すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。
対馬国→一支国が1000余里。
これが対馬と壱岐なら、距離は68km。これが1000余里。
一支国→末盧国もやはり1000余里。
末盧国が唐津なら、壱岐〜唐津で約40km。
末盧国が福岡なら、壱岐〜福岡で約60km。
1000余里がだいたいこのくらいの目安となる。
奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1〜2時間くらいのところに邪馬台国はある。
方角は南だ。投馬国も邪馬台国も、はっきり南と書いている。さらに
>「女王国より北は道里や戸数を書けたが、それ以外の国は遠くてわからない」
ともある。つまりそれまで書いた国は邪馬台国より北ってことになる。
もちろん、「1300里を水行陸行1ヶ月かかるのはおかしい」という疑問はある。
だが距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし
(末盧国の描写で、草が生い茂って、前を行く人の姿も見えないとある)
台風などの増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。
それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。
それまで日数は一切書いてないんだから、これが全体の日数という説も説得力がある。
いずれにせよ途中から距離を書いてないのだから仕方ない。
そして「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、
むしろ日数を主張する人は、これをまるで書いてないかのように完全無視してる方がおかしい。
>>350 ほう、度量衡の統一と一緒か。それもあったか。
しかしこれって中国が今でもやってることと一緒だねww
何千年経っても同じ事やってるw
354 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:48:02 ID:/FsQ0f9R0
その魏志倭人伝の個所は邪馬台国の習俗ではなく、倭人の習俗じゃんwww
355 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:48:03 ID:LvPL7rggO
>>325 漢旧儀に依ると、材質は玉・金・銀・銅の四種
356 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:48:21 ID:tDDnHt7IP
>>351 >>324の反論は不適当なだけ、陳寿が邪馬台国に住んでる人の
習俗を描いてないと考えればごく自然。
357 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:48:45 ID:jffcKjy40
お前ら、馬鹿か?!
綾瀬はるかちゃんだって箸墓古墳を案内する時
「ヤマト トトヒ モモソヒメ」って連呼してただろ、バカヤロー!
で、綾瀬はるかちゃんだって「箸墓古墳は卑弥呼の墓」って言ってただろ、バカヤロー!
お前ら、綾瀬はるかちゃんに逆らうつもりなのか?あ?ん?
いい加減にしろよな、お前ら!
俺が大人しくしているうちが鼻だって早くわかれよ。
>>343 古代ではそこが女の急所だと思っていたんだろ。
スサノオに逆剥ぎされた馬に驚いて死んだ機織りの死因もそうだな
359 :
sage:2010/10/11(月) 13:48:51 ID:sBxKB3L6O
>>305 ムーの創刊時読んでた40代だがたしかハワイ説だった希瓦斯
360 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:48:52 ID:Sv5TK/O40
>>337 水流があるから南に向かえば東に行くんじゃないかな
361 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:49:24 ID:bJ1Jn5TTO
陳寿←こいつが嘘付きなのが諸悪の根元
>>351 刺青なんてずっと残ってたし南方由来とはかもしれんが畿内にもあった
むしろサメや大きな鳥なんて九州にもあるのか?
九州説なら山奥になるんだぞ
普通に考えたらやっぱり九州だよな
365 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:49:54 ID:XRnyrcqi0
邪馬台国・・・宮崎の西都原あたりのような気がする。
>>329 当時中原を抑えていたのは魏だもの。遼東半島は公孫氏で、これも魏の影響下(後に独立したが滅ぼされた)。
九州から朝鮮半島の海沿いにくれば、当然魏に導かれることになるしな。
呉に行くには海を直接渡らないとで、その当時の航海技術では厳しい。蜀は山奥すぎ。
>>336 アマテラス男神説とかだね。
これもやっぱり歴史の改ざんだよ。
後に政権を握ったものが、
神話の都合の悪い部分を塗り替えた。
記述の整合性という点で、
あまりに不自然な箇所は何か圧力がかかって、
元々から変えられていることが多い、とかなんとか。
じゃ・・・邪馬台国
>>357 見てないから知らんけど、
鹿男あをによしってドラマ?
>>352 また短里説か
いいから魏志のほかの記述で1里を50mとしてる証拠もってこいよ
伊都国奴国間100里は30数キロだぞ
短里説はなりたたない
371 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:52:35 ID:jffcKjy40
>>351 あんた、現在の地形と2、3世紀の地形が同じだと思ってるのか?
当時のマキムクあたりの立地条件を調べてみなさい!わかりましたか?!
>>367 力の神天手力男神が渾身で無いと開けない岩戸を、ひょいひょい開け閉めする女神www
373 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:53:08 ID:QD+Kt84z0
>>352 >1万2000余里
こんな長い距離を正確に出せる方がおかしいだろ。
短い距離の方がまだ確度が高い。
もしこんな長い距離が正確に認識できてたら、
中国は古代に素晴らしい精度の東アジア地図を作ってただろ。
374 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:53:32 ID:CDpfQxqpO
どこでもいいよ。こんなもん。
375 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:53:44 ID:tDDnHt7IP
結論としては
魏志倭人伝当時、倭国の中心は奈良。
行程も恐らく奈良の位置を述べているのだと思う。
卑弥呼は誰か?それは俺には分からない。
九州には大和の地方司令官が居た可能性があり
それを卑弥呼と呼んでたと考えている。
元々当時の九州は八女津姫、見借など女酋は多い。
それに習ったのでないか。
邪馬台国→ヤマトなら
宇宙戦艦ヤマタイでもよかったんですね!
邪馬台国が畿内の大和で、最初から倭国の中心地だったのなら、その王権のルーツをなんでわざわざ九州にしたんだろうね。
しかも神武が宇佐の神宮に挨拶に行ったことまで書いて。
道鏡の行為簒奪事件でも、わざわざ宇佐八幡にお伺いを立てている。国家の根幹に関わるほどの重大な宗教的権威が認められていた、ということだ。なぜだろうね。
>>294 三角縁神獣鏡をスペクトル分析したら、中国の銅山で精製された銅を用いている可能性がもっとも高く
成分を分析しても、中国製の銅にもっとも近かった。
これらの結果を考えれば中国製と考えた方がよいよ。
中国で発見されない理由は、朝貢してきた国に下賜するためだけに作られていたものであったと考えれば説明がつくしな
>>309 琵琶湖周辺に海人族が多く住んでいたと考えられるし。
畿内の近年に海人族の部族もいたでしょう
379 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:56:25 ID:rMAUSge70
福岡博多の人間が、大昔、ここはヤマトったい、ヤマったい、ヤマたい、邪馬台国と、なまったと考えたらどうだろ。
皆書かないけどさ。
ある程度の文明があった江戸時代ですら、下田に専用の都市を
つくって、そこで歓待をやって、国を守ろうとしたよね。
当時の政権が、中枢の大和(畿内)を隠して、北九州にデコイの
都を造るのなんて、当然を通り越して常識だと思うんだけど。
だから北九州にも都状の都市はある。
時代を降れば太宰府もある。
国防ってそういうもんだろ?
魏志倭人伝の南北の軸を西にずらすと宇佐が邪馬台国って知らん馬鹿ばっか
382 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:57:56 ID:4RmrXRIR0
>>337 俺も、日数はコース別だと思うな
今の人が、東京-北海道は、空路で70分、フェリー31時間って書くようなもん
水行 = お急ぎコース、できるだけ寄港せずに船で行けるところは全部船
陸行 = 貴人同行とかの安全最優先コース、陸で行けるところは全部陸を行く
383 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:58:01 ID:bJ1Jn5TTO
邪馬台国論争はすなわち、卑弥呼が箸がマンコに刺さって死んだ女かどうかの争いだわな(´・ω・`)
384 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:58:03 ID:Us3DLs8yO
>>309 当時も九州以外に四国、紀伊、東海に海洋民族とやらは分布していたけど
385 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:58:04 ID:nossb/LiO
まだやってるのかw
大和国がなまって邪馬台国
近畿説とか言ってる奴は正気の沙汰とは思えん
390 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 13:59:42 ID:iZudVnp00
>>362 九州説なら山奥って意味が分からん。
どこを言っているの?
現在のところ確実に比定されているクニは九州の海沿いじゃん。
因幡の白兎伝説はワニ(サメ)が出てくるが日本海にはサメがいたんだよ。
で、畿内のどこにサメがいるの?
琵琶湖かね?
>>351 ちなみに神武が東征の際に引き連れて来た軍事集団の久米族には、黥面の風習があった。どうみても南方系の海賊。
392 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:00:44 ID:n6Wj2pn/0
呉書倭人伝とか出てこねえかなw
>>299 秦の始皇帝の坑儒焚書を問題にするけどさ。
漢時代に儒教が王朝の国教となると、儒家が真っ先にやったのは、他学派への弾圧だったよ
これは始皇帝の坑儒焚書を遥かに凌ぐ規模だった。
この弾圧によって多くの思想が消失した。儒教と並ぶ一大学派だった墨家も、この時代あたりで姿を消しているから
弾圧によって消失したといってよい。ちなみに墨家は私が信じている哲学だがな
結局さ、法家が秦に認められた以上は、坑儒焚書などの他学派の弾圧が行われたのは当時としては自然な成り行きだよ
キリスト教がローマの国教と認められた時も同じことが起こったし
秦の始皇帝一人の暴挙で片付けられる問題かな?
394 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:01:34 ID:LvPL7rggO
>>336 その辺がほんと謎
アマテラスは正直天武がまつりあげる迄は間違いなく端神の扱い
伊勢風土記のイセツヒコの描写がオオクニヌシと瓜二つなのも怪しい
山の大国がなまって邪馬台国
あった場所は白山周辺地域
学術的にはほぼ終わった話だろ。ニュースにはなり易いが
沖縄人が本州の人間をヤマトンチュって言うから、
沖縄は除外ですね。
398 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:02:33 ID:3PJHzi/t0
>箸がマンコに刺さって死んだ女
これ、出産の時に大変な難産で赤ん坊がなかなか産道から出て来ないから
当時の産婆か医者みたいな役目の人が産道に長い棒みたいなの何本か突っ込んで
産道を広げようといろいろやってみたが結局ダメで妊婦はそのまま死んだ
みたいなことじゃないのか?
399 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:03:40 ID:rg6Critt0
邪魔大国と言われて我慢している倭人チョッパリ民族。
本当の国名は?
中国になめられたくなかったら本当のの国名を明らかにさせろ。
日本人が一番嫌いな民族は北朝鮮と韓国である。日本右翼殺人鬼たちは韓国朝鮮の血を100人
以上も殺したのだ。この韓朝人と結婚した日本人たちは「売国奴である」。売国奴たちも死ぬま
でだ。我々の仲間は大阪読売テレビたかじん委員会とコラムニスト勝谷である。他にもいるが今
は隠す。世田谷一家を皆殺しにしたのは勝谷とたかじん委員会連中である。番組で反韓、反北、
反朝放送をしているのは殺される日本人たちを増やすのが目的である。我々は20人以上の日本
人たちを殺したし韓の血を90人前後も殺した。番組に関西大学李英和を出し料理人藤本を出し
色んな嘘をしゃべらせているのも反朝感情を日本国民に植え付けるためだ。この二人は何も知ら
ない。キンジョンウンがテレビに出てくると藤本にジョンウンを知っていると嘘をしゃべらせる
のだ。ジョンウンの妻の話が出てくると藤本に嘘をしゃべらせる。すべては韓国朝鮮系殺しを
増やすのが目的だ。スポンサーになっている大企業も同罪である。三菱自動車もスポンサー(ス
ポット)として、たかじん委員会なる人殺し連中と同罪である。益子も勝谷も辛坊も委員会プロ
デュサーも殺す殺す殺す。たかじん委員会=悪魔悪魔悪魔悪魔。同じ日本人の命を守るために辛
坊家族と勝谷を焼き殺す。
>>393 暴挙ではなく、統一国家を作るのには必要な事だったし、たんなる思想弾圧の域に留まらない
文明統一のためだったとう側面を協調したかったの
401 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:04:35 ID:n6Wj2pn/0
>>372 引き戸だったのを
天手力男神とやらが開き戸と勘違いしてただけだろう。
402 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:04:44 ID:XRnyrcqi0
邪馬台国は宮崎の西都原だっつーの。俺は40近いおっさん(笑)だが
小6ん時からこの説を変えてない。近畿説などありゃせんわ。
西都原を掘れ!いいから掘れよ。掘ればわかるさ(笑)
405 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:06:07 ID:G6jInnZFO
>>342 記紀よりもはるかに文献上価値がある。
しかも中国の歴史書も、まともな研究をやってるのは日本人だから。
406 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:06:11 ID:Us3DLs8yO
>>377 記紀を読めばわかるが、神武一族は辺境にいたら食っていけないと大和を目指した。
その神武一族は神話によると元々九州にいたわけではない。
大和には同族の神がいたことも記述されている。
延喜式には高天原は葛城とある。
つまり、九州の田舎に出向したなり開拓にだされたなりした一族だったと推察できる。
407 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:06:23 ID:iZudVnp00
>>354 >>356 邪馬台国人と倭人は別物だと?
じゃあ何で邪馬台国人の風俗は書かなかったの?
書かなかった合理的理由は?
TBSで出雲の歴史してるべ
q
卑弥呼は、日御子であり
太陽の御子だって説が、いまでも信じている人がいるのが理解できないな
この説を裏付けるには、当時に太陽神信仰が広まっていたと考えねばならないが
六世紀に伊勢のアマテラスが皇祖神とされる以前は、太陽神信仰は伊勢など限られた範囲に定着した信仰だったとの説が有力だ。
それなのに何故、卑弥呼が太陽の御子と位置づけられるのやら。畿内説を取ろうが北九州説をとろうが説明できない
そもそも日御子であれば、男性でなければならないよ。
卑弥呼は姫御子が訛ったものであると考えた方が説明がつく。
邪馬台国に対抗したクナ国の王がヒミココにしても、王を意味する彦皇子だったと考える方が理解できるし
俺んちのかーちゃんヒミコの末裔
412 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:08:38 ID:3PJHzi/t0
>>403 子供を何人か産んでたとしても不思議じゃなかろう
妊娠は一回しか出来ないわけじゃなし
こうやって見ると西暦3ケタ台前半の日本ってあやふやな点多いんだなあ
414 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:09:24 ID:91qLKd+O0
>>406 ニキハヤヒの子孫である物部氏も、今で言う宮家に相当する家柄だったという説もあるな
415 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:09:32 ID:QD+Kt84z0
>>375 >卑弥呼は誰か
それは単に弥生の伝統を伝えるシャーマンでしょう。
その後、空白の四世紀の頃に天皇家の始祖が王権を確立して、
シャーマンを追いやった。
安本美典氏の古代天皇在位平均約10年説は、基本的に正しいと思うけど、
天皇として名を上げられているのは、当然天皇家のご先祖様達。
しかし、その前にもシャーマン時代や、更にその前の歴史はあるわけで、
そこからの言い伝えや神話に、天皇家のご先祖様を当てはめたのが日本書紀。
まともに天皇家のみの歴史を書いたら、先史に比べたら短すぎるから、
その前は?ということになって、辻褄を合わせる必要がある。
それと、最初からこの地を治めていたという箔をつけるために、
言い伝えや神話の登場人物に天皇家のご先祖様たちをある程度あてはめた。
出来上がったのが天皇家の正史たる日本書紀。
416 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:09:37 ID:FevRBIyn0
417 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:10:57 ID:/FsQ0f9R0
中共史日本伝
「日本の首都は東京である。日本には蝦夷鹿、ツキノワグマ、イリオモテヤマネコなどがおり」
オマエ
「関東に蝦夷鹿、ツキノワグマ、イリオモテヤマネコが居るのはオカシイ!
つまり東京は関東になかった!!!東京関東説を言うのは東大の陰謀!」
オレ
「え?そこって東京の話じゃなくて、日本の話でしょ?」
418 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:11:04 ID:vQrCmFhd0
はいはい韓国韓国
419 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:11:05 ID:5u92nuzIO
邪馬台国なんてねーよ、あったのは邪馬壱国
朝鮮半島にあったことが分かっているけど、
半島が日本の統治下であったことを認めたくない
朝鮮人の妨害で、このように未だどこにあるのか
わからないようなフリをしてるのかも知れない。
421 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:11:35 ID:67RVANLr0
答え:おれんち 以上
日本が中国に侵略されようとしてるこの時に
お前らは千年前のババアをめぐって内輪喧嘩ですか
423 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:12:30 ID:Us3DLs8yO
>>407 海沿いに住む者と山の麓に住む者が同じ風俗だと何故思うのか?
