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1694年以降、もう一つ別の”見える、見えない"の話。
https://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/visible-from-ulluengdo-to-liancourtrocks 朝鮮の各地誌の"天気が清明な日に高台に上れば見えることができる”記述は、
”朝鮮半島東岸部”から”于山鬱陵島が見える。と言う歴代の規式の基づいた記述である事は説明したが、
実は、数件だが、朝鮮側は現竹島を見ている形跡が有る。 しかし、それは”于山島”でも、"石島”でも
なかったのである。 韓国側にとっては皮肉な事であるが、朝鮮王朝は、この島を日本の島だったという
認識をしていた可能性が高い。
1694年 張漢相「蔚陵島事蹟」
東望海中有一島杳在辰方而其大未滿蔚島三分之一不過三百餘里
東南三百餘里以内に鬱陵島の三分の一程度の大きさの島がある
<その後の別の機会に>
登島山峰審望彼國之域則杳茫無眼杓之島 其遠近未知幾許
島の山峰を登って彼の国(日本)の域を望んだら、遠近は幾何か知れない(程)遠い
「杳茫(遥かに遠く)眼杓(目立つ・目標となる)島はない