【奈良】元興寺の現役木材、法隆寺より古かった 総合地球環境学研究所客員教授の調査で世界最古と判明
1 :
春デブリφ ★:
★現役木材、法隆寺より古かった 奈良・元興寺、世界最古
奈良市中院(ちゅういん)町、元興寺(がんごうじ)(極楽坊)の禅室(国宝)に、
飛鳥時代初期の586年ごろに伐採されたヒノキが使われていることが、総合地球環境
学研究所(京都市)の光谷拓実(みつたに・たくみ)客員教授(年輪年代学)の調査で
わかった。世界で最も古い木造建築とされる法隆寺(7世紀末〜8世紀)を約100年
さかのぼり、世界最古の「現役」の木造建築部材になる。
元興寺は国内初の仏教寺院・飛鳥寺(法興寺、奈良県明日香村)を前身とし、平城遷都
(710年)に伴って平城京内に移された。奈良時代の718年に建立が始まり、建物は
新築とされてきたが、少なくとも禅室は飛鳥寺からの移築だった可能性が高まった。
禅室は東西26.8メートル、南北12.8メートル、高さ8.4メートルの細長い
木造平屋建て。僧侶らの住居「僧坊」として使われ、後世には修行の場を兼ねた。
光谷教授は奈良文化財研究所の発掘技術研究室長だった2000年、終戦前後の修理
で禅室から取り外された部材の年輪を調査し、582年ごろの伐採を示す部材を見つけた。
現在使われている部材にも同時代のものがあるとみて、07年にデジタルカメラで
屋根裏の部材の年輪などを撮影。年代の判明している年輪データと比較して割り出す
年輪年代法に基づき画像をコンピューター解析した。その結果、複数の柱の上部に水平
方向に渡した「頭貫(かしらぬき)」で、最も外側の年輪が586年を示した。
(続く)
■ソース(朝日新聞)
http://www.asahi.com/culture/update/0813/OSK201008130210.html ※写真 元興寺の禅室(左)。右側は本堂=奈良市中院町
http://www.asahicom.jp/culture/update/0814/images/OSK201008130226.jpg
これをきっかけに各地で古い木材が見つかるんですね
3 :
春デブリφ ★:2010/08/14(土) 12:11:18 ID:???0
(
>>1の続き)
飛鳥寺の正確な建立年は不明で、590年に用材を伐採したことが日本書紀に記され
ている。飛鳥寺の部材が禅室に再利用されたとみられる。光谷教授は「国内初の寺院の
部材がいまだに健在なのは、加工しやすく耐久性に優れたヒノキだったから。日本の木
の文化を象徴する建物として、禅室は貴重だ」と話す。
禅室の屋根裏は10月17日〜11月13日、1日160人の限定で公開される。申
し込みは往復はがきで9月17日必着、先着順。詳しくは元興寺文化財研究所のホーム
ページ(
http://www.gangoji.or.jp/)で。(編集委員・小滝ちひろ)
◇
〈元興寺〉 蘇我馬子(?〜626)が飛鳥地方(奈良県明日香村)に創建した飛鳥
寺を、奈良時代に北約22キロの平城京内に移した寺。東大寺などとともに南都七大寺
のひとつに数えられる。室町時代に金堂などが焼失、江戸時代には五重塔や観音堂など
が焼けた。現在は、本堂と禅室からなる極楽坊と、観音堂の系譜を引く寺院の二つに分
かれる。極楽坊は1998年、「古都奈良の文化財」のひとつとして世界遺産に登録さ
れた。
(以上)
http://www.asahi.com/culture/update/0813/OSK201008130210_01.html
4 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:12:52 ID:NOVe2XUd0
これで挑戦より日本の方が古いのがハッキリ。文化は日本→挑戦へ。
6 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:13:50 ID:TLwn1uOx0
1400年以上もシロアリにやられなかったのか?
