【文化】邪馬台国はどこ? ライバルを迎え企画展 吉野ケ里公園
1 :
残業主夫φ ★:
★邪馬台国はどこ? ライバル迎え企画展 吉野ケ里公園
九州か近畿か――。佐賀県の吉野ケ里歴史公園で2日、古代史最大の謎といわれる
邪馬台国論争を考える企画展が始まった。九州説を支える吉野ケ里遺跡と、畿内(近畿)説を
勢いづかせている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の出土品を中心に展示する。10日には
パネルディスカッションで、双方の遺跡の関係者や考古学者が持論をたたかわせる。
11月28日まで。
吉野ケ里遺跡で出土した鉄製の武器や工具、纒向遺跡の銅鐸(どうたく)片や木製の仮面などを
それぞれ約100点ずつ展示している。邪馬台国論争の基本やその意義、九州説と近畿説のポイントも
解説している。
吉野ケ里遺跡の発掘に携わった佐賀女子短大理事長の高島忠平さん(70)が展示を監修した。
高島さんは「九州説と近畿説を支える両雄の史料を対置させた。見学者は自分なりの邪馬台国論を
考えてほしい」と話しつつ、「中国や朝鮮との交流が盛んだった九州と比べ、畿内説は国際性が弱い」と、
ライバルを迎える自信を示している。
▽ソース 朝日新聞(asahi.com) 2010年10月3日1時33分
http://www.asahi.com/culture/update/1002/SEB201010020037.html
2 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:29:29 ID:vXTPas1eO
壱岐対馬あたり
じ、邪馬台国
またか。この手のスレで何度も九州と結論が出てるだろ。
邪馬台国議論は中国側の資料頼みというのが何か物悲しい・・・
いや畿内だろ ほんとはヤマ「ト」国なんだし
大人の事情で九州説も残しておいてやってるだけと聞いたが
7 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:34:14 ID:03Goq0K20
普通に考えて韓半島のどこかだろ
8 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:34:37 ID:+DEwJ3KE0
親魏倭王印はまだ九州の何処かに眠ってるのだろうか・・・
とうの昔に溶かされたんだろうか・・・
大都会に決まってるだろ。
邪馬台国って、今でいう「○○銀座」みたいなもんらしいぜ
各地で自然発生的に出来た小国を「邪馬台国」と呼んでいただけ
11 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:35:14 ID:IJb2wFMD0
邪馬台国東遷
南九州邪馬台国→畿内大和
12 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:36:09 ID:r4R6wyZE0
九州はありえないからあきらめろん。
畿内で決着を見てんだけど
まだ諦め切れない人がいるんだな。
14 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:36:47 ID:Ef1FRSz60
インド経由でヤマ神(閻魔)崇拝から来てるんじゃね?
15 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:38:38 ID:dYMihvBrO
出雲だけど、資料を天皇サイドに燃やされた
16 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:39:07 ID:PwBHwl/g0
九州に有ったかも知らん。
それは否定せんが、なんで吉野ヶ里みたいな小規模の遺跡が、それだと
いうことになってるんだね。
あれが邪馬台国だというのなら、邪馬台国が古代日本の首府だというのは
全くの勘違いで、別にどうでもいい小規模な勢力だったということだ。
あくまで文書の記述に拘るなら、隋志によれば、魏志にある邪馬台国は
奈良のことだと書いてある。決着済みで終了だ。
半島ニダ!!!!!!
>>5 文献としての資料は中国にしかないからね。
ただ発掘品はあるんだから、どの時代にどこが盛んだったかははっきり示せる。
ただ、大国があったことが示せても、それが邪馬台国だったかどうかを示すのは難しい。
19 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:44:30 ID:pCqzk10/0
学術上は畿内
商売上は九州
とっくに結論出てるでしょ
20 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 02:46:59 ID:y7dKisOP0
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
盗聴男 奥村倫弘
もう間をとって千葉でいいな
韓国にあるんじゃなかったけ?
高天原も韓国の大学内にあったんですよ?
それの証拠に記念碑もみたことあるヨ!
>>8 晋とも付き合いがあるから、簒奪・国号変更の際に返却したんじゃないか。
親晋の印が作られたのかは知らん。
24 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:01:35 ID:aaJVUKIVO
邪馬台国はどこかって?
ハハハハは、
それはね
僕の心の中に有るのさ
vmd
25 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:01:45 ID:r4R6wyZE0
<`∀´>
26 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:07:31 ID:m0+SXYv80
まだ、九州の田舎者は、邪馬台国にしがみついてるのか。
まるで、チャンコロと同じニダ
28 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:11:09 ID:5q+IoXXm0
東大阪とか奈良あたりにいっぱいヤマト顔の奴が居るのが畿内説の動かぬ証拠
肝炎01のブスとか雨上がりの蛍原とか古代人だろどう見ても
29 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:13:01 ID:ryhx8dFJ0
ここ十年くらいの動きで近畿説がかなり優位に立ったと記憶しているんだけど。
30 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:17:32 ID:1Bf3O58GP
>>29 とっくに近畿で確定してるのに九州人が必至に粘ってるだけ
尖閣諸島にあったことにすれば万事解決する。
沖縄は「沖の倭」
別に確定はしてないと思うが・・・
奈良のヤマト政権のいつかの時期のルーツが邪馬台国であることと
奈良のヤマト政権のルーツが同じく九州の甘木を中心とした勢力にあったことは
矛盾しないと思うが。
魏の使者たちが訪問した頃の邪馬台国がどこ(どちら)であったかはわからないが。
畿内だ九州だと言い合ってること自体が楽しい
邪馬台国は四国東部にあったという説もあるよね。
学問的にはどうかしらんが、魅力的な説だね。
35 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:32:09 ID:i8bSE6hW0
魏志倭人伝は日本のために作られたわけじゃないのにね。正確には「『三国志』魏書東夷伝倭人条」
東夷とは、旧満州、地朝鮮半島、日本のことで、移動の仕方や、移動速度など同じ様式で書かれてるんだよ
とにかく占いをして縁起の悪い日は行動しないから、一週間の実働はうち三、四日しかないんだよ。
実際、九州に上陸してからも、北地九州の村々を移動して、日本人の感覚では非常にゆっくり移動してる。
よくて九州中部にしかこれてないはず。
中国てそんなに信用出来るのかよ
東寺の役人が適当に描いただけかもしれないのに
クマソの国の位置なんぞどうでもいいよ
>>35 自分も同じ意見だな>ゆっくり移動
魏誌の頃の邪馬台国は九州にあった
その後、分裂か滅びるか何かして、残党の一部が奈良へ移住し
ヤマト政権を作るか、既存のを乗っ取るか何かした
それがいちばんすっきりすると思うんだがな
39 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:38:00 ID:i8bSE6hW0
>>36 いい加減な地図では、広大な中国大陸を移動してる間に死にますよ
>>36 古代中国人は
民族的に今の中国人とは別系統らしいよ
本当にそういうデータがあるんだってさ
邪馬台国のあった場所は日本。
細かい位置なんてどーでもいい
ヤマト王権は各地のハイブリッドだろうな
邪馬台国は畿内にあったと思うが
ヤマト王権になるには九州勢力による侵略ないし、融合はあったと思うがなぁ
神武東征はその名残だろうね
白村江で負けるまでは日本はかなりの海軍力と外洋航海技術はもってたろうしな
まぁ半島南部には日本のコロニーがたくさんあったしな
>>40 黄巾の乱で人口メチャ減ったからな
一説には呉は人口増やすために人狩りを九州や沖縄なんかにしに行ってたぐらいだからな
44 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:48:18 ID:cCa4WH/60
大分と宮崎の間のどこか。
理由@豊(トヨ)の国宇佐美神社と天孫降臨伝承地の間だから。
理由A出雲に遠征する拠点とできる。
理由B大和に遠征する拠点とできる。
日本最初の男の娘ことヤマトタケルが実在したのかどうかのほうが気になるなぁ
いずれにしても邪馬台国の時期にだけスポットを当てて日本のルーツを想像するのは間違いだと思う。
弥生以前の遺跡は関東の方が豊富に存在しているだろ?
おそらく実際の大和朝廷の創世記は今考えられているような物語とは全然違うのだと思うな。
仁徳天皇の出自を見ても関東圏に謎の巨大勢力があったことは間違いないもの。
47 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 03:55:34 ID:U29hie7cO
いつも疑問に思ってることがある。
中国の歴史書に登場する他国の固有名詞の書かれた当時の発音……
「邪馬台」を今の日本人は「やまたい」と発音するけど、
これを書いた中国人はまさか「やまたい」と発音してたのかな?
むかしの日本人は、やまとと発音してたんじゃないかしら
49 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:01:05 ID:cCa4WH/60
>>45 実在はしてたと思う。自分の子供が大王になって、自分が大王になれなかった
最初の人だからね。実在してないとしたら、あえてなぜ実在してたと後から
言われるようになったかが、あまり上手く説明できない。
邪馬台国が特定されたとしても、統一王朝の成立過程は謎のままだけどな
>>47 発音は時代によってまちまちだからあまり気にしない方がいいと思う。
アルファベットでJapanあるいはJipangと綴るように戦国時代辺りでは
『ジッポン』と称していた可能性が高い。
更に遡るとFの発音がPHになり、ハングルに近いものになる。
今日でもハングル圏の人たちは訓練しないとFやBが発音できずP音になってしまう。
(Book→プック、Fortress→ポトリス、など)
52 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:08:16 ID:J3vno/J10
九州併合までは九州説を支持するアルね
それからは畿内説支持アルよ
>>46 弥生時代から青森、新潟、九州と交易してた形跡があるんだよね
大分には大きな勢力があっただろうね
瀬戸内に点在している高地性集落もそれの名残かもね
九州王朝説は胡散臭いが、ある程度の時期まで
日本には畿内と九州に大きな勢力が並立してたろうなとは思う
結局、記紀以前の史書は日本にはないし、支那の史書にそこんとこかかれてないしな
まぁヤマト王権が邪馬台国の末裔なら記紀に卑弥呼のことが書かれてもいいのにとは思うがなぁ
54 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:11:21 ID:cCa4WH/60
たとえば、オバマさんは、日本語で「オバマ」と書くんだけど、もし仮に、英語
が廃れて、後代に伝わらなかった場合、この日本語の記録の「オバマ」さんが
残り、数千年後「オバマ」は「ogawa」と発音する文字という事になっていたら、
当時のアメリカの大統領はオガワさん、と言う事になる。
55 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:15:26 ID:cCa4WH/60
>>53 記紀に邪馬台国に関する記述が無い事が、江戸時代の国学者と、今の韓国の日本
史研究家を悩ませてるね。(ま、後者がなぜ悩んでいるのかは知ったこっちゃ
ないですが)
>九州か近畿か
北海道、サハリン、グァム、ハワイあたりも候補に入れとけよ。
とんでもだらけのスレだな
ちゃんと一通り資料に自分で目を通してからレスしろ
畿内説で、卑弥呼がモモソヒメで、弟が崇神天皇だ
と言ってるけど、だとすると
天皇より上の人間がいたってことになって
日本史的にとんでもないことになるんじゃないの。
まぁ記紀つくったやつらは賢いなと思うわ
特に神代の時代をな
日本各地の勢力を吸収(征服)したのを神話にすることによって
柔らかくして従属させようとしたんだからな
いってみれば日本最初のナショナリズムってやつかな
日本って面白いのが、権力者ががわろうが、政権ががわろうが対外的には一貫して日本なんだよな
室町幕府だろうが江戸幕府だろうが明治政府だろうがな
60 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:19:28 ID:0AF06ZZc0
もともと江戸時代ぐらいまでは「ヤマト」と呼んでたんだよね
それを国学者の本居宣長が「ヤマタイ」と呼びだした
邪馬台国は中国に朝貢にしてたから中国の属国だもんね
それが続いているとまずいと考えたんだろう
61 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:22:13 ID:i8bSE6hW0
邪馬台国の読みがヤマトに似てるから、機内いの箸墓古墳とか話になるんだろうけど
九州にも山門(ヤマト)や八女(ヤメ)とかあるしね
現在の大和(ヤマト)は当て字だけど、正確に漢字で書くと山戸。水戸や川戸なんかと同じ
形態の古い地名で、戸は周辺を表す接尾語で、山の見える場所ならどこだって、ヤマトと
呼ばれててもおかしくないし、特別な地名じゃなかった
個人的には邪馬台国は国家の名前じゃなくて、自分たちの国はヤマト(山の近くにある)
と説明したのを、中国使節団が邪馬台国(ヤマト国)と記しただけだと思ってる
>>52 中国の学者は、一貫して畿内説支持だよ。
「日本は古代、中国に朝貢していた」
元々日本は八百万の神って、いっぱい神様いたんだし、上がいても不思議じゃ無いはず
64 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:24:27 ID:cCa4WH/60
>>60 記紀編集の時期は、特に「日中の上下関係」の表記は、細心の注意が必要
だっただろうね。中国や他の東アジア諸国に恥じぬ国書としての編纂だから、
なおさらだろうね。
>>61 連合を形成する30ヶ国の名前をずらずらっと
並べて、その中に邪馬台国、女王がいるところ
と書いてるんだから、名前だろう
>>58 卑弥呼が一番偉いなんてのは別に誰がいったかわからないですがな
あくまで支那側がそう受け取ったわけですし
もしかすると卑弥呼は超時空シンデレラだったのかもしれない
だって祭り上げらかたがアイドルじゃんまんま(笑)
68 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:30:22 ID:yF/BtQh60
九州説はもう詰んでるだろ。
大体、国際性てw
当時は後進国の日本の一大国家が首都を大陸から攻め易いところに置いたとでも?
69 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:32:07 ID:XWLwU4yH0
そんなことより
卑弥呼ってかわいいんですか?
70 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:32:10 ID:0AF06ZZc0
>>58 卑弥呼=神功皇后説もあるね
モモソ姫の伝説も面白いよね
大物主とセクスしようとした時に
大物主の正体を見たら小さなヘビで
見られた大物主は怒って帰っちゃう
で、モモソ姫は箸でマンコをつらぬいて死んでしまう・・・という伝説
大物主という名前が巨根を思わせるけど
正体である小さなヘビというのはちっちゃいチンコということだろう
箸だって細いチンコの暗喩だろうし
どうしてこんな下ネタなのかと思わせる
箸墓の伝説は大物主を笑い者にしているように感じる
千年を超えるゴシップってすごい
>>63 自分の想像では『五色人祭』『八百万の神』『和をもって尊しとなす』などの
当時の文化から察するに相当、民族的にも文化的にも複雑だったのだと思う。
地政学的にも北から、南から、西からと日本列島へのルートが沢山ある。
なので邪馬台国といっても数あるルーツの一つに過ぎないと思う。
製鉄文化の発展具合から見ても、関東には相当な軍事力をもった勢力が存在したはずだし、
その記録が全く残されていないのは明らかにおかしい。
おそらく伝統的に日本列島を支配していた勢力は関東にあったのだと思う。
72 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:33:16 ID:cCa4WH/60
>>63 参考文献が複数あれば、多数の八百万の神の上下関係や相関関係を、もっと
客観的に割り出せたかもね。でも、最初に文字化して国内定着させた所が
当時の中央政府の大和王朝だから、大和王朝の八百万神話体系が、そのまま
日本の神話体系となってしまった感はありますね。(実際の当時は上下逆
だったかも?と言うのはありえますよ)
>>66 倭から来た使者がそう言ったからそう記録したんだろう。
そして実際に行ってみたら、本当に鬼道で国を動かしてた
卑弥呼が偉くないなら、死んだ後になぜ男王を立てる。
それにみんなが服さずに内乱になり、1000人以上が死んだ
なんてことになぜなる。
74 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:36:49 ID:cCa4WH/60
>>66 当時の中国派遣団が考えていた「王」と、その質問に答えた日本人側の担当官
の考えた「王」と、全く違う概念だったかもしれないね。
たとえば、今の日本に、外国人が来て「日本の大統領は誰ですか?」と聞かれた
ら、答えに困るだろうし。
>>58 神武の長男は、綏靖天皇の母親の五十鈴タンと結婚したから
俺が天皇だって言い張って綏靖天皇を殺そうとした、そこで
綏靖天皇は五十鈴タンの妹の五十鈴依タンと結婚して
天皇になったね。
あの当時は、男系じゃなくて女系で見た方がいいんでないかい?
エジプト王家が、奥さんが王家の正統後継者で旦那がファラオ
になるって話だし。
将軍や摂政・関白と同じで、権威はかーちゃんが持ち、権力は
とーちゃんが持っていたんじゃないか?
76 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:37:14 ID:lndq9eYi0
\冏/
川
人
>>64 自分は記紀が本当に消し去りたかったのは『謎の関東勢力』だと見ている。
何かにつけて『西から来た』ことを強調しているし、
不自然なほど関東地方に触れない。
『関東には何も無かった』ことにしたい様子がありありだけど、
実際には日本の製鉄文化は関東〜東北に起源がある。
78 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:39:28 ID:0AF06ZZc0
魏志倭人伝には邪馬台国の使いは
全身にイレズミをしてたって書いてあるよね
それが不思議
日本よりもっと南洋系の文化のように思える
九州にも近畿にも多少はイレズミもあったんだろうけど
どうして無くなったんだろう?
沖縄には少し残っているよね ハヂチとか言ったっけ?
79 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:39:33 ID:k1z8ELziO
中国側の文献では、九州で決着を見ている。
畿内説を唱える場合、その文献で記されている位置は、当時の測量技術よりいい加減という主張の基にさまざまな主張をしている
が、
その場合、同文献にある国の規模は“正しい”という前述の主張と矛盾した前提で話をしている。
82 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:45:43 ID:lndq9eYi0
\冏/
川
人
>>81 そうそれ。凄いインパクトだったわ
腹抱えて笑った記憶がある。
84 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:46:52 ID:24JzGymW0
そりゃ大陸・半島の人間は九州説だろ
彼ら曰く、大陸からの騎馬民族が日本を制したってことなんだから。
85 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:47:22 ID:0AF06ZZc0
纒向から金印でかたどった封泥が出てきたら間違い無いんだけどね
86 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:49:07 ID:i8bSE6hW0
月間「ムー」の記紀の舞台は四国だったはおもしろかったな。国譲り神話は四国の王朝から、
内地の王朝に権限を委譲したんだみたいな内容。
荒唐無稽なんだろうけど、おもしろかった
87 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 04:49:23 ID:cCa4WH/60
ま、個人感想だけで言わせて貰えば、関東王国、あったとしても余裕で消されて
いるでしょう。
大和王朝の最後のライバルの出雲ですら、あの封じ込めの念の入りようから
したら。かなり無理して「大和神話に編入した」とも見れるし。
まきむくだよ
実際に関東勢力は、後に消されたんだろう。
ヤマトタケルの伝説やら、後の蝦夷討伐の歴史からして。
90 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 05:00:20 ID:VZN9Ac+90
×倭人
○和人
×邪馬台国
○大和国
×卑弥呼
○日命=天照大神
の事だと個人的に思うんだけどね…
>>90 天照大神は高天原を統一してるんじゃなかったっけか
神道はややこしくて詳しくないが
>>87 おそらく段階を踏んで消されたのだと思うよ。
例えば大和朝廷成立時の重臣『毛野氏』に着目すると、
彼らは崇神天皇の末裔を称している一方で独自の強大な軍事力を背景に
豪族としては格別の扱いを受けている。
それに毛野という姓自体『"毛深くて野蛮"という意味じゃないの?』と突っ込みたくなる。
彼らが元々は大和側ではなく蝦夷側に属していたであろうことは想像に容易いと思うな。
どこかの段階で関東勢力が分裂した名残が『毛野氏』なのだと考えるのは自然な推察だと思う。
「日本書紀」の編纂を命じた当時の為政者は
ニギハヤヒの存在を抹殺することを命じた。
困った日本書紀の作者たちは、一つの偽装方法を考えだした。
イワレヒコ(神武天皇)が、日向から伯父であるニギハヤヒの住む大和を訪ねたことから、
神武天皇の条にニギハヤヒの足跡を混在させる壮大な創作ドラマを思いついた。
ニギハヤヒに関する古文書廃棄、宝物の隠蔽、そしてニギハヤヒを祀ってある
神社から名前は削除され、または改名を命じられた。
正直なところ、これほど大掛かりな隠蔽工作をした例は、日本歴史の中でもほかには見られない。
まずニギハヤヒの父親であるスサノオを、神話の中の神とした。
この結果、他のすべての実在の人物が神さまに変身させられた。
スサノオの正妻であるクシイナタヒメはヤマタノオロチに食べられる娘に、
日向の妻である卑弥呼は、天照大神に昇神させられてしまったのである。
その工作は卑弥呼の子供たちにまで及んでいる。
たとえば豊玉姫と結婚して鹿児島県の指宿に住んでいた卑弥呼の四男、イクツヒコネノミコトは
海彦山彦の話の海彦に、そして豊玉姫は竜宮城の乙姫さまにさせられてしまったのである。
また出雲の大国主神のオオクニは因幡の白兎の神話の主人公になっているのである。
このように作者たちは卑弥呼とその一族を神にして抹消する事には成功したが、
ニギハヤヒに関してはそう簡単にはいかなかった。
なぜならば、ニギハヤヒの行動をすべて抹消してしまうと、日本の建国そのものが消えてしまうのだ。
そこで作者たちが考えたのは、ニギハヤヒの代理を創ってその功績をすり替えてしまうことだった。
その代役が、ほかでもない神武天皇だったのである。
イワレヒコが大和に来たのは240年頃であり、ニギハヤヒは220年頃に奈良の三輪山ですでに死んでいた。
にわかには信じがたい話かもしれないが、この仮説をこれから実証していきたいと思う。
まっわかっちゃうと浪漫ないからなぁ
死ぬ三日前にわかればいいな
95 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 05:22:40 ID:cCa4WH/60
>>92 なるほど、一旦組み込まれかけて、その後に段階的に消されたという切り口
ですな。
瀬戸内海周縁の諸国の「制圧」に関しては、同祖神を配慮したような「奸智の
言い訳」のような記述が多いのに、熊襲や蝦夷に関しては「歯向かいやがった
からやっつけてやった」みたいな軽い表記なのも、このギャップも何か、行間
の隠し扉があるのかもしれませんねぇ。
出雲とかは、制圧する理由が「神の祭り方を間違えた」ので、正す為に遠征
したという事ですから、字義通りとれば、少なくとも「類似の神話体系」を
共有すると言う事にもなるし。偏屈に取れば「組み込んだ後に言い訳を考え
た」とも取れます。
熊襲や蝦夷は、「後に言い訳をする必要が無かった」とすれば、理由として
@言い訳する必要が無い程文明が低かった、か、A言い訳する必要が無い
(根絶やしにされた)という、二つの可能性しか無いワケですな。
仰っている理窟は理解できます。(ただ、立証も難しそうだけど)
96 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 05:38:49 ID:cCa4WH/60
>>93 スサノウが本来の絶対神でニギハヤヒがその正統の後継者という切り口です
な。で、これを記紀編纂時に抹消したかったが、抹消し切れなかったので、
断念してニニギ(神武)を登場させたという筋ですか。ふむ。それも一考の
余地はあるかもね。ニニギとニギハヤヒとの関係性も、記紀を文字通り読むと
確かに違和感は感じますからね。わからんでもない切り口だと思います。
私個人は、ニギハヤヒが大和地元政権の長(瀬戸内海ヤマタイ文化圏の一部)
として、ニニギはその後の、大和地方巡察官として、とらえていますが。
97 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 05:58:47 ID:oh56DDgV0
>>58 >>62 ヤマトの王が臣下になるのはまずいから
巫女の長を王としたってことで
記紀は藤原不比等ちゃんの思惑がふんだんにはいっているからな
特に日本書紀はな
そもそも本当にあったのか
100 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 07:06:54 ID:xPjbxXcoP
卑弥呼のお兄さんが桃太郎
このスレで、歴史読本や作家の書いた邪馬台国論しか読んでないくせに
九州説をいまだに唱えてるやつが意外と多いのが笑える。
所詮2ちゃんねるは、シロウトとアマチュアの集まりなのがよくわかる。
>>96 そこまで血統的な関連性を求めるのは無理があると思う。
例えば、先程挙げた『毛野氏』は姓から察しても毛深い蝦夷の一族であろうに
豊城入彦命(崇神天皇の第一皇子)の末裔を称しているけども、
これはおそらくは彼らは地域的に富士山信仰を強く持っていたであろうことから
浅間神社を創建した垂仁天皇(崇神天皇の第三皇子)にコジ付けて
『自分達こそ正当な皇統である』旨を大和朝廷に対して主張していた形跡だと察せられる。
だとすれば、当時の権力者にはすでに血縁ではない自覚があったとしても、
歴史上の人物を政治的に利用する行動原理が存在したということだと思う。
>>98 そりゃそうでしょ。
過去資料の焚書はまず事実だろうし。
昔、魏志倭人伝の記述だけから邪馬台国の場所をさぐろうとしたけど、
福岡に上陸するところまではガチ。
問題の「水行◯日」までは確実に九州北部にいる。
そこから何処に向かったかが問題だね。
ちなみに九州北部から水行してるから、九州説は魏志倭人伝的にはあり得ない。
さらに言及すると個人的に古代日本の政権があったとすれば
それは『富士山の近郊』で無ければ信仰上おかしいと思う。
『富士山の近郊を押えること=天下獲り』だった時代が必ず存在するはず。
太陽神アマテラスが『天の岩戸に隠れてしまった』など
富士山の噴火を暗示する逸話が多く残されているように、
古代の日本は富士山を中心に展開し、その噴火の度に栄枯盛衰があったものと想像するな。
>>86 四国説は荒唐無稽と言うより逆行なんだよ。
国譲り・神武東征で破れた建御名方命の一族は東国や科野、
そして讃岐に逃れた。讃岐にもなんらかの地盤があったと考えられているけど
別にそこが発祥とか本拠地だった訳ではない。
後にも諏訪神三十三家のひとつが信濃の領地を捨てて讃岐に移住したりしてる。
>>102 >『毛野氏』は姓から察しても毛深い蝦夷の一族であろうに
毛野は地名姓。ただの当て字。毛=毛深いとかいう発想は初歩的な間違い。
戦後の歴史家なんかも好んで取り入れた捏造に近い妄想だ。
長髄彦は脛の長い野蛮な民族だとか珍説がまかり通ってたのと同類。
>>105 >毛野は地名姓。
それこそ逆でしょ。
毛野氏が治めていた地域が現在の上毛高原などの地名として残っている。
毛野姓はおそらく体毛が濃い蝦夷の一族に対する蔑称。
>>106 思い込みが強くて見直す気はないだろうけど、その一文がある限り
全ての書き込みが嘘臭く見えるよ。
毛野氏とは正確には上毛野氏と下毛野氏のことだけど、あなたの説に寄れば
上毛野氏は胸毛が濃くて下毛野氏は陰毛が濃いのか?w
同じ毛野氏でも人種が違うのね?
>毛野氏が治めていた地域が現在の上毛高原などの地名として残っている。
毛野国は毛野氏の出自だから命名されたのか。毛野氏すげえ!
それが真実ならそんな事例はたぶん毛野氏だけじゃね? まあ無いけど。
>>107 いや、でもどう考えたって古代日本の首都があったとすれば
富士山の近郊しか有り得ないこと無いか?
昔の人は信仰心が全てだったわけで、権力者もそこから生まれたわけだろ?
富士山を取り合う歴史が無いというのは、どうも解せない。
崇神〜垂仁あたりの時代がまさにそれではないかと想像するな。
毛野氏が崇神第一皇子の末裔を称しているわりに、崇神の後を継いだのは第三皇子の垂仁だろ?
しかも、その垂仁が浅間神社を創建したという。
崇神の第一皇子は富士山遠征で戦死したと考えるのは無理があるだろうか?
