1 :
かしわ餅ρ ★ :
2010/04/21(水) 14:26:11 ID:???0 ■2氏が来月対談
「邪馬台国はどこ? 特別激突講座」が、5月9日午後2時半から福岡市博多区博多駅前の
朝日カルチャーセンター福岡教室で開かれる。九州説の代表として高島忠平・前佐賀女子短大学長、
近畿説の立場から俳優で考古学研究者としても知られる苅谷俊介さんの2人が対談する。
「魏志倭人伝」記載の邪馬台国をめぐっては、江戸時代から近畿説と九州説に分かれて
論争状態にあり、いまなお決着がついていない。
だが、吉野ケ里遺跡(佐賀県)や纒向(まきむく)遺跡(奈良県)など全国各地で発掘調査が進み、
考古学的な新発見が相次いでいる。それらをもとに、吉野ケ里遺跡に携わってきた高島さんと、
纒向遺跡での発掘経験を持つ苅谷さんが徹底討論し、邪馬台国の所在地を浮かび上がらせる。
asahi.com:邪馬台国論争 近畿説VS九州説-マイタウン福岡・北九州
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000001004210001
2 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:26:48 ID:wTg8wERr0
九州だろ
邪馬台国は韓国ニダ
韓国が抜けてますよ?
5 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:27:41 ID:2B7utkXz0
こんなのより天叢雲剣がどこにあるか探してほしい。
6 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:27:43 ID:ucn6fzm40
このスレ定期的に立つNE!
7 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:27:55 ID:L2CrjK7u0
プロレスと同じだな、金が欲しくなるとゴタゴタやってるふりして マスコミに取り上げてもらう
新潟県だろ
九州で間違いない
教室開いて対談までして決めなきゃいけないことなのか
考古学的には、近畿にほぼけていしてるのに、まだやるか?
<`∀´>ノシ
今更実は択捉島だったなんて言えないしな
14 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:28:57 ID:VTSnb+6Z0
15 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:29:09 ID:TO+IIALU0
間とって東北でいいだろ
16 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:29:22 ID:Y+PYcK1u0
畿内説と九州説って学会では99:1なんだろ? 珍説の域になって対立出来てないじゃんwww
もはや九州と聞いただけで笑える
18 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:30:03 ID:NOrBqZLu0
まだ言ってるの学術的に畿内で決着してますが
福岡は最近、主張内容まで韓国に似てきたなぁ。
20 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:31:02 ID:KajUGFIv0
九州って言ってるのは九州の人間だけなのに 犬HKとかは未だに九州説もある(キリッだからな
「近畿説 vs 九州説」=「学者 vs 九州観光団体」
22 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:32:25 ID:7F425zK60
二人以上いたか面倒くさいから日本の女王をみんな卑弥呼って呼んだんだろ
魏志倭人伝読んだら、近畿はどう考えてもねーじゃん
こんな論争もうやまたい
邪馬台国は空飛ぶスパゲティの上にあったという説も紹介すべき
26 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:33:40 ID:y9mkhZv00
長野に決まってんだろ だから観光客の為にリニアBルート作れ
間を取って四国説ってことで
28 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:34:04 ID:xbOvjxNS0
東北の学者もさっさと主張しろ!言ったモン勝ちだぞ謙虚過ぎる
29 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:34:18 ID:orE7yaK10
もはや九州説論者は特別天然記念物級だよw
30 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:34:43 ID:795f23Iz0
九州派はいい加減諦めろよw
<`∀´福> <ヤマタイ国は九州にあるニダよ <`∀´福> <金印捏造と同じで既成事実作ってしまえば、勝ちニダ
そういえば邪馬台国・卑弥呼の時代って2-3世紀ごろだっけ。 そのころ天皇は何してたの? 2670年前からいたことになってるはずなんだが
吉野ケ里とか福岡のあたりは邪馬台国中枢じゃなくて別な国名がついてたじゃん 仮に九州説をとるとしても北九州はない 唯一可能性がありそうな規模の遺跡がある宮崎は年代が若すぎる つまり結論はもう出ているんだよ 岩手で
34 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:35:12 ID:ucn6fzm40
近畿説はどうやって神武東征を説明するんだ?
これ新しい遺跡でも発見されない限り、畿内で決着だろ。
倭は和 邪馬台はやまと 卑弥呼は日巫女 ・松本清張説 日向国(ひむかこく)の日向(ひむか)
優秀な理系様がそのうちタイムマシン発明してくれるから 九州説のヤツには好きなように吠えさせとけ。
38 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:36:00 ID:IM0AqRbV0
間を取ってブラジル説で
39 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:36:15 ID:kMexK9rB0
意外に、沖縄だったりして
邪馬台国は阿波だったんだよ 内緒だけど
41 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:36:58 ID:L2CrjK7u0
43 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:38:02 ID:EQ7h+i9w0
京大(畿内説)vs東大(九州説)
>日向国(ひむかこく)の日向(ひむか)って 当時、普通に漢字使っていたのか?
46 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:39:06 ID:lE6lIGQS0
>>34 神武東征は紀元前ですか?
なにか問題が?
諸星大二郎の暗黒神話を読むのれす
48 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:40:11 ID:hC1Mjkka0
間を取って千葉でいいよ
49 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:40:23 ID:NOrBqZLu0
松本清張は感情的地元びいきなだけ
50 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:40:59 ID:nPMPAh3b0
51 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:41:34 ID:H38qZZql0
ふつうに読んだら九州なんだけどな おれは四国だと思うわ
52 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:41:39 ID:avH7vS4rO
だって、九州説のほうは九州説となえているほうのお偉いさんが「仕方無しに唱えてる」ってポロっと言っちゃてたしなぁw
弥生人って要するにチョンなんだよな? 今からでも遅くないから、成りすまし日本人である 弥生人を滅ぼそうぜ! 日本は日本人、つまり 縄文人だけのものだ!!!!!
55 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:41:57 ID:ucn6fzm40
>>45 古事記だろ
少なくとも天武帝の朝廷は
九州のヒムカが天皇家のルーツだと思わせる必要があったのは確か
俺は福岡出身だがどう考えても平塚川添遺跡は邪馬台国の一部だと思うよ
いつもながら朝日は本当に馬鹿だなwwwwww 邪馬台国=ムー大陸に決まってるだろ馬鹿wwwwwww
九州だと半島からの文化の影響が強く出るだろうし、畿内だろ
______ | _, , -― '/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | |::. | ウリたちもこの議論に混ぜろニダ 三 | , ィ' ∧_|::::.. /\_____ ,三._ | , 三 l <`∀|:::::::... | 三三L/三 . l ゝi"/^)::::::.. | 三三三三 l、 i、´ン:::::::::: . . | 三 三 三 ヽ. lヽ |::::::::: :: :.... | 三三三 u l | |:::::::::::.. .. . .. | 三 三 u 厂 ̄ ̄ ̄ L:::: -一 ' " ´ ̄ ̄ ̄ ̄ 三三 / ガチャ
60 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:44:56 ID:avH7vS4rO
鋼鉄ジーグが滅ぼしますた
>>59 【日韓がタブーにする半島の歴史】 新潮新書360
室谷克実(著) 新潮社 2010/4/16
「文明は半島から来た」なんて大ウソ! 古代史の常識がひっくり返る。
古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を学び、国を発展させてきた ― という〈定
説〉は大嘘である。
半島最古の正史『三国史記』には、新羅の基礎を造ったのは倭人・倭種、中国の『隋書』に
は、新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰していたと明記されているのだ。
日韓古代史の「常識」に異議を唱え、韓国の偏狭な対日ナショナリズムと、日本のあまりに
自虐的な歴史観に歪められた、半島史の新常識を提示する。
■著者紹介
室谷克実(むろたに・かつみ)
1949(昭和24)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。時事通信社入社。政治部
記者。ソウル特派員。宮崎、宇都宮各支局長。「時事解説」「時事評論」「地域づくり」各編
集長。2009年定年退社。主な著書に『「韓国人」の経済学』『朝鮮半島』。
>>54 弥生人は半島じゃなくて長江周辺の出な
殷を構成していた連中の一部が流れてきた可能性が高い
同じ連中が同時期半島南部にも移り住んだから
そのあたりから日本列島までの範囲を倭人の国といったわけだ
63 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:46:44 ID:9W6dR3bt0
九州惨め過ぎるwwwwww
64 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:47:10 ID:xbOvjxNS0
>>39 与那国の海底神殿、あれドイツに年代測定頼んだけど2000年前だっけ?うさんくせーよな。
2000年であんなに沈むのかよ、
四大文明を超える古代文明が、日本にあったということにしたくない世界の陰謀だよな。
65 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:47:25 ID:32HIOsyO0
畿内でも九州でもないという可能性はないのか?
つーか、九州説を唱えてる専門家は 2人wしかいないだろ。
67 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:48:13 ID:hC1Mjkka0
どう考えても、ヤマト国は奈良に決まってるだろ 九州説馬鹿だけだ
68 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:48:53 ID:fpAR/CCz0
69 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:48:59 ID:6Gz6/pTu0
四国説は無いのかよ?w
70 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:49:25 ID:9XWpBLfR0
こういうのは地名表示の出るν速の方が面白いな
こないだ、犬HKの番組で、一時帰化人が人口の3割を占めていた説もあるとか、バカ飛ばしていたけど じゃあその分、半島の人口3割以上も減ったのかと考えて、誰だこんな放送局に金払うバカはと、心から思ったよ。
73 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:50:01 ID:lE6lIGQS0
九州説は、観光目的だけで強弁してるだけだからねえ。 もうそろそろ現実を見るべき。
75 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:50:13 ID:OPv0uBGb0
卑弥呼は俺の横で寝てるよ
76 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:50:14 ID:kMexK9rB0
>>57 与那国島海底遺跡がムーの名残っていう学者もいるね
ってことはあの辺りに邪馬台国(=ムー)が?
77 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:50:39 ID:6IPSaiIu0
78 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:51:10 ID:fpAR/CCz0
79 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:51:42 ID:dz/J4q1y0
邪馬台国はなかった! これにて一件落着!!!!!!!
出張途中で切り上げて、テキトーな報告書を書いたせい。 なので公務員の出張は仕分けします! Byルーピーズ
82 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:53:22 ID:fpAR/CCz0
>>73 九州説論者は、結果を分かってて、あえて盛り上げるために騒いでるだけだな。
べつに邪馬台国の場所が確定しても、なんか良い事あるか?って話。
それよりも論争してるほうが、お互いに盛り上がっていいじゃんw
84 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:55:00 ID:hC1Mjkka0
世界中の首都の地下全部掘ってみると、絶対物凄い遺跡でてくるよ 掘れないだけ
85 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:55:08 ID:fpAR/CCz0
福岡が邪馬台国1丁目で、山口が2丁目、広島が3丁目、岡山が4丁目、兵庫が5丁目、京都が6丁目、奈良が7丁目ってことにしとこう。 大阪は嫌いだから除外。
86 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:55:46 ID:fpAR/CCz0
まあ、面白言っちゃ面白いが。 研究者レベルになると地位や生活かかってくるから、必死だろうな。 決定的な新発見が少ないのが辛いところだね。 活字文化が入ってくるのがもう少し早ければよかったのに。
まつら国までほぼ確定 そこから2千里しかないんだぞ
89 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:57:59 ID:fpAR/CCz0
はるか〜 そうげんを〜
90 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:58:21 ID:cAVPCH6r0
>80 そうだよな やっぱあしたのにっぽんだよ邪馬台国より
91 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:58:43 ID:YxcAA4cx0
じ・・・邪馬台国
92 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 14:58:57 ID:wrmlwV5K0
東北には仙台市にある東北大学という国立大学が有名だが、山形市にある山形大学も なかなかのレベルで、関東で言えば横国、筑波レベルの人気国立大学である。
93 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:00:35 ID:2NQ+0Ig00
5月30日に宇佐市の宇佐神宮境内でも「全日本邪馬台国論争大会」があるみたいよ!
94 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:01:45 ID:3brdPKUI0
日本はもっと考古学に力を入れろよ。天皇稜は全て発掘 してみるべき。
95 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:02:06 ID:kMexK9rB0
邪馬台国=台湾かも試練な 「台」の字が一緒 まぁ単純な推理だが
96 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:02:25 ID:05p99U2Z0
邪馬台国はまぎれもなく近畿だということになると 九州の観光団体は次は九州王朝を持ちだすと思うなw
97 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:03:39 ID:4jB+0U030
ひとつかみのくもが〜
本人に聞いてきた
そのような字ではございません。
ただ私達の時代には、それを書き表わすしかとした漢字が用いられていなかったために、
そのようにいま言われても仕方がないとは思っておりますが、私はヒミコというよりは、
ヒムカと称ばれていたのです。
ヒムカというのは、今のたとえば宮崎県の方に、日向という地域がありますが、
日に向う、これが″日向“です。私の称ばれていた当時の名前は「日向」です。
ヒムカ様と称ばれていたのです。それは常々私は日に対し向かっている、太陽に対して向かっている、
要するに太陽に向かって信仰する、太陽信仰だったということです。それを司る私でありますから
″ヒムカ″と称ばれていたのです。それが本当の名前です。天照もそうです、
古代の日本は太陽信仰だったのです。
http://www5.atwiki.jp/divine_revelation/pages/45.html#2 邪馬台国ではありません。ヤマト、と言っていたのです。
私の時代にもやはり「ヤマト」と言っていたのです。ですから邪馬台国というのも当て字であります。
ヤマト国、ヤマトのくに、といっていたのです。
″やまとことば″というのがありますが、日本の言葉は和らかいのです。
ヤマタイというような、タイというようなキツイ響きのある言葉は使わないのです。
″やまとくに″です。大和の国の日向です。
http://www5.atwiki.jp/divine_revelation/pages/45.html#3
100 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:06:01 ID:05p99U2Z0
あてもなくさまよい〜
101 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:07:28 ID:/pvl7Fdp0
>>54 首都圏の7割か8割が弥生系と知っての狼藉か
102 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:08:48 ID:rK4Fd1Rb0
>>1 学者と俳優を徹底討論させるというのに違和感を覚えたが、
なるほど、開催地は福岡か。
なんだか、そういうやり口ってのは、近くにある半島国のやり方に似てるよな。
103 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:09:35 ID:xbOvjxNS0
日本人って遺伝子研究ではロシアのバイカル湖周辺から来たことが明らかにされてるだろ。 絶対東北に巨大な都市があったはずなんだよ。日本の中心は東北だったはずなんだよ。
てゆうか、畿内論優勢であせってるんでしょ。
106 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:10:16 ID:xhbo3jKw0
九州必死すぎる もう邪馬台=大和=奈良県とわかってるだろに
107 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:10:17 ID:Q4/OSk9C0
邪馬台国は徳島だろ
卑弥呼に様つけるバカな芸人何だっけ
109 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:13:18 ID:hCjZUprW0
邪馬台国はパンゲア。
110 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:14:24 ID:afoP+rOS0
ヤマト王権は6世紀前期の近江〜北陸の勢力だから邪馬台国とは無縁
111 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:14:36 ID:4cneFfOb0
殴り合いになるぐらいの勢いでガチバトルして欲しいな
112 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:15:37 ID:rQjkards0
113 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:16:08 ID:kMexK9rB0
>>111 「テレビタックル」か「そこまで言って委員会」で
やり合って欲しいw
長年やってわかんねーんだ もう諦めろ
九州はまだゴネてるの? そんな暇があったら別の仕事探した方がいいよ
もう近畿で決まってるのに盛り上げるために煽ってるんだろ 九州なんか昔から未開の地だったよ
>>103 三内丸山程度ならゴロゴロあったろうな
当の三内丸山の出土品が他との大規模な交易を窺わせている
ただ昨今の開発で見て見ぬふりをして掘ったり埋めたりするから出てこないだけw
邪馬台国は八幡平にあった。 これは動かしようの無い事実無根。
>>113 確か「そこまで言って委員会」でやったんだよ。
その時に九州説のおっさんが「恩師に言われて仕方なしに九州説唱えてる」って苦笑まじりに言ってた。
そのほうが面白いから、って。
>>54 チョンの定義をどうぞー
有力部族のいくつかが半島経由で日本に来たかも知れんが
時代の前後を明確にしてくれ
そもそも
朝鮮民族の確立は高句麗滅亡後の新羅の半島統一による同一化によるものだ
まあ、はっきりした証拠がでないかぎり納得できないんだろう。 といって生半可な証拠では納得しそうもないが。 研究者がいなくならない限り、50年後もこの論争自体は残ってる気がするよ。 ただ、九州説を引っ張ってるのって大御所一人だと聞いたが。
122 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:20:39 ID:krdPzxPJ0
美和さんに占って透視して見てもらえ
出雲ってことにしちょきない
九州に国があった。 近畿に国があった。 どっちが邪馬台国なのかよくわからん。 要するに当時2つ(以上)の国があったんだろ? これじゃだめなの?
125 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:30:29 ID:P9afMmO00
>>5 壇ノ浦で沈んだか平家の落人がどこかへ埋納したか、その子孫が死蔵してるの
が一つの大きな可能性。さもなくば熱田神宮か宮中にあるでしょう。
>>34 旧京大や国学者を初めとする近畿説派は、邪馬台国と大和王権を=で結ばない
か、「東遷」に当たる侵入は「それ」(邪馬台国)以前にあったと言う立場、
OR「東遷」などの古事記、日本書紀等の古代記述は「信頼出来ず、無かった」
と言う立場等に分かれてるようだ。
>>65 勿論ある。が、地名から類推しても、遺跡から類推しても、「三国志魏書東夷
伝倭人条」から読み解いても、四国や中国、東海地方などでは適合し切るものが
無いんだよな。現在のとこ。トンでも(と言われてる)説では沖縄や台湾も現に
唱えられてる。
126 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:31:59 ID:Xqyqu8EH0
日本から渡った弥生人(長江文明人)が半島の原住民(分かっている限りの最古、それ以前は謎)。 その後、漢族とツングース族が南下してきて混血したのが朝鮮人。 「父系Y遺伝子構成」朝鮮人はO3型(漢族)40%、O2b型(弥生人)30%、C3型(ツングース)13%他 日本人は縄文人に弥生人と漢族が混血した民族。 日本人はD2型(縄文人)38%、O2b型34%、O3型18%他 縄文遺伝子は日本にだけ残された、アイヌから琉球まで日本人なら誰でもが持っている遺伝子(もちろん帰化人などは持たない)。 朝鮮人と日本人は全くの別民族だが、大陸系の血統に共通性があることもまた確か。
127 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:32:08 ID:FLBqzsykO
山大国なんて比べものにならないくらい古い遺跡が出てるから太古から日本列島には人が住んでたんだなと感じるな
>>124 要は、「中国の正史に認めてもらった」という「お墨付き」の争いなわけだ。
仮に九州と畿内に同様に有力な王権があったとしても
価値のすべては中国の正史に認めてもらったかどうかだけが係争点。
まるであっちの正史に記述がなければ
正当な王権としての不安があるのかと勘ぐりたくなる。
129 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:33:50 ID:P5sFJbEs0
俺、近畿人だが 九州説の方が説得力があると思う。
130 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:34:13 ID:59cr4l9W0
神武東征だから両方都があって正解だろ
131 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:34:53 ID:mFFHsZ/j0
当時はまだ日本という国がなく、邑レベルの集落が乱立していた時期だろ その当時の近畿は中国から大分離れてるよなぁ 別にどっちが邪馬台国だろうがどうでもいいけど、地理的には九州のほうが可能性が 高いと思うんだが
132 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:35:11 ID:afoP+rOS0
奈良、高知とかヤバイ地域にはトルコ顔とかツングース顔が多い件について
133 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:35:20 ID:4cxQcOEh0
吉備説は無視ですかそうですか。
>>128 考古学的な発想から逸脱して唯心論っぽくなっているな。
そりゃ、卑弥呼が名実共に統治者だったか否かって話しで、
邪馬台国の所在地の特定とは関係ないんでは。
135 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:37:24 ID:OPv0uBGb0
邪馬台国はムー大陸の子孫が作ったと言う説はどうなった
136 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:38:51 ID:05p99U2Z0
九州説で唯一の望みは、西都原古墳群をつくった人たちが住んでいた集落を探し当てること。 これしかない。
137 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:39:08 ID:afoP+rOS0
魏志倭人伝じゃ王が居たとされている国は邪馬台国と狗奴国の2国だけ 神武東征は倭国大乱での敗北を意味してるんじゃまいか?よーするに逃げましたとw
138 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:39:42 ID:cSeLQ/Ox0
近畿とか言ってるやつはキチガイ。 魏志倭人伝を読む限り場所的に近畿はありえない。 ところが魏志倭人伝をはじめとする中国史料は信用ならん 考古学的証拠はこうだとほざく一方で なぜか邪馬台国や卑弥呼の存在は信じちゃってる池沼。 そんなもんはなから嘘かもしれないだろ。
邪馬台国って韓国じゃなかったの? だまされた
140 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:42:29 ID:mFFHsZ/j0
たとえばヨーロッパでも、ギリシャは陸続きのイタリアよりも海を隔てたトルコ方面のほうが 文化的にも近かったし交流も多かった。 似たような感じで、九州は近畿方面よりも中国大陸との交流が多かったんじゃないかね 文化レベルも当時は圧倒的だったし、中国
141 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:43:20 ID:afoP+rOS0
邪馬台国が実在するのなら宇佐とか出雲じゃねーの? 大宰府かも知れないけど奈良だけはないわw
どっちにも国はあったんだから 魏から金印貰った事を競うなよ
畿内説だってどうだかね 個人的には東京だと思うよ
>>140 小アジアにはギリシャ人自身の移民都市が並んでたから交流が大きかった
海も日本海よりもはるかに穏やかで渡り易い
145 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:45:45 ID:J4KDBzMF0
西から渡来してきた大和民族(いわゆる中央アジア系のユダヤ人?)が、 (1)九州で一旦王朝を建てた (2)そのあと、徐々に東に向かって進出していき、近畿に落ち着いた (3)その後は近畿を拠点として、各地の豪族と手を結び、時には武力使って連邦国家を樹立 ってのが一番面白そうで、神話と合致しているような気がするわ
146 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:47:13 ID:kMexK9rB0
>>144 昔は日本と大陸は地続きだったと
どこかで聞いた記憶が
147 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:47:36 ID:u/06tT200
九州に決まってるだろ じゃなきゃどっから東征したんだ?半島か?
148 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:47:54 ID:FLBqzsykO
機内説が今がぜん優勢らしいから陰毛論好きとしては吸収説にくら替えしようかな
149 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:48:03 ID:lcMHFBDr0
九州説はもう消えかけてる 佐賀とかその周辺の人が町おこしに使いたいから未練がましく主張し続けてるだけ
またやってるのw もう韓国でいいだろ
八幡平説は?
152 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:49:00 ID:05p99U2Z0
>>147 神武東征があったとしても、それが邪馬台国の東征とはいえんだろ。
九州説はもうほとんどだれも唱えていないよ いま論争になっているのは、近畿説と四国説
154 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:50:18 ID:Gvk9pcab0
卑弥呼なら爺さんと一緒に裏のお墓に眠ってるが・・
155 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:51:19 ID:mFFHsZ/j0
近畿説だと、近畿以西はある程度王朝が影響力持ってないと 中国に出て、帰ってくるのって大変な気がするんだけどな 邪馬台国なんて、今でいう 市 くらいの規模じゃないの? 県までいってないと思うんだけど。そんなに勢力強かったの?
156 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:51:31 ID:10oEWIYb0
俺は済州島が邪馬台国だとおもうなー・・・。
>>83 でもあのおっさんの説を読むと、本当に四国な気がしてくるから不思議
愛媛まで、発掘の旅にでようかな
158 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:52:36 ID:E/2WbLG10
近畿は日本の中央に位置する場所だから 権力者がここに本拠を置こうとするのは当たり前なんだよ。 九州のような中国に近いだけが取り得の場所は不適。
159 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:52:41 ID:6Gz6/pTu0
どうせ、九州に邪馬台国よりでかい国があったってオチだろ。
邪馬台国は、30ヶ国連合の1つ。 女王がいた国。 それらの国で場所がほぼ確定的に 言われてるのは 末盧国が唐津、伊都国が糸島、奴国が福岡。 1つの国が、市町村くらいの規模だったことがわかる。 それが30ヶ国程度集まったとなると せいぜい県単位の大きさではないか。 これより150年後、倭王武の時代には、 倭は東国55ヶ国+西国66ヶ国の計121ヶ国だったとされている。
161 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:55:53 ID:59cr4l9W0
アメリカを笠に着て権威づける自民党のように 中国を笠に着て権威づける国王があったんだな 地理的だと九州が出発点だろ
162 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:56:23 ID:rQjkards0
>>143 弥生時代の東京って、干潟ばっかだよな 人住めるのか?
163 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:56:24 ID:ucn6fzm40
>>125 なるほど、しかし邪馬台以前に東征だとすると
女王国である事とか倭国大乱とか、もろもろの記述が連鎖的に説明つかなくなるな
九州説だとほとんどの記述や神話が、楽に整合性つく
結局「信頼できないから、なかったことにする」
のを乱発する事になるのが、畿内説がいまいちな点なんだよな
九州説wって根拠なく印象操作するだけのレスばっかりなのも民潭くさいし
マスゴミにプッシュさせたりしてるのが胡散臭い
164 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:57:50 ID:+0ZN3sA40
畿内だ九州だと騒いでいるが、実は兵庫県赤穂市坂越の生島だったりしたら大笑いだな。
専門家ですら畿内説が大半なのに ニュー速民は九州説を支持w
中間の出雲でいいだろ
167 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 15:59:56 ID:iJWzY/AF0
どこをどう読んでも旧唐書までは九州。 近畿の遺跡は邪馬台国とは別の国 終わり。
>>158 当時に近畿が日本の中央だという概念があっただろうか?
169 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:00:27 ID:ChnOrlIK0
淡路島と琵琶湖の形似てね?
