国松孝次警察庁長官(当時)が1995年3月に銃撃された事件の公訴時効が30日午前0時に
成立したことを受け、警視庁は同9時から、記者会見を開いた。青木五郎公安部長は「誠に残念」
と述べた上で、「事件はオウム真理教のグループが(松本智津夫)教祖(死刑囚)の意思の下、
組織的・計画的に敢行したテロだった」との見解を発表した。
立件できず時効を迎えた事件について、捜査当局が特定の団体を名指しし、関与したと断定する
のは極めて異例。警視庁は「(オウム関係者らの)人権に配意した上で、公益性が勝ると判断した」
と説明するが、議論を呼ぶのは必至だ。
青木部長は「犯行に関与した個々の人物やそれぞれの役割を、刑事責任の追及に足る証拠をもって
解明するには至らなかった」と説明。それでも、教団による犯行と断定した理由を「捜査で得られた資料、
情報を分析した結果だ」とし、「事件の重大性や国民の関心の高さ、オウムが今なお危険性が
認められる団体として観察処分を受けていることにかんがみた」と述べた。
警視庁は会見で、14ページの「捜査結果概要」を公表した。この中で、教団元幹部や元信者ら
計8人を匿名にし、それぞれの行動や会話内容などを列挙。事件直後に「オウムの捜査をやめろ」
と報道機関にかかった電話の声が元教団幹部の声と推定されるとの鑑定結果▽教団が事件翌日、
配布したビラに報道機関への脅迫電話の正確な時間が記載されていた▽教団信者だった元警視庁巡査長の
コートなどから検出された火薬成分は犯行に関連して付着した可能性が高いなどとして、
グループの容疑性を指摘した。
青木部長は、事件が未解決となったことに「批判を受けたことは謙虚に反省し、今後の糧にして
いかなければならない」と述べた。
警視庁は31日から1カ月間、捜査結果概要をホームページに掲載する。
[朝日新聞]2010年3月30日10時40分
http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY201003300153.html [関連スレ]
【社会】国松警察庁長官狙撃事件、2010年3月30日午前0時に時効を迎える
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1269901712/ 「警察庁長官狙撃事件の捜査結果概要」要旨
◆事件発生直後の午前9時40分ごろ、報道機関にかけられた脅迫電話の声を鑑定した結果、
幹部信者Bの声と推定される鑑定結果が得られた。
◆発生翌日の午前、幹部信者Cらは、松本(智津夫教祖)から「警察庁長官撃たれる」と題する
教団名義のビラの作成を指示された。ビラには報道機関に対する脅迫電話の入電時刻について
「9時40分ころ」との記載がある。この時点で、脅迫電話の正確な入電時刻についての報道はなく、
記載は、脅迫電話をかけた者やその関係者または一部の報道関係者などしか知り得ない事項であった。
◆在家信者Aの所有物について射撃残渣(ざんさ)の鑑定を行った。灰色コートとアタッシェケース
については、本事件犯行に関連して付着した可能性が高いものと認められた。
◆元幹部信者Dのもとに、事件発生の3日前に幹部信者Eから電話があった。Aへの連絡方法を
教えるよう依頼された。この際Eは「敵の仇(かたき)は敵にやらせる」などと発言した。
◆事件発生前日の夜、DがAに連絡をとったところ、Aは興奮した口調で「下見に引きずり回された」、
「警察官しかできないことがあると言われた。できること、できないことがある。やりたくありません」
などと言ってきた。
◆事件発生直後の午前8時35分ごろ、AからDに電話があり、「警察庁長官が撃たれた。
まだマスコミに知られていないと思うので取り扱いに注意して欲しい」旨連絡してきた。
◆事件直後、日光街道の交差点から南千住駅方向へ自転車で疾走した男について、目撃者が供述する
特徴と幹部信者Hの特徴が一致した。複数候補者の写真を示したところ、複数の目撃者が同人の写真を抽出した。
◆E及びEの影響下にあったと認められる者(複数)から採取した資料について、DNA型異同識別
を実施したところ、E以外の1名について、(現場遺留品の)韓国10ウォン硬貨の表面付着物から
検出されたDNA型と一致するとの結果が得られた。同一型である確率は932分の4であり、
教団信者グループの本件関与の可能性を裏付ける資料のひとつとすることに、一定の合理性が認められる。
http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY201003300269.html