【祭事】 那智の火祭り、約9000人が酔いしれる・・・熊野那智大社

このエントリーをはてなブックマークに追加
1四苦八苦φ ★
 和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社で14日、例大祭「那智の火祭り」が盛大に営まれた。
那智の滝前で繰り広げられる大たいまつの乱舞に約9千人の参拝客が酔いしれた。

 「扇祭り」とも呼ばれ、大社にまつられている12体の神々が年に1度、
高さ約6メートルの扇みこしに乗って本殿から那智の滝へ里帰りするという神事。
午前中、境内で国指定重要無形文化財の那智の田楽や大和舞の奉納があった。

 昼すぎ、扇みこしが本殿を出発。滝前では、白装束姿の氏子が重さ50キロを超える大たいまつを担ぎ、
「ハーリャ、ハーリャ」と勇ましい掛け声を上げながら参道の石段を練り歩き、扇みこしを出迎えた。

 燃えさかる大たいまつは炎の乱舞となり、薄暗い杉木立の参道を幻想的な雰囲気に変えた。
人々は歓声を上げ、写真に収めていた。

紀伊民報 (2010年07月15日更新)
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=193351
2名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:02:20 ID:TZOvze5z0
俺のたいまつも乱舞するぜ!
3名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:04:47 ID:P63gTIua0
皇室は和歌山におくべきだね
4名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:06:36 ID:/QS9mHbs0
ふぃひぃぃっ
ひっでぇことしぁやがらぁ へぇっ!
5名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:09:05 ID:0cSakhgwO
そして深夜、俺一人だけの祭が始まる
6名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:12:51 ID:RiEUunSX0
ナチの焚書祭り
7名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:13:32 ID:rWQezK8I0
こういうの平日にやっちゃうのか?
8名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:15:24 ID:+m8IGi6u0
今日の野沢那智スレ
9名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:15:26 ID:K/1b8TCq0
本居宣長 直毘霊
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5015829
http://jp.youtube.com/watch?v=O-YnQY-mxlI

  皇大御國(スメラオホミクニ)は、掛(カケ)まくも可畏(カシコ)き~御祖(カムミオヤ)
  天照大御~(アマテラスオホミカミ)の、御生坐(ミアレマセ)る大御國(オホミクニ)
  にして、

萬國に勝(スグ)れたる所由(ユエ)は、先( ヅ)こゝにいちじるし。國という國に、此( ノ)
大御~の大御コ(オホミメグミ)かゞふらぬ國あらめや。

  大御~、大御手(オホミテ)に天(アマ)つ璽(シルシ)を捧持(サゝゲモタ)して、

御代御代に御(ミ)しるしと傳(ツタ)はり來(キ)つる、三種(ミクサ)の~寶(カムダカラ)は
是ぞ。

  萬千秋(ヨロヅチアキ)の長秋(ナガアキ)に、吾御子(アガミコ)のしろしめさむ國なりと、
  ことよさし賜(タマ)へりしまにまに、

天津日嗣(アマツヒツギ)高御座(タカミクラ)の、天地の共動(ムタウゴ)かぬことは、既(ハ
ヤ)くこゝに定まりつ。
10名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 06:56:07 ID:5Gv7GEcHP
11名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 07:23:43 ID:H/gGNgbu0
狼星座の青銅聖闘士
12名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 08:02:41 ID:qTe2VDuI0
すずや那智!
13名無しさん@十周年:2010/07/16(金) 16:06:35 ID:Z8X6ynv/0
那智文江
14名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 06:14:31 ID:Z+BxyOkM0
那智大社かあ。もう4年になるか、行ったのは。
熊野三山では、やっぱり那智大社が一番良かったな。
日射病で死にかけて大変だったけどな、あの時は。
15名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 06:19:30 ID:Z+BxyOkM0
ついでだから書いとくか。ちょっと挑発的なことを。
伊勢神宮は、本当は自称してるほど古くない。
明治新政府が国家神道を作る過程で大仰に祭り上げられただけで、あの由来は非常に作為的。
作ったんだから作為的で当たり前だが。
本当に神道と呼べる、古より続く祈りの場は、熊野三山。