間をとって島根県でいいじゃないか
110 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 08:38:19 ID:f67lMT4A0
床屋「今日、髪どうします?」
俺「吉野刈りで」
>>108 まずそっちのレスを全否定する気はないことを言っておくよ。
>昔の人は信仰心が全てだったわけで、
そういう一元的な見方は歴史解釈を曲げる現代人目線の発想だと思う。
富士山信仰ってのがあったのは事実だろうけどそれが日本人全ての
共通認識だったわけでは無いだろうし、権力が動くほどの力があった形跡も無し。
それに聖地がイコール首都なんて事もないと思うが。
ちょっとwikiを見てみたら
>現在においても富士山は宗教的な聖地と見なされることが多い。創価学会、白光真宏会、
オウム真理教、法の華三法行のように、活動拠点を置くなどする新宗教教団が存在する。
昔からこんな感じだった可能性が高いなw
〜氏は〜天皇の末裔、とかあるけど大抵は何代も過ぎていたり、天皇の遠縁娘を娶っただけだったり
地方豪族が中央に混じるために関係者を取り込んで系図を書き換えたり。たいていはそんなのだけどね。
富士山なんてただの辺境の山。
富士山信仰などと言うものも取るに足らない程度のもの。
邪馬台国はさておき、毛野氏の紛糾っぷりがおもろいw
「毛」ってのは木(植生)のことだっつの。
東日本には「毛無山」とかあちこちにあるぞ。
114 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 10:51:03 ID:y76BliLH0
三国志に書いてある邪馬●国は、北九州にきまっとる。
北九州のことを、詳しく書いているのに、近畿にワープする
なんて、なんて脳ミソ。
>>93 実証できるかはともかく,面白い。
しかし,その説が正しいとすると,立証は不可能じゃない?
主張が正しいとするならば,証拠は念入りに消されているはずなんだから。
116 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 11:27:17 ID:XIrl6/R7O
ヤマタイ国は北九州、別府の辺りだろ。
117 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 11:38:48 ID:NIFfYOIO0
間をとって岡山でいいだろ?!
>>117 畿内か九州かって2択になってるけど
古代には、吉備や出雲にも強大な勢力があったはずで
無視されるのはおかしい
>>115 古事記の序文だけでも、当時いろいろな伝承があったことがうかがわれるしな
それを中央政府は誤りと決め付けているんだな
120 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 12:08:02 ID:i8bSE6hW0
_ , -―-、
, 'ニニニ、::::(0::::::::::ヽ、
 ̄ ̄ヽ'::::::::::::::: ヾ
)::: .... \
/ ::::::::::::::::::ヽ
/ :::::::::::::::::|
/ :::::::::::::::::|
/ :::::::::::::::::::|
/ ::::::::::::::::::::|
| :::::::::::::::::::::|
. | :::::::::::::::::::::|
_ , ―-、| /::::::::::::::/::::|
\ヲ'⌒ヽ:| /:::::::::::::::/::::::|
ト`_ ノ::| /:::::::::::::/::::::::|
人;;;;;;;::::;:| |:::::::::::::/::::::::/
/γ `:::::| |::::::::::::/::::::::/
/ ( ヽ :::| |:::::::::/::::::::/
{ } } ::| |::::::::{::::::::/
| / } ::| .ヽ::::|:::::::/
} { / ::| .ヽノ ::::/
} | ( :λ :::|
( ヽ、 ) ノヽ ::::|
ヽ, ~ 〈 ト、_ | ::::::ヽ、
( ,' ノ | |~7 ::::::::::::::`ヽ、
ヽ,、,、,γ' ノ, -‐W~フ { ト、:::::::::::::::::::ヽ、
∠____ト-┘z__,―' ̄Σ Z  ̄ヽ―-、_ノ
'―z_,┴'~
間をとって埼玉だな
とりあえずどんどん発掘
自国を象徴する物を、より深い位置に埋めた国の領土とする。
124 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 13:10:44 ID:p+fhu4oV0
シナ人「ここは何処か?」
九州人「山の手(山の方)だが?」
シナ人「ヤマタイ?」
シナ人「ここは何処か?」
奈良人「山の戸(山の入り口)だが?」
シナ人「ヤマタイ?」
125 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 13:26:11 ID:CWYP69ZF0
>>124 山の入り口のヤマトは山門のほう(つまり九州のほうのヤマト)
大和のほうのヤマトはトが語義未詳
>>123 でも、日本は木造建築ばかりだし伊勢神宮ですら建替える風習だから
古い都市の痕跡は残っていないと思う。
更に富士山を中心に古代史が展開されたとすると、
先程も述べたように噴火の度に栄枯盛衰があったわけで、それこそ何も残ってないと思う。
逆に言えば僅かに残された人工物を手掛かりにしてしまうと在らぬ方向へ仮説が発展してしまう。
富士山を中心に考えると根本的に邪馬台国は古代史上あまり重要な国とは思えない。
富士山についての記述がないという時点で富士山を中心とする日本列島の中でも僻地にあったことが想像されるからね。
127 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 13:37:22 ID:0Zj8vh4IO
>>108 富士山とかいうけど場所は駿河の一宮があった今の富士宮市しか
有り得ないぞ、山梨側には何も無し、富士宮浅間神社の前の本社の
村山地域には日本で有数のストーンサークルがあるらしいが
それ以外何もないぞ、644年頃、常世神のエセ信仰があった記録しかない
その後、かぐや姫まで歴史の表舞台に出た事ないのに。
その間接的な証明となっているのが『岩戸隠れの伝説』だと思う。
これはどう想像しても富士山の噴火の度に騒乱が起こった古代日本の状況を伝えていて、
それ以外の如何なる連想もできない。
『ああ、富士山が噴火したのね。』と解釈するのが最もしっくりくる。
調べてみると聖徳太子、大化の改新、平安京遷都など古代日本の事件には
必ずと言ってよいほど富士山の噴火が伴っている。
逆に言えば富士山から離れたことが大和王権という安定政権の樹立に繋がったんじゃないかな?
聖徳太子の功績は仏教を導入することによって、政権と富士山を切り離したことにあるのだと思う。
記録にある移動のままに信じていれば沖縄沖の海底遺跡あたりだという事はわかるだろうに
>>127 竹取物語も重要な手掛かりだと思う。
現在では藤原政権を批判する紀貫之の作という説が有力だけど、
藤原権力に対抗する象徴として富士山を持って来ている点が非常に興味深い。
しかし、古代日本が富士山を中心に展開されたと比定すると
この物語が何を言わんとしているか合点が行く。
現代日本人でも馬鹿ほど高い所が好きだし、
古代日本人が富士山を目指さなかったわけがないと思うな。
>>131 微妙に勘違いしてるが、山岳信仰は修験道であって神道では無いぞ。
そして修験道の中身はほとんどが仏教。古神道の神奈備信仰などは
山岳信仰の始まりのひとつではあろうが、別の物。高い山を目指すとか
修行するとか無いから。
毛野氏ボーボー説は諦めたのか?
>>132 どうしても文献や遺跡に頼ろうとしているようだけど、
それは歴史学談義であって本当の歴史とは別の世界の話。
自分は先程も述べたように『物的証拠はほとんど残っていない』
『従って、そんなものを手掛かりにはできない』という見解、前提だから
歴史学による考察は何ら意味を持たない。
>>132 どうしても記紀などを手掛かりとするなら、これら文献は中国の史書などとは違い、
時の権力者が自分に都合よく編集したものであることが明らかなのだから、
徹底して『行間を読む』べきだと思う。
本文についてはやや小馬鹿にした風に『ああ、そうですか』と聞き流す。
それが藤原不等人という政治家に対する僕の対応。
>>134 >時の権力者が自分に都合よく編集したものであることが明らかなのだから、
まずこのスタンスが間違ってる。視野狭窄、思考停止な批判厨でしかない。
そもそも記紀が作成された目的もちゃんと理解してないんじゃないかと疑う。
そもそも、歴史を粉飾、偏向、抹消しようとした人たちが残した書物を
歴史探求の手掛かりにしようというのは滑稽な取り組みだと思わないかな?
上手く使って『逆手に取る』くらいだけど、
ならば最初から無視するというのが基本スタンスだと思う。
まっさらから想像した上で嘘吐きどもが何と書き残したのか興味深く拝見させてもらう。
そんな感じで行きたい。
戦後の日本史学は記紀を偽書だの創作だのと決めつけて一切を否定するのが
トレンド、つうかそういう連中が大声で仕切っていた訳だけど、その生き残りかw
>>129 まぁ阿蘇山のこといってるかもね
阿蘇山噴火しなかったら富士山よりでかかったらしいじゃん
そもそもアイフォンの人がいってる富士山近くに国があったってのは考古学的に立証されていないやん
140 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 15:34:11 ID:+uc2wXDs0
富士山厨が妄想を撒き散らしたせいで
いつもは伸びる邪馬台国スレがどっちらけですよ
141 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 15:38:37 ID:D+F8dHhyO
やまたいこく(邪馬台国)→
やまとこく(大和国)→
やまとちょうてい(大和朝廷)→
なら(奈良)
こんな感じで奈良県だと思ってます
142 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:29:03 ID:mjNjFhbh0
143 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:32:22 ID:mjNjFhbh0
>>60 邪馬臺を「やまたい」と読むのに
臺與(台与)は「とよ」だかならww
すでにオカルトの九州説にまだしがみついてるやついるんだw
145 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:35:59 ID:mjNjFhbh0
>>65 今で言う国名は「倭」だよ「邪馬台」ではない
「邪馬台」は、今の感覚で言うと、(江戸時代の)藩とか(アメリカの)州とかに近いと思う
奈良なら「邪鹿台国」になってなきゃおかしい。よって九州。
147 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:38:49 ID:mjNjFhbh0
>>74 それはないだろ
日本は中国から統治システムなんかも学んでるわけだから
148 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:42:28 ID:nytkMN3/O
>>144 すでにオカルトの関西説にまだしがみついてるやついるんだw
150 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:45:16 ID:bw0IWmIe0
八幡平もヨロシク!!
九州にあるのは邪魔大王国でしょ?
153 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:48:35 ID:x+pJjyFH0
間をとって奈良から九州にかけての一帯が邪馬台国
邪馬台国は栃木県。
異論?認めね〜。
正直結論が出ては困るのだと理解した
156 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:52:07 ID:zuYut9sG0
>>143 オレもそれがおかしい、って思ってる。普通に『やまと』って読めばいいと
思うんだけどな。
>>153 いやそれが邪馬台国の卑弥呼をトップに据えた倭国連合体なんだけどw
158 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 16:58:14 ID:mjNjFhbh0
>>1もし邪馬台国が九州だとすると、朝鮮と縁が深い事も考えられ
やはり邪馬台国の始祖は朝鮮から渡ってきた渡来人であるという説が高まるのだと思う
魏の時代の発音って判ってるのかな?
九州説はロマンがあっていいよね。
フィクションとしてかなり面白い。
>>160 邪馬台=yamadoもしくはyamai
卑弥呼=fimeko
ってなんかで読んだ。
163 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 17:08:03 ID:YGBsiqJE0
いまだに九州説唱えてるとか引っ込みが付かなくなった学者センセイくらいだろ。アホか
邪馬台国に送った金印は属国の証
九州は中国に返還されるべき!
165 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 17:12:30 ID:YGBsiqJE0
姫巫女→ヒミコ→卑弥呼だっけ?
巫女萌えの歴史は1800年さすがに深い
奈良でFAなんじゃないの?
>>159 古代の人の流れは
満州
↓
中国→半
島
↑
九
州
人類は半島から日本に入ってきたのでは無い。
東南アジアやポリネシアから日本に来て九州に上陸した人たちが
本州や半島に進出した。九州の倭人にとって半島はテリトリーだった。
つまり邪馬台国やヤマト政権の時代、半島から来た人と言うのは
渡来人ではなく引き揚げ者。
歴史教科書でいう渡来人とは百済亡命者などのことで、当初は朝廷によって隔離されたが
最終的にはいずれも帰化人として日本人の中に溶けた。
168 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 19:43:32 ID:TQV7JdDTO
大和も半島も出雲開拓地で傀儡国家なんでね?
邪馬台もその類で九州に出雲が進出してきた可能性も捨てきれない
>>32 あのな、もうな、甘木という地名はもう存在してないんだよ!!
(´;ω;`)
近畿説だと、3世紀には近畿から九州にまたがる巨大国家(連合国家かもしれんが)
存在していたことになる。
そんな巨大国家が大和朝廷と無関係であるはずがないし、大和朝廷の前身だとすると、
大和朝廷の前身たる邪馬台国は、中国に朝貢してたことになるわけで、ナショナリズム
的には、なかなか右翼が我慢できんところではあるな。
というか、九州説を言い出した本居宣長って、まさにそういう観点から近畿説を否定し、
「中国に朝貢するような邪馬台国は、九州の小国家にすぎないはず」としたんじゃなかったっけ?
171 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 19:50:07 ID:+y9W1H09P
まあ、大和説が圧倒的になってしまったので、九州説を唱えてたマトモな連中は、
黙り込んでしまってる。今、九州とか言ってるのは、田舎の歴史研究家と
引っ込みがつかなくなった連中だけ。
172 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 19:51:23 ID:pjGIzrMZ0
よこしまくん
>>38 1里の単位が当時は短かかっただの、移動日が限られてただの
しょうもない屁理屈つけてまで我田引水したいクマソってみじめよのうwwwwwwww
畿内説が有力だからニュースになる
九州説が有力になるとニュースにならない
ニュースになる=畿内説
175 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 19:54:37 ID:JdoLfkKxO
>>159 半島は日本(倭)の勢力だったんだよ
少なくとも南部は
177 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 19:56:18 ID:A6g6jubW0
纏向で決まりじゃないの?
九州説信者の実相
1.クマソのカッペ
2.畿内天皇「家」の権威を否定したいキチガイバカサヨ
3.朝鮮人
このどれか。
180 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 19:59:50 ID:vXTPas1eO
181 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:03:36 ID:mQ6DADIW0
単純に半島に近いからって理由だろうけど。
記録によると九州では近すぎるはず。
182 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:04:20 ID:hTASOgOT0
鋼鉄ヂーグに出てきた敵だろ
183 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:04:55 ID:rNVIhPprO
直接的な物的証拠全然ないんでしょ?
邪馬台国は存在しなかったと思うんだけど
大昔の歴史書なんか、捏造のオンパレードだと思うし
ムー大陸やアトランティスと同列
184 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:07:14 ID:CWYP69ZF0
>>170の言うとおりで隋書の記述からも邪馬台国がそのまま大和朝廷になったと
考えていいと思うけど問題は日本書紀に全然記述がないってところで九州説にとっては突っ込みどころなんだろう
ただ日本書紀編纂時点から実に500年も昔の話になるわけで文字記録も当時はなかったし
もはやわからなくなってたんだろうな
まあ歴史がある証拠だよ
185 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:08:16 ID:KOrP2OSy0
九州説はライバルと思いたいのだろうけど、この数年の発掘の成果から云うと
近畿説が圧倒的に有利になってるという認識なのだが・・・
186 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:12:05 ID:srjsEEdzO
フッ…邪馬台国は日本人みんなの心の中に存在してるんだよ キリッ!
シナ地区に聞いてみな!
特定したうえで、シナの領土って言ってくれる!
畿内説の皆さん
今九州某所で邪馬台国の予定地を造成中だから
もうちょっと待っててね^^
では、間を取って富士山だな。
古代日本史上でここまで富士山の存在が無視されているのはやはり違和感があるからな。
日本はどう見ても『山と海の国』なわけで、それらが信仰の対象になったであろうことは容易に想像できる。
しかし、富士山が中心だった時代の古代史がすっかり喪失されている。
無理に消した疑いもあるし、単純に忘れ去られた部分もあるだろう。
少なくとも自分は東征神話の記紀に自分のルーツを感じないな。
>>183 皇帝への探索報告書だから、
まるっきし嘘八百だと、それが露見したら殺される。
いや、魏の時代の火山を出すなら、阿蘇だと思うなあ。
もっと昔だと、八ヶ岳(にあった大火山)。
富士山が問題になるのはもっと後じゃないかと。
>>190 そうそう
行ってない、会ってない、聞いただけで書いたとかありえないよな
ちゃんと王都までいって皇帝からの親書かなにかを卑弥呼に渡してるはずだし
近畿説にせよ、九州説にせよ、少なくとも、九州には邪馬台国と関連する何かはあったはず
なんだけどな。
当時の航海技術では、大陸から日本列島に渡るには、朝鮮半島から壱岐・対馬を
経由して島伝いに来るしかないし、その場合は九州に到達せざるを得ない。
近畿説では、少なくとも九州から安全に近畿まで到達できなきゃならないわけで、
邪馬台国の威光が九州まで届いてなきゃおかしい。
194 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:34:33 ID:Xg6ZG3bP0
原書には「邪馬壹国」とあるのに、ヤマトと読めないので、
ヤマトと読める「邪馬臺国」がいつのまにか幅をきかせたんだよね。
>>194 原書といっても現存最古の版本にそう書かれてるだけであって
原書を基にしたと思われる後の歴史書はみんな邪馬臺なわけだが
>>193 九州北部に上陸してるのは間違いない。それはどの学者も認めている。
問題はその後だけど
「水行」を瀬戸内海と考えるか、内陸もしくは九州沿岸と考えるかで随分違うのな。
197 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:44:59 ID:rNVIhPprO
>>190 >>192 全くの虚偽じゃなくても、過大報告をしていた可能性はあるんじゃない?
30の国が30の家族だったりとか
距離や方角の矛盾は故意によるもので、『本物』の邪馬台国を特定されないようにしたんでは?
記述通りの規模の国なら、もっと物的な痕跡が残ってそうなもんだと思うんだが
198 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:52:57 ID:OYXgCuFOO
醜い観光利権争いだな
199 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 20:57:36 ID:Rl7nARbXO
ヤマトという発音を中国語に直すと邪馬台になるんだよ。
奈良以外考えられないんだよ。
九州説にしがみついている奴らは全員牢屋に入れろ。
ここには邪馬台国でない何があったん?
謎を謎のままに残すことこそが、ロマン
202 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:05:14 ID:C16HfvcG0
もう邪馬台国自体が、どこにあっても大して問題じゃない。
邪馬台国論争ってのは、考古学的な知見がない時代に、
大和政権(朝廷)の成立について、あれこれ議論する根拠だった。
纏向遺跡で、近畿にかなり強力な政権があったことが確実になって、
邪馬台国という名前の国がどこにあったかは、それほど重要じゃなくなった。
203 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:10:38 ID:MOD7VPlH0
近畿で決着がついたのになんでまだ論争になるんだ
204 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:11:11 ID:N1mN2vTTO
高島氏って、弥生時代の研究もしてたんだ。
平城京の調査のイメージがあったが
205 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:22:24 ID:Zi7R5SVU0
>>199 九州に山門(ヤマト)ってあるけど、それは中国語読みしたら邪馬台にならないの?
邪馬台国が畿内だったら、女王国から東に海を渡った倭人の国ってどこ?
>>202 むしろ纏向が書紀の垂仁天皇あたりの宮で、邪馬台国と関係ないなら、日本の統一が五世紀くらいまで送れるだろ
207 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:28:46 ID:Yqqi6yrw0
俺は、ヒミコは近畿のヤマトから派遣されて九州方面を統治していたという説が
一番信憑性があると思うな。死んでから近畿に運ばれ、古墳に入ったんだよ。
208 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:30:45 ID:JdoLfkKxO
>>209 いいいから東に海を渡った先を教えてくれよ、まさか「奈良県に海は接してない」とか言わねーよな?
211 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:44:44 ID:JdoLfkKxO
212 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:46:37 ID:mjNjFhbh0
>>170 最初に九州説が出てきたのは、それがあったからだわな
214 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:49:42 ID:jFNJTVt80
九州説論者は今や希少動物扱いだからなぁ
215 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:51:14 ID:mjNjFhbh0
>>184 500年前って
今から500年前=室町・戦国時代だから相当昔だわな
そりゃ、分かるわけがないよ
216 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:53:34 ID:mjNjFhbh0
>>193 中国では統一王朝が存在した時代に
西日本程度の範囲を纏める勢力が存在することが不可能だったとは到底思えない
ただ、魏誌にあるような
「刺青をしている」習俗って、まさに南方系のものであって
九州にあるならわかるが、近畿にそういう習俗があったという痕跡って
まったくないよね。
218 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:55:31 ID:JdoLfkKxO
>>205 『魏史倭人伝』による『位置と方位』は『半島から九州北部』まではおおよそ正しい
そこ(九州北部)から先の『邪馬台国までは方位か距離が無茶苦茶』
事実、倭人伝の通りに解釈すると太平洋の上
つまり、魏の遣いは九州北部までしか来ていない
ここまではまず間違いないだろう
あとは推測でしかないが、強大な魏をはじめとする支那に舐められたくないから邪馬台国が距離や方位を『嘘をついた』
ついこの間(20〜30年くらい前)まで『日本で正確なモスクワの地図は手に入らない』と言われてたのを考えたら当たり前だ
『陸行日、水行△日』に合わせる方がおかしい
219 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:58:04 ID:BAZ2jYbh0
>>218 そんな嘘つくかな?九州に上陸しただけであとは伝聞だけって
何らかのアクシデントで日数がかかっただけかもしれない
220 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 21:59:01 ID:FC2fQndgO
宇佐神宮掘り返して諦めろ。
221 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:01:20 ID:JdoLfkKxO
>>213 物証
奈良や京都は九州に比べて発掘がしにくい(規制が多い)にもかかわらずに当時最大の遺跡が見つかっている
このことから『少なくとも当時の日本(倭)の中心は今の奈良だった』と考えるのが妥当
ただし『魏史倭人伝の邪馬台国』が日本一地方国家でありそれが九州にあった可能性は捨てきれない
今で言うと、北海道の一議員であるムネオが霞が関をよそにロシアと交渉してた感じ
222 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:01:24 ID:fu6VHoDj0 BE:1291911146-2BP(2034)
>>219 うん。伝聞に尾ひれがついたの考えるのが妥当。
実は四国に邪馬台国があったなんて結末なら面白い。
224 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:02:27 ID:fu6VHoDj0 BE:430637524-2BP(2034)
>>221 物証なら、魏志に記載されてる遺物は圧倒的に九州の方が多い。
225 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:06:18 ID:JliUQ8IuO
226 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:07:27 ID:JdoLfkKxO
>>219 史記に書くんだからアクシデントがあればその旨を書くだろ
それを書かなきゃ地理書の意味をなさないんだし
逆に日本は正しい地理書を書かせたくないわけだし
(今の日中関係を考えればなんとなく分かると思う)
書いたのは『嘘』ではなく『日本の役人から教えられた真実(と思い込まされたはったり)』
事実、日本もつい30年前はモスクワの正しい地図がなかった(正しくない=嘘を書いていた)だろって
>>221 別に畿内説否定するわけじゃねーけど、畿内説ならヒミコ死亡後の内乱の痕跡がなんで皆無なのかね
228 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:09:43 ID:fu6VHoDj0 BE:645955362-2BP(2034)
距離でなくて日数で書く場合、進行速度によっていくらでも変わってくるから、あまりあてにはできない。
海部氏勘注系図の信憑性ってどのくらいなんだろう?
>>218 >『邪馬台国までは方位か距離が無茶苦茶』
だとし他後の話をしてるんだよ、倭人伝の記述だとその後にでてくる地理情報として
その「女王国=邪馬台国(?)」から東に海を渡った先にも倭種の国がある。て書いてあるわけ
それを踏まえて奈良から海を渡るってのは、支那人は西と東の区別もつかない人種なのか?
231 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:12:59 ID:JdoLfkKxO
>>224 うん、だから『当時の日本国家の中心は奈良で邪馬台国は九州』という可能性は捨てきれない
ただ、私の持論は『魏の役人は九州までしか来ていない』ので『魏史に書いてる物証が九州のが多い』のは奈良説の否定にはならない
むしろ『魏の役人が北九州までしか来ていない証拠』の一つと考える
232 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:13:24 ID:fu6VHoDj0 BE:4360198199-2BP(2034)
あと畿内説の問題点は、畿内はこのころは銅鐸文化圏だったってこと。
なんで銅鐸の記述が無いの?
233 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:14:47 ID:fu6VHoDj0 BE:645955834-2BP(2034)
>>231 更に言えば、纏向遺跡の年代は一種の詐術だよ。
ホントはもっと後世らしい。
234 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:14:54 ID:HFK4JOSC0
というか邪馬台国自体が
九州の1勢力で後の太宰府みたいなもんだったのだろう。
中央集権になる前の倭国は、連合国家だから大和政権の一部が
邪馬台国だった可能性はある。磐井の反乱辺りまで九州の地位が異様に高いし。
宇佐の神託で天皇代えられる程度の
235 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:15:22 ID:XIrl6/R7O
ヤマタイ国はシナに朝貢したから記録に残っただけ、実際は弱小だった可能性もある、同時期にもっと有力な国が畿内に有ってもおかしくない。
>>227 だよな九州だと景行天皇紀に筑紫の女王の話がある→東からの文化に押されつつも九州西部には女王国の文化・痕跡があったて読めなくも無いもんな
237 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:17:00 ID:fu6VHoDj0 BE:2906798696-2BP(2034)
>>235 記紀を素直に読めば、邪馬台国が東遷してその畿内の勢力を滅ぼして大和朝廷を建てたということになる。
238 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:18:07 ID:JdoLfkKxO
>>230 魏の人はそこまで行っていないから
日本の役人からそう聞いたから、そう書いた
何故、奈良県まで行けなかった(行かなかった)のかは不明
政治的に(日本側は)行かせなかった(行かせたくなかった)と推測はできるけど
>>232 同上
魏の役人は九州北部までしか来なかったから
239 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:19:08 ID:0tI37Afb0
卑弥呼は実は韓国人
240 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:20:30 ID:JdoLfkKxO
>>233 そこまで言うとトンデモになるから止めた方がいい
241 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:20:41 ID:fu6VHoDj0 BE:861274144-2BP(2034)
>>238 それだと大和朝廷編纂の記紀に銅鐸の記述が無いのはおかしい。
銅剣銅矛文化圏の勢力が銅鐸文化圏の勢力を攻め滅ぼしたのなら辻褄が合うが。
242 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:21:09 ID:fu6VHoDj0 BE:2583821568-2BP(2034)
243 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:21:14 ID:sYGvgQkLO
やまたい国のたいは博多弁。よって九州たい。
でも学会だともう9割以上の学者が畿内説で固まってしまって、
事実上地域については決着済みって認識なんだよね
前は東大(九州説)V.S.京大(畿内説)の様相だったのに、
今は邪馬台国がヤマト王権と連続性があるか否かに焦点が移ってしまうし
場所論争は時代遅れになりつつあったりする
オーラの泉の江原は、前世のことを霊に聞けるらしいぞ。
日本人のルーツは大体邪馬台国時代までさかのぼるんだから、邪馬台国がどこに
あったのか当時の霊に聞いて貰えよ。
>>217 海人部や宍人部なんかの部民は後代まで刺青をしていたよ
南方系とはかぎらないんじゃないのか
247 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:24:42 ID:fu6VHoDj0 BE:968933636-2BP(2034)
纏向は邪馬台国の後継の大和朝廷で邪馬台国じゃないよ。
畿内説は畿内から絹がほとんど出てないことを説明できてない。
248 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:24:45 ID:JdoLfkKxO
>>244 つつあるではなく、少なくとも当時の国家の中心は奈良
これは確立してる
249 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:25:08 ID:mjNjFhbh0
>>237 九州勢力が邪馬台国を攻め滅ぼした後、勝手に後継を名乗ったのかもしれない
そういうことは今でもよくあるよな
ライブドアを買収したオンザエッジ(ホリエモンの会社)が、ライブドアを名乗ったり
250 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:25:55 ID:fu6VHoDj0 BE:1076592454-2BP(2034)
>>248 当時列島内に広域統一国家があったという証明すらされてないのに…
251 :
sage:2010/10/03(日) 22:28:07 ID:+3wnmbxW0
俺は「たい」が付くから九州北部それも山間部と推測してる
その理由はこうだ。
「使者が九州北部の山間部で「この地の名前は」と尋ねる。 現地人は方言で「山たい」と答える。」
カンガルーの語源と同じようなもんでハヤトチリ感違いで伝わった。
これが奈良近辺なら「ヤマヤンカ国」「ヤマデンネン国」とかで後世に伝わった可能性もあったわけだ。
252 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:28:19 ID:mjNjFhbh0
>>250 現在の感覚で言うところの広域統一国家は、なかった
だけど、「倭」と称される枠組みは、あった
九州勢力が奈良にあった邪馬台国を滅ぼして、ないしは九州の邪馬台国が奈良を制圧して
そして今の大和朝廷につながるとしたら
そういう争いは考古学的にはないだろ
記紀にあるからというがそれならそもそも宮崎から発祥してるが宮崎スルーして
都合のいいとこだけとりあげるのはいかがなものか
254 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:28:54 ID:fu6VHoDj0 BE:538296825-2BP(2034)
255 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:29:37 ID:mjNjFhbh0
256 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:30:46 ID:alNRJMTYO
邪馬台国は鳥取の妻木晩田だよ。
吉野ヶ里は遺跡の規模があまりに小さい。
>>244 まぁ結局のとこ倭人伝の記録から場所の特定なんて出来っこないと思うw
そして結論の出るわけも無い地域論争(は本より邪馬台国自体)は無意味だと思うが〜
だからって倭人伝の内容も何もすっとばかして邪馬台国=畿内でFAてのだけは同意できんわな
258 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:31:05 ID:XIrl6/R7O
>>237 歴史書に大和朝廷の先祖を九州とする事で、征服された民を懐柔したんだよ。実際、筑紫の磐井は反乱起こしてるわけだし。
>>255 わかれよ
大和朝廷の発祥はそもそも日向だろ
そっから出発してるけど九州説じゃ宮崎なんて全然でてこないだろ
九州説は漠然と九州にあったとしかいわないのが弱い
260 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:31:55 ID:mjNjFhbh0
>>254 どこが?