>>412 通ってきた男の正体突き止めた結果、オオモノヌシだったから子供を生んだという話と、
通ってきた男の正体を見せてくださいと頼んだ結果、蛇だったので悲鳴を上げたのら
オオモノヌシが恥をかかせた激怒して、それに恥じ入った時に箸が刺さる事故が起こったという話があるの
425 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:12:49 ID:bbYySSlF0
君の心の中に
>>415 神武天皇の実在を認めてもそれでもせいぜいが3世紀初頭
卑弥呼の時代は天皇家が現れたかそれ以前の話になるし
言い伝えももはやあやふやになってたんだろうな
どの説もこじつけや妄想の類ばかりだな〜
428 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:13:12 ID:/FsQ0f9R0
オマエ
「は?東京人と日本人が別物だと!?」
オレ
「え?東京人も道民も沖縄人も日本人ですが?」
日美子は何人いたのか( ^ω^)・・・
>>336 >>394 壬申の乱は、言ってみれば王朝の正当に反旗を翻したわけだから
当時の大和朝廷の有力豪族で、天武側についたのはごく一部に過ぎず
ほとんどは大友側についている。
各地の神官も大友側についていたと考えれば理解できるよ
その際に真っ先に天武側についたのがアマテラスを奉じる伊勢だった
アマテラスが皇祖神となったのは、天武が勝利したので、その功績に報いたからと考えるべきだろう
>>405 記紀は第一級の資料ですけどね。
ただ、大和朝廷側の主観で書かれている事は間違いないけど
魏志倭人伝の記載は非常に少ない
まあ、中国が際涯の蛮地に過ぎない倭に興味を抱く理由がなかったから、当然と言えば当然だが
それだけにいまも邪馬台国論争が続いているわけであり
倭人伝だけでは決着はつくまい
>>373 それまで1000里単位で書いてきてるんだから
全部足して12000里になったんだろ
最初の7000里は、帯方郡(今の北朝鮮あたり)から
朝鮮半島のどこか(たぶん南端)までの距離だから省略してるだけで
そっちは倭より詳細に知ってるはず。
>>415 シャーマンとは限らない。
変形した道教だった可能性も高い。
民間宗教化した道教を、史書で鬼道と呼んで馬鹿にしている例がある
>>406 > その神武一族は神話によると元々九州にいたわけではない。
そんな記述あったっけ?
> 大和には同族の神がいたことも記述されている。
「俺も天孫」ってのは要は「奈良の土着勢力じゃありませんよ」って意味だろ?
> 延喜式には高天原は葛城とある。
記紀神話成立以後の後付け。ただし記紀そのものにそんな記述はない。
>>410 推古天皇、聖徳太子、大化の改新、
ここらの都合で神話の改ざんが行われたと俺は思うぞ。
神話を変えることで正当性を担保しようとしたんだろう。
文献として初めて残すんだから。
女性神化は推古天皇と聖徳太子の正当性を持ち上げて、
蘇我氏をおとしめるためだな。
435 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:16:23 ID:iZudVnp00
だからなんで邪馬台国の風俗を書かなかったんだって聞いているんだよw
アメリカを旅行してワシントンを避けて、アメリカの風俗をインディアンで
代表させるか?
436 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:17:01 ID:/FsQ0f9R0
オマエ
「じゃあなんで、東京の動物を書かなかった?」
オレ
「東京に目に止まった珍しい動物が居ないからじゃね」
>>406 九州での勢力争いに敗れて本州に逃げてきた
それが神武東征の本当のところだろう。
九州はイワイの乱を始め、長く大和朝廷を悩ませてきた勢力だ。
それだけ有力な豪族がひしめいていたと考えられるからな
>>370 伊都国、奴国がどこかなんてまったく決まってない。
伊都国を糸島としてるのは、ただ「名前が似てるから」ってだけの根拠。
そもそも唐津に上陸して、草の生い茂る陸路で糸島に行くくらいなら
船で行けばいい。
伊都国は上陸地点から、東南へ500里。
内陸になる。
439 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:19:12 ID:Us3DLs8yO
>>394 んー、聖徳太子以降皇族は仏教に傾斜していき、ほったらかしになったとか。
440 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:19:36 ID:iZudVnp00
畿内説の奴は風俗の描写という弱点を突かれると、とたんにgdgdになるのな。
書かなかったものは書かなかったの(キリッ
441 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:20:37 ID:91qLKd+O0
>>430 大友側は生母の地位が低かったので、味方が少なかったのでは?
という説もある。
当時、親から子という大王継承は正当と考えられていたかは大いに疑問
後、天智政敵を陰謀で攻め滅ぼす事が多かったので、潜在的に敵が多かったという説も
靴を残して行方不明になったのは、どっちの記述だったかな
442 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:20:37 ID:/FsQ0f9R0
畿内の風俗じゃなく倭の風俗だからなw
今の発音で当時を推し量ってもしょうがないでしょ
当時の日本語の発音は今とは違うんだから
445 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:22:18 ID:T49A3MBj0
1800光年先から地球を眺めれば解決。
畿内にばかりデカイ遺跡や物証が出るんだから…まともな思考能力のある奴なら解ると思う
九州は当時の中国地方より寂れてる田舎だよ
447 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:22:52 ID:/FsQ0f9R0
「日本では夕張メロンが獲れる」
と書いてあれば、
「東京に夕張メロンを栽培してるのはオカシイ。東京は北海道にあった」
とか言い出すのがオマエラじゃんww
日本の話を首都の話に摩り替えww
平原遺跡郡を掘り返すんだ!答えはそこにしか存在しないm9!
>>442 「畿内は倭国ではなかった」「しかし邪馬台国だった」
アホ?
>>445 そこに行くまで、最低でも1800年かかるぞ
451 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:24:27 ID:Us3DLs8yO
452 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:26:09 ID:nb1f1qg30
_ ∩
( ゚∀゚)彡 風俗! 風俗!
⊂彡
453 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:26:17 ID:QD+Kt84z0
>>432 >変形した道教だった可能性も高い。
自分も卑弥呼が「鬼道をよくし」というのは、
道教の派生だった可能性はあると思う。
ただ、道教という中国文化を取りれてたら、
漢字も取り入れてたんじゃないかと思うんだ。
少しでも文字が使えれば、一般人に対する宗教者の
権威を飛躍的に高められるだろうからね。
そこがあるので、文字を使わない土着宗教の
シャーマンだったと考えるほうが自然かなと思ってる。
454 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:26:28 ID:iZudVnp00
>>447 あのね、日本を旅行した人がいて夕張の風俗だけ書いて、これが日本ですなんて
報告書を書くと思う?
東京という存在を全く無視して。
畿内説の人間が言っていることは、夕張の風俗だけ書いて東京の風俗を無視した
報告書が魏志倭人伝だって主張していることだよ。
やっぱり九州だと一番納得出来るし、文献の記述に合う。
無理やり巻向にしてる痛いゴッドハンド死ね
456 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:26:49 ID:jffcKjy40
>>435 そういうの、別におかしいことじゃないだろ。
日本文化=アキバの萌え系と確信する外人なんていっぱいいるんだし。
>>440 月刊ムーレベルの九州説の人に言われる筋合いはないわ!
法隆寺 観世音寺
でぐぐったら、おもしろい事書いてあった
なんで、ヤマト王権は古代の九州の歴史を盗む必要あったんかな?
古代から日本を治めていたって権威付け?
458 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:27:20 ID:/FsQ0f9R0
はぁ?オマエバカ?w
倭人伝の習俗記事とは
邪馬台国に限定した習俗記事じゃなく、倭の各国の習俗記事でしかないのw
460 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:28:15 ID:wPwZaGS6O
>>337 むかし、角川春樹が野性号って舟作って手漕ぎと風力だけで、釜山から博多まで16日かかってるんだよ。水行十日ではそんなに遠くへは行けない。
>>451 > じゃ、高天原はどこ?
あえて言うなら熊本平野かな。
神話上の場所だから現実的な比定地は存在しない可能性も高いけど。
もうね、徹底的に掘って、掘りまくるしかないだろ。
邪馬台国論争に決着をつけるには発掘しかないだろ?
タイムマシンができれば話は別だがな。
>>438 話にならないな
すでに先学によって末慮国も伊都国も奴国もだいたいの場所が比定されてる
464 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:29:39 ID:Us3DLs8yO
>>435 偉い人が通ると手を合わせるとか里者の風俗も書かれていているけど。
465 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:30:13 ID:iZudVnp00
>>458 別に倭の各国の習俗記事でもいいけど、畿内に邪馬台国があったのなら
畿内の風俗を併記してもいいんじゃないの。
琵琶湖があるとか、冬は雪が降るとか。書くことはいっぱいあるでしょ。
どうして南方風俗だけを書いたの?
>>460 じゃあ、対馬と壱岐に何日かかったんだよ。
>牛、馬、虎、豹、羊、カササギ等はいない
倭に、牛や馬もいなかったというのがおもしろいね。
虎や豹と一緒に書いてるから、家畜がいないだけで野生ならいるという意味ではない。
馬は北から日本に入って、だんだん南下してきたそうだね
468 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:32:47 ID:3EuvmADh0
別にどっちでもいい。
こんなことに時間と金を使うこと自体、
無駄だと思う。
>>370 對馬國、一大國は、対馬・壱岐じゃないってことか。
どこだと思ってるの。
そこから直接、畿内に上陸した説?
>>458 行路記事が一通り終わった後の長い風俗記事は、どこの「各国」なんだ?
女王国=邪馬台国そのものの記述以外に有り得んだろ。
>>465 そもそも何をもって南方風俗なの?
刺青なら畿内でも動物に関わる部民なんかはしてたぞ
だいたい風俗なんてころころかわるし
472 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:33:57 ID:9ga7UGJD0
温暖で一年中農作できて、
会稽と同じような緯度で、
東に海があってその向こうにも国、
以上、どう考えても宮崎です。
大和政権とは別の国が中国に朝貢してたのでしょう。
謎でもなんでもなく単純明快だね。
痛いのが居るなぁ。
風俗がバレてること自体、そこが本当の意味での
国防の対象じゃなかった(知られても良い緩衝地帯たった)ってことだろう。
474 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:34:39 ID:QD+Kt84z0
>>457 >古代から日本を治めていたって権威付け?
勿論そういうこと。
大陸文化が北九州から入ってきたというのは地理的に当然。
それが段々勢力を伸ばして、近畿まで到達した。
これを後世に記紀で神武の東征と重ねあわせている。
それほど昔の話だから、邪馬台国東遷説は時代が合わない。
安本美典氏もこの点は間違ってると思うね。
475 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:34:46 ID:Us3DLs8yO
>>461 熊本の根拠はなんだろう。何か文献とかあるの?
高天原葛城説は延喜式が成立した当時の伝承という根拠がある。
それよりも確かな根拠なのだろうか?
一回火が着いたらその火が消えるまで騒ぐのが人と言うものじゃ
九州以外の邪馬台国説唱えてる奴ってリアルで信用されんからな
478 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:37:22 ID:Us3DLs8yO
>>472 高知や静岡あたりは冬は雪もなかなか降らないが。
隼人の先祖は海幸彦なんだよな
少なくともヤマト王権は、なにか九州に引け目と対抗心が深かった気がする
480 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:37:50 ID:/FsQ0f9R0
>>465 各国行程記事の後に、国を識別せずに纏めて書いてるだよwww
その段は、一国、一国の習俗をあげつらう段じゃありませんww
>>469 だから朝鮮半島や朝鮮海峡対馬海峡を長大に認識してたんだろ
中世近世になっても多くの紀行文やなんかでは
釜山から唐津、博多間をかなり広くみる地理観が示されてる
対馬国から一大国という都合のいい部分だけ切り取ってほら短里だというのはよくない
482 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:39:01 ID:iZudVnp00
>>473 国防の対象?
卑弥呼って南の狗奴国に対抗するために、中国の権威を借りたくて朝貢したんだろ。
同盟国の(というか宗主国)の中国にも首都の邪馬台国の場所を
秘匿するって、卑弥呼はどんだけ人間不信なんだよw
483 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:41:26 ID:gNGk0dAUO
荒れる玄界灘を小舟で行き来する。大変だー
>>473 あなたは、魏の使者は、邪馬台国まで行ってない説ってこと?
解釈に発音を絡めたいなら
当時の日本の言葉の発音と当時の中国地方の言葉の発音を調べることから始めるべきだ
>>475 いや、大した根拠はない。だからあえてとしか書けない。
天孫降臨が実際にあったとして、その場所が五ヶ瀬川上流の高千穂峡だとすると、阿蘇山方面から山越えしてきたというルートが自然だ。
そして熊本平野は、一名を「詫摩が原」と言う。今のところこれだけ。
488 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:42:33 ID:iZudVnp00
>>480 >その段は、一国、一国の習俗をあげつらう段じゃありませんww
おいおい、作者の意図をいきなり断言しちゃう奴が現れたよ。
なんの根拠があって、作者は纏めて書いたの。いちいち各国の
習俗をあげつらう部分じゃありませんと言えるのか。
物証は出ない、遺跡はショボい根拠のない九州説の
ウリナラファンタジーが学術会で少数派なのは当たり前
>>484 行ってたら、水行だの陸行だの適当な事書かないだろ。
それまでは詳しく書いてるのに。
>>478 高知は山に囲まれた陸の孤島みたいな所で、
他の国を束ねる部族連合の中心とは地政学的になり得ない。
静岡の可能性は少しあるが、東の海というのが駿河湾では
弱いし、南へ行くとなっているのに、ちょっと東過ぎる。
魏志倭人伝に載ってる邪馬台国がどこかという論点で
考えるなら、当時、沢山の国が日本にあった中で
宮崎に有った国を指してることで間違いないと思う。
492 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:44:52 ID:/FsQ0f9R0
邪馬台国の行程記事の後段に来る
「今倭水人好沈沒捕魚蛤。文身亦以厭大魚水禽。」
これだって、末盧國の倭人の習俗記事wwwwww
邪馬台国の後段の記事は、邪馬台国の習俗記事じゃありませんww
ハイ論破www
しかも更に後
「倭地温暖」
「邪馬台国」が温暖じゃなく「倭地」が温暖w
習俗記事が、倭の全体論であって、邪馬台国に限定してないは明らかw
>>486 昔やってた「日曜特集・新世界紀行」で
井沢元彦が、中国の言語研究家に
古代の発音をしてもらってたな
>>490 魏の使者がいってないわけ無いだろw
何言ってんだ
495 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:46:12 ID:bvNETT2v0
>>406 延喜式のどこに「高天原は葛城」なんて書いてあるのー?
>>492 だから、なんで邪馬台国だけが「倭国全体」に含まれないことになるんだよ。意味不明。
497 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:47:41 ID:/jAFL2+P0
>>490 肝心の女王国直前まで細かく距離が書いてあるのに「陸行水行」を「距離」と思い込む奴の頭のほうがどうかしてる
全行程が12000「里」、「韓国」が4000「里」四方と明記してあるんだからそんなに自由度はない
ていうかヤマトは北九州から畿内まで広域連合国家だったんじゃないのか?
中心都市は大和地域だろうけど前線の北九州も重要地域だったはずだし
>>475 延喜式のどこに「高天原は葛城」なんて書いてあるのー?
確認してくるから巻数と項目を教えてよ。
500 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:49:34 ID:iZudVnp00
>>492 二つだけ質問。
(1)邪馬台国は倭地に含まれますか?
(2)邪馬台国が倭地に含まれないのなら、
なぜ邪馬台国の特異な風俗は描写されなかったのですか?
502 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:50:28 ID:/FsQ0f9R0
>>496 ん?オレが何時そんな事言ったの?バカ?w
邪馬台国も倭の構成要素の一部でしかないだけw
東京が日本の首都でしかないようにw
503 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:51:43 ID:/i4MKHiSO
まだ場所すらわかってないんだから、これからも
日本のどこかにかつてあったとされている
ってくらいの扱いでいいのでは?
504 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:52:44 ID:/FsQ0f9R0
邪馬台国は倭地に含まれる
505 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:53:39 ID:Us3DLs8yO
>>492 「倭水人」つまり倭のアマってことね。
あくまでも倭の海人の説明であり、邪馬台国人の説明ではない。
近畿には古墳や遺跡がごろごろしてるからな
あれは邪馬台国がどこにあったかを隠すダミーだよ
ほんとは埼玉にあった
>>502 じゃあ、現代において「東京の風俗」と「日本国一般の風俗」がそんなに違ってるか?
「邪馬台国の風俗」と「倭国全体の風俗」も、そこまで違わないはずだ。
/ヾ∧ こんなこといつまでやってんだよ!
彡| ・ \
彡| 丶._) 早く結論出せや!
( つ旦
と__)__)
509 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:55:24 ID:jffcKjy40
>>503 やだ!
邪馬台国はマキムクじゃなきゃやだ!
>>461 高天原の高は高光るの高、つまり空のこと、天原は海原に類する、あめのはら。
読んで字の如し、空一面のことだよ
511 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:56:03 ID:WmfhOMQ00
マラテラス
512 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:56:27 ID:gNGk0dAUO
糸島の南でしょ。福岡か佐賀か大分かその辺よ。
八女ですけど。
>>106 >神夏磯媛(カムナツソヒメ)という女王が率いる国
この姫こそ、トヨじゃないの。
>>484 「ここ邪馬台国ですよね?」
「違いますよ」
「前来たときは、確かここだったと・・」
「邪馬台国はせんだって近畿に引っ越したんです。」
「大変な思いしてここまで来たのに。遠いから行きたくね」
515 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:58:02 ID:AJI3ezU60
>21
神武の即位年は推古帝の即位を神武即位から1260年後にあわせるための数字合わせ。
即位年が分かる最古の天皇、雄略帝から平均即位年数で逆算したら紀元後250年ぐらいが神武の即位年。
>>510 あ。読んで字の如し、はちょっと違うな。いうなら、言って言葉の如し、だな。w
517 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:58:08 ID:i+iRhVnEO
まあ、邪馬台国は徳島にあったというのが鉄板なんだけどね。
事情通はみんな知ってること。
518 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:58:09 ID:NHgzRVux0
邪馬台国ってそもそもあったかどうかが最大の疑問がな’。あっちこっちでいたずら、襲撃、
仕掛け、略奪して害を及ぼしばかりの倭はあったことは紛れもない事実だ。がって、、、、な
519 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:58:37 ID:lZR2xNWxO
ヤマタイ国は沖縄だろ
あの海底遺跡だよ
一年中暖かくて野菜が採れるって言ったら沖縄しかないじゃん
520 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:58:48 ID:/FsQ0f9R0
京の習俗と、僻地の習俗に違いがあって当たり前ww
東京と沖縄の文化的差異
土地土地で習俗が違う
こんな事を認めないのは只の屁理屈意地っ張りw
521 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 14:59:51 ID:gNGk0dAUO
狗奴國が比定できればよし。邪馬台国を滅ぼしたんだろ?