7 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:14:01 ID:8UWgXOS/0
法隆寺涙目
8 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:14:24 ID:itB8y6SoO
元興寺の起源は韓国ニダ
9 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:14:53 ID:NmNTwJwb0
>>4 いやいや古来より文明はもとより建築美術品から糞まで
リユースしてるだけですよ朝鮮はw
なぜ日本には石の家の文明が栄えなかったの?
11 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:16:13 ID:1ioix8yHO
ヒノキ元興寺ェ…
12 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:16:34 ID:0hN4Z3X+0
この時代の年輪年代法って それほど精度無いだろ
当然 部材の産出場所くらいは特定したんだろな
>>6 日本のシロアリは乾燥していれば大丈夫らしい
乾燥にも強い外来種があちらこちらで上陸しているから
十数年後はやばいかもしれないが
つまり俺たちはずっと自民に騙されてたわけか・・・
15 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:18:05 ID:pxxwR6FfO
うおおおおおおおおおおおお!!
すげええええええええええええええ!!
これはすごいな
こういう話はわくわくする
>>10 地震で倒れてきたら恐怖
18 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:19:56 ID:pxxwR6FfO
19 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:20:26 ID:sJA8CnBt0
起源は韓国ニダ
って来るぞw
このキチガイ乞食民族が主張しだすぞ。
前々から思ってたんだけど、一部の木材に古いものがあるからといって
世界最古の木造建築だ!っていうのはどうなのよ
シロアリの前に、キムチ臭い人たちに火葬されるよきっと
白玉は人に知らえず知らずとも良し
を地で行ってますな
先月初めてイタリア行ってポンペイとローマ見てきたら全然日本と勝負にならないことがわかった
こちとら弥生時代ななのにあちらは鉄骨とかだもんああ・・・
25 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:36:29 ID:NTmGcRAK0
徒歩5分位のところにある寺なんだが、普段は気にも留めた事がない。
でもニュースで見るとスゲーと思う。
26 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:38:20 ID:PlrU9g2B0
>>24 いや、奈良すげ〜よ。最近奈良行ってはまったよ。
シカがうろうろしてるし、日本のインドだね、あそこは。
半年後、そこにはハングルが落書きされた木材の姿が!
28 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:45:18 ID:nw/p5J8EP
>>10 日本みたいに湿気が多い国で石造りの家たてると、黴が凄いことになりやすい。
明治の初期に西欧のまんまのコンクリート建物作ったらすぐに室内がびっしり黴だらけになったそうなw
湿気の調整をしてくれる木材を使うことが大事になってくるようだよ。
今の鉄筋コンクリートは湿気の調整を考慮した構造になっているはず。
29 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:46:30 ID:z+HVOXRO0
箱舟はみつかったんだっけ・・・。
30 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:47:17 ID:3rbguOet0
日本すげー
人
∧_∧ ( 0 )
< `∀´> л シュボッ
 ̄ \ ( E)
フ /ヽ ヽ_//
>>24 アジア全体が原始人のような生活を近年までしてたじゃねーかw
奈良時代にあんなでっかい大仏つくってた日本は全然マシだぜ
33 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:49:19 ID:v0RULAnW0
中国より古いことが明らかになったのか。やはり木造建築の起源は日本なんだな。
大陸から伝来したなんておかしいと思ってた。
34 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:49:27 ID:z+HVOXRO0
木造30年の世界遺産は燃やしたんだよなw
>>24 え?
ローマって鉄筋入ってたのか?紀元前から?
鉄筋ではなく、ブロックのアーチを使った建築じゃないのか。
鉄筋の入ってる建築もあるのかな。
ローマならそうかな、とも思うけど。
>>1 >最も外側の年輪が586年を示した。
ここからわかるのは、伐採は586年以降ということだけだよな。
鉋とかかけてない部材なのかしら。
>>26 >日本のインドだね、あそこは。
その発想はなかったw
37 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:51:24 ID:lrs7/Aet0
>>35 コロシアムとかあの中に鉄骨がはいってるんだな
すごいねローマ人
38 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:52:00 ID:z+HVOXRO0
ローマ人 って鉛の水道管で全滅したんじゃなかったのか^^
古代朝鮮帝国の元興将軍が建てたお寺かな?