総理のくせに優柔不断すぎるんだろ。 候補地なんて一つでいいんだよ。
171 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:01:42 ID:kMexK9rB0
>>165 学者の派閥抗争って
白を無理矢理、黒だと言ったりして
真実がどうだかは、二の次らしいね
172 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:04:08 ID:hkEdlap20
九州説を採る専門家はごくわずかなのに 一般人になるとなぜか一大勢力になってるなw
174 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:05:51 ID:ucn6fzm40
>>165 このスレの大半は畿内盲目支持みたいだけど?
彼らはニュー速民ではなかったのw?
175 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:08:03 ID:05p99U2Z0
苅谷俊介(笑) こんなの出してる時点で、チョソが必死に情報操作してる畿内説終りなんじゃねwww
177 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:09:01 ID:HctYpakX0
邪馬台国ミクロネシア説。 邪馬台国アボリジニ (オーストラリア原住民) 説。 どれでも強弁すれば可能。実にすらばやしい。
178 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:10:07 ID:JxEmAbMC0
邪馬台国は韓国だっての
歴史は歴史として謙虚に学問的にやるべきであって、政治に結びつけて歴史を研究してる奴は 人間のクズだ。全部ぶっ殺してもいいくらいの曲学阿世の徒。
180 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:10:46 ID:gtKKQIzl0
こうした論争がバカバカしいのは 結局、「自分たちの郷土に邪馬台国があった、」ということにして 観光その他で儲けたい、という意図がミエミエなこと。 どちらも「自分たちの郷土に邪馬台国はあった」ということにしたいだけだから 客観的事実をつきつけられても、それを受け入れずに屁理屈で対抗しようとする。
>>172 >九州説を採る専門家はごくわずかなのに
うそこけ
しゃあしゃあと
>>172 みたいなキチガイの多い畿内説工作グループは、
数を装って珍説の正当性認めさせようとするからな。
>高島忠平 またお前か。他にいないのか? 畿内派は余裕こいて苅谷なんかを出してるってのに
近畿説だと、一大勢力だったはずの出雲が、魏志倭人伝にまったくと言っていいほど 出てこないのが不自然ではある。 ただ、邪馬台国は3世紀に存在したと思われる国。 4世紀後半には、大和朝廷は朝鮮半島に侵攻してて(好太王碑文)、 5世紀には、九州から関東に至るまでの日本列島を支配してた(ワカタケルの鉄剣2本)。 朝鮮侵攻には九州が必須だから、4世紀には大和朝廷は九州から近畿までを支配して 朝鮮に侵攻できるほどの力を持ってたことになる。。 となると、近畿説とって、3世紀にはすでに九州から近畿までを支配する連合国家を 想定したほうが、歴史としては繋がりやすいような。
184 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:12:20 ID:HctYpakX0
邪馬台国。昔はアンデスの深い山中にあった。 ジェット気流に運ばれて、南米 → アフリカ → インド → 東南アジア → 日本。 その経路で渡って来たに違いない。
185 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:12:24 ID:pvRupYMM0
邪馬台って中国読みだとどんな音?
186 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:12:41 ID:iHjAieIYO
ほんとどーでもいい学問だよな
187 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:13:20 ID:Zp/pXfxv0
あれ? 近畿で決着したよ
いい加減九州説はあきらめたらいいのに
189 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:16:31 ID:E/2WbLG10
紀元1〜2世紀の日本 九州北部・・・・古くからの先進地帯だけど外国に近すぎるから防衛的に危険な場所で、日本の端に位置していて列島の統治には向いていない。 九州南部・・・・熊襲・隼人やらなんやらが居てまだまだ未開地帯。 中国地方・・・・出雲も中途半端な印象。 四国地方・・・・空気。 近畿地方・・・・邪馬台国の最有力所在地。 関東・・・・・・・・倭人の領域だけど、ド田舎。 東北・北海道・・倭人じゃない人間の領域。
>>165 単純に関西、チョンがキライっていうヤツが多いだけ。
当時の関西もチョンで埋め尽くされてたと思ってるんだろ。
畿内説はインチキやアジが多い。
トンデモ学者批判でおなじみの安本美典先生が正しいと思う。
『「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!』
宝島社新書 296 2009年9月刊
安本美典著
http://www.amazon.co.jp/dp/4796673482 ■邪馬台国の会
http://yamatai.cside.com/ >纏向遺跡での大型建物の発見で、邪馬台国は畿内に決定と
>畿内説論者が沸き立っている。しかし、じっと目をこらすと、
>これは彼らの思いこみと、マスコミを使っての宣伝とが幻出させた
>「まぼろしの邪馬台国」であることが見えてくる。畿内説の人たちの大本営発表は、
>やけに華やかで、断定的であるが、どうにも話の筋が通っていない。
>>182 >畿内派は余裕こいて苅谷なんかを出してるってのに
>畿内派は余裕こいて苅谷なんかを出してるってのに
>畿内派は余裕こいて苅谷なんかを出してるってのに
>畿内派は余裕こいて苅谷なんかを出してるってのに
>畿内派は余裕こいて苅谷なんかを出してるってのに
論破されて逃げ回ってるから、苅谷なんじゃないですかw
九州北部説の方が、断然説得力あるでしょう。 畿内説はまったく信用性無し。
じゃあオレは東北説を…
断然、きのこの山が有利。
197 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:23:55 ID:ucn6fzm40
やっぱりチョンがらみの何かがあるのかね? 畿内説は強弁と決め付けが多すぎ おそらく畿内説唱えないと学会で居場所がないんだろ?
またゴッドハンドで、むりやり畿内にしようとしてるんだろ?
九州説唱えてるの1人か2人だけで残りは、飯食うためにマッチポンプしているだけでしょ
九州も畿内も鮮人臭くてイヤ。 四国でおk。
201 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:26:23 ID:HctYpakX0
何が何でも朝鮮が起源。シャモと文化は相容れない。
202 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:27:34 ID:hLxNbDyw0
どっちでもなかったらおもしろいんだが
>>193 論破されてるのはこの高島。違うならなんで他に出てこないんだよwww
204 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:28:34 ID:L2CrjK7u0
>>189 邪馬台国が、日本を統治していたと
勘違いしてる。
短いから、倭人伝読んでみろ。
30カ国の弱小連合。
中国に朝貢したのも、
南の狗奴国との戦争で負けそうなので
援軍を送ってほしいからだぞ。
援軍を要請するための大事な朝貢品も、
恥ずかしくなるくらい、みすぼらしい。
国内も、卑弥呼の前が内乱、卑弥呼が死んだ後も内乱と
内側の結束もグダグダ。
その後の大和朝廷と連続してないことは、
邪馬台国のあと150年間も日本から使者が来た記録がないことでも明らか。
売国の邪馬台国は滅亡したんだよ。
畿内にはまったく別の巨大国家があった。
中国なんかに朝貢しなくても、独自に繁栄していた。
渡来人すら住めないような場所に朝廷があるわけないだろw
207 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:28:50 ID:05p99U2Z0
>>197 畿内説・・・任那の半島経営の可能性
九州説・・・半島→九州という文化の流れの正当性
半島関係者には畿内説は都合が悪く、九州説は都合がいい。
208 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:29:06 ID:E+TfkVzU0
そのうち済州島説が半島から出そうだな
209 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:29:53 ID:1GFpnRqb0
なんでもかんでも九州が始めとする九州人が半島人に見える件について
当時の東京は大湿地帯だぞ
212 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:35:24 ID:yEJQ3uPE0
近畿説が強すぎるから素人の俳優でも十分なんだろ。 近畿説が弱かったら、もっと強い、というかまともな論者にするわな。 近畿には卑弥呼の墓に治定される箸墓があるけど 九州にこの種の古墳があるなんて聞いたこともないぞ。
>>207 みなまは時期が違うから関係ないじゃん
邪馬台がシナの朝貢国家であったことを
大和朝廷と絡めて何か碌でもない結論や印象操作をしたんじゃないのかね
215 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:36:31 ID:9BPIqeKh0
邪馬台国を観光の目玉にしたいのはせんと君とかいうキモいキャラクターをプッシュしてる関西ニダだろ 九州はそのてんおとなしくつつましい 魏志倭人伝の内容は九州のことしか書いてないから邪馬台国は九州に決まってるが 論争で儲けたい関係者がわざと決着つけないようにしてる 近畿説をプッシュしてるのは捏造考古学の連中だけだしな 10年前の旧石器捏造事件のようにまたいつか捕まるんじゃね?
もう長野でいいだろ リニアも通るし
「魏志倭人伝」のその記述自体が虚偽である可能性を誰も論ぜぬ件について
218 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:38:14 ID:05p99U2Z0
九州(長崎県付近)から船で20−30日、陸路10日で、なんで日本なんだ? 魏志倭人伝の記録を勝手に解釈すれば、どこでもなんでもありなんだぞ。 普通に、オーストラリア、フィジーで問題ないが。
近畿のは「女王国の東に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。」ってコレのことじゃないの?
>>217 倭人伝は信用できないと言ったら論争どころか
この話は終わり。
卑弥呼も邪馬台国もこれにしか書いてないんだから
ぜんぶ妄想かもしれない。
考えるだけ無駄。
このスレに書き込むことも意味がない。
とりあえず倭人伝は本当という前提で初めて話が進む
邪馬台国がどこにあったかはともかくとして 纒向遺跡は大き過ぎるから邪馬台国と直接の関係はないよ 魏志倭人伝を実際に読めば分かるけど邪馬台国ってそんなに大きくなかった
>>219 真っ直ぐ連れていかなかったんじゃないのか
>>220 昔の中国人の地理認識だと伊勢湾から琵琶湖までが繋がった海のようになっていて
畿内と北陸東海東山道が分かれてたりする
だからその場合の海の向こうの国とは邪馬台国の東から北である今の北陸から中部東海地方をさす
南だ、東だ、北だとか魏志倭なんとかで書いてるけど、旅行中ずっと曇りか雨だった可能性を指摘するやつはおらん?
邪馬台国を最初の国と勘違いし過ぎなんだよ 吉野ヶ里は面土国で 邪馬台より古い存在 出雲も邪馬台より百年ぐらい遡れる 発掘年代から大体わかるだろうに
229 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:46:20 ID:ucn6fzm40
>>218 だったら九州説でも半島経営してたことになるだろ
>>223 で、記述をまともに信用をしても、その記述通りの位置に国はおろか陸すらないわけだが
いきなり、嘘の記述になっているではないかね
それとも何かね?海底に没した土地が当時あったのかね?
231 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:49:02 ID:05p99U2Z0
>>229 九州には大規模集落の遺跡がないから
海を渡る支配をするほどの力がない。
232 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:49:54 ID:LRWsfHCA0
九州だよ、地理的に 近畿説が有力なのは近畿地方の学者の数とゴリ押しのせい 近畿地方の大学の講演会でも言ってみれば分かる あぁコイツら実際は何処にあったかなんてどーでも良いんだなぁって感じるよ
233 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:50:20 ID:9BPIqeKh0
九州には遺跡がない× 九州の遺跡はほとんど発掘調査していない○
234 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:52:50 ID:05p99U2Z0
>>233 畿内説を覆すには、巻向や唐子遺跡を超える集落跡を九州で見つけてから言えって話
235 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:53:46 ID:9BPIqeKh0
関西人が邪馬台国は関西ニダ!まきむくいせきが病大国ニダ!といくら町興しにひっしになろうが 魏志倭人伝に関西地方のことはなにひとつ記述されてないから関西は邪馬台国とは無関係の土地 あきらめろ
236 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:55:06 ID:ucn6fzm40
>>234 決め付けるんなら巻向と邪馬台国が同一だと証明してからにしろって話
>>231 九州には大規模集落の遺跡がないんじゃなくて発掘してない。
北部はそのへん工事したら土器がごろごろ出る。
みんな無視して埋めるけどな
>>230 陳寿は実際に倭に行ったわけじゃなくて伝聞を書きとめただけだし、原本も残ってないんだから
事実とは違うところはいくらでもあるだろ
その中でも文献の分析すれば信頼できる部分と出来ない部分が出てきて
位置を表す数字の信頼度は低くて
邪馬台国は小国の連合体の盟主だったと書いてある部分は信頼度が高いって事が分かる
こんなのは近畿説でも九州説でもまともな学者の中では当然の前提だが
中国人が 「日本へ行ったら、でかい町があった」 と書いた。 それを見つけて 「でかい町? だったら東京のことだ」 と言ってるのが畿内説。 別に、大阪でも名古屋でも福岡でも、ありえるだろ という可能性はスルーして、 東京はこんなにでかい、日本の中心だ と主張してるだけ
240 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:59:12 ID:ucn6fzm40
弥生時代関連の遺跡は 妙に後出しの道路工事で潰されることが多くない? うちの近所なんか、わざっわざ遺跡を潰すルートに変更してたぞ 遺跡保護に協力してた議員先生がある時から突然だんまりを決め込むようになったり
241 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 16:59:22 ID:05p99U2Z0
>>236 邪馬台国が九州にあったなら、それ以上の大勢力が確実に畿内にあったのに
あれだけ国が並べてある魏志倭人伝で、一切触れてないのはなぜなのか?
単純に邪馬台国=ヤマト国だろ。
邪馬台国=ヤマタイコクなんてのは
中国に朝貢してたことが許せない国学者の本居宣長が作り上げた幻想。
まあ、中国人の実像は、昨日放映の万博のリハーサル見りゃあ、わかるからな。
243 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:02:57 ID:kMexK9rB0
邪馬台国=沖縄だろ 中国と交流が深かったとか 建物や民族衣装や原色の色使いなんかも 中国っぽくね?
244 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:05:59 ID:7uYHUik30
>>151 鯨統一郎サン 乙
でも、あれは面白かったよー
245 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:06:23 ID:ucn6fzm40
>>241 邪馬台国じゃなかったからだろ
あくまで女王国の範囲内の記述だから
出雲すら出てこない
なんか「元々朝鮮には優れた文化があったが日帝に破壊されてその痕跡が見当たらない」みたいな主張の奴がいるなw
どっちでもいいよ。 仲良く喧嘩してくれ。
>>243 それは近世になってからだろ
琉球は明に朝貢を送る冊封だった
朝鮮だって、日本に併合されるまえのソウルは藁の家ばっかりなんだから ヤマタイ国だって、同様だったんじゃないかな。
>>238 さすが、人文系・・・
さも事実だったように語る(人文)科学モドキにはいつもながら呆れる
陳寿が半島人系のヤツ?から聞いたという時点でアウト
251 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:12:24 ID:05p99U2Z0
>>245 女王の居た国が邪馬台国。
九州を含む邪馬台国の支配範囲が女王国な。
邪馬台国ってのは都のあった場所。
邪馬台ってのは地名。つまりヤマト。
奈良だよ。
>>250 呆れるのはいいけど
陳寿が半島人系のヤツ?から聞いた、というのはどこから出てきたんだ?
俺はそんなこと一言も書いてないが
関羽の耳たぶがひざまであったとか・・・もうね・・・中国の書物の記述を 既成事実だとした前提で話していること自体、ア・ホ
254 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:14:55 ID:kMexK9rB0
>>248 > 琉球は明に朝貢を送る冊封だった
だったら邪馬台国まんまじゃんw
↓
冊封を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、
中国皇帝と君臣関係を結ぶ。この冊封によって中国皇帝の
(形式的ではあるが)臣下となった君主の国のことを冊封国という。
冊封国には毎年の朝貢、中国の元号・暦(正朔)を使用することなどが
義務付けられ、中国から出兵を命令されることもある。
その逆に冊封国が攻撃を受けた場合は中国に対して救援を求めることが出来る。
by wiki
255 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:17:17 ID:y2eYTbGl0
あら、どこぞの研究家だかなんだかが「邪馬台国は東北にあった」なんて 馬鹿なこと言ってたわよ。
256 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:17:26 ID:LRWsfHCA0
>>250 人文系って結局パワーゲームなんだよねぇ
真実なんてどうでもいいのよ
ヤマタイ国がどこにあった以前に、ヤマタイ国が実在した/しないのほうが先だろ
お前ら最終的には記述が信用できないとか わからないなら黙ってろよw
259 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:20:48 ID:PrvDAtkZ0
大和朝廷が邪馬台国かどうかはしらんが 大和朝廷自身が、ルーツは日向、宇佐って言っているだろう。
260 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:23:01 ID:M4ablMC50
262 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:26:39 ID:NQHcxJB40
>>254 九州の人は、大和朝廷より中国の臣下になりたいって言うメンタリティが強いんだと思う。
東京人には感覚が理解できんが。
九州起源で東征とともに東に勢力を伸ばしていったんだろ まぁ卑弥呼の時代がどの段階だったかが問題だな
>236 「鏡」が出てきたし
「歴史」と呼ばれる史学とは、文字ないし、それに相当するモノで当時の世界を 語る「記述」が残っている場合、それを「(歴)史」といい、それ以前の歴史は、 史学においては、存在しない若しくは、語るに及ばずとされている この自らの糞定義によって、史学が「prehistory」について、全く論じられない 糞な学問であると同時に、記述は、往々にして時の勝者の歴史でもあるから 全く信用出来ない学問でもある こともあろうに史学の視点で有史以前を語ろうとする態度にも全く呆れる
266 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:28:37 ID:10oEWIYb0
実はわしは現代まで奇跡的に生き残った、生粋の弥生人じゃ。 今年で1200歳になる。邪馬台国が何処か知りたいならわしに聞け!
>>266 平安時代に生まれた人間が何故、弥生時代はおろかそれ以前の時代について
語ることが出来るの?
>>266 黒柳徹子に比べたら若輩者だな
彼女は宇宙ができた瞬間そこに存在したらしいぞ
269 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:31:44 ID:kMexK9rB0
加齢にスルー
270 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:32:04 ID:M4ablMC50
九州の高千穂に天孫降臨し、神武天皇が東征したと書かれているのに なんで邪馬台国の畿内説にこだわるのか理解不能。 大和朝廷って九州起源だろうし、卑弥呼は日御子日巫女だろ 太陽神に仕える霊能者で、たぶんアマテラスの母型だ。
ここまで「ヤマタイカ」無しと。 あのマンガ面白かったけどな。
邪馬台国は山形県にあったと思う
>>270 東征は尾張・伊勢、畿内から見て「東」征
いつの時代から九州はタカチホになったのかね?
そもそも、邪馬台国が本当にあったのかどうか・・・ 魏志倭人伝が事実を記載したものかどうか。。。 (´・ω・`)
275 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:35:37 ID:NQHcxJB40
ここで、基本的知識な。 卑弥呼が即位したのは、西暦180年前後。 魏に朝貢して金印もらったのが、西暦239年頃。 死んだのが248年頃。 卑弥呼の治世はおよそ70年。 九州説の場合、70年も九州「だけ」を統治してたことになる。 その間、半世紀以上の間、出雲や吉備や畿内とはどういう関係だったのか? まったく交流が無かったとでも考えているのか? 近畿は、当然、鉄が欲しくて九州と交易することを望んだろう。 近畿は九州と敵対する理由が無い。 九州は、近畿から交易を求められたとき、無視したのだろうか? 一気に近畿も支配できたはずではないか? 最低限、友好関係を結べたはずだろう。 しかし、九州説では、九州と近畿とは、70年間、全く交流が無かったと考えてるらしい。 「魏志倭人伝に近畿のことは書いてない」と主張してるのだから。 とても不自然な歴史認識である。
276 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:36:14 ID:ucn6fzm40
>>251 根拠無く言い張るだけかよ
習俗が南方系だったり
女天皇だったりすることの整合性はどうなるんだ?
卑弥呼-トヨは天皇家の系譜にないだろ
タカチホは、八王子の高尾山
>>274 魏史だけじゃなくて後漢書とか晋書も見てみればいい
279 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:38:54 ID:tIA07lfu0
>>14 無差別級すぎるだろ
もうちょっとルールというか階級を細分化すべき
>>276 >習俗が南方系
それが畿内になかったとどうしていえない
日本では古くからそういう風習があったのになんで九州だけのものみたな言い方すんのよ
俺、近畿人だけど、 小笠原諸島だと思う。
>>275 鉄ってあんた、なにも九州まで行かずとも、淡路島に炉の遺跡がなかったかね?
近畿説のほうは何を根拠に近畿と言ってるの? 遺跡だの、鉄器や青銅器の分布状況から近畿に大勢力があったのは確かだとしても、 それが邪馬台国かどうかは別の話でしょ?
284 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:41:35 ID:HctYpakX0
タカチホって、台湾の山岳民族が崇拝している山のことじゃないのか。
285 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:42:26 ID:ucn6fzm40
>>275 >「魏志倭人伝に近畿のことは書いてない」と主張してるのだから。
こう主張するとなんで
>九州説では、九州と近畿とは、70年間、全く交流が無かったと考えてるらしい。
に結びつくことになるの?
言ってもいないことを勝手に決め付けてんの?
>>280 気候が違うのにわざわざ薄着するわけないだろ
286 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:42:34 ID:10oEWIYb0
わたしはルチ将軍・・・・ 知能指数は1300・・・ 邪馬台国が何処か知りたいならわたしに聞け!
吉野ヶ里は小さな鏡が数枚しか出てこなかったからな だから吉野ヶ里を邪馬台だと、発掘してた人達も言わなくなってしまった
288 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:44:22 ID:M4ablMC50
>>273 何度読んでも理解不能なんだが誰か分かりやすく解説してくれないか。
神武東征は日向から東の大和を征服する話だろ。
お前ら情弱すぎwwwwwww 雷火読めよwwwwwwwww
290 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:44:59 ID:HctYpakX0
これだけ卑弥呼の素性がわからない、場所もわからない・・ それは「非実在」だと考える勇気すらもないのか。
>>283 知らん
そんなことよりも何故畿内に強力な国家権力が登場したのか?と
いう疑問と、それ以前の時代との繋がりにおける大和朝廷の成立について等、
それ以前のことには、史学の史実はなーんにも記述しておらず、
糞の蓋にもならない学問だということだけがわかる
>289 きてはあ! は良いから・・
293 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:47:11 ID:ucn6fzm40
294 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:47:13 ID:kMexK9rB0
だーれも知らない♪
>293 他の場所でも出てきてるなら兎も角 あれだけ大量なのはマキムクぐらいだろ
297 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:50:04 ID:HctYpakX0
だからさー、魏志倭人伝(部分)を作ったやつが、あることないこと テキトーに書いた。それに未だに振り回されているのはアホ。
奈良の高天原神社が素敵だから奈良でいーよ?
>>284 なるほど、台湾の高雄山か・・・するどい知見だ
>>286 知能指数が200を超えるとか・・・
>>288 東の大和とというが、「ヤマタイ国がどこにある?」
の論法が大手を振ってまかり通るのであれば、
「大和」とは奈良の大和ではないかもしれんぞ
300 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:50:47 ID:M4ablMC50
>>280 いや畿内には体中にサメよけの刺青をして海に潜っていたというような人は
住んでいなかったから。
魏志倭人伝の描写はすべて南方系海洋民族。
九州沿岸の海洋民族を念頭にして書いたとしか思えない。
301 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:51:57 ID:10oEWIYb0
わしはチ将軍・・・・ 知指数は・・・ 邪台国が知りたいらわし聞け・・・
302 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:51:59 ID:ucn6fzm40
>>300 宍人部や海人部など刺青してる連中はいくらでもいるんだが
常識的に邪馬台国は九州だろう。 しかし、熊襲によって滅ぼされた。 熊襲は景行・仲哀・神功の時代、九州全土を掌握してたからな。 邪馬台国が生き残ってるはずが無い。
305 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:54:38 ID:fBkkWAg9O
邪馬台というのはヤマトの中国語の当て字。 これだけで近畿説以外はない話。 そもそも九州説があるほうがおかしいんだよ。
>>288 「ヤマタイ国はどこにあった?」議論でよく出てくる論法で言えば、
とりあえず、大阪府守口市にも「日向」と云う地名はあることはある・・・
ま、そこからみれば、奈良は東
307 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:55:18 ID:tcYUugx70
元々九州説ってのは江戸期国学者どものトンデモ 今はそれに朝鮮人と九州の観光業者がしがみ付いてるだけ 学問と呼べるレベルじゃない 仮に「南」の方位が正しいとすれば、 邪馬台国は琉球か台湾、さらにそれ以南ということになる 何をどうあがいても九州本島だけはありえない。理性において無理なものは無理なんだよ いい加減こんなアホな茶番劇を朝鮮人のために続けるのは止めたらどうだろうね
もうとっくに決着ついてるだろ 最近は考古学的な成果も着々と出てるし もはや九州論者は 指加えて眺めてるだけ
309 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:57:06 ID:NQHcxJB40
>>275 に続いて基本的知識な。
さて、邪馬台国が九州にあって、卑弥呼の治世が70年続いたとしよう。
九州説の場合は、九州と近畿は交流してなかったという前提らしい。
70年間、交流がなかったというのも考えられない話だが、
その間、近畿の様子はというと、こんな感じ。
近畿と、吉備、出雲、讃岐、阿波、丹波、東海のクニグニは、奈良を中心に交易を始めている。
九州は、九州だけで孤立し、九州を除く西日本から東海は結集し、奈良に王権を築いた。
九州説の場合、九州の邪馬台国は、すぐ西側に広大な連合国ができつつあるのに、
クナ国との争いにてこずっていたことになる。
なぜ、近畿と友好関係を結んでクナ国を包囲しようとしなかったのか?
卑弥呼は70年治世してる間に、近畿を全く無視して、魏に朝貢したのか?
九州説では、3世紀の日本の様子を俯瞰しようとしても、納得できるような歴史認識が全くできない。
310 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:57:23 ID:CwMdu+nZO
平均チン長で勝った方にしよう。 クマソ系がいる九州有利。
311 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 17:59:24 ID:ucn6fzm40
>>305 根本的におかしい
畿内勢力が「ヤマト」だったという証拠が、まずない。
邪馬台がヤマトで後に東征して大和朝廷になったと考える方が自然
>>309 >卑弥呼の治世が70年続いたとしよう
これがお前の妄想なんだから、後の話も全部電波
>>309 「70年」とか当てになるのかね・・・
神代の天皇は、140歳、170歳とかざらだし・・・
旧約聖書など、誰々が500歳とか、700歳とかもうねぇ・・・
314 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:02:31 ID:HctYpakX0
>邪馬台がヤマトで後に東征して大和朝廷になった ということは、大昔の邪馬台は、もっと西のほうに居た。 そうでないと話のつじつまが合わないよね。
315 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:02:37 ID:NQHcxJB40
>>311 すぐに東征だと言い出す人へ。
卑弥呼の治世は70年ですよ?