まあ、でも、そんなことは神道の思想的に言ってもどうでもいい話なんだけどな。
庭の社も家の神棚も熊野の大社も同じだから。
16名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 06:30:32 ID:npRxp8zb0
>>2
マッチ棒はたいまつではありません
17名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 07:10:18 ID:bxM0XaZs0
>>15
挑発的つうか釣りだろ。
熊野は神道よりも修験道の土地だし、熊野三山は仏教神社だしな。
伊勢神宮と天照大神は古来より天皇家の氏神だったし。
それが八百万神のトップに祭り上げられたのが国家神道だったというだけ。
18名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 07:23:24 ID:eqEdo8lvi
>>17
きちんと調べないとその程度だろうな。
でもそれ、半分ぐらい創作だから。
現代の神道は、明治時代に極めて大規模で組織的に作られた新興宗教で、それ以前のものとは全く違う。
廃仏毀釈とかもその創作運動の一つだけど、それよりはるかに大規模な宗教の創作が行われた。
でも、暴いても誰も得をしないし、創作だったからと言って困るやつもあまりいないから、一般的には知られないまま現在に至っている。
19名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 07:26:59 ID:BKCDkFovO
卍卍卍ナチの火祭り卍卍卍
ですか…ガクガクブルブル
20名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 07:29:08 ID:bxM0XaZs0
>>18
ある程度は知ってるし、何を言いたがってるか大体予想は付くけど、
なんかあんたのレスからは青臭いオカルト本の臭いがプンプンする。
なんなら自説を披露してくれてもいいよ。
21名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 07:36:44 ID:3ECBayZF0
(´・ω・`)「那智勝浦」とは

(´・ω・`)「ナチ勝つ裏」という暗号だったのだよ。
22名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 08:39:23 ID:eqEdo8lvi
>>20
オカルトは知らんが、古い信仰のありかたの美しさに比べて、国家神道はあまりにもグロテスクだし、
2chを眺めてると、きちんと調べればすぐわかるような事でも、教科書で憶えたんだかなんだか知らんが、
変な儀式を指して神道と称してる奴が多いんでな。
23名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 09:19:53 ID:HaXfUHqO0
>>22
国家神道は信仰ではなくて国家行事だよ
24婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/17(土) 10:59:53 ID:SfY1RKwd0
紀伊の熊野っていいよね。
修験道といい感じにミックスされて、
オカルトチックな胡散臭さが爆発だ。 ←ほめ言葉だぞ。
25名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 11:04:40 ID:LUNBN6Mt0
>>22
国家神道なんて「政策」を持ち出してる時点で知識が浅さそうだが。
古い信仰ってどの時代の神道を指して言ってるんだ?
江戸時代の神道は新しいし、神仏習合で神道は劇的に変化を余儀なくされたし、
ヤマト政権の中央集権化によっても神道は形を変えているわけだが。
そもそも神道本来の姿、古神道は神武東征というジャイアントインパクトによって
すでに変節を始めている。

なにを指して本当の神道言ってるのかな?
26婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/17(土) 11:26:50 ID:SfY1RKwd0
>>25
まあ、「政策」かも知れんけど、新しい教義を作っちゃったんだから、
れっきとした新興宗教だよね。

さておき、日本書紀に「葦原中国岩は岩も木も草の葉もワイワイガヤガヤ
しゃべくりあっててクソうるさい国だったので皇孫火瓊瓊杵尊が「うるせー」と
言って黙らせた」みたいな話が出てくるけど、これが古神道・原神道な気がする。
今の俺らが神道に感じる「山紫水明の清浄な世界観」ってのはこの頃に
作られたもので、それ以前の人たちはもっと血の気の多い世界観の
中で暮らしていたんじゃないかと。

でもって、>>24で書いた熊野三山のおどろおどろしさは修験道とのミックスに
よるものだけど、案外これが古神道っぽい世界に近いのかも。
27名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 11:36:06 ID:LUNBN6Mt0
>>26
>山紫水明の清浄な世界観
これ仏教思想だから。神仏習合以降のイメージ。
日本の神々は肉食で殺し合いもするし、穢れを恐れない。
なぜなら古事記に登場する人物神の多くは、各氏族のご先祖様を神格化したものだから。

神道の基本は古神道もその後の神道も、自然崇拝と祖霊崇拝。
これは国家神道も踏襲している。
28婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/17(土) 11:48:44 ID:SfY1RKwd0
>>27
>これ仏教思想だから。神仏習合以降のイメージ。