その王がキクチヒコで。九州の豪族キクチ。
松田聖子のご先祖さま。
吉野ケ里は小国家クラスだけど、邪馬台国はあれよりも
はるかに大規模だと思う。
そうした基盤があったから、後に大和政権も成立しえた。
当時の生産水準から考えるとやはり畿内だろうな。
523 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:02:20 ID:Us3DLs8yO
>>495 すまない、間違えた。新撰姓氏録だった。
何故か頭の中で延喜式になってた。
邪馬台国は九州で中国に媚売ってた売国奴
だから大和王朝の逆鱗に触れてぶっつぶされて卑弥呼の一族は滅亡させられた
恐らく奴隷貿易でもしてたのだろう
こっちのがしっくりくるわ
525 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:03:29 ID:wPwZaGS6O
>>466 野性号の場合は、漕ぎ手の休憩で日数が多くなったようだが、もっと手慣れたら朝鮮半島から九州は、海の状態しだいで十日前後じゃないか。水行十日は、朝鮮-九州間と等距離だろう。
>>520 だったら、なんで「女王の都する処」そのものの習俗を書いてないんだ?
笑う前にもっと筋の通ったことを言え。
527 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:04:50 ID:97X8w+gu0
結局、大和王朝と邪馬台国が関わりがあったのか、
無いのかってのが重要だよね。無いのなら、地方の一国って事で
邪馬台国には、あんまり意味ないし。
てゆーか、関わりがあったって思ってる人はどういう根拠なの?
いまに見ていろ邪魔大王国 全滅だ!
>>523 新撰姓氏録は氏族の出自の記録だぞー。どこに高天原が葛城なんて出てくるんだー?
>>521 キクチヒコは狗奴国の官。
王は、卑弥弓呼。
なんで、敵国どうしなのに、卑弥呼とそっくりな名前なのか
親戚か
それとも、これは地位の呼び名で人名ではないのか
(だが卑弥呼の後継は、台与だから、やっぱ人名か)
531 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:10:20 ID:/FsQ0f9R0
習俗記事のどこかに邪馬台国の習俗に付いて書かれていようが
習俗記事自体は倭全体の習俗記事であって特定できないだけwww
末盧國の行程記事中との対応で
「今倭水人好沈沒捕魚蛤。文身亦以厭大魚水禽。」
が末盧國を前提にしてるとたまたま特定できるだけwww
邪馬台国の事が書いてないのはオカシイ!
とオマエがファビョるのは筋違いwww
倭の全体記事だから邪馬台国に該当する記事があっても特定できないのw
それが魏志倭人伝の書き方w
結局のところ邪馬台国がどこにあったかはどうでもいいと思う
ただ3世紀の奈良盆地に全国的な政権の拠点があったのはもう動かせない
それが邪馬台国だろうがそうでなかろうがどっちでもいい
この政権と大和王権のつながりは前方後円墳でしょう
なんせ3世紀から7世紀まで作られてたし
その間に墓制を根本から変えるほどの政変や革命はなかったということ
大陸に近ければ栄えるなんて思考なら朝鮮からもっと凄い物が出てくるハズだからね
ショッボショッボのカスみたいなのしか出て来ないw
>>532 まさにそれが歴史学者の総意なんだよね
だけどまあ歴史ファンのためにリップサービス的に論争してあげてるような感じ
もうこうなったら埴輪原人に聞いてみるしかないだろう
日本書紀に依れば、埴輪をつくりだしたのが垂仁天皇。
墓に生き埋めにする隷属する人の声が嫌だ、っつったら、じゃあ馬とかの形のつちくれを作ってそれを
代わりに入れましょ、
っつって始まった
539 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:16:09 ID:7l5MKnoa0
邪馬台国論争ってもう決着付いた話を
九州人が町おこしのためにグダグダひっぱんてんだろ?
540 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:17:01 ID:Us3DLs8yO
>>507 部族の違いが風俗の違いである当時と、千数百年を経て大民族として統合が進んだ現代を同列にするの?
まあ、現代でも京都と他の地方、地方と地方じゃ結構違ってたりするけどね。
標準化を進める現代文明と近代国家に隠れて表面的には分かりにくいけど。
第十一代の垂仁天皇はまた、巻向に珠城宮を作った
邪馬台国の構造は
インディアンの社会にペテン師の女王が存在していただけなんだよね
ここに開拓民の渡来人が来て原住民を制圧して
倭国を滅ぼし日本を作ったと考えるのが普通
アメリカと成り立ちとよくにてる
さらに垂仁天皇の時に伊勢に皇祖神を祭ったとあるな
日本の土壌って、火山性の酸性土質だから遺体が残り難いのよね
大陸では千年以上の骨が土にならずに残ったりするが
日本の場合は数十年前の骨が解けてしまい、墓の移築の際に調べてみると
遺骨がなくなっているので、その辺の土だけとって遺骨とした
何てこともよくある。
副葬が事実だったとしても、それを裏付ける資料はどこの古墳からも発見されないし
発見されないから事実ではないと言い難い点はここにあるからやっかいだ
中国では殷王朝の王墓から師団規模の軍隊が丸々、生き埋めにされている
何て信じがたい殉死の後が発見されたりするけど
日本の場合はそれがなく、奴隷の殉死が事実かどうか、その代わりに埴輪を副葬したかどうかは何とも言えない。
ま、中国でも漢時代になれば、秦朝の兵馬俑をみればわかるように
人を殉死する代わりに人形を埋めていた。
時代が下るほど形式的なものになり、人形も小さくなっていたからな
日本に殷朝のような奴隷を殉死させる風俗が、三世紀ごろまでには廃れていたとしても不思議はないな
>>531 習俗記事が特定出来ないのに、なんで「邪馬台国の習俗と倭国の習俗は違う」なんて言ったんだ?
東京と地方の例まで出して。
何がおかしいのか知らんが、自分自身の発言が矛盾してるのにいい加減気付けよ。
548 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:28:24 ID:/FsQ0f9R0
ハイ、
習俗記事が「邪馬台国」に限定した記事でない事を、倭人伝の
「今倭水人好沈沒捕魚蛤。文身亦以厭大魚水禽。」
「倭地」
によって証明しましたww
>>546 はぁ?邪馬台国は倭国の一部ですが?www
>>543 先史時代の北米には弥生時代レベルの首長制共同体はあったけど
国家社会はなかったよ(アステカ、マヤを別にすると)
倭国を滅ぼしたというのはよく分からないけど
古墳時代の始まりには戦争の形跡がない
逆に西日本各地の有力な勢力が連携して政権を作った痕跡ならある
550 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:30:15 ID:CW5z3gEuO
邪馬台国は俺だ!
551 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:31:13 ID:N/8TNgolO
邪馬台国って四国にあったんでしょ?
>>548 おまいの今までの発言。
>>442 > 畿内の風俗じゃなく倭の風俗だからなw
>>504 > 邪馬台国は倭地に含まれる
>>520 > 京の習俗と、僻地の習俗に違いがあって当たり前ww
>>531 > 習俗記事自体は倭全体の習俗記事であって特定できないだけwww
553 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:34:11 ID:dL+wrXSy0
やっぱエジプト説に一票だな。
554 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:34:13 ID:iUizwe8N0
>>549 100年も空白あって、戦乱じゃなきゃなんなのさ。
555 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:35:04 ID:/FsQ0f9R0
>>546 バカの
>>546は解ってないようだが
>「邪馬台国」が温暖じゃなく「倭地」が温暖w
を勝手にオマエが、
「邪馬台国」と別領域である「倭地」が温暖であるとオレが言ってると妄想してるだけじゃんwww
「倭地」が温暖であるとは
「邪馬台国」に限定してないという事w
「邪馬台国」やその他の各国を含む「倭地」を温暖であると、倭人伝は言ってるのww
556 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:36:19 ID:FontKWsC0
半島南部から北九州が倭人地域。それを騎馬系が征討。
半島から民族大移動、婚姻で土着化進行。
中央豪族は半島出身者多数。
つまり、渡来人に乗っ取られて出来たのが大和王権。
557 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:36:25 ID:N/8TNgolO
>>554 その通りですよね!ワンピースストーリーの鍵を握るのは空白の100年w
558 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:38:20 ID:LV6afSdR0
諸星大二郎さん!出番ですよ!
倭姫命についた大神が
この神風の国は常世のしき波寄せるうまし国なりっつって
伊勢に祠を持つ
垂仁天皇の次の第十二代景行天皇も日代宮を巻向に作る
邪馬台?壱?国って壱岐対馬から九州北部の連合国のことだろ
共立して女王をたてたんだよ
そこが、熊本の菊池と戦ってたんじゃねえの?
561 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:39:21 ID:/FsQ0f9R0
邪馬台国の行程記事の後段にある
「今倭水人好沈沒捕魚蛤。文身亦以厭大魚水禽。」の習俗記事が
邪馬台国以前の行程記事である末盧國の記事の
「濱山海居 草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒。水無深淺、皆沈沒取之。」
から末盧國に付いて書いてるのは明白w
よって邪馬台国の行程記事の後であるから、その習俗記事が邪馬台国の記事であると言う前提は
崩壊しましたw
563 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:40:12 ID:jffcKjy40
>>556 左翼お得意の日本原住民論や騎馬民族制服説なんて
いまさら言われてもねぇ〜。
まあ、あんたの言う事が正しいとしても、
そのころ日本列島に来た渡来人と現在の韓国人、北朝鮮人とは
なんの関係もないってことだけは言っとかないとねw
>>554 百年の空白っていつ?
3世紀前半に古墳時代が始まったとして、
その時期に衰退した大規模な集落の遺跡を見ても戦いの痕跡がないし
纒向遺跡ではいくつかの有力な地域の文化的な影響が混交してる
つまり戦って政権を打ち立てたんじゃなくて協議の上連携したということ
565 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:40:39 ID:LV6afSdR0
白鳥御陵だれか発いて〜
九州はいまでいうミンスみたいな連中だろ
それをネトウヨである大和王朝が成敗した神武天皇の東征はまさに九州の売国奴どもを成敗して戻る話なのだ〜
起源と聴いたら黙っていられない国があるじゃないか。
568 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:42:59 ID:/FsQ0f9R0
つまり倭地とは邪馬台国を指していないw
よって「有棺無槨」も邪馬台国に限定した記事では無いw
倭地の何処かの習俗では「有棺無槨」であったという事だなw
569 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:43:08 ID:jffcKjy40
570 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:44:04 ID:gNGk0dAUO
571 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:45:01 ID:6BdVcIWqO
何処にあったのか?じゃなくて、存在したのか?じゃない?
572 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:45:53 ID:2ivedkWX0
いまだに騎馬民族征服説とか書くバカがいるんだな
時間が30年前でとまっている
当時、中国は日本を倭と呼んだと言うよりも
東方の異民族を総じて倭と呼んだのだろう。
魏の時代のことだ。
中原以外の情報に関しては入ってきているでしょうけどそれほど詳しくはなかったはずだからな
倭がどっからどこまでかは、中国人も定義していたとは限らないし
あまり突っ込んでも仕方ないと思うが
んなことより仁徳天皇陵発掘させてよ
>>555 ただの屁理屈だな。
「倭人伝の習俗記事は、倭国内の特定不能などこか一国に(のみ)当てはまる」
↓
「倭国内の他のどの地域も、習俗記事に当てはまらなくて差し支えない」
↓
「習俗記事は無視しておk」
不真面目も大概にしろよ。
576 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:48:55 ID:gNGk0dAUO
ウィキの九州王朝説を読んだが畿内ヤマトは出番なし。
卑弥呼は伊都國に居たことになってる。糸島です。
筑紫国造磐井が倭の天皇。八女の勝利です。
出雲大社にも古文書があるらしいよ
3世紀くらいの文書もあるらしい。
出雲は渡来系と言われてて、文字があったみたいだよ。
>>563 その手の主張を単発IDで語るのはあっち系の人たちという話もあるし、
アンカ付けるとバイト代が入るという噂もあるので放っといていいんだろうが、
556君の言う半島から民族移動というのは弥生時代の開始時点ではそう間違いではない
人口がどれぐらいだったのかは難しいところだが、平たい顔族(新モンゴロイド)の一派が
中国大陸各地から半島経由でやって来たということ
その時から古墳時代の開始まで少なく見積もっても5世紀以上、
文化的にも半島とは違う独自のものになっている
ついでに言語ものちの朝鮮語とは別系統のものを喋ってる
その後半島の国家から渡来人の第一波が来るのは5世紀になってからで、
考古学的にも文献史学でも政権交代や政府転覆の事実は想定できないし
人口比でも当時の倭人と比べれば微々たるもの
四国説とかはないの?
>>573 魏志倭人伝のほかに、韓伝もあって、
そっちには、朝鮮半島南部のことが書かれている。
で倭人伝は、
>その東南の海にあって山勝ちな島に住み国を作っている
だから、日本以外を想定するのは難しい
581 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:51:28 ID:/FsQ0f9R0
>>575 オマエが勝手に「邪馬台国」に限定してるだけだろw
習俗記事の何処に邪馬台国に限定して書いてるの?
「後稍以爲飾。諸國文身各異。或左或右、或大或小。尊卑有差。」
『諸國文身各異。』って書いてるじゃん、習俗が邪馬台国一国に限定してないのは明らかw
582 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:53:29 ID:tDDnHt7IP
>>377 全然九州ルーツではは父系が九州を経由したというだけ、
元は天孫で九州出身ではない。その天孫も恐らく
出雲系と思う。
百済の人はペルシャ系だよ。
墓を発掘してわかったことだ。
新羅や高句麗はモンゴル系らしいけど。
>>569 この神酒はわが神酒ならず倭成す大物主の醸みし神酒
586 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 15:56:52 ID:/FsQ0f9R0
オマエ
「習俗記事は邪馬台国の行程記事の後段に書いてるから、
邪馬台国一国に付いて限定して記事を書いている」
↑ウソじゃんww
オレ
「邪馬台国以外の事も含めて、倭の各国を全体的を書いてる」
↑これがホントw
>>581 論点をずらすな。
倭人伝の習俗記事は、倭国の一部である邪馬台国について参考にすべきか、無視してよいか。参考にすべきなら、どの程度参考になるか。それが誠実な議論の筋道だ。
お前は屁理屈で誤魔化そうとしているだけに過ぎない。
ペルシャ系なら傀儡回しは卑弥呼だかも
589 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:00:08 ID:/FsQ0f9R0
倭人伝の習俗記事は、倭国の一部である邪馬台国について参考にしていいよw
オマエが勝手に全部を邪馬台国の事が書いてると事実を捏造してるだけw
倭人伝はそんなこと何処にも限定してないw
590 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:01:49 ID:kcYcqDkz0
国体みたいに毎年だな・・・
>>586 それは言葉足らずだった。
「倭国習俗の全体記事は、概ね邪馬台国一国にも適用しうるものが記載されていると解釈すべきだ」ていう意味だ。
592 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:03:06 ID:tDDnHt7IP
>>498 まあ、それが真実だ、魏の使者が大和に行ったという証拠は無いが
いずれは行っているだろうな、後の隋書だかで邪馬台国は大和だという
記載は文献上の流れから行くと一気に飛躍してる気がしなくもないが
内部的コンセンサスを得た上で文脈にはない真実なんだと思う。
>>437 鹿児島人はいつの時代もテロまがいなことしてそう
そんなイメージ
594 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:05:13 ID:w0UGpOLhO
邪馬台国は、どうでも良い。
宮崎等に高天原があるから、
そこらに天孫降臨(南の海洋から来た)して、
神武東征で大和を平定したんじゃないの?
ルーツを神秘的なままに頑なに守ってる宮内庁が居るからな
古代天皇御陵を調べさせてくれなきゃ判るもんも判らんだろ
ぶっちゃけバレると困るから守ってるんだと思うが
596 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:06:17 ID:/FsQ0f9R0
『諸國文身各異。』
ハイw
習俗記事が行程記事の後段にあるからと言って、
邪馬台国一国に限定した習俗記事であるという前提は崩壊しましたw
誰の目にも明らかですw『諸國』w
つまり
習俗記事は邪馬台国一国に限定した記事である
↓
これは畿内には当てはまらない
↓
よって畿内説は成り立たない
という九州説のホラ話の立脚点は論破されましたwwwwwww
597 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:07:47 ID:tDDnHt7IP
邪馬台国の習俗は一貫してないと思う。
弥生時代なんて九州西北部から南部に掛けて
甕棺、大分から東北方面は石棺だったし、
言葉も長崎の方の言葉は奈良の役人は理解出来なかったらしい。
おそらく、太宰府近辺も基本は長崎と同じ言葉だから
奈良人に合わせてる以外地元民は奈良人には解読不明な言葉を
喋っていたのではないか。
正直、近畿で糸冬だろもう。
耶馬台国は「す倭国」つまり今の山口県辺りではどうかな。
もう邪馬台国はいいから関東平野に王国がなかったのか調べろよ
>>600 埼玉古墳群か
やたらとテレ東だかが推してたな
602 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:11:21 ID:/FsQ0f9R0
行程記事は出てくる国毎にチョコマカ情報載せてるだけ
習俗記事は国別でなく、書くべき習俗の項目別に、全体論を載せてるだけ
行程記事と習俗記事はテンプレレベルで最早書き方それ自体が違うのだよww
603 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:11:22 ID:xEc57p8uO
まだ九州説のぼんくらーず諦めてなかったの?