奈良はその名が示す通り、かつては朝鮮帝国の植民地だったわけだから
その可能性は十分にあるよね
それにしても、1500年も前のお寺が今も残っているなんて
今も昔も朝鮮の人たちの技術力ってスゴイんだねぇ
がごぜじゃ、がごぜにしわざじゃ!!
>>26 東大寺をバックに気持ちよさ気な芝生に
うっかりしゃがみ込んでしまった夏
燈火会2010
42 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:56:52 ID:z+HVOXRO0
朝鮮人は台所のゴキブリホイホイの中までいるからなあ。
>>10 日本みたいな高温多湿の国は、壁を二重にして空気の層を作らないと家の中が湿気だらけになるから
44 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:58:46 ID:cvrGk/9V0
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
.. |||||
(( ⊂_ヽ |||||| また世界最古が日本から出たのか! 悔しい!!!!ドッカーン !!
( \\ ∧_∧) ))
((⌒))\ <♯`Д´>
ノ火 > ⌒ヽ
(⌒((⌒)/:..:″;.へ \)), ファビョ━━━ン!
(⌒( ⌒ )::./)) \\ 。
( (( ⌒ )) ) ヽ_つ ゚
(( ⌒ )) )),
从ノ.::;;火;; 从))゙
从::;;;;;ノ );;;;;从
从;;;;;::人 ;ノ;;;;;从人
45 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 12:59:40 ID:+sGC1zCo0
>>14 住むこと考えたら分かるだろ?夏暑くてジメジメ、冬寒くて死ぬぞw
>>37 立てたのは奴隷なんじゃないかな、知識は映画のグラディエーターからだけど
47 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 13:02:05 ID:z+HVOXRO0
夏は石焼芋か^^
キムチが湧いてるな
51 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 13:17:55 ID:6vGA3Dic0
>>24 >>35 ヒストリーチャンネルでやってたな。
コンクリート、ガラス実用化してたとか。
あと上下水道完備。
昔、イスタンブールで5世紀の教会のドーム見て
日本というか、木造文明では勝てないと思ったな。
床から天井まで60メートルくらいあって、
東寺の五重塔、四基くらい入りそうなの。
木材の再利用なんて当時なら普通だし、禅室自体の建立年代がそう簡単に
さかのぼるのはどうかと思う
>>51 今までバカにして外国なんかほとんど行ってなかったんだが行ってみたら本気でビビッた
コロッセオなんて1900年以上前でもうエレベーターまでついてたってガイドのババアが確か言ってた・・・
法隆寺も5年ぐらい前かな、旅行ついでに半日ちょっといたんだが全部なんか到底回りきれなくて
「すげえなあ」と思ってたのに全然スケール違った。
行った事ないけどエジプトとかもすげえらしいね。
あと自然ならグランドキャニオンとか見ちゃうとその後どこ行っても色褪せちゃうって親父が言ってた。
ちんけな島国の中で学歴とか収入で勝った負けたとかやってないで、
時間あるんだから若いうちに世界は見てきたほうがいいと思う。絶対人生観変わる、お勧め。
54 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 13:39:56 ID:nw/p5J8EP
>>51 奈良時代の東大寺大仏殿の横に配置された2つの木造七重の塔は高さ100メートルだぞ。
当時より科学や技術が格段に進歩した現在の木造住宅が30年しかもたないのは腑に落ちないな
>>55 戦後の木造戸建建築は本当に悲惨だからw
柱ひょろひょろ、外材使いまくりですぐにぼろぼろ腐りまくり。
スケールの点で日本が劣るのは仕方ない
日本列島より長い長城やら上下水道完備の都市国家やらにはてんでかなわない
むしろ仏教彫刻やらのオタ的な細かいミニチュア技術が日本の真骨頂