東征するなら、どうしてその間に東征しないの?おかしいでしょ。
卑弥呼が即位した頃は、九州が強大なクニだったことは誰しも認めることだよね?
だったら、卑弥呼が即位したときに東征して、近畿を征服し、
畿内に邪馬台国を作ったと考えたほうが、よほどスジが通るというもの。
なぜ、東征を、卑弥呼の死後までしなかったのか、何の説明もできない。
316 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:02:49 ID:ucn6fzm40
この頃の天皇は何してたの?
>>311 大阪の高槻市にも日向と云う地名があることはある
「ヤマタイ国はどこにあった?」議論の論法で行けば、
そこから、東の方面つまり奈良近辺
機内説の方は色々出てきてるからな。いい加減九州説はあきらめた方が良いだろ 無いものはない。
>>309 クナ国と畿内が友好関係
だから邪馬台国は中国を頼った
>>309 >近畿と、吉備、出雲、讃岐、阿波、丹波、東海のクニグニは、奈良を中心に交易を始めている。
それオホド王の話じゃねーの?卑弥呼の時代から二世紀も話がずれてるしw
322 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:05:00 ID:xi2g+t5L0
>>311 東征説で一番有名なのは卑弥呼の死後、内乱で分裂した一派が畿内に
移動したって説でしょ。むしろ卑弥呼の死後じゃないと整合性がない。
>>297 源氏物語とかだって、後世にいじくりまわされてる
らしいもんな。ぎしわじんでんも似たようなものか。
325 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:06:32 ID:ucn6fzm40
>>314 どこのつじつまが合わない?
>>315 基礎知識とか言っておきながら
そもそも邪馬台国が連合国の盟主に過ぎないって事すらわかってないんじゃないか?
統一国家じゃないんだからそんな独断の遠征は不可能
326 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:06:33 ID:NQHcxJB40
>>312 >>313 卑弥呼の治世が70年ほどという話も知らないで、議論に参加するなよ。
九州説のレベルは、ほんとに低くなったな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC >光和年間(178年 - 184年) - 卑弥呼が共立され、倭を治め始める。『梁書』
>景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。
>正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
>正始四年(243年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
>正始六年(245年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
>正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、黄旗を授与。
>正始八年(247年)、またはその直後 卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 - 249年)に卑弥呼死亡)
327 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:07:05 ID:PzoJ7FLU0
>>212 「径二百歩」(だっけ?)って大きさだけ「三国志魏書東夷伝」には書いてて
それ以外の事は何も書いて無いから、ぶっちゃけ古墳かどうかすら分からない
んだよな。3世紀ってば、弥生時代の方形周溝墓→大型墳丘墓→初期古墳って
過渡期だからなあ。初期古墳じゃなきゃ、それこそ吉備にも吉野ヶ里にもよう
さんあるぜ、その位の大きさの。まあ、吉野ヶ里が「邪馬台国」な可能性なん
てないも同然だけどね。
>>317 ま、第11代垂仁帝の時代から、第16代仁徳帝の時代(出展:日本書紀?古事記?)
だから、その間の天皇のうち、1人ないし数人が君臨していんだろうよ
329 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:08:32 ID:HctYpakX0
東西南北。南北はちょいアヤスイかも。 しかし、東西は日が昇る・沈む方向ってことで、 そうそうウソは言えないだろうな。 あ、もちろん、季節によって違うくらいのことは気づいていただろう。
>>311 隋書倭国伝に
「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」
「(倭国の)都は大和で、すなわち魏志にいうところの邪馬台なり」
とう表現があるよ
少なくともこの時代の中国人はそういう大和=邪馬台国と考えてたわけだ
かりに東征が行われたとしてそれは何世紀だ?
それは実在の天皇としては誰にあたるんだ。応神か?
そして東征の証拠となるような考古学的な証拠は?
九州説は漠然と「北九州あたりにあった」とまったく位置の統一的見解がないんだよな 神武東征が根拠なら日向だろうがそんなばかげた説をとる人は九州説でもさすがにいない とりあえずちゃんと纏めような
>>326 ん?
>正始八年(247年)、またはその直後 卑弥呼が死に、墓が作られた。
の年代であれば、
第14代仲哀帝と第15代応神帝の間に何かあったということになるのか?
333 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:15:12 ID:ucn6fzm40
>>318 日向って地名だけこじつけようとしても無意味
神武東征は途中の地名や寄港地も全部出てる
>>330 仮の話ってあまり意味を感じないけど
卑弥呼の死後、初代天皇が生まれて6世紀までのどこかじゃないか?
証拠なんてないだろ、根拠が記紀に求められるのみ
だから、証拠が出るまでは記紀を編纂した「意図」を考えた方が歴史の正解に近いだろう
>>331 九州説ってほとんど全県にまたがってるからな。
数的には福岡平野と筑後平和を抱える福岡が一番多いだろうけど
佐賀の吉野ヶ里、島原半島、大分の宇佐、宮崎の西都原などなど
纏めたくとも最近は九州に有力な考古学的発見もない以上
彼らに仮説以上のものを期待しても無理だろう。
>>333 >日向って地名だけこじつけようとしても無意味
>神武東征は途中の地名や寄港地も全部出てる
じゃあ、「ヤマタイ国はどこにあった?」議論の論法において、
大阪守口市・高槻市の「日向」から奈良の間に
「筑紫」や「安芸」の地名があればよいわけだ
336 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:19:42 ID:ucn6fzm40
>>334 畿内説なんて仮説に過ぎないもの決め付けてるだけじゃん
>>333 初代天皇神武帝は、紀元前7世紀誕生ではなかったか?
しかも治世が200年弱 by古事記か日本書紀
卑弥呼の死後、初代天皇が生まれて6世紀〜
というくだりが参照する書物によって、全く訳わからん意味になるんだが・・・
大分の宇佐神宮の地下辺りに大規模な遺跡でも出れば決定的になる?
339 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:24:33 ID:FLBqzsykO
あれだな。歴史の教科書とかであたかも日本が何でも大陸由来みたいな感じの表記のせいだな 漢字だの仏像だの律令制だの…まあ特に文物が残ってない時期はシナの中華史観上の物しかないし でも稲作もIN王朝の前から日本に伝わってるし 古代から朝鮮半島の南側を支配下に置いたり結構な国力があったから、一方的に大陸勢力に 侵食されてたわけではないと思われる
>>333 じゃあ、あんたはその初代天皇ってのを誰だと考えてるんだ。
神武天皇は三世紀紀中葉以降に実在したと考えてるのか。
そして東征があったのは具体的に何世紀のことなんだよ。
明治時代に神武東征のあとを具体的に比定しようとして
福岡、広島などで大がかりな調査が行われた。
今でもそのころに建てられた神武東征の行宮の場所を示す石碑が残っているところもある。
だが、考古学的にそれを裏付けるようなものは何も出土していない。
341 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:26:01 ID:NQHcxJB40
>>337 >卑弥呼の死後、初代天皇が生まれて6世紀〜
いや、その発言は、その人の空想だから。
神武天皇即位は紀元前660年。
それを卑弥呼の死後に東征したなどと、噴飯もの。
考古学も文献も知らなさ杉。
誰に騙されてるんだか。
邪馬台国は今の地名で言えば伊豆諸島の八丈島だよ
343 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:32:08 ID:ucn6fzm40
>>335 よいんじゃない?ないけど
>>340 神武天皇にあたる人、だろ
天皇家が続いてる以上、初代がいるのは当たり前
具体的、なんて証明できないことを聞く意味は?
仮説、だよ。証明する必要なんて無いだろ、根拠で充分
畿内派は東征の真偽の根拠すら提示できないから、「信憑性ない」と無視するだけ
>>337 >>341 昔の天皇は本当に何百年も生きてたとでも言いたいの?
神話は記述の真偽よりどう解釈するかが重要なんでしょ
>>333 >日向って地名だけこじつけようとしても無意味
>神武東征は途中の地名や寄港地も全部出てる
大阪府高槻市に「筑紫」津神社
京都府京都市伏見区に「安芸」山
という名があるな
ま、とりあえず、「ヤマタイ国はどこにあった?」議論の論法において、
大阪守口市・高槻市の「日向」から奈良の間に
「筑紫」や「安芸」の名があることはあった・・・
邪馬台国=大和朝廷ってかwwwww
346 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:35:33 ID:NQHcxJB40
>>343 >昔の天皇は本当に何百年も生きてたとでも言いたいの?
なんで、卑弥呼のあとに初代天皇が〜なんて言ったの?
>>333 君こそ、へんなバイアスがかかってるよね?
邪馬台国は九州だ、卑弥呼が死んだ後に東征があって神武が即位したんだ、とか。
なんの証拠もない。
347 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:38:43 ID:ucn6fzm40
>>344 奈良から京都や大阪に東征?
わけわかんね。
>>346 東征したのが初代天皇以外だとでも?
お前キチガイレッテル貼りたいだけだろ
ということはなんだ?神代の「東征」というのは、 大阪府の守口・高槻当りから、北東方向へ淀川を遡って、 当時小椋池があった京都府の伏見区へ入り、 それから、南下して奈良大和に至ったと・・・ 「ヤマタイ国はどこにあった?」議論の論法を使用すると、 見事にツジツマが合うのな
>>343 東征がいつの時代のことで誰がそれをやったのかもわからない。
だが記紀に書いてある以上東征があったのはまちがいのない事実だ。
あんたがいってるのをまとめるとこういうことになる。
そりゃ聖書に書いてあるからノアの洪水はまちがいなくあったはずだと言ってる
どっかの宗教原理主義者と同じだろ。
信仰の問題に立ち入る気はないが、それじゃ議論にならない。
あんたはただ自分が信じてるんだから間違いないと主張してるだけなんだから。
こちとらはさっきっから
証拠とはいえなくとも手がかりになりそうな傍証を挙げてみろと
親切に具体的な質問までしてるんだがな。
350 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:41:44 ID:U0TRybcn0
弁慶は平安から鎌倉時代だろ
ま、なんだ、船軍を率いてとあるが、淀川を遡る途上、船を使用したと・・・
また、邪馬台国スレかよ と思ったが、 東征の話になってるのは初めてじゃね 変わった展開だから、続けて続けて
353 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:48:20 ID:NQHcxJB40
神武東征が事実かはともかく、 神武の即位が卑弥呼の後って、どういうつもりでそんなことを考えてるんだんろうね? 邪馬台国とは関係ない話だろ。 意味がわかんないよね。
三国史記だと卑弥呼の朝貢が175年とかだから、 倭国大乱が100年から150年の間ということになって、 一応高地性集落の年代鑑定とも一致するんだよな。 とすると九州から大和への権力の移動だから、 邪馬台国は大阪か奈良かということになる。
355 :
(´-`).。o山中狂人 ◆abcDBRIxrA :2010/04/21(水) 18:50:21 ID:Ysii4QAD0
>>1 <安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<井沢元彦によれば、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
∧_∧___
(・∀・ ) / | <これ、豆知識な
⊂ へ ∩./ .|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄
箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
3世紀中ごろ、皇室の先祖は九州にいた。ちなみに神武天皇は3世紀末頃の人物。
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
もしも箸墓古墳が卑弥呼の墓なら、邪馬台国と大和朝廷は無関係。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
356 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 18:52:27 ID:PMobk8Lu0
で、最後は済州島にあったとか。。。
.
>>353 そういうこと。
東征が具体的にいつのことなのか、誰がやったことなのかも不明なのに
なんで東征が邪馬台国以降のことだと断言できるのかわからんよ。
ちなみに日本書紀の神功皇后紀には
中国の晋書から引用した邪馬台国の記事がちゃんと載ってるんだから
もし日本書紀の記事をまず第一に信用するなら、
どう考えても邪馬台国は神武天皇よりもあとの話になる。
東征なんて言ってる奴いるが、 まともに記紀読んでるのか? 神武軍は河内湖で大敗してるんだよ。 生駒・信貴山すら越える事が出来ないのに はるかに険しい熊野の山を、ボロボロの 神武軍が越える事なんて有り得ないんだよ。 紀伊半島上陸以降は別の人物の伝承を 組み合わせた物だよ。
359 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:00:14 ID:ucn6fzm40
>>349 いや、お前、自分が
>>330 でなんていってるか見返してみろよ
かりに、の話をしてみろって言うから
こうなんじゃない?と想像を答えたまでだよ
それを証明しろ、証拠を出せ、って・・・w
じゃあこっちから聞くが畿内説だとして
かりにの東征の話をできるのか?
>>353 お前は文脈を読み取ってないだけだな
>>330 からの仮説の流れで初代天皇の東征の時期を設定するとしたらいつになるか、というだけの話だよ
360 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:00:42 ID:NQHcxJB40
>>357 日本書紀では、卑弥呼よりずっと前から天皇の治世があったと説明してるのに、
わざわざ、「初代天皇は卑弥呼の後」と言い直す必要がどこにあるのかと言いたいね?
証拠もないのにね。
神武天皇即位は紀元前660年だと、国内外に喧伝することになにか不満があるのか?
日本だけじゃないのか?自国の歴史をわざわざ矮小化しようとしてるのは。
それとも「売国奴」のひとなんだろうか?
邪馬台国はやまとで女王国は伊勢 卑弥呼は倭姫命から斎王の座を継いだ誰かであろう
362 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:03:54 ID:FLBqzsykO
邪馬大国→大和朝廷みたいに知ってる知識だけでストーリーを完結したいアホメンは九州説にたまにいる まあ全部がそうじゃないと言っておくわ
363 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:04:28 ID:0mPPbOuT0
敦賀港・・・末盧国 ↓ 福井県敦賀市。近辺の砂浜は「気比の松原」 ↓ ↓南東に約26km(直線距離。道は蛇行) ↓ 高月町役場・・・伊都国 ↓ 旧滋賀県伊香郡高月町。 ↓ 全国でも有数の古墳群である古保利古墳群がある。 ↓ 江戸時代、朝鮮通信使で有名な儒学者・雨森芳洲を輩出。 ↓ ↓南南東に約11km ↓ 長浜市役所・・・奴国 ↓ のち、国内有数の鉄砲生産拠点として栄えた。 ↓ 浅井長政の領地?山内一豊が与えられた「近江唐国」もここ。 ↓ ↓東に約9.5km ↓ 伊吹庁舎・・・不弥国 ←不破? ↓ 旧滋賀県坂田郡伊吹町。 ↓ 美濃への交通の要地、ここを越えると岐阜県不破郡関ヶ原町。 ↓ 息長氏の根拠地。ヤマトタケルが死傷を負った伊吹山の麓。 ↓ 石田三成の出身地、石田村もこの辺り。
364 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/04/21(水) 19:04:42 ID:JQW0C03M0
365 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:07:05 ID:NQHcxJB40
>>355 ><邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
こういう人も、ちょっとどういうつもりで発言されてるのか、真意を問いただしたいね。
世界に誇れる伝統と古さを持つ皇室の起源は、
中国に女王が朝貢して魏の臣下に認めてもらった後とし、初代天皇が即位したのも、4世紀だわざわざ限定してるわけだろ?
証拠も無い話を、捏造する必要ないだろ。どう考えても。
国益にどう役に立つのかな?
むしを国益を損ねるだけだよね。
中国様が臣下にしてやった後で、天皇の治世が始まるって言ってるんだよコイツは。
366 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:07:43 ID:aoIT1RS30
と思わせて北海道。
367 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:09:21 ID:0mPPbOuT0
長浜の船乗り場 ↓ ↓水路・南西に約40km ↓ 野洲川河口・・・投馬国 ←播磨田町??(ハリマは開拓地の意?) ↓ 滋賀県野洲市。 ↓ 古墳多数。日本最大の銅鐸が出土。 ↓ マスコットキャラは「ドウタクくん」。「ドウタくん」ではない。 ↓ ↓水路・南西に約18km ↓ 瀬田川河口 ↓ ↓南南西に約55km(直線距離。道は蛇行) ↓ 奈良県桜井市 奴はヤマト族、倭は弥生人、狗奴は伽耶人な 伽耶人は吉備と尾張に住み着いた。 桃太郎伝説は伽耶国時代に広まったもの。日本人を鬼呼ばわりww こいつらがのちにヤマト国を乗っ取り、日本書紀・古事記を改ざんしまくる。
368 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:09:28 ID:WTRmzDdY0
>>365 国益?
それじゃどっかの半島国家と一緒じゃん。
369 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:09:54 ID:ucn6fzm40
>>357 で、日本書紀と魏志倭人伝はどっちが早く書かれたのかな?
>>358 それが何か?
>>360 >神武天皇即位は紀元前660年だと、国内外に喧伝することになにか不満があるのか?
お前の歴史は政治目的の宣伝なんだな
畿内派の傾向かな
こっちはそんなことに興味ないの。九州でも畿内でもいいから事実が知りたいだけ
畿内派がやたら決め付けてる部分の怪しい点を指摘するだけ
そもそも国益を損ねるから捏造でもいいから都合のいい結論を出す、なんて態度の方が
よっぽど将来的な国益を損ねるよ
捏造とカネコネのみが幅を利かせる学会を助長するようなもんだ。
おまいら落ち着け。 歴史話なんて究極的にはオタ話だ。 オタ話で興奮するのは分かるが、人格否定は厳禁だぞ。
スルーかよー
>>369 おかしいとこ指摘してよう;;
>>359 じゃあ別な角度から聞いてやるけど
なんで東征が邪馬台国の後の時代にあったと断言できるんだ。
その信念は何に基づいてるんだ。
>証拠が出るまでは記紀を編纂した「意図」を考えた方が歴史の正解に近いだろう
と自分で言っておきながら、
記紀の中で唯一邪馬台国について触れている
神功皇后紀についてはまったく無視するのかね。
>>369 >畿内派は東征の真偽の根拠すら提示できないから
真偽の根拠ですよ。古事記と日本書紀でさえルートが違うしね。
つまりその程度の信憑性しかない訳です。
都合よく組み立てたお話です。
374 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:16:19 ID:NQHcxJB40
>>369 神武東征と邪馬台国は関係ないだろ。
神武東征は神話。
邪馬台国は史実。
無理やりこじつけて、神武即位を4世紀にする意図は何だ?
どっちでもいい
あくまで仮説として提唱する。 神武東征は軍事的行動でなく、ただの継承だと思うよ。 おそらく、海彦山彦の話にででくる豊玉比売(トヨタマヒメ)が今の伊勢神宮の所に住んでいた。 豊玉比売(トヨタマヒメ)は後の大和朝廷に繋がる豪族の娘だった。山彦が豊玉比売(トヨタマヒメ)婚姻して、孫に当たるのが後の神武天皇 よって、神武天皇が後の大和朝廷になる勢力を引き継いだのが東征。東征=継承問題が起きたと考えている
377 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/04/21(水) 19:19:23 ID:JQW0C03M0
はっきりしているのは3世紀頃には巻向に東海北陸から九州にかけて交流のあった都市があったと言うこと。 それが邪馬台国かどうかは知らんが、可能性としては非常に高いのではないだろうか。 ワシはこの巻向遺跡は景行天皇が都を置かれた都市遺跡だと推測している。 尤も邪馬台国が大和朝廷の一地方都市なら九州でもあり得るんだろうと思うがな。
379 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:21:42 ID:VQ0SSg8E0
間をとって四国と言うことで
380 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:21:49 ID:WTRmzDdY0
おまえら、フィールドに出ろ。
381 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:22:42 ID:9LxH2U2O0
382 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:23:48 ID:Irn1tjtc0
北海道の可能性はないですか?
その内卑弥呼がアマテラスとか定番の低知能自慢始めるんじゃねえのかww
あおりでなく畿内説を採る人に聞きたい。 どの文献(別に単行本とかでもいいけど)読んでそう思うの? 読んでみたい。
>>371 対馬から壱岐までが1000余里なのに
壱岐から敦賀までも同じ1000余里という点はどう説明する?
386 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:28:22 ID:0mPPbOuT0
後に吉備も日本連邦に加わるわけ。でも反乱を起こす。 壬申の乱はヤマト人vs伽耶人の争いな。 蘇我氏は国譲りで出雲から太秦に移住した秦氏。 中臣氏はたぶん唐の人間よwちなみに唐は鮮人の国。 日本は半島の土地争いに負けて、唐から来たやつらがのさばり、 蘇我氏から奪い取った京都に遷都。
387 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:28:47 ID:ucn6fzm40
畿内説だと
仮に、の話ですら神武東征その他を説明できません
仮説が立てられないから、都合の悪いものは無視、と
あんまり好ましい態度じゃないね
政治的には正しいかもしれないね、後から嘘つき呼ばわりだけど
そういう都合の悪い事実を権力者が揉み消してきた結果が、現在残ってる歴史かもね
>>372 仮説=断言だという認識から改めた方がいいね
かりに、東征があったとした場合の
その時期のおれの見解を聞きたいんだよな?
まず、記紀の記述で
・大和朝廷は東征の後に成立したこと
・その出発点は九州の日向であること
そして
・大王-卑弥呼-トヨに当りそうな天皇の系譜がないこと
・卑弥呼=姫御子 or 日巫女だとするとアマテラス=卑弥呼説
この辺を前提にして、邪馬台が熊襲に圧されて日向まで縮小した後
新天地を求めて東へ向かった、というシナリオが自然に思えるから
初代天皇は卑弥呼の後ではないか?という仮説にいたるわけ。
>>384 古事記
記載が事実なら卑弥呼の時代には
権威(八咫鏡)を持ち力(天の叢雲の剣)を与えることが出来る斎王が存在したことになる
389 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:30:08 ID:YGfou1tD0
>近畿説VS九州説 もう、そろそろ、こう言ったあたかも二大仮説が対立しているような感じの見出しも意味が無いだろう。 恐らく九州説が可能性として生き残るのは一種「偽僭説的」な構図しかないと思うが… もはや今の考古学の主流の年代観だと卑弥呼の時代には 既に九州にも前方後円墳が出現していて 九州だけで大陸との交流と言うのも考えにくい状況で 普通に考えれば大和を含んだ首長連合が日本側の当事者と見るのが普通。 無論日本の中でワンオブゼムに過ぎない勢力が外国に対し 「自分こそ日本の王」と名乗ったような例はあり それと似たような事が3世紀の日本で起きた可能性は 何処まで言っても完全に排除できない。 まあ現時点九州説はそう言う程度の話しだな。
神話を歴史として主張すべきだと強弁してるやつ、 おまえ、生まれてくる国まちがえたな。
>>376 >神武東征は軍事的行動でなく、ただの継承だと思うよ。
最近でてる通史もの(講談社とか集英社とかの)では
連合国家であった倭国の盟主が北九州から畿内に移ったという説がわりとある
考古学的には東征はありえないけどそういう首長権みたいなのが移転したというのは
想定できるようだ(金印もらったときは北九州だが卑弥呼のころはもう畿内)
これでも邪馬台国は結局畿内になるんだけど
392 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:33:32 ID:Ay+SuEtC0
九州説の場合=九州は韓国が近いから大和政権の起源は韓国ニダ 近畿説の場合=近畿地方は在日韓国人が多いから、大和政権の起源は韓国ニダ
393 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:34:06 ID:IKRKA2M/0
九州説が生き残るには、新たな事実だ必要だが、無理だろう。
394 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:34:10 ID:Ua93RUbE0
台代の正体は神功皇后だよ 天皇家にはトヨの系譜がその後もずっと流れてる もちろん伊勢神宮の外宮に祭られてるのも台代である
395 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:34:12 ID:NQHcxJB40
>>384 帰納法で、九州説はありえないんだよ。
卑弥呼の治世は70年もあるのに、
九州説だと、九州と畿内はまったく関係ないクニだと言ってる。
魏志倭人伝に書かれた倭国の様子は九州だけで近畿は関係ないということだそうだ。
九州が女王をいただいて70年も平和だったのに、その間、近畿と何の交流も国交もないなんてありえない話。
実際、吉野ヶ里からも銅鐸が出ていて、九州と近畿は交流があったことがわかってる。
それなのに、九州説は、近畿とは交流が無かったと言ってるわけだから、
九州説は成り立たないという結論になるわけだね。
396 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:34:13 ID:Pl4zgbI+0
そもそも魏志ってかなり適当なんでしょ
397 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:35:15 ID:ucn6fzm40
>>390 だよねえ。紀元前とか200歳とかありえないだろw
>>387 だから、東征は大阪の守口市か高槻市の日向だって
高槻市には創建不詳と云われる「筑紫」津神社もあるし、
淀川を船軍を率いてと北東の旧小椋池北東の「安芸」山
(現六地蔵付近)に向かい、そこから木津川沿いに南下して
奈良大和の地に入ったんだよ、これが東征の正体だって
399 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:37:00 ID:Pl4zgbI+0
神話はヒントにはなるけど、ヒントどまりだよね 日本人の教養として知っておくべきとは思うけど
400 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:37:09 ID:0mPPbOuT0
鮮人に影響されてるので平安文化は原色使いのコリアンカラー。 ヤマトのわびさび文化とは異なる。 伽耶人はデカけりゃいいと思ってる。奈良の大仏とか。
>>397 年齢は仕方ない
大王不在の時期が結構長かったのに実在の人物だけで間を埋めちゃったからw
表の王と裏の王を合わさて考えるべきところを表だけで編纂した弊害だな
402 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:39:01 ID:8jKqKLs1O
昔「邪馬台国はなかった」って本が流行った 面白かった あの説はどうなったの?