どうして?
乗っ取った側が、乗っ取られた側の権威を利用するために名前を使うなんて
古今東西いたるところに類例があるじゃん
261 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:32:19 ID:fu6VHoDj0 BE:645955643-2BP(2034)
>>253 つまり神武天皇は邪馬台国の一勢力で宮崎にいたわけね。
考古学的に見ると、3世紀ごろの近畿地方には高地性集落が多く、外敵に備えたのだろうと言われている。
てか俺はむしろ纏向のおかげで九州説が見直されるとおもうけどね
纏向はきれいにのこって内乱の形跡皆無やん
魏志倭人伝大好きなのが畿内説のくせに、魏志の「倭国大乱」はどう説明すんのかね
263 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:33:41 ID:mjNjFhbh0
>>259 わかれよ、じゃなくて、わかりやすい日本語を心がけろよ
わかったからもういい
別におまえの意見に反論はないし
264 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:33:51 ID:YCzYladj0
>>231 勝手に途中で止めるなよ、それじゃ大使の意味が無いぞ。
266 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:35:03 ID:mjNjFhbh0
倭国大乱って邪馬台国の時代より前じゃん
267 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:36:25 ID:fu6VHoDj0 BE:645955834-2BP(2034)
>>260 魏志の記述と記紀の記述、考古学的事実から見て、九州の勢力が近畿の勢力を滅ぼしたと見るのが妥当。
268 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:37:25 ID:kgjTgS5mO
3世紀の中国語における「邪馬台」の発音はヤマトに近い
正確には台の母音は曖昧母音だが、ヤマトのトも上代特殊仮名遣いにおけるオ段乙類で曖昧母音だ
そして九州西部の「ばい」「たい」は中世末期まで遡れず近世以降の発達だ
269 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:37:35 ID:alNRJMTYO
そもそも邪馬台国なんか魏志の中にすら存在しないのにな。
魏志にあるのは邪馬壱国。
それを大和と同一だと説明するために、邪馬台国の誤記だろうと言い出しただけで。
大和じゃないんなら、そもそも邪馬台国の誤記だろうと、無理にこじつける必要ない。
邪馬壱国、山一国という地名であれば、どことでも同定できるのう。
270 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:37:49 ID:mjNjFhbh0
>>267 だから、九州勢力が近畿勢力を滅ぼした後に、近畿勢力の後継者だと名乗った
と言ってるんですが?
>>246 最近まで、下町の職人等は「がまん」と称して、
成人儀礼として刺青入れたりしていたしな
俺に時空間移動能力があったらこれ真っ先に解決したい
ついでに卑弥呼の写真撮ってきてやるよ
273 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:41:15 ID:XKqRl2qpO
まあ畿内説はかなり無理があるよな
274 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:41:25 ID:fu6VHoDj0 BE:1507229647-2BP(2034)
>>270 すまん、間違えた。
魏志の記述と考古学的事実によれば、邪馬台国は九州以外にあり得ない。
邪馬台国時代の遺物は、近畿からの出土は圧倒的に少ない。
275 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:41:56 ID:hHVKjqFl0
畿内説となえてるバカは死になさい。
畿内に一大勢力があったの事実だろうが
それと魏志でいう邪馬台国を結びつけるものは何もない。
何もないのに曲読曲解して無理矢理くっつけようとするから
バカだと言われる。
曲学阿世の輩と言われる。
文献に載ってなくてもいいじゃないか。
276 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:43:15 ID:6/lt3H550
277 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:43:26 ID:TQV7JdDTO
普通に「大物主」が怪し過ぎるだろ
278 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:45:31 ID:1Ph+bVdVO
279 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:46:30 ID:fu6VHoDj0 BE:430637524-2BP(2034)
ただ吉野ヶ里が邪馬台国かって言うと、佐賀県も福岡に比べて出土数が少ないんだよな・・・
平塚川添はどうなんだろう・・・
280 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:48:09 ID:cV6jm9P50
いいかげん、九州説はないって認めろよw
281 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:49:11 ID:fu6VHoDj0 BE:322978223-2BP(2034)
>>278 広域統一国家にしろ文化にしろ、成立するのはもっと後じゃないの?
>>280 冷静にみたら畿内説も九州説と同レベルの根拠だけど
単に畿内説なら、後あとの歴史とつなげやすいから支持されてるだけ
283 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:51:34 ID:fu6VHoDj0 BE:1453399193-2BP(2034)
九州説の場合、志賀島の金印はプラス要素になるかな?
285 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:56:35 ID:gVLiuyhY0
日本の中心は近畿以外あり得ない、今も昔も。
>>269 昔、誤記じゃないと言う側が頑張っていてワロタ。
普通は誤記だと言う側にゆるぎない証拠が必要だよな。
証拠なしに誤記だと言い出したら、都合の良い文字を任意に認定出来るし。
287 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:59:12 ID:Yqqi6yrw0
邪馬台国が東征してヤマトになったのなら、卑弥呼は天皇のご先祖って
ことになるの?
288 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:59:13 ID:mjNjFhbh0
中国では、例えば呉の国なら呉の国を奪い取った人物が呉王を名乗るわけで
古代日本も中国文化の影響を濃く受け継いでるはずだから
邪馬台国を攻め滅ぼした人間が新たに邪馬台国王を名乗った、と考えるのが普通
289 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:59:20 ID:JdoLfkKxO
>>275 だから、どっちの説でも
@『当時の日本の首都(中心)は奈良』
A魏史倭人伝の距離や方位は嘘=魏の役人は九州北部までしか来ていない
は受け入れられる条件だよ
魏史に書かれてた邪馬台国が奈良か九州かは分からないが奈良なら邪馬台国=ヤマト
九州なら邪馬台国=一地方国家(がヤマトを名乗った?)だろ
おかしいよな、南のクナ国に滅ぼされそうで
大陸に朝貢するような弱小国が後の大和朝廷に
なったとか噴飯モノとしか言いようが無い。
291 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 22:59:31 ID:TQV7JdDTO
鉄器が無いんだよな畿内
単なる菩提寺みたいな感じ
タイムマシンが完成するまで待ってろ
>>284 九州の何処かで3世紀頃の遺構から
『Welcome to 邪馬壱国』
て書かれた看板が出てきても信じない連中も多いと思うよ
少なくとも俺だって「Welcome」なんて書かれた看板は後世の捏造に違いないって主張するし
294 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:02:24 ID:JdoLfkKxO
>>286 倭人伝の表記とおりに行くと曲解しないとそこには陸地がないんだから誤記と解釈すべきだろ?
あるいはアトランティッスのように沈んだか
>>294 それは誤記録じゃね?
アンカー先を見てね
297 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:12:25 ID:o6V6kJpP0
邪馬台国なんか中国の創作っしょ?
298 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:16:11 ID:vo+AzF9FO
毎年じゃんけん選抜
299 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:18:45 ID:fu6VHoDj0 BE:1076592645-2BP(2034)
>>286 他の引用文献は全部「邪馬台」なんだが。
300 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:21:40 ID:fu6VHoDj0 BE:3875731698-2BP(2034)
>>290 対立していたとは書いてあるが、滅ぼされそうなんて書いてないよ。
あと大陸の王朝に周辺国が朝貢するのは当時は普通。
301 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:24:54 ID:+3wnmbxW0
ヤマイチなんて言ってる奴はへそ曲がりでヘンコツで
ヘリクツだけ達者な脳天パンチなジジイさ
302 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:27:33 ID:mjNjFhbh0
邪馬台国ってのは地名であり、現代の日本人が考えるような国名ではない
もし邪馬台国が九州なら、どうして邪馬台という名前が地名に残ってないのか?
>>262 高地性集落と倭国大乱が結びつくとすれば1世紀から2世紀になるんだよな。
九州の勢力が近畿地方に移動したようになってるし。
304 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:29:09 ID:fu6VHoDj0 BE:807444735-2BP(2034)
「邪馬壱」と書かれた倭人伝の写本は12世紀の物で、それより前の時代に書かれた文献には全て「邪馬台国」として現れる。
305 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:31:16 ID:fu6VHoDj0 BE:1291911438-2BP(2034)
>>302 邪馬台国は連合国家と言う説もあるぞ。つまり一地域の呼称ではないということだ。
306 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:31:52 ID:Yqqi6yrw0
>>302 邪馬台は魏のやつが音に字をあてただけでしょ。
夜露四苦、みたいに。
昔の地図ってさ南半球から輸入された物を使ってたわけ
北半球から見ると日本が逆さまに描かれていたのさ
それを日本地図だとして、ぎしわじんでんの通り進めると
あら不思議、なんの矛盾もなく邪馬台国にたどりつくのさ
(´・ω・`) キリッ
310 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:34:56 ID:TQV7JdDTO
今でも似たような話あるだろ
鉄(レアメタル)
海域(尖閣諸島)
邪馬台国最前線
こうよ
311 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:35:58 ID:vXTPas1eO
倭寇のような朝鮮半島と北九州と東南アジアの組んだ海賊国家。
312 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:38:01 ID:JdoLfkKxO
>>262 それ、北九州で内乱の跡がないことのフォローなならないから
魏志倭人伝の中。
316 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:39:00 ID:v//HUIL+O
ちなみに もっと重要なニニギノミコトが天孫降臨した高天原も宮崎と奈良の二カ所あり
317 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:41:38 ID:JdoLfkKxO
>>314 同年代で奈良より大きいと推測される遺跡が?
318 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:42:49 ID:uoBp1b6L0
>>316 >ニニギノミコトが天孫降臨した高天原
節子、それ高天原やない高千穂や
やまとはこころのなかに
時空警察は何やってんの?
321 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:44:32 ID:8nkzAdcD0
アナタの心の中に
322 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:46:12 ID:fu6VHoDj0 BE:322978032-2BP(2034)
魏志に出てくる最初の方の国が、対馬や壱岐、松浦郡、糸島半島、博多湾那之津だってことは確定してるよね?
それらの国には鄙守、つまり地方官が派遣されてて、邪馬台国の支配を受けていたわけだ。伊都国は別格だとしても。
邪馬台国が畿内だとすると、畿内から九州に至る広大な範囲を既に支配していたことになる。
で、祭器も墓制も別々って、かなり無理があるんじゃない?
323 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:48:00 ID:J9k56Hy3O
元々は地域や中心氏族の名前だったのが、後々一般名称化したんじゃないの
で、連合王権=ヤマタイ≒ヤマト
卑弥呼の国と大和朝廷(今の天皇家)は直接は関係ない気がする
だって、大和朝廷だって結構王族が入れ替わっているみたいだし、血統より実力重視だと思うな
>>322 畿内説だと瀬戸内をすっかり無視ってのがどうもね。
瀬戸内に国はなかったのかな?
325 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:49:06 ID:+3wnmbxW0
この旅行には添乗員でも居たのかしら
どうも行き当たりバッタリの旅行でも無さそうだし
九州ってどこ?
九州説の中でも吉野ヶ里ってありえないってのが一般的では
327 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:54:01 ID:r+43eiNy0
九州だっつうなら早く卑弥呼の墓とおぼしき年代が合う古墳を上げてみろよ
そんなモノ一切無いやないか
>>300 魏に朝貢したのは軍事支援を求めてだろ。
魏は、皇帝の指揮下にあることを示す黄色の旗をさずけて、
張政という軍事顧問みたいなのまで派遣してる。
まわりの国は朝貢当たり前だったかもしれんが
日本は違う。
邪馬台国の前150年間、邪馬台国の後150年間、
日本から使者が来た記録は一切ない。
150年後に来た使者は、自分を日本と朝鮮半島の王と認めろ
と要求までしてる。
日本が中国へ朝貢するのは当たり前どころか異例中の異例。
330 :
名無しさん@十一周年:2010/10/03(日) 23:57:26 ID:vXTPas1eO
チャマタイ国、つまり福岡である。
巻向に桃が見つかり九州は以後韓国人の歴史議論と同じ状態になってるって聞いたが
朝貢の紹介も帯方郡(朝鮮)の役人が間に入ってる模様。
是即ち「邪馬台国は魏志倭人伝の中」の真意也。
333 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:01:56 ID:BNQ305+W0
当時の距離単位は
陸里 陸行一里=約434m
海里 水行一里=約4340m
でも記録に残す場合は厳密に計測したわけではなく
どうやって国の距離を計測していたかというと
測量装置を持っていっていちいち測っているはずもなく
行程にかかる日数から割り出していたわけで
狗邪韓国、対海国、一大国の間はどれも水行1000里。
それぞれ韓国、対馬、壱岐に該当すると考えれば
水行1000里=だいたい船で1日の距離
と、解釈できる
なら倭人伝の記述は九州だけの規模と考えるほうがしっくり来る
東の倭種の国も水行1000里だから説明つくしね
卑弥呼は、たまたま中国の史書に記録されたから
有名になっただけ。
今で言えば福島瑞穂。
社民党がなくなりそうなので、中国を頼った。
もちろん中国は大歓迎で、瑞穂を日本代表に任命。
それを後世の日本人が読んで、
「当時の日本は福島瑞穂が首相だった」
と勘違い
335 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:03:11 ID:fu6VHoDj0 BE:1076592454-2BP(2034)
>>326 吉野ヶ里級の平塚川添遺跡が福岡にある。
>>327 平原弥生古墳とかある。
畿内にこそないだろ。
336 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:06:29 ID:NBmW05BsO
ギって曹操のあのギ?
338 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:11:32 ID:NBmW05BsO
339 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:12:47 ID:IrrN4wSC0
>>305 >>323 対馬国、一大国、末廬国、伊都国などが明らかに地名なのに
邪馬台国だけ地名じゃないという理由がない
邪馬台国は連合王国の名前ではなく地名
連合王国の名前は倭国という名称がちゃんとある
>>306 字は当て字に決まってるが音は間違いなく地名
>>336 邪馬台国への使者が出発した帯方郡は、
もとは、劉備も世話になった公孫氏が支配してたとこ
それを魏が滅ぼして自国領にした
342 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:13:41 ID:fZFZC81+0 BE:968933063-2BP(2034)
>>328 57年の奴国の後、107年に倭国王帥升が朝貢してる。
あと倭の五王は「五王」てくらいで五代に渡って朝貢してたわけだが。
343 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:14:54 ID:BNQ305+W0
>>339 アメリカという名前の州がないのと同じだけでは?
>>339 倭は連合の名前じゃないでしょ。
日本という地域を指してる。
女王に服属してない国も、倭人の国と呼んでる。
345 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:19:07 ID:fZFZC81+0 BE:968934029-2BP(2034)
>>339 連合王国と言うのは名前だけ出てくる30くらいの国の連合って意味ね。
つまり「日本」という国はあるが、「日本」という地域はない。
まあ山門郡とかあるけどね。
346 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:20:36 ID:BNQ305+W0
日本側に朝貢という意識がなかったこともありうるでしょ
日いづるところの天子
とか使者に言わせちゃう国だし
ふつう外交するなら、大国相手でなくたって貢物は持っていくもの
それを魏側がどう解釈するかは知ったことではない
現代のODAだって絶対中国側は朝貢としか思ってないぜ
>>841 それよそれ。
桃ってのは道教なんだよな。
イレズミばりばりの海洋民族で、シャーマニズムとおぼしき「鬼道」の民の
邪馬台国が、道教のわけねーっつの。
348 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:22:25 ID:fZFZC81+0 BE:430637142-2BP(2034)
349 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:22:44 ID:b3yKZRC50
>>346 貢ぎ者を持っていって
金印を下賜してもらっているのだから朝貢だろ
●238年、邪馬台国から魏への朝貢品
男の生口4人
女の生口6人
班布2匹2丈
これだけ。しょぼすぎww
●それに対する魏の答礼品
親魏倭王の金印
赤地に2匹の龍を描いた錦布 5匹(10反)
赤地の縮み毛織物 10張
茜染めの布 50匹(100反)
濃紺の布 50匹(100反)
●卑弥呼個人への贈り物
紺地に三角の模様をあしらった錦 3匹(6反)
細かな斑点入りの華やかな毛織物 5張
白絹 50匹(100反)
金8両 約111グラム
刃渡り5尺の鉄刀 2振り
銅鏡 100枚
貝玉と鉛丹(赤色顔料)それぞれ50斤 約11キロ
351 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:25:22 ID:IrrN4wSC0
>>343 意味不明
.「アメリカ合衆国」 という国名に相当する名前は 「倭」
「ワシントン州」 という州名に相当する名前は 「邪馬台国」
352 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:26:31 ID:BNQ305+W0
>>349 それは魏側の解釈
そもそも外交は存在せず、臣従しか認めない国でしょ
邪馬台側としては単に軍事同盟を求めただけの事
353 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:26:46 ID:fZFZC81+0 BE:968932692-2BP(2034)
>>350 朝貢って実は援助だからね。
で、そこにある絹が畿内からはさっぱりでてこない。
354 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:27:01 ID:IrrN4wSC0
>>344-345 じゃあ、連合王国の名前は存在しない、と言えばいいのか?
事実、存在しない
連合王国の名前が邪馬台国であるなら
対馬国、一大国、末廬国、伊都国なども全て邪馬台国ということになる
しかし、そのような記述ではない
356 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:28:26 ID:IrrN4wSC0
鯨 統一郎のスレですか?
358 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:29:29 ID:BNQ305+W0
>>351 倭は人種名じゃないのか?
倭種の国、だろ
連合国に東の国は入っていないし
連合国=女王国だから
359 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:31:28 ID:nY1bSzMO0
考古学者はほぼ100%機内説なんだろ?
360 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:33:15 ID:vrX8qLZVP
普通に考えれば、大和(yamato)を音写したものが邪馬台でしょ。
言語学的に母音は変化しやすいから若干違いはあるかもしれんが、
子音字が3つ完全に一致してるってのは決定的な意味合いを持つ。
航路などの記述は間違いや作り話があるかもしれんが、
固有名詞は少なくとも嘘はついてないだろう。妄想じゃここまで一致しないし。
じゃあ大和ってどこかっていえば、普通に考えれば奈良だわな。
こんな明らかなことに何をぐだぐだ論争してるんだ。
361 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:34:17 ID:p1Jdo5170
隋書ではあっさりヤマトが魏志でいう邪馬台国のことだと
言っちゃってるのに…あんまりあてにされてないのかね。
362 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:36:30 ID:fZFZC81+0 BE:645955834-2BP(2034)
>>354 名前だけ出てくる国の連合って書いただろ。
>>356 事実九州からは大量に出てる。畿内からも出てるが少ない。
363 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:36:38 ID:BNQ305+W0
>>360 ヤマト=山門が語源
そのへんに山門地形はないだろ
大和はどう考えても当て字
ふつうに考えれば有明じゃないか
364 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:36:45 ID:lwG1HtpP0
>>360 九州説…邪馬台国の他にも同規模の多数の国家があった
畿内説…邪馬台国は既に連合国家の状態だった
あの時代の日本に連合国家は不自然じゃないかという話が出てるんだよ。
ちなみに、俺は四国説を推す。
365 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:38:04 ID:O4IXTklqO
九州から畿内にヤマトが移動しただけ
>>289 「当時の日本」の意味がわからん
>>356 外気と遮断されるか
地下水にずっと浸ってれば腐らない
367 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:39:03 ID:fZFZC81+0 BE:3391265579-2BP(2034)
>>363 忘れてたけど、大和こそ国名だけで地域名が無いんだよな。
368 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:39:24 ID:pCPuwnpo0
>>361 記録が不正確なら仕方ない
でもその隋もアメタラシヒコを勝手に姓と字に分離して書いちゃってたりするから
不正確さは争えないけど
いいかげーん
369 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:39:38 ID:vrX8qLZVP
>>363 まず、ヤマト=山門という説自体に全く根拠がないし(そうかもしれないしそうじゃないかも)、
仮にそうだとして奈良にそういう地形がない(ってかどういう地形だよ)っていう意味もわからん。
とんでもにとんでもを重ねたような推論よりも、
奈良県が古くからヤマト(字なんてどうでもいいよ)と呼ばれてたという事実を重視する。
370 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:40:01 ID:ttPoGbX70
ここだけの話、地図を右回りに半回転させて魏志倭人伝読むと九州の記述は
現在の場所とぴたり一致するんだぜ。そこから水行10日でツマ国、
水行20日、陸行一月で邪馬台国だから日本海を航行しててツマ国は出雲、
丹後の辺から上陸して大和に着いてるんだぜ。邪馬台国の東の海ってのは
琵琶湖のことなんだぜ。
>>354 うん、連合の名前は書いてない。
>倭人は帯方郡の東南の海にいて、山勝ちな島に住み国を作っている。
>昔は百以上の国があって、漢の時には朝見する国もあった。
>現在は、使訳が通じるところは30の国がある。
あとは、各国名が出てくるだけ。邪馬台国も「女王が都するところ」と書いてるだけで
以降は女王国としか書いてない。
その後、女王国より南の国の名を並べた後に、
>此女王境界所盡
(これ女王の境界の尽きる所なり)
と書いてるから、女王が連合の意味にもなってるようだ。
372 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:41:32 ID:pCPuwnpo0
>>365 大和の勢力近くの小国が海外から来た変人に
勝手に大君を偽って名乗ったりしてたので
仮に誰かが「我は大君だ」と答えていたとしても、どこの誰だかわかりましぇん
373 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:41:50 ID:UEJWi9zv0
あぁ哀しいほどに焦がれ続けた幻の人が今
きっとあなたを抱きしめている〜不思議な夢を見た
374 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:43:19 ID:O4IXTklqO
>>370 あすかあきおの説だな。
当時西日本は90度向きが違っていたと。
375 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:43:36 ID:BNQ305+W0
>>367 地域起源の名称ではないからでは
それこそ「大いなる和」という思想が国名とかで
でもそれにわざわざ「ヤマト」の音を当てるというのは
やはり統一前の、元の国家が山門にちなんだ国だったと考えるのが自然
376 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:44:30 ID:UQIte7wpO
>>359 考古学は実は危うい学問だよ、今の日本が滅びて千年後に発掘されたら、ここに住んでいたのはアメリカ人、と言い出しかねないよ。
377 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:44:53 ID:ttPoGbX70
>>374 そいつは知らんし、西日本が90度向きが違ってたわけなからろう。
単純に方位を間違えてたか記述するとき間違えたかしただけ。
378 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:45:13 ID:fZFZC81+0 BE:1884036375-2BP(2034)
379 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:45:53 ID:NBmW05BsO
やはり海賊だったか
381 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:47:13 ID:BNQ305+W0
>>369 根拠も何も、ヤマは山、トは門をあらわすのが日本語
山門地形というのはリアス式というか
岬が左右の門のように張り出してる地形
天然の良港になるとか
>>370 琵琶湖で鯨面文身して漁撈してたんだろうか?
理系にはあんまり関係の無い話のようだな
>>376 壇ノ浦で三種の神器が発見されたら
「ここが都だった証拠だ」
となるな
385 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:48:36 ID:nY1bSzMO0
畿内行くのに日本海より瀬戸内海側を通ると思う
穏やかな瀬戸内海の水路ははるか古から知られていたはず
そうだとすると投馬国は天然の良港鞆の浦か?
386 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:49:13 ID:pCPuwnpo0
>>381 >山門地形というのはリアス式というか
>岬が左右の門のように張り出してる地形
>天然の良港になるとか
・・・それ水門(港)じゃね?
387 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:49:37 ID:fZFZC81+0 BE:1884036757-2BP(2034)
名残惜しいがそろそろ落ちるよ。おやすみ。
389 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:50:13 ID:NBmW05BsO
卑弥呼と大和朝廷は繋がってるの? 卑弥呼は重要人物なん?
>>381 山門だとして、地形的に奈良盆地は葛城山脈と生駒山脈という山の門の中にあるんだよね。
391 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:52:42 ID:lwG1HtpP0
九州の地形をそのまま畿内にもってきたって説もあったよな。
琵琶湖が人造湖だって説。
392 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:53:04 ID:vrX8qLZVP
>>381 >根拠も何も、ヤマは山、トは門をあらわすのが日本語
別にそうじゃないとか分からないけど、すごい勝手な思い込みだと思う。
・ヤマ+ト で語源的に構成されているという根拠は?
・ヤマが山、トが門だけを確実に表わす根拠は?
同音異義語とかあるかもしれないじゃないか。今知られていないだけで。
仮に、山門だとして「山門地形というのはリアス式というか」ってのも凄い思い込み。
山の入り口とかは考えられないの?
393 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:54:10 ID:BNQ305+W0
>>390 そっちは経済的価値がない地形
有明なら国名にしてもおかしくないぐらい利益がある
394 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:54:18 ID:ttPoGbX70
>>385 >畿内行くのに日本海より瀬戸内海側を通ると思う
それが違うと思う。まずそれまでの記述からして瀬戸内海を航行してたら
もっと細かく記述があっていい。関門海峡のことやらいろいろな
島やら国やらについて。しかしそれがない。水行10日、水行20日と
実にあっさりしている。これはつまり単純に日本海を航行してただけ
と考えられる。さらに瀬戸内海には当時から海賊もいたはずだし、それを避けるため、
また邪馬台国が連合国家であれば瀬戸内海は内海であり、外国の使者に
内海をみせたくないため外側を通させたことが考えられる。
>>347 道教かどうかはどうでも良い。
記紀でもイザナギが桃を投げて邪を祓い、桃にオホカムヅミという名を与えたように
桃が祭器の道具である事と、それが大量に出土した事が重要な事。
それを道教と関連があったかどうかは、影響があるかもね程度の話なのに、
「鬼道を道教とみる説もある」という部分に拘って全体を否定する。
それが商業主義のご都合説明なのだ。
396 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:55:12 ID:UEJWi9zv0
この件に関して、これから決定的な証拠が出ることってある?