長野Bルート論者と、どちらが先に現実に目を向けるかな?
604 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:12:26 ID:tDDnHt7IP
天孫降臨は朝鮮から来てる、恐らく宇佐のトーテンポールとかの
大陸文化、秦氏、辛島氏とルーツを同じくするものだ。
出雲の人が半島の影響について一番身にしみて知ってると思うけど
出雲のあたりは特に半島の影響が強い、ある大学の古代人の骨格の調査では
最も渡来人形質を残しているのは出雲というデータがある。
弥生時代には東北関東が渡来形質では近畿に並ぶのですよ。
一方、長崎佐賀などの九州西北部は最も縄文的な形質を残したエリアと
なってる事は幾つもデータがあり裏付けがされている。
605 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:13:21 ID:w0UGpOLhO
神武東征において神武天皇の軍隊は、自分達はアワや麦を食い、
被征服民族に米を食べさせた。
これが日本国の馨国の精神だ。
ずっと昔に畿内説で決着ついてたと思ってた
まだ話を引っ張るのは、この手の本を売るため?
>>596 それは刺青の仕方に各国でバリエーションがあるという記事に過ぎんだろ。その一事をもって何を証明したつもりになってるんだか。
「倭国全体の習俗記事が概ね邪馬台国一国にも適用しうる」と言うことは、「習俗記事との矛盾が大きい場合、邪馬台国比定地としての可能性は低下する」と言うことだぞ。よく考えろ。小手先の屁理屈じゃなくて。
>>606 そんなことを以前畿内説の先生は言ってた
だから書店に売ってる本は九州説が多いと(いまはわかんないけど)
>>38 魏の直後の晋書が残ってる
そこの記述により邪馬台国で前方後円墳が他に先駆けて成立したことが分かっている
つまり3世紀に作られた前方後円墳のある場所が邪馬台国
610 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 16:17:07 ID:+BrP9qNIO BE:1017572328-2BP(0)
邪馬台国がどこだろうと、本当は何と読もうとも
纏向遺跡は垂仁天皇から景行天皇が宮をおかれた遺跡の可能性が高く
古墳時代初期のこの頃すでに紀記の伝承通り大和朝廷の前身となる体制が築かれていたものと思われる。
埼玉の稲荷山古墳から出土した鉄剣からも埋葬者の五代前の祖先の名前として大彦命の銘がみられるが
大彦命を関東へ派遣したのは祟神天皇の時代であり
先文字時代で決定的な証拠はないとはいえ、祟神天皇から景行天皇までの時代がこれらの証拠から立証できるのではないか。
邪馬台国が九州だとしたら朝廷に刃向かう地方政権って事だな。
九州に邪馬台国があった今でいうミンス政権
ネトウヨである大和王朝に滅ぼされた邪悪な国という意味
612 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:21:36 ID:/FsQ0f9R0
倭人伝の記事が当てはまるのは九州だけだ!
何故なら倭人伝の習俗記事は邪馬台国一国の習俗に限定して書いてるからだ!
自己崩壊したのは九州説だったねww
613 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:22:04 ID:tDDnHt7IP
>>610 三河農士さん流石です。
三河という関東と近畿の中間にあって四道将軍の実在等を
実感されてると思う。
私も四道将軍がいると120%確信してる一人なので
四道将軍が居れば自ずと邪馬台国も近畿となると考える。
614 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:22:24 ID:HJvqj8hTO
>>604 こういう考古学にも歴史にも無知な奴がいるから古墳の発掘が許可されないんだよ。
朝鮮からの貢ぎ物が古墳から発掘されないとしたら歴史書の間違いって事で
大問題なのに朝鮮からのものがあるから天皇は朝鮮から来たとか抜かすアホが多いからな。
615 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:23:03 ID:gNGk0dAUO
継体天皇というのが謎っぽいな…九州王朝の体制を
引き継ぐ意味でうんぬん
大和王朝は正義の国
邪馬台国は邪悪な国
結論はでてる
そもそも九州みたいな資源も乏しい暑苦しい土人の住む場所に天皇が住む分けない
少し考えればわかる
617 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:24:26 ID:w0UGpOLhO
よく知らないけど、邪馬台国が畿内濃厚だとして、
神武天皇はどこから来たのかな?
「東征」だから、西方から来たのは間違いないと思うけど。
618 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:24:36 ID:tDDnHt7IP
おそらく邪馬台国は中国に媚媚で日本を売ろうとしてたんだろう
今でいうミンス政権
本当に実権を握っていたのは卑弥呼ではなく裏で暗躍していた小沢みたいなやつだろう
それを聞きつけた正義の国大和王朝が邪馬台国売国奴一同を始末したんだろう
だから邪馬台国関連や一族は滅亡してる
>>612 つまり、「畿内説は倭人伝の習俗記事を一切無視します!」宣言ってことだね。
あーアホらし。
そんなの学問でも何でもないわ。
621 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:26:39 ID:/FsQ0f9R0
そもそも九州説に措ける倭地温暖は鹿児島あたりの事なのかな?w
邪馬台国は鹿児島で良いの?w
622 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:27:54 ID:tDDnHt7IP
天孫というものが何だという事だな。
天孫だの国津だのという二元論を提起した時点同じルーツがあると
考えるのが自然だよ。
よくよく考えてみろ、あれだけ対立したキリストとイスラム、ユダヤ
根は同じセム教だ、ほっかほっか亭とほっともっと、これも根は同じだ。
天孫、国津結局根が同じ出雲教という事だよ。
623 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:29:09 ID:/FsQ0f9R0
畿内説は何も無視してないんじゃないのw
倭人伝の習俗記事は倭地の習俗記事なんだからw
>>617 違う東征ってのは九州の邪馬台国を滅ぼして自分の国に戻ったという意味
>>615 それは普通に考えて「途絶えかけてた畿内王権を継承した」ってことだと思うが。
>>614 天皇陵に指定されてて発掘されてない大王墓は多いけど、
桜井茶臼山古墳はなぜか指定を免れて調査されたよ
やっぱり朝鮮由来のものはなくて、他の前方後円墳みたいに国産の遺物ばっかりだった
纒向遺跡そのものでも朝鮮製の土器が少数出たけど、
ほぼ全部が国内産のものだった
出土した遺物から朝鮮人の征服王朝を主張するのはどうしても無理
627 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:31:12 ID:gNGk0dAUO
今のシナは中国共産党で、漢や巍、隋、唐などとは関係ない。
628 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:31:43 ID:Nnd6UkkyP
漢の倭という国の王とかなんかの金印を授かったと
いう昔の民主党政権の話だろ。
どうでもいいよ。
629 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:33:55 ID:w0UGpOLhO
>>626 古代において、朝鮮南部は日本の植民地等だと思う。
朝鮮から日本へ来たのではなく、
日本から朝鮮へ出て行っていた。
何とか皇后の朝鮮征伐の話もある。
>>623 そして、邪馬台国への記事の適用性は断固として拒絶するんだろ。そのための屁理屈なんだから。
卑怯な態度でしかないな。
>>617 記紀を素直に読むと九州の高千穂から宇佐へ移動しそこで準備をして船で東に向かって熊野上陸だな
邪馬台国成立よりはるか昔の話だ
普通に奈良だろ?
で、神武東征(倭国大乱)で滅びた。
熊襲=熊野の助けを借りた。
橿原神宮で即位したのは、そこに敵方の本拠地があったから
権力を誇示するため。
633 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:35:41 ID:tDDnHt7IP
>>631 重要な点を省略して簡略化している。
マスゴミの卑怯なやり口と同じだ。
ネットの発展した現代では通用しないよ。
634 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:36:04 ID:/FsQ0f9R0
>>630 じゃあ聞くけど、どの行が邪馬台国に当てはまると断定したの?w
どの箇所かな?w早く教えてよw
いつの時代も日本の歴史と正義は近畿にある
636 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:37:14 ID:SBIFMQNw0
九州から金印がでても、偽造にしてでも機内にする学者は痴呆
九州はどんなに騒いでも遺跡が出ない限り考古学的には駄目だよ。
Wikipediaの邪馬台国なんかを見ても分かるが、
九州説は根拠が文献ばかりで考古学的には非常に弱い。
九州じゃないから畿内だというつもりはないが、
文献の解釈をいくらしても九州にあったという根拠にはならない。
>>631 東征が「邪馬台国成立よりはるか昔」と言えるかどうかは微妙だな。何とも言えん。
>>633 んじゃ詳しいお前さんが簡略化せず詳細に説明してくれ
どこから来たという説明ならこれ以上必要ないと思うんだがな
641 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:39:25 ID:w0UGpOLhO
>>631 なるほど。
やはり九州地方の高天原から来たと思われるのか。
はるか水平線から、神武天皇の軍隊が船でやって来た。
この光景を思い浮かべれば、天孫降臨に見えるものね。
642 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:39:40 ID:tDDnHt7IP
>>638 倭人伝の一大率が記紀の四道将軍派遣後か前かは重要だよ。
643 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:39:43 ID:o9GXaEi90
>>636 金印って漢委奴国王ってやつのこと?
あれは卑弥呼の時代よりも200年くらい古いものだから
邪馬台国とは関係ないぞ
644 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:39:44 ID:QD+Kt84z0
>>606 もう畿内説というか、巻向でFAになってきてる。
そして、興味は巻向の発掘で、どれぐらいの物が出てくるかや、
前ヤマト朝廷として、後のヤマト朝廷とのつながりはどうかなどに移ってる。
本来日本の古代史で謎が多くて、語りたいのは空白の四世紀だが、
その題材になるようなものが出てこないので、
いつまでも邪馬台国論争がつづいている。
いつの時代も九州は日本に問題ばかりもたらしてる
そんな九州に正義などない
邪馬台国を邪悪な国と表現すればしっくりくる
中国に媚を売ってたことからも売国奴の集まりだったことは確か
正義の国である大和王朝に徹底的に滅ぼされた邪馬台国ざまw
646 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:39:56 ID:bvNETT2v0
>>601 雄略天皇の名が彫られた鉄剣銘を
関東の別の王朝の王の名とか紹介してたやつ?
>>634 逆に聞くが、どの行が邪馬台国に当てはまらないと断定できるんだ?
648 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:40:45 ID:0snv5PdvO
なんかどうでもいい話題だな
649 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2010/10/11(月) 16:40:45 ID:37d915VyO
まだ支那人の落書きで揉めてるのか
650 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:40:49 ID:bv+3n9DhO
ひみこさまー
>>635 なんで皇居は東京にあるの?
平将門の首塚あぁぁ
652 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:42:07 ID:tDDnHt7IP
>>640 そういう大衆的な分かりやすい感覚は重要だが
学問をする人とか政治家がそれでは困る。
あくまで指導者達を支える底辺層の思考に過ぎない。
そういうていへんかけるたかさわる2をマスゴミを通じ教育している。
653 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:42:31 ID:o9GXaEi90
>>638 邪馬台国成立っていう言葉がおかしいんだが、それはともかく
東征は卑弥呼の時代よりも後だと思う
九州勢力(=神武?)が、卑弥呼・台与亡き後の邪馬台国(大和)を征服し
そのまま邪馬台国(大和)で即位した、と考えればつじつまが合う
邪馬台国=今でいうミンス政権、裏で小沢みたいなやつが暗躍して日本を売り渡そうとしてた売国奴の国
だから滅ぼされた
邪馬台国はいいから関東に王国があったかどうか調べろ
埼玉で一時期日本最古かも知れない土器片がでている。
さいたま国があっても東蝦夷の王国
>>647 どの行が当てはまらないなんて事はない
倭の全体論なんだからw
で、キミはどこの箇所を邪馬台国に適用するの?w
657 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:44:15 ID:/NY8KKqO0
卑しい呼び名=卑弥呼=熊襲の女盗賊
これで決まりやろ
658 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:44:51 ID:bvNETT2v0
>>622 天孫ってニニギのことでしょ。
天津神は高天原の神でしょ。国津神は豊葦原瑞穂国の神でしょ。
天津神も国津神も神道の八百万の神々でしょ。
何言ってんだあんた。
邪馬台国は九州でいいよ邪悪な国の売国奴の国だからな
歴史をみても九州のやつらはいつも問題ばかり起こしてるDNAレベルで売国奴が染み付いてるんだろう
660 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:45:17 ID:0fOM8tPtP
ネトウヨってイカれてるなw
661 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:46:06 ID:Rc8hC+2M0
原文は「邪馬壹国」で、この「壹」は「登」の誤字であり、邪馬壹=邪馬登=ヤマトと読むという
まともな意見がシナでは主流であり
これに対し、「壹」は「臺」の誤字(新字は「台」)、或いは「壱」(=一)の旧字という
トンデモ意見がいまだに幅をきかしているのが小日本
日本人考古学者は朝鮮人並みの文盲馬鹿ばかり・・・
どういう斜め読みをしたら原文「邪馬壹」=修正「邪馬台」になるのか・・・
>>654 日本では鏖はそうそうしないよ
倭国大乱を治めたのが卑弥呼で、卑弥呼の後の男王では治められなかったので、イヨはまだ13才(数え)がデビューして収まったと
663 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2010/10/11(月) 16:46:16 ID:37d915VyO
明史日本伝でも読んでろ
664 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:46:29 ID:XAsFzlXP0
ソラ(宇宙)にあったのさ
665 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:46:45 ID:o9GXaEi90
邪馬台国=大和国なのだから、大和国が九州にあったというのはおかしい
九州にいた神武が大和国の豪族を滅ぼして、新たに大和国の王になった
これがもっともノーマルな解釈
666 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:47:14 ID:xFPn191S0
なんで九州人はいつも問題起こすと?
そしていつも本州人に倒される
惨めすなー九州人w
668 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:47:45 ID:QD+Kt84z0
>>653 >東征は卑弥呼の時代よりも後だと思う
東征は弥生からの伝承だろ。
大陸から来たとは言えないから、
自分たちのルーツは九州だと言ってる。
それを言い伝えで脚色して伝承してた神話を
後で記紀が取り入れたんだよ。
>>656 卑怯な議論をするな。お前の言う「倭の全体論」=「邪馬台国個別のことではない」=「あてなまらなくてもいい」なんだろ。
俺はそれには反対で、「なるべく当てはまる方がいい」と言ってるんだ。
670 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:48:19 ID:gNGk0dAUO
畿内ヤマトと九州倭國は別勢力です。
671 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:48:31 ID:o9GXaEi90
邪馬台国=大和国なのだから、大和国が九州にあったというのはおかしい
九州にいた神武が大和国の豪族を滅ぼして、新たに大和国の王になった
これがもっともノーマルな解釈
卑弥呼は、神武東征より前に大和国を支配していた豪族であり
卑弥呼=天照大神だ
>>662 13歳って当時でいったら当時の平均寿命の1/3は超えてるはずだぞ。
>>655 そら縄文時代は東日本のほうが発展してたというし古いのがでてもおかしくないわな
674 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:49:25 ID:tDDnHt7IP
>>668 それは乱暴な仮説だ、前田のように
証言は信用出来ないと指摘されるぞ。
イヨはまだ16だから
九州人の問題児ぷりは異常!土人のくせに
最近では牛肉使ってウィルス蔓延しようとしたりするしw
なんで九州人は日本に問題ばかり起こすと?
>>658 天孫と地祇は違うんだよ
日本の神は地祇が多くて、神無月に出雲に集まるのは地祇だけと言われている
でも、地祇の大物のオオモノヌシは、もともとヤマト王権の氏神っぽい
678 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:50:33 ID:SBIFMQNw0
沖縄か朝鮮半島だろ。文献も読めないアホはネトウヨなみにおろか
どっかのサイトにあった仮説が面白かった
北九州の邪馬台国を奈良の大和朝廷が滅ぼし卑弥呼殺害
卑弥呼が魏から金印もらってた事が発覚
中国承認の国を滅ぼしてしまった事に気づく
中国に逆らう事になるとヤバいからうちらが邪馬台国と同じ国ということにしておこう
卑弥呼は寿命で死んだ事にしてトヨを2代目巫女として九州に派遣
引き続き中国に承認してもらう
こんな感じ
>>675 人気の独り占めは(・A・)イクナイ!!
>>671 頭沸いてるなお前
卑弥呼みたいな邪悪な一族を八百万の神々の頂点にたたれる天照大神に例えるな無礼者
そもそも天照大神は九州ではなく近畿で祭られておる
九州はいつの時代でも売国奴
奴隷貿易も盛んにしたり神道滅ぼしてキリスト教を広めようとしたり、いつも問題ばかり起こしている
683 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:53:12 ID:w0UGpOLhO
>>652 何でも良いけど、あんた何様?
