【埼玉】関東大震災の発生後「暴動を起こす」と噂され虐殺…朝鮮半島出身の男性の慰霊式典が行われる

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591名無しさん@十一周年
神戸の人が、なぜ朝鮮人に恐怖するのか・・・。


生田警察署襲撃事件


生田警察署襲撃事件(いくたけいさつしょしゅうげきじけん)とは、現在の兵庫県神戸市中央区にある
生田警察署が襲撃された事件である。朝鮮人からなる暴徒によって1945年(昭和20年)12月24日、
及び翌1946年(昭和21年)1月9日の2回続けて発生した。

第1回目の襲撃事件

1945年12月24日午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。
署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた(理由は後述)。
捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との
連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた進駐軍によって暴動が鎮圧された。
襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が
神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。
もっとも以下に挙げた資料[1]には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗
事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない。

第2回目の襲撃事件

翌年1946年1月9日、三宮ガード下で賭博団(国籍未詳)が検挙されたことを受け、30〜40人の朝鮮人が犯人
の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した。