403 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:39:06 ID:NQHcxJB40
>>387 >・卑弥呼=姫御子 or 日巫女だとするとアマテラス=卑弥呼説
まったく、なんの根拠もなく、史実にも書かれてないウソをよくつけるね。
卑弥呼は旦那がいなくて子供が居ない。
アマテラスは、天皇の祖。
この時点で両者に共通点は無い。
しかも、アマテラスは男神という研究もある。
アマテラスを女神とする根拠も、これまた薄い。
404 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:39:11 ID:ToYVo9gl0
邪馬台国がどっちにあろうが 遺跡など考古学的見地から言えば北九州に比べて近畿に強大な政権があったのは明らか
405 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:39:32 ID:FLBqzsykO
まあ朝鮮半島には最近まで独自の文化なんてないし影響されようがない
この時代の人たちって、大陸と船で移動したり 異民族とコミニケーション取れたり、凄くね? いつも、海図のない時代でどうやっていったんだろ? どうやって異国の人と会話したんだろって思うけど だって当時の日本って文字の概念すらないのでしょ…
>>403 アマテラスを男とみなす説なんてほとんどトンデモみたいなもんだろ
408 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:40:24 ID:ucn6fzm40
>>395 >九州が女王をいただいて70年も平和だったのに、その間、近畿と何の交流も国交もないなんてありえない話。
だから、そんなの誰が言ってるの?
脳内九州派相手に議論してもねえ
魏志倭人伝では九州だけで本州はないだろ?
409 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:40:29 ID:IKRKA2M/0
神武東征神話にはディーテイルに欠ける。イリアスやオッデセイアのような ギリシャ神話とは異なる。
410 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:41:43 ID:cSeLQ/Ox0
>>404 それと魏志倭人伝で言うところの邪馬台国とのつながりを示すものは何もない。
記述に合わないもんな。
単に近畿にも同時代に有力な国がありましたという程度の話。
411 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:43:23 ID:Ua93RUbE0
>>395 銅鐸は出雲・越の影響だろう
北部九州と出雲は交流あったし
412 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:43:51 ID:ucn6fzm40
>>403 お前にとって仮説=ウソなのね
じゃあ邪馬台国=畿内説もウソじゃん
なんの根拠もなく、史実にも書かれていない
>>406 ヤマト族は大陸で漢人と交流してたから漢字知ってた
414 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:44:50 ID:NQHcxJB40
>>408 だからね。
九州と近畿が交流があったら、九州説は成り立たないってことだよ。
どおして、九州で70年も君臨した卑弥呼は、とっとと近畿を征服しなかったんですか?
アマテラス=卑弥呼とかアホの定番だからな。相手した奴が馬鹿
416 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:46:24 ID:PD2/1gJk0
417 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:46:35 ID:x/YuQguU0
地方は豪族だらけだっただろうから永遠に決着付かないだろう 記述か測定間違えた奴のせいだけど時代柄仕方ない
>>410 九州に邪馬台国があったとしよう
そして畿内に同時代に有力な国家があったとしよう
んで魏志倭人伝にそんな記述あんの?
邪馬台国の東には強大な国があったなんてないだろ
>>387 卑弥呼 = ヤマトトトヒモモソヒメ
トヨ = トヨスキノイリヒメ
など具体的に記紀の系譜にあたはめる比定も昔から行われてる
この二人はどちらも独身(神とは結婚したが)で親族の関係なので
魏志の記述とも矛盾しない。
みんな詳しい上に熱いなぁーWW 確かに邪馬台国とは日本神話ってこれが現代にもつながってるってされてるのが面白さを倍増させてるのかなぁー
421 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:48:23 ID:NQHcxJB40
だいたいね。 日本書紀の神武東征は紀元前660年なのに、それはウソだといい、 天照大神は女神だという記述は本当だと決め付けるって、 都合よく神話を解釈してるだけじゃない。 天照大神を女神と考えるなら、神武東征も紀元前と考えないとスジが通りませんね。
>>414 >>325 卑弥呼にそんな権限なし。
それで、なんで交流あったら九州説成り立たないんですか?
密な交流があったとしても、何も問題なく九州説は成り立ちますよ?
>>420 当たり前だ。現代日本に生きていながら
歴史の中に宗教や政治を持ち込むやつは絶対に許せん。
タイムマシンがない以上史実を完全に再現するのは不可能だが
できるだけ真実に近づく努力は惜しむべきではない。そう考える。
>>406 例えば、青森の三内丸山遺跡から、富山に近い新潟の糸魚川と交易が
あったというシロモノが発見されているし、またうろ覚えだが
沿海州との交易もあったような?話も聞いたことがあるし、
兎に角、ヤマタイ国の存在時期以前にはるか昔の縄文時代に既に
海を渡る航海術があったということだわな
そう考えると、半島・大陸はおろか、台湾以降南、フィリピン・ルソン島
周辺もなんらかの交易をしていたのかもしれんぞ
と、しかし、縄文時代既に我が国の航海術はかなりあったというのに、
魏志倭人伝の記述のいい加減さには、全く呆れるんだが
一方で我が国の航海術が優れていて、一方の大陸では海での距離感が
滅茶苦茶だと、少なくとも魏志倭人伝についてはそう言える
こう見ると、魏志倭人伝の胡散臭さが臭いまくるんだよな、嘘まみれな感が
425 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:51:17 ID:cSeLQ/Ox0
>>418 朝貢してないんだから中国が詳しく知ってる必要ない。
その東にまた国あり以下のどれかに入ってるかもしれないし
入ってないかもしれない程度。
重要じゃないんだよ。
朝貢してたらまた別だろうけど。
426 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:52:38 ID:NQHcxJB40
>>422 君の空想はどうでもいいんですが。
なんで、卑弥呼の権限を君が知ってるわけ?
>>416 魏志倭人伝では陸を1月歩くって書かれてるトコよ。
銅鐸作ってたのは弥生人でしょ。弥生人は全国に散らばってた。
どっからでも出土して当たり前。
縄文人は山地を好み、弥生人は平地で田んぼを作ったので、争わなかった。
伽耶人とかヤマトが来てから国境ができた。
魏志って倭人伝以外のよその国の記述も適当なんだろ 新しい教科書を作る会の初代会長の西尾さんが 国民の歴史で書いてたよ(キリッ
>>411 越ってなに?中国の越?
日本で越と言えば、「越国」すなわち、日本海側の北陸・新潟だったか?
>>421 畿内説ではアマテラスは誰に比定されているのが主流なの?
432 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:53:34 ID:patuxHBZ0
近畿も九州も古書の記述の位置じゃないんだろ? 記述を信じるとどこになるの?そこにあって滅ぼされたんじゃね?
433 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:54:03 ID:u3sjr4Kq0
歴史学にしろ、考古学にしろ、事実を示すには何らかの 物証が必要になる。 それがないと論理的にこうだろうと誰しもが思っていても それを事実だと公表することはない。 ひとつだけはっきりしていること、それは漢字以前のはるか前に 現在の話し言葉があったということ。
佐渡島説とか沖縄説とか小笠原諸島説があったら面白かったのに
>>429 コシは高志か
出雲・高志日本海側連合体だ
>>421 記紀の記述はまず有る程度尊重される
その上で紀元前660年に王権があったような歴史的事実はないから神武東征は否定され
神話研究でアマテラスを女神だというのはもっともでこれを否定する積極的な根拠がないから女神であるとする
記紀にあるから全部正しい
記紀は全部嘘
そんなわけないだろ
437 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:56:56 ID:CEYUxj3wO
朝鮮を絡ませるから頭が混乱するんじゃね?
438 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:57:14 ID:ToYVo9gl0
439 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 19:59:03 ID:M41qJMjRi
もう邪馬台国は遊牧民の国だったってことにしたらどうだ。
どっちにしても神武天皇は九州人だ 卑弥呼がどこの人間だろうと誰それ? 格が違うんだよ
441 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:01:10 ID:NQHcxJB40
>>430 アマテラスは神武よりずっと古代の神だが、
どうして、誰かに決めないとだめなのさ。
畿内説でいう卑弥呼は、ヤマトトトヒモモソヒメだけどな。
>>436 >その上で紀元前660年に王権があったような歴史的事実はないから神武東征は否定され
>神話研究でアマテラスを女神だというのはもっともでこれを否定する積極的な根拠がないから女神であるとする
この2行が恣意的すぎる。
神武だって、東征してすぐに王権を築いたわけじゃない。自分で天皇(首長として)を名乗っただけ。
アマテラスだって、女神としても伊勢の地方神であり、九州とは無関係という説もあるんだな。
>>438 もろ嘘記述だわな、海の中だなんて、竜宮城ではあるまいし・・・
だから、魏志倭人伝をまともに信仰していること自体、お笑いぐさなわけ
「どこにあった?」議論以前に、そもそもヤマタイ国が存在の有無から
始めなければ、話にならん
443 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:01:40 ID:cSeLQ/Ox0
>>434 琉球説は明石散人という人が唱えてたなあ。
中世のチョン製古地図を示して
以前の中国の日本列島の地理的認識もこの地図と同じように90度曲がっていた。
方位の記述を変換して読むと沖縄に行き着くという話だった。
確かに南国っぽい風俗は合致してそうだが。
>>424 気候がまるで違うから航海の難易度が違った可能性はあるけど
明らかに縄文からあと航海技術のレベルは下降してるんだよな
弥生時代になぜか高地への移住がすすむのと何か関係があるのだろうか
卑弥呼って忍者だろ?
九州の前は朝鮮にいたとか言い出しそうだな
概観しただけでも近畿説のが怪しいよ 九州なんていったことも無いけどなw
>>432 魏志倭人伝の記述を
方向と距離をそのまま解釈すれば沖縄とか台湾あたりになるはずだ。
実際、倭人伝にも中国福建省の東の海上にあるのではないかと書かれている。
これを尊重してごく少数ながら琉球説を唱える人もいるよ
ただこれは、気候帯や風土が似ている中国華中と同じ緯度に日本がある
(つまり日本列島が実際よりも南にある)と考えられていたためだと思われる。
卑弥呼って神功皇后なの? 卑弥呼=日巫女でアマテラスだと思ってたんだけどな・・・
451 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:03:38 ID:ucn6fzm40
>>418 なんでそんなド田舎(当時)の他国を記述すると思うの?
>>419 仮説じゃん
しかも天皇ではない、卑弥呼は女王
>>421 大抵数字はあてにならないだろ
でも地名や位置関係は記述が正確だから
人事物など、「関係性」は意外と信憑性があると思うよ
>>426 卑弥呼は連合国の盟主だよ?
それが侵略軍率いて本州に進行するだけの権限があると思えるのって相当…
>>444 交易と言っても
ダイレクトに青森と糸魚川が交易してたのではなく
あちこち中継されてって文物が流れ着いたと考えたほうがいいんじゃね
>>440 >どっちにしても神武天皇は九州人だ
いやいや、摂津人だって、理由は
>>398 に有るとおり
>>450 少なくとも日本書紀の編纂者は
中国の邪馬台国の記事を神功皇后の時代に入れるのが適当だと考えていたようだ。
>>450 書紀のあそこは変な記述だよな
卑弥呼=神功皇后はどうかなと思う
しかし書紀の記述者がわざわざ魏誌を引っ張ってきて
卑弥呼と神功皇后が同時代人であることを示唆してることに意味があると思うんだが
456 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:07:24 ID:0mPPbOuT0
ヤマト族は元々遊牧民だったから、日本にも何回かに別れて来た。
先に来た人たちは邪馬台国を作った。
後から日向のヤマト族が来て邪馬台国乗っ取り(いわゆる神武東征)。
負けたほうは「おれの国を別に作るもんね!」とかいって津軽まで行った。
>>439 そうだよ遊牧民だよ。「日本」という国の形を作ったのは。
457 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:07:40 ID:947qGmGc0
ジャガイモに関係があると思うな。
459 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:08:41 ID:NQHcxJB40
>>451 >それが侵略軍率いて本州に進行するだけの権限があると思えるのって相当…
そんなに九州が友好的なら、
近畿はどうして九州と同盟しなかったの?
卑弥呼を崇めて共立すれば、九州と近畿の有効は深まり、近畿の交易にとって都合がいいはず。
近畿が、九州と同盟をもとめない理由なんて無いよ。
ほら、結局、九州説は、九州と近畿が70年も無関係だった、と不自然な主張するしかないじゃない?
>>420 一言でいえば、みんな「司馬遷に騙されている」んだよ。
もちろん司馬遷が書いたわけじゃないが、
司馬遷のエピソードを、全然関係の無い倭人伝に勝手に投影して、
「中華文献は、(日本神話と違って)正確である」
と信じているんだ。もはや、聖書の創世記の記述を現実世界に求めるレベルのこっけいさを、
滑稽と感じずにやっている。
ノアの箱舟の漂着地を、トルコの山奥で必死で探している一部のアメリカ人は馬鹿にする癖に、
邪馬台国の所在地は、当然存在した国であるとして、必死で探す。
全く同じなのに。
邪馬台国の実在を信じる人は、
5000年前の天地創造を信じる超保守的キリスト教徒を決して批判してはいけない。
実は同じレベルだからだ。
>>454 日本書紀の年記だとまさに卑弥呼の時代になるからな
462 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:09:37 ID:u3sjr4Kq0
やまとの意味は? これを漢字で表すのはおかしいよ。 その頃漢字はありませんから
463 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:10:45 ID:0mPPbOuT0
ま、ヤマト族が邪馬台国を支配してたというよりは、 倭人に米をもらう代わりに国境警備してたってのが正確なんじゃないかねえ
464 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:12:12 ID:f90zWZU+0
>>460 お前、キチガイだろw
ノアの箱舟と邪馬台国を同列にしている時点で
お前はキチガイだ。
そろそろ ヤマタイ国=台湾 でよいだろ
466 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:12:56 ID:CEYUxj3wO
朝鮮とか遊牧民とか外せばいいんだよ むしろ海洋民だろ 中国から言わせれば変態になったらしい 単に、九州に卑弥呼が一時期亡命政府を作ってただけじゃね?
>>462 中国人は今でもコカコーラやマクドナルドでさえ漢字で書くんだから
あくまでも音訳だよ。漢字でしか表記できないだけの話。
468 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:14:00 ID:947qGmGc0
469 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:14:23 ID:+uSm7Qn00
九州にあった卑弥呼亡きあとの邪馬台国を 朝鮮半島から渡ってきた天孫族が征服して出来たのが大和王権 その首長がニニギ こんなの常識だよ。手塚治虫の火の鳥にもそう描いてある。
470 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:15:20 ID:FLBqzsykO
手塚もアホ丸出しだからな
471 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:15:59 ID:u3sjr4Kq0
魏志倭人伝には13歳の女王も出てくるわけだが、誰だよそいつは
472 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:16:54 ID:NQHcxJB40
手塚の時代の話を、いまでもずっと引きずって信じてるって、どんな中年だよ。
473 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:17:04 ID:ucn6fzm40
>>459 いちいちピントがずれててどうしようもねえな
>そんなに九州が友好的なら、
なんでそんな考えが出て来るんだ?幻覚でも見えてるの?
>近畿はどうして九州と同盟しなかったの?
同盟ってのはお互い敵がいる時に結ぶもので、居なかったら結ばない、政治でも勉強しろよ・・・
>ほら、結局、九州説は、九州と近畿が70年も無関係だった、と不自然な主張するしかないじゃない?
お前の頭じゃそうなんだろうよ
交易はあったと、もう証拠は発掘されてる
でも九州説に全然不都合はありませんが?
無関係だったと九州派は主張している、とか
関係があったら九州説はなりたたない、とかお前の妄想に過ぎない
近畿にあったのは邪馬台国では無く ニギハヤヒ(物部)の国だろ 普通に記紀読めば
475 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:17:57 ID:0mPPbOuT0
>>464 博多から延々数百kmも南に陸地が伸びていて、
そこに謎の女王が君臨するなどという話を、
一体、どうして「ノアの箱舟」と違う、信じない奴は基地外などとと言えるんだ?
おまえさんたちは、どこのパラレルワールド日本列島に住んでいるんだ?
要するにだなあ、地理書なのに地理的記述が滅茶苦茶極まるんだよ。
普通に考えれば、「信頼に値しない」ということになる。
そして、全く信頼できない地理的位置を前提にした「邪馬台国」なんて、
存 在 自 体 が 甚 だ 疑 わ し い ということになる。
ノアの箱舟に例えたのは、宗教経典でもない出鱈目地理書を根本経典にして
「邪馬台国真理教」に陥っていることを揶揄するためだが、
中国史書(に限らずヘロドトスなども同じだが)には、
辺境の記述になると、「女人国」やら空想の国が続出するのが普通だ。
477 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:18:58 ID:CEYUxj3wO
だからさ邪馬台のころは朝鮮は海洋民のエリアで 中国との緩衝地帯だから 卑弥呼の出番だったんじゃないか それが主客転倒して歴史観がズレると
学問の問題じゃなく、観光資源の問題だから、 関係者はどちらも譲るわけが無い
>>469 まあ、アニヲタは、人類はリリスから派生して、
既にセカンドインパクトが起きたものとし、
サードインパクトが将来おきると信じて止まないだろうから
アニヲタを議論に誘うと突然世界観が二次元と化すから、
アニヲタは除外の方向で
480 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:20:21 ID:Jf1pmZ9H0
またか! もう近畿に確定なのにいちいち九州説とか頭おかしいんじゃね?
近畿確定の証拠って何?
483 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:21:39 ID:PrvDAtkZ0
北部九州のいわゆる”倭”の勢力と 東遷した神武天皇の勢力は別だ。 神武天皇は日向から東遷を開始し 宇佐を径て、大和へ至るわけだが、 日向灘沿岸から豊後水道、瀬戸内海へ 移動する。 福岡筑後の勢力は関係ない。 筑前筑後肥前肥後と日向豊前豊後の間には 九州山地があって、互いに独立している。 卑弥呼は福岡筑後 神武は日向宇佐
484 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:22:06 ID:947qGmGc0
結局何が出土したら決着するの? 銅鏡?金印?>邪馬台国の位置
485 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:22:07 ID:NQHcxJB40
486 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:22:22 ID:ucn6fzm40
>>474 普通に読んだらそうとしか読めないのに
なんで畿内派はアクロバットな読み方を必死にしようとするのかね
結論ありきで学問やってるようにしか見えない
>>478 それだけじゃなく、何か政治的な思惑が入ってそうだ
487 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:22:38 ID:lPsDX8f30
九州説言ってる大学って、もう一つしか無かったような 佐賀大だっけ
488 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:22:52 ID:CEYUxj3wO
また極論とかの混乱術か 朝鮮主導説から忌避への誘導か
ちっちゃな集落見せて邪馬台国です!って言いきるのも商売だな。同時代にはるかに 大きな国がありましたって事実は伏せておくことをオススメするがwww
490 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:23:05 ID:u3sjr4Kq0
>>475 なんかこれ見るとおかしいな
なんだか他の国の連中は回りに似たような遺伝子の連中がいるようだが、
日本だけが周囲と隔絶された遺伝子集合体に見えるのは、気のせいか?
>>460 では畿内を中心とした古墳から
その中国の魏の年号を刻んだ鏡が出土してる事実についてどう思う。
この鏡がどこで作られたのかはいまだに論争になってるけど
邪馬台国があったと中国の歴史書が書いた
その1世紀あとぐらいの有力者たちがこの鏡を古墳に納めてるんだから
彼らは邪馬台国が魏から鏡をもらったという事実があったと考えてたんじゃないかな。
こういうスレでは話題になることは少ないけど
いまはそういう考古学的研究が歴史検証の中心になってるのさ。
493 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:23:57 ID:fZCVtiAQ0
>>474 そうだよ、大和は物部氏の:国だよ
現在の日本のルーツだよ
>>483 宇佐神宮の前身とされている神社って、
田川とかに有るんじゃなかったか?
495 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:26:56 ID:0mPPbOuT0
>>486 そりゃそーよ
伽耶人(物部)が大和朝廷を乗っ取ってた時に作った書物なんだから
名古屋人と岡山人は昔からそんなんです
どう考えても使者は邪馬台国まで行ってないだろ 途中まで行ってその先の話は聞いた話を元にレポートをまとめてあるだけ
497 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:28:09 ID:ucn6fzm40
>>485 トヨは女王
トヨスキイリヒメは天皇ではない
お前の歴史認識に常識がないことはわかった
>>491 三角縁神獣鏡は国産だろ
でたらめなシナ語が書かれてるし
シナでの発見が無い
498 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:28:34 ID:PrvDAtkZ0
>>494 田川は筑豊ですな。
それもかなり東よりの。
宇佐神宮の祭神で、宗像三神がルーツという説もあるが
それはないだろ、と個人的には思っている。
>>497 だから鏡が国産だとしてもいいんだよ。
かりにそうであってもそこにわざわざ魏の年号を刻んだ意味のことを問うてるんだ。
500 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:30:01 ID:CEYUxj3wO
急に蘇我氏の存在感が無くなる
松本清張が九州って言ってんだから九州だろ
502 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:31:08 ID:0mPPbOuT0
>>490 そう、すごく特徴的なんだそうな。
黄緑のD系が特に稀少。他にはチベットくらいにしかないらしい。
真面目で賢くてシャイでオタク気質な民族らしい。
だから、他の場所では駆逐された。
503 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:31:11 ID:NQHcxJB40
>>497 神武は4世紀だと、神話解釈しておきながら、
>トヨスキイリヒメは天皇ではない
ということは信じるっておかしいだろ。
トヨスキイリヒメは斎宮だが、
記録に残っていないだけで、女帝として即位してたかもしれない。
そういう例は、弘文天皇にもあてはまる。
清張は豊前小倉の人間だろ
九州はなんにも無かったんだよ。イワイがいただけ
>>496 皇帝の命を受けた使者が行ってないわけないだろ
>>491 考古学的に見れば、その時代、西南日本では、
鏡は宗教器具として、汎用品のように国内製造されて流通していたわけで。
銅鐸を作れるレベルの青銅器を扱う技術はずっと前から保持していたのだから
字が読めなくったって、それらしき型を作ってニセモノの鋳造は簡単に出来る。
汎用品になっているから、
「西南日本では鏡がありがたがられたらしい」以上の意味は何もない。
中国人にとっては、特に宗教性はないから、
あたかも「東京浅草で、縁日のお面を何より有難がったブッシュマンの某氏」をネタにした
(彼は、普通に文明生活を知っていて、実はあれはネタだったらしいけどね)
日本の昔のテレビ局と同じような感覚で、
「やたら鏡をくれくれといって有難がるから、あげてやったわけだが」
という呆れと驚きが、中国史書の内容になる。
これは、洛陽宮廷の記述なので一定程度の信ぴょう性はあるだろう。邪馬台国の所在とは違う。
508 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:34:05 ID:TjPfEMVoO
>>332 そういうことなのかな?
じんぐう皇后の朝鮮出兵も、実際に朝鮮に出兵したというよりも、
何かしらの大きな出来事を置き換えた話しとみる方がつじつまが合うもんな。
509 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:34:10 ID:ucn6fzm40
>>499 ああ・・・でもわざわざ隣国の風土記を再現する意味は?
>>506 行ったことにしないといけないから適当にレポート書いたんだろ
どうせばれるわけないのに何でそんな辺境まで命かけて行かなきゃなんないんだよ
たぶん朝鮮の南端くらいの街で酒飲みながら書いたんだよ
511 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:36:13 ID:cSeLQ/Ox0
>>497 >でたらめなシナ語が書かれてるし
ちゃんと意味がある日本で発生した文字かもしれないよ。
>>508 つい最近邪馬台国の謎という本を書いた研究者は
ジングウ皇后の三韓征伐を否定する積極的な根拠はないといってたな
>>507 >字が読めなくったって、それらしき型を作ってニセモノの鋳造は簡単に出来る
問題はそこだよ。あんたが示唆するのはつまりお手本になる鏡があったってことだろ。
514 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:38:06 ID:ucn6fzm40
>>503 女帝として即位してたかもしれない、って根拠無しだろ
この人がトヨと見ていい、なんて言えるとは到底思えない
>>511 いや、もう翻訳されてる
下賜品ではありえない
515 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:39:35 ID:HLrPahdT0
邪馬台国=ヤマト国に決まってるだろ、阿呆かw
神功皇后は九州から朝鮮を攻めたんじゃなくて朝鮮南部から北部九州に乗り込んできたって推理もあったはず
517 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:41:10 ID:ucn6fzm40
>>475 なんか日本語ってスリランカあたりに共通点があるんだっけ?
インドあたりから海路で来た人種だったりするのかもな
>>510 お前中国なめてるだろ
どんな辺境でも行くぞ使者は
だいたい正始元年倭王に会って下賜したとあるだろ
そんな昔のことなんぞ、いまさらどうでも良い
>>490 だからさ、インド南部・チベット・日本に見られるDの遺伝子から、
かつて、インドからチベット、かつてのスンダ大陸から、台湾、
沖縄、日本にかけての海岸部沿いに同種族がもともといたんだよ
そこへ北方からOを持つ遺伝子族が旧スンダ大陸部周辺へ南下し、
東南アジア周辺へ、中国・半島、日本へと徐々に拡大した結果が
D遺伝子を持つ種族との同化・駆逐だったと思われ
一方で、フィンランド系・シベリア・ヤクート・チュクチ系のN遺伝子を
もつ種族ももともと北日本にいたと・・・
スパンは、少なくとも一万年は経っているというお話
522 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:42:23 ID:cSeLQ/Ox0
>>505 磐井の九州は高麗・新羅・百済・任那の朝貢を受けていた
独立国家だと他ならぬ日本書紀が書いているなあ。
国造呼ばわりは負けたからだろうな。
523 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:42:26 ID:YGfou1tD0
しかし、2ちゃんですら九州説はマイナーな立場になってるんだな。 でも正直、九州にあったほうがロマンチックだよなw 恐らく萌えキャラ化するんだったら九州説のほうがやりやすいと思うwwww 事実過去の邪馬台国ネタのマンガなんて九州説だったわけでw
>>518 倭王って朝鮮半島南部か遠くても博多あたりの酋長じゃないの?
525 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:43:17 ID:NQHcxJB40
>>514 九州説がありえないんだから、畿内説しか残らないだろ。
卑弥呼が70年治世してて、九州と畿内が無関係だったというキミの主張は、非現実的だ。
526 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:43:21 ID:dZEEKHcY0
>>3 半分正解。
半島から渡ってきた優秀な人だから。
>>496 博多平野までは来たみたいだな。そこまでは一応正確。そこから途端に滅茶苦茶になる。
普通に考えれば、「そこから先は、博多に滞在して、伝聞と空想で適当に書いた」と考えるのが常識的感覚だ。
要するに、中華帝国としては、接触する正面に当たる九州北端だけ押さえておけばよい。
中国にとって、東の海の対岸真正面になる九州北西部だけ押さえれば、あとは「どうでもいい」
自国にとって脅威でも何でもないから、変な国を適当にねつ造しておけばよい。
どうせ直接アクセスしてくる脅威はない。
有難いことに、鏡を貰いに朝貢してきた「邪馬台」なる部族は、「博多ではない。もっと奥だ」と言ったのだろう。
これ幸いと、胡散臭さ全開で小説を書いたわけだ。
なぜ、記述が詳細かって?