58 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 13:50:06 ID:PlrU9g2B0
>>57 勝手に決めつけるなよ。
日本は少なくとも奈良時代くらいから巨大木造建築物を作り続けてるぞ。
60 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 13:53:42 ID:PlrU9g2B0
>>57 アシュラマンとかなんとか四天王とか金剛力士とかの、
あのイカツい表情がたまらん。
武装してるし、ムキムキだし。
61 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 13:54:16 ID:yLfTNcrU0
ギリシア・ローマは好きだけど、
別に日本の先祖達も一生懸命頑張ってたんだから、
普通に祖先に尊敬と感謝をするだけだし
>>57 日本が変なよくわからん埴輪作ってた頃にギリシャでは・・・
でも日本の多湿気候に対しての建築設計技術とかは向こうには負けてないと思う。
あいつら暑いとか蒸れるとかいう感覚ないみたいだしw
>>59 巨大と言ってもまず、規模が違いすぎる
秦の阿房宮やら隋の大運河やらの土木事業とはケタ違いに小さい
民族の攻防が少なかったから運良く法隆寺や唐招提寺は残ったがあの程度の
建築は大陸じゃ普通
ギリシャ、ローマ、とくにローマの土木技術は素晴らしいし、日本の技術の元になった中国の建築技術も素晴らしい。
だけど、中国の建築技術を日本に合うようにアレンジして発展してった日本の技術もまた素晴らしいと思うよ。
系統が違うだけでどちらが上とか下とかいうのではないと思う。
土木や建築は国土や風土に合わせて発展していくものだから、中身が違ってくるのは当然だしね。
元興寺の現役木村
きむら?
\ /
>>18 カサカサ__,,,-====< `∀´ > < 呼んだニカ?
゙';;癶;;癶癶;, 癶;,
古代の中国と日本の国力の差は文字通り桁違いだから、スケールで
比較したらそりゃ勝負になる訳が無い。
ローマも一緒。
68 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 14:07:36 ID:z+HVOXRO0
天皇陵は大きいんだけどな〜
69 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 14:09:43 ID:lrs7/Aet0
>>53 で、ローマの建築物に紀元前から鉄骨ってほんとなのかよ
>古代の中国と日本の国力の差は文字通り桁違いだから、
産業革命が始まるまでは、国力というのはほぼ人口に比例してきた。
日本の奈良時代の人口は500万から800万。
その当時の中国は2000万から3000万。
中国は世界でもトップクラスの国力だったことは間違いないが、
それと比較して日本の国力は桁違いというほど差はないよ。
世界でもトップ10に入るくらいの国力の国だよ。
71 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 14:38:20 ID:nEnxrqy00
イタリアもギリシャも海に囲まれてるのに湿度は低いのか
地中海性気候ってやつだね
一部の移築じゃなぁw
ローマは日本みたいに地震がないからな。
地震があるから木造建築に意味があるんだと思うよ。
ちなみにこのお寺
瓦も飛鳥時代のが残ってて
日本最古だよね
日本の巨大木造建築の場合、大敵は雷なんだよな。
大概、あれでやられてしまう。
法隆寺の五重塔なんてまさしく奇跡だな。
76 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 15:10:24 ID:6vGA3Dic0
>>73 >ローマは日本みたいに地震がないからな。
あるだろ。w
77 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 15:13:49 ID:greuCFnbO
世界一とか世界最古とか言ってるとアノ国の人が出てくるぞ!
>>70 唐の人口2千万人から3千万人、は少なすぎないか?
>>78 唐はもう5000万まで回復してたっけ?
漢が5000万で、その後長い戦乱で激減して、唐でもう元にもどったっけかね?