たしかに、記紀編纂のころには神仏習合が始まってるもんね。
でも、ケガレ−ミソギのシステムは神道側から持ち込んだ
ものだと思うけどな。

>神道の基本は古神道もその後の神道も、自然崇拝と祖霊崇拝。

それはそうなんだけど、アマテラスさんだって「実は私、大日如来の
本地垂迹なんですぅ」とか言ってるわけで、それはそれで神道の
歴史じゃないかと。
29名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 11:59:53 ID:qQ7cUX+i0
また飲酒運転自慢かよ
どうせ警察官も参加してるからとかでお咎めなしなんだろ
30婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/17(土) 12:02:38 ID:SfY1RKwd0
事故、いや自己レス。飲酒運転的にw

>>28
いや違うな。
伝わった当時の仏教ってのは、金ピカの絢爛豪華なゴージャスな
ものだったんだよな。だから日本の神々も帰依した。てなわけで、
>山紫水明の清浄な世界観
は仏教から来たものじゃない気がする。
31名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 12:18:51 ID:LUNBN6Mt0
>>28
>ケガレ−ミソギのシステムは神道側から持ち込んだものだと思うけどな。
そうだよ。穢れを恐れないと書いただけ。血や死を「穢れ」と置き換え忌避すると言うのは
神仏習合で神道側がやむなく導入した考え。本来は穢れれば禊げば良いじゃんwて思想。

>それはそれで神道の歴史じゃないかと。
話がずれてるし噛みあってない。

神仏習合は神道側にとっては厄災以外の何物でもなかったから。事実上の仏教による支配だから。
仏教系朝廷系の神社の分社が全国に広がって、神宮寺に実権を握られてもなお神道のあり方を
堅持した神社にこそ神道の姿を顧みるべきかと。国津神系の大神神社、出雲大社、諏訪大社など。
天孫系でも神宮以下、古式で有力な神社は朱には染まっていない。


>>30
>山紫水明の清浄な世界観は仏教から来たものじゃない気がする。
いやそれはあんたが主張してる個人的なイメージだから。
ぐぐったら「山紫水明」は江戸時代に生まれた言葉なんだな。京都の景観を表現した言葉だとさ。
江戸時代の仏教は質素な日本式だな。

>当時の仏教ってのは、金ピカの絢爛豪華なゴージャスなものだったんだよな。だから日本の神々も帰依した。
朱塗りの絢爛な神社は国家神道と同じ。朝廷による政策神社と言える。
32名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 12:24:58 ID:7yHyaRdOP
【那智文江】ねらーに釣られた中日新聞が敗北宣言の「おわび」を掲載www釣りのようなマジキチ投書も
http://blog.livedoor.jp/booq/archives/1240696.html
33名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 12:25:11 ID:52N4B8/60
やあまあ、そういう風に仏教と無理に分けようとするとおかしくなる。

そもそも吉備・出雲、熊野、立山(あと多分大和にもあったはず)などを中心とした土着信仰が、
大和政権成立前後、仏教導入あたりのゴタゴタから神道と呼んでいいものができるんであってね。
古神道と呼ぶならこれ以降、平安以前までということになるだろう。
統一した信仰の形式がない、神様の名前もあるんだかないんだかあやふやな。
統一されてはいないにしろ、形として一つということになった、そのベースが熊野の信仰だて意味で、
15みたいなことを言ってみたわけ。正確な言い方じゃないのは分かってるけどさ。

歴史的に言うなら、平安時代、江戸時代、明治時代にそれぞれ新興宗教が流行った結果、変容していった。
思想的なことを言えば陰陽、ハレ・ケ、穢とか仏教とかがごっちゃになってた。
そんなふうにグダグダで、時代によって道具立ては変わっても、信仰の「場」という核の部分は変わらなかった。
その場というのは何かということにかんしては変化が見られるにしてもね。

それを無理にまとめて、「はい、コレが本家です、今からコレを拝みなさい、神話はこう、形式はこうですよ」という押し付けになった。
2chなんかだと、それがはるか昔から伝わってきたみたいなことを言う奴がいっぱいいるだろ。それが嫌だなと。
信仰なんてものは他人に押し付けられるものじゃなく、生活の場から自然に生まれるものだと思うからさ。
長いけどそんな感じ。
34名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 12:35:45 ID:0cuo1M1VO
ハーリャハーリャ
35名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 12:37:21 ID:ncoen+Ym0
道教の影響を無視しては、神道は語れんだろ。
36婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/17(土) 12:53:29 ID:SfY1RKwd0
>>31
たしかに今の俺らが神社や寺にいだくイメージは、
近世以降のものだろうね。てなわけで、>>26の山紫水明は
まずかった。言いたかったことは、記紀編纂時に一度、それまでの
神道が整理・再編されたということで。