習俗を(中華の常識から見て)奇妙奇天烈に書けば書くほど、距離を引き延ばせば引き延ばすほど、
「遠くの変な野蛮人がやってきた」となって、皇帝の威厳は高くなる。
>>517 それはこのあいだ死んだ大野晋の説だが
いくら偉大な国語学の権威の学説からといって
日本語タミル語起源説がトンデモなのは間違いない。
騎馬民族王朝説のようなもんだ。
529 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:45:39 ID:u3sjr4Kq0
「鏡」・「太陽(光線)」と「前方後円墳」かあ・・
530 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:46:03 ID:nG45Qlej0
>九州説の代表として高島忠平・前佐賀女子短大学長 日本史板では、もうこの人以外はみーんな近畿説に傾いているとの話だったな。 あとは狂信的な地元系の郷土史家(笑)ばかりで九州派総壊滅状態。 ほぼ纒向遺跡周辺にヒミコの墓があり、邪馬台国から紆余屈折を経て ヤマト王権になったのであろう。
531 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:46:26 ID:CEYUxj3wO
何か愛国バカと半島バカの我田引水合戦だな
卑弥呼がモモソヒメとか、台与がトヨスキイリヒメとかだと その頃って男の天皇がちゃんといる訳でしょ? なんでわざわざ女王が治めているって報告すんのかな?
533 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:47:54 ID:w6VCt+vB0
漢字にヒントが隠されている。 王朝=王様は漢民族ではない。 廟=高貴な墓に埋葬される権力者たちも漢民族ではない。 さて邪馬台国だが 邪馬台国は漢民族先祖が作った国名である。ある説によると 邪は日であり。ほんとの国名は 日馬台国のようだ。韓国朝鮮という強姦率が高すぎる民は大昔から{日}を民族文字 として大切にしてきた。縄文国に上陸してきた古代朝鮮人たちが縄文人に同化し国名を 「日本」にしたのを見ても分かるだろう。邪馬台国のほんとの国名は 日馬台国である。山口県にあったと思え。
534 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:48:01 ID:brab53yq0
両方にあったとは考える奴は居ないのか? それだけ広い影響力を持ってたと
535 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:48:52 ID:TjPfEMVoO
>>512 ぎゃ、逆にじんぐう皇后が向こうから渡ってきた人の象徴だったりとかは…?
新しい民族(集団)を一人の人間に置き換えて物語(神話?)となるのはよくあるし。
土着民だろが渡来人だろが、征服した方を正統とするもんだから
話しがあべこべになったりする。
そもそも夫でる天皇(ちゅうあい?)の影が薄すぎる。
これは寓意的ではないですかね?
ないか。
536 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:50:03 ID:ucn6fzm40
>>525 >九州説がありえないんだから
お前の脳内だけでな
>九州と畿内が無関係だったというキミの主張
妄想ソースでしか物が言えんのか
>>528 まあそこはよく知らん
でも
>>475 で見ると特アよりむしろチベットと似通ってる
537 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:50:45 ID:NQHcxJB40
>>532 中国人が「女王」と認識したからといって、実際に女帝だったかは、また別の話。
実際は男王(天皇)だったかもしれないが、神託を巫女から得ていたなら、巫女を女王と中国人が認識してもおかしくないな。
実際に、箸墓は、大王クラスの墓だし。
邪馬台国は 近畿から中国地方そして九州にまたがる大国だった じゃだめなの?
540 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:51:25 ID:PrvDAtkZ0
近畿説って、魏志倭人伝の伝承はでたらめで信じられないという立場だから 卑弥呼と繋がる情報は何もない。 長里にするとそもそも、日本に収まらない 短里にすると、九州から外に出ない 短里で方向の通りでは、畿内の方向に向かない。 また。魏志倭人伝にかかれている風俗は南国を示唆している。 だから、距離と方向と風俗は間違いだというのが 畿内説の立場。
542 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:53:10 ID:u3sjr4Kq0
京都御所の前面には「桜」と並列して植えられているのが「橘」(古のかんきつ類) なにを意味してるんだろうね
543 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:55:35 ID:NQHcxJB40
>>536 九州と畿内が無関係だったというのは、キミの主張でしょう。
九州は近畿を侵略してないし、同盟もしなかった。
互いのクニの王は、クニ同士の関係に無関心だった。
これを無関係と呼ばないなら、どういう関係があったというのだ?
そもそも、キミのほうから、九州と近畿はどういう関係なのか説明がされてないが、
そろそろきちんと説明してはどうかな?きみの歴史認識が聞いてみたいね。
卑弥呼は70年治世してた、その間、九州と近畿はどういう関係を築いていたのかね?
>>532 卑弥呼には男の弟がいて卑弥呼は表に出ず
そいつが配下との謁見や日常の政治をみてたと受け取れる記述がある。
その男弟をあえて比定するなら彼が崇神天皇だということもありうる。
男女でともに政治をみるというあり方は実は古事記の中にもみられるから
シャーマンとしての女王と世俗を司る男王がこの時代は
まだ未分離の状態だったたも考えられる。
545 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:56:50 ID:0mPPbOuT0
546 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 20:56:51 ID:ucn6fzm40
記紀はウソ 魏志倭人伝はウソ と言わなければ成り立たない畿内説
>>534 >>538 畿内説がそれ。九州は畿内の支配下。
畿内説も、中国の使節は九州に上陸したことでは
一致してる。
そこから途中までの道のりは、九州説と同じ。
最後の2ヶ国、→投馬国→邪馬台国で
九州から出ないのが、九州説。
九州を出て、畿内に行ったというのが畿内説。
>>544 >男の弟
わざわざ”男”ってつけなくても、女の弟はいないと思うよ
>>540 最近は魏志倭人伝の解釈でも畿内説の方が優勢ですよ。
丹が山があるのは四国と紀伊半島だからね。
九州には弥生時代の採掘跡がないし。
九州説はこれを指摘されると今の所どうしょうもない。
551 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:00:40 ID:mXs3de7O0
そもそも ・倭国の「倭人」 ・「弥生人」 がイコールに近いと考える根拠が 疑問なわけだが。 倭人の記録は周代から朝貢記録とかあり 黄海〜東シナ海の海洋民と思われ 弥生の農耕民とは違うのではないか。 倭人の「倭国」は海上帝国と思われ、 弥生農業国の一部を征服占領していたとしても その王が近畿の内陸に都すのは 無理と思われ。
552 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:01:16 ID:PrvDAtkZ0
ついでに、里程の距離も信用できない。 記紀に書かれている、神武天皇は日向ではない。 東遷も間違い というのが畿内説
>>548 ハハハ。突っ込みありがとう
国語的にはそうなんだけど、原文に男弟とあるんだよ。
>年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて國を治む
>>549 というか九州説といえば短里説だからな
それが成り立たないんだから
畿内説最大の弱点である方向は古代の地理認識の点からクリアしてる
九州説は距離の問題まったく説明できてない
555 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:03:23 ID:ucn6fzm40
>>543 >九州と畿内が無関係だったというのは、キミの主張でしょう
妄想ソースの決め付けが畿内派の主な主張だから信用できないんだよ
交易関係があった。これは確定。
使者のやり取りぐらいはしていたかもしれないな、記録はないけど
その記録にないことを決め付けようとしてるのが畿内派だろ?仮説でなく。
>>547 テキトーな印象操作してるなあ
九州と畿内、両方に大勢力があったのは共通認識だろ
556 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:03:35 ID:brab53yq0
>>547 古代に置いて九州が畿内の支配下ってのが納得いかないんだよなぁ・・・
どう考えても先進国家に近く交易が盛んに行い易いのは九州だし
まぁその内に畿内に政治の中心が移動したのは間違いないと思うけど
557 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:03:57 ID:PrvDAtkZ0
畿内説は、片っ端から文献を否定するのは べつにかまわんのだが それは邪馬台国自体を否定していることになると思うのだが。 だから、畿内説自体が成立しない。
>>550 九州に上陸して、1ヶ月だから畿内だ
って話なのに、
若狭湾に上陸して1ヶ月なら
邪馬台国は関東・東北だな
倭人伝の邪馬台国なんて当方見聞録のジパングみたいなもんだろ
>>552 神武天皇は日向出身だと思うよ〜宮崎県に「百済の里」とかあるっしょ
でも魏志倭人伝の「対馬國」は対馬とは限らない。
漢字が合ってるのおかしいもん。後から書き直したのはガチ。
だったら、書き直す前は違う字だったかもしれない。
561 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:06:06 ID:PrvDAtkZ0
長里だと、帯方群から5000キロ程度になる。 距離だけなら、オーストラリアの一歩手前まで 行くくらいの距離だ。 どう遠回りしても、日本には収まらない。
563 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:06:43 ID:NQHcxJB40
>>555 >使者のやり取りぐらいはしていたかもしれないな、記録はないけど
ほら、だからね、そういうふうに、九州と畿内がほどよい関係であったなら、
どうして、近畿は積極的に九州の卑弥呼と同盟しようとしなかったと思うの?ってことですよ。
国交を深めたほうが、利益がでるでしょ。畿内は鉄器も欲しいでしょうから。
どうして、近畿は、九州に擦り寄らなかったのか?説明しなさいよ。
564 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:06:55 ID:ucn6fzm40
>>554 >>558 昔の書物は数字が当てにならない。
方向や関係性は当てになる。
これで説明がつくよ?
>>556 稲作の説明もつかなくなるんだよねえ…
ふつうに考えたらまず、上陸地点の文明が栄えるはずだもん
565 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:08:58 ID:FLBqzsykO
また勝手に天皇半島起源説か。畿内説否定したいきむちはわかるが無理だな
566 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:09:04 ID:HLrPahdT0
魏の使節を九州のどっかで酒池肉林にして足止めして、 ヤマト国の首都はずっと南の方にある、なんて誤魔化し たんじゃねーの。文献馬鹿には想像できないだろうけど。
>>564 だーから稲作はそこそこ暖かい平地ならどこでもやってただろーに
568 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:10:06 ID:PrvDAtkZ0
一番古い稲作跡は、松浦の菜畑形跡だっけ 縄文末期らしいが
政治の中心が動くのは 1.他に有利な土地が見つかったので移った 2.元の土地が危険になったので逃げた のどちらか
朝鮮はかなり稲作遅れたな。日本に千年単位で遅れてる
女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。 >「帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里」 帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000) 末盧国→奴国 700里 (500+100+100) すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。 対馬国→一支国が1000余里。 これが対馬と壱岐なら、68km。これが1000余里ということになる。 あるいは、一支国→末盧国もやはり1000余里となってる。 末盧国が唐津なら壱岐〜唐津で約40km。福岡なら、壱岐〜福岡で約60km。 奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1〜2時間くらいのところに邪馬台国はある。 方角は南だ。投馬国も邪馬台国も、はっきり南と書いている。 さらに >「女王国より北は道里や戸数を書けたが、それ以外の国は遠くてわからない」 ともある。つまりそれまで書いた国(末盧国・伊都国・奴国など)は邪馬台国より北ってことになる。 もちろん、「1300里を水行陸行1ヶ月かかるのはおかしい」という疑問はある。 だが距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし (末盧国の描写で、草が生い茂って、前を行く人の姿も見えないとある) 台風などの増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。 それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。 それまで日数は一切書いてないんだから、これが全体の日数という説も説得力がある。 いずれにせよ「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、 日数を主張する人は、これをまるで書いてないかのように完全無視してる方がおかしい。
572 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:11:29 ID:zY6/f5gZ0
邪馬台国が畿内だったとしたら、機内が九州を支配してたことになる。 馬もない時代にどうやって支配したんだ?
>>564 何の説明にもなってないだろ
これこれこういうことで当てにならないといわないと
水稲は入ってきてあっという間に広がってるから
猪野だ猪野 天照もおわしめす猪野が邪馬台国。決定。
576 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:15:12 ID:Ywl1I7or0
翰苑では [斯馬][伊都][邪馬台]が並んでると書いてあるから やっぱり九州なんじゃね?
なんで九州が畿内を支配してたとは思わないの?
578 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:15:40 ID:ucn6fzm40
>>563 説明したのにお前読まないじゃん
読んでも理解できないだけ?馬鹿だからこれ以上噛み砕いて説明できないわ
そもそもなんで同盟したら利益が出るの?
交易だけで充分だから同盟なんてする必要ないじゃん
脳内政治理論だけでものを語らないでくれる?
579 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:15:57 ID:mXs3de7O0
>>568 だからそのあたりから
縄文末期1000年くらいかけて地道に陸伝いに拡がったのが
弥生の農耕民だと思われ。
それに対し倭人は
海上交易で接触があっただけで
イコールでも何でもなかったと思われ。
そうでないと
三韓時代の半島に
倭人が「そこぶる多い」状態だったのが
理解しにくいと思われ。
倭人は大陸側の拠点が政情変化で危うくなり
古田説の天下り=侵略で
九州とかに新拠点を持ったのが
倭国の実態と思われ。
>>572 畿内説でも邪馬台国が強固な領域国家だと主張してる人はほとんどいないと思うけどな。
邪馬台国連合という言葉があるぐらいだし。小国家の連合体というふつうの解釈じゃまずいんかね。
581 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:16:37 ID:fRUELcov0
最近の流れは近畿説なんだろ?それでええやん、こんなもん。
韓半島からの渡来人が興した国なのだから九州が政界だろうな
583 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:17:47 ID:u3sjr4Kq0
三内丸山遺跡って青森県にあるんだよね 8千年前に栗の品種改良って記事見たぞ
実際に発掘されるまでは邪馬台国なんて迷信だ。トロイと同じだ。
585 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:18:19 ID:pvDaHNhH0
>>557 そもそも、邪馬台国論争が大きな問題だったのは、
日本という国の成り立ちを解明する手がかりだからだろ。
3世紀の日本はまだ小国分立の状態だったのか?
それとも、統一的な政治勢力があったのか?
その政治勢力は、大和朝廷の前進なのか、関係ないのか?
朝鮮半島との力関係はどうだったのか?
で、近年の考古学的成果によって、邪馬台国の時代の畿内に、
日本列島に影響力を及ぼす大きな支配勢力が存在した
ということが明らかになってきたから、
ある意味で、そのころ「邪馬台国」という名前の国が、
どこにあろうと本質的な問題ではなくなってきている。
586 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:18:31 ID:mXs3de7O0
>>582 >韓半島からの渡来人が興した国
ソース希望
587 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:19:00 ID:Ywl1I7or0
オレは「平和台」という地名が限りなくクサいと思うんだよね。 あれ、もともとは「邪馬台」だったんじゃないかと。
589 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:19:35 ID:qZxUDbN10
カラ出張の報告書という説もある。 遠くに行けば行くほど、時間をかければかけるほど、 手当が多くなるから、苦労したように報告書を書いたという・・・
結局邪馬台国は日本じゃなかったってだけだろう。 邪馬台国(九州)と大和王朝(近畿)が同時にあったんだよ。 んで邪馬台国だけ滅んで大和王朝が併合した。 これが一番しっくりくる。
やっぱ九州と畿内の人たちは譲れない思いとか持ってんの?
592 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:19:44 ID:ucn6fzm40
>>573 天皇の年齢や皇紀は当てになってるとでも言うの?
そして地名や位置関係は現在と照らし合わせてデタラメかな?
あわせて考えれば答えは出る
>>584 だから「説」なんだろ
信憑性があるのは民間伝承じゃなく魏の正志に書かれていたからで
>>571 近代まで対馬海峡朝鮮海峡が実際以上の長距離に想定されてる
あと恣意的すぎる
伊都国から奴国までの100里をもとにすると
これは今で言う前原市から春日市で30kmくらいの距離になる
これをもとに投馬国→邪馬台国は400km近い長距離になり
とうてい九州には収まらないわけだが
595 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:20:11 ID:fRUELcov0
よこしまうまだいこく・・・と読んだ可能性はないのか?
>>551 弥生人=倭人は元長江流域民、小柄で東南アジア寄りの丸顔。
アイヌ人が日本人を「シャモ」と呼ぶのは、「シャム(タイ人)」が転じたもの。
昔ながらの背が高くてチョン顔のイメージ図は間違い。
597 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:20:49 ID:YGfou1tD0
>>572 そもそも力ずくで支配したんじゃなくて
むしろ九州の方から寄ってきた。
もともと九州で作られた青銅器が山陰で見つかったりと
北部九州は本州と手広く交易をしていた痕跡がある。
まあ良いお客さんだったろうとw
あと「馬の無い時代」云々に関しては日本の古代史全体に言えることだが
やっぱ瀬戸内の存在が大きかっただろうな
邪馬台国論争の真の争点は 古代に西日本を統一するような巨大勢力がすでにあったかなかったかだろ 自分は邪馬台国なんてなかったと思うけど
で、この時代関東は何だったの?
>>571 女王国とは卑弥呼が都する国、
女王国とは女王を共立した諸国の事。
畿内説ではこういう解釈が多いのです。
その女王国の境界が奴国とあるから、
女王国の範囲を大分、あるいは山口辺りを境とすれば
「女王国まで萬二千里」になりますよ。
女王国=邪馬台国なんて倭人伝には一言も書かれてないし。
602 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:23:11 ID:u3sjr4Kq0
香具山って何
603 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:23:28 ID:lQkwN5bmO
ヤマトタケル、川上タケル、クマソタケル タケルってどう言う意味だったのかね?
昔の距離感を現代に当てはめるってかw 卑弥呼は伊都国に居たんだよ 邪馬台国は部族連合王国なんだよ 三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だなどと、笑わせてくれる
605 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:23:47 ID:jRpZ10AZ0
邪馬台国は南方の沖縄あたりの国だな… 年中温暖な気候だったなら
606 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:24:00 ID:FLBqzsykO
ちょっと後には南朝鮮従える国になるんだからある程度国の形があったかも知れん
607 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:24:25 ID:brab53yq0
>>598 統一してる必要はないし、むしろ南の国に圧迫されて、魏に助けを求めてる弱小連合って感じだが。
609 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:25:44 ID:Ywl1I7or0
魏志倭人伝は源氏物語のような創作だった可能性も高いだろ。 継いだ王が女性ならわかるが、初代が女性というのは世界的に例が無い。 卑弥呼も創作で当時の奴等が萌えてただけだろ。
道が悪けりゃ近くても日数なんて二倍三倍になるしなあ
612 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:26:40 ID:0mPPbOuT0
>>579 半島の伽耶国は弥生人とは異なる漁民。
でも中国人から見りゃ小柄なら農民も漁民も一緒くたに「倭人」だったんでしょう
>>599 しらんよ。あるいは関東は
邪馬台国とはりあってた狗奴国の範囲かもしれないけどな。
ちなみに畿内説の本拠地マキムク遺跡からは南関東産の土器も出土してる。
卑弥呼が初代なのかwww なんかおまえら凝り固まり過ぎ 単に魏が認知した時点の女王が卑弥呼
615 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:28:22 ID:ucn6fzm40
>>591 納得できる証拠や説明が出てくればいくらでも譲るよw
どうにも胡散臭い部分について、ここおかしいんじゃないの、って質問して
お互い事実に近づいていければいいな、というのが議論だろ
論破!おれの勝ち!にしたいのもいっぱい居るみたいだけどw
>>609 記述では女王国と邪馬壹國は別けられています。
618 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:28:58 ID:Ywl1I7or0
記紀見りゃちゃんと「マキムク」に本拠を構えていた天皇さんがいるだろ、ちゃんと。 巻向遺跡の主人はその天皇さんだよ。 もちろん卑弥呼とは別人だし、邪馬台国とは別の場所だが。
620 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:29:07 ID:NQHcxJB40
>>585 一番、確信をついてるね。
すでに、3世紀に、九州〜近畿は交流してたことがわかってるし、
九州、近畿双方に大きなクニがあったということまでは、誰も否定しないだろう。
ID:ucn6fzm40でもな。
で、一番広域に交易していたのが畿内。
畿内は九州〜東海と交易をしていた。
九州一島よりも、はるかに広い範囲で、人的交流があったことがわかってる。
これがつまり大和王権の始まりとして確定。
魏志倭人伝や記紀神話はどうでもいい話になってるというのが事実。
621 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:29:56 ID:XocBSUD+0
畿内説は歴史書に記載されている植生と当時の奈良の植生が異なるという話を聞いたんだけど。 思い切って岡山という可能性は? 卑弥呼の時代周辺に国内最大の墳丘墓があるし、 水銀朱も大量に検出されたとか?
>>617 ええー。関東はリアル外国だったんかよ・・・。
起源ニダと言ってるのは、九州のアホどもだ
>>610 卑弥呼が初代だなんてどこにも書いてないぞ。
>その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。
>倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。
>名付けて卑弥呼という。]
だから卑弥呼のまえは男の王だったことがわかる。批判する前に確認ぐらいしとけ。
625 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:31:19 ID:Ywl1I7or0
>>616 女王の都と女王国が別だ、と言う方が証明責任があると思うが?
普通は誰が考えても女王の都する所=女王国だと解釈するだろ。
違うなら、そう記述しないと読者はわからない。
626 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:31:29 ID:Fqz0HgrM0
天皇は朝鮮人ですよ。ホリエモンが言ってた。
女王がいたとしたらそれはやはり福岡県東部だと思うけれども
628 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:32:17 ID:u3sjr4Kq0
津軽とか筑紫とかの地名って日本の国家成立以前からあったろ、何これ
631 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:33:55 ID:Ywl1I7or0
南の島から渡ってきた人たちがつけた地名でしょ スルガなんて南の方の言葉で輝くナントカとかいう意味とか聞いた
>>592 >信憑性があるのは民間伝承じゃなく魏の正志に書かれていたからで
ほらね。俺の言ったとおりだろ。120%「司馬遷の神話に騙されている」んだよ>おまえら
『中華帝国の正史』とやらならば、無条件で「信ぴょう性がある」なんて、そりゃ一体何の宗教の教義だ???
想像をたくましくすれば、
畿内だろうが九州だろうが、おそらく一致した「影の団結ポイント」はあるんだろうと思う。
それは、
「天下の中華王朝様にとって、わが日本国は精密に記述されるべき尊重される大国だったはずだ!」
という、救いようのない中華コンプなんだよ。
おそらく邪馬台国の実在を信ずる奴全員に言えることで、本当に悲しいことだが、朝鮮の事大主義を笑えない。
中華王朝にとって、日本列島なんて、実は全く以てどうでもいい。
平時には、とりあえず本国の対岸の博多から長崎付近を一応教養レベルで知っておけば、あとはどうでもいい。
九州北西部以外の日本列島が、中華王朝の中の人の議題関心に上ったのは、
歴史上2回しか無い。
ひとつは、豊臣秀吉が朝鮮半島を攻めの上って遼東をうかがったとき。
もうひとつは、大日本帝国が、やはり朝鮮半島を舞台に日清戦争をはじめたとき。
これ以外のときの日本列島(海賊の出る九州北西部以外)は、
空想と妄想をかきたてる、ロマンあふれる東の島に過ぎない。利害関係は無い。
利害関係がなければ、どうでもいい。だから記述も「読んで楽しい地理ロマン小説」になっている。それが倭人伝だ。
>>630 九州王朝説を唱えてる人。もちろん畿内説じゃないよ
邪馬台国の真の場所はさきたま古墳群だと思う。 だから世界遺産に登録すべきです!! ゼリーフライは卑弥呼が作った。
637 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:36:55 ID:ucn6fzm40
>>620 やっぱり畿内説の核心は記紀・魏志無視なんだよなw
で、九州は大陸〜畿内まで交易していたと。
>>633 そうだな。
中国の歴史や日本の歴史に頼らず
資料を捨てて考えることが大切だ
どこにしようか?
>>625 女王の都する処は女王の宮のある国、
女王国は女王を共立した諸国の事。
北部九州にある伊都国は代々王がいて
女王に従属している国。
文献そのまんま解釈したらそうなりますよ。
640 :
551=579 :2010/04/21(水) 21:38:26 ID:mXs3de7O0
>>612 >半島の伽耶国は弥生人とは異なる漁民。
だから海洋民族(漁民)の倭人による征服活動があって
その倭人は弥生の農耕民ではなかたのだろ
>でも中国人から見りゃ小柄なら農民も漁民も一緒くたに「倭人」だったんでしょう
それはない。
皇帝に献上する正史の編纂は
いい加減だと首が飛ぶ(文字通り)w
俺は魏の使節が遠くに行くのが面倒くさくて作り話を報告した説を唱えている 女が治めてるとかちょうどいい感じにファンタジーだしな
642 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:39:23 ID:u3sjr4Kq0
日本のいわゆる国家成立以前からあった地名(読みのみ漢字は現代式) 「津軽」「三島」「箱根」「信濃」「木曽」「伊予」「出雲」「筑紫」など
643 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:39:47 ID:Ywl1I7or0
>>633 キミは何か大きな勘違いをしていないか?
三国志が書かれたその時、「倭国からの使者」を魏の朝廷で実見した官僚達が
まだ生きていた時代なのだよ。
そして卑弥呼の後継者、壱与(台与)をリアルタイムで見て、そして会話した人物が
朝廷にゴロゴロいた時代。
リアルな視点で見つめ直せよ
644 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:40:37 ID:mXs3de7O0
>>642 「ナラ」はどうなのら?
「筑紫」は「ツングース」の訛り説があったよな?
645 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:40:55 ID:CSz5C+mz0
事実とか度外視して俺がこう思うからこっちじゃなきゃ嫌だ!とかで重箱の隅突付いて無別幕無しにこじ付けの応酬してるだけじゃないの?