もしあるとしたら、どんなもの?ただ野次馬的興味なんだけど
もし邪馬台国がここ!とか確定されたらwkwkするなぁ
397 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:55:31 ID:W4y8FsFV0
●台
「台」を「ト」と読ませているのは、
日本書紀別伝第三および旧事紀の中で
興台産霊(ココトムスビ)の神の台(ト)として用いてあるだけ。
だから一般的な用字とはいえない。
もともと無理な読み方で、原音は明らかに漢語でタイ、
呉音でダイであるからタとしか読めない。
また、ヤ、マ、トの各音が、どんな意味をもっており、邪馬台という国の名が
何を意味するかということすらわからないで、これまでの邪馬台国論争は、
ただ漠然とヤマトとかヤマタイとか読んで論争を繰り返している。
●邪
「邪」は、ヤとエの中間音として発音すべきで、
記紀では「屋」の字をもってあてられる。
現在、入り江といっているエの部分の原音だと思われる。
●馬
馬は本来漢音でバ、呉音ではメであるが、後代合体して
慣用的にマとも発音される。
バラ(原)、イバラ(茨)、イマラクの国(茨城の国)、マメ(豆)、ハマ(浜)などが
意味する畑(やきはた)の意味である。
本来、倭人伝に記された固有名詞は、音写を目的とした漢字を
用いただけの音表であるから、
一文字を日本語の二字音として発音してならないことは常識。
この原則さえわからず平気で一字を二字音で読んだり、
漢音と呉音を混同して読んでいる人も多い。
399 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:57:39 ID:bUT/zT93O
佐賀には大和町ってとこあるから、九州確定だよ
>>348 桃の意味がわからない素人が主張するのが九州説
401 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:58:10 ID:pyA6EOuw0
>>397 東岸沿いに南下できる所は四国と琵琶湖しか無いから四国説、奈良説もあながち
402 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 00:58:30 ID:BNQ305+W0
>>392 思い込みではなく受け売り
どの本だったかは覚えてないから聞くなw
ヤマが山でないと思い込めるほうがすごいよ
山の入り口がどうして一大国として発展できるんだ?
403 :
401:2010/10/04(月) 01:00:01 ID:pyA6EOuw0
九州以外に が抜けてた
佐賀必死だな
405 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:00:57 ID:BNQ305+W0
>>396 弥生関連はかなり政治的な思惑が絡んでいて
正確な発掘や発表がなされるか、きわめて不安だな
古墳は発掘許可下りないわ
どんどん故意に遺跡が潰されてるわで
406 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:01:24 ID:ttPoGbX70
407 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:01:27 ID:ChAbmvih0
田舎が吉野ヶ里あたりなんだが、激しくどうでもいい。
この際、北極辺りにあった事にしたらどうだ?
どうせ金儲けに使うだけなんだろ?
408 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:01:36 ID:vrX8qLZVP
>>398 母音なんて変化しやすいからどうでもいいよ。母音を真面目に考えても意味がない。
上代以前の日本語の母音体系すらはっきりしないし。
母音は変化しやすく、子音は安定しているというのが日本語に限らず世界の言語で見られる現象。
もちろん変化しないというわけではないけど、近似した音かどうかという点も大事。
409 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:01:38 ID:MXePYqt/0
大和王朝までの流れがあるなら畿内説だろ?
全く流れが無い、1つの大きな集落だったら九州の可能性もあるだろうけど。
ただ、胡散臭いのが金印ね。そんなお宝をぞんざいな扱いにするのか?って話しだし。
百姓が発見とか、黒田家の自作自演なんじゃね?
410 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:01:46 ID:b3yKZRC50
>>396 金印でかたどった封泥というものが出たとこが可能性高いらしいよ
纒向遺跡では一生懸命さがしているんじゃないかな
411 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:03:11 ID:lwG1HtpP0
>>396 魏から送られたという金印は福岡県の志賀島村から発見されている。
その他、四国にはいまだに入島禁止の島が数多くあり、そのへんの砂浜などから銅鏡や勾玉が多数見つかっている。
女人禁制、入島するには身を清めてからなど、宗教的な禁則事項が多いので細かい調査も行われていない。
これらを調べることが出来れば、新たな発見があると思うが。
412 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:03:57 ID:BNQ305+W0
>>398 隋書ではっきり邪馬台=大和って言ってるんだから
読み方は別にいいと思う
議論の足を引っ張るだけ
>>396 倭人伝どおりの墓が見つかって、
中に老婆の骨と、親魏倭王の金印があったらほぼ確定じゃね。
金印だけじゃだめ。
どこへでも持っていけるから、それこそ壇ノ浦の神器みたいになる。
414 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:04:35 ID:NBmW05BsO
倭人伝なんだから倭寇の倭でしょう。北九州と朝鮮半島、
大陸、台湾、東南アジアの海の民の集合体の拠点のひとつが
邪馬台国です。卑弥呼は海女さん。ボスの嫁。極妻です。
415 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:05:02 ID:Bwrg/WTT0
台湾を含めた今の日本全体が邪馬台国。むしろ、魏志倭人伝が言う邪馬台国は
台湾を言っているのかな? 八島と呼ばれていたわが国は、
途中から外部からの侵入を受け占領されてしまったわけであります。
のちに、彼らは歴史をでっちあげ、天皇を名乗ることに。
416 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:05:58 ID:pCPuwnpo0
>>408 上代語の八母音はハッキリと区別があるから判明したので
>上代以前の日本語の母音体系すらはっきりしないし。
これ、逆ですよー
そして398の話は漢語の話だと思うんだ
魏志倭人伝はあちらの国の書物であってこちらの国の人が仮名を書いたのではないんで
日本書紀別伝(?)とか旧事紀を説明に持って来たのは失敗かもね
417 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:06:11 ID:UEJWi9zv0
>>405 政治的な思惑でどうとか、ホントにあるの?
418 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:06:19 ID:MXePYqt/0
>>408 ところで、漢字の読み方ってどうやって伝承されたの?
口承だったら、源頼朝とか実は今と読み方違っちゃたりしないの?
普通に考えて八幡平
420 :
401:2010/10/04(月) 01:07:13 ID:pyA6EOuw0
ヤマトと発音して何故大和と当てるのか教えて欲しい
421 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:07:38 ID:1fhTmw94O
考古学的にはやっぱ滋賀だろうな
つ伊勢遺跡
422 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:07:50 ID:BNQ305+W0
>>417 地元の発掘現場潰しとか見てると
ちょっとね…
423 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:08:19 ID:ttPoGbX70
倭(やまと)→字が悪いから和(やまと)に→大をつけましょうで大和(やまと)
>>411 志賀島の金印は、邪馬台国より150年前、
奴国王が、漢の光武帝からもらったもの
425 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:08:54 ID:vrX8qLZVP
>>416 >上代語の八母音はハッキリと区別があるから判明したので
上代仮名遣いに関しては、それが音韻論的に何を意味するのかは結論は出ていない。
8母音説というのもあるし違う説もある。「はっきり区別がある」なんて分からない。
426 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:08:56 ID:lwG1HtpP0
>>417 歴史は常に勝者が作るものだ。
歴史書だって、自分らの都合のいいように作るわけ。
実際に映像が残る現代でさえ、記録には政治的な思惑が絡むのに、考古学に絡まないわけがない。
そこを読み解くのが面白いともいえるんだよ。
427 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:09:53 ID:OD5dXqzvO
韓半島に決まってるニダ
>>418 伊達政宗が、ローマ法王にあてた手紙、
サインはローマ字で、イダテと書いてる
429 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:10:12 ID:BNQ305+W0
>>423 倭は中国側の当て字だし
発音はワでしょ
430 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:10:50 ID:sDmUCkx00
ヒミコは、鬼神の託宣を下々に伝えて生活する呪術師。
村に一人は、こんな女の子が居たんじゃない?
市の立つ日に、ツバキの木の下で家内安全、航行安全、五穀豊穣の占いを
して、細々と生活してたの。良く当たる子、カワイイ子は評判に成るわさ。
倭国大乱の御陰で地位、急上昇。国のトップに据えられた。象徴天皇制の
始まり始まり。それをブッ壊したのがジンム。呪術師の女が国のトップとか
馬鹿くせ〜!と武力で西日本制定。
431 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:11:28 ID:NBmW05BsO
奴国はどこにあったの?
432 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:12:05 ID:vrX8qLZVP
>>418 基本的には口承でしょう。そりゃ昔の発音と違う可能性があっても当然かと。
昔の発音を知る手段は、昔の人が編纂した辞書使うとか、文献から手掛かりを得るとか、
色々な手段があるけど。
433 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:12:07 ID:MXePYqt/0
>>428 マジで?
通訳的な立場の人のミス?
それとも、イダテがどっかでダテに変節したの?
>>395 ちゃうねん。
記紀に出てくる桃の記述はあきらかに道教的なもので、
一方魏志に出てくる邪馬台国の記述には、道教のかけらも
出てこんじゃないかと。
鳥栖インターの地下とかに埋もれたままなんだろうなw
畿内説が正しいんだろうけど、ただそれだと魏志倭人伝が出雲をスカッと無視してるのが、
どうもねえ。
当時から出雲は一大勢力だったはず。
437 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:13:53 ID:pCPuwnpo0
>>420 東の島国周辺を倭と書いていた国があり
その周辺地域では島国は「やまと」という国名の音になっていて、
漢字が伝わってから倭=やまとと読むことになりました
しかし倭という漢字は悪い意味が込められた文字なので
大和と当て直しました。
当時一般的に大は「おほ」と読まれますが、美称です。和はもしかすると聖徳太子の12条憲法から拝借したんじゃないですかねー
「和を以て尊しとなす」。
ただそれだけで別に深い意味はないですお
でもってたぶん「山門」が元だと思います
対になるような言葉に「水門」(みなと)がありますからー
438 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:13:55 ID:pyA6EOuw0
>>423 その時代に既に音読み訓読みがあったてことですね
倭の音読みの「わ」を「和」と当てた
また、ひとつ勉強になりました 有難うです
邪馬台国はどうだか知らないけど邪魔大王国は九州だよ
440 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:14:12 ID:UEJWi9zv0
>>426 うん、それは何となく分かるけど
今の日本で邪馬台国の時代に、何の配慮がいるんだ?
441 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:16:01 ID:pCPuwnpo0
>>425 何を意味するかって何ですか??
くっきりはっきり仮名文字の使い分けがあったので
八母音であることが分かったんですよ。
旧唐書の日本伝には
>日本国は倭国の別種なり。
>其の国、日辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。
>倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す。
と書いてある
443 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:17:35 ID:BNQ305+W0
>>437 中国側が倭をヤマトと発音してた根拠あるの?
日本古語の一人称、「ア」に当てただけでしょ
444 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:18:25 ID:b3yKZRC50
>>436 魏志倭人伝に出てくる投馬(ズマ)が出雲という説はあるね
445 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:19:55 ID:2vbwCHCJO
出雲がいろいろ保険をかけてたんだろ
>>443 >中国側が倭をヤマトと発音してた根拠あるの?
んなこと書いてにゃい。
>日本古語の一人称、「ア」に当てただけでしょ
さぁ。なぜ倭という文字を当てたのかは知りませんし想像もつきませんが
その当てた文字が蔑称的な意味の文字だったので変えたんですよー
447 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:20:38 ID:b3yKZRC50
>>440 宮内庁が古墳の調査をさせてくんない
卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳を調査すると
もしかして何かがわかるかも
阿蘇に大銅鐸があるかないかできめりゃいいじゃん
449 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:21:39 ID:UEJWi9zv0
金印だけじゃダメか…俺の生きてるうちには分かんないな、多分
死んだらすぐに調べてみるわ
>>431 邪馬台国連合の中にも、奴国というのが出てくる。
伊都国の東南100里。
伊都国は糸島、奴国は福岡市だろうというのは
畿内・九州説ともだいたい一致した考え。
志賀島も目の前だから、奴国はそのままだったんじゃないの
452 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:24:00 ID:BNQ305+W0
>>446 ごめん、ちょっとレス内容読み間違ってた
忘れてくれ
ヤマト(音)
↓
倭(輸入漢字)
↓
大和(当て字)
ということね
453 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:25:10 ID:pyA6EOuw0
和歌山にズバリ伊都て地があるけど関係ないよね
いや、関係あると熊野と古代日本の関係でチョット面白いかなあと
>>450 福岡はどう見ても「東南」じゃないけどな
九州説が、ここだけ方角を無視するのはいただけないな。
455 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:25:34 ID:O4IXTklqO
>>398 「台」じゃなくて「壹」か「臺」で考えなきゃいけないんじゃないの?
456 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:25:51 ID:4Ady/wX20
あぁ、邪馬台国なら今俺の胸の下でスヤスヤ眠ってる。
457 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:26:26 ID:pCPuwnpo0
>>451 上代以前の母音の体系がはっきりしてにゃい、というのに噛みついたんですが
文献の無い三世紀の話はしりましぇん。
だいたい文献が無い以上「ハッキリしてない」とかも言えない筈なので。
458 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:27:59 ID:J4ATbbxX0
九州なんすけどね〜、わんないかな〜w
大分だよ^^
459 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:28:13 ID:UPi0mQItO
>>442 つまり中国からみての日の本なんだよね
日本とは中国を基準として名付けられた国名
460 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:28:31 ID:UEJWi9zv0
>>447 宮内庁に、そんな権限あるん?なんかカオスだ
461 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:28:35 ID:pe65U5bjO
九州から日本って始まったと思う
九州から近畿地方へ
なんか神宮とか九州多いし成熟してきたのは近畿あたりからかな
>>454 今、奴国とされてる須玖岡本遺跡は糸島から見て東南だよ
463 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:29:27 ID:pCPuwnpo0
>>452 漢字の知識を持ってた帰化人が「この地域は倭と書くんですよー」と持って来たんでしょうね。
「へー。吾が国やまとは<倭>と書くのかー」
・・・アレ?
北海道に北広島ってあるよな
あれは移住者の出身地が…だったが
畿内から移住した連中が故郷によく似た土地を見つけた時
それとなぞらえて地名をつけた…なんてことはないか?
逆もまたしかりかもしれないが
尖閣と竹島あたりだよ
>>454 糸島、福岡と海沿いに行くなら
わざわざ唐津に上陸する必要はないわけで、そのまま船で行けばいい。
伊都も奴国も内陸のはず
468 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:31:52 ID:NBmW05BsO
日本が日本国を名乗るのは七世紀でしょ。
邪馬台国なんかよりずっと新しい。
469 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:32:45 ID:sDmUCkx00
>>459 当時、日本列島より東に、国が有るとは知られていなかったので、
倭種の国とは、インドからも大秦からも中国大陸からも、日の本の国、日本。
中国人の世界観だけが真理ではない。
470 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:32:59 ID:fbJIOS6jO
邪馬台国にライバルなんか聞いてはもはや卑弥呼(A)しか思い出せない
471 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:33:47 ID:J4ATbbxX0
>>461 折れもそう思う。決め手にかけるのはそういうことだね。
九州にはじまって、瀬戸内海から近畿へ
ローマ帝国みたいに巨大化していったんじゃないかと。
遷都したかもしれんし・・・だからわからんのよ
472 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:34:31 ID:RMiultaS0
>>441 それは上代じゃなくてチョン代かチャン代の母音だろうね。
つまり日本に入ってきたチョンやチャンコロが文官やって文書の記録に携わったから
日本人が意識せずに使い分けていた母音の微妙な違いを
母国語に育て上げられた音感で聞き分けたというだけだろ。
帰国子女が日本語のRA行とLA行を聞き分けちゃうようなもの。
日本人の文官はそれを耳で聞き分けられる公然たる事実ではなく
単なるル−ル、決まりごととして学習した。
だから書き間違いもあるし、帰化したチョンやチャンコロが世代を重ねるに従って
日本語にさらされた耳が日本人化して
廃れて元の5母音に戻った。
これが真相だよ。
邪馬台国でも関西弁だったのですか?
九州ちゃうで〜とか。
日本というのは名乗ったんでなくて文字を変えたんですよ
倭→大和と一緒です。日本武尊で「やまとたけるのみこと」です
ジッポンとかニホンとかは漢語の読み
476 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:36:03 ID:BNQ305+W0
「日本」はどう考えてもアマテラスを神道の祖にしたかったからでしょ
記紀と同じ政策上
西都原古墳群とか、すごいんだよね、九州の古代文化は。
ただ、岩井の乱とかで滅ぼされてからは、ぱっとせず現代まできちゃったかんじ。
478 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:36:49 ID:w6uYkskaO
いくら卑弥呼の邪馬台国があったって、九州や畿内の各候補地みたいに約千八百年後には、ただの田舎
479 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:37:03 ID:b3yKZRC50
>>460 古墳は宮内庁の管轄だからね
たとえば、考古学者が古墳を調べたいけど許可がおりない時ってどうするか知ってる?
台風が通った後とかに古墳行くんだって
それによって崩れたりしているトコを遠くから観察するのw
冗談みたいだけどホントの話
卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳も
どうして年代が卑弥呼の時代とあうのがわかったかというと
箸墓古墳自体を発掘した訳ではなく
周辺を発掘して出てきたものの年代を鑑定した結果なんだよね
>>474 ふーむ
こういう例があるのか
何かもう一寸決定的な証拠が挙がらない限り厳しいなぁ
3世紀頃の一番でかい集落が見つかればそれが邪馬台国って何か違う気がするし
邪馬台国を追い求める前に奈良飛鳥から遡れる所まで遡った方が良いんじゃないかなぁ
481 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:38:53 ID:NBmW05BsO
帝が賊退治に日本中をうろちょろしていたのはいつ頃ですか?
482 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:42:07 ID:sDmUCkx00
>>467 ミニ邪馬台国の最初のカタチが沖縄に有った説は、あり。
日本人男の最大遺伝子Y-D2系統(おそらく菜畑系縄文遺伝子)の次いで
2番目に多いY-O2b+Y-O2b1(おそらく近畿水田系統) が、江南より
沖縄諸島を経て九州〜瀬戸内海〜近畿へ北上した可能性が大きい事は、
現代八重山諸島のY遺伝子の圧倒的多数派が、Y-O2b系で有る事が何よりの証拠
>>474 有名な地名相似だね
上でもでてたけど、それも、中央政権が朝鮮半島へ数年・数十年がかりで遠征したときに
中央の人たちが九州・甘木地方にしばらく住んで、地名が定着したんだろうって説もあるんだけど
その地名相似は、日向地方にもあるし、つまり記紀にある東征の経路上に綺麗に並んでいるので
東遷説のほうがしっくりくることはくる。
484 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:42:11 ID:UEJWi9zv0
>>475 ジッポンからjapanになったってのはマジなん?
高校んときの英語教師のギャグだと思ってたんだけど
もしかして本当なん?!
485 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:43:17 ID:BNQ305+W0
じゃあなぜ国名の読みにヤマトとつけたかというと
やはり「ヤマト」の意味するものが建国にとって重要なものだったからでしょう
重要とはつまり、経済的な大発展に繋がる原因になった、象徴的なものということ
山門ならば貿易港、または沃土として充分に国の発展に貢献しうる
そこで蓄えた力で北九州を統一。
これなら国名とするのに充分な影響力がある
単なる山の入り口を国名にするというのは考えにくい
やはり語源は港としての「山門」が妥当だと思う
486 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:43:18 ID:UPi0mQItO
東遷て簡単にいうけど
基盤が農業つまり土地に根ざしている以上
これこそ難しいんじゃないのかしら
@なぜ東遷しなければならなかったのか?
A元の九州のその地のその後はどうなった?
B大和の地に移った経緯は?
C移動の途中はどんな状況?
D大和に元々いた人々はどうなった?
これらにちゃんと答えがあるの?
>>481 天皇は九州へは討伐によく出陣するけど
東日本には行ってないよね。
やっぱ九州が重要地だったんだろうか
>>457 文献がないんだから
どう考えたって「ハッキリしてない」だろ?
>>462 へえ、ずいぶん遠い百里だね
それじゃ伊都国が姪浜くらいまで入らないといかんのじゃないか?
いずれにしろ末盧国から伊都国までの方角もおかしいけど
>>482 邪馬台国の末裔が沖縄に流れていった説もあるよね。
習俗的に、魏誌に書いてある邪馬台国イメージにいちばん近いのは沖縄かな。
沖縄の建国伝説もご先祖様は「ヤマトから船で来た」ことになってるし。
490 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:45:20 ID:lc8kR+jVO
奈良大阪には大和川が流れてます
>>486 数百年を経て吉凶で遷都する人たちに現代的な合理性を求めても無駄だと思う
>>486 東遷ていっても、国の全部が移動したわけじゃなく
実際にはごく一部のグループだけが移動していった というイメージじゃないのかな
(もちろん記紀はそういうふうに書いていないけどね)
>>484 ヨーロッパに日本のことを伝えたのは
マルコ・ポーロじゃね。
元ネタは中国人から聞いた話だろうから
国名は中国語読みになる
>>472 そもそも、仮名文字というのが出来あがったのが
文章を和言葉で書きたいがためだったはずなんで
日本書紀ですらも、監修は大和の人間が行って、漢字の書ける人に指示してたんじゃないですかねー
文法的にスッキリしているので、「こりゃ法則があるわ」と注目されたのが最初ですし
全部調べると法則通りにきちんと並んでたんだそうですよ。
それで甲音、乙音というのがあるのが分かった。江戸時代のお話ですー
495 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:49:01 ID:BNQ305+W0
>>486 仮説ならあるだろ
北九州で衰退した邪馬台(ヤマト)は
日向の小国となる
復興を期したイワレヒコはかつて邪馬台から分裂した
畿内ヤマトを目指す
畿内の支配者ニギハヤヒは高天原の一族、ということだからね
496 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:50:28 ID:pCPuwnpo0
>>487 景行天皇とか日本武尊が行ってるよ>東日本
>>488 上代における母音の在り方は「ハッキリしてます」よ?
三世紀は文献がないからといって、上代の八母音はいいかげんなのだ、とはなりません(笑
497 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:51:24 ID:UEJWi9zv0
>>488 方角しか言ってないのに、なんで半ギレなの?
畿内で決着ついたじゃねーか。
新しい出土品が出たわけでもねーのに往生際が悪い。
500 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:53:33 ID:PeK5upprO
「UFOどこっ?!」を思い出してしまった
501 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:53:37 ID:pyA6EOuw0
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬壹国に至る
近畿説はここが最大のネック
南に水行10日の記述の説明つかない
東に水行10日ならともかく
502 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:54:15 ID:5Wzmshkd0
だから、
邪馬台国→ヤマトコク
卑弥呼→ヒメノミコト
だっていってんだろうがwwwwwww
ほんとアホだな
>>484 さぁ。ジャパンと呼ばれるようになった経緯は知らんw
ジツは漢音でニチが呉音だったかなー
つーかなんで「漆器」なんだろうな
504 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:56:09 ID:BNQ305+W0
邪蛮愚とか
505 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:57:03 ID:8Fsx5clJ0
帯方郡から1万2千余里というのは、短里とすると
北九州説とあうが、434mの長里とすると、日本本土の
外に出てしまうんだよね。
南を西と読み換えたとしても、これをどう誤魔化して
いるんだっけ。
いずれにしても、畿内説は無理ばっかりで、大学の先生が
唱えるような説と信じられない。
2世紀か3世紀かに阿蘇山が噴火してたら面白いのになー
507 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:57:40 ID:UEJWi9zv0
>>503 漆器は、日本の特産だからじゃね?
Japanありきのjapan、じゃないの?よく分からんけど
508 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:57:53 ID:IrrN4wSC0
>>367 ヤマトという音に大和(大倭)という字を当てただけだから
字と音に関係がない
509 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:58:38 ID:5Wzmshkd0
>>503 は?ジャパンじゃなくてリーベンだよ?
日本→リーベン 中国読みです
ちなみに、チャイナ、シナ、キーネ、チナ、全部一緒ですよ。
美味しい→美味(ハオチー)、ハーシー、ハオシー、オイシー
単語レベルでは、東アジアは同じ言語が多いんだよ
そんなことも知らんのか
はっきり言うが、日本人と中国人は、単語レベルでは音読みと漢字で十二分にコミュニケーションできるよ
510 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 01:59:28 ID:BNQ305+W0
…ZIPANGが先ですから
アキラメロン
九州説を唱えてた奴は人生棒に振ったんだよ
俺もがんばろっと
>>501 それを言ったら、北九州説も南へ水路10日+陸路1ヶ月は成立しないけどね。
船で南に行って、徒歩で北上でもしたっつーんならまた別だが。
>>507 やっぱ命名は商人なのかなぁ。>英語名ジャパン
514 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:01:38 ID:BNQ305+W0
515 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:02:22 ID:5Wzmshkd0
そもそも魏志倭人伝ってのは、
東夷、つまり東の蛮族はこんな奴等だよっていう物語なんだよ。
この倭人伝を書いたやつ自体、九州に上陸して、そこで聞いた伝聞を書いているに過ぎない。
そもそも中華思想を理解してないから、アホみたいに固執することになる。
当時の日本の状況や中国の状況からして、あっちの方に土人がいるんだけど、
そいつらが今だに呪術を信奉してて、女シャーマンが仕切ってる蛮族だよー。
って聞きましたっていう話、面白いでしょ?
このレベルだっつうの。
516 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:02:49 ID:IrrN4wSC0
>>388 それは国名ではないと思う
やまとことばには、ラ行で始まる単語が存在しないから
ラのクニってのはありえない
単にその部族が裸だったから裸国
歯を黒く塗ってたから黒歯国
って中国人が勝手にそう呼んだだけだと思う
>>496 だから8世紀の話をしてもしかたないだろ?
8世紀(の奈良)はハッキリしてる、
3世紀は何もわからん。
>>498 奴国がそこであるはずがないから。
畿内説だけど吉備やら出雲がうざいってんで
伊予水道抜けて高知いって新宮あたりから大和いりって可能性は0なの?
邪馬台国というか、卑弥呼の時代の邪馬台国なら大和で決定でしょう。
それ以前のヤマト政権の原型は九州にあったと思うけど。
>>492 なんとなく三々五々、潮の流れに乗って九州、四国、瀬戸内海、そして大和という
流れで水稲耕作技術をもった人々が東へ東へ開拓していったような気がするな。
陸稲は縄文時代からあるけれど、水田を作る技術は、まんま王権と結びついて
東へ進んだから。あと律令制のもとで南海道は四国に淡路に紀州でしょ。
和歌山って今じゃ近畿地方だけど、昔は四国扱いされてた。
神武天皇は熊野から大和に入ったことになってるし、黒潮に乗って進んだんだと思う。
520 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:03:59 ID:pCPuwnpo0
>>509 は?「中国語」って漢音とか呉音とか残ってるの?
>>512 海だろうと陸だろうと、途中まで距離を書いてたのに
急に、日数になるのがわけわからん。
距離がわからないような状況(ぐるぐる回り道させられたとか、道に迷ったとか)
があったのか
>>505 出土品から考えると畿内なんだよ〜。
ちょうど魏の時期に、畿内には住居とはまた別の大きな建造物群があって、
日本各地の特徴的な出土品がそこから出土してる。
これは、そこに政治の中枢である中央集権的な政治機構が存在していた物証なんだよ。
523 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:05:17 ID:UEJWi9zv0
>>510 ジパングの起源はジッポン?
