【宮崎・口蹄疫】感染68カ所に えびの市で牛が陽性 29頭を殺処分[5/11] ★2

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689名無しさん@十周年
350人の1人です。

私は昨日までの4日間、豚の農場へ駆り出されていた者です。再来週には、また順番が回ってきそうで憂鬱です。
私の主な作業は、殺処分の応援で1班10人前後で行いました。
まず、豚舎の豚房(1舎あたり檻で左右7区画づつ区切られ、その1区画を豚房という)にビニールシートで簡易のガス室
を作ります。次に、その中に豚(30〜50kgの子豚)を5〜60頭押込みます。そして、炭酸ボンベのガス?を注入(5分くらい)。
それを幅50センチの通路に並びリレー方式で豚の死体を搬出し出口に横付けされたトラックに積み込みます。
トラックは、農場内に掘られた穴(深さ5mくらい、縦20m、横10M)
に捨てて、上から石灰を〜の繰り返しです。
1日約1500〜2500頭を処分していきました。ブレがあるのは、出荷前の豚だと重さが100kgを超える効率も落ちる
ためです。
この作業を通じて色々なものが失われ、また得るものがありました。
握力と体力は半端なく失われていきました。足腰もガクガクです。
そのかわり、今まで自分ではしることの無かった自分のある一面を知ることができました。
私は今まで、生きている豚を間近にみたこともなければ、触れたこともありませんでした。
作業の初日、初めて触れた豚(30kgくらいの)は子豚だったためか、「ブヒブヒ」いいながら、鼻で手の臭いを嗅いだりされると、ペット
のようで、普通に可愛いやつでした。
そして、ガス殺されるときの断末魔を聞いたときは、思わず涙が出そうになり思わず畜舎の外にでてしまいました。
しかし、搬出作業がはじまり、悪臭・死臭のなか延々と搬出の作業を繰返しているうちに、子豚の死体はただのゴミと化し、断末魔も只の五月蠅い
騒音にしか聞こえなくなりました。
堪えていた涙は汗となり、可哀想は不快に飲み込まれ苛立ちになっていました。
小さいころから動物園の臭いがニガテで食欲が失せていた私でしたが、金バエの群がるテントで死臭に鼻を曲げることなく弁当をかきこみ、また
作業を繰り返す。そんな4日間でした。
人間の持つ食への欲望・執着ってこんなに業の深いものなんですね。
みなさん、いろいろな書き込みをされているようですが、一度、この作業を経験してみてはいかがです?
また違った自分の言葉がでてくるかもしれませんよ?