>>641 それよく言われるな
まったく話にならない説だけどw
卑弥呼は初代ではないでしょう。 もともと男の王が治めていたが乱れて卑弥呼が立った。 その死後また国は乱れた。 このあたりの記述がモモソヒメを卑弥呼だとすると苦しくならない? それまでを男王と認識してるのにモモソヒメのときだけ天皇差し置いて 女王とみなすところと、死後に大きな乱があったってところ。 って書き込もうとしてたら魏志倭人伝はどうでもいいって話なのか。 じゃあ質問する意味無いなぁ。
>>643 歴史を記した資料は全て当てにならない
何故ならば、歴史は全て権力者によって書き換えられるからだ
本当は織田信長も徳川家康もいなかったかも知れないし
日清日露戦争も第二次世界大戦も無かったかも知れないという事実を忘れるな!!!
ということだ
649 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:43:02 ID:0mPPbOuT0
650 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:43:37 ID:ucn6fzm40
>>641 九州説も畿内説もやってることは変らないな
より根拠の強い方が支持されるだけで
もっとも最近は嘘でもいいから沢山宣伝した方が勝ち、らしいけどw
この時代に関しては、これしか書いたものがないから 全面的に頼るしかないが、 中国の史書そのものの書いてることはあやしい。 「明史日本伝」 日本にはもと王があって、 その臣下では関白というのが一番えらかった。 当時、関白だったのは、山城守の信長であって、 ある日、猟に出たところが木の下に寝ているやつがある。 びっくりして飛び起きたところをつかまえて問いただすと、 自分は平秀吉といって、薩摩の国の下男だという。 すばしっこくて口がうまいので、信長に気に入られて馬飼いになり、 木下という名をつけてもらった。 信長の参謀の阿奇支(あきじ)というのが落ち度があったので、 信長は秀吉に命じて軍隊をひきいて攻めさせた。 ところが突然、信長は家来の明智に殺された。 秀吉はちょうど阿奇支を攻め滅ぼしたばかりだったが、 変事を聞いて武将の行長らとともに、 勝ったいきおいで軍隊をひきいて帰り、明智をほろぼした。
>>640 だから、繰り返すように、(本国の対岸部以外の)日本なんてどうでもいい地域なんだから、
「嘘だとバレるような情報」なんて、そもそも「洛陽まで来ない」んだよ。
仮に朝貢する使者が来たところで、こじつけ解釈なんて簡単にできるレベル。
それが証拠に、「博多から南に長々と伸びるそんな陸地は無い」こと自体、
魏どころか、清朝の最後の最後まで、結局中華朝廷の中の人の誰にもばれていない。
>>638 現にそれでいいんじゃない?
考古学以外の資料は無い「先文字時代」だと考えれば良い。それだけ。
ウクライナの歴史を、ヘロドトスの解釈から始めることは無い。
ヘロドトスは明らかにウクライナ領域の記述をしているが、出鱈目すぎて信ぴょう性がない。
それだけの話だ。
>>651 だから居なかったんだよ
信長も藤吉郎も
それは聖徳太子で証明済みだ
>>651 じゃあ中国史も西域史も東南アジア史も朝鮮史も全部でたらめだらけだと
斎藤道三はいなかったらしいけど信長はいただろ
657 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:48:07 ID:iPC/3UvW0
今こんな論争をしてたら、 邪馬台国の場所が、なぜか、いつの間にか、 基地の移転先にされるかもしれんぞwww
658 :
551=579 :2010/04/21(水) 21:48:08 ID:mXs3de7O0
659 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:48:18 ID:CEYUxj3wO
こうだよ 邪馬台国も大和王朝も 出雲が作ったアウトソーシング王朝 理由はリスク回避 国譲りなんて嘘っぱちに決まってるだろ
660 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:48:54 ID:NQHcxJB40
>>637 神話を史実と結びつけるほうが、おかしい。
>>651 の例もあるし、魏志倭人伝がどこまで正確かなんて判断できるわけない。
>>655 じゃあそろそろ斎藤道三がどこの国の大名だったかに話しを移すか
俺は美濃説を取る
邪馬台なんて書くからややこしいだけ。 音からすれば明らかにヤマト国だろ。
663 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:50:56 ID:ucn6fzm40
>>648 そうだねお前が居ることも嘘かもしれないね
我思う故に我有りも怪しいかもしれないね
だ・か・ら 議論は前提を決めた上でやるんだろ
文献が正しいとした場合、証拠が本物であるとした場合
その上で理屈上、どこにあるのか、だろ
つまり資料が正しいとした場合、畿内説は成り立たないんだよ
だから文献は全て嘘っぱちだ、という場所から仕切りなおそうとしてるんだろ
664 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:51:01 ID:R+mpUbOp0
九州説か畿内説かまだきまってなかったのか。そりゃそうだよな。 どっちも遺跡がみつかるたんびに、こっちが邪馬台国だ!と、 いきなりきめつけだす。
665 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:51:17 ID:pRrrG/bI0
これの困ったとこは、畿内にも九州にも、大きな邑があったことなんだよねえ 邪馬台国が唯一の大国だった訳じゃなかったからさ 魏志に書かれてない大きな邑も多いだろう、状況証拠以上の物が出ないと決まらない・・・
666 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:52:13 ID:JVyINRI60
邪馬台って当時の中国語で発音するとズバリ「ヤマト」になると聞いた事があるのだが。
667 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:52:33 ID:pvDaHNhH0
>>662 ヤマタイと呼び出したのは、九州説を「発案」した本居宣長。
それまでは、ヤマトと読まれていた。
668 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:52:36 ID:8lm337Vf0
大和政権と邪馬台国に繋がりはないと何度言えば・・・
>>663 逆だと思うけど
そういう議論をしているスレだと言う事は否定しない
資料すら疑っていたら何を根拠に議論しているのか分からなくなる・・・
>>664 すでに五分五分の勝負やってる段階じゃないけどな。
>>1 の記事を見ると丁々発止の論争をやってるように感じるかもしれないけど
これは九州での話だからね。現実にはほとんど勝負はついてる。
裸一貫で成り上がった斎藤道三は存在せず 美濃で代々の家臣から下克上を果たした一色とかいうのがいたとか
>>663 >つまり資料が正しいとした場合、畿内説は成り立たないんだよ
だから文献は全て嘘っぱちだ、という場所から仕切りなおそうとしてるんだろ
何いってんのw
私は畿内説ですが文献重視で三角鏡国産説ですから。
少し考え方が古いのではないですかね。
673 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:54:45 ID:ucn6fzm40
>>660 そうだね、紀元前7世紀も、モモソヒメの実在も怪しいね
交易範囲が広いからやっぱり九州だな
674 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:55:24 ID:brab53yq0
>>670 そういう決め付けが学術的では無いんじゃないかな
675 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:56:33 ID:pRrrG/bI0
>>658 三国末期だからねえ、前漢は優に5000万人以上って言われてるし
戦乱で離散した人も多いだろう。その中国で時折起きる人口崩壊、日本にはないんだよね
戦乱・疫病・飢饉・天災、数あれど直ぐに回復可能なくらいしか減らなかった
676 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:56:53 ID:WBn7Z9gy0
既出かもしれんが、「邪馬台」は どう考えても「ヤマト」の音を引き写したものとしか 思えない。 畿内で決まりだろ。
677 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:57:23 ID:CEYUxj3wO
出雲が九州で邪馬台国を作って活動させる 出雲が畿内で大和王権を作って活動させる しかし、海路はきっちりと出雲が握る 魏の使者の水先案内役は絶対出雲の奴だぜ
>>674 趨勢を語るのは学術的にも問題はないだろ。
じゃあ定説ってのはどうやって決まるんだって話になるよ。
これは定説が正しいかどうかという検証とはまた別の問題だ。
679 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:57:59 ID:NQHcxJB40
>>673 >交易範囲が広いからやっぱり九州だな
そこまで発言しておいて、九州の邪馬台国・卑弥呼が近畿を勢力下に入れていないと、
かたくなに主張するのは、滑稽ですね。
どうして、九州の卑弥呼は、近畿を邪馬台国の傘下に入れなかったんでしょうかね?
キミの説明は言い訳がましいよ。
680 :
551=579 :2010/04/21(水) 21:58:40 ID:mXs3de7O0
>>675 だから魏志倭人伝の内容は
史記などの他の東夷情報と比べて
すこぶる信憑性が高い
>>676 なぜ、ヤマタイと読んだのだ?
昔の読みと今の読みは違う
ひょっとすると中国語かもしれない
だとするとマタマイではない
ということになって
読みの議論は虚無となる
682 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 21:59:37 ID:ucn6fzm40
>>672 東征とか魏志における邪馬台の位置や習俗について説明できる?
>>678 勝負とか趨勢とかを問題にする時点で学術ではなく政治に過ぎない
問題となるのは事実と理屈の筋が通るか、だけだよ
683 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:00:27 ID:brab53yq0
>>678 その君が思う趨勢に異論があるから論争になってるんでしょ
定説ってのは反論無い状態では無いのかね?
君は「もう勝負は付いてる」とか「もうとっくに決着ついてるだろ」と
決め付けてるだけで定説だと認められる状態ではない
684 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:00:44 ID:WBn7Z9gy0
「邪馬台国」 当時の中国での音はいわゆる呉音に近いと思うんだが だとしたらやはり「ヤマト」じゃないの?
685 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:00:55 ID:R+mpUbOp0
音がにてるからって邪馬台国=ヤマトってするのは短絡的じゃね? アヒヤワとアカイアとか、ウルとウルクとか、近所でにてても ちがうのって、けっこうあるじゃん。
使者「あそこはなんという土地なのですか」 倭人「ありゃあ、山たい!」 邪馬台国の誕生
687 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:01:39 ID:pRrrG/bI0
つうか、歴史書だけなく出土品などの「資料」から総合的に判断しないと・・・ 誤字も脱字もつきもんなんだし 自演する学者もいたんだしさ
名古屋人と岡山人が 「でーれーえれーわー」なんて同じ方言なのは同じ国から来たから」なんだぜ>_<
690 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:02:08 ID:8lm337Vf0
>>679 いやそれは普通だろ?
北海道なんて日本の領土に編入されたのは近代だし。
691 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:02:28 ID:CEYUxj3wO
国譲りなんてインチキだ! 何て言おうものなら、桃太郎なるものが現れて 鬼退治される
八幡平を掘ってくれ
693 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:03:52 ID:NQHcxJB40
>>682 百歩譲って、邪馬台国が九州で、神武東征が事実としても、
神武東征を4世紀にする根拠はどこにもないね。
神武東征は紀元前で、畿内に大和王権をつくり、九州に邪馬台国があったとしても、問題ない。
キミの主張がおかしいのは、卑弥呼をアマテラスと考えてるところだろうな。
邪馬台国とは何の関係も無く。
>>643 だから、それが「大国幻想」だと揶揄しているんだよ。
中華王朝から見れば、数ある朝貢国のうち、
国防上も文化上も経済上も、一番どうでもいい部類に過ぎない野蛮人の使節に過ぎない。
そんな「ゴロゴロ」なんていない。いても言ったことなんてさっさと忘れている。
中華王朝の外交案件は、東西南北山ほどある。
例えは悪いが、
残念ながら資源もないアフリカの小国の大統領が国賓として東京に来て(けっこう来るんだよw)
そりゃ霞が関や永田町には、彼や使節団を見たことがある人はそれなりにいるが、
そのアフリカの国についての「記述の出鱈目」に気づける人は何人いるかね?
>>658 仮に、3世紀に肥沃なエジプトに1億人いても、中華にとってはどうでもいいだろ?
なぜか?彼らが中原に攻めてくる可能性が無いから。
繰り返すが、倭寇以外の日本人が中国本土への軍事侵攻を企んだことは、歴史上2回しか無い。
豊臣秀吉と大日本帝国だけだ。
さらに、大陸に移民を仕掛けたのは、驚くべきことに数千年来でたった1回しか無い。1930年代の満州植民だけだ。
遠い東の島に何百万人いようが、押し寄せて来ない限り中華には関係ない。
695 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:05:27 ID:pRrrG/bI0
北条早雲も、現代では無名の浪人なんかじゃなく(歳も一回り若い) 伊勢平氏の流れを継いで、将軍の側近官僚、駿河へは将軍の名で 仲裁に入り今川当主の叔父として後見してた有力武士ってのが定説だしな
696 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:05:53 ID:4346YIIh0
だから吉備にあったんだっての。はい結論。終わり。
>>694 >遠い東の島に何百万人いようが、押し寄せて来ない限り中華には関係ない。
いや、だから3度押し寄せられたんだろ?
698 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:07:10 ID:0mPPbOuT0
>>682 いやいや、
そういう話はまた別にしようぜ。
俺の仮説への反論があればなんなりと突っ込んでくれればいい。
>>683 あわてるな。畿内説が定説だとは一言も言ってないぞ。
それにまったく反論がないのが定説ではない。
それなら定説は絶対に覆らないことになるからな。
700 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:09:10 ID:pRrrG/bI0
中国と日本、朝鮮の王朝の後押しして戦ってたじゃん 白村江で負けるまで、結構兵を出してたみたいだぞ
701 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:09:15 ID:8lm337Vf0
>>693 そういう勘違いをしている人って多いよね。
邪馬台国って日本の歴史にとってはたいした役割を果たしていないのに。
702 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:10:00 ID:WBn7Z9gy0
本居宣長が九州説を唱えたのって、もしかして 「魏帝に臣従して金印を授けられたような女王が我が皇室の遠祖の筈がない」 って神国思想から来る決め付けじゃないの? 卑弥呼が皇室の遠祖の一人でも別にいいじゃないかね。 雄略天皇は劉宋の臣下だったんだし。 それで今の皇室の尊厳が揺らぐ訳でもない。
703 :
551=579 :2010/04/21(水) 22:10:11 ID:mXs3de7O0
>>694 >中原に攻めてくる可能性
倭人は海洋民族だたと何度言えば・・・w
呉の水軍の補強に使われたら魏は死活問題だたのだよww
>>695 (ねずみ年だが)歳が一回り若いってほうはまだ定説とはいえないだろ。
京の有力吏僚伊勢氏の一族で備中にいたというのはほぼ定説になってるけど。
邪馬台国=大和朝廷なのか? 邪馬台国は被征服地域だと思うんだが だから俺は九州説かな
>>702 当時の検証能力ならそう考えても仕方がない
どっちにしたって九州にも巨大な勢力はあったのだからね
707 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:13:13 ID:8lm337Vf0
>>702 イヤイヤ、邪馬台国は三代で瓦解した王朝だから。
708 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:13:38 ID:YGfou1tD0
まあ畿内説にとって「魏志倭人伝」なるものがあろうとなかろうと
3世紀既に畿内ヤマトを中心にした連合体があったとする事に変わりは無い。
「魏志倭人伝」がでっち上げでも困らないわけでw
>>633 >『中華帝国の正史』とやらならば、無条件で「信ぴょう性がある」なんて、そりゃ一体何の宗教の教義だ???
↑こいつの言うような能天気な奴はあまり畿内説にはいないんじゃないかな?
大陸で起きた事と日本についてかかれた事、信憑性にもメリハリをつける。
で、2ちゃんの九州説だと
「信じるなら全部信じろ!否定するなら全否定だ!」と言う二択になり勝ち。
まあ宗教だなw
709 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:13:51 ID:u3sjr4Kq0
遺跡発掘される度に、縄文時代がどんどん長くなる 今じゃもう紀元前110世紀まで伸びちゃってますよ 卑弥呼って何世紀の話だっけ?
710 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:14:07 ID:ucn6fzm40
>>679 お前の発言はすべて、相手が言ってもいないことを脳内ででっち上げて
まったく関係ないことを証明しろ!と論点ずらし続けるだけだね
>>693 まったく論点の関係ない話題に、別の話題でレスすんのやめれ。
問題ないどころか、畿内説じゃあ記紀も魏志も説明できないのは変らん
>>699 まあスレチだしね
でも究極的に求めているものが、「勝利」である人と「事実」である人じゃ
根本的なところで相手の言ってるところが理解できない、というか
議論が噛み合わないところがあると思うんだよね
大和朝廷は強いんだ!って答えが欲しい人と
事実はどうだったんだ?って人じゃあね。
>>701 記録に残ってないだけで倭国大乱とか凄そうだけど
最初に外国に認知された、という時点で記念的価値はある
711 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:14:29 ID:mXs3de7O0
>>702 >「魏帝に臣従して金印を授けられたような女王が我が皇室の遠祖の筈がない」
古田は
「だからこそ中大兄皇子は
九州王朝を征服した後
国号を「倭」でなく「日本」とし
「朝貢してた国とは別ですよ」
と尊大な外交を始めたんだ
」
という考えのようだね。
記紀で卑弥呼の記述が無いのも
朝貢関係を無かった事にするのが一つの理由という
考え方もあるね。
んじゃ、邪馬台国は九州で、関西には機内食王国があったで終了
715 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:16:04 ID:R+mpUbOp0
「日本史の誕生」ってどうなの? 邪馬台国は月氏をモデルにして誇大にえがいてるってあれ。 ちょっとはしりすぎにおもうけど。 そういや日本って月支(=月氏)の対義語でできてる国名だよな。
また福岡か
九州に決まってるだろ。 近畿派は無関係な物を邪馬台国にこじつけまくってるだけ
718 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:19:58 ID:8lm337Vf0
>>710 記念的価値ではなく、「幻の王朝」と言われているところに、歴史学者のみならず一般人の興味を引きつけているだけ。
邪馬台 = ヤマト = 大和 卑弥呼 = ヒミコ = 日巫女 = アマテラス この解釈でFA。
720 :
551=579 :2010/04/21(水) 22:20:17 ID:mXs3de7O0
>>715 誇大というか
魏の政変に対して卑弥呼がいち早く支持する使者を送ったので
政変の勝者側は大歓迎したはずだそうだから、
卑字をあてるような扱いをせず客観的な評価になり、
結果として他の周辺民族・国家より上等な記録になったのかも。
721 :
551=579 :2010/04/21(水) 22:22:36 ID:mXs3de7O0
卑弥呼の卑に突っ込めよw
722 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:23:01 ID:8lm337Vf0
723 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:23:57 ID:YGfou1tD0
>>718 残念だがそのロマンスも畿内説の場合無いからw
「初期ヤマト王権が中国史書に邪馬台国と書かれていただけ」
と言うニュアンスになり、ある意味身も蓋も無いw
724 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:24:55 ID:Ua93RUbE0
ヒミコを攻めたのはトヨだよ まじだよ おそらくトヨの系譜が天皇家に繋がっているんだろな ヒミコは祟り神として丁重に祭られたのよ
>>724 つうことは織田信長を攻めたのはもしかして・・・・
726 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:26:49 ID:YGfou1tD0
>>724 大和の壱与による九州の卑弥呼殺し・・・ひょっとして関裕二さんですか?w
727 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:27:17 ID:NQHcxJB40
>>710 まったく、キミは都合の悪いことは目をそらすわけか。
「百歩譲って、九州に邪馬台国があったとしても、神武東征が4世紀なのはおかしい」
と指摘しただけで、この逆ギレよう。
全然、事実を見ようとしてないじゃん。
キミの中では、アマテラス=卑弥呼、神武東征=4世紀が大前提なんでしょ?
事実がどうとか、関係なく。
728 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:27:22 ID:fRUELcov0
あのね、分からない事を分からないって言える人が本当の知恵者なんだって。 ばっちゃが言ってたよ。
729 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:28:05 ID:vQU69Gjp0
てかさ、普通に当時も日本全体がひとつの国だったんだろ 本州なんて単なる島じゃん
730 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:28:08 ID:brab53yq0
>>699 >それにまったく反論がないのが定説ではない。
>それなら定説は絶対に覆らないことになるからな。
いや、定説は新事実で覆る
が、それまでは定説に異論はない状態だから
異論がありその主張を崩せないのなら何時まで経っても定説にはならんよ
その過程でどちらかに揺れる事は有るだろうけどね
君はその傾きを見て「勝負は決まった」と決め付けてる
それは学術的ではないよ
>>703 そんな、「ソ連と大マゼラン星雲のデスラー総統が悪の枢軸を組む」まがいの
スターウォーズみたいなことを言われてもwww
何を揶揄しているのかというと、そんな「筑紫大海洋帝国」なんてものは、
歴史上一度も存在したことは無いということ。古田説の根底にあるのがこれらしいけどな。
呉の水軍に倭人部隊が参加して大活躍していたなんて話も、聞いたことが無い。
真の海洋民族なら、たとえ中原の北朝が朝貢体制で縛ろうとも、
個人・一族レベルでどんどん参戦するものだがな。海洋民族というのはそういうものだ。
まして、この時代は部族レベルの時代。
そもそも、西南日本の軍事文化にそんな海軍力の蓄積があったら、
白村江ごときで、遊牧民の末裔の新興帝国と半島の貧乏農民国家相手に
あんなボロ負けなんてしないww
732 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:28:53 ID:0mPPbOuT0
卑弥呼・トヨの時代の後に、吉備(狗奴国)も大和連邦に加わったので、 ヤマト人はみんなが国の始まりに関わったとする物語を作りました。 最初に生まれたのはこの三神だったと。 ・アマテラス(ヤマト族) ・ホアカリ(吉備族) ・ツクヨミ(倭人・弥生人) しかし、それまでの吉備人の行いにむかついていたヤマト人は、 「ホアカリはあかん子エピソード」も織り混ぜて物語を記しました。 しかしその後、吉備族は同族の尾張族と組んで反乱を起こし、権力を奪います。 でも世間体悪いから、俺らが正当な王位継承者ってことにしようぜ。 話、書き変えたれ。 うわ、ホアカリって俺らか。ムチャクチャ書かれとる。 出雲の神話にスサノオっていたな。あいつがやったことにしようぜ。 で、俺らのホアカリこそが、一番偉いアマテラスの子孫だぜ〜 そんな感じでできたのが日本書紀。
今夜が邪馬だ
734 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:29:48 ID:CEYUxj3wO
大和王権の中には、もちろん出雲からの出向組もいた プロデュースは出雲だから 歴史や神話の編纂も連中がやる 卑弥呼のことも強引に入れるから齟齬が出る けど大化の改新のころから どっちが本家か本人達も混乱 もう、こっちでいいだろ で、もう一回、編纂
出土する鉄器の量が違う。九州で確定。
九州派はちょと無理筋過ぎるよ・・・
737 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:30:40 ID:SR9t0iwi0
卑弥呼=姫巫女 かも。 まあ、畿内だろうね。
卑弥呼→倭迹迹日百襲媛命 壹與→豊鍬入姫命 は素人の俺には結構しっくりくると思えるんだけどなあ なんかロマンがあっていいよw
739 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:32:17 ID:u3sjr4Kq0
日本人は実は古代から旅好き、神も旅するのが普通なの
740 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:32:37 ID:YGfou1tD0
>>735 鉄器の民族とも言える古代ヒッタイトはついにエジプトを滅ぼすことなく
それどころか、自分らは今日において良く素性の知れない民族に滅ぼされちゃったわけだがwwwwww
741 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:33:58 ID:WBn7Z9gy0
魏の明帝が金印を下賜した時、諸葛孔明はまだ生きていたっけ。 司馬仲達は当然存命だよな。
>>734 出雲人はウンコ投げる話なんか書かないよ>_<
>>741 孔明は何年か前に死んでる。まあ卑弥呼と同時代の人間と言っていい
この論争で「〜に決まってるだろ」とか断言する奴がいるが、 断言できるだけの根拠あんのかよ。 卑弥呼の墓と確定した墳丘とかがあるんならまだしも、そんなもの いまだどこにも発見されてないじゃん。 その段階で断言するのはおかしい。
その時姜維と?丘倹と鍾会は・・・ってスレチだって
748 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:38:44 ID:WBn7Z9gy0
>>743 魏の状況を考えるのは大切なことじゃないの?
海のない蜀はともかく卑弥呼は呉ではなく魏を選んだのだから。
>>746 証拠やデータを積み重ねて結果を考察するのが普通だけど
地域エゴがガッツリ入ってるから結論ありきで自分に有利なデータ出し合うだけになってる
これは内緒だが、イスラエルの失われた10支族の一つが日本と関係がある。
>>748 そもそも司馬懿が遼東の公孫氏を滅ぼしてなければ
卑弥呼が魏へ使いをだすこともなかっただろうから
ぜんぜんスレチとは思わないけどな
>>682 >東征とか魏志における邪馬台の位置や習俗について説明できる?
出来るけど長くなるから簡単にね。
邪馬台国の位置は四国から紀伊半島にかけてだな。
女王国は瀬戸内海から紀伊半島、
丹の山もあるし海人を思わす風俗も問題ない。
女王国構成国は丹後や吉備、美濃や信濃他。
神話自体、国産みは淡路島からですよ。
東征話は単なる親族のヤマト復帰物語を
脚色されたものでしょう。
>>746 断言するってのは聖徳太子を教科書に書くことか書かないことか?
それによる
>>748 少なくとも司馬懿が生きていようが生きていまいが
司馬懿以外の誰かがどうしたとか
そういうことは関係ないということだkrは断言出来る
754 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:41:43 ID:WBn7Z9gy0
>>745 ありがとう。魏の優位がいよいよ明らかになってきた頃か。
755 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:41:57 ID:YGfou1tD0
>>750 八咫の鏡にヘブライ語が刻されているんですね、わかります。
756 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:44:21 ID:WBn7Z9gy0
だって仲達こそ当時の魏の最有力者じゃないか。 卑弥呼だって権威を借りるのは明帝だとしても 実際の交渉相手は仲達か彼の息の掛かった人物じゃないのか?
歴史書もその他の資料のその全てを無しにしてはこの問題は語れないと言うことをどうか分かって欲しい 実証は出来んのだ 今となっては
>>754 孔明の死=蜀からの軍事圧力がなくなる
↓
司馬懿の遼東遠征
↓
卑弥呼の朝貢
ちゃんと話はつながってる。
ここの馬鹿連中にはそのあたりがなかなかわからんのよ。
759 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:45:15 ID:R+mpUbOp0
なあ、もうこれニッポンで調べても、どんづまりなんじゃね? 江南とかで書簡とかさがしたほうがいいんじゃね?