>神仏習合は神道側にとっては厄災以外の何物でもなかったから。事実上の仏教による支配だから。
というのは、ちょっと違うかなと。神々の側に仏教に帰依したい動機があった。
正確には神々の側というか、神々を祀る集団に、だけど。

>>33
そういうことだよね。

>>35
うんうん。
伊勢神宮にも道教の影響が色濃く見られ…とか書くと、怒る人が多そうだがw
37名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 13:06:40 ID:LUNBN6Mt0
>>36
神仏習合に神社側は頑強に抵抗してるんだけど。
神宮寺の設置を強要され実権争いを繰り広げ、朝廷をバックにつけた神宮寺が勝利し、
以降神道は著しく衰退してしまった。国家神道までの長い期間で神社が世間に広く
脚光を浴びたのは江戸時代のお伊勢参り程度。神道をカムバックさせた国家神道は
神道を破壊しつくすトリックスターだったで、神道の歴史は散々なもんだよ。

>>33はもう一度よく検証し直した方がいい。ちゃんと興味があるなら。
38名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 13:18:36 ID:52N4B8/60
>>37
神道の立場としての視点を、「頑強に抵抗している」というところに置くか、
大きな枠として日本の信仰というものを考えて、それがお伊勢参りでも何でもいろいろに変化していったよね、
というところに置くかということだよ。

変わっちまったもんは仕方ないだろ。
例えば、今更7世紀ごろの出雲大社の祭祀の形式を復活させてみたところで何も意味が無いだろ。
考古学的・民俗学的には面白いかもしれんけどさ。
39名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 17:48:04 ID:FNUsQfWh0
なんかすげー!京極堂みたいだな
40名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 18:14:47 ID:cNB1SiLG0
>>38
神仏習合における神道と仏教の争いは、そんな思想や教義的な争いじゃないんだよ。
神道とは土地の領主とその一族、氏子たち。仏教は朝廷が派遣した役人。
つまり地元住民から自主独立を奪い、中央集権を確立させることが目的。

知識や考え方の最初が間違っている。神道というものを現代的な認識でしか把握できていない。
41名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 18:16:55 ID:+vRK2d4e0
個人的に、野沢那智といえば、コブラよりも悟空の大冒険の三蔵法師なのだが。
42名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 18:19:42 ID:ncoen+Ym0
那智といえばメカドックかな・・
43名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 20:37:57 ID:bTSviVUF0
ちょw
44名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 20:38:02 ID:QlwRWs/r0
ちょw
45名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 20:47:05 ID:WqmiEWCx0
カルピスのパッケージのシルエット女性が黒人差別と騒がれ。
ちびくろサンボも叩かれ。
那智黒は大丈夫だったのだろうか。
46名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 20:54:36 ID:jjvSn4t50
Nazi Fire Festival
47婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/17(土) 20:58:01 ID:SfY1RKwd0
てなわけで、押入れから義江彰夫「神仏習合」(岩波新書)を発掘してきた。

>>40
そういう事例もあったかも知れんけど、少なくとも↑には出てこんぞ。
「仏法に帰依したい」というのは神々を祀る豪族側から起こった動きで、
初期の段階では朝廷はそれを歓迎していなかった(徴税システムが崩壊しちゃうし)。
そのうち抗しきれなくなって追認、という流れだよね。んで、あらかたの神々が
帰依した状況に伴って、仏教側で理論の再編を図ったのが本地垂迹説で
だいたい11世紀のあたり。これもべつに朝廷がどうこうとか中央集権がどうこう
という話じゃない。
たとえばスレの本題である熊野三山についても阿弥陀仏や千手観音なんかの
垂迹なわけだが、それが歴史に現れるのは12世紀前半で、鳥羽法皇の
家来の人が神社の先達に「問い合わせて」記録したものなんだよな。
朝廷が意思を持って習合を推し進めていたのなら、問い合わせる必要とかないよね。