>>79 南北朝時代には江南が開発されていたからな
81 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 18:35:27 ID:XHlJDvRW0
ローマもすごいけど滅んで技術の断裂があるから
いまのヨーロッパとは直接つながってないだろう
<丶`∀´> ちなみに韓国は紀元前前に一億人を突破してたニダ
83 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 18:47:16 ID:Ct8tO7VU0
雨にも負けず風にも負けず
夏の暑さにも負けず
あちらに世界最古の声が上がれば
行ってウリこそが起源と唱え
こちらに世界最高の声が上がれば
来たりてウリこそその起源と唱える
そんなミンジョクに私は
けっして見つめられたくない
85 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 18:53:15 ID:DCVASPJD0
「逆賊」蘇我氏が作った寺が「聖徳太子」の作ったとされる法隆寺を抑えて世界最古の木造建築かw
こりゃどうなるかなw
86 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 19:12:47 ID:RkmD/0Dz0
出雲退社もオリジナルはでかかったんだろ
87 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 19:45:11 ID:6O4UaFbL0
禅室と本堂はもとはひとつの僧房で鎌倉初期に切り離したそうだ
百済観音と七支刀はただちに韓国に返還すべきだが、
これは日本の木だから返す必要はない。
89 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 19:52:57 ID:6O4UaFbL0
>>86 16階建ての建物に相当する高さだったらしいね
元興寺は朝鮮系 藤原氏の氏寺
飛鳥寺は藤原氏に滅ばされた曽我氏の立てた寺 どうなってるの
91 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 21:50:05 ID:I3rk4R8y0
そういうわけでチャンコロに返すのですね。
93 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 22:41:13 ID:Ih1Y/48+0
元興寺は見た目がしょぼいので無学な私は入場料に納得がいかなかった。
94 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 22:57:23 ID:DCVASPJD0
95 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 23:33:08 ID:RkmD/0Dz0
落書きは?当時の落書きはあったの?
97 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 23:36:11 ID:3/8ECVdH0
>>94 発掘調査で16丈は蓋然性が高くなったから、ひょっとしたらってのはあるかも
98 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 23:42:19 ID:dGCboqFmO
法隆寺って1回焼失してるから材木は新しいに決まってるじゃん
99 :
名無しさん@十一周年:2010/08/14(土) 23:42:20 ID:3SO1jUTD0
アヤソフィアと同じくらい?
木造でそれは凄いね
出雲大社の柱は、直径1mの巨木を3本縛って柱にしたのを、9本使ってる。
相当な高さだとは思う。
所で、同じアジアで、日本以外の古い木造建築ってどうなってるのかなあ?
最古はどこなんだろう。
あろ、東南アジアにも巨石建築ってあるけど、カビ対策とかはどうなんだろ。
スレ違い
>>24 規模で比較したらそりゃダメだわな。
あっちは「遺跡」だ。
法隆寺とか正倉院宝物とか1300年人によって守られ続けているという
凄い価値が存在する。ローマで使われ続けてるのはパンテオンくらいか。
>>36 年輪年代測定法ってのは樹皮に近いところが残っている木材を
必死で探すことが仕事だそうだ。かんなを掛けられてしまうと
判定に使えない。
こういう建築は建てる直前に使う木を伐採するのが普通なので、
木の伐採年度がわかれば建てられた時期が推定できるとのこと。
再利用は当然あるので、今回のように移築とかの場合は建った
時期よりかなり古い材料が出てくることがあるわけだけど。
唐招提寺の金堂も光谷って人が頑張って探して3本だけ出てきたんで