九州は九州で大きな勢力があった。 百済は九州の配下だったし。
761 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:46:25 ID:u3sjr4Kq0
出来るよ 大いに作ったとされる塚を掘り返せばいいだけ そこから鏡が出てきたら確定 でもいるのw
762 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:46:55 ID:CmsWS0oyP
邪馬台国は徳島
763 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:47:39 ID:aa8MRkZS0
こんだけ日本中掘り繰り返して見つからないんだから きっと琵琶湖の中に沈んでるょ
>>761 >大いに作ったとされる
を否定されてはその発掘も無駄になる
765 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:48:10 ID:FLBqzsykO
もう九州説には根拠自体が無くてメインの畿内説の粗探しと言うか根拠固めをしてる段階
まー地政学的にいって北部九州だろうな 現在の福岡県か佐賀県あたり 当事の古代中国を中心としたアジアを考えると 畿内は田舎過ぎる
魏志倭人伝を読めば 末盧國(出雲)から奴國(伊勢)までの陸路が明記されている。 いいかげん江戸時代の蝦夷差別とか天皇絶対主義とかのくびきから 離れないと魏志倭人伝の解説など無理だよ。 語らなくてはいけないのは、邪馬台国ではなく 大陸との接点、外交拠点であった伊都だよ。 おれはそれが丹波だと考えているが。
>>766 それにはどっかで疑問点呈示したじゃないか
なんで対馬と壱岐の間が1000余里なのに
壱岐と敦賀の間も1000余里なの?
770 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:49:56 ID:YGfou1tD0
『 砂鬼四荼羅経 』 倭人伝 砂鬼四曼荼羅 太平洋
>>767 物的証拠と状況証拠のどちらを尊重するか?
それは君の判断だ
>>14 うわあ。俺生まれ変わったら縄文人になる。
ていうか畿内にしろ九州北部にしろ 古代のシャーマン国家がどこにあったかなんて問題を ご当地のプライドの問題にして必死になってる奴らはキモい 空気読め
>>773 日本の歴史を知りたいということまでヲタクの時代なんだなw
775 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:54:35 ID:WBn7Z9gy0
台与は晋にも朝貢していたっけ。 その後八王の乱に始まって五胡十六国で中原がめちゃくちゃになるから 朝貢をやめただけで、その間邪馬台国は発展していたんじゃないかな。 で大和朝廷に繋がる、ってのが俺の考えだけなんだけど。
倭国大乱→九州大勝利→近畿に東遷 という考え方もできると思うんだ
777 :
766 :2010/04/21(水) 22:55:40 ID:0mPPbOuT0
>>769 どっかってどこー
対馬國→佐渡ヶ島
一大國→能登半島
ですよ。これならどーなんだろ
あと普通に考えて、大陸から来た人が、
船に乗った状態で正確な距離測れるわけないし。
俺も地政学的には九州だと思う。 後に宝物持ってお引越ししたのでは?
779 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:57:52 ID:u3sjr4Kq0
シャーマン国家? なんでカタカナなんだよ どこの国の話だよ
行ったことないけど、壱岐って竹林多い?
782 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 22:59:50 ID:AjAhzh780
なんで近畿説は本職じゃなく役者崩れを呼ぶんだw
783 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:00:48 ID:WBn7Z9gy0
魏帝が下賜した勅書とか、邪馬台国の人間はどこまで理解できたのだろうか? おそらく経書からふんだんに引用した上に四六駢儷体だろ? 「雄略天皇は、臣下に代筆させたであろうあの上表文を そのまま読めたのだろうか?」とか そういう点がやたら気になる。 ちなみに宋の順帝は「神人」とまで言われた美少年皇帝。 廃位後に14歳(17歳?)で殺害されている。
784 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:02:36 ID:AjAhzh780
だいたい岩手の八幡平が邪馬台国なのになんだよ近畿とか九州とかw
名古屋説がないのが不満
九州は地政学的に有利、距離的な記述にも合致するが、 九州は攻め込まれやすい危険な場所でもあったから、 後に近畿へ移ったものと思う。 ってただの憶測だけど。
787 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:03:52 ID:J/gtMzJI0
畿内説の最大の弱点であった 物見やぐらや環濠を巡らせた都市に関しては、近年、発見され これですでに発見されている卑弥呼の墓に相当すると思われる同時期の巨大古墳と合わせて考えれば、畿内説が圧倒的に優勢でしょう。 ただ、九州説に関しても、南九州に関しては、この時期には機内に服属しておらず 北九州の一部しか、掌握していなかったと考えるべきか
邪馬台国の南には、邪馬台国なみの勢力をもつ狗奴国があったわけで。 畿内でも九州でもいいけど、狗奴国の場所も考えに入れておいてくれよ。
南九州はなんか出てきてるな
793 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:08:37 ID:brab53yq0
>>792 発掘するだけの金が畿内よりか少ないのはあるよなー
田舎だと
古墳らしきものが出土→見なかったことにして開発とか普通にあるしw
>>793 何がいくら足りないんだよ・・・・
その地域に住む奴が助成金もらって発掘してるわけじゃないぞ?
教授なりは大学の金で各地に行って発掘してる
発掘するだけの価値を見出せないということに文句を言っているのか?
795 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:10:49 ID:WBn7Z9gy0
卑弥呼の明帝への上表文とかが中国から発見されないものかねえ。 どこかの陵墓に埋まってないか?
796 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:11:06 ID:CEYUxj3wO
どうも伽耶に話を持ってくから 畿内説と九州説に対立構造があるんだな だから、邪馬台国や大和王権と同様に伽耶も出雲が作ったんじゃないの? 何か主客転倒が話のカギだと思うんだ
>>783 倭国の使いには帯方郡の役人が帯同してるから
おそらく彼らが通訳などの意思疎通にあたったのだろう
798 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:11:17 ID:brab53yq0
>>794 土建屋とかがね古墳が見つかると工期が遅れたりするのを嫌がってやっちゃうんだよ
九州説は、本居宣長が、「偉大な大和朝廷が、中国なんぞに貢ぎ物して属国になる わけがない。だから、中国の属国だった邪馬台国は、大和朝廷とは無関係の、 九州にあった小国にすぎないはず。」ということで言い出したのが発端だっけ?
800 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:11:41 ID:J/gtMzJI0
畿内説だとすれば、崇神天皇の時代に山背の武埴安彦命の反乱があり
さらに四道将軍を派遣して各地を制圧したとの記載がある。
崇神天皇の時代の混乱を記紀で見出す事もできるからな
倭国大乱に相当する事実であろう
>>783 当時の日本には渡来人も多く、親書に関しては読む事も出来ただろ
ただ。漢字の知識が不十分であったのは間違いないが
801 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:13:10 ID:tCWHlfc+0
近畿説で決着がつくこととされている
802 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:14:24 ID:J/gtMzJI0
>>790 畿内の南、紀の国と古くに言われた和歌山がクナ国と考える事ができる。
>>798 どこの土建屋が嫌がったって?社名さらせよ
804 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:15:59 ID:brab53yq0
>>803 お前だってその手の話は聞いたこと有るだろw
>>799 その理解であってると思う。
つまり九州説にはその始まりからして政治思想的な流れがあるんだな。
河内出身だから、自分としては近畿説であってほしいだけど、近畿説が出た”きっかけ”ってなんだったの?
807 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:17:22 ID:FLBqzsykO
稚拙な素人地政学では突然大和朝廷が出来上がるとかいうトンデモにぶち当たって砕けるだけだぞ
>>804 聞いたことない。だから社名を晒せ。これは由々しき問題だ。匿名だから晒せるだろ?
810 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:18:10 ID:3S6Dzsp20
畿内はどう考えても史書の記述に無理があるんだが無視するよな。 情報的には九州への過程を記述したとしか解釈できない。 合わなければ だいたい存在したのか?ってなる。
考古学は歴史にならない こんな生活をしてましたとか、大きなお墓がありました とか言われてもどうでもいい。 安土城址を発掘して、 大きな城があったようです。焼けたあともあります。 火事でしょうか。戦争かもしれません なんて、おもしろくもなんともない。 誰がどうしたという物語があって はじめてみんな興味を持つ
812 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:19:09 ID:0mPPbOuT0
813 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:19:37 ID:CEYUxj3wO
邪馬台国も大和王権も新興国であることが強調されてるんだよな
>>809 貝塚???邪馬台国の話しをしているスレだぞ。分かっているのか?
>>811 うん。このスレには不向きというかなんで来たのか分からんな・・・
>>806 畿内説はとくに新しいものじゃないと思うけどね
そもそも本居宣長が九州説を唱える以前は
神功皇后紀に卑弥呼の記事が載ってんだから
素直に卑弥呼=神功皇后と考えてた人がほとんどだろうし
ちなみに江戸時代までの神功皇后は歴代天皇扱いされてたから
その意味でも女王にふさわしいと思われてたんじゃないかと
>>14 それ、いつも思うんだけど、縄文人が二重で弥生人が切れ目って、なにで判断してるんだろ?
俺の中学校時代の教科書も絵がそうなってたけど、当時から疑問だった。
817 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:23:02 ID:JxiwKUx90
>>811 分からないから、掘るんだよ
分かりたいから、掘るんだよ
誰が、どうしたんだろう?ここから始まって、
>誰がどうしたという物語
が出来上がる
前段階を否定しないで欲しいなぁ
818 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:23:21 ID:CEYUxj3wO
伽耶国と吉備、尾張がウリナラファンタジーなんだよな 言葉が似てるとかサウラビ理論だろ
821 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:26:56 ID:0mPPbOuT0
>>818 ほわっと?
卑弥呼は伽耶人じゃないし、伽耶人は今の韓国人とは違うぜよ?
822 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:28:20 ID:tCWHlfc+0
ヒミコが登場する100年以上前なら 北九州に和人の中心があったといえる
823 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:29:39 ID:3S6Dzsp20
風俗記述はもっと南っぽいんだよな。 距離がそのまま正しければ南九州か奄美くらいになる。
>>786 魏晋と続くから寧ろ安全になってるんじゃね?
統一した方が危険だともいえるけど。
825 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:31:22 ID:CEYUxj3wO
>>821 当たり前だろ
そんなこと誰も言ってないだろ
吉備と伽耶がイコールがサッパリわからん
そういう混乱をなぜする?
>>823 まあ、距離が正しいとは思えないけどね。
>>798 それ京都に住んでたとき(大昔)聞いた事がある。
再開発の為に掘ると色々出てくるから、見なかった事にして埋めてしまうらしいw
関ゆうじの九州説は面白いけど、遺跡が少なすぎる。
828 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:32:16 ID:brab53yq0
>>808 ムキになるなよw
近所の人に聞いてご覧。よくある話だからw
829 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:33:21 ID:DY22FPhp0
日本にあるんだろ? それで、もういいじゃねぇか。
830 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:35:19 ID:3S6Dzsp20
待遇が国規模だから大きいはずと言うのは、危ういと思うんだ。 20数国を治めてたって記述にミスリードされてるかもしれん。 小国でも例えば後代の琉球とか朝鮮半島よりも待遇は上だったりするし。
>>823 当時の植生は現在とは異なる。
日本列島は、中国雲南から華中に広がる常用樹林の原生林に覆われていたはずだし
風俗もまた長江下流域にいた越族と同じだったから、
当時の中国人が、日本列島の位置を実際より南にあったと考えても少しもおかしくない。
あのよ、倭寇も従来の歴史で考えられてきたシロモノではなかったと、 最近の調査で徐々に明らかになってきたわけだが、 この倭寇でさえ、たかだか500年を遡るだけなのに、従来の倭寇観と 新たな調査による倭寇観では大きく差異があるわけ 両者は全くベツモノと言っても言い過ぎではない程に ましてや、2000年弱近くも遡る時代の話で、記述が乏しく、さらに 内容の信憑性が欠ける魏志倭人伝などに全幅の信頼をおいて、 日本列島全域の話をして、それで当時の日本全体の歴史が見通せた と結論づけること自体、ア・ホ
>>830 何が小国?
当時の日本の推定人口は300〜400万。
中国は800万。
朝鮮半島は数十万。
中国の半分ぐらいの人口を持つ大国だった。
もー半島経由したって言っただけでヒスるんだからー
836 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:44:30 ID:J/gtMzJI0
>>818 もともと中国という国は異民族のことをことさら貶める傾向にある
卑弥呼だの、邪馬台国だの、ロクな当て字を使っていない事など最たるものだ
それに表音文字を用いる英語と違い、表意文字の漢字では発音を特定するのが難しいところがある
中国の史書の呼び名が日本のどれに当てはまるか判断が難しいよ
どっちでもいい。
>>814 名古屋は豊饒の大地であり、
関が原という二度の大きな戦いが起きたことからも分かるように、
日本における最重要地点であれば、
歴史的機軸であったことは明らか。
日本人は京都人にだまされている。
>>834 中国の人口は戸籍人口だけどな
戸籍にのってない連中も実際にはかなりいたと考えるべきだ。
後漢から三国にかけて実際に人口が半分以下に減ったと考えるよりは
戸籍で捕捉しきれない連中がかなりいたと考えるべきだ。
曹操はそういう連中を収容するために屯田制を始めたんだし、長江下流域にいた山越も
あるいは異民族というよりういう種類の不服住民だった可能性がある。
>>838 >関が原という二度の大きな戦いが起きた
いや、2度ではなく、3度なはず
841 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:49:37 ID:vg9u783B0
神武東征は3世紀の出来事だったという説もあるな 3世紀の後半、神武とされる人物が九州から畿内に遠征し、ヤマト国(邪馬台国)を継承したが、 周辺の豪族を納得させるために、現地であがめられている有力者を皇統神話に組み込む必要があった その結果、皇統が肥大化して神武が紀元前7世紀に生まれたという計算になってしまった それを鵜呑みにして歴史書をでっちあげたのが記紀
>>805 そりゃどっちもどっちだろう。そもそも、まともな議論が期待できるネタじゃない。
全ては政治的で、すべてはファンタジー。
元ネタ(文言)もひどければ、お国自慢との関係も、天皇崇拝も、中華崇拝も、主観的なものの醜い大集合だ。
江戸時代に、事大主義を九州に切り離す目的で九州説が唱えられた。
明治時代に、(実は儒教に基づき)皇国史観が事実上の国教となると、
近畿は記紀という経典に基づく皇国史観(天皇崇拝)、九州は倭人伝という外典に基づく中華崇拝で
宗教的に住み分ければよかった。
ところが、戦後、皇国史観が全否定されてしまい、記紀はファンタジーだということになり、根本経典から追放された。
そこで倭人伝が、「古代史の根本経典」に横滑りした。
そもそも皇国史観自体が儒教の焼き直しなので、横滑りは簡単だった。
ここに、中華崇拝の根本経典である魏志倭人伝をめぐる
畿内と九州の、「根源的な中華朝貢国としての正統な地位」を巡る、壮絶な聖地争奪戦が始まるw
俺が繰り返し繰り返し揶揄しているのは、おまえらの倭人伝の扱いが、
皇国史観の、それも昭和初期の末期的状態における記紀の扱いとそっくりなことだ。
>>834 ちなみに、漢の最盛期には8,000万に達していた。
三国時代に800万に減ったのはもちろん全員死んだ訳じゃなく、
周辺国に逃げた者も多数いたと思う。
三国時代以降、日本に渡来し帰化する者が増えたのは決して
偶然ではない。
狗奴国っていうのは固有名称というよりは 狗の連中が住んでる国みたいな感じっぽい 奴国ってのも中国の歴史書にいくつも出てくるけど 「奴国」って名称の国があったんじゃなくて、「奴」が住んでるところが奴国。
邪馬台国以前より中国人は沢山交流を持っていたと思う 徐福が連れてきた人数でも数千人とか
>>839 もちろんそれもあったと思う。
ただ、晋の時代になって平和になっても、1,000万程度なんだよね。
人口が。
唐の時代になるまで、漢の時代の人口を抜くことはなかった。
>>843 清の時代で1億人なはず
その凡そ2000年弱前の漢の時代に既に8000万人って・・・
ちなみに、
>>842 にもう一つ付け足すと、
記紀は、皇室の始源地を九州だと宣言しているので、九州にも花を持たせている。
畿内と九州の、単純な二項対立ではない。
「宗教経典としての記紀」を奪われた畿内と九州両方が、
その「宗教経典の代替品」として、「魏志倭人伝の争奪戦を始めた」という言い方のほうが正しいかもしれない。
この九州と畿内と言う2つの軸は、神武東征のモチーフとそっくりだ。
邪馬台国論争なんて、
記紀神話という根本経典を奪われた信者が、代替品をめぐって宗教戦争をしているだけだ。
>>845 そう、その人たちが秦氏=出雲族。出雲以外にも住んでた。
今の中国人とは違う人種ね。
850 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:56:54 ID:CEYUxj3wO
いや、おかしい この伽耶と吉備のロジックに嘘の根幹がある 主客が逆なんだよ 伽耶の武装化はそもそも大陸からの侵略に備えてだ つまり日本側の要請 鉄資源と技術供与が対価としても仲介が居た そしてそれだけの話が別の話に誘導される これは邪馬台国、大和王権、九州説、畿内説でも同じ これはある種の呪いだな
>>843 三国滅亡時の戸籍人口の合計が770万
ところが直後の晋統一当時の戸籍人口は一気に1600万にまで倍増する。
これが自然増だとは思わないよね。実は晋は屯田制を廃止したので
その分の人口が戸籍に編入されたのさ。そういうからくりがある。
だから三国時代の人口が約800万というのは事実ではない。
>>848 >記紀は、皇室の始源地を九州だと宣言している
ん?そんなアカラサマに宣言していたか?
853 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:59:34 ID:14zpAapF0
欧米の学者に調べてもらったら?
854 :
名無しさん@十周年 :2010/04/21(水) 23:59:39 ID:NQHcxJB40
>>848 しかし、日本書紀ははじめから魏志倭人伝が引用されてて、神功皇后を卑弥呼に当ててるわけだが。
855 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:00:09 ID:aGNop+Gn0
856 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:00:18 ID:7mqBeH7w0
志賀島で金印とか見つかってるし そのまま普通に北九州じゃね?
857 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:00:58 ID:bf1lMHo30
>>832 神武天皇は宮崎から東征したことになってる。
858 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:02:17 ID:QsOXUtCG0
>>855 >何で思想的に近い国粋主義者の安本氏を呼ばんのか
九州説の高島だって、安本の東遷説は否定してるんだぜ。
ありゃだめだ。
859 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:02:23 ID:oQp1BKhqO
つうか神武って明らかに連れて来られてる
>>834 地理的推計と、政治的範囲の画定は別だ。
畿内でさえ、平野が広い東国太平洋側を押さえられていない段階で、
仮に畿内中心としても、その版図で100万単位は無理。
西南日本は平野に乏しい。特に中国地方が致命的。
(中国地方と朝鮮南東部は、地理的にはそっくりなので、朝鮮南部の人口が少ないことも当たり前となる)
>>856 >志賀島で金印とか見つかってるし
で、金印が本物だとなんの疑いもなく、妄信してしまっているわけ?
>>850 ロジックて大袈裟な〜
ていうか何言ってるかわからねえ
日本に要請されなかったら侵略されそうでも武装しないのかしら
応神天皇は北九州生まれだしな。 神功皇后もその辺かな?
岡山に造山古墳って謎の巨大古墳あるけどあれなに
865 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:09:10 ID:7mqBeH7w0
>>861 伊都国も九州だろうし宇佐とかの異常な権力を考えると
広嗣の乱辺りまで本当はここが中心だったんじゃね?
866 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:10:12 ID:oQp1BKhqO
>>862 じゃあ、利害の一致でもいいよ
ロジックが大袈裟って、それこそ意味わからんけどさ
日本側から人材が伽耶に行ってるのめ事実だし
当時、互いに別系統という認識はない
それに卑弥呼の使者を中国側に案内したの誰?という疑問がある
大陸には二つ路線を平行的に実施してただけじゃないかな
神功皇后の三韓征伐の帰途にて、宇瀰(福岡県)で生まれたとされる 因みに応仁帝は111歳で崩御 生まれた地といっても、帰省途中に生まれただけ
868 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:12:14 ID:QsOXUtCG0
>>863 神功は畿内の人間なんだが。
なんでもかんでも九州に絡めようとしないで欲しいな。
>>864 吉備とヤマトと手を組んでから、ヤマト人が作ったんじゃん?
で、その後対立し始めたので鬼ヶ城を作って見張ろうとした。
でも結局追い出されたw
ぶっちゃけ邪馬台国って後の大宰府なんじゃね? 律令制でも権限が尋常じゃないよ。
871 :
869 :2010/04/22(木) 00:16:56 ID:LXlOO6rH0
×鬼ヶ城 ○鬼ノ城 ね 岡山にある最古?の山城。 ヤマト人は石垣を作るのが得意だったのね〜 朝鮮式山城って呼ばれるけど、ヤマト式山城って言うべき。
>>860 九州は明らかに小国分立状態だったけど、
東海から九州北部の一部まで支配していた邪馬台国連合の人口は、
100万以上言っていたんじゃないの?
纒向の土器を見るに東海・畿内中心の政権だったと思われる。
873 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:18:22 ID:UkReT6dO0
>>841 中国の古代には、千年周期だったかで革命が起こるとの説がある
大化の改新から記紀の神武の時代は時間的にぴったりと重なるのよね
そこから、神武遠征の時代が定まったと考えられているよ。
私も神武の東征がなんらかの史実であったとすれば、三世紀ごろの事だろうと思っている。
その時代に九州の神器だった銅剣が本州でもあがめられるようになっているから
九州勢力が本州に流れ制圧したと考えることが可能だ
広開土王碑に関しての半島の碑文改竄説が破綻してもなおも、 認めようとしない半島人と似てないか?九州(説)人
875 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:21:44 ID:UkReT6dO0
>>870 当時、南九州や大陸ににらみを利かせる必要があった事から
大宰府は戦略上、きわめて重要だった。
そのため大宰府には大きな権限が与えられたのだろう。
防人も、大陸からの侵攻への備えと言うが
実際は大陸よりも南九州を押さえる事が目的だったと考えるのが妥当だ
そうでなければ、大陸からの侵攻などめったにないのに莫大な維持費が必要である派兵を、何百年も続けるわけが無い
876 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:23:33 ID:QsOXUtCG0
>>873 >九州勢力が本州に流れ制圧したと考えることが可能だ
3世紀にそうした流入があったという証拠はありません。
どうしてそんな夢をみたがるのかな?
877 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:24:09 ID:oQp1BKhqO
だから天孫を朝鮮にしたいのが九州説を利用 天孫を古代イスラエルとかにしたいのが畿内説を利用 これだけ
>>875 一大率をおいたところが、後の太宰府だろうな。
879 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:25:58 ID:/IEOSAvt0
880 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:29:03 ID:eVwnwg+d0
もしヒミコの国が北九州だったとしたら 奈良になぜ大和王権ができたんだよ
881 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:29:03 ID:H8dHfPbY0
畿内説をほざいてる人は宿敵・狗奴国はどこにするの? 纒向が邪馬台国で傍国いっぱいはさんでさらに南なんて紀伊半島の最南端なの? そんなところと奈良盆地がどうやって戦争するの? ありえるわけないじゃん。
考古学的にはもう九州説なんて成りたたない状態だよ。 卑弥呼の墓は、箸墓か否かあたりが論争の的だろう。
>>881 紀伊半島説もあるようだけど
そもそも畿内説は南を東に置き換えてるんだから
東日本の勢力を考えてもいいだろう
884 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:31:45 ID:QsOXUtCG0
>>879 神武東征で、
神武にくっついてきた氏族は、大伴と大久米なんですよ。
で、神武、大伴、大久米が住んでいたのは橿原。少人数の集落でしかない。
3世紀に栄えてたのは巻向。橿原ではない。
全然場所も違うんですよ。
>>881 狗奴国は普通にクマソで良いのでは?
考古学的にも、3世紀頃の熊本一帯の文化は明らかに、北九州以北とは異なってる。
886 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:32:50 ID:LXlOO6rH0
887 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:33:07 ID:aGNop+Gn0
ここも電波がえっとじゃのう。
>>832 氏の意見は同意出来るけど。わしが書いたコピーでも、
続けて載せとくか。
90 :白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/04/16(金) 00:32:17
>>89 の補足として、
http://www1.megaegg.ne.jp/~myfriend/higeki.htm 海音寺潮五郎氏が、戦国大名龍造寺家種系統の末とされる江上波夫の
騎馬民族説に言及しておられるが、江上波夫氏は、津田左右吉氏を
「あまり世間を知らなかったから、あんなものが書けたんだ、
若造の経験もない学生には面白いんだ」と云われ、
「日本の学者は刻苦勉学するんだから。だから他のことをせずに
勉強するということを教えられ、学生時代から、専ら研究室に
通ってさ。わざわざ狭くしちゃうわけです。
少し見聞を広くしておいたら、読んだらすぐにわかるものは解る。
文字面だけ解釈するから、えらく難しいものになっちゃうんです。
だから日本の学者は非常に狭い。歴史家には向きませんよ。だから
ものの解釈というのは、幅広くなきゃダメですね。やっぱし人間的
経験とか、社会的経験とか積んでなけりゃあ歴史家には向かないね。
歴史家っていうのは、まず見聞を広め、経験を豊かにするという
ことが何より大事なんです。」
ここに、挙げたブログに伽耶と吉備の関係が出とるよ。
じゃが、朝鮮が本家で日本が分家と、海音寺氏や江上氏と九州人系は
日韓同祖派。古くは明治期の佐賀人、久米邦武氏よのう。
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page264.html 資料Iに、天孫民族たる朝鮮民族が、古代日本を治めたと。
じゃが、この時代朝鮮民族なんか成立しとらんし、
http://www.geocities.jp/tamatorijisi/matuurasi2.html ここの ニ、民族上から見た松浦
「高天原族≒ツングース」の方が正確じゃろう。ツングース族の
半島バージョンは、朝鮮人。列島バージョンは日本人とした方が良い。
888 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:34:33 ID:9/uOqHx10
句奴国の男子の王が崇神天皇で紀氏系 邪馬台国の女王が倭迹迹日百襲媛命で出雲系 だと解釈するとすべての謎は解ける。
さっき帰ってきた。 明日も早いのでもう寝る。 だが、これだけは言っておかなければならない。
890 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:35:25 ID:H8dHfPbY0
>>883 昔の人は今以上に天文事象に慣れ親しみ敏感だったはずだから
距離は間違えてもお日様が出る限り方角は間違えないと思うんだよね。
中国人がいきなり日本列島に目隠しでつれてこられても
数日もかからず東・南・西、自動的に北は大体わかるはず。
>>887 騎馬民族征服説は英国のノルマン・コンクエストからヒントを得たらしいが、
英国の場合、明らかに王室および貴族などの支配層と庶民とで話す
言語が違っている。
日本にはそう言う事実があった証拠がない。これは決定的な反証。
ようするにどこかの民族が来て…というのは全くあり得ない。
892 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:38:58 ID:LXlOO6rH0
>>890 魏の使者は狗奴国には行ってない。
伝聞でしか聞いてないから、勘違いする可能性はあるよ
893 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:39:16 ID:eVwnwg+d0
奴国のナは奈で土地を意味する。 狗奴国も奈と区別するためクという何かを 意味する言葉をつけたものだろう。
894 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:39:24 ID:QsOXUtCG0
>>887 征服説なんて、いまどきどこの爺さんが唱えてるんだよって話。
>>890 日本の東は「ひむかし」、つまり「朝日に向かう」方角なんだよね。
だから季節によって変わる可能性がある。
対して大陸では、北極星を北とする絶対方位が用いられていた。
んで、魏の使者いわく「倭人は冬でも青菜を食ってる」だから、
来たのは冬だな。
いや、どっちに転ぶ話かわからんけどw
>>891 証拠がなくたってさ〜
日本人は他民族の文化を積極的に取り入れる民族だったんだよ、昔から
897 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:45:27 ID:H8dHfPbY0
>>887 >ツングース族の半島バージョンは、朝鮮人。列島バージョンは日本人とした方が良い。
渤海も日本とは同祖だと言ってきたな。
>>891 話し言葉じゃないけど上代特殊仮名遣がそうじゃないの?