思うに、本居宣長が「古事記の思想こそが日本本来の姿」と言ったのが、
尊王思想のバックボーンになっているから、その結果成立した明治政府としても、
「神仏習合は望ましくない状態」だということなんだろね。
たぶん>>40の考えなんかも、そのプロパガンダに乗っかったものじゃないかと。
48名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 21:24:29 ID:IBHOBMnV0
チャンプ
49名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 21:28:18 ID:MFbrQSJQO
那智清隆
50名無しさん@十周年:2010/07/17(土) 22:27:47 ID:Z+BxyOkM0
>>40
神仏習合もそれに対する抵抗も、中央の権力争いというスキームでしかないから、それじゃ全体を捉えらんないよ。
確かに明治政府はそんな風に使ってたけど、それは神道側の諸勢力と浄土真宗大谷派との権力闘争が廃仏毀釈運動として記録されているように、
中央の権力内部での権力闘争でしかなくて、決して中央vs地元住民という構図ではない。
一般の民衆にしたら、そんなのどうだっていい話だから。
いままでだって大して真面目に拝んでたわけでもない神様仏様が、看板が変わったからって気にするわけないだろ。

でもそういう皇国史観・大日本史的なスキームで捉えるのがつい先頃までの主流だったからね。
そう考えちゃうのも仕方ない。
とか書くと、2chだとサヨクとか言われちゃいそうだなw
でも言っちゃうか。
皇国史観は、歴史的事実を随分歪めて(解釈の問題だけじゃなく、明らかに嘘だということも正史に加えてる)伝えてるから、
そのまんま信じてると大間違いという事になりかねないよ。
事に近年の発掘による(従来の文献学的な物ではない)考古学の発展は目覚ましいからね。皇国史観の誤りが随分明らかになってる。
51名無しさん@十周年:2010/07/18(日) 03:10:14 ID:zEVx+W1K0
>>47
>義江彰夫「神仏習合」(岩波新書)
こりゃまた中途半端な出来の悪い本を持ち出したね。
52名無しさん@十周年:2010/07/18(日) 16:51:10 ID:yfCQ1C8A0
>>50
神道と仏教を同列に考えてない?
氏神信仰に限ってレスするけど神道ってのは上にも書いたけど祖霊崇拝。
神社ってのは祖霊を祭る場所。つまり神社ってのは民衆を教え導く存在ではなくて
土地を掌握する有力者の祖先を祭る施設。神主は一族の長であり、関係者は親族。
氏子は領民。一番解りやすいのが諏訪大社の諏訪神党だろうね。氏神神社の場合、
基本的に神主一族は武家であり、土地の領主。戦国時代以前から、それはもう
大和朝廷以前からそうであり、ヤマト政権の成立にも絡んでいるわけ。

>中央vs地元住民という構図ではない。
>真面目に拝んでたわけでもない神様仏様が、看板が変わったからって気にするわけない
この認識が、神道や神社、神主一族、地方支配を正しく認識していない証左じゃないかな。
中央vs地元住民ではなく、中央勢力vs地方勢力なんだよ。

あなたのレスは全体を通して国家神道憎しで押し通してるけど、国家神道のようなことは
奈良時代も平安時代もその後の時代にも、それぞれの為政者たちがやっている。
明治政府だけをあげつらってそれ以前は良しとするのはどうかな。
現代人の認識でしか見ていないように思えるが。
53婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/18(日) 18:42:04 ID:kfSrKijo0
>>51
ふうむ、そうなのか。
良い本とかあったら教えてくだちい。

>>52の前半
実際問題、諏訪大社の大祝の諏訪頼重の墓が甲府の東光寺にあったり、一族の諏訪円忠は
信濃国安国寺を建立したりしてるわけで、神を祀ることと仏教に帰依することとは
当時の人たちにとっては何の矛盾もなかったんだよな。
なぜかというと、神祇信仰は基層信仰(家永三郎「日本文化史」では「民衆宗教」)であって、
普遍宗教である仏教とは正面向かって対立しないということらしい。だからどっちを選ぶとか
悩むことなく、神祇信仰の上に仏教をするっと乗せちゃったと。ちなみに、なぜ日本では
そういうことが可能だったのかについては、家永先生はヨーロッパケルトへのキリスト教
布教と対比させて考察しておられるので、興味があったら読んでみるよろし。