…なんか起源主張するどっかの人みたいで寒気したけど
ジパングとジッポンってどうなんだろうね
524 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:05:34 ID:sDmUCkx00
>>509 その程度の理由なら、アメリカ人と日本人も、単語レベルでローマ字読みと英語読みで充分コミュできるお。
敵刺す テキサス
ケンネル 犬寝る場所
ぐぐって見。わらわら出て来る。
525 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:05:52 ID:2vbwCHCJO
畿内だけだと銅鐸と鉄器の優位性が説明がつかない
526 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:05:56 ID:tZ74UHbu0
邪馬台国宇佐説を支持するよ
527 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:06:12 ID:pCPuwnpo0
>>517 三世紀って横レスを出したのが単にそちらさまなだけで
こちらは上代以前の母音の話をしてたんだよ。
528 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:06:18 ID:BNQ305+W0
>>515 かなりユートピアとして書いてる
どっちかというと南国観光記
それにさすがに国が企画した歴史書なんだから
他国に読ませても馬鹿にされないレベルのものを目指すだろう
編者が適当に嘘書いて、実際当地に言った他の奴からでたらめだと暴露されたら責任問題になるだろ
529 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:06:24 ID:Eac4Yw+nP
原爆被害者の広島と長崎は顔違う、。
長崎の方が明らかに濃い。
よって邪馬台国は関西。
530 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:07:06 ID:5Wzmshkd0
ジャパンってのは、ニホンのナマリなんだよ。
ニホン自体、
日本という漢字の音読みであって、リーベン、イーベン、ニーベン、リャーバン、リャーバ、
これ全部、中国国内のなまりね。
だから、海外でヤーパンが日本を指す言語もあるし、ジャパンはリーベンのなまり、
ニホンってのは、日本という漢字のひとつのなまりだ。
ちなみに朝鮮半島の訛りでは、イルボン 日本や日本人のことを指す言葉だ
何がジャパンだよwwwおまえらは知識がなさすぎるくせにアウトプットしすぎ
531 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:07:42 ID:NBmW05BsO
>>516 そのレスは国名のことを言ってるんじゃなくて、
地図を90度まわせば、南が東になって、畿内に着く
という話へのレスでしょ。
もっとはるか南に裸国や黒歯国というのがあるという記述は
どうなるんだって。
>>510>>523 じゃー
マルコポーロっていう12,3世紀くらいの人が
陶器の国のチャイナで仕入れたジッポン産の漆器を売ってまわってたってのでどうよ
九州だろうね
535 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:09:29 ID:2RVjRGiN0
神武東征は九州の邪馬台国が畿内まで東征して大和朝廷になったことを指すのが一番自然だな
536 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:10:23 ID:BNQ305+W0
>>523 マルコ・ポーロはイタリア人で著書の東方見聞録に「ジパング」って書いたのを知らないわけじゃ・・・
>>522 そんな強大な国が中国に朝貢する必要はない。
倭人伝読んでみろ。
30カ国の弱小連合。
中国に朝貢したのも、南の狗奴国との戦争で負けそうなので
援軍を送ってほしいからだぞ。
しかも卑弥呼の前も内乱、卑弥呼が死んだ後も内乱と
内側の結束もグダグダ。
これが西日本を支配する国なわけがない。
その後の大和朝廷と連続してないことは、
邪馬台国の後、150年間も日本から使者が来た記録がないことでも明らか。
売国の邪馬台国は滅亡したんだよ。
大和朝廷は、中国なんか無視して繁栄していた。
>>517 ん?なんで?
伊都国から東南に40kmって結構ぴったりだと思うけどね。
どこらへんだと思うの?
539 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:11:52 ID:IrrN4wSC0
>>443 馬鹿だろおまえ
中国側は倭をワとしか発音してねえ
540 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:13:57 ID:UEJWi9zv0
>>533 >>536 俺はかなりのアホだがマルコ・ポーロのジパングぐらいは知ってるw
邪馬台国の東行なんたら、どうたら、ってのは全く分からんけどw
苅谷俊介さん参加するのかな?
542 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:14:40 ID:2vbwCHCJO
神武のヨメさんがタタラヒメ、鉄の女だから
そういうことなんだろ
543 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:14:54 ID:NBmW05BsO
朝鮮には記録が残ってないの?
544 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:15:12 ID:BNQ305+W0
>>535 ただし畿内にもヤマト系の王朝があったのも間違いなさそうだ
神武がニギハヤヒの命はスサノオの子で高天原の一族、という記述だから
天武朝がこれを皇統の近親、と位置づけたかったのに間違いはない
545 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:15:25 ID:tZ74UHbu0
日本全国にある八幡神社の大元は宇佐八幡宮
そこに祀られているヒメオオミカミ(卑弥呼)
546 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:15:52 ID:5Wzmshkd0
>>527 こちらも上代以前の母音の話をしてるんだけどね
上代の母音はハッキリしてる。
それ以前がわからん。
549 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:17:33 ID:IrrN4wSC0
>>484 もしかしなくても本当に決まってる
秦(晋、清)→China
高麗→Korea
日本→Japan
全部、音がそのまま輸出されて変化しただけ
550 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:20:03 ID:BNQ305+W0
>>539 日本語は
へ→え
は→わ
というふうになまっていったんだよ
一人称「あれ」→後の「われ」
ああ、書き方が変だったのか
失敬、失敬。
信長以降の強い統一支配を考えると間違える。
それ以前は、地方で勝手にやっていて
何か必要があったら、朝廷や幕府に金積んで
名目をもらうだけの調停機関に過ぎない。
畿内は畿内、九州は九州で勝手にやっていた。
別に反目する理由もない。
国境の接しているところで、時々小競り合いがある程度。
むしろそんな戦争を防ぐために、王家同士の婚姻政策などは
普通に行われてきた。
で、後に白村江で九州勢が壊滅したときは
ごく自然に関係の近い勢力が、代わりを務めた。
全く関係の無い勢力なら残存勢力とひと騒動あるところだが
親戚なら仕方がない。
そのなかで自然に畿内に勢力が集まっていく。
大化の改新が起こり、白村江で九州勢壊滅のあと
大和朝廷が成立し始める。
553 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:20:38 ID:Eac4Yw+nP
後漢書に
筑紫国の隣に秦国ありとある
この秦国が邪馬台国なのはほぼ自明。
反対解釈でいくと筑紫国は邪馬台国ではない。
では筑紫国とは何処か、筑前筑後かまたは九州全体か?
俺は筑紫国は前者と思ってる、だから現在の宇佐近辺から
東北の本州全域が邪馬台国と思う。
マルコ・ポーロがジパングを黄金の国だと思ったのは
チンギスハンから、自分の育った平泉の金色堂の話を聞いたから
555 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:21:25 ID:5Wzmshkd0
我々は日本の国と書いたから、リーベンとか、ジーポンとか発音されてんだろ。
俺達がGEORGIAを
英語訛りで、ジョージア、
ロシア訛りでグルジアと読み分けているようなもので、
言語の読み方とはその当時の言語の強さが反映される。
マイケル、ミカエル、ミヒャエル、ミーシャ、ミッチェル、ミッシェル
全部同じ意味なんです。
こういうのヨーロッパの人達はスンナリ理解できてる。
単一言語を意識し過ぎな日本人にはこの感覚は難しいだけ。
>>552 やっぱ神武東征だけ異常だな
兄王子死にまくってるのに作戦活動を継続したり、勝つまで一度も帰らなかったり
なんであんなに悲壮感漂ってるんだろ
>>538 百里が40kmなら千里は400kmになるでしょう。
対馬国やら一大国はどこまで行ってしまうんだって。
素直に読めば奴国・不弥国は有明海北岸辺りになる。
>>554 ちょっとそこ、勝手に人んちの義経を外国に連れて行かないように。
559 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:25:06 ID:IrrN4wSC0
>>510 ジパングはZIPANGじゃなくてZIPANGUが正しい
GUは「国」だからZIPANが日本
>>509 リーペンは現代北京語読みであって漢音でも呉音でもない
560 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:25:10 ID:tZ74UHbu0
宇佐神宮本殿の下には卑弥呼の墓があるという説を唱えたのが松本清張
>>543 朝鮮で一番古い歴史書は
12世紀に書かれた三国史記
562 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:25:34 ID:5Wzmshkd0
漢の時代の物語に書いてある数字なんて適当に決まってるのに、
真剣に議論するなんて愚の骨頂
んなもん確認もしてないのに、適当に書いてるだけなんだよ。
東方の倭の辺りに、どう仕様も無い土人連中がいて、
すごい遠いので、現地まではいきませんでしたが、こういう話でした。
そういう報告書なんだよ。
そもそも呪詛だの、龍だの、凶兆だのが真剣に議論されてる時代の物語を真剣に語るなんてw
アホ臭wwwwwwwwww
563 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:25:47 ID:pCPuwnpo0
>>555 方言ね。
つか何をぶつぶつ言ってるんだ。ヨーロッパ語族の言語がどうかしたのか。
>>542 出雲勢力との政略婚はあったろう。
象徴的に初代天皇の嫁さんに仕立ててるが。
ヤマタノオロチは山陰の製鉄集団のことだし。
ちなみに
>>474の大和の方の地図、朝倉のやや西側に「出雲」という地名が残ってる。
そこに出雲から呼ばれたか連れてこられたかした人たちが住んでいたんだろうね。
>>554 そっかー
ベンケーはどうなりました?元気でやってますか。
566 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:26:10 ID:BNQ305+W0
567 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:27:24 ID:UEJWi9zv0
>>549 うぉ! 俺は10数年間、あの英語教師を、全く信じてなかったのをここで謝る
ここで謝っても、意味ないけども
568 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:28:09 ID:OoJoj1H50
もうほとんど結論出たんじゃないの?
奈良には後の大和朝廷に繋がる大国が存在した。
邪馬台国と呼ばれた国は九州に存在したが、小国の一つにすぎなかった。
魏志倭人伝の記載は貢物を持ってきた邪馬台国を必要以上に誇張して書いたために、日本を支配していた奈良の大国が邪馬台国とごっちゃになってしまった。
これが真実だろうよ。
569 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:28:12 ID:Eac4Yw+nP
>>32 甘木はないw
後の文献読めば一目瞭然、
あそこは神功征伐地ww
偶然の地名の似通ってるのは問題外。
570 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:28:31 ID:NBmW05BsO
571 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:30:27 ID:IrrN4wSC0
>>537 じゃあ足利義満は誰に負けそうで朝貢したのさ?
>>557 有明海なんだ
糸島起点でいいの?それだと真南になると思うけど
ちなみに方向と距離はどういう風に考えてのことだろ?
573 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:31:14 ID:BNQ305+W0
>>568 少なくとも畿内ヤマト朝を乗っ取ることが出来るだけの力はあった
574 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:31:16 ID:5Wzmshkd0
お前らってまさに、邪馬台国の謎論争に乗っかっちゃってるカモだな。
んな適当な情報でアーダコーダ議論しても始まらん
そもそも邪馬台国情報そのものが適当なのに。
作り話レベルを夢中で議論するなんてw
もっと科学的に物事を考えられるようになれよ。
それでも現代人か。
>>568 そして田舎もんの九州人に侵略支配された神話を残すヤマト政権…ガチマゾですね。
576 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:31:58 ID:NBmW05BsO
>>561 随分新しい。新羅や百済などの記録があっても良さそうだ。
577 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:32:09 ID:o34QqGry0
北部九州は神功の勢力範囲だな。
福岡平野東側の宇美八幡宮
旦那である仲哀の香椎廟
渡海した時の伊都の産み石や松
佐賀の神功の妹の與止日女神社
>>571 義満の金儲けや唐への憧憬と邪馬台国の切羽詰った状態は一緒に考えないほうが
>>574 邪馬台国って読売新聞の中の人が大好きだよね
遺蹟が出ると何かと言っちゃ邪馬台国邪馬台国って書いてんだもん。
アホみたい。
580 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:34:53 ID:UgetB8pvO
福岡に八女ってあるやん
八女津媛伝説もあるし
邪馬台国と関係ないの?
581 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:34:56 ID:5Wzmshkd0
大体、邪馬台国の金印?志賀島で見つかった奴?
あれ自体、模造品で、現品じゃないって認識、お前らには有るのか?
582 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:35:04 ID:IrrN4wSC0
>>563 JAPANが「日本」の英語訛りでしかないってことを理解できない人が大勢居るってことでしょ
NIPPON、NIHONは「日本」の日本語訛りだということも
583 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:36:01 ID:Eac4Yw+nP
ヒロシマ、山口、大分(宇佐)、四国あたりは
東日本人は知るよしもないが似たような
方言喋ってるのよ、人的交流ももの凄く盛ん。
八幡もこのあたりから東の方に広がってるだろう。
一方、福岡側の方はあまり八幡の地名はない
神社でも大きなのはないよ。
宇美八幡ぐらいか、神功由来だもんな、
後に八幡は後付。
八幡=秦王国=邪馬台国なのは自明。
神武の生まれた王国が畿内王朝のけしかけてくる周辺王国によって滅亡寸前となり
出征あいだは宇佐国に日向を守ってもらって
一発逆転狙って畿内に攻め入って都を制圧してしまったみたいな話は無いの?
都市国家の集合体だから可能な行動だけど
>>447 確かに、朝鮮由来の品物が出てきたら、記紀と三国史記の
記述が正しく、半島を倭が支配していたという紛れも無い
証拠だもんな。
586 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:37:55 ID:NBmW05BsO
>>580 磐井の墓と言われる古墳がある。美人が多かったらしい。
黒木瞳のような……
>>582 日本の漢語読み(漢音)の英語訛り
日本の漢語読み(呉音)の日本語訛り
って書かないと勘違いする人がでちゃうおかん
588 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:38:37 ID:IrrN4wSC0
>>578 邪馬台国が切羽詰った状態だったという根拠は?
>>581 金印?
新書がBOOKOFF100均で出てるくらいだから、
ちょっと興味のある人の間では
もはや誰でも知っているでせう。
590 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:40:05 ID:Eac4Yw+nP
>>577 だめ、神功由来の宇美八幡以外は仲哀は八幡だから
福岡じゃない。
小郡市大保では仲哀は地元民に暗殺された。
伊都のは三巻征伐由来だし、基本神功が福岡の内陸の方に
入ってきたのは征伐とか従属とかの名目。
なんか強烈なバカが一匹まじってるな。
志賀島の金印なんて時代が二百年ずれてるだろ。
目をあわさないようにアンカーはつけないがw
592 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:40:30 ID:UEJWi9zv0
結論の出ないことにあーだこーだ言うのが面白い ロマンだよ、ロマン
俺も野次馬だけど、こんなこと探求する人は好きだな tkマジ、リスペクトする
>>588 海外に救援もとめたりしないでしょ。普通は
自国の領域内に他国の軍を入れるなんて、よほど追い詰められて無い限りやらない
594 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:41:31 ID:2vbwCHCJO
畿内→ 出雲のファイルバックアップ 大国主≠大物主 だが別神、国造りをアウトソーシング
朝鮮半島→ 出雲の鉄産地確保の植民地経営 しかし独立意識が強まる
邪馬台国→ 出雲が株主だが表に出さずに経営
代表取締役はヒミコちゃん
こうじゃないかなぁ?
都合が悪くなると自己責任で切り捨て
ここら辺は今も昔も
このスレ見てると
ヘブライ語と日本語が同源だった!とかいう本が絶えないのも
わかるような気がする
596 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:43:00 ID:tZ74UHbu0
597 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:43:06 ID:Eac4Yw+nP
>>592 これ東日本人が絶対解明出来るような問題じゃないけど
九州人では結論付いてるよ、商業的な意図は別にあるけど
邪馬台国は大分山口から東北方面の本州全域。
その拠点は関西。
598 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:43:08 ID:P0lFYRme0
中国側の書物に厳密に従うと台湾より遥か南方の海上なんだっけ?>邪馬台国
やはりムーか
>>592 邪馬台国の話にロマンは全く感じなくて
むしろ電波発信源になってるなーって感じで覗いてますー
ライバルを迎え、といえば聞こえはいいが
大阪の陣状態とも言えるだろう
>>566 水行一里は40〜50mくらいにならない?
桁が2つ違うと思うが
>>572 末盧国は唐津か伊万里、仮に伊万里とすると
伊都国は武雄か、その先の杵島郡辺り
奴国、不弥国から有明海に出て、
水行して、陸行して、
邪馬台国は日向
糸島なんて偶然発音が近かっただけの他人の空似
ただもちろん糸島にも国はあっただろうけど
602 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:44:42 ID:5Wzmshkd0
漢倭那国王の金印→偽物
邪馬台国→ヤマトコク(中国では他国に大などを使わず、邪や倭といった差別語を当て字する)
卑弥呼→ヒメノミコト(中国では蛮族に姫など名乗らせず、卑しいなどの感じを当て字する)
魏志倭人→九州に上陸して聞いてきた倭の様子を報告しますという内容。
もうそろそろ気づけよwwwwwwwwwww
例え九州だったとしても佐賀はない。
村おこしに付き合う気はない。
604 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:45:11 ID:BNQ305+W0
>>592 おれも「事実」か「論理の破綻してない仮説」を見るのは大好きよ
でもなんか根拠もないのに決め付ける人も多いんだよね
特に畿内派にw
もちろん納得できる根拠があればいつでも鞍替えするんだけど
絶対金も絡んで議論してる奴もいるってw
605 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:47:30 ID:BNQ305+W0
>>593 救援をもとめた、という根拠は?
魏志には無いけど
606 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:47:30 ID:Eac4Yw+nP
>>604 九州人は感覚的に関西とか関東方面の人種とちょっと違ってると
思ってるから九州人が日本の大元になったとかそういう考えを
持つ事はあり得ないと思うよ。
邪馬台国なんて、どこだって別にどうでもいいだろ?
邪馬台国が大和朝廷の前身だというわけじゃないんだし。
608 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:47:44 ID:5Wzmshkd0
邪馬台国なんてないし、卑弥呼もいない
あったのは大和国のヒメノミコト
>>604 宮内庁が古墳の発掘を許してくれないんだから仕方がない。
まぁ纒向遺跡でほぼ畿内説確定になったが、箸墓をみたいなぁ。
610 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:50:20 ID:pCPuwnpo0
>>609 纏向遺跡と邪馬台国がどうして関係するのー?
纏向遺跡は日本書紀と照合すべきものであって、魏志倭人伝の邪馬台国は
場所すらどこかわからない曖昧記述なのに照合できるわけないでしょー
611 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:50:25 ID:BNQ305+W0
>>594 おもしろい
出雲が邪馬台国の黒幕って根拠は?
>>605 わざわざ遠くの国に使節やって内乱が起きてますみたいな内情をさらす理由って他にある?
613 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:50:48 ID:Eac4Yw+nP
筑後平野は言うほど安定ではない気がする。
まず古墳なんて作る土地ではない、
筑後川は元は千歳川とか一夜川とか言われてたとか
意味は一夜の洪水で町が変わるとか。
>>609 宮内庁が許可しないのは、古墳に朝鮮からの貢物が一杯あるから、
普通の頭だと文献史料通りだなふーんで終わるけど、
相手がアレじゃ余計な話になるから。
>>612 それって「倭と行き来してます!」って報告してる帯方郡のお役人が言ってる事として
記述されてんじゃないの。>魏志倭人伝
616 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:53:20 ID:BNQ305+W0
>>601 なにか今では分からない距離記述のお約束が、まだあるのかも。
でも水行1000里がおよそ1日行程というのは間違いないんじゃない?
617 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:53:42 ID:Eac4Yw+nP
いえ、邪馬台国は大和王権そのものです。
中国が勘違いしたかあるいは日本側が後で
史実を変えたかいずれかです。
>>610 場所ははっきりしないが、時代は明確だからな。
遺跡の年代が邪馬台国と重なり、
更にそこが当時の倭国の中心であれば、そこが邪馬台国で決まりだ。
中国から貰ったものなんかが出土すれば完璧。
>>610 モモソヒメが卑弥呼でそのお墓が箸墓古墳だってだけで十分でしょ。
あの陸行一月云々なんかどうでもいいよ。正確な記述じゃないのは、
それをめぐって諸説紛々な時点で自明でしょ。
620 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:55:31 ID:5Wzmshkd0
邪馬台国が和国の中心も何も、
当時の日本列島は統一されてないっつうのwwwwwwwwwwwwww
621 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:55:52 ID:2vbwCHCJO
>>611 ヒミコが楽浪群に使者を出すにしてもさ
半島を経由するわけだから
そこに権益があるのは出雲だけじゃん
邪馬台国がどこにあってもだよ
622 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:56:24 ID:pCPuwnpo0
>>617 残念ながら
海外から来た事情を知らない人に
勝手に「我こそ大君」と名乗っちゃう小国の人も在ったので
確かな事なんてなーんもわかりましぇんよー。
ちなみに日本書紀は神功皇后と比定してるみたいだけど、ねー。
>>615 帯方郡のお役人が出てくるのってさらに下ってからの記述になる
624 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:57:05 ID:BNQ305+W0
>>612 邪馬台の使者が晒した、とは限らないでしょ
交易があるなら、そりゃ中国にだって政情は届く
邪馬台国が軍事的援助を求めてきた、という証拠が無い以上
決め付けるのは勇み足かな
625 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:57:07 ID:UEJWi9zv0
聖徳太子の「日出ずる処の天子…云々」ってのも
またある意味ロマンだけど、すれ違いだな…
>>620 統一されてなきゃなんだっつーの。
信長だって統一してねーけど天下人だろ。
中心ってだけでいいんだよ。
627 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:59:37 ID:pCPuwnpo0
>>619 勝手に根拠(文献等の論拠)もなしに
モモソヒメを卑弥呼である事にしないでくださいな。
正確な記述で無いものを歴史学に持ち込んで
確定できない事象をなんのかんのと遺跡に塗りこめて
惑わすばかりで何の貢献もしない
だから電波発信源だなーと感じちゃうんですよ。邪馬台国の話は。
628 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 02:59:41 ID:Eac4Yw+nP
東征の話しだけど、
俺は簡単だけどこう理解してる。
志賀島で出てきた金印はあれは伊都国王のものだ、
あの当時は倭の中心、少なくとも中国の認識していた
倭の中心は伊都国だ。
でもしばらくして明らかに畿内に中心が移ってる。
これを後の歴史学者が色々な話しを総合して
作成しただけの事だと思う。
あんなドラマチックな物語があったかどうかは定かではない。
歴史の真実で少なくとも東征の話しが作られる
下地はある。
>>624 たしかに邪馬台国の周辺国の連中が「あそこは戦乱続きでね…」と言った可能性はあるというか
むしろそっちのほうが可能性高いな
630 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:00:06 ID:BNQ305+W0
>>618 邪馬台国クラスの国が他にいくつかあった、と考えればいい
魏との関係が証明されない限り、邪馬台国と断定できない
邪馬台国がどこにあろうと、俺の生活には何の関係もない。
候補が2カ所なら研究者は好きな方を前提に論理を積み上げれば
良いのであって、これを真剣に必要としているのは観光資源にしたい人達くらい?
632 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:00:34 ID:NBmW05BsO
玄界灘あたりの海賊の親分が卑弥呼。
633 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:00:44 ID:5Wzmshkd0
>>626 信長は日本の天皇を抑えたから、半ば統一と言えるだろ。
当時の日本列島は言語も人種も違っているレベルなんだから。
まぁ未だに東北や九州は人種が違うと言えるかもしれないが
634 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:02:31 ID:BNQ305+W0
>>621 ん?ヒミコの使節が安全に通れたのは
出雲の庇護があったからで、だから出雲は邪馬台のスポンサー、ってこと?
>>631 皇国史観嫌いが極まって日本神話の何もかもを否定したいアカい人たち。
636 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:02:52 ID:Eac4Yw+nP
この話しは今話題の検事の創作ストーリーではあってはならない。
事実として確定してる事を総合して矛盾無く概略をつかむだけで良い。
九州説を唱える奴は基本的に捜査のセンスが欠ける。
637 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:02:56 ID:pCPuwnpo0
>>623 倭人伝持ってないから確かめられないんだけど
どういう風に出てくるのかな。お役人。
>>627 文献より物証です。
考古学においてはそれが基本です。
ホメロスとシュリーマンのような幸福な関係もないではないですが、
文献と物証の突き合わせで文献が勝つということはありえない。
確たる物証があればそれが歴史の真実です。
その物証こそが纏向遺跡なんですよ。
, -, - 、
,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_
l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! | で、どこにあるんだよ?滅ぼしてやんよ
l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j _ -, !
\`丶!、l  ̄ l /,ィ ´ /
\ i、!  ̄ l´ ,ィ ヽ/
_ _ ,.l lヽ‐_7´ ll ゝ- .,, _ _
‐ ´// (! l! ll ll ノ // >'´ ``丶、
,',' ヽ、 !l__,.,. -'´ // / ヽ
640 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:04:26 ID:o34QqGry0
記紀編纂した人も倭人伝見ているはずだが、???状態で
曖昧にお茶をにごすかといった状況。とりあえず神功にでもしておこうかと。
また、当時金印など見つかっていないので、本当に金印をもらったかの記録も
日本側にはなく、記紀には書けなかった。
卑弥呼が本当の意味での王であれば、記紀と照合するのは簡単。
皇統での女王など限られているから。
しかし、この時期、比定するには難しい神功くらいしか無い。
そして、神功の行跡は北部九州に多く残っている。
神功でないとすれば、大和朝廷とは関係がない
別勢力の王しか選択肢がない。
641 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:05:18 ID:pCPuwnpo0
>>638 物証としてモモソヒメが卑弥呼であるというのを立証できるモノがあるのかって話ですよ。
んでもって
文献としては存在しないから(神功皇后と比定しているモノならあるけど)、物証って言ってるだけでしょ。貴方の場合。
642 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:07:46 ID:BNQ305+W0
>>628 フィクションにしては地名や行程が具体的過ぎるし
かなり事情が複雑で、かつ熊野、出雲、九州など他の地方に対する政治的な配慮が見える
事実を元にしている可能性は高いと思う
蘇我の邸宅跡なんかも日本書紀と照合してるから蘇我邸宅跡だと分かるんですよ
場所の確定の出来ない文献を持って来たって
巻向の遺跡のことなんて何もわかんねーですよ。日本書紀で照合しろっつの。
644 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:10:13 ID:Eac4Yw+nP
>>642 神武とシュセンが繋がらないだろ、
伊都のシュセンは恐らく事実だろう。
これと神武をどう結びつけるの?
645 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:10:21 ID:j7ukJFiI0
北九州だと言ってるだろうが
646 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:10:37 ID:2vbwCHCJO
>>634 うん、単純にね
まず行きなり半島に行くこと自体がわからない
情報はどころから得てるの?
九州の女酋長にしても、モモソヒメだとしても国際情勢が独力でわかるとは思えない
>>641 しつこいな、あなたも。宮内庁が箸墓古墳を発掘させてくれないから、
モモソヒメを卑弥呼と同定する決定的な証拠が出ていないだけだと
僕は思いますね。
文献として存在しないから以下は意味不明。
纏向遺跡だって、藤原京並の広大な遺跡だから、全然発掘は進んでないよ。
ただ、吉野ヶ里みたいな七人の侍に出てくる百姓の村レベルの遺跡を「邪馬台国だ」
とか言い出す九州説のアホは笑えるなってこと。纏向ほど説得力のある遺跡は他にない。
648 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:11:53 ID:pCPuwnpo0
>>647 証拠も無いのに断定するのが「考古学」だなんて言ったら考古学の先生に怒られるんじゃないのー?
