【熊本】 西南の役 慰霊祭 

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1おっパブうっしぃφ ★

★西南の役 慰霊祭

 明治時代の西南戦争で激しい戦いが行われた山鹿市で、戦没者のめい福を祈る慰霊祭が行われました。
明治10年、西郷隆盛率いる薩摩軍と政府軍が繰り広げた西南戦争では最大の激戦地として知られる
▼田原坂の戦いとともに▼山鹿市の山鹿口でも激しい戦いが繰り広げられました。

 15日は山鹿口の戦いで亡くなった薩摩軍と政府軍の戦没者のめい福を祈る慰霊祭が行われました。
慰霊祭にはおよそ100人が参列し地元の顕彰会の徳永義智会長が
「戦いから133年が経ち敵味方と別れて戦った戦没者のみたまが安まることを祈ります」と述べました。

 このあと参列者が焼香をして戦没者のめい福を祈りました。
 山鹿口の戦いは政府軍と薩摩軍のあわせて5800人がおよそ1か月にわたって
激しい戦いを繰り広げ540人あまりが戦死したということです。

NHK http://www.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/5004443522.html
2名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:08:35 ID:E4jfS55o0
↓田原坂の亡霊が
3名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:08:43 ID:/N67apGh0
2でごわす
4名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:11:32 ID:2doftJsb0
5名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:12:20 ID:JSEvDFFo0
チェスト
6名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:13:36 ID:vhid5D0I0
西郷は結局どうしたかったの?
7名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:13:42 ID:EjFyFYTd0
天地無用GXPか
8名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:13:48 ID:6azuwLYN0
西郷隆盛って最後はキンタマに政府軍の銃弾受けて動けなくなって自決したんだよな。
痛そー
9名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:16:01 ID:AS08JFD/O
おはんら、もうよかでごわす。
10名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:19:47 ID:kLskXSjE0
反政府軍が連絡とってたら、一斉蜂起してたら、歴史はかわっていたかもな。

11名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:20:40 ID:2LvFXRpD0
現在は口蹄の疫(2010)だな
12名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:23:58 ID:2/xatw3u0
戦争の賛美反対!
13名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:25:29 ID:rqg1eyJ00
征韓論大好きネトウヨさん!
14名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:25:33 ID:68JtFQXl0
雨は降る降る 人馬は濡れる
越すに越されぬ 田原坂
右手に血刀 左手に手綱
馬上ゆたかな 美少年
山に屍 川に血流る
肥薩の天地 秋さびし
田原坂なら 昔が恋し
男同志の 夢の跡
春は桜よ 秋なら紅葉
夢も田原の 草枕
夢を褥に 夢やいづこ
明けのみ空に 日の御旗
15名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:27:48 ID:QARWD+6X0
>>6
維新のために働いた名もなき小僧ども(=血気盛んなやつら)の
ことを切れなかったんだろな
最後に情が出てしまったか
この辺の情があったからこそ政府軍参謀までなれたんだろうが

大久保は、薩摩の息のかかった贋金作りや京都の浪人集団を
維新後に片っ端から処分したって話だ。闇から闇へ。

薩摩の大久保嫌いも半端無いからなぁ〜

16名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:31:47 ID:kLskXSjE0
熊本もなぜか西郷ずきなんだよな。
あんまり参加していないのに。
おそらく、県民には被害がなかったんだろうな。

というか、上野に賊軍の西郷像があるのもすごいかw

17名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:34:01 ID:d8qOuwcO0
明治維新の理想をもう一度みたいな西郷さんと、夢よもう一度の懐古士族との関係が
今一つわからない。
18名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:36:54 ID:cKuY7vJ00
まあ、西郷さんは死後神様扱いされたからな。

しかし、大久保は維新の担い手になった士族をバッサリ切ったもんだなぁ。
あれがなきゃ、日本の近代化は不完全だった。
19名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:37:40 ID:fmXZt23b0
西郷隆盛は国賊なので靖国神社には祀られません。
20名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:38:13 ID:hyGwfeAr0
>>6
自分が責任をかぶって決行した版籍奉還と廃藩置県のお陰で失職した
不平武士たちの最後の死に花咲かせる戦に付き合って死んだ
日本の武士最後のあだ花を咲かせたかった
21名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:42:02 ID:Vc3QHefe0
「慰霊の言葉

 西南役の戦闘ほど世に悲しい出来事はない それが日本人同族の争いでもあり薩軍・官軍のいずれもが
 正しいと信じたるままそれぞれの道へと己等の誠を尽した 然るに流れ行く一瞬の時差により或るは
 官軍となり又或るは薩軍となって士道に殉じたので有る  ここに百年余の歳月を閉じ 其の縁り有る
 山鹿の地に不幸賊名に斃れたる誇り有る人々に対し今慰霊の祭を行う 在天の魂依って瞑すべし            