そういうエリート主義は、社会主義だ。
そうではなく、全ての人間には、唯一無二の価値があり、尊厳がある。
これが伝統的で保守的な日本の哲学だ。
だから、神武天皇は、被征服民族に米を食べさせた。
世界は、人間(エリート)がデザインするものではない。
神々により創造され、人間の行動が事象を動かす。
自分が世界の全てを理解してると考えるのは、愚かな驕りだ。
684 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:53:17 ID:f+0sdhch0
間をとって岡山って事にしておけば丸く収まるだろ
>>653 あえて成立という言葉を使ったのは2〜8代天皇に実績らしき実績が残ってないことから
宗教を司る一豪族に過ぎなかったのではないかと個人的に考えているため
9代にしても残っているのは神社を建てたということのみ
この辺りまではヤマトは国としての体面を取ってなかったのではないかと想像される
686 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:54:19 ID:qrtbD6qo0
やっぱ盛り上がるな
687 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:54:23 ID:XAsFzlXP0
DNAに刻み込まれてるよ売国奴ですって
九州人調べればわかる
>>687 天孫降臨じたい宮崎土人の狂言だろw
689 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:55:03 ID:o9GXaEi90
>>685 邪馬台国は大和国だ
大和国は国家としての体面を取ってなかった?
大和国は国家じゃないだろww
690 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 16:55:31 ID:+BrP9qNIO BE:1017572328-2BP(0)
>>638 北陸道将軍大彦命が実在し、纏向に宮があったのが三世紀から四世紀ごろなら
神武東征はあったとしてもそれより前でしょ。
一部に神武天皇と祟神天皇を同一視する説もあるけど
それだと大彦命の出自が説明つかないんだよね。
691 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:55:58 ID:jffcKjy40
>>668 >大陸から来たとは言えないから、
記紀の時代には、チョンコという言葉もチャンコロという言葉も無い時代だぞ。
何で大王のルーツが大陸だとまずいんだ?w
そもそも記紀には大陸系や半島系の話がたくさんあるだろ。
何でルーツだけは隠さないといけないんだ?w
記紀に出てくる有名豪族の出自には
大陸系や半島系がたくさん出ているではないかw
何で大王のルーツを隠す必要があるのだ?
神武の時代で西暦50〜100年あたり
しかし当時は連合国家の一豪族にすぎなかった
崇神天皇(義弟王)が倭迹迹日百襲媛命(卑弥呼)を立て畿内を安定させ実権を握る
後の権力者は伝説の卑弥呼にあやかり巨大な前方後円墳も建造しつづけるも仏教の伝来とともに廃れる
何か歴史の物語を書くにしても、作者の実体験をエピソードを混ぜることはよくあること
卑弥呼の伝承は後に天照大神の神話として挿入されたと考えてもおかしくはない
こんな感じ?
>>682 伝承ではなく、考古学からすると三輪山がヤマト王権から重視されていたことが解る。
物部氏がヤマト王権の嫡流であったという仮説もあるが、裏付けはないので学説には至らない
694 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:56:44 ID:o9GXaEi90
695 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:57:10 ID:gNGk0dAUO
宮崎は遠いぞ。なんであんな所に…
ずっと前々から気になっていたんだが
邪な馬台国
とか
卑しい弥呼
とか名前的にこういうのって昔はあたりまえなの?
悪いイメージの名前だよね
697 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:59:07 ID:jffcKjy40
>>685 >2〜8代天皇に実績らしき実績が残ってないことから
その頃って縄文時代から弥生時代の後半ぐらいでしょ。
神武天皇のあたりは確実に縄文時代になっちゃうから
実績もなにも残しようがないんじゃまいか?
698 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:59:08 ID:oPmYUk5M0
ジャバタイ国ってぐらいだからモンゴルじゃないか
ミス
>>687 天孫降臨は宮崎が起源ニダは宮崎土人の狂言だろw
天孫降臨は四国か淡路島と考えるほうが普通
四国は神聖な島といわれたりや淡路島は神の戸と呼ばれてるからな
>>689 国じゃなくクニと表現すればよかったか?
まああくまで個人的な見解だから気にせんでよろし
701 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 16:59:30 ID:/FsQ0f9R0
>>669 オマエが卑怯なだけじゃんw
オマエは倭人伝の記述を、御都合主義に解釈したいだけww
>>691 その意味では、その勢力がどっから来ようが、日本の土着勢力と結びつき吸収されたと考える方が無理は無い。
騎馬民族征服説みたいに、異民族に征服されたというのは無理が生じる
703 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:00:12 ID:XAsFzlXP0
>>696 DQNの厨二ネームなんだよ
俺って邪悪!みたいなぁ
>>691 氏族の出自として、神別・皇別・蕃別には厳然たる序列があるやに聞いたが。
705 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 17:01:30 ID:+BrP9qNIO BE:635982252-2BP(0)
>>685 実績は残ってないけど、その子や子の子孫なら各地の豪族の祖先、氏神になってるけどな。
岡山の一宮、吉備津彦神社の吉備津彦命とか。
706 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:01:43 ID:jffcKjy40
>>690 >神武東征はあったとしてもそれより前でしょ。
だからさ、第10代の崇神天皇は実在の人物として考えると、
神武天皇の時代は縄文時代にあたるんだってばさ。
縄文時代に大掛かりな東征なんて可能なのかな?
よくわからんけどさ。
707 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:02:31 ID:gNGk0dAUO
>>688 それは全ての神宮の元である宇佐と伊勢も馬鹿にしてる発言だな
宇佐でヤタガラスから啓示受けて東征先で作ったのが伊勢だろう
全ての神宮の元である宇佐が九州にあるのに何言ってんだ馬鹿
709 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2010/10/11(月) 17:02:49 ID:37d915VyO
岡山って神武天皇が滞在したりデカイ古墳が
あったような。
そもそも現代ですら宮崎なんて陸の孤島になって交通が不便なのに宮崎が天孫降臨の起源ニダって
本当に九州人はDNAレベルで売国奴だなw
歴史をみてもいつも九州人は日本に問題ばかり起こしている
邪悪な邪馬台国は中華に媚媚で日本を売り渡そうとしたやつら
だから神々の正義の国である大和民族に滅ぼされたのだ
712 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:04:15 ID:o9GXaEi90
>>700 対馬国、一支国、末蘆国、伊都国、投馬国、そして邪馬台国
これらはすべて並列に書かれている
なぜなら此れ等は地名であって、勢力の名前ではないから
つまり、邪馬台国(=大和国)を支配する一族(○○氏)が滅ぼされても
邪馬台国(=大和国)が消滅するわけではない
新たに別の氏族が、大和国を支配するだけだ
もう邪馬台国はなかったでFA
714 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:05:41 ID:FontKWsC0
女王国より北に一大卒。諸国を検察して畏れさせる。(少数精鋭、魏の出先機関か)
女王国の東は海。みな倭種。
女王国の南の狗奴国とは敵対。魏に応援を求めるが抗争中に卑弥呼は死亡。
卑弥呼の墓は塚。径100余歩。
棺あれど槨なし(つまり、前方後円墳のようなものではない)
以上のことから、邪馬台国畿内説はありえず、大野氏の大分説有望。
715 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2010/10/11(月) 17:05:46 ID:37d915VyO
九州じゃ日本を統べるにあたいしないから大和
まで進出したんじゃないのか。
716 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:06:03 ID:QD+Kt84z0
>>674 そうかな。
三世紀の卑弥呼の時代に国家連合がある程度出来て、
巻向で統一的な運営が始まっていたのを、
空白の四世紀に天皇家の始祖が権力を掌握して、
男系の王朝を確立したんだろ。
巻向やその周辺の発掘状況から見ても、
ヤマトの方が国力つけてるのに、
この時期に遠い九州から東征とか有り得んと思う。
巻向の勢力の凄さは、古墳群を見れば歴然としてる。
だから、神武東征は弥生人のルーツが神話になったものと
考えるほうが自然。
717 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:06:14 ID:jffcKjy40
>>702 >騎馬民族征服説みたいに、異民族に征服されたというのは無理が生じる
同感です。
でも、南アフリカW杯が行われた時代になっても
まだ騎馬民族征服王朝説とか日本原住民論とか
日本の原住民は遠野物語にでてくる山人だ、とか
飽きずに発言している人っているんですよ。
月刊ムーの愛読者なんだけどw
718 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:06:33 ID:XAsFzlXP0
>>710 いや待て、戊辰戦争で逆賊を成敗したのは主に薩摩なんだが
正直無理して邪馬台国とヤマト政権つなげるより
古墳暴きまくって調べたほうが建設的だと思うんだけどね
720 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:08:08 ID:/FsQ0f9R0
習俗記事が邪馬台国一国に限定した記事では無い事を突かれたから
オマエは「なるべく」とか言ってるだけw
倭人伝には以下の記事は「なるべく」邪馬台国に当てはまりますなんて書いてないw
習俗の項目別の全体論に過ぎないw
垂仁紀
(元年冬十月条ののち、任那人ソナカシチが帰る記述ののち、一に曰く、で始まる任那の起源譚の記述)
より抜粋。
「大加羅国の主の子、名はツヌガアラシト、亦の名はウシキアリシチカンキという。
日本国に聖皇有(ま)すと承りて帰化(おもぶ)く。
穴門(長門のこと)に到る時に其の国に人有り。名はイツツヒコ。やつがれに語りて曰く、
『我はこの国の君なり。吾を除きてまた二人の君あらず。かれ、他処にな往きそ。』という。
然れどもやつがれ、つらつら其の人となりを見るに、必ず君に非じということを知りぬ。
即ちまた還りぬ。道を知らずして、島々浦々につたよいつつ、北海より廻りて、出雲国を経て此処に至れり。」
イツツヒコみたいな人がいっぱいいたんだろ
722 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:09:05 ID:mLku4vSO0
神武天皇が、東征により日本を建国した。
これは間違いないでしょ。
むしろ邪馬台国と大和を同じに扱うのは、おかしい。
卑弥呼とか、普通にキモいババアだし。
723 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:09:15 ID:o9GXaEi90
>>719 つーか、邪馬台国は大和国のことであり
卑弥呼とヤマト政権が繋がらないと仮定しても
邪馬台国は大和国ではないというのは無理
724 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:09:16 ID:jffcKjy40
>>708 だからね、何回も言ってますが
崇神天皇を実在の人物とすると
神武天皇は縄文時代の人ってことになるんです。
東征が事実だとすると、縄文時代に王朝や部族が
大掛かりな東征を行ったってことになるけどさ。
縄文時代ですよ、縄文時代。
725 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:09:22 ID:gbhZRRe7O
卑弥呼アマテラス説が本当なら、どこかに定住したんじゃなくて九州から近畿(奈良→大阪→京都)へと移動していったと考えるのが普通だよな
726 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:09:35 ID:XAsFzlXP0
727 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:10:18 ID:/FsQ0f9R0
「出眞珠青玉」
これも九州説では「なるべく」邪馬台国一国に当てはまるんだへぇーw
九州説は大変だな
で、何処なんだそれは?w
>>679 関裕二が似たようなこと書いた本たくさん出してるよ。
ヤマトの神功皇后が九州の邪馬台国を滅ぼして、そのままトヨとして君臨。
でもそのあとヤマトに裏切られ攻められて、南九州に逃げる。
崇神の時に大田田根子として探し出されたのがトヨの末裔、みたいな感じ。
729 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:11:03 ID:tDDnHt7IP
730 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:11:05 ID:o9GXaEi90
>>722 神武が建国したとしても邪馬台国は大和国であり
神武が大和国を支配する豪族を攻め滅ぼして建国しただけの話
大和国は単なる地名であり、豪族の名前ではない
>>722 出入りしている男以外みてないんだから。
イヨは萌えキャラか?
近畿と九州で地名と地理が一致するとかって話だから移住したんじゃねーの?
733 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 17:11:13 ID:+BrP9qNIO BE:1526357164-2BP(0)
>>706 弥生時代初期は紀元前十世紀まで遡りますよ?
全然余裕だし、纏向遺跡が三世紀からの都市遺跡とすると
祟神天皇が実在した時代は二世紀後半から三世紀となる。
当然神武天皇の時代も繰り上がり、紀元前後一世紀頃になるんじゃないかな。
日本書紀における十五代以前の天皇の崩御齢は二〜三倍にサバ読んでると見た方がいいでしょ。
>>701 記述の内容と考古史料とを付き合わせて、「どの程度当てはまるか」を判定していけばいいだけだろ。何が卑怯なんだ? 普通の研究方法だろうが。
そういう付き合わせもなしに、文献解釈のみで門前払い、ってのが非学術的で卑怯だっての。
735 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:11:25 ID:jffcKjy40
>>722 だからね、何回も言ってますが
崇神天皇を実在の人物とすると
神武天皇は縄文時代の人ってことになるんです。
東征が事実だとすると、縄文時代に王朝や部族が
大掛かりな東征を行ったってことになるけどさ。
縄文時代ですよ、縄文時代。
>>718 テロ戦争を誇らしげに掲げる九州人さんかっけぇーw
西南戦争で会津人に虐殺された九州人ざまーw
いつも問題おこして鎮圧されると泣き付いてくる九州人
次はどんな問題を日本に起こして迷惑かける気だ?
737 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:11:42 ID:wzHXkDTzO
邪馬台国の起源は韓国
738 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:11:59 ID:QD+Kt84z0
>>691 >記紀に出てくる有名豪族の出自には
>大陸系や半島系がたくさん出ているではないかw
>何で大王のルーツを隠す必要があるのだ?
自分で書いてるじゃないかw
臣下の豪族のルーツは人間世界の大陸や半島系でも、
大王のルーツは「神」の系統じゃなければ威厳が保てない。
739 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:12:20 ID:ZlSPEYOd0
記述の地名が確定してるのが博多までなのに
関西説とか妄想広げすぎだろ
>>723 だって向こうの記述なんて読んでみても、
「うん、分からん。良くわからんことだけが分かった」てな記述じゃん
そんなものを拠り所にしてつなげようってのが無理だと思う
>>726 やっぱり神道信者との戦争になるの?
地下世界信仰の無い俺にはわからんわ
742 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:13:46 ID:tDDnHt7IP
>>735 歴を修正しなければかなり遡るけど、実際それは修正されるべきだし
そうではないとしても縄文までは遡らない。
もう少し勉強してくれ。
取り敢えず縄文人の使ってた言語って日本語じゃないんだろ?
土井が浜より東に弥生人が移動するのは
ほぼ不可能なのにスルーする巻向バカwww
745 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:14:32 ID:WzkSm7aW0
こういったスレの方が煽り合戦になるのは何故だろう
分かった所で何も得るものはないのに
>>735 縄文時代であることは反証にはならんわな
もっと後の時代に、銅剣とか銅鐸とか、ヤマト王権に統一される前の物と思える物がでていることの方が重要では?
747 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:14:49 ID:jffcKjy40
>>733 >当然神武天皇の時代も繰り上がり、紀元前後一世紀頃になるんじゃないかな。
残念ながらなりません。
神武天皇の東征は縄文時代の出来事になるのです。
出雲文書では、
とよと出雲の王が結婚して、
子供を倭の王と、出雲の王にわけたという記述があり。
日本書紀でも天皇家本家の男系が切れた時に
出雲から婿を貰ってる
749 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:15:10 ID:/FsQ0f9R0
邪馬台国自体からからは眞珠も青玉も産出しなくても良いと思うけど
オマエは両方とも産出する邪馬台国を勝手に目指してるんだろ
で何処なの?
なんでも揃ってるスーパー邪馬台国は何処にあるの?w
750 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:15:15 ID:XAsFzlXP0
>>736 陛下の御命による聖戦をテロ呼ばわりとは無礼にもほどがある
世が世なら不敬罪だぞ
>>719 邪悪な中華に日本を売り渡そうとした売国政権の邪馬台国と神聖な日本の礎である大和王朝を結びつけようとするなといいいたいよね
752 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:16:20 ID:o9GXaEi90
つーか隋書に答えが書いてあるんだから議論の余地ないだろ
753 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:16:27 ID:bvNETT2v0
>>677 天神地祇と書くものなのに天孫と書くのは一体なんだ?
天津神も国津神も神道の八百万の神々だよ。
高天原の神と豊葦原中津国の神
高天原の神はタカミムスビ、豊葦原中津国の神はカミムスビのむすびの力が働いて成るとかの違いはあるよ。
高天原、豊葦原中津国、黄泉国ってあるんだぜ。神道の世界は。
>>750 そんなことより日本の国旗は徳川家紋にしたほうがいいと思うんだ
そっちのがかっこいい
>>751 まぁ国益とかを考えるとそっちのほうの話にもなるだろうが
漢籍を論拠にってのは無理やり感が否めないのよね
史書のアレは伝聞形で書かれてるし
>>720 > 倭人伝には以下の記事は「なるべく」邪馬台国に当てはまりますなんて書いてないw
そんな注記がわざわざ必要か? 「ほとんど当てはまらない」ことをハナから書くわけがないんだから。
お前の言うことはちっとも論理的じゃない。ただの屁理屈。
天津神と国津神に差をつけるバカがいるが神に差を付けてはいかんよ
758 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:18:48 ID:XAsFzlXP0
ID:cBTgquRv0は天皇陛下を侮辱する許しがたい賊
臣民はかかる非礼無礼不遜な国賊を断固として許さない
759 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:18:53 ID:mLku4vSO0
左翼wikiの、卑弥呼=天照大神説とか、支離滅裂な妄想であり、ひど過ぎるでしょ。
皇祖神が、中国皇帝の臣下だと?