>>52の後半
国家神道は、皇統の祖神であるアマテラスに最高神に据えた一神教的宗教を作っちゃおうと
したところが、それまでとは異質だよね。樺太・満州・支邦・朝鮮・台湾・南洋の各地に
造られた神社584社のほぼすべてにアマテラスを祀り、かつ半数以上の308社がアマテラスを
単独で斎していた。どうやら、南米とかフィリピンとかで盛んなマリア信仰のマネっこが
したかったらしい。
54名無しさん@十周年:2010/07/18(日) 20:22:32 ID:41BaRl1G0
>>53
神徒が同時に仏門に入り、寺に墓を作るのは別に当たり前のようにされてるし。
だいたい天皇陛下自身が仏教徒なわけだし。
特に鎌倉以降、常に死と隣り合わせの武家にとっては仏教の極楽浄土は
精神安定に大きな力を発揮したわけで。結局人間は教義経典といった「教え」が
あった方が理解できるということ。だからこそ朝廷は神道を捨てて仏教を政治ツール
として導入したわけだ。

小難しい理屈はほとんどが言い訳や後付でね、実際は単純。
結局、神道は廃れる運命だった。仏教に寄生しないと残っていけなかった。
日本人は神道を必要とはしなかったわけだよ。それが真実。
55婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/18(日) 21:27:44 ID:kfSrKijo0
>>54
>結局、神道は廃れる運命だった。仏教に寄生しないと残っていけなかった。
>日本人は神道を必要とはしなかったわけだよ。それが真実。

それもまた、>>52と反対側の極論だと思うぞ。
必要としなかったら現在まで残っているはずがないし、
仮に仏教が入って来なかったとしたら、それに変わる機能(義江先生
言うところの「個の救済」)は神道の中からでてきたはずだ。

だが実際にはあのタイミングで仏教が入ってきて、神道と仏教とは
うまいこと階層的に折り合いをつけて共存した。当時の日本人にとって
神々は「当然そこにいるもの」で、べつに仏教とは関係ない。だから
神々自身が仏教に帰依することに何の違和感もない。そのうち時代が
下って、「実は○○神は□□仏の垂迹なんだよ」という説が出てきたときも、
「ああ、そうだったんだ」で受け入れちゃうと。
なぜそうなのかというと、繰り返すけど、日本人にとって神々は「当然そこに
いるもの」だったからなのだ。けっして「必要としなかった」からじゃないのだ。
56名無しさん@十周年:2010/07/18(日) 21:37:57 ID:41BaRl1G0
>>55
そんなの後付の結果論に過ぎないんだよ。
日本人は明治政府の国家神道廃仏毀釈まで、神道をほとんど忘れていた。
無意識下にあったと言えばあったけどね。

困ったときの神頼み。これが日本人の精神性をすべて説明している。
奇麗事が好きで都合が良いんだよ、日本人は。
57名無しさん@十周年:2010/07/18(日) 21:41:54 ID:6/3A9Cow0
なんか最近和歌山のニュースも事件も2chで取り上げられるよね
今全国で一番熱い県が和歌山だ
58名無しさん@十周年:2010/07/18(日) 21:54:47 ID:K3gPKBTs0
那智の火祭といえば、六尺褌一丁の男達が、大たいまつを担いでぶつかり合う、
勇壮な祭として、この地方に知られている。
祭のあと、男達は集会所に集まり、普段着に着替え、飲み合う。
六尺は、激しい祭でドロドロボロボロになるから、使い捨てで、ゴミとして出される。
俺はいつもそれが
59名無しさん@十周年:2010/07/18(日) 22:02:07 ID:OXxcOGETO
ヨイヨイヨイヤッサー
ヨイヤッサーヨイヤッサー
60名無しさん@十周年:2010/07/18(日) 22:29:52 ID:8kSfP2yN0
>>54
いや、仏教側から見ると日本仏教はかなり異様なわけでね。
実際、日本のお坊さんってみんな在俗として扱われているしね。インドやチベットの仏教徒からは。
神道その他の土着信仰と、もうどうしようもないぐらい融合しちゃったのが日本仏教だってのが正直なところ。
看板として大日如来だったりするけど、仏教側から見るとそれって仏教じゃないよと。

よその国の仏教徒から見ると仏教じゃない、古神道から見ると神道じゃない、そういうものが日本の祈りのかたちなんだから、
それを何と呼ぼうと、それが日本人の神様って意味で神道と呼ぶ、ということで良いんじゃないかと思うよ。
だって、啓典があるわけでもなんでもないんだから。