                            西南役顕彰会長 徳永義智」
22名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:43:42 ID:oziywz7p0
>>19
明治政府が銅像つくってるじゃん
23名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:44:29 ID:Vc3QHefe0
>>14
なんとなくホモっぽい詞だな
特に後半
24名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:45:20 ID:VjCuFxkU0
反乱の罪はゆるされて、正三位が送られてます
25名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:47:43 ID:uTbXKNkf0
西南戦争は翔ぶが如くで読んだ程度のことしか知らんがな。
26名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 11:52:40 ID:kLskXSjE0
>>25
俺もそうだ。
もっと、読みたいのに、探してもよさそうなのがない。
幕末ものや戦国時代ものは腐るほどあるのにな
27名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:04:39 ID:XQ1Y/5MW0
>25
いや、戦争に至るまでの経緯が自分勝手すぎるから、話にならんのでしょ。
「薩摩が天下とったんじゃなかったのか!なんで自分たちが優遇されないんだ」だからね。
維新と言っても、志があったのはごく一部で、あとは自分らが幕府を倒せば自分らが偉くなる、ぐらいの認識でしょう。
東北地方でやった戦争犯罪行為に、それが表れています。
そんなわけで、日本人の心に触れるのはどうしても会津の悲劇とかになる。
といっても、その会津人も西南の役で薩摩人殺しまくって誇ってたわけだが。
28名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:10:07 ID:+JHixKA20
>>27

 会津人の怨念は理解できる
   官軍が会津でやったことを・・・
29名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:11:14 ID:j8p61pqG0
もうここらへんでよか
30名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:12:09 ID:6XNMS8wY0
西南の役は会津の陰謀。
福島県は今からでも滅ぼすべき。
31名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:16:32 ID:3URYhhEn0
さっさと征韓論を実行して朝鮮を滅ぼしておけばよかったのだ
32名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:18:48 ID:dLgCZKsd0
西郷さんは討幕派だったし、江戸でテロまがいの事をしていたから
美化はできないな。
ある意味、西郷さんに共鳴した人達が明治政府を率いることは難しかったのだから、
数百年続いた武家の時代を、彼らは体をはって終焉させたと言うべきか。
33名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:20:24 ID:pC4jEe+H0
>>30
アホかw
大久保(薩摩出身)vs桐野(薩摩)
の薩摩同士の戦争だろ
西郷は最初からまったく気乗りしなかったけど、故郷の血気盛んな不平士族たちに殉じて乗っただけ

あと、会津や東北幕府方諸藩に酷い処分をしたのは薩摩よりも長州だろ
薩摩は徹底抗戦して手向かいしてくるやつには容赦ないけど、戦意喪失したものや
弱いものには温情がある
庄内藩の例を出すまでもなく
長州は、弱ったものや降伏恭順を申し出たものも、冷血に命乞いも聞き入れずに処刑して晒したりしてる
34名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:22:27 ID:dLgCZKsd0
>>18
大久保さんがいなければ、日本の近代化はかなり遅れたと思う。
この方への偏見は結構強いからか、一般的な評価は低いけどね。
35名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:23:54 ID:kLskXSjE0
>>33
いや、そういう性格の違いもあったろうけど、長州は蛤御門の変で、会津に痛めつけられているから、それの報復ってのが主因だろう。
その点、薩摩は会津を最後に裏切った形だから、幕府軍を恨むのような気持ちはなかったし、逆にうしろめたい気があったんじゃないのかね。
36名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:26:04 ID:FbUekjCRP
>>20
征韓論で負けて下野だろ
37名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:47:12 ID:Dvc7SUVw0
>>19
靖国の遊就館に入ると、薩摩軍の攻撃に耐え熊本城を守った谷干城の称賛コーナーがある。
西郷を尊敬する自分としては実に不愉快で。

38名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:53:41 ID:KbcSLwQO0
>>37
大丈夫。
ほとんどの熊本人は谷干城を知らないから。
39名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 12:57:43 ID:dLgCZKsd0
>>38
その程度の評価だと思うw

>>37
明治天皇お気に入りっぽいし、学習院院長にもなった人だし、
厚遇されていたから仕方なかろ。
40名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 13:28:44 ID:b7AE870M0
西南戦争ではそんなに死んでない
不良在庫になった士族どもの在庫処分は日露戦争だろ
あれで全部ぶっ殺した
4127:2010/05/16(日) 13:37:52 ID:XQ1Y/5MW0
>33

よくご存知ですね。会津に住んだことがあるんですけど、無差別殺人・レイプがひどかったのは、長だったと会津の人は言っております。
やはりまだ生々しく語り継がれています。高齢者だとまだそのじいさんの世代なので。

ただ、会津人が日本人だなーと思うのは、数のごまかしや捏造をしないことです。
42名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 13:38:41 ID:ew1bPWR20
>>1
このクエストクリアーすると何もらえるん?
43名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 22:59:07 ID:VpFYPb5M0
>>41
長州は謝って降伏してきた武士まで皆殺しにしてるからね。
44名無しさん@十周年:2010/05/16(日) 23:02:35 ID:QX2fUV9Q0
薩摩は黄門様殺そうとしたよね
45名無しさん@十周年:2010/05/17(月) 00:40:26 ID:7XSZUoDy0
46名無しさん@十周年:2010/05/18(火) 04:26:06 ID:zqSPuLhc0
もったいない
47ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2010/05/18(火) 05:40:20 ID:XXiKcl4D0
>>19