左翼および中国人は、日本を馬鹿にしてるだろ。
卑弥呼が神とか、ありえない、
なぜならキモいから。
ハイキングウォーキングのほうが、ぜんぜんマシ。
760 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 17:19:48 ID:+BrP9qNIO BE:1717152539-2BP(0)
>>747 だから何を根拠に?
先文字時代の天皇の崩御年齢は異様に高くどうみてもサバ読み。
そもそもこのあたりは日本書紀と古事記でも崩御年齢は全然違う。
神武創業が紀元前660年というのは全く不確かな数字なんだ。
更に神武天皇の実在については考古学的には手がかりさえない状態。
それで何故神武東征が縄文時代だといい張れる?
761 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:20:04 ID:tDDnHt7IP
ジャパタイ王国と併行した語らないと行けないのは幾つかあるが
三河農士さんの言われている四道将軍、これは邪馬台国より
実在の信憑性が高いと思う。また同様に日本史に及ぼした影響が
大きい。
762 :
在日追放!:2010/10/11(月) 17:20:35 ID:5gndaNBt0
おいおい!
そんなの何処でも良いじゃないか!
何処が起源とか言ってるのを聞いてると
どこぞの朝鮮人が騒いでいるようにしか見えないぞw
いいんだよどこでも!
『きっと卑弥呼はイイ女だった♪』で夢見て終わろうよw
>>758 私は神々の一族である大和民族なので不問と処す!
764 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:21:16 ID:XAsFzlXP0
>>759 なんで邪馬台国と大和朝廷を同一視して考えるのかね?
神武天皇以来卑弥呼などという天皇は存在しないのだよ
皇室を貶めたい左翼と皇室を神格化したい右翼が邪馬台国=ヤマト王権の前身を否定して、マトモな話ができないのが現状?
766 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:21:57 ID:YyhxwrjHO
アマテラス=キリスト説はまったくのでたらめなの?
>>759 やはり邪悪な邪馬台国の指導者卑弥呼と八百万の神々の頂点におられる天照大神を同一視しようとする輩は売国奴だったか
許せん!九州人!
769 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:23:26 ID:XAsFzlXP0
>>763 ウソこけ鮮人
教育勅語でも読んで反省しろ
卑弥呼が天照で中国に朝貢してたとしても、全然構わん。
日本が中国から強い影響受けてんのは事実なんだし、朝貢してた時代もあったろうよ。
でも聖徳太子がお前と俺は同格だぜって親書出してるだろ。
日本の独立はそっからでいいだろ。
773 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:24:40 ID:jffcKjy40
>>748 結局、出雲族のルーツは天孫系のスサノオだし
神武天皇が奈良に入った時、
既に奈良を平定していたニギハヤイも天孫系だから
男系が絶えた時、分家から持ってきてもいいんじゃまいか?
水戸徳川家とか紀州徳川家とか尾張徳川家みたいなもんでさ。
774 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:24:54 ID:tDDnHt7IP
安●の邪馬台国=九州甘木、
卑弥呼=アマテラス
なんかへんてこりんな地名のこじつけ。
ありゃ無いと思う、日本が九州からきた朝鮮人によって
征服されたという説を信じたいエセ右翼には支持されると
思うがw
そもそも論として立証関係がデタラメ過ぎる、色んな点で突っ込み箇所大杉。
775 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:24:55 ID:/FsQ0f9R0
オマエ
「習俗記事は邪馬台国一国に全て当て嵌まる
→論破されたので、習俗記事は、なるべく邪馬台国一国に当て嵌まる事にする。
当て嵌まらないと認定した物だけは任意に他の国に押し付けてもいいが
任意に押し付ける事が出来るからといって、
なるべく邪馬台国一国に当て嵌まるという倭人伝の原則が破られたのではない。
原則には例外がつき物。」
オレ
「倭人伝の習俗記事は邪馬台国一国に当て嵌まるという原則なんかない。
そんな原則はないので、倭の領域のどこかに当て嵌まれば良い」
オマエは倭人伝に存在しない原則を勝手に捏造してるだけww
776 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:26:21 ID:XAsFzlXP0
>>768 そんな珍説を捏造するとは流石は鮮人
何度も言うが卑弥呼と言う名の天皇は存在しない
そして今年は皇紀2670年であり、卑弥呼がその前の人間である可能性もない
算数も出来んのかヒトモドキめ
777 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:26:38 ID:zy2n+5qe0
記紀は藤原不比等が作ったものだから、当然当時の政権に
都合良く書かれているものだって言ってたよ。
だから記紀の記述はあてにならないんだよね。
778 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:27:05 ID:mLku4vSO0
>>764 その通りだね。
日本の朝廷は、神武天皇から125代続いていて、そこに卑弥呼など存在しない。
これは普遍的な価値(共産主義等を除き)と思うけど、世界を創造するのは神だ。
卑弥呼とか言うババアが神とか、支離滅裂だ。
>>769 普通に戊辰戦争はテロだろ九州人さんよ!
皇室抱えて無理矢理聖戦など言わせて凶暴罪で九州人は未来永劫売国奴であるぞ!
その後に西南戦争で本性を現して討伐されおったがなガハハハハハ
九州人はチョンか売国奴これは歴史をみても明らか
いつも日本に問題ばかりおこしている
無敵の宙に滅ぼされた。
>>777 奈良で大型開発起きないかなー
勿論、掘り返す際は地権者進入禁止でな
783 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:28:01 ID:bvNETT2v0
>>777 不比等が作ったのは養老律令。
古事記、風土記は元明天皇。日本書紀は天武天皇か?
文字が無かったことになってるが、
中国とは紀元前には貿易してたから、
中国商人が日本に入ってたわけで、
どこかに文書が残っているよ
ご神体とかに隠されて。
で、今注目されているのが解読中の出雲文書と
伊勢にあるだろう文書
785 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:30:15 ID:XAsFzlXP0
>>779 すまんオレ関東人ww
とりあえず神州から出ていけよゴミ
>>749 > オマエは両方とも産出する邪馬台国を勝手に目指してるんだろ
目指してないよ、そんなの。「なるべく」の意味分かるか?
もし日本列島のどこからも産出しないのなら、そこの記述は「魏史の間違い」でいいだろ。
面白いのは結局漢族の古い伝統文化は文字でも服飾でも日本のほうに残っちまって
当の大陸からは根絶されちゃってるところだなw
788 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:32:20 ID:mLku4vSO0
>>772 大東亜戦争等で、日本が現地住民と仲良くできたのは、台湾やパラオなどの南洋。
逆に中国人や朝鮮人は、中華思想だけでなく、生理的に無理。
こう考えると、日本人と南洋人は何かを共有してるのではないかと思う。
>>785 おぉ卑しい土人の住む鬼の末裔である関東人か
いやはやすまんすまん、てっきり人と会話をしてると思っておったが相手が鬼であったとはなガハハハ
神々の一族の大和民族でない土人民族である鬼の関東人なら仕方もないかw
790 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:33:30 ID:qrtbD6qo0
お国厨か
>>787 成人してない子供にミヅラを結うのをやめちったから
日本も他国のこといえねーけどね。
792 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:34:14 ID:f2VAOjNg0
歴史科学の権威である「ムー」に書かれているのが正しい
日本の考古学の世界では
カレー論争に匹敵するネタだわな。
久々に来たら★3の終盤になっててワロタ。
決着ついた?
795 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:34:47 ID:zy2n+5qe0
日本書紀や古事記って、壬申の乱でクーデータ起こした
天武天皇系の正当性を担保するための歴史書でしょ。
天武、持統、元明、元正〜と続く天武ファミリーのオフィシャル本。
裏で操っていたのが、藤原不比等。
そりゃ自分らに都合のいいことしか書かないよね。出雲神話とか嘘くさいし。
796 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:34:47 ID:AHbuoeiP0
卑弥呼は餓鬼になって寺に封印されてるよ。
>>775 他人の主張はこうだと勝手に決めつけて、勝手に論破した気になってるのはオマエ。
捏造の常習犯。
798 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:34:58 ID:/FsQ0f9R0
行程記事の原則は、出てくる国毎
習俗記事の原則は、国毎ではなく書くべき習俗の項目毎
これが倭人伝のテンプレ基本原則
オマエのは
「習俗記事は邪馬台国一国限定」 →論破されたら 「『なるべく』邪馬台国に当て嵌まる」
そういうのは御都合主義って言うのw
オマエのは倭人伝の原則でも何でもない
習俗記事は邪馬台国の事であるという九州説の立脚点を擁護したいだけの屁理屈w
オマエのは只の九州説肯定の原則w只の大前提w
倭人伝の書き方を分析する事によって得られた結論でもなんでもないw
>>791 記録や作成法やらが残ってるだけマシじゃね?
呉服はそろそろやばいかもとは思い始めている
801 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:36:30 ID:gNGk0dAUO
まあ落ち着けよ。倭國王磐井君の眠る八女のお茶飲め( ^-^)_旦〜
802 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:37:15 ID:XAsFzlXP0
>>789 お前ねえそれくらいにしておいた方が良いぞ
歴史上、天皇陛下に害意を持つ者は必ず滅びる
無謀にも天に唾すると言うのならそれは自己責任だ
目の前にいたのなら肉体言語で語り合い助けてやることも出来たのだが仕方ない
お前の良識ある判断を期待しているぞ
803 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:37:23 ID:YyhxwrjHO
日ユ同祖論がまんざら嘘でもないなら近畿じゃない?
>>789 「鬼」って仏教と一緒に来たんじゃないの。オッサン。
常陸国も関東だぜ、オッサン。地名の由来譚に天皇のことや日本健尊の事があって
古老がそれを伝えてきた土地よ。
いやしいのはお前の方なんじゃないの、おっさん。大和民族を名乗るなら他者を侮辱すんなよ。
806 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:38:32 ID:qrtbD6qo0
両陣営の最低限の合意事項ってどんなもんなの?全くのすれ違い??
>>802 未だに皇室を拉致したままの土人である鬼の末裔関東人
最近ようやく人の言葉を覚えよったわガハハハハ
関東人は人ですらないから九州人よりも格下ぞガハハハハハ
倭の五王が5世紀の話
その前の応神とか半島にさかんに進出してたのが4世紀後半
さらに遡らせて神武天皇が実在したとしてもせいぜい3世紀初頭だ
>>808 三世紀初頭じゃ卑弥呼さんとかぶっちゃうだろ
810 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:40:02 ID:jffcKjy40
>>682 >オオモノヌシは物部氏の氏神では?
物部氏の氏神はニギハヤイね。
で、物部氏の神社は、物部氏の武器庫跡に鎮座まします
石上神宮です。例の七枝刀がある。
石上神宮は日本古来の神剣(草薙の剣やトクサの剣等)の御魂を祭っているが、
月刊ムーによると、主祭神はニギハヤイだって書いてあったw
811 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:41:29 ID:AYcveQOz0
好きな人はこういう事話すだけで楽しいんだろうな
>>809 だからこそ卑弥呼がプレヤマト王権に関わってくるかどうかが問題になるんでしょう
>>803 京都は日本のエルサレムだしな
神々の一族である大和民族は近畿に住むもののみ
ましてや東の辺境の一族など鬼と同じである土人である。
ノーベル賞も偉人も関東からは生まれもせん
DNAレベルで劣っておるのだろう土人だからw
814 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 17:42:16 ID:+BrP9qNIO BE:1717151393-2BP(0)
>>764 倭途途日母母襲比売命なら居ましたけどね。
ヒメミコトまたはヒメミコがヒミコになった可能性もあるわな。
むしろヒミコなんていう固有名詞の人がいたんだろうか?
>>806 「陳寿がもうちょっとマジメに記録しとけば良かったのになぁ」
「ああ、まったくだ…」
という点では、両陣営の意見は完全に一致してるよなw
816 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:42:27 ID:jffcKjy40
>>808 >さらに遡らせて神武天皇が実在したとしてもせいぜい3世紀初頭だ
だから、何度も何度も言ってるざんしょ?
第十代天皇である崇神天皇は実在の人物だとして、
初代神武天皇の時代は縄文時代になるんだってば。
817 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:42:50 ID:1LRABFU50
北陸かもしれなくはないか?
818 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:42:55 ID:qrtbD6qo0
>>798 > 習俗記事は邪馬台国の事であるという九州説の立脚点
また勝手な決めつけ。
習俗記事は「倭国全体を記述したもの」、そして「邪馬台国は倭国の一部」なのだから当てはまる記述はあるはずだと言う常識的なことを論じているだけだ。
畿内説では当てはまる記述はあるのか? そこが論点だ。逃げるな。
820 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:43:11 ID:iZudVnp00
卑弥呼が日巫女や日御子でアマテラスだと考えれば整合性があるじゃん。
卑弥呼が死んだとされる247年248年と連続して皆既日食が日本で観察されていることも
アマテラスの岩戸神話との一致を見る。
アマテラスは岩戸にお隠れになり、世の中は闇に包まれた
(日食が原因で卑弥呼は殺されて)
神々が岩戸の前で宴会をして
(邪馬台国連合の王が合議して)
アマテラスは岩戸から出てきた
(卑弥呼の親類の台与が新しい卑弥呼になった)
>>811 俺より頭の良い人のが圧倒的に多いんで楽しい
いろいろな説が飛び交ってて勉強になる
>>812 うへぇ。正統論も入ってくるからめんどっちいのか
共和主義者も嫌いな俺は何処を立脚点にすればよいのやら
822 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:43:49 ID:9wv5BrNw0
そもそも、魏志倭人伝が妄想ポエムだという可能性は無いのか?
>>810 どうでもいいけどニギハヤ「ヒ」な。
饒速日だから。
陳寿は悪く無いお
失われた故国があんまり記述量に乏しいもんだから、見目を慮って
他をちょっとディスっただけだお
825 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:46:17 ID:zy2n+5qe0
卑弥呼=神功皇后=アマテラスっていう線はないの?
826 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:46:31 ID:mLku4vSO0
>>820 関係ないものを、結び付けられても困る。
神武天皇が高天原に天孫降臨し、東征により日本を建国した。
神武天皇以前は神であるから、卑弥呼が入り込む余地がない。
卑弥呼は人間なのだから。
>>810 書き込んでしばらくしてから間違いに気付いた、スマン。
ちなみに、ニギハヤヒね。
829 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 17:48:04 ID:+BrP9qNIO BE:4579070898-2BP(0)
>>816 だから何で神武天皇が縄文時代の人物になるんだよ?
わかるように説明しなさいな。
830 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:48:14 ID:gNGk0dAUO
磐井の墓と目される北九州最大の前方後円墳は八女の
岩戸山古墳。ここにお隠れあそばして壱与だかなんだかの
後継者が出てきます。八女です。
831 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:48:21 ID:qrtbD6qo0
しかし面白いもんだな
昔習った三角縁神獣鏡云々からは随分進歩してんだな。してんのか?w
>>828 てめー、グーでポカポカ殴るぞ。(ver.2.0)
833 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:48:29 ID:ICoXeuHUO
どっちっちゃよかろーもん
朝鮮といい九州といい何にもでて来ない弱小勢力は声闘しかないわなw
んだっす。高天原は沿海州などではなく、
絶対にモンゴル大平原のはず!
836 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:50:48 ID:GflhcLnj0
ここまでトヨスキイリヒメとヤマトヒメなし?
837 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:52:29 ID:jffcKjy40
>>682 >オオモノヌシは物部氏の氏神では?
大物主は大神神社の主祭神です。
第十代崇神天皇の御世に、疫病が流行したので崇神天皇は
三輪山に登って神のご信託を聞いたわけです。
すると、三輪山に降臨する大物主の祟りだとわかり、
崇神天皇は大物主を三輪山の山麓にお祭りし、それが現在の大神神社です。
崇神天皇を初代天皇と考えた場合、大物主はヤマト王権が奈良に入ってくる前から
地元で信仰されていた神のようです。で、ヤマトトトヒモモソヒメの伝説には
大物主が毎晩、ヤマトトトヒモモソヒメの元に来るので、後をつけると
その美男子は三輪山の神である大物主=蛇神であることを見てしまい
ヤマトトトヒモモソヒメは、ショックのあまり自分のホト(オ○○○)を箸で突いて
自殺してしまうわけでして。卑弥呼の墓ではないか?と噂がされる箸墓古墳こそ
ヤマトトトヒモモソヒメの墓と言われている3世紀全般の初期型前方後円墳なんですよ。
箸墓の箸はヤマトトトヒモモソヒメがお箸で自分のホトと突いて自殺したので
箸墓というネーミングになったわけです。
>>836 ヤマトヒメとヤマトタケルはそもそも実在するのか…?