と、長々書いたら>>55が同じようなこと言ってるな・・・。
61婆 ◆HKZsYRUkck :2010/07/18(日) 23:27:02 ID:kfSrKijo0
>>60
なるほど。
俺は神道の側しか考えてなかったけど、当然、仏教の側でも
融合していく仮定で日本スペシャルになっちゃったわけだよね。
考えて見れば、後にやってきたイエズス会の人らも、祖霊信仰を
はじめとする土着の基層信仰に悩んで、教義を曲げない範囲で
なんとか折り合いをつけようとしたことが、書簡から伺える(たとえば
コチン発、ヴァリニャーノのクラウディオ・アクアヴィヴァ宛書翰、1586年)。
こっちは早いうちに禁教になっちゃったので立ち消えたけど。

ちなみに、朝鮮半島でも太古は日本の古神道と同じような
宗教があったと考えられているけど(岡谷公二「原始の神社を求めて」
平凡社文庫)、あっちは仏教よりも儒教の方が盛んだったから、
古神道は共存の余地なく滅びてしまったらしい。
これらを考え合わせると、なんか相性のようなもんがあるのかも知れんなと。

余談だけど、熊野三山のような修験道なんかは密教をベースにしつつも
いろいろミックスされまくってるよね。だいたい、火祭りとか護摩壇とか、
ゾロアスター教徒かっつのw
62名無しさん@十周年:2010/07/19(月) 16:41:25 ID:nXzwK7gM0
ほしゅほしゅ
63名無しさん@十周年:2010/07/19(月) 16:42:17 ID:wV0gGjhb0
神皇正統記 北畠親房
http://www.youtube.com/watch?v=5tnxwHbKEbU
http://www.youtube.com/watch?v=SmyOy6HgQCk
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6922359
http://www.amazon.co.jp/dp/4861810248
http://www.amazon.co.jp/dp/4003011619

 「 大日本は神国也 」

 この書は日本の歴史が最も簡単明瞭に説いてありますが、殊にこの書物の開巻第一には、
極めて簡潔なる言葉を以て日本歴史の本質が明確に述べられてあります。それはかういふ
言葉であります。

 大日本は神国也。天祖はじめて基を開き、日神長く統を伝え給ふ。我が国のみ此の事あり。
 異朝には其の類無し、此の故に神国と云ふ也。

 これを活字にすればわづか二行でありますが、この簡単なる言葉の中に、『神皇正統記』
全体が要約されてゐるのであります。
64名無しさん@十周年:2010/07/19(月) 16:46:31 ID:wV0gGjhb0
賀茂真淵 国意考
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813
http://jp.youtube.com/watch?v=dhN8VyZgeu4

真淵翁は師荷田春満の思想を受けて、神道即ち惟神道(かむながらのみち)に本有の
純粋性を認め、後代に於ける儒仏二教の渡来が之を混濁せしめたとして、其の浸染色
素の除去を国学者の責務とする者であるが、国意考は即ちその主張の下に書かれたも
のであって、宋儒一味の理屈に堕した不自然な人為的教訓を排拒し、天地自然の大道
に依ることに日本人の生活があると説く事に終始している。国意とは、即ち日本精神の
事であって、翁に従うと、それは多角的な方形ではなくて、滑らかな弧線から成る円であ
り、其の処には佶屈よりも円満、厳氏iげんれい=おごそかできびしい)よりも緩和があ
るとみているのである。其の事は国意考の中によく言い表されているが、国意考の外、
明和3年(皇紀2426、西暦1766)賀茂翁70歳の時自草の「学びのあげつろひ」にも「唐
国は物の方なる國にて急に諫め教える故に用いし人なし」と述べ、同5(皇紀2428、西
暦1768)年6月18日、齋藤信幸宛書簡にも「方なる事はやすく円なるは学び難し。
此の円なるを得ざれば上古は知られず」と記している。縣居集言録に「儒の道は方にし
て天地に違へば世治まらず、仏の道は詳しき過ぎて又天地の自ずからなるに違へり。
たヾ神の道こそそれが中にて治まれり」と書いているのも同意である。
 此の事は常に翁の念頭を離れなかったものと見えて、其の歿年に当たる明和6(皇紀
2429、西暦1769)年の5月9日付、本居宣長宛書簡の末にも「物方なれば得やすし、
只皇朝之丸様の意こそ得がたけれ」と書き込んでいる。
65名無しさん@十周年
那智黒の産地だな