【裁判】 秋葉原事件・加藤被告 「ブサイクは彼女できない…の書き込みはネタです。自分は外見で悩んでませんでした」
C.「茨城の工場〜自殺騒動、そして実家へ」
派遣会社を辞めたあと、加藤は仙台の友人宅などを転々とする
約1ヶ月後の平成18年5月、茨城県つくば市の住宅関連部品の工場で働き始める
が、そのわずか3ヶ月後に、突然いなくなってしまう
加藤「8月31日に青森県の道路で車に乗って対向車線を走るトラックに正面衝突しようと思いました」
(弁護人「どうして8月31日なのですか」)
加藤「借りていた額は10万円程度でしたが、サラ金会社の返済期限が8月31日だったからです。
限度額ぎりぎりまでカードを使い切ってから死のうと思いました」
(弁護人「自殺する前に会社を辞めて身辺をきれいにしようとは思いませんでしたか」)
加藤「思いませんでした。どうせ死ぬのだからあとはどうでもいいと」
(弁護人「その日の行動を説明してください」)
加藤「朝に、弘前市内のコンビニで酒を飲んで、速度が出せるバイパスに向けて出発しました」
加藤「その前に、自殺するというメールを青森の友人に送り、母親に自殺をするという電話をしました」
(弁護人「内容は?」)
加藤「トラックに車でつっこんで自殺をするといった内容です」
加藤「決意して、いよいよこれからという時にメールの着信があり、気になったので車を止めようと思いました。
Uターンしようとしたところ、縁石に車をぶつけて走行不能になりました」
(弁護人「走行不能になり、自殺の考えは変わりましたか」)
加藤「あきらめず、応急修理をしてもらおうと考えました。
レッカーを呼んで、ディーラーに車を持って行き、一時的に走れるようにしてもらおうと考えました」
(弁護人「何のために」)
加藤「もう一度自殺するためです」
(弁護人「この車を使うこと以外は考えなかったのですか」)
加藤「考えませんでした」
(弁護人「なぜ?」)
加藤「メールで予告しているし、それ以外の方法で自殺するわけにはいかないと考えました」
修理を断られた加藤は行き場を失い、事故車とともに3年振りに実家へ
(弁護人「母親に会って何と言われましたか」)
加藤「『良く帰ってきたね』と」