649 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:13:39 ID:o34QqGry0
巻向も第168次発掘で
何も決め手が出ないというのもなんだかなあ。
650 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:14:40 ID:j7ukJFiI0
大宰府の下掘ったら邪馬台国が出てくるよ
651 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:15:16 ID:oZ1HS98c0
いま静かに山陰説ってのが出てきてる
結構出土品も多数出てきているが
歴史が覆るのを恐れているのか、これを唱える田中フミヤ氏は講演会の開催などを
ことごとく学会につぶされているとか
九州説だのなんだの関係ないんですよ。
巻向に邪馬台国の夢を見るのは個人的自由でしょうけど
夢は夢でしかないので、事実であるかのごとく言わないように。
653 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:16:13 ID:5Wzmshkd0
>>648 考古学の先生どころか、高校も卒業してないレベルの奴だから、
言っても無駄
もう九州説の連中は頭煮え立ってるね。
始末におえない。
655 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:16:21 ID:BNQ305+W0
北海道、東北、関東は長い間、日本先住民の縄張りで穏健で統制が取れていた
一方、関西方面は渡来人を重用した為に渡来人に支配された地域
混血が多い為、異文化に寛容になった
一般人レベルでは先住民と渡来人は同化したが貴族は血統にかなり拘った為
先住民の王の系譜にさりげなく紛れ込んだのが今の天皇家
今の静岡は緩衝地帯で河川による自然災害が激しかったので
所々分断され東西のバランスを維持していた
山梨、長野など住み難い地域は統括もしにくいので
現代まで独立心が強いまま来ている
四国は関東や九州の先住民が混在する地域
ここも統括しにくいのでいまだに独立心が強い
九州と同じ理由で抗争が激しい
九州は南方系の漂流民族と大陸難民がミックスした地域で
文化的な発達が早かった地域
琉球王朝と北のアイヌは同属で彼らを見れば統制が取れた民族と判るが
大陸系の民族は好戦的なだけで暴力で支配しないと統制が取れない
これら明らかな異民族の混在する地域なので九州地方は抗争が激しく戦争ばかりしていた
また一時的に統一する者が出ると四国や本州への侵略活動を繰り返した地域でも有り
日本の癌といって良い地域
>>638 そのレベルの確信しかないのか。
邪馬台国はそんなに大きい国だったとは思えんのだけど。
658 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:17:12 ID:Eac4Yw+nP
甘木は隈鷹というのが居て、八女は八女津姫、唐津は見借、
ほぼ福岡県が大和王権の下地を作ったとは考えにくい。
神武の話しは恐らく中国文献のつじつま合わせで作ったものと思う。
一部、風土記でそういう言い伝えがあったからそれを適当に
繋げただろう。記紀編纂者がそこまで天才とは思えない。
基本、各地の言い伝えを総合的にみて何となくつじつま合わせをしただけ。
>>650 それなら、俺の下に卑弥呼居たりしてな。
>>580 昔やってた日曜特集新世界紀行では
井沢元彦がここではないかと言ってたな
>>654 沖縄説も九州説に入るのかしらん?(笑
適当に書いただけなんだけどねw
場所が分からないのにああだこうだ言いたがる事自体が
あたまにえたってんなというかんじです
662 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:19:14 ID:BNQ305+W0
>>646 いや、旅人の安全はふつうの国ならどこも保障すると思うぞ
安全に通れたから、だけが黒幕説の理由には弱いと思う
半島に行った理由はまた別の問題だし
毎回この論争を見て思うのだが、
なんで福岡県志賀島で出土した金印は無視されるんだ?
>>637 1:大乱が収まって倭に女王の王国が打ち立てられるまでの概略と風俗。漢代のものも含む
2:238年6月、倭の女王から朝貢の使者がやってきたので、帯方郡太守の劉夏は都まで案内しました
同年12月、魏帝より詔書が出され、贈り物や印綬を携えて帯方郡への帰途につきました
3:240年、帯方郡の太守は弓遵に代わっていましたが、校尉の梯儁らを倭国に派遣しました
4:時期不明 受け取った倭王(女王とは書いてない)は魏に謝意を表しました
5:246年、倭王(やっぱり女王とはかかれてない)は魏に再び朝貢の使者を送りました
6:248年、弓遵がなくなったので帯方太守として新たに王キが派遣されました
この頃、卑弥呼の国から倭人の戴斯鳥越が狗那国と戦となった事を報告してきました
そのため、張政が派遣され、両国の和睦の任務を課せられました
7:時期不明 卑弥呼が死ぬと立派な陵墓が立てられました。
倭国では国中で争いが続き、男王がこぞって後を襲いましたが長くは続かず
卑弥呼の族女である台与が立てられてようやく収まりました
ちょっと大変だったけどこんな感じ
>>663 時代が200年違うものをどう扱えと?
金印は後漢時代のものだよ。
666 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:21:05 ID:Eac4Yw+nP
667 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:21:55 ID:BNQ305+W0
>>651 出雲の遺跡だろ?
ヤ、マ、ト、とイ、ズ、モじゃ表面的な共通点すらないし
>>664 おおdクス
やっぱ間に帯方郡の役人挟まってない?
>>638 おいおい、文献に存在しないものが出たら、歴史には
書かれていない何かであって、そこに文字が無かったら
空想以外の何者でもないぞ。
そういえば筑紫平野って龍造寺隆信の頃には泥湿地帯でアバババババみたいな記述があったような
そういう土地は耕作には向くんだろうけど王国の地盤としてはどうなんだろ
中近東あたりはそんなだけど・・・
>>668 そうだね
1の部分をどうやら時系列の中のものとして勘違いしてたみたい
しかし、こうなるとどうなるんだろう
帯方郡経由でしか倭の存在が確認されて無いような…
671 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:25:18 ID:K48nFOw20
邪馬台国は畿内説が主流だけど、主権が及ぶ範囲は考えられるよりもずっと広かったのでは
ないの? たとえば朝鮮半島の南部から九州、畿内・・とか。陸行は朝鮮半島。水行は玄界灘
を指すとか。
672 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:27:02 ID:2vbwCHCJO
>>662 その普通の国の基準って何?
言葉も通じない状態でスイスイとかあるのかな?
半島に行った理由ではなく
半島や大陸の情勢を掴んでること自体に疑問があるわけ
まさかホントに呪術であるまい
673 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:27:29 ID:Eac4Yw+nP
>>670 そうだよあの近辺は
筑後川、宝満川と治水の整備されてない時代の名残があって
つい近年まで湿地帯である地域が多かった。
洪水は昭和30年代までしょっちゅうだったらしい。
>>663 > 毎回この論争を見て思うのだが、
> なんで福岡県志賀島で出土した金印は無視されるんだ?
99.9%偽物確定してるから
>>669 またなんか変なことを言う人だね。
それじゃあ文字のない時代についての学問はすべて「空想」なのかよ。
そうじゃないだろ。
縄文時代の遺跡から陸稲が発見されて、焼き畑程度なら縄文の頃から
農耕があったというのが今の定説だろ。それも物証ありきだ。
このスレなんかもうバカばっかりだよ。普通の勤め人ならもう寝てる時間だし、
仕方ないかもしれないが。めたくそレベル低い。
>>673 ふむ
今のイメージで「こんなに開けた土地なら文明の地に相応しい」って考えるのは危険かもね
同様の事は摂津などでも言えそうだけど
677 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:30:06 ID:Eac4Yw+nP
>>671 良いこと気づいたね、倭人伝もその事に言及してるよ。
678 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:30:22 ID:PHrxwWhOO
で、俺の卑弥ちゃんは畿内のどこに居を構えてたの?
ちょっと巡礼するから教えて
679 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:33:13 ID:BNQ305+W0
>>672 出雲が半島に勢力を持っているとしたら情報は簡単に手に入るでしょ
でもそれは邪馬台国が出雲の勢力下になかったとしても、ふつうの交渉で手に入る程度のもの
国家機密とかではなくて、現地の住人なら誰でも知っているようなことに過ぎないからね
>>678 グーグルマップで「JR巻向駅」と打ち込んだらそこが卑弥呼がいたところ。
681 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:36:14 ID:pCPuwnpo0
>>675 貴方が言ってるのは、陸稲の跡を見て、
「○○はここに居たに違いない、なぜならここでコメの炭化物が出土したからだ」
って感じのこと。でも陸稲跡から分かるのは陸稲が栽培された年度、規模くらいでしょ。
誰が居たかなんてわかんないよ。文献もないのに。
それから水田跡も縄文時代に大分突っ込んでるはずだけど。
>>675 焼き畑をしてたかどうかは見て分かるが、モモソヒメが卑弥呼かどうかは
文字記録と照合して検証しないと物証だけ見ても永遠に分からん。
683 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:37:07 ID:o34QqGry0
どう方角と距離をいじっても畿内にはたどり着かない。
マキムク168回掘っても、決め手になるような出土物はない。
そもそも巻向説は、なぜ出てきたのかわからない。
684 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:37:41 ID:8Fsx5clJ0
>>674 国宝に指定されてるし、贋作説もあるが、一部の人が唱えて
いるだけで、圧倒的に本物と認定されている。
685 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:38:23 ID:oZ1HS98c0
>>667 出雲だけじゃなく鳥取の大山の方からも色々出てきているらしい
>>681 そりゃそうだ。陸稲つくってたのが誰かなんて日本史には出てこないからw
687 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:39:49 ID:IT9CwAGpO
箸塚古墳周辺には卑弥呼の墓は無いって霊能者が言ってた。
それにしても変な国だなぁ
仮に卑弥呼の国が畿内のそれなら
同系の神武に滅ぼされたみたいな記述なんて普通の国なら残さないと思うんだが
血で血を洗うような記述を何の気なしに残してる
神話が全部本当のことだったとしたら
出雲出身者(オオナムヂの子孫)が畿内政権を打ち立ててて、それを神武がやっつけたってこと?
689 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:42:24 ID:2vbwCHCJO
>>679 でも現地の出雲系列から仕入れて交渉するのが自然だよね
少なくとも、出雲とは敵対してない
さすれば有効的であったと考えて差し支えない
それに出雲とは邪馬台国が直接の勢力下だとは思わない
支援者、スポンサーであると
こうよ
690 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:45:00 ID:BNQ305+W0
>>688 畿内説だと説明のつかないことが多すぎる
文書資料はすべて否定するしかなくなるからね
逆に九州説だと記紀も倭人伝もスムーズに解釈できるんだよな
あら、でも台与は神功と同一視されてて…初代が15代をやっつける?
頭がこんがらがってきた。寝よう
692 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:47:32 ID:BNQ305+W0
>>689 まあ、同じ「倭種」だから協力関係はあっただろうね
外国で言葉の通じる相手は心強いよ
693 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:53:48 ID:pCPuwnpo0
>>686 日本史には出てこないから、ではなくて文献にないから、でしょ。
日本史に出てくる名前は文献に書かれている名前でしょ。
意味わっかるっかなー
わっかんねーかもなー
694 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:54:41 ID:zDzqP75AO
松本清張の陸行水行を読むといいよ
695 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:57:49 ID:pCPuwnpo0
>>688 神武よりも畿内に先に居たのは磐船から飛び降りたニギハヤヒ。
オオナムチは畿内に限らず八十島に君臨してたんじゃないの。
そして神武とオオナムチは会ってません。
オオナムチと会ったのはタケミカヅチ。
696 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:58:52 ID:sDmUCkx00
ヒミコって、ビヘイビアが韓国のノムヒョンにソックリ。
ノムは、ドイツやアメリカへ行っては、日本が悪いんですと「告げ口」外交。
ヒミコも、「南のキクチ君が悪いんです」と何度も魏に告げ口外交。
こいつ、多分、九州の倭族連合の女酋長。
697 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 03:59:09 ID:NBmW05BsO
体中に入れ墨をしてたらしいから南方系なんじゃないの?
九州だな。筑後の山門郡あたり。古賀誠だいしぇんしぇいの
選挙区。ホリエモンの実家の近所。
698 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 04:04:06 ID:R03CzLBS0
語感から言って邪馬台国は、ミャンマーかジャワだと思うわ
699 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 04:13:36 ID:NBmW05BsO
キクチという豪族 九州だろう。
>>695 えーと、大国主=オオナムチが八十島に君臨していたのなら、次のようになるんだろうか
まず、出雲。
ヤマタノオロチのヤマタは8本という意味のほかに「大きい」とか「長い」って意味だと聞く
それからするとオオナムヂの尊称である大国主はヤマタノクニノヌシとも読めるはず
オオナムヂはスサノオの娘を娶って王となった女系の王だった
ヤマトの軍事力は鉄に支えられており、大物主の関係から見て蛇神信仰の国でもあった
このヤマト(邪馬台国)は出雲にはじまり、近畿から北九州にまで広く君臨する大国だった
ヤマトはすくなくともタケミナカタの頃までには近畿へ都を遷した
同時期、九州南部にはアマテラスがいた
アマテラスはアメノアシオリホミミなどを派遣してヤマトを偵察させたが、とても勝てそうに無かった
時を置いて戦を決心し、アメノワカヒコを派遣したが、彼は成果を上げられずに誅殺された
アマテラスはニニギに命じて日向に都を建設させ、ニギハヤヒにはヤマトを討伐させた、
討伐軍は東国のアメノトリフネとタケミカヅチが味方を得て、ヤマトの王タケミナカタを打ち破った
こうしてオオナムヂから続くヤマト国(邪馬台国?)は滅んだ
しかし、ニギハヤヒの軍もヤマトから帰還せず、現地で独立してしまった(ここら木曽義仲のようだ)
かくして、反乱軍を打ち破るために、討伐軍が派遣された
途上、出雲は娘を差し出して討伐軍に味方し、吉備もまた事態を看過した
(ニギハヤヒの軍がそれらの地で乱暴狼藉を働いたのだろうか?)
ヤマトに入った後は、イワレビコが総大将となる
摂津沖の海難事故で兄二人を失い、総大将の兄もまたナガスネヒコに敗れて亡くなったからだ
熊野を越えてヤマトへ侵入したイワレビコに敗れたナガスネヒコは、ニギハヤヒによって討たれ
ニギハヤヒはその首を手土産にイワレビコに下り、許された
>>394 当時の内海は浅くて干潟みたいな箇所や、浅い部分と浅い部分に挟まれた瀬(戸)が多かったり
またそれを踏まえて、船が通りよい箇所を抑えているクニなり豪族があったりしたとして
波の高さはともかく沿岸沿いに外海を行くのとドッチがマシなんだろう?
またそれ故の水行日数なんかな?
>>402 >山の入り口がどうして一大国として発展できるんだ?
水稲の栽培に重要な水の共同利用に関しては山の上にある水源から段々に水を注いでいく
棚田というのは合理的かつ大陸も含めて古代から伝わってる方法だよな?
702 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 09:40:27 ID:pnbhI6jm0
>>415 倭人伝を聴いてかどうかは忘れたが、倭国を侵略に向かった当時の呉は台湾に到着したらしいなw
>>424 奴を「ナ」と発音するのか?委を「ワ」と発音のか?
むしろ金印が見つかった場所から考えても「委奴国」=倭人伝の「伊都国」=糸島を含むクニだったんじゃねーのか?
『漢(に属する)委奴国(の)王』
>>701 俺は逆に、不弥国〜南へ水行20日で投馬国、という部分で関門海峡を抜けて南に行ってると思うよ、そもそも日本海側沿岸部を通るなら伊都国のあとずーっと水行のほうが楽だと思うし。
邪馬台国敵対勢力である狗奴国がもし出雲ならば、日本海側と瀬戸内海側は避けるべきルートだと思うし。
そうなると、まず関門海峡を抜け(あるいは陸路で宇佐あたりまで行き関門海峡を避けて)水行で南下して投馬国へ、
そこからまた水行して…になる。
投馬国が九州南部になると、記述通りの南へ水行しても陸地がないから、南に下って黒潮にのり和歌山方面に向かったのかね。
704 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 10:06:45 ID:IrrN4wSC0
>>702 弥生時代の「国」を、現代の「国家」という概念で捉えようとすると間違えるぞ
邪馬台国は朝鮮だろ
卑弥呼は朝貢してたし
古事記にはそれらしい人物が居ないし
纒向遺跡始め着々と考古学的な成果を上げてる機内に対して
九州では有力な発掘もなく、九州説論者もサジを投げてる死に体状態
こういうスレに出張って虚勢を張ることしかできない九州説論者
707 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 10:14:56 ID:pnbhI6jm0
>>704 うん、だから『クニ』という表現を使ってる。方言のことを「お国言葉」って言ったり
今時使うことは無いけど、出身地を問うのに「おクニは何処ですか?」ていうようなもんだね。
邑とか郷とか郡みたいな範囲かね〜
考古学的発見から、5世紀の雄略天皇の時代には関東から九州にいたる範囲を
大和朝廷が治めてたことが分かってるし、雄略天皇=倭王武が中国へ出した文書から、
朝鮮半島に出兵できる程度の軍事力を持ってたことも分かってる。
雄略天皇から200年前の時点で、すでに近畿を本拠地として広範囲を勢力下においた
国家が存在していても、そんなにおかしくはないかな。
709 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 10:15:54 ID:h7/3Rejo0
誰か介錯してやれ
もう江戸時代国学者のトンデモの亡霊が
朝鮮人に利用されて彷徨う時代ではない
>>704 その中で一番力のあった豪族が統一したんだから
弥生時代から大和朝廷の源流はあるんだがな
711 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 10:18:28 ID:y5M9j66w0
もう
まきむくで決着ついてんだろーにw
他人の意見を
聞き入れられない九州説信者は狂ってるとしか思えん
712 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 10:21:03 ID:2NdLvDXjO
もうさ、凄くデカかったでいいじゃん
倭なんて中国が勝手につけた名前を喜んで使用して
中国に朝貢して金印を受け取るなんて
正当な大和朝廷の源流だったら有り得ないことだろ
>>701 卑弥呼が鬼道でまとめていたことを忘れてはいけない。
邪馬台国は宗教国家。
邪馬台国自体が大生産地とはいえない。
むしろ殆ど生産していなかったのでは?
張角みたいなのを想像した方がいい。
というよりも、魏志倭人伝の記述者は当然張角を想定していた。
また、仮に山岳宗教だったとしたら、平地に遺跡は存在していない。
現在の論争は頓珍漢な事になる。
715 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 11:16:20 ID:NBmW05BsO
邪馬台国 八女津国
卑弥呼 八女津姫
歩いてひと月、船なら10日 有明海から筑後川か矢部川を
神武って最終的に
>>518に近い形で畿内入りしてるよなw
717 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 11:34:12 ID:qMIFJVGn0
>>1 そもそも吉野ヶ里って纏向のライバルなのか?w
年代が違うもの…例えるなら「ティラノザウルスとライオンがどっちが強い」なんて事を真剣に議論するような意味のなさを感じるw
もっとも主催者側はそんな事は百も承知で大衆の興味を喚起する為にわざとやっているんだろうがwwwww
718 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 11:34:41 ID:6kZL8R+OO
もう九州には無いってw
中国→韓半島→奴国(博多付近)→投馬国(日向国辺り)→邪馬台国(琉球)
遺跡は沖縄の海底からも見つかり始めており、これからたくさん出てくるはず
つまり沖縄も邪馬台国も韓国系だ
720 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 11:55:40 ID:a/Mh0aJF0
>>518 >>716 卑弥呼の時代の邪馬台国って九州北部、四国、畿内紀伊半島を
勢力圏としていたと思う。
出雲や吉備の王権に瀬戸内海の制海権を取られていて、大回りしないと
九州から畿内に行けない状況にあったんじゃないかな。
そう考えると、倭人伝の不可解な水行の記述とか神武東征とか納得いく。
>>714 張角の根拠地は今の河北省あたりで
山岳地帯じゃなくて肥沃な平野地帯だよ
勘違いしてるだろw
邪馬台国連合は、30ヶ国。
それらの国でだいたいここだろうと言われてるのは
末盧国が唐津、伊都国が糸島、奴国が福岡。
1つの国が今の市町村くらいの規模だったことがわかる。
そんなのが、30ヶ国集まったところで大きさはたかが知れてる。
邪馬台国より150年後、
倭王武(雄略天皇)の時代には、倭は東国55ヶ国+西国66ヶ国の
計121ヶ国だったとされている。
その頃から見ても、30ヶ国は、西国66ヶ国の半分にすぎない。
723 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 12:08:35 ID:PQmuY6zYO
水行20日で出雲国に至り
水行10日で丹後国に至り
陸行一月で大和国に至る
何も矛盾は無いよね。
725 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 12:24:30 ID:PQmuY6zYO
九州では調べつくしたし、邪馬台国については、素人に遅れをとっているのも事実でしょう
学者のメンツもあるし、金も引っ張らなくてはいけないしね、そんな都合のいい場所と言えば、畿内?!
726 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 12:27:16 ID:IrrN4wSC0
>>720 いやいや、それは違う
邪馬台国ってのは、あくまで邪馬台国という地名に過ぎない
邪馬台国を本拠地とする女王卑弥呼が
九州北部、四国、畿内を統括していたのであって
この卑弥呼の勢力圏を邪馬台国と呼ぶわけではない
邪馬台国は、卑弥呼の勢力圏の一部(だが、本拠地)でしかない
魏の時代の一里は約435m
不弥国〜邪馬台国で1300余里つまり約566km
不弥国推定地門司付近から大阪高槻まで鉄道距離576km
つまりはそれくらいの距離になるわけで九州説はこの距離をなんとかしないといけない
728 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 12:32:30 ID:BCOLyOW60
名古屋に決まってるだろうが。
200億年前、ビッグバンは名古屋を中心として起こったし、
6億5000年前、カンブリア爆発は名古屋で起こった。
魚が初めて陸に上がったのは名古屋だったし、
猿が木から降りたのも名古屋だ。
今現在も全宇宙の重心は名古屋にある。
729 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 12:33:47 ID:PQmuY6zYO
現代社会みたいに道が整備されてたらね、それに、山を避けて距離をとった可能性もあるしね
『宋書』 倭王・武の上表文
「皇帝の冊封をうけたわが国は、中国からは遠く偏って、外臣としてその藩屏となっている国であります。
昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、安んじる日もなく、東は毛人を征すること
五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、平らげること九十五国に及び、強大
な一国家を作りあげました。王道はのびのびとゆきわたり、領土は広くひろがり、中国の威ははるか遠く
にも及ぶようになりました。
わが国は代々中国に使えて、朝貢の歳をあやまることがなかったのであります。自分は愚かな者であり
ますが、かたじけなくも先代の志をつぎ、統率する国民を駈りひきい、天下の中心である中国に帰一し、
道を百済にとって朝貢すべく船をととのえました。
ところが、高句麗は無道にも百済の征服をはかり、辺境をかすめおかし、殺戮をやめません。そのために
朝貢はとどこおって良風に船を進めることができず、使者は道を進めても、かならずしも目的を達しない
のであります。
わが亡父の済王は、かたきの高句麗が倭の中国に通じる道を閉じふさぐのを憤り、百万の兵士はこの
正義に感激して、まさに大挙して海を渡ろうとしたのであります。しかるにちょうどその時、にわかに父兄を
失い、せっかくの好機をむだにしてしまいました。そして喪のために軍を動かすことができず、けっきょく、
しばらくのあいだ休息して、高句麗の勢いをくじかないままであります。
いまとなっては、武備をととのえ父兄の遺志を果たそうと思います。正義の勇士としていさをたてるべく、
眼前に白刃をうけるとも、ひるむところではありません。
もし皇帝のめぐみをもって、この強敵高句麗の勢いをくじき、よく困難をのりきることができましたならば、
父祖の功労への報いをお替えになることはないでしょう。みずから開府儀同三司の官をなのり、わが諸将
にもそれぞれ称号をたまわって、忠誠をはげみたいと思います。」
731 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 12:59:29 ID:JeTZ44UY0
あれ?徐福に触れる人は居ないの?
秦の始皇帝を騙して、東海に不老不死の妙薬を探しに行くといって、
船団を組んで逃亡した人がいたことを、
魏志倭人伝よりも300年位前に日本に来た説があるけど、
それを考えたら、九州圏内だけに収まるわけがない。
但し、当時の耕作技術を考えたら山間部まで開墾出来てたかは疑問?
よって、九州平野部から近畿平野部に移動して行ったと考えるのが自然。
まあ、古代中国に朝貢したことから、航海技術や地理が判っていたことは明白。
で、当時何処が一大拠点であったかは皆さんの想像力にゆだねます。
女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。
>「帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里」
帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→奴国 700里 (500+100+100)
すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。
対馬国→一支国が1000余里。
これが対馬と壱岐なら、両者の距離は68km。
一支国→末盧国もやはり1000余里。
末盧国が唐津なら、壱岐〜唐津で約40km。
末盧国が福岡なら、壱岐〜福岡で約60km。
奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1〜2時間くらいのところに邪馬台国はある。
方角は南だ。投馬国も邪馬台国も、はっきり南と書いている。さらに
>「女王国より北は道里や戸数を書けたが、それ以外の国は遠くてわからない」
ともある。つまりそれまで書いた国は邪馬台国より北ってことになる。
もちろん、「1300里を水行陸行1ヶ月かかるのはおかしい」という疑問はある。
だが距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし
(末盧国の描写で、草が生い茂って、前を行く人の姿も見えないとある)
台風などの増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。
それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。
それまで日数は一切書いてないんだから、これが全体の日数という説も説得力がある。
いずれにせよ途中から距離を書いてないのだから仕方ない。
そして「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、
むしろ日数を主張する人は、これをまるで書いてないかのように完全無視してる方がおかしい。
733 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 13:22:43 ID:i2ITCcsw0
魏志倭人伝は、渡海をのぞけば、30キロ以内の範囲で次が記録されている。
宇美国までだいたいそんなもん。
それからいきなり500キロ以上も飛ぶことはあり得ない。
それに途中の出雲や吉備の記録もない。
734 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 13:24:55 ID:i2ITCcsw0
徒歩が主な移動手段だった場合
交易都市は20キロ〜30キロ程度の距離を置いて点在する。
一日の往復距離のほぼ限界と言える。
>>727 初めて一海を渡って対馬国まで千余里
一里が約435mなら450kmほどになる。
いきなり屋久島まで行くか、隠岐の島まで行くか。
郡から邪馬台国まで万二千余里
一里が約435mなら5000kmほどになる。
沖縄を越えてフィリピンかニューギニアまで達してしまう。
魏志韓伝を見ると韓の地は方四千里
同じく1700km四方の大国。
満州国よりでかくなる。
畿内説はこの距離をなんとかしないといけない。
>>733 途中の国々は列挙してあるだろ
ちゃんと山陽各地の推定もある
距離にこだわってるやついるけど
大昔の大国中国が周辺の蛮族のことをちょこっと書いた記述なんて
大真面目に信じてもしょうがないだろ
738 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 13:41:25 ID:q7s+OLgV0
>>727 その前に、帯方郡から伊都国まで10500里あるんだから、
帯方郡が、平壌付近でもソウル付近でも、せいぜい700km以内。
だから、1里が70m以内になって、435mもあるわけがない。
だから、短里で距離を記述しているのが明らか。
畿内説こそ、12000里としている邪馬台国と明らかに
矛盾しているんだよ。
こんな論争もうやまたい
740 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 13:42:14 ID:y5M9j66w0
大和大国が → 邪馬台国
日巫女が → 卑弥呼
に
ワザと化けてるような文献を、そこまで盲信するなよw
>>735 朝鮮海峡対馬海峡をかなり長大にとらえてる
すでに比定地が明らかな伊都国〜奴国間の百里は実際きょり30キロほどで
誇張がかなり少なくなってる
近くなるほど正確になってると考えるべき
>>738 魏志で他に短里で記載してる記事があるのか?証拠もなしに短里を使ったなんて
恣意的にもほどがある
>>740 ここ数年で畿内説がかなり優勢になったけど
なぜか2ちゃんでは相変わらず九州説が頑張ってるw
743 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 13:46:08 ID:PQmuY6zYO
実際に畿内説には無理がありすぎるんだよ、学者のエゴだと思う
これ以上、自分達の私利私欲の為に歴史をまげないでほしい
>>700 全然神話どおりじゃないじゃん・・・
二次創作ならよそでやれば・・・?
745 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 13:50:13 ID:y5M9j66w0
>>742 あふぉが、
科学的な事実データ無視して
支那の文献と距離が会わんと
ダダこねてるだけぢゃねーかww
746 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 13:50:31 ID:i2ITCcsw0
一里435mて計算すると南でパプアニューギニアに着く。
北ならベーリング海峡に着く。
747 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 13:51:08 ID:4mE9t5SJO
748 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:00:26 ID:PQmuY6zYO
ちょ(笑)科学的な事実データーってなんだよ、神の手を持つと言われた人を思い出した
>>745 一昔前ならそれでもよかったんだけどねぇ
ここ最近はテレビ局でさえ信ぴょう性微妙な文献の記述より
巻向の科学的調査を元に邪馬台国を論じてる。
2chは90年代で頭止まってる関東のおじさんが多いから・・・
>>749 なんでその「信憑性微妙な文献の記述」にしかない邪馬台国を
巻向に持ってくる必要があるんだ?
