【竹島問題】 韓国の主張を覆す古地図、発見…神戸市立博物館★2

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258名無しさん@十一周年
韓国の古文献に竹島(独島)を記した例はほとんどない

彼らが「竹島(独島)のことを記していると言い張ってる例は、
実際には于山(=ぜいたくな丘<の島>)=鬱陵島であったり、
于山島(=海長竹田<海長竹が密集して生えている場所>)=竹嶼であったり、
石島(=sokto=鼠項島(ソコト)=項島)=観音島、もしくは石島(=石仏島)=観音島のことである

だが、1694年以降、わずかながら極めてまれに見ることのできた竹島らしき記述が存在し、
しかしその後にはすぐ消え去っている。

これは、韓国の鬱陵島「空島政策」を破って密航した罪から逃れるため、
日本から聞き及んだらしき「松島(現・竹島)」を方便に使い、
その島を韓国領だと認めさせたのだと偽証することで罪から逃れた密入国犯罪人・安龍福事件(1693年)によって、
はじめて日本の現・竹島の存在を知ったのであろう、
その翌年、鬱陵島を調査して、はじめて現・竹島を発見した時のことである。

韓国の歴史上、初めて見た現・竹島のことを、彼らは于山とも独島とも石島とも呼んでいない
何島とも言わず、ただ、かすかに遠くに島が見えるとだけ書いている。
つまり、それまで韓国には現・竹島を呼ぶ名はなかったのである。

そして彼らはその島を、のちには「日本山」と呼んで、日本領だと見なしているのである。

その後その島「日本山」は記録から消滅してゆく。(滅多に見えないため)

「独島」の名が出てきたのは、日本の漁師が韓国人を雇い、
竹島に連れて行ってから以降のことである。

これで一体、なぜ竹島(独島)韓国領土論などが成り立つというのか?
259名無しさん@十一周年:2010/08/23(月) 22:25:57 ID:CK7Eav0/0
竹島.com
1694年以降、もう一つ別の”見える、見えない"の話。
https://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/visible-from-ulluengdo-to-liancourtrocks
朝鮮の各地誌の"天気が清明な日に高台に上れば見えることができる”記述は、
”朝鮮半島東岸部”から”于山鬱陵島が見える。と言う歴代の規式の基づいた記述である事は説明したが、
実は、数件だが、朝鮮側は現竹島を見ている形跡が有る。 しかし、それは”于山島”でも、"石島”でも
なかったのである。 韓国側にとっては皮肉な事であるが、朝鮮王朝は、この島を日本の島だったという
認識をしていた可能性が高い。

1694年 張漢相「蔚陵島事蹟」
 東望海中有一島杳在辰方而其大未滿蔚島三分之一不過三百餘里

 東南三百餘里以内に鬱陵島の三分の一程度の大きさの島がある

<その後の別の機会に>
 登島山峰審望彼國之域則杳茫無眼杓之島 其遠近未知幾許

 島の山峰を登って彼の国(日本)の域を望んだら、遠近は幾何か知れない(程)遠い
 「杳茫(遥かに遠く)眼杓(目立つ・目標となる)島はない