最初は普通に聞き分けられて意識しなくてよかったものが
土着が進むにつれて法則として学ぶものになって間違いも起こるようになって
ついになくなった。
一般の日本人が意識せずに単語によりそうなってしまっている
ラ行のRA行とLA行が帰国子女に聞はき分けられるようなもの。
898 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:45:27 ID:9/uOqHx10
>>888 倭国大乱とは、
日本海流グループの出雲系(北九州、山陰、近畿北部)と黒潮グループの紀氏系(南九州、四国、紀伊半島)の争い。
大和周辺は両グループ結節点で戦乱の中心。
魏志倭人伝の作者は出雲系と接触したが、紀氏系とは接触していない。
国譲りの神話は両グループの和平交渉の結果。
そして出雲系と紀氏系の融合した家系図をつくったのが、現在の神武から崇神までの系譜。
899 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:48:14 ID:aGNop+Gn0
>>891 歴史に証拠なんか何一つ無いんに幼稚なことを云うのう。
なんなら奈良期以前の言語を証明してみんさいや(笑い)。
900 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:49:07 ID:9/uOqHx10
901 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:49:11 ID:WgQywQQkO
卑弥呼の弥呼は巫女「みこ」のことな。 卑は火或いは日か何かか。
奈良とか近江とか文字通りの幕府みたいに最前線だっただけと考える と分かりやすい。東へ勢力拡大でもともとの本拠地は北九州って ことならその間の出雲や吉備が重要な意味を持つでしょ。 良好な関係じゃないと分断されちゃうから。 というか古代って都移しすぎだから。畿内説ならそのまま邪馬台国 が藤原京ってなるけど継体天皇時代は近江とか越前・越後まで進出 してて戻る意味が分からん。 奈良が要塞化したのは防御行動ではないのか? その間に磐井の乱おきてるんだよな・・・。
903 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:51:13 ID:oQp1BKhqO
904 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:51:36 ID:Vj3WvEYt0
>>1 まあ、こんな判りもしない事を議論しているのは、時間の無駄だし、
大学とかで研究するのは税金の無駄。
905 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:52:07 ID:9/uOqHx10
出雲系卑弥呼の女帝イメージと 現代の男系イメージの皇室にずれがあるのは、男系は紀氏系だから。
こんなんでいいなら四国説も入れりゃいいのに
907 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:52:28 ID:gb8bGtzz0
>>896 うんうん。
つい最近、遠山美都男編「日本書紀の読み方」(講談社現代新書)を読んで、
あらためてそう思った。
スサノオが皮をはいだ馬を天井裏からぶっこむシーンは、ツングースやギリヤーク、
ヤクート、モンゴル、カムチャダール、ラップなんかの北方民族の風習と
通じるものがあるらしい。
909 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:54:11 ID:aGNop+Gn0
>>900 神武じゃの想像上で実在しとらん可能性が高い人物を挙げても。
それこそ、ネット右翼の詐欺師まがいな言葉じゃが「証拠が無い」よのう。
離れた土地で似た方言があることとか。 どうなんでしょう。 岡山弁と名古屋弁は似すぎでしょ。 出雲が東北と同じズーズー弁だったりとか。
911 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:56:40 ID:9ux5wB5U0
俺はこの時代の歴史は疎いから、無知だけど。 弥生時代は、東京文京区弥生町で見つかったくらいだから、日本全国を支配してたはずで、 したら、九州じゃなくて、真ん中に位置する近畿、伊勢神宮を真ん中にする政治だと思うけどなあ。 普通に考えて、端っこにあったら、支配できないだろ。
912 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:56:42 ID:gb8bGtzz0
卑弥呼は天照で、その時代に九州で皆既日食があったから邪馬台国は九州だって話が最近あったよな。 卑弥呼が天照とするなら、邪馬台国と大和朝廷につながりがあるはずなので、ますます近畿説が強くなるはずなのに。 九州人って馬鹿だよなw
913 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:58:12 ID:9/uOqHx10
>>909 想像力のないやつだなw。架空の人物である方がこのシナリオは成立する。
神武は南九州出身で黒潮に乗って東征し、紀氏と一緒になって南から攻めた。
つまり、黒潮グループの象徴。
いーまに見ていろ、ジャマタイ王国! 全滅だ!!
915 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:58:17 ID:aZaSBEoXO
もはやこれは、遺跡発掘等による解明よりタイムマシン造る方が早くないか?
916 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 00:59:17 ID:QSFKaKX50
邪馬台国は二つあったんじゃないかな
917 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:00:06 ID:aGNop+Gn0
邪馬台国以外にも古代王国はあったんだから 取り合いせんでもええでしょあほらし 中国様公認ってのがそんなにイイのかねー
なんでも鳩山にみえる
920 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:02:21 ID:xt4V0rhmO
頼むから俺のロマンを勝手に解明しないでくれ…
921 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:03:27 ID:7uqOcihT0
>5 天智天皇だったか天武天皇だったかの時代に、朝鮮人(新羅)に盗まれたんじゃなかったっけ?
>>917 「司馬氏が指摘している」とこのブログの筆者が指摘してるだけやん
具体的な内容クレクレ
923 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:05:09 ID:aGNop+Gn0
>>913 黒潮なんか死の海で漂流ルートで、民族集団の移動に成りえんよ。
黄海経由じゃないと難破する可能性が強いけんのう。
どうも、ネット右翼は朱子学の本場江南崇拝で南方誘致したがるわい。
924 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:06:36 ID:LmTkZgAs0
諏訪大社の周辺はいつごろ大和政権の傘下に入ったんですかね。 軍事的に征服されたの?
卑弥呼はオメコと読むのが正しい
926 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:07:20 ID:oQp1BKhqO
何でネット右翼とか言い出してるんだろう?
927 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:08:37 ID:LXlOO6rH0
で、ヤマト族は遊牧民ってことでいいんだよね?
>>913 神武のおじいちゃんがヤマサチヒコ、おばあちゃんがワニだもんな。
もろに海洋民族の神話の人らだ。
>>923 とか
いやいや、環太平洋の海んちゅをなめたらいかん。
「カヌー」というのはもともとカリブ海に住んでたインディアンの舟の
ことだが、地球の反対側の太平洋の八丈島でも、丸木舟のことを「カンヌ」と
呼んでいるのだ。
そんだけなら「18世紀あたりのアメリカの捕鯨船とかが伝えたんじゃね?」とか
思うけど、実は日本書紀にも出てくる。 応神天皇五年の条に、
「伊豆の国に命じて速い舟を作らせた。『枯野』と名づけた」という記述があって、
編者の注として「枯野って変だから、たぶん当時は『軽野』だったんじゃないかしら」みたいな
ことが書いてある。つまり、書紀編纂当時にはすでに語源とかわからなく
なっちゃってたわけだけど、音はやっぱり「KaNu」系だよな。
929 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:14:19 ID:Afr9+VDv0
どこのスレにでも出しゃばってくるチョンがいない。なぜだ?
930 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:15:09 ID:oQp1BKhqO
つうかヤマト族なんて居たの? 大和という国は聞いたこてあるけど
932 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:17:26 ID:qmIbeyPw0
ヤマタイ ヤマト どう考えても同じ地名でしょ 近畿だよ
>>930 うん、勝手に呼んでるだけ。
「百済人」なら一般的かもだけど、
百済の前は大陸にいただろうし
百済を通らずに来た一派もいるだろうから
>>931 俺の引用元、谷川健一「日本の地名」(岩波新書)では
「カヌー」だったけど、言われてみれば「野」は「や」でもいいよな。
935 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:22:13 ID:aGNop+Gn0
>>922 鈴木武樹氏も、山田秀三氏との対談「北海道・東北のアイヌ語系地名」で、
山田氏がアイヌ語にズーズーが無いと云われ、鈴木氏は「(朝鮮の)北は
ズーズーなんです。僕の家へ北朝鮮うまれのバタヤさんが来ますけど、
山形人だといったらぜんぜん日本人は疑わないんだそうです。
大野晋さんは、かつて出雲から東北までズーズー弁が支配した時代が
あって」云う見識じゃったよ。
936 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:24:52 ID:t7kKH9990
上代特殊仮名遣は、あの当時の日本人の音韻の発生をそのまま反映しているとは 限らない。古事記を書いた人間(外国人か帰化人か、帰化人の子供)が音韻を 豊富に持っていて、それを自然に書き写したらああなっただけかもしれないし、 支配層(半島系)と平民(土着系)では音韻の使い方のルールが違ったかも しれないからだ。 ひらがなの書き方でも、二次大戦前までは書き分けられていたのが、 戦後の国語改正(?)により、「てふてふ」も消えてしまったでせう。 あれとおなじぢゃないかと思ふがどうだらうか?
>>934 あなた婆じゃなくて爺なんですか
カヤックとは
アリューシャン諸島のエスキモーが海で使用していたものから発展(wikiより)
エスキモーの一部は遊牧民が北上したもの・・・ということは(ry
938 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:31:05 ID:oQp1BKhqO
どうしても話がナラはウリナラになるな
>>937 あ、よく考えたら、カヤックというのは骨に皮を張った船だよね。
対してカヌーは丸太をくりぬいた船だから、この場合はカヌーなのかも。
ようするに、
>>908 で書いた北方系も、
>>928 で書いた南方系も、
どちらも今の日本民族の祖先なんだよね。なんとなくやってきて
ワイワイガヤガヤしながら混じりあったと。俺が婆か爺かもそういう感じw
940 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:33:29 ID:aGNop+Gn0
>>928 おいおい、台湾への漢人移民も宋代以降で多くの移民は明代ど。
それたぁ前の時代、黒潮、東シナ海は民族移動の軸線に成りえん。
丸木舟で、まとまった集団として渡来出来るわけ無いじゃないか。
家族単位で無事に日本列島へ漂着しても、現地民に奴隷にされるか、
殺されるか、食人習慣のあった日本の原住民に喰われるかじゃのう。
日本人が近世漂着しても『バタン漂流記』のように、逃げにゃあ
殺されるけんのう。つまらんロマンは夢見なや。
で、結局天照大御神=卑弥呼なの?
>>935 うーん、語尾とかに、共通の特徴があるんでしょうかね?
音の高低が少なくて平板ってだけではないかと・・・
昔、中国人にナンパされて東北訛りだと思いこんで、喫茶店までついてったことが
943 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:38:43 ID:v6KQ39Q50
ゴッドハンド事件は致命的だったな。
944 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:40:40 ID:oQp1BKhqO
とにかく南方系が日本に来てるは既にある事実
945 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:41:01 ID:LXlOO6rH0
海洋民族ってツチグモさんちゃうの
邪馬台国の場所はいくら議論しても無駄だろ、証拠を見つけないと それに魏志倭人伝の 女王の都のある邪馬壹国に至る。帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。 女王国より東に海を1,000余里渡るとまた国があり、それらも倭と同じ人種である。 女王国より東に海を1,000余里渡るった国ってどこか考えたら答えは出るだろ
947 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:43:52 ID:hr1E5jui0
>>941 アマテラスと日食の精細な再検証が現在行われているらしい。
九州で2度観測されたらしい日食が近畿ではどうだったのか?
神話とか馬鹿に出来ないからね。
倭人伝に書かれている3世紀の邪馬台国はヤマトですよ、 深く考えすぎです。 巻向が宮で水銀朱を持つ山を背景に、呪術で人々を 指導したという事です。
>>940 「ここは俺たちの漁場」てな発想は、使える資源に対して競合する場面で
生まれるわけだから、大昔はそんなに邪険にされることはなかったんじゃないかなぁ。
生産の律速が技術にある段階ね。
そういう時代は、もっとおおらかに
「岬の向こうに変な奴らが住み着いとる」
「ほお、海から来たんかな」
「こんど見に行くか」
みたいな感じ。
950 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:44:50 ID:oQp1BKhqO
瀬戸内海を奪い合ってたんだろうな 出雲としては対大陸も同時進行でてこずると
951 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:45:20 ID:ds5Z4/iC0
なんか結論つかないみたいだから各々10ほど代表を出して剣もって戦わせろ 負けたら首切ってカメに逆さに入れて古墳に埋葬ね
952 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 01:48:47 ID:hr1E5jui0
近畿説だとどうしてもわからないことが一つ。 瀬戸内海を通った筈なのに吉備国とかの記述が全く無い。 北部九州の詳細な記述を考えると、あまりに不自然過ぎるよな。
>>945 むしろ背の低いわれわれがツチグモだったりとか
それぞれ支持する学者の数は 九州1に畿内が9くらいですか?
>>952 吉備国も女王国の構成国の一つでしょう。
傍国の説明の中で記述されていると思います。
>955 名前:名無しさん@十周年 投稿日:2010/04/22(木) 01:52:06 ID:LXlOO6rH0
>
>>952 >瀬戸内海通ってないんですよ
えっ!???
>>956 無いと思います。
>>955 でも縄文人の遺伝子の50%以上が南方系なんでしょ?
>>957 対馬国→佐渡島
一大国→能登半島
で、若狭湾まで行って、
敦賀港・・・末盧国
↓ 福井県敦賀市。近辺の砂浜は「気比の松原」
↓
↓南東に約26km(直線距離。道は蛇行)
↓
高月町役場・・・伊都国
↓ 旧滋賀県伊香郡高月町。
↓ 全国でも有数の古墳群である古保利古墳群がある。
↓ 江戸時代、朝鮮通信使で有名な儒学者・雨森芳洲を輩出。
↓
↓南南東に約11km
↓
長浜市役所・・・奴国
↓ のち、国内有数の鉄砲生産拠点として栄えた。
↓ 浅井長政の領地?山内一豊が与えられた「近江唐国」もここ。
↓
↓東に約9.5km
↓
伊吹庁舎・・・不弥国 ←不破?
↓ 旧滋賀県坂田郡伊吹町。
↓ 美濃への交通の要地、ここを越えると岐阜県不破郡関ヶ原町。
↓ 息長氏の根拠地。ヤマトタケルが死傷を負った伊吹山の麓。
↓ 石田三成の出身地、石田村もこの辺り。
>>956 ご馳走様でしたw
もしも邪馬台国が近畿なら、当然瀬戸内海を通ると思う。北部九州を拠点として。
さらに当時の吉備国に対しては寄航するかあえて避けるかするはずだし、この記述が無いのはどう見ても不自然。
長浜の船乗り場 ↓ ↓水路・南西に約40km ↓ 野洲川河口・・・投馬国 ←播磨田町??(ハリマは開拓地の意?) ↓ 滋賀県野洲市。 ↓ 古墳多数。日本最大の銅鐸が出土。 ↓ マスコットキャラは「ドウタクくん」。「ドウタくん」ではない。 ↓ ↓水路・南西に約18km ↓ 瀬田川河口 ↓ ↓南南西に約55km(直線距離。道は蛇行) ↓ 奈良県桜井市 こうです。 対馬国・一大国は魏志の編集者が勘違いして誤記したんです。 「対馬」「一大(壱岐)」って表記は、卑弥呼の頃はなかったはず。 後年書き変えたのは明らかでしょうから
>北部九州を拠点として なーにを根拠にw 中国様が「対馬」「壱岐」って書いてくれたからって その記述に必死でしがみついて、かわいそうに おなかじゃなくて頭に入れてくださいね ほんま、地図を見てからもの言うてほしいけど なんとか法だのなんだのをゴチャゴチャでっちあげるまでもないよ
964 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 02:10:53 ID:aGNop+Gn0
縄文といえば、喜界島の大噴火もあったし、100m近い海面上昇もあった。 東南アジアの小さな島々では、段々と上昇する海面に対して島を捨てて新天地へという動きになったのは間違い無い。 日本でも食料不足から生じる地域逃走など起こっても不思議ではない。 何より邪馬台国以降の中国の混乱を考えればな。
967 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 02:23:53 ID:ueTkYu7W0
やっぱり畿内説って 文献を否定しないと 成り立たないわけだ で、文献に記載されている 邪馬台国が畿内にあるというのは 矛盾ではないだろうか
>>964 だからツチグモさんはかなりお亡くなりになったと思う。
縄文人は山にこもって「かまわねでけろ」って言ったし
弥生人は平地を耕して米作れたらよかったから
仲良くはしなかっただろうけど、住み分けしてたと思う。
楽観主義というか、ヘタレだけどものづくりは得意な民族のパラダイスだったんよ
武器を持った人たちと、手なづける獣を見つけられない遊牧民が来るまでは。
邪馬台国=ヤマトコクだろ。 九州には大和を超える2〜3世紀の遺跡なんてないだろうに。
970 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 02:49:44 ID:ds5Z4/iC0
いつも思うが深夜の邪馬台国論争は延々と続きますな 毎回
971 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 03:02:17 ID:cnoNJc8Y0
邪馬台国の「邪」って蔑んだ呼称だから、 所在も(わざと) ふざけた記述をしている っていう可能性はないかな?
>>970 仮説は出来ても答えは出ないからなw
どちらの仮説もツッコミどころがあるしw
973 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 03:14:12 ID:kUKhJH/o0
邪馬台国の台は、魏志倭人伝の原書では台ではない漢字で、「うぃ」って読むんだよ。 馬がたくさんいる海沿いの国とか言う意味だったかな。 誰かが言ってた。 その人の説では邪馬台国なんてないという話だったが、 仮に馬がたくさんいる海沿いの国なら近畿説はないな。 馬なら阿蘇だし、阿蘇から上陸して太宰府に進んだんだろう。
え?樹海の中じゃないの?
まあ、武器を持った人たちも、暖かく豊かな自分の土地を持ちたかっただけで 略奪が目的ではなかったかもしれない・・・いや分からんけど で、遊牧民。背が高く優しく、(切れたら)勇敢。 動物を手なづけ、エサ場に連れて行き世話して乳を絞り、最後にはいただく。 そして、角や皮を他の部族が持っている食べ物と交換する。 って、新しい土地でも同じようにすればいいと思ってたのに、 日本に来てみたら山ばっかりで遊牧生活ムリ。やばい。飢える。 でも、先に住んでた奴らは毎日白い食べ物を食べてる。 あれ何やねんー。
牧:それなんやねん。うまそうやんけ。よこせ。 農:いっいやじゃ。なんでやらないかんのじゃ 牧:はらへっとんねん、殺すぞわれ 農:お前、わしら殺したら来年は米ないぞ! 牧:あ、そか。ほな、あんたらが食べる分はよけて、余る分だけよこせや。 農:え。まあ、余るのは余るけど。タダですか。えー。 牧:ほな、もしあんたらを襲う奴がいたら、俺らが戦って、先に死ぬ。だから分けてくれ。 そんなわけで、武士と農民が成立したのです。 ヤマトの国は、支配っつーか、取引から始まった。
977 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 03:42:04 ID:OpHzRCnr0
まあ、よほど決定的な証拠 魏志倭人伝に記されている金印が、箸墓古墳あたりから出土するとか 誰もが否定し切れなくなる、決定的な考古学上の発見が無い限りは、邪馬台国論争はこれからも続くだろ 学者同士の争いだけではなく、畿内派と北九州派という学閥同士の争いの側面もある どっちも立場上、あとには引けまい
はぁ? 否定し切れないことなら強弁したもん勝ちだとでも? つか、純金って、ちょーやわらかいですよね。 電子部品の会社で伝導率?が高いとかで純金扱ったことあるんですけどw 土に埋もれたら、いがみまくりでボコボコです。確実に。 いや、なんか、あの金印とか普通にウソでしょ 日本の恥よ
この論争の根幹には邪馬台国が地元にあって欲しいという期待があるんだな。 でも小国が分立していた時代、邪馬台国もその一つに過ぎない。 日本を統一するような絶対的な権力はなかったとみるべき。 あと畿内より九州の方が、銅鏡や墳墓など多くの遺跡があるし、 対馬や壱岐は遺跡や出土品の数も凄い。当時はかなり栄えていたろう。 九州全体でも本州より国の数も多かったと思う。 当時の地理感でいえば畿内は僻地だよ。
>>979 どうでもいいわwww
そう、邪馬台国の他にも国はあった。大陸から来易かったというだけ。
近畿の人間は僻地となんて言葉にコンプレックスを感じたりしない、
恵まれた土地ゆえに奪われた歴史を悲しんでいるだけ
対馬や壱岐の人たちも同じじゃないの?
あのころの海岸線と河川どうだったんかね?
>>979 いや九州栄えてないだろ。当時の地理感()で日本列島より中華よりの半島同様
だからしょぼいもんしか出てこないwwww
そもそも文献上の解釈論争じゃ両者の決着がつかないから 考古学的アプローチが重視されるようになった。 そして、近年になって畿内説が優勢になってきたのも そうした考古学的な成果の積み重ねの結果だ。 手持ちの札を持たず、自説の補強もできずにいらだちを感じている九州説論者は 畿内説に対してケチをつけることしかできなくなってるのが現状だ。
まあどっちにしてもこの時代、関東以北はまだ洞穴に住んでたんだよな
985 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 09:07:29 ID:vctv9WqS0
古代史にロマンを感じてる人には悪いけど、 その魏志倭人伝や古事記や日本書紀は、特定の意図をもって書かれたということを差し引かねば。 まず、本当に天照大神が女神で天皇の皇祖神かというと、批判的な研究のほうが多いし説得力がある。 7世紀の人が天照大神が女神に描いたから、3世紀の卑弥呼と同一人物だと考えるのは短絡的すぎる。 素人が、天照大神が卑弥呼だって考えちゃうのも無理ないが、 それを良いことに、天照大神が卑弥呼だとして「古代史の謎を解いた!」と称する本があふれてて辟易する。 そういう著者は、本当に謎を解いてるのではなく、 読者の知識レベルに合わせて面白おかしく小説を書いてるだけ。 中には「天照大神=卑弥呼」を史実と思い込んで没頭しちゃう人もいるみたいだけど、 伊勢神宮の縁起を自分でよく調べてみるといい。 天照大神が男神という証拠は多いし、ましてや古代の九州で天照大神が祭られてたなんて事実は無い。
986 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 09:13:15 ID:FBMtdQA10
もう近畿、奈良で決まり 九州のわけないのに
987 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 09:14:54 ID:liRKjMqw0
卑弥呼は実在の女性 天照大神は女性機のこと。 これ常識。
988 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 09:18:19 ID:VdNTo8dh0
>>1 >高島忠平・前佐賀女子短大学長
絶対にこいつだと思ったらやっぱりコイツだったw
もういい加減あきらめなよ
論争じゃなくて、九州派が負けを認めてないだけじゃねーのかよ
最後に私が正しい結論を教えてあげる。 倭とは九州にあった王国。邪馬台国が近畿なわけねーだろー。
991 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 10:39:57 ID:XWCmXJZ30
邪馬台国が畿内だというネタがないからな そりゃ、魏志倭人伝も記紀も否定すればねえ。
992 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 10:53:56 ID:3QGYX14S0
飛鳥・奈良時代、日本の都は「大和」という場所にありました。 弥生・古墳時代の頃の中国の書物に「ヤマト国」のことが書かれていました。 なぜヤマト国が九州起源だったなんて思うんだろう 思考回路が韓国人だからか
993 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 11:01:44 ID:XWCmXJZ30
その中国の書物とは距離も方向も違いました。 そして、そこに書かれていた風景は南国だったのです。
994 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 11:07:37 ID:3QGYX14S0
>>993 そ、中国人いい加減だからw
対馬じゃない国を「対馬」、壱岐じゃない国を「壱大」と書いた。
しかも字は間違ってるし。
「岐」が「支」になって、しまいに「大」になってるし。
で、ヤマト国はどんな風に南国なの〜
正直どうでもいいと思うがなw はっきりわかったことで何かメリットあるの? 税金が安くなるの?w
996 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 11:13:12 ID:RTsMQgqG0
歴代天皇が事あるごとに宇佐神社にお参りしてご先祖様にお伺いを立てているからな 九州起源だろ
>>994 一大を無理やり語呂合わせで壱岐にしたのは
日本の九州論の学者だろ。
博多湾(糸島)を一大とすると、九州に伊都を持ってこれなくなるからな。
>>14 これ両方とも弥生系だろ
縄文は引くぐらい濃いぞ
999 :
名無しさん@十周年 :2010/04/22(木) 11:19:19 ID:3QGYX14S0
1000なら邪馬台国は九州
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1001 :
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