>>721 「また仮に」以降は日本の話。
黄布党のように、宗教国家だとして、
日本においてはそれは山岳宗教によるものだった可能性がある。
ってことよ。
そうすると、魏志倭人伝の距離の問題も解決するだろ。
山中だから進行速度が落ちたんだよ。
それは矢部の上流じゃないかとおもっている。
>>749 ただの一大拠点をなぜ邪馬台国としなければならないの?
魏志倭人伝ですら国はうじゃうじゃ出てくるのに。
しかも卑弥呼は鬼道で国を治めている。
武力や国を治めているのではない以上、構成人数は少ない。
というよりも、大きくできない。
宗教的権威によって他の国から農作物を捧げられていたと考えた方が自然。
そういう特異性を記述するためにわざわざ卑弥呼が宗教的権威であったことを記したのではないか?
753 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:17:33 ID:RMiultaS0
距離は誤るんだよ。
起伏や障害あるところをうねうねと曲がりくねって進んだ距離なんて
ただ言ってみただけで当たってる可能性は低い。
水行何日とか陸行何日とかはたしかに合ってるかもしれないがそりゃ距離じゃなく時間だ。
その点、方角、東西南北は太陽が古代にも出ていた以上誤りようがない。
従って邪馬台国の比定地は距離はともかく方角的に外れるようじゃ話にならない。
754 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:20:05 ID:K8cksGmi0
毛野は稲のことだよ。
田んぼから稲が生えている様子を、毛が生えているようだと形容したんだとさ。
>>750 必要って誰の「必要」かはわからないけど
細かい信ぴょう性はともかく
中国の歴史書に記されてるくらいだから同時代の日本には大きな国が存在したのだろう
巻向の発掘が進むに連れて3世紀初期の日本列島でも最大級の都市規模、古墳を持つことがわかった。
かつ記紀の記述でも古代の王宮について触れた中で巻向を匂わせる記述があり
卑弥呼をモモソヒメに、弟王を崇神天皇に推定することもできる。
もし、邪馬台国を比定するとすれば巻向遺跡が有力だろう
って考えてるんだけど。
>>752 中国の史書をガッツリ信用してたら何億年経っても答えは出ないぞ
去年決定的な証拠が出て巻向で決着したんじゃなかったっけ。
世界不思議発見でもそう言ってたし。
757 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:27:02 ID:fZe1syGk0
九州人が必死過ぎて微笑ましくなってきた
758 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:27:48 ID:DJFaT+LW0
>>740 中国が周辺の蛮族に汚い字を当てて自己満足するというのは
もうどうしようもない習性。
資料の信頼性とは関係ない。
>>742 畿内説だと倭人の風俗がまったくおかしいんだよな。
魏志倭人伝をガン無視して考古学的資料だけで行くなら畿内だろうけど。
759 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:29:17 ID:w2Ue3EWP0
>>711 ついてないよ(^o^)、
巻向が邪馬台国だって主張している考古学者は白石の様なキチガイしか居らんぞ。
専門家は相手にしてない。
760 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:31:34 ID:i2ITCcsw0
なにか畿内の決定的な証拠とかでたっけか?
あるならいまごろ、それを主張しているはずだが。
マキムクのニュースなら、いつものリップサービスだから
無視してかまわん。
少なくとも、そこからは決定的な証拠が出たことはない。
結局はマスコミの煽りで決まるわけか。
面白い学問だね。
>>759 じゃあ九州説を補強するような最近の考古学的成果を挙げてみてよ
それがないから畿内説優勢だと言われてるのにさ
>>756 今や東京のキー局も
巻向遺跡と邪馬台国日本書紀を結びつけ始めてるからなw
>>758 多分南方の異民族と混同してるか
あるいは中国の人は九州しか来てないみたいだからね
当時の南九州・沖縄あたりの特異な風習を
驚きをもって「倭国の風習」として記したのかもしれない。
そういや佐賀にやまとって地名あるぞ
>>755 中国史書批判やめてくれ
だから畿内説が叩かれるんだからさ
766 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:36:17 ID:FxT7WMaOO
>>759 いや、邪馬台国探し自体が、インチキ学者の遊びに過ぎないんだから仕方ないじゃん。
ムー大陸探しみたいなもんで。
邪馬台は大和のこと、卑弥呼やら台与やらの下りは、伊勢の内宮、外宮の神話を聞きかじりで史実みたく扱ったもの、
それだけのことだから、大和以外邪馬台を探せば、自動的にオカルトになる。
767 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:36:29 ID:2vbwCHCJO
邪馬台国はどこで誰と戦ってたの?
>>758 習俗なんて変わるものだ
現代はお歯黒もないし眉抜きもない
中国化の中でそういう習俗が野蛮だとなくなっていったんだろ
>>765 よしきた
中国史書が批判ダメな理由を
論理的に説明してくれたら納得するぜい
770 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:41:15 ID:i2ITCcsw0
ライバル以前に、畿内説なんていったい何でそんなトンデモ説が出て来たんだという状況。
まあ、大和朝廷からイメージしたのだろうが、それに重なる記述はだれも知らない。
だから、最近では魏志倭人伝の記述は、距離、方向、風俗ともに信じられないという
説が主流。いまは倭人伝そのものを否定する議論が進んでいる。
だが、なぜか名前だけは利用するらしい。
771 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:43:31 ID:FxT7WMaOO
中国だって歴史によれば人面蛇身の神様が起こした国だ。
そんなもん真実だと思って、人面蛇身の遺体を探したら気違いだ。
邪馬台国もそれと同じ。
元々まぼろし。ただ大和の神話が不正確に伝わっただけ。
>>770 魏志倭人伝の記述は全部は信用することもできないし全否定もできないけど
考古学成果や記紀なんかと照らし合わせて30〜40%くらいは正しいんじゃないかと思う
>>770 歴史的経緯を考えると
江戸時代までの日本人の平均的認識は卑弥呼=神功皇后。
ちなみに明治以前は神功皇后は歴代天皇に数えられていた。
なんといっても日本書紀の神功皇后紀に邪馬台国の記述が載っていたことが大きい。
これに初めて異を唱えたのが国学者の本居宣長。
わが日本の朝廷がシナに膝を屈して朝貢したことなどありえないと考えた彼は
九州の女酋長が神功皇后の名を騙って中国に使いを送ったのだという説を唱えた。
これが九州説の端緒であって
そもそもの成り立ちそのものが学問的というよりも非常にイデオロギー色の目立つものだった。
774 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:52:48 ID:i2ITCcsw0
畿内説で倭人伝を否定するのは勝手だが
否定した魏志倭人伝の邪馬台国と卑弥呼の名前だけを
勝手に取り込むのはやめて欲しいものだ。
>>774 倭人伝だと九州が有利になるなんてことはないだろう
倭人伝の解釈だけでいくら論争しても両説の決着がつかなかったから
現在の考古学主体の検証に移行してるわけで
魏志倭人伝を読めば邪馬台国は九州しかないなんて戯言を主張してるのは
一部の九州論者だけにすぎない
776 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 14:58:22 ID:PQmuY6zYO
>>756 嘘つくなよ、最後は九州のある地域の風習は邪馬台国と同じみたいな感じで終わったよね
それを見た畿内派が唖然として、九州派がワッショイしてたよ
>>775 >倭人伝の解釈だけでいくら論争しても両説の決着がつかなかったから
>現在の考古学主体の検証に移行してるわけで
そうなんだよ
倭人伝の解釈だけだとトンデモ説ばっか出てくるから
考古学主体の検証に移ってようやくまともになった
>>755 「誰の必要」?歴史学上の必要性に決まってるだろ。
「巻向」、つまり桜井市近辺が出てくるのは日本書紀と古事記であって、倭人伝ではない。
また桜井市付近に宮処を定めた天皇は複数ある。
日本書紀の記述は特定的であって曖昧ではない。
「中国の歴史書には三世紀ごろには日本に大きな国が存在したと匂わせる記述があり、
日本の史書である日本書紀には大和朝廷が詳細に記されている」
とするにも、邪馬台国の社会を記した描写等から見て、大規模国家であったとも思えん。
帯方郡の役人が行き来し、金印紫綬も受け持っていた割に、詳細が雑で書紀との一致が無い。
なのになぜあえて三世紀の大和王朝を記すものとして邪馬台国を持ってこなければならないんだ?
歴史学上の必要性がどこにあるんだ。
神功皇后は怡土から福岡にかけての勢力
仲哀は下関から北九州にかけての勢力
その2代前の景行は筑後から熊本にかけての勢力。
景行の息子がヤマトタケル
その間の成務はよく分からん。
彼らが畿内の勢力であったなら
いったいどのくらいの軍勢をかけて
どのくらいの時間をかけてきたのか。
1000人くらいなら地元勢力に袋だたきになるだろう。
また、万を数えるほどの兵糧を携えてきたのか?
それはいったいどのくらいの量になるのか。
現地調達をしたら、一つや二つの国が飢えて消滅するような量になる。
当時現地の村がそれほどの蓄積を持っていたのか。
畿内から軍勢を率いてきたというのは、まずあり得ない。
780 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:02:15 ID:wDmyztDj0
ローマみたいに東邪馬台国と西邪馬台国があったって事でいいじゃん
782 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:05:51 ID:PQmuY6zYO
俺が考古学者なら畿内派だな、ノストラダスムからメキシコのなんたら文明みたいに
常に話題を提供しないと生活できないからね
783 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:07:42 ID:pCPuwnpo0
>>779 日本書紀が比定している神功皇后は一世紀ずれている。
百済から七支刀を献上されたのは神功だが、七支刀が来たのは4世紀だ。
>>778 必要性は
>>755で書いてるとおり。
信ぴょう性微妙な魏志倭人伝の記述を「日本の考古学調査や記紀にあえて照らし合わせるならば」ってこと。
俺は魏志倭人伝の記述は
著者が首都がある畿内までいけず
倭国の九州の出先機関の取材のみで記したものだと思ってる。
日本の中心都市が畿内にあったのはもう当然として
それとは別に
先日、福岡に行ったときに天照大神は、櫛田神社に祭られてたけど
この人は九州出身とみていいの?
かつては、クシナダ姫も祭られてたようだけど
786 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:11:48 ID:i2ITCcsw0
>>783 個人的な想像に過ぎないが、空白の4世紀、5世紀というのがある。
景行、成務、仲哀、神功が4世紀だとすれば空白に収まる。
また、景行が筑後、久留米の一の宮である高良大社を創建したのが
4世紀とされる。むしろ4世紀の方がしっくり来るかも知れない。
とりあえず九州説は考古学的調査で
補強できる材料があるなら提示してくれないと
788 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:14:45 ID:i2ITCcsw0
博多櫛田神社の本社は、佐賀神崎の櫛田宮
ここには、櫛稲田姫命、須佐之男命、日本武命、が祀られている。
789 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:16:38 ID:pCPuwnpo0
>>784 755のどこに「必要性」が書いてあるんだ。
あえて、とあるようにつまり遊びだってことだろ。そしてその遊びであるはずのもの、
というか遊びにしかなりえないものを発掘調査の結果に塗りたくりあってる連中それ自身が
あたまとまっちゃってる連中なんだよ。
一昔前までは「記紀の政治創作説」なんてのが流行ってたから
邪馬台国を大真面目に取り扱っても笑われなかったんだろうけど、ね。
790 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:16:45 ID:K8cksGmi0
>>763 その風習は航海術に秀でた古代中国の呉越人の風習でもあったような。。
791 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:18:04 ID:PQmuY6zYO
邪馬台国の入国は伊都国からのみ限定です。と、畿内派は言いたいわけなんだよ
792 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:21:10 ID:pCPuwnpo0
>>786 空白ってなんだ。
意味が分からんが景行と日本武尊は東国にも行ってるぞ。
>>790 中国側ははっきりそう認識してるな。入れ墨の風習についても同じだ
で実際の気候帯をみても
長江下流域と日本の本州は同一の気候帯に所属する
蒸し暑い夏が続くモンスーン気候だ
これをもって日本よりも南方の風習と断定することはできない
>>789 「必要性、必要性」って・・・
邪馬台国が畿内にあると困るからごねてるように思えるんだけど、まぁいいや。
あなたが敢えて邪馬台国を比定するとすればどこ?そしてその根拠も添えて
795 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:22:50 ID:i2ITCcsw0
日常的に壱岐対馬、そして朝鮮半島と交易していた
玄界灘沿岸の倭人達。壱岐対馬では余り穀物が採れないので
日常的に交易が出来ないと人が住めない。
だが、遣唐使では実に4回に1回は遭難するという
状況
これは畿内勢力が瀬戸内海の航行技術で
不慣れな玄界灘に乗り出した結果であろう。
796 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:25:14 ID:2vbwCHCJO
>>781 冗談抜きでそれでいいと思うな
奴国は二つ記述されてるのだから
利権争いのツール化しちゃってるねぇ
798 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:26:16 ID:LC88FF5cO
いまだにこんな論争に明け暮れてるなんて、日本も所詮は特アだなw
中国を全く笑えない
>>794 あのねぇ、書いている事に正面から答えてないのがそちらであるのに
なんなのその態度。
あんた結局
>>750に答えられていないんだって分かってないの?
最近の考古学的研究についてわりと客観的に解説してるから
ここで邪馬台国論争に関心を持った人は
>>780の動画も見て欲しいな
はっきりいうと魏志倭人伝の記述に関する論争は
ガイシュツのものか、トンデモ説しか出てこない状況なので
こういう考古学的成果の初歩的まとめでも見た方がよっぽど為になるよ
802 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:30:01 ID:IrrN4wSC0
>>731 秦の始皇帝の名前が出てくることからわかるように時代が違いすぎる
徐福が日本を目指して(?)旅立ったのが紀元前219年だと言われている
卑弥呼の朝貢は239年だから、450年以上の開きがある
803 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:30:19 ID:RgmORb86O
もう佐賀から近畿までがヤマタイコクだったで
丸く収めなよ
>>799 信ぴょう性微妙な魏志倭人伝の記述を日本の考古学調査や記紀にあえて「遊びがてら」照らし合わせるならば
ついでに、学会でも巻向と邪馬台国を結びつける説は多くなってきてるので
学者さんたちにも下の議論ふっかけてみれば?
>なんでその「信憑性微妙な文献の記述」にしかない邪馬台国を
>巻向に持ってくる必要があるんだ?
805 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:35:42 ID:IrrN4wSC0
>>752 邪馬台国は七万戸の大都市で
他の国と比べても国力は圧倒的
>>804 つまり「私には応答不能ですから
いまだに邪馬台国を相手にしてくれてる学者先生のところに行ってください」ってか。
あたまーとまっちゃってるよー?
807 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:38:10 ID:i2ITCcsw0
>ついでに、学会でも巻向と邪馬台国を結びつける説は多くなってきてるので
残念だが聞いたことがない。
マキムクを掘っている連中のリップサービスならいつもの常套句ではあるが、
根拠のある説として論文になったものは寡聞にして読んだことがない。
できれば学会誌や論文誌で審査を受けているやつがあれば紹介して欲しい。
邪馬台国は岩手だった気がする
809 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:40:02 ID:sDmUCkx00
>>781 頭いい〜!
1。ニギハヤヒの建てた近畿の倭種の国が「東邪馬台国」
2。九州の女王国が「西邪馬台国」
ところでヒミコと称する「日の巫女」は、両方ともにいた。
両方どころか、村国家ごとに少なくとも一人は呪術師のミコが居た。
占いが良く当たって評判の上、有力な氏族の娘だったのが、九州ヒミコ。
810 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:41:57 ID:IrrN4wSC0
>>768 お歯黒がなくなったのは中華化のせいではない
明治3年にお歯黒禁止令が出されている
つまり、西洋化の影響だというべきだろう
811 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:42:25 ID:PQmuY6zYO
でも実際に会って、邪馬台国の論争になると、考古学者は素人学者に言い負かされるのは本当らしい
博多か下関じゃないの
畿内の開拓なんて唐朝ができた頃だろ
平安の時代になっても京都田舎すぎクソワロタって貴族が自分で言ってるくらいなのに
入れ墨にこだわってる九州説の人たちはWikipediaで百越という項目をみてほしい
百越というのは越族という異民族の総称だけど
春秋時代に呉や越を建国したのはこの人たちだ
ちなみに伝承では呉の始祖は中原の周と同系統だが
弟に国を譲るために呉に逃れて入れ墨を入れたと伝えられている
長江下流域というと十分に中華圏内という意識があるかもしれないが
今の浙江省のあたりは、前漢の時代まで東越やビン越という異民族の王朝があったところだ
越人と魏志倭人伝の倭人の風俗は非常によく似ている
入れ墨の風習があるから日本よりも南方のものだと決めつけるのは一方的すぎると思う
>>810 文章がおかしかった
お歯黒がなくなったように、
刺青なども中国かの中で消えていったと
海人や山部などは刺青があったし古い習俗ではあるだろう
815 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:46:43 ID:i2ITCcsw0
ぶっちゃけたことを言ってしまえば、30年前に殆ど全ての証拠と解釈は、
結論が出ないと言うことで終わっている。
よほど特殊な材料がない限り邪馬台国では論文にはならない。
畿内王権を推論する際にマキムク箸墓は重要だろうが
邪馬台国と繋がるものではない。
いまどき邪馬台国に言及する論文を出すこともまずないし、
出しても通らないだろう。
邪馬台国と天皇家は連続性のない王朝だ
いい加減公的に認めろよ、バカ宮内庁。
外人のインテリだったら、日本の本当の建国が7世紀で
国民に対しては、皇紀2670年だと公的に堂々と言い張ってる
気ちがいオカルトの宗教国家だって思われてますよ?
宮内庁が愚民教育してる事は国際的に知れてるんだ。
世界の恥。
>>807 >>811 マキムクが邪馬台国そのものだと断定してるわけじゃない
考古学的には三世紀前半から中盤にかけて
少なくとも日本列島の西半分を実効支配するような大きな政治勢力があったかどうかが
一番問題になってるわけだ
その勢力が邪馬台国なのか大和王権なのかあるいは
あるいはその両者が合致したもの=邪馬台国は大和王権の前身なのかは
考古学的に断定するのは現段階では難しい
にもかかわらず九州説が不利なのは同時期の同じ規模の遺跡がまったく
見つかっていない点にある。
だからマキムクは大和王権であり、九州には別勢力があったという苦しい説明を
せざるをえない状況にあるのはたとえ九州説論者でも否定できないだろう。
九州→畿内→次は四国だな
819 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:54:55 ID:qMIFJVGn0
>>804 はっきり言えば「巻向に持ってくる必要」なんて無い。
もっと言えば倭人伝が全くの嘘で
「邪馬台国なんか最初からなかった」と言うことでも畿内説(と言うか大方の考古学者)にとって
「ああ、そうだったんですか、ふーん」で済む話。
ただ邪馬台国が実在したなら3世紀の日本の実情から考えて何処が一番ふさわしいかと言う話。
いや一番だの二番だの言うより、そもそも畿内を中心にした広域首長連合以外に九州に邪馬台国を頂点に頂く
30カ国からなる地域連合体なんてものを想定する材料が無い。
早い話、元から畿内説一択w
九州説が息を吹き返したいのなら畿内説にイチャモンつけるんじゃなくて
対抗馬をきちんと出す事。
ただしそれはきちんとした考古資料を添えて。
でないと「素直によんだら…ココだ」だけじゃあ話にならない。
結局、九州の何処でもいいって話になるw
820 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:56:33 ID:IrrN4wSC0
>>817 正直な話
邪馬台国論争まともに議論してると何時まで経っても決着つかないからな
20年後くらいには論争自体が廃れてそうだ。
822 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 15:59:01 ID:IrrN4wSC0
>>814 刺青の風習は今でも残ってるじゃん
全然消えてない
>>821 決着がついてなければ廃れることはないだろう
なぜなら三世紀の(西)日本を支配した勢力がどういうものだったのかは
歴史に関心のある人なら興味をもたないわけがないから
824 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:01:06 ID:IrrN4wSC0
>>817 邪馬台国が大和王権の前身なのは議論の余地がないと思うけど
例えば唐の前身は隋であると言ったら何か問題ある?
九州説はもうただのごり押しだな。中国人的発想w
826 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:02:15 ID:PQmuY6zYO
>>817 あれ?巻向って、同時期の同じ規模の遺跡が見つかったの?3世紀半から5世紀ぐらいかな〜と予想程度だと思うけど
それに突っ込まれて、巻向側も可能性が高いと言い直した記憶があるけど
>>824 考古学的な検証が難しいから
考古学者もうかつに口にできないだけで
論としてはまったくおかしくない
おれも邪馬台国は大和王権の前身ではないかと考えているが
学者がこれを口にしたら右翼から脅迫される可能性さえある
>>824 >例えば唐の前身は隋であると言ったら何か問題ある?
人種構成から何から何まで違うわけだが
頭だいじょうぶか
829 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:04:33 ID:3IWydZ040
九州説提唱してる学者や識者、一般大衆は来年から旧暦で生活してほしいよ。
830 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:08:00 ID:y5M9j66w0
>>826 最新の年代測定で
卑弥呼の年代にドンピシャに当てはまる事が再確認された
もうやめて!九州説のライフはとっくにゼロよ!
832 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:09:16 ID:PQmuY6zYO
金印しか証拠として認めない、よって永遠に論争は続く、でもそれがいいんだよね♪
>>824 中華人民共和国の前身が中華民国だと言ったら、それはおかしいでしょ。
畿内にいた邪馬台国が、九州から東征してきた大和朝廷に敗れて滅亡し、大和朝廷が
畿内で政権をとったという可能性だってあるわけで。
834 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:11:10 ID:sDmUCkx00
不思議な事に、弥生人の抜歯の風習について何も書いてないんだよね。
抜歯は、山東省、BP5,000大ブン口文化にみられる。
前漢時代の江蘇省の遺跡の個人骨で、九州と山口の弥生人骨に似た頭骨の形態
およびmtDNAが一致。倭人の中に抜歯した連中が居た筈。それなのに全く記述がない。魏の役人を接待したのは、倭国の上層の人達だった。彼等は
イレズミしていた。しかし、抜歯してなかった。
先進水田稲作を持たらした抜歯人は、ド田舎の農民層だったので、魏の役人の
目に触れなかったのか。
835 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:11:47 ID:i2ITCcsw0
>>820 その道では結構有名なページだが
真剣に読んでなかった。
指摘していただいたことで、少し自信が付いた。
ありがとう。
836 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:12:27 ID:IrrN4wSC0
>>827 へえ、じゃあ俺左翼なのかww
まあどっちでもいいんだけどww
邪馬台国と大和王朝は血統的に繋がってるかどうかはわからないけど
歴史的な継続性があることは疑う余地がないと思うよ
837 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:13:25 ID:yUzdGy4DP
吉野ケ里って吉野刈りっていうヘアスタイルかと思ったよ
838 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:14:39 ID:IrrN4wSC0
>>833 全然おかしくないよ
中華人民共和国の前身が中華民国であることは歴然たる事実だし
中華人民共和国は中華民国が各国と交わした様々な国際条約も引き継いでるだろ?
839 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:15:51 ID:IrrN4wSC0
>>833 >畿内にいた邪馬台国が、九州から東征してきた大和朝廷に敗れて滅亡し、大和朝廷が
>畿内で政権をとったという可能性だってあるわけで。
べつにその可能性は否定してない
そうだとしても、対外的には大和朝廷は邪馬台国政権の後継者であることに替わりはない
840 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:16:30 ID:PQmuY6zYO
>>830 なってないよ、学者の権威で1世紀ずらしたでしょう。そのやり方を九州にある邪馬台国候補にしたら、ドンピシャで当て嵌まるかもよ、意地でも、やらないだろうけどね
邪馬台国の時はバンバン大陸に行ってたのに
なんで大和になるとバンバン沈むんだろうねwww
防人もなんで東北からはるばる大宰府につれてくるんだろ
と考えた九州人の私は畿内説派
畿内の土人には船を扱えんとです
842 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:17:35 ID:IrrN4wSC0
>>837 千駄ヶ谷って名古屋弁だと思ってた
「1kmって何メートルだったっけ?」
「千だがや」
843 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:17:43 ID:aImb8o1AO
さっさと古墳開けさせろや糞宮内庁!
ってのは考古学者の総意
もう2箇所ともでいいじゃん。「元祖関サバ」と「本家関サバ」みたいに。
845 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:19:15 ID:9P456ISVO
いまだに九州説を信じてるやつって本を読んだことないの?
>>841 イミフ
大和朝廷がさんざん朝鮮遠征してたの無視か
防人も東北じゃない東国からつまりいまの東海関東だ
847 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:20:55 ID:yUzdGy4DP
最近松本清張が書いた、邪馬台国は魏の植民地だったっていう本読んだよ
>>836 マキムクは地勢的にみても
崇神天皇に始まる初期大和王権の根拠地と完全にダブるので
邪馬台国が前身であったと見ても少しもおかしくないと思う
849 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:25:08 ID:i2ITCcsw0
九州説の本って一杯出てるけど。
畿内説の本並んでないぞ。
まあ、不毛な掛け合いだが。
850 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:25:49 ID:qMaDq7QG0
>>845 この手の低脳多数派工作が多いのが畿内説の特徴だよな
しかもマスゴミがよってたかって根拠無く決め付けてるw
畿内説に関してだけはマスゴミを信用するの?
>>840 九州説論者が炭素14法による時代測定について
イチャモンをつけようといろいろ努力してきたが
いまのところ功を奏してないな
852 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:27:41 ID:LkR6sJlJ0
邪馬台国=秋葉原
もう九州説はアキラメロンw
854 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:31:19 ID:PQmuY6zYO
>>851 残念だが、信用してはいけない。捏造に繋がるからな
855 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:32:12 ID:i2ITCcsw0
C14年代法でいいんだよ。
国債補正曲線Intcal04で計測した結果は九州説に良い具合になってる。
なぜかC14と年輪年代法を組み合わせた
国内基準だと130年くらいずれてるけど。
856 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:37:37 ID:sDmUCkx00
ウリが、天皇と大和朝廷の起源ニダ。
857 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:37:54 ID:qMaDq7QG0
ゴッドハンドはたまたまばれたけど
実際考古学者って信頼できるのか?
>>824 帯方郡の役人を通じて見る「日本の王朝に関する認識」が
邪馬台国→大和朝廷となることは仕方が無い
しかし日本においては知ったこっちゃない。
>>817 日本書紀だと、「書かれた場所に痕跡が見つかってない」=「実在したか不明」とされる。
倭人伝の邪馬台国だと、「どこのことを書いてるのかわからないからとりあえず大規模な遺跡のところがそうであることにしよう」になる。
何これ。
遺跡発掘して不毛な論争続けるくらいならば現代の貝塚を削減をすべきだ。
860 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:42:25 ID:PQmuY6zYO
九州では、これ以上進展も見られないし、もちろん巻向でも進展はないだろうね。そのうちテレビで卑弥呼の生まれ変わりが出て来る事に期待するしかない♪
862 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:45:35 ID:IrrN4wSC0
>>858 邪馬台国政権と大和王朝が歴史的な連続性を持たないとすれば
1)邪馬台国政権が何らかの理由で消滅したあと、しばらくの空白を経て大和王朝が誕生
2)邪馬台国政権と同時代に大和王朝(の前身となる部族)が存在していた
2−a)邪馬台国政権と大和王朝は何の関係もなく、邪馬台国政権は自然消滅
2−b)邪馬台国政権は大和王朝に攻め滅ぼされた
これくらいしかパターンが思いつかないんだが
おまえはどの説なんだ?