  ∧∧
 ( =゚-゚)<ラスト・サムライは上野に

      武士の始まりは神田に
48ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2010/05/18(火) 05:42:31 ID:XXiKcl4D0
>>43

  ∧∧
 ( =゚-゚)<会津が作った新撰組に さんざん酷い目あってるし
49ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2010/05/18(火) 05:50:15 ID:XXiKcl4D0
>>32

  ∧∧
 ( =゚-゚)<幕府の中にも徹底抗戦派も数多くいた

       江戸無血開城とかいっても 武装解除もうまくいってなかった

       西郷に強烈な圧力かけて徳川家を存続させろ と言ったのはイギリス政府

       結局 挑発して徹底抗戦派を江戸から分離させ
       殲滅することに・・・・・
50ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2010/05/18(火) 05:52:25 ID:XXiKcl4D0

( ^▽^)<結局 鎌倉時代からつづく武士の世の中は

       武士によって終焉した
51名無しさん@十周年:2010/05/18(火) 05:53:29 ID:M5nHkv8D0
残っていた武士の気概のようなものは1945年でほぼ消滅した
52ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2010/05/18(火) 06:00:09 ID:XXiKcl4D0

      まあお茶でも

     \ |同|/       ___
     /ヽ>▽<ヽ      /:《 :\  
    〔ヨ|*^▽^|〕     (T▽T==)   
     ( っ旦o      (づ旦と )   
      と_)_) ┳━┳ (_(_丿
53名無しさん@十周年:2010/05/18(火) 08:37:42 ID:msYKHNNk0
●幕末・維新期の志士たちの普段の心意気をあらわす名言語録集●

「人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。
わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う」
「君子は、何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。
小人は、何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する」
「士たるものの貴(たっと)ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない」
「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。
何も着手に年齢の早い晩い(おそい)は問題にならない」
「私心さえ除き去るならば、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし」
「私心がまだ除き去られないと、その進退出処、みな私心に拘われて(とらわれて)
道に反することとなる」
「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、
それはすべて実行するのである」
−吉田松陰−

「行動は俺のもの、批判は他のもの、俺の知ったことじゃない」
「事を遂げるものは、愚直でなければ。あー才ばかりに走つてはイカヌ」
「人心の理といふものは、古今同じだからな。ただその趣が違って見えるだけだもの」
「大抵物事は内より破れますよ」
「学者というものの役に立たんことは、維新前からよくよく実験したよ」
−勝海舟−

「総じて、人は己に克つを以て成り、自らを愛するを以て敗る」
「徳に勤むる者は、これを求めずして、財自から生ず」
「命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり」
「人を相手とせず天を相手とせよ」
「世上の毀誉軽きこと塵に似たり」
「児孫のために美田を買わず」
「正道を踏み国家を以て斃るヽの精神無くば外国交際は全かる可からず」
−西郷隆盛−
54名無しさん@十周年:2010/05/18(火) 08:39:52 ID:msYKHNNk0
●幕末・維新期の志士たちの普段の心意気をあらわす名言語録集●

「世に生を得るは事を成すにあり」
「いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。
たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ」
「世の中の人は何ともいえばいへ。 わがなすことはわれのみぞ知る」
「世に活物たるもの衆生なれば、いづれを上下とも定め難し。今世の活物にては唯だ、我れをもって最上とすべし、
されば天皇を志すべし」
「相手を説得する場合、激しい言葉を使ってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない」
「議論などは、よほど重要な時でない限り、してはならぬ、と自分に言い聞かせている。
もし、議論に勝ったにせよ、相手の名誉を奪うだけのことである」
「浪人が会社を興すには、この先、金が頼りだが、金よりも大事なものに評判というものがある。
世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ」
「『・・・しかない』というものは世の中にはない。人よりも一尺高いところから物事を見れば、道は常に幾通りもある」
「死ぬときは、たとえどぶの中でも前向きに倒れて死ね」
「四、五十人も人数が集まれば、一人ぐらい異論家はいる。いるのが当然でもある。
その一人ぐらいの異論を同化できぬおのれらを恥ろ」
「世に絶望ということはない」
「男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし同時に、大勢と一緒に酔態を呈しているべきだ。
でなければ、この世で大事業は成せぬ」
「われ死する時は命を天に返し、高き官へ上ると思ひ定めて死を恐れる畏るるなかれ」
「我が命はもとより天にある。殺されれば今度の俗世はそれまでというだけのことだ」
「慎重もええが、思い切ったところがなきりゃいかん。慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大名の美徳じゃ」
「志を持って天下に働きかけようとするほどの者は、自分の死骸が溝っぷちに捨てられている情景をつねに覚悟せよ。
勇気ある者は自分の首が無くなっている情景をつねに忘れるな。そうでなければ、男子の自由は得られんぜよ」
−坂本龍馬−
55名無しさん@十周年
てs