【歴史】坂本龍馬の「婚約者」の千葉佐那は飛び切りの美人だった

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1出世ウホφ ★
 
坂本龍馬(1835〜67)が江戸で剣術修行中に知り合い、婚約したとされる千葉佐那(さな)が、
飛び切りの美人だったとの記述が、愛媛県宇和島市に残る宇和島藩8代藩主・伊達宗城(むねなり)
(1818〜92)の記録「稿本藍山公記(こうほんらんざんこうき)」
(宇和島伊達文化保存会蔵)にあることがわかった。

龍馬研究者の宮川禎一・京都国立博物館学芸部室長が確認し、
「同時代史料で確認できたのは初めて」と話している。

佐那は北辰一刀流の達人千葉周作の弟、定吉の娘で、定吉の道場に学びに来た龍馬と知り合い、
婚約して結納を交わしたとされる。

公記は宗城の直筆の日記などから明治期にまとめられたもの。安政3年(1856年)6月19日の項で、
当時19歳だった佐那が「世子殿」(9代藩主宗徳(むねえ)、当時27歳)の剣術の相手をして打ち負かしたくだりに
「左那ハ、容色モ、両御殿中、第一ニテ」などとあった。伊達家の御殿は江戸に2か所あり、
出入りする多数の女性の中で、宗城が佐那を一番の美人とみていたことが読み取れる。

安政3年は佐那が龍馬と知り合った少し後で、伊達家の姫君の剣術教師だったらしい。

(2010年3月21日03時03分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100320-OYT1T01006.htm