863 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:47:03 ID:i2ITCcsw0
C14年代測定法では国内基準なる変なものがまかり通っている。
もともと技術的に精密な測定が出来ない時代は
誤差が大きい方法だったこともあって、
それまでの土器編年とC14を照合させると
とんでもない値になって使えねえとなったのだろう。
それで少しでも使えるようにするために、土器編年に合わせるように
修正された基準が作成された。
だが、とんでもない値になるのは土器編年のほうが問題なのであり、
本当は土器編年をC14国際基準に合わせるべきだろう。
最近では原子数そのものをカウントできるくらいに技術が上がり
かなり正確な測定が出来るようになっている。
そこでやっかいになってくるのが、この国内基準に合わせて作成された
年輪年代法。もともと、年輪年代法は相対的な年代は測定できても
年輪の絶対年代は別の根拠で決定しなければならない。
これを土器編年を元にした国内基準で合わせたから
ぜんぶ地滑り的にずれてしまっている。
国内でもIntcal04国際基準で決定すべきである。
864 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:53:49 ID:pCPuwnpo0
>>862 邪馬台国とかいうのが帯方郡の役人から見た大和朝廷であるなら
「帯方郡の役人はいい加減だった」でFA
865 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 16:54:06 ID:PQmuY6zYO
素人でも一発あてれるのが邪馬台国だ、ロマンだよ、何人かで組んで、とんでも邪馬台国説を、もっともらしく創作する事も出来る
ただ、九州説でないと厳しいけどね
畿内で決まってるだろ。
王家のルーツは九州かもしれん。
シナ人『国の名前は?』
九州人『ヤマトたい』
たしかに、あれ以外にも偽りが入り込んでいる可能性はある。
自分の説に合わせるために別のところから発掘品持ってくる可能性は当然ありえるわけだ。
でも、いまさらいっても始まらないだろ。
まあ、どこかわからないって時点で大和朝廷の祖ではないと思うけどね。
どっから来たかなんて、ぜったいに記録に残すにきまってるのに。
案外天皇家がいろいろ持ってたりして。
868 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 17:11:10 ID:7jRgWuiR0
>>741 韓国南岸から対馬(対海国)、対馬から壱岐(一大国)までそれぞれ
1000里など、短里と解釈しなければならないことばかりなんだが。
壱岐なんかは、300里四方とあるが、130kmもある島なんて、済州島
か沖縄本島まで行かないとないしね。
魏志倭人伝なんて
こんな辺境の島なんかもうきたくねえよ
報告書誇大に遠くに書いちゃえとかそういうレベルだろ
>>869 朝貢をしてきた旨の紹介やら金印紫綬の代理のことがあるんだから
辺境の地における役職の利権の一つだったんじゃないの。
畿内説で詰んでる。なのに九州説に固執するやつってw
持論に合うように屁理屈捏ねて事実見ない。考古学やる資格ない。
記紀に邪馬台国の記述がない理由は、
大和政権が邪馬台国を滅ぼして、歴史上
抹殺したかったからだろ。
ちなみに、邪馬台国は日本民族、
大和政権は・・・、言わずもがなだな。
873 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 17:52:26 ID:1JyuuTVg0
>>869-870 三国志の時代だから軍事偵察記録の性格が強いと見られている。
魏側の邪馬台国と対立する南の男王国は
魏と対立する呉と繋がっていたか繋がる恐れがあった。
実際に三角縁神獣鏡は大きさが魏鏡では有り得ない大型の呉鏡であるなど、
当時の日本列島に呉の影響力が及んでいた形跡ははっきり残っている。
邪馬台国が男王国に征服されると
倭の水軍が丸ごと呉の水軍の援軍になる危険があったため
魏は軍事顧問団を派遣して綿密に情報収集したと思われる。
874 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 17:56:03 ID:PQmuY6zYO
事実?その目で見たんかー? 要するに決定的証拠がない限り、可能性の大小しかないわけで、畿内は限りなく小、つーか、ほぼ0
875 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 17:56:49 ID:pCPuwnpo0
>>872 日本書紀は神功皇后を卑弥呼に比定している。
九州説のやつはもう、畿内説に無茶ないちゃもんつけて
だから九州説と一緒ってあやふやな主張しかできなくなってるなw
877 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 17:58:55 ID:i2ITCcsw0
神功皇后はもうちょっと後の4世紀の可能性が高いと思うが
メイングラウンドが九州北部だからな。
台与の少し後の人物だろう。
限りなくゼロは九州つか、ゼロ。
決定的な畿内説に因縁つけようと、だから九州説、とはなんてなりませんのでw
ゼロはゼロです。
879 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:01:39 ID:i2ITCcsw0
畿内説なんて万世一系と大和朝廷から
何となくそう思ったと言うだけ。
特に根拠があるわけではない。
二箇所でいいとかいってるやつも九州説のやつだろうな。
畿内説決定の中、せめて同列に並べようと必死すぎる
>>873 魏志倭人伝は
西晋の人が書いた東アジアの7種族記録である東夷伝の一つ。
882 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:06:09 ID:PQmuY6zYO
巻向から、今だに、なーんにも、決め手となるもの、出てないんだよな、あれだけ煽ってこのザマ
あれはな、予算が目的じゃないのかなぁ?!と勘繰ってしまうよね
883 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:07:05 ID:RikV+6tI0
邪馬台国は、君の心の中にある。
ということじゃダメ?
884 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:07:45 ID:1JyuuTVg0
>>881 魏の後継国家西晋で編纂された時に収録された
魏の正使派遣記録だろ?
畿内説には根拠もブツもあるがな。適当なこというなよw
九州説のやつは決め手になってても決め手じゃないといってるだけ。
一方的にむちゃくちゃなこといってるだけなのに、
不毛な議論とかいって真実から目をそらそうとしてる
886 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:07:54 ID:pCPuwnpo0
>>877 可能性が高いというより、神功は明らかに4世紀だと。
つまり倭人伝について国内の記録と照らしても
整合性がつけられなかったんだ。日本書紀を編纂した当時の官僚も。
887 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:09:11 ID:qMIFJVGn0
…しかし2ちゃんねるでさえ
「九州説(と言うか邪馬台国論争自体)が終わっている」と言うのが周知されてしまっている
と言うのは時代の流れを感じるw
邪馬台国を見たことあるのか?
といって畿内説否定しだしてるからなあ、九州説のやつは。終わってんだろ
890 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:11:26 ID:1JyuuTVg0
>>886 大陸側の記録に残っている卑弥呼が日本の正史に見当らないと不自然だが
卑弥呼は皇室の血筋でないため正史に載せる事も出来ず、
やむを得ず
卑弥呼=神功皇后
と読み手に勝手に誤解させるため
意図的に神功記の時代がずらされて編纂されている
という意見がある。
>>886 日本書紀の編年だと
神功皇后の執政期間は201〜269年なので
ちょうど魏志の卑弥呼の年代に合致するんだよ
神功皇后が実在の人物だとしたら
4世紀の人だろうと考えるのは現代人のほうだ
九州説なんて最初から作り話だろw
畿内説一択じゃつまらないから、奇をてらった説がちょっと注目浴びただけ。
でもいい加減皆飽きてきてるからなwしつこいからいい加減にしろって感じ
>>887 昔は九州説の方が有力だったんだよね。
ここ数年で一気に逆転した。
ってか2ちゃんってやっぱり遅れてるのか
894 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:15:21 ID:i2ITCcsw0
>>891 いや、逆に神功は卑弥呼の年代に合わせられてしまった可能性があるのだ。
>>820のほうで解説してあるページがあるから見てみ。
九州説を唱えるやつって、中国や韓国が示す歴史認識と似てる。
畿内には、まったくもってロマンがナイ
897 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:17:37 ID:i2ITCcsw0
このスレッド見渡してみても
畿内説の根拠が一切無いというのは
ある意味壮観だな。
898 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:20:00 ID:pCPuwnpo0
>>890 帥升なんか華麗にスルーだから「大陸の記録に残ってるのに正史に見当たらないのは不自然」とする
感覚があったわけでもないと思うが。
そもそも台をタイと読むのが無茶だろw
素直にヤマト国で議論する余地すらない。
九州説は根拠ないっていうだけだな。あるのにw そして九州説こそ根拠ない
901 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:23:05 ID:3IWydZ040
まあ浦島太郎の玉手箱みたいなもんだろう。
902 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:24:01 ID:gFpvhNUDO
畿内はないわ。
日本と中国の朝廷は対等な関係だし、卑弥呼なんて呼ばれるはずがない。
つまり、大和朝廷に滅ぼされたか、関係ないかのどちらか。
そしたら、畿内はない。俺は、台湾とか沖縄とか韓国辺りが怪しいと思っている。
字も覚えられなくて、名前もつけられないとか韓国っぽいだろ。
903 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:25:57 ID:nCbYWIZM0
>>1 畿内説が主流、九州説は学会で笑いもの
と2chで教わった!
904 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:26:07 ID:PQmuY6zYO
同姓同名て、いるよね
あほな説にふりまわされすぎたな。
最初から畿内説の人は、歴史問題はない、といってればよかった
>>902 邪馬台をヤマタイと読ませた原動力はそういう政治的意図が
強かったと見るべき。
常識的に考えれば、ヤマトと読むべきでw
907 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:27:36 ID:FxT7WMaOO
九州の何かの弱小勢力とムリヤリ同定するんなら、邪馬台と書くのは明らかに間違い。
本来は邪馬壱なんだから、ヤマイチ国ってのが九州に有ったこととなる。
908 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:28:44 ID:J4ATbbxX0
>>899 沖縄では本土の事をヤマトゥーって言う。
ヤマトゥ→ヤマトゥィ→ヤマタイじゃね?
ロマンとやらで歴史曲げんなよ、九州説論者。
珍説の娯楽本たくさん出して小銭稼いだんだからもう十分だろ。
九州は九州でも
南九州はニニギノミコト、ウガヤフキアエズ・神武天皇の伝承残ってるが
あれはなんなんだろうな。
911 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:31:32 ID:ndd0frAyO
>>908 単にヤマトの『当て字』が邪馬台なんだろ
つい200年前でもベトナムを越南と当て字するぐらいだぞ
912 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:32:05 ID:FxT7WMaOO
異国の地名に野蛮な字を当てるのは、ことさら差別ばかりの理由でもない。
そう書かないと彼らにとっては自国と他国の区別付けられなかった。
今の日本ならカタカナで書くようなことだよ。
下手に良い字を使うと、後で皇帝の名前と被ったりしたら、
書き改めねばならず迷惑だったろうし。
913 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:32:06 ID:i2ITCcsw0
宇美までは畿内説でも九州説でもまあ、同じだとする。
そうすると、畿内までたどり着くためには、漢籍に
山陰なら出雲、山陽なら広島や吉備が記載されて
しかるべきだと考えるが、何か記述はあるかね
914 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:32:18 ID:pCPuwnpo0
それに神功の頃だって熊襲と対立していた記述があるわけで
仲哀は住吉の大神の神託だかなんだか(つまり三韓討伐をしろという話)をスルーして
熊襲を先に討伐しようとしたらば死んでしまった。
神功に弟の王なんていない。いないけれども比定して書いた。不自然を問題とするなら
この方がよっぽど不自然と取られたろう。
>>906 隋書倭国伝にこんな記述がある
>その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。
>その地形は東高西低。都は邪靡堆(ヤマト)、魏志の説に則れば、邪馬臺(ヤマタイ)というなり。
つまり隋唐時代の中国の認識は
倭国の都=ヤマト=ヤマタイであるという認識ができてたわけだ
916 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:32:48 ID:PQmuY6zYO
本州が大和で、九州が邪馬台、別々の国だったんでしょう
九州説のやつは、分が悪いことは何でもざっくりと同列にしたがるなw
珍妙な九州説のよりどころとする点以外論じようとしない。最初から思い込みの九州説一本なんだろうな
918 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:34:35 ID:i2ITCcsw0
ウガヤ朝は、伊都と奴国の境目の吉武高木遺跡の近所にある
飯盛神社で祀られていますねえ。
919 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:36:27 ID:FxT7WMaOO
>>913 それは、こう考えれば簡単。
ヤマイチ国は山陰だった。
920 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:37:18 ID:i2ITCcsw0
ああ、そういえば、当時まだ本州は島かどうか分かっていなかったそうですな。
関東、東北こえて、津軽海峡までの地理は、まだ分かっていなかったそうで。
921 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:37:23 ID:pyA6EOuw0
狗邪韓国、奴国、不弥国、末盧国、邪馬壱国、卑弥呼
「狗」「奴」「不」「末」「邪」」「卑」
相手を見下して馬鹿にしとるな
かの国から見れば日本人は土人蛮族か!
失礼にも程があるちゅうねん
922 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:39:26 ID:i2ITCcsw0
蒙古の意味を知って
フビライがぶち切れたとか。
それで元になった。
923 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:40:51 ID:SrP3nM0YO
邪馬台国は北区赤羽ララガーデン
これ豆知識な
924 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:41:17 ID:FxT7WMaOO
山陰に強力な勢力が有ったことは間違いないんだから、当時、魏の官が、山陰を邪馬台の中心と誤解し、
そこまでの概ねの道のりを記録しても別に不思議ではないね。
925 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:41:27 ID:RnXp0nOv0
まず、邪馬台国そのものが本当に存在したのか?
次にその裏付けとなっている魏志倭人伝そのものを信憑性は?
>>915 その段階で結論が出てるんだよねw
逆に言えば、その結論が支那サイドの捏造である。
邪馬壱国と大和を同列に見るような捏造があったという
根拠を示さない限り、その結論が全てでしかなくて、
議論どうこうするレベルじゃない。
>>913 畿内説で魏志倭人伝の記述をみた場合
投馬国が吉備なり出雲なりに同定さえることが多いはずだ
投馬国は戸数をみても7万戸を擁する邪馬台国に次ぐ規模5万戸だから
吉備や出雲とみても不自然ではない
928 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:42:31 ID:PQmuY6zYO
次スレはどうする?九州説の勝ち逃げでもよいけど
なんでオレなんで畿内説派って書いたんだろ・・・
おかしい文章的に九州説派って書かないと・・・
あれ?
九州説派です
930 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:44:51 ID:7jRgWuiR0
魏志倭人伝をよく読めば、畿内説が否定されるので、
考古学に逃げ込んで、畿内説を立て直すのに必死だな。
いくら巻き向くなんかで出てきても、大和朝廷の初期の
状況がわかっても、女王国とは結びつかないのは明らか。
ナントカ神獣鏡を結びつけたかったらしいが、枚数が
多くなりすぎて失敗したことだし。
931 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:45:15 ID:J4ATbbxX0
沖縄の方言は日本の古代の言葉に似ていると言う。
初めて大陸人に遭遇してここはどこですか?って尋ねられても
何言ってるかわからないし、とりあえず「ワーがクニ」って連呼したんじゃないか?
沖縄ではわたくしの事をワーって言うから
それで倭国になった。
ヤマトは沖縄の方言で貴方はドコの人ですか?ってのを
「ヤーマーンチュガ」って言う
それをクニの名前だと聞き間違えて
ヤーマーンチュガ→ヤーマーんちゅが→ヤーマト→ヤマト
ヤマタイ棒ラーメンって九州発祥だっけ?
最近は桃の種をどうにかネタにしようとしていたが
もうあきらめたのかな。
永遠に謎のままのほうが双方にとって幸せ。
東四国説もロマンがあって面白いけど、
徳島・香川は忌部氏の拠点だし、
ヤマト政権とは別の勢力の拠点があったと考えたほうが自然だろうね。
四国山地の山上集落は、どことなくエキゾチックでいいぞ〜
やたらとあちこちに神社もあるし、強いて言うなら高天原のイメージかな?
とっくの昔に九州でカタがついただろ
まだゴネてんのか近畿は
長野並みのゴネっぶりだな
>>936 すまんが邪馬台国関連の話にロマンなんてミジンコほども感じない
939 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:52:28 ID:NBmW05BsO
八女です。卑弥呼は八女津姫。邪馬台国は消えて
磐井が治める。
940 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:52:31 ID:1Am48zQaO
昔読んだ小説で大分の宇佐説を検証してるのがあったけど真偽は別として面白かった。
自分自身は畿内説信者で九州は別の国があったと思うけどね。
942 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:55:06 ID:M+86dnco0
古事記を読んだ印象でいくと・・・
大和王権の初代・神武は東征している。
つまり西の方に国があった。
大和王権と卑弥呼は、神功皇后の記述の仕方からみて後付けにしか見えないので無関係だろう。
つまり、卑弥呼の国と神武の国とは別。
九州に神武の国があったとして、その東の方に卑弥呼の国があったとすれば非常に単純な話になる。
卑弥呼の国が九州にあったとすると、その西である琉球なり支那なりが神武の国。
大和王権が大陸系だと大陸系の文化が主流になってないとおかしくないか?
これが半島系でも同じ理由で否定できる。
大陸系文化の主流化は、おそらく聖徳太子のあたりまで時代が下るだろうし。
九州は分が悪いと思うけどなぁ
943 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:56:15 ID:ir7ti7C90
当時の北九州地区の長が大和国を騙り魏からの使者を招いた。
当時の北九州地区は本土の大和 西南九州地区に挟まれ
大国からの救援は国防の為に必要不可欠な事だった。
本州説 九州説はどちらも間違いではないといえると思う。
卑弥呼=日巫女=日皇子 皇室の本質は此処にあると思う
でも町興しに利用されてるから答えは出さないのが正解なんだろう。
944 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:56:25 ID:i2ITCcsw0
>>935 桃の酒かな。
食わずに2000個〜4000個の桃を供えて
腐らすに任せたのなら、少なくとも数百人の腹がふくれるものを
無残に捨ててるのと同じで、そんな宗教はいびつで長くは持たないだろう。
食って種をわざわざ集めたのなら、それはふつう備えると言うよりは
ゴミ捨て場という。
桃で酒を造って、儀式で酌み交わし、種を含めた発酵糟を捨てたとするのが
一番しっくり来る。
酒を酌み交わすのは儀式の要素でもある。
畿内にヤマト王権があったとしても邪馬台国がどこにあったかは確定しないんじゃないの
ももそ姫は女王じゃないし
古代は朝鮮半島南部は倭人の勢力圏だったんだよな。
朝鮮の三国史記によると朝鮮半島には頻繁に倭人が攻め入ってるし、倭人が王族になった例もある。
その点から言うと、邪馬台国は九州でないとなかなか説明がつかない。
京都より西の地域は旧正月でいいからね。
948 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:58:21 ID:FxT7WMaOO
>>931 そんなもん沖縄まで行かんでも山陰でも言うがな。
標準語でもワレ、ワガ、ワシというように、一人称をワとするのは、
古来変わらぬ日本語の基本構造やろ。
949 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:59:17 ID:PQmuY6zYO
950 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:59:19 ID:J4ATbbxX0
951 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:59:23 ID:YA+wnHsk0
>>925 その時代に日本に大勢力があったことは
発掘によって確認されている事実
魏志倭人伝は中国政府が公的に編纂する国史の中の記述
信憑性というなら正志に相当する程度のものになる
だから、当時実際にあった大勢力が
魏志倭人伝の中の「邪馬台国」と同一であるのかどうかが問題のポイント
九州からも畿内からも決定的な証拠は出ていない
952 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 18:59:57 ID:iRwe+qVS0
中国側に記録があっただけで、邪馬台国が日本での統一勢力だったとは限らないんでしょ?
伊達政宗のローマ使節はローマ側の記録にあったが、日本の1つの勢力でしかなかった。
953 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:00:53 ID:IrrN4wSC0
>>872 念のために言っておきますけど
3〜5世紀頃に「朝鮮民族」なんてものは存在しませんから
>>942 神武の出身地は日向国。邪馬台国なる国が海の東にあろうと西にあろうと神武の出身地は日向国。
そして神武が対峙したのはニギハヤヒの臣下の長脛彦。
ニギハヤヒは男。卑弥呼なんて知らん。
955 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:01:37 ID:i2ITCcsw0
漢籍の旧唐書では、倭国と日本国が
別々に中国に来ている記録があって
別の国として記載されている。
956 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:02:15 ID:IrrN4wSC0
>>873 三国志が書かれたのは晋の時代であることをお忘れなく
もっとも、倭人伝はそれ以前からあったものを要所だけつまみ食いしてコピペしたものらしいけど
957 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:03:17 ID:YA+wnHsk0
>>952 そう考えるのは妥当だと思う
ただ、倭人伝の筆者にしても情報収集はしただろう
邪馬台国の使者が言ったことだけを鵜呑みにして全部書いたとは考えにくい
959 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:04:44 ID:GYWz6pF90
>>952 ×九州からも畿内からも決定的な証拠は出ていない
女王国は倭国の中心、で「漢委奴国王」が出土したのが博多湾岸
絹が出土するのは福岡だけ
960 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:05:43 ID:ir7ti7C90
しかし当時の魏の使者の道筋って信用は出来ないよ
今で言うカラ出張的な事で遠征費を過剰申告して
国から金をかすめとってたんじゃね?
961 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:06:18 ID:YA+wnHsk0
>>958 それは外交記録部分だけでは
地誌も役人だとする根拠は?
962 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:06:48 ID:pCPuwnpo0
>>959 その博多湾岸の奴国は「倭国の南極界」とか書かれてた気がするんだが。
963 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:07:42 ID:mfKxevoe0
近畿で決まったんだろ?今さら何よ?
>>956 晋の時代ってもそんなにあとのことじゃないぞ
卑弥呼が魏に使いを送った239年には
三国志の著者の陳寿は数えで7歳になってる
966 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:08:39 ID:IrrN4wSC0
>>886 朝鮮側の三国史記と、日本の記紀を照らし合わせると
神功なる人物がいたかどうかは分からないが
神功が出陣したとされる戦争の時期が363年になるらしい
967 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:11:07 ID:mDTs4r3r0
邪(や)馬(ま)台(と)国、文句ある?
>>961 「邪馬台国の使者のいうことを鵜呑みではなくて帯方郡の役人の報告を鵜呑みでしょ」と書きなおす。
地誌なんて誰から聞いたか書いてないんじゃないの。報告を伝聞の形で書いてるみたいだから。
外交と言うか使者のやりとりをしてたのが帯方群であるという風に書いてあるんだからそっちからの
報告を適当に採録したんじゃないの、陳ナントカっていう西晋の人が。
969 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:12:30 ID:i2ITCcsw0
白村江も先頭に立ったのは筑紫王のサツヤマさんで、
本州から応援をもらったのかどうかは知らないが
主力は九州勢だろう。
惨敗して捕まっちゃうけど、それだけの渡海能力と
動員力はあった。
出雲、岡山近辺だと、魏志倭人伝としっかり距離が合うらしいけどな。
>>966 三国史記みたいなすごい後年の記録じゃなくて
好太王碑文を持ってくるべき
っていうか逆に考えてみようぜ
3世紀の段階で畿内に大規模な都市があって
朝鮮や魏と物流があったなら、日本の開拓はもっと速いスピードで行われ
8世紀頃には関東や東北まで都市が広がってたはず
ところが現実は、平安時代、貴族は京都に引きこもって
一生懸命京都や奈良に都市を建築して畿内を開拓していた真っ最中だった
これはもう日本の古代史は、九州とその近辺でとどまっていたという事実を表してる
973 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:15:25 ID:i2ITCcsw0
>>970 里の大きさとコース次第だな。
それだけじゃ、分からん。
974 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:16:30 ID:ir7ti7C90
神功皇后は歴史から消されたのは間違いない
こんなに古い歴史がある国なのに7世紀になって
やっとお国編纂の歴史書が出てくる事態不思議
8世紀には神功皇后は祟る神と書かれた書が見つかっているぐらいだから
当時の国が規制しても規制しきれないのは 現在にも通じてる
975 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:16:33 ID:YA+wnHsk0
>>968 伝聞にしろ、情報源はひとつではないわけでしょ
当時でも客観的な情報として、邪馬台国は一大勢力だった可能性は高い
976 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:16:46 ID:NBmW05BsO
好古都國とは博多のこと。蘇が付く國は阿蘇近辺。
その中間点の筑後が具合がいい。
>>975 >伝聞にしろ、情報源はひとつではないわけでしょ
それこそ「何を根拠に」。
>当時でも客観的な情報として、邪馬台国は一大勢力だった可能性は高い
知らんがな。
978 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:19:57 ID:i2ITCcsw0
九州王朝がずっと倭国代表の名目を握る
大化の改新で畿内王権起動
白村江で九州勢壊滅
畿内王権に代表権移動
中国と交易しようとするも無視される
あわてて国家構築に乗り出す。
記紀編纂
の流れ。
979 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:20:18 ID:pCPuwnpo0
>>974 その前に帝記とかあったけど
文字が入ってくるの事態が遅かったし
それまで主に口承伝承だったんで。
980 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:20:28 ID:YA+wnHsk0
>>977 推測だよ。著者がひきこもりだという根拠でもない限り
世間との関わりがある、なら世間の情報も聞いていると判断するのがふつうの推測
>>972 考古学的事実を無視してそんな推測をしたところで無駄
マキムクの遺跡は実際に大規模なものだし
最近じゃ淡路島で邪馬台国よりも一〜二世紀ほど早い時期の製鉄所のあとも見つかってる
原料となる鉄は大陸から輸入したものだ
当時の交易は想像以上に広かったんだよ
982 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:22:25 ID:i2ITCcsw0
製鉄所と鉄器工房の区別は付けてね。
製鉄が出来るようになった後の
山陰の伸長は異常
>>980 はぁ。大陸の世間に邪馬台国の情報があふれていたと。で、東夷伝に噂話をカキコしたと?
凄い推測っすね。
984 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:23:19 ID:FxT7WMaOO
>>973 妻木晩田遺跡なんかも、規模では吉野ヶ里より遥かに大きく、場所としても比較的良く符合するだろ。
ただ出雲神話の基本として早期に大和へ国譲りしてるから、出雲あたりが中心だと見られたとしても、
国としては大和の内だと言ったろう。
>>982 ああ、すまん。鉄器工房が正解
製鉄技術がないから鉄を輸入したんだ
986 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:24:26 ID:fUVK1sVMO
朝鮮半島のどこか
987 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:24:52 ID:pyA6EOuw0
>>930 神道は何が何でも畿内じゃないと困る
特に神道の祭主の例の家系なんか正統性が否定される恐れ大いにある
九州と同定されると日本は大混乱する
それは困るんでもう畿内でいいんじゃない
988 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:25:13 ID:YA+wnHsk0
>>983 馬鹿が。
その伝聞をもたらした情報源の人間のほうに決まってるだろ
あげあし取りとかどうでもいいよ
>>981 三世紀って原始的なイメージあるけど
予想以上に広大な「国家」がすでに出来てたみたいだね。
九州説って飛躍ばっかり。何の証拠もない。よくこれでこれまで説といえたもんだ
991 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:26:26 ID:PQmuY6zYO
八女説は面白いな、古びた小さな神社に祭られている姫だっけ?
992 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:26:56 ID:ir7ti7C90
日本土着の文字は縄文以前の時代から存在する ひらがなの元になった
大和が土着の文字を受け入れたのは政権にとって都合の悪い歴史を
消す為だと思う。 ある意味焚書。
993 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:28:09 ID:YA+wnHsk0
>>987 結局それは事実ではない
利益のために物事を捏造しているだけ
知りたいのは事実だけだよ
994 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:29:02 ID:pCPuwnpo0
>>987 邪馬台国と神道は何の関係もごぜーません。
995 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:31:09 ID:6F9sn52EO
那珂川の上流あたりだろ
996 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:31:16 ID:pCPuwnpo0
997 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:31:52 ID:ir7ti7C90
卑弥呼=日巫女
月読の命がカギだと思う。
998 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:32:03 ID:i2ITCcsw0
八幡神とか結構九州がルーツの神社あると思うんだけどな。
べつに伊勢神宮が最古というわけではあるまい。
そもそもアマテラスや天地開闢の神を祀っている神社もあって
神社本庁とは関係がない。
999 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:32:06 ID:pyA6EOuw0
1000 :
名無しさん@十一周年:2010/10/04(月) 19:32:14 ID:IrrN4wSC0
>>911 越南は当て字じゃないよ
越は呉越同舟の越、つまり中国の国名だ
その南だから越南
それをベトナム語で読むとViet(越)−Nam(南)になるだけ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。