創建時期が判明したとさ。
>>100 高さが100メートルとか50メートルのがあったらしいね。
>>103 なるほど、破壊しちゃうわけにはいかないから、
木口が露出している部分を探すのね。
たしかに梁とかは樹皮が残ったのを使ってそうだ。
宮大工の俺が来ましたよ
>>105 唐招提寺の時みたいに基本は解体修理の時に探すようだけど、
(樹皮が残ってる部材はめちゃめちゃ珍しいので唐招提寺では3本だけ発見)
今回は調べられるところだけ調べて見つけられたって感じのようだね。
>>105 >>107 細工をしない原木に近い形のものは
小屋組内部に用いられる
化粧垂木や梁、裏甲、茅負、木負には用いない。
天秤にして軒先を長く張り出すために
天秤にする組物にしている
何故かというと樹皮が残る様な程度の加工だと
本当は手抜きだから
材木は通常真に近い部分を赤身といい
樹皮の周りは白太(しらた)といい腐りやすい。
真に近い部分の方が、不朽や虫にも強い
だから、材木は今ではだいたい白太を削り落とした物を使う。
ただ、雨も当たらないしという事で
時々小屋組の中で見受ける事がある。
>>108 おお、プロの解説サンクス。
なるほど、言われてみれば虫とかって樹皮のすぐ下
あたりに居るもんね。素人考えでは樹皮を残したログハウスみたい
な奴の方が雨とかに強そうに思えるけど、そういうもんでも
ないんだな。
110 :
名無しさん@十一周年:2010/08/15(日) 21:08:41 ID:IjZ7WF8p0
紀元前から住み続けてる俺ん家の竪穴式住居のほうが古いな
111 :
名無しさん@十一周年:2010/08/15(日) 21:11:06 ID:QLOo30El0
飛鳥寺が焼け落ちた時の廃材を利用
エコですな
112 :
名無しさん@十一周年:2010/08/15(日) 21:21:27 ID:1+XGjUp00
うちの小学校は大正時代の木造建築だと聞いたが
それより古いのか
113 :
名無しさん@十一周年:2010/08/15(日) 21:52:48 ID:hfa9X1JQ0
石造建築がなぜ日本で発達しなかったかって話題出てたが
日銀本店は鉄筋鉄骨使ってないよな
それでも関東大震災に耐えた
木造建築嫌いじゃないがもう少しなんとかならんかったのななあ
石材が圧倒的に不足してたのが致命的だな
応仁の乱
百万遍(室町時代?だかの巨寺、応仁の乱で焼失)
六勝寺(七重の塔だのが乱立してた。平安末期各代の天皇により建てられたが応仁の乱で焼失)
相国寺(100m越えの七重の塔と大伽藍があった。応仁の乱により焼失。その後、ちっちゃく再建)
その他多数
廃城令
萩城(毛利氏の巨城、廃城令の言いだしっぺが長州人だったため真っ先に撤去される)
福山城(五層の巨城、最下層は全面鉄板張り!!)
現存している城の本丸御殿ほとんど(名古屋城本丸御殿は残存してたが爆撃で焼失、残ってたら世界遺産!!)
その他多数
よくわからない編
東京増上寺(徳川将軍家菩提寺、日光東照宮ばりの豪華絢爛さ、巨大寺院!古写真あり)
その他多数!!
>>70 奈良 10万 京都 10万の人口と推定されてた頃
長安 80万 洛陽 40万 広州 20万
北京 10万 開封 10万 蘇州 10万 成都 10万 太原 10万
だから、かなりの開きはあったと思うが
その頃
バクダット 70万
コンスタンチノープル 40万
115 :
名無しさん@十一周年:2010/08/15(日) 23:05:33 ID:rVGbhxtH0
>>98 そこが問題で、法隆寺は
記紀には焼失記録はあるが再建記録が無い。
ここから九州王朝論者は
太宰府観世音寺からの移築を主張している。
当時は移築の方が遥かに安くあがったらしい。
じっさい土台の部分が礎石と柱の間に
不自然はスキマを追加の石で埋めてあるなど
移築を伺わせる根拠はある。
()の多い記事だ
117 :
名無しさん@十一周年:2010/08/15(日) 23:19:26 ID:gD4pOiVr0
ヒノキとか真木には神が宿ると信じられてたから、宮殿や寺院の建設に古い建物の柱を再利用した
伊勢神宮は大和政権に逆らったお仕置きとして、神位神階を剥奪されただけでなく、20年ごとに全ての社殿を造り替えて神が宿らなくされてしまってる
日本にも石材の建築は多数ある
お城の石垣がそうだろw
あれは「基礎」とはいえない気がする
雨と湿気の多い日本じゃ石材建築なんて馬鹿な建造物立てないでしょw
瓦文化が発達してるのにそれをレンガとして利用したケースも少ない点を
見ても明らかかと。
120 :
名無しさん@十一周年:2010/08/15(日) 23:36:39 ID:/bKnHUrm0
建築じゃなくて土木の分野だな
>>119 東南アジア〜インドにかけて、石材建築が多いのをどう説明する?
