昨年の黄金週間前。広島市に近い物流会社でフォークリフトを運転していた男性(45)は、派遣会社の担当者から言われた。
「私に力がなくて、申し訳ない」「えっ、『切り』ですか?」「まあ、そうなる」
「派遣切り」の予感はあった。2008年9月のリーマン・ショック後、親会社も含む大手企業の人減らしが続いていた。
寮を出て、広島駅近くの1泊4千円の旅館に移った。近くのハローワークで毎日、職探し。県内の求人はこのころ最も落ち込んでいた。
蓄えも1カ月ほどで底をつきそうになった。40歳を過ぎると、なかなか職がない。「わしら、世の中に必要ないのか」。
車道に飛び出してひかれようかと何度か考えた。
近くであった「反貧困ネットワーク」の相談会で、失業保険が月11万円出ることを知り、広島市に近い海沿いの雇用促進住宅に入った。
失業保険が半年で切れてからは、生活保護を受けながら仕事を探しているが、今もまだ見つからない。
昨夏の衆院選は投票できなかった。以前住んでいた派遣会社の寮から住所が変わり、投票の案内が届かなかったからだ。
もともと自民党に入れてきた。「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎氏が首相だったころの、「国が元気になる」ような勢いが好きだった。
規制緩和によって、派遣が働く職場は広がった。働く場が広がるのは、いいことだと今も思う。
民主党が昨夏の衆院選で打ち出した子ども手当や高速道路の無料化、予算の無駄の一掃。そんな政策の恩恵は、
今後も、自分には及ばないものとあきらめている。民主党は昨年の衆院選で、製造現場への派遣を原則的に禁止すると公約したが、
男性は「民主党が派遣の規制を厳しくすれば、働くところがなくなって、余計に悪くなる」。
朝日新聞
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