>>833 よくないばい。巻向バカがねつ造しよろうが。
右翼(自称「保守」も含めて)がまた自分の信仰を語ってるなw
信者以外には興味のない話。
>>838 そういや仲哀天皇は親父がヤマトタケルで奥さんが神功皇后ということで
はげしく存在感と実在感がない
842 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 17:55:55 ID:+BrP9qNIO BE:635982252-2BP(0)
>>831 纏向から景行天皇の時代のものと思われる都市遺跡が出て来るくらいには進歩してる。
正直、魏の記録についてはマルコポーロの東方見聞録程度に考えている。
あれを見て邪馬台国がどこかなんて、タイムマシンでもなきゃ答えがでんよ。
日本のどこかに邪馬台国と書かれた碑文が出て来る事なんか無いんだからな。
843 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:57:00 ID:GflhcLnj0
>>838 モモソヒメをプッシュしてる人がいるから、モモソヒメよりは実在性高いと思って言ってみたんだけど
居たという証拠を出せといわれたら出せない。
844 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:57:34 ID:tDDnHt7IP
邪馬台国と併行した語らないと行けないのは幾つかあるが
三河農士さんの言われている四道将軍、これは邪馬台国より
実在の信憑性が高いと思う。また同様に日本史に及ぼした影響が
大きい。
845 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:58:32 ID:wy58dsJJO
九州だろ
金印も福岡だし
846 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:58:40 ID:jffcKjy40
>>836 倭姫は実在したんじゃまいか?
というか、斎宮の象徴かもしれんが・・・。
ヤマトタケルも、複数の武人の東征伝説の象徴だと言われていますね。
>>841 仲哀はもし実在したとすれば、皇位には就いてないんじゃないかと疑っている。
九州に赴任してきたただの軍団長だろう、と。
848 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 17:59:00 ID:iZudVnp00
>>826 明治から昭和初期にかけて天皇は現人神だったじゃん。
神武天皇の実在性はともかくとして、天皇家のルーツを遡っていくと
神と称されるような偉大な女性(アマテラス)がいたということだよ。
神功皇后とアマテラスは同じ人物の別々の功績を記述したものかも知れんし。
>>838,
>>841 まあ、架空の人物だよね。
でもヤマトタケルの進軍経路に沿って、建部(タケベ、タケルベ)姓の人が
分布しているそうで、そういう意味では史実かと。
関係ないけど、鹿児島には「♪クマソタケルはよか男」という俗謡が
残っているそうで、その成立年代は不明だけども、征服されたという
意識は受け継がれているらしい。
「ショックのあまり自分のホト(
オ○○○)を箸で突いて
自殺してしまうわけでして。」
歴史というのは格も色っぽい♪
851 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 18:00:17 ID:+BrP9qNIO BE:2543928285-2BP(0)
>>843 伊勢神宮が最大の根拠だな。
豊鋤入日売命や倭比売命が存在しないとするなら、伊勢神宮は何故存在するのか。
852 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:01:07 ID:jffcKjy40
>>845 >金印も福岡だし
その金印が捏造だって言われてるじゃんw
発見された当時から捏造だって言われてるんだけどw
当時から神の手を持つ人はいたのです。
853 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:01:27 ID:zy2n+5qe0
つまり、仲哀天皇の墓が有る香椎宮に全ての謎を解く鍵があるんだろう。
神功皇后、熊襲征伐、新羅征伐、海の民、、、、謎が多いよね。
854 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:01:50 ID:qrtbD6qo0
しかし「ホトを箸で突き」ってのはどういう意味なの?隠喩?
あまりに唐突な感じがするんだが。
日本の歴史上他にこんなのあったっけ?
>>843 モモソヒメ自体の実在性はむしろやや高い気がするなぁ。
=ヒミコだとは全然思わないが。
>>854 錯乱した人間のすることに合理性を求めても仕方が無いってじっちゃが言ってた
>>852 発見された当時からずっと「捏造じゃね?」疑惑があったけど、
近年、中国で金印を作った工房が特定されて、「やっぱ本物だったんだぁ」に
なったと理解してたんだが、違うんかな。
858 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:04:11 ID:mLku4vSO0
>>848 現人神も何も、昭和天皇は人間だろ。
昭和天皇自身が、こう述べている。
「私は普通の人間と人体の構造が同じであるから、神ではない
そういふ事を云晴れては困ると云つた事がある」
神武天皇以前は神であるから、人間としては存在しない。
関係ないのに、無理やり卑弥呼と結びつけるのは、支離滅裂だ。
金印は現在では真作説がかなり有力。
江戸時代の博多の漁師が、金印ねつ造とかできるわけねえだろ
861 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:08:14 ID:jffcKjy40
>>854 ホト=オ○○○なんだが、
日本では、古より男性器、女性器が豊穣の象徴であり神として祭る風習があります。
各地に男根石、姫神岩等、性器にソックリな石や岩などを金精様として祭ってます。
東北の子宝系の温泉の浴室には必ず金精様が祭ってあって
湯船には木製の男根が浮いていているので、女性はそれを抱っこしてナデナデすると
金精様のご利益で子宝に恵まれると言われています。
話は飛びましたが、記紀だけではなく日本の伝説には性器に関する話は
いくらでも出てきますよ。日本の性器崇拝はアジアでもピカイチの先進国です。
862 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:08:26 ID:bvNETT2v0
>>838 昔流行った「欠史八代」の範疇にも入ってない第十二代景行天皇の皇子が日本武尊
第十一代垂仁天皇の娘が倭姫命。
863 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:08:45 ID:gNGk0dAUO
九州王朝説の倭の都は大宰府とウィキではなっているけど
弥生時代にそこの地名は何と呼ばれてたのかな?
864 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 18:10:24 ID:+BrP9qNIO BE:953973735-2BP(0)
>>854 素盞鳴尊が裸馬を天照大御神の旗屋に投げ入れた時に
お付きの女性が驚いた拍子に旗織の道具でホトを突いて死んでるね。
あと大物主神は矢に姿を変えて、水洗便所を流れてきて美女のホトを突いたという伝承もある。
この時生まれたのが神武天皇の大后ホトタタライススキヒメだそうだ。
865 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:11:03 ID:jffcKjy40
>>860 >江戸時代の博多の漁師が、金印ねつ造とかできるわけねえだろ
地元の有力商人と学者が結託して金印を捏造したと伝えられていますな。
>>854 そいや書記の一書にも、「スサノオが皮はいだ馬を投げ込んだら、アマテラス
が驚いて、機織につかう「ひ」をホトに突き刺して死んじゃった」みたいのなかったけか。
当時はそういうシチュエーションがひとつの萌えジャンルだったと想像w
867 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:13:08 ID:qrtbD6qo0
>>861 なるほど。
しかし、マンコに物入れて害するってよく知らんもんで違和感を覚えたもんで。
孝謙天皇とかかな他には。
>>848 時代が違いすぎるから何とも…。
伝承内容も特に似ているところはないしなぁ。
神功皇后はむしろ宗像三女神とかぶる気もする。
869 :
(´-`).。o山中狂人 ◆abcDBRIxrA :2010/10/11(月) 18:13:24 ID:COU+gLrc0
<安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<井沢元彦によれば、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
∧_∧___
(・∀・ ) / | <これ、豆知識な
⊂ へ ∩./ .|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄
箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
3世紀中ごろ、皇室の先祖は九州にいた。ちなみに神武天皇は3世紀末頃の人物。
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
もしも箸墓古墳が卑弥呼の墓なら、邪馬台国と大和朝廷は無関係。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
邪馬台国の東、海を渡って1千里にも国がある、って書いてるんだから、
畿内には別の国があったんだな。
邪馬台国が畿内なら、その東の国なんて無いから。
畿内に国があるとしても、それが邪馬台国だってのは、よほど頭が固いバカな学者の説だろう。
邪魔大国と言えば中国です。
872 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:14:17 ID:jffcKjy40
>>866 お箸を使ってオイタをしちゃダメよっていう教訓にもなりますねw
箸墓のくだりに裴松之が注釈入れてたら
「そもそも紀伝たるものは古の賢人偉人の業績をたたうものであって、
(中略)
このような記述のために書面を咲いたのは嘆かわしいばかりである」
と延々説教かますんだろうな
874 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:15:09 ID:iZudVnp00
>>854 スサノオが皮を剥いだ生き馬を織屋の天井から投げ込んだときに
織女の一人のワカヒルメなる女性が梭(ひ:横糸を通すための、
先の尖った道具)が女陰に突き刺さって死んでしまったなる
記述が古事記にあるようで。
機織女は名をワカヒルメといい、アマテラスが、まるで自らの分身であるかのごとく、
とりわけ慈しんでいた女神であったらしいですな。
そうすると箸墓古墳≒モモソヒメの墓?≒ワカヒルメ≒アマテラス≒卑弥呼かw
複雑怪奇だなw
875 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:15:16 ID:qrtbD6qo0
876 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:16:21 ID:XsPri0NTO
>>850 神馬というのは、スサノオそのものの象徴なんだよ。
あれは荒馬の神でもあるのだ。
元は騎馬民族が祀ってた石馬とも関係が深い。
スサノオがイコール馬とすると「裸の馬」を放り込んで、機織り娘か「箸」でマンコ突いて死んだ、
という話は、なんの比喩かすぐ分かりそうなもんだ。
そう言えば、日本列島誕生も性描写でしたなー。
>>866 「皮をはいだ馬」というのはそのモノずばり、ムケ○ンのことじゃよ
箸って日本では、いつ頃からつかいだしたんだろね?
>>861 別にホトに箸がっていうのは日本特有のものじゃなくて、
「女性に棒が刺さる」っていうよくある昔話のパターン。
それが童話に比べると比喩表現になってないだけだな。
>>877 まさにハルトマン軍曹のののしりそのものが日本列島誕生とは
882 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:18:14 ID:jffcKjy40
>>869 >しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
箸墓古墳は、初期型前方後円墳で、
調べると、初めは円墳を作って
後から前方の部分をくっ付けたということがわかりました。
やはり、箸墓は大きさも魏志倭人伝とピッタシだし、
卑弥呼の墓である可能性は大でしょう。
ヤマトタケルノミコトはもとは小碓命という名だった。
倭健命という名を献上したのはクマソタケル。
「西国に我らより強き人なし、しかれども大倭の国に我らより強き人有り。以て我御名を奉らん。
今より後は倭健命と称うべし」
884 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:18:52 ID:gNGk0dAUO
倭人は箸を使わない。
ん?てことは大物主の話をアマテラスとスサノオのそれにかぶらせると
レイプされたので自殺したって事?
>>885 というよりお話の典型的モチーフってことだと思う。
裏になんか読むのは読み込み過ぎかと。
887 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:21:09 ID:jffcKjy40
ニュー速+板で、政治、経済、犯罪のニュースより
邪馬台国スレが猛烈な速さで伸びている事実を、
喜ばしいと感じてOK?
888 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:21:54 ID:qrtbD6qo0
とはいえなんでわざわざ一国の史書にそんなこと書いたんじゃろ。
890 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:23:06 ID:XsPri0NTO
機織り娘が、アマテラスの分身でもあったとするなら、暴れ種馬スサノオが裸で飛び込んだのは、
アマテラスの館であったのだろう。
アマテラスがトラウマになって岩戸に隠れたのも当然の話ではある。
日本の考古学者なんて、あの神の手事件でも分かるとおり、
理屈も糞もないからな。
門外漢に指摘して貰わないと、自分たちじゃ判断できないアホの集まりだから。
>>883 女装してだまし討ちしてきた相手に向かってそういう事を言えるとは、
クマソタケルはよっぽどの大人物だったか、または女装少年萌えだよなw
893 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:25:29 ID:c6yX0qKZ0
【レス抽出】
対象スレ:【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★3
キーワード:心の中
425 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/10/11(月) 14:12:49 ID:bbYySSlF0
君の心の中に
抽出レス数:1
894 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:25:30 ID:ROiOBQLnO
>>706 三内丸山とか考えると古代を縄文と弥生に分けること自体ナンセンスでは?
895 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:26:04 ID:jffcKjy40
>>883 日本って、昔から倒した相手の名前を名乗るって風習があるんだよね。
剣術の流派の小野派一刀流の流祖・小野次郎ザエモンも、決闘して切り殺した
小野善鬼の小野姓を名乗ったんだもんね。
>>884 中華思想、キライです!
>>890 アマテラス本人という一書もあって、そっちが原型じゃないかと思うの。
そうすっと天岩戸すっきりとが「死と再生」のモチーフになる。
>>706 >だからさ、第10代の崇神天皇は実在の人物として考えると、
>神武天皇の時代は縄文時代にあたるんだってばさ。
どういう理屈なんだ?
東征があったとしたら、それは弥生時代だろう。
>>892 牛若丸こと義経も女装してたよね
英雄がだまし討ちとか卑怯くさいんだけど、日本じゃ美しくあらねばならない
という美学が優先するのかな
>>854 伝説面では他の人が詳細な解説をしてくれているので、こちらからは箸の解説。
当時の箸というのは、食事用のお箸を特定して指すものではなく
棒状かへら状の細長い器具全般を示す言葉だった。
箸墓伝説の元になっている箸とは、この場合『糞箆』を指す。
トイレで大をしたあとに、この箆で肛門まわりの糞をこそぎ落とすという用途のものだね。
で、当時は独立した厠とかはなかったから、部屋の片隅に糞壷と糞箆が置かれていた。
その立てかけてあった糞箆のところに、どしんと尻餅をついたところ
ま○こに糞箆が・・・ってわけ。
全裸のスサノオ「うるぁあああああ、アマテラス、一発やらせろぉぉおおおおおおお!!」
アマテラス「きゃあああああああ」
形式美だのに拘ってだまし討ちを美談に摩り替えるのは
政権の安定期に入ってから行われる改竄作業だよね
>>888 日本書紀の神話パートは「一書(あるふみ)」の引用だらけで古事記ほど読みやすく書かれていない。
ボカしたかったのかな…?
まあ古代においては生殖は喜ばしいことで、あまり憚るという意識はなかったんだろう。
902 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:28:26 ID:gNGk0dAUO
神話なんか当てになるの?
903 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:29:01 ID:ROiOBQLnO
>>681 もともと、
ニギハヤヒ=アマテラス
だった説もあるんだわ。でその称号を現在のアマテラスに譲ったつうのん。
905 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:30:04 ID:Jm4iERYA0
>>854 陰部を矢で射らせたことじゃないかと思う。
古代には霊能力が落ちた霊能者はなるべく残虐な殺し方をすると霊能力が戻るという
迷信があった。
日食で霊能力が落ちたと見なされた卑弥呼が、自分で霊能力をとり戻そうとして
矢で射らせたんじゃないかと思う。
906 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:30:06 ID:qrtbD6qo0
>>899 ほほー。箸=チョップスティックではなかったわけか。
勉強んなったわい
908 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:30:41 ID:jffcKjy40
>>891 >日本の考古学者なんて、
イギリスの有名な考古学者で、
中世だかの人間の頭蓋骨にオランウータンの顎の骨をくっつけて
未発見の猿人の頭蓋骨を発見したって発表して
有名になった人もおりますけどw
中国でも、先日、チンギスハーンの墓や三国志の武将の墓など
続々と発見wされてますw
>>898 あ、言われてみればそうだ。
あと、酒呑童子退治の源頼光も。
「機転が利く」という肯定的な意味なのかしら。
910 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:30:53 ID:QD+Kt84z0
>>894 >古代を縄文と弥生に分けること自体ナンセンスでは?
少なくとも縄文人と弥生人は人種的に違うだろ。
ただ、縄文人がアイヌの祖先なのかは、
色々な説があるようでどうもよく分からない。
(同様に沖縄の人も)
縄文人=蝦夷というのは一応間違いないんだろうなあ。
邪馬台国は九州で、ヤマトの国が奈良にあった。
二つの王朝があって、結局ヤマトの国に統一された。
これでFA
912 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:31:22 ID:vMHG2hT60 BE:4360198199-2BP(2034)
>>901 もともと数多くの伝承があって、できるだけ全部紹介しようとした。
>>898>>909 古代だとだまし討ちは基本だな。
英雄神話でも罠にかけて殺す場合が多いし。
むしろ正面からの一騎打ちの方が少ないと思う。
914 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:32:23 ID:UzoLQVTy0
やまととととひももそひめ
915 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:32:25 ID:Ib0++yYw0
めんどくさいから両方の間とって四国あたりでいいよ。
916 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/10/11(月) 18:32:40 ID:+BrP9qNIO BE:1780750447-2BP(0)
>>898 むしろ卑怯な事に何ら罪悪感は無かったようだ。
素盞鳴尊はヤマタのオロチを酔わせて動けなくしてから斬り殺してるし。
日本武尊は出雲タケルに騙して木刀を持たせて決闘するし。
917 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:32:43 ID:bvNETT2v0
>>892 二対一だけどね。まぁつまり、いさぎのよい人物だったんだろ。熊襲猛の弟猛は。
>>898 馬琴の八犬伝で毛野胤智も女装して仇敵の館に入りこんでるね
>>892 クマソタケルは兄弟だったのだが、先に殺された方は女装のミコトに「背後から剣で刺されて」死んでいる。
つまり、…。
>>762 卑弥呼みたいなシャーマニズムの世では
巫女は生まれた時に顔(頭)を潰して奇形児にする。
キ○ガイだから始終ワケの分からん事を言う。
それを都合良く「御神託」とする。
一部の限られた者しか会えないのはそういう理由。
発掘される不自然に歪んだ頭蓋骨は大抵巫女だ。
920 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:33:38 ID:qrtbD6qo0
921 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:33:45 ID:XsPri0NTO
>>899 箸がイコール棒のことだというのなら、なおさらそんな解釈は変だろ。
裸の暴れ馬が棒でマンコ突いたって言ったら、誰がどう考えても、何の比喩か、
すぐ分かるがや。
922 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:34:16 ID:ROiOBQLnO
>>910 何世紀までが縄文で何世紀からが弥生つう区分じたいが混乱の元かと。
縄文人が高度な文化をもってなかった説もだんだん否定されてきてる。
古代前期、中期、後期でいいんじゃないかね?