>>115 その本は読んだんだが、もし移築だとすると、それなりに古いはずだよなあ。
また、地域によって、樹木の生長に差があるはず。
その辺りは、どうなってるの?
記紀の7世紀辺りはおかしな記述が多くて、九州王朝説を適当に当てはめれば、説明できる。
それは正しいやりかたかどうか分からないが、ただ、8世紀以降の中国史書との整合性を考えると、
やはり何かあったはずだなあ。
123 :
名無しさん@十一周年:2010/08/16(月) 00:39:34 ID:5CfybCU60
この方はもしかして唐招提寺スペシャルに出てた人じゃないか?
124 :
名無しさん@十一周年:2010/08/16(月) 00:55:51 ID:hbQ/AR+M0
>>119 多分冬の気温のせいかと・・・。 日本の場合暖房もしくは、人が多数いるだけで冬場は結露条件になってしまうけど
東南アジア〜インドだと結露条件にはならないんだよね。
>>124 ああ、なるほどね、日本だと温度差が大きくなるからね。
木造だと部屋の中もそう暑くはならないが(夏向けだし)、
石造だと、密閉されて温度の落差が大きくなると。
湿度が高くて、かつ低温に成るという点で日本は石造はだめだと。
ちょっと疑問だった所が解明できて有り難い。
>>121 具体的に何?
アンコールワットやタージマハルは、居住する為の施設じゃない。
日本の代表的な石造建築である前方後円墳や石舞台を豪華に
したような施設。
要はピラミッド。
上毛野はにわの里公園なんかは、当時の前方後円墳を再現してるから
日本の石材建築を垣間見れるはず。土偶や埴輪はレンガ装飾みたいな物だし。
だったら法隆寺だって居住施設じゃないだろ。
>>128 いやいや、ちゃんと住んでたよ。あれは王(というのか)の居住施設。
アンコールワットも僧侶はいたんじゃないの。
131 :
名無しさん@十一周年:2010/08/16(月) 07:59:15 ID:1M1A/SZB0
132 :
名無しさん@十一周年:2010/08/16(月) 20:22:45 ID:sQBVtz+/0
朝鮮由来だから 返還しる賠償シル
<丶`∀´>y
133 :
名無しさん@十一周年:2010/08/16(月) 21:03:46 ID:Wi3Q8G6M0
大仏様や禅宗様などの寺院建築の様式は朝鮮を通さずに
中国からダイレクトに入ってきたんじゃなかったかな
>>113 つくづく応仁の乱がもったいねえな。
京都の連中が戦争で焼けたとかいう時の戦争が応仁の乱のことだってのがよくわかる。
135 :
名無しさん@十一周年:2010/08/17(火) 23:22:11 ID:/BKhfBW00
まあ寺の敷地が昔のように広かったらそれはそれで
日本と朝鮮の違いは、仏教を篤く保護してきたか、弾圧して儒教一色になったかの違いなんだな。
長い朝鮮の屈辱の歴史は、ここに由来する。
京都や奈良へ行くと、ああオレは朝鮮人じゃなくてよかった、と思うね。
>>136 >日本と朝鮮の違いは
単に中国との距離の違い。
日本が大陸と地続きだったら、聖徳太子の「日出ずる処の天子から〜」
なんて手紙はとても出せなかっただろうし、元にも完全に征服されてたはず。
国の周りに海があるかないかは大きいだろうな・・・
今はそうでもないけど
日本は周りが海に囲まれ空気の循環がよいので日本人の脳は平和的で優れた技術を考え付く。
大陸は周りが山と陸で海からの新鮮な空気が来ない、だから脳が単純な原始人化している、敵と言われたら敵としか見れない単純脳。
140 :
名無しさん@十一周年:
奈良や京都に行ってわざわざ「朝鮮人じゃなくて良かった」と思う感覚が異常