923 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:35:48 ID:mLku4vSO0
(共産主義者を除き)、「世界は神によって創造された」と考える。
天照大神=卑弥呼という珍説を主張する人は、
キリスト教徒に「創造主は実在した、八百屋の倅だった」とか、
イスラム教徒に「アラーは実在した、○○国の王だった」とか言うのと同じだろ。
なんの根拠もない主張で、他人を馬鹿にしている。
世界と人間は、人間により創造されるのではない、神により創造される。
何で実在した人間が、世界や人間を創造できるのよ?
ありえない。
924 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:36:03 ID:jffcKjy40
>>902 >神話なんか当てになるの?
日本書紀に載ってる斉明天皇の土木工事も
戦後は神話だと言われていましたが、
2002年に酒船石がある山麓で
亀型遺跡が発掘され、日本書紀に書かれていたとおりの物が
出てきましたね。遺跡に使っている石のブロックも
日本書紀の記述とおり、石上の石だったのです。
925 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:36:54 ID:vMHG2hT60 BE:753615427-2BP(2034)
>>923 キリストは実在した。大工の息子だった。
926 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:37:29 ID:ROiOBQLnO
>>923 アマテラスは世界を創造してませんが?
よく読もうね。
平家物語(一の谷の奇襲)や太平記でも主人公格による平然と騙まし討ちが存在するし
陰徳太平記でも元就の汚い策略をほぼありのまま智謀としてのっけてるし
日本人(少なくとも書いた側読む側)には、騙まし討ちに対する抵抗感がそれほど無かったと思う
>>921 いや比喩や解釈じゃなくて、箸で女陰を突いたという情景描写が具体的にどんなものだったかという話。
そこからこれはなんの比喩だ?と探るわけだから、元がどんな状態を書いているのかってことさ。
929 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:37:42 ID:LC1xCwYK0
>>917 熊襲建は一見悪者に見えるけど、悪者としては描かれていないということだね。
大和朝廷の人物の方が卑怯者として描かれているんだよ。例えば、女をたぶら
かして父を裏切らせた景行天皇とか・・・
930 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:39:10 ID:mLku4vSO0
>>926 天照大神が創造主なんて、一言も言ってない。
日本の神は、天照大神が唯一神ではない。
日本は、神霊を敬い、護られてきた国だ。
>>916,
>>913 そいや縄文の話だけど、人対人でつけられたと思われる骨の傷跡を
調べると、圧倒的に後ろからの攻撃が多いんだって。あと、後ろ上方
から射掛けられた矢の跡も多い。これは木の上に潜んで通り過ぎてから
攻撃してると。
武士道なんてのは、ある意味戦いをスポーツ化するためのルールなのかも。
>>918 複雑な嗜好だな…w
932 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:40:48 ID:2ivedkWX0
>>724 弥生の年代が、さかのぼったのを知らんのか?
日本書紀信者が必死モードに入ってきたなw
934 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:41:34 ID:vMHG2hT60 BE:215318922-2BP(2100)
>>930 すると
>>923は詭弁ということになるな。
創造主と創造主でない天照大御神を同列に論じてるんだからな。
935 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:41:35 ID:o9GXaEi90
隋書を読めば、邪馬台国が大和国であるという以外の解釈はありえないんだけどね
936 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:42:15 ID:jffcKjy40
>>919 そんな頭蓋骨はペルーなんかの遺跡から出てくるもので
日本の遺跡から人工的に変形させた頭蓋骨なんか出てきたためしはないですよw
937 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:42:42 ID:/FsQ0f9R0
470 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 14:33:32 ID:qCWIV7UBO [16/41]
>>458 行路記事が一通り終わった後の長い風俗記事は、どこの「各国」なんだ?
女王国=邪馬台国そのものの記述以外に有り得んだろ。
オマエは習俗記事は女王国=邪馬台国以外ないって言ってるじゃんww
938 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:42:50 ID:qrtbD6qo0
素人の俺が口はさむのもなんだけど、魏志倭人伝の邪馬台国って暖かそうだよね随分。
あれって畿内説でも問題ないの?平均気温高かったのかな
>>935 邪馬台国の権威を簒奪して、日本の支配者となったのが大和国かもしれないしねw
940 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:43:45 ID:bvNETT2v0
>>929 そんな記述あるか?大碓命が女を見に行けと命じられてそのまま横取りしちゃったのならあるけど。
そして小碓命、それに密かに憤った景行天皇の心を何も言われてないのにそのまま受け取って
まっすぐ大碓命を殺すんだよね
>>930 創造主なんていなくても、天地自然から造化の力が勝手に湧き出してくる。
そういうイメージだよな、記紀の創世神話は。
942 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:44:48 ID:ROiOBQLnO
河南に象がいたらしいね
944 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:45:15 ID:jffcKjy40
>>922 同感です。
あと、縄文時代が原始共産主義的生活だったという説も
まったくのデタラメであることが発掘により証明されましたね。
縄文時代でも、埋葬スタイルなどから地位の格差は歴然とあったと。
945 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:45:19 ID:QD+Kt84z0
>>922 三内丸山は実際に見てきて驚いた。あれは凄い。
ただ、大陸からの渡来に伴う稲作伝来は、文化にも大きい影響与えただろ。
日本のような島国で、しかも稲が自生するような気候じゃなないところで、
縄文人だけで採集中心から稲作に移行することは明らかに無理。
そして稲作で人が集まり、備蓄も可能になり、国ができる基礎が整った。
それと、前から書いてるのだけど、神話や神武東征が九州から発してるのは、
渡来人のルーツの表れで、やはりその点で古代史は分かれるだろう。
更に、三内丸山の巨木文化は、出雲に残って古出雲大社の建築に
つながったんじゃないか。
つまり、出雲は縄文系文化。
946 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:45:26 ID:vMHG2hT60 BE:2153184285-2BP(2100)
947 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:45:36 ID:XsPri0NTO
日本の神話体系によれば、天地の想像主は天御中主神、北極星の化身。
しかし、これは創世記の神話にしか出てこなくて具体的な機能がない。
実はこれはイスラム教のアラーと同じ。
アラーもマホメットが自分で考えた教義で唯一神の機能を負わせるまでは、
365柱もいる神の名目的筆頭に過ぎなかった。
948 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:46:15 ID:oVZimIX0O
つうか古代の天皇と連なるものは九州に行き過ぎる
949 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:46:15 ID:mLku4vSO0
>>934 創造主も、皇祖神も神であり、実在しない。
人間は、神武天皇から。
キリスト教ならキリストから、またムハンマドは実在した。
しかし実存しない神を、何の根拠もなく結びつけるのは、他人を馬鹿にしている。
世界と人間は、人間が創造するのではない、神が創造する。
950 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:46:21 ID:/FsQ0f9R0
習俗記事が当て嵌まるかどうかなんかどうでも良いよw
辻褄が合わなければ棄てれば良いし、九州にだけ適応するとか抜かすならそれも倭だしw
習俗記事は、邪馬台国の位置と関係ないからw
>>938 大雑把に言うと、古墳寒冷期が始まる前だから、
現代程度には暖かかった気がする。今でも西日本では
冬野菜はできるよね。
邪馬台国の起源は朝鮮
>>937 「言葉足らずだった」と訂正した。すまんこ。
954 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:47:02 ID:vMHG2hT60 BE:4360198199-2BP(2100)
ジャマイカだろ
956 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:48:25 ID:ngRqAXyL0
気候や海産物の記述からすると九州しかない
957 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:48:33 ID:o9GXaEi90
>>939 邪馬台国は単なる地名なので
単なる地名に権威なんてありません
>>936 いやありますよ。
弥生中後期と思われるもので、板状のもので頭蓋骨を変形させている遺体が
トンカラリン近くの熊本の前原長溝遺跡などで出土しています。
これは古墳時代に入っても、また近くにある松坂古墳の被葬者でも確認されているので
その意味や由来はまた別の話として、あるという事だけは事実です。
959 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:49:07 ID:vMHG2hT60 BE:3391265197-2BP(2100)
>>949 魏志の記述と記紀の記述が類似しているとか根拠はある。
960 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:49:08 ID:ROiOBQLnO
>>931 現代人が想像する武士道なんてのは、一藩の藩則である葉隠を元に
新渡部のオッサンが書いたもんだからな。
そもそもの士道とは違う。
961 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:49:47 ID:jffcKjy40
>>945 >しかも稲が自生するような気候じゃなないところで、
縄文人は人工的な栗園も作り
稲も自然の米を栽培していたのですよ。
稲が自生するような気候じゃないというのは
誤りですね。
ていうか今の野山に生えてる栗木も多くは人間の植えたものだよね
山の中にも植えとかないと獣が人里に下りてくるので、山の中にも植える
>>951 自己レス。
でも後漢末の戦乱は東アジア全体の気候不順(低温・乾燥)の
結果だという話もあるし、日本も寒かったかも知れん。
964 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:52:10 ID:2ivedkWX0
弥生の年代が、広がったのは、基礎中の基礎だから勉強して書けよ
965 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:53:04 ID:QD+Kt84z0
>>961 日本の湿地帯で稲が群生しているか?
稲が栽培できるというのは教えてもらったんだろ。
山にいくらでもあった栗を自分たちで植えてみようというのとは
レベルが違う。
966 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:53:12 ID:qrtbD6qo0
変形頭蓋骨ってこれか
books.google.co.jp/books?id=Mn1IrSgm8FoC&pg=PA77&lpg=PA77&dq=#v=onepage&q=&f=false
967 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:53:25 ID:jffcKjy40
>>958 その頭蓋骨がシャーマンの頭蓋骨だって
何で証明できるの?
そもそも奈良でそういう頭蓋骨が発見されてるの?
それは九州の一地方の文化ってだけものでしょ。
ヤマト王権で行われたものでは無いだろw
968 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:53:38 ID:vMHG2hT60 BE:645956126-2BP(2100)
すっかり邪馬台国関係なくなってるなw
どっちにしろ卑弥呼の国って乱立する国の中の一つやろ?
それが近畿にあったとして、九州まで行って無事に中国に行けるのか?
そんな支配力無いだろ。
>>931 武士道を云々というなら
刀を預かるもんが油断なんてどこでやっても駄目だろ
礼をするときだって相手から目線を外すなって教わるんだぜ
そもそも対峙するのは暴れん坊であって普通に田圃耕して生きてる民じゃねんだから
卑怯云々が的外れなんじゃね。
971 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:54:38 ID:iZudVnp00
>>936 いや、日本でも変形頭蓋骨の巫女さんと思われる物は発見されているよ。
>そして日本の熊本にトンカラリンという遺跡があります。
>この遺跡は伝承も無く、作られた目的もいつ頃作られたのかも判らない不思議な遺跡で、
>地下に向かうトンネル型の遺跡なのです。
>昭和50年代に作家の松本清張がトンカラリンを訪れ、魏
>志倭人伝の一節から邪馬台国の卑弥呼の祭祀施設であるとの説を唱えたので有名になったそうだ。
>エジプト考古学者の吉村作治先生もこのトンカラリンに訪れ、ピラミッドとの奇妙な一致を解説していますけどね。
>そのトンカラリン周辺からも、後頭部が伸びた長頭の変形頭蓋骨が発見されている。
>これら頭蓋骨は発掘した考古学者によると、ペルーと同じく人工的に変形された頭蓋骨だという。
>なぜ人工的に頭蓋骨を変形させたかというと、頭蓋骨が長い人は神と交信できると信じられていて、
>おそらく巫女の頭蓋骨であろうと言われている。すなわち、トンカラリンの地下祭祀で変形頭蓋骨の
>巫女が神と交信してたと考えられる訳です
http://bloom.at.webry.info/200807/article_5.html
>>963 崇神天皇のあたりは読んでてすごい寒そうだ。
倭人伝の気候風土と合致しそうにない。
>>967 >その意味や由来はまた別の話として
とわざわざ書いているのにw
シャーマンだとかヤマトだとかじゃなく、日本にはないって
>>936で書いてたから
いや日本にもありますよって話なんですけどねw
974 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:55:45 ID:2ivedkWX0
70年代で、知識が止まっているバカは、書くなよ
975 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:56:09 ID:rXnXNQEF0
機内に確定しているし日巫女はヤマトトトヒモモソヒメ、陵墓は箸墓古墳
九州の北半分は卑弥呼に属する国々、南半分は熊襲で黒潮連合大和の長がいた場所
大和の南には熊野がありこれもまた北の卑弥呼に敵対した勢力、黒潮連合と呼応し
邪馬台国連合を脅迫・懐柔・屈服させ、やっつけた!これが真実
976 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:56:41 ID:XsPri0NTO
>>154 いや、実はそれこそがマホメットが言い出した教義に過ぎない。
歴史的に見れば、アラーは明らかに多神教の中の一柱。
日本の天御中主と同じ。
それをヤハゥェと同じものだと言い出し、旧約聖書の正統解釈がイスラム教だと言い出したから、
ユダヤ教やキリスト教との間に永遠に終わらぬ争いをもたらした。
日本みたく独自の神話体系を持ってる文明に対しては、あれはあれ、これはこれ、
で済むだけの話だが。
977 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:56:52 ID:jffcKjy40
>>965 >日本の湿地帯で稲が群生しているか?
縄文時代には、既に野生の稲を人間が採取して
稲の栽培を人工的に行っていた事実が遺跡から発掘されていますね。
日本神話が書かれたのは700年代だろ。
979 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:57:58 ID:bCNPtlFr0
>>960 ちと違う
戦国時代までは実践の武士道
江戸時代は夢想の武士道
980 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:58:50 ID:vMHG2hT60 BE:430637142-2BP(2100)
>>975 西に辺の大部分を支配する強大な国家が、何で南九州を領有しているの過ぎない熊襲相手に魏の力を借りるんだよw
981 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:59:11 ID:jsCGGrEmO
〜ケ里って地名は昔、何かの墓だった地域ってこと?
982 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:59:53 ID:qrtbD6qo0
全然関係無いけど熊本のトンカラリンってオモシロイな。初めて知ったわ
983 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 18:59:54 ID:mLku4vSO0
>>979 今風に言えば、
戦国時代は実践の武士道 :帝国陸海軍
江戸時代は「形」の武士道:自衛隊
だね。
邪馬台国の中の大きな集落(国)にヒミコという女王がいた
985 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:00:21 ID:2ivedkWX0
モモソヒメのこともちゃんと調べないようなバカサヨクが
無知自慢の書き込みしてるのは痛すぎる
986 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:00:28 ID:jffcKjy40
>>975 >黒潮連合
熱意は理解できるが、
もう少しなんとかしたネーミングにしてもらえないものか?
これでは珍走団的すぎます。
>>972 たしかに。
やたらと「神を祭ったら五穀豊穣になった」「将軍を遣わして国を平定した」とか
業績が多いけど、ようするに飢饉やら反乱やらが続いてたってことだよね。
988 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:00:37 ID:vMHG2hT60 BE:645956126-2BP(2100)
989 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:00:53 ID:ROiOBQLnO
>>979 いや、江戸時代でさえ今いう武士道とは違う。
今の武士道は政府が体制支配に使いやすい思想だったから積極的に広めた。
990 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:00:57 ID:QD+Kt84z0
>>977 そりゃ、大陸文化がわずかながら入ってきてた程度のものだろ。
縄文時代だって、大陸と無交流なんてことはあり得ない。
ただ、本格的稲作は渡来文化。
それと、縄文人と弥生人は同じなのか。
世界で指折りの軍事力を保有しながら隣の国に土下座しちゃう現状を見ると
卑弥呼の国が大国だったとしても
びびって外の国に救援を…というのも有りえないとは言いきらないのであった
992 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:01:03 ID:9XVxi1N90
じゃま大国?
お隣にあるじゃん
993 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:02:01 ID:gNGk0dAUO
神話学や構造主義の分析しても邪馬台国=八女説は揺るがない。
ケケケ
994 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:02:34 ID:rXnXNQEF0
熊襲は勇猛だろう、ましてや宮崎から出土した鉄器類は目を見張る
神武東征にもかさなる
>>987 疫病も蔓延してた。インフルエンザだろうか。
996 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:03:20 ID:jffcKjy40
>>978 それまで各地の豪族等に伝わっていた神話を
天武天皇がまとめさせたものが日本書記。
古事記も同時期に。
風土記は各地方の豪族に自主的に編纂させた為、
出雲の国風土記などには、記紀とは違う内容の神話が書かれている。
997 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:03:34 ID:ROiOBQLnO
>>990 ぶっちゃけ水稲作は南方由来で半島はまったく関係ないらしいね。
琉球など南方人て縄文系に近いのはなんでだろうね?
邪魔大国って読まないのはなんで?
999 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:04:21 ID:bvNETT2v0
>>989 あのさ
明治政府って太平記の楠正成を忠君と称えてなかったか?
でもあれも正面から堂々、じゃなくて謀で相手騙して勝つタイプだぜ。
ニトベの武士道なんか誰が好んだんだか知らんが、すげぇ浮いた存在にしか見えん
いわゆる「上流階級の振りしてる連中が知ったかで武士道ってのは〜ってのを語るための教科書」みたいな。
1000 :
名無しさん@十一周年:2010/10/11(月) 19:04:48 ID:GflhcLnj0
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